<マインドフルネス>で心を整える チャプリン 董遇:<読書百遍> <上機嫌>の種を蒔こう

<上機嫌>の種を蒔こう


 実践倫理宏正会会報『倫 風』令和二年年1月号 P.10

『倫風』2020年1月号

 上機嫌の種は、どこにでも見出すことができます。たとえば都会では、毎日の通勤電車の中にもピリピリした空気が漂つています。満員の車中では、スマートフォンを見るための<位置どり>で小競り合いが起きるし、ちょっと体を押されただけでも腹を立てている人がいます。実際、乗客同士のトラブルで電車がしばらく停車してしまうこともあります。電車が遅れれば駅員に詰め寄る人が現れ、赤ん坊が泣けば<うるさい>怒鳴る人がいます。そんな<修羅場>を抜け、やっと職場にたどり着けば、そこにはまたふ機嫌な上司や同僚がいるというのが、都市で働く人たちにありがちな風景ではないでしょうか。

 精神科医の西田昌規(まさき)さんによれば、職場における<ふ機嫌>にはおおむね三つのタイプがあるといいます。第一のタイプは、<無神経な人のふ機嫌>です。怒鳴って相手を威嚇する人や、舌打ち・ため息・ぼやきの多い人、物にあたる人、自分が正論と思っていることを振りかざす人などが含まれます。相手に対する配慮や共感する能力に欠けているため、自分の思い込みや感情を一方的に押しつけてくる人たちです。

 第二のタイプは、<上から目線の人のふ機嫌>です。他人の意見をやたらと否定しダメ押しをする人、陰口をいう人、嫌みや皮肉をいう人、自慢話をしたがる人などが含まれます。このタイプの人は自己愛が強く、自分が他人より優れていると思い込んだり、自分を実力以上に見せようとする傾向があります。だから、自分より才能がありそうな人を恐れ、引きずり下ろそうとするのです。

 第三のタイプは、<自分だけ得したい人のふ機嫌>です。反対意見をいわれると冷たい態度をとる人や、誘いを断られるとむくれる人、未経験や新人であることを逆手にとって<その仕事はやれません>と居直る人などが含まれます。このタイプの人は、長い目でものを見るのではなく、いま遊びたい、いま楽をしたいという近視眼的な快楽を求めようとします。自分さえよければ、他人や組織がどうなろうと知ったことではないという人たちです。

 この分類は見事なもので、相手や自分のふ機嫌がどのタイプにあたるかを見定めることによって、対処の仕方や自己改善の道筋を考えるヒントになりそうです。ところで、三つのグループを注意深く見ていくと、そこに共通するひとつの要素が浮び上がってきます。それは、どのふ機嫌も自分本位の<利己>的な態度から生まれてくるという点です。

 人は誰でも、自分の利益を第一に考えようとする利己心と、他人のために尽くそうとする利他心を持っていて、この二つの相反する本能を調和させながら生きています。ところが、畑や庭を放っておくと雑草が生い茂ってしまうように、利己心は意識的に抑制しないかぎりどんどん増殖していきます。それに伴い、倫理の源ともいえる利他心は弱まっていくのです。ふ機嫌とはそのように、二つの本能のバランスが崩れ、利己心だけが大きく膨らんでいる状態のなかで生まれます。つまり、ふ機嫌であるか上機嫌であるかは、たんなる気分の問題ではなく、倫理にかかわる、きわめて大きな問題なのです。

 ふ機嫌が厄介なのは、個人の内面にとどまらず、他者をふ機嫌の渦に巻き込んでしまうところにあります。とくに現代の私たちが注意しなければならないのは、インターネットという手段によって、誰もが簡単にふ機嫌をまき散らすことができるようになったことです。なかでも、フェイスブックやツイッター、LINEなど、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)とよばれるコミュニケーション・ツールはふ機嫌の温床になっています。

 ふ機嫌が他者に伝染するように、上機嫌もまた周りに広がっていくものです。フランスの哲学者アランも『幸福論』のなかで、上機嫌こそ<交換し合うべきもの>であり、みんなの心を豊かにする本当の礼儀作法だといっています。

参考:アラン『幸福論』(集英社文庫)P.228 <上機嫌>がある。悲劇的な大げさなことばで自分自身の心を引きいたり、それを伝染させて他人の心を引きさいたりしないようにしなければならない。もっとよいことは、どんなことも互いに関係があるのだから、人生のささいな害悪に対して、その話しをしたり、それを見せびらかしたり、誇張したりしてはいけない。他人に対しても自分に対しても親切にすること、これこそほんとうの慈愛なのだ。親切は喜びである。愛は喜びである。の記述あり。

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