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―石から合成繊維―
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 倉敷レイヨンのTSQC

 ロジャー・フォン・イーク『頭にガツンと一撃』城山三郎訳(新潮社)1984.4.15 7刷 を読んでいた時、<パレートの法則>の言葉がでていた。

 思い出せば、倉敷レイヨンに勤めていた昭和40年ころ、大原總一郎社長のもとで、TSQCが実施されていた。         

参考:もともとQC(品質管理)は、文字通り製造の現場や品質管理部門が中心になって進められ、ハード的な側面が強いものでした。しかし、品質の持つ意味合いの変遷により、それだけでは評価者=ユーザーの要求に対応しきれなくなったため、その取り組みを全社=企画

 またその後、さらに多様化する顧客要望に対してより柔軟に対応し、品質の範囲拡大やレベル向上を進めるため、管理・統制といった意味合いが強いControlという言葉を、より目的達成に対応する意味も含めたManagementという言葉に置き換え、TQC(Total Quality Control)からTQM(Total Quality Management)という呼称に変わっています。

 当時の倉敷レイヨンのTSQCの状況

★連絡月報40年2月号:デミング賞立候補一年延期について……大原總一郎……

 去年は(昭和39年)はTSQC運動の勉強と推進に多くの力を費やしてきた。今年40年度においてデミング賞に立候補することを目標に各種の努力を続けてきた。しかしこのたび立候補を一年延期することに方針を決定した。

 その理由は、環境の厳しさが基本的な学習に、現在、多くの時間を割くことをふ適当と判断するに至ったからである。一方には今日のような事態においてこそ、QC活動が最も必要な時ではないかという意見もある。しかし、わが社のQCはまだある程度アカデミックな要素を伴った勉強の時代であって、それの完全実施という段階ではない。また学ばねばならぬこと、データを集めて整理せねばならぬことがたくさんある。

 それから今日まで得られたQCの知識は、ただちに今年一年の切実な要請に添えるものではなく、今年をさらに基礎的な勉強の延長の中におくことは四囲の事情が許さない状態であると思われる。

 それ故に、一時全社一斉に行ってきた基礎的な勉強の継続をやめ、デミング賞立候補を一年先に延長することを避け難いことと感ずるに至った。しかしそれは決してTSQCを無視したり、QCの勉強やデミング賞立候補を永遠に断念してしまったことを意味するのではない。

 それは、例えば、家庭の事情で、一年間学校を休学して家事に打ち込むという種類のものである。それが終れば、また学校生活を続ける心算である。

 家事に打ち込むといっても、もちろん、QCと無関係な方向に進むというのではない。今日まで習得したQCの知識はたしかに役に立つ。言葉をかえれば、今日まで習得したかぎりのQCの知識と経験とを、この時期の実践にとり入れて、この時期の実戦の具として、現実に立ち向って見ようということである。

 元来、QCにはアカデミックな反面はあるが、そのアカデミックを超克した時にのみ、真価を発揮するものであると思う。QCが持つ一つの長所は、組織体が全員同じ考え方に形を揃えて、主観的な把握や表現で疎通を欠いたり、共同作業の効率に支障を来したりしないという点にある。その点では、わが社はまだQC一色になってはいない。そのような中途半端な形のままではあるが、その時、たまたま実戦の時期を迎えたのである。万全の知識を持たないままで、目前の難関を克ふくするために、他は一時棚上げすることはやむをえないことだと思う。また、その実戦は今まで習得したQCを、あるひはほんとうに生かすことになる時であるかもしれない。学生時代に一時実務につくという諸外国の勉強方法に、事実上一歩近づいた、むしろ望ましいあり方であるかも知れない。

 それにしても、去年まで勉強してきたQC活動は、今回の実務中心のやり方の中で大いに活用する値打ちのあることことは疑いのないことであり、できるかぎりその知識経験を実用の具に供してもらいたい。そのことこそQCの本当の前進であるし、一年後にふたたび本格的なQCの歩みを続けるための、かけがえのない貴重な経験ともなるに違いない。QCの手法は、いうまでもなく、一般原則とその具体的方法であって、将来ともその理解の深化と実戦への結果は推進されるであろう。ただ、今年はデミング賞への立候補より、現段階のQCの知識と経験とを武器として、現実の問題にぶっつかって行くことを要請される年である。そしてそれがかえってアカデミックなQC運動にかけた、真のQCの精神を単刀直入につかませるものであるとも思う。QCの知識の吸収を一時見送っても、QCの根本精神の獲得は、かえってこの期間に体得できるのではないかと思う。QCの勉強を一時スローダウンするといっても、このスローダウンの期間こそは、ほんとうのQCの充実の時間であるかもしれない、否、確かにそうであるに違いないと思う。

 われわれはあらゆる<時>をそのときどきにおいて、われわれの最良の師であることを仰ぐことが必要だ。また松下の例を持ち出すことになるが、ふ況の声をきいた弱電業界における松下の合理化運動の思いきった徹底ぶりは、成長時代の積極性と並んで、極めて教訓的である。

 そして、今、われわれはQCの理論でもなく、松下の事例でもなく、現実こそ最良の教師であることを知った。型にはめたり、模倣したりするよりも、実戦の中にこそ最良の教訓を見出すことを、本当の探検者的、開拓者の道であることを認めた。そしてその道を歩もうと思う。

       (1.21)

 余白を借りて、1月24日の毎日新聞にのった大山めい人の<マネこそ上達法>と題する短文の中から、最後の部分を引用しておきたい。私は<模倣>ということをしばしばいってきた。そして今や、模倣より実戦の中に教訓を見出すべきだといった。

 かって模倣を尊ぶべきだといったとき、それは大山めい人がとなえるような模倣のやり方に徹してもらいかったのだ。過去の<模倣>のあり方を再思してみるとともに、<模倣>の価値と<模倣の真実の姿>をその中に見出してもらいたい。

 『将棋に勝つには、人が指したうまい手をおぼえ、活用す検討しることだ。つまり、うまく人のマネをした方が勝つ。高段者というのは、マネをした手の本当の意味と価値を知っている人である。』

 昭和38年1月――<松下模倣>を指示 <昭和38年の回顧>

プラント問題の異例なことはあったけれど、今年(昭和38年)の業績は、合繊会社としては低調であったことを否めない。この局面を打開するためには、種々の考察と実行とを必要としたが、その一つとして、年初以来、<松下模倣>を一つの橋頭保としたいと考えた。そして毎月事業部その他の単位で松下のあり方を検討し、その摂取に努めてきた。しかし私は、まだそれは実際には見るべき効果をあげてはいないと思う。少なくとも、松下模倣の<模倣>という言葉に対する抵抗の強さほどにおは、松下の内容摂取の度合は高くはないと思う。

 なぜ、私が松下を手本に選んだかといえば――今でもうまく理解されていると思うが――松下は官僚主義からもっとも遠いところにある、官僚主義とは正反対の場にあるという事実に基づくものであった。

 企業のあり方の中で、官僚主義ほど発展を害するものはない。官僚主義(官僚のすべてがそうであるのではないが)とは、いうまでもなく、規則の陰にかくれた保身と責任回避、権力による下への冷淡な応対と上司への阿諛迎合、仕事の縄張り争いと同時に、縄張りの外に対しては見ても見ぬふりする非協力的態度、創意の喪失とマンネリズムの支配、事なかれ主義と安全出世への信仰などによって成り立っているものである。

 わが社も事業部制を採用し、TSQCの運動を進めており、組織のあり方、仕事の進め方については科学的に精密な管理が追究され、一定の効果をそれによってあげ得たことは認められよう。しかし私が究極的に松下に学ぶべきだと考えるのはその人間像であって、組織そのものではない。

※参考:松下電器事業部制

 それは、松下の人間、松下幸之助氏が<社員はみな経営者だ>というその人間はどんな特質をもつももなのか、私の理解では次の通りである。

1.サービスの精神に徹すること、相手がなにを考え、なにを望み、なにを求めているかを十二分にわきまえて、相手に対する最善のサービスに徹すること、頑固、無関心・投げやり・空威張などが全然ないこと、すなわち官僚主義的要素が完全に清算されていること。

2.創意・工夫・努力によって、いかなる困難も克朊できるという生き生きした確信と喜びに満ちていること。したがって弱音を吐いたり、泣言をいったりして、モラールを自ら低下させるような無意味な時間つぶしをしない。

3.新事業に対する、開拓的な仕事に対する驚くべき適応性、型にはまった人間像のミイラにならないで、どんな事態や要望に対しても適応して行くだけの旺盛な意欲と自由な弾力性。

4.以上の長所を生かすために、組織や地位からおこりやすいい妨害がもっともよく排除されていること。

 私がこのような松下のあり方を模倣することをわが社のとるべき方策と考えたのは、わが社では一部これに反する事実が発生し、かつそれが有害な作用を及ぼしている場合がないとはいえないからであった。そして、今なお松下の模倣に成功していないということは、今日においても、一部においてまだその弊から脱しえないと思うからである。

 しかし、ともかく、今年一年間に松下の行き方について多くのことを多くの人によって知る機会を得た。私は、一人一人の人間の能力として、わが社が決して松下におとるものとは思わない。思おうと思っても思うことはできない。それでは。松下の一人一人の個人がなぜあれだけの能力を発揮しているのか? われわれもあれ以上の能力を発揮できるはずだ。発揮できないとすれば、われわれの能力の中で、全力を発揮することを妨げるために、一部の能力がマイナスの方向に使われているからだと思う。10の能力が10だけプラスに働いている場合に比べて、12の能力のうち3がマイナスに働いているとすれば12-3=9の能力しかプラスに発揮できないことになる。その-3が+3になりさえすれば、12の能力をプラスに働かせることができる。力の発揮を妨げているのも、要は全体の力の中の一部が逆な働きをしていることから起る現象であって、プラスの能力をすべてプラスに発揮しさえすれば、だれでも松下のようになれる。

 官僚主義とは、秀才がプラスの能力のうち多くの部分をマイナスの方向に働かせていることによって生まれる非能率な定型に外ならぬ。松下を模倣することはきわめて簡単なことであり、それはマイナスの力をプラスの方にかえるということだけである。そのマイナスに働いている力を自覚せず、かえってそれに心理的な拠点を見出しているような逆進型の人間像を前進解放型の人間像に組み直すことができさえすれば、松下模倣はきわめて簡単なことであると思う。

 <模倣>という言葉はあまり歓迎されないので、――私には少しも恐しい言葉ではないが――今年限りで来年からは使わないことにしたいと思う。<松下模倣>というのは、今年を回顧する時の思い出の言葉となってもよい。しかしそれが成功したという思い出を持つには、なお距離があることをも今年の思い出の中に残しておきたい。言葉はどうでもいいが、望ましい本来の姿に一日も早く到達したいという期待だけは忘れないでいたい。

(連絡月報、昭38.12月号)

大原總一郎年譜<資料編> P.97~99

 当時、西堀栄三郎氏の指導を仰いだりしていた。次のような記事が残っている。

★連絡月報40年2月号:仕事の考え方、すすめ方(下)西堀栄三郎。

連絡月報40年11月号:リレー随筆:加藤鶴夫「西堀先生との一時間《

 昭和39年11月30日、西堀第一次南極越冬隊長 西条工場で講演されれている。加藤さんは西条工場生産第二課長であった。

※参考:西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』

42年度QCサークル発表会:第3回 於玉島工場
開会の辞 今村品質管理室長
挨  拶 豊島副社長 角田工場長
発  表
堀  芳雄 倉敷工場 ウレタン重合における溶解性の向上
明神真知子 尾崎工場 牽紡前部屑物率の減少
鈴木  敏 西条工場 操作的要因による製膜の故障減少策
正光 淳子 岡山工場 分析薬品節減対策の検討
池田伊智三 玉島工場 FSMフィードローラースイツチトリップ対策
宮崎 健二 中条工場 PVA*E生産増強について
郷井  博 富山工場 PVAc養液濃度の安定化
*全工場22めいが発表のうちの中から各工場の一例ずつ取りあげた。

講評表彰 閉会の辞 工場見学
※1:玉島工場での発表会に副社長が大阪本社から参加されて、挨拶をされている。会社あげてのQC活動であることがわかる。

※2:発表の内容は工場現場の問題点を取り上げ、QCの手法を使って解決しようとしている様子がうかがわれる。

※参考:下記の本にパレートの法則が記載されていた。                         

 ロジャー・フォン・イーク『頭にガツンと一撃』城山三郎訳 P.169

<パーㇾㇳウの原理>ともいわれ、原因の二〇パーセントが結果の八〇パーセントをもたらすという考え方。たとえば

●製品の二〇パーセントが八〇パーセントの利益をあげる。

●顧客の二〇パーセントが八〇パーセントの苦情を言う。                                

●人口の二〇パーセントが八〇パーセントのビールを飲む。。

●人口の二〇パーセントの八十パーセントの電話をかける。

●仕事の二〇パーセントが八十パーセントの歓びを与える。

●設備のの二〇パーセントが八十パーセントのダウンタイム(非稼働時間)をひき起す。          

※参考:パレートの法則とは、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した統計に関する法則です。経済において全体の数値の大部分は全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論であり、80:20の法則、ばらつきの法則とも呼ばれます。

 パレートの法則は経済以外にも自然現象や社会現象など、さまざまな事例に当て嵌められることが多いのですが、現代で言われるパレートの法則の多くは、法則と言うよりもいわゆる経験則の類です。自然現象や社会現象は決して平均的ではなく、ばらつきや偏りが存在し、それを集約すると一部が全体に大きな影響を持っていることが多い、というごく当たり前の現象をパレートの法則の吊を借りて補強している場合が少なくありません。

私のQC活動

★当時、私は、岡山工場合成一部製造課仕上げの主任として品質管理に努めた。

 職・組長のための品質管理テキスト : A.B.著者石川馨 等著を参考書にして指導した。

★当時の私の発言             

 昭和二十五年以来満十六年後部でビニロン建設以来働かせていただきました。ともに考え、働き、ご指導いただきました。 仕事、労務、標準化、安全など走馬燈の如く思いが浮かび消えますが転部にあたり二、三のお願いをしてご 挨拶に代えさせていただきます。                        

第一は安全です。五月一日で無災害記録を樹立しましたが休業災害が四年以上もないと言っても過言ではありません。これは「安全は自分で作り出すんだ《と言う心構えによるものであったと確信しています。与えられるものではありません、作り出して戴きたいと思います。            

第二はQC活動にも通じますが、プラン・ドゥ・チェック・アクションと言われますが、これらの前によく現場を見ることが先行します。見た上で考える。あらゆる角度より考えて自分の考えを持つように心掛けて下さい。そうすれば必ずや自己の進歩と同時に部署の発展が約束されます。

 昭和41年11月、研究所に転勤。

 研究所ではQC活動は行われていなかった。

 デミング賞に立候補しなかった。

 終 章

   昭和43年7月1日、長男謙一郎、アメリカ留学より帰国、同日付で倉敷レイヨン(株)に入社。

 7月27日、直腸がんのため永眠(行年58歳)。7月31日、故人の遺志を対し、大原美術館中庭において告別式を挙行。参列者やく5,000めい。同日、倉敷めい誉市民に推挙される。大原總一郎年譜 P.69

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