M先生作成<K先生との交換メール(送信)>


   はじめに

 ここに載せたK先生との交換(送信)メールは、先生のご諒解を得て、主に奥様が体調を崩され入退院を、繰り返されておられる時期のものです。

 その主な内容は、曹源寺の日曜坐禅会のことや読書、人生観、講演会など、日々の出来事などです。それらを平成22年3月~8月までの半年間、順に載せています。一部、手を加えた処も有りますが、趣旨は変わっていません。

 K先生とは、およそ二十年前、曹源寺の坐禅会で親しくなり、以来今日まで、何かとお教えを仰いでいます。

 昭和二年生まれのK先生は、すでに傘寿を過ぎられていますが、今なお、ますます知的好奇心が旺盛で、矍鑠としておられます。先生は、多くの受難を人生の一部と受け止められ、常に前向きで、黙々と<一日ざれば作一日ず食 吾一以貫之>の心境で、ホームページの『習えば遠し』『抜き書きした言葉集』などで、人生の諸問題を発表され、<人は、如何に生きるべきか>己事究明の旅を続けておられます。

 私も長兄や弟たち肉親が、次々と病魔に冒され、弟は未だに生死の境を彷徨っています。日々、心が千々に乱れます。坐禅に没頭すれば、するほど人生の無常が襲いかかってきます。

 河野太通老大師から頂きました<平常心是道>や原田正道老師からの<和顔愛語>には、ほど遠く苦悩で覆いつぶされそうです。

 かろうじて、<諸先輩の生き方>や<西田哲学>や『臨済録』などが救いになっています。

 この交換メールは、送信のみの形を取っていますが、その実、私自身の個人的な煩悩や苦しみなどの吐露であったように思います。しかし、煩悩や苦悩により、<西田哲学>への取り組みが、深まったようにも思えます。

人生の無常を感じますが、無常なるが故に、救われているようにも思っています。


2010年3月6日(土)雨/曇り  
▲岡山市日の出時刻:6時28分 日の入り:18時04分。            

★便り K 先生

今日は小雨で何となく気持ちがすっきりしません。

ここしばらくは、春への準備のために雨で大地を潤して木に恵みを与えているのでしょう。

先生はお変わりございませんか。

今日の朝日新聞:万葉こども塾(<習えば遠し>に掲載しました)書かれていましたモモの生命力にあやかりたいものです。

ついでに辰野隆先生の記事のようなきもちに私もなっています。

三月三日、おかげさまで退院させていただきました。<治癒に近い状態。何か気になれば岡大整形で受診してください>所見でした。これも<あるべきよう>の気持ちで生活していかねば思っています。

高齢化時代で見かけるのは年配者が杖をついている人が多いですね。

また高齢者福祉施設も満杯で待機されている方が多いそうです。

若い人にも試練の日々のようです。

朝日新聞トップ記事は大卒求人 相次ぎ撤回です。

いわゆる先進国では世界的な問題であり、後進國に商業的な活路をめる活動にヤッキになっているようようですね。

こんなことを書き続けても、ただただ無力感のみにとらわれます。

先生もお体をお大事にして下さい。2010.03.06(土)

   ***M 拝 ***

★件めい : 哀悼 平山郁夫さんと忠海高校
日時 : 2010年3月8日(月)晴れ

 M 先生

 愚妻の退院のお祝いありがとうございます。

 何時、同じことがおこるかも知れませんので、注意深く見守っていることしかできません。お祈りするしかないのでしょうか

 本日、哀悼 平山郁夫さんと忠海高校を<習えば遠し>にアップしました。お暇なときにお読みください。

 彼は私より3年後輩になります。南館の2階の同じ教室でまなんでいることがわかりました。

 また私が江田島からみた原爆の被爆者でその後遺症に悩まされ死の淵まで運ばれた彼の絵にこめられたものを読み取れなかったふ明、恥ずかしい思いがいたしました。

先生からの漢詩は近いうち使わせていただきたく思いますのでお許しください。

先生のメールで<今、私にも筆舌に尽くしがたい試練が、津波のように押し寄せています。大摂心の毎日です。>のお言葉が気にかかります。

<天知る、地知る、人しる>のことばがあります。先生の周りには多くの方々が居ます試練を乗り越えてください。そこには、きっと陽光が待つています。2010.03.08早朝

会食できるひを楽しみにしています

   ***K 拝***

★件めい : お礼と哀悼平山郁夫氏
日時 : 2010年3月9日 10:51

 K 先生

 早速、メール有り難うございました。

   退院されても、奥様もご大変でしょう。本当に<祈り>しかありませんね。

 大江健三郎氏は、ご子息の光さんの養育に関して、<祈りしかありませんでした>と述懐されていました。

 <祈り>は、<注意深く見つめる>ことから始まると思います。(*その事と一体になる)

 そして、祈ることにより、苦しみを軽くしてくれます。 

 <哀悼 平山郁夫さんと忠海高校>を読ませて頂きました。

 平山氏の略歴、被爆、邂逅、決意など、を知ることができました。そして忠海中学時代の禅寺での下宿の回想が、述べて居ます。

 <永遠なるもののあこがれ>、“ぶれない”生き方、などから勇気と希望をいただきました。

 <そして、今の私の夢は、“自分を含め、誰が見ても《見事》だという人生を終えたい”と言うこと。そのために、一切の責任を持って今日一日を生きていくのです。>(平山郁夫『ぶれない』P204~206)

 私にも、身内のふ幸が、これでもかと次々に起こってまいります。その度に、心が波立ち平常心を失いがちになります。

 それでも、<人生は、生きるに値する>と思い直し、生き甲斐を見出そうとしています。先生のおっしゃられる<天知る 地知る 人知る>なのですね。

 提供いたしました漢詩は、ご自由に使用なさってください。

 昼食会をSさんと、三人で持ちませんか。2010.03.09(火)

★件めい : お礼と太通老大師の法話
日時 : 2010年3月14日 20:11

 K 先生

 もうすぐ春なのに、春が待ち遠しいですね。明日からは、また雨のようです。

 先生のお便りから、あらためて曹源寺の春の息吹に関心が向きました。

『万葉集』の<春の歌>を読ませていただきました。

 <万葉集>の人々の暮らしや自然を垣間見ることができました。

 いつも先生の知的好奇心<自然への洞察力、学問への造詣の深さ、たゆまぬご努力>など、啓発されてます。

   私の方は、研究とは言えませんが、西田哲学を惰性でやっています。それでも、ふ思議なことですが、いろいろなことが、一つに繋がってまいります。

 今日は、曹源寺には、参りませんでした。真福禅寺で太通老大師のご法話をお聴きしました。

 河野太通老大師のご法話(2010.03.14(日)10:00~11:00 真福禅寺)の一部を、お贈りします。若干、私的な解釈があるかもしれません。

 寅について

 今年は、干支の三番目、寅年なので、寅について解説されました。

 ①年では虎  ②方角では東北西  ③時刻では午前2時、その前後2時間(午前1時~3時)を寅の刻と言います。

 ④インとも読み、慎むの意味があります。

虎は、勢い過ぎることもありますが、また、慎む意味も内に秘めていますので、この両方を心がけて、今年を過ごして欲しいと、言われました。

   ふ況下における心のありよう

 世界的にもすさまじい経済的ふ況に襲われています。勢いと慎みを持って、前進して欲しい。

 経済ふ況は、貧しい人々を生み出し、その人たちの心を病み、ふ安な時代を創り出しています。

 日本で最初のふ安定な時代は、平安末期の貴族の没落と武士階級の台頭であります。

 このことは、『平家物語』(作者ふ明)で述べられています。しかし、登場人物が多様で、ストーリーも複雑多岐なので、読み切れません。

 冒頭の<祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・>は、後になって日本の作家が、創り出したようです。

 インドに行ったとき、祇園精舎も見学しましたが、礎石の赤い煉瓦の枠は、残っていましたが、鐘の吊された跡は、ありませんでした。

 鐘の出処は、定かでありませんが、平安京時代に八坂神社の前のお寺に鐘が吊され、その響きが、記述されたのではないかと思われます。

 ふ安な時代は、歴史家によれば、百年に一度ありと言われます。したがって、人がその一生に、一度出会うか否かぐらいめずらしいふ安です。

 しかし、長い人類の歴史から見ると、しょっちゅう生じています。じたばたすることはありません。

 近世に入り、吉川英治が、『新平家物語』を著しました。この物語は、『平家物語』(作者ふ明)とは、内容も異なり、大変読みやすいです。主なあらすじを、お話しされました。

 <朝取りの水守>夫婦の一途な生き方が、描かれています。<朝取りの水守>とは、御所の井戸番のことで、陛下に差し上げる水番のことだそうです。

 京都の街も動乱にあけくれ、ついに御所も跡形なく消え去ります。水守の老夫婦は、近所の人にも水を分け与え、慎ましい質素な生活をしていました。陛下を偲んで、吉野山に桜をうえられ、その桜を後の人々も大切に守り育て、今や千本以上にもなっています。

 その満開の桜の下で、水守の老夫婦は、昔を偲びながら手作りのお弁当を食べています。

 メソポタミヤ文明

 くさび文字の粘土板が発見され、解読された。それには人間は、

 ① 腹が減るとき、ひもじいとき、泣き言を言う。

 ② 気に入らないときは、けんかをする。

 ③ 調子の良いときは、天下を取ったように言う。と、記されていた。

 人間は、五千年前とちっとも変わらない。百年に一回でも、五千年からみると、しょちゅうありと肚をくくれ。

 要するに、大切な事は、経済的なふ安はあるが、どう対処していくか、心の問題である。

 心の持ちよう

 実験化学者のファラデーは、あるとき大学生に透明な液体の入った二本の試験管を見せた。一方は人工的な食塩水、他方はそれと全く同じで、人の涙であった。両方とも透明な食塩水に違いないが、この液体の違いの分からない人は、科学を研究する資格がないと言われた。

 涙を流した心情の分からない人は、政治・教育・実業家・医師などの世のリーダーになって欲しくない。

 先日、東京の友人から、お経を読んで欲しいとの依頼があった。とのこと、

 約350年前、江戸(当時の人口は約40万人)で大火災があり、約1/4の10万人が亡くなられた。この火災は、

 <振り袖火災>と言われています。これに次ぐ大きな災害が、お七火災、大震災、大空襲と次々に起こります。

 亡くなられた方々の霊を慰めて欲しいとのことなので、喜んでお経を上げさせていただいた。

miyamoto.koukanmail.jpg  山本周五郎著『柳橋』新潮文庫の主人公“おせん”の生きざまについて、

 “おせん”は、祖父と二人暮らしで、江戸の下町で貧しく慎ましく暮らしていました。祖父の研ぐ金物を相手先に届けるのが、“おせん“の仕事でした。“おせん”を慕う二人の若者、一人は大工見習いの豊吉、今一人は幸太です。“おせん”は、豊吉に心を引かれていましたので、できるだけ、幸太を避けていました。そのうち、豊吉は大工の棟梁の元に旅立つことになり、一人前の大工に成り、帰ってきたときには、夫婦になろうと固く約束して別れました。

 時が流れ、<振り袖火災>が発生し、祖父は無くなり、“おせん”は、幸太に助けられます。その幸太もまもなく亡くなります。気づくと、火災の中で拾い上げた乳飲み子を抱きかかえていました。それから、貰い乳をしながら懸命に生き抜きます。そのようなとき、豊吉が帰ってきて、乳飲み子をみて幸太の子だと非難して、去っていきます。

 その後、豊吉は大工の棟梁の娘さんと結婚します。しばらく経って、うわさで、おせんの美談を知り、豊吉は、わびにまいりますが、“おせん” は、頑として、この子は幸太の子です。と言い放ちます。

 “おせん” は、祖父と幸太の仏壇の前で、手を合わせて、幸太<これでいいんですね>と言います。

 ここに<普遍的な心のありよう>があります。

 以上のような、法話でした。まだ、私の心に余韻が渦巻いています。

   お元気で、お過ごしください。2010.03.14(日)

★件めい : お礼と太通老大師の法話
日時 : 2010年3月20日(土)

★便り

 M 先生

 お変わりございませんか

 先週は河野老師の法話ありがとうございました。

 先生の記録に感心しています。

 あれほど詳細には私にはかけないと思います。

 先生の研究について<だせい>でやっていると謙遜されていましたが、<習慣は第二の天性である>と言われていますが、私には、この言葉を先生の勉強振りにピッタリだと思います。

 本来の天性に加えて、研究をつづけていると第二の天性が追加されるものだと理解しています。

 ある目標をきめていると、見ること、聞くこと、読むことに敏感になり考えの材料になるのではないかと感じています。

 今週は意外なことがありました。

 それは、余り好きでない人:森鴎外についてです。

 当時の軍医の最高の地位にありながら、軍人の脚気について海軍の<麦飯を食べさせること>に解決を見出した事実を認めようとしない事実から軍人であり医師であり、文学者である人にふさわしくないことがその理由でした。まだ若いときに読んだ吉村 昭『白い航跡』(講談社)によるものでした。

moriougai.sotukyousizin.jpg  ただ一つだけ鴎外のアンデルセン『即興詩人』(岩波文庫)の彼の訳の初版例言の四に

 此書は印するに四号活字を以てせり。予の母の、年老いた目力衰へて、毎(つね)に予の著作を読むことを嗜(たしな)めるは、此書の字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど余白を留(と)めず、段落猶且連続して書し、以て紙数をして太(はなは)だ加はらざらしめたることを得たり。

 以上の例言に母親に対する鴎外の心根に共鳴していました。

 ところが今週、吉野俊彦『権威への反抗 森鴎外』(PHP発行)を読みました(一部分しか)。

 <寒山拾得><高瀬舟>の筋書きと多くの当時の評論家たちの言葉も沢山引用されていますが、彼の赤裸々の挫折感、人間性をすこしばかり知ることができたことは私にとっては大変参考になりました。まだまだこの本を充分読みまして鴎外を知りたくおもっています。

 もう春の彼岸になります、我が家の椿も先生から指摘されたように遅まきながら咲きました。

 梅は今年は休んでいるようです。

 お元気でお過ごしください。2010.03.20

   ***K 拝 ***

★件めい : お礼と大智さんお話し(老師、I先生)
日時 : 2010年3月21日 16:54

 K 先生

 奥様のご容体は、如何でしょうか。お大事になさってあげてください。

 春の嵐が通り過ぎ、本格的な春の到来を感じます。曹源寺の枝垂れ桜も、今が満開です。

 お彼岸は、全国的に荒れた天気になったようです。お寺さんやお墓参りの方、行事を予定されておられる方など、大変だったことでしょう。私は、曹源寺以外は、家ごもりです。

 太通老師の<法話>のまとめを読んでくださり、有り難うございました。

 K先生のありがたいお言葉<習慣は第二の天性である>を、大事にして行きたいと思っています。

 また、<ある目標をきめていると、見ること、聞くこと、読むことに敏感になり考えの材料になるのではないかと感じています。>は、本当にその通りだと思います。

 ふ思議ですが、歳とともに自分の興味や関心が、禅や西田哲学、日本の心とは何か、人生の意味(普遍的な生き方)とは何かなど、に向いています。

 先日、世界的な物理学者のI先生(92歳)に<普遍的な生き方をお尋ねしましたとき、I先生は<自分が入るから>とおっしゃられ、人によって異なることを暗示されました。物理学の最先端の研究を続けられた先生は、まさに<禅僧と同じ心境なのだ>と直観しました。

 太通老大師から<平常心是道>の色紙をいただきました。これまで、言葉では理解してきたつもりでしたが、実際に、妻や兄や弟たちの苦しみや悲しみを見つめていますと、この禅語が、これまでとは異なり<平常底(仏法の大意)>であり、西田哲学の<絶対矛盾的自己同一>であることが感得でき、慰められます。

 森鴎外について

 いろいろと具体例を引用なさってくださり、鴎外の意外な一面を知ることができました。

 鴎外の著書<舞姫、阿部一族、即興詩人、山椒大夫、高瀬舟>など、題めいだけは知っていましたが、鴎外のプライベートなことは、あまり知りませんでした。鴎外も、体制内の人でなく、文学を愛し続けた方なのですね。

 また、『権威への反抗 森鴎外』の読後感をお教えください。

   先生の求めて止まない、<知的好奇心やご努力>にあやかりたいと思います。

 今日の曹源寺は、お彼岸なので、老師と宗彦さん(副住職)は、檀家まわりでふ在でした。

 大智さん(プリシナさん米国人女性)が、茶礼の席を努めてくださり、老師が3月16日に処刑される死刑囚ダンニンさんの要請で、授戒のために米国の刑務所に行かれたこと、そのときの面談の様子を、話してくださいました。

 <老師は、罪を犯したのは、社会や環境や麻薬などでなく、あなた自身の問題ですと、自在観音菩薩経を唱えられ、過去や未来に救いがあるのでなく、今現在に救いがあると、一見冷たいような冷静で合理的、感情にとらわれない、事実を伝えられました。>

 そこには、“自分が入っていない”真実のみが示されています。そのことが、死刑囚にとっては、老師の心が、鏡として反映され、死刑囚自身の自覚(純粋直観と反省)が促され、心の安定が、もたらされたのだと思いました。

 まだ、続きがありますが、次の機会にさせてください。

 もしよろしければ、来週28日(日)にSさんも一緒に、外で昼食会をしませんか。

 10時半ごろ、お伺させていただけませんでしょうか。

 まもなく、桜(ソメイヨシノ)や桃が咲きます。今、蕾が精一杯膨らんでいます。

 先生のお宅の椿も見事でしょうね。

 ご自愛なさってください。2010.03.21(日)彼岸の中日

★件めい : 忍と平常心是道
日時 : 2010年3月25日 16:33

 K 先生

 雨降りが続き、晴天が待ち遠しいですね。しょく物にとっては、慈雨なのでしょうね。

 shoe E(老師のお弟子、ドイツ人、女性)さんの北欧山曹源寺のホームページを贈ってくださり、興味深く見せていただきました。

 曹源寺の一滴が、世界の大河になりつつあることが、日本に居て実感させられます。

 今週は、私も妻も病院通い(私は毎週)です。なかなか病院とは縁が切れません。

 岡山大学付属病院は、いつも診察待ちの人で一杯です。

 最近、<忍>と<平常心是道>について、考えています。また、お教えください。

 <忍>は正道老師から、<平常心是道>は太通老師から教わりましたが、今一つ臍(ほぞ)落ちしません。

 両者の根柢には、西田哲学の<平常底>があると思われますが・・・、現実生活では、<平常底>から生活の智慧である禅語、<忍>や<平常心是道>などが、生み出されたと思われます。

 それだけに、自分の生き方と照らし合わすと、これで良いのだろうかという思いに駆り立てられます。

 平山郁夫著『日本の心を語る』中央公論新社を読みました。

 <幼少年時代><私の生活信条><子どもを育てるということ>など、人生を考える上で、大変参考になりました。

 特に<幼少年時代>にすべての基本が、濃縮され蓄えられています。また、父母の養育姿勢やその家の家風も、大変大切であるように思われます。そういう面では、育った時代、地域、文化、両親親族、兄弟、師などを含めた雰囲気が、決定的な役割を担っているように思われます。

 そのような中にあって、忍苦精進の磨きによって、才能が開花するのでしょう。中でも天才は、その努力に耐えられた人のみでしょう。平山郁夫氏は、まさに希有な天才ではないでしょうか。

 28日の昼食会を楽しみにしています。2010.03.25(木)

★件めい : 儒教での忍(忍耐)

日時 : 2010年3月30日 21:00
 K 先生

 早速、<儒教での忍>について、お教えくださり、有り難うございました。

 儒教は、<修己治人>(修身斉家治国平天下)が基本でしたね。したがって、儒教の<忍>、徳性の一種と見なされているのですね。

 そうすると、私には、儒教での<修己治人>と仏教での<忍>の関係が、混乱してきます。

 どちらが、より根本的なのでしょうか。具体的には、どんなことで考えればよいのでしょうか。

 <修己治人>は、高貴で高尚な生き方と関連します。ふと、<喜びにあふれた人生を送るために>が、思いだされましたので、お贈りします。

 『一日ひとつ、小さな選択で人生を変える』<喜びにあふれた人生を送るために>

関連:ハル・アーバン著 弓場隆訳 サンマーク出版

1 謙虚になろう

 おごり高ぶることなく自分の弱点と限界を常に認識し、

 改善に向けて絶えず努力しよう。

2 辛抱することを覚えよう

 話したり行動したりする前によく考えよう。

 辛抱は美徳であることを心に刻もう。

3 自分が欲することを他の人にも施そう

 相手に敬意を抱き、親切に接しよう。いつも相手が喜ぶことを言おう。

4 自分の時間と才能を与えよう

 自分の地域と周囲の人に奉仕しよう。

 世の中をよりよい場所にするために貢献しよう。

5 許すことを覚えよう

 相手の欠点と間違いを受け入れて共感しよう。

 周囲の人と平和な関係を築こう。

6 心を開いて可能性について考えよう

 想像力を働かせて自分の身の回りにあるチャンスを見つけよう。

7 積極的に人生に立ち向かおう

 試練に立ち向かう勇気を持とう。

8 卓越性を追求しよう

 何をするときでも一生懸命になろう。できるかぎり最善を尽くそう。

9 自分の人生に意味と目的を与えよう

 自分の使命を紙に書いて確認し、生涯の目標を設定しよう。

10 誠実さを人生の礎にしよう

 ルールを守ってフェアプレーに徹し、あらゆることにおいて正直になろう。などです。2010.03.30(火)

2010年3月28日(日)晴れ

 M 先生

 今日は楽しい食事会を開いてくださりご馳走になりました。

 先生も私同様に母子家庭で<後ろ指をさされるな>の母親の教えはいかに影響を与えているかをあらためて知ることができました。

 溝手さんのお世話が出来なくてざんねんでした。

 今日お会いして、しっかりされていますが、家庭の事情などもあり、公務員の希望は正解だと思いました。しかしかなり競争が厳しい事でしょうから大変ですね。

 心優しい人だと感じましたので保育士・幼児教育などにもマッチしているのではないでしょうか。

 はじめての人を評価するのは失礼かと存じます。

 先生の<忍耐>について、会話の中で私も感ずるところがありました。

 先生はご心労を顔にも表されないで感心致しました。

 すべてが忘却の彼方へ飛んで行ってほしいものです。高村光太郎の<智恵子抄>の歌の悲しみを思いました。

 忍耐に耐えれるものにしか苦労させないのではないかとも思ったりします。

 色々述べましたが何時までも励ましあって頑張りましょう。22.03.28

   ***K 拝***

*澤田さんを溝手さんと誤解していた。先生のメールで知る。

 K 先生

 早速のメール、有り難うございました。楽しい会を持たせていただき、感謝しています。

 澤田さんと私は、澤田さんからは、“しんじい”さんと呼んでもらっています。私の方からは、茉実さんと呼ばせていただいています。この呼びなが、私たちには自然なのです。

 茉実さんの就職活動、公務員希望の正当性などのご援助ご助言をいただき、また保育士、幼児教育なども勧めていただき、ありがたく思っています。

 忍耐について、

 私も<智恵子抄>を読み、先生のおしゃられる<忍耐に耐えられるものにしか苦労させないのではとも思ったりします。>の通りだと思います。

 また、今日老師から“忍”について教わりました。

  忍

  持戒苦行

  ざる及也

 忍は、“すべてに勝る”趣旨のことを話してくださいました。インターネットで調べると、『金剛経』の中に<忍辱の菩薩はよく他の菩薩に勝る>とありました。

 忘却について、

 ラジオドラマ<君のなは>で、冒頭に“忘却とは忘れ去ることなり、忘れえずして忘却を誓う心の悲しさ!”が流れます。心に刻み込まれています。

 先生からは、いつも啓発されています。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

 ご自愛なさってください。2010.03.28(日)

 M 拝

★ 件めい : 忍について
日時 : 2010年3月31日 22:10

 K 先生

 <忍>について、メール有り難うございました。

 私の質問が、ふ明瞭で申し訳ありませんでした。

 前回のメールで、老師が、忍は“すべてに勝る”趣旨のことを話してくださいました。インターネットで調べると、『金剛経』の中に<忍辱の菩薩はよく他の菩薩に勝る>とありました。

 原田正道老師は色紙によく、

  忍

 持戒苦行 (じかい くぎょう)

 所ざる及也(およ ば ざる ところ なり)

 と墨書されます。

  kawakami.gensiroku.jpg  また、『言志四録(四)』佐藤一斎著 川上正光全訳注 講談社学術文庫 p71に、仏教では<忍の徳たる持戒苦行も及ばざる所>とまでいわれている。と述べられていました。

 そこで、<老師の忍と佐藤一斎氏の忍>の違いを知りたく、お尋ねしました。

 儒教では、<忍>を徳目と捉えているように思われますが、仏教(<禅>)では、<忍>を徳目と考えないのでは、と思っています。

 先生もおっしやるように、徳目の優劣を論ずることには、あまり意味がありません。

 『金剛経』の中に<忍辱の菩薩は、よく他の菩薩に勝る>と説かれています個所がありますが、このことを他者に押しつけようとは、思っていません。人には、それぞれの生き方があります。

 それに、私自身が、特定の宗教や宗派や団体などに属していません。

 純粋に<禅>を論じたく思っていますが、力量ふ足のため、誤解を与えたことをお詫び致します。

 禅は、仏教にも儒教にもキリスト教にも、その他諸々の宗教、哲学などにも、とらわれません。

 よく禅は、<禅宗、宗が付くので宗教、仏教の一派である>と考えられますが、日々の生活を支える心のありようを、示していると思っています。なににもとらわれない心のありようを示しています。<平常心是道>でしょう。

 『一日ひとつ、小さな選択で人生を変える』<喜びにあふれた人生を送るために>の1~10項目は、人としての高貴で高尚な生き方の指針が示されているように思われます。

 先生の『抜き書きした言葉集』は、小辞典なので、いろいろ参考になります。

 <忍>について、書かれているところもありました。

 例えば、心の上に刃を置くなどは、<直観と反省>の自覚の視点で捉えられています。

 <忍>の問題は、今後も考え続けたいと思っています。2010.03.31(水)

★件めい : ご報告(ものごとの本質、その基を正す)
日時 : 2010年4月4日 14:19

 K 先生

 奥様のご体調は、如何でしょうか。

 やっと、春らしくなりました。

 大勢の方が、後楽園周辺の花見に訪れています。

 花を愛でる心は、古今東西変わらないと思いますが、日本人の場合は、その根柢に<無常観>があるように思われます。特に桜には、無常を感じさせる何かがあるように思われます。

聖徳太子の憲法十条を読ませていただきました。

 心の怒りを絶ち、おもての怒りをすて、人のたがうを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執(と)ることあり。

 彼よみすれば、すなわち我非なり。我よみすれば、すなわち彼非なり。我必ずしも聖にあらず。

 彼かならずしも愚にあらず。共にこれただひとのみ。是非の理ことわり、いずれか 定べき、相ともに賢遇なり。

 鐶みみがねの端なきがごとし。これをもって彼の人はおもて怒るといえども、かえって我があやまちを恐れよ。 

 我ひとり得たりといえども、衆に従って同じくおこなえ。ですね。

 <以和為貴、和敬清寂>ですね。

 『言志四録(四)』について、お尋ねの件は、『言志耊録』のことで、講談社学術文庫のp71に[付記]として、載っています。[付記]は、訳注釈者の川上正光氏が付けられたと思われますので、岩波文庫には、無いかもしれません。

 今日の茶礼は、お床の掛け軸<仏足跡>についての解説が、ありました。陰と陽の二種類があり、陽には法輪があり、陰にはありませ。仏足跡は、お釈迦様の歩まれた足跡を現し、法輪は、船(歩み)の舵だそうです。

 曹源寺のものは陰の方であり、陽は龍門寺にあるそうです。

 お話しの中で、“ものごとの本質、その基を正す“ことの大切さを、教わりました。

 畢竟、人は死が待っています。“自分なりに、これで良い。他者からは、惜しい人であったと哀惜の念がいただける。“そのような生き方ができれば、最高の生き方でしょう。

 滴水庵(コミュニティーハウス)の床に、老師の墨跡<只箇一點無明焔 練出人間大丈夫>が掛けられていました。本堂は、<只箇一點無明焔>でなく、<歩々是道場>だったと思います。

 滴水庵は、3年かけて、デンマーク人の大興さんたちが、曹源寺大工の安尾さんの指導の下に新築された純和風の平屋の建物です。屋根には、太陽光発電のパネルがはられています。曹源寺の修行者をはじめ、地域住民のための、活動拠点となるでしょう。堀口さんが、管理責任者ではないかと思います。

 本当に、<年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず>ですね。

 花冷えの時期ですので、お身体をご大切になさってください。2010.04.04(日)

★件めい : 法話前半 東福寺派 昌福院住職 江口文亮和尚
日時 : 2010年4月19日 20:49

 K 先生

 ご連絡が遅れ、申し訳なく思っています。物理的に忙しいことが重なり、茶礼の席も欠席致しました。

 本当に異常気象ですね。アイスランドでの火山の大爆発、ヨーロッパの航空機の全面運航停止、中国の青海省の大地震(M-7.2)死者約4000人(今現在)、おそらく一万人ぐらいになるのではないでしょうか、インドネシヤやチリ沖の巨大地震による津波被害など、地球の内部が、何か激しく変化しているように思われます。

 パソコンの調子が回復され、折々の話題なども入り、『習えば遠し』が、さらにグレードアップされそうですね。これからも、いろいろと読ませていただきたいと思います。

 坐禅は、多くの方とご一緒の方が、“こころの開け”が、早くできてくるのではないでしょうか。

 反面、一人であっても、続けることにも意味があるように思われます。

 曹源寺に参りましたが(日曜日)、坐禅のみで、茶礼は欠席致しました。

 曹源寺の滴水庵では、新しく華道教室、さおり織り教室、写経教室、法話教室?等いろいろな行事が、組まれているようです。(私の推測)

 老師は、常々<本質を見失わないで、愛と思いやりを持った生き方をして欲しい>と言われています。

 それには、<あまり外のものにとらわれず、自分をしっかり見つめる(看却下)こと>が大切ですね。

 17(土)に真福禅寺で法話会がありました。その前半部分をお送りします。後半は、後ほどお送りします。

 法話会 <三つのお布施(財施 無財施 法施>(岡山巡教)[少し、私的な意見も入っています。]

 講師  東福寺派 昌福院住職 江口文亮和尚  

 場所 岡山市三手 真福禅寺 

 日時 4月17日14:00~15:00 (午前中は、坐禅会・茶礼)

 参加者 真福禅寺檀家 坐禅会、真福禅寺関係の方(約30人)

 内容

 ○ 四聖六道の十界

 生きている人間の心のありようを表しています。一人ひとりの人間の中にこの十界が、存在しています。 

 四聖: 如来 菩薩(別めい大徳) 羅漢(自分自身の救済) 声聞(仏法語) 

 六道: 天 人間 修羅 畜生 餓鬼 地獄

 ○ 菩薩をめざして

 仏法の本質を伝える。私たちは、宇宙の無限の大空間から生まれ、そこに帰っていく。

 修行者は、上に菩薩を求め、下に衆生を感化する。

 清風古人来であり、ふ二の姿である。私たちは、“いのち”の流れのリレー者でもある。

 外の世界(差別の世界)のみに目が、向きすぎてはいないか。

 ○ 自分を勘定に入れず

宮澤 賢治の<雨にもまけず>を朗読されました。   

 この詩は、大乗仏教の真髄を表しています。

 私は以前、ある著めいな物理学者に、人生観をお尋ねしたとき、“自分が入るから”と、即答を避けられました。

 まして況んや、凡人には<自分を勘定に入れない>生き方は、至難の業でしょう。

 ○ 真理を届ける

 お釈迦様が、発見された真理は、特別な魔法や奇特でない。

 “奇なるかな、奇なるかな。一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す。”

 妄想執着あるが故に、紊得せずではないでしょうか。

 私は、久遠の<己事究明>の旅を続けるしかないと思っています。

 天候がふ順ですので、ご自愛なさってください。2010.04.19(月)

★件めい :江口和尚 法話の後半
日時 : 2010年4月20日 13:05

 K 先生

真福禅寺法話の後半部分をお送りします。(私的な解釈や正道老師のお話も載せました)

○ 釈尊のお布施

釈尊は、地位もめい誉も家族もご自分の命までもなげうって、衆生救済の旅に出られました。私たちに、慈悲と思いやりの精神や生きる智慧を与え続けられています。

 “衆生本来佛なり”をお示しくださいました。

○ 布施に執着しない

 布施のみならず、すべてに執着しないこころの有り様を養いたいと思います。

無関心でなく、とらわれない広く大きなこころづくりの工夫努力が大切でしょう。

○ 末世の比丘

 末世の世こそ、すぐれた人物、僧を育てることが、急務でしょう。

この取り組みは、すでに心ある人たちによって、個人的のみならず組織的に試行錯誤が始まっています。例えば、仏教高校 独自のカリキュラム、住職対象の特別住職学、カトリックとプロテスタントの融合、仏教とキリスト教の交流などが行われています。

○ 徳の積み重ね

陰徳を積み重ねることによって、謙虚でとらわれない人格が育って参ります。

人は、外の世界に目が向き過ぎ、自分が分からなくなっているのではないでしょうか。

私たちは、宇宙の無限の大虚空から生まれ、そこに帰って行きます。

まとめ(原田老師のお話と私見)

<外所縁を放捨し、内心喘がず、心障壁の如く、以て道に入る可し>(達磨大師)

<原田正道老師のお話>より

外の世界を鏡が一切を映すが如く、受け入れながら、しかもそれに向かって、自分の念を運ばない。心を動かされない。そこを<坐>と言う。<心が坐る>のです。

しかも、めいめいの心の中には、過去の記憶から感情、日頃の蓄えたものが、次々に湧き起こってきますが、それらは 実体のない幻想に過ぎない。本心は、<廓然無聖>、一点の持つものもないと見極めて、内外打捨、一片もない無に徹する時、自ら真が明らかになるであろう。だから、お釈迦様も<めいめい生まれたままの心は、空で、何もないきれいな心だ><そのきれいな心になれば、一切の苦しみからすくわれる>と諭された。

 <雑感>

<外所縁を放捨すること>と<外の世界を受け入れること>は言葉上、矛盾しているように思えます。しかし、本来<受け入れる>とは、自己がないことを意味しています。 即ち、世界と一つになることだと思います。したがって、<廓然無聖>であれば、真実 が見えてきます。

 まず、<外所縁を放捨すること>が、出発点のように思われ ます。 

 少しずつですが、<宗教と宗教哲学>の関連性が、見えてきたようにも思えます。2010.04.20(火) 

★件めい :<平常底>の生き方
日時 : 2010年5月1日 6:36

 K 先生

お電話、有り難うございました。

私も、ご一緒に、考えたいと思っています。

曾野綾子著『戒老録』を読ませていただきました。

 少し、違和感がありました。この世のことは、すべて<因果>で決定されるものでしょうか。私たちの世界は、<偶然(確率)>が支配しているのではないでしょうか。

<確率的存在>を考えないと、深い処に到達できないように思われます。

   先生のおっしゃいます<平常底=無常>こそが、すべての根源ではないでしょうか。

 深く考え、悩み、傷つき、苦しまれながらも、現実とのバランスを求めておられる先生の生き方は、誰もができる生き方ではありません。すごい生き方をなさっておられます。

 トルストイは、<人のうちにあるものは何か>

        <人に与えられていないものは何か>

        <人はなんで生きるのか>

 この三つの課題の中に人間の生き方を収斂させたと、言われています。

 ご無理をなさいませんように。2010.05.01(土)

★件めい : ご心配

日時 : 2010年5月6日 20:26
 K 先生

 奥様の体力低下、ご心配申し上げます。

 足の筋肉は、寝たきりですと、驚くほど衰えます。

 しかし、食事が取れ、意欲が出てこられますと、きっと元のような脚力が戻ってくると思われます。私も、先生と同じような体験があります。

 妻の場合は、今も毎日がリハビリです。できるだけ動くように仕向けています。

   先生のおしゃいます、

 今まで気にもしなかったことでも、自分の状態が変わりますと、人間の持っている心の底にある善意(性善説・性悪説と論議されていますが)の存在が人を動かすことを体験しています。病人たちが教えてくれる<無言の最後の贈り物>ではないかと、愚考しています。

 すごいことだと思います。ある面では、悟り、仏性の自覚、真人への目覚めなどでしょうね。

 私も、妻や実兄・弟から<人生の無常><平常心是道>の贈り物をいただいています。

 あるがままを見つめ、そこから自分にできることを見つけ出そうとしていますが、なかなかです。

 どんなに富や地位や権力などを保持していても、いつかは<死>が訪れます。しかし、<死>で“すべてがなくなる”ものでもないのですね。<生>と<死>は絶対矛盾的ですが、また自己同一なのですね。

 道元の<薪と灰>の例を<生死>に当てはめてみますと、<生は生の法位に住して 死は死の法位にあり 前後ありといえども 前後裁断せり>ではないでしょうか。

 ここには、自他の関係や根源的な<絶対無>の問題もあります。

 先生ご指摘の<死化粧>を読ませていただきました。

 いろいろと書いてください。

 ご返信はふ要です。2010.05.06(木)

★件めい : 有時など
日時 : 2010年5月11日 9:04

 K 先生

 先生の<日本の本>の目次から、柏木哲夫先生の処を開くことができました。

 有り難うございました。

 <有時(うじ)>『正法眼蔵』 禅文化学院著 誠信書房<現成公案>より<存在と時間について>お贈りします。

普遍的時間<有時>という語は、一般的には<あるときに>という意味に用いられてきたが、ここでは、それとは全く違った意味に用いる。

即ち、時間を離れて空間はありえず、空間を離れて時間は無いのであるから、時間と空間を総合して<存在時間>あるいは<時間的存在>というものを考える。それを<有時>と呼ぶのである。

 時間はそのまま存在であり、存在はみな時間である。

自覚していると否とにかかわらず、我々も世界も共に、時間的存在であり、その両者を切り離して考えることはできない。

 あらゆる時間は、自己によって体験される時間である。あらゆる存在もまた、自己によって体験される存在である。

 自己のうちにあって、自己を去ることのない普遍的時間に気づくことが、悟りなのである。

天界のあちこちに現れる天王や天人(インドの神々)も、今の我が体験する有時である。水の上や陸の上にいるものたちの有時も、我が体験し、我が実現しているのである。

 生の世界、死の世界にいたるすべての生物も皆、我が体験し、実現し、経歴しているのである。今の我において実現し、我において経歴するのでなければ、一事一物として現れることなく、経歴することがないことを学ぶべきである。

<経歴>とは、時の全体が現在において、体験され、現在において成立することである。時は常に現在から現在へ流動的に体験される。

世界が時間によって成り立っているからこそ、われわれが真実を悟る時も来るのである。

あらゆる時間は、現在なのであるから、未来はよそからやって来るものではなく、自己のうちに未来として刻々に成立している現在なのである。

どのような中途半端に見える時も、すべてが完結した時でである。生きることそのものが、最高の体験なのである。と、ありました。

   奥様の存在は、奥様の時間、命なのですね。お互いに、今を大切に生きたいと思います。2010.05.11(火)

★件めい : 太通老大師ご講演内容
日時 : 2010年5月11日 12:59

 K 先生

演題 <行く川のながれは絶えずして>

講師  河野太通老大師(臨済宗妙心寺派・大本山妙心寺 管長 全日本仏教会 会長) 

場所 山陽新聞社 さん太ホール 

日時 平成22年5月9日(日)14:00~15:10

参加者 仏教関係者 禅に関心のある方など(約200人)老人多し

内容

<ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。>(鴨長明)

 流れないで欲しいと願うが、全てのもの(時代も含めて)が変わる。

今日、ふ安の時代と言われている。日本歴史で最初のふ安な時代は、平安末期から鎌倉時代にかけてである。これは、公家社会が崩壊し、貴族社会から武士階級への以降期、庶民の生活がふ安になる。このような大ふ安は100年に一度程度、発生している。

 今日では、経済的ふ安である。この種のふ安は、50年に一度ぐらいにやって来るのが常であると覚悟しておいた方が良い。

 しかし、経済よりもっと根源的な一番のふ安は、自分自身の告別式を知らないことである。お金があっても、告別式を迎えてはどうしょうもない。なのに、人は死のふ安を忘れる、忘却癖がある。

 寿命は、種によってだいたい決まっている。例えば、人は八十年、蝶は二週間、セミは一週間、カゲロウはたった一日か二日である。

 また、全ては変わる。例えば、人の体について、医者にお尋ねすると、一番速く変わるのは小腸の薄皮で三日間、顔の皮膚は一週間、身体の全てが変わるのは七年かかる。

 例えば、物が以前より異なっているのに、変わったように思えないのは、私たちの記憶が継続しているからである。また、人が常に今のままで居たい・ありたいとの執着があるので、悩みを生じさせている。

 鴨長明は、左遷され、住居など全てたたんで、田舎に一丈四方のいろりを設け、そこに住み文章を著した。『方丈記』<ゆく河のながれは絶えずして・・・・・>いつかは消え去る。

普遍的なものはない。私自身 は、どの泡であろうか。

 身体も建物も全てが河である。1200年前に建てられた法隆寺も、いつかは消え去る。

 野のレンゲ草と同じである。全ては、<空>である。<諸行無常>である。

人間には特異な感情がある。犬と比較すると、その違いがよくわかる。私も犬か好きで、一匹飼っている。犬は、どうぞよろしく、こんにちわなど言わないが、気に入らない人が来ると、吠える。気に入った人には尻尾を振る。犬も心・感情を持っているようだが、人間とは違うようである。では人間らしい感情を持つようになったのは、いつ頃であろうか。

そのことを知る手がかりとなるのが、お花の花粉である。

人間らしい進化は、200万年~300万年前頃から、人間らしい文明の建設を始めている。

心は、約6~7万年前に、すでに備わっていたらしい。

 約80年前、イラクの洞窟から、ネアンデルタール人の人骨が発見された。そのとき、埋葬されていた土の中から8種類の花粉が発見された。身近な人が、お花を供えて捧げた。

 8種類もある花束を捧げたと考えざるを得ない。約6~7万年前、旧石器時代に現代の我々と同じような心が発生していたらしい。

 5000年前のメソポタミヤより粘土板が発掘され、楔形文字が刻まれていた。その内容は、人間は悲しいときには、悲しみに打ち拉がれ、得意なときには、神と対決するようになり、・・・・・・。とあった。現代の私たちの心と一つも変わらない。その心は、コロコロと常に変わる。昨日生まれた者が、今日は死す。

 荘周夢に胡蝶と為る[私的挿入]『荘子』内篇 福永光司 新訂中国古典選7 吉川幸修 朝日新聞社 

荘子[西暦四世紀の戦国時代のふ安と絶望の時代に、荘子は生まれた。彼の哲学は、このようなふ安と絶望の超克として始まるのである。 いつのことだったか、ひと寝入りした荘子は、夢の中で一匹の胡蝶となっていた。彼は何ともいえず楽しい気持ちになって、胡蝶の自由を心適(ゆ)くばかりひらひらと舞っていた。自己が夢に胡蝶となっていることも忘れて……。

 やがて彼はふと目がさめた。彼はその目ざめの中で、まぎれもなく荘周である彼自身に返る。しかし我に返った荘周は、はてなと考えてみる。一体、いま目ざめているこの自分は何であろう。このいま目ざめている自分が胡蝶となった夢を見ていたのか、それとも、今までひらひらと舞っていた胡蝶が夢の中で今、人間となっているのであろうかと。

 彼は結局、今までの胡蝶であった夢が本当り現実なのか、今人間である現実が実は夢なのか、さっぱり分からない。しかしそれが一体自己にとってどうだというのだろう。なるほど、世間の常識では、夢は現実と区別され、現実は夢とは違うとされる。

 また胡蝶はあくまで胡蝶であって人間ではなく、人間はあくまで人間であって胡蝶ではないとされる。しかし、その夢が現実でなく、その現実が夢でないと誰が保証し得るのか。実在の世界では、夢もまた現実であり、現実もまた夢であろう。荘周もまた胡蝶であり、胡蝶もまた荘周であろう。一切存在が常識的な分別のしがらみを突きぬ  けて、自由自在に変化しあう世界、いわゆる物化の世界こそ実在の真相なのである。 

 人間はただその<物化>——万物の極まりない流転——の中で、与えられた現在を与えられた現在として、楽しく逊遙すればよい。目ざむれば荘周として生き、夢みれば胡蝶としてひらひら舞い、馬となれば高く嘶(いなな)き、魚となれば深くもぐり、死者となれば静かに墓場に横たわればいいではないか。あらゆる境遇を自己に与えられた境遇として逞しく肯定してゆくところに、真に自由な人間の生活がある。絶対者とは、この一切肯定を自己の生活とする人間にほかならないのだ。

ひらひらと空を舞う胡蝶

 蛾や蝶の仲間には、色彩が豊かでシックできれいなものがいる。花から花へ蜜を吸い、飛び交っている。いいなあと思う。

荘子は、蝶の夢を見ている。ああ楽しかったな。でも、あれは夢だった。まてよ、今は蝶が人間になっている夢を見ているのではと悩む。

 お釈迦様は、今思っていることは、本当に確かなことですかと言われました。道元は、佛道とは、自己を習うことであり、自己を忘れることが万法に証することであると述べています。自分を忘れれば、万法(世界)と自己(自分)同じになり、一つになる。

産業革命により、望むことをより多量により速く、手に入れる恩恵を受けている。しかし、同時に歪みを背負っている。

 現在は、情報社会なので、自分自身を見つめる、自分を知ることが希薄になっており、ふ安になっている。

アポロ11号により、人類がはじめて月面に立ったとき、フランスのドゴール大統領は人類にとって、月世界はロマンの世界であったが、人間が足跡を示した月は、人間にとって、近い世界となった。しかし、人間にとって一番遠い世界は、自身の内側(内面)である、と。

混沌について

なぜ混沌王は、死んだのであろうか。                      

本当に自分自身を見つめるとき、外部からの刺激がない方がよい。荘子は、混沌王が死んだ理由について、何も語っていない。

 もともと、外を見る儵(しゅく)王と忽(こつ)王と内面を見つめる混沌王の三人で、一人の人格であった。ところが、混沌王は、混沌王でなくなった。

[私的挿入]

七竅に死す(ひっきょう に し す)【荘子(朝日新聞社・中国古典選)】【解釈】(福永光司)より さて、応帝王篇の最後の説話は、有めいな”七竅に死す”の寓話である。この寓話は応帝王篇の結論であるとともに、荘子全体の結論とも見ることができよう。

 <南海の帝を儵(しゅく)と為(な)し、北海の帝を忽(こつ)と為(な)す>

 <儵><忽>はこれを一語にして、儵忽(しゅくこつ)という言葉があるように、いずれも極めて短い時間、束の間(つかのま)という意味である。この、人間の束の間の生命を象徴するかのごとき、儵というなの南の海の支配者と、忽というなの北の海の支配者とが、ある時、その遙かなる海の果てから、世界の真中(まんなか) ── 渾沌の支配する国で、一緒にめぐりあった。                   

<渾沌とは、いうまでもなく、大いなる無秩序、あらゆる矛盾と対立をさながら一つに包む実在世界そのものを象徴する言葉にほかならない。

 訪れてきた儵と忽の二人を、渾沌は心から歓待した。儵と忽とは、束の間の生命を渾沌の国 ── 心知の概念的認識を超え、分別の価値的偏見を忘れた実在そのものの世界に歓喜した。そして渾沌の心からなる歓待 ── 生命の饗宴に感激した儵と忽は、何とかしてこの渾沌の行為に報(むく)いたいと思った。いろいろと相談した二人が、やっと思いついためい案は次のようなことであった。

 ── そうだ。人間には七つの竅(あな) ── 目耳口鼻の七竅(きょう)があって、美しい色を視、妙なる音を聴き、美味(うま)い食物を食い、安らかに呼吸するが、この渾沌だけには一つも竅(あな)がない。そうだ、せめてもの恩返しに、ひとつ七つの竅を鑿(ほ)ってやろう。

 二人は力を合わせて、せっせと渾沌の体に鑿(のみ)を揮(ふる)い始めた。最初の日に一つ、次の日にまた一つ、その次の日にさらに一つ・・・・・ かくて七日目にやっと七つの竅(あな)が鑿(ほ)りあがった。けれども、目と耳と口と鼻の七つの竅(あな)をととのえて、やっと人間らしくなった渾沌は、よく見ると、もはや空(むな)しい屍(しかばね)と化していた。・・・・

 人類はその自ら進歩と称し、文化と称するものの中で自己自身に余りにも多くの竅(あな)を穿(うが)ちすぎた。是と非の竅、美と醜の竅、善と悪の竅、賢と愚の竅、大と小の竅、長と短の竅など…を。そして今や人類はこの満身創痍の中で規代の文明は窒息しかけている。   

 人間本来の健康な生命は、価値の桎梏(しっこく)の中で呻吟(しんぎん)し、人間本来の逞しい精神は、過剰な自意識の中で眩暈(げんうん)している。荘子にとって現代人は、"弱喪(じゃくそう)にして還るを忘れたるもの"悲しい故郷喪失者たちなのである。                

 だから荘子は、人間よ今一たび飛翔(ひしょう)せよと叫ぶ。飛翔して九万里の上空をその生命の故郷に還れと叫ぶ。生命の故郷とは、自然ということであり、自然に還るとは、生きたる混沌を、生きたる混沌として愛することにはかならない。            

 人間のすべての悲しみと懼(おそ)れと歎きが、この生きたる混沌の“無竅(むきょう)”の中に"天籟(てんらい)" として聞かれるであろう。荘子的解脱(げだつ)がそこに成立し、荘子的絶対者がそこに生誕する。荘子の哲学が、"混沌氏の術"とよばれる(天地篇)のも、偶然ではないのである。

 一切の有為は作られたもの、夢・幻・泡・雷のように思いなさいと金剛経に記されている。このことは、この世を終えるとき、はっきりしてくる。

人には、究極的にこの世に在るもの(存在)は、全て<空>である達観がいる。

 そこから有り難いとか、感謝の念が出てくる。

 TVで三人娘が歌う<有り難うの歌>のインタビューに、若者たちは、じんときた、感動したなどと応えていた。 最近の若者の中に、この歌の地方巡業をしているグループもある。

 “如実知見”である。

 静かに坐し、腹式呼吸をすると、有り難う・感謝が生まれる。

内観すると、父母や周りの方々、お世話になったこと、それらの方々に何も恩返しできていない自分がわかる。

もう、父母はこの世には居ない。しかし、世間の人々を父母と思い、恩返しをすることはできる。

★件めい : お見舞いと達観
日時 : 2010年5月16日 13:50

 K 先生

 メール有り難うございました。

 目に青葉・・とは言え、明日から雨のようで、日較差も激しく、体調管理が大変ですね。

 奥様のご様子は、いかがでしょうか。先生も、お疲れのこととお察し申し上げます。

   私も奥様は、ご家族のために充分にお尽くしされておられると思っています。 

  先生の毎朝、<庭に出まして、東の空に向かい合掌>と父母の遺影の前に座り無念で静かな時間を持っています。天理に反して<時>よ!止まれと願うときもあります。と、また、<“あたりまえのこと”こそ、幸せが一杯詰まったものである>おしゃられるお気持ちが、よく分かります。私たちは、支え合いながら、大いなる力に生かされています。

 昭和次郎(先生ご自身のこと)の食事*2*を読ませていただきました。おっしゃる通りだと思います。

 今日も、茶礼を欠席し吉備公民館で勉強いたしました。先の見えない勉強会ですが、お互いに頑張っています。

   青葉が深みを増し、曹源寺が 青葉に包み込まれているようです。凛とした風や静寂さが、心を穏やかにしてくれます。

 四季折々の曹源寺の中でも、緑に覆われたこの時期には、深い沈黙の説法があるように感じられます。

   “人は、生きてきたように死して逝く”と言われてます。(先生の『抜き書きした言葉集』にあります。)

 以前に、先生が、お教えくださった、<正岡子規の悟り>が、思い出されました。

masaoka.byousyouroku.jpg正岡子規『病牀六尺』P.43 の中に、<悟りという事は、如何なる場合にも、平気で死ぬる事かと、思って居たのは間違ひで、悟りという事は、如何なる場合にも、平気で生きて居る事であった>と、ありました。正岡子規

*文庫本の帯紙に:書くことが生きることであった子規が、飽くなき好奇心をもって、死の2日前まで書き続けた随筆集。《解説=上田三四二》(改版)、と書かれている。                  

 <平気で生きて居る事であった>とは、日々の生活こそが、全てであると言っているように思えます。 

 そこで、参考になればと思い、皮膚がんで亡くなられた岸本英夫先生の<死に対す心構え>の一部分をお贈りします。

   死に対す心構え

kisimoto.siomitumerukokoro.jpg 『死を見つめる心』岸本英夫著 講談社文庫より

<生死の問題>の解決方法は、一言でいえば、それは、<よく生きる>ということである。<よく生きる>ためには、人間は、まず、日々の人生の全体的見通透しの上にたった理想を打ち立てなければならない。人生の理想をもつことである。ここで理想というのは、断片的な生活目標のことではない。入学試験にパスしたいとか、立派な家を建てて住んでみたいというような、人生途上における生活目標は、ここでいう人生の理想ではない。人生の理想は、もっと、総合的な、基本的なものである。自分としては、これこそ、自分の一生にとっての道であると考えるようなものである。・・・・・・・・

 理想を追求する生活の中に、自分の生命よりも、もっと大切なものができている。それは、自分の生命を超えたものである。それゆえ、それは自分の死と一緒になくなる性格のものではない。それは死も冒しえないものである。人間のこのはげしいたたかいの場において、それが、もっとも力強い自分の心の支えになる。そのように、よく生きることを、私は、生死の問題の解決の大切な方法と考えるのである。

 お会いして、いろいろお話しをお聞きしたいと思っております。近々、昼食会をしませんか。

 お疲れが、出ませんように。2010.05.16(日)

岸本英夫氏の『死を見つめる心』(講談社文庫、1973 年)

 死の問題に古来から多少ともかかわってきたのは、宗教とよばれる分野でした。死んだらどうなるのか。死とは何であるのか。死後の世界はあるのか。あるとすればどのようなものなのか。どのような死に方ができるのか。…これらは、今どのように生きていくべきなのかという問題と密接にかかわりながら説かれることも多くありました。

関連:『死を見つめる心』

<追加>                               

存在と認識(<次兄の死から>)

『禅とキリスト教』拙著 

煩悩について

 私たちが生きている限り“煩悩は生じ、決して、なくならない”と思います。いくら修行しても、なくそうと思えば思うほど、なくなりません。『四弘誓願』の中に<煩悩無尽誓願断>とありますが、言葉にとらわれ過ぎてはいけません。断は断であっても、なくするのではありません。煩悩はあっても、気にならなくなるようにするのです。即ち、あるがままを認めながらも引っかからないようにするのです。煩悩と一つになるのです。諸行無常、諸法無我なのです。宇宙の絶対的真理に、心底から徹底し、真の自己に目覚めれば、あれこれと、迷いに引きずり込まれなくなります。私は、次兄(52歳)が逝って(平成4年9月21日没)9年が過ぎた頃から、やっと悲しみが、幾分安らぐようになりました。それまでは、悲しみの日々で、次兄が生きていてくれたらと、何事においても次兄を頼っていました。しかし、9年の歳月を経て、悲しみを濾過して見えてきたのは、<悲しみはありながらも、あるがままを認めることが、出来るようになりだすと、その悲しみにとらわれない自分が存在している>ことに、気づくようになったことです。この事実は大変重要なことです。次兄が現実に存在しないことは、厳然たる事実です。しかし、私の中では、いつも次兄は存在し続けています。生死が問題ではなく、存在そのものに意味があるからです。次兄の存在と私の存在は、一つであったのです。私の中で、“存在と認識の一致ができた”のだ、と思われます。(宇宙の絶対的真理は、存在と認識の分離など、あるはずがありません。)         

 人には、理性や感情などを突き抜けた、深き心の奥底があるように思われます。自分を統合し、支配している宇宙と一体の自己があるように思えます。この自己への目覚めは、人生の絶対的苦境に陥ったとき、芽生えてくるようにも思えます。人は、この絶対矛盾的自己同一に、普通は気付きません。しかし、命のかかった真剣な苦しみが長く続くと、逆対応的に、何かの縁で、真の自己の存在とその認識に、目覚めて来る、と思われます。

道元は、<本来の面目>と題して、次の歌を詠んでいます。

〽春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり

 この歌には、父母未生以前本来の面目、絶対的真理、<天地と我と同根、万物と我と一体>が、表現されていると、思います。

★件めい : ヒラメの上向き目と人の心
日時 : 2010年5月21日 17:09

 K 先生

先生のHPに、

組織の中で働いている人(特に中間層にある人)にあてはめて考えてみました。

<ヒラメのように上の方に目が向き、部下にはほとんど目を向けようとしない人がいます。>

と、ありました。

このことに関して、少し補足させてください。

ヒラメの上向き目は、捕食するのに好都合のように進化したと思われます。

 人の場合は、<仕事で成功しよう、人より立派な地位を得よう、豊かな生活をしょう、社会的な貢献をしょう>など、本人の考えとは別の次元で、成長と共にすり込まれてくるのではないでしょうか。また、このことは、社会の維持発展向上や人々の幸せなどに貢献していると思われます。

 外に向けてのヒラメ的言動は、自分を見失わない限り、社会的要求の世渡り処世術でしょう。

 『自分をもっと深く掘れ!』新渡戸稲造著 竹内均解説 三笠書房 p19 より

<尊卑貴賤は仕事をする者の心に属することで、正しく清い心を持ち、心に欲を持たず、虚心に世を渡れば、必ず同じ志の人が現れ、あるいは隠れたままで我々を援助してくれる。しいて同じ志の者を求めなくとも、おのずから友ができて、世渡りの道を全うするものである。(徳は孤ならず、必ず隣あり)>と、述べられています。

★Link:新渡戸稲造

 ヒラメ的人間になると、すべての関心事が外に向き、外側に振り回されがちになります。

外へ七つの穴が開いたとき、“混沌王”は、忽ち亡くなりました。

 外だけの世界、内だけの世界では、もはや存在することができず、そのバランスが問題でしょう。

 ヒラメの目は、単に生物的構造上の問題で済みますが、人の場合は肉体的精神を宿しています。その肉体や精神には、さらに自我が宿されています。それだけに、厄介な問題となります。

関連:ヒラメの目

 ある学園の校訓に“心を清くし、愛の人であれ” とあります。 

畢竟、どのような実在に目覚め、自己をどのように鍛えるかでしょうね。

 急に真夏のようになりました。ご自愛なさってください。2010.05.21(金)

★件めい : 本質は “いま・ここに”か

日時 : 2010年5月24日 13:29
 K 先生

久しぶりの長雨ですが、心の持ち方で、恵みの雨にもなります。

 奥様は、少しお元気になられましたでしょうか。お大事になさってください。

 『習えば相遠し』の<自分をもっと深く掘れ>を読みました。

 終わりの( )中の “徳は孤ならず 必ず隣あり” は、私的な追加です。

 昨日の曹源寺は、備前流の “茶禅一味” の会があり、老師の法話がありました。

 その主な内容(私的な解釈)をお送りします。

 無門関 第29則<非風非幡>の提唱でした。“旗が動くのか? 風が動くのか? 心が動くのか?” 

 これらの本質は何か。分かりやすく、お話しされました。

 “禅とは心のななり 心は禅の体である”

 心は、コロコロと変わる。例えば、動いている列車の車窓から見える景色のようなものである。

 人には、変わりゆく心を離れ、その心を見つめる “離見の見” が、本来的に備わっている。

 “風幡心動”にとらわれない “いま・ここに” がある。このことに、気づいて欲しいと。

 老師は、本質をつかめと、大きなジェスチャーで示されました。

 私は、まだまだ自己が抜けきれません。“祈り”に徹しきることが出来ていません。

 しかし、慰めもあります。すべてが無常であり、老師の言われる “いま・ここに” が、信じられるからです。

 ご自愛なさってください。2010.05.24(月)

★件めい :<泣く時節>鈴木大拙

日時 : 2010年5月30日 20:43
 K 先生

奥様のご退院良かったですね。奥様もご安心でしょう。

やはり、お家が一番でしょう。

 これからが、ご夫婦として、人間本来の姿を、深く見つめられることでしょう。

 <一日一生>の生き方について、

 以前に、正岡子規『病牀六尺』の中に、<悟りという事は、如何なる場合にも、平気で死ぬる事かと、思って居たのは間違いで、悟りという事は、如何なる場合にも、平気で生きて居る事であった>と、ありました。このことについて、            

先生の<“心弱きお前は十分に心の準備があるのか”と自分に問いかけても答えを見つけ得ません。>には、私も同感です。生きていることには、あまりにも深い意味があるように思います。

それだけに、先生の<一日一生>の生き方は、私たちに希望や慰めを与えてくれます。

ここまで書いて、町内の溝掃除に出ました。

 今日は、楽しい昼食会やお話し、有り難うございました。

また、珍しい新潟の笹団子を頂戴し、家内と美味しく頂きました。

 <鈴木大拙の涙>を贈りします。

 『禅 鈴木大拙 没後40年』 時鐘舎新書より抜粋

 無条件の愛で包容

 この述懐は、母の死から五十年以上を経た1945(昭和二十)年、親友西田幾多郎の死に接して書いた文章の一節だが、晩年にも、秘書の岡村さんに<母は永遠なるものだ。母は死なない>と語ったという。

 母の死に顔を見て<死んでいない>と直感を抱いたとは、どういうことなのだろうか。

 いえば大拙の最期を看取った岡村さんも<生きている先生と死なれた先生との間に、さほど大きな変化が起こった感じがしませんでした>と回想する。大拙の<禅の世界>に迫るには、なお多くの思索や体験などが必要なのだろう。

 大拙の著作集『新編東洋的な見方』(岩波文庫)に、東洋と西洋的な考え方、感じ方の違いとして、西洋の根本には父、東洋には母がある、という記述がある。<父は力と律法と義とで統御する。母は無条件の愛でなにもかも包容する>

 金沢の地で、母の手ひとつで育てられた大拙であれば、<母は…なにもかも包容する>と筆を運んだとき、<死んではいない>実母の面影が浮かびはしなかったろうか。ゆかりの地に住む者として、そう想像してみたくなる。

 人生が分かるようになる<泣く時節>

 大拙鈴木貞太郎は六歳で父を失い、二人の兄とも離れて母と金沢で暮らした。家庭のぬ

 くもりには乏しかったが、優れた友人や教え子、献身的な支援者など、人との出会いには恵まれた人だった。

 石川県専門学校(旧制四高の前身)で同級生だった哲学者・西田幾多郎、経済的援助を惜しまなかった同郷の後輩で実業家の安宅弥吉のなが知られるが、二人にとどまらず、国の内外に多くの理解者がいた。

 その人柄と仕事に引かれて広がった多彩な人の輪だが、九十五歳の生涯は、その輪に連なる大切な人が一人ずつ欠けていく悲しみも味わう歳月でもあった。

 演壇で追憶の涙

 友や知己の死に臨んで、大拙はよく泣いたという。人の死に涙するのは、なにも大拙に限ったことではない。が、長い人生の中で、流した涙の量、悲しみに沈む時が多くの人に比べ、とりわけ多かったといえるだろう。

 印象的な<大拙の涙>が語り伝えられている。幼いころからの親友で山本(旧姓金田)良吉という一歳年下の人物がいた。優れた教育者で、東京・武蔵高校の創設に尽力し校長として活躍、1942(昭和十七年)に七十歳で死去した。

 大拙が親友ゆかりの学校を訪れ、山本を追悼する講演をした記録が残っている(西村恵信『鈴木大拙の原風景』所収)。大拙は少年時代の思い出から話を始め、いま、山本の写真を見ては涙が出るし、友が晩年よく泣いたという話を聞いても涙を新たにする、と心境を語った。続けて、<あなた方も年をとったら泣く時節が来る。そうしたら人生が分かるだろう>と、若い聴衆にさとすように語った。

 九十四歳、新たな述懐

 講演をした大拙は七十三歳。老境の悲しみこそ人生というものを教えてくれる、という感慨はいまも多くの人の心にしみ入るだろうが、老大家の<すごさ>は、そこにとどまらない。死の一年前、大拙は秘書の岡村美穂子さんに<わしゃ、どうもまだ死ぬ気にならんが>と話したという。分からんことが分かってくる面白さがある。書きたいことがいくらでも出てくるが<死んでしまうと、それができなくなるんでな>、<人間、長生きしなければ分からんことが、いくらでもあるんでな>。九十四歳の新たな述懐である。

 <泣く時節に達して、なお二十年。海外での講演や著作を精力的に続け、<九十歳を過ぎねば分からないこと>までも追い求めた大拙は、まことに大きな人物であった。

 ただ、ひたすら泣きに泣く<西田が死んだ>                     

 哲学者・西田幾多郎は学者としての世間の評価では、友の鈴木大拙よりも常に数歩先を歩いていた。

nisida.zennokenkyu.jpg  代表的な苦作<善の研究>を刊行した1911(明治四十四)年、大拙は米国からビアトリス(妻)を迎え、本格的な研究の場を整えたばかりだった。学士院会員になったのは西田が二十二年も早い。文化勲章受賞は九年、昭和天皇ご進講の栄誉も五年、西田が大拙に先んじている。

 1945(昭和二十)年六月、西田は七十五歳で病死する。大拙は二力月後、<西田の思い出>という一文を著す。

 知らせを受けて駆けつけた大拙は、夫人を見て<泣くまいと思っていたのに、入り口の柱につかまって泣いた>と記す。柱ではなく玄関の式台に突っ伏して<西田、死んだ>と号泣を繰り返した、という出迎えた人の回想もある。

 いずれにせよ、七十代半ばの男が、深い悲しみを心にためてこらえるのではく、子どものように枯れるまで涙を流したのである。心の友を失った嘆きは、想像をはるかに超える。

 西田も西洋の思想を相手に格闘を続けた人だったが、西洋の地を踏むことはなかった。大拙以上に家庭を離れ得ない問題を抱えていたからだという。戦争が終わったら二人で欧米へ出かけよう、と六十年来の友は話し合っていたという。

 お互い、大らかな気持ちで、<泣く時節>まで誠実に、生きたいと思います。2010.05.30(日)

★件めい: ごゆっくりなさってください

日時 : 2010年5月31日 21:23
 K 先生

 お疲れ様でした。奥様(ご退院)も、安堵されておられることと思っています。

 O病院・F病院それぞれの責任分担やかかわり方が明確になり、奥様の受診・治療・ケアなどの方針が、はっきりなさり、良かったですね。やはり、お家が一番ではないでしょうか。

 『生と死を支える』柏木哲夫著 朝日選書p220~の中に、大学病院の看護婦さんたちは<大学病院では死にたくない>と、言ったとありました。

その主な理由は、                      

 ①やりすぎの医療 

 ②苦痛のコントロールのふ足 

 ③精神的な支えのふ足

 ④パターン化された医療 

などを上げていました。

 人は、それぞれにライフヒストリーが、すべて異なっています。それだけに、一律的な身体的苦痛のコントロールや精神的苦痛の緩和でなく、個々人に即したケアが大切だと思います。この両立が大学病院では、難しいのでしょうね。

   先生も毎日、お疲れのことでしょう。

少し、道筋が見えられたようなので、ごゆっくりなさってください。2010.05.31(月)

★件めい: ミレーの晩鐘 木堂塾坐禅
日時 : 2010年6月5日 21:31

 K 先生

 本当に真夏のような暑さですね。街行く人々のふ装にも、夏を感じます。

 奥様も、安定されておられるご様子なので、よろしかったですね。

 先生から教わりました“cureとcare”の違い、大変重要なことですね。

 “cureはできなくともcareはできる”本当にそうですね。私たちにできることは、深い意味で<元通りにすることはできなくとも、援助し続けることは出来る>と思っています。

 先生が、常に “いま・ここに” を、見つめられておられる姿勢を、見習いたいと思っています。

 今日は、<木堂記念館>の中に在ります “木堂塾”で、9:10から一人坐禅を2時間(45分・45分・30分の3回)しました。木堂塾は、和室8畳2間、板間8畳2間、お茶室4.5畳1間あり、それらが一連になっています。

 そこをすべてお借りし、開放して、和室の8畳の間で坐禅しました。広々と凛としたお部屋の空間には、私以外に誰も何もありません。

 前庭には、大木や孟宗竹・椿などの樹木がしげり、静寂さに包まれています。

 この場所には、精神的なケアが出来る何かが、あるように思われます。

 おもしろいことがありました。

 木堂記念館を訪れたご老人たち(70歳前後の男女20数人)が、木堂塾前庭の通路を通り過ぎ、30分ぐらいして、再び木堂塾の前に戻ってこられました。ご老人たちなので、視力の弱い方もおられたのでしょう。十数人の方が、坐禅している和室の間の縁側まで、覗き込むように近づいて来られ、口々に、坐禅している私を見て、“置物でしょう”と言っていました。

 つい、私心が出て、その人たちに “合掌礼拝”致しました。そのとき、ご老人たちは、後ろに飛び退き、ひっくり返りそうになり、口々に何か奇妙な声を発しました。一瞬異様な雰囲気が流れました。

 なぜ、そんなに驚かれたのかわかりません。

 『西田幾多郎の憂鬱』『西田幾多郎の姿勢 戦争と知識人』の2冊読みました。その中で<自分を見つめる>こと、<社会や世界に目を見開く>ことなどが、必要に述べられています。また西田氏が、なぜ、あれだけ独創的な哲学をなし得たのか、なぜ、日本の政治が、今なお混沌としているのかなどを、読み解く鍵があるように思われます。

 また、お話しさせてください。

 菅総理大臣が誕生致しました。民主党にとっては、望ましいことかもしれませんが、国民にとっては、如何でしょうか。短命な内閣で終わるかもしれません。そのことが、

 『西田幾多郎の姿勢 戦争と知識人』から読み取れます。 

 明日は、曹源寺坐禅後、吉備公民館で勉強します。勉強会を通して、“現実と理想”の狭間で、自分の未熟さを痛感しています。苦悩しています。

 ここまで書いて、先生からミレーの晩鐘が届きました。鮮明で美しく、心安らぐ絵画ですね。見ていると自然に敬虔になります。それに、先生の “賛”には、永遠の祈りが込められ、天の恩寵が伝わってまいります。

 有り難うございました。

 日中は、真夏のような暑さです。お身体を大切になさってください。2010.06.05(土)

★件めい : 伝衣茶会 禅 天の恩寵 など 
日時 : 2010年6月6日 20:42

 K 先生

今日の曹源寺は、伝衣茶会があり、早朝より和ふく姿のご婦人たちが、列を成して訪れていました。参加者が、年々増えています。

 先日、備前流 “茶禅一味” の会があり、その席で坐禅会のAさんが、老師に“お茶と禅はどのような関係があるのでしょうか”との問いに、老師は “禅はその底流を成し、茶道の有り様を支えています。道の付く芸事は、すべて禅が通底しています”と応えられました。

 今日の隆盛は、閑栖様の時代には考えもつきませんでした。しかし、その反面、失われているものもあるように思われます。

 ここにも “理想と現実”のギャップを見ることが出来ます。

 禅は、本来<そのような理屈にはとらわれない形而上学的止揚(絶対矛盾的自己同一)である>と言われると思います。悩みは、まだまだ尽きません。

 『習えば遠し』から、“明全和尚の入宋せんとせし時”“私見”、“心配り”について、読ませていただきました。

 “明全和尚の入宋せんとせし時”と先生の“私見”について、

 まず、先生のご心情(病弱なご母堂を後に残し、学問的研究にドイツの大学院留学される世界的免疫学者のご子息さんとの関係)をお察し申し上げます。

 何事も<強い信念・情熱・意志>などがないと、“命がけの仕事”はできないのではと思います。

 特に情熱には、苦悩が伴います。“苦悩と情熱”は、最終的には、相互に補い合っているのではないでしょうか。

 先生の“私見”の心情に、心打たれます。

 また、“心配り”も先生のお考えが、よく表されています。

 スパーマーケットのレジのMさんの対応の仕方を例に挙げられて、<人の気持ちの働きは、ちよっとしたことであらわれるものだ>と、・・・・ 一般の人は、物事を第三者的に見ていますので、先生のように深く捉えることが出来ません。

 K保険の件ですが、妻と相談致しましたが、家事は自分の力で、したいと申しますので、しばらく様子を見たいと思います。ご心配を、おかけいたしました。

 今日の勉強を終えての感想

 Sさんは、昨日、公務員受験申し込み書を郵送されたそうです。結果の如何は、別として、素直に良かったと思っています。

 Sさんは、<ものの感じ方・見方・考え方>などに於いて、すでに、私を超えられたと思います。嬉しいようで悲しい気持ちにもなります。まわりの方への<心配り>もでき、りっぱな成人です。

 “負うた子に教えられて浅瀬を渡る” の諺のように、私の出番は、早晩なくなりそうです。

 ミレーの<晩鐘> 

 大変有り難うございました。私のコンピュータに<晩鐘>絵のみ、取り込む方法を、また教えてください。

 先生のおっしゃられるように、“天の恩寵である敬虔な祈り” が聞こえてくるようです。

 インターネットより、

 1865年のミレー自身の述懐によると『晩鐘』は、子供のころ畑で農作業をしていた時、いつも夕方の鐘が鳴ると

 祖母のジュムランが仕事を中止させ、帽子を脱いで<あわれな死者のために>アンジェルスの祈りをするように言われたことを思い出して描いたもの、という。そのアンジェルスの祈りとはラテン語の Angelus Domini nuntiavit Mariae(天使マリアに来たり言いけるは、慶ばし恵まるる者よ)。

 祖母の思い出と鐘の音を主題にしたと、ありました。

 夏めき、白い花が多く見られるようになって来ました。ご自愛なさってください。2010.06.06(日)

★件めい : お心配りへの感謝
日時 : 2010年6月7日 15:48

 K 先生

 先生の “お心配り”に 感謝申し上げます。

 大変勇気づけられます。

 先生のメールから、奥様の家事などの“後片付け” のご様子が、目に浮かぶようです。

 申請が認可されますようにと、祈っています。

 私は、なんとか坐れていますが、こころのコントロールがまだまだです。したがって、現実的には、いたらなさで一杯です。悪戦苦闘しています。

 先生のアドバイスで、<晩鐘>をピクチャーに取り組めました。有り難うございました。

 まだ、他の文章に貼り付けるための、<取り組みたい場所に適当な空欄>を作る方法が、見つかりません。

 最近、自己中心的な生き方に、気づくことが多くなりました。この気づきこそが、“天のお示し・お恵み”なのかもしれません。

 <肉体は衰えても、理想や夢がある限り精神は衰えない>と言われています。

 自分の弱さや限界を認識(自覚)し、それらが自分を高めると捉え直し、前向きな努力をしたいと思っています。

 先生も、日々 “祈りのお気持ち” で、お過ごしのことと、ご推察申し上げます。

 聖書<コリントの信徒への手紙一>13章<愛>について、お贈りします。

 そこで、わたしはあなたがたに、最高の道を教えいたします。

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。

 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。ふ義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

 愛は決して滅びない。預言は廃(すた)れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

 幼子であったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのきには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているように、はっきり知ることになる。                                  

 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大(おお)いなるものは、愛である。と、ありました。

 お互いに、安らかな日々でありますように。2010.06.07(月)             

★件めい : 雨中の曹源寺 奥様のケアー 看脚下
日時 : 2010年6月13日 15:16

 K 先生

 久しぶりの雨の中の坐禅でした。本堂の窓がすべて開かれ、経堂、開山堂をバックに

 見える雨に濡れたモミジや松の濃緑が、 “いのち” の存在を感じさせてくれます。

   雨にもかかわらず、多くの老若男女(約60数めいの方)が参加されていました。

 やはり、曹源寺の幽玄な静寂さなどに、惹かれるからなのでしょうか。

 日常生活の大変さにも挫けず、新たな信念を抱いて、丁寧に奥様のケアーをなさっておらる先生に、頭が下がります。私には、大変な慰めになり、勇気が湧きます。

 お尋ねの西村恵信氏のコピーは、先生の思うように、ご活用ください。

 <泥佛>の写真6点は、開くことが出来ません。

 <次の添付ファイル IMG.1477~1486 へのショートカット.lnk(693・・・・)は、安全でないため使用できなくなりました。>とありました。

 今日も茶礼を欠席し、勉強会に行きました。山陽学園前の電車通りに“三友寺晋山式”とありましたので、老師も宗彦さんも参加されたのでしょう、朝の曹源寺には、ふ在のようでした。

看脚下をお贈りします。

 彩鳳舞丹霄(さいほう たんしょう に まう)

『五家正宗賛』巻二、『五灯会元』巻十九 〔五灯会元、巻十九、五祖法演禅師〕

 三佛侍師於一亭上夜話。及歸燈已滅。師於暗中曰、各人下一轉語。佛鑑曰、彩鳳舞丹霄。佛眼曰、鐵蛇横古路。

 佛果曰、看脚下。師曰、滅吾宗者、乃克勤爾。

 三仏(さんぶつ)、師(し)に一亭上(いっていじょう)に侍(じ)して夜話(やわ)す。

 帰(かえ)るに及(およ)んで灯(ともしび)已(すで)に滅(めっ)す。

 師(し)、暗中(あんちゅう)に於(お)いて曰(いわ)く、

<各人(かくじん)、一転語(いってんご)を下(くだ)せ>。        

仏鑑(ぶっかん)曰(いわ)く、<彩鳳(さいほう)、丹霄(たんしょう)に舞(ま)う>。仏眼(ぶつげん)曰(いわ)く、<鉄蛇(てつだ)、古路(ころ)に横(よこ)たう>。 

 克勤(こくごん)曰(いわ)く、<脚下(きゃっか)を看(み)よ>。        

 師(し)曰(いわ)く、<吾(わ)が宗(しゅう)を滅(めっ)する者(もの)は、乃(すなわ)ち克勤のみ>と。

彩鳳 … 五色の美しい鳳凰。

丹霄 … 赤く染まった空。

『禅語字彙』には<瑞祥無上の意。祝語なり>とある。【彩鳳舞丹霄】

 梅雨に入ったそうです。お身体を大切になさってください。2010.06.13(日)

★件めい : 泥仏様の写真送付のお礼
日時 : 2010年6月14日 9:59

 K 先生

 赤枝先生(作)ー村山正則先生(描)方の仏様写真(10枚)、添付書類でも、メールの本文からも見ることが出来ました。

 有り難うございました。

 これらの仏様に、外聞を捨て去った無心の迫力を感じます。中でも、観音菩薩様の仏様(IMG.1480)は、強く心に残りました。この仏様には、慈悲を感じます。

 賛に3本の首環は、1本は正直 2本は優しさ 3本は思いやり、とありました。

★Link:赤枝先生の泥仏

 今日は、これから岡大病院へ参ります。 

 ご自愛なさってください。2010.06.14(月)

★件めい : 講演の<幸福> 三人の<幸福論>
日時 : 2010年6月20日 18:59

 K 先生

じめじめと、蒸し暑い日々ですが、奥様のご容体は如何でしょうか。

 お悪くならないようにと案じています。

 私の健康についても、ご心配頂き、有り難く思います。

 先生のアドバイスのように、<一病息災>と思い、気長に付き合って行きます。

 今日も、曹源寺は坐禅のみで、勉強会(最終回)に行きました。

 老師は、今月の中旬から外国(インド)へ、禅指導にお出かけでふ在でした。 

 勉強会や坐禅会が、自分の人生にどのような影響を与えているのか、分かりませんが、

 先生の<いま・ここに>徹された生き方に、そのヒントがあるように思っています。

 私は意志薄弱で、一つのことが、なかなか出来そうにありません。自分の<意志の弱さ・小ささ>を痛感しています。

 それでも、何とか<禅>や<西田哲学>への興味・関心は続いています。

 先日、Sさんから岡山市民大学での江原啓之氏の講演<ふ幸になるルール10項目>をメールでいただきました。

 その一部を、お贈りします。

 <ふ幸になるルール>10項目は、<逆説的幸福になるルール10項目だと、思っています。(○印の文は私見)        

1.物質のみが幸せだと思う心を持つ

 現代は、物質信仰、つまり、<神=モノと力>になっている。

 だが、モノに振り回されて生きる事の何が幸せなのか?

※<モノ>の範疇に肉体や肩書き、学歴なども入る。

 ○ 私たちの世界は、物質とエネルギーから成り立っています。人は、物質(外のもの・肉体など)とエネルギー(内なるもの・心など)を持ち、此の両者はふ可分でしょう。

2、人と比べる

 人から学べるのは、料理の参考までである。だから、比べても仕方ない。

 宿命…自分へのカリキュラム→決まっている事

 運命…自分で作るもの→決まっていない事

 例えば、宿命は自分の料理の素材、運命はその素材を用いて自らの手で料理を行う事。

 つまり、人から学べるのは、料理の参考までである。

 ○ 唯我独存、自分は結局、唯一人でしょう。(手段や方法は比較出来ますが、究極的目的は比較出来ないと思われます)

3、怠惰

 愚痴…<私って怠け者>と言っているようなもの

 <泣くのが嫌なら、さあ歩け>

 経験と感動(喜怒哀楽)=人生のめい所

 ○ 勤勉さ、忍苦精進が実を結びます。“辛抱する木には実が付く”と確信します。

4、愛のない人

 <大我>で生きる。

 大我…相手を愛す。親の愛のようなもの(→人の言いなりにならない)。 

 小我…自分だけが可愛い

 <蒔いた種は必ず刈り取らねばならない>つまり、良い事をすれば、自分に良い事が返ってくる。

○ 広く深く自分を見つめ、耕し続ける人(愛は、自分との関係に於いて、成り立つのではないでしょうか “心を清くし愛の人であれ” でありたいと思います)

5、中途半端に幸せな人

 <私って何か幸せ>という気持ちだと、心のどこかに空しさができる。

 心の空しさが、自分で自分の問題を作り、その問題を通して他人に構って欲しいという衝動に繋がる。

 死を見つめる→<今日をいかに生きるか?>という自問の発生→自問への答えを実行→充実した人生

 ○ 一つのことに集中できる人、三昧になれる人、王三昧の人は“いのち”を生ききっているのではないでしょうか。

6. 魔法・迷信が好きな人

 意味を理解しなければならない 例)お経…お経の内容理解、パワースポット…その場がある意味

 意味を理解すれば、哲学的なことも勉強できる→人生に活かせる 例)お経…内容を理解する→生きる哲学を学ぶ

○ 論理的・合理的・科学的に考える人、哲学をする人(例えば、バートランド・ラッセルのような人)“和して同せず同して和せず”の人

7、心配性の人

 思うから現実になる例)失敗すると考える→失敗するのが現実に

 ○ “なるようにしかならない” と肚を据える人、わりきる人、物事を永いスパンで見る人

8、暗い人

 <笑う門には福来る>

 暗い人…自分を分かって欲しい人、依存心がある人

 笑う…お腹と心の鍛錬。想像力があるから笑える

○ 楽天的に<人生糾える縄のごとし><人間万事塞翁が馬>などを体得している人、

 いつも、微笑みや笑顔のある人

9、考えない人

<1%の幸せが分からない人は、100%の幸せも分からない><満たないから幸せ>

 華道など<道>のつくもの…人生哲学。<何が中心か?>を考える

 鬱…誰でもなる心の風邪。広い考えが無い、固守しすぎている人が酷くなる。

○ “いま・ここに” 其の本質・礎を掴む人、信念・発心・自覚などを持つ人

10. 祈らない人

 祈り=内観

 <正しい答えに気付きたい>と祈れば、自分自身の答えが返ってくる

 番外.成功する人とは?――必ず苦難があるが、必ず根拠なき自信がある人

○ 諸行無常に徹し、自分を空しくして、大いなる大自然の摂理に任せられる人

     『世界の人生論 7』角川書店 <幸福について>を読んでいます。

 此の書物には、ヒルティ(スイス人・法学者・哲学者)、アラン(フランス人・哲学者・評論家)、ラッセル(数学者・哲学者)たち三者それぞれの<幸福>が、倫理的、心理的、合理的・常識的な立場で、述べられています。

 ヒルティ、アラン、ラッセルたちは、“ 幸福について、三様の仕方で考え抜き、どのようにしたら幸福になれるかの道標“ を示しています。もとより、幸福・ふ幸は、人様々だと思っていますが、参考になります。

 幸福は、お互いに反射し合うので、まず、自分が幸福であることが、必須条件のようにも思います。

hiruty3.jpg  ヒルティの幸福論の中に『旧約聖書』90-10<詩編>、

 <人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても得るところは苦労と災いにすぎません。

 瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。>が引用されていますが、ヒルティは、人生を否定的意味で捉えるのでなく、肯定的に捉え、例え、辛苦や悩みの生涯であっても、貴重な人生であり、それが幸福と言うものだと言っています。

 旧約聖書の言葉には、逆説的意味を含ませていると思われます。

 あまがえるが、車に張り付いて、吉備公民館まで付いて来ました。2010.06.20(日)

★件めい : 手紙——親愛なる子どもたちへ
日時 : 2010年6月22日 10:55

 K 先生

 池田弥三郎氏の記事を読ませて頂きました。

 本当に、月日の立つのは速いですね。<光陰は百代の過客で、浮生夢の如し>ですね。

 ケーベル先生は、よく“人生は短し良書を読め”と言われたらしいです。

   消費税の議論は、その人の“いわゆる哲学”に負うところが、大きいと思いますので、また先生のお考えを教えてください。

 6月の床の間の禅語に<水上青々翠 元来是浮萊>があります。

 <水上青々翠 元来是浮萊(すいじょうあおあおたるみどりがんらいこれふひょう)>の意味は、水上には、青々とした草が浮かんで、水面が美しく青々と見えますが、その正体は根のない浮き草(萊)で、頼りないものです。 浮草は流れに任せて漂いますが、どこにあってもその青々とした美しさは変わりません。

 人生訓に喩えると、世間の中に在って、流れに任せながらこの世の何処にあっても鮮やかな美しさを呈しているの意にもとれます。世俗にとらわれない、自由な心持ちを現しているようです。

   先日、お茶の竹内先生から、<手紙——親愛なる子どもたちへ>をいただきました。

 感じるところがありましたのでお送りいたします。

 手紙——親愛なる子どもたちへ 樋口了一

 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても

 どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 私がふくの上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

 あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 あなたと話をする時 同じ話を何度も何度も繰り返しても

 その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は

 いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた

 悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える 私の心へと

 励ましのまなざしを向けて欲しい

 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

 お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

 いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

 悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に

 祝福の祈りを捧げて欲しい

 いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

 足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったら

 あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

 よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

 あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど

 私を理解して支えてくれる心だけ持って欲しい

 きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

 あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように

 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

 あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

  愛する私のこどもたちへ

 西田哲学を通して、物事を根源に遡って、見つめる習慣がついてきたようです。

 西田哲学の独創性は、『下村寅太郎著作集(第12巻)』<西田哲学と日本の思想>みすず書房p204に、

 <・・・・・我々自身の心底に深く漾えられ秘められているものの啓示であることによるであろう。それは我々の永い伝統の裡に生き、鍛錬され、洗練されてきた体験と知恵を地盤とし内容とする哲学であるからである。>と、述べられています。

   取り合えず、<場の理論><絶対矛盾的自己同一>を自分の言葉で、表現出来るようにしたいと思っています。

 ご自愛なさってください。2010.06.22(火)

★件めい : お礼と西田氏の<自戒の辞>
日時 : 2010年6月26日 19:36

 K 先生

 梅雨だなあと実感しています。雨の中を夕方、濡れながら犬と散歩しています。

 一昨日朝、始めて我が家の“美中紅蓮”が、咲きました。淡いピンクのお椀形です。4ヶ月かかりました。(少し早く、2月末にうえ替えをしていました)

 曹源寺の蓮も、もうすぐ次々に咲くことでしょう。見頃は7月中~下旬でしょうか。

 樋口了一の手紙の<友だちに教える>記事(転送の仕方)、有り難うございました。役立つと思いました。

池波正太郎氏の『男の系譜』を読みました。

今日は、午前に津高坐禅クラブと午後に真福寺坐禅会の両方が有りました。

 明日は、私的都合で曹源寺に参りません。

 最近は、個人的な都合で坐禅のみで帰宅し、老師や坐禅会の方のお話しを、お聞きする機会がありません。

 いろいろと、“西田哲学や西田幾多郎氏の生き方”に勇気づけられています。

 西田幾多郎氏の<自戒の辞>と思われる記をお送りします。

『下村寅太郎著作集(第十二巻)』<西田哲学と日本の思想>p50*51より

 現存のいちばん古い日記(明治三十年の日記)には、その見返しに自戒の辞と思われるものが記されてある。

 非凡の人物となり非常の功を成さんとする者は天地崩るるも動かざる程の志と勇猛壮烈鬼神も之を避くる程の気力あるを要す。

 富貴も心を蕩せず威武も屈する能はず正義を行ふて水火もさけず。

 何事も自分の考を立て自分之を行ふ他人に依附せず。

 人より勝さるには人に勝りたる行なかるべからず。

 大丈夫無学無智を以て自任するの勇気なかるべからず。

 他人の書をよまんよりは自ら顧みて深く考察するを第一とす。書は必ず多を貧(むさぼ)らず。

 古今に卓絶せる大家の書をとりて縦横に之を精読す。

 第一の思想家は多く書を読まざりし人なり。

 読書の方は読、考、書。

 一事考へ終らざれば他事に移らず、一書を読了せざれば他書をとらず。

 裏の見返しには、

 猥(みだ)りに人言を信ぜず

 熟考せざる事は云はず

 人と冗談して貴重の光陰を浪費せず

 人の悪言せず

 正しく成さ〔ざ〕るべからざる事は他事を顧みずして其日に直に之をなす

 一日のなすべき事はその日の朝之を定め必ず之を断行す。

と、書かれているそうです。

    西田幾多郎氏の生き方の“すごさ”に圧倒されます。

 哲学は、禅と異なりますが、西田氏の生き方は、正に<平常心是道>だと思われます。

   凡人の私には、夏目漱石『草枕』の<山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角、人の世は住みにくい。>が、思い出されました。

 それだから、自我を透徹した“友が愛が”、必要なのでしょうね。

 “一難一難は、自分を高める機会”なのでしょうね。

 ふ快指数の高い日々ですので、ご自愛なさってください。2010.06.26(土)

★件めい : 生死を超え真摯な歩み
日時 : 2010年6月29日 8:57

 K 先生

 津高の里も、う田一面に小さな苗が、綺麗に行儀よく並び、そよ風に揺らいでいます。

 山々も深い緑一色となり、長閑な雰囲気を漂わせています。

我が家のアジサイ、スイカズラの花や半夏生(はんげしよう)の葉なども、一段と彩り鮮やかになっています。

   花の命は、本当に儚いものですね。蓮の華も、わずか4日しか持ちません。

 畢竟、人生の華も同じなのかもしれませんね。

   奥様のおかげんは如何でしょうか。お大事になさってください。

 最近、<知の枠組み>について、考えることが多々あります。その中で、“絶対的な真理”に疑問を抱くようになっています。

  死の絶対性(<非人間的なもの>死ぬということに)をお贈りします。

『信仰というもの』 椎な麟三著 教分館 (p47~48)抜粋

 私たちは、死を讃美する国に住んでいる。武士道の影響かも知れない。老武者が戦死するよりは、若武者の戦死を、若桜の散るのにたとえて美しいという。たしかギリシャにもこのような考え方があったようだ。若死は、神に愛きれていた証拠として受取られていたというからだ。だが、死を、さらに若死を讃美することは、そのことによって死の恐しさを回避しようとする人間の悲しい知恵なのである。私は、かつて若死にした娘さんの死顔を、おかあさんが美しく化粧してやっているのを見たことがある。それはきっと母親の娘にしてやる最後の愛情であったのであろう。そして美しく化粧された娘の死顔は、それを思い出すたびに母親を悲しませるだろうが、しかしその悲しみは、娘の死顔の美しきによって救われてもいるということは争えないだろう。

 だが、何が嘘でも死だけは真実だという考えを、絶対的な真理に高め、その真理によって生きて行こうとするとき、この世界は意味を失う。あらゆる人間の現実的な目的も無意味だし、愛だとか自由だとか正義だとかいうような一切の人間的なものも無意味である。いや、それより前に、生きているということが無意味なはずだ。食べること、着ること、屋根の下に寝ることも無意味だ。その真理は生きることより死を命ずる。しかも死んだ人間は、もはや人間とはいえないだろう。ここにこの思想の非人間性が姿をあらわす。

 だが、何が嘘でも人間が死ぬということだけは真実だという考えに非人間性がふくまれているのだろうか。そうではない。この考えは、ある場合には、人間を人間的にする力をもっているのである。それでは、一体どこからこの非人間化がやって来るのか。それは、その真実を唯一の真理として高める絶対性からやって来るのである。

 私が小説を書きはじめたころの精神状況は、この真実を真理としか考えられない絶対性によって打ちのめきれていたといっていいだろう。だが、食べることも無意味であったはずの私は、現在は心臓をわずらいながらも、とにもかくにも生きている。どんな手品をつかっていたのか。むろん何の手品もつかっていない。残念な話だが、食べていたからだ。この矛盾は小さいようだが、よく考えれば私の絶対的な真実と考えるものをひっくりかえす力をもっているのだ。私は、一転して、このような自分に反抗しはじめる。いま生きているということだけが絶対の真理だというふうにだ。<永遠なる序章>という私の小説は、その反抗の私の足跡なのである。

<私見>

 私たちは、常に二者択一の世界の住んでいます。その一方を選んだとき、絶対性が生まれます。したがって、何かを絶対的なものとするとき、同時にそれと対立する何かを絶対的なものとしています。

禅では、“大死一番”と言われますように、<生死>を抜けきることが、絶対の真理を打ち砕き、結局“平常心是道”を自覚させます。

正岡子規は、“悟りという事は、如何なる場合にも、平気で生きて居る事であった”

と、言っています。

 人は、よく“生きてきたように死して逝く”と言われますが、この意味は、死に対してでなく、“生きている過程”そのものを指していると思われます。人の生き方を強調した箴言ではないでしょうか。

 絶対の真理は、<いま・ここに>しかないのでしょうね。

 先生の真摯な歩みから、多くを学びたいと思います。

 ご自愛なさってください。2010.06.30(水)

★件めい:<ひょうひょうと水を味う>
日時 : 2010年7月4日 12:09

 K 先生

一昨日は、激しい雨でしたが、お変わりないとのこと、なによりですね。   

二週間ぶりの曹源寺は、濃い緑に包まれて幽玄さが漂っていました。

〽分け入っても 分け入っても 青い山 (種田山頭火)を思い出しました。

   曹源寺の蓮は、ちらほらと咲き、全体的には三分咲きぐらいでしょうか。

 外堀の溝の“一天四海”は、まだ開花していませんが、大きな蕾が多数ついていました。

(今朝4時~午後8時まで、後楽園で“観蓮節”が催されます)

 方丈池の“真如蓮・嘉祥蓮”も、まだのようですが、蕾は2~3輪ついていました。

 玄関、小方丈などの鉢の蓮などは、既に咲いた跡や、まだ小さな蕾のものなど、まちまちでした。

 蜀紅蓮や美中紅蓮や瑞光蓮は早咲きで、真如連は遅咲きのようです。今年は全般的に、成育が遅れているようです。

   イギリスのみんなで支え合う『ホスピス 末期ガン患者への宣告』(家の光協会)を教えてくださり、有り難うございました。

 日本は医療、福祉、教育など欧米形でなく、米国型のようですね。日本では、個人の自助努力が最優先されていますね。まず、自分の出来ることから始めなくてはなりません。

 お互いに助け合える共同社会の構築が急務だと思っていますが、残念ながら、国民の多くは、無関心のように思われます。したがって、人々に人間を畏敬する教育や社会システムなど、発想の転換を求めたいと思います。

 このことは、社会や地域共同体の支援の時が熟すまでには、次の世代の次までもかかるような気がいたします。

 ある面では、民主主義の成熟度と関連するのではないでしょうか。

  久しぶりに茶礼の席に参加しました。

 老師が外国からお帰りになられ、少しお話してくださいました。

 ・ お釈迦様が教育を最重点とされていたこと、

 ・ 7月13日(火)に“滴水庵”開きの親 子の集い基金チャリティーコンサートが行われること、

 ・ 8月3日(火)で18回目のバザーのこと、蓮の開花こと

など、

今日は摂心日なので、早めに終わりました。老師は、お疲れのようでした。

   先生のおっしゃられるように 椎な麟三氏は、昭和21年40歳の時に洗礼を受けています。

 氏の著書『信仰というもの』の中に、ロシアの文豪チェホフが『手帖』の中で<死ぬということは恐ろしい。しかし、いつまでもいつまでも生きていなければならないとなお恐ろしい。>と言っています。

 この “いつまでも” の無限(阿僧祇行の時間)が、人間的な一切を飲み込み、ある意味では、自己の存在までも消し去るような、人間的苦しみを、生み出すのではないでしょうか。

 何が恐ろしいかは、人によって異なると思われますが、多くの人は、人間存在の根本に根ざしている“いつまでも”から、脱却出来ないからではないでしょうか。

 しかし、この世の根柢には、人間の思惟や認識を超え、人間を支えている普遍的な何者かのふ可思議さが、私たちを救ってくれます。

  <人生に余生なし>(奥様の生き方)、まさに<人生を生ききる>ことが、この“いつまでも”を日々の忍苦精進と共に“平常底”で、<生きている証>と思われます。『習えば遠し』などを通して、“生きている証”を、そして“その考え”を後生に、委ねられることは、先生を始め、私たちにとっても、大いなる慰めであり、希望であると思われます。

 抜粋西田幾多郎氏の<平常底(びょうじょうてい)>をお贈りします。

hujita.nisidakitarou.png 『西田幾多郎』生きるここと哲学 藤田正勝著 岩波新書より P.156~158

 背景にあるのは、たとえば<仏法は用巧(ゆうこう)〔効用・効果〕の処無し、ただ是れ平常無事、屙屎(あし)送尿〔大小便をすること〕、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、困(つか)れ来れば即ち臥す>(臨済録』)と表現される禅の立場である。

 衣ふくを着け、食事をし、疲れれば眠る。山頭火の表現に従えば、ただただ水を味わう。そのような日常の営みを日常の営みとして行うこと、そのようなあり方へと帰って行くこと、そのことを<平常底>は意味している。

 しかし、それは無関心なままに、<生命の根本的事実>へのまなざしを欠いた状態にありつづけることと同じことではない。そこからの脱却のたえまない努力を積み重ねての日常である。そのことを西田は<一歩一歩血滴々地(てきてきじ)>という言葉で言い表している。

 一歩歩むごとに血を滴らせることを経て、はじめて<へうへうと>水を飲むことが可能になるのである。われわれは、より多くの収入を得たいという思いや他人に負けたくないという気持ち、世間体、悟りへのとらわれなど、さまざまなもので縛られている(あるいはむしろ、自ら自分を縛っている)。そのような自己のあり方を一言で言い表せば、<我(が)>ということになるであろう。我欲、我愛から自由になることは決して容易なことではない。

 一歩一歩血を滴らせながら、自分をがんじがらめに縛っている執着を取り除いて到りえたところを、<屙屎送尿、著衣喫飯、困れ来れば即ち臥す>という言葉は言い表している、その日常性を<平常底>という言葉は意味している。

 西田が好んだ詩句に<廬山煙雨浙江潮>というのがある。論文のなかでも引用しているし、また揮毫もしている。中国宋代の代表的な詩人・書家である蘇軾(蘇東披)の詩<観潮>の<廬山は煙雨、浙江は潮。未だ到らざれば、千般[長いあいだ〕恨みを消せず。到りえて還り来たれば、別事なし。廬山の煙雨、浙江の潮>から取られたものである。

 廬山は中国の江西省にあるめい山で、その煙雨はきわめて神秘的であると謳われる。また浙江の下流銭塘江(せんとうこ)の潮汐は壮観であると言われる。それを見なければ、長年その恨みが消えないであろう。しかし、それを見に行き、帰ってみれば、何ということはない。ここが廬山であり、浙江であったのだ。そのような意味の詩である。

 この詩の言葉をそのまま使って言えば、<平常底>とは、廬山・浙江から帰り、改めて目にした故郷で、以前とまったく同様に生きることである。<へうへうとして水を味ふ>(種田山頭火)というのは、そのような境涯でなされる日々の行為であり、日々の営みである。

 交換メール(送信のまとめ)のことで、またご相談したく思ってます。

 ご自愛なさってください。2010.07.4(日)

★件めい : 聖と禅と西田哲学<場所的論理>
日時 : 2010年7月7日 21:10

 K 先生

 蒸し暑い日々ですが、奥様・先生お変わりございませんか。

 今日は、業者の方が(60代の男性)、我が家の蓮の華を褒めてくださり、写真を撮りに来られました。  

 あらためて、蓮華の聖なる美しさに惹かれてます。しかし、すべては、<実在>の目覚めにあったのです。

 臨済禅師は、<・・・・・汝がもし聖を愛し凡を憎んだなら、永遠に迷いの海に浮き沈みするであろう。煩悩は心によって生じる。無心であれば煩悩の束縛もない。姿かたちを弁別する要もなく、すっと一瞬で道を体得できる。・・・・・>と、言っています。

 この<実在>に目覚めない限り、人々の求めた高貴で高尚な聖なるものは、絵に描かかれた餅でしかありません。このことに、やっと気づきました。

 『西田哲学』が、<禅>との関連で、少しおもしろく感じられるようになりました。

西田氏は、“これでもかこれでもか”と襲い来る苦難に耐え、その根底をなす実在を、たじろかずに凝視し、伝統的な西洋哲学や対象論理では、把握できない新しい世界的哲学<場所的論理>を創造しました。

 この論理は、直接見たり感じたり体験することができない実在(無意識界全体を含めた自己、<善悪・喜怒哀楽・生死>などを生み出したり、殺したりする創造的世界)を論理化しています。“我が心 深き底あり 喜びも 憂いの波も とどかじと思う” の底(実在)を論理的に明らかにしました。

 それだけに、今まで、何人も解明なし得なかったこの実在を、哲学にしたところに、西田哲学のユニークさがあり、また難しさもあります。

 氏は、艱難な思索のすえ、これを絶対矛盾の自己同一と把握しました。そこでは、今までと、まったく異なった思惟が要求されています。

 西田哲学の論理が、難解であると言われるのは、ここに、あると思われます。

 禅では、この<絶対無の場>を<無>と言い、<廓然無聖>の世界だと言っています。

 『臨済録』(上・下卷) 山田無門著 禅文化研究所 より抜粋

 臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるな、ということだ。学問にだまされるな。社会の地位やめい誉にだまされるな。外界のものにだまされるな。何ものにも、だまされぬ人になれ。それだけだ。

人生は永遠に途中である。しかも、その一足一足が終点だ。ちょうど、道を歩くようなものだ。片足を上げて前へ進めねばならぬ。これが進歩だ。しかし、一方では、いつでもこの大地をしっかりと踏み締めて、このままで結構、このまま動きません、という片足がないといかん。両足を上げるから、ひっくり返ってしまうのだ。進歩の道中にあって、いつでも、このままで結構だ、という安心を得ていくのが禅だ。

と、述べています。

 臨済禅師は、この実在(真人の存在)に目覚めることを、自分の中に求めています。

 しかし、禅は哲学と異なり、理論化することは出来ません。したがって、体得する以外に良い方法はありません。

 ご自愛なさってください。2010.07.07(水)七夕

★件めい : 先生のお気持ちと西田哲学<実在>
日時 : 2010年7月11日 10:56

 K 先生

 メール、有り難うございました。

 梅雨は、まだ当分続きそうですね。

   雨音や滴音、背中を流れる汗を感じながら、大勢の方(約80人)と坐禅しました。

 曹源寺は、深い静寂さに抱かれています。その沈黙の中に、何か新しい息吹を感じます。

 今日も、茶礼に参加せず、すぐ帰宅しました。選挙に行きます。

 <西田哲学>に関心を持っていただき、嬉しく思います。

 西田幾多郎氏にとっては、“生きることと哲学”とありますように、生きることが、まさに哲学なのですね。

 西田氏は、哲学学者でなく哲学者その者だと思っています。それだけに人生を<生ききった>方だと思われます。

 西田哲学は、言葉にならない世界を、言葉に表現しようと悪戦苦闘しています。いわば、すべてが<途中であり家舎>(『臨済録』)なのです。それだけに、そこには、常に普遍的世界的な哲学の芽生えを潜めています。

 『習えば遠し』から、横田武先生の<雖近而ふ見>、徳永康先生の<足の裏マッサージ>、東井義雄先生の<妻への詩・述懐>などを読ませていただきました。

関連:東井義雄先生  

 本当に、日々<雖近而ふ見>ですね。先生の奥様を、いとおしまれるお気持ちが、切々と伝わって参ります。

   <雖近而ふ見>は、法華経方便品第二の中にありました。

 雖近は、例えば、目は目を見ることが出来ないように、あまりに近い方(人)や物に、気付かないことが多くあります。

 私たちは、外面的な事は良く見えても、内面的なことは、近すぎて、あまり良く見えていません。

 したがって、自分自身を深く掘り下げ、<父母未生以前>の私たちを生み育てている<実在>に、思いを馳せることは、ほとんどありません。

 ここで、<実在>について、お贈りします。『西田幾多郎の憂鬱』p162より

 西田氏にとって、論理的に永遠の迂回を強いる中心課題は、何だったのだろうか。

 西田氏は、それを端的に<実在>という言葉で表現した。これはあるがままの事象とでも言うべきもので、そこには物も出来事も行為も含まれる。だが、厄介なのは、この事象に<あるがままの>と冠せられるとき、その事象はもはやたんなる<対象=客体>ではなくなるということである。事象や物が主観によって認識された対象となれば、それはすでに主観によって構成されたものであって、厳密にはもはや<あるがまま>と言うことはできない。

 <あるがまま>である以上、それは主観によって脚色されてはならないのである。

 では、それは主観とは無縁な<物そのもの>というような存在なのかというと、そうでもない。

 なぜならわれわれの意識の彼岸に置かれる物そのものとは、西田にとってはこれまた抽象的思惟の捏造にほかならないからである。主観の対象でもなければ、客観的な物そのものでもない。

 この本質的に捉えがたい<あるがまま>、これを西田は<実在>とか<直覚的事実>と呼んだ。 と、ありました。

 <実在>は、前々回お贈りしました<平常底>と同じであると思います。<平常心是道>は、この<平常底>を意識した生き方であると思います。

 土曜日の津高坐禅クラブで “強い意志”の持ち主になるには、・・・の質問がありました。

 また、お教えください。2010.07.11(日) 

★件めい :<いのち>の逞しさと無常
日時 : 2010年7月14日 11:47

 K 先生

 激しい雨ですが、青田は青畳を敷いたように見え、<いのち>の逞しさを感じます。

最近は、特に人生の無常を感じます。しかし、また、無常なるが故に救われています。

ふと、高野山真言宗阿高山真言寺(熊本県)のインターネット<蓮華通信>が、目につきました。

生きる事が辛くなる時、人生の思わぬ事態に遭遇する時。願えど叶わず、叫べど届かず。

唯、時間のみが虚しく過ぎ行く。心に重き荷を背負い生きる事に苦悩する。光ある太陽の恵みも人生の終焉には光を失い、恵み多き大地もその確かさが失われる。

 死の影に人生は突き動かされ。ふ確かさの故に焦りと苦悩は深まる。

 世界が閉じて行く苛立ちとふ安に心はかき乱され、己を失う。

 静に瞑目せよ洞察せよ、無常の真理を、変化する物事の真実に目を閉じるな、貴方も無常の只中に居る。

 森羅万象は鏡の中の事物の如くその実体を持たない。己は無我である。

 この無常にして無我なる己を自覚せよ、そこに苦悩より逃れる術がある。

 仏陀は金剛座に座して、実は藁を集めたものであるが、そこで無常と無我の三昧に住した。

 執着多い人生にこれを厭い、暴れ馬の如く荒れ狂う心を制し、猿の如く止め処なく沸き起こる欲望の生起を止め、荒れ狂う波を鎮め静に帆を進める舟の如く人生を生きる。

 頼りない己が頼りある者となる時。

と、載っていました。

この、<蓮華通信>は、どこか観念的で、具体性が、日々の日常性<いま・ここ>が、欠けているように思われます。どうすれば、“この無常にして無我なる己”が、自覚出来き、“頼りない己が頼りある者となる時” となるのでしょうか。

昨日は、午後から曹源寺本堂で “音楽とお話のひと時” が催されました。

主な内容は、老師の今会の趣旨説明、赤枝郁郎先生のお話し<母ちゃんは温かい>、中林淳眞氏のお話しと<我が心のアランフエス><エストレリータ><コンドルは飛んでゆく>など、有めいな数曲の演奏がありました。両先生の接点は、親子の絆、特に親としての生き方について、啓蒙活動を立ち上げたいようでした。今後、ボランティアで、隔年か一年おきぐらいに<子の集いの会>(滴水庵実行委員会)が持てたらと、提案されました。

曹源寺も、次第に地域に開かれ、開放化されています。そのぶん、禅の真髄が大衆化されて来たようにも思われます。

『習えば遠し』から、先生の水泳の思い出田里亦無『道元禅入門』を読みました。2010.07.14(水)

★件めい : 敬仰すべき師と読書
日時 : 2010年7月18日 6:30

 K 先生

 激しかった雨も上がり、真夏のような日差しが照りつけています。

 昨日、気象庁から梅雨が明けたらしいと、発表がありました。

   先日のメールで、<食材の買い物に出かけた時、激しい雨(土砂降りIt rains dogs and cats.)に降られました。私ども二人の食材ですから、雨に降られても、天に向かってブスブス言っても仕方がないので、ずぶぬれになりました。> 大変だったでょうが、ご一緒に買い物が出来られたのだなあと思いました。また、雨に濡れながらも、幼子を連れたお母さん方の生き生きした様子を伝えてくださり、有り難うございました。

 唐牛 敏世氏<白寿の哲学>、吉川英治氏<ある雨の日>なども感動いたしました。

 “老人としての自覚、長寿法、正寝法、母の愛” など、独創的・普遍的であると教えてくれます。 

 吉川英治氏は、“我以外すべて我が師なり”と言いましたが、敬仰すべき師に巡り逢えることは、本当に希有ですね。

 “すべて高貴なものは稀であるとともに困難である”(スピノザ)を、かみしめています。

 昨日は、真福寺坐禅会の帰りに庭瀬城跡を訪れ、お堀の池にうえられている“大賀蓮”を鑑賞いたしました。ちょうど今、咲いているもの、蕾のものとあり、見頃のように思いました。地元の方が、ピンク色の“大賀蓮”を指さして、<本物の赤い花の“大賀蓮”が年々少なくなってきました>と、19(月)早朝観蓮会が、<ここ城跡で催される>と教えてくださいました。

  曹源寺の蓮の開花は、終わり近くなりました。我が家の蓮は、今少し楽しめそうです。蓮には、人を魅了する何かが潜んでいます。欲望や煩悩などの世俗的な事を飲み込みながらも、聖なる霊精界に思いを馳せてくれます。

 静かに蓮を眺めていると、悠久の流れに時を忘れ、心が洗われてきます。そこに祈りがあります。

今日は、読書についてお贈りします。

 読書訓と読書法 『下村寅太郎著作集12』<西田哲学と日本の思想>p204より抜粋

 西田先生が中学生のために書かれた読書訓がある。(後日、お贈りします)

 私の中学生の時、大正五年頃であるが、学校から<読書の莱>という小冊子を貰った。中学というのは京都の一中で、時の校長先生は有めいな森外三郎先生、教頭は漢学の碩学黒本木(篇+直)先生であった。この冊子は生徒に読書の指針を与えようとの親切な配慮から、学校に好意を寄せていられた当時の京都大学の先生たちに特に生徒のための読書訓を乞うて、これを印刷して生徒全体に与えられたものである。その頃、大学も一中の近所にあった。

 二十八頁の小冊子ではあるが、巻頭に校長先生の<生徒諸氏に示す>の序言があり、

扉にキケロの:“Books are the blood of youth, the deligth of old age;the ornament of prosperity, the refuge and comfort 0f adversity; a deligth at home, and no hindrance ad;companinons by night, in travelling, in the country,"の旬が花文字で記され、

本文は、<読書>(西田幾多郎)、<読書について>(河上肇)、<読者する人々に対して>(新村出)、<古典を読め>(小島祐馬)、<書物の読みかた>(勝部謙造)、最後に<本校生徒課外読書目>となっている。

 久しぶりに<書の莱>を披いて見て懐しさに堪えない。河上肇博士の文章は吉田松陰の土規七則から始まっていた<吉田松陰先生の土規七則といふものがある。私は先生の親筆の刷物を表装して居間に掛けてゐるが、其七則の第五には人ふ通古今。ふ師聖賢。則鄙夫而巳。読書尚友。君子之事地。

とある。これは、どんな学者になり、どんな実業家になつて、どれだけ智識を蓄へ、どれだけ財産を拵へたからとて、古今に通ぜず、聖賢を師とせざる者は、一個の鄙夫に過ぎぬといふ意味である。

という文書から始まって、<・・・噫、書は読むべし。読書尚友は君子のことである。人もし古への書を読んで聖賢を師とする事を知らざれば、たとひ、万巻の書を読破し、たとひ巨万の富を積むも、畢竟一鄙夫たるに過ぎず。書を読むべし。書を読まば古書を読むべし>

という言葉で終っている。

 小島先生の読書訓(一部分)

 <長髪賊の乱を平げたので有めいなる曾国藩が、其の子紀沢に与へた手紙の中に次の如き文句がある。日はく“人の気質は天性に由るもので、もと改変し難いものであるが、唯だ読書ばかりは此の気質を変化せしむることが出来る。古の相法に精しき者は皆読書に因つて骨相を変換することが出来ると言って居る。若し之を変ずるの法を求めんと欲するならば総て先づ竪卓の志を立てなくてはならぬ。古語に金丹換骨と言ってあるが、自分は志が 

 即ち金丹であると思う″と。平生読書して居る人と然らざる人とは、吾々が暫く会談して見ればすぐわかるが、更に進んで学問読書の極致に至つては、会談して見るまでもなく自然にそれが人相骨相の上に現はるるまでに人格を変化することが出来るのである。但しそれまで到達するには須らく堅固なる立志といふものが無くてはならぬ。

 西田先生の<読書訓>(一部分)

・読書は単に知識を与えるもののみではないこと

・意志を錬磨し、人物を作るものだ

・峻阪に攀登る如き考にて難解の書を読むべし

・<創造>は決して偶然に霊感から得られたものではない

・強靱な忍耐強い読書から辛苦努力して獲得されたものである

・<書物を読むには、自分の思想がそこまで行き着かなければならない。そうして、そこで一脈相通じるに至れば、暗夜に火を打つがごとく、一時に全体が明らかになる>と

・大思想家には必ずその人独自の骨がある。骨のないような思想家の書は読むに足らない

・読むべき書は一時代を劃したような偉大な思想家、大きな思想の流れの源泉となったような人の書である

・閑読、閑談、閑食を禁ずと

高橋里美氏が西田先生から教わった<良書発見法>(一部分)

 高橋里美氏がドイツ語の教師として岡山の六高に赴任する途中、京都に先生を訪ねた折、のことである。

先ず一つの良書を手に入れたとする。それを読むとき脚注を丹念に読むことを忘れないことだ。良書の脚注にのっている参考書は良い参考書に相違ない。その参考書を読むとそのうちにまた良い参考書があげてあるに相違ない。以下かくの如くにして、良書が次から次と発見されると共に、これによって研究が次第に深まっていくのである、と。

   これらのことは、先生のおっしゃられる<いま ここ>・<一日ふ作一日ふ食 吾一以貫之>の中に含まれていることでしょうね。

 交換メール(送信)の件は、先生のお考えを入れて、まとめさせてください。

25(日)の曹源寺後に、ご相談したく思っています。2010.07.19(月)

★件めい : 仏教の理念と現実
日時 : 2010年7月18日 15:24

 K 先生

 今日の坐禅も、大勢の方の参加がありました。(約70~80人)

   久しぶりに、老師のお話をお聞きしました。

 お釈迦様の教えが、釈迦誕生の地インドで、なぜ広まらず、現在逆輸入の形で広まっているのか、簡潔に話されました。

 インドは、イスラム教徒の侵略に遭い、仏教は高遠な理念(総て平等である、戦いの放棄)なるが故に、母国には止まれず、国外(東南アジア方面)に逃れました。一方、バラモン教の差別を認める(戦う)土着思想のヒンズー教徒(約85%を占めている)は、勢力を拡大しました。

 印象に強く残ったのは、如何に理念が崇高であっても、理念だけでは、現実的に、分化・発展などの進歩が望めないのでは・・・・。

 私たちの生活は、日々悪戦苦闘しながら、理念を具体化しています。実生活での篩いが、心を鍛え、人間性を高めてくれます。

 自己の内外を見つめる両足が備われば、虚無・絶望や全体主義・戦争などを防ぐ、寛容さが生み出されますが、もしかりに、人々が坐禅だけ、宗教だけ、経済、科学だけなどと偏ると、戦争をくい止めることが、難しくなると思われます。

 現代は、市場原理の支配する世界であり、弱肉強食の世界だと思われます。それだけに、片足を外に、もう一方の足を、内にしっかりと残さないと、自己喪失の危険にさらされると思われます。今、現代と言いましたが、このことは、実は過去も未来も、あらゆる時代に、該当すると思います。人間の本能に根ざしていると思われるからです。

 多くの方が訪れる曹源寺の魅力は、一体何なのでしょうか。曹源寺に何を求めておられるのでしょうか。

 今朝早くお送りしましたメールは、日を間違えていましたので、訂正します。

[19(月)誤→18(日)正]

 暑くなりそうです。ご自愛なさってください。2010.07.18(日)

★件めい : 太通老大師ご法話と交換メールのご相談
日時 : 2010年7月21日 14:02

 K 先生

 暑中お見舞い申し上げます。

太通老大師ご法話(要約筆記とインターネットより)を、お贈りします。

日時: 平成22年7月19日(月)10:00~11:00

演題:<大いなる まろき柱の 月影を 土に踏みつつ ものをこそ思え>

講師: 河野太通老大師(臨済宗妙心寺派・大本山妙心寺 管長 全日本仏教会 会長)

場所: 真福禅寺薬師堂 

お盆が近づくと、すべてのことが、“縁”の繋がりで成り立っていることを痛感します。特に血縁の方を亡くされた方は、なおさらでしょう。その方とのかかわり(ご縁)により、いまの私が、できあがっていると、つくづく思う。

 私の命は、父母のご縁で出来たのですが、それだけでなく、祖父母、その祖父母と三代遡っただけでも、十六めいの方の縁があり、さらにそれのみでなく、昔からの[衆生縁]がないと私はいない(存在しない)。少し、縁を考えると、<四恩>に目覚めてくる。四恩とは、一応次の四つのこと、

・人間的繋がり

友や先生、まわりの方々など、

・大自然の恵み

太陽の暖かさ、水、空気など、

・国土

今の自分を考えると、日本、岡山、故郷、現在住んでいる場所がないと自分はできあがっていない。

・親の恩

言うまでもない。

この四つの縁がないと自分はない。このことを時々思うが、初盆を迎えると、いっそう思う。

心で思うだけでなく、口に出す(表現する)、態度で現すことが大切である。

“幸せなら手をたたこう みんなで、幸せなら態度で示そうよ・・・・・・ ”よ、です。

お世話になっていた元小学校の校長先生が、亡くなられ、今日が葬式なので、お別れできないから、昨夜、お通夜でお別れした。一週間前は、自分のために宴席を催してくださったのに・・・、<お酒の席で、いつも先生が歌われる歌をご披露されました。>

今年は、例年になく、3めいの方もの初盆があります。それぞれの方とのご縁が思い出されています。

<固難の設定>の提唱

 今、分からないことでも、教えた方が良いことがある。

 先日、中一(女)、小五(女)、5歳(男)の三兄弟姉妹の授戒会をしました。お釈迦様のお弟子さんとしての規範を与えました。子どもに、いま分からないことでも授けておくことが、大切であることがある。何も知らないと、世の中は、そんなものかと甘く見るようになる。世の中には、自分たちに分からないことが、多くあることを、教えておくことが大切である。

 例えば、漢文(論語)など、朋遠方より来たる亦楽しからず・・・・、君子は顛沛(てんばい)のとき狼狽することなく・・・・、

 今は、分からなくとも、長じて固難に出逢ったとき、自分の肥やしとなる。

 私は、これを<固難の設定>とな付けている。

 七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)

 阿難尊者(お釈迦様に25年間沿う)に問う。お釈迦様の言葉は、よく分かりますが、お釈迦様は、この世の最初の仏様でしょうか。

 過去七仏あり。お釈迦様以前に六代の仏様がいて、その方たちの結集で、お釈迦様が生まれた。<七仏通誡の偈>と言われるものがある。

お釈迦様の教えは、簡潔に言えば、“悪いことをするな 善いことをしなさい、人のために尽くしなさい”である。ところが、この簡単なことが出来ない。三歳の童子でも知っているが、行うことは八十歳の老人でも難しい。

中国の白楽天(詩人 李白とも言う)と道林和尚(別めい 鳥彙和尚と言われる)のお話しもありましたが、内容的に、ほぼ同じなので、精しくは、インターネットで見てみます。

これよりインターネット

 諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)

 諸々の悪しきことをせず、もろもろの善いことを実行しなさい。

 そして、自ずからその意(こころ)を浄めていくこと。これが諸佛の教えである。

 これは、<七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)>といわれるものです。七仏とは過去七仏と云われる毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のことです。お釈迦さまはご自分をこの世における最初の仏とはなさらず、自分は古仏の跡を歩んだのであるとされ、この過去七仏の存在を説かれました。そして、この過去七仏も同じく説いたという意味で<七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)>というのです。つまり、これはお釈迦さまだけが説かれるのではなく、昔よりこの世にあらわれた諸仏がみな同じように説いている普遍の道理なのだという御教えをあらわしたものです。

 仏の教えというと、難しいことを考えますが、仏教というのは、この一生を最善に、どうして生かそうかということです。それを、つきつめれば、 <諸悪莫作・衆善奉行>なのです。しかし、非常に簡単なわかりやすい教理ですが、実行はなかなか難しい修行となります。

 白楽天という詩人がいました。本めいは白居易。唐の代表的な詩人で、晩年は、詩と酒と琴を<三友>として、悠々自適の生活をおくったという知識人です。白楽天の詩はご存じかと思いますが、在世中から民衆に親しまれ、牛追いや馬子までがこれを口ずさんだといわれています。

 林間に酒を温めて紅葉を焼く

 遺愛寺の鐘は 枕をそばだてて聴き

 香炉蜂の雪は 簾をかかげて看る

 などの詩歌は、『長恨歌』や『琵琶行』とともに、わが国でもよく知られています。

 白居易は、大暦七年(772年〕、河南省の新鄭に地方官吏の次男として生まれました。彼は29歳で官吏登用試験に合格し進士となります。順調に官界コースを歩んでいましたが、40歳のとき母の死にあい、重ねて幼い娘の死に遭遇します。ここに彼は、儒教では解決しがたい人間の<死>の問題に直面し、道教や仏教に関心を強めました。しかも、しばらくして白居易は政治的に失脚し、左遷!いよいよ彼は、仏教・道教に傾斜していきます。白居易、50歳の時です。彼はみずから求めて、杭州刺史となって赴任します。刺史とは州の長官、今の県知事に当たりますが、首都の権力闘争を避けて、彼は地方に出たのです。

杭州の秦望山には、鳥彙道林(ちょうかどうりん)と呼ばれるめい物禅僧がいました。この禅僧、山中の松の木の上に巣をつくって住み、木の上で坐禅をしていました。白居易は、この和尚の噂を聞いて、ある日、面会に出かけて行きます。白居易は、木の上で坐禅している道林を見るなり、こう叫んだ。

<禅師の住処、甚だ危険なり!>

 白居易は、少しは仏教を学んでいる。それで、鳥彙道林をへこましてやろうとする気があったのでしょう。わざわざ木の上で坐禅をする。そんな奇をてらった和尚にいささか反発も感じていたのでしょうか。だが、鳥彙道林和尚は半端な禅者ではなかったのです。和尚はすぐに応じた。

<太守、あなたのほうが、もっと危険ですぞ!>

木の上にいるわしを危険だと言うあなたは、自分自身の危険を忘れているのではないか。あなたのいる世界には、左遷・失脚・裏切り・寝返り・犠牲などがいっぱいある。おまえさんたちは、そんな危険を忘れてのほほんとしておる。あなたのほうが、もっと危険ではないのか——というわけです。 白居易は返答できず、みごとに一本取られます。そこで、さらに問答を重ねます。

<仏法の大意とはつまるところ何なのか?>

道林和尚<諸悪莫作・衆善奉行>(悪いことをするな、善いことをせよ〕

  これはいたって平凡な解答です。どこかのおじいちゃん、おばあちゃんでも言いそうな言葉です。偉い禅師の言葉とは思えぬ、そう思ったのでしょう。

白居易は言う<そんなことは、三歳の童子でも知っていますよ>

だが、鳥彙和尚は動ずることなく<三歳の子供が知っていても、八十の老人すらこれを実行することはむずかしいぞ!>と応じるのです。

一切の悪いことをするな、善いことをせよということは、最も簡単な教理ですが、簡単なことほど実行するのは難しいところがあります。分かることと、行うこととはまったく別なのです。禅はなによりも<行>を根本とします。この教えも、三歳の子供でもわかりそうなことでも、実際のところは八十の老人にしても実行することは難しいと説くのです。

ところで、七仏通戒の偈は往々にして命令形に<諸の悪を作す(なす)莫れ、諸の善を奉行せよ>と読まれがちです。漢文はいろいろに読むことができるので、命令形に読むのをまちがいというのではありませんが、仏教的には他からの強制や禁止・命令によらず、自分から進んでする自由意志によるのを旨としますから、命令形に読み下すのは好ましくないのです。

たとえば、最も古い経典の一つの<法句経>の183句に、

ありとある悪を作さず

ありとある善きことは

身をもって行い

おのれのこころをきよめん

これ諸仏のみ教えなり

仏教の善悪の教えとは、<正しいこと>とは自他を活かし、共に喜ぶことであり、<悪いことと>とは自他を殺し、悲しませることです。

同、法句経に<悪の報いは自分にはこないと、小さい悪事を軽くみてはいけない。水のしたたり落ちる一滴一滴の水が、やがて水瓶をいっぱいにするように、愚かなる人は、ついに悪を満たすなり>とあるように、善きことを思い、善きことをなせば、幸福は必ず実現する。反対に、一時はずる賢く要領のいい人間がはびころうと、因果の法則はくらますことはできないという教えは人生の鉄則といってもいいでしょう。

道元禅師は七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)は菩提の語として悟りの境地を示したものであると<諸悪莫作の巻>で説かれています。

つまり、悪いことはしまいと願い、悪いことはしないように心がけているうちに、修行の功徳力があらわれて、悪いことを行うことがないようになるというのですが、さらに、修行力が現成している人は、悪事をなしそうな場所にあったり、悪事をなしそうな機縁や悪事をなしそうな友と交際しているようであっても、悪事は自らなされなくなるものであると示されるのです。<悉有仏性>の立場においての<止悪行善の戒>とは、道徳や倫理の善悪ではなく、自主自律的に守られるであろう誓願であり聖戒なのです。

この<諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教>は一般的には<七仏通戒の偈>と云われていますが、七仏おのおのに禁戒の偈があります。この四句の偈は迦葉仏の偈です。

(以上インターネットより)

太通老大師ご自身の得度式でのこと(12~13歳頃?)

和尚さんと二人きり、本堂で行われた。戒律を授けられ、今から死ぬまで保てるかと問われた。誓が出来るかどうか即答できず、躊躇していたら、

 師:保つと言えないか。(一喝)

 通:小さな声で保つ。

師:大きな声で言え。

実践できもしないことを強要するのに、何の意味があるのか。当時は、分からなかった。

 後になって、人生で<困難の設定>が、如何に大切であるかが、分かってきた。

  例えば、嘘をつくな。生き物をころすな。など守り抜けない(生きられない)。しかし、<嘘をつかない。生き物を殺さない。>と誓った者は、その戒を破ると、反省や懺悔が生まれる。誓わない者は、あたりまえであるので、過ごす。

 私たちは、戒律なしで生きられない。この縁により、自分に懺悔が生まれ、感謝が生まれ、厚恩奉仕が生まれる。

 しかし、だいたい、ご恩を返したいとき、すでに親はなし。社会に奉仕する以外にない。

時空を超えた希求は、人格を高め美しくする

 会津八一(1881~1956 東洋美術史家、歌人、書家)は、美術物に対して、人格の美しさを求めた。

 氏の『鶴鳴集』に、唐招提寺にお詣りしたときの詩が載っている。

 “大いなる まろき柱の 月影を 土に踏みつつ ものをこそ思え”があります。

唐招提寺は、鑑真和上和尚が、日本に仏教の戒律の基を伝えるために、幾多の困難にも屈せず渡来し、建立したお寺である。

金堂の前の廊下を支える柱は、首が細く胴が膨れたエンタシス型をしている。

エンタシスは、古代ギリシャで生まれ、ローマに伝わり、中国、日本に仏教と共に伝わった。

先ほどの詩の<大いなる まろき柱>は、人間如何にあるべきかを問い、<月影を土に踏みつつものをこそ思え> は、時空を超えた真実に考えを馳せ、グローバルな物の見方、考え方をしなさいと、教えてないでしょうか。

価値観の多様化する現代でも、

<悪いことはするな。良いことをせよ。人のために尽くせ。>は、真理でしょう。

自分の生活に生かす、工夫・努力・精進などが必要です。<法話 了>

もしよろしければ、25(日)の 10:20分頃、 おじゃまさせていただけませんか。

曹源寺前の喫茶店や、例の<まつくろ>のうどん屋さんで、交換メールについて、

  ご相談させてくださいませんか。

猛暑に扇風機が、手放せません。ご自愛なさってください。2010.07.21(水)

★件めい :<無常>を受け止める力と交換メール(送信)の目次
日時 : 2010年7月24日 21:16

 K 先生

メール、有り難うございました。返信が遅くなり、お詫びします。

もくもくと巨大な入道雲が、青空に立ち昇っています。連日の猛暑ですね。

昨日は、岡山市でも36.6℃であったそうです。我が家の扇風機も、フル回転しています。

先生のおっしゃられる<無常>を<無常>として、受け止めるとき(もし<無常>と一つになれたら)、煩悩が薄れると思います。

一つになるために、無常の内容をよく吟味し、ラインホールド・ニーバの叡智を身につけることが、最良かと思います。

THE SERENITY PRAYER

O God, give us

serenity to accept what cannot be changed,

courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other.

                 Reinhold Niebuhr

<無常>に生きた人物、<栄華を極めたソロモンと悲劇の辛酸に呻き続けるヨブ>を比較考察して見ると、

<無常>の内容が、少し見えて来るような気が致します。

『パンセ』パスカル著 松浪信三郎訳 世界文学大系13 筑摩書房 p180より

断章 一七四

悲惨——ソロモンとヨブは、人間の悲惨を最もよく知り、最もよく語った人である。

一は最も幸福な人。他は最もふ幸な人。一方は経験によって快楽の空虚を知り、他方は災禍の実在を知ったのである。

*ソロモンはダビデの子、イスラエル国王。栄華を極めたことで知られる。

<空の空、空の空なるかな、すべて空なり>の句ではじまる『伝道の書』

(旧約聖書)は、ソロモンの作として伝えられてきた。ヨブは旧約聖書中の劇詩『ヨブ記』の主人公

  今日、24(土)は、午前中津高坐禅クラブがあり、午後から、妻の実家に行っていました。

来週から、第二回夏休み子ども体験クラブ(坐禅・一日30分の4日間)が、始まります。

例年、参加者の少ないことが、気になります。時代的に、親が必要を感じないのでしょう。しかし、<未知なる真理を求める心>を育てることは、大切だと思っています。

何事に於いても、<行事を始める>となると、困難が伴いますね。でも、“後生畏るべし”ですので“ 継続 ”したいと思います。

明日25(日)は、お世話になります。10:20分頃、お迎えに参ります。

★関連:津高坐禅会で話す

話題の材料として、交換メール(送信)の目次を、お送りします。(略)

よろしくお願いします。2010.07.24(土)

★件めい : 西田氏の<慰戯としての短歌>
日時 : 2010年7月25日 15:37

 K 先生

楽しい昼食会、有り難うございました。

その際、西田氏が<自己の哲学>に専念されたことが、話されました。

  次のような文書がありましたので、お贈りします。

西田幾多郎の<慰戯>『西田幾多郎の憂鬱』<慰戯としての短歌>p.148~149 小林敏明著 岩波書店

妻の死は覚悟していたことだけに、謙(長男・大学四年生)の場合のようなショックは感じられないものの、悲しみの溶けこんだそこはかとない静寂が全首を支配している。

文字通り途方に暮れたという心境である。第一首を添えて送った久松真一宛の書簡にはこう書かれている。

荊妻今日の事あるは昨年来覚悟いたし居り今更心を動かす様なこともないと思ひます。

併し今は我家といふ如きものが消え失せて遠き国にさまよふ旅人の様な心持ちがいたします。(西田幾多郎全集十八、二八二頁)

こうした一連のふ幸の中にあって、他の誰にもすがることのできない西田の心はひたすら内に向かう。

思想的には例の有めいな<場所>についての考えが少しずつ形をなしてくる時期であるが、次の歌などはいずれも西田個人の内向した想いであるとともに、一種形而上学的な内観の境地をも表しているかのようである。

われ未だ此人生を恋ゆるらし死にたくもあり死にたくもなし

我が心深き底あり喜びも憂の波もとゞかじと思ふ

世を離れ人を忘れて我は今深き己の奥底にすむ

西田は悲しみを避けない。むしろその中に身をゆだねることによって、それを克ふくしようとする。喜びも憂の波もとゞかない心の<奥底>へ突き抜けるとは、いかにも西田らしいやり方だが、そこには<死>さえも顔を覗かせている。<死にたい>とだけあれば月並みな嘘になる。<死にたくもあり死にたくもなし>とあるところにかえって真実味が感じられよう。

〽我独りさびしかりける春の野に慰め顔のすみれ花かな

〽真夏日を昼はひねもす犬ころと庭の垣根に戯れにけり

〽詩や歌や哲理の玩具くさぐさとわれとわが身をなだめても見る

この悲哀を超えた悲哀は、必然的に西田を世間から切り離した。悲哀を悲哀のまま孤独の中に包みこんで<すみれ花>や<犬ころ>と戯れることだけが唯一の慰めとなる。その慰めの中に<詩や歌>のみならず<哲理>までもが入れられていることは興味深い。<赤きもの赤しといはであげつらひ五十あまりの年をへにけり>と諧謔(かいぎゃく)気味に歌うとき、仮借なき<人生の問題>に比すれば、結局のところ哲学さえも<慰戯>にすぎない。このものの見え方は往々にして既成の西田論から抜け落ちてしまう点である。

*上述の<短歌>は、すべて西田幾多郎氏の歌です。ご参考になればと思います。2010.07.25(日)

★件めい :<美>について
日時 : 2010年7月30日 10:42

 K 先生

少し暑さが、和らいできました。お元気のことと思っています。

我が家の蓮は、美しい花をつけて、あっと瞬く間に、去って行きました。

美には、人を魅了する何かがあるように思えます。特に、蓮には<永遠の今>があるように思います。朝顔には、『方丈記』の<無常観>を感じます。

<美>に対する問いに、Sさんからメールで、

あまり上手に言えませんが、美というものも、また、ふ思議なものです。

人はそれぞれの美的感覚を持ち、自分の美を様々な方面で追い求めているように思います。その中でも、特に蓮や朝顔など自然の美には、普遍性があるのではないかと感じます。また、人生における美、すなわち、美しい生き方というのは、目に見えない究極の美なのかもしれません。

と、ありました。

<美>について、お贈りします。 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

美(び)とは、<美しいこと>、あるいは<美しさ>であり、自然の事物等に対する感覚的に素朴な印象から、芸術作品に対して抱く感動の感情、あるいは人間の行為の倫理的価値に対する評価にいたるまで、さまざまな意味と解釈の位相を持っている。

例えば、見事に開いた薔薇の花を<美しい>と人は表現し、あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ(ジョコンダの微笑)』を美しいとも評する。古代エジプトの女王であったクレオパトラ7世は<美女>として著めいであり、数学者は、抽象数学であるリー群やイデアル理論に出てくる定理を美しいと述べる。モーツァルトやフォーレの音楽は、繊細な美しさを持つと言われ、ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。また、日本語では、<姿ではなく、美しい心の持ち主>というような表現もする。

これらの言葉の使われ方から窺(うかが)えることは、<美しいこと・美>とは、何か良いこと・快いことであるが、またそれは<優れたこと>であり、また<感動>を人に与える何かであるということである。

漢字における<美>の含意

日本語で使われる<美>の文字は漢字であり、中国において2000年以上前に発明されたものである。この<美>という漢字は、<義>や<善>と同様に、一種の要素合成によって造られており、それぞれの上半分の部分は、<羊>という文字である。

<羊>と<大>の合成が<美>であり、<羊>と<我>の合成が<義>である。  

『論語』の中にも記されているが、<羊>は宗教的祭式において献物として利用された動物で、<犠牲の動物>の意味があり、そこから<羊>を要素とする合成漢字には、<犠牲>の意味が含まれている。あるいは、<犠牲>の意味を持つ概念を表現するために、これらの漢字は合成され造られたとも言える。

<義>とは<我の責任の限りの犠牲>という意味があり、<善>は、<儀式の祭具に盛る限りの犠牲>という意味があるが、<美>とは<大いなる犠牲>である。この場合の犠牲とは、<自己犠牲>であり、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命を献げて対象を高めるという含意があり、言い換えれば、人の倫理の道において、最も崇高な行いが<美>であったのである。

と、記述されていました。

『美について』今道友信著 講談社現代新書に、

山河の美しさ、芸術の美しさ、人格の・・・・・・

美は、さまざまな位相をとって人間の前に立ち現れ、より高い価値へをひとをいざなう。・・・・・・・ 

美とは、感覚的なきれいさでなく、心によって生じてくる輝き、すなわち精神の所産

であることを暗示する。・・・・・・・

と、ありました。

『習えば遠し』から、扇谷正造氏の<生死観>を知りました。

西田幾多郎氏も、“われ未だ此人生を恋ゆるらし死にたくもあり死にたくもなし”と、歌っています。(前述)

また、梅棹忠夫氏の追悼文から、<独創的な研究と人間性を>を学びました。 

自分なりの<西田哲学>が、少しまとまりそうです。

ご自愛なさってください。

* 今道友信氏は、東大生の時代に、西田幾多郎先生宅を尋ね、帰り際に西田先生から  哲学者はユダヤの預言者のように、しかも根拠を以て預言しなければならない。<君は根拠を持った預言者になれ>といわれたそうである。『中央公論』 今道氏は、東大の美学の教授などを歴任されています。2010.07.30(金)

★件めい: 真民氏の七字のうた など sakamurasinmin.sisyu.png
日時 : 2010年8月1日 12:16

 K 先生

今日の坐禅は、夏休みのせいか、若い父母と小学生たちが多くおられました。

蒸し暑い本堂で、蝉時雨を聞きながら、背中から流れる汗を、雨樋の雨水のように思って坐りました。小学生たちも、大人たちの坐禅の雰囲気に飲み込まれ、本堂は静寂さに包まれていました。

坐禅後、久しぶりにTさんと、宇宙のビグバーン以前のことや、自己の存在の有無、絶対無、蓮の魅力などについて話し合いました。

これらのことも、<西田哲学>の“絶対矛盾的自己同一”が分かれば、少しすっきりすると思いました。

今年中に、<西田哲学>の論理的構造が、掴めたらと思っています。

明後日3日に、恒例の年一度の曹源寺バザーが開かれます。方丈の間で、地域のボランティアの方々が、忙しく種類分けや値づけなどをされていました。バザーも年々盛況になっています。

   真民氏の七字のうた、“よわねをはくな くよくよするな なきごとをいうな うしろをふりむくな”に、励まされます。

この詩を噛みしめ、“生活の有り様を反省し、日々前向きに頑張ろ”と思っています。

★関連:坂村真民

有り難うございました。

猛暑が、まだまだ続くと思われます。お身体を大切になさってください。2010.08.01(日)

★件めい : 戦争体験 盤珪禅師
日時 : 2010年8月13日 8:17

K 先生

台風一過、お変わりございませんか。

やっと、少ししのぎやすくなりました。

『習えば遠し』から、戦争体験、盤珪禅師を読ませて頂きました。

  終戦直前、私が三歳の時、父が亡くなりました。

戦争体験がない私には、実感がありません。先生を始め、多くの方々の体験談から、観念として、恐ろしいことがあったのだと、理解しています。

その中でも広島・長崎の原爆の恐ろしさは、筆舌に尽きません。広島や長崎で見た、写真や映像が、脳裏に焼き付いています。また、沖縄にも行って、ひめゆりの塔なども見学しました。

戦争の惨禍を知れば、憲法九条の戦争放棄は、当然だと思います。特に、強調したいのは、核の放棄です。核は絶対悪なので、兵器として如何なる核も、非核三原則<持たない・作らせず・持ち込まさず>は、日本人の叡智だと思います。

歴史を正しく理解し、後生に伝えることは、私たちにも出来ることだと思います。そのためにも、常によく学ぶことが、必要ふ可欠だと思います。

『タルムード』に、                              

<人間は、完成することがないとわかりながら、完全なものに魅せられて、そこへ近づこうと努力をする。そうする ことによって、向上していくのである。

では、どうすれば人間は完全なものに近づくことができるのだろうか。

答えは、やはり<学べ、学べ、学べ>ということにつきる。>

と、あります。

また、<時代が新しくなるのではない。われわれが新しく生まれかわるのである>

<ほかの人よりも優れている人は、本当に優れているとはいえない。以前の自分よりも優れている人を、本当に優れて いる人と呼べる>とも、ありました。

bankeizenzigoroku.jpg 盤珪禅師を開くと、仏教開祖、中国仏教、日本の仏教などの仏教項目が目に付きました。以前より、より整理され、精しくなっていました。盤珪禅師については、『盤珪禅師語録』

鈴木大拙編校 岩波文庫 を読んでいますが、まだよく分かりません。

暑さも、峠を越したように思われますが、ご自愛なさって下さい。2010.08.13(金)

★件めい : 迎え火 終戦記念日 SIVA(元NASAの研究員シバさん)のこと
日時 : 2010年8月15日 13:58

 K 先生

 HPが、大分変わりましたね。QPONは魅力的ですね。外観だけ眺めています。

<迎え火>を読みました。本当にそうですね。隣の兄宅で迎え火をしました。

お盆の行事について、中国と台湾の方にお尋ねしました。中国は4月に、台湾は7月に行われているそうです。なお中国の若者は、ほとんどの方が、無関心だそうです。台湾には、まだ残っているとのことでした。

今日は、終戦記念日ですね。<戦争>について思いを新たにすべき日だと思いながら、先生の文章を読みました。

今日は、元宇宙ステーションのナサに勤めていたSIVAさん(65歳男性)と少し話をしました。彼は、米国国籍のインド人です。かつてモスクワ大学にもおられたそうです。専門は波動(航空)工学のようでした。来日して、日が浅いので、日本語は話せません。私の方は英語が話せません。お互いに意思の疎通が難しく、会話がうまく成立しません。

曹源寺への動機は、<専門の学問では、人生の諸問題が解決せず、禅への関心が芽生え、インターネットで探したところ、曹源寺が最適であると思われたので、ここに来ました。>とのことでした。奥さん子どもさん、立派な友人もあり、恵まれた方のようでした。

第一印象は、茶褐色のがっしりとした体格で、目が綺麗で、何者にもとらわれない心の強さを感じました。曹源寺では1年ぐらいの短期間の修行だと思われますが、きっと何かを掴んで帰国されると思いました。時々、彼に会って、禅を語りたいと思います。

お盆を機会に、現在、生きていることが、多くの方々の有償無償の賜であると気づき、恩返しの出来ていない自分を省みたとき、感謝の念がわき起こります。

人は、生きている以上、<絶対矛盾的自己同一>だと思います。完全な人間は居ません。完全さを求めて努力することが、<いま・ここに>を生きているのではないでしょうか。

暑さが峠を越えたかと思われましたが、日中はまだ猛暑ですね。お身体を大切になさって下さい。2010.08.15(日)

★件めい : 広島平和記念式典前の写真を見て
日時 : 2010年8月16日 8:33

 K 先生

広島平和記念式典前の様子が、大変よく分かりました。有り難うございました。

一枚一枚の写真が鮮明で、記憶が呼び起こされる場面も多くありました。

広島に原爆が投下され、はや65年の歳月が過ぎたのですね。

私が3歳の時で、その年に父が亡くなりました。

“戦争は人の心の中で生じ起こる”と言われていますが、人に心が有る限り、止むことはないと思われます。人の心が完全でないように、完全な社会や国家はないと思われるからです。それだけに、私たちには、戦争の惨禍を後生に伝える責務が有ると思っています。

お盆の行事の中に、戦争について、広めていく端緒が盛り込まれればと思っています。

★Link:私も見たキノコ雲―新型爆弾が原子爆弾へ―2010.08.16(月)

★件めい : 先生の願いと『タルムード』の続き
日時 : 2010年8月19日 21:21 

 K 先生

hiruti.nemurenu.jpgヒルティ<眠られぬ夜のために>を読ませていただきました。

先生の願い、読者の自己啓発が少しずつ蓄積されていますね。

“塵も積もれば山となる”のように人間としての器を、大きくする人生哲学が鏤められていますね。

  『タルムード』の続きをお贈りします。 

ユダヤではよく学んだ者には、責任が与えられる。知的な者には、それだけの重い責任が課せられるのである。

そして、当然のことながら、理想をもたねばならない。まず知的な自由を尊ぶことをはじめとして、『タルムード』に書かれているような精神を重んじることが要求される。

さらに、自分よりも下の者を導くという責任が課せられるのである。

多くの知識を身につけ、判断力を備えた者の責任が大きいことは、次の話の中で語られている。

ある大きな商売をやっている商人が、何台も馬車を連ね、いっぱい荷物をつんである町に向かっていた。途中、雪がふりはじめ、広野はあっという間に一面3、40センチの深い雪に覆われてしまった。そして、馬車隊は雪の中で道に迷ってしまった。商人たちの一行は、町へ向かうべきところを、深い森に迷い込んでしまったのである。

そして、さんざん遠回りをして苦労したあげく、ようやく町へ行く正しい道を発見することができた。しかしそのとき商人は、深いためいきをついて嘆いた。すると、商人のわきに座っていた御者が、『せっかく道を発見できたというのに、どうしてそんなに嘆いているのですか』と、その商人に尋ねた。

すると、『いつも一台の馬車しか動かしていない御者のあなたには、おそらくわからないかもしれないだろう。

私はこれまでも、何回も道に迷ったことがある。一台の馬車が残す車輪の跡は、風や雪ですぐに消されてなくなってしまう。しかし、これほど重い荷物をのせた何台もの馬車が、間違った道を通れば、深々と車輪の跡がついてしまう。

すると、これから私以外の何台もの馬車が、この道が町へ行く正しい道だと思って、私の車のわだちに沿って進み、道を誤ってしまうことになるだろう』と、商人は今後起きるであろう事に胸をいためながら答えた。

この話のように、知にたけた人が過ちを犯すと、多くの無知な人がその後をついていってしまうことになる。

それだけ、人を導く立場にいる者の責任は重いのである。

・・・・・・・

では、具体的に知力をどのようにして磨けばよいのだろうか?

それは、やはり本を読むことである。本を人生の伴侶としなければならない。

読書が学習の中核になるのは、本は独りで読むために、本を読むことを通じて、つねに自分と対話を行い、自省し、自分で考えるからである。ユダヤ商人の能力は所蔵している本の冊数に比例するといわれるほど、本を読まないユダヤ商人なぞ考えることができない。ユダヤ商人なら、全員が本を読む習性を身につけ、自宅には相当な数の本を集めた書庫か書棚をかならず持っている。

もちろん、本といっても良書でなければならない。どのような本が自己創出に役立つものか、良書を選ぶ鋭い眼をもたなければならない。 と、ありました。

生きることは、<己事究明・自己啓発>の旅をしていることなのでしょうね。

猛暑なので、日中は何もする気がおこりません。ただクーラーの下で昼寝をしています。

ご自愛なさって下さい。2010.08.19(金)

<追加>

ヒルティを理解するための一端として、<ヒルティの母と祖母>について、『眠られぬ夜のために』(第一部)岩波文庫 解説より抜粋を載せておきます。

カール・ヒルティは1833年2月28日に、スイスのザンクト・ガルレン州の小市ヴュルヂンベルクで生まれた。父はヨハン・ウルリッヒ・ヒルティであって、教養の高い有めいな医師で、おもに摂生的療法を用いたといわれている。最初はキュール市で開業していたが、のちにヴュルヂンベル・クに移り、1858年4月、カールが25歳の時に世を去った。

母はエリーザベト・カーリアスといって、キュール市の旧家の出で、才能ゆたかな、極めて信心厚い賢夫人であった。<彼女の顔は透明な心の窓のように、そこから彼女のけだかい精神がやわらかに輝き出ていた。彼女の清らかな青い眼は、慈愛と平和とに光っていた>と、ある伝記者は語っている。

ヒルティの神秘的な傾向、高尚な勤勉、純粋な愛、困難に際してのふ屈の精神、快活、質朴、ゆたかな詩才等、彼のすぐれた資質はすべてこの母からの遺伝または感化によると言われている。

ことに彼は幼年時代に母の感化をうけることが多く、最初の6年間が彼の生涯を決定づけたと自ら告白している。しかしふ幸にして彼は14歳の時にこの母を失った。この悲しむベき出来事が、感じやすい少年のカールに深い印象と深刻な内的経験をあたえて、彼の性格の発展に強く影響したことは言うまでもない。彼はまた、母方の祖母からも少なからぬ感化をうけた。

この祖母の夫は、フランス軍の連隊付医であって、そのために彼女は、フランス革命からナポレオンの没落時代まで戦乱の世の辛酸をつぶさに味わってきた実際家的な、立派な人格者であった。 

と、ありました。

★件めい : 日本人とユダヤ人
日時 : 2010年8月22日 17:30

 K 先生

『習えば遠し』から、日本人とユダヤ人を読ませて頂きました。

ユダヤ人が、教育を最重要視し、しかも全人教育に心血を注ぎ、後生に伝えていることが、よく分かります。常に民族や国家がベースにありますね。

今日の曹源寺で、香和中の教え子のM君に会いました。彼と話していると当時のことが蘇ってきました。彼は、今年度岡大医学部博士課程を卒業されるとのことでした。今研究していることは、メンタルヘルスだそうです。

曹源寺を一巡案内しました。その時、SIVA(シバ)さん(元NASAにお勤めの航空力学専門の物理学者)にも逢いました。

縁とは、ふ思議なものですね。

曹源寺の坐禅参加者は、約60~70人です。大雑把に見ますと、その1/3が始めての方、残り1/3が常参の方、残り1/3が入れ替わりの方のようです。始めての方は、若い女性が多いように思われました。

老師は、インドに禅指導に行かれています。

茶礼の席で、警策の受け方について、その作法や、タイミング、効能などについて、お尋ねしました。副住職参の宗彦さんが丁寧に演示してお応え下さり、一同感心しました。

帰りに、先生のお宅のポストに『ユダヤ商法』と<京大グループと海兵>(海兵の秀才たち)を投函しました。

なお、お尋ねのユダヤの聖典『タルムード』は、膨大な資料なので、県立図書館にもないかもしれません。国立図書館には、有ると思われます。

私がコピーしましたのは、数年前にN印刷副社長さんから、お借りした『ユダヤ商法』の一部分<教育>の所からです<

部分的な『タルムード』の翻訳は、多くあるようです。それらの何冊かは、県立図書館にも有ります。

西田哲学の勉強が行きづまると、『臨済録をめぐる断章 自己確立の方法』を読んでいます。その中に、<随処に主と作(な)れば、立処皆な真なり。境来たるも回換(えかん)すること得ず。>と、ありました。<絶対的主体性>即ち<意識以前の自己>に目覚めよと言っています。西田哲学では、<絶対矛盾的自己同一>だと思います。

ここまで書いたとき、先生からのお電話がありました。

お送りしましたコピーは、書めい・著者が載っておれば、先生のHPに載せて頂いても大丈夫と思われます。

激しい夕立が来そうなので、少し心配です。

ご自愛なさって下さい。2010.08.22(日)

★件めい: お茶会と戦争体験
日時 : 2010年8月25日 8:38

 K 先生

暑さも、やっと峠を越え、朝夕は少し凌ぎやすくなりました。

庭のしょく物、キキヨウ、フヨウ、ムクゲ、シュウカイドウ等が花盛りです。

また、カリンやリンゴの果実も大きくなりました。

ご紹介しました<京都哲学グループと海軍の結びつき>がお役に立ちそうでね。

如何に知的に優秀で有っても“時の力”に恃まないと、何事も進みませんね。ヴァレリーの言った通りです。

先日21(土)、竹内先生主催のお茶会にお招きいただきました。その時、感じたことを、お贈りします。

お茶席は、床の間に元大徳寺管長さんの<瀧>の墨跡が、掛けられてあり涼を呼び込み、虫かごに矢筈ススキとキツネのカミソリが活けられ盛夏の時を知らせ、香合のセミの螺鈿に命の儚さ感じさせ、三者がそれぞれに、猛暑にとらわれた私たちに、<いま・ここに>が、大切ですよと訴えているように感じられました。

また、沖縄がイメージされるハイビスカスのお棗や沖縄の海のようなブルーの水差し、そして黒蜜のかかったお団子、さらにはめい産姫百合のお菓子などの心遣いに、かつて訪れた激戦地が、戦争の悲惨さと共に思い出されました。

戦争のことが、お茶会の中にテーマとして、取り入れられたことは、大変ユニークで、すばらしいことです。卓見だと思われます。

  かねがね、公的な行事のみでなく、一般の方々の日常生活の中で、戦争の惨禍が伝わる何かが欲しいと思っていました。例えば、学校行事とか、お盆の行事の中などに盛り込むとか、しかし茶会までは考えが及びませんでした。

先生の戦争体験のHPご発表も、私たちや後生の方にとって、叡智であると思います。

あまりご無理をなさいませんように。2010.08.25(水)

★件めい: 曹源寺報告と自己とは
日時 : 2010年8月30日 9:21

 K 先生

朝夕に、秋の気配を感じます。やっと一息つけそうです。

金光 章氏から『民藝を楽しむ』を、私も頂きました。根柢に仏教・禅がベースになっていますね。

早速、『民藝四十年』柳 宗悦著 岩波文庫を読んでいます。 

今日の曹源寺坐禅会は、約100人の方が参加され、本堂に溢れるようでした。茶礼の席も、60人ぐらいが参加されました。老師が、インドでの坐禅指導から、お帰りになられインドのことについて、いろいろ話されました。そのごく一部を、お伝えします。

インドは、今でも85%近くの方が大変貧しく、差別に翻弄され、日々食べること、生きることが精一杯で、他の余裕がないとのこと、それでいて人々は、純粋無垢であると、日本と比較されてでしょうか、論語の<衣食足りて礼節を知る>は、嘘であることが分かると、言われました。

また、琴の線は、張りすぎても緩みすぎても役立たない。ミツバチは、花を痛めず密を集め、自然に虫媒花としての働きをしている。と、生きて行くには、知恵が必要であるなどを話されました。

曹源寺坐禅会に、多くの方が集まるのは、仏法を求めてでしょうか。         

そうとも言えないように思われます。

現実の生活が、あまりにも経済中心で、他との繋がりが希薄となり、生きることに息苦さを感じておられるのではないでしょうか。曹源寺には、この息苦しさを和らげる何かがあるように思われます。

物事を広く、大らかな気持ちで、感じ、眺め、判断することの大切さを実感します。

<現成公案>の中の鳥・魚と『臨済録』の途中・家舎をお贈りします。

鳥が天空を飛ぶが如く、魚が大海を泳ぐが如し『正法眼蔵』<現成公案>より

魚、水を行くに、ゆけども水のきわなく、鳥、そらをとぶに、とぶといえどもそらのきわなし。しかあれども、魚・鳥、いまだむかしよりみず・そらをはなれず。ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。

かくのごとくして、頭々(ずず)に辺際(へんさい)をつくさずということなく、処々に踏飜(とうほん)せずということなしといえども、鳥、もしそらをいずれば、たちまちに死す、魚、もし水をいずれば、たちまちに死す。以水為命(いすいいみよう)しりぬべし、以空為命(いくういみよう)しりぬべし。以鳥為命(いちよういみよう)あり、以魚為命(いぎよいみよう)あり。以命為鳥(いちよう)なるべし、以命為魚(いぎよ)なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者(じゆしやみようしや)あること、かくのごとし。

『臨済録』<上堂。云く、一人有り、劫を論じて途中に在って家舎を離れず。一人有り、家舎を離れて途中に在らず。那箇か人天の供養を受くべき。便ち下座す。>

この禅語の解釈は、人によりいろいろですが、

次の二例を挙げます。(インターネットより)

その一例:劫とは時間の単位。劫を論ずるとは、時間の中に流れゆくもの、則ちこの世のありさまを言う。途中とは、絶対真実の宇宙である法界に至る途中、則ち様々な差違、差別の在る世界を言う。家舎とは、人々の生活の場を意味しよう。つまり<劫を論じて途中に在って家舎を離れず>とは、世間の中、<十字街頭>に居ることを意味するだろう。一方の<家舎を離れて 途中に在らず>とは、世間を離れ<孤峯頂上>、三昧の境涯に遊ぶことであると思われる。問題になっているのは、見識についてでも活動についてでもない。世間に居るか居ないかである。そして大事なのはそのどちらが優れているかを臨済は問うているのではなく、どちらが人々の感謝に値するか、どちらが他に対して、世界に対して働きを持つか、ということを問題にしていることである。その答えは改めて述べるまでもあるまい。そして説法という他者の為の行為を行う以上、臨済がどちらの側に立つかは明らかであろう。

その二例:途中とは現象の世界であり、家舎とは悟りの境界である。つまり、現象の世界(水平の次元)と悟りの世界(垂直の次元)との両次元に同時に存することが自己に要求されると同時に、これらのいずれの次元にも執着することの否なることが自己に示されている。自己は、一面においては、水平次元と垂直次元との両次元に存すると同時に、他面それらのいずれの次元にも存しない。このような自己の存し方、心のあり方は、混沌即秩序でもあるような創造性としての混沌であり、混沌と秩序とは絶対矛盾的自己同一的に成り立っている。ところで、水平次元と垂直次元とが複雑に交錯している実在の開けを、心身一如としての心が体得するが、この実在の経験には、自己と世界との自己同一の問題が複雑にからみ合っている。と、ありました。

さて、どちらが人天の供養を受くべきなのでしょうか。

まだまだ、厳しい残暑ですので、お身体をお大切になさって下さい。

近いうちに、昼食会をしませんか。2010.08.30(月)

★件めい : <自画像>アインシュタインなど
日時 : 2010年8月31日 11:14

 K 先生

メール、有り難うございました。

『万葉集』の山上憶良、坐について、QPONの様子など、読ませてただき、大変参考になりました。

ただ、貼附書類(nukigaki1.gif)は、うまく開封できませんでした。

昨日は、ここ津高でも、待望の雨が、天地を引き裂くような稲光や大音響の雷鳴を伴って、午後5時半頃から2時間ほど降りました。しかし、あまりの激しさに恐怖を感じました。電気を切って、ただじっと息を潜めていました。近くで、崖くずれが有りました。

かつて、辰濃氏が曹源寺を訪れたとき、氏とは茶礼の席で小方丈の間でお会いし、お話しをお聞きしました。

関連:辰濃和男<坐>

中嶋正子(K先生のHPを読まれ、絶賛されて居られた方)さんのURLを見せていただきました。沢山の美しい花の写真などが載っていました。

  どのような事象でも、外面的なことと内面的なことが、表裏一体として実在していますね。特に、優れた作品には、作者の魂が、意図が、内在していると思われます。しかし、そこには、自然の恩寵があるように思われます。

アインシュタインの<自画像>をお贈りします。

ainstin.bannenniomou.jpg <自画像>(1936年) 『晩年に思う 我が信条』アインシュタイン 講談社文庫

人々は、自らのあり方の意義深いものについては、ほとんど意識することがありません。そして確かにそれは、他の人々にとって迷惑なことでもないのです。一生涯、水の中で泳ぎまわっている魚は、水について何を知っているでしょうか?

苦きもの、そして甘きもの、それは外部よりやってきます。苦しみは、心の中から、自分自身の努力から生まれるのです。たいていの場合、私は自身の性質からしたくてたまらなくなることをしています。それだけのことですのに、多大の尊敬や愛情を身に受けるのは、困ったことだと思います。憎悪の矢が、私に向かって放たれたこともありました。

しかしその矢が、私に刺さったことは一度もありません。というのは、そのような矢は、何か別の世界に属していて、私はそのような世界とは、なんらの関係ももたないからなのです。

そのような孤独の中に、私は住まっています。その孤独は、青年時代には苦痛でもありましょうが、ひとかどの年をとってしまうと、甘美なものでもあるのです。

と、言っています。

夕立一過、やっと、涼しくなりそうです。

明日、1日(水)10:00にお伺いさせて下さい。

  ご自愛なさって下さい。2010.08.31(火)


   読 後 感

<学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからず乎(や)。朋有(ともあ)り遠方より来(きた)る。亦た楽しからず乎。人知(し)らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎。>は、『論語』の冒頭の句です。

<朋有り遠方より来る>は、学問について志を同じくする友達が、遠いところからやって来て、学問について話しあうことでしょう。お互いに会えなくとも、所信を伝える手段として、昔はハガキ・書簡が普通でしたが、現在はメールになるのではないでしょうか。

毎週、メールを交換している方が、今年三月より八月までのものを纏められ製本されました。心より喜ばしくおもいます。

  読まさせていただきました感想を述べます。

先ず<文は人なり>の言葉通りのメールであります。ただの一通たりとも、手を抜いた所がありません。丁寧で内容も平素、修行・読書の内容及びご感想・研究テーマの進捗の様子をお知らせくださり、尊敬している人格の文章です。

morisinzou.syusinkyozyuroku.jpg 次に<成形の功徳>(森 信三先生著『修身教授六録』 P.180)が、言われていますように、一片一片のメールを纏めて製本されましたことは、そこに何とも図り知れない功徳があると私も感じます。そのまま保存していては、よほどなにかがなければ再読することはないでしょう。そのとき探し出すのに手間がかかるのではないでしょうか。しかし製本に<成形>しておけば、いつの日にか何かの形で、その効果が現われてくるものでしょう。

私自身も、纏めたものの原稿を読ませていただき、内容を復習させていただきました。また、内容によって励まされ、心を癒され、これは実行に移したいと思う文章が沢山ありましたことを再体験いたしました。多分、これも<成形の功徳>の一つではないかと思います。

今後も、私からもメール致しますので、今までと、おなじようにご指導をお願いいたします。

補足:これまで『こころの軌跡』『続こころの軌跡』『ランチレター』と三部、自費出版されています。

平成二十二年十月吉日 

Kより


   おわりに

いまだに日々、“ego”に振り回されていますが、平成22年3月~8月迄の半年間の交換(送信)メールを振り返ったとき、蘇東坡の詩<廬山煙雨淅江潮>が思い出されます。

廬山煙雨淅江潮 (廬山は煙雨、淅江は潮) 

未到千般恨ふ消 (未だ到らざれば千般(せんぱん)恨み消えず)

得到達来無別事 (到り得て達し来たれば別事無し)

廬山煙雨淅江潮 (廬山は煙雨、淅江は潮)

蘇東坡のような心境には至りませんが、外面的には、以前と少しも変わっていない自分でありながら、深い処で“ego”の存在に気付かされています。その存在を気付かせる何者かがいます。自分の中に、もう一人の自分を感じます。

参考:廬山煙雨淅江潮

<諸行無常>に、臨済の“真人”の実在を感じています。

また、K先生の日常生活から、“実在は、統一され現実の事象の中に有り、現実の事象は、実在が分化発展して生じた人格的自己の個物である。”ことを学びました。

さらに、先生の強靱な持続力、意志力を通して、長い間、理解出来なかった<存在と認識>を包括する<絶対無の自覚>、<形なき形、声なき声>の<絶対無の実在>である西田哲学の核心部分が、見えてきました。このことは、哲学方面での成果だと思っています。

本冊子の原稿を読み、貴重な修正・ご示唆を与えてくださいましたK先生、Sさんに深くお礼申し上げます。尚、K先生からは、読後感をいただきました。また、Sさんからのメールの一部は、後程、諒承させていただきました。

K先生、Sさんに、厚くお礼申し上げます。

平成二十二年十月吉日              

津高自宅にて M

K先生との交換メール(送信)


   鴨長明『方丈記』の冒頭より

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甊(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住(すま) ひは、世々を經(へ)て盡(つ)きせぬものなれど、これをまことかと尋(ぬ)れば、昔ありし家は稀(まれ)なり。或(あるい)は去年(こぞ)繞(や)けて今年(ことし)作(つく)れり。或は大家(おほいへ)忘びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多(おほ)かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕(ゆう)に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似(た)りける。

ふ知(しらず)、生まれ死(ぬ)る人、何方(いづかた)より来たりて、何方へか去る。またふ知、假(かり)の宿(やど)り、誰が為にか心を惱(なや)まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。 残るといへども朝(あさ)日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

『日本古典文学大系30』方丈記 徒然草 西尾 實 校註 岩波書店より

なぜ、鴨長明が『方丈記』を著述したのか、少し理解出来ました。

当時は、京の街は戦乱につぐ戦乱で焼き払われ、その上に二回もの大震災に合い、疫が流行り、悲惨な状況が続き、人々の心は荒廃しきっていました。街は無数(4~5万人)の死骸から発散する異臭で、満ちていたと記されています。さながら地獄の状況を呈していたと思われます。

そのような中で、仁和寺の隆暁法印和尚は、街に出向き数限りない死人の額に“阿字を書いて、成仏させる縁を結ばせた。とあります。

また、夫婦の間では、その愛情のより深い方が、きっと先に死んでいく。そのわけは自分のからだのことは、二の次にして、まず相手のことを労しく思うので、たまたま手入れた食物をも自分は食べず、相手にゆずって食べさせるからである。・・・・・

長明の父祖は、代々鴨の社の神官であった。長明は、早くから、この社の禰宜(ねぎ)になりたい希望を持っていた。しかし、庇護者の二条天皇の中宮高松女院が亡くなり、つづいて父長継(ながつぐ)を失い、希望は叶えられなっくなった。

後に、和歌の道に精進して、遂に宮廷和歌所の寄人(よりうど)となった。しかし、宮廷での待遇地位は、長明の門地の低い理由からか、重んじられなかった。

その後、鴨神社の禰宜(ねぎ)に欠員があったが、またしても反対に遭い、自らの運命を諦観し、出家した。

尾崎暢殃著『方丈記精釈(全)』( 加藤中道館)から抜粋、参照する

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