自分史



研修所第一期生終業式
大原副社長訓辞


 研修所第一期生終業式 昭和五十九年七月二十六日(木)

 大原副社長訓辞(録音テープより収録原文)

 今日は研修所再開第一回目、初めての卒業式であります。ここに皆様方お集りになって、一緒に卒業されたことに対し心からお祝い申し上げたいと思います。

   一回目の卒業生だということで、私ども非常に深い関心をもちまして今回の研修の成り行きというものをみていたわけでありますが、ここでいま所長の話にありましたように非常に多くの方々の協力を得ながら一日一日研修生の皆さん方が成長していく手ごたえを強く感じとったというふうなことを日々きかされて非常に心強く思っていた次第であります。それが、晴れて今日全員揃って卒業の日をむかえたということにつきましは、皆さま方の一人一人の心の中の喜びはもとより私自身も非常に嬉しいと感じているわけであります。

 丁度、今日一応の区切りとしまして研修の終りを迎えたわけですけれども、さらにこれからもフォローアップがあるわけだし、あるいは人生における勉強というものは研修の期間中、これで終わったわけではない。これから一歩一歩、一つ一つの仕事がすべて勉強であるというつもりで今後も是非精進していただきたいというふうに思います。

 今日、ここで優等賞をおうけになった方々は特に喜びにあふれられることだと思いますけれどもまたこの中にその選考の過程で非常に紙一重といいますかほぼ同じような成績の方が沢山いたんだということを聞いています。

 また今回の研修のプロセスで日々の仕事の中での研修であったということっもありまして、仕事が非常に忙しかった方がおられたということも聞いております。いろんな方がおられますけれどもその中で今回一緒に卒業した仲間が一つの団結をもって今後とも精進して頂ければというふうに考えております。

 たしか韓非子という思想家だったとおもいますけれども「小忠を行うは、即ち大忠の賊なり。」「小利を顧みるは、即ち大利の残(ざん)なり。」と申しています。

 多分、日ごろの生活の中で、小さな忠義といいましょうかゴチョゴチョこまかいゴマスㇼをやっているというようなことは大きな方向をみあやませることになるであろう。あるいは小さな利益を求めすぎるということ例えば人をごまかしても一銭の金をもうけようというふうな行動というのは、より大きな会社の信義といったような大きな利益を失うことになるというふうな意味であろうと思う。

 私たち企業人と日々の勉強というのは小さな忠義をすててもそれにかわるべき大きな忠義とは一体何のことであろうかということを判断する力を養うこと、これが我々企業人の日々の勉強であるというふうに思っています。

 所長の話の中にも、今回の研修というのはただ知識を与えることではなかった。より大きな意義でどうやってより広い知識を得ることができるか、より広い人格を磨くことができるかということをみんなに体得してもらうのが研修の主旨であったというお話がありました。全くその通りだと思います。

 今後ともそういう心構えをもちまして、本当に大きな利とは何のことであろうか。常にそのことを判断できるような自分自身を磨きあげて頂きたい。その末に皆さん方の大成を祈りたいというふうに考えております。

 今日、このめでたい席におきまして我々経営者一同皆さん方と同じように非常に嬉しくこの日を迎えているということを理解いただきますと同時に益々研鑽を積んで大成されることを期待しているということを十分ご理解いだきまして、今後大きく羽ばたいていただきたいというふうに思います。 

 今日は本当におめでとうございました。

※韓非子の言葉は諸橋徹次『中国古典めい言事典』P.404~405による。

※黒崎が原案を少し変更しました。2020.04.20記す。

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