第五話:チェルマットとマンハッタホーン見物
平成4年08月11日火曜日 ★フランス:パリー出発 6:30ホテルからTaxiでリヨン駅へ。4人で1台(パリーに入ったときは2人しか乗せなかったのが疑問になる)。所要時間13分。リヨン駅の入り口に自動販売機3台あったが、スナックだけ。冷却するようなものは見られなかった。 ☆TGV車内 1等車にアフリカ人が3人乗っていた。男性の髪の色が真黒であった。日本人の黒は、彼等に比べれば Brownだ。意味が分かった。 朝食(パンと飲み物程度)は予約すると運んでくれるようだ。2等車は通路の両側が2席だった。パリー~ジュネーブの所要時間3時間32分。 ★ジュネーブからチェルマットへ向かう 自動車の所要時間3時間46分26秒。 途中、レマン湖の景色の良いところで休憩昼食をとる。 Vevey(?)はチャップリンが晩年を過ごした。 ☆テッシュ(Tash)で自動車を駐車 テァッシュ~チェルマット 電車約15分 チェルマット駅からホテルまで、電気自動車が迎えにきていた。 ホテルは Hotel Monte Rosa
参考:ジュネーブ~チェルマット……………電車では232km( 3時間50分)
☆Zermatt 標高1650m 冬のジャンパーを着ても異様でない。日本人が非常に多かった。スーパーで買い物。市価である。(アメリカ、グランドキャニオンでも市価。日本では観光地では値段が高い)。町の通りは歩行者天国だった。 ☆Hotel Monte Rosa チャーチル、C.D.Cunningham(相当に有名な人のようだ) 1,July 1887 宿泊。 我々夫婦の部屋 201室からマッターホンの北面がながめられた。 翌日我々が朝食を取った7時は日本人ばかりだった。彼等は朝早く出発した。どこのホテルもミニバーがある。電子ロックされることもなく、check out 時、申告制。 平成4年08月12日水曜日(17日目) ★マッターホン(『広辞苑』)の景観
4:00 マッターホンを見た。星(明けの明星)も一つ。澄みきった空。
*Wurtzburg での日曜日の教会。Anapolis Navy Academy での Chuch を思い出した。 ★Kleine Matterhorn 3881m 登山 全行程 所要時間:8分 備考:6人乗り
01 Furgg ~ Furi 8分
☆Kleine Matterhorn からの展望 Kleine Matterhorn 3881m から、 Matterhorn 4478m, Rreithorn 4164m, Signal Kuppe 4554m, Ghhba de Rollin 3899m の峰峰。 Kleine Matterhorn で速く動くとしんどい。吐息が白くなる。ここからスキーで下る人が多くいた。氷河も見られた。黒眼鏡が欲しくなる。 Matterhorn の東面は雪がなくて北面に残っていた。Kleine Matterhorn で石を記念に拾って帰った。 ☆ Furi から徒歩下山あれこれ
1.ゴミがほとんどない。所々に“Keep your and our country clean. Thank you. ”と、英語、ドイツ語、フランス語の掲示あり。
★Shopping
マリさん:腕時計 260 Sfr(207$)
★Alpines Museum見物 16:00 ~16:30 入場料: 3 Sfr、説明書:1 Sfr
★マッターホルンを登攀した記録が槙有恒著『わたしの山旅』(岩波新書)1975年3月28日(金)購入。P.143 に記載されていたのでアップしることにした。 マッターホルン 大正十四年八月二十九日一行はグリンデルヴァルㇳを後にしてツェルマットに向かった。ツェルマットには、松方、藤木の諸君が先着していた。ホテルはモンセルヴァンを選び、この地方の登山に取り掛かる予定であるが、ブラヴァンは軍隊勤務演習のため参加できず、代って、クヌーベルとグリンデルヴァルㇳから助手としてルビーが加わった。 八月三十日午後三時、ホテルを発ちマッターホルンに向う。この日はペルペデールヒュッテ(三三〇〇メートル)まで登って泊る。 三十一日午前三時小屋を出で組を分け、直ちにマッターホルンの岩場を上り出す。残月の光を頼りに早朝の登攀は快調であって六時四十分はソルベーヒュッテに着く。この小屋は僅かな岩の棚に建つ避難用のものでベルギー人、ソルベー氏の好意によるものと聞く。この辺りで夜はすっかり明け、急峻な痩尾根も、太い縄が固定してあって登攀を助ける。八時十五分スイス側頂点に立ち雪稜を伝って最高点(四五〇五メートル)のイタリア側の頂上に立った。この日は恰も天長節に当り、互いに握手して祝い合った。風もなく静かな日和であった。頂上での喜びは羊羹であった。太い重いこの羊羹は有吉公使の献じたものであったが、準備のとき松方君は携帯品からわざと取り除かんとした。お人柄の好い秩父宮殿下はまんまんと松方君の計略にお掛りになって、私が持とうといって、頂上まで背負われたものであった。頂上で食べながら松方君の告白に殿下は初めて計られたことを知られ大笑いであった。この日頂上に立った私たちの隊は、殿下の組、松方、松本の組、渡辺の組、藤木の四組で賑やかな一行であった。 下りはイタリアの稜線をとって、コル・ド・リオンより氷河に出た。氷河上を数時間登ってプロイルヨッホ(三三五七メートル)を越えて再びスイスに入り、午後八時シュワルツゼーホテルに到着。ゆっくり夕食をとった後、夜道をツェルマットに下った。宿のホテルに着いたのは十一時であったが、この日は相当の強行であった。 九月一日、細川一行を迎えて休養をとった。 二日、チナルローㇳㇹルン(四二二三メートル)に登るべく午後ツェルマッㇳを発ち山麓のㇳリッㇳホテルに泊る。 ※2020.03.03記す。
平成4年08月13日木曜日(18日目) ★ Matterhorn 朝2:50満月に近い月が山の東側の空にあった。山は教会の尖塔のように聳えていた。6:30起床、出発準備。7:00朝食。食堂は日本人だけだった。8:00ZermattBahnhof へホテルの電気自動車で送っていただく。掃除用の車が掃除をしていた。街路は掃除夫が箒で羊のフンやゴミを掃いていた。7:45~750 教会の鐘が連打された。鐘の音に2種類あり、混声されていた。ジャンパーを着ていたが寒かった。 People Watching していると彼等は腰が曲がっていないで腰骨が立つている。体(骨格)の構造が違うからだろう。 Zermatt ~Tashe 電車に乗る。KULIWAGEN に荷物を載せて電車に乗り込む。 Tashe でParking の KASSAを払う、2日間で 9 Sfr. ★ZURICHへ向かう 1.Tashe ~VISP 30分。峡谷である。教会が集落、街に入ると必ずある。塔に2種類(尖塔とモスクタイプ)ある。 2.VISP~URICHEN 54分。Alpsの山々が眺められる。 3.URICHEN ~NUFENEN (峠)18分 Nutenenpass 。峠の海抜は2478m 。ナポレオンの アルプス越えを想像した。 4.トイレ休憩 10分 5.峠~Airolo(海抜1175m) 24分。下り道。自転車で峠越えをしているものがいた。 オートバイの者も。川は清流であった。土質が違うのだろう。軍隊の車が所々いた。イタリア語圏だそうだ。 6.Airo~トンネル入口 2分。 7.トンネル入口~出口約15Kmだそうだ。90km/h×12分34秒。トンネルの排気が不良80km/hの速度制限。 8.トンネル出口~Zurich Hotel 1時間39分 全行程4時間10分42秒 ★Zurichの HOTEL Waldhaus Room rate Sfr 360 。部屋 No.1888(8階)。ホテルは丘陵にあり、市街と湖が一望できる。市内にChurchが多い。湖にはYacht が15隻くらい浮かんでいた。部屋で日光浴すると汗が出た。ホテルには体重計があった。58Kgだった。air-conditioner は日立製。Kitchenette もある。“If you wish to use the kitchenette,the necessary tableware is in the cupboard.”の掲示あり。 ☆午後3:30ころ、家内とマリさん二人で街に出掛けた。 Mr.Urs(長男の学友)が16:30 ころ来訪。Telephone Call あり。“Tomo is in another room ”と返事すればよいのに、“Tomo is in different room.”と言った。 ☆Dolder-cog-wheel-railway The station is next to the hotel. The cog-wheel-railway runs from 6.30 a.m. every 15 minutes, from 9.00 a.m.to 6.30 p.m. every 10 minutes and again until 11.30 p.m. every 15 minutes. Guests from the Waldhause can use it free of charge with yhe Dolder-Pass. From Romerhof you reach the city by the tram(3,8,15) within 10 minutes. Please keep change(10,20 and 50 cents) ready for the ticket. ☆夕食 Mr.Ursの案内で、彼の友人(長男の下で Postdoc として研究しようとしていた。最終的にはSandozで研究することになった)と我々家族全員で街のレストラン(Zeughanskeller*大衆的チューリヒ料理の大レストラント)に行く。昔は武器の倉庫だった。改装してチューリヒ料理を食べさせている。講堂のように広くて、天井も高く、大勢の人が夕食をとっていた。大衆的値段で6人の合計がわずか 180 Sfrであった。 tramとDolder-cog-wheel-railwayでホテルに帰った。 ★感想 外国の土地に知人がいるとより楽しめる。 1.街の歴史なども教えられるから。 2.安心して余裕をもって見物できる。 3.reasonable price で買い物ができ、土地の名物を食べることができるなど。 4、長男夫婦とのお蔭で見聞できた。 写真をクリックしますと少し大きい画面になります。 Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.
平成二十六年一月九日
|