第二話:ニューヨークからスイスへ


平成4年08月04日火曜日(9日目) スイスへ出発

 欧州旅行出発 NEW YORK~ZURICH(スイス)長男・マリ・女房と。

 アパートからタクシーでJFK空港に行く。韓国籍の男性の運転手。

 JFK        17:20 頃出発
 LONDON 所要時間 5:30 (機内の飛行図から推定)
 PARIS  所要時間 5:50 (機内の飛行図から推定)
 ZURICH 所要時間 6:35 (実測)
 スイス航空、ジャンボー2階の最後部シート3席×2×11列=66人+3人
 機内のTVに飛行経路の軌跡が illustrate されて便利。飛行機の速度、高度、外気温などが説明されていた。
 スイスと New York は時差が6時間。

平成4年08月05日水曜日(10日目)

▼スイスに到着すると直ぐにレンタカー(クーラーはない。クラー付きはレンタル料がばいになる)でハイデルベルク(ドイツ)に向かう。Zurich~ Heidelberg ~ Shaffhausenと約 700㎞走行。  アウトバ*ンの運転で長男、神経性胃炎になる。道路マップと道路標識を便りに運転。

▼Shaffhausenに泊まる

 ドイツとスイスの国境の町である。DBB(Deutchland Bundes Bahn)ドイツ国鉄が入っていた。Bahn Hoff にスナックの自動販売器が1台あった。飲み物用は1台もない。

 スイス・ドイツへの出国入国では declare など無かった。国際関係感覚は環境による。また言語、物流によると感じた。

参考:『スイスを愛した人びと』(岩波新書)によると、アインシュタイがこの町で学校の先生をしていた。

 夜は街のレストラントで食事。食事代は Tax,service が含まれていた。日本式であった。ホテルにはクーラーがない。暖房の設備はある。どこのホテルも同じ。レストランは店先にパラソルを立てた下にテーブルを持ち出して食事している。

 この街の路はは石畳である。注意して見るとチュウインガムがこばりついていた。

▼ホテル

1.ドイツ語、イアリヤ語。英語は少数派。.ホテルは清潔 ミニバー(小さい冷蔵庫)、キッチン(道具まで備え付けていた)が付いていた。
2.窓硝子が観音開きでなくて前後に開く。昭和47年出張のとき、ドイツのホテルで窓硝子が壊れたのかと心配したことを思い出した。
3.商店街(ホテルの正面は国鉄の駅、裏側は商店街)は街灯が建物について、電柱はない。
4.ホテルの窓から星が輝いているのが見えた。
5.朝4時半ころかマクドナルドの前に自動車が来ていた。
6.朝食はセルフサービス方式。
7.老人のグルプー旅行が宿泊していた。

平成4年08月06日木曜日(11日目)

 Shaffhausen での Hotel の食事は、コンチネンタル、Self Service。

 Shaffhausen から LUZERN へ行く

 LUZERN の Bahn Hoffに到着

 便所は有料。SOSの腕章をつけた婦人がパトロールしていた。

 湖は美しく、ゴミが浮かんでいないのに感心。

 Alpine horn を吹いているのが橋(カペル橋)のところで見られた。

*1993.8.18.未明炎上し、大半が焼失した。毎日新聞の記事。

▼LUZERN から Basel に行く。所要時間1時間16分。

 免疫学研究所訪問(Institution for Imunology)

 T先生(長男の友人)が、利根川博士(ノーベル賞受賞)が研究されていた部屋で研究されていた。卒直に思ったのはあまり大きい研究室ではなかった。研究は研究室の大小によらず、研究者の頭脳によるものだなと感じた。

 ライン川のほとりのレストランで食事。川が汚れていない理由を伺ったところ、ライン川の諸国の利害がかかっているからだとのこと。

▼Basel から Bern へ行き、宿泊。

 スイス(長男の友人)から紹介されたレストラントで夕食。冷房設備・扇風機もない暑い食堂

 ホテルもクーラーがなかった。ホテルの外の街路では夏の夜を遅くまで楽しんでいた。

 今年は異常な暑さだそうだ。長男の知人の耳鼻科の女医さんの診療所でも今年はじめてクーラを取り付けた。日本の三菱製だった。

 鐘が時報を告げていた。 写真をクリックしますと少し大きい画面になります。Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.

 

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