ヨーロッパ見聞第八話:ヴュルツブルグ(Würtzburug)への旅行
昭和46年2月21日(日曜日) 私ども出張した3人の一人づつ順番に旅行するとき、切符の手配から、見物などすべてを案内することにした。 ▼私が当日の当番になつた。ヴュルツブルグに行くことになった理由については記録がない。多分、日帰りで、Deutsche Bundesbahn(ドイツ国鉄)に一度は乗ってみたかったのだろう。 ▼フランクフルト6番線より、sonder zuruck fahr nach Würtzburug(日曜日、急行で片道の運賃で往復できる) と、なれないドイツ語で切符をかうことができた。 ▼ヴュルツブルグに到着すると教会におまいりした。正装(Sunday suit)した善男善女が多くおまいりしていた。毎週1回は精神的な休息あるいは神への祈りをすることはよいことだと感じた。 教会堂の空間のは広く、見上げた目にうつるステンドグラス。青色が多く使われて、すき通るような大空の憧れ(Goetheのイタリヤ紀行を思う)。その空間に鳴り渡るパイプオルガンの荘厳な反響は神聖な感情を醸す。感情の世界に誘導してのち、神の摂理を説くということになるのだろう。教会のなかの雰囲気は落ち着いた静寂さに包まれていた。 ▼次に、王宮に行く。6つの部屋を案内された。いずれも豪華絢爛たるものであった。このような部屋の装飾研究をすればヨーロッパの歴史の勉強になるだろう。 昭和末、東大の堀米先生が随筆に書かれているが、また、ヴュルツブルグ付近のことにも触れられている。 庭園も立派だった(同行の山本さんの話ではベルサィユ宮殿の庭もこのようであるとのこと)。日本の庭と違ってどちらかといえば人工的である。自然を取り入れた日本式庭園と対照的である。 ▼次に、マリエンベルク要塞(右手の高台の建物)。少し小高い丘にある古城へと行く。 城に登っているとき、雪交じりの雨となる。傘をさす人は少なくて、あせらずに散歩している。部屋に入れば衣類は完全に乾く。かなり高温であるため。 城ではアメリカ人夫婦と娘のさんと同行することになり。ご主人は沖縄で戦ったとのことである。 ガイドの説明を聴きながら城内をめぐる。ガイドはキーの束を持っていて、部屋に入るときいちいち、このキ-を使用する。私は煩わしいことをするものだなと思った。 城からの眺めは、ライン河がみぞれの降る中を静かに流れており、そこにかかっている橋の眺めは絶景であった おかの傾斜には葡萄の樹が整然と椊えられ、これが欧州独特の立派なワインになるのである。 ▼見物が終わり、駅前のベンチにすわっていると、老婦人が、Ich ケールと言って握手を求められた。わからないので黙っていると<お前もケルト人か?>と言っていたらしい。 ▼フランクフルトに帰り、亜州館(中華料理店ーしばしば食事をした)で夕食を食べる。私の当番を大過なく終わり、楽しい一日だった。
参考:外国旅行されている方は,よくご存じだと思いますがロマンティック街道について紹介します。 ‾ ロマンティック街道(ロマンティックかいどう、独: Romantische Straße、ロマンチック街道とも)は、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道ルートである。 ドイツでは、<観光街道>(ドイツ語表記では、Ferienstraße - 休暇街道。ドイツでは150以上のこうした観光コースが指定されている)として指定されているものの一つ。ここでの街道とは、そのような1本の道があるというのではなく、ほぼ直線状に連なったドイツの観光めい所を地図の上でつなげ、続けて観光するのに便利なように案内した順路のようなものである。ロマンティック街道は街道沿いに点在する中世都市(ローテンブルク、ディンケルスビュールなど)や美しい城(ノイシュヴァンシュタイン城、ハールベルク城など)、宗教建築(ヴィュルツブルクの大司教館やヴィースの教会など)、工芸品(クレクリンゲのマリア昇天の祭壇など)が点在し、フランケン・ワインやドナウ川のます料理など観光資源が豊富なルートで、最も人気の高い観光街道の一つである。ロマンティック街道はローテンブルクでやはり人気の観光街道古城街道と交差する。 移動には自転車、バス、マイカーなど多くの異なる可能性がこのルートにはあるが、町々を観光する時間を取りながら運転される定期観光バスも運行されている。一方、鉄道での移動はあまり便利ではない。 |