ヨーロッパ見聞第九話:オランダへの旅
46年2月28日(日) ドイツでの仕事の目的が終わり、オランダの会社に行くため、デュセルドルフ(Dösseldoruf)→デンハーグ(Den Haag:国際裁判所がある)へまず立ち寄る。ヨロッパ急行で行く。180Km/2hr. ▼国境でパスポートの検査があった。ドイツからオランダへ入国のため。(当時はEUが確立していなかった)。ヨロッパは多くの国々がひしめいていることを実感。 電車からの沿線の風景は放牧場と農場でよくひらけていた。丘らしいものはまったく見られない。 ▼オランダに入ると小川・池があふれるばかりである。土地が低いためであろう。線路は土盛りして2m位の高いところを走っていた。この沿線ではオランダで有めいな風車はほとんど見られず1~2回しか見られなかった。車窓から見える家は窓が大きく窓のところに花が沢山見られ清潔にしている様子であった。
ホテルに投宿。ホテルの前には花壇があり、初夏には美しく咲きそろうことであろう。 ホテルから見る景色は煉瓦造りの家がびっしりと並んでいる。窓は比較的大きなものである。モルタルも少ない。山のない国であるため石もほとんど使われていない。 ▼街を歩くと、オランダのご婦人・娘たちがオランダ独特の木履をはいいていて異国情緒のひとこまをかいまみた。 石ころが転がっているのも見られない。Nederlan のな前が示す通りの低地ある。 私の感じでは、オランダ人は何となく日本人にたいして冷淡である。第二次大戦の影響が残っているのではなかろうかと思う。 46年3月02日(火) チュイック(cuijk)にあるチコッピ(CHICOPEE:上織布の製造会社)訪問。1971(昭和46)年米国ジョンソン・アンド・ジョンソン社と共同出資により上織布生産会社<クラレチコピー>設立(1987年吸収合併): 現在、クラレ岡山工場の一部にある) 訪問して工場に入る前に秘密保持の書面にサインさせられた。 まず、オランダを紹介した写真の本をいただいた。工場見学が終わり、工場をを出るときとき、訪問記念のサイン帖に日本字でサイン。 昼食にレストランに案内された。池にのぞんだ木立に囲まれた美しところであった。 その後、最寄りの駅まで送っていただいた。駅には、インドネシア人の娘が多く見られた。オランダ領時代につれてこられたものとのことであった。(またもや第二次大戦を思う)。 そこから、西ドイツのハノーバに行く。車中、ドイツ生まれのお婆さんが娘に逢いにゆかれている方と同席した。彼女もパスポートの検査を受けていた。 ▼オランダの滞在はわずかであったが、ライン河の最下流にあり、国造りの努力が推察でき、第二次戦争の影響が戦後26年も経過しているのに残っていることを知ったのは、当時の私にはショックであった。この国に旅をしたのは勉強になった。
平成二十五年十月十三日
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