ヨーロッパ見聞第十話:英国への旅とパリ見物

  46年3月4日(木)

  オランダから英国の会社(当時:ICI)を訪問するために、英国のLeedsへ飛ぶ。予約していたのでICIの車が迎えに来てくれていて、当日の宿泊のホテルにピックアップしていただいた。

  ICIはの周囲には緑の牧草であろうか、緑の景色が溢れていた。

  会社の訪問を終えて、街の食堂で昼食をとる。支払いをしようとすると、年配のウエイトレスにお金を渡すと困ってしまい、レストランのマスターが出てきて計算。

  当日は、46年3月4日であったが、英国ではデシマール作戦中で、10進歩に切り替え最中で、年配になってお金の計算がのみこめないものは子供に聞きなさいと、学校で教えているからと指導していた。

参考:インペリアル・ケミカル・インダストリーズ(Imperial Chemical Industries, 略称:ICI)はイギリス・ロンドンのマンチェスター・スクエア (Manchester Square) に本部を置く世界有数の化学企業グループ。塗料から食品やポリマー、電子部品、香料や食品添加物などの機能性製品まで、幅広い商品群を製造販売している。従業員は約32,000人。2008年1月2日にオランダの化学メーカー、アクゾ・ノーベルの傘下へ入った。

  Leed からロンドン空港に到着。ホテルまで有めいな黒い箱型のタクシにのる。

  46年3月5日(金)

  午前中、ハイドパーク→バッキンガム宮殿→ウエストミンスター寺院→議事堂(テームス河の橋の上より眺望)→ロンドン塔と見物。

1、ハイドパークでは馬に乗って走っているのを見たのが印象的であった。

2、バッキンガム宮殿ではエリザベス女王がいらっしゃることを示すユニオンジャックの旗がはためいていた。

3、ウエストミンスター寺院を見学した際、歴史の重みを感ずると同時に西洋史の勉強には現地で学ばなければならないと痛感した。

▼午後、スミス・アンド・ネフューの Mr.Rodney Knigtn にお会いした。

 この人から受けた印象:この人が紳士の国の紳士ではないかと思った。丁寧な応対、英語もKings Englishであった。

 スミス・アンド・ネフューの建物(本社?)も、装飾品類も歴史を感じさせられ、Knight の称号が通用する英国。このような点から依然として王政・階級制度がのこる古き国を思わせるに充分な材料にことかかない。

参考:スミス・アンド・ネフューは、1856年イギリスで創業以来150年の歴史を持っています。 そして現在では、ヘルスケアのいくつもの領域におけるリーダーとして活動しています。 これは単に企業の伝統と信用を守ってきただけではなく、常に時代の要請を見据えて 自らの変革を成し遂げてきた証でもあると考えております。今後ますます進むと 考えられる高齢化社会へ対応していくためにも、私たちに求められる責務は重大です。 医療に従事される方々をサポートするための新しい技術の提供、患者様のQOLの向上、 医療コストの削減など、これらの目標に向かって、新しい技術の研究と開発に取り組み続ける私たちの変革と挑戦は今後も続きます。(インターネットより)

▼スミス・アンド・ネフューとのお話が終わり、宮殿、大英博物館でロゼッター石をはじめ多くの展示物を見学。

▼トラファルガル広場のネルソン提督の像を見物。彼の像はバッキンガム宮殿の方向に向いて建っている。忠誠心の表象かとも思った。

▼京都御所に向いてひざまずき頭をさげている高山彦九郎の像を思い出した(今もあるかは確認していない)。

  この長いヨーロッパ出帳中、お世話になった栗原君と別れた。ありがとうございました。

  46年3月6日(土)

  British Europe Airline(BEA)でロンドンからパリのオルリ空港に着く。

  パリ市内へ向かうためタクシにのる。日本の中型車程度である。3人が乗ったのであるが、運転手の助手台にはのせようとはしない。お国柄か?

  ホテルのチェツクインを済ませて、市内見物に出かけた。凱旋門、ルーブル美術館を見て、ホテルまで歩いて帰った。

  残雪があり、夕日に映えて美しかった。 ああ、パリにきたのだ!

▼夜、19時よりホテルで夕食をとる。ヨーロッパ最後の夜。

  本場でのフランス料理で美味であった。最後にデザートとしてチーズをコック長らしき人が持ってきた。大皿に7~8種類あったが、私は、少しずつ切ってもらって賞味。美味。最後に、gut!というと、うれしそうなしぐさをされた。料理する人への気持ちが伝わったようで私までうれしくなった。

  私たちは、日本でも積極的に“おいしかったですよ!”といったらよいのではないか。

  46年3月7日(日)

  エッフェル塔、ノートルダム寺院見物。寺院の横を流れるセーヌ河畔は写真でみたように美しかった。朝9:00頃、凱旋門えの道は寒くて人通りはあまりなかった。雪が残り、その景色はめったに会えないだろうと。

  オルリ空港:13:30(現地時間)発、日航機で帰国の途につく。

▼パリ→モスクワ→東京の経路。モスクワではパセンジャーの待合室に入るときに数をかぞえるのに10人ずつでストップさせ、兵隊まで(警察官かもしれない?)立ち会う能率の悪いことおびただしい。

  売り子が計算機を使用して7.08$のもの3個を計算するのに間違って他の売り子に聞いたりする程度であった。暗算できると思い、私が計算して彼女に話そうとしたがロシヤ語ができないので時間切れになる。

▼日航機内で“ざるそば”“幕の内”が食事に出たので、ホットした。日航のスチュワデスの能率が良く、愛想がよいことは、ルフトファンザ、スイス航空、ノース・イーストエアー(英国)と比較してはるかに良いと感じた。

▼東京空港による。空港の食堂では、みなさんオーバーコートを着たまま忙しそうに食事をしている。ヨーロッパの食事風景にくらべてお粗末とかんじた。そのうち、日本の生活に戻るだろう。慣れてきてふ思議に思わないようようになるであろう……。

  東京~岡山は全日空で一人で帰る。約2時間で帰岡。疲れがでたのか、うつらうつらとして初めての日本の上空を飛ぶのだから、よく見ようと思ってもいつの間にか眠っていた。

 岡山空港では、妻と長男が迎えに来ていた。

 長い外国旅行であった。日本を振り返る絶好のチャンスを与えられた会社やみなさんに感謝!

 英国での写真のみですがご覧ください。
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平成二十五年十月三十日

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