現役時代、勤務先で教育の担当であったとき、〔自分史〕の作成を指導したことがあります。その時の研修生に書かせ、丸善で簡易製本して、本人に持たせた。その本の序文は私がかきました。以下にその内容を記載しましたので、私の指導法をご理解いただけるのではないかと思います。 序にかえて 無二の本 これこそ、この一冊の自分史にふさわし吊称である。
この本ができあがったいきさつを述べる。
一、はじめての長文を書く。 二、報告書を書く苦手意識をへす。
三、整理力をつける。
五、長文が書けたという達成感を味わう。 六、過去をふりかえる。 七、現在を考える。 八、将来の歩み方を考える。 九、家族のためになる。 ▼書き上げた要領は、期間中の六カ月をきめて、毎月、原稿用紙四百字詰縦書、八枚を目標にして、通算四十八枚以上をノルマとした。毎月の原稿を黒崎が読んで文章の作り方で気のついた点を添削することにした。内容には手をつけず、口外しないことにした。 執筆にあたっては、生まれてから現在までの自分の歴史を全体的にとらえて計画を立ててから書くように指導した。書き上げた自分史が一冊の本の体裁を整えるために、「まえがき」「目次」「あとがき」も各人が書き、原稿を清書して製本することにした。ワープロで仕上げた者もいたが自筆の自分史といえる。 ▼五十五めいの研修生の執筆進行状況は以下のとおりであった。
月 度 平均枚数 最高枚数 最低枚数(枚数はいずれも四百字詰原稿用紙)
月度の八枚目標は平均的には達成しており、第五月まで同じペースで書きすすんだが、最終月度は十一枚にもなっている。通算四十八枚以上のノルマは全員でまもっている。最高八十枚であった。 ▼自分史を書きながら、研修生がどんなことを感じ何を考えたかを全員の「あとがき《を読んでまとめると 自分をふりかえり、みつめている。第三者的に自分を見直したというものと心に残る思い出が多いと感ずるものがいた。理性的な見方と、どちらかといいえば情緒的なものに大別できるようである。自分自身がどんなものであるかを発見したり、自分の成長過程がみえたようである。自分の過程の中に、多くの出会いがあり、節目があり、そのつど影響を受け、考え方も変わっているのに気づいている。また、野球、バレ一ボール、卓球などのスポーツとのつながりの深さを改めて知り、青春時代にハイライトをあてている。しかし、ふりかえると、記憶がいいかげんでたよりないものであると感じているようである。子供時代についてはご両親に聞いたり、学校時代は写真アルバム、記念品などをてがかりにして思い出そうとしている。 過去をふりかえり、現在を考えると、自分の未熟さを通感し、欠けているものがはっきりつかめ、性格が明らかになった。この本は恥の集大成でもあると書く者もいた。これらの謙虚な反省が、自分一人では生きられないものであり、多くの人に支えられ、お世話になっている、自分が今日あるのも家族のおかげであると考えるまでにいたっている。なかには、親の願い、姿のありがたさに感謝しつつも内観にはついに到達しなかったと書いている者もいた。 回顧のみにおわらず将来への願望へと展開している。反省材料を積極的に生かしたい、今後の生き方の道しるべがえられた。そのあらわれとして、まだまだやれる勇気が沸いてきたと感じている。一度しかない人生、充実して生きたいとの願いをひれきしている。 書くことそのもではどうであったか。第一回目を書く前は、多くの者は四十八枚のノルマは達成できるだろうかと、心配をした。かきはじめには自分は長文は書けないとの先入観により、書きつづること自体に抵抗感が内在していたものもいたようである。しかし、回を追って書くのが楽しみになり、回想にふけることもあったと余裕を持つようになった者もいる。添削をした私も、全般的に筆の運びが徐々に滑らかになっているのが読みとれた。研修所に入所当初は三枚の原稿用紙のますをうめるのも苦労したが、最終的には、はじめて長文を書き、文章を書く自信にたどりついている。書いてみると、自分のことを書くのはむつかしいと感ずるものがいた。自分をかくすことが多かったあるいはさらけ出すことができなかったと心境をのべている者、また反面、心を開いて書いた、正直に書いたとしるしている。 ▼書きおえての所感は次のようであった。 作家や著めい人の自伝はあるが、我々のようなものに自分史ができた。自分の生存の事実だけは自分史で残せた。最も読んでもらいたい人は父である。我が子が大きくなったら読ませたい。大きなものを達成して安らぎ、うれしさを味わっている。自分史の第二部、続編、書きたしたい。自分史の執筆を知人にすすめたい。 ▼指導した私の考え 自分史は「我と汝」の関係史である。我は自分であり、汝は両親・祖父母・兄弟姉妹・子供・恩師・尊敬する人・親友・学友である。スポーツ活動での熱中、趣味として活動は人とのかかわりのないようもののように考えられるものでも、人間学と具体的な人との結びつきがあり、意識の有無にかかわらず汝がその中にいる。 我と汝とのこころの交流が、汝の恩を知り、感謝し、さらに報恩へと高められる。 知恩、謝恩、報恩の六字を思いました。 ▼同期生のあとがき要約 (割愛)
昭和六十二年三月
黒崎 昭二
平成二十三年十一月二十四日
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