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研修所再開
REOPEN OF KENSHUSHO


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 昭和五十八年、勤めていた会社で中期計画の策定作業が行われていました。その基本方針の一つとして<組織集団の活性化>が取り上げら、社内の研修所が再開されることになりました。

▼従来の研修所は昭和三十五年八月に第一期生の教育をはじめました。当時の社会的客観情勢は、より高度の技術的基礎知識を有する中堅技術者の養成を要求されていました。従って短期大学程度の基礎および専門学科の習得を目的として、化学科、機械科を設置した全寮制で発足。四十九年十二月まで事務講習所をあわせて八期まで継続されていました。それ以降、諸般の事情のもとに閉鎖。

▼再開にあたり、私はその担当を命じられました。準備にあたり、会社の幹部から   

 <手作りの研修所>をつくるようにと言われました。関係者一同はこの線に従って準備を行いました。

▼会社並びに関連会社の職務の幅の広さから考えると、再開する研修所は手作りの味のある、基本的にものを考える社員がそだつものにしたいと考えました。

過去八期までの教育目的、カリキュラム、教育方法、諸種の環境について、企業内 教育の一つである研修所のあり方を総合的に検討した結果、第一線のリーダーに必要な知識を付与するとともに、それにふさわしい考え方と行動力を目的とする新研修所として発足することにいたしました。

 教育目的、方法、内容は従来のそれと比較すると大幅に異なるものにしました。通信教育を主体として、巡回指導、スクーリングを組み合わせて実施すると同時に、通信期間中はマン・ツウ・マンによるアドバイザー制度を作り、研修生の属する職場の人にお願いして、研修効果の向上をはかるシステムすなわち職場~研修生~研修所の三位一体で、教育に当たるようにしました。また、技術科と事務科と同時に研修することにして、生産・販売・技術一体の会社の組織と関連を考えたものしました。このような教育環境が出来ましても、研修生は<自学自得無息>の心構えを持つことがもっとも肝要であることはいうまでもありません。

 中国の宋時代の儒学者である朱子の著した近思録に<学者は自得することを要す>という言葉があります。私はこの<学者>を<学ぶ者>と言い替えて<学ぶものは自得することを要す>と考えます。即ち<学ぶ者は、自学、自得して息む無し>の心構えと、体得したことを実行すれば自ずと<日々新たな人>となることは間違いないと信じていました。

 職場での勉学、通信による勉学、スクーリングによる勉学でこの精神を心に刻み込むことに期待をかけました。

 次にスクーリングは、各事業所からの研修生は、短期間であるが、同じ寮で生活し、同じ釜の飯をたべ、その間、研修生たちの交流と同時に先輩である講師のみなさんも輪番制で寝泊りして話し合い、相互啓発すると同時に、社訓の<同心協力>の精神を涵養するように努めました。

 研修生のみなさんに、入所早々にして<好きなことば>を一つだけ書いてもらいました。一番多かったのが<努力>。二位が<誠実>、三位が<おもいやり>、<忍耐>、<上言実行>でした。好きなことばを大事にしてがんばってくれることに期待しました。

▼以上のような新研修所の準備中、また研修期間、私は手作りの研修所の任務を遂行するために、研修内容を充実しようと絶えず考えつづけました。その具体的方法の一つとして立派な教育をされた先生を訪問して、教えをうかがいました。そして社内報(クラレタイムス)にその内容を投稿したものが下記の参考1と2の二つの記事です。社内のひとから参考になった、書き続けなさいとの励ましをいただいたこともありました。

参考1:基督独立学園を訪ねて
参考2:越川春樹先生を訪ねて
参考3:森 信三先生
*:研修所再開当時、森先生に出会わせていただいた経緯をのべています。<逢うべき人には必ず会える>と先生は言われていますが、その先生と寺田さん、辻さんとの出会いを述べています。



 研修所第一期生入所式あいさつ 五十八年十二月

 昭和25年に入社したクラレの最後の勤めは、クラレの全工場(クラレの関連会社の一部を含む)の中堅社員の教育のために再開された研修所の所長としての勤務であった。

 昭和五十七年、入社した時に勤務した岡山工場に2回目、ビニロン部長の職にあった。

 昭和五十八年(入社以来三十四年目)に研修所長(六月十三日付)に任命された。研修所再開の話を聞いたこともなければ、その担当所長になることは思いもしなかった。

 研修所第一期生 研修開始 十二月二日、入所式を迎えるまでわずか五カ月少しであった。

 その間に専任講師たちと、教育内容の検討、アドバイザー制度、AIAの導入(研修所再開前に私自身が受講した)、スクーリング期間中の昼食会食(研修生と講師全員で研修所において)、草取り、工場見学、ビデオ通信、ハガキ通信、講師工場巡回、一分間スピーチ訓練、日誌の継続と講師アドバイザー点検。読書・作文指導などと研修生受け入れ準備をした。当日の挨拶を以下に述べる。

 研修生のみなさん、おめでとうございます。

 本日は、大原副社長をはじめとする会社の幹部の方々、組合からは越智中央執行委員長並びに幹部の方々が、本当に御多忙中にもかかはりませず、新制度による研修所第一期生の入所式に御参列頂きました。これは、ひとえに研修生の皆さんの将来への期待の御気持の表れと私は思っています。

 現在中期計画が策定作業されていますが、その基本方針の一つとして<組織集団の活性化>が取り上げられています。その一環として研修所が再開されることになりました。

 再開の準備にあたりまして、平田総務労務本部長より<手造りの研修所をつくるよう>にと言われました。関係者一同、この線に従って努力して入所式を迎えることが出来ました。

 勉学、教育には<これこそ>がきめ手であると自信を持って言へるものがあるでしょうか。かりにあるとすれば、教える者、教えられる者の<熱意>のぶっかりあいではないかと私は考えます。

 クラレ並びに関連会社の職務の幅の広さから考えると、これから始めようとする研修所の教育で必ずしも充分でない点もあるかも知れませんが、手造りの味のある、基本的にものを考える社員にそだてる研修所にしてゆきたいと望んでいます。

 ここで、クラレの研修所について、ふりかえって見ます。従来の研修所は三十五年の八月に第一期生の教育がはじまりました。当時の社会的客観情勢は、より高度の技術的基礎知識を有する中堅技術者の養成を要求されていました。従って短期大学程度の基礎および専門知識を習得して、将来技術革新下の企業の発展に役立ちうる中堅技術者を育成することを目的として、化学科、機械科を設置して発足しました。四十九年十二月まで事務講習所をあわせて八期まで五百四十六人が卒業されて夫々の職場で立派に活躍されています。それ以降、諸般の事情のもとに閉鎖されてきました。

 過去八期までの研修所の教育目的、カリキュラム、教育方法、諸種の環境について、クラレの企業内教育の一つである研修所のあり方を総合的に検討した結果、第一線のリーダーに必要な知識を付与するとともに、それにふさわしい考え方と行動力とを養うことを目的とする研修所として発足することになりました。今回再開された研修所の教育目的、方法、内容は従来のそれと比較すると大幅に異なっています。通信教育を主体として、巡回指導、スクーリングを組み合わせて実施すると同時に、通信期間中はマン・トウ・マンによるアドバイザー制度を作り、研修生に関連する職場の人に、この役をお願い致しまして、研修効果の向上をはかるシステムにしています。職場~研修生~研修所の三位一体で、みなさんの研修に当たることになっています。また、技術科と事務科とが同時に研修することになっています。生・販・技一体の会社の組織と関連して考えますと、これも意義があるのではないかと考えます。

 然し乍ら、この様な教育環境が出来ましても、研修生は<自学自得無息>の心構えを持って頂きたいと思います。

 中国の宋時代の儒学者である朱子の著した、近思録に<学者は自得することを要す>という言葉があります。私はこの<学者>を<学ぶ者>と言い替えて<学ぶ者は自得することを要す>と考えます。即ち<学ぶ者は自学、自得して息む無し>の心構えと、体得したことを実行すれば自づと<日々新たな人>となることは間違いないと信じています。

 職場での勉学、通信による勉学、スクーリングによる勉学で、この精神を心の中によく刻みこんで下さい。

 次にスクーリングについて一言のべます。各事業所からの研修生は、お互いに同じ釜の飯をたべ、同じ寮で生活し、その間、先輩である講師のみなさんとも接触します。相互啓発すると同時に、社訓の<同心協力>の精神を涵養して下さい。この生活は将来きっと、みなさんの精神的なささえの一つになると確信しています。

 研修生のみなさんに、早々にして<好きなことば>を一つだけ書いてもらいました。一番多かったのが<努力>でありました。二位が<誠実>三位が<おもいやり>、<忍耐>、<ふ言実行>でした。みなさんの好きなことばを大事にして頑張って下さい。

 最後に、健康には充分留意して会社をあげての期待に十二分にこたえる様、研修期間中に得たものを一つのバネとして、クラレの発展のために努力されることを希望して入所式のあいさつとします。

保存していた記事を平成二十八年八月十六日にかき写す。


追記

 研修所第一期生:入所昭和五十八年十二月~修業昭和五十九年七月。フォローアップ教育:修業後六ヵ月。
 研修所第二期生:入所昭和五十九年九月~修業昭和六十年六月。フォローアップ教育:修業後六ヵ月。
 研修所第三期生:入所昭和六十年九月~修業昭和六十二年二月二十七日。フォローアップ教育:修業後六ヵ月。

 三期生修業に近い後期スクーリングで、二月十三日:寺田清一様が研修所にて<わが子の人間教育は両親の責任>について講演。

*金谷卓治(かなたに・たくじ)様同行、自費出版『小さな旅のつれづれに━わが道縁の記━』を頂いた。その中に<クラレ研修所>取材の旅*倉敷そして岡山ーのきじがある。以下のとおりである。

 企業内の<立腰教育>の取材として、寺田さんは<クラレ研修所>を選ばれたのです。それは研修所の黒崎昭二所長がかねてより森先生のお教えに傾倒され、独特の創意をもって社内研修に<立腰教育>や、<通信教育>をとり入れられ企業内教育の範を示しておられたからでしょう。

 さすが倉敷におけるめい門、クラレの社員教育は創業者の大原孫三郎氏の精神に則るもので、その伝統の質実さに感銘させられました。

 選ばれた若き研修生五十五人、地味なユニホームに姿勢を正し、寺田さんの講演に聞き入っておりました。

 題して<人生必ず活路ある!>。窓外の寒気をよせつけない、寺田さんの熱い思いが部屋中に満ち、話はご身辺のことから師教や道友に及ぶその真実は、お人柄と相まって聞く者の心を把えるものがありました。

 わたし共の大先達の小野正典先生も来訪され、寺田さんの講演をじっと見守っておられました。

 黒崎所長のご考案による、独特の立腰指導の実際をビデオに収めることが出来たのは今回の大きな収穫でした。

 さて、クラレ研修所の撮影を無事了えて当日夜、小野先生宅で倉敷読書会を開いて下さいました。

 十人ほどのご参加者の温かい味のある雰囲気は、その土地柄に根ざすものであり、又小野先生の培われたものでありましょう。

 全国各地にわたり<読書会>の広がりゆく今、それぞれの特色を発揮する集いは、実に意義深いことと再確認した次第でした。

 同夜は、黒崎氏のご芳情により、かねてより森先生ご推奨の憧れのホテル<アイビースクェア>に宿泊でき、翌日は、寺田さんのご案内で、倉敷美術館、岡山・後楽園、竹久夢二記念館など観賞のおまけつきの旅で、実に私にとって味わい深いものでした。

 第三期生終業式2.27.行う。

 クラレ退社の翌日の四月一日から岡山理大付属高校に勤務しました……。

★寺田清一氏ご感想 昭和62年2月24日クラレ研修所に送られてきた受信ハガキより。

 講演致しました研修生は皆さん選ばれた人材であり日ごろご薫陶よろしきを得て、態度抜群です。

 おそらくクラレ方式の研修は天下第一等の研修方式であろうと拝察します。

平成二十九年二月二十五日


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