☆森 信三『一日一語』 |
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1月 |
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めぐりあい
めぐりあいの ふしぎに てをあわせよう 真 民 |
![]() 一月一日 「人生二度なし」 これ人生における最大最深の真理なり。 人間が一たん決心した以上、必ずやり抜く人間になるには、「一バン根本の心がけとしては、結局「つねに腰骨を立てている人間」になる以外にはないと思います。 太字は、寺 田 一 清『森 信三先生 一語一会』による。以下同じように毎日記録します。 2012.1.01 一月二日 つねに腰骨をシャンと立てること―― これ人間に性根の入る極秘伝なり。
人間として一ばん大事なことは何かというと、
2012.1.02 一月三日 天下第一等の師につきてこそ 人間も真に生甲斐ありというべし。 求道としは、この二度とない人生を如何に生きるか一一という根本問題と取り組んでつねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。 2009.1.03 一月四日 逆境は 神の恩寵的試練なり。 「天地始終なく人生生死あり」一一頼山陽十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかがわれわれの問題です。 2009.1.04 一月五日 絶対不可避なる事は絶対必然にして これ「天意」と心得べし。
「人間としての軌道」について
2009.1.05 一月六日
一日不読 一食不喰。書物は人間の心の養分。読書は一面からは心の 一月七日 求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか――という根本問題と取り組んで、つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。 2009.1.07 一月八日 これの世の再び無しといふことを命に透 り知る人すくな これの世に幽けきいのち賜びたまひし大きみいのちをつね仰ぐなり 2009.1.08 一月九日 「天地始終なく人生生死あり」――これは頼山陽の十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが我われの問題です。 2009.1.09 一月十日 幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。自己の為すべきことを人に対し、天からこの世において与えられるものである。 2009.1.10 一切の悩みは比較より生じる。 人は比較を絶した世界へ躍入するとき、始めて真に卓立し、所謂「天上天下唯我独尊」の境に立つ。 2009.1.11 悟ったと思う瞬間、即刻迷いに堕す。 自分はつねに迷い通しの身と知るとき、そのまま悟りに与かるなり。 2009.1.12 すべて手持ちのものを最善に生かすことが、人間的叡智の出発といえる。教育ももとより例外でない。 2009.1.13 「行って余力あらば以って文を学ぶ」(論語)つまり学問が人生の第一義ではなくて、生きることが第一義である。 2009.1.14 人間は一生のうち、何処かで一度は徹底して「名利の念」を断ち切る修業をさせられるが良い。 参考:成人の日であったが2000年から1月の第二月曜日になった。 2009.1.15 信 |
2月 |
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念ずれば花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころから となえる ようになった そして そのたび わたしの花が ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいて いった 真 民 |
二月一日 「人生二度なし」―この根本認識に徹するところ、そこにはじめて叡智は脚下の現実を照らしそめると云ってよい。 二月二日 世の中はすべて「受持ち」なりと知るべし。
「受持ち」とは分 二月三日
畏友と呼びうる友をもつことは、人生の至楽 二月四日 生身の師をもつことが、求道の真の出発点。 二月五日 苦しみや悲しみの多い人が、自分は神に愛されていると分かった時、すでに本格的に人生の軌道に乗ったものといってよい。 二月六日 自分に対して、心から理解しわかってくれる人が数人あれば、一応この世の至楽というにあたいしよう。 二月七日 金の苦労によって人間は鍛えられる。 二月八日 人間は腰骨を立てることによって自己分裂を防ぎうる。 二月九日 悟りとは、他を羨まぬ心的境涯ともいえとう。 二月十日 名・利というものは如何に虚しいものか。しかも人間はこの肉の体の存するかぎりは不可能と言ってよい。 今日は建国記念日。これについては反対の説もあるようであるが、米国などのように、歴史の浅い国では実証的建国資料もあるが、我が国のように長い歴史をもつ国ではそれは不可能である。 そこで立場は二つ。科学的に正確な資料がないから放って置くか、それとも、民族の伝承に従って慶祝するかという二種の立場があるが、私は後者の立場に賛したい。 物事は一おう八〇点級の出来映えでよいから、絶対に期限に遅れないこと。これ世に処する一大要訣と知るべし。 「家計簿」をつけるということは、妻たり主婦たるものの第一の絶対的義務。 一切の人間関係のうち夫婦ほど、たがいに我慢の必要な間柄はないと云ってよい。 信とは、いかに苦しい境遇でも、これで己の業が果たせるゆえんだと、甘受できる心的態度をいう。 観念だけでは、心と躰の真の統一は不可能である。されば身・心の真の統一は、肉体に座を持つことによって初めて可能である。 ぺスタロッチー
人類の夕暮れを歎く一人の隠者のこころだれか知るりけむ
二月十八日 人間として最も意義ふかい生活は、各自がそれぞれ分に応じて報恩と奉仕の生活に入ることによって開かれる。 手紙の返事はその場で片づけるが賢明。丁寧に――と考えて遅れるより、むしろ拙速を可とせむ。 二月二十日 偉れた先賢に学ぶということは、結局それれらの人びとの精神を、たとえ極微の一端なりともわが身に体して日々の実践に生かすことです。
二月二十一日
師の偉さが分かりだすのは(一)距離的に隔絶していて、年に一回くらいしか逢えない場合(二)さらにその生身を相見るに由なくなった場合とであろう。 二月二十二日 一人の卓れた思想家を真に読みぬく事によって、一箇の見識は出来るものなり。同事に真にその人を選ばば、事すでに半ば成りしというも可ならむ。 二月二十三日 人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に一。 二月二十四日 縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんばたとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。 二月二十五日 書物に書かれた真理を平面的とすれば、「師」を通して学び得た真理は立体的である。 二月二十六日
満身総身 二月二十七日 私は卅五歳前後のころに心の一大転換――回心――が起き、それ以後私は石が好きになって、石だけが唯一の趣味でした。 ところが、それが卅年も続いたところ突然石ブームが生じて、石にも値段がつき、その上に切ったり磨いたりし出したので、それをしおにピタリとやめました。 二月二十八日
小夜更
零下廿度の空き家に寝 二月二十九日
春近き六甲山の山肌や厳
山頂にありし斑雪
腰骨を立て通そう しっかりした人間になる手はじめは、まず二六時中腰骨をシャンと立てることです。それには (要領) (一)まず、お尻をウンと後ろに引き、 (二)つぎには腰骨の中心を、ウンと前へ突き出すのです。 (三)最後に下腹に力を入れて持続すること―― そうすると、肩の気張りがとれ、全身の力が臍下丹田(せいかたんでん)に収まって、上体が楽になり、ドッシリと落ちついた人間になれます。 このような姿勢を、一日中つづけることによって、われわれ人間には、注意の集中力と持続力が身につき、その上さらに判断力も明晰になるのです。否、そればかりか、一だんと行動的実践的な人間になれます。
(講話の一節)
芭蕉の句 〽古池や蛙とびこむ水の音 〽枯枝に鳥とまりけり秋の暮
〽山路来て何やらゆかし菫草
〽五月雨 〽閑さや岩にしみ入る蝉の声
〽よく見れば薺花 〽海暮れて鴨の声ほのかに白し
〽野晒 〽此の道や行く人なしに秋の暮 〽旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
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3月 |
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リンリン
燐火のように リンリンと 燃えていなければならない 鈴虫のように リンリンと 訴えていなければならない 禅僧のように リンリンと 鍛えていなければならない 梅花のように リンリンと 冴えていなければならない 真 民 |
4月 |
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ひとりひそかに
深海の真珠のように ひとり ひそかに じぶんを じぶんを つくってゆこう 真 民 |
5月 |
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これからだ
みどりの風よ これからだ さえずる鳥よ これからだ みちくる風よ これからだ もえでる葦よ これからだ わたしの生よ これからだ 真 民 |
6月 |
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ねがい
たゞ一つの 花を 咲かせ そして 終わる この一年草の 一途さに 触れて生きよう 真 民 |
7月 |
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あ
一途に咲いた 花たちが 大地に落ちたとき "あ"と 声をたてる あれを 聞きとめるのだ つゆぐさの つゆが 明日を うけたとき "あ"と 声をあげる あれを 受けとめるのだ 真 民 |
8月 |
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七字のうた
よわねを はくな くよくよ するな なきごと いうな うしろを むくな 真 民 |
9月 |
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ねがい
見えない 根たちの ねがいが こもって あのような 美しい花となるのだ 真 民 |
10月 |
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ありがたさ
夜が明けるということは なんとありがたいことだろう 光りが射してくるということは なんてうれしいことだろう 真 民 |
11月 |
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かなしみは
わたしを強くする根 かなしみは わたしを支えている幹 かなしみは わたしを美しくする花 かなしみは いつも堪えていなくてはならない かなしみは いつも噛みしめていなくてはならない 真 民 |
12月 |
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二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう 二度とない人生だから つゆぐさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう 二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月 四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう 真 民 |