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★ビニロン企業化を決意 昭和24年1月18日<ビニロン工業化の思い出>(講演)より (前略) やがてポバールおよびビニロンのパイロットプラントが動き始めましてから約半年以上たちまして昭和24年になりましたが、この昭和24年もいぜんとしてもインフレは進行しておりまして、繊維製品はもとより食料も上足であり、物価は月とともに上っていくという状態でありました。(中略) そういう時に試運転を始めまして、ビニロン工場は漸次安定の条件を発見するような階段に向かっておりました。製品も試作品ができて、それが織物に織られ靴下に編まれたりして、物量段階にはいっておりました。 24年の1月に父の命日に郷里に帰っておりました私は、風邪をひいて寝込みましたが、もうそろそろ工業化の決心をすべきであろうと考えたのは、そのころのことでありました。私の父は昭和18年、ちょうど岡山工場の例の爆発事件を起した試験設備が完成した年に亡くなったのでありますが、風邪寝の病床で考えておりまして、おやじが死ぬ前に、こういっておった。まあ、いろんなことを言っておったのでありますが、それらの中で、役に立つと思いますことをお話しますと、人間というものは経験ということが非常にたいせつだということを人はいうけれど経験にもいろいろあると、一ぺんやったことを何回でもくり返してやるといういうのは動物でもなんでもやる経験であって、人間らしい経験ということはいえないのだと、ほんとうに経験のある人間というのは、いままでやったことのないことをやって失敗するというのがほんとうの人間の経験であって、いままでやったことをもう一ぺんまちがってやるというようなことはだれでもやることで、経験のある人間ということはいえないのだといっている。それからまた10人の人間がいて、その中の5人が賛成するようなことをいったらたいていのことは手おくれだと、7、8人もいいようなことをいったらもうやらないほうがいいのだと、せいぜい10人のうち、2、3人ぐらいがいいということをいった時に仕事をやるべきだと、1人もいいといわない時にやるとそれも危ないと、(笑声)2、3人ぐらいはいいとというのを待てばよかったのに、その前にやったから失敗したということをいっておった。ずいぶん死ぬ前に自信のあることをいっておった……ということを思い出したのであります。 余談でありますが、父は大原社会問題研究所というものをつくりました。資本主義に対して批判的な東京大学の宇野弘蔵氏などもこの一人でありました。そのような反資本主義的な研究所をつくって日本の資本主義に対して反逆的なことをしているとずいぶん非難されました。おそらくそういうことを死ぬ前に思い出しておつたんだろうと思いますが、まあそういったようなことを私も思い出しまして、いといよ病気が治ったら、これをやる決心をしようかと思って、少しよくなってから研究所の人たちにうちへきてもらい、いよいよ工業化したいと思うのだが、そいうことを決心していいような技術的段階にきたかどうかということをたずねてみましたら非常に自信のあるような返事でありました。その自信が果たしてほうとうの自信であったかどうか、いまはわからないのですが、私は自信が仮にないといっても、やろうと思っておったわけで、いよいよ工業化ということを決心いたしました。そのほうに会社を挙げてまい進するという方針を決定いたしました。(後略) (昭和36.12,東北大学における講演より<化学工業>昭和44.11月号) (連絡月報、昭和36.6月号) 大原總一郎<資料編>より。P.40 |