「健全なる精神は健全なる身体に宿る。健全なる身体と精神は、規律ある生活から生まれる」ら得た心情である。 このことをラジオで放送したことがある。ところが、早速NHKに反論の電話がはいった。「私は身体が悪くて寝たままである。精神が曲がった悪いことをするものは、身体の丈夫なものに多いのではないのか……」。 これに対し、こんなことを弁明した覚えがある。「病人は病人ながらの健康というものがある。身も心も病人になってめいっていてはいけない。規律正しい生活をしようとする意識が大切である。病弱な人には、その人なりの生活のリズムがあるはずである。自分の生活にケジメをつけようとする積極的な姿勢こそがたいせつなのである」と。 最近、トラピストの高橋重幸神父さんの「雪原に朝陽さして」という本を読んだ。 「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というのは、今から千九百年ほど前のローマの詩人の言葉で、原文はラテン語であるという。その本当の意味は、<真の賢人は、神々に健康と健全だけを祈り求める>ということである。健康な身体や精神にくらべれば、富とか名誉などは、とるに足らないものだという教えであろう。 印度哲学の大家、玉城康四郎先生のラジオ放送を聞いた。 「睡眠中は自分でコントロールができない。それで、夜、床についてから静かに呼吸をととのえ神を祈る者は、一晩中、神のふところで眠っていることになる。仏を念じながら眠りにつく者は、仏のコントロールにまかせて眠っていることになる。これが毎晩のことであるから必ずや神や仏のいのちにふれることになるだろう」というようなことを説いておられた。 床についてからの呼吸法は、まつすぐ身体を伸ばして、おヘソのあたりに軽く手を添える。その手が上下に動くように呼吸をする。これが腹式呼吸である。そのとき、吐く息を静かに静かに長く吐くのがコツである。吐く息とともに頭の中や胸の中のモヤモヤも一緒に吐き出される。 息を吐くリズムに合わせて、神や仏に祈りをささげたらどうだろう。神や仏を想念する短い言葉を唱えながら、一回、二回と繰り返しているうちに、自然に神や仏の眠りにはいってゆくにちがいない。生かされていることの感謝の眠りとなる。 これが寝ながらの祈りであり、念仏である。そして寝ながらの坐禅である。病弱な人の寝ながらの身と心の健康法でもある。 ※板橋興宗【人生は河の流れのごとく】P.51~53より。 平成二十七年十一月三日:「文化の日」 |