自分史



研修所第三期生終業式


 研修所第第三期終業式 辞昭和六十二年二月二十七日(金)

 研修生のみなさん、おめでとうございます。

 本日は飯野常務並びに会社の幹部の方々の参列していただいています

 本社:飯野、村本、池田、伊藤文大。

 倉敷工場、研究所:福島、仲村、池田、田村。

 労働組合:越智中央執行委員長、五百川。

 修業証書を渡し一人一人に握手する。

 飯野常務祝辞

 会食時の挨拶

 村本さん。私立大学の昼間と夜間の学生の勉強ぶりの違い。自己啓発、自ら楽しんでやること。

 越智さん。少にして学べば……>を引用して話される。

※参考幕末の儒学者佐藤一斎の『言志四録』

 <少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。
 壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
 老いて学べば、則ち死して朽ちず>
 三学の言葉は幕末の大儒、佐藤一斎『言志四録』の中の一章です。(岩波文庫)P.162

 五百川さん。<姿勢がよい>のをほめる。

 研修生スピーチ

 藤井一久、稲家、別府、藤田公良たち、まったく立派なスピーチをした。ここまで上達するとは思えなかった。

 なかでも藤田君、重度精神障害児の自分の子供の話をする。しんとしていた。パールバックの本を小生が紹介したことを話す。涙が出る。 

 すべての行事が終り研修生を見送る見送る。講師全員で送る。

 武本君は自分史の指導。涙しながら感謝される。涙が出る。

 佐々木君:これからも指導してほしい。森信三『一日一語』を贈る。桜井君にも一冊ことずける。


 研修所第一期生:入所昭和五十八年十二月~終業昭和五十九年七月。

 研修所第二期生:入所昭和五十九年九月~終業昭和六十年六月。

 研修所第三期生:入所昭和六十年九月~終業昭和六十二年二月二十七日。

参考:金谷卓治(かなたに・たくじ)様同行、自費出版『小さな旅のつれづれに━わが道縁の記━』を頂いた。その中に<クラレ研修所>取材の旅*倉敷そして岡山ーのきじがある。以下のとおりである。

 企業内の<立腰教育>の取材として、寺田さんは<クラレ研修所>を選ばれたのです。それは研修所の黒崎昭二所長がかねてより森先生のお教えに傾倒され、独特の創意をもって社内研修に<立腰教育>や、<通信教育>をとり入れられ企業内教育の範を示しておられたからでしょう。

 さすが倉敷におけるめい門、クラレの社員教育は創業者の大原孫三郎氏の精神に則るもので、その伝統の質実さに感銘させられました。

 選ばれた若き研修生五十五人、地味なユニホームに姿勢を正し、寺田さんの講演に聞き入っておりました。

 題して<人生必ず活路ある!>。窓外の寒気をよせつけない、寺田さんの熱い思いが部屋中に満ち、話はご身辺のことから師教や道友に及ぶその真実は、お人柄と相まって聞く者の心を把えるものがありました。

 わたし共の大先達の小野正典先生も来訪され、寺田さんの講演をじっと見守っておられました。

 黒崎所長のご考案による、独特の立腰指導の実際をビデオにおさめることが出来たのは今回の大きな収穫でした。

 さて、クラレ研修所の撮影を無事了えて当日夜、小野先生宅で倉敷読書会を開いて下さいました。

 十人ほどのご参加者の温かい味のある雰囲気は、その土地柄に根ざすものであり、又小野先生の培われたものでありましょう。

 全国各地にわたり<読書会>の広がりゆく今、それぞれの特色を発揮する集いは、実に意義深いことと再確認した次第でした。

 同夜は、黒崎氏のご芳情により、かねてより森先生ご推奨の憧れのホテル<アイビースクェア>に宿泊でき、翌日は、寺田さんのご案内で、倉敷美術館、岡山・後楽園、竹久夢二記念館など観賞のおまけつきの旅で、実に私にとって味わい深いものでした。

 第三期生終業式、二月二十七日に行う。

 クラレ退社の翌日の四月一日から岡山理大付属高校に勤務しました……。

★寺田清一氏ご感想 昭和62年2月24日クラレ研修所に送られてきた受信ハガキより。

 講演致しました研修生は皆さん選ばれた人材であり日ごろご薫陶よろしきを得て、態度抜群です。

 おそらくクラレ方式の研修は天下第一等の研修方式であろうと拝察します。

平成二十九年二月二十五日

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