☆森 信三『一日一語』

森 信三 先生 (1896~1992年)

1月

めぐりあい
めぐりあいの
ふしぎに
てをあわせよう
        真 民


 一月一日

 「人生二度なし」 これ人生における最大最深の真理なり。

 人間が一たん決心した以上、必ずやり抜く人間になるには、「一バン根本の心がけとしては、結局「つねに腰骨を立てている人間」になる以外にはないと思います。

 太字は、寺 田 一 清『森 信三先生 一語一会』による。以下同じように毎日記録します。

2012.1.01

 一月二日

 つねに腰骨をシャンと立てること――

 これ人間に性根の入る極秘伝なり。

 人間として一ばん大事なことは何かというと、
 (一)一たん決心したことは、必ずやり抜く人間になるということと、今一つが
 (二)人に親切な人間になるという二つだと思います。

2012.1.02

 一月三日

 天下第一等の師につきてこそ

 人間も真に生甲斐ありというべし。

 求道としは、この二度とない人生を如何に生きるか一一という根本問題と取り組んでつねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。

2009.1.03

 一月四日

 逆境は 神の恩寵的試練なり。

 「天地始終なく人生生死あり」一一頼山陽十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかがわれわれの問題です。

2009.1.04

 一月五日

 絶対不可避なる事は絶対必然にして これ「天意」と心得べし。

 「人間としての軌道」について
    (一)毎朝親に対してあいさつの出来ること
    (二)親ごさんから呼ばれたら、必ず「ハイ」という返事ができること
   (三)席を立つたらイスを必ずキチンと中へ入れ、脱いだハキモノを必ず揃えるということです。

2009.1.05

 一月六日

 一日不読 一食不喰。書物は人間の心の養分。読書は一面からは心の奥の院ヽヽヽであると共に、また実践へのスタ――トラインでもある。

 一月七日

 求道とは、この二度とない人生を如何に生きるか――という根本問題と取り組んで、つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。 

2009.1.07

 一月八日

 これの世の再び無しといふことを命に(とほ) り知る人すくな

 これの世に(かそ)けきいのち()びたまひし大きみいのちをつね仰ぐなり

2009.1.08

 一月九日

「天地始終なく人生生死あり」――これは頼山陽の十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが我われの問題です。

2009.1.09

 一月十日

 幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。自己の為すべきことを人に対し、天からこの世において与えられるものである。

2009.1.10

 一月十一日

 一切の悩みは比較より生じる。

 人は比較を絶した世界へ躍入するとき、始めて真に卓立し、所謂「天上天下唯我独尊」の境に立つ。

2009.1.11

 一月十二日

 悟ったと思う瞬間、即刻迷いに堕す。

 自分はつねに迷い通しの身と知るとき、そのまま悟りに(あず)かるなり。

2009.1.12

 一月十三日

 すべて手持ちのものを最善に生かすことが、人間的叡智の出発といえる。教育ももとより例外でない。

2009.1.13

 一月十四日

 「行って余力あらば以って文を学ぶ」(論語)つまり学問が人生の第一義ではなくて、生きることが第一義である。

2009.1.14

 一月十五日

 人間は一生のうち、何処かで一度は徹底して「名利の念」を断ち切る修業をさせられるが良い。

参考:成人の日であったが2000年から1月の第二月曜日になった。

2009.1.15

 一月十六日

 ()とは、人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない生の根本態度をいうのである。

参考:一遍上人「信とはまかすなり」

2009.1.16

 一月十七日

 五分の時間を生かせぬ程度の人間に、大したことは出来ぬと考えてよい。

参考:二宮尊徳「積少為大」

2009.1.17

 一月十八日

 やらぬ先から「○○をやる」という人間は、多くはやり通せぬ人間と見てよい。

2009.1.18

 一月十九日

 健康法の一つとして「無枕安眠法」―

 夜寝るさいに枕をしないで寝ること。

 これで一日の疲れは一晩で()れる。

2009.1.19

 一月二十日

 ご飯が喉を通ってしまうまでお菜を口に入れない――これ食事の心得の根本要諦である。 (―飯菜互別食法―)

参考:44代米国大統領オバマ就任式。

2009.1.20

 一月二十一日

 実行の伴わない限り、いかなる名論卓説も画いた餅にひとし。

2009.1.21

 一月二十二日

 「朝のアイサツは人より先に!!」――これ一生つづけることは、人として最低の義務というべし。

2009.1.22

 一月二十三日

 金の苦労を知らない人は、その人柄がいかに良くても、どこかに喰い足りぬところがある。人の苦しみの察しがつかぬからである。

参考:平成20年後半から百年に一度の経済危機と言われている。

2009.1.23

 一月二十四日

 電話ほど恐ろしいものはない。というのも聞こえるのはただ声だけで、先方の表情や顔つきは一切分からぬからである。

参考:先生が携帯電話の普及とそのマナーを視られたらどんなことを感じられますことでしょうか。

2009.1.24

 一月二十五日

 いかなる人に対しても、少なくとも一点は、自分の及びがたき長所を見出すべし。

2009.1.25

 一月二十六日

 上役の苦心が分かりかけたら、たとえ若くても、他日ひとかどの人間となると見てよい。

2009.1.26
 

一月二十七日

 ハガキの活用度のいかんによって、その人の生活の充実さが測定できるといえよう。
 

 一月二十八日

 「一日は一生の縮図なり」――かく悟って粛然たる念いのするとき、初めて人生の真実の一端に触れむ。

2009.1.28
 

 一月二十九日

 一つの学校の教育程度を一ばん手取り早く、かつ端的に知るには、子供たちのクツ箱の前に立って見るがよい。(家庭もとより同様)

2009.1.29
 

 一月三十日

 相手の心に受け容れる態勢が出来ていないのにお説教するのは、伏さったコップにビールをつぐようなもの――入らぬばかりか、かえってあたりが汚れる。

参考:人を曳けども敢えて入らず―(諸法実相)

2009.1.30
 

 一月三十一日

 しつけの三大則。

一、朝のあいさつをする子に―。それには先ず親の方からさそい水を出す。

二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に―。それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。

三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に―。

参考:西山啓子先生(実践人No.440):「ハイ」の返事の言える人は、必ずコップが上を向いているため、コップの中に、勉強、遊びもどんどん入ってきます。

2009.01.31


2月

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころから
となえる ようになった
そして そのたび
わたしの花が ふしぎと
ひとつ ひとつ
ひらいて いった
        真 民


 二月一日

 「人生二度なし」―この根本認識に徹するところ、そこにはじめて叡智は脚下の現実を照らしそめると云ってよい。

 二月二日

 世の中はすべて「受持ち」なりと知るべし。

 「受持ち」とは(ぶん)の言いにしてこれ悟りの一内容というて可ならむ。

 二月三日

 畏友と呼びうる友をもつことは、人生の至楽(しらく)の一つといってよい。

 二月四日

 生身の師をもつことが、求道の真の出発点。

 二月五日

 苦しみや悲しみの多い人が、自分は神に愛されていると分かった時、すでに本格的に人生の軌道に乗ったものといってよい。

 二月六日

 自分に対して、心から理解しわかってくれる人が数人あれば、一応この世の至楽というにあたいしよう。

 二月七日

 金の苦労によって人間は鍛えられる。 

 二月八日

 人間は腰骨を立てることによって自己分裂を防ぎうる。

 二月九日

 悟りとは、他を羨まぬ心的境涯ともいえとう。

 二月十日

 名・利というものは如何に虚しいものか。しかも人間はこの肉の体の存するかぎりは不可能と言ってよい。

 二月十一日

 今日は建国記念日。これについては反対の説もあるようであるが、米国などのように、歴史の浅い国では実証的建国資料もあるが、我が国のように長い歴史をもつ国ではそれは不可能である。

 そこで立場は二つ。科学的に正確な資料がないから放って置くか、それとも、民族の伝承に従って慶祝するかという二種の立場があるが、私は後者の立場に賛したい。

 二月十二日

 物事は一おう八〇点級の出来映えでよいから、絶対に期限に遅れないこと。これ世に処する一大要訣と知るべし。

 二月十三日

 「家計簿」をつけるということは、妻たり主婦たるものの第一の絶対的義務。

 二月十四日

 一切の人間関係のうち夫婦ほど、たがいに我慢の必要な間柄はないと云ってよい。

 二月十五日

 信とは、いかに苦しい境遇でも、これで己の業が果たせるゆえんだと、甘受できる心的態度をいう。

 二月十六日

 観念だけでは、心と躰の真の統一は不可能である。されば身・心の真の統一は、肉体に座を持つことによって初めて可能である。

 二月十七日

      ぺスタロッチー

 人類の夕暮れを歎く一人の隠者のこころだれか知るりけむ
 八十路過ぎて帰り来りしノイホーフの土は寒けく明け暮れにけむ
※ノイホーフ(新しい農場の意)

 二月十八日

 人間として最も意義ふかい生活は、各自がそれぞれ分に応じて報恩と奉仕の生活に入ることによって開かれる。

 二月十九日

 手紙の返事はその場で片づけるが賢明。丁寧に――と考えて遅れるより、むしろ拙速を可とせむ。

 二月二十日

 偉れた先賢に学ぶということは、結局それれらの人びとの精神を、たとえ極微の一端なりともわが身に体して日々の実践に生かすことです。

 二月二十一日

 師の偉さが分かりだすのは(一)距離的に隔絶していて、年に一回くらいしか逢えない場合(二)さらにその生身を相見るに由なくなった場合とであろう。

 二月二十二日

 一人の卓れた思想家を真に読みぬく事によって、一箇の見識は出来るものなり。同事に真にその人を選ばば、事すでに半ば成りしというも可ならむ。

 二月二十三日

 人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に一。

 二月二十四日

 縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんばたとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。

 二月二十五日

 書物に書かれた真理を平面的とすれば、「師」を通して学び得た真理は立体的である。

 二月二十六日

 満身総身(そう み)に、縦横無尽に受けた人生の切り(きず)を通してつかまれた真理でなければ、真の力とはなり難い。

   

二月二十七日

 私は卅五歳前後のころに心の一大転換――回心――が起き、それ以後私は石が好きになって、石だけが唯一の趣味でした。

 ところが、それが卅年も続いたところ突然石ブームが生じて、石にも値段がつき、その上に切ったり磨いたりし出したので、それをしおにピタリとやめました。

 

 二月二十八日

 小夜(かんじ)けてしづかにおもふわが命(また)けくしありてここに生くるを

 零下廿度の空き家に()ねて凍餓死をしづかに待ちしかの日をおもふ

 

 二月二十九日

 春近き六甲山の山肌や(いか)しきが中に(なご)みそめつも

 山頂にありし斑雪(はだれ)もいつしかに見えずなりつも春近づけば


    腰骨を立て通そう

 しっかりした人間になる手はじめは、まず二六時中腰骨をシャンと立てることです。それには

(要領) (一)まず、お尻をウンと後ろに引き、

      (二)つぎには腰骨の中心を、ウンと前へ突き出すのです。

      (三)最後に下腹に力を入れて持続すること――

 そうすると、肩の気張りがとれ、全身の力が臍下丹田(せいかたんでん)に収まって、上体が楽になり、ドッシリと落ちついた人間になれます。

 このような姿勢を、一日中つづけることによって、われわれ人間には、注意の集中力と持続力が身につき、その上さらに判断力も明晰になるのです。否、そればかりか、一だんと行動的実践的な人間になれます。

(講話の一節)


    芭蕉の句

 〽古池や蛙とびこむ水の音

 〽枯枝に鳥とまりけり秋の暮

 〽山路来て何やらゆかし菫草(すみれ)

 〽五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川

 〽閑さや岩にしみ入る蝉の声

 〽よく見れば薺花(なずな)さく垣根かな

 〽海暮れて鴨の声ほのかに白し

 〽野晒(のざらし)を心に風の()む身かな

 〽此の道や行く人なしに秋の暮

 〽旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

   


3月

リンリン
燐火のように
リンリンと
燃えていなければならない
鈴虫のように
リンリンと
訴えていなければならない
禅僧のように
リンリンと
鍛えていなければならない
梅花のように
リンリンと
冴えていなければならない
        真 民


 三月一日

 教育とは人生の生き方のタネ蒔きをすることなり。

 三月二日

 教育とは流水に文字を書くような果ない(わざ)である。

 だがそれを厳壁に刻むような真剣さで取り組まなければならぬ。

 三月三日

 どうしたら子供たちを、真に忍耐づよい子にすることが出来るか。

 第一には人生に対して「立志」――のタネマキがなされねばならぬ。それには、親なり教師たるものが、まず自己の「心願」を立て、日々を真剣に生き抜くこと。

 第二は、子供らを、ある程度肉体的苦痛に堪えさすこと。

 以上の二つは、深い現実的真理であるが、もし第二の肉体的基盤を欠けば、第一もまた観念的理解の域を脱し得ないであろう。

 三月四日

 真の教育は、何よりもまず教師自身が、自らの「心願」を立てることから始まる。

 三月五日

 眼に見える物さえ正せない程度で、刻々に変転して止まぬ人間の心の洞察など、出来ようはずがない。

 三月六日

 教師自身が四六時中腰骨を立てつらぬくこと――そしてこれが人間的主体の確立上最有効な方途だとの確信に到達し、その上でそのタネ蒔きを子どもらに対しても始めること。

 ここに人間教育の最大の眼目ありと知るべし。

 三月七日

 学校の再建はまず紙屑を拾うことから――。

 次にはクツ葉箱のかかとが揃うように。

 真の教育は、こうした眼前の瑣事からスタートすることを知らねば、一校主催者たるの資格なし。

 三月八日

 同志三名を作らずしてその学校を去る資格なし。

 三月九日

 いかにしてテレビに打ち克つ子どもにするか――

 教師たるものはこの一点に、道徳教育のすべてをかけねばなるまい。 

 三月十日

 二十五才の誕生日までは煙草を吸わぬ。ただし翌日からは絶対自由――
 せめてこの一事なりと叩きこめる教師であってほしい。

 三月十一日

 (一)週に一度の学級だよりを

 (二)月に一度、卒業生への「ハガキ通信」を

 以上の二つが実行できたら二本の軌道に乗った新幹線のように、もうそれだけで、教育者としての本格的な軌道に乗ったものといえよう。 

 三月十二日

 ハガキを最上の武器として活用しうる人間に――

 かくしてハガキ活用の達人たるべし。

 三月十三日

 縁なき人の書物を数十ページ読むのが大事か、それとも手紙の返事を書く方が大事か――このいずれをとるかによって、人間が分かれるともいえよう。

 三月十四日

 自分を育てるのは 結局自分以外にはない。これ恵雨芦田恵之助先生の至言。

 三月十五日

 すべて最低絶対基本線の確保が大事であって、何か一つ、これだけはどうしても守りぬき、やりぬく――という心がけが肝要。

 三月十六日

 「宿題のすまぬうちはテレビをみない」という子供に――。 

 この一事だけでも守れたら、その子は一おう安心ができるといってよかろう。

 三月十七日

 人間も、金についての親の苦労が分かりかけて、はじめて稚気(ちき)を脱する。随ってそれまでは結局、幼稚園の延長に過ぎぬともいえる。

 三月十八日

 物にもたれる人間は、やがて人にもたれる人間になる。

 そして人にもたれる人間は、結局世の中を甘く見る人間になる。

 三月十九日

 節約は物を大切にするという以上に、わが心を引き締めるために有力だと分かって人間もはじめてホンモノとなる。

 三月二十日

 性欲の()えた人間には偉大な仕事はできない。
――それと共に、みだりに性欲を漏らす者には大きな仕事はできぬ。

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 三月二十一日

 すべての人間には、天から授けられた受け持ち(分)がある。随ってもしこの一事に徹したら、人間には本来優劣の言えないことが分かる。

 三月二十二日

 読書は 実践への最深の原動力。

 三月二十三日

 本は読むだけずつ買い、買うだけずっと読む――というのが理想であり、望ましい。

 三月二十四日

 人に長たる者は、孤独寂寥に耐えねばならぬ。

 三月二十五日

 部下の真価を真に見抜けぬ人物は極めて少ない。部下のうちに、自分より実質的に卓れたる人間のいることを知っている校長は絶無というに近い。

 三月二十六日

 いざという時、肚のない人間は、人に長たる器とはいえぬ。 
   
 三月二十七日

 お酒は()き酒の飲み方にかぎる。同事にそこには、すべて物事の味を噛しめる秘訣がこもる。
 
 三月二十八日

 人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張を持って、晩年の人生と取り組まねばならぬ。
 
 三月二十九日

 筆はちびる直前が一番使い良く、肉は腐る寸前が一番うまい。同様に今後恵まれるわずかな残生を衷心より懼れ慎んで「天命」に随順して生きたいと念う。
 
 三月三十日

 古来女をつくる事は易いが、手を切ることがむつかしいといわれる。同様に仕事を始めることはやさしいが、シメくくりをつけることは難しい。いわんや人生のしめくくりにおいておやである。知らず、何を以てこの世の〆めくくりと考えるべきか。
 
 三月三十一日

 〽白雲の出雲の国の山深く逢ひにし子らを忘れかねつも

 〽いつの日か()た相逢はん(とき)なけむいのち(かそ)けく寂しむものあり。


    山 頭 火 の 句

 〽分け入っても分け入っても青い山

 〽炎天をいただいて乞ひあるく

 〽踏みわける萩よすすきよ

 〽へうへうとして水を味ふ

 〽この旅果てもない旅のつくつくぼうし

 〽笠にとんぼをとまらせてあるく

 〽歩きづける彼岸花咲きつづける

 〽しぐるるや死なないでゐる

 〽投げ与えられた一銭の光

 〽波音のたえずしてふるさと遠し


4月

ひとりひそかに
深海の真珠のように
ひとり ひそかに
じぶんを
じぶんを つくってゆこう
        真 民


 四月一日

 人はすべからく 終生の師をもつべし。

 真に卓越せる師をもつ人は 終生道を求めて歩きつづける。

 その状あたかも 北斗星を望んで航行する船の如し。

 四月二日

 心願をもって貫かねば、いかに才能ありともその人の「一生」は真の結晶には到らぬ。

2012.04.02

 四月三日

 人間は進歩か退歩かの何れかであって、その中間はない。現状維持と思うのは、じつは退歩している証拠である。

 四月四日

 休息は睡眠以外には不要――という人間に成ること。すべてはそこからはじまるのです。

 四月五日

 人間は自己に与えられた条件をギリギリ生かすという事が、人生の生き方の最大最深の秘訣。

 四月六日

 物事はすべておっくうがってはいかぬ。その為には、まず体を動かすことを俊敏に――。

 四月七日

 実践の中心は責任感である。男らしさとは、つよい責任感をもつことである。 

 四月八日

 釈迦の説かれた「無常」の真理とは、「この世ではいつ何が起こるか分からぬ」――ということです。それ故われわれは、常にこの「無常」の大法を心して、いつ何が起ころうと驚かぬように心しなければならぬ。

 四月九日

 人間のシマリは、まず飲食の慎みから――。次には無駄づかいしない事。そして最後が異性への慎み。

 四月十日

 古来傑出せる人ほど、コトバの慎みは特に重視せしものなり。良寛には「戒語」が四通りもあり、その内最大なるものは、八十箇条にものぼれど、そのすべてが言葉に関する戒めなり。

 また葛城の慈雲尊者は「十語法語」の十戒中、言葉の戒めが、四箇条を占める。以って古人の言葉に対する慎みのいかに深きかを知るに足らん。

 道元も曰く「愛語よく回天の力あるを知るべきなり」と。

 (注※四箇条とは(一)不妄語 (二)不綺語 (三)不悪口 (四)不両舌

 四月十一日  黒崎梅野忌

 上位者にタテつくことを以って快とする人間は、とうてい「大器」には成れない。

 四月十二日

 同僚より五分前に出勤する心がまえ――

 それが十年も積み重ねられたとき、いつしかおおきなひらきとなる。

 四月十三日

  暗室に入ったように、周囲の様子が見え出すまでは、じっとして動かない。

 ――これが新たな環境に移った場合のわたしの流儀です。 

 四月十四日

 すべて物事の長短を冷厳に見て、しかも固定化せぬこと。しかも流動を流動のままにとらえつつ、流されないように――。

 四月十五日

 日常の雑事雑用を、いかに巧みに、要領よくさばいてゆくか――そうした処にも、人間の生き方のかくれた呼吸があるといえよう。

 四月十六日

 ものごとの処理は、まず手順を間違えぬことから――しかしそれには、あらかじめ、準備しておく必要がある。

 四月十七日

 人間というものは、自分が他人(ひと)様のお世話になっている間はそれにきづかぬが、やがて多少とも他人様のお世話をさせてもらう様になって、初めてそれが如何に大へんな事かということが分かるものです。

 四月十八日

 人間は何物かにたよったり、結構づくめな生活に慣れると――
 要するに飼いならされると、いつしか自己防衛本能が鈍る。

 四月十九日

 人間下坐の経験のない者は、まだ試験済みの人間とは言えない。

 四月二十日

 キレイごとの好きな人は、とかく実践力に欠けやすい。けだし実践とはキレイごとだけではすまず、どこか野暮ったく、泥くさい処を免れぬものだからです。

 四月二十一日

 人間が謙虚になるための、手近な、そして着実な道は、まず紙屑をひろうことからでしょう。

 四月二十二日

 野の一輪の草をコップにさして、そこに幽かな美の感じられないような人は、真に心の通う人とはいえないですね。

 四月二十三日

     金原省吾氏

 限りなき哀しび深く(たた)へつつ常のごとくも在りておはさむ

 人気(ひとけ)なき夜半(よは)に目覚めてをりをりは声を(しの)ばす時もありなむ

 四月二十四日

 友情とは、年齢がほぼ等しい人間関係において、たがいに相手に対して、親愛の情を抱くことであるが、友情ほどこの世の人間関係の内で、味わい深いものはない。

 そして友情において大事な事は、常に相手に対して、「その信頼をうら切らない」という一事に尽きる。

 四月二十五日

 すべて宙ぶらりはダメです。多くの人が宙ぶらりんだからフラつくのです。ストーンと底に落ちて、はじめて大地に立つことができて、安泰この上なしです。

 四月二十六日

 「極陰は陽に転じる」――これ易の真理にして、宇宙の「大法」である。けだしこの大宇宙は、つねに動的バランスを保ちながら、無窮に進展しているが故である。
   
 四月二十七日

   石はどういうのが良いかというと

 一、第一は座りの良いこと――尤もブームになってからは下を切ったり磨いたりし出したが、これらは何れも邪道。

 二、形の佳いこと――形は大たい山の恰好をしているのが良く、動物などに似ているのは下品とされている。

 三、石質の堅緻なこと――これは大事な条件の一つ。

 四、色は普通は(くろ)みがかったのを佳しとするが、時には佐渡の赤石のような例外もある。

 五、以上のうち、二、三、四はいずれも良いが、唯座りだけが問題だという場合には、台をつくって鑑賞する場合もある。

 四月二十八日

 最深の愛情とは、ある意味では人生の無常を知らせることかもしれません。そしてそれには、教える者自身が、日々無常に徹して生きていなければ出来ることではないでしょう。

 四月二十九日

 この地上には、真に絶対なものは一つもない。在るはみな相対有限なもののみ。だが、如上の実相を照波する寂光のみは絶対的といえよう。それ故この地上では、絶対の光はつねに否定を通してのみ閃くといえる。
 
 四月三十日

 極陰は陽に転ずることわりをただにし思へば心動ぜず

 大いなる光照れれば国民(くにたみ)のいのちや竟(つひ)に改まるべき


     たらちね

 〽戦ひに敗れし国にいのち()ちて()り来しわれや古里を()

 〽たらちねの親はもあらぬ古里(ふるさと)に還り来たりて(たた)ずむわれは

 〽幼き日われに(たこ)()げさせまししたらちねの父の今はまさなくに

 〽たらちねの母ゆ()びしに手毬(てまり)をば)せしめし悔い今も忘れぬ


    良 寛 の 歌

 〽春がすみ立ちにし日より山川に心は遠くなりにけるかな

 〽いづくより春は来ぬらん芝の戸にいざ立ちいでてあくるまで見ん

 〽道のべにすみれ摘みつつ鉢の子を忘れてぞ来しあわれ鉢の子

 〽此の里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし

 〽国上(くにがみ)山杉の下道ふみわけて我がすむ庵にいざかへりてん

 〽わが宿は竹の柱に(こも)すだれ強ひて()しませひと(つき)の酒

 〽あしびきの岩間をつたふ苔水のかすかに我はすみ渡るかも

 〽山かげの岩根もり来る苔水のあるかなきかに世を渡るかも


5月

これからだ
みどりの風よ
これからだ
さえずる鳥よ
これからだ
みちくる風よ
これからだ
もえでる葦よ
これからだ
わたしの生よ
これからだ
        真 民


 五月一日

 われわれ人間は「生」をこの世にうけた以上、それぞれ分に応じて、一つの「心願」を抱き、最後のひと呼吸(いき)までそれを貫きたいものです。

 五月二日

 多少能力は劣っていても、真剣な人間の方が最後の勝利者となるようです。

 五月三日

 毀誉ほうへんを越えなければ、一すじの道は貫けない。 

 五月四日

    三ツのことば

 「人を先にして己を後にせよ」

 「敵に勝たんと欲するものはまず己に克て」

 「義務を先にして娯楽を後にせよ」 

 五月五日

一、一度思い立ったら石にしがみついてもやりとげよう人はすべからく、終生の師をもつべし。

二、ホンのわずかな事でもよいから、とにかく他人のためにつくす人間になろう。 

 五月六日

 高すぎない目標をきめて必ず実行する。ここに「必ず」とは、唯の一度も例外を作らぬ――という心構えをいうのである。

 五月七日

 百円の切符が九十八円で買えないことは、五円で買えないのと同じである。

 五月八日

 「義務を先にして、娯楽を後にする」――たったこの一事だけでも真に守り通せたら、一かどの人物になれよう。

 五月九日

 睡眠は必要に応じて伸縮自在たるべし。 「何時間寝なければならぬ」というような固定観念をすて、必要に応じて五時間・三時間はもとより、時には徹夜も辞せぬというほどの覚悟が必要。

 五月十日

 目覚むれば力身内(みうち)に湧きいづるこの不思議さよ何といふべき
 せめてわが命果てなむ(きわ)だにもこれの不思議を(かしこ)みてあらな

 五月十一日

 食事をするごとに心中ふかく謝念を抱くは、真人の一特徴というべし。それだけに、かかる人は意外に少ないようである。 

 五月十二日

 朝起きてから夜寝るまで、自分の仕事と人々への奉仕が無上のたのしみで、それ以外別に娯楽の必要を感じない―というのが、われわれ日本のまともな庶民の生き方ではあるまいか。

 五月十三日

 「下学して上達す」―下学とは日常の雑事を尽くすの意。それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、真の哲学や宗教の世界に入りえないというほどの意味。

 五月十四日

 「五十にして天命を知る」というのが、知という限り、まだ観念的なものが残っている。それ故「六十にして耳従う」の境に到って、はじめて真理の肉体化がはじまるともいえよう。

 五月十五日

 真人と真人とがむすばねばならぬ。現在わたしが最も努力しているのは、縁のある真人同士を結ぶことです。

 五月十六日

 世間的に広くは知られていないけれど、(すぐ)れた人の書をひろく世に広める―世にこれにまさる貢献なけむ。

 五月十七日

 心に見えないから、まず見える(からだ)の方から押さえてかからねばならぬ。それ故心を正そうとしたら、まず躰を正し物を整えることから始めねばならぬ。クツをそろえること一つが、いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない。

 五月十八日

 挙手は、行動的な「しつけ」の第一であって、断乎たる決意の表明ともなる。挙手についてはまず①五本の指をそろえ、②ついで垂直に上げること③そして最後に俊敏に!!―という三つが大事。

 五月十九日

 「腰骨を立てる」ことは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい。

 五月二十日

 息子を一生に三度は叱るか、それとも一生に一度も叱らぬか、父親にはこのような深い心の構えがなくてはなるまい。

 五月二十一日

 山深く来しとあらねどこの寺に山鶯の声聞きにけり

 はつはつに楓の若葉萌え出ててこれのみ寺の明るかりけり

 五月二十二日

 現世的に恵まれると、美も宗教もわからぬ人間とる。何となれば、共に世に薄倖な人びとに与えたまう天の恩恵だからである。

 五月二十三日

 真の鑑識眼は、最初のうちは、最上のもの一つに徹することによって得られる。いたずらに比較考量している限り、ついに物事の真に徹するの期なけむ。

 五月二十四日

 美的な創造感覚と、蓄財利殖の能力とは両極的なものです。天二物を与えず―ですネ。

 五月二十五日

 芸術品の場合、倦きがこないということが良否の基準となる。つまり倦きがこないとは、作品の人為の計らいがないせいで、それだけ天に通じる趣があるといえよう。同時にこれは、ひとり芸術品だけでなく、人間一般にも通じることでしょう。

 五月二十六日

 感覚を新鮮にするには、つねに異質的なものを媒介として自己を磨く必要がある。でないと感覚はいつしか鈍磨して、マンネリ化する恐れがある。

 五月二十七日

 石が分かるということは、物がわかり出した一徴表といってもよい。というのは、相対界を離れた証拠といえるからである。

 五月二十八日

 わたしには何も出来ませんが、ただ人さまの偉さと及び難さを感じる点では、あえて人後におちないつもりです。

 五月二十九日

 すべて物事は、その事の真髄への認識と洞察が根本で、真に認識に徹したら、動き出さずにはいられぬはず。ところが認識への手引きはヤハリ生きた書物でしょうね。

 五月三十日

 一、腰骨をたて

 二、アゴを引き

 三、つねに下腹の力を抜かぬこと

 同時にこの第三が守れたら、ある意味では達人の境といえよう。
   
 五月三十一日

 「真理」の化身とやいはめ幻の時に()ちきてわれを導く

 一人の隠者の心(かそ)けくも追ひ求めてぞひと世過ぎしか


    二 宮 尊 徳 翁

 〽声もなく香もなく常に天地は書かざる経をくりかへしつゝ

 〽蒔けば生え植れば育つ天地のあはれ恵みのかぎりなき世ぞ

 〽ちゅうちゅうと歎き苦しむ声きけば鼠の地獄猫の極楽

 〽無きといえば無きとや人の思ふらん呼べばこたふる山彦の声

 〽餌を運ぶ親の情の羽音には目を明かぬ子も口をあくなり

 〽めしと汁木綿着物は身を助くその余は我を責むるのみなり

 〽我というその大元を尋ぬれば喰ふと着るとの二つなりけり

 〽山寺の鐘つく僧は見えねども四方(よも)里人(さとびと)時を知りなむ


6月

ねがい
たゞ一つの
花を 咲かせ
そして 終わる
この一年草の
一途さに
触れて生きよう

      真 民



 六月一日

 世の中の事はすべてが一長一短で、両方良いことはない。。

 哲学の最終的帰結も、宇宙間の万物は、すべて偉大なる動的平衡(調和)によって保たれている――という一事だといってよい。

 六月二日

 真理は現実の只中にあって書物の中にはない。書物は真理への索引(インデックス) ないしはしおりに過ぎない。

 六月三日

 「世の中は正直」とは、神は至公至平――というに近い。

 六月四日

 わが身にふりかかる事はすべてこれ「天意」――

 そしてその天意が何であるかは、すぐには分からぬにしても噛しめていれば次第に分かってくるものです。

 六月五日

 この世における辛酸不如意・苦労等をすべて前世における負い目の返済だと思えたら、やがては消えてゆく。だが、これがむつかしい。

2011.06.01

 六月六日

 すべて悩みからの脱却には行動が必要。「南無阿弥陀仏」という念仏称名もそのひとつ。手紙を書くのも掃除をするのも、はたまた写経をするのも――それぞれに良かろう。

 六月七日

 わが身に降りかかった悲痛事に対して、その何ゆえか(WHY)を問わない。それよりも如何に(HOW)対処すべきが大切。 

 六月八日

 哲人といえども迷う時はあろう。だが迷う時間が短かろう。

 悟った人でも迷うことはある。しかし迷う時間が短かい。

 六月九日

 玄米食は、我われ日本人には「食」の原点である。

 それ故玄米食を始めると、かえって味覚が鋭敏になる。

 六月十日

 豆腐の味は「日本の味」である。それ故豆腐の味が分かりかけたということは、その人が真に日本人らしくなりかけた一懲表とも言えようか。

 六月十一日

  お金に困らぬ人間になる工夫

一、大きなお金をくずすのは、一日でも先にのばすこと。

二、お札を逆さまに入れたり、ハチあわせにしたりせぬこと。

三、財布を幾つか持っていて、それぞれの用途や向きに応じて別にしておくこと。

 六月十二日

 金銭は自分の欲望のためには、出来るだけ使わぬように――。

 そしてたとえわずかでもよいから、人のために捧げること。

 そこにこの世の真の浄福境が開けてくる。

 六月十三日

 人間もつねに腰骨を立てていると、自分の能力の限界がわかるようになる。随って無理な計画はしなくなる。

 私が今日まで大たい計画の果遂できたのも、その根本はこの点にある。

 六月十四日

 仕事は一気呵成にやりぬくに限る。もし一度には仕上がらず、どうしても一度中断せねばならぬ場合には、半ばを越えて六割辺までこぎつけておくこと――これ仕事をやりぬくぬく秘訣である。

 六月十五日

 わたしには、何度聞いても()きぬ話が三つある。

 一つは(地蜂の)蜂の子とりの話。次はやまめ(ヒラメ)釣りの話。そして最後は富山の薬屋の新規開拓の苦心談。

 六月十六日

 〽暁の床に目覚めてうつうつなき心に響きかじかは()くも

 〽ほのぼのと()()はややに白みたる河鹿は鳴くも小暗き室に

 六月十七日

 如何にささやかな事でもよい。とにかく人間は他人のために尽すことによって、はじめて自他共に幸せとなる。これだけは確かです。 

 六月十八日

 天性資質にめぐまれた者は、二割五分前後を()いて他に奉仕すべし。これは本来東洋の伝統思想たる「恩」の思想に基づくものであるが、それをマルクスの搾取観を媒介として、現代的に(よみがえ)らせた真理であるともいえよう。

 六月十九日

 たった一枚のハガキで、しかもたった一言のコトバで、人を慰めたり励ましたり出来るとしたら、世にこれほど意義あることは少ないであろう。

 六月二十日

 疲れると眠りますが、横になると躰がなまるので、机にもたれて眠ることにしています。

 先ず光線をさえぎる為に黒い絹布を頭にかぶり、恰好は猫を手本にしてなるべく球形に近づくと、大てい五分くらいで眠りに入り、十五分前後で覚めて心機一新です。

 六月二十一日

 人は真に孤独に徹することによって、初めて心眼がひらけてくる。

 けだしそれによって相対観を脱するからである。

 六月二十二日

 論語の「(とも)あり遠方より来る。亦楽しからずや」とは、現在では用のないのに同士のハガキが届く事ではあるまいか。つまり今日では、友の代りにハガキの来る場合の方が遥かに多いわけです。

2011.06.01

 六月二十三日

 幸福とは、縁ある人々との人間関係を噛みしめて、それを深く味わうところに生ずる感謝の念に他なるまい。

 六月二十四日

 人間は何人も自伝を書くべきである。

 それは二度とないこの世の「生」を恵まれた以上、自分が生涯たどった歩みのあらましを、血を伝えた子孫に書きのこす義務があるからである。

 六月二十五日

 人間の生き方には何処かすさまじい趣がなくてはならぬ。一点に凝集して、まるで目つぶしでも喰わすような趣がなくてはならぬ。

 人を教育するよりも、まず自分自身が、この二度とない人生を如何に生きるべきかが先決問題で、教育というのは、いわばそのおこぼれに過ぎない。

 六月二十六日

 人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。

 そして齢をとるほどそれが凄まじくならねばなるまい。
   
 六月二十七日

 「随所作主」とは、人はどんな境遇の中にあっても、リンリンとして生きてゆける人間になることでしょう。
 
 六月二十八日

 「一剣を持して起つ」という境涯に到って、人は初めて真に卓立して、絶対の主体が立つ。甘え心やもたれ心のある限り、とうていそこには到り得ない。
 
 六月二十九日

 往相はやがて還相に転ぜねばならぬ。そして還相の極は施であり奉仕である。
 
 六月三十日

    小川村を訪ふ 

 老藤の垂りたる下をゆくいささ流れも清らかにして

 苔むせる御墓の前に(たたず)みて碑の古文字を見つつをろがむ(江州小川村は中江藤樹先生生誕の地)


    祖 国 に 還 り て
         昭和二十一年六月七日引揚者の一人として舞鶴港の着す

 戦ひに敗れし国か山河は(もと)のごとくに(うる)はしけれど

 妻や子の生き死にさえも()かずして吾が身ひとりが帰り来にけり

 国民(くにたみ)のかつて経験せざりける(おほ)き悲劇の中に還り来し

 幾そたび死すべかりしを永らへてここにし還る命をぞおもふ

2012.06.01


    宮 本 武 蔵 の 独 行 道

一、世々の道に背くことなし

一、よろずに依怙(えこ)の心なし

一、身に楽しみをたくまず

一、一生の間欲心なし

一、我(れ)事において後悔せず

一、何れの道にも別れを悲しまず

一、自他ともに恨みかこつ心なし

一、恋慕の思ひなし

一、居宅に望みなし

一、身一つに美食を好まず

一、末々什物になる旧き道具を所持せず

一、わが身にとり物を忌むことなし

一、兵具は格別余の道具たしなまず

一、道にあたつては死を厭はず

一、老後財宝所欲に心なし

一、神佛を尊みて神佛を頼まず

一、心常に兵法の道を離れず

一、物事に数奇(すき)好みなし


7月


一途に咲いた 花たちが
大地に落ちたとき
"あ"と 声をたてる
あれを 聞きとめるのだ  
つゆぐさの つゆが
明日を うけたとき
"あ"と 声をあげる
あれを 受けとめるのだ

      真 民



  七月一日

 世界史は表から見れば「神曲」の展開―そして之を裏がえせば人類の「業」の無限流転といえよう。

 されば之に対して何人が、絶対的正邪善悪をいう資格があろう。

2011.07.01

 七月二日

 この地上には、一さい偶然というべきものはない。

 外側からみれば偶然と見えるものも、ひと度その内面にたち入って見ればことごとく絶対的必然だということがわかる。

 七月三日

 いかに痛苦な人生であろうとも、「生」を与えられということほど大なる恩恵はこの地上にはない。そしてこの点をハッキリと知らすのが、真の宗教というものであろう。

 七月四日

 人はその一心だに決定すれば、如何なる環境に置かれよとも、何時かは必ず、道が開けてくるものである。

 七月五日

 弱さと悪と愚かさとは、互いに関連している。けだし弱さとは一種の悪であって、弱き善人は駄目である。また智慧の透徹していない人間は結局は弱い。

 七月六日

 人間の偉さは才能の多少よりも、己に授かった天分を、生涯かけて出し尽すか否かにあるといってよい。

 七月七日

 自己の力を過信する者は、自らの力の限界を知らぬ。そして力の限界が見えないとは、端的には、自己の死後が見えぬということでもあろう。 

 七月八日

 かにかくにひと()つらぬき生きて来しそのいや果てぞいのち賭けなむ

 七月九日

 道元の高さにも到り得ず、親鸞の深さにも到り得ぬ身には、道元のように「仏になれ」とも言わず、また親鸞のように「地獄一定の身」ともいわず、たゞ「人間に生まれた以上は人らしい人になれよ」と教えられた葛城の慈雲尊者の、まどかなる大慈悲心の前に、心から頭が下がるのです。

 七月十日

 足もとの紙クズ一つ拾えぬ程度の人間に何が出来よう。

 七月十一日

 畏友というものは、その人の生き方が真剣であれば必ず与えられるものである。もし見つからぬとしたら、それは、その人の人生の生き方が、まだ生温かくて傲慢な証拠という他あるまい。

 七月十二日

 肉体的な距離が近か過ぎると、真の偉大さは分かりにくい。

 それ故その人の真の偉さがわかるには、ある程度の距離と期間を置いて接するがよい。

 七月十三日

 なぜ私は石が好きかというと

一、第一には何時までたっても()きがこない。

二、また石は、盆栽や小鳥などのように一切世話や手入れの必要がない。

三、その上ブームになるまでは、石には金銭的な値段がつかなかったので、私のような横着者には最上の趣味でした。

 七月十四日

 自分の最も尊敬している偉人の伝記は、精しく調べていて、自在に実例が出るようでなければ真の力とはなりにくい。

 七月十五日

 肉体的苦痛や精神的苦悩は、なるべく、人に洩らさぬこと――。

 人に苦痛や不幸を漏らして慰めてもらおうという根性は、甘くて女々しいことを知らねばならぬ。

 七月十六日

 手に入れし鴨川石を(きび)しけき時世(ときよ)なれどもわが()でてをり

 遠山をとほく眺むる姿なすこれの石かや()でて()かぬかも

 七月十七日

 「流水不争先」――現世的な栄進の道を、アクセク生きてきたひとが、あげくの果てに開眼せられた一境地といってよかろう。

 七月十八日

 公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。だが相当な人物でも、とかく誤りがちである。これ人間は自分の顔が見えぬように、自分のことは分からぬからである。

 七月十九日

 人間は退職して初めて肩書きの有難さがわかる。だがこの点を率直に言う人はほとんどない。それと言うのも、それが言えるということは、すでに肩書きを越えた世界に生きていなければ出来ぬことだからである。

 七月二十日

 言葉の響きは偉大である。一語一音の差に天地を分かつほどの相違がある。それゆえ真に言葉の味わいに徹するのは、そのままいのちに徹するの言いといってよい。

 七月二十一日

 すべて物事は、リズムを感得することが大切である。

 リズムは、根本的には宇宙生命に根ざすものゆえ、リズムが分かりかけてはじめて事物の真相も解り出すわけである。なかんずく書物のリズムの如きは、著者の生命の最端的といってよい。 

 七月二十二日

 批評眼は大いに持つべし。されど批評的態度は厳に慎むべし。

 七月二十三日

 創作家が評論するのは、チューブに穴をあけるようなもので、それだけ創作への迫力が減殺される。随って真の文豪は、評論は書かずに自己の作品で示している。

 七月二十四日

 わたしは文章による論争というものはしたことがない。それというのも、論争は第三者には面白くても、当事者双方は、それによってお互いに傷つけ合うだけだからである。

 七月二十五日

 善悪・優劣・美醜などは、すべて相対的で、何ら絶対的なものではない。何となれば、いずれも「比較」によってうまれるものであり、随って尺度のいかんによっては、逆にもなりかねないからである。 

 七月二十六日

 心の通う人とのいのちの呼応こそ、この世における真の浄福であり、人間にとって真の生甲斐といってよかろう。
 

 七月二十七日

 精薄児や身障児をもつ親は、悲観の極、必ず一度はこの子と共に身を滅したいとの念いに駆られるらしいが、しかもその果てには必ず、この子のお蔭で人間としての眼を開かせてもらえたという自覚に到るようである。
 
 七月二十八日

     ある時

 悲しみの極みといふも足りぬいのちの果てにみほとけに逢ふ

 七月二十九日

 「救い」とは「自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている」――という謝念でもあろうか。そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、人びとはこれを神と呼び仏と名づける。

 七月三十日

 人はこの世の虚しさに目覚めねばならぬが、しかし、それだけではまだ足りない。人生の虚しさを踏まえながら、各自応分の「奉仕」に生きてこそ、人生の真の味わいは分かり初める。
 
 七月三十一日

 たそがれて人影もなき池の辺に野茨の花咲き盛りをり

 白じらと夕べ(ほの)かに池の辺に咲く野茨を(かな)しみて見つ 


    道元「正法眼蔵随聞記」より

一、学道の人、たとひ悟り得ても、今は至極と思ふて、行道を()むる事なかれ。道は無窮なり。悟りても、なほ行道すべし。※岩波文庫P.136

一、学道の人は、後日を待ちて行道せんと思ふ事なかれ。ただ今日(こんにち)今時(こんじ)を過さずして、日々・時々を勤むべきなり。※岩波文庫P.136

一、学道の人、参師聞法の時、よくよく極めて聞き重ねて決定(けつじょう)すべし。問ふべきを問はず、言ふべきを言はずして過しなば、必ず我が損なるべし。※岩波文庫P.143  


8月

七字のうた
よわねを はくな
くよくよ するな
なきごと いうな
うしろを むくな  
        真 民


 八月一日

一、礼を正し

二、場を浄め

三、時を守る

 これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にも当てはまるべし。

 八月二日

 われわれ、人間はそれぞれ自分の宗教的人生観――真の人生観――をもつべきである。そしてそれは極微的には、それぞれその趣を異にし、最終的には、一人一宗教ともいえよう。

 八月三日

 人間の智慧とは、

 (一)先の見通しがどれほど利くか

 (二)又どれほど他人の気持の察しがつくか

 (三)その上何事についても、どれほどバランスを心得ているかという事でしょう。

 八月四日

 英知とは、その人の全知識、全体験が発火して、一瞬ひらめく不可視の閃光といってよい。

 八月五日

 一眼はつねに、個としての自己の将来の展望をを怠らぬと同時に、他の一眼は刻々に変化してゆく世界史の動向を見失わぬことでです。

 こうした異質的両極を、つねにわが身上に切り結ばせつつ、日々を生き抜くことが大切でしょう。

 八月六日

 形ある石ひとつ分からぬやうな人間に、どうしても色も形もなく、そのうえ転変常なき人心の察しなど出来るはずがない。

 いわんや子らの心を育てみちびく教育の如きにおいておや。

 八月七日

 秋になって実のなるような果樹で春、美しい花の咲く樹はない。 

 八月八日

 すべて物事には基礎蓄積が大切である。そしてそれはひとり金銭上の事柄のみでなく、信用に関しても同じことが言えます。否、この方がはるかに重大です。

 八月九日

 才無きを憂えず 才の恐ろしさを知れ

 八月十日

 「すべて最上なるものは、一歩を誤ると中間には留まり得ないで最下に転落する――」とは、げに至深の真理というべし。

 八月十一日

 夫婦の仲というものは、良きにつけ悪しきにつけ、お互いに「業」を果たすために結ばれたといえよう。

 そしてこの点に心の腰がすわるまでは、夫婦間の動揺は止まらぬと見てよい。

 八月十二日

 女が身につけるべき四つの大事なこと

 (一)子供のしつけ (二)家計のしまり。 (三)料理。そして (四)最後が清掃と整頓

 八月十三日

 性に関しては、たとえ人から尋ねられても答える義務はない。 何となれば、聞く方が非礼であるのみならず、「性」に対する冒瀆だからである。

 八月十四日

 男の子は素質的には母親似が多く、娘は父親似が多い。そして後天的には、息子は父親に、そして娘は母親に学ぶ。 ここに生命における「性」の相互交錯と交互浸透、ならびに先天と後天の絶妙なる天理が伺える。

 八月十五日

 一粒のけし粒だにもこもちらへる命たふと思ふこのごろ

 八月十六日

 人間の生命が、たがいに相呼応し共感し得るということは、何たろ至幸というべきであろうか。世にこれに勝るいかなる物があるであろうか。

 八月十七日

 人間はいくつになっても、名と利の誘惑が恐ろしい。有名になったり、お金が出来ると、よほどの人でも、ともすれば心にゆるみが生じる。

 八月十八日

 その人が何を言っているかより、何を()ているかが問題。 そして両者の差がヒドければヒドイほど、その人は問題の人といってよかろう。もしその上に有名だったら、一種の悪党性がつけ加わるとさえ言えよう。

 八月十九日

 人間は才知がすすむほど、善・悪への可能性が多くなる。故に才あるものは才を殺して、他に転ずる努力が大切である。

 八月二十日

 〽水鳥の朽木(くちき)に浮かぶ真白さを(すが)しとぞ見つ朝の(みぎわ)

 〽天地(あめつち)の明けゆく光ほのぼのと朝の河面(かわも)にわが見つるかも 

 八月二十一日

 他人の学説の模写的紹介をしたり、あるいは部分的批評をする事をもって、哲学であるかに考えている人が少なくないが、真の哲学とは、この現実の天地人生をつらぬく不可視の理法を徹見して、

 それを一つの体系として表現する努力といってよい。

 八月二十二日

 世の中には、いかに多くのすぐれた人がいることか――それが分かりかけて、その人の学問もようやく現実に根ざし初めたと云えよう。 

 八月二十三日

 われわれ人間は、ただ一人の例外もなく、すべて自分の意志ないし力によって、この地上にうまれてきたのではない。そしてこの点に対する認識こそ、おそらくは最高最深の叡智といってよい。されば我われ人間は、それぐ自分がこの世に派遣せられた使命を突き止めねばなるまい。

 八月二十四日

 一切万有は神の大愛の顕現であり、その無量種の段階における発現というべきである。

 八月二十五日

 真実というものは、一点に焦点をしぼつてピッチを上げなければ、発火しにくいものである。

 八月二十六日

 人間関係――与えられた人と人との縁――をよく噛みしめたら、必ずそこには謝念がわいてくる。

 これこの世を幸せに生きる最大の秘訣といってよかろう。

   
八月二十七日

 宗教は人間が立派に生きるためのもの。随って人間は神には仕えるべきであるが、宗教には仕えるべきではあるまい。ひとつの宗教にゴリゴリになるより、人間としてまっとうに生きる事の方が、はるかに貴いことを知らねばなるまい。
 

 八月二十八日

 真の宗教が教団の中に無いのは、真の哲学が大学に無いのと同様である。これ人間は組織化せられて集団になると、これを維持せんがために、真の精神は遠のくが故である。
 

 八月二十九日

 親鸞は「歎異抄」の冒頭において、「弥陀の誓願不思議に助けられれまゐらせて」という。

 その不思議さを、親鸞と共に驚きうる人が、今日果たして如何ほどあるといえるだろうか。

 
 八月三十日

 人間はこの肉体をもっている限り、煩悩の根切りは不可能である。そしてこの一事が身根に徹して分かることこそ、真の救いといってよかろう。
 
 八月三十一日

 〽看護(みとり)しつつ独り坐すれば人間のひと世の運命(さだめ)しじに思ほゆ

 〽これの世の「業」を果たして逝きにける人のいのちの今や(すが)しも 


    親鸞「歎異抄」第一条

 弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて、往生を遂ぐるなりと信じて、念仏を申さんと思ひ立つ心の起こる時、即ち摂取不捨(せつしゅふしゃ)の利益に預けしめ給ふなり。

 弥陀の本願には、老少、善悪の人を択ばれず。たゞ信心を要とすると知るべし。その故は、罪悪深重(しんじゅう)、煩悩熾盛(熾盛)の衆生を助けんがための願にてまします。  


9月

ねがい
見えない
根たちの
ねがいが
こもって  
あのような
美しい花となるのだ
        真 民 


 九月一日

 「円心あって円周なし」――そしてみな自主独立にして出入自在。今後は無数のコミューンが生まれねばならぬが。 この様な円の中心者たちが、互いに手を取り合う「開かれたコミューン」でなければなるまい。

 九月二日

 「一人雑誌」の意義

 (一)各自の主体性の確立に資するところ大。

 (二)さらに同士相互間の生命の呼応、展開に資する光がために――。

 九月三日

 自己と縁なき著名人の書を読むより、縁ある同士の手刷りのプリントを読む方が、どれほど生きた勉強になるか分からぬ。 これ前者は円周上の無数の一点に過ぎないが、後者は直接わが円心に近い人々だからである。

 九月四日

 今日は義人田中正造翁が、同士庭田清四郎の家で最後の呼吸を引き取った日。枕頭に残された遺品としては、頭陀袋一つ。中にあったのは聖書と日記帳、及びチリ紙と小石数個のみだったと。

 戦前正造に関しては五巻の「義人全集」があるのみだったので、翁の遺弟の黒沢西蔵氏や雨宮義人氏等と語らい「全集」刊行の議を起して発足したが、途中岩波書店に引き継がれ、(その間多少遺憾な経緯はあったが)今や完璧な「全集」の刊行されつゝあることは、事に関わった私にとっては望外の欣びです。

 九月五日

 人間は心身相即的存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まずからだから押えてかからねばならぬ。 それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、真に主体的な人間になるキメ手はない。

 九月六日

 九十九人が、川の向う岸で騒いでいようとも、自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。

 九月七日

 一、「開かれたコミューン」づくりと

 一、玄米自然食の実行

 これ今日激動する時代に対処する、二つの自己防衛といってよかろう 

 九月八日

 自己の道は自己にとっては唯一にして絶対必至の一道なれど、他から見ればワン・オブ・ゼムたるに過ぎない――との自覚こそ大事なれ。そしてこの理を知ることを真の「自覚」とはいうなり。

 九月九日

 人間は何事もまず十年の辛抱が肝要。
そしてその間抜くべからず、奪うべからざる基礎工事なり。されば黙々十年の努力によって、一おう事は成るというべし。

 九月十日

 相手と場所の如何に拘わらず、言うべからざることは絶対に口外せぬ。 この一事だけでも、真に守り得れば、まずは一かどの人間というを得む。

 九月十一日

 陰でライバルの悪口をいうことが、如何に自己を傷つけるはしたない所業かということの分からぬ程度の人間に、大したことなど出来ようはずががない。

 九月十二日

 自分より遥かに下位の者にも、敬意を失わざるにいたって、初めて人間も一人前となる。

 九月十三日

 尊敬する人が無くなった時、その人の進歩は止まる。

 尊敬する対象が、年と共にはっきりして来るようでなければ、真の大成は期し難い。

 九月十四日

 人は自己に与えられた境遇の唯中に、つねに一小宇宙を拓かねばならぬ。されば夜店の片隅にいる一老爺でも、その心がけ次第では、一小天地の中に生きているといえよう。

 九月十五日

 人間の真価と現世的果報とは、短い眼で見れば合致せずとも見ゆべし。されど時を長くして見れば、福徳一致は古今の鉄則なり。

 九月十六日

    石川理紀之助翁

 雑草の生ひ茂りたるひとところ碑前に額づきしましありけり

 草木谷よつね思ひつゝもつひに来し涙流れてせむ(すべ)もなき

余録 「寝ていて人を起こすことなかれ」。甲子園を最後まで沸かせた…

 毎日新聞2018年8月22日 東京朝刊

「寝ていて人を起こすことなかれ」。甲子園を最後まで沸かせた秋田県立金足(かなあし)農業高校のグラウンド脇に建つ石碑の文だ。秋田生まれの明治時代の農業指導者で「農聖」と呼ばれる石川理紀之助(りきのすけ)の言葉で同校の教育方針でもある▲石川は秋田や宮崎で貧農の救済を実践した。夜明け前に板をたたいて村人たちを起こし、共に仕事に励んだ経験から、人を動かすにはまず自分から率先垂範せよと冒頭の言葉を残した▲言葉の歴史的背景はともかく、「他人任せにせず、まず自分から」という精神は現代っ子の野球部員たちにも浸透しているのではないか。全員がのけぞって全力で校歌を歌う姿にそんな思いを抱いた。戦前から歌い継がれてきた校歌も含蓄がある。「霜しろく 土こそ凍れ 見よ草の芽に 日のめぐみ 農はこれ たぐひなき愛」。雪国の厳しさと農業の喜びがうたい上げられている▲「雑草軍団」と呼ばれる野球部が甲子園初出場を果たし、芽を出したのは1984年の春の選抜だ。その夏の甲子園でベスト4入りし、その後は甲子園出場を争う常連校になった。長靴で雪の中を走り、足腰を鍛える伝統が強さを支える▲34年前はPL学園、今回は大阪桐蔭と強豪校の高い壁に阻まれたが、秋田勢では103年ぶり、農業高校では戦後初の決勝進出はやはり快挙だろう▲野球は記憶のスポーツともいわれる。大阪桐蔭の2度目の春夏連覇という偉業と共に金足農の活躍も多くの高校野球ファンの記憶にとどまるのは間違いあるまい。

 九月十七日

 仕事への熱心さ×心のキレイさ=人間の価値

 隠岐の学聖永海佐一郎博士が「人間の真のネウチ」として立てられタ公式です。この明確な表現には心から敬意と賛歎を禁じえません。 唯われわ凡人としては、「心のキレイさ」には到り得なくても、せめて「心の暖かさ」が望ましいと思いますね。

 九月十八日

 正直という徳は、われわれ人間が、世の中で生きてゆく上では、一ばん大切な徳目です。それ故「正直の徳」を身につけるためには、ひじょうな勇気がいるわけですが、同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、それを傷つけないような深い心づかいが いるわけです。

 九月十九日

(一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。

(二)われわは、いつ何時死なねばならぬかも知れぬということ――この二重の真理が切り結ぶことによって、はじめて多少は性根の入った人間になれるといってよかろう。 

 九月二十日

 人間の書く物の中で、読まれることの一番確かなものは「手紙」である。それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、書物を書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。

 九月二十一日

      宮 沢 賢 治

 明治以後われらが民族に斯くばかり(すが)しき生命かつて()れしや

 これの世にいのち短かく()れ出でて永久(とわ)の光となりし君はも

 九月二十二日

 真に個性的な人の根底は「誠実」である。それというのも、一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、真に個性的な人間にはなれないからである。

 九二十三日

 徳化とは理屈によって化するにあらず。心の表現としてのリズムによって化するなり。 

 かくしてリズムの味は言葉には言い難いけれど、予想以上に深く人心を化するなり。

 九月二十四日

 徳川時代の偉人に学ぶということは、「現在もしそれらの人々が、この激流のような時代に生きていたとしたら、いかに行動するであろうか」と考え、「今日自分として如何に生きることが、それら超凡の偉人の心懐に一脈通うであろうか」との志念やむなきものがなくてはならぬでしょう。

 九月二十五日

 今日は藤樹先生のご命日です。

 処が私にとって最深の痛恨事は先生のお墓と並べて、故橋田邦彦氏の慰留碑と称するものの建っていることで、けだしこれほど大なる冒涜はないからです。これは戦後一、二の人間が政治的に策謀して、中央から知事を通して天下り的に押しつけて来たものです。そこで私は「聖域」を旧に復するために、数年前藤樹学者の木村光徳、林秀一の二氏と語らい、これを地続きの玉林時の境内に移すよう先方に申し入れたのですが、未だにそのままです。 思うにそれらの人々には、それが却って橋田氏を傷つける所業だということが分からぬらしいのです。 

2011.09.

 九月二十六日

 道の継承には、少なくとも三代の努力を要せん。従って継承者は師におとらぬだけの気魄と精進を要せん。
 
 九月二十七日

 われわれ有限者にとっては。絶対者は幻を通してしか接しえられない。 それはちょうど、晴れた日の太陽は直視できないように、 雲間を透してのみ、その姿を垣間見ることが出来るようなものです。

 九月二十八日

 私の学問は「哲学」とか「心実学」というよりも「全一学」と呼ぶのが応わしようです。また私が尊敬している方も、西洋ではプロチノスとスピノザ、また我国では、藤樹、梅岩、梅園、慈雲及び尊徳というような人々で、いずれも「全一学」に生きた人々です。

 九月二十九日

 死の覚悟とは――いつ「死」に見舞われても、「マア仕方がない」と(あきら)めのつくように、死に到るまでの一日一日を、自分としてできるだけ充実した「生」を生きる他あるまい。
 
 九月三十日

 みすずかる信濃の宿のひと(へや)に遺書をかくがに(ふみ)かき暮らす

 (しし)むらの朽ちはてむとき()が書の命かそけく呼吸(いき)づくらむか


    劫 流

 さみだれも小止みとなれり小夜更けて耳を澄ませば遠きもの音

 「世音」ともいふべきものか小夜更けてこころに響くうつし世の音

 劫流といふべきものか現し世の底を流れて止どまらぬもの  

 無量劫の「時」を流るるもろもろの命ひしめく音聞こゆなり


 翁曰く、天道は自然なり。人道に従ふといへども、又人為なり。人道を尽して天道に(まか)すべし。人為をゆるがせにして、天道を恨むること勿れ。それ、庭前の落葉は天道なり。無心にして日々夜々に積る。之を払はざるは人道にあらず。払へどもまた落つる。之に心をわずらはし、これに心を労し、一葉落つれば(ほうき)を取って立つが如き、これちりあくたの為に役らるるなり。愚といふべし。

 木の葉の落つるは天道なり。人道を以て毎朝一度は払ふべしまた落つるとも捨ておきて、無心の落葉に役せらるること勿れ。また人道をゆるがせにして、積り次第にすること勿れ。(二宮尊徳翁夜話より):岩波文庫『二宮翁夜話』(1984年4月5日 第18刷)P.153


10月

ありがたさ
夜が明けるということは
なんとありがたいことだろう
光りが射してくるということは
なんてうれしいことだろう  
        真 民


 十月一日

 因果というものは厳然たる真理です。それゆえ如何にしてかかる因果の繋縛を超えるか。 結局はその理を体認透察することであるが、現実には後手(まごて)に廻らぬこと。つまり常に先手、先手と打ってゆくことである。

 十月二日

 一体どうしたら思索と行動のバランスがとれるか。

第一に、物事をするのをおっくうがらなぬこと。

第二に、つねに物事の全体を見渡す智慧を――

第三に物事の本質的順序を誤らぬこと。

そしてこれらの凡てを総括して行動的叡智という。

 十月三日

 この世の事はすべて借金の返済であって、つまり処天のバランスです。すべてが「宇宙の大法」の現れだということが解ったら、一切の悩みは消えるはずです。

 十月四日

 真の形而上学は、古来孤独寂寥に生きた魂の表題以外のなにものでもない。    ――一例 スピノザ――

 十月五日

 天下同悲の人をおもう。

 石 不 言  花 不 語

 十月六日

 (すぐ)れたる(さえ)もたせけるこの友の(めし)ひし運命(さだめ)何とかもいはむ

 庭樹々に来啼く小鳥のもろ声ををしずかにし聴く友の姿や

 十月七日

 読書は単に知的な楽しみだけであってはならぬ。直接間接に、わが生き方のプラスになるものを選びたい。 それには単に才能だけで生きた人より、自殺寸前というよう様なギリギリの逆境を突破して、見事に生き抜いた人のものの力が、はるかに深く心を打つ。

 十月八日

 「笑顔は天の花」

 笑顔によって、相手の心の扉が開けたらー。

 十月九日

 母親は単に家族の一員でなくて、まさに家族の太陽である。

 十月十日

  親として大事なこと二つ

(一)親自身、自分の為すべき勤めと真剣に取り組むこと。

(二)つねにわが子の気持ちの察しのつく親になること。

勿論後者のほうが何層倍とむつかしい。

 十月十一日

 これだけの俸給を得るために、主人がどれほど下げたくない頭を下げ、言いたくないお世辞を言っているか一ということの分かる奥さんにして、初めて真に聡明な母親となるわけです。

 十月十二日

 夫婦のうち人間としてエライほうが、相手をコトバによって直そうとしないで、相手の不完全さを其のまま黙って背負ってゆく。夫婦関係というものは、結局どちらかが、こうした心の態度を確立する外ないようですね。

 十月十三日

 裏切られた恨みは、これを他人に語るな。その悔しを噛みしめてゆく処から、はじめて人生の智慧は生まれる。

 十月十四日

 男として大事なことは、見通しがよく利いて、しかも肚がすわっているということー

 この両者はもちろん関係は深いが、しかし常に一致するとは限らない。

 十月十五日

 地上における人間の生活は、時あっては血飛沫(しぶき)を浴びつつ前進しなければならぬ場合もある。随って砂塵や烈風を恐れるものには、真の前進はあり得ない。

 十月十六日

 善人意識にせよ、潔白さ意識にせよ、もしそれを気取ったら、ただにイヤ味という程度を越えて、必ずや深刻な報復を(まぬ)ぬかれぬであろう。

 十月十七日

 仏・魔の(かん)、真にこれ紙一重のみ。

 十月十八日

 人間のシマリは、「性」に対するシマリをもって最深とする。

 しかも異性に対する用心は、何といっても接近しないことである。如何なる人でも近づけば過ちなきを保し難いのが、「性」というものの深さであり、その恐ろしさである。

 十月十九日

 私はおコワならおコワ一式、ソーメンならソーメン一式、ソーメンを頂いてからご飯も頂くことはしません。

 十月二十日

 この地上では、何らかの意味で、犠牲を払わねば、真に価値あるものは得られぬとは、永遠の真理である。だからもしこの世において犠牲の必要なしという人があったとしたら、それは浅薄な考えという他ない。

 だが犠牲は他に強要すべきものでは断じてない。かくして犠牲において、大事な点は、自ら犠牲の重荷を負う本人自身には何ら犠牲の意識がないどころか、そこには深い喜びと感謝の念の伴うのが常である。

 十月二十一日

 人間晩年になって仕事が与えられるということは、真に辱ない極みと思わねばならぬ。待遇の多少などもちろん問題とすべきではない。

 十月二十二日

 「世の中はなるようにしかならぬ、だが必ず何とかはなる――」

 もしこの「何とか」というコトバの中に、「死」というコトバも入れるとしたら、これほど確かな真理はないであろう。

 十月二十三日

 もし私があの世へ、唯一冊の本を持って行くとしたら、恐らくは「契縁録」をえらぶでしょう。何となれば、それは二度とないこの世において、私という一個の魂が、縁あって巡り合い知り合った人々の自伝の最小のミニ版だからです。

 十月二十四日

 中にゐて中と思はぬ霞かな

 娑婆即寂光浄土。

 十月二十五日

 愛する前に理解がなければならぬ。同時に愛しなければ真の理解は得難い。それ故かかる処にも、生きた真理は、すべていのちの円環を描いてみることが分明である。

2011.10.

 十月二十六日

 人間を知ることは現実を知ることのツボである。  わたくしが人間に対して限りなき関心をもつのは、生きた人間こそ無量な「真理の(たば)」だからである。

   
 十月二十七日

 「性」への深い洞察なくては、学問もなければ思想もない。いわんや聖人聖者においておやである。

 なんとなれば、聖者聖人とは、人間性の洞察に達した人生の大達人ともいうべき人々だからである。
 
 十月二十八日

 人間の一世(ひとよ)思へばおのがじし負ひ来し「業」を果さむとする

 これの世にいのち()れにし(くす)しさよおのもおのもが業果しする
 
 十月二十九日

 祖先の「血」は即今この吾において生きつつある。

 ――この理が真に解った時、人は初めて人生の意義もわかりかけ、同時にその時天地の実相の一端にも触れむ。
 
 十月三十日

 親への孝養とは、単に自分を生んでくれた一人の親を大事にするだけでなく、親への奉仕を通して、実は宇宙の根本生命に帰一することに外ならない一一

 これ藤樹先生のいわゆる「大孝」の説であり、これを今日の言葉でいえば、まさに「孝の形而上学」というべきであろう。

 十月三十一日

 たらちねの親のみいのちわが内に生きますと思ふ(かしこ)きろかも   


 万有に遍在する真理の霊をはっきり見るには、この世のいかなる物をも愛することができなければならぬ。またそれを熱望する人は、生活のいかなる場をも回避することはできない。

 だから私は真理への献身のあまりに、政治の場に引き入れられたのだ。私は謙虚にではあるが、いささかのためらいもなく、「宗教は政治とまったく無関係である」という人は、宗教の何たるかを知らない人だといい得る。

(ガンヂ一)  


11月

かなしみは
わたしを強くする根
かなしみは
わたしを支えている幹  
かなしみは
わたしを美しくする花
かなしみは
いつも堪えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
        真 民


 十一月一日

 男は無限の前進に ()けるところがなければならぬ。
 女は耐えに耐えつつ貫き通すことが大切。

 十一月二日

 死の絶壁に向かってよくボールを投げつけ、そのはねかえる力を根源的エネルギーとしながら、日々を生き抜く人物の生きざまは、げにも(すさ)まじい。

 十一月三日

 日本史を通観する時、天皇は民族の虚中心といってよい。だがそれは生身としてではなく位格としてである。随ってそれが実中心となった時代は比較的短く、かつ実効を伴わなかった。

 そしてそれが顕著に功績を挙げたのは、上古を除けば、近世ではほとんど明治期だけといってよい。それは、明治期は我らの民族が封建体制を脱して、近代国家として世界に門戸を開くという異常な時代だったが故であろう。

 十一月四日

 肚をすえるという事は、裏返せばすべて神まかせという事でもある。 だが単に神まかせというだけでは、まだ観念的であって、よほどそれに徹しないとフラつきやすい。

 十一月五日

 宗教とは、ある面からは現実認識への徹到ともいえよう。 そしてその場合、現実の中心を為すのはもちろん人間である。随って人は、宗教によって真の人間認識に達しうるともいえよう。

 十一月六日

 嫉妬は女にのみ特有のことではなく、男女に共通する最深の罪といってよい。そしてそれは結局、自己の存在がおびやかされる事への危惧感であって、いかに卓れた人でも、事ひと度自己の専門に関する事柄ともなれば、いかに隠そうとしても嫉心が兆す。

 十一月七日

 真に心深き人とは、自己に縁ある人の苦悩に対して深く共感し、心の底に「大悲」の涙をたたえつつ、人しれずそれを噛みしめ味わっている(てい)の人であろう。 

 十一月八日

 〽津軽野をわが訪ひ来ればまず仰ぐ岩木霊山よ常若(とこわか)にして

 〽津軽野に(すが)しくたてる岩木() よ霊山というも(うべ)にこそあれ

2011.11

 十一月九日

 どんな地位にある人でも、一旦盲目になったら、あんまになる他に途はない。それ故一刻も早くそこまで身を落とさねばならぬ――これが三十代の半ばにおけるわたしの自慢の一支柱でした。

 十一月十日

 人間は真に覚悟を決めたら、そこから新しい智慧が湧いて、八方塞がりと思ったところから一道の血路が開けてくるものです。

 十一月十一日

 知識の完全な模写物より、自分が(からだ) でつかんだ不完全知の方が現実界でははるかに有力である。

 十一月十二日

 この世では、総じてキレイごとで金をもうけることはむっかしい。これ現実界における庶民的真理の一つといってよい。

 十一月十三日

      西晋一郎先生

 (うつ)そ身の人の形に()れましてもろもろ人に道示させし

 みいのちに触りせざりせばおぞの身のいのち如何に生きむとやせし

 十一月十四日

 名利の念を捨てることは容易でないが、それはとにかくとして、少なくとも名利が絶対的でない事を知らせて下すった方こそ、真に「開眼」の師というべきであろう。

 十一月十五日

 師は居ながらにして与えられるものではない。

 「求めよ、されば与へられん」というキリストの言葉は、この場合最深の真理性をもつ。

 十一月十六日

 「知愚一如」の真理を身に体するのは、容易なことではないが、一応分からせて頂いたのは、河上肇博士の宗教の師で、「無我愛」の行者の伊藤証信さんからでした。

 十一月十七日

 知って実行しないとしたら、その知はいまだ「真知」でない――との深省を要する。無の哲学の第一歩は、実はこの一事から出発すべきであろうに――。

 十一月十八日

 地上の現実界は多角的であり、かつ錯雑窮まりない。随って何らかの仕方で常にシメククリをつけねば仕事は進まない。そしてそれへの最初の端緒こそ、ハキモノを揃えるしつけであって、それはやがて又、経済のシマリにもつながる。

 十一月十九日

 分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間も分を自覚してから以後の歩みこそほんものになる。だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ、「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。

 十一月二十日

 分を突きとめ 分をまもる。

 十一月二十一日

 人間の真価を計る二つのめやす――。

 一つは、その人の全知全能が、一瞬に、かつ一点に、どれほどまで集中できるかということ。もう一つは、睡眠を切りちぢめても精神力によって、どこまでそれが乗り越えられかということ。 

 十一月二十二日

 すべて一芸一能に身をいれるものは、その道に浸りきらねばならぬ。躰中の全細胞が、面なら面、短歌ならば短歌にむかって、同一方向に整列するほどでなければなるまい。

 十一月二十三日

 声は腹より出すものなり。座談に至るまで、その一語一語が腹より出づるに到れば、これひとかどの人物というべし。それには常に下腹の力の抜けぬ努力が肝要。

 十一月二十四日

 我執とは、自己の身心の統一が得難く、その分裂乖離の結果、心の欲望の対象に偏執する相といえる。 それゆえ、およそ「修業」の根本となるものは、いずれも身・心の相即的統一を図る工夫をを念とする。

 十一月二十五日

 人は他を批判する前に、まず自分としての対策がなければならぬ。しかも対策には何よりもまず着手点を明示するを要する。この程度の心の用意なきものは、他を批判する資格なしというべし。 

 十一月二十六日

 今や東京は、その人口が世界最大のみならず、政治・経済・文化等の一切を貪り集めている。そのうえ、文化の伝達機関たる出版までも独占し、ためにアメリカ風の浮薄な文化が、今や全国的にまんえんして、ほとんどその極に達せんとしつつある。これ私が「遷都論」を唱えざるを得ないゆえんである。
 

 十一月二十七日

 学問や思想の世界においてさえ、真に自分の眼でその真偽・優劣を判断せずに、広義の世評を基準としてしか物の判断のできない人が多いということは、真に嘆かわしい極みである。
 
 十一月二十八日

 交通機関の速さが、今後人間関係をいよいよ複雑にし、かつ刹那的にするであろう。ではそうした狂躁的な社会にいかに対処するかが問題だが、これも根本的には各自が「腰骨を立てる」以外に(みち)はあるまい。 というのも結局は、自分の主体的統一を堅持する以外に途はないからである。
 
 十一月二十九日

 人間は(一)職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと。

    (二)この世への報謝として「自伝」を書くこと。随って自伝はその意味からは一種の「報恩録」ともいえよ                 う。

    (三)そして余生を奉仕に生きること。

 これ人間として最低の基本線であって、お互いにこれだけはどうしてもやり抜かねばならぬ。
 
 十一月三十日

 冬に入る日本海のすさまじさ潮騒(しおざい)の音を聞きにけるかも

 〽陽の落ちて暗くしなれるこの岸に打ちともよせる潮騒の音  (石見の海)


    朋 遠 来

 〽遠国ゆ訪ひこし友とひと時を語りつつをり命惜しむがに

 〽この友の一世(ひとよ)のあゆみ思ひつつわれも語りぬ在り経しことゞも

 〽これの世に命ふたつが相触りし(えにし)をぞおもふここに真向ひ

 〽宿世(すくせ)(えにし)とやいはめこの友のひと世の歩みしみじみと聞く  

 


 私は人間への奉仕を介して見神に(はげ)んでいる。

 私は神が天界にましますのでも、下界にましますのでもなく、一人一人の人間の心の中になしますのを知っているからだ。

 実際、宗教はわれわれ人間の行為のすべてに浸透していなければならぬ。そうなってこそ、宗教は宗派心ではなくなり、宇宙の秩序ある道義的秩序への信頼を意味するものとなる。
                           ガンジー


12月

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう 
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
つゆぐさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
        真 民


 十二月一日

 日本民族の使命は将来の東西文化の融合に対して、いわばその縮図的原型を提供する処にあるだろう。

2011.12

 十二月二日

 一眼は遠く歴史の彼方(かなた)を、
 そして一眼は脚下の実践へ。

 十二月三日

 日本民族の世界観は、一口にいえば「神ながら」である。 神ながらとは、民族生命の原始無限流動の展開をいう。 そしてこれが、明治維新まで儒仏の文化を摂取し溶融したが、ついで維新以後は、西欧文化の摂取を容易ならしめた根源力である。

 十二月四日

 新しい愛国心の中心は、まず日本民族に対する全的信頼を恢復することであろう。

 十二月五日

 世界史は結局、巨大なる「平衡化」への展開という外なく、わたしの歴史観は「動的平衡論」の一語につきる。 すなわち「動的平衡論」とはこの宇宙間の万象は、すべてこれ陰(マイナス)と陽(プラス)との動的バランスによって成立しているということである。

 十二月六日

 「物質的に繁栄すると、とかく人間の心はゆるむ。」

 これまた「宇宙の大法」の一顕現であり実証である。

 十二月七日

 根本的原罪は唯一つ、「我性」すなわち自己中心性である。

 そして原罪の派生根は三つ。(一)性欲(二)嫉妬(三)搾取。 

 十二月八日

 ひとたび「性」の問題となるや、相当な人物でも過ちを犯しやすい。古来「智者も学者も踏み迷う」とは、よくも言えるもの哉。

 十二月九日

 職業とは、人間各自がその「生」を支えると共に、さらにこの地上に生を享けたことを実現するために不可避の道である。されば職業即天職観に、人々はもっと徹すべきであろう。

 十二月十日

 人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、おのずからそこに小天地が開けて来るものです。

 十二月十一日

 玄米とみそ汁を主とする生活の簡素化は、今日のような時代にこそその意義は深い。それは、資本主義機構に対する自己防衛的意味をもつ一種の消極的抵抗だからである。

 十二月十二日

 人は内に凛乎(りんこ)たるものがあってこそ、はじめて「清貧」を貫きうるのであって、この認識こそが根本である。

参考:清貧:中野幸次『清貧の思想』(草想社)、良寛の詩「…僧は清貧を可とすべし」

 十二月十三日

 人間形成の三大要因

(一)遺伝的な先天的素質

(二)師教ないしは先達による啓発

(三)逆境による人間的試練

 十二月十四日

 これまで親の恩が分からなかったと解った時が、真に解りはじめた時なり。報恩に照らされて来たればこそ、即今自己の存在はあるなり。

 十二月十五日

 人間は一人の卓越した人と取組、その人を徹底的に食い抜けること――これ自己確立への恐らくは最短の捷径ならむ。

 十二月十六日

 逆算的思考法とは、人生の終末への見通しと、それから逆算する考え方をいう。だがこの思考法は、ひとり人生のみならず、さらに各種の現実的諸問題への応用も可能である。

 十二月十七日

 人生を真剣に生きるためには、できるだけ一生の見通しを立てることが大切です。いっぱしの人間になろうとしたら、少なくとも十年先の見通しはつけていきるのでなければ、結局は平々凡々に終わると見てよい。

 十二月十八日

 真に生き甲斐のある人生の生き方とは、つねに自己に与えられているマイナス面を、プラスに反転させて生きることである。

 十二月十九日

 人間の甘さとは、自分を実際以上に買いかぶることであり、さらには他人の真価も、正当に評価できないことであろう。

 十二月二十日

 「誠実」とは、言うことと行ことの間にズレがないこと。 いわゆる「言行一致」であり、随って人が見ていようがいまいがその人の行いに何らの変化もないことの「持続」をいう。

 十二月二十一日

 「心願」とは、人が内奥にふかく秘められている「願い」であり、如何なる方向にむかってこの自己を捧げるべきか――と思い悩んだあげくのはて、ついに自己の献身の方向をつかんだ人の心的状態といってよい。 

 十二月二十二日

 「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」(論語)

 生きた真理というものは、真に己が全生命を()けるのでなければ、根本的には把握できないという無限の厳しさの前に佇立(ちょりゆう)する想いである。

 十二月二十三日

 礼拝とは(一)首を垂れること (二)瞑想すること (三)両手の掌を胸の辺りで合わせる――という三要素。最も簡易にして、かつ最も普遍的な宗教的行といってよいが、いずれも人をして相対を超えしめる具体的方案といってよい。

2009.12.

 十二月二十四日

 神はこの大宇宙をあらしめ、かつそれを統一している無限絶大な力ともいえる。同時にそれは他面、このわたしという一人の愚かな人間をも見捨て給わず、日夜その全存在を支えて下さる絶大な「大生命」である。

 十二月二十五日

 立腰と念仏の相即一体は宗教の極致。

 即ち自力他力の相即的一体境であって、いずれか一方に固定化する立場もあるが、両者の動的統一がのぞましい。 

 十二月二十六日

 「生」の刻々の瞬間から「死」の一瞬にいたるまで、われらの心臓と呼吸は瞬時といえども留まらない。これは「ありがたい」という程度のコトバで尽くせることではない。「もったいない」と言っても「辱ない」といってもまだ足りない。文字通り「不可称不可説」である。
 

 十二月二十七日

 〽けふひと日いのち生きけるよろこびを 夜半にしおもふ独り起きゐて
 
 十二月二十八日

 私が何とか今日まで来れたのは、十五歳のとき叔父の影響で岡田式静坐法を知り、自来八十二歳の現在まで一貫して腰骨を立てて来たことに() るが、しかし近ごろになって、それだけでは尚足りず、やはり「丹田の常充実」こそ最重大なことに目覚めて、今や懸命にこれと取り組んでいます。(尚、丹田の充実には、最初に「十息静坐法」をした上で入るのが良いと思います。)

 十二月二十九日

 我われ一人びとりの生命は、絶大なる宇宙生命の極微の一分身といってよい。随って自己をかくあらしめる大宇宙意志によって課せられたこの地上的使命を果たすところに、人生の真意義があるというべきであろう。
 
 十二月三十日

 私の死後、この実践人の家を訪ねて、「森とは一体どんな人間だったか」と尋ねる人があったら、「西洋哲学を学んだがもうひとつピッタリせず、ついに『全一学』に到達して初めて安定したが、それ以外には唯石が好きだった」と仰しゃって下さい。
 
 十二月三十一日

 念々死を覚悟してはじめて真の生となる。 


    自 銘
                  不 尽

 学者にあらず

 宗教家にあらず

 はたまた教育者にあらず

 ただ宿縁に導かれて

 国民教育の友としてこの世の「生」を終えん

※平成四年十一月二十一日 先生ご逝去。