第二話:初めてのホームステイ━その1━

平成2年7月18日水曜日 

▼昨夜(今朝)0時半過ぎに寝たが、4時半に目が覚めて眠れず6時過から散歩。 

 9:00 大学の cafeteria で朝食

 10:00~ 生徒は English conversation class に参加。

 先生たち・添乗員は学校の見学。

1.学生の放送・新聞設備、本屋・学用品の棟。
2.ロボットの研究(ネパールかインド系の人が説明)。
3.コンピューター。
4.医学部(整形関係の研究の一部、関連病院は市内にある)。
5.図書館。蔵書45万冊(スペースは十分)。
0OHIO 州には state university は12校、その他の大学は40校ある。

▼昼食 屋外でハンバガー(ホットドッグ)・野菜サラダー・飲み物。出前専門の店が準備していた。
 assistant vice president とブラジルの研修団のリダー、小林先生と小生、生徒2名が同席。楽しく会話しながら食事。
 午後の予定の English conversation class は中止(Jim は、生徒が一生懸命に午前中勉強したからと説明)。
 14:00 から荷物の整理、15:00 から host family が生徒の pick up にくる。

「かけはしさん」訪問 

 大正10年(奥さん)生れ。ご主人が脳血栓で倒れてリハビリの最中。これまで毎年、岡山理科大学関係の host family になられている。日本社会の情報源にされている。奥さんは家で縫物をされている。外人女性の声もしていた。

 日本人にたいするアメリカ社会の変化を例え話しで話されたのが、アメリカの人が日本人の見方の移り変わりと同時に日本人のアメリカへの溶け込みをしることが想像できた。

 奥様の時代    日本人であることに肩身が狭かった。
 子供の時代    日本のものを見せるのが恥ずかしかった。
 孫の時代(現在)日本の“おにぎり”などのびのびと見せている。
 お孫さんが来た。アメリカ人と日本人(奥さんの娘)の ハフ、10学年(日本では高校1年生相当)
 祖父(アメリカ生れの日本人)が孫にすこしずつ日本語を教えている。

ホームスティ(Home Stay)

 Brent W.Young 氏の自動車で彼の家に行く。

 自動車から見た町は静かで治安もよく全く不安は無さそうである。

 奥様は買い物に行っていると言っていたが既に帰られていた。

 早速2階の私のための寝室(個室)に案内された。

 それから家の中を全部案内され、気楽にしてくれと言われた。服を着代えた。

 家の作りは2階建。2階は寝室が3部屋。家の前は広い芝生の庭がある。約300 坪位。

 昨日、花屋で花を買いたいと大学での案内人(レスリングの champion )に言ったところ、君は gardener? かと言われたが、なるほどこんな庭があればこんな挨拶になることが分かった。庭の一角に野菜を植えていた。レタス、ピーマン、トマトなど。兎が出てきて食いちぎるので網で囲んでいた。

▼家事の分担 主人と奥さんが料理を始めた。ステーキである。屋外のガスオーブンで焼く。3人前、50センチ×15~20センチ位の大きさである。主人の担当である。奥さんは野菜サラダーを作る。夫婦で準備。

 家族の話し:私の家では家内は働かずに家にいる。私は料理などしないと言うと。余り不思議な顔をしない。(仕事を分け持つと言う考えからおかしくないようである)。この家族は夫婦が大学で働き、奥さんは大学院の博士過程を勉学中である(生涯学習と資格を取ることにより仕事が変わり収入もよくなる)。当然家事も分担している。ご主人が奥様の勉強の手伝いを日曜日にはされている。

 指導力:彼等には高校生の娘さんがいる。Michigan に summer camp の指導に出掛けていた。夏休みの過ごし方が推察できた。高校生の指導力の養成に役立つのではないかと思う。奥さんは 34 歳,主人は 43 歳位。主人の子供か?

▼夕食 皆な好きな飲み物。主人はバーボン、奥さんは葡萄酒、小生はビール。

1.食事中 頻繁に美味しいと、お互いに作ったものを誉め合う。ステーキは主人が焼き、野菜サラダーを奥さんが作った。日本の肉のコスト、食前食後の挨拶など会話が弾んだ。また、日本では考えられないくらい会話を楽しむようである。
2.食後 めいめいが食器を下げる。小生も同じようにすると thank you! と直ぐに言われる。また、こちらが thank you! と言うと、you are welcome! が必ず跳ね返ってくる。食器洗いの器械がある。

食後、家の key を渡してくれた。朝食は自分で好きなものをたべなさいといわれた。小生は何もできないので、卵のスクランブルの作り方を教えてもらった。自分たちの生活のリズムは壊さないで、しかもお客さんにも自由にさせることのようである

 夜、遅くまでご夫妻と歓談。当時の私は英会話がすこしできていた。
 話の中で、私の年齢を forty といったところ、You hope that you are forty for ever! と、大笑い。

 ご主人の名前 Brent & Mindy Young

参考:後日談:Brent & Mindy Youngが翌年、来日されて、我が家に来られて、家内と一緒に天ぷらを作って、会食したのが忘れられない記憶に刻まれている。

※:来日前の手紙

June 1.1991

Dear Mr. Kurosaki
I hope this letter finds you and your family well. I am sorry for not writing sooner but this year has been very busy for Mindy and myself.
Mindy is now a Doctor of Philosophy she completed her dissertation –a long book on her subject-and graduated from Bowling Green State University in December.
My daughter, Rachall, just graduated from high school. She is 18 years old and will attend Wright state this September. I am taking a course also at Wright state and have been studying Japanese language since January. I need much more study to be understood, I am afraid.
I will be arriving in Okayama on June 25. I will be travelling with one other adviser and about 15 students. I am very excited. We will be staying in Japan until June 24.
I hope I have the opportunity to see you and your family. I am going to bring many picture of Dayton to show while I am in Okayama.

I will say SAYONARA for now.
Sincerely
Brent Young

写真をクリックしますと少し大きい画面になります。

Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.

平成二十五年十二月二日

クリックすればTopへ返ります

Click Please