第四話:研修旅行━ナイアガラ・ワシントン・ニューヨーク━

平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

ナイアガラ見物

 Minolta Tower で昼食。最上階に登り全体を眺めると四周は水平線の大地であった。中国人の見物客が多かった。

平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

 団体旅行での食事について思った。今回の旅行では外人の中に分散して囲まれて、食事をする機会はほとんどなくて、私たちのグループが集まって食事をした。たまには近くに外人もいたが幸いに生徒も彼等から注意されるような行動もしなかった。しかし彼等の食事マナーを観察できなかったのは残念であった。

私見 生徒観察

1.余り感激性を示さない。何故か?

 Marshall McLuhan's theory that television would turn the world into a global village.

 これが本当かも知れない。日本のTVで見たことのないホームスティ、学生との協同生活などが研修旅行に役立つのだろうと思った。

2.歩道でも全体に広がって立ち stand, walk の区別なしに。どこでもやたらに大きな声で話す。

3.自動車の中でガイドの説明を聞いていないもの、トランプをしているなど。

▼Niagara ~~Buffalo ~~Detroit ~~Washington 移動。

平成2年7月24日火曜日 ワシントン

▼ワシントン 見物。

1.Mount Vernon 見物。VIRGINIA と MARYLAND の州境にある。今回初めて見物。

注:マウントバーノンはアメリカ合衆国バージニア州アレクサンドリア近くに位置し、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンのプランテーションがあった所である。木製の邸宅は新古典主義ジョージア調建築様式であり、地所はポトマック川の堤にある。

2.アーリント墓地では Robert Kennedy の墓を見た。軍人墓地で兵隊と将校の墓の違い。John F.Kennedy 大統領就任演説の刻まれた石に腰掛けた生徒が叱られた。何処でも凭れたり、腰掛けたりする癖を注意しなければならない。見てもみないふりをしないで,直ぐに注意する人がアメリカにはいる。平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

3.Lincoln Memorial、Potomac River、Rosslyn Hotel の階上で昼食。Georgetown University を遠望。VIRGINIA はタバコとハムで有名。日本(東京・埼玉)の高校生が50人位いた。home stay 3週間、sight seeing 2週間の予定。

4.White house、The Capitol Sumisonia Air Museum 見学。

5.スパーマーケットで生徒は自分の好きなものを要領良く買っている。travel check を使っている。こんな体験がいきるのだろう。全く物怖じしていない。

平成2年7月25日水曜日 ニューヨーク

▼ワシントンからニューヨーク市へ移動。

 Washington Union Station (The capitol から放射線状に街が開けているから、この駅からもそれが見える)。駅前の Lincolon の statue と地球儀の石像が印象的である。駅は物凄く清潔で立派である。

 Amtrak Metroliner Service Northbound に乗る。TVで見た列車である。

 Dp Washington 10:00 a.m.→Dp Baltimore 10:31 a.m.→Dp Wilmington 11:15 a.m.→Dp Phila. 11:35 a.m.→Ar Newark 12:33 p.m.→Ar New York 12:49 p.m.

 whistle がもの寂しい。座席はリクライニング、足を乗せる台もある。床にはカーペットが敷かれていた。一列4座席。New York City まですれちがったのは3回である。発車時にもベルがならない。日本の社内の騒々しさは全くない。途中の停車駅で乗り込むものは少ない。

 車両の用途を表示している。例えば、Coach, Sleeper, Dinner, Baggage など。車内での生徒は、host family にハガキを書くもの、トランプ、読書をしているもの、居眠りをするもの。生徒には Walkman を持たせなかったのは良かった。

感想:Metroliner Service の乗車中の時間は考える時間を与えてくれた。

1.沿線の風景 廃屋はどうしようもない。行けども行けども平地。ボロ家がかなりある。Naiagara~Buffalo でも化学工場が廃墟のまま放置されていた。

2.アメリカは広い。パイオニア精神の持ち主、孤独に耐えて自立心のある人が幾らでも活躍できる国だろう。

3.アメリカの小説を読むのにアメリカの風土環境を条件にいれること。家族全員の仕事の分担(今回体で感じた)、アメリカ人の hospitality は人間の淋しさ、滅多に人に会えない環境なればこそ作り出されたものだろう。

  Do it yourself. は当然要求されるものである。

参考:「アメリカにきておどろいたことのひとつは、機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった」。「ワシントンからニューヨークにもどる途中、列車の窓からフィラデルフィアの鉄鋼製構造物の廃墟群をみたときだった。」『アメリカ素描』より。

▼昼食 は N.Y.City のエンパイアステートビルの近くの日本料理店。ビールを飲みながら。生徒(中学生)はアルコール飲料に興味を余り持っていないようで先生が飲んでいても気にしない。昼食後、市内見物

1.国連ビルに行く。ビル内の tour はなくて、何だかあっけない感じがした。地階の売店で 1991 年のカレンダー5本購入。

2.ハーレムをバスから見物(セントラルパークよりさらに北側)。全く黒人ばかりである。ハーレムはオランダ人が建築をした19世紀末の高級住宅であったとのことである。もうすこし観察すれば良かった残念。

参考:吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』講談社文庫があるが未読。

私見 修学旅行

1.私の旧制中学時代を思い出す。一年上級生まではあったが、戦時中の昭和17年、文部省により中止された。

2.当時の高校の修学旅行の一切の費用が7万円以下と規制されている。

3.今回の中学校の旅行は直接費用だけで60万円、その他を入れると高額である。

4.JTBの完全なリードである。学校としては責任上、事故・トラブルの無いことを念願するのは当然であるから、旅行中も毎日生徒指導をする。もちろん、事前学習にも力をいれる。旅行中自由行動の時間が少なく自己体験も少なくなる。従ってホームスティなどが有効である。

平成2年7月26日木曜日 ニューヨーク

▼N.Y.市内観光 9:00 Madison Tower Hotel (38th Street Madison Ave.)を出発。

1.貿易センター2に行く。途中バスでワシントン広場、グリニッチビレッジなどを通る。gay street の街路名が見えた。

2.Staten Island Ferry Boat に乗る。この島に最初に入椊したのはオランダ人である。マンハッタン島より大きい。乗り場の時計の表示が面白かった。Next Ferry Departs In 06 Minutes. Inの使い方が面白い。日常関連記事を読んでいるうちに前置詞など正確に覚えてしまう。Children Excursion group の遠足風景を見る。N.Y.港を30分往復した。自由の女神、マンハッタン島を眺めての一時であった。

3.中華街で昼食。この街には孔子の立像があった。中国人は外国でも自分たちの街を作るとの説明があった。(Niagara で中国人が多かったのが理解できた)。

参考:「中国系は濃厚な文化を共有しているだけでなく家族主義で寄り添っている。」『アメリカ素描』より。

午後の見学

1.Metropolitan Museum 見学。1時間半の自由時間は短かすぎた。英国の大英博物館と比較しながら見物。

2.五番街で shopping してホテルまで歩いて帰る。

写真をクリックしますと少し大きい画面になります。

Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.

 
平成二十五年十二月七日

クリックすればTopへ返ります

Click Please