第三話:ベルンでの楽しい交流
平成4年08月07日金曜日(12日目) ★ホテルのInformation が珍しかったのでノートした。
INFO Deutsch Seite 1 ▼感 想
1.環境問題を実行している。
▼朝 駅前広場見物 相当数の自転車が並んでいる。日本に似ている。New York では見られない風景である。自転車泥棒が少ないのだろう。 孫の土産に置き時計2コ買う。1コ、SwF59(US$91)。 ★Interlaken 見物 Urs(長男の研究友達であった) 、女医さん 、女の子供(ちょうど小学校入学前)、お母(フランス人)さんの4人と我々4人。湖岸で写真撮影。湖では泳いでいる人は見られなかった。 Niederhorn(1950m) に登る。リフト2段階、所要時間18分。頂上で食事。Yougfrauとアイガを眺める。頂上散歩。冬はスキー場だろう。Niederhornからハングライダーをしている人がいた。 下山して、Interlaken Hotelで休憩 プール、ヘルス器具、テニスなどの設備完備。ヨーガなどの指導が行われていた。豪華なリゾートホテルだ。 ▼Bern⇔Interlakenでは Autobahn を走る。速度制限の標識がない。ドイツとスイスの道路は同じ程度だと感じたが、長くスイスに住んでいる人によるとスイスの方が良い。またドイツでは、速度は人間の欲望であるから制限すべきでないという。スイスでは制限があるようだという。 ★夜 会食 Urs、女医さんと。市街の案内を受けながら。Prison tower Clock Tower Einstein House を通り、Untertorbrucke を渡ってフランス料理店へ行く。途中、女医さんの medical office(皮膚科)…Einstein Houseの近く…に立ち寄る。 フランス料理20:00 ~ 22:00 女医さんは、フランス生れ、エール大学(アメリカ)でも2年勉強。「フランス語が私の母国語」だと言っていた。ドイツ語、英語が堪能。スイスでこの言葉を聞くと、母国語であるといわれた実感が沸いた。 彼女がフランス語のメニューを読みながら説明して料理を選ぶ。本当に楽しい食事だった。フランス人と本物のフランス料理を戴く組み合わせによる楽しみである。 料理:飲み物 前菜…サモンのたたき、メイン…ダック、デザート…シャベット(シャンペン) *ホンジュの話し(女医さん) 冬の食事。空腹で何でもよいから食べたいときに食べるようなものである。スティッキで胃にもたれる。チーズとブドウ酒はチーズが胃の中で固まるからよくない。 Bus の Fare:市内のトロリバスに乗ってホテルの近くまで帰る。キップを買って乗るが誰もチェックしない。バーゼルでも同じだった。後ほどの Zurich でも全く同じ。 Clock Tower 時報になっている。ベルンの旧市内は小さい街だから領域全部に聞こえるだろう。『最後の授業』の昼の鐘を思い出した。 Gas pollution 耳鼻科の女医さんの診療体験から子供のアレルギー症がスイスでも増えている。 平成4年08月08日土曜日(13日目) ★ベルンの朝市 7:00ころから始まる ホテルの前の道路、広場が全部朝市の会場 野菜、果物、花、タマゴ、チーズ、手製の編み物など。はかり売り。たんいは[kg]買う人はバスケット、ビニール袋、卵のケースなど持参している人が多かった。 売る人は、親・娘・子供の家族総出だった。 売買は静かで大きい声を出している人はいない。 家内は孫に小生は、K.S.君に絵葉書に旅行便りを発信。 ★女医さん宅訪問 11:0~ Mr.Urs が迎えにきて、アパートに同行。花束と子供への土産を持参。道路に面した扉、アパートの中に扉、エレベーターの扉すべて合い鍵。ガードマンはいない。4階建ての4階の部屋、部屋数は6室(two bedrooms)。アパートには中庭があった。落ち着いた立派な家だった。絵画も大きなものが沢山かかっていた。絵画の常識がないため話の種ががなくて困った。ピアノ(子供の練習用)もあり、調度品も立派。 昼食 我々4人と Host 側4人。Dry Beef キュウリのスープ、穀物、メロン、ビール 2~3時間の食事時間 女の子供が食卓風景を図画にかいてくれた。ピアノの演奏も子供らしくしてくれた。多国語(フランス語、英語)の中で育つのだから当然バイリンガーにならざるをえない。 Lausane の歴史 A town of courage and perseverance Lausane,the capital of the canton Waadt(Vaud),is the result of centuries of hrd work. This town is situated on the north shore of Lac Leman(Lake Geneva). and with its steep terrace,it is extreamly picturesque. It was founded by the Celts, then occupied by the Romans, and eventually destroyed by the Alemannen. This is how Lausane's history began. Later, like Geneva, Lausane belonged to Burgundy,the Franks,the Second Kingdom of Burgundy,and to the German Empire. ★Geneva に向け出発。Lausane まで約30分。進行方向の右側の斜面(南向き)はブドウ畑、果物の木も背丈より少し高いくらいである。 Genevaのホテル レマン湖の西側のホテル Ramada Renaissance Hotel に宿泊.ダブルベッドが二つあった。 Weekend Charge のため Sfr188 であった。 Sfr200 ×2 twin roomsで高価だったNoisy room で room conditioner がなくて眠れなかった。 湖岸は遊園地になっている。中東の人が多い。アフリカ人もちらほら見えた。ホテルには日本人のツアーがいた。翌日の朝食では日本人だけ見られた。 夕食は湖岸のヒルトンホテルで。アメリカ式のホテルである。 ホテルは日本人のツアーがいた。翌朝の朝食は日本人だけの時があった。 夕食はヒルトンホテルのテラスで食べた。バイキング。アメリカ式のホテルである。 ★Geneva に向け出発。Lausane まで約30分。進行方向の右側の斜面(南向き)はブドウ畑、果物の木も背丈より少し高いくらいである。 写真をクリックしますと少し大きい画面になります。 Please click on each photo, so you can look at a little wider photo. |