ヨーロッパ見聞第七話:ドイツの学校教育


  ドイツに出帳した工場で Karl Satorius さんが技術的な案内をしてくれました。

  彼は大学へ進学していなかったようである。

▼日本でも小学校6年生で成績のよい同級生の友人が家庭の都合で、三菱重工業養成学校にはいった生徒がいた。しかし、ドイツと日本の内容を単純には比較することはできません。

 ドイツの工場では身分制度があるようでした。日本でも同じだとおもいます。大学卒業者と高校卒業者とでは。

▼食堂なども幹部と基幹学校出身とでは部屋がべつになっていた。たまたま、K氏は仕事の関係で上席の部屋に同席させれたことを非常にめい誉に思っている様子がうかがわれ、ネクタイを締めて背広姿であらわれました(写真の中央の人)。

▼ドイツでは、当時、多くの諸外国から働きにきていた。

  訪問した工場ではインド人で、ALI HUSSEINとハンガリ人?がいた。

  ALI HUSSEINは非常に優秀な人で、私どもの質問にもきわめて親切に答えてくれる上に、自分の仕事にも精通していた。ドイツ語・英語がペラペラであった。私ども東洋人に対する好意のようなものを感じた。

 ハンガリからの人は製品を黙々と巻き取っていた。

▼SatoriusがいうのにはALI HUSSEINは優秀であるが、ハンガリ人はだめだと。

 ドイツ人は自分と一緒に働く人間を極めてはっきりと(正しかどうかは別)批判評価するようである。


参考:ドイツの教育制度(インタネットによる)

 初等教育

 まず義務教育の年齢(6歳)に達した子供は一律<基礎学校(Grundschule)>と呼称される初等学校へと進学し、10歳まで4年間の教育を受ける。義務教育である事から、原則として入校試験などはない。概ね日本の新学制における小学校1年生から小学校4年生に相当すると考えてよい。修了後は卒業という形式は行わず、上部学校の5年生へ<編入>するという形式で学業を継続する事になる。またこの時に職業教育か高等教育準備のどちらを希望するか、予め進路選択を行っておく必要がある。

所感:<小学校4年終了で卒業、その時に職業教育か高等教育準備のどちらを希望するか、予め進路選択を行っておく必要がある>と。厳しい状況であると思えるが、先生も本人もどちらを選ぶべきか分かる年齢であるとおもう。現在の日本の生徒・家族は参考にしてはどうかと思う。

  職業訓練

  一方、大学などの高等教育を希望しないか、もしくは志願できるだけの学力を持たない学生は、基礎学校を卒業してのち、直ちに労働者としての訓練を受ける。この進路を選んだ場合は、それぞれ<基幹学校(Hauptschule)>および<実科学校(Realschule)>と呼ばれる教育課程の、どちらかを選択する場合が殆どである。

  基幹学校は職業訓練校のようなもので、義務教育の延長として小学校高学年から中学校に相当する5年制教育を受ける。基本的に義務教育の範囲内として留年や進級試験はないが、最終学年への進学のみ進級試験に合格する必要がある。ここで訓練程度を測った上で、卒業者に日本の中卒相当の資格を与える。ギムナジュウム編入などが困難である事に加え、そうした意欲や可能性を持つ生徒は、後述する実科学校への進学を希望する為、多くは15歳前後で労働者として就職する。

 実科学校は、同じく職業訓練学校として位置づけられている教育課程で、期間は6年制となる。基幹学校に比べて、実務訓練だけでなく高等教育準備に関する課程も行われるため、ギムナジュウム進学に失敗したが高等教育を諦めていない人間が進む場合が多い。卒業後は中卒相当資格と同時にギムナジュウム編入試験を受ける資格を与えられる。ただし編入試験は、実科学校内の成績優秀者でなければ合格が難しいとされており、選に洩れた生徒は、基幹学校の場合と同様に、若年労働者としての社会に出る事になる。 

中等教育

ドイツにおいては伝統的に職人の従弟制度に由来する即戦力的な職業教育と、大学教育に代表される高等教育が明確に教育課程として分離されている。従って日本における中学校及び高等学校のような、後期初等教育・中等教育の時点から異なる教育を受ける事になる。もちろん両者は途中移籍や再履修が可能であるが、一方の学校を卒業した状態から直接もう一方の進路に進む事は現実的な方法ではない(職業訓練修了→大学など)。

高等教育準備

詳細は<ギムナジウム>および>アビトゥーア>を参照

高等教育へ進む事を希望する場合、ヨーロッパ中央部で見られるギムナジウム(Gymnasium)という8年制の長期教育過程へと進学する。後期初等教育を下級生として終えた後、上級生として中等教育を受ける形となる。日本における中高一貫教育に小学校高学年を合わせたような長大なものであり、教育を受ける生徒にとって子供時代の大部分を過ごす重要な場所となる。こうした要素からしばしば文学や創作作品の舞台とされる事も少なくない。

卒業後はアビトゥーアと呼ばれる大学入校資格を取得する試験への受験資格を与えられる。このアビトゥーアが実質的な卒業試験であり、同試験合格によって正式に中等教育を完了したと見なされ、日本における高卒資格に相当する社会的地位が与えられる。

高等教育

アビトゥーア合格者は原則的にあらゆる大学・高等教育機関への進学を政府から許可される。理論の上ではアビトゥーア以外の入校試験は必要なく、望んだ大学の専攻へと進めることになる。しかし実際には定員や志願者数の問題からアビトゥーア合格者内でも成績優秀者が優先される傾向があり、また大学が個別試験を行う場合もある。

その他

また国際化により伝統的なマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう複線型学校制度に疑問が上がり、近年は米日のような単線型教育制度に近い、義務教育からアビトゥーア取得までの義務教育から中等教育までの教育を柔軟な方法で行うシュタイナー学校や総合学校制度が広まっている。他にアーヘントギナジウムという夜間制ギナジウムも存在しており、年齢制限なども寛容な傾向にあるので働きながらアビトゥーア資格を目指す方法も存在する。

天声人語 朝日新聞 2013.10.10

  季節違いをお許しいただくとして、〈学問は尻からぬける蛍かな〉の句が蕪村にある。滑稽味が漂うが、50代半ばになった我が身を思えば笑っでもいられない。読んだもの、覚えたはずのものが、体中の穴から抜けていく。そんな中、少し励まされる調査結果が出た▼経済協力開発機構(OECD)が16~65歳を対象に、社会生活で求められる能力を調べた。24力国・地域で行った初の<テスト>の結果、日本は読解力と数的思考力で1位になった。義務教育で学んだ基礎は、しっかり血肉になっているらしい▼文科省は<成人力調査>と呼んでいる。戦後の教室で蒔いてきた出来は、<良>なのだろう。何の意味があるのかと冷めた声も聞こえるが、人間が最大の資源という国である。結果が良いに越したことはない▼しかし気がかりもある。15歳を対象にOECDが行った4年前の調査で、日本は読解力で8位、数学的な応用力で9位だった。次代の子らを案じる向きは少なくない▼教育には誰にも一家言がある。<教育とは、学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう>との格言もあった。知識は尻から抜けてもいい。知恵が血肉となって残るなら。そんな意味だろうか。理想といえば理想である▼教育熱心ならいいが、点数に汲々とする<教育結果熱心>は似て非なるものだ。種を蒔いて収穫まで、人は成長の緩い椊物だと思う。遅速もまた人それぞれ。裏を返せば、どの年齢も伸びしろはある、という希望になる。

“ 教育は百年の計 ”と言われますように、どこの国でも、最重視されていますが、時の為政者達が“ 上易と流行 ”を間違えないように、国家の将来を鳥瞰した教育改革を断行して欲しいと思います

平成二十五年十月十日

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