ヨーロッパ見聞第一話:ゾーリンゲンの裁ち鋏
25年9月18日、介護保険のヘルパーさんが来られて夕食を作ってくださり、終わって実施報告をかかれていた。たまたまテーブルの上に<裁縫の裁ち鋏>があったのでドイツに行った話を少しした。
出張でドイツに出かけた時のことを『ヨーロッパ見聞』(1回目)1971年2月13日~3月8日、A4のノートに日記風にまとめていた。
伊丹にある大阪国際空港より出発した。会社の関係者数人と家内と長男が空港まで見送りに来てくれてた。 *1959年7月に第1種空港<大阪国際空港>として日本の拠点空港となった。関西国際空港の開港後は、国際線の定期便の就航はなくなり、<国内線の拠点空港>として利用されている。 飛行機内で 1、ドイツ人夫婦が帰国していた。婦人が横になっているご主人に毛布を丁寧にかけていた。彼らの子供が朝早く、お喋りをはじめると、ご主人が自分の口に指をあてて、おしゃべりをしないようにジェスチャでしめしていた。 2、食事が完全に外国のものになる。 アンカレッジ パセンジャーとしての初めての外国の地である。飛行機から待合室まで、外気より完全に遮断された通路を通って行く。アンカレッジの外気に接してみたかったができなかった。 待合室では、コインによるテレビが接置されていた。黒人が備品を掃除していた。スプレイをかけて布で磨く作業をしていた。10:00(現地時間)だのに明るくなかった。 目的地のフランクフルトの郊外は飛行機で見ると田園風景が非常にきれいに整理され、2月14日にもかかわらず緑と茶色が美しく配置され、森もかたまって見られ農家も豊かな生活をしているのだろうと想像。サッカー場が見られた。 46年2月14日(日) フランクフルトに到着。栗原君が迎えに来てくれていた。初めての飛行機旅行であり、しかもルフトファンザで、私自身が緊張していたから、彼を見てホットする。 ▼大阪→東京→アンカレッジ→ハンブルグ→ジュセルドルフ→フランクフルト。 大阪→東京は夜。東京→アンカレッジで朝になる。アンカレッジ→ジュセルドルフは夜。ジュセルドルフ→フランクフルトは朝。21時間のうちに朝・夜が各々2回あり。 *現在は11時間くらいだそうです。 ▼以後、目的の仕事をして、約1週間後の2月20日(土)休日。 フランクフルトの市内見物。まず、現地の日本航空に行く。 Machiko Joswig(ドイツ人と結婚)さんに買い物の要領をきいた。その話の中でゾーリンゲンの刃物で5%割引の紹介状をかいていただいた。日曜日のドイツの国有鉄道の切符の買い方を教えてもらう。会社からのドイツ駐在の栗原君はジュセルドルフにかぇつていたから私ども3人の行動。 ▼ドイツまで出かけてのゾーリンゲンの刃物かと疑問に思われるかもしれません。その理由は、 私の家内は裁縫が上手で、結婚当初から私の式ふく・季節には背広まで仕立て上げてくれていた、長男・長女のふくも同じように作ってくれていたからである。 そこで、ドイツでは裁ち鋏を買って土産にしようと思って写真のようなものを買ったのである。全長26センチである。 42年も経過しているので錆がきているが、今でも布などを切ると、切り口のところの刃のあたるところの諸刃(もろは)はきっちりと密着しているのには、素人の私にさえこれは立派な技術だろうと思う。切れ味は抜群である。 今回の第一話はこれにて終わります。次回以後をお楽しみしてください。 |