串田孫一著作


『博物誌』


★串田孫一『博物誌』(角川文庫)昭和34年10月10日 初版発行

★蟷螂(かまきり) P.11

 蟷螂については書くことがいっぱいあって困る。ファーブルに負けないつもりだというほどの元気はないが、ひと夏、つまり蟷螂にとっての一生を、じっくりつき合って来たので、少少感情揉んだもからんで来ることになって、書くことが沢山あっても具合が悪くて書きづらい。

 ところが今日、いつも葉書ばかりをくれる友だちが、珍しく、十一円の簡易書簡をくれた。封緘葉書がいつの間にかそんな名前に変っていたのだ。上下のミシンをぴりぴりと破いてみると、用件の終りに、カマキリが脱皮したと書いてあって、ぬけがらが二つはいっていた。簡易書簡の中には何も入れてはいけないんだよ、そりゃ違反だよ、という人もいた。しかしそれはもう届いてしまったし、はいっていたものは、ともかくもぬけがらなのだ。

 僕はそれよりも研究の不足を痛感した。ぬけがらによってその蟷螂の雌雄を区別する方法を知らない。この二つの、脱ぎすてた薄い衣装には何のしるしもない。ズボンだろうか、スカートだろうか。余計なことだがこんなに薄くすけていいんだろうか。

 うっかりしていると、なかなか凝ったことをする友だちのことだから、このぬけがらを僕に送ってくれたことによって、彼の思想的脱皮を伝えているのかも知れない。あるいは、彼にとっていま重要な間柄にある彼女が脱皮したことを知らせてくれたのかも知れない。僕はさっきからルーペをもって、その衣装の検査を続けているのだが……

2024.11.01 記す。

★すもも P.12

 ぼたんきょう、ハタンきょう、いいかえればプラム……プラムは梅じゃないの。何だかよく分からないから果物屋の前で知ったかぶりをすると、鉢巻をしたおやじと喧嘩になる。こいつを三つ、と言って買わなければならない。  こいつは甘いかい?

 甘いですとも。

 それじゃだめだ、甘ずっぱくなくっちゃあ。

 果物屋のおやじをからかってから買うと、すももは味が悪くなる。こういう香りと味とが微妙に交ざり合った食べ物を買う時には微妙なのだ。

 僕はこいつを二つ買う。少々かたいのを選んで買う。すもものはじらいが、禿げちょろけの白い粉になってうっすら残っている。こんどはそいつをズボンでふいて、果物屋の店先でかぶりつく。山と積まれたすももが、自分たちの運命を見せつけられてぎょっとする。気の毒なことをしたと思う。

 僕はそんな時、喉が渇いているばかりでなく、ちょっと悲しんでみたいのだ。すももの甘すっぱさは、街を歩きながら食べると、泥だらけになった少女の悲しみを覚えさせる。

 笑うがいい、泥だらけになっては、やっぱり可哀そうだ。

★時計草 P.13

 この花は時の記念日に咲くのではない。また、昆虫たちの媾曳きの時間に役立つ花でもない。見たところ時計の文字盤のようだという。至極単純な名前のつけ方をしたものである。しかし外国では、もう少し念の入った名前をつけている。 Passiflora つまり受難の時に使われた道具をこの花の中に見つけたのである。

 僕はこの植物の鉢植えを貰ってから、実に注意深くそだてていたのだが、一度は茎がぽっきり折れて、沢山の花を黄色くしてしまった。もう駄目かも知れないと思ったが、それを花壇に下してやると、また根本から新しい芽を出した。それがまた枯れかけて、今度は三度目の復活だ。いくら自分のうちに恐ろしい道具を持っているからとは言え、これは全く受難の花である。これでは一体いつになったら時計のような花を見ることが出来るのだろう。

 その後僕は、「受難の花」という文集を出した。その時に、この花の研究書かと思って買った人から手紙が来た。その人は時計草の実から汁をとって、パッション・ジュースというものを創ろうと思っているということである。

 恐らくその時のパッションは受難の意味ではなく情熱の方だろう。熱くして飲んでもよし、冷たくして飲んでもよい。

※参考:「パッション」

1 熱情。激情。

2 キリストの受難。また、キリスト受難劇。受難曲。

★たまあじさい P.15

 ぬかるんだ雨の日の道を、近くの丘へたまあじさいの蕾のふくらみを見に行く詩を作ったのはもう三年前になる。その時小さな一本を抜いて来て、窓辺へ移植したのが今年はぐんとふえて、次々と花を咲かせている。いかにも大切なものがはいっているように、しっかりと握りしめたまんまるい蕾がほぐれると、そこからざっと三百ほどの花が咲く。

 決して実を結ぶことのない装飾花の方が、ずっと花らしく目立っているけれど、ほんとうの花は、薄紫の霞だ。涼しく甘い夢だ。しかし僕はその夢の構造を一応は知って置かなければならない。窓から思い切り身を乗り出し、拡大鏡をあてる。

 長く、しなやかに曲ってのびている雄蕊(おしべ)は、こうして見ると海底の藻(も)のようにも見えるし、それがまた迷宮のようにも思われる。その一本一本の、何というみずみずしいしなやかさだろう。僕は自分の体があまり無様(ぶざま)に大のが悲しい。そこにとろんと光る蜜を吸うための口を持っていないことがいかにも口惜(くや)しい。

 僕はついに、スリッパのまま窓から外へ出てしまう。せめて花の中へ自分を入れることで満足しようと思って。するとその時、拡大鏡の中のその迷宮に、一匹のひめひらあぶの雌が飛び込んで来た。翼を持つ彼女の勇敢な飛び込み振りはなかなか見事だったが、彼女はどうもそこで蜜を吸うよりも、ただ紫の夢の中でころげ回るのを嬉しがっているようだ。

※参考:タマアジサイは、日本固有種の落葉低木で、東北南部から関東・中部地方の太平洋側山地の日陰がちな場所に生育します。樹高はほぼ普通のアジサイと同じで1、5メートル程度です。他のアジサイ類よりも開花期が遅く、盛夏〜秋に見頃となります。

タマアジサイの花序は、白い装飾花と、明紫色の普通花(中心部に集まる、果実を結ぶ花)の対比が涼やかです。

タマアジサイは、他のアジサイが終わりを迎えようとする7月から一つ一つ咲き続け、秋までその花を楽しむ事...

2024.11.19 記す。

★かたつむり P.17

 かたつむりに僕が熱をあげた一つの理由は。その名前がなかなかいいからだ。キムスメマイマイとか、オトメマイマイとか、クチべニマイマイとか。それに、オオペソマイマイ、コペソマイマイ。ただこれらはその生殖器を丹念にしらべなければならないので、それがつらい。別段悪い心はなんにもないのだが。

 かたつむりの雄と雌、どこで区別するか知っている? と訊ねると、なかなか面白い返答が出る。貝の左まきが雌に決まっているじゃないか、そんなことを言う人もいる。

 僕は息子の手を引っぱって藪の中をがさごそとよく歩いてものだ。雨あがりの日に、ゴム長をはいて。そしてこういものを見つけるのは、幼い眼の方がいいのだ。

 その息子が小学校へあがってしばらくしてからだ。先生は一匹のデンデンムシを板の上に這わせた。これは何というものか知っていますね。このことで、作文を書いてみることにしましょう。そう言ったのだそうだ。後で教室を参観に行くと、作文が貼り出してある。「おうちをかついでいるから、にげたくないのです」「ぼく、せんせいがさっきこれをひろっているのをみました。ちゃんとみちゃった」僕はわが子がどんなことを書いたか、それを読むのがつらいような気持になったが、ついにそれを見っけた。

 「これはひだりまきみすじいまいというのです。おとこでもおんなでもありません」

※参考:カタツムリにはオスとメスの区別がなく、雌雄同体です。同じ種類の大人になった個体が生殖器をお互いに受け入れ、両方が卵を産みます。 カタツムリが雌雄同体である理由は、あまり移動しないため別個体に会う機会が少なく、たまたま出会った個体が同性であると交尾をすることができないためと考えられています。 雌雄同体のカタツムリの一部は、ラブダートと呼ばれるカルシウムでできた針を相手の体に突き刺して受精させます。ダート表面に塗布された特殊な分泌液が卵子を受精させるのを手助けします。

★酸 奨(ほずき) P.18

 農夫たちは、せんなりほずきを、畑にはびこるということで目のかたきにしている。しかしまた、どこから運んで来るのか、観音様の四万六千日に沢山並べるせんなりほずきは、やっぱり彼ら農民たちが丹精して育てたものに違いない。  これは昔、薬として売っていたものらしい。解熱剤である。酸奨は何となく東洋的なので、文献を見ると、フランスでは、葡萄畑の、あの棚の下に沢山生えているようだ。百科事典では、果物の仲間にはいっている。僕は単純に一つの連想を作ってしまう。フランスのsる地方では葡萄酒のコップの底にこれを沈めておいて、いい加減の時にぶちゅっと噛むのかと思う。それでフランスでは酸奨のことを冬の桜ん坊といっているのかと思った。だが、この国でも何かの薬にしているだけだしい。

 僕は久し振りに丹波酸奨を鳴らしたくなった。あの赤い頬っぺたを、誰に遠慮することもなく、くにゃくにゃと可愛がって、そのうちに種子(たね)が走馬灯のように回り始める。僕は丹波酸奨が八百屋の店にもあることを忘れていたので、縁日をさがして、とうとう買って来た。

 それを揉みながら、昔のように胸がわくわくした。というのか、昔の胸のわくわくを思い出した。そしてさっきのフランスの酸奨のことをちょっとしらべたことから、一体フランス人に酸奨が鳴らせるものかどうかを考えた。ジャン・ジャバンだの、ジャン・ポール・サルトルだの、フランソワーズ・ロゼエの口許がいやに官能的に浮かんで来た。

★羅 P.20

 昔僕らが子供のころ、ある漬物屋の主人にラッキョというあだ名をつけた。あまりきれいでないつるつる頭が実にラッキョの形だった。いつも前掛けをして店先に坐っていた。

 羅は、漬物屋の店先まで来ると、すっかり甘ずっぱくなって「楽京」と書かれる。猿が熱心に羅の皮をむいているのは昔からよくある光景だ。ただ、訊ねてみると、そんなところを実際に目撃した者はほとんどいない。みんな見たことがあるような気がしているだけだ。

 皮をむく。そう、正確に言えば鱗片葉(りんぺんよう)を剥いでいるのである。猿のしゃがんでいるあの容子。あの内股の足つき。そして、黒い爪の指先は、人間そっくりだと思ってみていると、リウマチにかかっているようにも見えて来る。

 これが最後だぞ。あれ。今度はどうだ。猿も「畜生」といって舌を打つ。今度こそはうめえものが出て来るぞ。はてな???

 ついに放り出された。小さくなった羅は、中(ちゅう)っぱらの、時々歯をむき出している猿に言うのだった。

 仕合せだぜ、君は。腹を立てながらも、あたしの着物を一枚一枚脱がせながら、勝手な夢を見続けているじゃないか。

 そうだ、包丁を持ってざっくりとやることを知らない猿は、それだけ人間よりも幸福である。

※らっきょうの植え付け時期は8~10月ごろで、収穫時期は翌年の6~7月ごろです。収穫の目安は、球が肥大し葉が黄化したころです。

★釣舟草 P.26

 三年前の秋に、日帰りの山歩きの途中で道にまよった。まよっても大して心配のないところだったので、秋草の中をおよぎまわるのも楽しかった。そうしして道のない沢を登っている時も、釣舟草があんまりいっぱいに咲いているので、小さい一株を抜いて来て庭の隅に植えた。次の年は赤紫の花を咲かせ、僕は大層満足だった。去年は僕の額に八の字が寄った。というのは、少少いい気になって筋骨たくましい赤い腕を四方に、傍若無人にのばしはじめたからだ。

 ところが今年は僕もついに我慢出来なくなった。土手を下り、花壇の中にまで彼らは前進した。しかも何の宣言もなしに、庭の平和のためにこらしめなければならない。

 その前進のしかたは、きつりふねや鳳仙花の戦法と同じで、種子を猛烈な勢いですっ飛ばすのである。つやつやした緑の莢(さや)は、内緒で力瘤を入れていて、ちっとでもさわると、無茶苦茶に破裂して、その種子は三メートルも四メートルも飛ぶ。僕は充分に身構えているつもりでも吃驚(びつくり)する。そのためにこいつらは気短か者という学名を貰っている。

 僕は手を下さなければならない時が来たと思った。弾き出される黒い種子は、頬にぶつかって来る。そんなちっぽげなものをぶつけてみたって、痛くなんかあるもんか。不遜な彼らの、これが最後のもがきかと思った。そうすると僕の耳には、君も相当気短か者 だねという声が聞こえたり、来年は花壇でお目にかかりましょうというつぶやきが聞こえる。

2024.10.25 記す。 

★きつりふね P.29

 これはヒマラヤの山中にも咲く鳳仙花の仲間だが、植物学者リンネは Impatiens noli-tangere という学名をつけ、我ながらうまい名前をつけてやったと思って、さぞかしにっこりしたことだろう。わたしは気短かでさわちゃいやよ。といういみである。黄色の小舟のような花をいっぱいぶらさげてから、細長い莢(さや)が出来るが、そいつにちょっとさわると、突然はじけて種を勢いよく飛ばす連中なのだが、こんな学名がついているのを知ってしまうと、きつりふねの多い藪を歩くのはむずかしい。

 四日間も雨に降られていた八ヵ岳の谷で、僕はもう小屋にぼんやりしているのもほとほとたまらなくなくなると、濡れるのも承知の上でそこらの藪を歩いた。藪のきつりふねとは大分親しくなったようである。

 最初のうちは、黙っていた。ただ自然から与えられた仕方で、自分たちの種族を保存するために、忠実に、いじらしくなるほど忠実に種を少しでも遠くへ飛ばしていた。しかし馴れて来ると文句を言うのもいた。

 さわっちゃいやって言ってるでしょう?

 ごめんごめん。だけどいいじゃないか。種子をまき散らすことは祝福すべきことなんだから……。

 でもあたしの、あんまり勢いよくって……。すっ飛ぶんですもの。恥ずかしいの。

24.11.08記す。

★葛 P.34

 秋風が山を撫でる。山が白っぽくなる。葛の葉がその裏を見せるからだ。これが山の木々にからみつくと、秋が奇妙に荒れ、もうこれですべてが終るという感じだ。年寄りは寂しがる。

 僕はそれまで老人の寂しさというものをどうでもいいと思っていたが、こんなことがあった。お前何かすることあるのか。おれもやるから、あの葛を退治してくれないか。老人の顔と、風にあおられは白々とする葛を見較べているうちに、老人の寂しさが分って来た。

 土手をのぼった。薄を分け、滑り落ちそうになりながら、木々にからまっている葛を見つけると、根もとの方を鉈(なた)でぶっ切り、腕にからませておいて力一杯に引張った。頑強な葛は、茎を断ち切られても一向に平気だった。時には、その蔓をもって、僕は松の枝から飛び降りた。風の強い秋の一日、老人を寂しさから救うために、僕は汗を多量に流し、みみずばれを足にも手にも、頬っぺたにも作った。その老人は僕の父なのだが、そうして一日の努力で、目の前の土手の葛はあらかた退治は出来ても、寂しさはきえなかったようだ。

 僕はその時以来、山道を歩いていても、葛を見つけると、つい目のかたきにする癖がついてしまった。葛の葉のうらみというのはこれである。

※葛餅(くずもち、くず餅)は、日本で作られる葛粉を使用した和菓子。また、小麦粉からグルテンを分離させた後の浮き粉を発酵させた「久寿餅」という同音の和菓子。同名だが主に関西と関東で原料と製法の異なる二種の和菓子がある[1]。いずれも黒蜜やきな粉をかけることが多い。 

★なんじゃもんじゃ P.38

 未知の読者からのお手紙により、明治神宮外苑のなんじゃもんじゃが枯れそうだというのでお見舞いに行った。植物医でない僕には何とも診断が下せないが、野球場の外の素人野球の鞠が飛び交う芝生に、全く邪魔もののように、痩せほそって立っている姿は気の毒である。この木の本名はひいらぎ科のひとつばたで、大正十五年の明治神宮奉賛会が立てた傍らの石碑にもその名は大きく書かれている。

 「此の樹は古くより青山六道の辻にありて俗に六道木又ナンジャモンジャとも呼べり吾邦に稀なるものを植物学者の注目する所となり旧時の位置をそのままに維持し来り大正十三年天然記念物として指定せられたるものなり」

 またそのそばには、「右原樹は昭和八年枯死したるにより、嘗て其樹より根分けして育てたるを昭和九年十一月植え継ぐ」と書いてある。僕はいかにも栄養不足で、もう神経も衰弱し切っているような幹を撫で、写真を撮った。そんなことをしたところで、どうなるものでもないのに。

 ところで、なんじゃもんじゃという名は、水戸黄門がそう名づけたと言われる千葉県神崎神社の楠(くすのき)を本物または元祖として、筑波山のあぶらちゃん、山梨県の鶯宿峠(うぐいしやどとうげ)のりょうめんひのきなど、方々でいろいろの木につけられている。奇妙な現象のような気もするが、風変わりな得体の知れない男が、昔はみんな哲学者と呼ばれていたようなものだろうか。便利な名前である。

※参考:「なんじゃもんじゃ」は、ヒトツバタゴの別名で、その由来は、他では見られない珍しい木を珍しがって呼んだことにあります。

ヒトツバタゴは、本州中部の木曽川流域と対馬に自生する落葉高木で、初夏に雪を被ったように真っ白な花を咲かせます。日本では東濃地域と愛知県、長崎県対馬市の一部でしか自生しておらず、自生地では国の天然記念物に指定されています。

「なんじゃもんじゃ」の由来には、次のような諸説があります。

水戸黄門が下総の神崎神社の御神木を「この木はなんじゃ」と尋ねられたとき、土地の人が「なんじゃもんじゃ」と問い返したという説。

神社・仏閣にある御神木と見慣れぬ種類の大木を「なんじゃもんじゃ」と呼ぶ説。

木草学者の水谷豊文が、タゴノキ(トネリコの方言名)と見誤って単葉のタゴ、つまりヒトツバタゴと名づけましたという説。

ヒトツバタゴの英名は”Chinese fringe tree”で、「fringe」とは「ふさ飾り(状のもの)」を指します。

2024.11.20 記す。

★べツレへムの星 P.44

 キリストが生れた時に見なれない星が現われた。このべツレへムの星が何だったのかということで、大勢の天文学者たちは真剣になって沢山の計算をした。聖書にはほんとうらしく書いてあるからだ。

 まだ、べツレへムの星という名をつけられた花がある。ほそばのおおあまなと言われているオルニソガルム Ornithogalum umbellatum である。

 この、六方に張って、緑色を帯びた白い花を見ていると、清浄な星の光を想わないでもない。すがすがしく、少しは神秘的な匂いを嗅いでいる気持ちにならないこともない。

 旧約の列王記略下に、サマリヤに糧食が乏しくなった時、驢馬の頭だの、鳩の糞までが大層値が上がったと書いてある。驢馬の頭の方は、ぐつぐつ煮込めば何とかなりそうだが、鳩の糞とはどういうことなのか。

 これは本物の鳩の糞で、塩の代用にしたのだとか、また聖書の方々に出ているいなご豆のことだという解釈など、いろいろの説があるが、それはこのオルニソガルムだという人もいる。目立つものにはさまざまな名前がつくものだが、星から鳥の糞まではずいぶん隔たりがある。

 またこの花をフランスでは、十一時の夫人と言う。十一時にならないと目を醒さない、寝坊な貴夫人である。

2024.11.09 記す。

★クリスマス・ローズ P.45

 僕は数年魔に、この花のことで五六日、根気よく文献をあさり、またギルシャ語の大家を訪ねたりしてものである。その詳しいことは「アリポロン自伝」という小説にしてしまったが、ギリシャの哲人たちは、これをへレポロンと言って大切にしていた。というのは、彼らが大論文を書いたり、厄介な論敵とわたり合ったりする時、自分の胃の腑に溜まっている腐った気が、霊魂の邪魔をしないように、この草の助けを借りたということである。ヒロポンのようなもので、それをどういうふうにするのか多分、煎じても飲むと、頭がすっきり。狂人にも効力を示すので、今、辞書には、治癲草(ちてんそう)という訳語もついている。

 ヨハネス・スコウトゥス・エリウゲナという哲学者がいた。この人がどうもヘレポロンをアリポロンと読みちがえて、草が人間に化し、大層悧巧なアリポロン先生が生れた。もっとも現在では、この人物も馬鹿でのろまとして扱われている。

 つまり賢者は常に愚者たる可能性を持っているようである。僕は自分の精神活動ががらりと変わるような草花を、庭にずらりと植えておいて、思う存分に賢くなったり、また必要に応じて愚かになったりすることが出来たら……とそんな夢を見ている。

2024.11.09 記す。

★薔薇 P.46

 僕は立ちどまって薔薇の花を造っている白衣の男の手先を見た。彼はガラス張りの檻の中で、片手に混沌としたクリームのはいった三角帽をさかさに握っていた。

 人間はこうして、食べることのできる薔薇の花を造っている。なぜ薔薇を食べようとするのだろうか。デコレーションケーキというものは、とかく争いのもとになることは承知の上で、人間は甘い薔薇を造りつづけている。子供たちも大人も、その花を堂々と、またひそかにねらう。それはこの花が愛のシンボルであるからでも、美しいからでもない。ただ甘いクリームのカタマリであるがために、むきになってジャンケンをする。

 ところがこの薔薇も、本物のようにするためには、花びらのへりをややそらせなければならない。白衣の造物主は、そのこつを心得ている。彼は一枚の花びらを造ると同時に、口をとがらせて息を吹きかける。どろどろのクリームはその男の息をうけていよいよ薔薇のようになる。

 この見学によって、お菓子の薔薇をねらわなくなるのは僕だけではないだろう。造物主は奥座敷で仕事をしてくれた方がよさそうである。

2024.10.27 記す。

★ちょろぎ P.48

 甘党である僕は、正月の御馳走は何でもきれいに食べる。しかし黒豆の、てらてらの光の中に真紅のちょろぎがはいっているあの赤と黒は、目と口とを同時に楽しませてくれるのが好きだ。

 梅酢につけられたちょろぎを、普段食べようと思うとなかなか買えない。毎年正月になると、庭に栽培しようかと思う。そして山歩きの時に梅干しの代りに持って行ったらと思う。

 ちょろぎがどんな植物の根であるかを知っている人は案外少ないようだ。僕は、ジャン・ジャック・ルッソオの、植物に関する幾つかの手紙を読んでいる時に、 epiaire という植物にぶっかった。「わたくわっこう」と手元の辞書には出ているが、どうにもならないので、あっこっちと植物の本を歩き回ると、最後にちょろぎにぶつかり、これを覚えることが出来た。

 地下茎の先に、どうしてこんな塊茎が出来るのか、まるでガラガラ蛇の尻尾みたいだ。その後、西洋料理ではこれをゆで、バターいためにし、グレピーソースをかけて食べるということを聞いた。うまいかどうか、食べたことはない。原産地の中でその存在を主張させておいた方がよさそうである。

 現在、庭でちょろぎを栽培するという念願がかなった。うんと殖やし、梅酢につけたり、バターいためにしたり、また新しい料理を考えてやろう。

※参考:ちょろぎの由来には、次のような諸説があります。

中国語の「朝露葱」が日本語読みされたもの

韓国語でミミズを意味する「チョロンイ」が転じたとされるもの

ちょろぎはシソ科の植物で、中国が原産とされており、江戸時代に日本に伝わったと言われています。おせち料理の定番として梅酢漬けの赤いちょろぎがよく使われ、縁起をかついだ漢字表記が当てられています。

ちょろぎは、次のような意味が込められています。長寿を願う、健康でまめに長く働くことができるように、 子孫繁栄。

ちょろぎは、1つの種から多くの塊茎(かいけい)が収穫できることから、「子孫繁栄」の願いも込められた縁起物です。

2024.11.21 記す。

★もくれん P.55

 よく観察するためには、離れて見詰めているだけでは足りないし、時にはある方法をもって、可能なものにも手を下さなければならない。大切そうに、少しずつあたりの容子をうかがいながらののびて来た木の芽をちぎり取って、剃刀の刃でずばりとやらなければならない。こうして僕はこれまで何匹かの蝶を殺し、花を摘んで花弁(はなびら)をむしった。美しく咲くべき花の芽にとっては、たとえ僕がそこからどんな貴い知識を得ても、何かしら残念な行為には違いない。

 しかし僕はもくれんの芽を切ってその容子を見た時に安心した。それは一種卑怯な安心である。この花芽と葉芽とをあたたかく守っているビロード製の苞(ほう)。北風からも、あの雪からも、時には小鳥の痛い嘴からも守っていた苞は、どこを見ても無理がなく、自分の使命を実に満足げに味わっているのだった。

 自分の腕の中へしっかりと子供を抱きかかえていられるあいだ、親はちょうどこのとおりの、苦しみを片っぱしから忘れて行くような、おだやかな幸福を味わっていられるのだろう。けれども、このもくれんの芽も、春とともに成長し、ふくらみ、苞を脱ぎすてて、もうそれを不用ののものとして地上に落とす時が来る。そして、あの大きな花が咲く。僕もまた大切に守り育てたものが、僕を振りすてて行くことを欣(よろこ)ばなければならない時が来るだろう。

2024.10.26 記す。

★おやまぼくち P.59

 まだ雪のちらついている深い谷や、雪がほとんど氷となっている風あたりの強い高原には春の訪れがない。しかしもし誰かが、その雪や氷を掘ってみれば、その下には春の営みをきちんと準備している草の芽を発見するだろう。

 南アルプスのかなり長かった山脈から、どうにもすぐ帰るのがいやだった僕は、信州の霧ケ峰に知人の山小屋を訪ねた。そしてその翌朝、気温は零下十一度に下り、強い風の中を晴れた車山の方へ登って行った。

 縞(しま)になった、かりかりの大斜面だが、その一面のまばゆい白の中に、去年の秋、一きわ丈高くのびて咲いたおやまぼくちの、枯れたまんまの花が、雪面から顔を出して、いかにも嬉しい頑固もののように立っていた。

 それには、僕たちが海老(えび)の尻尾と言っている氷片がこびりつき、枯れた花ながらしまめ面をしているように見えた。ポケットから小型の写真機を出し、その影などを考慮に入れて三枚撮っておいた。

 雪の下の、この春先は萌え出す新しいおやまぼくちは、今にここに立っている亡霊のような頑固者の姿を知らない。亡霊のようなといったけれど、帰ってから五本のフィルムを現像すると、おやまぼくちを撮ったはずの三枚だけが何も出ていなかった。

※参考:オヤマボクチ(雄山火口)とは

キク科の多年草です。 オヤマボクチの名の由来は火を着火させる際に火口として利用されたからその名がついたそうです。

2024.11.21 記す。

★ほくろ:春蘭(しゅんらん) P.61

 三年前の春先の山で、一株掘って植えたほくろが、忘れていたが今年はじめて花を咲かせた。もうずいぶん長く咲き続けているけれど、まだ一向にしぼむ様子がない。少しも目立とする気持ちもなく、それでいて立派だ。ほくろは春蘭(しゅんらん)とも言う。蘭の中には、ずいぶんあからさまな感じのものもある。それで秘かに愛されるというよりも、特別な寵愛をうけて品評会に持ち出される。

 僕も、時々、百貨店を歩いている時に、蘭ばかりでなく、薔薇やグラジオラスの展覧会があって、のぞくことがある。その品種の名前だけでなく、そこまで育てた人の名前もついていることが多い。そしていつも素人コンテストの会場を想い出して具合が悪くなる。

 花にせよ、人間の女性にせよ、きれいなものはやっぱりきれいでいいけれど、ある場所に並べられ、その美を競い始めると、美を愛する心をどこかへはじき飛ばしてしまった奇妙な個性だけがそこに並んでいるようで、どうにも淋しいものである。

 家の草むらも、そろそろ賑かになっえ来た。同じ場所に去年も全く同じようにお咲くものや、移動して澄ましているものもある。ほくろはその草むらのかげで大きく手をひろげて大地を抱えてみたいという姿だ。なぜかその顔をのぞいてみることも僕はためらう。さっきまで花の好きな友だちが来ていた。僕は話をしながら時々ほくろのことを想い出したけれど、とうとう見せなかった。

2024.10.27 記す。

★チューリップ P.62

 文献による僕の知識では、この球根たった一個で、寝台、衣服一揃い、小麦二駄、ライ麦四駄、牛四頭、豚八頭、葡萄酒大樽二、ビール四樽、バター一樽、チーズ1000ポンドに値したという時代があった。そのころの話で、持参金としてチューリップの球根を一つ持って来たお嫁さんを貰って狂喜した男もいる。これは一六三四年から三七年にかけての、オランダのチューリップ狂時代のことである。

 チューリップは南欧には野生もあったが、栽培種が近東から入ったのは十六世紀後半で、たちまち大流行となった。この栽培種は突然変異で、さまざまの雑色の花が現れるのが特徴であるが、オランダの栽培家たちがこれに注目し、競って新種を作り出すようになった。そのため、貴族も農民も、また煙突掃除人までが商売道具を売り払って種子をまき、球根を育てて成金の夢を見、その投機に士農工商入り乱れて熱中し、花の美しさなどはどうでもいいことになった。一六三七年春、突如破局が来て取引は停止され狂瀾は終ったが、後この熱は英仏へ移り、アディスンやラ・ブリュイエールの文中に出て来る。デュマの『黒チューリップ』にオランダの狂乱時代を描いたものがある。彼はこの小説の中で、四月中旬に植えた球根を翌月初めに咲かせているが、これは少々無茶な話である。

2024.10.28 記す。

★レモン P.64

 高村幸太郎さんの死が伝えられたその日、僕は遠くから訪ねて来た友人に高村さんの詩を読んでいた。若い友人は、まだニキビがぽつポつ見える襟首をたれて、聞いた。

  三畳あれば寝られますね

  ……

  智恵アさん斯(こ)ういうところが好きでせう

 という「案内」を読み、その岩手県の小屋から届いた葉書のことなども想い出しながら、詩集をめくっていると、「レモン哀歌」が出て来た。僕はその時に全く別のことを想い出した。もうかれこれ半年も前に、ある人から、「レモンの花どんな花ですか」と訪ねられ、しらべて書き送る約束をしておきながら、そのままにになっていたのである。

 僕はそれから幾つものレモンをしぼった。この冬は、寒い夜にレモンをしぼり、熱い湯をさして飲む習慣がついていた。サンクスとの色のいいのも、和製の青いのも、しぼってしまえばそんなに味は違わなかった。

 そんなことをするたびにレモンの花のことを考えた。年中断続して咲くというその花は大体白くて、花弁の外側がいくらか紫を帯びているということである。それを見ていないことを告白するのは恥かしい、その花をどこかの海に近い丘の上で見る日に、僕はだれのことを想い出すだろうか。トパアズ色の香気の中からだれの顔が浮かんで来るだろうか。

※断続的に開花し、結実することがある。しかし、一年中結実させていると木が弱るので、晩春に咲く花だけを結実させ、それ以外の時期に咲いた花は全て摘み取る。

※トパーズは黄玉とも呼ばれる宝石です。確かに色はレモンと同じ(※無色 ... もっとそのまま感じればよいのかもしれません。 「トパアズいろの香気」

★ひとりしずか P.66

 今年もひとりしずかが実に賑やかに咲いた。僕はこの花がちっとも嫌いではないし、前に拡大鏡でその裸花を写生したこともあるので、充分に愛着を持っているつもりだ。しかしまた一方、この花がその名にふさわしいように、藪の小暗いところに、ひとりさびしく、ぽつんと咲いているのを見たいものだと思っている。しかし、僕の庭に限らず、どこで見かける時にも沢山かたまって咲いている。

 数年前の春に、すみれの種類をいろいろさがしながら、小金井から国分寺の方へと歩いて行ったことがあるが、その時、何の気なしに日かげの土手を登ってみると、そこの林の下は、一面のひとりしずかの花で、呆れかえってしまった。

 この花にとって、こんな名前をつけられていることがそもそも至極迷惑千万なことなのかも知れない。どんな花でも一つ一つを見ればそうなのかも知れないが、それも一本一本を見れば孤独な顔つきをしていないこともない。

 花弁を持たないこの裸の花も、じっと見つめて首をひねっていると、向こうから言われそうである。あなたもやっぱり孤独が好きな人間のお一人でいらっしゃいますか。孤独がお好きな方々がお集りになって、大層賑やかにしていらっしゃることはありますまいか。それではこの花も、人間の真似をしているのか幾組も草むらに集まっていることが多い。

★のぼろぎく P.68

 周囲何粁という広さで、かちっと舗装してある、そこは東京の」まんまん中。地震の国のことだから四十階、五十階というばかばかしい建物はないが、それでも大小のビルディングが続いている街の、その歩道のほんの片隅に、僕はのぼろぎくを見つけた。二月のからっ風にさらされて、その花は何とも貧相だったろう。

 植物学者たちは、みんな風流な、優しい心の人が掘っているはずなのに、のぼろぎくとは少々気の毒な名前である。

 だがまことにけなげな花ではないか。日にそこを、何千何万という人が、みんな用ありげに忙しく通るのに、ほんのわずかな、実に危険な安全地帯を見つけて、きっぱりとその存在を主張している。植物界の代表というような誇りをもって。

 僕はそこを通るたびに声をかけたものだ。相変わらず元気だね。結構なことだ。つらいだろうが、僕は尊敬している。しゃがんでゆっくり話し込みたいのだが……。

 ところで丁度その角のビルディングが改築され、新しい玄関がそこに出来た翌日、のぼろぎくは早速踏み倒され、四日後には全く姿を消してしまった。僕は長いあいだの知り合いとして、また芽をふくかも知れないその根をどこかに移してやろうかとおもったが 、建物の改築によって新しく出来たはずの安全地帯をどうしても見つけることはできなかった。

参考:ノボロギク(野襤褸菊)という名前は、花の後の果実が熟して白い毛で覆われた状態がボロ切れ(使い古した布切れ)のように見えることに由来しています。また、同じキオン属のボロギク(サワギク)に似ていて野原に生えることから名付けられました。

2024.11.12 記す。

★夏水仙 P.69

 夏水仙は一名、「葉見ず花見ず」と言われている。線形の葉が、わっさわっさと繁っている時には花は咲かず、夏になって花径が勢いよくのびる頃には、もう葉は枯れていない。花は自分の葉を知らなず、葉はその花を知らない。庭にその鈍頭の葉が、大きな爪のような恰好で出て来るのは、まだ地面が凍っているころであるが、今年はその出方が早すぎるようである。どういうことなのだろうか。

 暖冬異変による現象ではなく、しばらく前から僕の家に飼われることになった犬が、好んでそこに寝るからである。好んでというよりは、そこが、こんもり高くなっていて、繋いである鎖の限界のうちで一番気持ちがいいらしい。

 犬という動物も、飼ってみると変なものである。欣然とすれば、それを隠したくも隠せないような、始末の悪い尻尾を持っているし、呼ばれても、面倒臭い時には、地面にすりつけたまま首をあげず、上目使いでこっちを見る。それで、わざわざトタンを買って来て、小屋を造り、乾いた藁を敷いてやったが、そこにいないで、土の上に寝そべっている。それで犬の方は知らないのに、地下の夏水仙は春の錯覚を起こして、早目に葉を出した。

 その葉はのびはじめるとかなりの勢いで成長するので、ある朝雨戸をあけるとうちの、吠えることも知らない詩人肌の犬が、一夜にして伸びた葉に持ちあげられて、そのまますいこすいこと眠り続けている姿を見るのではなかと思う。

2024.10.28 記す。

★虱 P.70

 虱(しらみ)に会えなくなってからもう何年になるだろう。僕はそれをさびしく思うこともあるし、あの姿を見て、時々ぞくぞくとしたくなる。それでは、どうすればいいのか。河べりの日なたで、シャツを裏がえしてみているコスモポリタンの前に立ちどまってみるが、一匹十円でもいいから譲ってくれませんかとは、どうも言いにくい。コスモポリタンとの会話は、神様との会話以上にむずかしい。

 あの戦争は、虱と僕とを思い切り親しませた。想えば貴重な、実に嬉しい経験だった。彼らはシャッの緑地を遠慮深く一列にならんで歩いた。そして見つかると恐縮して動かない。半透明な体の中で、心臓がふるえているのも分かるようだ。

 それから別の一隊は、髪の毛を密林と心得ているターザンたちである。猛烈に繁殖することの早いターザンたちである。時たま襟首のあたりまでやって来るのもいる。ここから先は砂漠というやつなのかと思う。そして思案しているうちにぽたりと落ちる。こういううっかりものは、僕らの両手の親指の、爪のあいだで死刑に処せられるのも止むを得ない。彼らのつぶれる時の、かすかな音。蚤よりずっと陰性なその動作。それにしても、こんなにも僕たちに近く生きようとしている。

 英国人は、この虱を、最も人間の身近かにいる家畜と呼んでいる。彼らとその親しみを失いたくないなら、決して拡大鏡や顕微鏡でのぞいてはいけない。

▲私は子供のころ(戦前)の夕方、妹の髪に寄生していた虱を母親が櫛で虱をとっていた。その翌日もまた翌日も同じことをしていた。なんでかとおもっていた。「猛烈に繁殖する」ときさいされているので納得した。

 さらに調べると「成虫は交尾後、ヒトジラミで1日8~10個、一生で約100~200個程度の卵を産む。ケジラミはやや少なく1日1~4個、一生で約40個程度産卵する。寿命はヒトジラミの成虫が約1ヵ月、ケジラミの成虫が約3週間程度である」と。

 数量的はともかくも、毎日散乱して成虫になっていたのである。と。

 戦後、進駐軍が進駐して、DDTを人にも散布して殆ど駆除されたようである。

※参考:『目で見る昭和全史』(読売新聞社 1989)p131「シラミ駆除にDDT散布」(昭和21年)

2024.11.10 記す。

★富士桜 P.77

 小型のさくらなのでまめざくらという名もあるが、富士山の麓ではいま満開である。ぼけと一緒に自分の季節をたのしもうとしている。

 高等学校のころ、友人と絵具箱をかついで箱根の方をスケッチ旅行をした。その時、峠をクウクウと言って越すバスの、若い女の車掌さんに教えてもらったことを忘れずにいたかれんなさくらである。富士の広い裾野には、五六ミリにのびたからまつの芽が、うす緑の、ねむたい色を果しなく煙らせていたが、その中で、若い少女のあどけなくきょととした眼のように、ふじざくらは咲いていた。

 しかし、このさくらの花は、ほとんどすべてが下を向いている。のぞき込んでもじっと下を向いて、首をちぢめてる。雨も降り出していたが、そんなことでこんなに臆病者らしくしているはずはない。それともこれがこのさくらの特徴なのかと思っていると、頭上を大砲の弾が飛び、また近くで、機関銃の音がしはじめた。何という腹立たしい音だろう。なんという殺伐な響きだろう。しばらく行くと、白ペンキの立札に、大きく黒々と、「弾は路の三〇〇〇フィート上空を通過するから危険はない」と書いてある。そんなことを言ったって僕は安心しない。すべてがぶちこわしである。溜息をつくばかりである。まして小心のふじさくらには、この音がたまらなく怖いのだろう。

2024.10.28 記す。

★花菱草 P.79

 北米カリフォルニアあたりが原産で、明治のはじめに渡来したものだという。それでカリフォルニア・ポピーというわけだ。鉢植えのものを買って来ると、黄色というよりも赤に近いぱっとしたオレンジ色の花が見られる。ホントニ、キレイデス。一面デス。とアメリカの人が言った。それはそうだろうと思う。ところが、種から育てると案外ひねっこびた花が咲いたりする。僕の庭は寒いからいけないのかも知れないが、どうもかなしい花しか咲かない。それでもいいのだが、僕はこの花のことをずっと前に書いてからある種の痛々しい親しみを感じて、よく育ってくれないと、なにかしら自分のせいのような気もする。そしてついに畸形が生れた。

 このあいだから、どうも葉の一部がちぢれていると思って、毎日それとなく気にしていたのが、その一部から黄色の葯(やく)のようなものが生じ、その数は十五本ほどで中央は緑色だった。そうかと思うと鳥の翼に似たものもあり、気味の悪いほど痩せた指をすり合わせているようなところもある。畸形の説明は詳しくしても要領を得ないものだが、ともかく花が変化したものである。それを写生しながら思ったのであるが、僕は精神的な畸形をを知らずしらず面白がっていることが多い。第一僕自身の精神だって正常だという証拠は何もない。けれども、自分の育てたものがこんなふうになると、珍しがるよりもやはりいやだった。

※参考:花の名前の由来:花の形が花菱紋に似ていることに由来しています。4枚の花弁が菱型に並ぶ様子が特徴です。

2024.11.11 記す。

★春紫苑 P.82

 今、どこの庭にも、路傍にも、電車の走る土手にも、ほとんどいたるところにといってよいほどに春紫苑が咲いている。

 無論僕の家にも抜いてすてたいほど咲いている。白いのが普通だが、時々ごくうすく紅をさしたようなのもある。エリゲロン・フィラデルフィクスという学名であるが、フィラデルフィアの春の翁ということになろうが。北米原産の多年草である。

 昭和五年に初版の出た園芸の本を見ると、最近四五月ごろに花戸(かこ)で見かけるようになったが、繁殖力が非常に強いので、今にほうぼうに雑草化するのではないかと書いてある。この筆者の予言はそのとおりになったて、今では春紫苑はもう売りものにならない。

 花にとっては、この繁栄ぶりはよろこぶべきであるが、そうなれば名前も忘れられ花びんにさされることもなくこんなものが昔はねえ、と言って見る人もあるが、春紫苑は昔も今も全く変りなく、人間の評価とは無関係に澄してきれいな花を咲かせている。

 僕は雑草という言葉を使うときに、その花の気持がぴんと響いて来てためらわざるを得ない。動物の中でも、数が少なければ大事にされ、天然記念物となって保護をうける。人間はいまのところ、とうてい記念物となる望みは持てない。雑として扱われる。そして僕の書くものもすべて雑誌の中へたたき込まれる。

※参考:春紫苑(ハルジオン)という名前は、キク科の植物「シオン(紫苑)」に似ていることから、植物学者である牧野富太郎氏によって名付けられました。シオンは秋に咲く紫色の花で、ハルジオンは春に咲くシオンという意味です。

2024.11.13 記す。

★鉄道草 P.83

 ひめむかしよもぎという菊科の植物は誰でも知っている。名前を知らなくとも実物を見れば、これかという。この草は明治草、御維新草という別名を持っている。ならべついでに学名まで書けば、エリゲロン・カナデンシス。北米、カナダあたりが原産地で、日本にやって来たのが明治初年である。

 わざわざ持って来て植えたのではなく、何かの荷物にその種子がついて来てこぼれて生えたのだろうが、それから鉄道線路を順に種子がはこばれて、今では高山は別として、日本の到るところに生えている。僕は数年前に九州の小さい離れ島でも見た。こんな具合に繁殖力の強いものは他にもあるだろうが、ともかくこれはそんなことから鉄道草という名がついている。

 僕は自分のいる井之頭から都心に出る時は吉祥寺から電車に乗ることが多いが、大分前から、鉄道線路に生えている植物をしらべることを考えている。この考えは至極単純であるが、鉄道草的原理によって、新宿付近には信州の方に見られる植物があり、上野の構内付近には、東北、上越、ともかく北の方のものが運ばれて来ているかも知れないと思っている。

 以前、僕の友人は線路の石を気にして、ついに日暮里の近くで蛇紋石を拾った。勇敢にホームから飛び降りて、田端の方へ歩いて行って見付けた「のだが、彼自身もまた見付けられてひどくどやされたそうだ。この勇気と覚悟こそ、僕には必要である。

2024.11.13 記す。

★忍 冬 P.87

 自然界の姿、色、匂いなどが、僕たちの気持をうまく代弁してくれることもずいぶんある。何だか、あの人のことを考えると、すみれの花を思い出す……と言ってみたり、真紅の薔薇があってくれるので、ずいぶんたすかっている人もいる。……だって、美しい花はいつまでも路傍に残ってはおりません、などと言われると、何となくあきらめられる人もいる。しかし自然界のそれらを逆に僕たちが形容しようとなるとむつかしい。色だけでなく、そこに瑞々(みずみず)しさが加わっているのをどんなふうに説明したらいいのか。

 忍冬(すいかずら)はいろんな木にからまりついて、白と黄色の花を咲かせている。黄色のは枯れかけているのだが、そのために金銀花という名をもらっている。つまり金と銀ではないがただの黄色と白でもない。にぶい赤味と、品のいい光がある。僕の嗅覚は優れてはいないが、こぶしやくちなしの匂いに足を止めてしまうように、忍冬も今しきりに、方々の家の垣根のかげから僕をなやます。うっかりなやますと書いたが、この甘ったるさは、人間がどんな技巧や演技を使っても表せない。エルマンのバイオリンも、どんな名優の色眼も及ばない。もしもほんとうにこんな匂いを持っている人がいたら、……それを想像すると怖い。いn忍冬に集っているあぶたちを見るといい。いっこうに蜜を吸わず、具合悪そうに葉の上をつっ突いていた。

2024.10.29 記す。

★庭石菖(にわせきしょう) P.89

 あなたの好きな花の名を教えて下さい、という葉書が来る。往復葉書なので返事を書かない訳には行かない。こういう時に僕はいつでも、むらむらと博愛主義者になる。

 花に限ったことではありません。僕はすべて平等に愛します。少なくとも平等に愛することを念願としております。人間でも……。

 これが返事だが、折りかえしまた葉書が届く。無理をなされなくてもよろしかったのです。失礼しました。僕はどんな人か知らないがひどく気に入った。博愛主義もこんなところで崩れる。

 その時、庭石菖が好きだと書いたことを想い出した。鎌倉の野柴の中にころがって、好き勝手に本を読んでいられた頃、その芝の中から庭石菖がいっぱい咲いていた。紫のと、紫の線がはいった白いのと、それを、地面に顔を押しつけて横から見ると、この花の気持に急に近づくのが嬉しくて、それですっかり好きになっていた。しかしそれだけではない。暇だった僕は、恐らくのんびりと、花の姿から、少女の映像でも創りあげていたにちがいない。僕は今だってそのくらいのことは出来る。けれども、悪い癖は、いい加減のところでとどめ置くことが出来なくて、その映像をつい超現実的なものにしまうことだ。

 庭石菖はダイヤモンド草。丸い種。丸く生まれて丸く実るそれがまた愛らしい頭だ。

2024.10.29 記す。

★ぱせり P.90

ある奥さんが、少し上等なレストランでサンドイッチをとり、お皿についていたパセリを食べたら、くすくす笑われたと僕に報告した。程よくふくれた顔つきで。

 外国の品物や様式が無闇にはいり込んでいる国では、お互いに、田舎者にされて、常に誰かに嘲笑されている。止むを得ない。そんなことがあったからと言って、緑のかおりのパセリを食べないことにするのは愚かである。

 僕もだいたい、きれいに洗ってあるかどうかを見定めて食べることにしている。それだけでなく、緑をお食べなさい、太陽を食べないから背中が凝るんですと医者に言われてから、時々多量に食べる。それで花壇の一部にパセリを栽培し、今は花盛りである。

 典型的な複繖形の花で、およそ十三に分れた先に二十内外の細かい花の数である。花は食べても葉よりは香りがない。まことに目立たない花だが、昆虫には極めて人気があって、蟻、蠅の類から大小さまざまのものがいつも集まっている。すぐそばでは真赤なけしも咲いているのに、こっちにばかり寄って来る。彼らにとってのパセリの花がどういう魅力を持っているのか、ほんとうのところ分からない。小さな昆虫たちがごたごたしている中で蟷螂の子供たちは、彼らをつかまえる練習をさかんにしている。ところが、もっともらしく鎌をかまえて飛びつくが、蟻につきとばされて、危く落ちそうになる。

★びろうどもうずいか P.92

 こんな変な名前の植物が、ドイツ、イギリス、フランスの小説の中などに時々出て来る。もちろん日本の植物ではないが、だれが日本名をつけたのか、このもやもやした長い名前がいかにもうまくその植物を言いあらわしている。というのは、三年ほど前、ある薬草園でこぼれていた種子を拾い、庭へまいたら、高さ二メートル以上にも及ぶ毛深い化け物ンおようなものが出て来たが、これがびろうどもうずいかで、今年も黄色の花を咲かせている。

 種子が沢山とれるので、よかったらあげようかと言っても、庭に咲いているその姿を見てしまったものは、まあいいやと言って持ってゆかない。

 新聞にこの植物のことを書いたら、米沢、秋田の方から、近くに生えているという葉書を頂いた。駐留軍が来てからのことか、その辺のところはよく分からない。

 外国では、書物によって調べてみると、この花には、悪魔はらいの力があるとか、これを採取すると雷に打たれるとか、花の位置で冬の寒さを占うとか、さまざまの言いつたえがある。またこお植物を蔽う毛は細かに枝分かれしていて、蝋燭の芯にする。薬草としては、肺炎、気管支炎、痙攣、痛風、歯痛、神経質に効くということであるが、そんな威力を持っていることが分ると、種子をひろったばちでも当りそうな気がして来る。

※参考:ビロードも毛蕊花も毛の多いことからの名前で、花や茎、葉の全てに細かい毛がある。

2024.11.17 記す。

★蕗 P.94

春の山の、麓の谷を歩いていると、、時々、ぼこっと穴があく。そのときはもう足はそこに落ちている。重い荷を背負っている時には、その足を抜き出すのに一苦労するし、力を入れるためみ、また次の足が新しい穴をあける。山歩きをしている人はそんなことはよく知っている。しかし、春の雪はよごれていても、やがてしばらくのあいだにこんな雪とも別れなければならないと思うと、穴に落ちてもあまり口惜しくはない。

 僕もそうして谷をのぼりながら、踏み込んだ足を、抜き出した穴をのぞいてみると、そこにうす緑の蕗が一本笑っている。

 雪の下の、暗い中で、蕗だまって育ちながら、まだ日光を知らないのに、ほのぼのとしていた。そして僕の、足を踏み込んだみっともない姿を嘲笑することも知らないように、こうつぶやいていた。

 天井を破って下さって、ほんとうに嬉しゅうございます。お陰さまで、わたしも、薹が立たたないうちに春風にあたることが出来ました。

 蕗の根もとの、ぐじゅぐじゅの土をひたす水も、雪解けの春の水だ。ツルゲネフがどこかにいるのではないかと思って、しゅんとした木立のあたりを僕は振りかえる。

★えんじゅ P.96

 僕が小学生のころ、と言えば大正の末期であるが、東京三宅坂付近に住んでいた。そこから半蔵門へ続く濠端に並木が植えられ「いぬえんじゅ」という札が下がったのでその名を覚えた。記憶がいいわわけではない。毎日そこを通って学校へかよっていたからだ。

 中国には槐(えんじゅ)という木がある。戦争で長いあいだ向うにいた人にその木のことをきいてみたら、一里塚などに植えられて「槐碑」といわれているということまで教えて貰えた。日本に昔からあった「えんじゅ」は、古名を「えにす」というが、それ を「槐」と同じものだと思っていた時代がある。ところがしばらくして実物に接してみると「槐」と「えんじゅ」とは決して同じものではない。そこで外国のものを本物だと思う考えから、日本の「えんじゅ」を「いぬえんじゅ」と呼びかえるようにした。  これが一般の説明であるが、考えてみればずいぶん滑稽な話である。つまり、別のものはどこまでも別のものであって、えんじゅの本物を「槐」とする理由は何もない。牧野富太郎博士は「槐」を「しなえんじゅ」と名付け、日本の在来種を「えんじゃ」というふうに整理された。  外国崇拝のために、古来日本にあるものを、実にあっさりと、当然のように否定し、にせものとしてしまった例は、えんじゅばかりではなく、今でもいろいろと思いあたる。

2024.10.29 記す。

★たばこ P.106

 たばこをのんでいる人のうちで、たばこの花を知っている人はどのくらいいるだろうか。なす科のこの花は、ぐんとのびた先に、四方に向って咲くのので、サイレンを想い出す。

 こんな記録も何年か後には貴重になるかも知れないが、戦争をするとたばこがのめなくなる。僕もたばこの代用として、どのくらいの種類の植物を煙にしてすってみたか、正確には覚えていない。緑茶、紅茶、いたどり、柏(かしわ)。それからとうもろこしの鬚やら、その辺のごみまですった。

 紅茶の葉はもちろん一度のんだあとのをほして、それをパイプにつめる。煙とともに火をのむこともあるし、パイプがこげて、お尻に穴があく。

 僕がそのころ逃げかくれていたところは、東北の田舎で、前がずらっとたばこ畑だった。黄色になって、明らかに枯れて、誰が見てもこれは役に立たないと思われるような葉が落ちているいることもあったが、それをひろってパイプにつめるようなことも決してしなかった。

 そして、とうとうもろこしの鬚をパイプにつめ、ただ気やすめにくさい煙を出しながら、たばこの花を観察し、ノートにスケッチをしていた。誰もいないので、偉いとは思ってくれなかった。

※子供のころ、たばこ畑があり、乾燥場もあった。専売局が管理していた。

※戦時中、タバコが配給制になり、タバコだけが配給されていたので、インド紙の英語の辞書を破ってつかって、たぼこを包み吸っていた。

※戦時中、「金鵄」という名のタバコがあった。「金鵄(きんし)上がって十五銭 ~昭和18年~」から、戦中に歌われていた。

タバコ「金鵄」の元の名前は「ゴールデンバット」昭和15年に敵性語を用いてはいけないと改名され。「金鵄」は当時もっとも大衆に親しまれていたタバコ。

※戦後、進駐軍のオーストラリヤの兵隊から煙草を貰っている人もいた。

※戦後、昭和27年頃は「ピース」という名のタバコがあった。

★水引 P.109

 水引はだれもが知っている珍しい花ではないまた人によって好ききらいもなさそうな、目立たないものである。梅雨があけるころから、秋までほとんど変わらない様子なので、そのあいだに一二度、ああそうそう今年も水引が赤い砂粒みたいな花をつけたと思う。そしてそんなことを想った旧い夏の日の窓辺を考える。僕は確か、ある文章で、夏のはじめのころの出来事を書き、その時に水引を、ある効果を考えながら文章の背景につかった。そして秋になっても、水引は衰えず赤くぼつぼつ咲いているのを見て、これはべつのものに変えた方がいいかも知れないと思いながらそのままになっている。そんなことを思い出す。

 細長い花軸を下から見れば猫の顎みたいで、うすきいろく、上から見れば深みのある実にいい赤だ。僕の心臓はこんな色かしらと思う。そして次にレンズをとおして見れば、花弁はなく、四つに裂けた萼(がく)の中にはやはりきちんと道具がそろっている。  花には、遠くからながめた時の名前や、のぞき込んでつけた名前や、色によるもの、形によるものなどがあって、これを分類してみたり、名前の花の名のつけ方を比較したら面白いと思う。水引はある程度、遠くから見た名だが、夏中、蝉の声で蜂の羽音をじっと聞いているアンテナのようだ。

2024.11.09 記す。

★エーデルワイス P.113

 僕がもし欧州のアルプスへ行くことがあって、そこに咲いているエーデルワイスを見ることがあったら、毛ぶかい顔を見ながら言うだろう。

 やっとお目にかかることが出来まして、まことに嬉しゅうございます。私の国には、山へ登る人が大勢おります。それはそれは大変な数で、この大多数の人はあなたのことをよく存じております。そして中には、あなたの、ひからびた姿を箱に入れて、大切にしている人もおりますが、実際にこうしてお目にかかった者は極めて少ないので、まことに光栄に存じます。

 そんな讃辞をのべながら、この花を見せてやりたい人のことを思い出すだろう。そして自分だけが今エーデルワイスの前にいることを、あまり幸福なことだと思わなくなるだろう。それから日本へもう一度帰ることがあって、スイスへお出になったそうですが、エーデルワイスをごらんになりましたか、と訊ねられた時、ええ見ましたけど、そんなに大騒ぎするほどの花でもありませんよという自分の言葉も考えてしまうだろう。

 けれども私はエーデルワイスはいい花だと思っている。昔貰ったものはアルプスの恐らくお土産もので、それも大事にしていたが、山好きの少年に事もなげにやってしまった。

 今は、最近、日本の女流登山家の集りであるエーデルワイス・クラブから頂いたものを持っている。みんな黙って見ているが、欲しいと思う人も多いに違いない。

★茗荷 P.117

 茗荷の花が咲いた。僕の部屋のわきへ茗荷を移し植えたのはもう大分前になるが、うす暗く茂った根もとから、青白く、近よってみればうすく黄ばんで、幽霊のような花を咲かせる。一日でその花は終る。

 僕は茗荷を特別に好んで食べない。食べれば食べられるもの、普段忘れていても一向に平気なものの中に入れてある植物である。釈迦の弟子の般特(はんどく)がよく物を忘れ、自分の名まで忘れるので、名前を書いた札を首にかけてやった。その般特が死に、彼の墓からはえたのがこの草、それで「茗荷」と呼ぶ。そんな話だの落語で「みょうが屋」の話などを聞いた僕は、少年のころ物忘れするのを怖がった。

 フランス語の単語一つ忘れると、そのためにひどい目にあうような教育を受けたため、うっかり茗荷が口にはいることまで極度に警戒した。このごろになれば、いろいろ忘れたいことが出来てくる。般特がうらやましくことさえある。しかしこれが単なる伝説である以上、好んで食べてみても仕方がない。

 茗荷の花はしみじみと見ているとなかなかきれいだ。ひらひらとして、またくるりとまるまって、あまりきれいなので、何か音楽でもやりたくなる。そして、これを七八輪、真赤な菓子盆にでもころがしてみると、オペラの舞台を見ているような気持になれそうで

★なぎいかだ P.124

 うちの庭にもときどき奇妙なものが出現する。よく考えてみて、原因のおもいいたることもあるが、このなぎいかだはどうしてこんなところにやって来たのか分からない。分からない時にはすべて子供のいたずらということになる。生えたのではなく、さしであったのが、そのままついてしまったのだ。しかし、それ以来近くの家の庭の垣根を気をつけてみているが、なぎいかだは見当たらない。

 聖書の中のエゼキエル書に、「人の子よたとえアザミとイバラなんじらの周囲にあるとも……」と書いてあるが、そのイバラを、なぎいかだだといっている学者もいる。パレスチナには、さわると痛い植物が多いようだ。

 この先のとがった葉のよなものは枝である。そんなばかなことがあるものかと思うし、百合の仲間だというのも、変な感じがする。幾ら変であっても学問は尊ぶばなければならない。

 暖地に生えるなぎの葉に似ているのでこの名をもらったのだろう。なぎの葉を、鏡の裏に入れておくと合いたい人の姿が鏡に現れる。これはその代用にはならないだろうが、なぎいかだが出現して三年目になり、来年あたり、僕はこの花に会いたいものである。

★とりかぶと P.130

 秋の山を歩いている時に、この花は濃い紫で目立つものだからよく名をきかれる。僕は厳密に言えば、「やまとりかぶと」であることを教えてから、これは猛毒があるというと、たいがい山男たちもさわることを遠慮する。さわりかけて引込める手つきが誰でもよく似ているのでおかしい。アコニチンが根にあって、昔アイヌが熊を射るときに、この根の汁を矢につけたという話をつけ加える。鳥兜という名は鳥がこれをかぶるわけではない。おどけた山の小鳥がこれをかぶると似合いそうだが、これは雅楽の伶人がかぶるあの鳥の形をしたかぶとのことである。ドイツでは Sturmhut というが、これは暴風雨のときにかぶる帽子だ。消防夫なんかがこんな形のをかぶっているのを映画か写真で見た記憶がある。

 カロッサが死んだ。彼が小さいころもこの花が毒だと教えられたらしいが、彼は花には別に毒がないことを知っていて、この帽子をとるとどんなものが出て来るかその秘密を知っていた。かぶとをぬがせると「指の間にかわいらしいすみれ色の車が現われ、ちっぽげな鳩が銀の梶棒でそれをひっぱっている」というのである。フランス人たちはその車を「ヴィナスの車」」と言っている。幼いころのカロッサのような子供が僕の近くにいたらどんないいだろと思う。

※参考:ハンス・カロッサ(Hans Carossa,1878年12月15日 - 1956年9月12日)は、ドイツの開業医・小説家・詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。

 2024.11.07 記す。

★こなぎ P.131

 庭への出入り口の前に池をこしらえた。子供が魚をとって来ては、たらいやバケツを占領してしまうもんで、と人にはいうが、僕はこの小さな池に水草を入れたり、微生物を飼ったり出来るようになったのがうれしくてたまらない。

 家の前の道が、簡単に舗装され、それはありがたがったが、重たい地ならしの車が門の段をこわした。これを放っておくわけにも行かないので、コンクリートで修繕し、そのついでに池をつくったというのがほんとうの話である。

 欅や柿の葉が水面いっぱいに散り込む日も近いが、そしてやがてはかたく氷のはる冬も来るだろうが、今はともかく田んぼですからすぐって来たこなぎがつやつやと浮いている。ぶっくりと腹をふくらませている布袋葵(ほていあおい)よりはほっそりとした小柄だが、その葉のハート型は、水から手を出していかにも太陽の光を受けとめている感じである。

 それよりも、こなぎの花の色は実にきれいだ。決して葉よりも高くのびて目立とうとするところがなく、競って虫を呼びとめようとする気勢もない。ひたすら魚たちのために咲いているように、下を向いているものもある。

2024.11.10 記す。

★いぬさふらん P.133

 この春先に、いぬさふらん(コルシカム)の球根を一つ頂いた。

 これを下さった方は植物に詳しい若い方だったが、僕のことを研究して下さっていて、どうしても実物を見たいのでやって来たという種類の方だった。実物の観察報告は受け取っていないが、がっかりなさったのであろう。けれども、この球根は、正しく僕を悦ばせる贈物だった。卵形ではあるが、親指の先ぐらいおしりがとび出していて、園芸種にはこれがないということだった。そしてこれは、何もしないで机の上に出もころがして置けば、秋に花が咲くということだった。

 その秋がやって来た。それとなく注意しているよ、ほとんど突然まるで蛹(さなぎ)から蝶が出る時のように芽を出し、毎日寸法をはかっていると、それからの伸び方は実に早く、十三日に二十五センチになって、薄く淡い紫をおびた花を二ホンの花茎から六つも咲かせた。一回も太陽の光にあてないのに、秋を知ることの何という的確さだろう。僕には、秋が来てくれては困る。夏の仕事がたくさん残っている。

 黙って準備をし、言訳をしながらおどおどしている僕のことなどは眼中にない。そして窓から何げなく見ると、庭の草むらに埋めておいたいぬさふらんも、同じ日に花を見せていた。

※参考:いぬさふらんの名前の由来:AI による概要

イヌサフランという名前は、アヤメ科の薬草であるサフランの花に似ているが、食用にならないことに由来しています。

「イヌ」には「似て非なるもの」という意味があり、サフランの花に似ていますが、実は全く違うものという意味です。

2024.11.12 記す。

★薄雪草 P.135

 夏の山旅の記念として、未知の方々から高山植物の押花を送っていただく時、うれしいと思いながらふと暗い気持ちになる。これらの植物を採取するには、かなり面倒な手続きをして許可を得なければならないのを知っていたのだろうか。

 しかし、今日は、この花はだれかに摘みとられ、道に棄てられていた、と言って、薄雪草を送って頂いた。

 白というよりはほとんど銀色に光る細かい毛が僕に山の太陽と霧とを想い出させた。そればかりではなく、辿れば」一ニ時間は容易にたってしまうほどの多くの想い出を次々と湧きあがらせてくれた。大した魔力である。そしてその葉には、小さな虫がつつましく口をつけながら這った跡さえ残っていた。

 こいつもたまらない。薄雪草の葉に紋様を描くのは何だろう。蝶の食草にちて戸籍しらべをはじめる。それでまた一時間。

 この花には僕自身の想い出は何もつながらない。けれども、もう一度ていねいに押しなおし、台紙にとめて額に入れていこう。この日本のエーデルワイスの一つを。そういえば最近、ヒマラヤのエーデルワイスも贈られ、僕のまわりには、自分では摘むまなかった高嶺の花がだんだんにぎやかに飾られて来た。

※参考:薄雪草(ウスユキソウ)という名前は、茎や葉に白い綿毛が密生して薄雪をかぶったように見える様子に由来しています

2024.11.12 記す。

★梅鉢草 P.137 

 梅鉢草は、昔作りかけた僕の植物地誌(フ ロ ラ)の第一頁に描いた花である。そこでこのフロラは真秋の最中にはじめられたことが分る。

 それは長く続かなかったが、時間を幾らかけてもよかった時代だったので、一つ一つ色をぬり、丹念なものだった。しかもちょっと版画風な趣きも加えたりした。

 あの萱(かや)の原の、その萱の刈りとられたあとに、白くつやつやと、変にはっきりと咲いた花だ。茎のなかごろに、大きく目立つ葉っぱが一枚ずつついている。それが逆さにはいたスカートのようだ。  最近雨に降られながら、長い長い峠への径を辿っていた。重い荷物が肩へめり込み、一歩一歩はもう苦しみの向う側へ突きぬけてしまって、頭もしびれていた。霧の流れる山の斜面が明るくなって、もうそろそろ峠が近いと感じた時、足もとに幾つもの梅鉢草が、澄し込んで空模様をみていた。僕はもちろん久し振りで懐かしかった。こっちを向いて笑ってくれないのが不思議なくらいだった。

 花々は黙って歓迎する。むしろそれだから僕は困ってしまう。寂しいような、恥ずかしいような、誰かに来てくれるといいと思うような、具合の悪いその感じ。

 こういう時に手帳を出し、詩でも作ればいいのだ。「梅鉢草の寄す」という題にして、求愛の気持をこの花に向って実験してみればいい。

※参考:梅鉢草の花の由来:紋所(家紋)のひとつで、変形に、中心部がおしべの形ではなく、ただの丸になっている「星梅鉢」がある。菅原道真や前田利家の家紋として有名で、湯島天神など天神社でよく見かける。家紋に由来する植物名には、ほかにハナビシソウ(花菱草)などがある。

2024.11.11 記す。

★蚤 P.138

 猫の蚤をとっていたら、今日は時間の大切な日なのに一時間を蚤と一緒につぶしてしまった。つぶした蚤をしらべたが、「ねこのみ」であるか「ひとのみ」であるか、その種類が容易には分からない。残念なので顕微鏡を出す。ねこのみが猫にのみ寄生するとは限らず、いぬのみが猫へ来ていることもあるので困るのだ。

 「頭楯溜を欠く。頬剛棘櫛は鋭く黒色で七八本の棘より成る」。第一棘は第二棘と等長……」という具合なのだが、段々に、小さい無限に近づいて行く恐ろしさ感じないこともない。そして時々、どっちみち痒いんだもの、蚤は蚤でいいじゃあないかと誘惑が蚤のようにちくりにちくりとさす。

 大変なことをはじめてしまった。死んだ蚤のしんとした世界だが、僕は生きているので遠くのラジオシャンソンも聞こえる。蚤の種類は世界中六百種も見つかっている。何という根気だろう。

五百何種類も分かっていて、そのほかにもいるかも知れない変な希望をもって蚤の身体検査をして行った人のその根気には頭をさげなければならない。  僕はまだねこのみだかどうかがよく分からない。猫は、そんなことをしている僕の膝の上でやすらかに眠っている。蚤をとってやったという愛情などは、こんな時にはお話にならないほど単純なものに思える。

2024.11.10 記す。

★ひがん花 P.139

 今日、雨の中で子供が、母親に断って庭の花を友だいに持たせてやっていた。雨の中を栗拾いに誘い、大分ぬれたのでそのままかえすと家で叱られると思ったのか、それとも僕の家へ遊びに行くことをその家の人が知って、帰りに花を買っておいでと言われていたのかも知れない。

 植木鋏で、みずひきを切ったりしていたがひがん花を持たせてやろうとすると、母親がそれを切るのはいいけれど、その花をいやがるおうちがあるからおやめなさいと言った。

 僕も誰からとなく、この花は縁起が悪いとということを聞かされていた。しばらく忘れていたそのことを想い出した。

 関東大震災の時に、家が潰れ、近くの大きな家に一家世話になっていた。余震がいつまでも続いていたので長い間松林の中で生活していた。僕はまだ十にならない頃で、地震の恐ろしさをすぐ忘れて、遊びに出かけた。そしてひがn花がきれいに咲いていたので、子供心にも、それを摘んでみんなに悦んでもらいたいと思った。何しろ大人がみんなですぐ青い顔をしてうろたえるのでは仕方がないよな気持ちもあった。

 ところが、その花を五六本持って戻ると、そんな花をとってはいけないと言われ、何か悪いものをかかえていたようにそこへすてた。詳しく理由なんぞは訊ねなかったけれど、地震と関係があるような気がした。そして後に、地に埋められた人の霊がこうして咲くように思った。よく見ればきれいな花だ。

★くろぐわい P.142

 八九年ほど前に、高校時代からお世話になっている渡辺一夫先生をお訪ねした時、これを持って行きませんかと言われ、くろぐわいを頂いて来た。その名のとおり、黒いくわいであるが、すぐには芽が出そうもない。確か、先生の郷里の新潟から届いたものらしかった。僕は戦争の真最中に、弥彦線の燕というところにおられた先生をお訪ねし、三日ほど御厄介になったことがあるので、そんなことも思い出しながら、くろぐあいを頂いて来た。

 まだ食糧に困っていた頃だったので口にはいるものを持ちかえれば悦ばれた。けれどもこれはすぐ食べてしまうにも珍しすぎるので図鑑を看たり、日記のわきにスケッチをしたりしていた。そして食べるのを我慢して、どんなことになるか分からないけれど泥に埋めることにした。

 今の家へ越して来て間もないころだったが前に住んでいた人が置いて行った大きな甕(かめ)が庭にころがっていたので、それに泥と水を入れ、僕は十個のくろぐわいが少なくも三十個ぐらいになる夢をちらっと見ながら埋めた。筒型の葉が甕いっぱいに茂ったのはそれからどのくらいしてからだっただろうか。

 僕は渡辺先生にそのことを報告したが時期を見はからって根茎の先にあるはずの塊茎を掘り出すことしかしなかったため、いつの間にカこの植物も絶えてしまった。しかしともかく栽培をしたことがあるので、くろぐわいについては知っているような口をきくけれど、実際にはその味を僕は知らない。

★つわぶき P.144 

 つわぶきという名を覚えたのは中学二年の時である。植物の発生から教えられたのではない。

 僕はそのころサッカーをしていた。それも試合の最中だったが、球を蹴りそこね、体は宙へ飛びあがり、背中から落ちた。すぐ立ちあがろうとすると左側の膝に全然力が入らない。びっこを引いてやっと家に帰り、自動車で病院に行った。「オスグッド・シュラッテル氏病、左膝関節外傷性水腫」という病名を与えられた。一年も足を思うように使えなかったので、それで何十年たってもそのややこしい病名をわすれない。

 絆創膏や包帯で足をぎりぎり結(ま)かれ、少しでも曲げると逆戻りしてしまうと言われていた。それでもいつか休みの日に、友だちの家まで遊びに行った。そこには、もう八十近いおばあさんがいて黄八丈のもっこり着ていたから寒いころだったと思う。

 そのおばあさんに、足のそういう怪我にはこれが一番効くと言って帰る時につわぶきを一株持たされて来た。僕はそれをすぐ庭に植え、どういうふうにしていいのか分からなかったので、つやつやしたその葉をとって膝にあてておいた。誰かにきいて、あぶってからあてたように思う。効果がありそうににも思えなかったが、友だちに効目があったようにおばあさんに伝えてもらった。

 そしてすっかり忘れた頃、秋の虫の声の中に黄色いつわぶきの花が咲いていた。

※参考:日本薬理学界の記事:「ツワブキ」主な使い方として、打撲、おできなどの腫れもの、切り傷、ものもらいに対し、生の葉を炙り軟らかくなったらちぎって患部に貼ります。

※参考:ツワブキ(石蕗)という名前の由来は、葉に艶(つや)があることから「つやぶき」と呼ばれ、転じて「つわぶき」になったと言われています。

 また、漢字で石蕗と書かれるのは、葉や茎が蕗(フキ)に似ていることと、海岸の岩や石などの間に多く自生していることに由来しています。

2024.11.11 記す。

★おなもみ P.146

 おなもみの実が秋になると目立って、何ということもないのにとって来る。ちくちくする針がのび、その先がちょっと曲っているところがまた妙に面白い。何にすることもないのに、ほとんど毎年必ずとって来て机の上にころがしておく。

 猫のおもちゃにやってしまった時もあった。猫が前脚で、少し気味悪そうにさわっているのを見ていると、それがやまあらしの一寸法師のようにも見える。結局猫も、変な気持になって、最後には横目でみながら行ってしまう。

 去年はこれを写真によった。古道具屋で、極く小さい写真機を買った。それで、おなもみの実を撮ったらよくとれた。一フィートのところから撮った。魚の骨を主にし、そこへこのp実をばらまいて、芸術的な構成を考えたわけである。写真屋がひどく感服していた。しかし写真屋は大概感服する。けなしたら次にはもう現像も何もたのまない。

 それで今年もおなみの実にあったのであるが、それが何と、アクセサリーを売る店のガラス戸棚の中に並んでいた。売物かとたずねたら、一つ四十五円だと言った。こんなものをつけている婦人にうっからさわって、離れなくなったら大変である。

※参考:オナモミという名前は、「雄なもみ」で、「なもみ」はひっかかるという意味の「なずむ」に由来すると言われています。

オナモミはキク科の植物で、果実は指先ほどの大きさの卵形で、トゲが全体に生えています。トゲの先端がカギ状に曲がっていて繊維にからみつく性質があり、ひっつきむしとも呼ばれます。

オナモミはアジア大陸が原産で、日本には古くに侵入した帰化植物と考えられています。しかし、近縁種のオオオナモミやイガオナモミの繁殖の増大や、自生地の宅地化などにより減少が著しく、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧II類に指定されています。東京都区部および北多摩では絶滅状態と推定されています

2024.11.20 記す。

★つるこけもも P.147

 信州霧ケ峰にアイヌ伝説の小人コロボックルという名をつけた小屋が建ち、招かれて行って来た。この高原も秋になってから雨が降り続いて、からまつも金色に光ってはいなかった。草刈りのすんだあとだったせいもあるが花はほとんどなく、もうその草原は雪を待っているような色つやだった。

 想えばこの草原には、初夏のきはげはが頻りに羽化する日の記憶や、つきはんみょうが飛び立ってはとまり、筒鳥がねむく鳴いていた日のこともある。そして冬の、零下十一度の朝のこともある。

 小屋の主人はまだ若いが、もてなしの一つとして、つるこけももの実を下の湿地からとって来て漬けておいてくれた。その一つは灰皿のへりに飾りとしてのせてあった。まだ漬けてから日が立っていないので、すっぱくてだめだといったが、つぶつぶの赤の、赤黒く熟れて甘いのや、片面が白く、はじらいの色を残しているのや、僕は一つ一つを口に入れながら古い山旅でこの実を食べた思い出をたどった。そしてなお手のひらに幾つぶかをもって小屋の外に出た。霧がいっこうに動かない。褐色の斜面を見ながら、まだ知らないスコットランドにいるような気持になった。日本のつるこけももの実を思い出しながら、クランペリーの実を食べているような……。

※参考:ツルコケモモ(クランベリー)という名前の由来は、鶴(crane)のベリー(berry)です。これは、ツルコケモモの小さな実が鶴の好物だったことや、花の形が鶴のくちばしに似ていることに由来しています。 また、北米の湿地帯に自生していることから、「漂う果実」を意味する"cranberry"とも呼ばれています。

 ツルコケモモは、つるうめ科の常緑のほふく性低木で、地際を這うように生長します。果実は小さくて丸く、甘酸っぱい味が特徴で、ビタミンCやフラボノイドといった抗酸化物質を豊富に含んでいます。

 ツルコケモモとは - スイーツモール クランベリー(ツルコケモモ)とは? クランベリー(Vaccinium macrocarpon)は、つるうめ科の低木性植物...

 高さ約10〜20cmの蔓性の植物で、小さな実は熟すると鮮やかな赤色になります。 この小さな実が鶴の好物だったことや、花の...

2024.11.19 記す。

★ほととぎす P.150

 これは鳥のほととぎすではない。鳥のほとぎすの胸毛の、そのまだらによく似た斑点が、花の内側にあるので、こんな名をつけられたにちがいない。僕も秋ごととにこの花が咲くと鳥の方のほととぎすを想い出す。そしてすぐそのなき声を考えるけれども、もともと、まだら模様というものは、だんだんと見ているうちに気味が悪くなる。こんなふうに、植物と鳥ばかりでなく、自然界では、同じ名を貰っている蝶と貝がいたりして、滑稽な間違いが起る可能性がないこともない。

 ところでこの花の方のほとぎすの特徴として、三つの外花被の下の方に、丸いふくらみがあるが、その中にたまっているはずの蜜をなめてみようとする時、薄紫のぼちぼちが、何か伝染病にかかった皮膚のように見えて来て、蜜の味をためすこともためらってしまう。ちょっと離れて、ちらっと眺めるのには大変きれいな紋様も、なめて見るほどに近づけると、ぞっとするようなものがある。五六メートル以上近づくとがっかりする着物の紋様だってあるし、そういう種類の人間もいる。

 英名は Toad-Lily という。つまり、そのまま訳せばヒキガエル・ユリである。せいぜいびっき百合ぐらいにしか訳せない。外国でも、そんな名前をもちいながら園芸植物として栽培されているが、名前のつけられ方によって、花の顔つきも変って来るはずである。

 

★桧葉やどりぎ P.151

 三宅島の阿古小学校の先生が、この春先から四年の生徒といっしょに島の植物を採取し、謄写版で百種の植物を図鑑にされたものを送って下さった。

 この先生も植物を特別に勉強された方ではないらしく、苦心して調べ、それがていねいに整理されている。今後も続けて行くということだが、ほとんど実物を丹念に写生し、またその記載が子供たちのために面白く書いてある。「ふじなでしこ……さびがはまにたくさんあったな」というふうに。

 こういうふうに書いてあると、子供たちもああそうか、あれかと思う。そして名前を知りたいと言ってはさんであったのが、この桧葉(ひば)やどりぎだった。

 島の人は椿の葉が化けたと言っているそうだが、さかき、いぬつげその他にも寄生するもので、僕もはじめて見ることが出来た。紀州の高野山や名古屋の長禅寺などでは、霊木として、いろいろの伝説を結びつけているらしい。

 島の人は、椿の葉がいったい何に化けたと思っているのだろうか。かにさぼてんと見る人もいるだろうし、その名のように檜の葉とも見える。島の方言には「つばきひじき」というのもある。寄生されている以上、もとの木は害をこうむる。これは動物でも、僕たち人間でも、また国のようなものでも同じことである。

※参考:ヒノキバヤドリギはツバキ科(ヒサカキなど)、モチノキ科、モクセイ科などの常緑樹に半寄生(自ら葉緑素を持ち光合成を行うことができる)して、水や養分を ...含まれない:

2024.11.16 記す。

★猩々木 P.154

 クリスマスにちなんだ花は沢山あるが、その中の一つに猩々木がある。ポインセチアと言った方が通りがいいかも知れない。

 僕がこの花を頂く時にはかなり悲愴だった。熱があるのを承知で外へ出かけた帰り、もう夜おそく、寒い風が吹いていた。あげたい花があるんだがなあ、ちょっとうちへ寄って下さらないかしら……。それとも……ここで待って下さるかしら……。

 そんなにして僕のためにとっておいて下さった花なら頂にあがらなければならない。熱があって赤い顔をしていても、要らないなどとは言えない。電線が風に唸っていた。それから犬が何匹も吠えていた。

 その晩かかえて来たのが鉢植えの猩々木だった。赤い花ではなく、枝の先の赤い葉を、くるんでくれた紙の包みの上からちらちらのぞかせながら、僕はがたがた寒さにふるえて帰って来た。多分僕の顔は猩々(しょうじょう)のようだったにちがいない。それから二週間床についていながらこの花をしみじみと眺めた。小さな青蛙が、何匹も集って会談しているように見えた。何を語り合っているのだろう。青蛙たちは信心深いかどうか知らないが、それは、キリストがべタニアのマリアから猩々木を貰ったかどうかを議論している姿にも見えた。

※参考:ポインセチアという名前は、アメリカの初代駐メキシコ大使であるポインセット氏の名前に由来しています。ポインセット氏は、メキシコで自生していたポインセチアを見つけ、 ...

2024.11.14 記す。

★フランクリニヤ P.155

 どうもこの頃、気にかかることが、たまる一方だが、このフランクリニヤという木が、現在もなお健かに、秋になると花を咲かせているかどうか、一体、だれにどういう手続きで訊ねたらよいのだろうか。

 つばき科のこの木を、ジョージアの森で発見したのは、一六九九年アメリカに生れたジョン・パートラムという人である。彼は農業のかたわら独学で植物の研究をし、毎年秋になると方々の野や森へ採取に出かけていた。そこで一本の見なれない木を発見したというのである。

 この人はベンジャミン・フランクリンと親しかったので、自分の発見した木をフランクリニヤと名づけた。豪華な花を咲かせるこの木は、それ以来、何年たっても、どこからも発見されないということなので、世界中で一本しかない木である。原木から二三本は分けて移植したようだが、それもどうなっているか分からない。

 このパートラムというアメリカのお百姓さんは、なかなかいい人だったらしく、みんなからオネスト・ジョンと呼ばれ尊敬されていた。僕はこの名前を大砲より先に、世界で一本しかない木の発見者として知っていたが、大砲にそんな名前をつけるようになった国を少々軽蔑してもよさそうである。

2024.11.14 記す。

★ごぜんたちばな P.158

 夏の山の、涼しい樹林に白い花を咲かせるこのごぜんたちばなのことを、なぜ今ごろ書くのか。

 十一月初旬、冬を出迎える気持で、尾白川をさかのぼって甲斐駒に登った。尾白渓谷の紅葉は楽しかったが、幾つもの大きな滝を一つ一つ高巻きして登るので時間がかかり、谷を離れる間に日が暮れて野宿をした。その翌日、二千二百メートルをさかいに降った雪は、頂上付近の幾つもの岩峰をすっかり冬気色にしていたが、その冬と秋とのさかいに、ごぜんたちばなの真赤な実が一本の茎に一つ二つずつ残っていた。丸く集って、にぎやかに残っているものはどこにも見当ラなかった。

 おそらくその多くは、自分の使命を感じて、落葉や苔の下にもぐり込み、さも勿れbあ小鳥たちに運ばれて行ったのだろう。だが今なお葉の先に、色あせることもなく、すべてx果実の持つ魅力を失わずにいるものは、みんなつまさき立って首をのばし、舞い落ちる雪片を頭上にうけることさえ期待して、あどけなく白い季節の到来をながめていた。

 僕は雪の舞い落ちている中へ入った時、この新しい雪をただ眺めていることは出来ず、飛びついて受けとめるようなことをした。

※参考:ゴゼンタチバナ(御前橘)という名前は、石川県の白山の最高峰である「御前峰」で発見されたことに由来しています。また、カラタチバナのような赤い実をつけることからこの名前が付けられました。、

2024.11.13 記す。

★くちなし P.161

 戦争の末頃から、しばらく北国に移り住んでいた僕は、再び東京近郊へ戻って来た時に、なんとなく久し振りに見る懐かしい草木にめぐりあうのがうれしかった。

 夏のはじめに甘い香りを夕やみの靄に漂わせていたくちなしは、今、かたい果実を結んでいる。緑の線をオレンジ色のふくらみ外側に残して、白い花からどうしてこんなきれいな色が出るのかと思うように目立っている。それは、どこか遠い国の、ずっと昔の町に、ぽつんぽつんと立っている街灯のようにも見える。

 この実を見て思い出すのは、戦争がやっと終わってから、行列をして受け取って来た配給の白い布を、この、実で黄いろく染めた時の、なんとなく少しばかりゆとりが出来たと思ったそのよろこびである。飛鳥時代からの染料をつかって、同じ方法で染めてみたその布は実に鮮明な明るい黄色だった。何を作るにもぽっちりばかりその布は、いくらきれいな色に染められても壁に画鋲でとめておくより仕方がなかったが、しばらくして、それはまた幼い子供のエプロンになり、ぼろぼろの着物をかくしてくれた。

★たちばなもどき P.166 

 だれでも教壇に立っている人は同じだと思うから言うのだが、講義の準備が出来ていないのに学校へ出かけて行くのは実につらいものである。四五年前のちょうど今ごろ、もうそろそろ冬休みにしようかと思いながら、重たい気持ちで学校へ行く途中、よその家の生垣に、このたちばなもどきの、ちっぽげな蜜柑のような実がいっぱいなっているのを見て、こっそり小さい枝を折り、それを哲学の教室まで持って行った。

 黙っている僕の方を四十人ばかりの学生さんがふしぎそうに見ている。いつもそこでは、連続の話ではなく、一回ごとの読切講義というのをやっているので、今日はデカルトかな、まさかカントではあるまいなと学生さんは待っている。僕は哲学の話はどうしてもする気がしない。

 そこでこの灌木について五分ほどしゃべって帰って来たことがある。原産地は中国の雲南だが、明治の中ごろ福羽逸人博士がフランスから持って来て新宿御苑に植えたということである。初夏に咲く白い花よりも、橙色(だいだいいろ)のつやつやした冬の実の方が僕には講義準備の戒めを与えてくれるばかりでなく、かわいらしく見える。雪でも降りかかると一段とあたたかそうに見える。雪の山小屋にともる灯のように見える。

※参考:タチバナモドキという名前は、果実の色や形がミカン科のタチバナに似ていることに由来しています。タチバナモドキの果実は橙色でやや扁平な球形で、ナシ状果と呼ばれる偽果です。

 タチバナモドキはバラ科トキワサンザシ属の植物で、フランスから明治時代に日本へ導入されました。トキワサンザシ、カザンデマリとともにバラ科トキワサンザシ属の植物の総称であるピラカンサに含まれます。

★やつで P.163 

 やつでは、あんなに大きな葉をひろげているのに、自分の家にあったかどうか思い出せないほどに、なんとなく庭にある木だ。僕は家の植物分布を一度紙にかいたことがあるので、やつでのある場所も知っているが、多分あったはずだという程度の人が多いいのではないかと思う。今、どこの家でもその雄花、雌花の立派な繖形(さんけい)の花が咲いているが、それも気づかずにいることがある。

 花火のような、レースの玉のようなその個性の花が、どんな割合でついているかを気にしているが、僕の見たところでは、はっきりしたつき方はないようである。しかし、全然無秩序というわけでもあるまい。

 雌花のほうは、幼いころちぎりとって、投げて遊んだ触覚がなつかしい。これは、そんなふうに乱暴に投げたりするものじゃあなくってよ。こうしてお手玉にするのよ。そんなことを言われながら、僕は自分がちぎり取ったこの玉をどこかの女の手に取りあげられてしまったことがあるような気がする。あるいは昔の夢かも知れない。

 雄花にレンズをあてて見ると、中央の蜜のてらてらしているところが罐詰の桃のようで、なめると甘い。今日は冷たい雨降りで虫はやって来ない。すぐ隣り合っているのに、花粉ががうまく運ばれるかどうか、気が気でない。

※参考:よく見ると、花の形が2種類あります。雄花と雌花が分かれているわけではありません。一つの花が日が経つにつれてその役割を変えるのです。

 まずおしべが成熟して花粉を出します。花粉を運んでもらう虫を呼ぶために蜜も出します。この時期を雄性期(ゆうせいき)というそうです。

 やがておしべと花びらが散り、蜜も止まります。そして、今まで小さかっためしべが伸び始めます。

 めしべが成熟するとふたたび蜜を出して虫を呼びます。花粉を着けてもらうためです。この時期は雌性期(しせいき)と呼ばれます。

 このようにおしべとめしべの成熟する時期がずれているのは、同じ花の花粉がめしべに着くことを避けるための工夫です。近親交配をすると性質の劣る子孫ができる可能性が高いからです。他の植物でもよく見られる仕組みですが、ヤツデの場合は形が分かりやすいですね。

2024.11.19 記す。

★樅 P.168 

 クリスマス・トゥリーとして売り出されているものは、必ずしも樅の木ではない。近よって見るこのと種のものはかえって見分けがたく、遠くから見ると色がちがう。実際、日本のクリスマスでは部屋が飾れれば何の木でもいいのだし、無花果の枯れ木に白ペンキをぬったものなどかえってきれいなものだった。

 僕の家のは、まだ子供の乳母車があってそれにのせて買ってきたのだから、もうずいぶん古くなるが、今は下枝がなく、まことに貧弱な樅である。植木鉢が小さくなって」しまって、苦しくてたまらないのである。

 しかしこの木については、毎年毎月ごろに一番成長するかをはかったり、こずえに出る新しい芽の出かたを記録したりした。ある年、新しい葉が巻いて、その中に小さい幼虫を見つけた。これは明らかに害虫であるが、正体をつかみたいので、樅の木は擬制になった。まだ確信をもっては言えないが、恐らく「もみひらたはばち」という蜂の幼虫だろうと思う。六月ごろに羽化するところを見とどけたいと思いのがしてしまう。

 こんな樅にはもう何も飾れない。そのやせほそり方からいって、これはキリストの木と呼ぶことにした方がよさそうである。受難のキリストの生れかわりである。

※参考:モミ(樅)という名前の由来には、次のような説があります。

 風に揉み合う様子から「揉む」を語源とする説

 美しい萌黄(もえぎ)が語源という説

 神聖な木で信仰の対象となっていたことから「臣の木(オミノキ)」が転じて「モミの木」となったという説 モミはマツ科モミ属の常緑針葉樹で、モミソ、トウモミ、モムノキ、サナギ、オミノキとも呼ばれます。厳しい冬でも葉が枯れずに色鮮やかな緑を楽しめるため、昔から強い生命力の象徴とされ、神聖な木として扱われていました。クリスマスツリーとして飾られるのも、このためです。

 モミの学名は、シーボルトとツッカリーネによって命名されており、「硬いモミ」という意味です。

2024.11.14 記す。

★鈴 懸 P.169

 花が咲いて目立つ植物もあれば、青々としげった時に人目につくものもある。今、街を歩いていると、鈴懸の実が目立ちますね、ときのう来た友だちが言った。一昨年、日比谷公園の脇の街路樹の枝を下している時に、鈴懸の実を沢山広いあつめ、それをぶらさげて音楽会へ行ったことを思い出した。街路樹の手入れをしているような人の中には、大層怖い人もいるので、慇懃に挨拶をしたら幾らでも持って行けと言われたので、いっぱいぶら下げて見たが、スメタナを聴きながら、この実が気になって困った。その実が今も三つ壁にぶらさがっている。

 小アジア原産のこの木は、明治のころにはいって来たものだが、同じころに北米原産の「あめりかすずかけのき」も移入して、そのどちらも街路樹になっている。はっきり区別できるのは、すずかけの実は一本の花軸に数個なる点であるあるが、樹皮がはがれるということもある。

 ヘブライ語でこの木のことをアルモン(Armon)という。種という意味だそうだが、その皮のはがれることから出た名前らしい。旧約聖書にもこの木のことが出て来るが日本語訳では「欅(けやき)」とか、「桑の青枝」になっている。

2024.10.31 記す。

★はこべ P.171

 冷たい風はさかんに吹いているが、日だまりにはもう春がぽつぽつ見られるようになって来た。今日ははこべの花を見たが、ただ開花の記録としてその名を手帳に記すだけでなく、持ち帰ってしらべた。小鳥のためにも兔のためにも、何度も何度も摘んだことのあるこの草の花について、いったいどれだけのことを知っているか。

 はこべの花はしぼむと一度下へたれ下り、実が熟すると再び立ちあがるが、これも僕の発見ではない。なぜそんな特性があるのか、これも答えられない。だんだんあやしくなる視力を補うためには、見るための努力をいっそう重ねなければならないだろう。

 しかし図鑑をたよらずに、はこべの花の花弁が十ではなくて五つであることを自信をもって数えられるようになるには、どうも努力や年期のほかに、他のいっさいのことをあっさり忘れられる特性を身につけなければならないだろう。この五つの花弁は底の方まで深くさけているのである。

 こういう細かいものを念入りに見ているうちに、息詰まって来るような苦しさに襲われることがよくあるが、それではだめである。無理のない呼吸を続けながら自分の、これらの微小なものに比べて大きすぎることを忘れなければならない。

★雪柳 P.172

 雪柳は僕の庭にも一本あるが、近くの公園の池のへりに並んで植えられてあるので、花の咲き具合を見るのには便利である。この小灌木の名は、花が咲くと雪をかぶったようになり、そしてその枝が柳に似ているのでこう呼ばれているのであるが、ほんとうの花の時期は四五月ごろである。花の一つ一つは小さいうえに、それほど特徴のある形もしていない。けれども離れて見た時の、その集団の美しさは、花ということを忘れてたのしい。

 ところが、なにも手を加えないのに、この花はよく狂い咲きをする。去年の秋、かなりおそくなってから、池のへりでずいぶん花を見たし、今は年を越える時分に開いたものが黄ばんでくっつているほかに、また一ニ輪ずつ新しく咲いている。

 園芸の本を見ると、「促成栽培が容易」だと書いてある。花の少ない冬に人の気持を慰めてくれるし、せっかちな人の心をくんでくれるわけだ。しかし、勝手に狂った咲き方をし、気まぐれた人を驚かせることはいいとして、促されて簡単に花を見せるというのは、僕のモラルでは少々戒めてやらねばならない態度である。

2024.11.19 記す。

★おおいぬふぐり P.174

 ことし庭のすみにはびこったおおいぬふぐりは例年よりもきれいな瑠璃色を見せてくれるような気がする。朝日があたりはじめて三十分ほどたつと小さな花が開きそろうが、一つ一つが自分から光っているようだ。この花冠は微風にも落ちやすく、午後になると花の数は減る。小虫が蜜をのんで去る時に落とすものもあるらしい。

 もう果実も大分垂れ下がっている。この果実のようすが、不名誉な名前の原因なのであるが、わざわざ別名のるりばなひょうたんぐさと呼ぶ必要も感じられない。  シェークスピアの「ハムレット」の中に、王妃が、紫蘭のことを「あの花を口汚い羊飼いたちはみだらな名で呼んでおりますが……」という箇所がある。どんな名前で呼んでいるのかシェークスピア学者の誰かがきっとしらべたことがあるだろうが僕は知らない。けれども外国にも気の毒な名をつけられてしまった花もある。

 またおおいぬふぐりの学名には聖女ヴェロニカの名がついているけれども、これはまたどういうつながりがあるのか分からない。

※参考:オオイヌノフグリという名前は、その実が犬の陰嚢(いんのう)に似ていることに由来しています。植物学者の牧野富太郎博士は、日本に古くからある在来種「イヌノフグリ」に似た植物に「イヌのふぐり」という意味のラテン語の学名をつけました。オオイヌノフグリはイヌノフグリよりも花が大きく、この名前が付いたと言われています。 また、オオイヌノフグリは、あたり一面に青い花を咲かせる姿が夜空に星が瞬くように見えることから、「星の瞳」とも呼ばれています。英名ではキャッツアイとも呼ばれます。

2024.11.17 記す。

★猫柳 P.176

 東京郊外の、川とも言えない小川のへりを、僕はまだ霜7どけのひどい土を踏んで歩いた。靴の裏にこってりつく泥を、枯草になすりつけたりするが、踏み込むと靴をとらられそうになる。向こう岸飛び移ったり、またこっちに戻ったり、そうして足をすくわれそうになってしがみついたのが猫柳の枝だ。

 たのむぞ、しっかりしていてくれよ。僕はその小川を大きくまたいだ姿になってしまう。そしてまだ手をはなすわけには行かない猫柳の枝には、三角帽をかぶった、白いほわほわの小人の猫の顔が幾つも幾つもこっちを向いている。時々その顔を見合わせて首を縮めているように思える。

 両方でお互いにからかいながら、僕は流れに跨ったまま春を感じはじめる。川は澄んでいて、時々、ちょぽん、ちょぽんと何か言う。そして大きく息を吸い込むと、土の中でのびあがってする虫たちのあくびの匂いが入って来た。

※参考:猫柳という名前は、花穂が猫の尾に似ていることに由来しています。江戸時代まではカワヤナギと呼ばれていましたが、明治以降に銀色の花穂を猫の尻尾になぞらえて猫柳と呼ばれるようになりました。 猫柳はヤナギ科の落葉低木で、中国、朝鮮半島、日本に自生しています。3~4月に銀白色の花穂をつけ、花穂が美しく切り花などに利用されます。

2024.11.18 記す。

★すずめのかたびら P.180 

 温室に入れて花を早く咲かせたものは別として、一月、二月に花を見せる野草はもちろん少ない。けれどもいくつかは数えあげられる。青い花が日だまりにいっぱい笑っているようないぬふぐりや、黄色いきじむしろは寒いうちから賑やかである。そのなかでうっかり忘れているのはこのすずめのかたびらである。穂が出ているのはもう秋のことであるが、このごろその小穂から、やっと目に見えるほどの雄蕊がのぞきはじめている。道ばたの、乾ききった土に、この草はうす緑に、早春らしい日なたをもう作り出している。

 この緑が春を土の中から誘い出す。しかも静かに、決して大袈裟な創世の動揺もなく、誘われたものは、やがて到ところから滲み出すだろう。

 植物で、雀の名をその頭にもつものはかなり多いいが、「雀の帷子」とはどういうところから出た名前だろうか。これは虫眼鏡を片手にさがそうとしても見当たらない。ただ紫を帯びたその穂が、見ているうちに薄い着物のように思われて来ないこともない。寒の雀がこんなものをまとったところで少しも暖かくなりそうもないのに、すずめのかたびらという名は何か善意のおののきが感じられて、五月に咲く同じようなからすのかたびらよりは僕は好きだ。

※参考:スズメノカタビラという名前の由来は、花穂(小穂)の形がスズメが着るような小さな帷子(カタビラ)に似ていることに由来しています。帷子とは、裏地のない一重の着物です。

 スズメノカタビラはイネ科の小型の雑草で、人家のまわりや公園、畑地などに多く見られます。秋に発芽し、冬を越し、早春2月ころから秋までほとんど年中開花します。寒い地方では一年草となります。

2024.11.18 記す。

★ブーゲンビレア P.182 

 さむざむとした気持ちで、戦争のニュースを聞いていた頃に、よくこんなような島の名を耳ににした記憶があるはずである。それも確かにフランスの航海家ブーガンヴィーユに関係はあったのだが、この花も彼を想い出さずには眺められない。

 熱帯植物園へ写真撮影に行って来た人が、こんなきれいなものがあったんですと言って手帳のあいだから出したのがこれだった。いたかずらという和名がついているが、もともと南米ンおものである。この苞ンお色の薄い赤紫を何と言ったらいいのだろう。数世紀前の洋書のあいだから出て来そうな色である。

 彼が帰ってからスライド映写機を開いて、これをスクーリンにうつしてみる。三枚の苞にはさまっている花梗(かこう)のひからびたのも見えるが、この桃色の苞は、天国から追放された天使たちが、自分の心臓の鼓動をかくすためにつかったものにちがいない。それでこんなふうに薄赤く染まったのだろうし、血管もここに見えているこの天使たちは、だんだん図々しく地上の人たちと交わって、しまいには心臓のトクトク言う音をたのしむようになって、このプラカップをすててしまったのだろう。

※参考:ブーゲンビレアという名前は、フランスの植物学者フィリベルト・コマーソンが発見した植物の友人である船員のルイス・デ・ブーゲンビルに由来しています。

 ブーゲンビレアは南米原産のオシロイバナ科の低木やツル性植物で、1760年代にブラジルのリオデジャネイロで初めて発見されました。

 また、ブーゲンビレアの和名は「筏葛(イカダカズラ)」で、花の姿が筏のように見えることが由来です。花のように見える苞を筏(いかだ)に、中心の白い花を人に見立てたことからきています。

※参考:ブーゲンビル‐とう〔‐タウ〕【ブーゲンビル島】 の解説

《Bougainville Island》パプアニューギニア東部の島。地理的にはソロモン諸島に属す。中心地は南東部のアラワ。ココア・ココヤシや銅を産出。第二次大戦中、日本軍が占領。連合軍との激戦地になった。名称は、フランスの航海者L=A=ブーゲンビル(1729〜1811)にちなむ。

2024.11.15 記す。

★一輪草 P.184

 春先の山の麓の暖かそうな草むらに、すっきりと白い花を見せている一輪草を見つけると、誰かが白秋の詩を想い出すだろう。「真実寂しき花ゆえに、一輪草とは申すなり」「……一輪さくのが一輪草、二輪さくのが二輪草、まことの花を知る人もなし」

 寂しい花ではあるけれど、一輪草は明るい。二輪草のようにふたりで明るく咲いているよりも、ひとりで明るい顔をしているのはけなげな様子にも見えてうれしくなる。  この花には、支那に伝説がある。ある家にかわいらしい子供がいて、両親から大切にされていた。その子供が、まだ五つにもならないうちに死んでしまった。両親は大そう悲しんで、毎日その墓のまわりをうろうろ歩いては泣いていた。ところがある晩、その子供が夢にあらわれ、一本の花を持っていた。そして、「私はいま浄土にいて幸せにしていますけれど、御両親があまり悲しんでいらっしゃるの御仏が気の毒に思われ、私にこの花を持たせたのです。私と思って育てて下さい」と言った。悲しみの心のまよいかと思ったが、夜の明ける待って墓へ行くと、そこに、夢にみた花が咲いていた。両親は自分の愛児の魂として大切に育て、それが一輪草だという話である。

 死んだ魂が花になったという話はこのほかにも沢山ある。

★いわぎぼうし P.185

 四月はじめの後立山の唐松岳では、氷片や小石が真横に飛ばされているような風で、気温もかなり低かったが、八方尾根を下るにつれて、雪の表面に春の表情があらわれて来た。遠くから見れば山々は目も痛いほどに光っているが、次第に雪がよごれ、よごれが浮き出して来る。そのぐすっともぐる水っぽい雪の上を雪虫がさかんに歩いていた。そして解けはじめる雪の上には、すぎ去った年の虫の死骸や、落葉などが諄々とあらわれて来るが、どういうものか、いわぎぼうしの枯れ葉がたくさん出て来る。

 山の秋風に、淡い赤紫の花がゆれ、やがて初雪が舞いとぶころにこの葉は枯れながら方々へ飛んだのだろう。一昨年もほぼ同じころに、八方尾根を登りながらこの葉を雪の上で拾いあげたことを思い出した。

 もともと強い葉であるが、葉脈も、裏面の細かい横の脈も、長い柄にある斑点もはっきり残っている。なお雪深い山で、春の訪れを告げるものはいろいろあるが、いわぎぼうしの枯れ葉は、この尾根ではいつも印象的である。

※参考:ギボウシという名前は、つぼみの形が日本の社寺仏閣や橋の欄干に付けられる伝統的な装飾品である「擬宝珠(ぎぼし)」に似ていることに由来しています。また、葱坊主に似ていることから名付けられたという説もあります。

 ギボウシは、キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ属(学名: Hosta)の総称で、東アジアに分布する多年草です。日陰でもよく育ち、観賞価値の高い植物です。学名の「Hosta(ホスタ)」は、植物学者であるニコラス・トーマス・ホストの名前に由来しています。

 夏の朝に咲く儚い一日花「ギボウシ」

2024.11.17 記す。

★においすみれ P.187

 庭の日溜りに、幾種類かのすみれを集めてみようと思って、毎日胴乱をかついで草原や土手に沿って道を歩いたことがある。そして新しい種類を見つけると、ていねいに掘ってその発見の場所を手帳に記録した。

 僕の書く文章は少々甘ったるいところがあるかも知れないが、批評をして下さろうとする方は星菫派(せいきんは)を想い出して下さるらしい。まことに光栄である。批評家は案外語彙が少ないと見えて、同じようなことを何度も言われているうちに、わが庭少々すみれを植えておかないと申しわけないような気持になって来た。星はどうもわが庭に並べて光らせておくことが出来ないので。

 ずいぶんすみれがふえてるね。少し貰っていい? そう言って持って行くすみれは大がいにおいすみれである。色が濃くていい匂いがして、何となくつやつやしているのを選ぶ。彼らはそれを庭へ植えるのかどうか知らない。誰かの胸にでもさしてやろうという魂胆かも分らない。それならば、彼らこそ、そのすみれに感謝すべき星菫派でなければならない。

2024.11.03 記す。

★クロカス P.189

 十日近く山にいて、吹雪のひどい日に下りて来た。ふもとの春めいたぬかるみの道を歩くことをたのしみにしていたが、汽車に乗っても雪は降り続いていた。それでよけいに、帰宅後のわが庭の変化が目立ったが、出かける前に一二輪咲きはじめていたクロッカスの、すっかり咲き そろっているのが、僕に、山ばかりへはいり込んでいないで、少しは庭を見る季節になったことに気がついてくれと訴えているようだった。

 二列横隊に並べて埋めておいたものが、幾分横へその葉をのばしているのや、頸をかしげているのやさまざまあって、花は花らしくくつろいでいるのは、見ていて楽しい。台所のガラスもこれで当分黄色に光っているだろう。

 僕は古いノートを開き、クロッカス属(さふらん属)とコルシカム属(いぬさふらん属)との相違についておさらいをする。細かいところを実によく忘れている。そんなことをしながら、二十数年前にもらったスイスのカレンダーに、春のざらめ雪の消えて行くへりから順に紫や白のクロッカスの咲き出している写真のあったことを思い出す。「春来りなば……」というドイツ語をその時覚えた。かっきりとした季節の変り目に向って、僕の感動はあまり変化していない。

2024.11.03 記す。

★なずな P.190

 ここ数日、変に冷たい風が吹きつづけて、丘の畑みちを歩いても、日かげには驚くほどの大きな霜柱が立っている。近よって来る春の足なみが、だいぶ狂っていることは確かだ。それでもいつもなら日だまりには菫が幾種類か見当るころだと思って出かけたが、それは全然なくて、かえってなずなの小さな白い花が目につくのだった。そしてもう花の下のほうには、果実が出来ている。三味線の撥(ばち)のようには、僕には見えないが、優曇華(うどんげ)といわれているくさかげろうの卵のように見えてかわいらしい。

 しかし僕はなずなについては、ここしばらく根生葉を注意してみることになるだろう。根生葉は羽状にさけるとは本に書いてあるが、それが魚の骨のように、葉とは思えない姿に変わっているものが多い。ちょうどいい機会でもあるので、植物奇型の勉強にかかろう。奇型とは……という定義から本によってひとまず学ばなければならない。そして最も興味あることは、なぜ奇型にならなければならないのか、その原因をさぐることであろう。諦めるより仕方のないことをもう一度考えなおすことが勉強の一つである。しかし、人間の精神の奇型などということはいっさい考えないようにしよう。

※根生葉(こんせいよう)とは、植物の根元に密集して生える葉のことを指します。タンポポやホウレンソウなどが代表的な例です

★二輪草 P.194

 二輪草が咲いた。確かに花は二つあるが、そろって開かず、片方はまだ蕾がかたい。ほとんど無数の花を一度に咲かせるものもあれば、下の方から順に咲き上って行くものもある。二輪草は、どういう気持ちかよくわからないが、」せめてにこやかな顔を揃って見せればいいものを、こうして遠慮している。

 北原白秋の「……一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草のとおりであるが、この花の数が二輪とは限っていないし、同じアネモネ属には三輪草もあるので、断定を下すまえに、十分の用心が必要である。

 中国の伝説に、かわいがっていた子供が死に、悲しむ親の夢にあらわれて、この花を私と思って育ててくれという話があるが、その花が、一輪草であったり二輪草であったりしている。

 この白い花弁のようなものは萼で、普通は五つとなっているけれど、僕の眼の前に、いくぶんうつむいていて、困ったような顔つきをしているのは七つである。花弁はないことになっているが、二輪草も花びらを開いてみせているつもりではないかと思う。余計なことだが、雄蕊がだいぶ多すぎて、うるさそうである。

★えぞすみれ

 ラ・フランスとか、プリンセス・オヴ・ウェールズとか、立派な園芸種のすみれも、もちろんきれいでそれにふさわしい箱に入れたり、リボンをかけると、すみれは私たちの複雑な気持ちをそっくり引き受けて、これを贈った人の前へ出た時には、言いたいことをうまく喋ってくれるかも知れない。重宝なものであるけれど、やっぱり、こっ恥かしいことには変りない。

 けれども春から夏にかけて野山や路傍でめぐり合う数々のすみれを、記憶の箱の中へ採取して、それを思い出す時には語り合うことも出来るだろう。

 薄く濃く、また赤味を持ったさまざまな紫。白いすみれ、夏の山に咲くたかねすみれやきばなのこまのつめ。えぞすみれはえいざんすみれ、かくれみのなどという別名も持っている。そして一つの大きな特徴は葉が裂けていることである。普通三つに裂け、それがまた二つに裂けているので、花を着けないうちはすみれの葉とは思えない。僕が春の山道を歩いている時ににこっそりさがしている花である。

2024.11.04 記す。

★沈丁花 P.201

 庭の沈丁花は一尺たらずのものであるが花を開きはじめた。いつもどこからかこの花の香が漂って来て、ああことしも咲き出したかと思うのに、花の方をことしは先に見つけた。

 小説家の円地文子さんが、御歳よりから教えられてこの花を丁子(ちょうじ)とよんでいたと書いておられたが、僕も確かにそう教えられていた。母は今も丁子と言っている。丁子は日本では見られないモルッカ島原産の熱帯植物であるが、沈香や丁子に香も姿も似ているので沈丁花というのである。

 『本草綱目啓蒙』を見ると「花後実ヲ結ブ南天燭子ニ似タリ」と出ている。日本の沈丁花は普通雄であるために実を結ぶことがなく、僕も見たことはないが、まれに熟して南天のような赤い実がなる。この実は辛いので「こしょうの木」ともいわれているが、さきの本には「実ニ毒アリ食スレバ半日バカリ煩悶ス」と書いてある。僕は沈丁花の実を食べて煩悶している人のようすがどうもこっけいでたまらない。

 円地さんも辞書を引いて沈丁花と丁子とが別のものであることを発見されたようだが、僕も確かに長いあいだ、この花を堂々丁子と呼んでいた。ある。

★燕 P.203

 僕が去年、山へ登るまえに泊まった新潟県のある村の宿屋は、その部屋をスケッチ・ブックに描いておいたほど、黑光りがしていて大きな柱がそこここに見え、感じがよかった。

 山へ登る朝、少し寝坊をしてしまったので急いで靴をはいている時、そこの土間の天井に燕の巣があって、親燕はその子供にせっせと餌を運んでいた。燕の渡って来るのは、その辺だと四月なかばごろだろうか。まだそれでも雪深いところなので、村の人たちはもう燕が来たなどと言って空を見あげることだろう。

 燕が子供に餌を運んでいる様子は、都会にいてもよく見られるが、子供たちが三角に大きくひらいて、喉のどの辺で鳴くのか、せっくように騒ぎ立てている。親は順に餌を口に入れてやっているだろうのに、その度に、一応全部の雛鳥が大きく口を開いて騒ぐ。ひょっとしたらまちがえて、続けて自分の口に虫を入れはしないかとおもうのだろうか。

 そういえば人間の子供でも、兄弟で、何か貰う時にはいざこざが起りやすい。不公平を監視する幼い目は光るし、自分だけに多く分配されるのを期待する目はするどく、またあどけなく光る。

 その燕の子たちが飛び立って行く、やわらかな初夏がまたやって来る。

2024.10.07 記す。

★夾竹桃 P.205

 地の神の娘に、白妙姫という色のまことに白い美女がいた。若い神々はこの白妙姫を得ようと思って夢中になっていたが、彼女の心にかなう者がいなかった。若い神々の中に、植物の神がいたが、これこそ白妙姫にも父の神にも気に入ったので、婿君になることを告げると、意外にも、彼は、こんなにまっ白い姫君は、まるで死んでいるようで好きになれないと言って断った。

 色の白きを嘆きはじめた白妙姫は段々やっれて来た。父の地の神はそれを天の神に告げると、天の神は自分の夾竹桃をとって与える。それを持ちかえると、娘はその紅い花をもんで紅色の雫を顔に熱心に塗った。すると、白い顔は美しい赤味がさして、植物の神は悦んでお婿さんになることを承知した。

 花の伝説というのはこんな調子のものが多い。その話をきいた中学校の運動場の隅に夾竹桃が一本あって、夏の休みがはじまる頃になると紅色の花が見られたが、中学生たちも、この伝説をきかせた国語の先生も、夾竹桃が校庭に植わっているのを知らなかったらしい。

★蒟蒻 P.206

 群馬県の方から重たい植木鉢が届いた。それを預かった方は、うちの近くのお菓子屋まで持ってきたので、僕のところへはそのお菓子屋の娘さんが抱えて来たので驚いた。紙包みをほどいてみて僕は更にびっくりした。さてこれはなんだろう。

 さといも科の商物であることは見当がついたが、暗紫色の気味の悪い姿が、これはひょつとするとなにかの化けたものかも知れないと思わせる。知らない者をすぐに異常なものと考える悪い癖が僕にはまだ残っている。

 これは蒟蒻(こんにゃく)の花の芽であって、今ほうぼうの山地に咲いている水芭蕉と似た構造であるが、長くつき出しているものには付飾棒という名がついている。この中にまだ咲き出すには早い雄花雌花が包まれている。

 おでんやで、僕はすまして蒟蒻を食べているが、なにをかくそう、この花は知らなかった。そして同時にいま知ったことは英語でもフランス語でもコンニ」ャク(Konjak)である。だれかをさそっておでんを食べに行き、蒟蒻の花知っている? ときいてみたくなって来た。

★しゃが P.211

 僕がまだ小さいころには、小さい僕にも巻紙で手紙をくれる人が幾人かいたし、そういう人には僕の方からも巻紙をもって返事を書いたものだった。その一人に、特別親しい知り合いでもなかったが、よく手紙の中に絵を描いてくれた人がいる。もちろん、巻紙に描く絵だから日本画だったが、誰が見てもこれは上手だと感心するようなものだった。もっともその人は建築家で、ヨーロッパを回って来たこともあり、ローマの話などをしてくれたものだった。

 気節の花がおもだったが、ある時、しゃがが描いてあった。僕はまだ名前を知らなかったので、多分母から教えられたのだと思うが、次に実物を見た時に、それはしゃがだと確信をもって言えるほど正確にそれらしく描けていた。

 それで、この花の名を覚えるについては、大変に贅沢なことをしたようにも思っているが、しゃがという名は射干と書く漢名から来たのではないかという説しか聞いていない。けれども射干は、ひおうぎのことであろう。それからこの花のことを胡蝶孔(こちょうか)とも書いているが、しゃがに一番よく似ている蝶というと何だろうか。色はともかく、姿は「シーたては」ということだろう。

★あかざ P.213

 川沿いの道を雨あがりに歩いた。僕が全部うつって、まだ雲が三つもうつるくらいの水たまりが道をさえぎっている。そのあたりが全体赤っぽいのはあかざがいっぱいあって、わかい葉の赤紫色のせいだった。それが白ければしろさだ。この赤紫は前から気になっていたが一種の粉状のものである。僕はどうもある種の色に酔う性質があるらしいが、それが必ずしも快い気分に発展してくれるとは限らない。

 なぜこんな粉をふかなければならないのか、それがなぜ赤かったり白かったりするのか。僕は葡萄の実の表面につく粉やその他のものを考えながら、家に持ちかえって拡大鏡でみると、細かいぶつぶつが、一つ一つ光っている南京玉だ。これをつないで、幾人の少女のくびを飾ることが出来るだろう。植物生理の本を読みなおす前にそんなことを考えて遊んでしまう。そして悲しい気持ちでこの草をうでて食べた戦争のころを思い出したが、その当時あかざを食べすぎてひどい火傷(やけど)のような「アカザ皮膚炎」にかかった人もいる。まさかこのきれいな南京玉がいけなかったのではあるまいか。

2024.11.05 記す。

★しろつめくさ P.217

 徳川時代に、ガラスの器が輸入された時に、われぬように詰めものいなってやって来たのがこのつめくさである。思えばかなしい渡来ぶりだが、帰化の仕方は堂々たるもので、ポランの広場などは実に見事なはびこり方をしている。

 「つめくさの花の咲く晩に、ポランの広場の夏まつり。つめくさの花のかおる夜は、ポランの広場の夏まつり」宮沢賢治の、あの酒くせの悪い山猫が、黄色のシャツで出かけて来る。そうするとポランの広場に飴が降る。

 しろつめくさは童話の野草にだけ咲いているのではない。Trifolium repens という学名は匍匐(ほふく)する三つの葉という意味があるが、三つの葉と言われると四つ葉のクロバーをさがして、人は幸福を夢見る。その四つ葉はさがそそうとすると容易には見つけにくいけれど、ひょっとした時に、ひとかたまりの四つ葉を摘みとることが出来る。誰か幸福になりたがっているものはいないだろうか。戦場」に傷ついた兵士が、傷を癒してくれた乙女にささげたこのシンボルを、愛と幸福と感謝のシンボルをほしいものはいないだろうか。

※参考:「ポランの広場」:宮澤賢治全集 第十二巻(筑摩書房)

2024.11.05 記す。

★平家蛍 P.219

 ほたるは「火眠る」ということらしいが、あたたかみのある名前である。だが蛍の光には熱がない。昨年までは僕の住んでいる近くでも、この青白い光を見かけたが、今年はどうだろうか。何しろ家が多くなって、蛍も別段あかりを必要としないだろう。しかし、その発光器をすててしまうようなことはしない。一体蛍は何のために光るのか。

 幼虫のうちから彼らは光る。不器用な光り方ではあるが、ともかく光る。幼虫の時代だけ光るのもあるが、大きくなると光り方も起用にばり、雄と雌とで信号をやる。種類によって色の区別もあるし、第一、点滅の回数がいろいろある。コッチへコナイ? イッテモイインダケド。それは僕に考えられる限りの人間の言葉である。それらしい人間語訳である。恐らく大きな誤訳だろう。

 しかし光の信号は、そんな醜悪な人の言葉とはおよそちがった、僕たちの想像からはあるかに距った情緒をかくし持っていることだろう。

 籠に入れた蛍は青臭い。それを、あんまり「いやだと思わずに、口に水を含んで吹きかける。ただ彼らが腹にあかりを持っていて何も隠せないのは辛いだろう。

※海軍兵学校兵学校の卒業式が済むと、真新しい軍服姿になった候補生たちは、在校生徒や教官たちの見送る中を、機動艇に分乗して表桟橋から離れて行く。そのとき軍楽隊が「オールド・ラング・サイン」(「蛍の光」の原曲)を演奏するのが慣例になっていた。ところが戦時下ますます激しくなった適性語追放の空気から、卒業式行事でこの曲を演奏するのは取り止めてはどうか、という意見が出てきた。スコットランド民謡だから、というのがその理由である。しかし井上校長は「名曲は名曲である。敵味方を絶している」として廃止の意見を斥けた。「蛍の光」は戦時中、国内どこの学校でも聞かれなくなったが、兵学校では終戦の年まで使用された。

★鈴蘭 P.224 suzuran.jpg

 街を歩きながら、花屋の店頭や、そのほかのところで鈴蘭を見ると、僕は必ず想い出すことがある。それはある高原の療養所から送られて来た一通の手紙である。

 その療養所の一患者からの手紙だったが、自分のいる病棟のわきには、鈴蘭がきれいだった。鈴蘭ばかりでなく、いちやくそう、べにばないちやくそうなどの花も眺められたのに、この二三年、患者たちが根ごと掘り、中には大量に掘って都へ送り、お小遣いかせぎをしている人もある。それで、今年などはもう余程遠くまで歩いて行かないとそんな花を見ることが出来なくなってしまった……、ということが書いてあった。

 僕はその手紙をよんで淋しくなったし、もう長いあいだその療養所にいるらしい、花を愛するその患者をどういう言葉で慰めたらよいか困った。もうあれから三年たつが、どういうことになっただろうか。

 鈴蘭の一種に「ドイツすずらん」がある。これは英語で Lily of the Valley, フランス語でも Lis des Vallies といい、共に「谷間の百合」であるが、そのまま直訳されると、少なくとも鈴蘭とはちがった花を考えるだろう。

※参考:スズランの名前の由来は、白い鈴のような花をつけ、ランの葉に似ていることに由来しています。学名の「Convallaria majalis」は、ラテン語の「谷(Convallaria)」と「5月に花が咲く(majalis)」という意味です。

 スズランには、次のような別名や花言葉があります。

「聖母の涙」という別名があり、キリスト教の伝説に由来しています。イエス・キリストが十字架にかけられ母マリアが涙した時、その涙が流れ落ちた地面からスズランが咲いたという伝説です。

 花言葉には「再び幸せが訪れる」「純粋」「謙遜」などがあります。春の訪れを知らせてくれる花であることに由来して「再び幸せが訪れる」という花言葉がつけられています。

 和名には「君影草」という名前もあります。

 スズランは全草に強い毒があり、赤い実を食べたり、若葉をギョウジャニンニクと間違えたりするなどの注意が必要です。切り花で使う場合は特に飾る場所には注意しましょう。

2024.11.17 記す。

★駒草 P.225

 夏の賑やかな山は避けているので、このところしばらく駒草には会わない。最近ずっと会っていないけれど、どうしているかしら、と旧い友だちのことを、何かの時にふと思い出して考えるように、駒草の本の扉などに描いてあるのを見ると、想い出す。  ずっと以前でも、夏の高山には女学生たちが先生に連れられて登って来た。汗で顔を赤くして、すれちがいに見ると、どうして山なんかに来てしまったのかしらとというような顔付を見うける。それは今も別に変りことだろう。その数はふえ、人の服装は変ったろうけれど。

 けれども花は顔も姿も変えない。

 ある人がこれも昔、案内をたのんで歩いたら、この岩のかげに駒草が咲いているはずだがと言って近づいたら、ちゃんと咲いていたので、さうがに山に詳しいものだと言って感心していた。しかし、山の径を歩いていると、ちょっとした岩などを妙によく覚えてているもので、その案内人が一週間ほど前にそこをとおったことがあるなら、駒草のありかお知っているのはさほど感心することでもないだろう。

 女学生の一団で、引率している先生が、「先生オコマグサはどれですか、早く見せて下さい」とせめられていたのを見かけたこともある。

※参考:学名命名者:牧野富太郎

2024.11.05 記す。

★黒百合 P.227

 少年時代に立山へ登り、ザラ峠をとおった。この峠は佐々成政が通った峠である。その近くで黒百合を見た。

 これはあのあたりへ行った人ならば珍しい経験ではないが、そこで黒百合の伝説をきいて、ふしぎな気持になった。花の伝説というものは、時たまなまなましい感じを与える。

 佐々成政は、妾の小百合と小姓の竹沢龍四郎の中を疑って、二人を殺した。それでも足りずに小百合の一族を十八人も殺した。小百合が殺される時に、恐ろしい顔になって、「立山に黒い百合が咲いた時は、佐々の家はほろびる」と叫んだ。それから後、黒い百合が咲いたのを成政は淀君に献じた。そのことから北政所の怨みを買って、最後にはザラ峠を越えて関東へ落ちなければならなくなり、死にのぞんで言った早百合の言葉のとおりになった。

 黒百合という花に、僕自身は何も関係ない。というより、僕は僕らしくこの花との関係を結び、想い出を持てばいいわけであるが、伝説の力が強くききすぎることもあって、暗い紫色がどうも気になる。そして花の伝説を知ることは恐ろしいと思う。

※石川県の「郷土の花」である(「県花」ではない。

★こばいけいそう P.236

 ばいけいそうよりは小さいとはいえ、高山帯の植物としては大柄で目立つから、これは案外名前を知っている人が多い。そして写真機を持っていると撮りたくなる花である。

 ある時山小屋で紹介されたお嬢さんが、こばいけそうの写真を出して、これ、私がとった写真なんですけれど、何か書いて下さいませんかと言って僕に渡した。俗にいう気のきいた文句を、あまり待たせずに書かねばならない。ところがそのこばいけいそうはどうも見覚えがある、と思った途端に、これは知っていますと言ってしまったほど、確信があった。お嬢さんはきょとんしていた。

 Sさんとこの時一緒だったんじゃありませんか。僕はかなり前にSさんから、こばいけいそうの写真を貰ったことがあるが、写された花が、どうもそれと同じものと思ったので、こんな失礼なことを言ってしまった。しかしそれはそのとおりだった。

 これは別段、何の事件の原因ともならない。実をいうと僕は、写真に書く文句を考える時間をかせいだが、何と書いたかは全く想い出せない。

2024.11.05 記す。

★クレマティス P.239

 デュアメルの『わが庭の寓話』は僕の愛読書というより、もっと大切な本だが、その中の「完全のための弁護という章でプレーズが次にように言う。尾崎喜八さんの訳を拝借する。「森や垣根のテッセンの花は綺麗ではないけれど、なんとも言えない佳い匂いをただよわせている。園芸家はそのテッセンに手を加えて、不自然なものして、すっかり形を変えてしまった。君たちの青や赤のテッセンは目ざましい花は咲かせるが匂い」というものを全く持っていない。してみると、僕等は成る力を獲得することはできるが、そのためには別の力を失わなければならないという事になる。なんという苛烈な哲学だろう!」

 そのテッセンはフランス語で La elematite であるが、「森や垣根のテッセン」のは、日本の仙人草やぼたんづるによく似たヨーロッパ産の白い花の咲く野草の C. Vitalilba に、東洋種のものを交配させた園芸種のことだろう。したがってプレーズは、このために暗い気持ちになる必要はなかったのである。

 僕の記録の中に採取されているクレマティス属の花には、信州高遠の、蓮華寺の裏手にある輪島の墓に咲いていた「かざぐるま」がある。初夏になると、「テッセン」と言って花屋に並ぶものである。

※テッセン ... テッセン (鉄線、学名: Clematis florida)は、キンポウゲ科センニンソウ属のつる性植物。 ... また、クレマチスを指して「テッセン」と呼ぶこともある。

★さるとりいばら P.244 

 動物の中でも賢いことになっている猿でもこの刺にはひっかかる。ことりとまらずとか、へびのぼらずとか、動物の動作を、その植物を見て何とはなしに想像させるのはおもしろい。

 僕もこのさるといりいばらに引っかかることがある。そのてららてらと艶の葉を見ると一応は警戒しているが、河原のへりの草むらの道の道もないようなところを歩いていると、ぱりぱっと気持ち悪くからまることがある。

 田舎住いをしていた時分、幼い子供がどうしても昼寝をしないような時、無理に寝かそうとしてもつまらなくなり、河原へ遊びに行く。石ころのあるところばかりを歩いていればいいが、川の水の曲り具合でそうばりも歩いていられず、藪にはいると、子供は急に声を出すことがある。

 そんな時に見ると、さるとりいばらにかかって、小さい草履をはいている足があわれに見える。仕方ながなく背負って、手をうしろへ回して歩いていると、今度は僕がこれにやられる。早く赤い実が出来てくれれば、それを危険信号にしてよけて行くが、緑っぽい花の時にはだめだ。どうしてこんな意地の悪い草がはえるのだろうと思う。

2024.11.05 記す。

★葉鶏頭 P.247

 鶏の頭というものを、特にその鶏冠(とさか)を美しいと思う人はあまりない。それはどう見ても、もう手当の仕様のない、ひどい皮膚病である。けいとうの花にはずいぶん異品があって、それぞれ名前がついているが、その赤い部分の気味の悪さはさほど変わらない。けれど葉鶏頭の葉の赤さはちがった趣があって、これをいっぱい植えてある庭の秋は真赤にもえる。

 いつか訪ねた家の庭は葉鶏頭だらけで、これは恐ろしくきれいなものだと思った。

 外国へ行ったまま帰って来ないそこのご主人が、葉鶏頭が好きで、それで早く帰って貰いたい気持ちから庭をこんなふうに飾っているのだと説明された。

 ヨーロッパにもこれはあるだろうかと訊ねられ、僕もこの植物が出て来る小説を二つ三つ思い出しながら、あるようですけれど、こんなにきれいな庭はないでしょうといい加減のことを言った。

 小学二年になるお嬢さんが、この赤い葉の中に分け入って、姿が見えなくなって歌をうたっていたのが大層印象的で、御主人は遠い国でどんなことをしているのか知らないけれど、早く帰って来ればいいににと思っ

★すすき P.250

 僕は大正生まれで、「枯れすすき」の歌なんぞを聴きながら育ったからこんなのだと言われたことがあるが、こんなとはどんなかは訊ねなかった。つまりそんなことを訊ねないのが枯れすすき的なのかも知れないと僕は賢く思ってしまったから……。

 どうせわたしはかれすすき……

 僕はそうでもないと思う。しかしまたそうかも知れないと思う。「枯れすすき」の歌は亡国の調べだそうである。

 けれども今は、虫めがねをもって、その披針形の小穂を見る。秋の七草の一つとしてではなく、また尾花の姿にひかれることもなく、はっきりと知らないものを念入りに見るために。

 すすきの葉はつかまると手を切る。つかまえるならば、ぎゅっとにぎらなければならない。臆病な握り方をしていると手が切れる。それは確かに一つの風刺である。つかまえようとさえしなければ何の心配もない。

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