★串田孫一『博物誌』(角川文庫)昭和34年10月10日 初版発行 ★蟷螂(かまきり) P.11 蟷螂については書くことがいっぱいあって困る。ファーブルに負けないつもりだというほどの元気はないが、ひと夏、つまり蟷螂にとっての一生を、じっくりつき合って来たので、少少感情揉んだもからんで来ることになって、書くことが沢山あっても具合が悪くて書きづらい。 ところが今日、いつも葉書ばかりをくれる友だちが、珍しく、十一円の簡易書簡をくれた。封緘葉書がいつの間にかそんな名前に変っていたのだ。上下のミシンをぴりぴりと破いてみると、用件の終りに、カマキリが脱皮したと書いてあって、ぬけがらが二つはいっていた。簡易書簡の中には何も入れてはいけないんだよ、そりゃ違反だよ、という人もいた。しかしそれはもう届いてしまったし、はいっていたものは、ともかくもぬけがらなのだ。 僕はそれよりも研究の不足を痛感した。ぬけがらによってその蟷螂の雌雄を区別する方法を知らない。この二つの、脱ぎすてた薄い衣装には何のしるしもない。ズボンだろうか、スカートだろうか。余計なことだがこんなに薄くすけていいんだろうか。 うっかりしていると、なかなか凝ったことをする友だちのことだから、このぬけがらを僕に送ってくれたことによって、彼の思想的脱皮を伝えているのかも知れない。あるいは、彼にとっていま重要な間柄にある彼女が脱皮したことを知らせてくれたのかも知れない。僕はさっきからルーペをもって、その衣装の検査を続けているのだが…… 2024.11.01 記す。
★すもも P.12 ぼたんきょう、ハタンきょう、いいかえればプラム……プラムは梅じゃないの。何だかよく分からないから果物屋の前で知ったかぶりをすると、鉢巻をしたおやじと喧嘩になる。こいつを三つ、と言って買わなければならない。 こいつは甘いかい? 甘いですとも。 それじゃだめだ、甘ずっぱくなくっちゃあ。 果物屋のおやじをからかってから買うと、すももは味が悪くなる。こういう香りと味とが微妙に交ざり合った食べ物を買う時には微妙なのだ。 僕はこいつを二つ買う。少々かたいのを選んで買う。すもものはじらいが、禿げちょろけの白い粉になってうっすら残っている。こんどはそいつをズボンでふいて、果物屋の店先でかぶりつく。山と積まれたすももが、自分たちの運命を見せつけられてぎょっとする。気の毒なことをしたと思う。 僕はそんな時、喉が渇いているばかりでなく、ちょっと悲しんでみたいのだ。すももの甘すっぱさは、街を歩きながら食べると、泥だらけになった少女の悲しみを覚えさせる。 笑うがいい、泥だらけになっては、やっぱり可哀そうだ。
★たまあじさい P.15 ぬかるんだ雨の日の道を、近くの丘へたまあじさいの蕾のふくらみを見に行く詩を作ったのはもう三年前になる。その時小さな一本を抜いて来て、窓辺へ移植したのが今年はぐんとふえて、次々と花を咲かせている。いかにも大切なものがはいっているように、しっかりと握りしめたまんまるい蕾がほぐれると、そこからざっと三百ほどの花が咲く。 決して実を結ぶことのない装飾花の方が、ずっと花らしく目立っているけれど、ほんとうの花は、薄紫の霞だ。涼しく甘い夢だ。しかし僕はその夢の構造を一応は知って置かなければならない。窓から思い切り身を乗り出し、拡大鏡をあてる。 長く、しなやかに曲ってのびている雄蕊(おしべ)は、こうして見ると海底の藻(も)のようにも見えるし、それがまた迷宮のようにも思われる。その一本一本の、何というみずみずしいしなやかさだろう。僕は自分の体があまり無様(ぶざま)に大のが悲しい。そこにとろんと光る蜜を吸うための口を持っていないことがいかにも口惜(くや)しい。 僕はついに、スリッパのまま窓から外へ出てしまう。せめて花の中へ自分を入れることで満足しようと思って。するとその時、拡大鏡の中のその迷宮に、一匹のひめひらあぶの雌が飛び込んで来た。翼を持つ彼女の勇敢な飛び込み振りはなかなか見事だったが、彼女はどうもそこで蜜を吸うよりも、ただ紫の夢の中でころげ回るのを嬉しがっているようだ。
★かたつむり P.17 かたつむりに僕が熱をあげた一つの理由は。その名前がなかなかいいからだ。キムスメマイマイとか、オトメマイマイとか、クチべニマイマイとか。それに、オオペソマイマイ、コペソマイマイ。ただこれらはその生殖器を丹念にしらべなければならないので、それがつらい。別段悪い心はなんにもないのだが。 かたつむりの雄と雌、どこで区別するか知っている? と訊ねると、なかなか面白い返答が出る。貝の左まきが雌に決まっているじゃないか、そんなことを言う人もいる。 僕は息子の手を引っぱって藪の中をがさごそとよく歩いてものだ。雨あがりの日に、ゴム長をはいて。そしてこういものを見つけるのは、幼い眼の方がいいのだ。 その息子が小学校へあがってしばらくしてからだ。先生は一匹のデンデンムシを板の上に這わせた。これは何というものか知っていますね。このことで、作文を書いてみることにしましょう。そう言ったのだそうだ。後で教室を参観に行くと、作文が貼り出してある。「おうちをかついでいるから、にげたくないのです」「ぼく、せんせいがさっきこれをひろっているのをみました。ちゃんとみちゃった」僕はわが子がどんなことを書いたか、それを読むのがつらいような気持になったが、ついにそれを見っけた。 「これはひだりまきみすじいまいというのです。おとこでもおんなでもありません」 ※参考:カタツムリにはオスとメスの区別がなく、雌雄同体です。同じ種類の大人になった個体が生殖器をお互いに受け入れ、両方が卵を産みます。 カタツムリが雌雄同体である理由は、あまり移動しないため別個体に会う機会が少なく、たまたま出会った個体が同性であると交尾をすることができないためと考えられています。 雌雄同体のカタツムリの一部は、ラブダートと呼ばれるカルシウムでできた針を相手の体に突き刺して受精させます。ダート表面に塗布された特殊な分泌液が卵子を受精させるのを手助けします。
★酸 奨(ほずき) P.18 農夫たちは、せんなりほずきを、畑にはびこるということで目のかたきにしている。しかしまた、どこから運んで来るのか、観音様の四万六千日に沢山並べるせんなりほずきは、やっぱり彼ら農民たちが丹精して育てたものに違いない。 これは昔、薬として売っていたものらしい。解熱剤である。酸奨は何となく東洋的なので、文献を見ると、フランスでは、葡萄畑の、あの棚の下に沢山生えているようだ。百科事典では、果物の仲間にはいっている。僕は単純に一つの連想を作ってしまう。フランスのsる地方では葡萄酒のコップの底にこれを沈めておいて、いい加減の時にぶちゅっと噛むのかと思う。それでフランスでは酸奨のことを冬の桜ん坊といっているのかと思った。だが、この国でも何かの薬にしているだけだしい。 僕は久し振りに丹波酸奨を鳴らしたくなった。あの赤い頬っぺたを、誰に遠慮することもなく、くにゃくにゃと可愛がって、そのうちに種子(たね)が走馬灯のように回り始める。僕は丹波酸奨が八百屋の店にもあることを忘れていたので、縁日をさがして、とうとう買って来た。 それを揉みながら、昔のように胸がわくわくした。というのか、昔の胸のわくわくを思い出した。そしてさっきのフランスの酸奨のことをちょっとしらべたことから、一体フランス人に酸奨が鳴らせるものかどうかを考えた。ジャン・ジャバンだの、ジャン・ポール・サルトルだの、フランソワーズ・ロゼエの口許がいやに官能的に浮かんで来た。
★羅 P.20 昔僕らが子供のころ、ある漬物屋の主人にラッキョというあだ名をつけた。あまりきれいでないつるつる頭が実にラッキョの形だった。いつも前掛けをして店先に坐っていた。 羅は、漬物屋の店先まで来ると、すっかり甘ずっぱくなって「楽京」と書かれる。猿が熱心に羅の皮をむいているのは昔からよくある光景だ。ただ、訊ねてみると、そんなところを実際に目撃した者はほとんどいない。みんな見たことがあるような気がしているだけだ。 皮をむく。そう、正確に言えば鱗片葉(りんぺんよう)を剥いでいるのである。猿のしゃがんでいるあの容子。あの内股の足つき。そして、黒い爪の指先は、人間そっくりだと思ってみていると、リウマチにかかっているようにも見えて来る。 これが最後だぞ。あれ。今度はどうだ。猿も「畜生」といって舌を打つ。今度こそはうめえものが出て来るぞ。はてな??? ついに放り出された。小さくなった羅は、中(ちゅう)っぱらの、時々歯をむき出している猿に言うのだった。 仕合せだぜ、君は。腹を立てながらも、あたしの着物を一枚一枚脱がせながら、勝手な夢を見続けているじゃないか。 そうだ、包丁を持ってざっくりとやることを知らない猿は、それだけ人間よりも幸福である。 ※らっきょうの植え付け時期は8~10月ごろで、収穫時期は翌年の6~7月ごろです。収穫の目安は、球が肥大し葉が黄化したころです。
★釣舟草 P.26 三年前の秋に、日帰りの山歩きの途中で道にまよった。まよっても大して心配のないところだったので、秋草の中をおよぎまわるのも楽しかった。そうしして道のない沢を登っている時も、釣舟草があんまりいっぱいに咲いているので、小さい一株を抜いて来て庭の隅に植えた。次の年は赤紫の花を咲かせ、僕は大層満足だった。去年は僕の額に八の字が寄った。というのは、少少いい気になって筋骨たくましい赤い腕を四方に、傍若無人にのばしはじめたからだ。 ところで今年は僕もついに我慢出来なくなった。土手を下り、花壇の中にまで彼らは前進した。しかも何の宣言もなしに、庭の平和のためにこらしめなければならない。その前進のしかたは、きつりふねや鳳仙花の戦法と同じで、種子を猛烈な勢いですっ飛ばすのである。つやつやした緑の莢(さや)は、内緒で力瘤を入れていて、ちっとでもさわると、無茶苦茶に破裂して、その種子は三メートルも四メートルも飛ぶ。僕は充分に身構えているつもりでも吃驚(びつくり)する。そのためにこいつらは気短か者という学名を貰っている。 僕は手を下さなければならない時が来たと思った。弾き出される黒い種子は、頬にぶつかって来る。そんなちっぽげなものをぶつけてみたって、痛くなんかあるもんか。不遜な彼らの、これが最後のもがきかと思った。そうすると僕の耳には、君も相当気短か者 だねという声が聞こえたり、来年は花壇でお目にかかりましょうというつぶやきが聞こえる。 2024.10.25 記す。
★葛 P.34 秋風が山を撫でる。山が白っぽくなる。葛の葉がその裏を見せるからだ。これが山の木々にからみつくと、秋が奇妙に荒れ、もうこれですべてが終るという感じだ。年寄りは寂しがる。 僕はそれまで老人の寂しさというものをどうでもいいと思っていたが、こんなことがあった。お前何かすることあるのか。おれもやるから、あの葛を退治してくれないか。老人の顔と、風にあおられは白々とする葛を見較べているうちに、老人の寂しさが分って来た。 土手をのぼった。薄を分け、滑り落ちそうになりながら、木々にからまっている葛を見つけると、根もとの方を鉈(なた)でぶっ切り、腕にからませておいて力一杯に引張った。頑強な葛は、茎を断ち切られても一向に平気だった。時には、その蔓をもって、僕は松の枝から飛び降りた。風の強い秋の一日、老人を寂しさから救うために、僕は汗を多量に流し、みみずばれを足にも手にも、頬っぺたにも作った。その老人は僕の父なのだが、そうして一日の努力で、目の前の土手の葛はあらかた退治は出来ても、寂しさはきえなかったようだ。 僕はその時以来、山道を歩いていても、葛を見つけると、つい目のかたきにする癖がついてしまった。葛の葉のうらみというのはこれである。 ※葛餅(くずもち、くず餅)は、日本で作られる葛粉を使用した和菓子。また、小麦粉からグルテンを分離させた後の浮き粉を発酵させた「久寿餅」という同音の和菓子。同名だが主に関西と関東で原料と製法の異なる二種の和菓子がある[1]。いずれも黒蜜やきな粉をかけることが多い。
★薔薇 P.46 僕は立ちどまって薔薇の花を造っている白衣の男の手先を見た。彼はガラス張りの檻の中で、片手に混沌としたクリームのはいった三角帽をさかさに握っていた。 人間はこうして、食べることのできる薔薇の花を造っている。なぜ薔薇を食べようとするのだろうか。デコレーションケーキというものは、とかく争いのもとになることは承知の上で、人間は甘い薔薇を造りつづけている。子供たちも大人も、その花を堂々と、またひそかにねらう。それはこの花が愛のシンボルであるからでも、美しいからでもない。ただ甘いクリームのカタマリであるがために、むきになってジャンケンをする。 ところがこの薔薇も、本物のようにするためには、花びらのへりをややそらせなければならない。白衣の造物主は、そのこつを心得ている。彼は一枚の花びらを造ると同時に、口をとがらせて息を吹きかける。どろどろのクリームはその男の息をうけていよいよ薔薇のようになる。 この見学によって、お菓子の薔薇をねらわなくなるのは僕だけではないだろう。造物主は奥座敷で仕事をしてくれた方がよさそうである。 2024.10.27 記す。
★もくれん P.55 よく観察するためには、離れて見詰めているだけでは足りないし、時にはある方法をもって、可能なものにも手を下さなければならない。大切そうに、少しずつあたりの容子をうかがいながらののびて来た木の芽をちぎり取って、剃刀の刃でずばりとやらなければならない。こうして僕はこれまで何匹かの蝶を殺し、花を摘んで花弁(はなびら)をむしった。美しく咲くべき花の芽にとっては、たとえ僕がそこからどんな貴い知識を得ても、何かしら残念な行為には違いない。 しかし僕はもくれんの芽を切ってその容子を見た時に安心した。それは一種卑怯な安心である。この花芽と葉芽とをあたたかく守っているビロード製の苞(ほう)。北風からも、あの雪からも、時には小鳥の痛い嘴からも守っていた苞は、どこを見ても無理がなく、自分の使命を実に満足げに味わっているのだった。 自分の腕の中へしっかりと子供を抱きかかえていられるあいだ、親はちょうどこのとおりの、苦しみを片っぱしから忘れて行くような、おだやかな幸福を味わっていられるのだろう。けれども、このもくれんの芽も、春とともに成長し、ふくらみ、苞を脱ぎすてて、もうそれを不用ののものとして地上に落とす時が来る。そして、あの大きな花が咲く。僕もまた大切に守り育てたものが、僕を振りすてて行くことを欣(よろこ)ばなければならない時が来るだろう。 2024.10.26 記す。
★ほくろ:春蘭(しゅんらん) P.61 三年前の春先の山で、一株掘って植えたほくろが、忘れていたが今年はじめて花を咲かせた。もうずいぶん長く咲き続けているけれど、まだ一向にしぼむ様子がない。少しも目立とする気持ちもなく、それでいて立派だ。ほくろは春蘭(しゅんらん)とも言う。蘭の中には、ずいぶんあからさまな感じのものもある。それで秘かに愛されるというよりも、特別な寵愛をうけて品評会に持ち出される。 僕も、時々、百貨店を歩いている時に、蘭ばかりでなく、薔薇やグラジオラスの展覧会があって、のぞくことがある。その品種の名前だけでなく、そこまで育てた人の名前もついていることが多い。そしていつも素人コンテストの会場を想い出して具合が悪くなる。 花にせよ、人間の女性にせよ、きれいなものはやっぱりきれいでいいけれど、ある場所に並べられ、その美を競い始めると、美を愛する心をどこかへはじき飛ばしてしまった奇妙な個性だけがそこに並んでいるようで、どうにも淋しいものである。 家の草むらも、そろそろ賑かになっえ来た。同じ場所に去年も全く同じようにお咲くものや、移動して澄ましているものもある。ほくろはその草むらのかげで大きく手をひろげて大地を抱えてみたいという姿だ。なぜかその顔をのぞいてみることも僕はためらう。さっきまで花の好きな友だちが来ていた。僕は話をしながら時々ほくろのことを想い出したけれど、とうとう見せなかった。 2024.10.27 記す。
★チューリップ P.62 文献による僕の知識では、この球根たった一個で、寝台、衣服一揃い、小麦二駄、ライ麦四駄、牛四頭、豚八頭、葡萄酒大樽二、ビール四樽、バター一樽、チーズ1000ポンドに値したという時代があった。そのころの話で、持参金としてチューリップの球根を一つ持って来たお嫁さんを貰って狂喜した男もいる。これは一六三四年から三七年にかけての、オランダのチューリップ狂時代のことである。 チューリップは南欧には野生もあったが、栽培種が近東から入ったのは十六世紀後半で、たちまち大流行となった。この栽培種は突然変異で、さまざまの雑色の花が現れるのが特徴であるが、オランダの栽培家たちがこれに注目し、競って新種を作り出すようになった。そのため、貴族も農民も、また煙突掃除人までが商売道具を売り払って種子をまき、球根を育てて成金の夢を見、その投機に士農工商入り乱れて熱中し、花の美しさなどはどうでもいいことになった。一六三七年春、突如破局が来て取引は停止され狂瀾は終ったが、後この熱は英仏へ移り、アディスンやラ・ブリュイエールの文中に出て来る。デュマの『黒チューリップ』にオランダの狂乱時代を描いたものがある。彼はこの小説の中で、四月中旬に植えた球根を翌月初めに咲かせているが、これは少々無茶な話である。 2024.10.28 記す。
★レモン P.64 高村幸太郎さんの死が伝えられたその日、僕は遠くから訪ねて来た友人に高村さんの詩を読んでいた。若い友人は、まだニキビがぽつポつ見える襟首をたれて、聞いた。 三畳あれば寝られますね …… 智恵アさん斯(こ)ういうところが好きでせう という「案内」を読み、その岩手県の小屋から届いた葉書のことなども想い出しながら、詩集をめくっていると、「レモン哀歌」が出て来た。僕はその時に全く別のことを想い出した。もうかれこれ半年も前に、ある人から、「レモンの花どんな花ですか」と訪ねられ、しらべて書き送る約束をしておきながら、そのままにになっていたのである。 僕はそれから幾つものレモンをしぼった。この冬は、寒い夜にレモンをしぼり、熱い湯をさして飲む習慣がついていた。サンクスとの色のいいのも、和製の青いのも、しぼってしまえばそんなに味は違わなかった。 そんなことをするたびにレモンの花のことを考えた。年中断続して咲くというその花は大体白くて、花弁の外側がいくらか紫を帯びているということである。それを見ていないことを告白するのは恥かしい、その花をどこかの海に近い丘の上で見る日に、僕はだれのことを想い出すだろうか。トパアズ色の香気の中からだれの顔が浮かんで来るだろうか。 ※断続的に開花し、結実することがある。しかし、一年中結実させていると木が弱るので、晩春に咲く花だけを結実させ、それ以外の時期に咲いた花は全て摘み取る。 ※トパーズは黄玉とも呼ばれる宝石です。確かに色はレモンと同じ(※無色 ... もっとそのまま感じればよいのかもしれません。 「トパアズいろの香気」
★ひとりしずか P.66 今年もひとりしずかが実に賑やかに咲いた。僕はこの花がちっとも嫌いではないし、前に拡大鏡でその裸花を写生したこともあるので、充分に愛着を持っているつもりだ。しかしまた一方、この花がその名にふさわしいように、藪の小暗いところに、ひとりさびしく、ぽつんと咲いているのを見たいものだと思っている。しかし、僕の庭に限らず、どこで見かける時にも沢山かたまって咲いている。 数年前の春に、すみれの種類をいろいろさがしながら、小金井から国分寺の方へと歩いて行ったことがあるが、その時、何の気なしに日かげの土手を登ってみると、そこの林の下は、一面のひとりしずかの花で、呆れかえってしまった。 この花にとって、こんな名前をつけられていることがそもそも至極迷惑千万なことなのかも知れない。どんな花でも一つ一つを見ればそうなのかも知れないが、それも一本一本を見れば孤独な顔つきをしていないこともない。 花弁を持たないこの裸の花も、じっと見つめて首をひねっていると、向こうから言われそうである。あなたもやっぱり孤独が好きな人間のお一人でいらっしゃいますか。孤独がお好きな方々がお集りになって、大層賑やかにしていらっしゃることはありますまいか。それではこの花も、人間の真似をしているのか幾組も草むらに集まっていることが多い。
★夏水仙 P.69 夏水仙は一名、「葉見ず花見ず」と言われている。線形の葉が、わっさわっさと繁っている時には花は咲かず、夏になって花径が勢いよくのびる頃には、もう葉は枯れていない。花は自分の葉を知らなず、葉はその花を知らない。庭にその鈍頭の葉が、大きな爪のような恰好で出て来るのは、まだ地面が凍っているころであるが、今年はその出方が早すぎるようである。どういうことなのだろうか。 暖冬異変による現象ではなく、しばらく前から僕の家に飼われることになった犬が、好んでそこに寝るからである。好んでというよりは、そこが、こんもり高くなっていて、繋いである鎖の限界のうちで一番気持ちがいいらしい。 犬という動物も、飼ってみると変なものである。欣然とすれば、それを隠したくも隠せないような、始末の悪い尻尾を持っているし、呼ばれても、面倒臭い時には、地面にすりつけたまま首をあげず、上目使いでこっちを見る。それで、わざわざトタンを買って来て、小屋を造り、乾いた藁を敷いてやったが、そこにいないで、土の上に寝そべっている。それで犬の方は知らないのに、地下の夏水仙は春の錯覚を起こして、早目に葉を出した。 その葉はのびはじめるとかなりの勢いで成長するので、ある朝雨戸をあけるとうちの、吠えることも知らない詩人肌の犬が、一夜にして伸びた葉に持ちあげられて、そのまますいこすいこと眠り続けている姿を見るのではなかと思う。 2024.10.28 記す。
★富士桜 P.77 小型のさくらなのでまめざくらという名もあるが、富士山の麓ではいま満開である。ぼけと一緒に自分の季節をたのしもうとしている。 高等学校のころ、友人と絵具箱をかついで箱根の方をスケッチ旅行をした。その時、峠をクウクウと言って越すバスの、若い女の車掌さんに教えてもらったことを忘れずにいたかれんなさくらである。富士の広い裾野には、五六ミリにのびたからまつの芽が、うす緑の、ねむたい色を果しなく煙らせていたが、その中で、若い少女のあどけなくきょととした眼のように、ふじざくらは咲いていた。 しかし、このさくらの花は、ほとんどすべてが下を向いている。のぞき込んでもじっと下を向いて、首をちぢめてる。雨も降り出していたが、そんなことでこんなに臆病者らしくしているはずはない。それともこれがこのさくらの特徴なのかと思っていると、頭上を大砲の弾が飛び、また近くで、機関銃の音がしはじめた。何という腹立たしい音だろう。なんという殺伐な響きだろう。しばらく行くと、白ペンキの立札に、大きく黒々と、「弾は路の三〇〇〇フィート上空を通過するから危険はない」と書いてある。そんなことを言ったって僕は安心しない。すべてがぶちこわしである。溜息をつくばかりである。まして小心のふじさくらには、この音がたまらなく怖いのだろう。 2024.10.28 記す。
★忍 冬 P.87 自然界の姿、色、匂いなどが、僕たちの気持をうまく代弁してくれることもずいぶんある。何だか、あの人のことを考えると、すみれの花を思い出す……と言ってみたり、真紅の薔薇があってくれるので、ずいぶんたすかっている人もいる。……だって、美しい花はいつまでも路傍に残ってはおりません、などと言われると、何となくあきらめられる人もいる。しかし自然界のそれらを逆に僕たちが形容しようとなるとむつかしい。色だけでなく、そこに瑞々(みずみず)しさが加わっているのをどんなふうに説明したらいいのか。 忍冬(すいかずら)はいろんな木にからまりついて、白と黄色の花を咲かせている。黄色のは枯れかけているのだが、そのために金銀花という名をもらっている。つまり金と銀ではないがただの黄色と白でもない。にぶい赤味と、品のいい光がある。僕の嗅覚は優れてはいないが、こぶしやくちなしの匂いに足を止めてしまうように、忍冬も今しきりに、方々の家の垣根のかげから僕をなやます。うっかりなやますと書いたが、この甘ったるさは、人間がどんな技巧や演技を使っても表せない。エルマンのバイオリンも、どんな名優の色眼も及ばない。もしもほんとうにこんな匂いを持っている人がいたら、……それを想像すると怖い。いn忍冬に集っているあぶたちを見るといい。いっこうに蜜を吸わず、具合悪そうに葉の上をつっ突いていた。 2024.10.29 記す。
★庭石菖(にわせきしょう) P.89 あなたの好きな花の名を教えて下さい、という葉書が来る。往復葉書なので返事を書かない訳には行かない。こういう時に僕はいつでも、むらむらと博愛主義者になる。 花に限ったことではありません。僕はすべて平等に愛します。少なくとも平等に愛することを念願としております。人間でも……。 これが返事だが、折りかえしまた葉書が届く。無理をなされなくてもよろしかったのです。失礼しました。僕はどんな人か知らないがひどく気に入った。博愛主義もこんなところで崩れる。 その時、庭石菖が好きだと書いたことを想い出した。鎌倉の野柴の中にころがって、好き勝手に本を読んでいられた頃、その芝の中から庭石菖がいっぱい咲いていた。紫のと、紫の線がはいった白いのと、それを、地面に顔を押しつけて横から見ると、この花の気持に急に近づくのが嬉しくて、それですっかり好きになっていた。しかしそれだけではない。暇だった僕は、恐らくのんびりと、花の姿から、少女の映像でも創りあげていたにちがいない。僕は今だってそのくらいのことは出来る。けれども、悪い癖は、いい加減のところでとどめ置くことが出来なくて、その映像をつい超現実的なものにしまうことだ。 庭石菖はダイヤモンド草。丸い種。丸く生まれて丸く実るそれがまた愛らしい頭だ。 2024.10.29 記す。
★ぱせり P.90 ある奥さんが、少し上等なレストランでサンドイッチをとり、お皿についていたパセリを食べたら、くすくす笑われたと僕に報告した。程よくふくれた顔つきで。 外国の品物や様式が無闇にはいり込んでいる国では、お互いに、田舎者にされて、常に誰かに嘲笑されている。止むを得ない。そんなことがあったからと言って、緑のかおりのパセリを食べないことにするのは愚かである。 僕もだいたい、きれいに洗ってあるかどうかを見定めて食べることにしている。それだけでなく、緑をお食べなさい、太陽を食べないから背中が凝るんですと医者に言われてから、時々多量に食べる。それで花壇の一部にパセリを栽培し、今は花盛りである。 典型的な複繖形の花で、およそ十三に分れた先に二十内外の細かい花の数である。花は食べても葉よりは香りがない。まことに目立たない花だが、昆虫には極めて人気があって、蟻、蠅の類から大小さまざまのものがいつも集まっている。すぐそばでは真赤なけしも咲いているのに、こっちにばかり寄って来る。彼らにとってのパセリの花がどういう魅力を持っているのか、ほんとうのところ分からない。小さな昆虫たちがごたごたしている中で蟷螂の子供たちは、彼らをつかまえる練習をさかんにしている。ところが、もっともらしく鎌をかまえて飛びつくが、蟻につきとばされて、危く落ちそうになる。
★蕗 P.94 春の山の、麓の谷を歩いていると、、時々、ぼこっと穴があく。そのときはもう足はそこに落ちている。重い荷を背負っている時には、その足を抜き出すのに一苦労するし、力を入れるためみ、また次の足が新しい穴をあける。山歩きをしている人はそんなことはよく知っている。しかし、春の雪はよごれていても、やがてしばらくのあいだにこんな雪とも別れなければならないと思うと、穴に落ちてもあまり口惜しくはない。 僕もそうして谷をのぼりながら、踏み込んだ足を、抜き出した穴をのぞいてみると、そこにうす緑の蕗が一本笑っている。 雪の下の、暗い中で、蕗だまって育ちながら、まだ日光を知らないのに、ほのぼのとしていた。そして僕の、足を踏み込んだみっともない姿を嘲笑することも知らないように、こうつぶやいていた。 天井を破って下さって、ほんとうに嬉しゅうございます。お陰さまで、わたしも、薹が立たたないうちに春風にあたることが出来ました。 蕗の根もとの、ぐじゅぐじゅの土をひたす水も、雪解けの春の水だ。ツルゲネフがどこかにいるのではないかと思って、しゅんとした木立のあたりを僕は振りかえる。
★えんじゅ P.96 僕が小学生のころ、と言えば大正の末期であるが、東京三宅坂付近に住んでいた。そこから半蔵門へ続く濠端に並木が植えられ「いぬえんじゅ」という札が下がったのでその名を覚えた。記憶がいいわわけではない。毎日そこを通って学校へかよっていたからだ。 中国には槐(えんじゅ)という木がある。戦争で長いあいだ向うにいた人にその木のことをきいてみたら、一里塚などに植えられて「槐碑」といわれているということまで教えて貰えた。日本に昔からあった「えんじゅ」は、古名を「えにす」というが、それ を「槐」と同じものだと思っていた時代がある。ところがしばらくして実物に接してみると「槐」と「えんじゅ」とは決して同じものではない。そこで外国のものを本物だと思う考えから、日本の「えんじゅ」を「いぬえんじゅ」と呼びかえるようにした。 これが一般の説明であるが、考えてみればずいぶん滑稽な話である。つまり、別のものはどこまでも別のものであって、えんじゅの本物を「槐」とする理由は何もない。牧野富太郎博士は「槐」を「しなえんじゅ」と名付け、日本の在来種を「えんじゃ」というふうに整理された。 外国崇拝のために、古来日本にあるものを、実にあっさりと、当然のように否定し、にせものとしてしまった例は、えんじゅばかりではなく、今でもいろいろと思いあたる。 2024.10.29 記す。
★たばこ P.106 たばこをのんでいる人のうちで、たばこの花を知っている人はどのくらいいるだろうか。なす科のこの花は、ぐんとのびた先に、四方に向って咲くのので、サイレンを想い出す。 こんな記録も何年か後には貴重になるかも知れないが、戦争をするとたばこがのめなくなる。僕もたばこの代用として、どのくらいの種類の植物を煙にしてすってみたか、正確には覚えていない。緑茶、紅茶、いたどり、柏(かしわ)。それからとうもろこしの鬚やら、その辺のごみまですった。 紅茶の葉はもちろん一度のんだあとのをほして、それをパイプにつめる。煙とともに火をのむこともあるし、パイプがこげて、お尻に穴があく。 僕がそのころ逃げかくれていたところは、東北の田舎で、前がずらっとたばこ畑だった。黄色になって、明らかに枯れて、誰が見てもこれは役に立たないと思われるような葉が落ちているいることもあったが、それをひろってパイプにつめるようなことも決してしなかった。 そして、とうとうもろこしの鬚をパイプにつめ、ただ気やすめにくさい煙を出しながら、たばこの花を観察し、ノートにスケッチをしていた。誰もいないので、偉いとは思ってくれなかった。 ※子供のころ、たばこ畑があり、乾燥場もあった。専売局が管理していた。 ※戦時中、タバコが配給制になり、タバコだけが配給されていたので、インド紙の英語の辞書を破ってつかって、たぼこを包み吸っていた。 ※戦時中、「金鵄」という名のタバコがあった。「金鵄(きんし)上がって十五銭 ~昭和18年~」から、戦中に歌われていた。 タバコ「金鵄」の元の名前は「ゴールデンバット」昭和15年に敵性語を用いてはいけないと改名され。「金鵄」は当時もっとも大衆に親しまれていたタバコ。 ※戦後、進駐軍のオーストラリヤの兵隊から煙草を貰っている人もいた。 ※戦後、昭和27年頃は「ピース」という名のタバコがあった。
★エーデルワイス P.113 僕がもし欧州のアルプスへ行くことがあって、そこに咲いているエーデルワイスを見ることがあったら、毛ぶかい顔を見ながら言うだろう。 やっとお目にかかることが出来まして、まことに嬉しゅうございます。私の国には、山へ登る人が大勢おります。それはそれは大変な数で、この大多数の人はあなたのことをよく存じております。そして中には、あなたの、ひからびた姿を箱に入れて、大切にしている人もおりますが、実際にこうしてお目にかかった者は極めて少ないので、まことに光栄に存じます。 そんな讃辞をのべながら、この花を見せてやりたい人のことを思い出すだろう。そして自分だけが今エーデルワイスの前にいることを、あまり幸福なことだと思わなくなるだろう。それから日本へもう一度帰ることがあって、スイスへお出になったそうですが、エーデルワイスをごらんになりましたか、と訊ねられた時、ええ見ましたけど、そんなに大騒ぎするほどの花でもありませんよという自分の言葉も考えてしまうだろう。 けれども私はエーデルワイスはいい花だと思っている。昔貰ったものはアルプスの恐らくお土産もので、それも大事にしていたが、山好きの少年に事もなげにやってしまった。 今は、最近、日本の女流登山家の集りであるエーデルワイス・クラブから頂いたものを持っている。みんな黙って見ているが、欲しいと思う人も多いに違いない。
★茗荷 P.117 茗荷の花が咲いた。僕の部屋のわきへ茗荷を移し植えたのはもう大分前になるが、うす暗く茂った根もとから、青白く、近よってみればうすく黄ばんで、幽霊のような花を咲かせる。一日でその花は終る。 僕は茗荷を特別に好んで食べない。食べれば食べられるもの、普段忘れていても一向に平気なものの中に入れてある植物である。釈迦の弟子の般特(はんどく)がよく物を忘れ、自分の名まで忘れるので、名前を書いた札を首にかけてやった。その般特が死に、彼の墓からはえたのがこの草、それで「茗荷」と呼ぶ。そんな話だの落語で「みょうが屋」の話などを聞いた僕は、少年のころ物忘れするのを怖がった。 フランス語の単語一つ忘れると、そのためにひどい目にあうような教育を受けたため、うっかり茗荷が口にはいることまで極度に警戒した。このごろになれば、いろいろ忘れたいことが出来てくる。般特がうらやましくことさえある。しかしこれが単なる伝説である以上、好んで食べてみても仕方がない。 茗荷の花はしみじみと見ているとなかなかきれいだ。ひらひらとして、またくるりとまるまって、あまりきれいなので、何か音楽でもやりたくなる。そして、これを七八輪、真赤な菓子盆にでもころがしてみると、オペラの舞台を見ているような気持になれそうで
★なぎいかだ P.124 うちの庭にもときどき奇妙なものが出現する。よく考えてみて、原因のおもいいたることもあるが、このなぎいかだはどうしてこんなところにやって来たのか分からない。分からない時にはすべて子供のいたずらということになる。生えたのではなく、さしであったのが、そのままついてしまったのだ。しかし、それ以来近くの家の庭の垣根を気をつけてみているが、なぎいかだは見当たらない。 聖書の中のエゼキエル書に、「人の子よたとえアザミとイバラなんじらの周囲にあるとも……」と書いてあるが、そのイバラを、なぎいかだだといっている学者もいる。パレスチナには、さわると痛い植物が多いようだ。 この先のとがった葉のよなものは枝である。そんなばかなことがあるものかと思うし、百合の仲間だというのも、変な感じがする。幾ら変であっても学問は尊ぶばなければならない。 暖地に生えるなぎの葉に似ているのでこの名をもらったのだろう。なぎの葉を、鏡の裏に入れておくと合いたい人の姿が鏡に現れる。これはその代用にはならないだろうが、なぎいかだが出現して三年目になり、来年あたり、僕はこの花に会いたいものである。
★とりかぶと P.130 秋の山を歩いている時に、この花は濃い紫で目立つものだからよく名をきかれる。僕は厳密に言えば、「やまとりかぶと」であることを教えてから、これは猛毒があるというと、たいがい山男たちもさわることを遠慮する。さわりかけて引込める手つきが誰でもよく似ているのでおかしい。アコニチンが根にあって、昔アイヌが熊を射るときに、この根の汁を矢につけたという話をつけ加える。鳥兜という名は鳥がこれをかぶるわけではない。おどけた山の小鳥がこれをかぶると似合いそうだが、これは雅楽の伶人がかぶるあの鳥の形をしたかぶとのことである。ドイツでは Sturmhut というが、これは暴風雨のときにかぶる帽子だ。消防夫なんかがこんな形のをかぶっているのを映画か写真で見た記憶がある。 カロッサが死んだ。彼が小さいころもこの花が毒だと教えられたらしいが、彼は花には別に毒がないことを知っていて、この帽子をとるとどんなものが出て来るかその秘密を知っていた。かぶとをぬがせると「指の間にかわいらしいすみれ色の車が現われ、ちっぽげな鳩が銀の梶棒でそれをひっぱっている」というのである。フランス人たちはその車を「ヴィナスの車」」と言っている。幼いころのカロッサのような子供が僕の近くにいたらどんないいだろと思う。 ※参考:ハンス・カロッサ(Hans Carossa,1878年12月15日 - 1956年9月12日)は、ドイツの開業医・小説家・詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。 2024.11.07 記す。
★ひがん花 P.139 今日、雨の中で子供が、母親に断って庭の花を友だいに持たせてやっていた。雨の中を栗拾いに誘い、大分ぬれたのでそのままかえすと家で叱られると思ったのか、それとも僕の家へ遊びに行くことをその家の人が知って、帰りに花を買っておいでと言われていたのかも知れない。 植木鋏で、みずひきを切ったりしていたがひがん花を持たせてやろうとすると、母親がそれを切るのはいいけれど、その花をいやがるおうちがあるからおやめなさいと言った。 僕も誰からとなく、この花は縁起が悪いとということを聞かされていた。しばらく忘れていたそのことを想い出した。 関東大震災の時に、家が潰れ、近くの大きな家に一家世話になっていた。余震がいつまでも続いていたので長い間松林の中で生活していた。僕はまだ十にならない頃で、地震の恐ろしさをすぐ忘れて、遊びに出かけた。そしてひがn花がきれいに咲いていたので、子供心にも、それを摘んでみんなに悦んでもらいたいと思った。何しろ大人がみんなですぐ青い顔をしてうろたえるのでは仕方がないよな気持ちもあった。 ところが、その花を五六本持って戻ると、そんな花をとってはいけないと言われ、何か悪いものをかかえていたようにそこへすてた。詳しく理由なんぞは訊ねなかったけれど、地震と関係があるような気がした。そして後に、地に埋められた人の霊がこうして咲くように思った。よく見ればきれいな花だ。
★くろぐわい P.142 八九年ほど前に、高校時代からお世話になっている渡辺一夫先生をお訪ねした時、これを持って行きませんかと言われ、くろぐわいを頂いて来た。その名のとおり、黒いくわいであるが、すぐには芽が出そうもない。確か、先生の郷里の新潟から届いたものらしかった。僕は戦争の真最中に、弥彦線の燕というところにおられた先生をお訪ねし、三日ほど御厄介になったことがあるので、そんなことも思い出しながら、くろぐあいを頂いて来た。 まだ食糧に困っていた頃だったので口にはいるものを持ちかえれば悦ばれた。けれどもこれはすぐ食べてしまうにも珍しすぎるので図鑑を看たり、日記のわきにスケッチをしたりしていた。そして食べるのを我慢して、どんなことになるか分からないけれど泥に埋めることにした。 今の家へ越して来て間もないころだったが前に住んでいた人が置いて行った大きな甕(かめ)が庭にころがっていたので、それに泥と水を入れ、僕は十個のくろぐわいが少なくも三十個ぐらいになる夢をちらっと見ながら埋めた。筒型の葉が甕いっぱいに茂ったのはそれからどのくらいしてからだっただろうか。 僕は渡辺先生にそのことを報告したが時期を見はからって根茎の先にあるはずの塊茎を掘り出すことしかしなかったため、いつの間にカこの植物も絶えてしまった。しかしともかく栽培をしたことがあるので、くろぐわいについては知っているような口をきくけれど、実際にはその味を僕は知らない。
★ほととぎす P.150 これは鳥のほととぎすではない。鳥のほとぎすの胸毛の、そのまだらによく似た斑点が、花の内側にあるので、こんな名をつけられたにちがいない。僕も秋ごととにこの花が咲くと鳥の方のほととぎすを想い出す。そしてすぐそのなき声を考えるけれども、もともと、まだら模様というものは、だんだんと見ているうちに気味が悪くなる。こんなふうに、植物と鳥ばかりでなく、自然界では、同じ名を貰っている蝶と貝がいたりして、滑稽な間違いが起る可能性がないこともない。 ところでこの花の方のほとぎすの特徴として、三つの外花被の下の方に、丸いふくらみがあるが、その中にたまっているはずの蜜をなめてみようとする時、薄紫のぼちぼちが、何か伝染病にかかった皮膚のように見えて来て、蜜の味をためすこともためらってしまう。ちょっと離れて、ちらっと眺めるのには大変きれいな紋様も、なめて見るほどに近づけると、ぞっとするようなものがある。五六メートル以上近づくとがっかりする着物の紋様だってあるし、そういう種類の人間もいる。 英名は Toad-Lily という。つまり、そのまま訳せばヒキガエル・ユリである。せいぜいびっき百合ぐらいにしか訳せない。外国でも、そんな名前をもちいながら園芸植物として栽培されているが、名前のつけられ方によって、花の顔つきも変って来るはずである。
★くちなし P.161 戦争の末頃から、しばらく北国に移り住んでいた僕は、再び東京近郊へ戻って来た時に、なんとなく久し振りに見る懐かしい草木にめぐりあうのがうれしかった。 夏のはじめに甘い香りを夕やみの靄に漂わせていたくちなしは、今、かたい果実を結んでいる。緑の線をオレンジ色のふくらみ外側に残して、白い花からどうしてこんなきれいな色が出るのかと思うように目立っている。それは、どこか遠い国の、ずっと昔の町に、ぽつんぽつんと立っている街灯のようにも見える。 この実を見て思い出すのは、戦争がやっと終わってから、行列をして受け取って来た配給の白い布を、この、実で黄いろく染めた時の、なんとなく少しばかりゆとりが出来たと思ったそのよろこびである。飛鳥時代からの染料をつかって、同じ方法で染めてみたその布は実に鮮明な明るい黄色だった。何を作るにもぽっちりばかりその布は、いくらきれいな色に染められても壁に画鋲でとめておくより仕方がなかったが、しばらくして、それはまた幼い子供のエプロンになり、ぼろぼろの着物をかくしてくれた。
★鈴 懸 P.169 花が咲いて目立つ植物もあれば、青々としげった時に人目につくものもある。今、街を歩いていると、鈴懸の実が目立ちますね、ときのう来た友だちが言った。一昨年、日比谷公園の脇の街路樹の枝を下している時に、鈴懸の実を沢山広いあつめ、それをぶらさげて音楽会へ行ったことを思い出した。街路樹の手入れをしているような人の中には、大層怖い人もいるので、慇懃に挨拶をしたら幾らでも持って行けと言われたので、いっぱいぶら下げて見たが、スメタナを聴きながら、この実が気になって困った。その実が今も三つ壁にぶらさがっている。 小アジア原産のこの木は、明治のころにはいって来たものだが、同じころに北米原産の「あめりかすずかけのき」も移入して、そのどちらも街路樹になっている。はっきり区別できるのは、すずかけの実は一本の花軸に数個なる点であるあるが、樹皮がはがれるということもある。 ヘブライ語でこの木のことをアルモン(Armon)という。種という意味だそうだが、その皮のはがれることから出た名前らしい。旧約聖書にもこの木のことが出て来るが日本語訳では「欅(けやき)」とか、「桑の青枝」になっている。 2024.10.31 記す。
★はこべ P.171 冷たい風はさかんに吹いているが、日だまりにはもう春がぽつぽつ見られるようになって来た。今日ははこべの花を見たが、ただ開花の記録としてその名を手帳に記すだけでなく、持ち帰ってしらべた。小鳥のためにも兔のためにも、何度も何度も摘んだことのあるこの草の花について、いったいどれだけのことを知っているか。 はこべの花はしぼむと一度下へたれ下り、実が熟すると再び立ちあがるが、これも僕の発見ではない。なぜそんな特性があるのか、これも答えられない。だんだんあやしくなる視力を補うためには、見るための努力をいっそう重ねなければならないだろう。 しかし図鑑をたよらずに、はこべの花の花弁が十ではなくて五つであることを自信をもって数えられるようになるには、どうも努力や年期のほかに、他のいっさいのことをあっさり忘れられる特性を身につけなければならないだろう。この五つの花弁は底の方まで深くさけているのである。 こういう細かいものを念入りに見ているうちに、息詰まって来るような苦しさに襲われることがよくあるが、それではだめである。無理のない呼吸を続けながら自分の、これらの微小なものに比べて大きすぎることを忘れなければならない。
★一輪草 P.184 春先の山の麓の暖かそうな草むらに、すっきりと白い花を見せている一輪草を見つけると、誰かが白秋の詩を想い出すだろう。「真実寂しき花ゆえに、一輪草とは申すなり」「……一輪さくのが一輪草、二輪さくのが二輪草、まことの花を知る人もなし」 寂しい花ではあるけれど、一輪草は明るい。二輪草のようにふたりで明るく咲いているよりも、ひとりで明るい顔をしているのはけなげな様子にも見えてうれしくなる。 この花には、支那に伝説がある。ある家にかわいらしい子供がいて、両親から大切にされていた。その子供が、まだ五つにもならないうちに死んでしまった。両親は大そう悲しんで、毎日その墓のまわりをうろうろ歩いては泣いていた。ところがある晩、その子供が夢にあらわれ、一本の花を持っていた。そして、「私はいま浄土にいて幸せにしていますけれど、御両親があまり悲しんでいらっしゃるの御仏が気の毒に思われ、私にこの花を持たせたのです。私と思って育てて下さい」と言った。悲しみの心のまよいかと思ったが、夜の明ける待って墓へ行くと、そこに、夢にみた花が咲いていた。両親は自分の愛児の魂として大切に育て、それが一輪草だという話である。 死んだ魂が花になったという話はこのほかにも沢山ある。
★においすみれ P.187 庭の日溜りに、幾種類かのすみれを集めてみようと思って、毎日胴乱をかついで草原や土手に沿って道を歩いたことがある。そして新しい種類を見つけると、ていねいに掘ってその発見の場所を手帳に記録した。 僕の書く文章は少々甘ったるいところがあるかも知れないが、批評をして下さろうとする方は星菫派(せいきんは)を想い出して下さるらしい。まことに光栄である。批評家は案外語彙が少ないと見えて、同じようなことを何度も言われているうちに、わが庭少々すみれを植えておかないと申しわけないような気持になって来た。星はどうもわが庭に並べて光らせておくことが出来ないので。 ずいぶんすみれがふえてるね。少し貰っていい? そう言って持って行くすみれは大がいにおいすみれである。色が濃くていい匂いがして、何となくつやつやしているのを選ぶ。彼らはそれを庭へ植えるのかどうか知らない。誰かの胸にでもさしてやろうという魂胆かも分らない。それならば、彼らこそ、そのすみれに感謝すべき星菫派でなければならない。 2024.11.03 記す。
★クロカス P.189 十日近く山にいて、吹雪のひどい日に下りて来た。ふもとの春めいたぬかるみの道を歩くことをたのしみにしていたが、汽車に乗っても雪は降り続いていた。それでよけいに、帰宅後のわが庭の変化が目立ったが、出かける前に一二輪咲きはじめていたクロッカスの、すっかり咲き そろっているのが、僕に、山ばかりへはいり込んでいないで、少しは庭を見る季節になったことに気がついてくれと訴えているようだった。 二列横隊に並べて埋めておいたものが、幾分横へその葉をのばしているのや、頸をかしげているのやさまざまあって、花は花らしくくつろいでいるのは、見ていて楽しい。台所のガラスもこれで当分黄色に光っているだろう。 僕は古いノートを開き、クロッカス属(さふらん属)とコルシカム属(いぬさふらん属)との相違についておさらいをする。細かいところを実によく忘れている。そんなことをしながら、二十数年前にもらったスイスのカレンダーに、春のざらめ雪の消えて行くへりから順に紫や白のクロッカスの咲き出している写真のあったことを思い出す。「春来りなば……」というドイツ語をその時覚えた。かっきりとした季節の変り目に向って、僕の感動はあまり変化していない。 2024.11.03 記す。
★なずな P.190 ここ数日、変に冷たい風が吹きつづけて、丘の畑みちを歩いても、日かげには驚くほどの大きな霜柱が立っている。近よって来る春の足なみが、だいぶ狂っていることは確かだ。それでもいつもなら日だまりには菫が幾種類か見当るころだと思って出かけたが、それは全然なくて、かえってなずなの小さな白い花が目につくのだった。そしてもう花の下のほうには、果実が出来ている。三味線の撥(ばち)のようには、僕には見えないが、優曇華(うどんげ)といわれているくさかげろうの卵のように見えてかわいらしい。 しかし僕はなずなについては、ここしばらく根生葉を注意してみることになるだろう。根生葉は羽状にさけるとは本に書いてあるが、それが魚の骨のように、葉とは思えない姿に変わっているものが多い。ちょうどいい機会でもあるので、植物奇型の勉強にかかろう。奇型とは……という定義から本によってひとまず学ばなければならない。そして最も興味あることは、なぜ奇型にならなければならないのか、その原因をさぐることであろう。諦めるより仕方のないことをもう一度考えなおすことが勉強の一つである。しかし、人間の精神の奇型などということはいっさい考えないようにしよう。 ※根生葉(こんせいよう)とは、植物の根元に密集して生える葉のことを指します。タンポポやホウレンソウなどが代表的な例です
★二輪草 P.194 二輪草が咲いた。確かに花は二つあるが、そろって開かず、片方はまだ蕾がかたい。ほとんど無数の花を一度に咲かせるものもあれば、下の方から順に咲き上って行くものもある。二輪草は、どういう気持ちかよくわからないが、」せめてにこやかな顔を揃って見せればいいものを、こうして遠慮している。 北原白秋の「……一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草のとおりであるが、この花の数が二輪とは限っていないし、同じアネモネ属には三輪草もあるので、断定を下すまえに、十分の用心が必要である。 中国の伝説に、かわいがっていた子供が死に、悲しむ親の夢にあらわれて、この花を私と思って育ててくれという話があるが、その花が、一輪草であったり二輪草であったりしている。 この白い花弁のようなものは萼で、普通は五つとなっているけれど、僕の眼の前に、いくぶんうつむいていて、困ったような顔つきをしているのは七つである。花弁はないことになっているが、二輪草も花びらを開いてみせているつもりではないかと思う。余計なことだが、雄蕊がだいぶ多すぎて、うるさそうである。
★えぞすみれ ラ・フランスとか、プリンセス・オヴ・ウェールズとか、立派な園芸種のすみれも、もちろんきれいでそれにふさわしい箱に入れたり、リボンをかけると、すみれは私たちの複雑な気持ちをそっくり引き受けて、これを贈った人の前へ出た時には、言いたいことをうまく喋ってくれるかも知れない。重宝なものであるけれど、やっぱり、こっ恥かしいことには変りない。 けれども春から夏にかけて野山や路傍でめぐり合う数々のすみれを、記憶の箱の中へ採取して、それを思い出す時には語り合うことも出来るだろう。 薄く濃く、また赤味を持ったさまざまな紫。白いすみれ、夏の山に咲くたかねすみれやきばなのこまのつめ。えぞすみれはえいざんすみれ、かくれみのなどという別名も持っている。そして一つの大きな特徴は葉が裂けていることである。普通三つに裂け、それがまた二つに裂けているので、花を着けないうちはすみれの葉とは思えない。僕が春の山道を歩いている時ににこっそりさがしている花である。 2024.11.04 記す。
★沈丁花 P.201 庭の沈丁花は一尺たらずのものであるが花を開きはじめた。いつもどこからかこの花の香が漂って来て、ああことしも咲き出したかと思うのに、花の方をことしは先に見つけた。 小説家の円地文子さんが、御歳よりから教えられてこの花を丁子(ちょうじ)とよんでいたと書いておられたが、僕も確かにそう教えられていた。母は今も丁子と言っている。丁子は日本では見られないモルッカ島原産の熱帯植物であるが、沈香や丁子に香も姿も似ているので沈丁花というのである。 『本草綱目啓蒙』を見ると「花後実ヲ結ブ南天燭子ニ似タリ」と出ている。日本の沈丁花は普通雄であるために実を結ぶことがなく、僕も見たことはないが、まれに熟して南天のような赤い実がなる。この実は辛いので「こしょうの木」ともいわれているが、さきの本には「実ニ毒アリ食スレバ半日バカリ煩悶ス」と書いてある。僕は沈丁花の実を食べて煩悶している人のようすがどうもこっけいでたまらない。 円地さんも辞書を引いて沈丁花と丁子とが別のものであることを発見されたようだが、僕も確かに長いあいだ、この花を堂々丁子と呼んでいた。ある。
★燕 P.203 僕が去年、山へ登るまえに泊まった新潟県のある村の宿屋は、その部屋をスケッチ・ブックに描いておいたほど、黑光りがしていて大きな柱がそこここに見え、感じがよかった。 山へ登る朝、少し寝坊をしてしまったので急いで靴をはいている時、そこの土間の天井に燕の巣があって、親燕はその子供にせっせと餌を運んでいた。燕の渡って来るのは、その辺だと四月なかばごろだろうか。まだそれでも雪深いところなので、村の人たちはもう燕が来たなどと言って空を見あげることだろう。 燕が子供に餌を運んでいる様子は、都会にいてもよく見られるが、子供たちが三角に大きくひらいて、喉のどの辺で鳴くのか、せっくように騒ぎ立てている。親は順に餌を口に入れてやっているだろうのに、その度に、一応全部の雛鳥が大きく口を開いて騒ぐ。ひょっとしたらまちがえて、続けて自分の口に虫を入れはしないかとおもうのだろうか。 そういえば人間の子供でも、兄弟で、何か貰う時にはいざこざが起りやすい。不公平を監視する幼い目は光るし、自分だけに多く分配されるのを期待する目はするどく、またあどけなく光る。 その燕の子たちが飛び立って行く、やわらかな初夏がまたやって来る。 2024.10.07 記す。
★夾竹桃 P.205 地の神の娘に、白妙姫という色のまことに白い美女がいた。若い神々はこの白妙姫を得ようと思って夢中になっていたが、彼女の心にかなう者がいなかった。若い神々の中に、植物の神がいたが、これこそ白妙姫にも父の神にも気に入ったので、婿君になることを告げると、意外にも、彼は、こんなにまっ白い姫君は、まるで死んでいるようで好きになれないと言って断った。 色の白きを嘆きはじめた白妙姫は段々やっれて来た。父の地の神はそれを天の神に告げると、天の神は自分の夾竹桃をとって与える。それを持ちかえると、娘はその紅い花をもんで紅色の雫を顔に熱心に塗った。すると、白い顔は美しい赤味がさして、植物の神は悦んでお婿さんになることを承知した。 花の伝説というのはこんな調子のものが多い。その話をきいた中学校の運動場の隅に夾竹桃が一本あって、夏の休みがはじまる頃になると紅色の花が見られたが、中学生たちも、この伝説をきかせた国語の先生も、夾竹桃が校庭に植わっているのを知らなかったらしい。
★蒟蒻 P.206 群馬県の方から重たい植木鉢が届いた。それを預かった方は、うちの近くのお菓子屋まで持ってきたので、僕のところへはそのお菓子屋の娘さんが抱えて来たので驚いた。紙包みをほどいてみて僕は更にびっくりした。さてこれはなんだろう。 さといも科の商物であることは見当がついたが、暗紫色の気味の悪い姿が、これはひょつとするとなにかの化けたものかも知れないと思わせる。知らない者をすぐに異常なものと考える悪い癖が僕にはまだ残っている。 これは蒟蒻(こんにゃく)の花の芽であって、今ほうぼうの山地に咲いている水芭蕉と似た構造であるが、長くつき出しているものには付飾棒という名がついている。この中にまだ咲き出すには早い雄花雌花が包まれている。 おでんやで、僕はすまして蒟蒻を食べているが、なにをかくそう、この花は知らなかった。そして同時にいま知ったことは英語でもフランス語でもコンニ」ャク(Konjak)である。だれかをさそっておでんを食べに行き、蒟蒻の花知っている? ときいてみたくなって来た。
★しゃが P.211 僕がまだ小さいころには、小さい僕にも巻紙で手紙をくれる人が幾人かいたし、そういう人には僕の方からも巻紙をもって返事を書いたものだった。その一人に、特別親しい知り合いでもなかったが、よく手紙の中に絵を描いてくれた人がいる。もちろん、巻紙に描く絵だから日本画だったが、誰が見てもこれは上手だと感心するようなものだった。もっともその人は建築家で、ヨーロッパを回って来たこともあり、ローマの話などをしてくれたものだった。 気節の花がおもだったが、ある時、しゃがが描いてあった。僕はまだ名前を知らなかったので、多分母から教えられたのだと思うが、次に実物を見た時に、それはしゃがだと確信をもって言えるほど正確にそれらしく描けていた。 それで、この花の名を覚えるについては、大変に贅沢なことをしたようにも思っているが、しゃがという名は射干と書く漢名から来たのではないかという説しか聞いていない。けれども射干は、ひおうぎのことであろう。それからこの花のことを胡蝶孔(こちょうか)とも書いているが、しゃがに一番よく似ている蝶というと何だろうか。色はともかく、姿は「シーたては」ということだろう。
★あかざ P.213 川沿いの道を雨あがりに歩いた。僕が全部うつって、まだ雲が三つもうつるくらいの水たまりが道をさえぎっている。そのあたりが全体赤っぽいのはあかざがいっぱいあって、わかい葉の赤紫色のせいだった。それが白ければしろさだ。この赤紫は前から気になっていたが一種の粉状のものである。僕はどうもある種の色に酔う性質があるらしいが、それが必ずしも快い気分に発展してくれるとは限らない。 なぜこんな粉をふかなければならないのか、それがなぜ赤かったり白かったりするのか。僕は葡萄の実の表面につく粉やその他のものを考えながら、家に持ちかえって拡大鏡でみると、細かいぶつぶつが、一つ一つ光っている南京玉だ。これをつないで、幾人の少女のくびを飾ることが出来るだろう。植物生理の本を読みなおす前にそんなことを考えて遊んでしまう。そして悲しい気持ちでこの草をうでて食べた戦争のころを思い出したが、その当時あかざを食べすぎてひどい火傷(やけど)のような「アカザ皮膚炎」にかかった人もいる。まさかこのきれいな南京玉がいけなかったのではあるまいか。 2024.11.05 記す。
★しろつめくさ P.217 徳川時代に、ガラスの器が輸入された時に、われぬように詰めものいなってやって来たのがこのつめくさである。思えばかなしい渡来ぶりだが、帰化の仕方は堂々たるもので、ポランの広場などは実に見事なはびこり方をしている。 「つめくさの花の咲く晩に、ポランの広場の夏まつり。つめくさの花のかおる夜は、ポランの広場の夏まつり」宮沢賢治の、あの酒くせの悪い山猫が、黄色のシャツで出かけて来る。そうするとポランの広場に飴が降る。 しろつめくさは童話の野草にだけ咲いているのではない。Trifolium repens という学名は匍匐(ほふく)する三つの葉という意味があるが、三つの葉と言われると四つ葉のクロバーをさがして、人は幸福を夢見る。その四つ葉はさがそそうとすると容易には見つけにくいけれど、ひょっとした時に、ひとかたまりの四つ葉を摘みとることが出来る。誰か幸福になりたがっているものはいないだろうか。戦場」に傷ついた兵士が、傷を癒してくれた乙女にささげたこのシンボルを、愛と幸福と感謝のシンボルをほしいものはいないだろうか。 ※参考:「ポランの広場」:宮澤賢治全集 第十二巻(筑摩書房) 2024.11.05 記す。
★平家蛍 P.219 ほたるは「火眠る」ということらしいが、あたたかみのある名前である。だが蛍の光には熱がない。昨年までは僕の住んでいる近くでも、この青白い光を見かけたが、今年はどうだろうか。何しろ家が多くなって、蛍も別段あかりを必要としないだろう。しかし、その発光器をすててしまうようなことはしない。一体蛍は何のために光るのか。 幼虫のうちから彼らは光る。不器用な光り方ではあるが、ともかく光る。幼虫の時代だけ光るのもあるが、大きくなると光り方も起用にばり、雄と雌とで信号をやる。種類によって色の区別もあるし、第一、点滅の回数がいろいろある。コッチへコナイ? イッテモイインダケド。それは僕に考えられる限りの人間の言葉である。それらしい人間語訳である。恐らく大きな誤訳だろう。 しかし光の信号は、そんな醜悪な人の言葉とはおよそちがった、僕たちの想像からはあるかに距った情緒をかくし持っていることだろう。 籠に入れた蛍は青臭い。それを、あんまり「いやだと思わずに、口に水を含んで吹きかける。ただ彼らが腹にあかりを持っていて何も隠せないのは辛いだろう。 ※海軍兵学校兵学校の卒業式が済むと、真新しい軍服姿になった候補生たちは、在校生徒や教官たちの見送る中を、機動艇に分乗して表桟橋から離れて行く。そのとき軍楽隊が「オールド・ラング・サイン」(「蛍の光」の原曲)を演奏するのが慣例になっていた。ところが戦時下ますます激しくなった適性語追放の空気から、卒業式行事でこの曲を演奏するのは取り止めてはどうか、という意見が出てきた。スコットランド民謡だから、というのがその理由である。しかし井上校長は「名曲は名曲である。敵味方を絶している」として廃止の意見を斥けた。「蛍の光」は戦時中、国内どこの学校でも聞かれなくなったが、兵学校では終戦の年まで使用された。
★駒草 P.225 夏の賑やかな山は避けているので、このところしばらく駒草には会わない。最近ずっと会っていないけれど、どうしているかしら、と旧い友だちのことを、何かの時にふと思い出して考えるように、駒草の本の扉などに描いてあるのを見ると、想い出す。 ずっと以前でも、夏の高山には女学生たちが先生に連れられて登って来た。汗で顔を赤くして、すれちがいに見ると、どうして山なんかに来てしまったのかしらとというような顔付を見うける。それは今も別に変りことだろう。その数はふえ、人の服装は変ったろうけれど。 けれども花は顔も姿も変えない。 ある人がこれも昔、案内をたのんで歩いたら、この岩のかげに駒草が咲いているはずだがと言って近づいたら、ちゃんと咲いていたので、さうがに山に詳しいものだと言って感心していた。しかし、山の径を歩いていると、ちょっとした岩などを妙によく覚えてているもので、その案内人が一週間ほど前にそこをとおったことがあるなら、駒草のありかお知っているのはさほど感心することでもないだろう。 女学生の一団で、引率している先生が、「先生オコマグサはどれですか、早く見せて下さい」とせめられていたのを見かけたこともある。 ※参考:学名命名者:牧野富太郎 2024.11.05 記す。
★黒百合 P.227 少年時代に立山へ登り、ザラ峠をとおった。この峠は佐々成政が通った峠である。その近くで黒百合を見た。 これはあのあたりへ行った人ならば珍しい経験ではないが、そこで黒百合の伝説をきいて、ふしぎな気持になった。花の伝説というものは、時たまなまなましい感じを与える。 佐々成政は、妾の小百合と小姓の竹沢龍四郎の中を疑って、二人を殺した。それでも足りずに小百合の一族を十八人も殺した。小百合が殺される時に、恐ろしい顔になって、「立山に黒い百合が咲いた時は、佐々の家はほろびる」と叫んだ。それから後、黒い百合が咲いたのを成政は淀君に献じた。そのことから北政所の怨みを買って、最後にはザラ峠を越えて関東へ落ちなければならなくなり、死にのぞんで言った早百合の言葉のとおりになった。 黒百合という花に、僕自身は何も関係ない。というより、僕は僕らしくこの花との関係を結び、想い出を持てばいいわけであるが、伝説の力が強くききすぎることもあって、暗い紫色がどうも気になる。そして花の伝説を知ることは恐ろしいと思う。 ※石川県の「郷土の花」である(「県花」ではない。
★こばいけいそう P.236 ばいけいそうよりは小さいとはいえ、高山帯の植物としては大柄で目立つから、これは案外名前を知っている人が多い。そして写真機を持っていると撮りたくなる花である。 ある時山小屋で紹介されたお嬢さんが、こばいけそうの写真を出して、これ、私がとった写真なんですけれど、何か書いて下さいませんかと言って僕に渡した。俗にいう気のきいた文句を、あまり待たせずに書かねばならない。ところがそのこばいけいそうはどうも見覚えがある、と思った途端に、これは知っていますと言ってしまったほど、確信があった。お嬢さんはきょとんしていた。 Sさんとこの時一緒だったんじゃありませんか。僕はかなり前にSさんから、こばいけいそうの写真を貰ったことがあるが、写された花が、どうもそれと同じものと思ったので、こんな失礼なことを言ってしまった。しかしそれはそのとおりだった。 これは別段、何の事件の原因ともならない。実をいうと僕は、写真に書く文句を考える時間をかせいだが、何と書いたかは全く想い出せない。 2024.11.05 記す。
★クレマティス P.239 デュアメルの『わが庭の寓話』は僕の愛読書というより、もっと大切な本だが、その中の「完全のための弁護という章でプレーズが次にように言う。尾崎喜八さんの訳を拝借する。「森や垣根のテッセンの花は綺麗ではないけれど、なんとも言えない佳い匂いをただよわせている。園芸家はそのテッセンに手を加えて、不自然なものして、すっかり形を変えてしまった。君たちの青や赤のテッセンは目ざましい花は咲かせるが匂い」というものを全く持っていない。してみると、僕等は成る力を獲得することはできるが、そのためには別の力を失わなければならないという事になる。なんという苛烈な哲学だろう!」 そのテッセンはフランス語で La elematite であるが、「森や垣根のテッセン」のは、日本の仙人草やぼたんづるによく似たヨーロッパ産の白い花の咲く野草の C. Vitalilba に、東洋種のものを交配させた園芸種のことだろう。したがってプレーズは、このために暗い気持ちになる必要はなかったのである。 僕の記録の中に採取されているクレマティス属の花には、信州高遠の、蓮華寺の裏手にある輪島の墓に咲いていた「かざぐるま」がある。初夏になると、「テッセン」と言って花屋に並ぶものである。 ※テッセン ... テッセン (鉄線、学名: Clematis florida)は、キンポウゲ科センニンソウ属のつる性植物。 ... また、クレマチスを指して「テッセン」と呼ぶこともある。
★さるとりいばら P.244 動物の中でも賢いことになっている猿でもこの刺にはひっかかる。ことりとまらずとか、へびのぼらずとか、動物の動作を、その植物を見て何とはなしに想像させるのはおもしろい。 僕もこのさるといりいばらに引っかかることがある。そのてららてらと艶の葉を見ると一応は警戒しているが、河原のへりの草むらの道の道もないようなところを歩いていると、ぱりぱっと気持ち悪くからまることがある。 田舎住いをしていた時分、幼い子供がどうしても昼寝をしないような時、無理に寝かそうとしてもつまらなくなり、河原へ遊びに行く。石ころのあるところばかりを歩いていればいいが、川の水の曲り具合でそうばりも歩いていられず、藪にはいると、子供は急に声を出すことがある。 そんな時に見ると、さるとりいばらにかかって、小さい草履をはいている足があわれに見える。仕方ながなく背負って、手をうしろへ回して歩いていると、今度は僕がこれにやられる。早く赤い実が出来てくれれば、それを危険信号にしてよけて行くが、緑っぽい花の時にはだめだ。どうしてこんな意地の悪い草がはえるのだろうと思う。 2024.11.05 記す。
★葉鶏頭 P.247 鶏の頭というものを、特にその鶏冠(とさか)を美しいと思う人はあまりない。それはどう見ても、もう手当の仕様のない、ひどい皮膚病である。けいとうの花にはずいぶん異品があって、それぞれ名前がついているが、その赤い部分の気味の悪さはさほど変わらない。けれど葉鶏頭の葉の赤さはちがった趣があって、これをいっぱい植えてある庭の秋は真赤にもえる。 いつか訪ねた家の庭は葉鶏頭だらけで、これは恐ろしくきれいなものだと思った。 外国へ行ったまま帰って来ないそこのご主人が、葉鶏頭が好きで、それで早く帰って貰いたい気持ちから庭をこんなふうに飾っているのだと説明された。 ヨーロッパにもこれはあるだろうかと訊ねられ、僕もこの植物が出て来る小説を二つ三つ思い出しながら、あるようですけれど、こんなにきれいな庭はないでしょうといい加減のことを言った。 小学二年になるお嬢さんが、この赤い葉の中に分け入って、姿が見えなくなって歌をうたっていたのが大層印象的で、御主人は遠い国でどんなことをしているのか知らないけれど、早く帰って来ればいいににと思っ
★すすき P.250 僕は大正生まれで、「枯れすすき」の歌なんぞを聴きながら育ったからこんなのだと言われたことがあるが、こんなとはどんなかは訊ねなかった。つまりそんなことを訊ねないのが枯れすすき的なのかも知れないと僕は賢く思ってしまったから……。 どうせわたしはかれすすき…… 僕はそうでもないと思う。しかしまたそうかも知れないと思う。「枯れすすき」の歌は亡国の調べだそうである。 けれども今は、虫めがねをもって、その披針形の小穂を見る。秋の七草の一つとしてではなく、また尾花の姿にひかれることもなく、はっきりと知らないものを念入りに見るために。 すすきの葉はつかまると手を切る。つかまえるならば、ぎゅっとにぎらなければならない。臆病な握り方をしていると手が切れる。それは確かに一つの風刺である。つかまえようとさえしなければ何の心配もない。 |