基督教独立学園を訪ねて
山形県西置賜郡小国町叶水


「読書が出来るようになれば半分教育が出来たことになります。読書によっていくらでも勉強できます。読む本ですが、ベストセラー等読ませる必要ありません。十年たっても尚読まれる本はよい本です。五十年たっても読まれる本は尚よい本です。百年たっても尚読まれる本は尚よい本です。」(原文のまま)

 教育での読書について、私は鈴木校長におたずねした。そのときの教示の一部である。鈴木弼美(すけよし)先生は山形県西置賜(にしおきたま)郡小国町叶水―中条町(現在は胎内市)より東東南、三十六キロ―にある私立基督教独立学園高等学校の校長先生である。

 私が同校を知ったのは日本経済新聞(昭和五十九年十月十五日)のコラムである。「この学校独自の科目に『聖書』と『読書』がある」との記事から、先生に手紙を書き、冒頭の教示をいただいた。

    校 門 が な い

 私が勤めていた会社(クラレ株式会社)で、社員の研修を担当していた時のことである。新潟県中条工場で、研修所第一期生フォロー教育の一つとしての課題レポート発表会と第二期生巡回指導が終わった翌日、昭和六十年三月十四日、総務部の中野栄三君が運転するスノータイアの自動車で同校を訪ねた。

 中条より東北十六キロ関川村は屋根や道以外は雪のなかにあった。荒川沿いに百三十号線を行く。「この先なだれ通行注意」の標識を五十キロの速度で走り抜ける。荒川の清流と雪におおわれた景色は瀬戸内にそだち、住む私をたんのうさせてくれる。「雲母」という珍しい地名標が立っている。「きら」と読むのだと教えられる。トンネルを三つ、四つと越える。中条から四十五分で赤芝峡をぬけて小国町に入る。小雪が降っている。役場に行き、パンフレットをいただいているときに掲示板をみる。人口一二、二五六人。積雪量一六六センチやはり豪雪地帯だ。職員に学校への道を聞き出発。雪のなか時折、道をたずねて走る。ついにわからなくなる。町はずれでたずねると、学校の近くまで自動車で約七~八キロ先導案内してくれる。その親切さに気質風土をおもい、感謝!。荒川・横川の上流滝川の近くに建つ学校につく。ここまでの自動車道路は完全に除雪されていた。走行距離六十五キロであった。

 学校と棟続きの寮の建物と道をはさんで図書館ともう一棟の寮が建っている。校門がない! 学校の建物の入り口の戸の上に校名を書いた板をうちつけていた。

 事務室で執務中の職員に案内されて校長室に通された。校長室は書斎であり会議室でもある。両壁は書物で埋めつくされている。

    学 園 紹 介

 小国町叶水は磐梯朝日国立公園のなかの飯豊(いいで)山麓にある山村である。内村鑑三は、かつて上杉鷹山が治めたこの純朴の地に、大正十三年、学生二人を派遣して「小国伝道」をはじめた。鈴木校長(山梨出身)は東大の物理学科の学生時代、内村の教えを受け、彼の遺志をついで昭和九年この地に学校を創設した。

 基督独立学園の独立の由来は、内村鑑三の「教会の経済的独立を考えていた」ことによるものとうかがった。

 学園の一日は午前六時から始まる。寮の掃除、便所掃除、家畜の世話、炊事等々。一日の作業時間は午後の分も合わせて約二時間、朝食、礼拝のあと九時半から授業が始まる。五十分の授業が六時間(土曜日は三時間)で、内容は全日制普通課程とほとんど変わらないが、この学校独自科目に「聖書」と「読書」がある。読書は国語の中で教えられている。

 授業の後、夕方の作業を終えて午後六時に夕食。後片付けをして夕拝。九時半ごろまで自主勉強の時間。

 受験シーズンになっても学園の生活はまったく変わらない。今年は、三月十三日まで授業、十六日卒業音楽会、十七日卒業式。

    一 学 年 定 員 25 人

 一学年の定員はあくまで25人だが、男女同数13人の26人にしている。生徒数78人、教職員27人である。生徒募集の宣伝をしないが、九州から北海道まで定員の三~五ばいに上る。入学時に払うのは五万円の入学金と三万 円の入寮費。あとは毎月の一万円の授業料だけ。学園の野菜畑からの収穫や四頭の乳牛、数十羽のニワトリが、寮の生徒と教職員の生活を支えている。寮生の食費は実費である。

    教 育 の 話

 校長室の会議机の質素な木のいすにこしかけて話をうかがう。何時間いただけますかとたずねると。何時間でもかまいません。

 さとすように信念と熱意をこめて説かれる校長先生(一八九九年生)。ピアノを弾く音がどこかの教室から聞こえてくる。

 「今の教育は○×式になっている。学問にしたがって教育すれば時間がかかるので学問をする人をしめだしている。丸暗記や受験技術に走って学問のできない人をいれている。考えるなという教育をしている。ものを見て考えて真理を探究するのが学問の目的である」

 「学問は決して難しいものではない。愚かさを知っている人、謙遜な心の人はだれでも学問ができ、本当の学問を教えると皆それが好きになる」 「学校制度がいくらよくても、現在のような受験教育であってはよくならない。カリキュラムが悪いから教育がよくならないともいっている。そうではなくてきちょうめんに教育をしていないからである」

 「徳育が足りないというが、真の知育をしっかりやればおのずから徳育もできる。お題目だけの道徳教育ではなく、真理を大切にする教育、ちゃんと学問をする人間をつくる教育が必要である」

 「心のふれ合いが大切である。現代人とのみが心のふれ合いではない。学問を通して学問の創始者、発明者とのふれ合い。教えてもらった人との心のふれ合いもある」

    卒 業 生

 今春の卒業生は二十六人。このうち二十四人が進学希望。ほとんどが東北福祉大学、酪農学園大学、図書館情報大学などに推薦で入学する。就職も自分で選んで、農業や福祉関係の仕事や看護婦などの職業につく。

 ある女生徒はいっていた。

「受験用の授業をやらないので数学や英語はダメのようだけど、学園では自分の意見をいい合うことが多いので、小論文や作文、国語は自信がある。みんなよく話す。だから全校の友だちの考えだってわかっている」

 創立以来五十年、これまでの卒業生は七百二十、卒業生の長男、長女も入学している。

    生 活 の 道 標

  読むべきものは聖書
  学ぶべきものは天然 
  なすべきことは労働

 内村の言葉を色紙に書いたものを見せられる。この言葉が「親もとを遠く離れたこの山里で三年間を過ごす子どもたちの、生活の道標なのである」と日経寄稿者は書いている。

 「学ぶべきものは天然」について説明をうかがった。

 内村の随想に一つ「秋と河」を先生が黒板に書き、全校生徒に筆写させ、そして解説されるとのこと。

 「秋到る毎に余は懐(おも)ふ、二箇の大なる河を懐ふ。

 其の第一は石狩河なり、森深く、水静かに、蔦は弓形を為して深淵を覆ひ、赤葉其の下に垂れて紅燈の幽暗を照らすが如し、大魚流水に躍り、遠山其の面に映る。余は幾回となく獨り其の無人の岸を逊遥し、或ひは清砂の上に立ち、或ひは葦の中に隠れて余の霊魂の父と語りぬ。

 其の二はコネチカット河なり、之をホリヨーク山上より望んで銀河の天上より地下に移されしが如し、余は其の岸に太古の鳥類の足跡を探り、或ひは松林の中に入りて、異郷に余の天と交はりぬ。

 静かなる秋と静かなる河! 余は其の岸に建てられし余の母校を忘るヽ事もあらん、然れども秋到る毎に余に静かなる祈祷の座を供せし河を、余は死すとも忘る能はざる也。」

 内村は札幌農学校、マサチューセッ州アマースト・カレッヂで学んだ。飯豊山(二、一〇五㍍)の麓、小国町叶水は豪雪地帯ではあるが、清流滝川があり、自然に恵まれているのだろう。

 同校の『独立時報87号』を読むと、しょく物観察の日が春明けを待って行われている。

 内村の石狩川、コネチカット河にたいして、卒業生は滝川のほとりのこの地にくるとやすらぐという。

    お わ り

 鈴木校長先生の清話の中で、三十年前、倉敷の大原美術館に生徒をつれていった。そのとき、はじめて西洋絵画に目を開かされた。大原孫三郎氏は実業界にあり、社会に貢献された立派な人で尊敬していると話された。『大原孫三郎伝』があることを話したところ、寄贈を求められ、約束を果たした。

 この訪問には結論はありません。二時間の面談が終わり自動車に乗り込み小国駅に向かう。雪のふる坂道をのぼって帰校している女子生徒さん。ほっぺたを赤く染め、明るい笑顔の会釈が私たち二人を送ってくれた……。


参考文献:内村鑑三『余は如何にして基督教徒となりしか』(岩波文庫)
     内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)
     内村鑑三『後世への最大遺物デンマルク国の話し』(岩波文庫)
     日本経済新聞(昭和59年10月15日)
     朝 日 新 聞(昭和60年2月27日)
参考:1、鈴木弼美(すけよし)先生(1899~1990)
参考:2、基督独立学園高等学校のホームページをご覧ください。インターネットによる。
 私が訪問したのは二十四年前である。最近のホームページを読ませていただき、その理念は脈々と生かされていると感じています。

参考:基督教独立学園高等学校

▼読み返し、内容も現代にも適用できる不易なものを感じ、更に、リンクを読むと時代の変遷と伝統が連綿と引き継がれているのを痛感させられました。
平成二十七年五月六日


★鈴木弼美先生の奥さまよりの葉書 昭和六十年三月二十五日受信

 先日は、この山奥までおいで下さいまして御苦労様で御ざいました。色々御話を主人もお聞き出来て感謝していました。またお土産も戴き恐縮に御ざいました。

 さて本日は大原孫三郎伝をくださいまして誠に有難う御ざいました。主人は生徒の修学旅行の目的地の一つに大原美術館を選びました程尊敬申し上げて居ながら知らない事だらけで御ざいまして拝見して見ますと驚く事の連続で尊敬の念は益々高まるばかりで御ざいます。後で図書室の方に出しましてなるべく大勢が参考に致します様にし度いと思いますが当分の間は手元におき度く存じます。

 先ずは簡単ながらお礼まで。

追伸 書きおくれましたが御丁寧なお手紙をお添え戴き恐縮に存じました

 昭和六十年三月二十一日

平成三十年七月二十一日追加。


★青木守正さんよりの葉書 昭和六十四年四月四日受信

 拝啓 ようやく桜のたよりも聞かれるようになってまいりました。過月は基督教独立学園の鈴木校長先生にご紹介まで書いていただき誠にありがとうございました。三月三十一日校長先生にお会い出来、聖書の話、教育の話、種々貴重な話を承りました。

 雪はまだ一・五米くらい残っており、当日も小雪が降っていて、ストーブのまわりで息子と話をうかがえましたことは息子にとっても小生にとりましても心が洗われる思いでした。

 生徒は帰省中でしたが残っておられた先生・職員の方もキラキラ輝いているように見えました。今年は多分二十五人の募集に対し百三十人は超えるようです。息子もそれなりに努力してみるようです。私にとりましても非常に有意義な旅行でした。取急ぎ御礼申し上げます。御自愛専一の程お祈り申しあげます。 敬具

平成三十年八月一日追加。