中根千枝『タテ社会の人間関係』単一社会の理論
(講談社現代新書)昭和四八年二月二四日 第三刷発行

タテ社会の人間関係


   まえがき

 本書は、現代の日本社会を分析するものであるが、日本の近代化の過程、それに伴う社会的変化といった、従来の日本社会を扱った論文・評論の常道とは性質を異にするものである。

 著者の目的とするところは、現代の日本社会を、社会人類学的立場に立って分析すると、どのような解釈が成り立ち、それをどのような理論構成にもっていくことができるか、という試みにある。

 すなわち、日本社会の説目ではなく、日本の社会現象を材料として、社会人類学でいう「社会構造」(第1章<2>参照)の比較の上で、日本の社会がどのように位置づけられるかという、社会構造の分析に関する新しい理論を提出しようとするものである。

 したがって、日本の近代化はどのようにとらえられるべきか、また、日本社会はどうあるべきか、どのように進むべきか、などという問題を扱うものではない。しかし、著者の立場が理論的なものであるために、叙述もできるだけ客観性を高めることにつとめているので、かえって、本書はどのようにも使われることができよう。

 この意味で、それぞれ異なる立場で、さまざまな問題をかかえている読者の思考に何らかのヒントや刺激を与えたり、日常生活で遭遇するさまざまな社会現象の理解の助けになることができるかもしれない。また、もしそうであったら、著者としては望外の喜びとするところである。

 本書は、さきに『中央公論』(昭和三十九年五月号)に発表した論文「日本的社会構造の発見」を加筆・修正し・発展させたものである。しかし、著者の基本的理論は少しも変っていない。

 右論文を発表して以来、多くの読者から反響があり、また、大学・研究所・企業経営・人事管理・教育研修んさどの各方面の諸機関・諸集会から、本論文に関連したセミナーや講演の依頼を受け、多くの方々から有益な異見を聞くことができた。このため、本書の内容を一層豊かにすることができ、これら諸士にここであらためて謝意を表したいと思う。

 また、右論文に提出した「タテ」・「ヨコ」の概念、考察方法は、すでに常識のごとく多くの人々に使われるようになり、著者としては喜びにたえない。

 最後に、著者の意図をよく体して、本書のカットを担当してくださった松井敏郎氏に深く感謝するしだいである。

一九六六年十二月

                    中 根 千 枝

1――序論 P.11

   <1> 日本の社会を新しく解明する P.12

理論と現実とのずれ(ゝゝ)のあり方が問題

 日本の社会、あるいは文化を論ずる場合、従来とられた方法は、だいたい次の二つに要約できる。

 第一は、ヨーロッパを主な対象とした研究(西欧の学者による)からえられて理論(方法論よりもむしろでき上がった理論)、モデルを使用し、それによって日本の諸現象を整理し、説明しようとするものである。

 第二は、日本にしかみられないと思われる(たいてい西欧と比較しての話であるが)諸現象を特色的にとり出して、これらを論ずることによって、日本人、日本の社会・文化をつかもうとするものである。この立場は、第一の立場のアンチテーゼの観をもつが、「西欧」というモデルをネガティブではあるが一応前提として出発している点において、同じ線上の両極に立つものである。

 もちろん、社会科学というものは西欧に発達した学問であり、すぐれた分析、理論が出され、その効用を日本の学者がとり入れるのは当然である。しかし、これらの理論を歴史も民族も西欧のそれとは著しく異なる社会に適用する場合、西欧社会に適用した場合と違って、うまく割りきれない問題が残されるのは当然である。もちろん、抽象された理論と現実の社会の諸現象の間には、相当なずれ(ゝゝ)がみられるのであり、これらの理論が西欧社会にそのままあてはめられるといものではない。まして、、社会というものは動態であり、いったん設定されたモデルも常に修正を加えられる運命にあることはいうまでもない。

 理論(model)と現実(reality)とのずれ(ゝゝ)は、このように「西欧」の場合にも「日本」の場合にも当然みられるが、そのずれ(ゝゝ)というものが問題の核心を離れた辺境にあたる部分にみられる場合と、致命的な部分にみられる場合には、そのずれ(ゝゝ)の質が異なってくるのである。いいかえれば、抽象された理論の妥当性・有効性(パリディティ)の問題である。

「センチ尺」では和服のできは不完全 P.14

 これを卑近な例をとってわかりやすく説明すると、たとえば「和服」の作成に「センチ尺」を使うのに似ている。こうすると和服の基準寸法というものが、みな端数(はすう)を伴ってくる。二八センチ三ミリ半とか、二二センチ七ミリとか、非常に不合理な寸法となってくる。もし、これがうまく合わないからといって、センチ以下、あるいは五ミリ以下を切り捨てて、和服を作ってしまったら、いったいどういうことになるであろうか。だいたい似たようなものはできるであろうが、それは伝統的に理想とされている「和服」の姿とはほど遠いものとなってしまう。和服に必須なシルエットはくずれ、本当におしゃれな人だったら着服不可能なものができ上がるであろう。

 これに対して、最も合理的な方法は、いうまでもなく「鯨尺」を使うことである(これは全くおろかなことであるが現法律によって禁じられている)。これによると、着物の構造を決定する基準寸法は後身幅=七寸五分、前身幅=六寸、衽幅=四寸、男者ならそれぞれ、八寸、六寸(太っている場合は六寸五分とか)、四寸となってくる。いわゆる合理的な寸法であり、おかしな端数というものが出ないのである。

残るプラス・アルファをどう始末するか P.15

 そこで、和服を知らない人に、和服の構造を説明するのにニ通りあるわけである。

 一つは、その人のよく知っている「センチ尺」をとって、それによって基準となる各部分の寸法を示し、それを総合していく。一方は「鯨尺」と「センチ尺」を示しておいて、これによって基準寸法を示し、次の段階において「鯨尺」と「センチ尺」を比較する。両者とも比較の方法の一つであるが、前者は直接的であり、抽象を具象の段階にもってくるものであり、後者は、それぞれを具象から抽象へという同様な操作をとおして、抽象という同一のレベルにおいて比較するのである。

「センチ尺」で和服の基準寸法をはかるというのが、すなわち、「西欧」で出された理論を日本社会に適応することであり、当然、常に端数プラス・アルファが残る。そしてこのプラス・アルファが社会構成の抹消的な部分にのみ出るならよいが、本質的な部分にまで出るという危険性をもっている。

 従来、日本の社会学者たちは、このプラス・アルファの部分を、日本における封建遺制(ゝゝゝゝ)であるとか、日本の後進性(ゝゝゝ)などというたいへん便利な始末の仕方によって切りぬけるのが常であった。そして一般の人々もあっさりとそうした見方を受け入れてきたのである。

 西欧(とくにイギリスによって代表される)が先進国であるというのは、年代的に工業化(industrialization)のはじまりが早かったという歴史的事実なのであって、現在の日本の工業化の水準が西欧の国々より低いということではない。さらに、同様な工業化の水準にあるからといって、必ずしもその社のあり方同様あるということにはならないのである。

 もちろん、工業化ということは、世界的に同様な一定の社会現象をもたらすことは事実である。

 たとえば、都市への人口集中、行政・産業面における組織の画一化、俸給生活者・中間層の増大、生活パターンの均一化、とくに、その中でも、従来より家族形態が単純化され、夫婦とその子供から構成される小家族が圧倒的に大きいパーセンテージを占めるようになることなどは注目すべき現象であろう。さらに教育水準の向上、社会福祉施設の発達等々、どの国においても共通な現象がみられる。

 しかし、こうした共通の工業化に伴う大きな変化にもかかわらず、その社会の個人をとりまく、実質的な人間関係のあり方などを考察すると、社会によって驚くほどの違いがみられ、そこに、それぞれの社会の伝統的なあり方が存続していることを知るのである。このことは本章で説明するようにいろいろな面に現れるのであるが、たとえば、日本の大企業や官庁というのは、西欧のそれと全く同じ組織をもっているのにもかかわらず、その人々が何かを決定しようとする場合、その会議の議論の進め方、お互いの、または外部の人との折衝のあり方などには全く日本的なやり方がとられているのである。これを同様な近代的仕事に従事しているイギリス人の会議や折衝のあり方と比較すると、その議論のテーマ、内容(ゝゝ)においては同様であっても、その仕方(ゝゝ)運び方(ゝゝゝ)においては非常に異なり、むしろ、それは、かつての日本の農村の寄り合いにおけるものと軌を一にしているのである。

 このように、()とか内容(ゝゝ)は同じであっても、その仕方(ゝゝ)運び方(ゝゝゝ)が違うということは、社会の()を知る上で大変重要なのである。

従来の近代化論に対する反省 P.17

 従来の近代化論においては、いわゆる下部構造が上部構造を規定していくという考え方が強く、したがって、日本の工業化が西欧の水準に達すれば、社会のあり方も西欧と同様なものになるはずだという見方に支配されていたので、西欧にないような社会現象を一括して(ゝゝゝゝ)、日本の後進性とか、封建遺制と説明する傾向が強かった。

 この見方はいうまでもなく、単純な発展段階に依拠するとともに、西欧を日本よりはるかに高次にある先進国としてしか考えることのできない明治・大正以来の日本インテリにしみついている根強い西欧コンプレックスにささえられている。

 また、これら日本のインテリが「西欧社会」というものを、本を通したステレオ・タイプのイメージで受けといっていたということにもよろう。西欧社会というものが、先進国(ゝゝゝ)というラベルのもとに驚くほど単純化され、西欧の諸社会に内在する複雑性を実態として把握する立場になかったという、比較社会学的考察に大きな弱点をもっていたことも指摘できよう。

 イギリスにいけば、日本と同じように彼らは、うまくいかない時には「イギリスはご存じのように封建的でね。こういうことがなかなかうまくいかないんですよ。」とか、「やっぱり人を知ってるのと、知らないのとでは、うまくやる場合には大変な違いなんですよ」などというのである。その局面・内容は違っても、フランスでもイタリアでも、イギリスにまさるともおとらない、近代化の理想に抵抗をもつさまざまな問題をかかえているのである。

 ましてや、地理的に遠く離れ、歴史的にも文化的にも非常に異なっている日本社会においては、同じような工業化の水準にあっても、その社会の問題のあり方が相当異なっていることは、むしろ当然である。

 前に述べたように、下部・上部構造の相関関係があることはもちろんであるが、経済的に工業化したからといって、日本人の考え方、人間関係のあり方がすべて西欧のそれに変わる、あるいは近づくと考えるのは、あまりに単純すぎはしないだろうか。

 後述するように、あらゆる近代組織の中で働いている日本人が、いかに「西欧」諸国のそれと異なっているか、そして日本人として少なくとも明治以来あまり変わっていないという事実は、こうした単純な考え方に反省をうながさざるをえないのである。

 大切なことは、たんに変わるということではなく、経済的、政治的変動・変化を通じて、どのような変化がみられ、どのような部分が変わらないかということ、そして、その変化と、変化しないものが、日本の社会の中で、どのように矛盾と感じられずに綜合されていっているかということである。

 第一の西欧理論使用派に対して、第二の特色派は、前者が切り捨てていくプラス・アルファを大切にし、それを強調し、そこに意義(よい意味でも、また悪い意味でも特色となっているもの)を見いだし、それによって、日本人の社会・文化を説明しようとするのであるが、この立場は「西欧」の理論的成果をむしろネガティブに使うため、理論的には非常に弱く、どちらかといえば、「思いつき」的な弱さ(理論的一貫性を欠く)をもっている。

   <2> 「社会構造(ソーシャル・ストラクチュア)」の探求 P.20

組織・様式は異なっても社会構造は同じ

 そこで、本論の目的とするところは、すでに気がつかれていると思うが、第一、第二のいずれの場とも異なるもので、日本社会の構造を最も適切にはかりうるモノサシ(和服における「鯨尺」)を提供することにある。これは、いうまでもなく、社会人類学でいう「社会構造」(social structure)の探求である。社会人類学は、社会科学の一つとして、一九三〇年代から特にイギリスにおいて著しい発達をみせ、特色ある方法論をもっている。 その一つの大きな特色は、諸社会の比較において、社会学などが「西欧社会」からでてくる理論を常に基準として、他の社会に適用していくのに対して、社会人類学においては、「西欧社会」というものを比較の基準にしない、ということである。

 一定の社会を、一定の方法論に基づいた実態調査によるデータを解釈、綜合することによって、その社会の基本的と思われる原理を抽出し、理論化し――このようにしてとらえられるものを。「社会構造(ソ-シャル・ストラクチュア)」という基準用語(key-term)によって表現している――そのレベルにおいて他の社会との比較を行なう、という研究方法をとるのである。

 一言にしていえば、社会人類学の研究は「社会構造の比較研究」ということができる。

 したがって「ソーシャル・ストラクチュア」というのは、社会学・経済学・歴史学などで従来使用されてきた「社会構造」という用語とは少し意味が異なっている。すなわち、後者では、たとえば、十七世紀のイギリスの社会構造とか、日本農村の社会構造などというように使われ、その時代、あるいはその社会の全体像、重なりあっている諸要素の仕組み、制度化された組たて、というような意味をもっている。これに対して、社会人類学でいう「ソーシャル・ストラクチュア」というのは、ずっと抽象化された概念であって、一定の社会に内在する基本原理ともいうべきものである。

 たとえば、社会組織(social organization)は変わっても、社会構造(social sutructure)は変わらない、という場合が出てくるのである。本論で明らかにするように、部落と都市の会社(集団としての)では、あらゆる組織・様式が異なるにもかかわらず、社会集団としての「ストラクチュア」が同一であることが指摘できるなど。

 註(略)

「社会構造がが解明するもの P.23

 社会人類学においては、この基本原理は常に個人と個人、個人と集団、また個人からなる集団と集団の関係(ゝゝ)をきばんとして求められる。

 この関係(ゝゝ)というものは、社会(あるいは文化)を構成する諸要素の中で最も変わりにくい(ゝゝゝゝゝゝ)部分であり、また経験的にもそうしたことが立証されるのである。

 これはすでに多くの社会人類学者が、さまざまな社会の研究において立証しているものであるが、たとえば、日本社会について簡単な例をあげると、明治以来、特に戦後飛躍的に、日本人の生活形態――衣食住に現われるように――変わってきている。来日する外国人を驚嘆させるほど西欧的な様式をぐんぐん取り入れて。目に見える文化という点では、これほどに変わって来ているのに、日常の人々の付き合いとか、人と人とのやりとりの仕方においては、基本的な面(ゝゝゝゝゝ)ではほとんど変わっていないことが指摘できる。

 学生の先生に対する、また父親に対する子どものマナーとか、儀礼的なやりとりが簡略になってきたとか、敬語が乱れてきたとか、戦後の社会生活における変化がいろいろ指摘されるが、その変化の代表選手のようにみなされている若い人たち、例えば学生の間では、今も上級生、下級生の根強い区別があり、BGの職場にはボスができていたり、その他の分野においても同一集団における上下関係の意識はあらゆる面に顔を出している。

 こうした一見、外部からは見えないような、しかも、個人の生活にとって最も重要な人間関係のあり方こそが社会人類学でいう人間関係の主要な部分――すなわち変わりにくい部分――なのである。

 本書では、このような変わりにくい基本的な人間関係のあり方を考察し、それを理論的に総合し、その社会の構造的なあり方をとらえようとするものである。

 このように設定された「ソーシャル・ストラクチュア」は、その社会の複雑な諸現象を解明するばかりでなく、社会が内的に変化、そして(あるいは)外的な刺激を受けた場合、それに対応する仕方のありうべき範囲(posible range)を設定する(かなめ)のようなものであり、それは変化現象に対して理論的な説明、来るべき変化現象に対する一定の予測を行なう基盤ともなりうるのである。

 変化というものは、どんな時代の、またどの社会をとってみても、白紙の状態に起こるものではなく、一定の歴史的な存在の上にのみ起こりうるのであって、それを完全に否定した、あるいは、それから離れた大変化というものはない。もしあるとすれば、きわめてスケールの小さい小人口からなる未開社会が、圧倒的な政治権力をもった外からの社会に呑流されるような場合だけであろう。

果たして妥当性・有効性をもつか P.25

「ソーシャル・ストラクチュア」の持続性・固執性(パージステンス)の度合いは、その社会の歴史が古いほど、またその社会の人口が大量で密度が高いほど強いものである。これは社会がそれ自体高度に統合(インテグレイト)されており、社会としての質が高く厚いために、いっそう根強い力をもつものである。近代化に伴うすべての変化現象も、これを前提として考えるべきである。

 たとえば、インドが近代化にあたって日本と同じような変化の道(社会のあり方において)をたどりえないのは当然であって、近代化の複雑性もここにあるのである。

 さらに、社会人類学の研究は、その基礎が(ひと)の行動の観察に出発しているのであり、「ソーシャル・ストラクチュア」の理論は、社会組織自体のみではなく、その社会の人々の考え方、行動様式をも論理的な一貫性において、ある程度説明しうるものである。

 したがって、筆者がここに提出する、日本の諸社会集団にみられる諸現象から抽象された構造の理論的当否は、その理論的一貫性(logical consistency)ばかりでなく、実際の日本社会にみられる諸現象、日本人のもつさまざまな行動様式、考え方、価値観などに対する妥当性(ゝゝゝ)有効性(ゝゝゝ)(validity)の存否によってテストされうるものである。

2「場」による集団の特性 P.27

   <1> 集団分析のカギ――「資格」と「場」 P.28

「資格」および「場」とはなにか

 一定の個人からなる社会集団の構成の要因を、きわめて抽象的にとらえると、二つの異なる原理――資格と場――が設定できる。すなわち、集団構成の第一条件が、それを構成する個人の「資格」の共通性にあるものと、「場」の共有によるものである。

 ここで資格(ゝゝ)とよぶものは、普通使われている意味よりも、ずっと広く、社会的個人の一定の質をあらわすものである。

 例えば氏・素性といったように、生れながらに個人にそなわっているものもあれば、学歴・地位・職業などのように、生後個人が獲得したものもある。また経済的にみると、資本家・労働者、地主・小作人などというものも、それぞれ資格の種類となり、また男・女、老・若などといった一定の社会的(生物的差から生ずる)相違によるもので、ここでいう資格(質)の一つとしてとりあげられることができる。

 このような、一定の個人を他から区別しうる質的な基準のいずれかを使うことによって、集団が構成されている場合、「資格(ゝゝ)による」という。たとえば、特定の職業集団、一定の父系血縁集団、一つのカースト集団などがその例である。

 これに対して「()による」というのは、一定の地域とか、所属機関などのように、資格の相違をとわず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合をさす。例えば、xx部落の成員というように、産業界を例にとれば、旋盤工というのは資格であり、P会社の社員というのは()による設定である。同様に、教授・事務員・学生というのは、それぞれ資格であり、R大学の者というのは場である。

社会による相違  P.29

 どの社会においても、個人は資格(ゝゝ)()による社会集団、あるいは社会層に属している。この両者が全く一致して一つの社会集団を構成する場合はなきにしもあらずであるが、たいてい両者は交錯して各々二つの異なる集団を構成している。そこで興味あることは、筆者の考察によれば、社会によって資格と場のいずれかの機能を優先したり、両者が互いに匹敵する機能をもっている場合があることである。

 この機能のあり方は、その社会の人々の社会的認識における価値観に密接な相関関係をもっている。そして、そこにその社会の構造を端的に考察することができる。この点においても最も極端な対照を示しているのは、日本とインドの社会であろう。

 すなわち、日本人の集団意識は非常に()におかれており、インドでは反対に資格(最も象徴的にあらわれているのはカースト――基本的に職業・身分による社会集団――である)におかれている。インドの社会については本論で述べる余地がないが、社会人類学の構造分析のフィールドとして、日本とインドほど理論的アンチテーゼを示す社会の例は、ちょっと世界中にないように思われる。この意味ではシナやヨーロッパの諸社会などは、いずれも、これほど極端なものではなく、その中間(どちらかといえば、インドより)に位するように思われる。

   <2> 「場」を強調する日本の社会 P.31

職種より会社名

 さて、本論であるが、()を強調する日本の社会集団のあり方の分析にはいろう。

 日本人が外に向って(他人に対して)自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者であるとか、エンジニアであるということよりも、、まずA社、S社ということがまず第一であり、それから記者であるか、印刷工であるか、またエンジニアであるか、事務員であるか、ということである。

 実際、xxテレビの者です、というので、プロデューサーか、カメラマンであると思っていたら、運転手だったりしたなどということがある。(このごろの日本では、みんな背広を着ているので、一見しただけではちょっとわからない場合が多い)。

 ここで、はっきりいえることは、()、すなわち会社とか大学とかいう()が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっているということであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくるということである。

 この集団認識のあり方は、日本人が自分の属する職場、会社とか官庁、学校などを「ウチの」、相手のそれを「オタクの」などという表現を使うことにもあらわれている。

 この表現によく象徴されているように、「会社」は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。

 A社は株主のものではなく、われわれのものという論法がここにあるのである。この強い素朴(ネイテイブ)な論法の前には、いかなる近代法といえども現実に譲歩せざるをえないという、きわめて日本的な文化的特殊性がみられる。

代表は生活共同体としての家 P.33

 この日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識のあり方は、そして日本の社会津津浦々まで浸透している普遍的な「イエ」(家)の概念に明確に代表されている。

「家」については、従来法学者や社会学者によって「家制度」の名のもとにずいぶん論ぜられてきた。そして近代化に伴って、特に新憲法によって「家」がなくなったと信じられている。こうした立場は「家」というものを、特に封建的な道徳規範などと結びつけたイデオロギー的見地から論じたものであって、その社会的集団としての本質的構造についてはかならずしも十分考察されていない。

 筆者の立場からすれば「家」を構成する最も基本的な要素は、家をついだ長男の夫婦が老夫婦とともに居住するという形式、あるいは家長権の存在云々という権力構造ではなく、「家」というものは、生活共同体であり、農業の場合などをとれば経営体であって、それを構成する「家成員」(多くの場合、家長の家族成員からなるが、家族成員以外の者も含みうる)によってできている、明確な社会集団の単位であるということである。すなわち居住(ゝゝ)(共同生活)あるいは(そして)経営(ゝゝ)体という()の設定によって構成される社会集団の一つである。

兄弟より重要な嫁の存在 P.34

 ここで重要なことは、この「家」集団内における人間関係というのが、他のあらゆる人間関係に優先して、認識されているということである。

 すなわち、他家に嫁いだ血をわけた自分の娘、姉妹たちよりも、よそからはいってきた妻、嫁というのが比較にならないほどの重要性をもち、同じ兄弟ですら、いったん別の家を構えた場合、他家の者という認識をもち、一方、全くの他人であった養子は、「家の者」として自己にとって、他家の兄弟よりも重要な者となる。兄弟姉妹関係(同じ両親から生まれたという資格の共有性にもとづく関係)の強い機能が死ぬまでつづくインドの社会などと比べて、驚くほど違っている。

 理論的に、兄弟姉妹の機能が強ければ強いほど、「家」(居住体としての)社会的独立性は弱くなるのであり、実際にも、インドでは日本にみられるような「家」制度は全く発達していないのである(いうまでもなく、日本にみられる婿養子制などというものはヒンドゥ社会には存在しない。ヨーロッパにおいても同様である)。すなわち資格(ゝゝ)による(同じ血縁による者とそうでない者とにははっきり分離した)集団構成力が()による集団構成力に強く対抗しているのである。

「家」の構造に明確に表れているこの()による機能集団構成原理というものは、理論的に当然資格を異にする構成員を含む可能性をもち、またそれが現実的に普通みられるのである。全く血のつながりのない他人を後継者、相続者として迎えるばかりでなく、奉公人や番頭が「家」成員を堂々と構成し、家長の家族成員同様の取り扱いを受ける場合が非常に多かったのである。番頭を娘の夫として(婿養子として)家を継がせるなど、全くこうした考え方を前提としなければできないことである。

※参考:柏屋三右衛門の家系。

 日本における社会集団構成の原理は、このように、「家」に集約的にみられ、日本の全人口(少なくとも江戸中期以降いかなる農村においても)に、共通して「家」がみられることは、日本の社会構造の特色として、枠設定による集団構成というものがとらえられるのである。

「枠」集団としての一族郎党 P.36

「家」よりも大きい集団としては、中世期的な「家」によって表現される集団がある。この表現によってあらわされる集団構成のあり方は、筆者の提出している()による集団のあり方を全くよく反映している。

 すなわち、一族(同じ血統、あるいは家系につながる者)と郎党とに分けるものではなく、一族・郎党一丸となって一つの社会集団を構成しているのである。そしてその間にはしばしば婚姻も結ばれ、現実的にも、その差は不明確なほど両社は密着している。「家」における家族成員と番頭・奉公人のあり方と同じである。

 さらに、こうした「家」「一族郎党」を構成した人々は、近代社会にはいると「国鉄一家」的集団を構成する。組合は職員・労働者ともに包含し、労使協調が叫ばれる。家制度が崩壊しといわれる今日なお、「家族ぐるみ」などといわれるように、個人は常に家族の一員として、また、従業員の家族は従業員とともに一単位として認識される傾向が強い。

 このような「枠」単位の社会的集団認識のあり方は、いつの時代においても、道徳的スローガンによって強調され、そのスローガンは、伝統的な道徳的正当性と、社会集団における構造的妥当性によってささえられ、実行の可能性を強く内包しているのである。

   <3> 成員の全面的参加 P.37

「枠」集団を強化する二つの方法   

 枠の設定によって共通の場を基盤として構成される社会的集団が、資格を異にするものを内包する結果となることは、前節によって明らかなところである。そこで次に問題となるのは、このように異なる資格をもつ者から構成される集団が強い機能をもつ場合、集団結集力を導き出す何らかの方法が必ず講ぜられなければならないということである。

 集団が資格の共通性によって構成されている場合、その同質性(ゝゝゝ)によって、何らの方法を加えなくとも、集団が構成されうるものであり、それ自体明確な排他性をもちうるものである。もちろん、さまざまな条件が加えられることによって、その機能の強弱は論ぜられようが、集団構成のの基盤に、その構成員の同質性自体が大いにものをいうのであって、条件は二義的なものとなる。

 同質性を有せざる者が()によって集団を構成する場合は、その原初形態は単なる群れ(ゝゝ)であり、寄り合い世帯で、それ自体社会集団構成の要件をもたないものである。

 これが社会集団となるためには、強力な恒久的な枠――たとえば居住あるいは(そして)経済的要素による「家」とか「部落」とか、企業組織、官僚組織などという外的な条件――を必要とする。そしてさらに、この枠をいっそう強化させ、集団としての機能をより強くするために、理論的にもまた経験的にも二つの方法がある。

 一つはこの枠内の成員に一体感(ゝゝゝ)をもたせる働きかけであり、もう一つは集団内の個々人を結ぶ内部組織を生成させ、それを強化することである。この両者は経験的にみて、並行し、重なりあって進められており、実際には共通の運動法則となっているが、論述の都合上、一応分けて考察する。ここでは、まず一体感(ゝゝゝ)について論じ、さらに第5章において内部組織について詳しく論ずることにする。

「枠」の中だけが生活の全部に P.39

 資格の異なる者に同一集団成員としての認識、そしてその妥当性をもたせる方法としては、外部に対して、「われわれ」というグループ意識の強調で、それは外にある同様なグループに対する対抗意識であって(これに関しては、本章<5>、ならびに第4章の論述において詳しく展開する)。そして内部的には「同じグループ成員」という情的な結びつき(ゝゝゝゝゝゝゝ)をもつことである。資格の差別は理性的なものであるから、それを越えるために感情的(エモーショナル)なアプローチが使われる。

 この感情的なアプローチの招来するものは、たえざる人間接触であり、これは往々にしてパーソナルなあらゆる分野(公私をとわず)に人間関係が侵入してくる可能性をもっている。

 したがって、個人の行動ばかりでなく、思想、考え方にまで、集団の力がはいり込んでくる。こうなると、どこまでが社会生活(公の)で、どこからが私生活なのか区別がつかなくなるという事態させ、往々にして出てくるのである。これを個人の尊厳を侵す危険性として受けとる者もある一方、徹底した仲間意識に安定感をもつ者もある。要は後者のほうが強いということであろう。

 自分の家庭のこと、恋愛のことなどを同僚に語る者が日本人にはいかに多いか、部落内の結婚、職場結婚というものがいかに多いか、また会社の慰安旅行に家族が参加したりすることなど、こうしたことを物語っている。これは同時に、部落とか職場を除いて、自分の社会生活の場をもっていないという、生活圏といおうか、社会的場の単純性・単一性(一方的所属)からくるものである。そしてあらゆる個人の問題はその枠の中においてのみ解決されなければならない。

対照的な日本の嫁とインドの嫁 P.40

 まず、この種の集団のあり方の原型は、前節であげた日本のいわゆる「家」を例に求めることができる。例えば嫁姑の問題は「家」の中のみで解決されなければならず、いびられた嫁は自分の親兄弟、親類、近隣の人々から援助を受けることなく、孤軍奮闘しなければならない。

 インドの農村では(筆者が調査中に非常に印象深く感じたのであるが)、長期間の里帰りが可能であるばかりではなく、常に兄弟が訪問してくれ、何かと援助を受けるし、嫁姑の喧嘩は全くはなばなしく大声でやり合い、隣近所にまる聞こえて、それを聞いて、近隣の(同一カーストの)嫁や姑が応援に来てくれる。他村から嫁入りして来た嫁さん同士の助け合いは全く日本の女性にとっては想像もつかないもので羨ましいものである。

 こんなことにもいわゆる資格(嫁さんという)を同じくする者の社会的機能が発揮され、家という枠に交錯して機能しているのである。日本では反対に、「子供の喧嘩に親がでる」のであって、後に詳しく述べるように、全く反対の志向が存するのである。

家長権の実体は「家」のもつ結束力 P.41

 インドでは。家族生活をするうえで、その成員、個々人の地位(ステータス)によって、ずいぶんいろいろな規制があるが(たとえば、妻は夫の兄・父に対して直接顔を見せたり、話をしてはいけないというような)、それらはみな個々人の行動に関するものであり、またその規則は各家によって異なるものでははなく、社会全体(詳は各カースト成員間)に共通するものである。

 そして、各家のしきたりによってその成員がしばられるという度合いは、日本の「家」のそれと比べるとずっと少ない。考え方とか思想となると、家族成員でも非常に個性が強く、自由なのは驚くほどである。

 夫唱婦随とか夫婦一体という道徳的思想はあくまで日本的なものであり、集団の一体感(ゝゝゝ)の強調のよいあらわれである。

 従来のいわゆる家制度の特色とされてきたような家長権というものは、家成員の行動、思想、考え方に及ぶという点で、インドの家長権より、はるかに強力な力を発揮しうる性質のものであったといえよう。近代化に伴って、特に戦後、「家」制度というものが封建的な悪徳とされ、近代化をはばむものであったと考えられている根底には、こうした家長権無限な浸透による悪用があったことが指摘できるのである。

 しかし、ここでつけ加えておきたいことは、実際は家長個人の権力と考えらがちであったが、実は「家」という社会的集団のグールプとしての結束力が成員個々人を心身ともにしばりつけていたといえることである。

なぜ「家」が悪徳であり仇であるか P.43

 インドの家族制度とというものが、その社会の近代化にあって、経済的、道徳的に個人にじゃますることはあっても、個人の思想とか考え方については全く開放的であるためか、日本人が、伝統的ないわゆる「家」制度というものを目のかたきのよぷにしているのに対し、インドの家族制度は、インド人にとって悪徳でもなく、仇にもなっていないのである。

 日本に長く留学していたインド人が、筆者に不思議そうに質ねたことがある。

「日本人はなぜちょっとしたことをするのにも、いちいち人と相談したり、寄り合ってきめなければならないのだろう。インドでは、家族成員としては(他の集団成員としても同様であるが)必ず明確な規則(ルール)があって(何も家長やその成員と相談する必要はない)、その規則外のことは個人の自由にできることであり、どうしてもその規則にもとるような場合だけしか相談することはないのに。」

 これによってもよくわかるように、ルールというものが、社会的に抽象化された明確な形をとっており(日本のように個別的、具体的なものでなく)、「家」単位というような個別制が強くなく、また、家族成員の集団参加が、日本人の「家」にみられるような全面的参加ではなく、居住(または財産共有体としての)家族というものは、「家」のように閉ざされた世界ではなく、個人は家の外につながる社会的ネットワーク(血縁につながるとい同資格者の間につくられている)によって強く結ばれているのである。

   <4> 家族ぐるみの雇用関係 P.44

「丸抱え」は大企業ほど顕著

 日本の「家」にあらわれている集団としての特色は、また大企業を社会集団としてみた場合にもみられるのである。すなわち、終身雇用制によって、仕事を中心とした従業員による封鎖的な社会集団が構成される(新規採用者はちょうど新しく生まれた家族成員、あるいは新たに婿入りをして加わった者の位置に立っている)ばかりでなく、社宅生活、従業員家族慰安会、結婚、出産、慶祝金、弔慰金の制度などをみてもわかるように、従業員の私生活、すなわち、家族にまで会社の機能が及んでいる。

 そして興味あるかとは、この方向は、最も先端をゆく大企業ほど、また、近代的とか先進的とかいわれる経営にきわめて顕著にみられることである。

 明治以来、現在にいたるまで、日本の経営管理に一貫してみられるのは、いわゆる「企業は()なり」の立場で、経営者と従業員は仕事を媒介して

契約(コントラクト)関係を結ぶというより、よく経営者の言葉にあらわれているように、経営者と従業員とは「縁あって結ばれた仲」であり、それは夫婦関係に匹敵できる()()との結びつきと解されている。

 したがって、従業員は家族の一員であり「丸抱え」という表現にもあるように、仕事ではなく人を抱えるのであるから、当然その付属物である従業員の家族がはいってくる。したがって日本の企業の社会的集団の特色は、それ自体が「家族的」であることと、従業員の私生活に及ぶ(家族が外延的にはいってくる)という二点にある。後者は前者の当然の結果として出てくる。  

嫁の立場そっくりの従業員 P.46

 私生活にまで及ぶということは、従業員の考え方・思想・行動を規制してくるものであり、「家」における家族成員(正確には家成員)のあり方と軌を一にしてくるのである。そして注目すべきことは、この方向は明治・大正・戦時・戦後を通じて一貫して、経営者(および施政者)によって意識的に強調され、そしてそれが常に成果をおさめ、成功してきた(ゝゝゝゝゝゝ)という事実である。

 例えば、明治四十二年、後藤新平総裁の提唱した「国鉄一家」、戦争中の産業報国会の精神(「工場は生産を以て皇国勤労の本旨を実践する道場なり。これを護る者は勤労者の団結なり。宜しく上下相扶け左右協同し、一家の親和(ゝゝゝゝゝ)を以て苦楽を共にし、云々」昭和二十年二月、軍需厚生省編『勤労規範草案』より)、さらに現在よく問題とされている「愛社精神」「新家族主義」など。

 近代的とか先進的とかいわれる経営では「愛社精神」を真正面から吹き込むというよりは、「愛社心が旺盛であるかどうかは事務管理のバロメーターである」というように、経営方針の結果として、それを望むのであるらしいが、「社を愛せよ」というのと、「愛社精神くたばれ」などと、反対ともみえる異なる表現(ゝゝ)を使ったりするだけで、その意図(ゝゝ)するところは結局従業員の全人格的)なエモーショナルな参加にあることは疑う余地のないところである。

 さらに戦後飛躍的発展をした労働組合までが、職員・工場労働者などあらゆる資格・職種の異なる構成員を網羅し、企業単位(ある見方をすれば、社長のいない産業報国会といわれるような)に成立していることなど注目すべきである。

 こうして企業体に働く者は、好むと好まざるを問わず、その集団にいつづけることとなり(戦前は一方的に首にされることはあったが)、他の会社に移りたくとも、そのルートがない(たとえ年功序列賃金制がないとしても)。すなわち職種別組合(クラフト・ユニオン)的な「ヨ}」の同類とのつながりがないから、情報もはいらないし、同類の援助もえられない(ちょうど、嫁いででてきた日本の嫁の立場に似ている)。

一体感と孤立性を促進する家風・社風 P.47

 農村の封鎖性ということはしばしばいわれてきたのであるが、筆者の観点からすれば、都市における企業体を社会集団としてみると、基本的な人間関係のあり方、集団の質が非常に似ていることが指摘できるのである。農村自体についても他の社会の農村於あり方比べて、日本農村の部落の孤立性、部落が集団として、個々の成員を束縛する度合いが非常に強いことが指摘できるのである(村八分などということがありうる点でも、そのよい例である)。

 エモーショナルな全面的な個々人の集団参加を基盤として強調され、また強要される集団於一体感というものは、それ自体閉ざされた世界を形成し、強い孤立性を結果するものである。ここに必然的に家()とか社()とかいうものが醸成される。そして、これはまた、集団結束、一体感をもり立てる旗印となって強調され、いっそう集団化が促進される。

 一体感によって養成される枠の強固さ、集団の孤立性は、同時に、枠の外にある同一資格者の間に溝をつくり、一方、枠の中にある資格の異なる者の間の距離をちぢめ、資格による同類集団の機能を麻痺させる役割をなす。すなわち、こうした社会組織にあっては、社会に安定性があればあるほど同類意識は希薄となり一方「ウチの者」「ヨソ者」の差別意識が正面に打ち出されてくる。

   <5> 「ウチの者」「ヨソ者」意識 P.48

「ウチの者以外は人間にあらず」の感

「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、まるで「ウチの」者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人間が、親しい知人(特に職場で自分より上の)に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽な姿がみられるのである。

 実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して冷たい態度をとる。相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり「ヨソ者」に対する非礼が大っぴらになるのが常である。この態度が慣習的となって極端にあらわれる例は、離島といわれるような島の人たちや、山間僻地にある部落や特殊な職業をもつ部落の人たちなどに往々にして示される、冷たさ、軽蔑、疎外の態度である。自分たちの世界以外の者に対しては、敵意に似た冷たささえもつのである。

 インドには、「アンタッチャブル」(不可触選民)といわれる下層グループがあるが、他のカーストの人たちと、この特殊な人たちとの間の関係にさえ、日本人の「ヨソ者」に対するような一種の緊張関係、ひどい感情的差別の誇示はない。

 インドには、このような特殊グループばかりでなく、衆知のようにたくさんの異なるカースト集団が存在するが、自分の属する集団以外の人々に対するインド人の態度は、日本人の「ヨソ者」に対する態度とは違って、もっとずっとしぜんである。そこにあるのは「故意(ゝゝ)に差別する」という態度ではなく、「無関心」である。

 インド人にとっては、「ウチ」「ソト」という全く異なる二つの世界の区別ではなく、A・B・C・D……といろいろある設定のうち、自分はたまたまAであり、相手はBであるというとらえ方である。すなわち、インド人の社会学的世界の認識は、「ウチ」と「ソト」ではなく、内容は異なるが同じようなウエイトをもったいくつかの集団A・B・C・Dがあって、それらが全体で一つの社会を形成するというとらえ方である。

所感:現在の首相ナレンドラ・モディの対ロ、また日本と米国、オーストラリア、インド(クアッド:QUAD)4カ国首脳は9月21日、米国デラウェア州ウィルミントンで首脳会合を実施し、共同声明を発表した(日本側発表外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます、米国側発表外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。クアッド首脳会合の対面開催は2023年5月に続いて4回目。をどう見るのか。

 さらに、ここで重要なことは、AとBがそれぞれ明確に一定の資格(ゝゝ)による集団であるため、グループの性質、内容が全く異なるものであるたに、なにも故意(ゝゝ)に行動によって区別する必要もない、ということである。日本社会は、全体的にみて非常に単一性が強い上に、集団が()によってできているので、枠を常にはっきりしておかねば――集団成員が自分たちに、常に他とはちがうんだということを強調しなければ――他との区別がなくなりやすい。そのために、日本のグループはしらずしらず強い「ウチの者」「ヨソ者」意識を強めることになってしまう、という集団構成の質のあり方が問題であろう。

 この志向があまりに強調されるために、日本人にとっては、「ウチ」がすべての世界となってしまうのに対して、インド人の場合は、自分たちの集団は、全体の中の一つであるという余裕のある認識をもちうるものと思われる。2025.01.22記す。

「ヨソ者」意識が生む非社交性

 この社会的な認識の相違は、日本人同士、インド人同士の接触のあり方にもはっきりあらわれている。たとえば、外国滞在の経験をもつものなら誰でも思い起こすことができよう。日本人同士が偶然外国で居合わせたときに起こる、「冷たさ」を通り越した「いがみ合い」に似たあの「敵意」に満ちたような視線のやりとりは、全くお互いにやりきれないことだ。

 これを私なりに分析すると、知らない人はすべて「ヨソ者」で、「ヨソ者」とは知的にも情的にも交流した経験のない不安定さが、自分をいらだたせ、それが異人種の中で生活する孤独さの中で、突然言葉の通ずる同類を発見したという驚きと混合して、その自己の弱みをカバーするためにつくられた虚勢ではないかと思われるのである。

 こうして日本人の行動というものは、日本社会のあり方と密接につながっていると考えられるのである。

 この例によって浮き彫りされた日本人の姿というものは、俗的に表現すれば「社交性の欠如」に尽くされる。こんなとき、全く同じ条件におかれたインド人や中国人がどのように振舞うかをよく観察してみるといい。何とスムーズに如才なくいくことか!

 インド人や中国人にとっては、実際に知らない人々の中に常に「見えないネットワーク」によって結ばれている人々がいるという大前提がある。それは、同一血縁の者か同業者か、何らかの同一資格によって結ばれる人々である。知らないからといって日本人のように、「ヨソ者」とは限らないのである。

枠社会には社交性を育てる場はない

 もう一つ違うところは、日本人の場合でも、たとえ知らなくても同一集団、同類集団に属しているかもしれないが、しかし知らない(ゝゝゝゝ)ような場合は、たとえそうした関係が設定できても、その関係からはまず大した期待をもつことができないということである。インド人や中国人の場合のように、ネットワークが設定できても、それは十分に機能しえないのである。

 その人間関係は、ネットワークの部分としてとらえられず、「あいつは好感がもてるとか」とか「いやなやつだ」というように、直接的な感情にまず還元され、すべてその次に事が運ばれるのである。

 社交性の欠如は、こうした社会全体の仕組み、基本的な人間関係のあり方につながるのであるが、特に強調したいのは、前述した枠による集団の構成のあり方からは、およそ社交性というものを育てる場がないことである。

 すなわち、社交性とは、いろいろ異なる個々人に接した場合、如才なく振舞いうることであるが、一体感を目標としている集団内部にあっては、個人は鋳型にはめられているようなもので、好むと好まざるにかかわらず接触を余儀なくさせられ、個人は、集団の目的・意図に、よりかかっていれば社会的安定性がえられるのであり、仲間は知りつくしているのであり、社交などというものの機能的存在価値はあまりないのである。

 同様に「他流試合」の楽しさとか、きびしさもなく一生を終わってしまうというおおぜいの人間が生産される。個性とか個人とかいうものは埋没されないまでも、少なくとも、発展する可能性はきわめて低くなっている。

あらゆる分野に田舎っぺ的傾向

 このようにして生産され、教育(社会的な意味で)される人間関係の特色は、地域(ローカル)性が強く、直接接触的(タンジブル)であるということである。

 地域(ローカリズム)性が強いということは、その集団ごとに特殊性が強いということと、一定の集団構成員の生活圏がせまく、その集団内に限定される傾向が強いということである。(「地域性」という日本語より英語の local がよくあてはまる。地理的な意味に限定せず、社会的な意味につかう。感覚としては「田舎っぺ」という表現がよく当たる。すなわち、自分たちの世界以外のことをあまり知らない、あるいは、他の世界の存在をあまり知らず、それになれていないということである)。

 この地域性はあらゆる分野に共通してみられる。派閥集団を形成している政治家は、自分たちだけで他の派閥内のことがよくわからず、政治記者が他の派閥の情報提供者であったりする。学者知識人はグループを常に構成し、その中で独特な発想法や用語を使用して、第三者や他のグループとは同じ分野の専門でありながら、さっぱり意志が疎通せず、ディスカッションが不可能だったりする。同じ日本人でもよくわからないのであるから、国際性のないことはおびただしい。

   <6> 直接接触的な人間関係 P.56

人間関係の強弱は、接触の長さ、激しさに この章から「化け字」がない通常の書体を使用。

 ローカルであるということは、直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びついている。

 前述のごとく、集団構成員の異質性からくる不安定さを克服するために、集団意識を常に高揚しなければならない。そしてそれは多分に情的に訴えられるものであるから、人と人との直接接触を必要とし、またその炎をたやさないためには、その接触を維持しなければならない。

 事実、日本社会における、人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例しがちである。そしてその要素こそが、往々にして、集団の個人の位置づけを決定する重要な要因となっているのである。日本のいかなる社会集団にあっても「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置づけられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。

 年功序列制というのは、勤続年数に応じて、地位や賃金体系が設定されている明確な制度であるが、このように制度化されなくとも、日本のどのような分野における社会集団においても、入団してからの年数というものが、その集団内における個人の位置・発言権・権力行使に大きく影響しているのが常である。いいかえれば、個人の集団成員との実際の接触の長さ自体が個人の社会的資本となっているのである。しかし、その資本は他の集団に転用できないものであるから、集団をAからBに変わるということは、個人にとって非常な損失となる。

 たとえ、Aの会社からBの会社に移り、地位・給料が同じか、あるいはそれ以上のものであって、実質的な損失がない場合においても、社会的損失は相当あるといえよう。極端な例としては、部下との間がうまくいかなかったり、同僚から浮き上がってしまい、仕事がしにくくなるというような、日本人としてたえられないような不快さをあじわされることなどである。

 実際の直接接触の長さというものが、大きな役割をもつ日本的集団のあり方を素地としてこそ、現在の日本の俸給生活者を支配しているような極端な年功序列制の発達がうなずけるし、また、近代的経営、能力主義などというものが叫ばれいるにもかかわらず、年功序列制の根強さが存在するということも首肯しうるのである。

※私見:会社に勤めているとき、したしい一年入社がはやかった人が定年寸前に他の会社に移った。一年足らずで「気風が合わない」といって辞められた。

象徴的なことば「去る者は日々に疎し」

 直接接触の機能は、その期間の絶対的長短とともに、その現実的な持続性が問題となる。集団成員などと大げさな用語をもってくるまでもなく、友人・知人・親類といった人たちとの間でも、ある期間ゆききしなかったり、音信の交換がないと疎遠になることが多い。一定の親し人々に「ご無沙汰をする」ということは、(相手の期待を裏切り)たいへん失礼なこととされている。そして実際、長い間接触しないで突然会ったりすると、どうもチグハグな気持ちができてしまって、かつての親交関係になかなかはいることができなかったりする。

 このような日本的人間関係に比べて、中国人・イギリス人・インド人などの場合はずいぶん違う。五年も十年も音信不通でありながら、昨日別れたばかりのような再会の感激をもつことができるのである(これは、私の限られた経験であるが、多くの経験者の賛同をうるところであろう)。彼らにとっては、いったん設定された親交というものは、その後の実際の接触の有無にかかわらず存続しうるのである。

 日本人の場合、同じ集団に属していてさえも、物理的に遠隔の場にたつということはマイナスを招くことが多い。今まで東京に仕事の場をもっていた者にとって、東京を離れるということは、地理的に東京を離れるということのみでなく、仲間から社会的に遠くなるという悲哀をもつものである。「去る者は日々に疎し」とは、全く日本的な人間関係を象徴しており、「水盃(みずさかずき)」のもつ悲壮感はここから生まれる。社会生活をする個人にとって頼りになる者は、同じ仕事の仲間であり、日々実際に接触している人々である。

 あらゆる職業を通じて、外国にいる日本人の便りなさ、寂しさ、いらだたしさなどは、ちょっと他に類がないほどである。「忘れられてしまうのではないか。」「やつはひょっとすると、うまくやってもう昇進しているかもしれない。」などと、異国にいて流刑者のごときやるせさを味わう。そして、少しでも仲間から離れないように、せつせと手紙を書き送る。

 しかし日本にいる者にとっては、「日々に疎し」であるから、次第に返事は少なくなり、ついには仕事以外の連絡はなくなってしまう。千秋の思いで「帰国命令」を待ちわびる。やっとうれしい帰国がかなえられて、もとの職場に帰るが、一定の期間どうもしっくりいかない。熱帯にやられた場合など、これが「南方ボケ」というレッテルのもとに笑い者とされる。あきらかな社会的マイナスである。

※私見:日本の大学勤務から外国に留学している人たちも外国に長くいると日本の大学から忘れられたりしないかと思うようになるという。2025.01.23 記す。

いったん離れてしまえばもうおしまい

 このような日本人の集団参加のあり方に対して、資格(ゝゝ)において集団が構成されている場合には、個人の生活の場とか、仕事の場のいかんにかかわらず、空間的・時間的な距離をこえて、集団はネットワークによって保持される可能性をもっている。

 外国に滞在しているインド人・中国人・ヨーロッパ人たちが現地において、ゆうゆうとして仕事をし、落ち着いた生活をしているのは、実にこのネットワークの存在にあるのである。

 日本人の場合、このネットワークが往々にして弱く、頼りにならないのである。この事実は、あらゆる分野において、いったん自分の集団を離れ、再び帰って来た者たちが身にしみて味わされる悲劇に遺憾なく発揮されている。農村の場合も例外ではない。

 日本では、自分の村を離れ、他の地に長く滞在した者にとって、再び村人になるということは非常な社会的抵抗がある。自分の父が生存していれば、まだいいが、兄弟・甥の代になってしまっている故郷の家というものは、寂しいものである。

 これは、ハワイやブラジルの移民の帰郷の悲劇によくあらわれている。現地で艱難辛苦の開拓時代をへて、片時も忘れたことのない故郷に、久しぶりに、なつかしさに胸をふくらませて帰ってくる彼らを待ち受けているものは、よそよそしい村人の態度である。

「あの方も、もう亡くなられてね、あなたのことをよく知っている人は誰だろうか。とにかく、時代も変わってしまいましたからね――」などと。

 昔から、いったん長く村を離れた者が、もう一度村に住みつくようになるということは、決して歓迎されることではない。少なくとも、昔日のようなしっくりした人間関係を村人との間に設定することはほとんど不可能に近い。

 これに対して、インドの農村の場合はたいへん事情が異なっている。祖父の代にアフリカに移民した者が帰郷した場合ですら、彼らは堂々と実質的村民権をその日から獲得できる。父系につながる従兄弟や甥・叔父たちは、たとえ彼の顔をはじめて見たとしても、その血縁関係が立証されれば、たちまち、一族の者として迎え、彼は祖父の代の村民生活を支障なく復元することができるのである。

※私見:故郷を離れて75年。「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」は、詩人・室生犀星(むろおさいせい)の詩「小景異情(しょうけいいじょう)」の冒頭の句である。東京での仕事や生活がままならず故郷の金沢に帰省するが、必ずしも温かく受け入れてもらえず異郷の地で暮らすことを決意した犀星の悲哀を表現したものと言われている。故郷を離れ異郷の地で暮らす方々にとって、「ふるさと」への思いはさまざまだが、望郷の念は誰もが持っておられるのではないか。

外国在住日本人コミュニティの特異性

 日本社会では個人の生活が、集団から地理的に離れて、毎日顔をみることができないような状態におかれると、今述べたように、集団から疎外される結果を招きやすいが、反対に、地理的に接近し、顔を合わせるチャンスが多いと、否応なしに集団の中にくみ入れられやすく、いったんそうなると、集団成員として、他の社会にみられないほど個人は束縛(そくばく)される。

 この最もよい例は、外国における「日本人コミュニティ」である。言語・風俗・習慣も異なる土地において、同国人がコミュニティをつくり、お互いに助けあったり、連絡をたもったりするのは、何国人であってもむしろ自然な現象であるが、日本人コミュニティの場合、その成員の大部分が近代的な仕事をしている代表的日本のインテリにもかかわらず、昔の日本農村の部落によくみられる特殊性が遺憾なく発揮されている。

 背景となる現地の社会があまりに異なるので、こうした日本コミュニティというものは、まるで日本人集団というものを実験室で試験管に入れてみているように、その日本人的特色が明確に考察できるのである。

 そこでは、所属機関の日本社会における評価に従って格づけや、滞在期間の長短によって、成員間に一定の格づけができていること、いろいろなことがその寄り合いできめられること、その集団の常識をこえるような行動を個人がとった場合、強い道徳的批判がグールプから出される(特に、こうした場合の文句は「日本人の恥だ」という表現である)こと、個人の生活にお互いが異常なほどの興味をもち、好きでも、いがみ会っていても、みな常に接触していることである。

 この点においても日本人にとって、日々の生活の場、仕事の場というものが、事実上の集団構成にいかに強い要因となっているかがよくわかるのである。

   <7> 単一社会 P.64

頼りになる所属集団はただ一つ

 さらに注目すべきことは、こうした日本人コミュニティというものが、現地の社会(それがアジア・西欧であることをとわず)からひどく浮き上がっていることである。

 これは決して、日本人が外国語が下手だからというような単純な理由からではなく、日本人の社会集団のあり方が、他の社会のそれと、構造的に異質なものであるからと思われる。

 この異質性の大きな原因となっているものは、日本人の社会集団というものが、個人に全面参加を要求するということである。事実、日本人コミュニティの成員としても百パーセント認められ、一方、現地の外国人たちと密接な社会関係(友人関係)をもちつづけるということは、日本人にとってはたいへんむつかしいことである。多くの場合、現地の人々と親しく交わる日本人は、日本人コミュニティから遠ざかったり、脱落したりしている。

 こうした現象は、何もこのような外国にあるという特殊条件をとらなくても、日本人社会おいても、二つ以上の集団に同様なウエイトをもって属するということは非常に困難である。もちろん個人として二つ以上の集団に属しているのが普通であるが重要なことは、必ずそのいずれか一つ優先的に所属しているのが明確にあり、あとは第二義的な所属で、また、自他ともにそれが明瞭になっているということである。

 この第二義的な所属は、第一の所属と質的に異なるものである。たとえば、第一所属がダメになった場合は、個人にとって致命的であり、その場合、第二所属をもっていてもほとんど大した役にたちえないのが普通である。したがって、構造的には集団所属はただ一つということになる。

潔癖性よりも場による集団構成に由来

 これに対照的なものとして中国人の場合があげられよう。彼らは、二つ以上(ときには相反するような集団)に属し、いずれがより重要かはきめられない。実際、優先するほうが、ときどきによって異なり、全体としていずれも同じように重要に機能している。

 しかし、それぞれ機能の異なるものであるから、中国人の頭の中では、二つ以上に同時に属していることは、少しも矛盾ではなく、当然という考えにたっている。

 日本人にとっては、「あいつ、あつちにも通じてやがるんだ。」ということになり、それは道徳的な非難を浴びている。この見方を日本人は潔癖だからなどといって得意になるのが、またいかにも日本人的である。

 こうした日本人的一方所属というのは、世界でもまことに珍しい。イギリス人も、イタリア人もみな、どちらかといえば中国人的複線所属である。彼らにしてみれば、一本(単一の関係)しかもたないなどということは、保身術としては最低であるというわけである。

 保身術としての作戦はともかくとして、日本人の単一主義は、日本人の潔癖性などというものをとりあげて、相関関係を論ずるなどという単純な味方よりも、()による集団構成ということから考察するほうが、はるかに興味深く思われる。

複数の場への所属は不可能

 なぜならば、()によって個人が所属するとなると、現実的に個人は一つの集団にしか所属できないことになる。その()を離れれば、同時に、その集団外に出てしまうわけであり、個人は同時に二つ以上の場に自己をおくことは不可能である。

 これに対して、資格(ゝゝ)によれば、個人はいくつかの資格をもっているわけであるから、それぞれの資格によって、いろいろな集団に交錯して所属することが可能である。

ここで、機能を発揮するのはネットワークであり、()の場合における()に対照される。

 筆者が本論の副題に「単一社会」という用語を使用したのは、この日本人の単一な関係設定を抽象的にとらえたものである。個人の集団帰属が一方的であるばかりでなく、さらに個人と個人を結ぶ関係が一方的に設定されること。また、全社会ににおける諸集団のあり方も単一性が強く、その相互関係も一方的に設定されるということをも意味しており、これらについて次章以下詳しく論ずるところである。

3――「タテ」組織による序列の発達 P.69

   <1> 構造分析のカギ――「タテ」「ヨコ」の関係 P.70

「タテ」組織の象徴「親分・子分ヨコ」

 ()の共通性によって構成された集団は、前述のごとく、()によって閉ざされた世界を構成し、成員のエモーショナルな全面的参加により、一体感が醸成されて、集団として強い機能をもつようになるわけであるが、これが小集団であれば、特に個々の成員を結ぶ特定の組織といったものは必要ではないが、集団が大きい場合、あるいは大きくなった場合、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要であり、また、力学的にも必然的に組織ができるのである。

 この組織がまたおもしろいことには、日本のあらゆる社会集団に共通した構造がみられることである。筆者はこれを便宜的に「タテ」の組織と呼ぶ。

 理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。例えば、前者は「親子」であり、後者は「兄弟姉妹」関係である。また、上役・部下の関係に対する同僚関係も同様である。社会組織においては、両者いずれも重要な関係設定要因であるが、社会によって、そのどちらかがより機能をもつもの、また両者とも同等の機能をもつものがある。

 前章に述べた、資格の異なるものを包含する社会集団というものを前提とすれば、その構成員を結びつける方法として、理論的にも当然「タテ」の関係となる。すなわち、「タテ」の関係とは、同列におかれないA・Bを結ぶ関係である。これに対して「ヨコ」の関係は、同質のもの、あるいは同列に立つX・Yによって設定される。個々人に共通する一定の資格によって集団が構成される場合は、しなければできないことである。その同質性ゆえに「ヨコ」の関係が機能をもつ。

 この「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。

同等の身分・資格者にも必ず序列意識 P.71

 さて、日本にいおける社会集団構成のあり方から予測される「タテ」の関係は、実際に強調され、機能をもち、それが現実の集団構成員の結合の構造原理となると、たとえ同一集団の同一資格を有する者であってもそれが「タテ」の原理に影響されて、何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、いわゆる驚くほど精緻な序列が形成される。

 同じ実力と資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次・勤続期間の長短などによって差が生じ、同じ大学の教授であっても、発令の年月日によって序列ができ、また、かつての軍隊では、同じ将校といえども位官の違いによる差別は、驚くほど大きく、さらに同じ少尉であっても任官の順によって明確な序列ができていたという。同じく外交官といえども、例えば一等書記官と二等書記官の差は素人では想像できないほど大きく、さらに同期(外交官試験合格年次)であるとか、先輩・後輩の序列がある。 

 こうした例をあげればきりのないほどあるが、要するに、同じ資格、あるいは身分を有する者の間にあっても、常に序列による()が意識され、また実際にそれが存在するということは、その集団内の個々人にとっては、直接的な関心事であるゆえに、それが職種・身分・位階による相違以上の重要性をもちやすいのである。そして事実、先輩・後輩の序列は社会集団内において驚くほどの機能をもっている。

序列意識には能力主義もたじたじ P.73

 例えば。これは近代企業における能力主義の人事管理をはばむ一つの重要な要因となっている。従業員の序列というものは入社年次によって(学歴が同じであるということを前提としているが)普通きまるようである。これは、経営者側がつくるというよりは、従業員自体の意識によって設定されるといえよう。

 例えば、会社によっては、同年にはいった者たちが「同期生の会」というのをしばしばつくっている。これはいっそう会社内における先輩・後輩の序列をはっきりさせる役割をもち、年功序列をますます助長させる結果となっている。同期生の一人が抜擢されると、同期の者はすべて「あいつがなるんだったら、われわれだって(ゝゝゝゝゝゝゝ)」という気持にかり立てられ、大騒ぎになる。もちろん、自分より後輩が自分をとびこえたりしたら、たいへんなことになる。

 この驚くべき序列意識に対しては、会社側はたとえ近代的管理法といわれる能力主義を打ち出したとしても、たじたじとならざるをえない。筆者のみるところ、日本人の「オレだって」という意識は全く世界に類例をみないほど強く、自己に対する客観性をミニマムにしている。したがって、会社がどんなに客観的な方法を講じても、なかなか納得されるものではない(試験という方法を採用しているところもあるところもあるときくが、それなどはまずよい方法であろう)。

歴史のある大企業ほど強力な序列 P.73

 そこで、経営者側は、例えば同期の何人かをズルズルと、あまり差をつけず昇進させるというところに追いこまれる。課長は一人しかないのだから、課長代理、補佐とか、いろいろ不必要な細かい序列をつくって何とか処理する以外になくなる。

 比較的歴史のある大企業ほど、社会集団として安定性と密度が高いため、いっそうこの序列の力いうものがと強いといえよう。いいかえれば、中小企業や新しい企業ほど、年功序列賃金から能力給への転換がやりやすいといえよう。

 この序列(ゝゝ)の強さは職種の違いをこえるものであって、同期生意識は普通、職種はとわず貫かれている。これは雇用がはじめから職種別に行われず、白紙の状態で入社し、職種は会社側によってきめられ、普通同一個人が異なるいくつかの職種のコースを歩むためでもあろう。

 このように経営者側にも被雇用者側にも「職種」の制度が確立していないところに、いっそう「序列」というものが機能をもつ結果ともなっている。理論的に「ヨコ」(職種)と「タテ」(序列)は反比例の関係に立っているといえよう。

   <2> 序列偏重の背後関係 P.75

終身雇用制と根強い能力平等観 

 年功序列制は、いうまでもなく終身雇用制と密接な関係に立つもので、戦争中の非常時体制という特殊条件のもとにいっそう助長され、さらに戦後の組合運動(首切り反対)によって、いやが上にも徹底した形に発達したのであるが、明治以来の日本の近代化への歴史全体を通じて、(労働者の不足、過剰にかかわらず)年功序列制――終身雇用制への志向がみられる。

 ここ数年、アメリカ式能力主義への切り替えが叫ばれ、さまざまな提案、試みがなされているが、現実的には多くの困難をかかえている。

 いずこの社会においても、この年功序列制と能力制という二つの方法は、多かれ少なかれ存在し、組織として取り入れられているわけであるが、日本の場合、つねに前者に圧倒的な比重がかかり、バランスがいつもそちらにかかるという現象がみられる。

 組織としての年功序列の長所は、いったん雇用関係が設定されれば、その後、何ら変更・是正の処置を取る必要がないというシステマティックな運営にある。もちろん、この方法を取る前提には、個人の能力差というものをミニマムに考えるわけで、それは、せいぜい学歴差といった大ざっぱな枠によるわけである。

 能力主義をとる場合には、個々人の能力差を克明に判定する必要が生じ、それに対応するメカニズムが当然要求されるのであるが、日本社会においては、そうした判定法が雇用制度として存在しなかったばかりでなく、一般の人々の生活においても能力差に注目するという習慣は、ほかの諸社会に比べて非常に低調である。

 伝統的に日本人は「働き者」とか「なまけ者」というように、個人の努力差には注目するが、「誰でもやればできるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在している。

能力とは無関係の生年・入社年・学歴 P.76

 社会というものは、何らかの方法で人口が組織されなければならないわけで、こうした平等主義の社会が発達させた組織は、一定の方式による序列である。能力平等ということを前提にするために、その序列はむしろ個々人の能力自体と直接関係のないインディシスをとることになる。

 すなわち、それは生年とか、入社年・学歴年数ということになる。実際、日本社会において学歴が大きく取りあげられたり、また、それへの反発が異常なまでに強いということは、この根強い能力平等観に根ざしているといえよう。

 ある大企業の人事課の方が、能力主義導入方法について、いろいろ話し合っていたとき、日本でも学歴というものによって差をつけていたから、能力で判定していたことになる、といわれたことがあったが、学歴で一律に個人の能力を判定するということは能力主義というよりも反対に能力平等主義である。なぜなら、学歴で能力が違うということは、誰でも在学した一定年数分だけ能力をもつということになるから、個人の能力差を無視した考えである。また、在学するということはもちろん個人の能力発掘によい条件を与えるものであり、これを無視することも妥当ではない。

 学歴一律主義や極端な学歴反対主義は、いずれも能力平等観という本質的に同じ信念から生まれており、違った表現をとるのは、たまたまその主張者の条件・利害が相反しているからにすぎない。

 日本において、民主主義、社会主義がしばしば混乱を招く一つの原因は、社会主義の国々においてさえ認められている能力差を認めようとしない点にあるといえよう。

 この能力平等観にたてばたつほど、その結果として序列偏重に片よらざるをえない。そしてこの傾向は、すでに述べたように、集団構成の要因が、資格差よりも場の共有にあることによっていっそう助長されている。

 個人が組織化される場合、まず第一に、個々人の間に何らかの差を設定して分類することが必要条件となっている。その場合、能力差も資格差も十分インディシスとして取り上げることができなければ、序列による差ということになろう。これは、日本人の好みとか、特質というよりも、実に組織構成の方法として力学的な問題である。明らかに、能力平等観と序列偏重は相関関係にあるのである。

 能力と序列というインディシスは、いずれの社会にも、多かれ少なかれ潜在し、相補い、また相反するものであるが、このシーソー・ゲームでどちらに傾くかというところに、その社会組織の特色がみられるのである。2024.01.24 記す。

序列意識なしには暮らせない日常 P.79

 日本社会における根強い序列偏重は、年功序列制などという近代社会に発達した制度を取りあげるまでもなく、私たちの日常生活――長い伝統をもつ――においても遺憾なく発揮されている。

 第一に、私たちは序列の意識なしには席に着くこともできない(日本間のしつらえは、特に決定的な作用を果たしている)し、しゃべることもできない(敬語のデリケートな使用、発言の順序・量などに必然的に反映される)。

 日本ではどんな会合に招かれても(それが西洋式な部屋だとしても)、招いた側の集団の成員の序列は、一目瞭然であるのが普通である。招客のすぐ横が上座であり、入口の方が下座で、発言の順序・量・態度といったものが、驚くほどその座順を反映しているからである。

 そんなある会合で、

「わが社はほかと違って、アメリカ式の能力主義を採用し、民主的な経営をしています。」

なとと、上座にいる部長などが誇らしげにおっしゃり、課長・係長は、「いかにも、その通りで」などという反応を(それぞれのポストに応じたからだの動かし方で)されるので、私はおかしさを必死にこらえて、

「そうですね、アメリカの能力主義の日本版といったところを実現されているわけですね。もちろん相手はアメリカ人でなく、日本人ですから。」

と答えるのがせいいっぱいである。能力主義の適用をこんなに一生懸命に実行されているにもかかわらず、根強い序列意識から少しも逃れられないということは、日本的社会の序列組織の根強さを遺憾なく示しているものといえよう。本当に能力主義が実行されているとすれば、序列意識は後退しなければならないはずである。

個人の能力で活動する人たちでさえ P.80

 能力主義貫徹が、日本社会では、いかに困難なものであるかは、次の例によっても十分うなずかれるのである。会社のような組織体でなく、個人の能力で百パーセント活動できる作家や俳優のような職業に従事する人々のなかにまで、序列意識が根強くあることである。例えば、ある文学賞を授与されたある作家の言として、「受賞はうれしいが、先輩(ゝゝ)をさしおいて私のごときが受賞するのは……である。」という文句があったり、急に評判のよくなった俳優が、ギャラをもっと上げてくれ、という理由のなかに、自分の主演した映画が興行的に成功をおさめたという理由に加えて、自分より後輩のY(著名な女優)でさえ自分よりはるかに多いギャラをもらっているのだから、先輩の自分がもっと多いギャラを取るのは当然、というようなことをいっていることである。その他、芸能界における先輩・後輩、ボスの存在など他の日本の社会集団と軌を一にしているといえよう。この調子であるから、会社などで能力主義が貫徹できないのは当然であろう。

   <3> 中国・インド・チベットとの比較 P.82

日本人は意見の発表にまで序列意識 

 先にもふれたように、序列という基準は、いかなる社会にも存在している。しかし、日本以外の社会では、その基準が社会生活におけるあらゆる人間関係を支配するというほどの機能をもっていないことである。きわめて弾力性・限界性をもって、他の基準(例えば能力)に対して譲歩しうるのである。

 例えば、「長幼の序」の本家、中国をみると、長幼の序、あるいは地位の序というものは、社会秩序としてきわめて明瞭に礼節にささえられ、守られているが、個人の実力とか、ひいでた功績に対しては、いつでも序列を譲る用意がある。

 長幼の序では、AーBーCと置かれるが、ほかの場合には実力のよってC-B-Aと置かれたりする。条件とか、その時々の目的によって、一定の個人の序列が変わりうるのである。この事実は行動においても明瞭にみられる。

 中国人は常に年長の者に対して、象徴的にいえば、ニ、三歩さがった地点に自分をおくといったような行動において序列を示しているが、何か重要な決定を要する相談事となると、年長者に対しても一応堂々と自分の意見を披歴する。日本人のように、下の者が自分の考えを披歴する度合いにまで序列を守るということはない。

 これはインド人においても同様であり、また、意見の披歴という点では中国人以上に自由である。インドで私が最も驚いたことは、中国同様に敬老精神が強く、またカーストなどという驚くべき身分差があるにもかかわらず、若い人々や身分の低い人々が、年長者や、上の身分の人々に対して、目に見える行動においては、はっきりした序列をみせるが(決してタバコをすわないとか、着席しないとかいうように)、一方、堂々と反論できるということである。。

 日本では、これは口答えとして慎まなければならないし、序列を乱すものとして排斥される。日本では、表面的な行動ばかりでなく、思考・意見の発表なでにも序列意識が強く支配しているのである。

純粋な学問的討論ができない日本 P.84

 このことは、日本の学者の集りで、純粋に学問的な討論がなかなかできにくいことにも、よくあらわれている。その集りのなかに、先輩・後輩関係や師弟関係にある人々がいる場合、意見の発表がどうしても序列に影響される。このような極端な現象を私はほかの社会の学者の集りにみたことがない。

 諸社会のうちでも、日本の序列意識に最も近いと思われるチベット社会生活における席順の重要性や驚くべき敬語のデリケートな使用法によくあらわれている。しかし、私が感心したことは、学者(伝統的に僧侶であるが)の間の討論の場においては、完全にこの序列意識が放擲されることである。

 敬語は完全に姿を消し、発言の方法、応酬もまったく同列にたってなされ、そこには実力以外は」何も介在しなくなるのである。こうした討論の参加にはダライ・ラマでさえ、玉座を降り、他の学者と同列の座につく習慣となっている(これをのちに述べる日本の学会での討論のあり方と比較されたい)。註

   <4> イギリス・アメリカとの比較 P.85

奇異にうつる日本の序列意識

「タテ」の関係、いわゆる序列にあまり重きをおかない社会の人々にとっては、この日本的な意識はちょっと奇異にうつるものである。ちょうど日本人が、なぜインド人は変てこなカースト制などというものをもっているのだろうか、というのとおなじように。

 かつて私がロンドン大学で客員講師をしていた頃のことである。社会人類学の同僚とお茶を飲みながら談笑していたとき、ちょうどアメリカの大学の出張講義から帰ったばかりの教授が「そういえば、チエ、君も知ているという××教授(日本人)に会ったよ。」と私にいっておいて、一同を見まわし、「それがとてもおもしろかったんだ。僕は彼が民族学者だというので、ミス・ナカネとお知り合いですか、ときいたんだ。彼氏曰く『よく知っています。』、ところがその後でいうことがふるってるんだ」。そこでちょっと間をおいて、彼はいかにもいたずらそうにオチを次のようにつけたのである。「『しかし彼女は私の後輩()なんです!』と」。その時、話し手も聞き手も一度にどっと笑ったのである。

 その教授は自分の話の効果をいっそう確認するために、「全く、僕はステータス・ソサエティの人間というものをこの目でまざまざと見たってわけなんだ。いかにも日本人じゃないか。」と、つけ加えたのである。

※私見:私の知人がアメリカ・ノースカロライナアのデーユク大学へ「免疫学」の出張講義に行っている。2025.01.25 記す。

教師間、教師と学生間の人間関係 P.87

 この教授は、日本に行ったことはないし、日本人をほとんど知らないが、社会人類学者だけあって、そうした社会のあることを知っている。そして日本人の民族学者は、はからずも鋭く観察されてしまったのである。

 ところで、日本人のことをおかしいと思うイギリス人の人間関係を、日本人のそれと対比して観察してみよう。

 前述の会話のなかにもあらわれているように、私の経験によれば、ロンドン大学では、教授・助教授・講師は一括していわゆる「コリーグ」(同僚)であり、同じ科の同僚は、先輩・後輩の区別なく、ファースト・ネームで呼び合っている。彼らは第三者(学生など)のいる前では、プロフェサーとかドクターを使い、ファースト・ネームではお互いに呼ばないが、いったん同僚だけになると、ファースト・ネームとし、同類のよしみ(ゝゝゝ)、親しさ、リラックした雰囲気で、異質のものはいらない同類の世界をもつのでさる。

 必ずしも、どこの学部でもこのように、ファースト・ネームで同僚をお互いによぶのではないかもしれない。また、これは戦後の現象かもしれない。しかし、その形式はともかくとして、イギリスでは、プロフェサー(同僚)の世界と、学生の世界は、日本などからみると隔絶しているかのごとき感がある。すなわち、その間に強い異質性がみられるのである。

 民主的だといわれるアメリカ社会にも、この傾向がみられる。例えば、シカゴ大学においてファースト・ネームで呼び合うのは、教授陣の間だけ、また学生同士の間だけであり、この両者の間では使わない。教授は学生をミスター・××と必ず敬称を付けた姓によって呼ぶ。

 学生は博士号を取った日から、はじめて教授たちから、ファスート・ネームで呼ばれ、また彼らをファースト・ネームで呼ぶことを許されるのである。このように、学者と学生との間には明確な一線が引かれている。

 彼らの社会では、組織の構造指標となるのは「タテ」につながる序列ではなく、「ヨコ」につながる階層的な分類である。こうした構造をもつ社会では、同僚意識が強く、そこに連帯性が生まれ、反対に、そのなかでの序列意識はきわめて低調となるのである。この志向が最も発達したのがインドのカースト制である。

序列的につながる日本の教師と学生 P.89

 こうした「ヨコ」の関係の機能の強い社会構造に対して、日本の「タテ」――序列制は、構造的アンチテーゼを代表するものである。

 同質のものを序列によって差をつけるから、同僚との連帯意識はきわめて低調で、その代わり、教授・助教授・講師・助手・学生という驚くべき「タテ」の関係によって結びつけられており、教授は同僚の教授より、弟子である講師・助手・学生との関係がより親しかったり、それに重きをおく場合が多い。(教授会の内容が外に漏れるということは、この線の機能を示す一つのよい例であろう)。

 さらに学生の間では、一年生、二年生、三年生という序列意識が、成績とか能力を越えてまで強くみられるということは、実に日本社会における序列意識の強さを物語るよい例証である。

 このように教授陣・学生陣ともに内部分化を起しているため、教授と学生という差が、比較的に弱まり、他の社会に比べて、教授と学生との差が、ぐっと収縮され、同質の者の間の序列の一延長のごとき感さえもってくる。かくして、両者を区別する線の機能がぐっと弱まり、階層分化の機能を弱めている。

英軍の捕虜となった日本将校の苦しみ P.90

 同様のことは、大学の人間関係のみでなく、あらゆる分野にみられると思うが、これがよくあらわれた例として、終戦直後ビルマでイギリス軍の捕虜となった日本の将校の反応である。

 イギリス軍は当然国際法にもとづき、また彼らのシステムを反映して、日本軍を将校と兵士に分けて収容した。いわゆる将校待遇でたいへん快適に収容された日本軍の将校は、自分の部下があのように苦しい作業をし、つらい収容生活をしているのをみながら、じぶんたちだけがこんな恵まれた待遇を受けることはできないとたいへん苦しんだそうだ。

 こうした例をまつまでもなく、将校と兵の間の親密感はいろいろな面にあらわれ、それがことのほか日本社会では高く評価されている。

 将校と兵という異質なものが「タテ社会」の関係において密着しているのである。

 このような日本人の人間関係のあり方、それによってできる「タテ」の組織は、必然的に、将校とか、大学教授、労働者などという共通の資格というものを基盤としてグールプ意識を非常に弱める結果となっている。この内部構造からくる同類意識の薄弱性は、社会集団が枠によってできるため、自己の集団外にある同類とも袂を分かっていることと相まって、いっそう弱体化されている。ここの同類意識に代って登場するのがいわゆる同族(一族郎党的)意識である。

4――「タテ」組織による全体像の構成 P.93

   <1> 対立(ゝゝ)でなく並立(ゝゝ)の関係 P.94

並立関係にある労使 P.94

 このような基本的な社会構造の運動方式によってできる社会の全体像というものは、カーストとか階級(ゝゝ)によってできる横断的(ホリゾンタル)な層化ではなく、企業別・学校別のような縦断的(バーテイカル)な層化である。西欧にみられるような社会階層というものは、日本にも客観的にみられ、西欧の社会学のお手本に照らして一応似たようなものが設定できるとしても、それが現実の社会において、機能をもちがたいこと、真の社会構造を反映するものではないということが、指摘されるのである。、

 日本社会において、闘争の関係に本当にたっているのは、資本家あるいは経営者と労働者ではなく、A社とB社である。闘争者は上下関係にたつものではなく、むしろ隣接した並存するヨコにたつものとの関係である。闘争は対立(ゝゝ)するものとではなく、、並立(ゝゝ)するものとの間に展開されているのである。

 この構造を端的にあらわしている最もよい例は、日本における労働組合の構成である。

真の連帯感を伴わない労働組合 P.95

 あらゆる組合は、まず同一職場において形成されている。産業界でいえば、まず企業別組合であり、それの集合体としての産業別組合が構成されている。一つの企業体を横に切って、異なる企業の同一職種によってできるクラフト・ユニオン的な職種別組合というものはできにくい。個々の企業から独立した、たとえば旋盤工組合というものはできず、反対に一つの企業体のなかで、旋盤工も事務職員も高級エンジニアもいっしょになった企業単位の組合というのが、日本の特色ある組合構成である。

 すなわち、私の理論でいう()によってできる組合であって、同一資格者によってできるものではない。こうした組合構成というものは、世界的にも珍しいものといえよう。

 このような組合の構成では、組合は企業体としての団結に貢献することはあっても、異なる企業に散在している同じ職種についている者たちの間には、真の連帯感(この連帯感こそが諸外国における組合活動の最も重要な推進力となるのであるが)というものは育たない。全国的な組合運動において、しばしば足並みの乱れが起るのは、こうした組合構成をもつ以上、当然のことといわなけれならない。2025.01.26 記す。

限界がみえている「お家の問題」 P.96

 したがって、組合の団結、高い機能は、企業体内の組合に求められるわけで、その意味で、経営者と労働者との対立・抗争は、「お家の問題」である。ここに日本における組合運動の独特なスタイルがあり、その限界がみられるのである。熱狂的なエネルギーはみられるが、それがどうしても散発的であり、社会全体をゆさぶるような問題には発展しえない理由は、実にこの日本社会における集団構成に求められるのである。

 一方、「お()」のなかに形成される組合というものは、闘争者間の対立をはばむ内部構造によって、また一つの大きな弱点をもっている。「お()」は一族郎党的集団で、運命共同体であるから、極端にいえば、一家のなかで親子が対立するような割り切れない情的、経済的きずなのなかで、事が運ばれるということである。

 そしてこのきずな(いわゆる「タテ」の関係に結ばれている)が連続体をなしているために、今日の組合の代表者が、あすは管理者として、組合の要求をうけてたつといいう具合に、組合集団の人的持続性が常にやぶれざるをえないことである。

 また一方、組合成員のみを考えても、労働者と高級技術者、または定年まで管理職につけない者と、近く管理職につく者といったように、全く資格の異なる者が同一組合にはいって同一のスローガンをかかげ、同一の組合集合をやり、同一の行動をとるということは注目すべきことである。

※私見:

 私は会社勤務にあたって運命共同体の意識をもっていた。海軍での潜水艦乗務員は「一蓮托生」の思いであつたと思う。ということは運命共同体よりさらに強い結びつきであったのだと思う。

 「労働者と高級技術者、または定年まで管理職につけない者」をみてきた。

   <2> 人間平等主義 P.97

平等主義から派生するぬるま湯的道徳

 資格(ゝゝ)の差を抑圧し、枠を強調する結果、このような現象を呈するのですが、こうした日本的イデオロギーの底にあるものは、極端な、ある意味では素朴(プリミティブ)といえるような人間平等主義(ゝゝゝゝゝゝ)(無差別悪平等というものに通ずる、理想的立場からというよりは、感情的に要求されるもの)である。これは西欧の伝統的民主主義とは質的に異なるものであるが、日本人の好む民主主義とは、この人間平等主義に根ざしている。

 これは、すでに指摘した「能力差」を認めようとしない性向に密接に関係している。日本人は、たとえ、貧乏人でも、成功しない者でも、教育のない者でも(同等の能力をもっているということを前提としているから)、そうでない者と同等に扱われる権利があると信じこんでいる。そういう悪い状態にある者は、たまたま運が悪くて、恵まれなかったので、そうあるのであって、決して、自分の能力がないゆえではないと自他ともに認めなければいけないことになっている。

 しかし、実際の社会生活では、そうした人々は損な立場に立たされている。ところが「貧乏人は麦を食え」などとは、決して口に出すべきことではない。弱き者、貧しき者をそれ相応に遇することを口に出していうことは日本社会ではタブーである。実際に、そうした人々のために本当に働くか、尽力するかは別で、口ではそうするべきだということ自体(ゝゝゝゝゝゝ)が美徳とされている。

 日本には、何とこうした口だけのエセ同情者(あるいは言行不一致の者)が多いことか。特に左翼的言辞を弄する人々の大部分が、こうした種類の特権的ムード派であるところに、平等主義から派生するところのぬるま湯的道徳がみられるのである。

平等主義が生んだ刻苦勉励型 P.99

 しかし、この根強い平等主義(ゝゝゝゝ)は、個々人に(能力のある者にも、ない者にも)自信をもたせ、努力を惜しまず続けさせるところに大きな長所があるといえよう。そして、「タテ」のリンクは、そうして努力してきた個人にとっても、集団にとっても、十分できるところである。

 日本社会の驚くべき可動性()は往々にして戦後の現象と考えられがちであるが、江戸時代から現在までの農村の家々の興亡を調べてみると、ちょっと想像以上の興亡の歴史を見いだすのである。郷士とか、特別の家々を除いてみると(あるいはそうした家々をいれてもよいが)、三代以上つづいて上層を占めつづけたというのは少ないのであり、五代以上となると、例外に近くなるのである。

 いわゆる旧い家とか、格の高い家、地主などといわれるものは、一見、いかにも先祖代々連綿としてその地位を保ってきたようにみえるが、実際調査してみると案外新しく、村落一つとってみても、家々の興亡の歴史は複雑であり、上・下のモビリティは、他の国々の農村におけるより、ずっと顕著にみえるのである。

 都市における上・下のモビリティの大きさは、もちろんいうまでもないことである。だいたい、金持ちの息子は苦労がないから、おめでたく、バカで、刻苦勉励型が出世するという社会的イメージが、日本人の常識の底流となっていることは、これをよく示すものであろう。

階層に対応する学閥 P.100

 東大出身ということと、オックスフォード出身ということは決して同じ意味をもっていない。前者においては、魚屋の子だろうが、水飲み百姓の子だろうが、実業家の子だろうが、大学教授の子だろうが東大(ゝゝ)というものを通過することによって、同列にたちうる。教育機関というものが、社会層の差をなくすか、ミニマムにするほどの機能を日本ではもちうるのであり、またこのことは、日本人にみられる異常なほどの教育熱の存在をも説明することができよう。

 また、活発な上・下のモビリティがあり、一方に上昇する者があるということは、他方に悲劇を生んでいる。「自分は大学に行けず、一生下積みで終わった、せめて子供だけは出世させてやりたい」という親の悲願が、現在の日本ほど強い社会はないであろう。大学へ、よい大学にはいりさえすれば、という気持ちは、上へのモビリティの絶対性を前提として成り立つ。

 後者においては、ジェントルマンの子弟はたいていオックスフォードに行くから、オックスフォードの特色が出るのであって、労働者の息子はオックスフォードに行っても、下層出身者ということは一生ついてまわる。すなわち、教育機関というものは、社会層の差に対して、さして機能を発揮しないのである。

 したがって、社会的機能をもつものとして、学閥かという対照がここにみられる。学閥のあることは非常に非難されるが、階層間のモビティがあるというよさ(ゝゝ)は忘れられている。

   <3> 過当競争による弊害 P.101

「ヨコ」組織に弱い日本社会の悲劇 P.102

 どんな社会でも、すべての人が上に行くということは不可能だ。そして社会には、大学を出た人が必要であると同様に、中学校卒だけの人も必要なのだ。しかし、日本の「タテ」の上向きの運動の烈しい社会では、「下積み」という言葉に含まれているように、下層にとどまるということは、非常に心理的な負担となる。なぜならば、上へのルートがあればあるだけに、下にいるということは、競争に負けた者、あるいは没落者であるという含みがはいってくるからである。

 インドに行って驚くことは、貧しい下層カーストの人々が、少しも日本の下層の人々のように心理的にみじめ(ゝゝゝ)ではないことである。これは、そのカーストに生れれば死ぬまで、そのカーストにとどまる――競争に敗れたという悲惨さがない――という安定した気持ちと、同類がいて、お互いに助け合うという連帯感をもちうるためと思われる。

 日本では、すでに詳しく論じたように、あらゆる層において、同類の集団というものができない。下層においては孤独であるということは、いっそうみじめであるとことはいうまでもない。

同僚・同種の集団は互いに敵となる P.103

 このようなモビリティは必然的に同類(ゝゝ)を敵とする。これはまたいっそう「タテ」の機能を強くさせ、一方「ヨコ」の関係は弱くなるばかりでなく、邪魔な存在にまでなろう。同僚に「足を引っぱられる」とか「出る(くい)は打たれる」などというのは、この作用をよく象徴している。

 これが集団の場合になると、同じような種類と実力をもつたものが敵となる。たとえば、鉄工業の諸会社、貿易業の諸会社というように。同じく、学校ならば、大学と大学、高校と高校、農村ならば、部落と部落、宗教界であったら、新興宗教集団は同じような新興宗教集団と、官僚ならば、内務官僚と外務官僚というように。

 そして、こうした競争はきわめて現実的な表現となってあらわれ、競争をとおして、そしてその結果「格付け」ができてくる。たとえば、出版社でも「アソコはウチより格が上ですから」などという表現をとる。家々の格が問題とされるのは、何も農村ばかりではない。だいたい競争のスタートが早い(歴史が古い)ほど、格が高いが、その格が実績によって変更しうるというところに、競争をいっそうかきたてる要因がある。この競争はまた個々の集団の結束をかためる(第2章で述べた)重要な要因となって、いっそう集団の孤立性・封鎖性をまねいている。

※私見:同僚に「足を引っぱられる」ということを体験してきた。

並立競争の長所とその国家的損失 P.103

 この並立するものとの競争は、日本の近代化、特に工業化に偉大な貢献をしたものと思われるのである。常に上向きであるということは、人々の活動を活発にし、競争は(集団としても個人としても)大きな刺激となって、仕事の推進力となっていることは疑うことのできないところである。しかし同時に短所をもっている。これはいうまどもなく、不当なエネルギーの浪費であろう。外国貿易において、同じような商社が同一のバイヤーに殺到し、共食いとなっている光景はよく知られているところである。

 これによって象徴されるように、国全体としてのマイナスが大きいといわなければならない。野菜がいいといわれると百姓はわれもわれもと野菜をつくり、翌年はキャベツが畑でくさっていったり、一、ニの出版社が新書版を出すと、どの社もいっせいにはじめ、同じようなシリーズ、同じような著者が同じようなことを書いている。

 みんな同じことをしないと気がすまない、いや競争に負けてはならない、バスに乗りおくれてはならないからするのだろうが、国全体として何という浪費であろう。分業の精神というのはいったい日本人にあるのだろうか。

   <4> ワン・セット構成と政治組織の発達 P.105

反分業精神でたつ企業構造 P.105

 分業(ここでは社会学的分業を意味する)とは、いうまでもなくA集団がa製品を、B集団がb製品をと、おのおの一定の専門とするものをお互いに社会に供給し、これら集団間の相互交換によって、全体が運営されていくという構造をもつものである。

 この分業の志向が強いと、それぞれ一定の役割をもつ集団がお互いに緊密な相互依存の関係にたち、社会全体が集団間を結ぶ複雑なネット・ワークの累積によって、一つの大きな有機体として社会学的に統合されることになる。

 このような組織を前提とすると、過当競争の度合いがずっと低くなる。なぜならば、全く異なる製品を製造・供給するA社とB社とでは競争にならないからである。

 ところが、日本的現象は、Aでもa・bの製品を、B社でも同じようにa・bの製品を製造するため、A・B両社が競争をよぎなくさせられることになる。前者のように分業の志向の強い場合にはA・Bはお互いになくてはならぬ相互依存関係にありうるのに、後者の場合には、反対に、お互いに敵・邪魔者となるのであって、A・Bはそれぞれ孤立の方向をとる。

 この日本的現象は、日本社会のあらゆる分野にみられる。日本の企業のあり方など、その代表的なもので、一つの企業は、全く違う何種類かの製品を作り、事業をしているのが常である。さまざまな産業分野をもっていたかつての財閥の構成など、この日本的現象をまことによく実現したものであった。また財閥が解体したとはいえ、大企業はその傘下に、膨大な数の同種の企業を系列下しているばかりでなく、特定の異なる企業となかば独占的(単一的)な関係を結ぶことによって、かつての財閥の構成を反映している。

 この「なんでも屋」精神は、すべての分野にみられるが、さきにも触れた出版界・放送・新聞・雑誌を見ても、少なくとも代表的なものは、全く同様な構成・内容をもっている。また、その構成・内容が、政治・経済・文化・社会とあらゆる分野にわたり、インテリも労働者をも含むあらゆる職種の人たちを対象としてつくられている。全く、何と欲張りなワン・セット主義であることか。

 日本におけるデパートメント・ストアの発達、総合大学と称する教育機関の増大なども、このワン・セット主義をよくあらわすものであろう。小さい集団では一定のものを専門としている場合も多いが、大きくなると必ずこのワン・セット主義が出てくるのは非常におもしろい現象である。

 このようなワン・セット主義をとる以上、過当競争が助長され、格差が生ずるのは当然である。自由主義の社会では、競争は当然であるが、日本社会においては、他の社会よりずっと過当競争が激しくなっているのは、まさにこのワン・セット主義のしからしむるところであると思われる。

 また、格差というものも、多かれ少なかれ、どこの社会にもあらわれる現象であるが、日本社会において、極端に現われ、問題とされるのは、このワン・セット主義のため、同一分野では、みな同じ構成をもち、同様な活動をしているために、比較が歴然とするためである。

 学校の格差の存在が非難され、学校群とか、入試の方法などが検討され、格差をなくするような試みがなされているが、いずれもあまり効果がないようである。なぜならば、格差の由来は、社会学的構造からくるもので、道徳的善悪の問題ではなく、力学的問題だからである。格差を低調に、また縮小するには、ワン・セット主義をやめて、分業主義に移行する以外には方法はないように思われる。 2025.01.27 記す。

ここに比類のない徹底した行政網 P.109

 このようにワン・セット主義の志向が強く支配している社会の全体像は、企業・学校などのように、類を同じくする分野ごとに群が形成され、その各群には、同じような内容・活動をもつ孤立した大小の多数の集団がしのぎをけずっている、ということになる。これら集団はどんなに大きくなっても、「タテ」関係を通して下方に膨張していくことはあっても「ヨコ」につながる可能性はない。

 このような連帯性のない無数の孤立集団の存在は、中央集権的政治組織の貫徹に絶好の場を与えるものである。同時に孤立している集団は、より高次の活動の発展のために、より大きな統合の組織を必要とする。ところが個々の集団自体には、そうした組織を生む社会学的力をもっていないので、必然的に他の組織(政治組織)に依存せざるをえないことになる。ここに、日本における中央集権的行政組織が著しく発達した理由があると思われる。すなわち、日本社会における社会組織の貧困が政治組織の発達ををもたらしたものと解せられるのである。

 孤立した書集団を統合する行政網は、同時に各集団の内部組織である「タテ」の線を伝わり、その集団の底辺にまで難なく達することができ、それによって世界にちょっと比類のない徹底した行政網が完備し、全人口に浸透したのである。実際、江戸時代において、幕府の政策や藩の政策が、山奥の村々の家々にまで、あのようにもれなく達したいたという行政網の機能力は、たんに幕府の権力のみでなく、日本における社会集団の構造におっているところが多大であると思われるのである。

 たとえば、同時代の中国やインドと比較して非常に対照的である。これらの国々では横断的(ホリゾンタル)な社会組織――たとえば父系血縁組織、そしてそれと関係深く構成されるところの地方地主層のネット・ワーク、ギルド、カーストなどにはばまらて、中央行政は地方の上層人口でとどまり、とても全人口の底辺にまで及ぶということはなかったのである。

 さらに、ここでちょっとつけ加えておきたいのは、徳川体制というものは、まず士農工商という身分に全人口をホリゾンタルに切り、さらに藩という「タテ」割りを設けて行なわれたのであり、その善悪は別として、組織として、「ヨコ」「タテ」両者を交錯させているということで、これはまことにすぐれたものというべきであろう。

 興味あることは、社会組織とは異質の政治組織も、日本では、社会集団の内部構造(次章で詳しく述べる)と全く同じ「タテ」の組織(官僚組織――一二六ページ参照)を基盤としていたということは、日本社会の「タテ」構造の政治組織自体の発達に大いに力になったのではないかと思われる。

中央権力の助長と国民の権力恐怖 P.111

 さて、中央から水を流せば、末端にまでしみとおるような見事な行政網の発達は、中央権力の助長にいやがうえにも貢献し、当然、権力の乱用を可能とし、権力に対する一般国民の恐怖を植えつけたようである。「長いものにはまかれろ」という一方、すべて上からの命令というものに生理的反発を覚える。日本人ほど、政治権力に弱く、また、ことごとに政治権力に反抗(結果としてはあまり効を奏さない)を試みる国民は少なかろう。

 いずれにせよ、日本の工業化が速やかに達成されたのも、またあの悲惨な戦争に国民がかりたてられたのも、この世界には比類のない政治組織の力によるところが大きいということは否定できないであろう。

 日本医おける政治権力というものは、つねに日本独特な社会構造にささえられて、威力を発揮してきたのである。さらにこれは、のちに述べる日本人にみられる宗教・哲学の貧困とあいまって、いっそう政治優先の社会を形成しているのである。

5――集団の構造的特色 P.113

   <1> 集団の内部構造 P.114

「タテ」集団は底辺のない三角関係

 集団の構造が強い「タテ」の線の機能にその基盤をおいているということは、「ヨコ」の線によって、あるいは「たて」「ヨコ」両方の機能をもつ集団とは、その構造が著しく異なっている。

 まず。

 まず、それぞれX(タテ)・Y(ヨコ)という構造の異なるニ集団によって説明すると次のようになる。両集団とも同じ一定数の個人からなっているという仮定で、その数を抽象したa・b・cの三点によって示すと第1図のようになる。すなわち、Yにおいては、三点の関係が三角形を構成するのに対して、Xにおいては底辺のない三角系となる。

 さらに、この両者の構造を複雑にすると第2図のようになり、その違いはいっそう明らかになるであろう。この両者の構造の相違は、第一に、Xの成員はaを頂点としてのみ全員がつながっているのに対して、Yにおいてはすべての成員が互いにつながっていること。第二に、Xの構造は外に向って開放されているのに対して、Yは封鎖されている。

 すなわち、もしここに新たにhというものがはいってくる場合、Xにおいては、理論的にa・b・c・d・e・f・gのどれか一つにつながることによってXの成員たりうる。しかるにYにおいては、hの参加は全成員に影響する。

「タテ」集団への入団の条件 P.116

 実際の例をとって説明すると、次のようになる、hがX集団にはいるときは、成員のいずれか一人(たとえば b)に緊密な関係を設定し、b の他の成員への依頼によって、はいることができる。他の成員は h を全然知らなくても、b のたっての希望だから、ということによってh の入団を認めるという過程をとる。それはh 自身の問題というより、b の問題として扱われ、現在、このX集団において堂々たる成員権をもっているb の希望に他の既成成員が反対するということは、よほどの例外的な場合以外ありえない。

 このようにして、次々と成員が増加していくと、その結果、Xの集団構成は第3図の例を示すごとく、さまざまな変形(バリエーション)をもちうるのである。2025.01.28 記す。

「ヨコ」集団への入団の条件 P.117

 これに対してYの場合、h の入団は全員の承認を必要とする。全員の承認ということは、いろいろな形をとりうるが、最も代表的なのは、そのつど相談して承認をうるよりも、集団成員のルール(規則)が明確に規定されていて、そのルールにhがあてはまるものであれば、自動的に入団が可能になる場合である。。このルールによって成員の資格がはっきり決まっている場合は、例えば、「同じ父系成員につながる者」といった、決定的なルールにもとづくもの、また、同一宗教・主義を奉ずる者、といったものがある。このようにYの場合にはXのように成員の個人關係によって集団が構成されているというよりも、人間以外のもの、ルールとか資格といったもの、によって集団ができている。したがって、第2図のYは第4図のごとく示すことができよう。

 このようにしてできた集団においては、個々の成員は、それに直接つながる人間関係に忠実であるのではなく、集団の規則(ルール)自体に忠実であることによって、集団構成の基盤ができている。

 またY集団全員の承認をそのつど必要とする方法の例として次のごときものが挙げられる。イギリス紳士の特定クラブ成員の場合のように、hの入団には、Y集団の二人の推薦を必要とし、さらに、その推薦に基づいて、投票による全員のOKを取ることができてはじめてクラブ会員になれる。(一人でも反対票・白票があればはいれない)。

 またリーダーと成員の約束(ゝゝ)(期間・条件など)によっている場合もある。リーダーでも成員でも、その約束に違反すれば成員権を失う、という形式もとられる。これもやはり、集団成員が一定のルールをもって集団を構成していることになるわけである。

開放的な「タテ」組織、排他的な「ヨコ」組織 P.119

 hの入団に際して、以上のXとYの場合の比較にあきらかなように、X集団はつねに外に向ってその下方において開放されているのに対して、Y集団はむしろ排他的である。

 しかし、Yにおいては、いったん成員として参加できると、新参者でも、他の成員と全く同列にたつことができる。また、内部における成員の位置は交替が可能である。集団成員の増減にかかわらず、一定した集団構成の形式をもち続けることができる。

 一方、Xにおいては、個人の集団参加の場合の特定成員との関係設定(そしてその時期)というものが、そのまま組織として定着してしまう。したがって、個々の成員の組織における位置の交替ができないという弾力性のないものとなっている。そして、この固定的な組織がそのままヒエラルキーを生み、古顔は力をもち、新参者はつねに一番損な立場に立たされるという、同じ集団成員でありながら、必然的に不平等性が存在する。

 XとYとでは、集団内部の成員の位置付けが基本的に異なっているばかりでなく、リーダー(a)の意味が非常に異なっている。

 Yでのaの位置(および各成員の位置)は他の成員によっておきかえられうるのである。いいかえれば、特定個人aの存在なしにも、この集団組織はそのまま存続しうるのである。

 ところが、Xの場合は、aはその組織の(かなめ)となっているため、aの存在なしでは、他の成員だけでは集団組織を構成しえないのである。

 ここで集団のリーダーシップの性格に関する重要な問題がある。以下、リーダーシップとの関連において特にXの場合を中心にして述べてゆきたいと思う。

   <2> 日本集団の弱点と長所 P.120

リーダーは一人に限られ、交替が困難

 まず、注目すべきことは、Xにおいてはリーダーの交替が不可能ではないが、非常に困難であること、そして同時に、リーダーは常に一人に限られるということである。この構造では、二人以上のものは決して同列、あるいは同位置に立てないのである。

 さらにリーダーと他の成員との関係が必ずしも等質のものではないということである。(以下第2図X参照)。リーダーaとb(あるいはc)の関係は、aとd(またはc aとe)との関係と等質ではない。d・eはbをとおしてのみaにつながる。すなわち、a――b関係が敗れれば必然的にd・eは aと関係が切れるのである。aのd(またはe・f・g)に対する支配は、b・cを通してのみ可能であって、a――bの関係においてaがbに対して優勢であればあるほど、d・eに支配を及ぼすことができる。反対にaがbに対して弱い場合にはaの支配はd・eに貫徹されなくなる。したがってこの集団構造の核は、a――b、a――c関係にあるのである。この関係が崩れると、集団は必然的に内部分裂を起こす。

 そこで、Xにおけるリーダーaの存在(およびa――b、a――c関係)は、Yにおけるaと比較にならないほど、集団にとって重要な意味をもっている。どんなに結束がかたく、うるわしい(日本的表現を使えば)集団であっても、突然のリーダー(大親分)の死などは、全く致命的なものであり、お家騒動を必然的にといってよいほど起こすことになる。集団の大親分がなくなると、集団が多くの弱小集団に分裂したり、崩壊してしまうという現象がよくみられる。

 かつての日本軍の実戦における弱点は、実戦の単位である小隊の小隊長が戦死した時であるといわれる。小隊長の戦死で組織の(かなめ)を失った小隊は烏合の衆になりやすく、戦力・士気のソソウがはなはだしい。これがイギリス軍やアメリカ軍の場合は、すぐ小隊の中から次の小隊長となる者が出され、最後の一兵となるまで小隊の統制が乱れないとのことである。

 三角形の底辺がない、あるいは、一見あるがごとくにみえても、その関係がほとんど機能をもたずaなしではb・cの関係は保持できない。また保持できないばかりでなく、むしろ敵対関係にたちやすいということさえできる。すでに古く、法然上人はこのことに気がつかれたかのように、上人自身がいないとどうもお弟子たちの間がうまくいかず、喧嘩が起こりやすいことに気づかわれ、お弟子たちに向って、「お前たちは、いっしょにいないで、離れていろ。」といわれたそうである。

破局の結果は「乗っ取り」か「分裂」 P.122

 集団組織の破綻は、何もaの死(あるいは不在)によるのみでなく、a――b、a――c関係の破綻によって起こる。例えば、bがたくさんの子分をこしらえ、集団活動を左右するほどの力をもってきた場合、cが危険性を感じて、よりaに接近するなどして、a――b関係の緊張を招いたりすると、ますます危険な状態となる。こうして、aがいるのに仲間割れ(ゝゝゝゝ)が起こりうる。

 こうした状態は全く破局であって、収拾のつかないものとなる。何となれば、bがaと、あるいはcと提携するなどということは起こりえないからである。これは当事者が度量がないとか、感情的であるというばかりでなく、二人以上の個人が同列にたちえない、リーダーの地位には一人しかつけないという構造的な制約である。

 この破局の結果するところは、この集団からa(普通cを伴う)を除外する_(こtれがすなわち「番頭に乗っ取られる」とうことである)か、bが彼の一族郎党をひきつれて新たに独立集団をつくる(これがいわゆる「分裂」である)か、いずれかの道しかなくんばってくる。

常に党中党の形成と分裂の危険 P.123

 Xの構造をもつ集団は、破局にいたらないまでも、その構造自体に常に分裂の危険性をはらんでいるものといえよう。

 なぜならば、前にふれたように集団成員間の結びつきは、直接につながる者との間が圧倒的に、他の関係より強いという関係の不平等性があるからである。

 第2図のXにおいて、a――b、b――eの関係はb――cの関係と比較にならないほど強いため、同一集団Xのなかで、b・d・eは一つのグループを形成し、同様、c・f・gも別に一つのグループを形成しているわけで、つまり、その集団構造自体、党中党を作っているといえよう。

 いいかえれば、集団組織が、その成員の個々人を基盤としてできているために、個々人の人間関係がそのまま、集団組織のあり方を決定してくるわけである。したがって、集団の生命がそれだけ現実の人間関係に左右されやすいといえよう。

 この点、集団の生命が人間以外のルールというものにあるY集団は、成員の直接的人間関係・力関係に集団の生命が影響されることがない、という集団としての強さ、安定性をもっちぇいる。すなわち、X集団に比べて、党中党を作るとか分裂といったような危険性は、ずっと少ない。

 Xの集団においては、aが心身ともに健在で、全集団の成員の人間関係がうまくいっていれば、この党中党を作る傾向は低調になっているが、いったんリーダーと成員、および成員間のバランスが破れると、この党中党を作る構造が顕在化し、破局を速める決定的要因となるのである。

 芸能界の本家争いとか、暴力団内のいざこざなどは、この内部構造をよく反映している。

 しかし、前記のバランスが破れなくても、集団が大きくなると、aの支配は末端にいくにしたがって薄くなり、それに代わって、さまざまなレベルで党中党ができる。

 すなわち、その典型的なものが官僚的機構におけるセクショナリズムは集団が大きくなればなるほど、また、古くなればなるほど、強くなるものであるといえよう。2025.01.29 記す。

日本近代化の達成に大きな役割 P.125

 官僚組織は近代的な、制度化されたものであるが、親分・子分によって象徴される日本の土着の組織と原理的に軌を一にするものである。

 したがって、ここで分析している日本的な集団構造は、封建的とか前近代的などと片づけられるものではなく、その原理は、ある意味では近代的であり、非常に効力のある組織方法で」ある、ということもできる。

 実際、日本人が目覚ましい近代化をやりとげることができた一因は、この「タテ」につながるXの構造を百パーセント生かして使った、ということに求められよう。この組織構造の長所は、リーダーからの、末端成員までの伝達が非常に迅速に行われるということ、そして、動員力に富んでいることである。

 実際、日本人の仕事は、このように組織化された人間を多量に使うが、その「タテ」の連絡のよさ、動員の迅速さにおいて比類がないように思われる。

 さらに、この集団の行動を細かく分析してみると、集団の意見統一がしやすいこと、速やかにできることである。意見の調整に、このヒエラルキーが使われるためである。

 集団成員の意見の不一致がある場合、集団が行動を起こす前に十分時間があると、(特に、現在の日本的民主主義のさかんな時代には)。ずいぶん、もんちゃくもあり、勝手な意見もでるが、集団として行動をすぐ起こさなければならないような事態にさしかかると、必ず、集団のヒエラルキーによる力関係が優先し、組織の下方に位置する者の意見より、上の者の意見が取られて、議論の余地なく、集団の核を握る上部(リーダーまたはそれに直属する幹部成員)の意見によっておしきられる、ということになる。こうして、行動に移る前の、集団の「意見の一致」とか「思想統一」と呼ばれるものが出されるのである。

理想的に機能したとき比類ない強み P.127

 このようなヒエラルキーのない集団の場合は、個々の成員の意見が同じようなウェイトをもって強く出されるので、論理的プロセスを取らずには、不一致の大きい場合には、なかなか集団の意志決定ができない。

 したがって、迅速に行動をとることが困難な場合が多いし、集団の「思想統一」とか「意見一致」をせずに行動に移らなければならない場合もあり、対外的には集団行動力というものが弱くなる。

 とにかく、X構造に代表されるような日本的集団というものは、リーダーにすぐれた権力があるかないかにかかわらず、よく敏捷に事が運ばれうるのは、実にこの組織の存在にかかっているいるのである。

 さらに、この組織はaという頂点をもっているため、また「タテ」を結ぶ個々の人間関係が直接的でエモーショナルな要素が強いので、理想的に機能した場合のエネルギーの結集力・動員力は、Yのそれをしのぎうるものであり、そこに機能集団としての強さがある。

 一方、X集団の短所は、「ヨコ」の関係の機能にある。セクショナリズムが数々の弊害をもっていることは今さらここに記すまでもなかろう。

 この集団組織構造では、必然的に、運動方向が「タテ」になっているため、「ヨコ」の連絡・調整が実にむつかしいのである。この集団が機能を発揮するということは、「タテ」線をフルに使うことであるため、「ヨコ」の連絡・調整は必然的にその機能の低下を招き、「ヨコ」の関係をしいて機能させるということは、構造的志向に横車を押すこといなりかねないのである。

   <3> 必然的な派閥関係 P.129

ニ集団の合体はつねに「呑流」の形

 一集団においても、「ヨコ」の連絡・調整がむずかしいのであるから、かつての一つの集団が分裂してできたニ集団、また、別々に形成されたニ集団(たとえ、同じ目的を持つものであっても)が提携して事を行なうということは、現実的にきわめて困難であり、構造的にも不可能である。

 ニ集団が一つになるという、いわゆる「合体」は、いずれか一方による他方の「呑流」という形でしか行われえないのであり、「提携」という形は、よしそれが標榜されたとしても、それは「表現」であって、実際の構造を反映していないのが普通である。

 ちなみに、長い日本の歴史を振りかえってみても、いまだかつて寡頭政治というものは行われたためしがないのである。異なるニ集団がたまたま同じ目的をもち、同一のことを行なう場合でも、その時だけでも結びついて、共同に仕事を行なうということもなかなか困難である。

異集団の調整はなぜ困難であるか P.130

 X集団においては、内部の「意見一致」ということは、前に述べたように、速やかに、そして容易に達しうるが、異なる集団間においては至難の業である。

 両集団を結ぶ「タテ」の線のない場合には、どちらも各々の集団の利益を最大限に主張するばかりで、その折衝において、調整の作用が全然働かず、また各々の代表またはリーダーが、自己の集団の利益を多少譲歩して調整しようとする客観的立場に立ちにくいということは、彼らが構造的に他の成員によってつき上げられやすい、という点にもある。

 リーダーのレーゾンデートルは、折衝の成功にあるよりも、集団の利益を最大限に標榜し、集団成員の意を十分受け止めることであって、もしこれに失敗すれば、自分自身が危くなる、という立場におかれている。

 実のここに、異なる集団の意見統一の困難さが存在するのである。「タテ」の折衝は、ある意味で単純に帰着しすぎるのであるが、「ヨコ」の折衝がこのように非常に困難であるということは、X集団的構造をもつ社会においては、「ヨコ」に働くメカニズムが不在で、もしあったとしても、それが機能をもちえないということがいえよう。

 これは同時に、「タテ」の折衝においても、「ヨコ」の折衝においても、実は「論理」というものが、重要視されていない、ということが指摘できる。論理に代って、ここに出ているのは「力関係」である。

派閥争いを生むメカニズム P.131

 同じ政党の中で派閥がいくつかでき(党中党をつくるという最もよい例)、いずれも同じ主義を標榜しているにもかかわらず、一定の仕事を団結して党として遂行することができなかったり、派閥の争いで政治がゆがめられ、政党の目的に反するような事態まで起こしてしまうのは、X集団構造の弱点を遺憾なく示すものである。

 このようなメカニズムは、保守党ばかりでなく、左派にも、また全学連にも、さらに政界派閥を悪徳として糾弾する一般の人々の属する集団にさえも、多かれ少なかれ、見いだすことができるのである。

 これは、日本におけるあらゆる現実の集団が、必ずXの構造を基本とするヒエラルカルな組織を常にもっているということではない。しかし、重要なことは、集団の機能が強くなればなるほど、その方向に人間関係が構築されていくという構造を内包しているということである。筆者のみるところ、日本のあらゆる社会集団に、この共通した構造(人間関係設定の基本原理)が潜在していると思われるのである。

非難される派閥、親分・子分関係 P.132

 社会集団の存在を可能とさせる最低の条件となる枠とは、農村であれば小は「家」から「クミ」(近隣機能集団)、「部落」といったものであり、近代的なものとしては、官僚組織・会社組織などである。こうした枠内において、往々にして、外から「見えない」組織ととして、底辺のない三角関係が複雑な形をもちながら存在しているのが常である。

 しかし、こうした枠、あるいは「見える」組織の中における「見えない」組織の機能は、もちろんあなどりがたい点があるが、全集団構成の瓦解にいたるような危険性はない。これに対して、枠を持たないか、あるいはもっていても、それが非常に弱い場合には、「底辺のない三角関係」の組織に集団の全生命がかかってくるのであり、必然的にこの組織が強調され、猛威をふるうのである。

 すなわち、政治家の世界、やくざの世界がその典型的なものであり、また不安定な小資本による漁業集団(網元・大船頭・船子などからなる)などにも顕著にあらわれているのである。これが従来、親分・子分・派閥の名のもとに、封建的であるとか、悪徳とされて非難の的となっているものである。

6――リーダーと集団の関係 P.135

   <1> 制約されるリーダーシップ P.136

リーダーと直属幹部成員との関係

 日本的集団の内部構造を前章において考察したが、ここでは、リーダーに焦点をあて、さらにその実態を分析してみよう。

 第一に指摘できることは、こうした内部構造をもつ集団組織においては、リーダーシップというものは非常な制約を受けるということである。「親分」というものは、たいへん権力をもっているように思われているが、実は他の社会におけるリーダーにべて、リーダーとしての権限を制約される点が非常に多い。

 その原因の一つは、前章に述べたX集団の構造では、リーダーは、すべての成員を、直接ではなく、大部分はリーダーに直属する幹部をとおして、把握しているのである。このことは、リーダーに直属する幹部成員の発言権をきわめて強いものとすることになり、ともすればリーダーは二人以上のこれら直属幹部成員のコンサルタント的立場に立たされる。

 これら幹部成員は、ある意味で、それぞれの支配下にある成員の利益代表的存在であるから、お互いに相当緊張した力関係が生じている。こうしたメカニズムがリーダーをしばしばつき上げ、リーダーはその力関係の調整にエネルギーを使わなければならなくなる。

制約に輪をかける情的関係 P.137

 さらに、このリーダーと直属幹部成員との関係は(その他の成員のすべてにも共通した関係であるが)、「タテ」の直接的人間関係にあるために、それによって招来されるエモーショナルな要素に支えられていることである。

「タテ」のエモーショナルな関係は、同質のもの(兄弟・同僚関係)からなる「ヨコ」の関係より、いっそうダイナミックな結びつき方をするものである。古い表現をとれば、保護は依存によって答えられ、温情は忠誠によって答えられる。すなわち等価交換ではないのである。

 このために、「ヨコ」の関係におけるよりいっそうエモーショナルな要素が増大しやすく、それによって、いっそう個人が制約される。この関係は下(子分)をしばるばかりでなく、上(親分)をも拘束するものである。「温情主義」という言葉に表されれている情的な子分への思いやりは、常に子分への理解を前提とするから、子分の説、希望を入れる度合いが大きい。 2024.01.30 記す。

行動の決定は直属幹部との力関係で P.138

 以上のごとく、構造的にも、情的にもリーダーは制約されているのである。

 したがって、日本的リーダーは、どんなに能力があっても、他の社会のリーダーのように、自由に自己の集団成員を動かして、自己のプラン通りに、他の成員の強い意向をおさえてまでことを運ぶことはできない。このようにディクテーターシップ(dictatorship)を発揮できないばかりか、大乗的見地に立って、より目的にかなうリーダーシップを発揮することもむずかしい。

 行動の決定は、往々にして、直属幹部の力関係、リーダーとの人間関係に左右されることが非常に多い。

 そこで、リーダーは自由に幹部を操縦するどころか、彼らにひきずられるのである。

 したがって、リーダーとして当然もつべき「ディレクターシップ」すらもちえないリーダーが少なくない。セクショナリズムとか、派閥が猛威をふるうのは、実にこのリーダーのディレクターシップの欠如に負うことが大きいのである。

 いいかえれば、リーダーの権限が非常に小さいのである。この傾向は、戦後の日本的民主主義によって、ますます助長されている。現代の日本社会には、決断をにぶるリーダーが何と多いことか。彼らが決断をしいられた場合には、往々にして、人間的に最も親近な関係にある直属幹部に相談し、その助言によって決断をするのが常である。

「ワンママン」とよばれるリーダーがときどき現れるが、これは直属幹部との相対的力関係において、リーダーが圧倒的に優勢であり、その人間関係において、リーダーが十分自信をもっている場合に限られる。しかし、これとても他の社会にみられるディクテーターと比べれば、決してリーダーとしての自由を享受しているとはいえない。

リーダーは集団の一部分にすぎない P.139

 一定の分野において、特定集団が圧倒的に優勢である場合、そのリーダーが社会的にクローズ・アップされ、脚光をあびる。しかしそれは、外部の者が考えるほど、そのリーダー個人は権力をもっていないのが普通である。そのリーダーの権力であるかにみられるものは、実は、その集団自体のものであり、リーダーはその代表者といったほうが適切な場合が圧倒的に多いのである。

 日本社会における輝かしいリーダーとうものは、そのリーダー個人の力によって集団を形成しているのではなく、もともと他の集団との力関係において優勢であった集団に、比較的有能な個人がタイミングに恵まれ(前述のように、リーダーの順番は序列によるから)出てきた、というのである。

 つまり、リーダー個人の力よりも、内外の条件にささえられている。東条英機はヒットラーやムッソリーニと質的に異なるリーダーであったのであり、それは実に、この日本的社会構造によるものである。

 日本の場合、極端にいえば、リーダーは集団の一部にすぎない。そのために、リーダーにとっては、集団を自己のプランに応じて動かす自由が非常に制約されている。いっぽう、集団がリーダー一人に責任を負わせ、時によっては、彼を冷たく切り捨てるといったような危険性もある。

   <2> 権威主義と平等主義の力関係 P.141

ここに独断と権力の不当行使

 このような立場におかれている日本のリーダーが、しいてリーダーシップを発揮しようとすると、たいていの場合、強権発動の形をとる。「ワンマン」とよばれるリーダーをはじめ、戦前の多くのリーダーのとった方法である。ここにえてしてみられるのが、リーダーの独断的な決定・権力の不当な行使である。

 リーダーの能力・人格が非常にすぐれている場合は、普通の日本的リーダーの場合よりも、このほうが、はるかにすぐれた仕事をすることができ、貢献も大きいが、そうした資質をもたないリーダーの場合には、その集団にとっては悲劇であり、社会的な弊害を招来するものである。

 日本のリーダーシップがなぜ西欧近代的なディレクターシップをとらず、下からの力関係に左右されたり、反対に、強権発動という形をとるようになるかは、一考を要する問題である。この一見相反するリーダーの二つの形は、同一の構造を基盤としたシーソーゲームのバランスのいかんにかかっている。すなわち、リーダーと部下との相対的な力関係(ゝゝゝゝゝゝ)によって、リーダーのあり方が決まってくる。

 この両者のミーティング・ポイント(接点)として、何らのルールが存在していないため、相対的条件において、どちらかが優勢になるわけである。特に現代の日本のように素朴な民主主義(平等主義)的信念が社会に横行していると、一般的な傾向として下が当然強くなるから、リーダーは弱くなる。これは戦前とまったく逆なシーソーのバランスの現象であって、集団構造自体、リーダーと部下との基本的関係は全然変わっていないのである。

不当な平等主義もまたここに P.143

 近代西欧的ディレクターシップにおいては、何よりも、リーダーと部下の間に約束があり、そのルールによって一定のミーテイング・ポイントが決まっているから、どちら側も一定以上の力を行使することができない、と同時に、一定の権力行使が許されている。

 日本的な表現をとれば、この力関係において、上が強くなると「権威主義」であり、下が強くなると「民主主義」である。前者は戦前に多く、後者は戦後に多い。いずれも両者(上・下)の約束による接点(ゝゝゝゝゝゝゝ)が設定されていない、という点でいずれの仕方にも弊害が相当ある。

 戦前・戦後を問わず、日本のあらゆる集団を全般的にみると、リーダーの権力発動は、特定分野・特定条件に限られ、全体としては、先に述べたように、リーダーシップは、集団全体によって、きわめて制約されているいうことができよう。いいかえれば、日本的社会集団においては、組織が個人に優先しているといえよう。

 このことはさらに、リーダー(また上にある者)に対して部下の力が強い、ということがいえよう(こうした社会であるからこそ、民主主義が行き過ぎ、真の民主主義と違った平等主義が猛威をふるうことになるのである)。

   <3> リーダーの資格 P.145

仕事への能力はかえってマイナスに

 リーダーシップにみられる上・下関係の特質は、日本によく発達している。いわゆる「稟議制」なるものによってもよくあらわれている。上の者の発想を下の者におしつけるのではなく、反対に下の者が上司に意見を具申して採ってもらう。これは官僚機構を使って政治をやるという面にも出ているし、企業内においては、従業員の創意を活用するという点にあらわれている。 

 これを十分活用すれば、極端にいうと、上に立つものはバカでもいいということになる。事実、これが年功序列体系がさして不便を来していないということにつながっている。そしてまた、実力も、腕もなく、どうみても人の上に立つのはふさわしくないと思われる人まで、みな××長という地位に異常なほどつきたいと願望し、また事実、そうした人が××長になっても、何とかやっていける、という現象は、リーダーの資格というものが、必ずしも、その個人の仕事の能力にあるのではないということを立証している。

 実際、上に立つ者、親分は、むしろ天才でないほうがよい。彼自身頭が切れすぎたり、器用でできすぎるということは、下の者、子分にとって彼らの存在を減少することになり、かえってうとまれる結果となる。子分は親分に依存すると同時に、親分が子分に依存することを常に望んでいる。親分のすること、考えることはすべて子分に理解され、納得される(彼らなりにでも)必要がある。

 天才的な能力よりも、人間に対する理解力・包容力をもつということが、何よりも日本社会におけるリーダーの資格である。どんなに権力・能力・経済力をもった者でも、子分を情的に把握し、それによって彼らと密着し、「タテ」の関係につながらない限り、よきリーダーにはなりえないもである。2025.01.31 記す。

リーダーにはなぜ年長者がなるか P.147

 このように考察してくると、日本社会のあらゆる集団において、リーダー、または、責任ある××長という地位が、なぜ他の諸社会に比べて圧倒的に年長者によって占められているかということが明瞭になる。

 「タテ」の人間関係を前提とするから、リーダーは、その頂点にある人に限られる。

 一定の個人がこの頂点を占めているというとは、その集団の現存成員のうちで、その集団への参加が最も早かった一人であるということになる。実際の年齢においては、他の成員より若いとしても、集団組織へ参加した後の年限が他の成員より長くなければならない。したがって、集団の歴史が長く、大きい集団であるほど、リーダー自身の年齢も相対的に高くなるわけで、こうした集団においては、若者などいうに及ばず、中年であっても、とてもリーダー、××長のポストを占める可能性はない。

 日本社会における重要な地位がすべて高年齢層の者たちによって占められている事実は、実にこのメカニズムを反映しているのである。

 一定の組織に属する日本の男性にとって、彼らの社会的活動(権力・威信を備えた)は、五十代になって上昇し、そのピークは定年直前となる。また定年制に制約されない分野にあっては、すべて六十歳以上とみて差し支えないであろう。この意味で、実に、日本は老人天国である。

組織の頂点にいることが絶対の要件 P.148

 他の国であったならば、その道の専門家としては一顧だにされないような、能力のない(あるいは能力の衰えた)年長者が、その道の権威と称され、肩書をもって脚光を浴びている姿は日本社会ならではの光景である。しかし、この老人天国は、決して日本人の敬老精神から出てくるものではない。それは、彼がその下にどれほどの子分をもっているか、そして、どのような有能な子分をもっているか、という組織による社会的実力(個人の能力ではない)からくるものである。

 いざとなったら動員できる兵隊をもたなければ、いかに年長者といえども社会的実力ををもつことができない。兵隊もなく、地位もない(なくなった)老人が日本社会ではいかに冷たくあしらわれているかを想起すべきであろう。

 また「タテ」組織の頂点に位置しない限り、どんなに能力のある個人でも、その集団を代表したり、リーダーになったりすることはできない。よしできたとしても、この集団内の「タテ」組織で、彼のもとに直属している者以外を動員することは不可能に近い。たとえば、第五図において、その集団員のcが非常に能力もあり、リーダーシップもあるとする。しかし、一定の仕事、また一時期に限って、彼がこの集団のリーダーの地位についたとしても、彼の動員力は、彼に直属するわずか六人にあるに過ぎない。aのみにあらずb・dならびにその部下を実際に動かすことは、cにとって非常に困難であるし、事実、aがリーダーでないかぎり、彼らは協力しようとしないのが常である。

 そこで、cにとって最もよい方法は、同じ能力を使うにしろ、aを一応リーダーとしてたてておくことである。それによって、b・dおよびその部下の協力をえて仕事を遂行させる方法である。

 このように、集団組織の頂点にいちしない限り、どんなに能力があっても、 cのごとき者がリーダーとなることは、その動員能力で大きなハンディキャップをもつこととなり、結局、成果が上がらないのである。

 集団における既成の組織力が驚くほど強く、いったんでき上がっている組織の変更は、集団の崩壊なしにはほとんど不可能である。そして集団成員の行動力は、完全に既成集団を前提としていることを忘れてはならない。したがって、このメカニズムでは、事実上、その集団の存続を前提とすれば、頂点にいない限り、個人はリーダーになりえないということになる。

 個人プレーが圧倒的にものをいう、きわめて限られた分野以外では、どんなに個人が能力をもっていても、頂点にいない限り、名実ともに輝かしい活躍をすることはできない。能力のすぐれた若者・中年者にとって、まことに遺憾なメカニズムである。

集団の実力はその内部事情で P.151

 しかし、これら能力のすぐれた者が必ずしもまったくの欲求不満に陥らず、かえって多くの場合、嬉々として仕事に従事している事実がある。これはやはり、独特の集団の内部構造に求められる。

 この日本的内部構造は、他の社会のそれと比較すると、ある意味でたいへんルーズにできている。すなわち、「タテ」線の機能が強く密着しているので、AーBーCとある場合、BがAまたはCの仕事の分野に侵入しうることを容易にしている(他の社会であったら、これは非常にきびしい制裁を伴うものである)。能力のある者は常にここで大いに羽をのばして活躍するわけである。極端な場合は、BがAを自由自在に動かすほどの活動をしたりする。 

 そして、事実上、リーダーの仕事を完全にしてしまうような場合もある。例えば、第5図のcのごとき位置にあって、名目上、aをたてて、b・dおよびその部下を大いに使って、それを実行するというように。これはaが完全にcに実力の点で握られていたり、aがcを信頼し、その能力に依存する場合である。

 この意味で、日本のリーダーほど、部下に自由を与えうるリーダーというのは、他の社会にはちょっとないであろう。日本の組織というのは、序列を守り、人間関係をうまく保っていれば、能力に応じてどんなにでも羽をのばせるし、なまけようと思えば、どんなにでもなまけることができ、タレントも能なしも同じように養っていける性質をもっている。

 序列偏重で一見非常に弾力性がなく、硬直した組織のようであるが、これは同時に、驚くほど自由な活動の場を個人に与えている組織である。

 こうしてみてくると、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。よいリーダーもつにこしたことはないが、リーダーの能力で、その集団の力を測定することはできない。看板にいつわりのある場合も少なくないのである。集団の実力は、実にその内部事情にかかっているのである。

問題はいかにうまく働かせるか P.153

 ここで重要な問題となってくるのは、リーダー自身の能力よりも、リーダーがいかに自分の兵隊の能力をうまく発揮させるかということになる。この実現はきわめて人間的な接触にささえられているので、リーダーがすぐその下にある集団の幹部をいかによく把握するか、さらにその幹部が彼らに直属している部下を、いかにうまく統率していくかにかかっている。

 もちろん、そうしたメカニズムのプロセスにおいて、リーダーへの人格的敬愛があればいっそうスムーズに機能することはいうまでもないが、どちらかといえば、まず、直接につながる者の関係に組織の基盤が置かれている。

 したがって、ある個人がその超人的能力をもっていて、そのもとに、その力自体に魅せられて多くの人々が従っていく、そしてまた、その個人にその能力が失われ時には、それまで忠誠を捧げてきた信奉者たちがいっせいにそのリーダーを捨ててしまうというような、カリスマ的リーダーや、そうした集団は日本の土壌には育ちえないのではなかろうか。

 リーダーがたとえカリスマ的な要素をもっていたとしても、それは直接接触をする、その集団の核を構成する幹部に、独占的に吸収され、さらに、彼らをとおして、そのもとにつながる「タテ」の組織をとおしてのみ、信奉者を獲得することができるのである。

大石内蔵助的な人間的魅力こそ P.154

 日本のリーダーの影響力・威力というものは、部下との人間的な直接接触をとおして、はじめてよく発揮されるものである。事実、日本人のリーダーの像は、ナポレオン的なものではなく、あくまでも大石内蔵助的なものである。

 集団の機能力は、ともすれば親分自身の能力によるよりも、むしろすぐれた能力をもつ子分を人格的にひきつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。実際、大親分といわれる人は必ず人間的に非常な魅力をもっているものである。子分が動くのは、親分の命令(ゝゝ)自体ではなく、この人間的な直接膚に感じられるところの人間的な魅力(ゝゝゝゝゝゝ)のためである。

「オレの顔にめんじて……」というせりふ(ゝゝゝ)は、あらゆる理性的な判断をこえた()をもつものである。「天皇陛下万歳」といって死んでいったとされる兵たちは、実は日ごろ温情をかけられ、敬愛するところの「小隊長のいうことだから」といって勇戦したといわれる。

 企業体においては、経営者また上に立つ者は、このリーダーとしての資格をもつことが望まれ、実際、経営者のパーソナリティというものが、その従業員にとっても、また社会においても、日本ほど問題としてとりあげられている国はちょっとないであろう。

 また経営者自身としても、いつの時代にあっても、「企業は()なり」と、()についての問題に真剣にとりくんできており、日本においてはこれが経営管理の重要な課題となっている。いったい、ナポレオンが部下のことを、アメリカの経営者が従業員のこといを、これほど深刻に考えたことがあったであろうか、また考える必要があったであろうか。2025.02.01 記す。

7――人と人との関係 P.157

   <1> 契約精神の欠如

「タテ」組織に代るもの――契約

 以上述べてきた「タテ」に結ばれるエモーショナルな関係は、理論的にみると、社会組織の基盤となる人と人との関係のあり方の代表的な三つの方法の一つを示すものである。

 この他の方法としては、すでにふれたように、この反対の「ヨコ」の関係がある。すなわち、子分をもってくる代わりに、兄弟とか、同類の者をもってくる方法である。この方法は、古くから多くの社会で使われてきたものであり、今でも、インド・東南アジアなどには強く機能している(興味あることは、この方法が非常に機能を発揮しているインドには、親分・子分という関係がほとんど存在しないことである)。これはいわゆる「縁者びいき(ネポテイズム)」やカーストや階級形成に通ずるものであり、特権がある集団に独占される危険性を十分にもっており、親分・子分関係より、決してすぐれているといえないであろう。また、日本人の素質からしてできるものではない。

 もう一つの方法は「契約(コントラクト)関係によることである。ちょうどケネディが「ケネディ政権」を創設したときに、ケネディ自身関係のなかったラスク氏や、共和党の(日本流にいえば敵陣営に属すると考えられるような)マクナマラ氏などを、その実力によって抜擢し、政権をつくったように、こうしたやり方は、「コントラクト」精神なしには絶対にできないことで、英米において、政界のあり方が日本のそれと比較にならないほどすぐれているのは、まさに、「コントラクト」の可能性にあるのである。

 ところが、筆者の分析によると、「コントラクト」精神は日本人には全く欠如しているものであり、ほとんど絶望に近いと思われるのである。

もともと契約精神が不在――契約 P.159

 西欧的な意味でのコントラクト関係が設定されにくいとうことは、すでにふれた丸抱え式雇用関係にもはっきりあらわれている。筆者は、日本の近代企業が、その初期から、労働力の過剰・不足にかかわらず、終身雇用的な方向をとってきているという事実は、雇用において西欧的な契約関係が設定されにくい(雇用する側とされる側と両方に原因があるのだが)という理由に求められるのではなかろうかと思うのである。経営者側としては、当然、コンスタントな労働力を確保するために、労働者(特に熟練労働者)のひきとめ策として、コントラクト制を発達させる代わりに、より日本人にあった生涯雇用制の方向をうち出してきたのではなかろうかと思う。

 経営者ならずとも、一定の人々を使って、あるいは協力して、一定の仕事をした、あるいはしようとした経験のある者なら、だれでも思い当るに違いない。当初に、その仕事をやりましょうと約束した人々が、長年同じ場所で働いていたか、前述の何らかの「タテ」の関係をもっている人々でない場合には、必ずといっていいほど、苦い経験をもたされるのである。そしてその原因が殆ど人間関係、特に感情的なものに発しているのである。

 その個々の成員の間、リーダーとその他の成員の間がしっくりいかなくなって、なかには仕事を怠る者が出るばかりでなく、邪魔をしたり、仕事を放擲したりする者が出たりする。自己の要求が十分満たされないと、仕事の途中に「おれはやめる」とか「辞表をたたきつける」などといって(本当にそうする場合もあるし、おどしに終わる場合もある)、リーダーを困惑させ、ある種のエゴイスティックな感動を味わうというやり方は、日本人の得意とするところである。

 共通の目的・仕事の達成に責任感がないといおうか、よしあったとしても、個々人にとっては、それ以上に感情的な人間関係が重要視されるという、きわめてエモーショナルな性向が認められるのである。これはコントラクトが遂行されないというよりは、もともとコントラクトなどという観念は存在しないといえよう(これは仕事を依頼するほう、引き受けるほう、両者ともにいえることである)。

目的には絶対な西欧のリーダー P.161

 このことは、戦後日本でとみに盛んになったいわゆる学術調査団(その他登山隊・探検隊と称されるのも同じであるが)における人間関係などにもよくあらわれている。

 これを筆者のよく知っているフランス人・イタリア人の調査団などと比較してみると、非常に違っているのである。ヨーロッパ人による調査団というのは、まず、そのほとんどが何々大学などといわず、団長の名を調査団の名とし、団員は必ずしも団長の属する大学のスタッフとか、その弟子というのではなく、隊長が広く一般から最も調査団の目的にあっていると思う専門家を抜擢、招請することによって構成される場合が多い。

 したがって、隊長が以前少しも面識がなかった者などもはいっていることが多い。一度、団長と団員の間にコントラクトが結ばれると、その調査が終わるまで、団長と団員の関係は徹底したものであって、仕事に関するかぎり、団長命令は絶対的なものとして服従される。たとえば、どんなに有名な写真家といえども、団員となったかぎり、団長(たとえ写真家より世間的にも知られておらず、年も若かったりしても)の指示のもとに一枚一枚の写真がとられる。しかし調査期間中でも、仕事に関係のないときは、たとえば、団員が夜どこかへ遊びに行こうが、何をしようが全く自由である。仕事に関係のない行動について団長の意向をうかがう必要は少しもない。仕事に関するかぎりは、団長は自分の意志どおりに団員を動かして目的を達成できる。

日本のリーダーの主要任務は和の維持 P.162

 しかるに、日本の学術調査団にあっては、まずコントラクト形式などをとって寄り合い世帯的団員構成をもった場合、ほとんど失敗を招来する。失敗とまでいかなくとも、仕事の能率は悪く、感情的な人間関係にすっかり精力を使われ、予定した仕事が少しもスムーズに運ばず、ものすごい苦労をする。

 こうした調査団はたいてい仲間割れをしており、団長は悪口雑言の対象以外の何物でもなくなってしまう。日本では、立派な(?)大学教授も、現地人や外国人の前で喧嘩をし、いがみあって汚名を土地に残してしまうような結果となる。これではどんなに優秀な団員からなり、十分な費用をもっていても、仕事の成果はさっぱりあがらないのである。

 これに対して、リーダーが長老格の教授で、その愛弟子(まなでし)ばかりを団員とした調査団ほどうまくいっている。こうした隊では、どんなに貧しい調査費でも、どんなに苦しい環境にあっても、目的を遂行しうるのである。それは、われわれの団長(師)のためにはあらゆる犠牲をいとわないといううるわしい(日本的なイミ)積極性が団員にあり、一方、「かわいい奴らだ」という限りない弟子へのいつくしみにささえられた団長の思いやりである。

 この関係にあっては、団長の力ももちろんあるが、団員によって団長が動かされる度合いは、目にはみえないが、相当あるのが普通である。実際、リーダーの権限はヨーロッパ人による調査団の場合よりずっと小さくなっている(これは前章のリーダーシップの論述で詳しく述べたところである)。したがって、学問的に非常にすぐれ、才能のあるリーダーが、それを十分発揮することができない場合が多い。団長の存在理由は、調査を指導する、あるいは自分の調査目的を達成するというよりも、むしろ人間関係の(かなめ)となって、その和を保つということにある。調査団はゲマインシャフト的な「みんな(ゝゝゝ)の調査団」である。

「封建的」では片づかない人間関係 P.164

 これに対して、ヨーロッパのそれは、あくまで団長(ゝゝ)の調査団であって、団員は団長の仕事を完成するために、各々の役割を受けもつにすぎなく、きわめてゲゼルシャフト的なものである。ちなみに、調査を終わり帰国して、調査団が解散するとともに、団長・団員個々人はそれぞれ全く他人となる。一方、日本ではその共同体的関係が一生つづく可能性が強い。また、そうした可能性を背景として、はじめて成功裡に調査を終えることができるともいえよう。

 この学術調査団のあり方にも明らかなように、親分・子分というものに象徴される人間関係は、政治家やヤクザの世界ばかりでなく、実際、進歩的思想の持ち主だとか、文化人と自他ともに認める人々や、大学で西欧の経済や社会について講義をしている教授たち、あるいは最先端をゆく大企業の中で働いている人々の中にも、みられることが指摘できるのである。そしてこの根強い人間関係のあり方というものは、決して、従来説明されてきたような封建的などという簡単なものではないし、工業化とか西欧文化の影響によって簡単に是正されるものではない。

ニ君にまみえた(ゝゝゝゝ)西欧とまみえず(ゝゝゝゝ)の日本 P.165

 コントラクト精神の有無ということは、これら経済的・文化的変動、歴史的推移などというレベルをこえたところに起因していると思われるほど根強いものに通ずるのではないかと思われる。それは、中世の主従関係というものを西欧と日本を対比してみるとよくわかる。

「ニ君にまみえず」といわれるように、一生のうち、子々孫々にいたるまで、できれば一人の特定の主君に仕えることが理想とされ、少なくとも、一時期に同時に二人以上の主君に仕えるなどということは、日本の武士道(否日本人の普通の気持としても)においては考えられないことであり、またそれは、しようとしても日本人にとっては大変むずかしいことであった。

 ところが西欧の中世では、主従関係は、必ずしも全人間を無期限に拘束することを前提としていないために、主君を変更することができたばかりでなく、同時に一人で、二人とか三人の主君に仕えることも可能であった。そしてそれは、何ら道徳的非難をうけるものではなかった。近代的コントラクトとは内容が異なるにしろ、西欧にはコントラクトの精神が封建時代にさえはっきりみられたということができよう。2025.02.02 記す。

あらゆる面に顔をだす反契約精神 P.166

 この相違は今日でも師弟関係によく反映している。西欧をはじめアジア諸国においてさえ、複数の師を持つのは普通である。何ら不便を感じないものであるが、日本人の場合、たいてい特定の一人を師としてもっているのが普通である。そして、師のほうも、自分の弟子が他の師をもつことに非常な抵抗を感ずるのが普通ではなかろうか。

 こうしてみてくると、コントラクト精神とは異質な、恒久的に設定される単一の「タテ」の人間関係、というものが、日本社会に根強く潜在していることを知るのである。

 もちろん、より近代的な制度においては、温情的親分・子分という形がインパーソナルな官僚的な性格になったり、こうした「タテ」の関係に拘束されない場合も多くあるわけであるが、それは条件的な違いで、利害関係が強くはいってきたり、生存にかかわるほどの重要性をもつ集団行動とか、伝統的権威にささえられた特権の多い集団とか、緊急、または重要な仕事の遂行といったような場合には、極端に出てくるものであるところに、問題の重要性があるのである。そして、この傾向は、多かれ少なかれ、私たちの社会生活のあらゆる部分に顔を出しているのである。

   <2> 相対的価値観の支配 P.167

エモーショナルな「タテ」のつながり

 個人と個人の間に個性的な、あるいは抽象的なコントラクト関係の設定が困難であるということは、人間関係が、きわめてパーソナルな、直接的な()()との関係によって設定されるためということができよう。

 近代企業における経営者と従業員の結びつきや、西欧的教養を身につけている知識人の間においてさえ、このような「タテ」の情的な関係が強いのであるから、これがヤクザの世界の親分・子分関係となれば、論をまつまでもない。親分のために殺人くらいすることは当然であろう。

 ある保護施設の園長の言によると、ヤクザの世界を一度味わった子供が、何回連れもどしてももどって行ってしまうのは、ヤクザの世界では、保護施設や里親などからは得られないような、その子にとって、理解と愛を受けるからであるという。親分・子分関係の強さ、エモーショナルな要素は、弱い者にとって安住の世界をつくっている。

 戦後とみに盛んになった新興宗教集団が、魅力的なリーダーをもち、直接接触を媒介とするエモーショナルな「タテ」の線を集団組織の基幹としていることも注目に価する。創価学会の折伏(しゃくぶく)による「タテ線」、立正佼成会の「親・子」関係は、その典型的なものである。これによって信者は、しっかりと組織網に入れられ、「私はもう一人ぼっちではないのだ」という安定感に浸ることができる。

 また、古い歴史をもつ伝統的な教団といわれるものも、これら新興宗教とは異なるが、基本的には「タテ」のつながり(ゝゝゝゝ)がみられる。たとえば、真宗の門徒は、真宗という教理の共通性自体を媒介として集団をつくっているというよりも、むしろ、実際には自分の父も、祖父も門徒であったからという「タテ」の線によって、現在の個人がささえられているといえよう。

 信仰というような、一見抽象的なものを媒介として成立しているがごとき集団においても、それは驚くほど顕著にあらわれている。また、教団組織そのものも「タテ」関係を貫いていることは、天理教の本教会・分教会組織、真宗の本・末寺関係などによくあらわれていることもつけ足しておこう。

論理的、宗教的でない道徳的社会 P.169

 さらに興味あることは、「神」の観念自体にも、これはみられるのではなかろうか。日本人にとって「神」「祖先」というものは、この「タテ」の線のつながりにおいてのみ求められ、抽象的な、人間世界から全く離れた存在としての「神」の認識は、日本文化の中には求められないのである。極端にいえば、「神」の認識も個人の直接接触的な関係から出発しており、またそれを媒介とし、そのつながりの延長として把握されている。常に、自己との現実的な、そして人間的なつながり(ゝゝゝゝゝゝゝゝ)に、日本人の価値観が強くおかれているといえよう。

 このあまりにも人間的な――人と人との関係を何よりも優先する――価値観をもつ社会は宗教的ではなく、道徳的(ゝゝゝ)である。すなわち、対人関係が自己を位置づける尺度となり、自己の思考を導くのである。

「みんながこういっているから」「他人がこうするから」「みんながこうしろというから」ということによって、自己の考え・行動にオリエンテーションが与えられ、また一方、「こうしたことはすべきでない」「そう考えるのは間違っている」「その考え方は古い」というような表現によって、他人の考え方・行動を規制する。

 このような方式は、常に、その反論に対して、何ら論理的、宗教的理由づけがなく、もしそれらの発言を支えるものがあるとすれば、それは「社会の人々がそう考えている」ということである。すなわち、社会的強制(ゝゝゝゝゝ)である。社会の道徳とは、修身の本にあるのではなく、いうまでもなく、この社会的強制である。したがって、その社会がおかれた条件によって、善悪の判断は変わりうるものであり、宗教が基本的な意味で絶対性(ゝゝゝ)を前提としているのに対して、道徳は相対的(ゝゝゝ)のものである。日本人の考え方や信条が戦前・戦後とたいへんな変わり方をしたことや、また戦後においてすら、現在までずいぶん変化している事実は、こうした動く実態自体(社会)に価値の尺度をおいているためである。

そこには一種の集団のくさみ P.171

 この社会的強制は、日本社会というような大きなものより、小集団におけるほど密度が高くなる。

 一定の集団が他のものと接し、話し合いをするような場合に、誰もが口にするのは、「我々の意見をまず統一しておかなければ」ということである。集団の結束がかたく、機能が高いほど、集団の個人に対する社会的強制は強くなる。いいかえれば、それだけ個人の自由な思考・行動を規制してくるのである。

 こうしたたえざる運動の結果、一定の集団の構成員のパーソナリティが非常に似てくるという現象がみられ(この集団規制にたえられない個人は長い間には結局脱落したりする)、また、似たようなパーソナリティの人々が集団を構成するという現象がみられる。実際、日本社会においては、特定の主義とか思想を旗じるしにしている集団の人々が、類型的に同じようなパーソナリティをもっていることが指摘できる。

 そして、各々のグループは、主張する主義とか思想に論理的には無関係の、一種の(おなじような傾向をもつ人々のパーソナリティの総和からかもし出される)くさみ(ゝゝゝ)をもっているのが常であり、本質的にその主義・思想自体に共鳴していても、そうしたパーソナリティをもち合さなければ、そのグループの成員となることは困難である。

 一方、そのグループの標榜する主義に全く異議がなく、そのためにこそ、その集団にはいっていても、そうした本質的なことに関係しない、ささいな事件によって、意見を異にし、往々にして感情的不一致が明白になったりすると、村八分にあったり、グループから脱落することを迫られたりする。

集団の生命は相互の人間関係自体に P.172

 したがって、日本においては、どんなに一定の主義・思想も錦の御旗としている集団でも、その集団の生命は「その主義(思想)自体に個人が忠実である」ことではなく、むしろお互いの人間関係自体にあるといえよう。

 そこで宗教と同様、主義・思想は、日本社会にあっては後退を余儀なくさせられている。堂々と世界に誇りうるような、また、他の社会の人々に大きな影響を与えるような偉大な宗教家・哲学者が、いまだに日本(堂々たる文明国でありながら)から一人も出ていないという事実は、この日本的社会構造と無関係ではなさそうである。

 このように考察してくると、日本人の価値観の根底には、絶対(ゝゝ)を設定する、あるいは論理的探求、といったものが存在しないか、あるいは、あってもきわめて低調で、その代わりに直接的、感情的人間関係を前提とする相対性原理(ゝゝゝゝゝ)が強く存在しているといえよう。

 このことは、前に述べた、リーダーと部下の力関係における接点としてのルールの不在、人と人との関係における契約によって表現される約束(ゝゝ)の不在ということによっても、遺憾なくあらわれているところである。

   <3> 論理よりも感情が優先 P.173

日本の批評家の立場とその嘆き

 論理を容易に無視するこの相対的価値観は、現実の日本人の人と人との関係、やりとりに如実に発揮されている。そして、特に知的な活動において致命的な欠陥を暴露するのである。その最もよい例の一つは、日本人による「批評」の確立の困難さであろう。

 ある時、中村光夫氏が、日本における評論家という立場、評論の受けとられ方を嘆いていたが、筆者も全く同感である。

 作品自体について論じているのに、ちょっとほめると、「あいつはオレに好感をもっている」ととられ、ちょっとけなすと、「あいつはケシカラン奴だ」とくる。作品をとびこえて、人対人(パーソンパーソン)の直接の感情的出来事になってしまう。

 また、ごく少数の(これは雨夜の星ぐらいの割合だが)ものを除いて、評論家・書評者のほうでも、往々にして感情的文句を弄しているのが常である。「これは気に入った」だの、「著者の問題意識を疑う」だの、「著者はまだ苦労が足りない」とか、「著者の周囲の人々がどうだ」などと、作品外の著者の態度とか(パーソナリティ)にまで及ぶと同時に、自分の感情投入をさかんに行なう。書評というもののスタイル・内容が、著者の人間関係できまってしまうことが多い。

 はっきりいうと、知らない人のもの、自分の反対に立つ人のものに対しては、悪評をするが、知人や仲間、特に先輩のものに対しては、必ずといっていいくらいほめている。そして、往々にして(筆者などもついそうなってしまうのだが)、本当に作品の弱点をついたのちに起こる、いまわしい、パーソナルな感情攻撃をされることを考えると、ついおざなりのことを書いてお茶をにごしてしまいたくなるのである。あるいは初めから依頼を断わるしか方法がない。結局、損をするのは第三者である読者であり、これは大きな社会的マイナスである。書評の信頼度が非常に低いということである。

真の「対話」がありえない社会 P.175

 こうしたわずらわしさは、何も書評などという特殊の領域に限られているのではなく、私たちが、毎日の生活で経験するものである。人のことをいったり、ある事件は、ある問題に関して、私たちが自分の意見を発表するとき、対人関係、特に相手に与える感情的影響を考慮に入れないで発言することは、なかなかむずかしい。

 もちろん、いずれの社会においても、こうした考慮は多かれ少なかれあるわけであるが、日本社会におけるほど、極端に論理が無視され、感情が横行している日常生活はないように思われる。

 その証拠に、日本人の会話には、スタイルとして弁証法的発展がない。「ほめる書評」と「けなす書評」しかないように、「ごもっともで」というお説頂戴式の、一方交通のものか、反対のための反対式の、平行線をたどり、ぐるぐるまわりして、結局はじめと同じところにいるという、いずれかの場合が圧倒的に多い。

 まず一方交通の場合は「話をする」とか、「話を聞く」という、話し手と聞き手というように片よっており、「会話を楽しむ」という、ゲーム的な対話というものは実に少ない。外国人とのやりとりになれてみると、日本人の会話には実に退屈なものが多い。

 日本の小説も、この現実をよく反映している。たいていの小説の会話などは、書かなくてもわかっているような、川の水がきまったコースを流れていくようなものが圧倒的に多い。それは論理的からみ合いの妙などというおもしろさには遠くおよばず、むしろ、主役の感情の流れに沿って喋るのである。聞き手は、その「ワキ役」を演ずるのが普通で、対話者として同列にたつことはむずかしい。そして、ここにも例外なく登場するのは「タテ」の関係であり、話し手の役は普通上位の者(あるいは一座の人気者)が独占する。2025.02.03記す。

堂々と論理的に反論できない仕組み P.176

 普通の会話でも、こうした傾向が強いのであるから、会議となると、ますますこの傾向が強くて、何のための会議であるのかわからなくなってしまう場合も多い。この日本人の習性が最も大きくあらわれるのは、学会や研究会である。若い学者が先輩の学者に対して堂々と反論できないことである。

 こうした場合の、学会での反論の仕方をみると、まず、不必要な賛辞(それも最大限の敬語を羅列した)に長い時間を費やし、そのあとで、ほんのちょっぴり、自分の反論を、いかにもとるにたらないような印象を与える表現によってつけ加えたりする。客観的にみると、学者にあっても真理の追究より、人間関係のリチュアルのほうが優先している、といわざるをえない。

 私は、西欧においても、アジアにおいても、これほど不合理な学者間のやりとりを見たことがない。日本人の学問に対する「なまぬるさ」(少なくとも社会的行動において)が、ここにも見られるような気がする。いかにも、実力よりも肩書きの優先する学者の世界のあり方であろう。

 何らかの意味において、「タテ」につながる人々のなかでは、反論はこのように抑圧されているから、大っぴらな反論というものは常に、そうした関係のない人々(他の集団に属する人々)、あるいは反抗者(例えば、上司に反発を感じて発言をする部下や、教師に何らかの不満を抱く若い学生など)から出される。この場合も、反論とは称しても、実は論理の上での反論というよりは感情攻撃の形をとりやすい点で、やはり論理性の欠如がみられる。この典型的な例は、国会における、与党に対する野党の反論である。

最初から最後まで平行線 P.178

 このように相反する、または異なる主張・考え方をもつ者が話し合ったり、議論をしたりすると、自分たちの主張を叫ぶばかりで、両者のあいだに論理的な発展がないのが普通である。そしてさらに驚くべきことは、日本の代表的な文芸評論家たちが、このことを明言していることである。例えば、

「一切の論争で、落ちつく所に落ちついたりすることは、決してない。論争というのは、初めも終わりも、交わらぬ平行線である。評者と作家の応酬は、両者が沈黙の礼儀を守る場合と変わる所がない。」(荒正人、『群像』昭和三十九年五月号)

「少なくとも他人の考へ方を改めさせるなどといふことは……できることではない。論争において常に大切なものは、本人たちにとっては論理ではなく体面であり、世間から見ると見世物としての性質である。……非難、攻撃、喧嘩といふものは、論理的な研究でなく、当人たちがさう思ひ込んだことを、どこまでも主張するといふことにすぎない。」(伊藤肇、上掲書)といいきっている。こうしてみてくると、日本の学界においても、文芸・評論の世界においても、真の論争は存在しがたく、非難(censure)はあっても真の批評(critisism)は存在しがたいものと考察できる。

 批評にとって、感情は敵となる。感情はエネルギーを結集することができても、個別的であり、またパースぺクティブを欠くために、共通の場に立つ者、また同じムードをもつ者にしか通じないという、批評においては決定的な弱点をもつものである。

世界に類例がない無防備な会話 P.179

 文芸批評というような特殊な分野でなく、論争が行われ、どちらかが、ゆずらなければ事が運ばないような場合、一方の主張がとおり、一方が譲歩する原因は、論争のテーマ自体でなく、他の社会的強制による場合が圧倒的に多い。

 したがって、譲歩した側には、いつも感情的欲求不満が残りやすく、また、これは第三者にとっては、不可解な決着が少なくない。論理による勝敗の決着にみられる、あのサバサバした気持ちには遠く及ばない。

 日本人の「話せる」とか「話ができる」という場合は、気が合っているか、一方が自分をある程度犠牲にして、相手に共鳴、あるいは同情をもつことが前提となる。すなわち、感情的合流を前提として、はじめて話ができるのであるから、お互いに相手について一定の感情的理解(ゝゝゝゝゝ)をもっていなければならない。したがって、初めて会った人とか、知らない人とかとは、日本人は実に会話が下手であり、つまらない内容のことしか喋ることができないという弱点をもっている。

 反対に、たいへんよく知っている、そして気が合った仲間の間では、最も会話を楽しむことができる。こうなると感情的合流がみごとにできるので、断片的に言葉を発するだけでも通ずるし、話題を何の前ぶれもなく、急にかえても大した支障は来さない。もちろん、敬語を使いわけるわずらわしさからも自由になり、何を喋っても誤解されたり、不都合なことが起こらないという安心感がある(よし、その仲間に「タテ」の関係があろうとも、そうした席では一応無礼講が許されうる)。

 日本的お喋りの楽しさは、実にこうした条件において最高である。お互いの気分のおもむくままに話は流れ、非論理的であるから、内容は当然(インテリの場合でも)知的なものではないかもしれないが、これは一種のリラクセーションとして、大いに社会生活上貢献している、といえよう。こんな無防備な会話というものは、少なくとも外国のインテリ間では存在しないといってもよいかもしれない。

※参考:幸田露伴は「仲のよい同士が、終日何ということもなしに一緒にいる。ただそうしているだけで楽しい。必ずしも言を交えるには及ばない。二人の間には、気持ちの交流するものがあるのである。」と随筆に書いている。(黒崎付記)

論理を敬遠して感情を楽しむ P.181

 日本人は、論理よりも感情を楽しみ、論理よりも感情をことのほか愛するのである。少なくとも、社会生活において、日本人はインテリを含めて、西欧やインドの人々がするように、日常生活において、論理のゲームを無限に楽しむという習慣をもっていない。

 論理は、本や講義のなかにあり、研究室にあり、弁護士の仕事のなかにもあるのであって、サロンや喫茶室や、食卓や酒席には存在しない、そうしたところでは、論理をだせば理屈っぽい話としてさけられ、理屈っぽい人は遠ざけられる。

 近年ノーベル賞を受賞された朝永(ともなが)博士がいつかこんなことを書いていらした。

 ――外国の物理学者は、食事をしている時でも、酒を飲んでいる時でも、すぐ物理のディスカッションを始め、紙と鉛筆を出して式を書き、まるで何か()かれた人という感じで、こちらはとてもついて行けない、と。

 私も外国生活になれない頃は、彼らが食事中にも、団欒(だんらん)のサロンでも、たいへん頭脳を使う話をするので、閉口したことである。また反対に、日本に来た外国のインテリは、日本人がお酒を飲みだすと、手のとどかない遠い所に行ってしまう、と取り残される寂しさを味わうのである。

 ある中国人は、日本人のこの姿を見るにつけ、あのような無防備で楽しむことにできる日本人は羨ましい、といった。あるアメリカ人は、日本の実業家がアメリカ実業家同様忙しいにもかかわらず、ハート・アタックで亡くなる率がずっと少ないのは、馬鹿話のできる酒席の時間というものをもっている故にちがいないと考えている。

 論理のない世界に遊ぶ――しかもそれがきわめて容易に日常生活の場で行なわれ、それが公的な関係に交錯するほど、社会生活全体のリズムのなかに、その重要な(潜在的とはいえ)部分として位置づけられている――ということは外国人にとっては一つの芸当とみえるかもしれない。日本人にとっては、それは序列のきびしい生活における神経の疲れを癒すという重要な精神衛生に貢献しているにちがいない。しかし、この論理のない世界というものを、そして、それを社会生活のなかで、これほど機能させるということを、そうした習慣を共有しない人たちに説明することは実にむつかしい。

 日本人、日本の社会、日本の文化というものが、外国人に理解できにくい質をもち、国際性がないのは、実は、こうしたところに――論理より感情が優先し、それが重要な社会的機能をもっているということ――にその原因があるのではなかろうかと思われる。

2025.02.04 記録終了。2025.01.16~2025.02.04 写した。


★中根千枝著作

『タテ社会の人間関係』昭和四二年二月一六日 第一刷発行 講談社現代新書

『適応の条件』昭和四八年一月二四日 第ニ刷発行 講談社現代新書

『タテ社会の力学』昭和五三年三月二〇日 第一刷発行 講談社現代新書

『未開の顔・文明の顔』昭和四十七年九月三十日 初版発行 角川文庫

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