中根千枝『タテ社会の力学』
(講談社現代新書)昭和五三年三月二〇日 第一刷発行

タテ社会の力学


1――序論 P.11

★中根千枝著作

『タテ社会の力学』昭和五三年三月二〇日 第一刷発行 講談社現代新書 

はじめに P.3

 本書は拙著『タテ社会の人間関係』の姉妹編であるが、同書に展開した筆者のタテの理論の延長線上にあるものではなく、別のアングルからの分析で、前者とは理論的にあい補う関係にたつものである。

 一九六七年に『タテ社会の人間関係』が出版されて以来、筆者自身が予想もしなかったことであるが、「タテ社会」という用語がよく使われるようになった。さらに一九七〇年には同書の英語版 Japanese Society が出版されたため、内外から筆者の理論に関するさまざまな意見がよせられた。その中で一番筆者が当惑したのは、タテの理論によって日本社会のすべてを説明したかのような受け取られ方をしたことであった。

 また、筆者の意味する「タテの関係」というのは、きわめて抽象的な概念で、特定の価値観や内容に限定されないものであるにかかわらず、往々にして、強者と弱者の関係(上から下への関係)としてのみ受け取られてしまったため、多くの誤解や行き過ぎが生れたことは残念である(本書によって、それらは解消されると思うが、これらのことをふくめて一連の批判に対して筆者の見解を提示したことがあり、それを本書の巻末に付記したので参照されたい)。

 タテ社会の理論は、日本社会に内在する重要な一側面をとらえたもので、これだけでは、日本社会の構造的メカニズムを理解するのに、不十分であることはいうまでもない。そればかりか、タテ社会の理論自体にも、私にとって一つの弱点があったのである。それはタテの構造をもった相互に独立した諸集団を結びつけ、全体社会の統合を可能にするメカニズムについて、理論的に満足すべき説明をすることができなかったことである。

 実は、この理論的空隙を、私は中央政府による行政的統合ということでなんとかまとめたものであった。社会人類学的構造論で説明しきれないところを、行政組織によってカヴァしたわけである。全体の社会学的理論構造に、行政組織を補足的に導入するのならばよいが、後者で前者の不十分さを補ってしまうのは、正攻法ではなく、付け焼き刃的で、そこが私のタテ理論の最も弱いところであると思っていた。しかし、この弱点は幸か不幸か誰からも指摘されることがなかった。

 爾来、私はこの弱点をなんとか克服したいものと考えつづけ、四年前やっとその理論化にこぎつけたような気がした。それは、本書で展開するように力学的考察の導入によるものであった。主たる理論形式はできても、細部の仕上げに意外に時間をとったことと、専門の研究や大学の仕事などに追われ、ついに今日までいたってしまった。

 このように、本書はその源を『タテ社会の人間関係』に発しているが、前者がどちらかというとスタティクなモデルの提示であったのに対し、本書はダイナミックなメカニズムを追究したものである。たとえていうならば、『タテ社会の人間関係』は側面からの透視によって、その骨格を浮き彫りにしたのに対して、本書は生きた実態の断面を解剖したものである。

 本書の原稿は昨年十二月初めインドに出発する直前に完成した。筆者が四ヵ月にわたるヒマラヤの実態調査に従事している間、本書の編集・連絡などすべてを担当された講談社の田代忠之氏に心から感謝する次第である。

 なお、巻末の付記1・2はそれぞれ雑誌『ロアジール』と『アニマ』に掲載されたものである。この転載は余暇開発センターならびに平凡社(そして日高敏孝氏)の好意ある承諾によるものである。

  一九七八年一月五日  ニューデリーにて       中根千枝

第一部――個人と集団ー小集団の特性

1――個体認識について P.12

民間信仰的な個人主義

 欧米の人々と日本人の社会学的認識を対比して、個人主義と集団主義ということがよくいわれる。そして、日本にほんとうの意味での個人主義が確立されていないのは、日本の近代化がまだ本格的な段階にいたっていない証拠である、などといわれている。この個人的主義対集団主義という設定はそれと異なる様相の説明として使われいるにすぎず、集団主義の内容分析、ならびに概念は明確ではない。個人主義を高く評価する見方は、西欧で強く主張されている個人主義は人類にとって普遍的な認識でありうるはずで、そのような意識がない、あるいは十分発達していないのは、まだ社会が近代的に十分成熟しないからだと、条件的な差異として理解しようとする立場から出るものと思われる。

 しかし、実際、彼らと生活を共にしたり、よく交わってみると、この根強い個人意識というものは、たんに社会の成熟度というか、近代化の度合いといった条件的な差ではなく、少なくとも私には、あたかも民間信仰のような性質をもっているものという印象を受ける。このような強い個人の意識――それと密接に関係していると思われる個人の権利・義務の概念――は、日本ばかりでなく、西欧と対照的な文明を築いたインドや中国の伝統にもない。これはきわめて西欧的な文化で、もちろんその歴史・哲学・心理などからくわしく説明しうるところであろうが、ここでは、それがどのような社会学的思考と関係しているかを、比較文化の立場から考察し、日本との違いを構造的に解明してみたいと思う。

 個人主義を標榜する彼らの思考の基盤は、何よりも不分割・不合流の個人(ゝゝ)という単位に設定にあると思われる。個人、すなわち individual で、不可分の単位で、社会のアートムを構成し、社会構造の原点として、他に比較できないユニークな単位である。社会は個人があってはじめて構築されうるのであり、個人はそのもとになっている。これは一見あたりまえのことのようであるが、論理的には、これは一つの個体認識のあり方であって必ずしも普遍性をもちうるとはいえない。つまり、それは西欧の人々の哲学・心理のあり方を反映した一つの常識的な考え方といえよう。

生物にとって個体とは何か P.14

 個人主義の母体となっている個体認識というものを本格的に考えるために、個体(individual)というものの性質について研究の進んでいる生物学の解釈を参考にしたいと思う(興味深いことはに、日本人は、個人(ゝゝ)個体(ゝゝ))というように別のよび方をしているが、英語では、いずれも同じ individual という用語が使われる)。生物の世界のことがらやメカニズムがそのまま人間社会に適用できるなどとは思わないが、問題を考えるうえにたいへんよい刺激を与えてくれるのである。

 最近の生物学の研究において、ベルタランフィは、「私たちが、自身を他のものと異なる個別的存在だと経験したときだけは、個体性というものを直接に感じとれるが、私たちの周囲の生物については、これを厳密に定義するわけにはゆかないのである」(フォン・ベルタランフィ著、長野敬・飯島衛共訳『生命――有機体論の考察』一九五四年、みすず書房、五三ページ)と結論し、個体というものをどの単位に設定すべきかということは容易にできないことを明記している。たとえば、

 淡水ポリプを研究すると個体概念がどんなにあいまいなものかがわかる。適当に処理した切片は両頭のポリプを生ずる。この二つの頭は世にも奇妙なぐあいに張りあう。ミジンコ一匹をつかまえると、どちらの頭がこれを食べようと同じであるにもかかわらず、両方の頭が獲物をめぐって角逐するが、いずれにしても結局はは共通の胃腔にはいりこみ、そこで消化され全部の部分がこれを利用するのである。このポリプは⦅一つの⦆固体か⦅二つ⦆とすべきかなどといってみても意味がない。ところが自然はこの質疑に応えてくれる。やがてこの二重動物は二匹に分かれるか、さもなくば一匹の統一された個体に融合してしまう。(前掲書、五一~五二ページ)

 また、ケストラ―は、個体認識というものがいかに相対的なものであるかを次のように述べている。(アーサー・ケストラー著、日高敏孝・長野敬共訳『機械の中の幽霊』ぺりかん叢書Ⅰ、一九六九年、第四章「不可分と可分」九五ページ)

(アリ、ミツバチ、シロアリの)一匹一匹の社会性昆虫は、肉体的には別々の存在である。けれど彼らは、グループから切離されたら生きていかれない。彼らの存在は、全体としてのグループの利益に完全に支配されている。グループのメンバーはすべて同じ両親の子孫であり、交換可能で、人間にばかりでなく、おそらく昆虫自身からみても一匹一匹の区別はできない。彼らはたぶん、自身のグループ・メンバーをにおいによって認知してはいるが、個体の識別はしていないと思われる。さらに、多くの社会性昆虫は、互いに分泌物を交換しあう。それによって、彼らの間には一種の化学的連帯が形成されるのである。

 ふつう、個体というものは、不可分で自己完結的なユニットであって、それ自身の単独で独立な存在をもつものと定義される。しかし、このように絶対的意味における個体は、自然界、社会を問わず、どこにも見出すことはできない。ちょうど絶対的な意味での全体というものが、どこにも見出されないのと同じように、単独性と独立性のかわりに存在するものは、協同と相互依存である。これは肉体的な共生から、群れ、ハチの巣、魚群、鳥の群れ、獣の群れ、家族、社会という結合まであらゆる範囲のものを含んでいる。

個人は細分化される――インド P.16

 このような生物における個体性の位置づけは、個人主義的常識からみると、一見、別世界のメカニズムのようにみえる。しかし、広く世界に目をむけて、さまざまな文化において発達した個人と社会に関する認識のあり方を考慮に入れると、生物学者たちの個体に関する考え方に論理的なつながりを見出すことができるのである。

 たとえば、インドの人々の考え方によると、世界を構成する諸要素は無限の種に分かれる。カーストなどは、社会の種(出生・職業による属性)によって分けた一つの典型であるが、カーストにとどまらず、さまざまな属性によって種に細分化されていく。個々人レベルにまで細分されるばかりでなく、さらに個人はそれを構成している諸要素によって細分化される。個人は決して不可分 indivisible ではなく、divisible であるという哲学にたっている。集団(あらゆるレベルで種によって分けられた)でも個人でも、その相互の関係は、それを構成している特定要素をおたがいにとったりもらったりすることからなりたっている、とみるのである。

一体化の強調――日本 P.17

 この、すべては無限に諸要素に分解しうるというインド的思考に対して、日本の社会学的思考では、反対に、個々人は合流、一体化しうる、という方向が強調されている。夫婦一体とか、「家」などという単位の強調、二人が力を合わせれば、ニでなく三の力が出るとか、一丸となってことにあたるとか、すべて、個々人の合流を意味し、二人以上の個人の集りは、一体として不可分の単位を構成しうるということができる。 るし、また、個々人はお互いに不可侵の場をもっていない。

 このことは伝統的な財産共有体の家族のあり方を比較してみるとよくわかる。すなわちインドや中国では、財産共有体としての家族においては、男子成員あるいは兄弟は同等の権利をもち、財産に対してはそれぞれ均等の配分の権利をもっている。見方によっては、財産共有体というものは男子成員個々人の権利の集合体である。原則的に個人単位に分割可能な集団である。

 ところが、日本の「家」の財産というものは、個々人の配分の集合という意味は全然なく、個々人と関係なく存在している単位である。その財産の維持・運営のために家長があたり、その後継者として息子の一人(長子が常であり、息子のない場合は養子または婿養子)があたる。そのため息子の一人が家を継承するということになる。分家したり、その家から独立していく兄弟・息子たちにとっては、どのような配分、あるいは手当てがなされるかは、家長の考えや他の家族員の意向、その他、その「家」のおかれた経済的・社会的条件によるのであって、それがどのような結果になろうとも、「家」はそのまま存続すべきものであり、その構成員、個々人を単位として分解しえないのである。その「家」から二三男が出ていくことは、その「家」としては不必要な枝を切り落とし、排出された成員によっては、ソトに別の単位を構成する(分家)か、既存の別の単位に合流する(他家の婿養子となる)ということであって、「家」(集団)は不分割の単位として存続するのである。

「家」でなくとも、日本のさまざまな集団は、こうした不必要となった成員を排除していくオートマティクな方法をもっている、たとえば定年退職・のれん分けに象徴されるような成員の分離・独立といったシステムがそれである。また、極端な場合、村八分やそれとほぼ似たやり方で、集団の意向にそわない人々は集団強制に似た手段で、個人として何らの配分もなく排除される。これらは個々人を排除する方法であるが、ときには一つの集団内に派閥ができ、ついには集団が分裂したりする。以上のように、集団構成員の変化ならびに集団分裂は起こりうるのであるが、いずれも個々人に解体しうるという原則はみられない。

 集団は理想的には不可分の単位であって、個人は集団成員であるかぎり、個々としての単位の認識はきわめて低調となる。こうなると、社会学的単位は集団の方にウェイトがおかれ、欧米の個人におかれるのと反対の考え方をもつのは当然である。また、論理的なつながりでみると、個人をも分割可能単位とみるインド人の考え方と、反対の方向が強調されているのであり、個人主義かなどという単調な対照ではなく、社会学的個体認識をどのレベルにおくかという違いになってくるのである。

2――小集団所属 P.21

場を共有する小集団

 日本人にとっての個体認識としての社会学的単位は、欧米人のように個人ではなく、たしかに集団であるが、無限定の集団ではない。それは、社会学の用語でいうプライマリー・グループ(第一義集団)とよばれるものに近い。すなわち、常に(ほとんど毎日)顔を合わせ、仕事や生活を共にする人々からなる小集団である。

 そのプロトタイプは、すでに考察した「家」に求められることができる。とくに伝統的な農村における「家」はその典型的な例である。この「家」は仕事の単位であると同時に生活の単位である。農家のように家族員(とくに夫婦ならびに成人成員)が仕事の単位を形成しない他の多くの職業の場合は、毎日同じ職場で働く「仕事仲間」ということになる。この場合は、その構成員各人の家族(妻子たち)は構造分析の立場から考察の枠外におかれる。ちょうど農家の農作業に従事しない子供たちの位置づけになる。

 ここで問題とするのは、家族と仕事仲間という対応ではなく、仕事仲間とよばれるような、一つの仕事を遂行する集団である。それが家族成員であろうが、異なる家族からくる数人の男子(あるいは女子)であろうが、また、一つの家族の成員とそうでない者からできているものであろうが、問題ではないのである。農家の場合は一般に、それがたまたま家族成員であるというだけのことで、ここで問題となるのは、家族か非家族とかいうような家族論からの見方ではない。重要なことは、仕事の遂行において、いつも共にいる(ゝゝゝゝ)(すなわち協力関係にある)ということで、場の共有を媒介としている人々からなる小集団である。

小集団の構成 P.22

 小集団という用語は、それ自体、内容・性格を規定しないで、必ずしも適切なものではないが、プライマリー・グループというと、すでに社会学で特定の意味に使われ、限定されすぎて、必ずしもここでいう意味と同じではないので使用したくないのである。ここでいう小集団とは、仕事の共有(ゝゝゝゝゝ)場の共有(ゝゝゝゝ)という限定要因を付したものとして便宜的に使用する。

 小集団といっても、その大きさは、農家や小規模の家族経営体にみられる夫婦あるいは父子というような二人からなる小さなものから、二十二人近くになるオフィスで働く一つの課の人々とか、工場内の一つの職場などがある。同一の場の設定がたいへん大きい 場合は、そのなで、自然にセクションごとに、あるいは仕事内容によって、かたまりができ、その一つに一つが小集団を形成しているといった方がよく、必ずしもオフィスとか工場で仕切りのない場に(物理的にできた)におかれた人々を全部がそのまま小集団の成員となっているのではない。

 また、物理的に特定の場で働くという条件をもたない小集団もある。たとえば、政党の派閥のように、派閥の事務所はあっても、その成員はいつもそこで活動しているのではない。また同一職場に属する運転手なども一日のうち大部分は別々の場で過ごしている。反対に、数ヵ月も漁に出るといった一つの漁船の乗組員などは、小さく限定され、隔離された場で寝食を共にするわけで、物理的には最も小集団の現象をもつものであるが、帰港ともなれば、乗組員は自由に散在するし、次の漁には、必ずしも同一の全員が上船するとはかぎららないから、小集団構成員全員の定着性となると、派閥などにはずっとおとるということになる。しかし、その構成の核となる部分は恒久性をもっている。  

 このように、小集団のあり方はさまざまであるが、構成員がお互いによく知り合った仲間に限定されるので、その大きさは二人から十数人が常で、大きい場合には、仕事の性質による制度的な区分によって小さく分れたり、また、その中で自然に、気のあった仲間などのグループができるのが常である。

理想的サイズ P.24

 小集団の理想的なサイズは五~七人である。十数人以上になると、そのなかで多少の親疎の関係ができ、インフォーマルなサブ・グループができるのが常である。もちろん、小集団自体もインフォーマルな場合も少なくない。しかし、その特色は場を共有しているのが常で(少なくともコミュニケーションがたいへん蜜で)、仕事仲間という設定が圧倒的に多い。

 五~七人というのは、その成員が遠慮なく自分の意見や感情を開陳でき、相互の協力が効果的に行なわれ、満足すべき意志決定のプロセスをもつことのできるサイズである。すなわち、いつでも集って相談事ができ、ほんの些細な出来事にも共感をもって反応できる数である。十数人ともなると、こうしたことは必ずしもできなくなる。因みに、全国どこの農村においても、機能の高い「ク三」とか「トナリ」とよばれるサブ・グループは、必ず数軒からなっている(十軒以上の場合は、サブ・グループに分かれているか、サブ・グループがオーバーラップして、協力内容によって五~六軒に限定されているのが常である)。

 一方、小集団がニ~三人というのは、小さすぎるのである。なぜならば、ニ~三人ではなかなか気分というか雰囲気が出てこないのである。インド人はパンチ、五人の意見は神の意見に等しいといって、五人の意味を高く評価するが、五人ともなると、さまざまな意見をもつことができるし、性格やパーソナリティにバリエーションが出て、にぎやかな雰囲気をもつことができ、またそれによって緊張をやわらげることができるのである。とくに、個人主義という文化をもたず、人見知りをしやすい日本人にとって、この雰囲気(ゝゝゝ)の存在は、人体の存在にとって空気が必要なように、必須のものと思われるのである。

 日本人が個人として生き生きとし、緊張を感じないで社交を楽しみ、仕事をするという状態のときは、いつもこの小集団の中に(物理的とは限らず社会的に)いるときである。実際、多かれ少なかれ、各個人は何らかのこうした小集団(あるいは疑似小集団)をもっているといえる。 

 それはちょうど山登りをしている人に対するベースキャンプのように、心理的安定を与えるのである。人々は朝から晩まで小集団の人たちだけと共にいるのではなく、仕事のうえでも、社会生活のうえでも、他の多くの人々と接触しているのがノーマルな状態である。どんなに小集団が個人の活動に心理的安定性を与えるといっても、それだけが孤立した状態におかれることは不健全である。実際、他の人々とノーマルな社会的接触に欠ける少人数の長期旅行や、登山隊・調査隊、あるいは外国における少人数の日本人コミュニティなどにおける不和・緊張をはらんだ人間関係は、経験者ならずともよく知られているところである。極端な場合には精神異常者や自殺者が出たりする。

 さきに、ニ~三人というのは小集団としても小さすぎるといったが、農家の場合は往々にしてそうであるが、農村においては、クミとかトナリをはじめ、農家をとりまく人間関係の密度が高いので、十分その小ささを補っているといえよう。2025.02.08記す。

変動する関係 P.26

 このように、特殊状況におかれないかぎり、小集団はいかに疑似性・孤立性が高いものであっても、他と関係なく単独に存在しているものではない。小集団自体は他の小集団と集団としての関係をもっているし、小集団成員個々人は、他の集団に散在する個々人となんらかの関係をもっているのが常である。この集団としての関係と、集団成員個々人のもつ関係は、レベルと性質を異にするものである。

 前者はより制度化(慣習的な意味をふくめて)されたものであり、その関係は、小集団全員をインパーソナルな形で支配するものであるが、後者は個人によってさまざまな違いがあり、それが他の成員に必ずしも影響するものではない。  

 小集団成員の個人がその集団外の個人と結ぶ関係の種類は、学校友だちその他をふくむ友人関係、仕事を媒介として、あるいはなんらかの機会にできた知人関係、親類関係、隣人関係、趣味の仲間など、多岐にわたる。しかし、この種の関係は、個人の社会生活を豊かにするものであり、また仕事のうえでも役立つことが多いが、個別的な関係であるために、条件の変動によって影響を受けやすく、その依存度は相対的な条件にかかっている。事実、この種の関係は個人差がきわめて大きいし、個人の一生をとおしても、必ずしも同じようにつづくものではない。一時期には、この種の人間関係がたいへん重要な役割をもったりするが、人により、時により、その関係は濃淡があり、変化しうるものであるために、恒久的な社会組織の基盤にはなりえないものである。

個人参加ではない P.29

 小集団内部の人間関係に対して、小集団としての(その全員をひとまとめにして)もつ、他の集団との関係は恒久的な性質をもっており、これが社会構造構築の基盤となっている。この集団と集団の関係は、並列する同類集団を結ぶものであったり、上位集団に統合される部分として小集団が位置づけられているものであったりする。いずれにしろ、ソトからみれば、小集団はより大きい集団の部分あるいは構成単位として位置づけられている。

 小集団の個人は、これによって、そのより大きい集団の成員であるわけであるが(事実、分野の違う人に対しては、自己の所属を名でいうよりは、大集団の名を用いるのが常である)、重要なことは、日本では、この大集団参加は常に小集団単位の参加であって個人参加ではないということである。いいかえれば、小集団の疑似性というか枠が強く、大集団に合流しても決してその枠がなくならないということである。2025.02.08 記す

かたく閉ざされた家の枠 P.30

 この日本社会のしくみは、次に述べるように、他の諸社会と比較した日本の農村生活のあり方によくあらわれている。

 日本の農村では、生産・消費単位としての独立した家(すなわち、本論でいう小集団にあたる)が数戸集って、共通の居住の場をもったり、その全成員が一つの家族成員の延長のような親密な日常生活の単位を構成していることは皆無に等しい。

 他の村々との交渉が昔からきわめて少なかった山奥の孤立した村など、ソトからみるとたいへんその凝集性が強いようであるが、その村人たちのあいだのつきあいをつぶさにみると、お互いに家族の延長のような人間関係をもっているのではない。彼らは何世代にわたって同一のコミュニティを形成し、大部分の村人はそこに生れ育った者であり、お互いに家庭の事情も性格もたいへんよく知ったあいだがらであるにもかかわらず、家の者とそうでない者とのあいだの行動様式には顕著な違いがみられるのである。日常的なあいさつ、会話のやりとり・内容にもそれがよくあらわれている。家のソトの人々に対しては、それが隣人であろうと、親類であろうと、飲み友だちであろうと、礼儀正しさと用心深さをともなっている。このような場を共通にした長い歴史をもった集団においてさえ「家」(小集団)の枠はかたく閉ざされているのである。

 このことは、実際の家々の配置にもよくあらわれている。日本農村の典型的なたたずまいとしては、各戸は独自の屋敷をもち、それに垣根をめぐらして、他の家々から切り離された生活の場を形成し、物理的にもこの小集団の単位の孤立性が強調されている。

 日本以外では、このような農家の散在の仕方はむしろ例が少なく、多くの社会では普通コンパウンドとよばれる垣根をめぐらした地区に、数軒がまとまって建てられていたり、一つの大きな建物を二軒以上で専居していたり、直接隣接する建物が両側に向かい合って建っていて、そのあいだの道がそこに居住する数家族の社交の場となっていたりする。最後の例は、ちょうど江戸時代の下町の長屋風景に似たものであるが、北インドから西の地中海方面の国々では、そうした特殊の階層・地域だけでなく、貧富をとわず全国の農村にみられるスタンダードの設定なのである。

 数戸からなるこの種のグループの家々の関係は、親たちが兄弟姉妹関係あるいは親子関係にあったり、友人関係であったりする。各家は生産・消費の単位であるのが常であるが、個人は家族の一員であると同時に、この大きい単位の一員として日常生活を送ることになる。実際、子供たちはほとんど家族による区別を意識しないほどである。各家族はこの集団に対して大きく開かれており、両親と子供からなる家族(各戸)の孤立性・凝集性は当然低調となる。

 日本にもトナリ組的近隣集団がどのムラにもあるが、この集団はあくまで各戸単位の構成であり、どんなに機能が高くとも、各戸の孤立性を低くするものではない。むしろ各戸単位の責任の自覚が大きくなり、家単位の意識は弱くなるどころか強くなる。

恒久的な血縁集団 P.33

 以上のように、各家の全員が参加する――家の上位集団として――より大きい集団が地域的にまとまってみられるほかに、地域的にはまとまらない特殊集団に、各家の成員が成員権をもっている場合がある。その代表的なものは、父系制あるいは母系制など血縁の組織をもっている社会である。このような社会では一戸を構成している家族員は、同時に、村落の内外に散在して別々の戸を構成している人々からなる父系(母系)血縁集団の成員でもある。多くの場合、エクソガミー(族外婚)のルーツにより、夫婦はそれぞれ異なる血縁集団の成員でもある(子供は父系制では、父の、母系制では母の、属する集団の成員である)。このように恒久的な血縁集団の存在により、各戸を構成する家族員は同時に、異なる集団(家族のような小集団より大きな集団)の成員でもあるわけで、このことが、家族集団の閉鎖性を破る作用をもつのである。

 これは日本の家族成員が、他の家族に血縁・婚姻関係でつながっているというのとは異なるものである。成員規定が明確な組織で、個人の不和あるいは死亡などで簡単に関係がうすくなったり弱くなったりするのとは違って、恒久的な集団として存在しているのである。さらに、日本の同族などとも違うことは、個人が直接その成員となる、個人単位によって構成される集団で、本家と分家の集合というように、家族単位の集団ではないのである。日本にみられるような同族集団では、家の封鎖性は少しも破られないのである。

一戸から一人 P.34

「家」や「同族」の上位集団として、伝統的にその孤立性を特色としてきた日本の村落についてみても、それはよくあらわれている。村落はその村落に住む個々人によって構成されているのではなく、家々によって構成されている、というのが日本人の考え方である。事実、そのような構成になっている。

 村の寄合いには、一戸から一人が出席するのが原則であるが、この一戸一人(ゝゝゝゝ)という方法は、あらゆる村の運営にあらわれている。これは日本人にとってはきわめて当然のことであるが、社会によっては、村の集会には成人男子すべてが出席することが原則となっている場合もある。この方法には、村落の構成というものが、家を単位としているよりも個人を単位としていることが反映しているのである。各家から一人というのは、個々人は「家」という集団の単位をとおして村落集団に参加しているという、社会学的思考をよくあらわしているのである。

 この「家」に顕著にあらわれた小集団のあり方は、仕事仲間の存在形態にも共通している。たとえば、一つの工場で働いている仕事仲間のうち、旋盤工とか電気工などは、それぞれの職種によって、他の会社の工場で働いている同じ職種の者たちから集団(組合)に参加しているというのではなく、仕事仲間はそのままの単位で、同じ会社の他の諸単位とともに組合を形成するのである。この上位集団への参加は単組としての参加であって、個人としての直接参加ではない。

 この村落や組合のシステムに典型的にあらわれているように、日本社会における集団への個人参加は、常に小集団の場合に限定され、後者をとおしてのみ、個人は大集団に参加していることが指摘できるのである。集団によっては、個人の大集団への直接参加の形態がみられるものもあるが、そのような集団は、個人の生活にとってあまり重要な意味をもたないもの(たとえば同好会的なものとか趣味の会のように)が多い。このような大集団の場合も、その核には小集団ができていて、あとは一般参加者とか一般会員などとよばれるもので、大集団を構成する全員が同じように積極的に参加し、発言権をもっているのではない。日本社会には、個人が同等の資格で直接参加する機能の高い大集団は存在しないといえるのである。

悲劇的な「仲間はずれ」 P.36

 そこで、個人はなんらかの小集団に所属しない限り、市民権がえられないことになる。小集団の成員権というものが、一般の資格とかルールによって与えられるものではなく、長期間にわたって醸成される仲間意識を基盤としているために、新米として加入することは容易でも、いったん、同様な小集団に入ってしまった者は、よそに移ることはむずかしくなる。いずれの小集団も強い封鎖性をもっているために、途中から出ることも入ることも容易ではない。したがって、日本人にとって一番きびしい制裁は「仲間はずれ」である。仲間はずれにされることを恐れるのは子供たちばかりでなく、大人の世界も同様である。

 この仲間はある場を契機としてできるので、個人が特定個人を選択して友人とするといった一対一の関係とは違う。個人は二人以上の人々と同時に近い関係を結ぶことになる。したがって、小集団の成員はみな好きな人たちとは限らない。とにかく仲よくやっていかなければならない人たちで、個人の好みは抑制されたり、また、長いあいだに友情が形成されたりする。とにかく、仲間はずれになるようなことになったら、悲劇的なことになるし、また仲間の誰でも仲間はずれにするなどということは、できるだけさけなければならない。こうした場においては、生きるための知恵のようなものが発達する。

セクションごとの孤立性 P.37

 日本における機能の高い大集団は、必ずいくつかの小集団を基盤としており、それらがその上位のレベルでいくつかのグルーピングされ、その単位がさらにより上位のレベルでいくつかにグルーピングされ、最終的には頂点の長(リーダー)を要としてできる小集団に統合されるという構造をもっている。より大きい集団ほど、レベルの数が多いのは当然である。

 どの社会においても、大きな組織となれば、必ず、小集団から大集団へといくつかのレベルで組織されているわけであるが(たとえば官庁や企業のように)、日本の場合、個々人の小集団帰属意識がことのほか強いために、たんなる組織上の配置ということにとどまらず、仲間意識をもった集団として高い機能をもってしまう。このためにセクションごとの孤立性が高くなり、同一組織の中でもセクショナリズムが非常に強く前に出てくるのである。このセクショナリズム、すなわち小集団帰属意識こそ、日本社会の動きを特色づける分野における競争意識の温床になっているのである。

集団間のルール P.38

 小集団の上位集団への統合は、制度的というか、慣習的な約束によって行われる。つまり、大集団内のルールは集団単位のもので、個人の小集団への統合のあり方とは質を異にするものである。小集団内の人間関係はルールというよりも、条件、個々人の相対的な関係によって規定され、個々人を直接しばるものであるが、大集団内の集団関係には、条件によって容易に動かない制約的ともいえる慣習化されたルールが作用している。そしてこれは個々人には間接的にしか働かない性質のものである。

 集団間の特筆すべきルールは、各レベルにおける上下関係を守ること、そして各集団の既得権を相互に侵さないことである。

 日本の小集団は欧米の個人に比敵されることを「個体認識」のところで述べたが、構造的観点からみても、日本の小集団は欧米の個人と同じような性質をもっている。つまり、欧米の個人に比敵される。欧米の人々が個人(個としての単位)の尊厳を保つために、抵抗を示すと同じように、日本の小集団はそれを部分とするその上位集団や隣接集団に対して、単位の独立性を強く主張し、抵抗を示すのが常である。これは、小集団のおいて個人がその部分として統合されることに抵抗をあまり示さないことを想起すると興味深い。2025.02.09 記す

3――個別集団における個人と集団 P.40

派閥・系列の発生

 日本社会において、個人は必ず小集団をとおして大集団に参加している。いいかえれば、大集団は小集団の集積から構成されている。ということは、小集団の全構成員は、常に同一の大集団に統合されていくということで、同一小集団の構成員が別々の大集団の成員でありうるような構造にはなっていない。たとえば、前節でふれた父系(母系)血縁集団への家族成員の所属のように、夫(妻)と子供たちはXグループに属し、その配偶者はYグループに属しているという具合に。

 この種のグループは、個々人のもつ属性にもとづいて成員権があたえられるのであって、あくまで個々人の集合としてできる集団である。すなわち、同類よりなる集団で、ここでは便宜的に「類別集団」とよぶ。

 父系制や母系制のように、同一の血縁につながるというのも一つの属性であるが、それは専門の職業でもよいし、主義を指標としたものであってもよい。たとえば、かってのギルド、今日のプロフェショナル・グループや組合である。また政党や宗教集団などもその代表的なものといえよう。

 この種の集団は、あくまで個人の属性(ゝゝゝゝゝ)にもとづいて集団成員権が与えられているのであるから、個人単位の加入である。個人の参加の時期や仕事場に関係なく、同一の資格が何よりも優先され、同列にたつことが原則となる。

 日本においては、このような大集団はいちおうあるが、必ず内部が小集団(派閥とか系列など)に分かれている。実際、個人がこうした大集団に参加するのも小集団になりやすい。たとえ、個人で参加したとしても、他の多くの成員が小集団(あるいは同一系列につながる小集団の集合)をとおしたグループを形成しているので、実際の集団活動において疎外されやすい。

 このように、日本では類別集団といっても、内部が系列集団に分かれているのが常で、やはり、個人はそれぞれの小集団をとおしての参加という形になりやすい。機能の高い大きい集団であるほど、その傾向は強くなるのである。このために大集団自体の機能は当然弱く、常に内部分裂の可能性を構造的に内包している。同一職業集団がよく分裂して、いくつかの集団に分かれている現象は枚挙にいとまがないほどで、むしろ、日本社会においては、それが常態であるといってよいほどである。実際に別々の集団を形成していなくとも、同一名称の大集団がいくつかの派閥や系列に分かれていることは、日本人にとって常識であるといえよう。

 他の社会の類別集団にみられるように、個人単位の参加であれば、分裂、派閥闘争はないとはいえないが、少なくともそうした現象を構造的に内包するものではない。したがって、内部分裂とか派閥闘争は一時的な現象として起っても、日本のように恒久的に構造化しているのとはたいへん異なるのである。派閥(faction)という用語が同じように使われているが、他の社会の場合(洋の東西をとわず)はたいへん流動的なもので、日本とは構造的な違いがみられるのである。

リーダーシップの差 P.42

 この内部構造の違いは、大集団維持の方法、活動のあり方にも大きくあらわれている。個人参加による類別集団の維持を可能にするのは、成員の一体感などというものではなく、集団のルールに個々の成員が忠実であるということである。 

 実際、お互いに知り合った小集団の少人数の成員と異なり、多数の同一資格者の成員が集団を構成する場合には、もはや、なれ合いとか相互の順応などということでは、用が足りないことはいうまでもない。こうした集団の統合・運営には、成員全体からなんらかの方法でえらばれた、一般成員とは明確にステータス・役割の異なるリーダーとか役員・幹部にあたる幹部の人々が全員に対して責任をもって事に当たる。この責任者は集団の一般成員から明確に区別され、同時に全成員に対して等距離に立つ。このことが、大集団の統合、リーダーシップ発揮に大いに役立つのである。

 内部が集団ごとに系列化されているような日本的構成をもつ大集団の場合は、リーダーはそのなかの優勢集団から出るのが常である。このために、大集団の責任者は全成員に等距離にたちえない。彼自身の集団の長(あるいは長老の一人)としての責任の地位にもあり、大集団に包含されている他の集団の成員たちに対しても、前者と異なる関係にたつのは当然である。一方、大集団の長や幹部級の人々を出さない集団の成員は、外様(とざま)的位置にたつわけで、大集団の長に対しては自分たちの集団のリーダーへの対応とは違ってくる。リーダーの側からも、全体成員に対してリーダーシップが自己の集団成員の場合のようには発揮できないということになる。この意味でも大集団自体の機能は弱くなる。

 大集団全体に対して、強いリーダーシップを発揮しにくいというもう一つの理由は、そのリーダーが大集団の長にありながら、自己の集団成員の制約を強くうけざるをえないということにある。いずこの社会においても、小集団においては、リーダーは他の 成員に制約され、強いリーダーシップを発揮することは容易ではない。他の成員と社会的距離が近すぎ、情緒的な結びつきが濃厚になるためである。

ルールの重み P.44

 日本的小集団と他の社会にみられる類別集団におけるリーダーと一般成員の関係は、ちょうど日本の伝統芸能の演奏と、オーケストラの演奏における形式の違いのようなものである。前者においては、同じ場で出演している仲間の誰か(リーダー格の)を中心にして、あるいは、そのリーダーによって、全体が演奏されるが、後者においては、指揮者をもってはじめて演奏が可能となる。前者のやり方は、少人数であることと、それから当然帰結するバラエティの少なさということを前提として、はじめて可能になるが、後者の場合のように人数も圧倒的に大きく、楽器の種類も多くなってくると、とても前者のようにはできない。コンダクターが必要とされるのは当然である。

 こうなると、集団成員は指揮者に従っていればよいのであって、成員相互あるいは成員の誰かに合わせるるという気遣いは不用となってくる。とにかく、集団成員個々人の如何とは関係のないルール(ゝゝゝ)に個々の集団成員は従うということである。

 こうした集団では村八分ということはないが、ルール違反にはきびしく、それによって集団成員権の剥奪も当然起こりうる。

「なんだってオレだけが――」の論理 P.45

 日本社会の場合にも、もちろん、この種のスケールの集団――小集団より上位の集団――におけるルールはあるが、構造的に個人は小集団をとおして参加しているので、小集団の枠が防波堤となって、そのルールが直接個人の進退を規制しえないメカニズムとなっている。したがって、個人が小集団の成員として許容されている限り、上位集団成員としてのルールを侵したとしても、それによってその特定個人が制裁を受けるということはきわめて少ない。このことは、一方、大集団のルールを成員に貫徹することを困難にしているともいえよう。大集団のリーダーが苦労するゆえんでである。因みに、日本ではオーケストラ成員をまとめていくのがたいへん困難なことであるときく。大集団をまとめる側からすれば、ときとして構成員のわがままな行動や感情が全体の統合をはばむためであろう。それというのも、各人は小集団に対してしか責任の自覚がないためである。

 大集団の成員がルールに違反したことや、一般道徳にもとるような行ないが指摘され、その成員権を剥奪されたり、剥奪されそうになるケースがときとして出るのは、その行為自体が集団成員によって問題となったためではなく、その大集団の部分を構成している小集団の成員として、不適格性の高い場合、つまり村八分になりかかつているような場合、それが起爆剤として使われることによるものというのが通例である。さもなければ、不運にして、小集団がその個人のルール違反の事実を、防御しきれなかったときである。したがって、ルール違反で世間から弾劾された人が常にもたらすのは「なんだってオレだけがこんな目に会わなければならないのだろう。みんなやっているのに」ということである。

破戒僧への制裁 P.47

 因みに、日本仏教史上、戒律を侵した僧侶が、その理由で僧籍を剥奪されることはほとんどなかった。これは仏教僧侶集団としての特異なことである。

 タイ、ビルマなど、日常行動における戒律のきびしい小乗仏教の僧団はいうにおよばず、チベット、中国、朝鮮、韓国などの僧団では、戒律を犯した僧は、その場で僧衣をぬぎ、還俗(げんぞく)するのが常であった。つまり、宗派をとわず、寺をとわず、僧侶集団(プロ集団)としてのきびしいルールが成員個人を規制しているのである。

 日本の僧侶にあっては、籍をおく寺のしきたりに従うことは、何よりも要求されるものであるが、仏教僧としての大きな集団の戒律を守るということは第二義的になっているのである。破戒に対する制裁も、僧侶集団自体のルールによってではなく、神社奉行によってなされたという。

 註

   この点、同僚の仏教史学の鎌田茂雄教授にただしたところ、中国においては、教団としての自己規律の機能が生かされていたが、宗教に対する政治の力が強く、唐末から特に破戒については、俗官が僧侶をとりしまる役をもったとのことである。そして、日本の場合は中国の影響を受けて、奈良・平安時代は僧尼令(そうにれい)というもので規制されていたが、主として江戸時代から寺社奉行の所感となったとのことである。

 また同教授によると、日本には「日本仏教」というものはなく、宗派仏教しかないとのことで、この点も本論で考察している集団構造をよくあらわしている。  2025.02.10記す

あくまでも小集団帰属 P.48

 以上考察したように、個人の集団所属において、日本人の場合は第一義集団、すなわち常に小集団であって、大集団への所属はその集団をとおしてなされる性質のものであるから、個人にとっては第二義的な意味しかもたない。いいかえれば、第一義集団より大きな集団へ、個人が直接所属することにはならないのである。大集団への参加はあくまで制度的なもので、個人参加ではないといえよう。したがって、個人に対する集団の制約というものは常に小集団のものであり、それはきわめてパーソナルな要素の強いもので、インパーソナルなルールによる制約からは比較的自由な立場にあるといえよう。

 これに対して、欧米人・インド人・中国人などの場合は、大集団は小集団にまさるともおとらず機能が高いといえよう。場合によっては、小集団より大集団の成員権の方が、重要でまた恒久的なものとなっていたりする。仕事場(生活の場)における人々のモビティが高い社会では、当然その方が機能が高いわけでもある。大集団の個人参加による成員権が重要な機能をもっている場合は、個人は必ず仕事場(生活の場)における集団の所属と大集団の所属との性質の異なる二つの集団所属をもつことになる。これに対して、小集団へしか個人所属をもたない日本人の場合は、一つということである。すなわち、大集団は小集団の延長である。

 二つ以上の所属集団を個人がもッテいる場合の重要な点は、その二つ以上の者が、同質の者(例えば、すでに考察した家族とコンパうんドグループの関係、また家と村落の関係)のみならず、異質のものをもっているということである。たとえば、家とか村落のように、場を共通とする集団の成員であると同時に、特定カーストの成員であるとか、特定工場従業員であると同時に、特定の職種組合の一員であるというように。この()()による二種類の集団は、個人の一生の生活にとって、ともに欠くことのできないものとなっている。

限られた「二つの顔」 P.50

 これに対して、日本の農民やサラリーマンの場合は、所属が単一である。日本社会において、しいて二種類の所属をもっている人たちを探してみると、何世代にもわたって住民のコミュニティが形成・維持されている下町の商店や開業医、寺の住職などである。彼らは生業の本拠である居住地の町や村の重要な一員であると同時に、別の町や村に散在している同業集団の一員でもあり、同業者との密接な関係は欠かすことのできないものである。

 ある村の住職と話をしていたら「我々は二つのまったく異なる世界に身をおいており、二つの顔をもっているようなものです」といったが、カースト社会の人びとは、全員がそうした社会的な位置づけにあるわけで、日本社会においても、このような職業の人々は多かれ少なかれ、類別の大集団の成員権もっているのがシステムとなっている社会の人々の生活感覚と近いものである。

 このような立場にある人々は、農民やサラリーマンたちより複雑な社会的位置づけにあり、社会生活において当然情報量が豊かであるが、それでも他の社会の同業集団の成員にくらべると、やはりその世界はせまいといわざるをえない。というのは、すでに考察したように、彼らの同業集団への所属のあり方が、いわゆる大集団への直接所属ではなく、小集団所属であるからである。

 商店の場合ならば、のれん分けをしてもらった商店に結びつき、そのもとの商店を軸として形成される小集団に属している。医師の場合も同様な構造で、師事した先生とか、インターンをした病院といったものを軸として形成される小集団であるし、寺の場合もその寺の初代住職の師にあたる人のいた寺を中心とした、本・分家的なタテのつながりによってできている小集団に属しているのであり、そのような小集団の総和としての大きな同業集団ができているのであって、各個人が大集団に直接属しているのではない。

 したがって、二種の集団所属をもつといえども、いずれにおいても、個人は小集団所属という限界性をもつものである。

4――――ネットワークと個人 P.52

タテのネットワーク

 医者や僧侶の場合でもよくわかるように、類別集団の成員は、自分の仲間(類別集団)以外の人々を対象として仕事をするわけであるから、同一集団に属している成員は、地理的にも社会的にも広範囲に散在しているのが常である。

 しかし、その日常活動をつつがなく遂行するためには、常に職業上の相互連絡を必要としている。したがって、各々が分散して仕事をし居住していても、彼らのあいだでのコミュニケーションは驚くほど活発に行われている。すなわち、彼らは常に機能の高いネットワークによってささえられているのである。

 日本の場合は、前に指摘したように、そのネットワークの主要部分はタテ関係にもとづいており、限定されがちであるが、タテ社会に依存せず、個人が直接類別集団に参加している場合は、個人と個人を結ぶネットワークのありようは、もっと複雑で、またより広範囲に及ぶものである。個人の安定した社会生活や活発な活動は、いつに、より機能の高い、より豊かなネットワークをもっているかにかかっているのである。日本社会では、タテのネットワークが、各人に社会的安定性を与え、必要とする情報を流してくる。集団成員としてつつがなく過してさえいれば、情報はほとんどオートマティックに供給されるといえるほどである。情報の受け方も、個人というよりも小集団単位である。

限定されたネットワークの範囲 P.53

 小集団の中では、あらゆる些細な情報までよく伝達される。お互いにそれは伝達する義務があるかのようで、もし、ある成員がその当然のつとめを怠ったような場合は、「なぜ知らせてくれなかったか」という非難を受けることになり、また、知らされなかった人は「聾桟敷(つんぼさじき)におかれた」といってたいへん立腹する。これは、その情報が特定個人にとってとくに関係がなかったり、必要と思われないようなもの、また、とるに足りないような些細なものであっても、問題になりうるのである。それは、小集団の成員としては、常に同様にあらゆる情報に通じているということが当然のこととされ、また、そのこと自体が小集団の意味ならびに活動を高揚するからである。したがって、仲間はずれにされるということは、すべての情報が入ってこなくなることで、この意味でも、日本人にとって、小集団所属がいかに意味もつかがわかるのである。

 各人が個人を中心としてネットワークをもち、それによって情報を得ているようなシステムであれば、日本的な小集団の存否はあまり大きな意味をもたない。小集団成員間ならびにタテの線を伝わっての小集団への情報の流れ方というものは、個人と個人を結ぶネットワークにおける情報の流れ方とは、いささか質を異にしている。

 ネットワークという概念は、社会学的には、本来、個人と個人を結ぶもので、ネットワークの網の目は個人であって、集団ではない。この意味で、小集団の機能がたいへん高く、タテ関係が優先されている日本人にとっては、ネットワークの機能ならびに範囲はきわめて限定されているといえよう。このことは、日本人の集団所属が単一的である(実際にはいくつかもつていても、常にその一つが優先されるから、構造的には単一ということができる)という構造的な制約によるものである。以下に述べる、そうでないあり方と比較すると、それがよくわかるのである。 

中国人的ネットワーク P.55

 中国人がその社会生活において、様々なネットワークを活用していることは、よく知られているところである。かつての中国における「行」、つまりギルドのネットワークは、日本のそれの比ではなかったし、父系血縁原理による宗族成員、同郷の人々をはじめ、さまざまなアソシェーションがあるが、個人は種類の異なるいくつかの類別集団に同時に(ゝゝゝ)属している。そのいずれもが個人の必要に応じて、時と場合にとって高い機能をもつわけで、個人は集団所属において、そのいずれかを常に優先するといった日本的集団所属のあり方ではない。各々の集団は、その性質・目的により機能をもつわけで、日本的集団のように多目的で、個人のさまざまな要求を満たすという性格をもつものではない。したがって、個人は常にいくつかの集団所属を必要とする。すなわち、個人はいくつかの大集団への個人参加によって、豊富で複雑なネットワークの中に位置している。

 このような集団所属のあり方は、必然的に個人単位にならざるをえないものである。個人の主体性なしには、このシステムは機能しない。ネットワークとは点と点を結ぶものであって、いくつかの点をくくるのではない。

 個人参加による類別集団の存在は、その成員各人に正当なネットワークを保証するものであり、常に必要とあれば、各人は相手がその成員であれば、誰とでも相互に信頼できるネットワークを発動させることができる。このような類別集団における個々人を結ぶネットワークのあり方は、さらに個人にその集団外の人々とネットワークをもつことを容易にしている。なぜならば、このような個人と集団の関係は、個人に高い自主性を与えるからである。これは小集団という枠内に安住できる日本人のあり方とはたいへん異なっているもので、いわゆる甘えの許されない世界を形成する。

「甘え」と「信頼」 P.56

 いつか中国人の社会学者から、日本人の「甘え」について説明を求められことがあったが、彼を納得させることは容易ではなかった。ずいぶん話し合ったあとで、彼は「それでは、あの赤ん坊のときの気持ですね」といって、自分自身を納得させていた。中国とは歴史的にも文化的にも密接な関係にあるし、また儒教的道徳の強い影響を受けながらも、それを受容した母体としての社会のあり方は、まったく異なっているのである。

 中国人には、社会的な人間関係において、日本人にみられる「甘え」がないかわりに、個人の主体性を基盤とした、朋友関係がある。相手がいかなる集団に属していようとも、個人対個人の信頼関係(ゝゝゝゝ)が何よりも重視される。甘えとは小集団的雰囲気(ゝゝゝ)を前提とした人間関係の行動様式であり、それは個人と個人の対応関係といよりは、自己中心的な行動様式で、朋友間の信頼関係とは質の異なるものである。日本人にとって友人とは、相互に甘えを許しうる関係といえるかもしれない。しかし、甘えが許されうる範囲というのは、必ずしも明確ではない(後に述べるように、小集団的場は拡大されうるし、一時的に条件がととのえば設けうるものである)から、友人とそうでない者(たとえば仕事仲間)とのあいだが、中国人や西洋人の場合のように明確ではない。日本人をよく知っている外国人が「日本人とは我々のいう意味での友人関係をはたしてもつことができるのだろうか、親しい関係にある人たちはいるのだが」という疑問をよくもつのは、このためであると思われる。2025.02.11 記す

日本人に対する違和感 P.58

 このように、日本人の場合は、個人対個人の関係の質においては、明確に規定しがたい面をもっているが、個人の集団所属となるとたいへん明確で、個人はその所属集団をなんらかの形で反映させているので(それは個人の質を物語る一つの要素であるとさえ信じられているほど)、個人の社会的位置づけ、ならびに反応の仕方まで容易に予測したり、理解することができる。また、自らそうした社会的背景(会社名とか出身校など)を相手がききもしないのに知らせたがる人々が、日本社会にはなんと多いことか。そしてほんのすこし話をしただけでも、だいたいその人の考え方とか、関心のあり方――その人の所属集団をよくあらわしていおる――はできるのが常である。

 これに対し、いくつかの集団に属し、さまざまな人間関係のネットワークをもっている人々(中国人などもその最もよい例であるが)の場合、パーソナリティも当然複雑になっているし、社会関係も単一でないので、その人の正体を知るという事は容易ではない。

 これは、西欧対日本でよくいわれるように、個人が強いとか弱いという表現や、個人主義対集団主義といった考え方とは別に、社会学的位置づけからくる、個人の単純性と複雑性といった問題である。社会的に複雑な要素が個人の中に統合されているのであるから、個人は全面的に容易に他人と合流できないし、それゆえに独自の立場をもちうるということになる。このような個人のもつ、もろもろの対人関係・集団所属は、その一つ一つが異なる目的・性質をもつ。したがって、そのどれをとっても、日本人の小集団所属のように、一つの関係(集団所属)は個人にとって、全面的あるいは多目的にはなりえないのである。この対人関係・集団所属のシステムの違いは、日本人との出会いにおいて大きな違和感となってあらわれる。

 シンガポールの日本人経営の工場につとめる中国系の従業員は、日本的ウチの者といった取扱いに違和感をもつ。彼らにしてみれば、あくまで従業員としての機能を買ってくれ、俸給のより多いことを望んでいるにすぎない。家族や友人関係は会社のソトにあるのであって、その関係と混同するようなことはやめてほしいというわけである。

 また、日本に留学した中国系の学生は、下宿先で、女主人から「私をお母さんと思って家族のようにつきあって下さいね」といわれて閉口する。家族でもない人を家族と思うなどとはまったく無理だし、個人の自主性をも侵しそうな、この小集団的人間関係のおし売りに辟易してしまうのである。

家族関係の位置づけ P.60

 このように、中国人(その他の多くの社会の人々がそうであるが)にとっては、家族成員との関係は、他の関係とは質が異なり、決して容易に代替えできないものである。それと表裏の関係にあるものと考えられるが、これらの社会においては、多目的というか、多機能というか、個人の甘えを許すような日本的小集団といったものは、仕事の場に形成されにくい。それゆえにこそ、また家族成員としての機能がきわめて重要な社会性をもって認識されるものといえよう。

 実際、中国人やインド人にとって、家族(日本の場合よりその範囲が大きく、それは一定の血縁関係の範囲にある人たちともいえるが)がいかに重要なものであるか驚くほどである。それは個人の全生活のなかで大きな位置を占めており、どんなに親しくても他人によって代えられない性質をもつものである。

 これに対して、日本では、後にも述べるように、小集団が家族的な(ゝゝゝゝゝ)役割を担いうるためであろう、個人にとっての家族の役割は社会的に軽視されがちである。中国人やインド人ほどでなくとも、家族(とくに夫婦)は常にともにあるべきであるという欧米人の人々と比較しても、日本人の家族に対する社会的認識は低調である。

 このことは日常生活のあり方にもよくあらわれているが、とくにそれが端的にクローズアップされるのは、単身の外国赴任者への国内諸機関の対処のあり方である。官庁・会社をとわず、日本は制度的に赴任者の家族に対する配慮がきわめて貧しいことが指摘できる。

 ソ連などもふくめて、欧米諸国の単身駐在員たちは、配偶者はもとより、子供をふくめて家族全員が年にニ~三回は赴任地あるいは故国で共に過せるような制度になっている。日本人の場合は、何の娯楽もない発展途上国のそれも都市から遠い所で働いて居る人でさえ、一時帰国も、家族を呼ぶ機会もなく、二~三年間も単身赴任という例は少なくない。コ々のケースにおいて、経済的に余裕がないなのだということがいわれたりするが、今日の日本の経済力からみて、それはとても理由にならない。諸外国の場合であったら、家族をよんだり、一次帰岡をさせる費用がでないようなことがあったら、もともと派遣しなかったであろうということになる。生活費と同じように、それは個人にとって必要経費と考えられるのである。

 実際、こうした単身赴任者たちは、任地で日本人がいれば、必ず小集団をつくり、何とかお互いに慰め合い、また甘えの許されうる世界をつくるのが常であるから、外国人の場合より、いくらかよいかもしれない。しかし、こうした外国の赴任地では、日本の社会的常識(小集団的棲息していることから形成される)が赴任者を酷な立場に追いやっていることは確かである。彼らのほとんどは、各人の本当の所属小集団からも離れてしまっているのだから。また、それゆえにこそ、彼らのホームシックの心情は、外国人たちの故国に残した家族のそれをはるかに上まわるものがあるのである。

 本論の分析からみて、ここで重要なことは、日本人の家族に対する愛情の有無(これは社会・民族によって異なるなどといえるものではない)ではなくて、家族と仕事仲間の関係がともすると類似の機能をもってしまいがちな点である。このため家族の特異性が強調されることがなくなってしまうのである。これは日本人にとって、友人と同僚の区別が不分明になることにも通じている。(五七、八〇ページ参照)

 したがって、異なる関係であるべきものが意識の上で合流してしまいやすい。これが関係設定を単純化しやすく、ネットワークよりも一つの集団帰属という形を結果しやすい傾向を生じているのである。

東南アジアにみられるネットワーク P.63

 東南アジア諸社会の組織・人間関係の理解は、ネットワークという概念なしには不可能ではないかと思われるほど、これら諸社会においては、個々人を結ぶネットワークの機能は大きな意味をもっている。とくにフィリピン、インドネシアなどを対象とした最近の社会人類学の研究報告には、このことが十分うかがえるし、また、実際にこれらの国々の人々の生活のリズム、人間関係には、それが顕在化していて、中国やインド、さらに日本の社会組織との比較のうえで、興味ある対照をなしている。

 すなわち、東南アジア諸社会には、日本的小集団の存在も、また中国・インド・西欧などに顕著にみられる個人参加による類別集団というものが伝統的にみられないのである。そこにみられるのは、個人と個人を結ぶネットワークの累積・連続を基盤とした人間関係の総和である。

 したがって、ある個人を中心にしてみると、その関係はどこまでつづいているのか、どの方向に結びついているのかさえ判定しにくい。

 たとえば、ある個人が二十人の人々と関係をもっているとすると、そうした個々人を基点としたネットワークが網の目のようにはられているわけである。もちろん、いずこの社会においても、ネットワークは存在しうるのであrが、東南アジアの諸社会では、明確な恒久的な集団というものがないために、人々は全面的にこうしたネットワークに依存しなければならない、というところに、全体社会のシステムとしたネットワークが注目されるのである。他の社会における集団の役割までもこのネットワークが担っていることができるのである。また逆に、これら社会において、集団が形成されにくいのは、個々人があまりにも複雑なネットワークにつながっているからである、とみることもできるのである。

脆弱ながら安定 P.64

 個人の個人対個人の関係は、血縁・婚姻関係はいうに及ばず、仕事の関係、友人・知人関係など、さまざまな種類・契機によって形成される。この関係は、特定の二人の相対的な条件(好悪・必要性・義務感など)ならびに、各個人のもつさまざまな関係との相対的な位置づけのうえにたっているものであるから、その機能の強弱・持久性も一様ではない。このように、現実の個々人の相対条件に相当左右されるものであるから、可変性・流動性は相当高いものである。

 しかし、全体としてみると、全部分が流動的なのではなく、相当高い安定性を保っている部分もあり、また、ネットワークが特定部分に集中してみられるのが常である。ある特定個人を中心にして、比較的長期にわたってネットワークが異常に集中している状態は、集団のごとき様相を呈し、実際、その特定個人をリーダーとして集団の機能をもったりする。しかし、ネットワークの性質上、構造的にはソトに開かれている。すなわち、その辺境部にあっては、境界が設定されないのである。

 一方、この種の集団の内部は、すべて二者関係で結ばれているため、全体として、その人々を永続的に集団成員としてとどめておくことはむずかしい。集団としてはきわめて脆弱な組織といわざるをえない。しかし、この性質から同時に、大きな分裂とか、全体を瓦解させるような状況には決してなりえないから、この意味で安定性をもった社会組織であるといえよう。しかし、相当強力なリーダーが出ない限り、人々をある目的のために動員させることは困難である。2025.02.12 記す

すべて個人プレー P.66

 このようなネットワークに依存した社会生活を送る人々が、不特定多数ともよびうる人々との人間関係をいかにたいせつにいるかは驚くほどである。そして、ネットワークの基盤となる直接につながる二人の個人と個人の関係は相互的であるが、タテの関係は少ない。恩恵に対するサービスといったかたちで。しかし、これは日本のタテ(親分・子分)関係のような長期的関係を前提にしているのではなく、もっと短期的・現実的な関係で結ばれている。さらに日本の親分とその子分たちは、それ自体小集団を形成するが、東南アジアにみられるのは、あくまで一対一の個人(ゝゝ)個人(ゝゝ)の関係であり、集団の枠などという認識はない。したがってすべては個人プレーで物事が運ばれる。それゆえにこそ、いったん設定された関係を切るということも容易である。

 この意味で、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンの人たちは、日本人とくらべて、ずっと個人に主体性があり、日本的集団規制などということからは自由である。しかし、多くの人々と、機能の高い人間関係を維持していくことは容易なことではない。一方を立てれば他方が立たないということは常にあるわけで、それらをうまく調整していかなければならない。そのために受ける個人の制約は、相当大きいといわざるをえない。このようなことは、日本社会でも部分的現象としてはみられる。

排他性をもつ地域社会のネットワーク P.67

 たとえば、集団の長として広範囲な活動範囲(人間関係)をもっている人や、特定事件の渦中にある人などが経験するところであるが、東南アジアでは、社会のあらゆるレベルにある人々すべてが、日常の社会生活において、そうした立場に立たされているといえよう。

 また、ネットワークの機能の高い社会の人々のあり方は、次のような社会環境におかれている日本人の生活感覚にも匹敵できる。たとえば、血縁・婚姻関係が錯綜している近接のいくつかのムラからなる地域社会や、町人の伝統が強く、ソトからの人口移動が比較的少ない東京の下町とか、京都・大阪の町を構成する伝統的な地域社会に生活する人々である。こうした特定の地域社会では、さまざまな人間関係が錯綜して密度の高い社会生活が形成されており、個人はそのさまざまな関係をうまく調整しながら社会生活行なうこと、つまり、その地域社会の誰とでもうまくつき合っていく方法を体得している。この限りにおいては、たしかに彼らは小集団帰属の形よりも、ネットワーク的世界の行動様式をもっている。

 しかし、ここで考察している東南アジアの人々のもっているネットワークの世界と、日本の地域社会の人々のものとの違いは、無視できない重要なものである。それは、この日本人のネットワークの世界というものが、特定の農村地域社会とか、下町のように()を共有する歴史の古い範囲においてのみみられるということである。すなわち、、長い期間の(何世代にもわたるような)コミュニティを前提として形成されているということである。これは、小集団の拡大された、また数々の小集団がかさなり合って、その累積の結果できた、より大きな特定範囲の人人の世界であることで、そのソトの人々に対しては、タテの構造をもつ集団と同じように強い排他性(ゝゝゝ)をもっていることに注目しなければならない。こうした特定の地域社会のある個人とどんなに親しくなっても、ソトの者は地域社会の成員になることはほとんど不可能である。

システムとしての大きな違い P.68 ()とか人間接触の長さに限定された人間関係ではないからである。もちろん、この種の要素に当然影響はされるが、まったく個人と個人の関係であるから、場をはなれても、あるいは過去の人間関係の有無、期間の長短にかかわらず、自由に設定できる関係である。したがって、個人は自分のコミュニティを離れても同様な、むしろより広範なネットワークの世界をもちうるわけで、また、既存のネットワーク自体も同じように存続しつづけるのが常である。これに対して、日本の特定の地域社会のネットワークは、そのコミュニティを離れて生活しはじめると、たちまち機能が弱くなるし、個人は新たな場において人間関係を作るが、それはほとんど小集団の形になってしまう。

 このように、ある部分をクローズ・アップしてみたときの人間関係のあり方は現象的には似ていても、より広いパースペクティブにおいてとらえると、日本人のネットワークと東南アジアのそれには、システムとしても大きな違いが見出されるのである。

ネットワークとタテ関係の対照 P.69

 さて、ネットワーク社会において、広範なそして有効なネットワークにつながる対人関係の蓄積は、もちろん、権力・経済力があり、出身階層がよい個人ほど豊かであるが、タテ関係は、人々がもちうる関係のうちの一種にすぎないのであって、タテ関係による上位者が下位者をコントロールする度合は、前者が後者に対する相対的な強さと、両者それぞれがもっているネットワークのひろがりと質の相対的差にかかっているといえよう。したがって、個人自体、弱者であっても、質のよいネットワークをもっている場合には、重要な役割を演ずることができる。

 これは、ある意味でタテ社会において、タテのシステムにのっていると、実力のない個人でも相当な地位につけるということに似ている。それほど、つまりタテのシステムに匹敵するほど、ネットワークは機能をもつのである。しかし、両者のシステムとしての働きは対照的である。

 各人が複雑なネットワークのなかに位置づけられている社会では、タテの機能は当然弱くなり、また、順位とか格というものはつけにくい。実際、東南アジア諸社会では、そうしたものに対する日本にみられるような関心もみられない。これに対して、日本社会におけるように、タテ関係とか順位が重要な社会組織の指標となっていると、個々人を結ぶネットワークは貧しくなるということができるのである。論理的に当然そうなるばかりでなく、日本人のネットワークは、東南アジア諸社会ばかりでなく、ほとんどの社会と比較しても弱く、貧しいということができるのである。

紹介状の濫発が意味するもの P.71

 このように説明してもなお、日本人にも同様なネットワークがあると主張する人がいるかもしれない。個人は自分の集団以外に多くの人を知っており、そうした関係を利用してお互いに活発な活動が行われているではないか。事実、多くの日本人は、とくに有力な、知名度の高いと思われる人々と知り合いであることを知人に知らせたがるし、気前よく紹介状を書く習慣がある。

 しかし、本当に機能の高いネットワークの中に位置している個人は、制度的にあきらかなつながりの場合は別として、いかなる人々と関係をもっているかを他人に誇示したり、不用意にいわないものである。それはたいsつな社会的財産であって、その保持は秘密ではないが、決して他人にみせびらかせるものではない。それは最も必要なときに発動されるべきものであって、濫用はその効果を弱くさせるものである。

 もちろん、日本人の中にも機能の高いネットワークが存在しうるが、それはむしろ実力者といわれるような、集団の上層部の中に(決して上層部に位置するすべての人々ではない)見出せるのであって、一般には、ネットワークの効用はきわめて弱い。もし、それほど強いネットワークが一般に存在したら、個人の集団間の移動は、もっとパーセンテージが高くなるはずである。

 そればかりではなく、さきに記したように、誰々と知り合いである、などということを、相手がききもしないのに、不用意に誇示したりすること自体、ネットワークの意味を軽んじていることになるのである。それは、むしろ、ナイブ―な自己顕示欲にもとづいている。ネットワークに大きく依存した社会生活を行なっている人々は、もっと政治的というか、不特定多数の人間関係に用心深いものである。実際、相手が好感も尊敬ももっていない人(ということを考えもしないで)と知り合いである、などと得意になっている人が日本人にはいかに多いことか、こんなときにはネットワークの効用からすれば、まったく人にとってマイナス以外何ものにもならない。

紹介状の重み P.73

 紹介状を容易に書くということも、ネットワークの機能を発動させるというよりは、自分の力を相手(紹介を依頼する人)に誇示する意味が少なからずある。他方、それほどよく知ってもいないのに、容易に紹介を依頼する人が多いのは、ネットワークの質に対する配慮というものがほとんどなされていないといえよう。紹介する方も依頼する方も、この種のものがたいへん多いため、当然、日本における紹介状の効用は、たとえば、英米のそれとくらべると、きわめて低いものである。

 私たちの日常の経験に照らしても、ニ~三度パーティか何かで会って、名前もよく思い出せないような人の紹介状をもってやってくる人がいたりする。相手に特別な好感をもたない限り、これでは受けた方もどうにもならない。これに反して、英米の本当に親しい友人などからは、××氏をあなたに紹介したいが異存はなかろうか、という問い合わせがあって、こちらの承諾をえて、はじめて紹介状を書くという場合が少なからずある。それほど人間関係をたいせつにしているのである。こうした紹介状をもってやって来た人には、こちらも責任を感じ、ベストをつくすことになる。このようにして、ネットワークは真に発動されるのである。

 また、マレーシアの友人とは次のようなことがあった。「あなたに親しい者だといって、××氏(日本人)が自分のところに来たが、あなたが彼と本当に親しくして、彼のことを私に依頼したのであったら、あなた自身から私に知らせがあったり、紹介状があるはずだと思ったから、適当に扱っておきましたが、それでよかったのでしょうね」と後になって知らされたことがある。事実、それで結構で、××氏はそれほど私に親しい関係ではなかったのである。このように、人間関係の質に用心深いのである。

 彼らのあいだでは、知っているとか親しいなどという人々は数えきれないほどあるのが常であるから、たんに知っているとか親しいなどということは問題にならない。特定の個人と個人がいったいどのくらい機能をもちうる関係にあるかという質の考察に力点がおかれているのである。そして実際の場において、個人の相手に対するよみ(ゝゝ)(好感をもつかどうかも当然入るが)によって、それぞれ適切な対応がなされる。「人をみる」という点に関しては、彼らの方が日本人よりもはるかに上である。集団に依存せず、個人対個人の関係を基盤とする社会組織に依存しているわけであるから当然であろう。2025.02.13 記す

潜在意識の中の「タテ」 P.75

 日本人が一般に、なんらかのタテのシステムにつながらない関係に用心深いのは、その他の人間関係がこのように弱いものという信用度が低いからでもあろう。日本人にとって、「親しい」とか「知っている」ということは、本当に機能をもつ関係を設定しているというよりは、自己中心的なもので、ネットワークとなりえない性質のものであることが非常に多いといわざるをえない。

 日本人でも真に機能をもつ関係にある個人との関係は、みだりに他人にいわないものである。それはほとんどがタテのシステムと関係があるものが多いが。相手からきかれれば、話したり、会話の中で、無意識に出ることはあっても、きかれもしないのに自ら故意にいうということはほとんどない。それは本当に必要となったときに使うべきものであるから、濫用をさけるためであろう。また、タテの関係にあることは、とくに下位の者にとって、従属の意識を伴いやすいものであるために、むしろ自己顕示欲的立場からはさけたいという意識も働くであろう。

 事実、筆者がタテの理論を提示してみると、一般論(社会構造論のうえでの)としては相当賛同を得たが、個人の感覚としては相当抵抗・反発が出た。自分にとっては、タテ以外の関係がたくさんあるから、タテであるという論に対して違和感があるとか、また、自分たちの仲間においては、タテなどということは問題ではない、とか、日本も次第に近代化が進んでタテからヨコに移りつつある、とくに若い人たちの目上の人に対する態度など、とてもタテの権威なくなってしまった、等々。

 これらは、タテの関係というものが日常生活において顕在化しているものと受けとったためと、潜在意識を掘りおこされた不快さにもとづくものと思われる。実はそれは構造のレベルのことであって、社会生活においては多くの場合潜在化しているものである。したがって、個人レベルでは、タテ関係はむしろみだりに口にすべきことではないといえよう。ちょうど強い機能をもったネットワークに依存する人々がそれをみだりに他人に語らないように。

 以上考察したように、タテ関係の機能が相対的に強いと、ネットワークの機能は弱くなる。日本の場合はここでいうまでもなく、その極端な例である。この両者はもちろん並存も可能であるが、全体社会の特色としては、どちらかに傾きがちで、両者補完的な立場にあり、個人の活動にとって、いずれも機能的な人間関係設定要因であるという点で、対比される異なるシステムであるということができる。

5――――小集団における特色ある人間関係 P.78

人物評価の基準

 これまでの論述で十分考察したように、日本社会においては、個人単位の集団参加は常に小集団に限定され、たとえ、組織的に大集団に属していても、それは小集団をとおしての参加であり、構造的に個人参加というものではない。同時に、小集団をクロス・カットして構成されるような類別集団への個人参加もないし、個人を中心としたネットワークも貧しい。

 このようなシステムにおいては、小集団は個人の社会化にとって何よりも重要な場を提供し、個人の社会生活・人間関係のパターンはここで育まれることになる。農家の場合のように、家族生活と経営体としての仕事場が一致している場合は別として、一般には仕事を媒介として、家族員以外の人々と小集団を構成しているわけであるから、個人は初期の家庭におけるものと、成人してからの仕事場を基盤とする小集団におけるものと、二つの社会化のプロセスをもつことになる。この中間として、学校を場としてできる(この場合も実際には仲間とよばれるような、あるいは特定の先生を中心とした小集団が核になるが)ものがあり、これら仕事場・学校における小集団は、家庭におとらず個人のパーソナリティ形成に大きな意味をもっている。

 日本において、学校・職場というものが社会的に個人を評価する場合重要な指標とされるのはこのためである。実際、出身校や職場というものが、個人にある種の共通な社会的特色を与えているとみることもできる。また、個人側にとっても、それにふさわしく振舞うという意識も働いて、その傾向がいっそう出てくるものと思われる。実際に、どのくらい影響しているかは疑問としても、社会全体における個人の判定に、それが使われやすいということが、実際よりもいっそうその傾向を助長することになっている。

 このため往々にして家庭的背景というものが無視される。出身校と職場で個人の評価がきまりやすい。このことは、家庭的背景といった生得的なものよりも、個人の獲得能力に注目するという意味で、よい意味をもつと同時に、個人差をないがしろにする画一的な評価に陥りやすい欠点をもっている。事実、日本人の人物評価に、個人差があまり評価されないのはこのためであろう。日本人の場合でも個人差に注目してときにクローズ・アップされてくるのは、実は何よりも家庭環境(これは必ずしも貧富の問題とは限らない)である。私は学生たちと接して、いつもその感を深くするのである。

大きな意味をもつ職場での接触 P.80

 しかし、諸外国の人々と比べた場合、やはり、出身校とか職場の影響は日本人の場合大きいといわざるをえない。そして、実際、出身校とか職場というものが、個人の社会的位置づけにこれほど大きく考慮される社会はない。むしろ多くの社会で問題とされるのは家庭的背景である。これは単に見方の違いだけでなく、実際に、家庭以外の場における個人をとりまく社会関係・人間関係のあり方の違いを反映しているといえよう。すなわち、日本の場合のような高い機能をもつ小集団が職場などには存在しないのである。親しい友人と仕事場の同僚とはまったく別の種類の関係であり(たとえ友人が職場のなかに見出されようと)、親しいのは友人であって同僚ではない。少なくとも同じ場で毎日を過ごしているから親しくなる、というようなことにはならないのである。個人の社会生活と職場は別であるという考えに立っている。

 これに対して、日本人の場合は、職場は個人の社会生活における重要な場となっている。また、毎日を共に過し、飲食を共にしたりしていると、その頻度や時間が少ない人々より親しくなるという傾向をもっている。実際の接触が人間関係の質に影響してくるわけで、きわめて現実的な傾向がみられるのである。

全人格的参加を要求 P.81

 小集団の成員は、お互いにきわめて密度の高い、家庭にも匹敵されるような人間関係を形成する。小集団においては、リーダー格であれ、新米であれ、全人格的ともいいうるほどの集団参加が要求される。このために、その構成員に対する集団の規制は、その集団の性質や目的によって設定されているルールというものではなく、その中の人間関係の相対的関係ならびに、その総和からくる全体の動きによるものである。したがって、主義・主張や職業の違いにかかわらず、すべての小集団に共通した集団規制、内部的メカニズムをもつことになる。各集団の孤立性がたいへん高いにもかかわらず、日本人全体の思考・行動様式の驚くほどの共通性がみられるのは、このためである。

 小集団の各々の構成員は、全体として相互にゴム糸でつながっているようなものであるから、個々人がまったく他の成員と関係なく独立の行動をとったり、他の成員から決して侵されることのない分野をもつということは、不可能でないにしてもたいへんな困難なことである。個人の行動は集団成員のもちうる情報内にとどまることがノルムとなっており、全体の流れ(これは内外の事情によって可変的なものであるが)の許容範囲にとどまることが要求される。したがって、個人をとりまく諸条件へ順応が常に期待されると同時に、その範囲内にとどまるならば、時と場合によっては、個人の相当なわがままが可能である。また、たとえ組織上、個々人の役割がきめられているとしても、それは実際の仕事のうえでは、臨機応変に、個人の上下左右に位置する人々との相対的な関係で伸縮しうるものである。

加入  こうした集団内の人間関係のあり方からは、いわゆる個人の権利・義務などという観念が出てこないのは当然である。このような観念とか認識をもちうるには、小集団ににおける人間関係は密度が高すぎ、接近しすぎているのである。2025.02.14 記す

小集団ではリーダーの権力行使はできない P.82

 小集団においては、たとえリーダーでも、その特色のある人間関係から逃れることはできない。このことは、リーダーとしてその権限を非常に制約されることである。リーダーは仲間の一人にすぎないのである。リーダー個人の権力行使を可能にする重要な条件は、リーダーとその成員との距離が大きい(接触の形においても実力においても)ことと、成員の数が多いことである。小集団の活動においては、この条件が満たされないのは当然である。

 近くにいる人というのは、えらくみえないし、また、近いという親近感が、ステータスの違いをマイナスにする働きをもつものである。ウチなる近い人というのは、ソトに対しては心強い協力を求めることはできるが、ウチなる人間関係においてはわがままなものである。したがって、リーダーは常に彼らと同じ仲間意識をもつことを要請され、彼らの意向を尊重しない限り、集団の運営はむずかしくなる。すべての成員の意向をくんで(常に共にいるし数が少ないのでこれが可能になっている)、事を運ぶという慣習が必然的に生まれることになる。

 この小集団に特色ある人間関係は、決して日本人の特色ではなく、いかなる社会においてもみられうる、孤立性の高い小集団構成からくる現象である。ただ日本の場合は次の二つの条件を具備することによって、他の諸社会と異なっているのである。

 第一は、すでに考察したとおり、大集団といえども、常に小集団によって構成されているために、この特色があらゆる分野・レベルに見出されることである。このことが、後述するように、日本人の特色ある社会学的認識のあり方に、大きく影響しているのである。第二は、小集団内において、その構成員は常に序列をもっている(あるいはもちうる)ことである。

儀礼的な序列 P.84

 ここでは第二の点について少し詳しく考察しておきたい。序列は顕在化している場合もあれば、そうでない場合もある。制度的な組織体であれば、課長・課長補佐・係長などというフォーマルな地位の序列に加えて、入社年次のように、加入年次によるものがあることはいうまでもないが、このような制度的な組織がない場合でも、一般にその集団への加入順位が序列設定の指標となっている。個人順位が同じであれば、年齢・卒業年次などが使われたりする。また、代々同じ村の出身者などの場合には、個々人の属する家の設立の古さ、格というものが序列設定の要因になったりする。

 とにかく、いかなる小集団においても(たとえ、それがきわめて民主的であることを誇り、タテでないという集団においても)、全員が等しく認めうる序列を設定することができる。そこにはなんらかの、日本人であればみながいちおう納得しうる理由をもった序列を、それもすみやかに設定することができる。これが、いわゆる筆者のいうタテ社会の文化であって、タテというのは、権力関係というよりは、儀礼的な序列に意味があるのである。とくに小集団の場合は、すでに述べたように、リーダーでさえ、権力を行使することはむずかしいのである。むしろ小集団の動きというものは、上下関係を親近性によって凌駕し、あるいは逆転さえさせるものである。

タテ組織の潤滑油 P.85

 この中では、下位にある者は時によっては相当遠慮なく発言できるし、上位の者は自己の弱点を下位の者に指摘されたりすることを甘受し、両者のあいだには両方からの甘えというか、強い依存関係がみられるのが常である。とくにその集団の機能が高く、活動が活発であるほど、この傾向は強くなる。特定集団の機能が高いということは、その集団の独自性が高いことでもある。独自性が高いということは、それだけソトとの境界が明確で、集団として閉ざされていることで、この閉鎖性が、同時にタテマエ(タテ)と異なる行動を成員に許しうる自由を与えているのである。

 各個人の自由度はそのステータス・役割、そして全体の意向によってある程度制約されるわけであるが、その限界は相互に自然に調整された線で保たれ、明確な規制はない。もちろん、その自由度は各小集団によって異なるが、いずれにおいても、ソトに対しタテマエであるタテの行動様式とは異なった多様性がウチにみられるのである。これがタテ組織に弾力性与え、その潤滑油となっているのである。

 このことは、最も小さい集団である夫婦関係にもよくみられるもので、亭主関白といわれる人の家庭が、実際にどのように運営されているか、日本人ならば誰でもよく知っていることであろう。タテマエと実態がまったく同じであったとしたら、下位の者は窒息し、その集団は陰湿となり、機能は低下する。タテが健全に作用し、集団が活発であるためには、上下関係を無視できる人間関係が存在し、一定の自然な調整が保たれていることが必要である。

人と人とのなじみ合い P.86

 実は、筆者がタテの関係という用語によって意味する一つの重要な人間関係は、下位の者が上位の者に従属することではなく、うまく組み合う(ゝゝゝゝ)ことである。そして、ソトに対しては上下の礼節(ゝゝゝゝゝ)を忘れないことである。したがって「タテ」という用語によって一般にイメージ化されやすい、どちらかというと非人間的なオーダーは、とくにソトに対しての秩序であり、また、後述するように、人と人というよりは、むしろ集団と集団の関係にあらわれるのである。内部における実際の人と人の関係の特色は、むしろ「組む」ということにある。

 この組み合わせというか、人と人とのなじみ合い(ゝゝゝゝゝ)がうまくいかないと、集団の内部が陰湿になったり、ヒビ割れができやすい。それが過度の状態になると、ソトに対してその集団成員の上下の礼節が守られなくなり、それによって集団はその弱体化をソトに対して露呈するようになる。このような不幸な状態は、上に立つ者の責任である場合もあるし、上に立つ者と関係なく、下に立つ者の不徳のいたすところである場合もある。また夫婦関係でよくいわれるような性格の不一致ともいうべき、いずれも明確な理由はないのだが、両者が合わない場合もある。とにかく、いずれにしろ、こうした事態は不幸な関係ということができ、これは日本的集団にとって致命的な弱点となる。こうした人と人との組み合わせ如何が、他の社会における集団の場合より大きく左右するというところに、日本の組織の長所・短所があるのである。

トップも小集団を形成している P.88

 大きな組織の末端に位置している小集団の構成員からみれば、その全組織の長は、いかにも権力があり別世界の人のようで、隔絶した感じをもちやすいが、そのトップの長の周辺をみると、やはり小集団的世界ができているのが常で、その中のダイナミックスは、下位に位置する小集団のそれと本質的にかわらない場合が多い。

 すなわち、一つの組織の長というものは、それに非常に接近した直属幹部数人と共に小集団を形成している。そして、その直属幹部をとおして、下部の組織につながるというシステムになっている。組織が大きければ大きいほど、この直属幹部から末端の小集団までの距離が長くなり、そこに何段階かのつなぎがあるわけであるが、各レベルごとに、同じように集団機能が与えられているのではなく、最上位と最下位に位置する小集団の機能が最も高く、それらが集団の生命・活力源となっており、その中間はその二つのつなぎの役割をもっているわけで、単に制度的な上位集団を形成しているにすぎない。日本社会では、課長と社長がクローズ・アップされ、両者の中間には、いわゆる閑職などというものが存在したり、課長の上のポストが比較的楽なものになっているのは、この構造によるものである。

 大集団の長は、その直属幹部や側近とともに一種の小集団世界を構成する。したがって、すでに考察したように、大集団の長といえども、小集団の長であり、そのリーダーシップは相当制約されていることはいうまでもないが、その長の権限は、いつに、その小集団内の人間関係にかかっているといえよう。極端な場合は、直属幹部に離反されたり、あるいは特定の人々を側近として扱ったりすることによって、不健全な上層部が構成されると、リーダーシップの行使はいっそう貧しいものとなり、集団全体を弱体化することになる。

側近政治はなぜおこるか P.89

 日本において、側近政治というものが行われやすいのは、リーダーならびに直属幹部たちにも、小集団的人間関係の志向がきわめて強いことと、年功序列的リーダーがえらばれるので、必ずしもリーダーとしてすぐれた能力をもたないものが大集団の長につきうる、という二つの理由によるものと思われる。とくに、実力や人を見る目のない人や、あるいはそれらは備わっていても、自己顕示欲強くお世辞に弱い人が、その長のポストについているときには、いわゆる側近政治となりやすい。そのために、リーダーの視野はせばまり、貧しい決定がなされやすい。

 日本における側近とか、とりまき(ゝゝゝゝ)の特色は、リーダーが積極的にその人たちを選んだというよりは、その人たちがたまたま近くに位置していたとか、むしろその人たちが好んでリーダーの近くに徐々に近づいてきたということで、この意味でも、リーダーの条件は貧しいものとなっている。このような側近を形成させないだけの強さ、公平さ、意見の選別能力が、このシステムにおいては最もリーダーに必要とされるものである。

 側近政治は、ただえさえ距離のある大集団の長と、大集団全体の構成する各小集団に組み入れられている人々の距離を増大し、リーダーの意見が末端にとどかないばかりか、後者が離反しやすい条件をつくるものである。すでに述べたような内部構成をもつ日本的大集団の構成員にとっては、大集団の長よりは、小集団の長の方がはるかに重要な存在である。

一番強い現場監督 P.90

 かつての軍隊における小隊長はいうまでもなく、工事を担当する現場監督や病院の婦長などといった人たちの存在が、全体組織の地位の上では高くないにもかかわらず、実際にたいへん重要な意味をもっているのは、そうした地位にある人が、その組織全体において、その役割が不可欠な現場の小集団を代表しているからである。

 これらの人の下で働く人たちは、その直接の長よりも組織のうえでは上位にある人の命令でさえきこうとしないのが常である。この意味で、単に地位が上であるからといって、下位にある者を動かすことはできないのである。自分たちの世界(世界)に属さない人の命令は、たとえ自分たちよりはるかに上位者であることがわかっていても行われがたいのである。心情的には、自分たちの気持が通じていないような人の命令には従わないのである。

 ある新興宗教の教祖が、次のような興味あることを私に語ったことがある。この教祖がある地方の信徒集団を訪ね、その集りに姿をみせたところ、信徒たちは教祖である自分よりも、その地区の担当者(地区の長)の方により関心があるらしく、そちらの方ばかり注意しているようで、教祖としての自分は、なんだかおかしな気持ちをもった、というのである。この教祖の観察力のよさに感心したことであるが、これは信徒の正直な気持ちをあらわしているのだと思う。日本人の集団参加、リーダーに対する認識のあり方がよく出ている。

タテ社会と服従 P.92

 日本人の忠誠心とか、上位者への服従がよく強調されたりする。しかし、これまでの分析からも十分推察できることであるが、大集団のレベルでも、小集団のレベルでも、威令が行われないとか、上の人の命に従わないということは、実際昔からよくあったことであるし、そうした例は私たちのまわりにも見受けられるものである。タテ社会は、上位者にとって必ずしも居心地のよいものとはかぎらない。

 したがって、タテ社会であるから日本人は上の人のいうことをよくきく、とか、頂点にあるリーダーは権力をもっており、みながそれに従う、などというのは、筆者のタテ社会の理論を理解していない人の見方である。

 この点はむしろ、タテ社会でない欧米社会における方が、服従のルールはずっとよく守られるといえよう。これは日本社会においては、上位者の命に対する下位者の服従ということが、両者の地位・役割を結ぶルールとしてというよりも、コミュ―ナルな感情や利害関係の思惑を多分に含んで実行されるのが常であるからである。これに対して、たとえば、ドイツ人の場合顕著にあらわれていることであるが、上位者がいかなるひとであろうと、命令の内容がいかなるものであろうと、命令そのもの(ゝゝゝゝゝゝ)に服従すること(ルールを守ること)に意義があるという認識に立っている。この方が日本の場合より、はるかにシステムとして徹底するものであることはいうまでもない。2025.02.15 記す

6――――小集団的思考と行動様式 P.94

非礼と慇懃無礼

 小集団というものが、いかに個人にとって社会学的な重要な意味をもち、その成員と常に仕事や生活を共にしているといっても、現実の個々人の生活においては、小集団以外の多くの人々に接し、またその人たちとさまざまな関係が維持されている。さらに個々人は、小集団ばかりでなく、大集団をこえて、社会全体についての社会学的認識をもっている。しかし、こうした場合の個人の行動や信条を特色づけているのは、やはり、以上考察した日本人の特色ある集団構造の反映である。すなわち、小集団において育まれた、他人との合流を容認、またはそれを期待する意識と、小集団に属さない者を排除する、集団単位の不可侵の意識からくるものである。

 この二つの意識が、さまざまな人間関係、個々の接触の場で、どのようにあらわれるかは興味深い問題である。小集団的行動・思考様式は、小集団の人々に対しても、条件的に小集団的人間関係を設定することによって適用される。一方、集団による不可侵の意識は、競争・敵対関係においては排他意識(ゝゝゝゝ)として、平和的関係においては形式主義(ゝゝゝゝ)となってあらわれる。

 つまり、親しい人、あるいは親しいという関係を設定したい人には、小集団的仲間意識を使い、関係ないと思いたい人には集団的不可侵の意識を適用する。この方法は、お互いに同様な関係意識をもてばよいが、相手が親しいと思っていない、または思いたくない場合にはたいへん失礼な行動になるし、またその反対の場合には、慇懃無礼ということになる。

 したがって、人と人との出会いにおいて、日本の社会生活では相当チグハグな場面があり、感情を害したり神経にさわることが少なくない。日本人は礼儀正しいなどといわれたりするが、この意味では非礼な振舞いは決して少なくない。礼節の国、中国の人々には遠く及ばない。礼節に欠けるのは単なるマナーの問題だけではなく、ここで問題としている集団構造のあり方、そこで育まれる意識・行動様式からくるものである。

 つまり、漢人社会の場合は、小集団は日本の場合のように閉鎖性がなく、大集団に対して開放的であり、個人は常に大集団の一員としての行動様式をもっており、それが不特定多数の人人に適用されるからである。これは社会構造による個人の社会化の結果であり、個人の社会的経験の蓄積によるものである。

わがままと辛抱強さ P.96

 因みに、日本人でも、実際に小集団以外の人々と交わる機会の非常に多い人(とくに小さいころから人見知りしないような環境に育った人)の場合は、小集団の人々と交わる訓練ができていて非礼もずっと少なくなる。これは環境と資質による個人的要因によるもので、階層とか地位・名声などといったものと必ずしも関係しない。社会や集団の上層に立てば、当然自分の集団外の人々との接触は増えるが、前述したように、頂点においても小集団が形成されているし、かえって、地位の高い人とか有名人というのは、側近とか、いわゆるとりまき(ゝゝゝゝ)にかこまれている場合が多いので、小集団設定条件には恵まれているともいえるのである。

 実際、日本社会では、相当地位が高かったり、有名な人々の中にも、相手が誰であろうと得意になって一座の話題を独占してしゃべりつづける社交性を欠いた人々が少なくない。また、うちとけた席では、その中で相対的に地位も低く、年齢も若い人が自己中心的な話に終始したりする。そのいずれの場合も、話者が、その場を小集団的集りと認識することからくる現象と思われる。つまり、自己中心の振舞いが許される環境に自己がおかれていると思っているわけである。

 小集団内の行動様式の一つの大きな特色は、自己中心的な行動・発言が許されるということである。たとえば、因業オヤジのいうことをいちおう家族の者(あるいは部下)がきくとか、頑是ない子供のわがままが許されるといった設定が典型的なものであるが、仲間うちでは必ずしも特定の人と限らず、時により条件により、仲間の誰かがその特権を与えられる。誰でもがいちおう、自己中心的な感情・意見の披歴を許されうるという環境である。これは、仲間のうち誰が先に酔ってしまうか、というようなもので、仲間の誰かが先に酔ってしまうとこちらは酔えなくなって、酔った人に合わせるか、彼を介抱する役にまわることになる。仲間うちの会話というのは、このパターンをとるのが常である。だから、人々はわがままでありうると同時に辛抱強いのである。

 この小集団にみられる二つの側面が、小集団外の人々のつき合いにも出てき、それがいっそう顕著な形をとりやすいのである。

許容される自己顕示欲 P.98

 事実、集まりでよくしゃべる人の話には、いかに自己中心の話題が多いか驚くほどである。日本人の自己顕示欲というのは、こうした場においては、他に類例をみないほどである。相手がいかなることに興味をもっているか、とか、自分の話に興味があるかないかなどということは、ほとんど考慮に入らない。往々にして、その集りにおける自分の役割さえも忘れている。まさにお酒に酔ってしまっているのに似た現象である。もちろん、お酒が入れば、この傾向は倍加することはいうまでもない。

 そして、興味あることは、その場の人々が必ずしも小集団のメンバーでなくとも、その特定の個人のわがままな行為を許容することである。この許容性は同時に、いったんその場のリズムというか雰囲気を乱すことになる。つまり日本的に礼を失することになるので慎まなければならない、という考慮にささえられている。本当の小集団、仲間ウチであったら、反論したり、ちゃかすことも、タイミングによってはできるが、そうでない集りにおいては、その人々と友好関係を保ちたい場合には、そのような行為はさけなければならない。そのためにいっそう話者の自己中心的な行為が許されるという結果になる。これでは、反論を楽しむなどという、同席している全員が参加しうる知的な議論の遊びはとうていもちえないことになる。

 自己中心的な話というのは、記述的要素が多く、その人の感情の流れに沿ったもので、反論しにくいものであるために、きく方も知的な刺激を受けることも少ない。したがって、ただ物語をきくということになる。ときどき合いの手を入れるくらいである。相手に興味や少なくとも好意をもたない限り、退屈であり、忍耐を要するものである。この点、日本人のきき手は驚くほどの忍耐を示す。これは忍耐というより、そうした情況がほとんど常態に近いものであるために、社会的に訓練されているのであろう。因みに、何かの拍子に、話し手が他の人に移ると、いままでの話者はきき手にまわる。それまで得意になってしゃべっていたのに、次の話者に圧倒されたかのように、あるいは、お休みの時間という感じで、すっかり黙りこんでしまったりする。話者になるか、きき手になるか、どちらかに傾きがちである。

 しかし、このような一座の話題を独占して得意になってしゃべる人がいないと、親しい関係にない人々の集りの場合は、往々にして座が白けることがある。これは、そうした場では、人々は次に述べる没個性的・形式主義的な態度をとりやすいためである。その意味で、こうしたおしゃべりの人は、座が白けるのを救うという効用をもっていることもたしかである。

反論を楽しむインド人 P.100

 もちろん、ここで指摘した日本によくみられる現象は、他の社会においても皆無とはいえないが、自己中心的な話で、その場を独占するなどということはたいへん失礼なことであるし、まわりの人々もそれを許容する(心理的にも時間的にも)忍耐をもちえないので、日本社会におけるように、どこでもみられる風景ではない。集団構造の観点からも、こうした人々の出てくる余地はあまりない。

 たとえば、インド人は周知のようにたいへんおしゃべりだが、みんなが話したがるのであって、それが誰であろうと、特定の一人のおしゃべりを許すなどということは決してない。彼らは反論を楽しむのであって、自己中心の気分を楽しむのではない。英国人のディスカッションの楽しさも、自己中心の主観とは反対に、いかに客観的に問題に対応しうるか、相手の心理をいかに見ぬくかということが重要な条件となっているから、いい気になってしゃべったりすれば、完全にやられてしまうか、すきだらけの頭の悪い奴ということになる。

 このような行動様式は、たしかに、大集団に個人が直接参加するという社会学的な条件、さらに、人間関係というものが、閉ざされた枠のなではなく、開かれた場において、個人と個人のあいだに設定されるというシステムをもつ人々にとっては、当然もちうるものと考えられる。

形式主義の適用 P.101

 以上、考察したのは、日本人の人と人との対応における、小集団世界の適用された場面であるが、一方、小集団的人間関係が設定されない場面におけるコミュニケーションというものは、すでに指摘したように、形式主義となる。前者においては、個人の自意識があらわに出たりするが、後者においては、個人の特色は極度に後退し、ほとんど無の状態となる。そこで、いわゆる形式主義というものが適用される。個人の発言も行動も、すべて形式に依存することとなる。

 このことは、現実に個人によってコミュニケーションが行われていても、それは集団と集団のコミュニケーションというものであることを示唆するものである。コミュニケーションの単位が没個人的なものである場合、形式という表現方法がいかに有効性をもつかは、十分理解できるところである。

 小集団的世界の延長線上にない人々(つまり親しくない人々)とのコミュニカ―ションには、すべてこの形式主義が適用される。こうした場面においては、個人は目にみえない膜をかぶっているようなもので、相手とは間接的な接触となっている。小集団のなかにおける姿がヌードに近いものとすると、これは儀式用の正装である。ここでは当然タテの序列は守られ、すべてが儀礼的となる。形式主義は、相手から自分を守る武器でもあり、相手と自分のあいだにある不安定さ、不確定さを乗りこえる手段としても役立つものである。なかんずく、全体の秩序への無意識な服従を意味するものである。

 外国人が日本人との接触において常に不満をもつのは、多分この没我性的な形式主義に由来するものと思われる。この形式主義の適用は、関係がうすくなるほど顕著になるものである。外国人の場合には、当然そうした出会いが大きなパーセンタージを占めるから、いっそうそのように感じられるのであろう。

中間形態のノーマルな行動様式 P.103

 小集団行動様式と、この形式的行動様式は極端なコントラストを示しているが、その中間形態というか、そのいずれにも属さないような場においては、きわめてノーマルな行動様式(国際的なスタンダードに照らして)がみられる。それは集団などという明確な枠をもたない、いわゆる顔見知りの人々からなる特定の世界に見出せるものである。たとえば、昔からお互いに関係の深い(婚姻関係や仕事のうえでの関係)隣接しているいくつかの村落からなる地域社会の住人たち、同業仲間の世話役たち、また、財界・官界・政界などの異なる集団の出身者から形成されるいわゆるトップ・セクターの人々などである。

 これらは集団ではないが、お互いに知り合った一定の相当数の人々からなり、それが一つの安定した社会的セクターを構成している。このような特定のセクターを形成している人々は、それ以外の人々に対して、一種の同類意識をもち、その人々たちのあいだには、さまざまなネットワークが蓄積されている。そこでは、小集団におけるようなわがままもできないし、形式主義で身をかためるには、お互いにわかりすぎている。そのうえ、タテ社会につながらない人々が多い。そのためであろう。そこでは個人は自主的であり、わきまえがよく、バランスのとれたスマートな対人関係がみられる。この部分だけ取り出してみれば、他の諸社会と十分比敵できる行動様式がみられる。

 しかし、こうした行動様式をもちうる人々でも、ひとたび場面が変われば、小集団的対応や形式主義的対応をするのであって、その人々が例外なのではなく、タテ社会の構造の中においても、条件によっては、このような現象が存在しうるということである。2025.02.16 記す 

無差別平等主義 P.104

 個々人の出会いにおける行動様式は、ある程度の個人差があるとはいえ、その社会の集団の構成、ならびにその総体としての社会構造を反映して、その社会全体を特色づける傾向がみられる。この傾向は、その思考様式をも特色づけるものである。ここでいう思考様式とは、社会に起こるさまざまな事件・問題に対する反応・処理の仕方など、日常レベルにあらわれる価値観といったものである。人間関係における行動様式と同様、その特色は、他の諸社会にみられるような、個人が直接大集団の成員となっている場合のそれとたいへん異なった様相を示すのである。

 その一つの大きな特色は、関心が強いほど小集団意識というか、小集団を特色づける道徳的信条が強く出てくることである。

 小集団世界に棲息する人々は、常にその世界が、レベルにおいても可能性においても、自己と接近した人々に限られているから、そのレベルからかけ離れた立場にある者(たとえば権力者)を容認しえない性質をもっている。この見方が諸条件を無視して、小集団の外に拡大されて適用され、社会全体にかかわるようなスケールの大きい問題にも適用される。とくに相対的に劣勢の立場にある場合、強調される傾向である。そして、社会学的には不合理な、また実現不可能な主張が標榜される。

 これは無差別平等主義とでもいうようなもので、たとえば「すべての人々は同じように努力をし、同じように報われるべきである」という信条である。学校にしろ、収入にしろ、生活スタイルにしろ、格差是正ということが常に叫ばれ、それぞれの格差によって総体としてできるヒエラルキーの頂点に立つものは、その具体的表現方法として攻撃の的になる。こうなると、格差自体よりも、その頂点が存在すること自体が悪とされる。実際問題としては、頂点はどんなに攻撃されようと、その全体のヒエラルキーの構造が解体しない限り、びくともしないものであるから、その行為自体は欲求不満の解消的意味しかもっていない。

集団のかくれ蓑 P.106

 わずかな格差ですら許容したくないという一般の信条は、よい意味でも悪い意味でも、単独に社会の常識と異なる行動をとった者(個人にしろ集団にしろ)に対して、恐ろしいほど強力な社会的制裁を加える。小集団の仲間はずれ、すなわち村八分が、それら集団成員にとって最も致命的な制裁であるのと同じように、そのスケールを大きくした形でなされるから、風当たりもたいへんである。

 これにはジャーナリズムが一役買うことはいうまでもない。攻撃はいっせいになされ、孤立無援の状態に立たされる。この場合の対象には、頂点に立つ者では決してなく、どちらかといえば弱者が多く、無理をして頂点に近づいた者が往々にしてなるのである。しかし、この攻撃の襲来は、いっせいになされ、たいへん大きなボルテージを上げるが、台風のようなもので、それほど長つづきはせず、いつのまにか忘れられるようになる。小集団の場合は、最悪の場合にはその個人を排除することになるが、全体社会の場合は排除することなく、こらしめで温存ということになる。その攻撃された集団がスケープ・ゴートを出すことによって終わるのが常であり、集団として攻撃されるわけであるから(個人が象徴的に使われることはあっても)、個人としては集団のかくれ蓑に助けられて生きのびることができる。

 このように小集団単位の社会構成にあっては、集団攻撃はどんなにすさまじくても、徹底的な個人攻撃はまぬがれることができる。

 日本人の中から亡命者がほとんど出ないということも、このことと関連しているに違いない。また、ネットワークの機能が貧しい社会にあっては、亡命したら最後、捨てられたも同然の運命をたどらざるをえない。頼りになる仲間(小集団)とは常に共に喜怒哀楽を分かち合う人たちである。遠く外国に離れていたのでは、とうていそれは望むべくもないことである。このことからもわかるように、日本人の人生にとって、小集団は決定的な意味をもっているのである。

第ニ部――集団と集団ー隣接する小集団のメカニズム

1――軟体動物的構造 P.110

諸集団統合のカテゴリー

 小集団は、他の小集団とともに大きな集団の一部分を形成してうのが常である。その大集団の大きさはもちろん大小さまざまであるが、統合のされ方は、ほぼ次の四つのカテゴリーに要約される。

  (一) 制度的な組織によるもの。官庁・企業に典型的にみられるものである。小集団(課)は制度的な上位レベルである部局によって統合され、さらに最上位のレベルにおいて一つの明確な大集団に統合されている。

  (ニ) 制度的な組織によらず、インフォーマルな内部組織によってなりたっているもの。たとえば、いくつかの派閥から政党が構成されているように。

  (三) 単位としては同一の大集団ではないが、いくつかの独立(あるいは半独立)の単位である集団(小集団であることもあるが、たいていはいくつかの小集団をふくむ大集団の単位)が、特定集団を頂点として、ゆるい関係でタテにつらなって、全体として一つのまとまり(ゝゝゝゝ)を形成している場合、これは「系列」などという用語で表現されるものである。

  (四) 以上の三つの場合は、上下関係が組織的に明らかなタテ関係でつながっている場合であるが、そうしたタテ関係とは、制度的に異なる関係をもつ諸集団からなるクラスターとなっているもの。すなわち、同種・同類集団としてのクラスターである。この種のクラスターは、普通、連盟とか協会などの名称をもっている。鉄工業連盟とか、銀行協会、医師会のように、同業種の場合が多いが、ガラスだけとか、タイヤだけといった、一種のみを生産している企業がある。これらは同種というよりも同類集団というべきであろう。

相対的順位 P.111

 類別集団のところですでに考察したように、日本には個人参加の類別集団はなく、同種・同類の諸集団が集って一つのゆるい連合であるクラスターを形成している。このクラスターは同種(同類)に必ず一つというのでなく、二つ、三つと大きく分かれていることも少なくない。

 いずれの場合も、多数の各々の集団が独立体であるにもかかわらず、また大小の差があるにもかかわらず、統制がとれやすいのは、それぞれのクタスター内で、集団の格付けが行われており、このこと自体が全集団にいちおう認められているからである。格付けとは要するに相対的な順位である。

 小集団の場合、その個々の構成員に順位があることを指摘したが、同類集団のクラスターの場合も同様である。原則として、その中で、より古くて大きい集団は格が高く、その反対は低い。同業・同類であれば、お互いに関心が高く、よく内情が察知でき、順位決定は決して困難なことではない。小集団の構成員の場合とくらべて、同類集団のクラスターの場合は、集団の数が多くなったりするため、必ずしも全集団が一列に並べられるような順位は、全体として明確にはならない。そのような場合には、個別順位にかわって、一流、二流、三流といった集団的なランク付けが自然に設定されている。

 しかし、一流とされるグループの中では、集団の個別順位は必ず自他ともに認知されている。また、二流、三流とされている集団の場合でも、ナンバー・ワンから数えて何番目ということはわからなくとも、自己集団にとっては、その前後の順位にくる集団は認知されているのが常である。すなわち、どの部分をとっても、同じ位のよく似た集団間の相対的順位があるのである。この相対的順位は、微妙な差によってできているのが常であるから、活動成果によって隣接する集団の順位が変わることもありうる。それゆえにこそ、隣接する集団間の競争はことのほか激しくなるのである。したがって、一流、二流、三流のどの部分をとってみても、各集団の他集団との関係における運動法則は同一であり、その限りにおいて、集団成員の気持は似たものである。

潜在的なタテ関係 P.113

 このように、各部分において相対的な差によって順位が認知されているということは、論理的結果として、一つのクラスターの全集団がタテにみなつながっていることになる。このつながり(ゝゝゝゝ)が同種・同類の諸集団に秩序を与え、一つのシステムを共有するクラスターとして異種集団から区別されるのである。このシステムは、組織などとよべないインフォマルで潜在的なものであるが、その社会的関心の強さにおいて、社会構成に大きな意味をもっている。

 (一)、(ニ)、(三)の場合は、いずれも上下関係が明確な組織であるが、(四)の場合は、上下関係というよりは順位といったものである。しかし、その順位がタテの順位を反映しているという点で、タテ社会の性質をよくあらわしているものである。

 (一)から(四)へといくに従って、制度的なタテの機能はゆるくなる構造であるが、いずれの場合も、その内部をみれば、個々の集団、とくに小集団の孤立性は高く、大集団・系列集団・クラスターとしてのまとまりは弱いのが常である。派閥争いに明け暮れして、党全体の社会的責任がないがしろになるとか、日本政府の数は官庁の課の数だけあるとか、また総論ではみな賛成であるが、各論になると反対が続出し、実行できないなどといわれるのは、その側面をよく表している。

 集団内部においては、激しいセクショナリズムや、同類集団の競争を内包しているもので、タテの秩序はあっても、必ずしも協力関係にあるものではない。むしろ、タテ関係に位置しない取引先の方が、友好関係にあるということもできよう。

 大集団が凝集性を表わすのは、外的な条件による緊急事態というか、大集団全体がソトに対して防御態勢を必要とするときである。これは、クラスターのようなゆるい連合体の場合も同様である。輸入に対する業界の抵抗などがそのよい例である。こうしてソトに対して、より正確には防御・抵抗をしなければならない対象に対して、一丸となって当たることができるのは、実にタテの組織・順位があるためである。これによって、内部秩序を保つことができるのである。このような場合、常にタテの力に従属することに強い抵抗を示す個別集団や小集団は、驚くほどすなおにタテの秩序に従うものである。

 このように、タテの関係とは潜在的なものであって、決して、それが平時の日常活動において顕在化して使われているものではない。伝家の宝刀のようなもので、みなその存在を知っていながら、いざ(ゝゝ)というときにしかあまり使わないものである。特に集団と集団の関係においては、すでに指摘したように、自己(集団)主張が強いために、上から下へのコントロール、圧力は限界をもつものである。

 そのうえ、各集団は、他集団とさまざまな関係をもっているために、たんに上下に位置するのではなく、諸集団にとりまかれているような位置づけにあり、それらとの関係調整を常にしいられているから、その上からの力の行使には構造的な限界をもつものである。

隣接し、なじみあう集団関係 P.116

 この諸集団の存在の仕方は、ちょうど古い石垣を構成している相互によくなじみ合った個々の石のような位置づけにある。それぞれ形も大きさも異なる個々の石が、隣接して全体をうまく構築しているといった具合である。これは、一つの大きな集団の中の小集団の存在の仕方でもあり、また一つのクラスター内の存在の仕方でもある。さらに日本社会全体の中にみられるさまざまなクラスターの存在の仕方にも該当する。

 石垣にたとえたのは、あくまで個々の単位の相対的な大きさの種々相とその隣接のあり方にすぎない。集団はそれぞれ生きて働いているもので、構成単位は有機的な性質をもち、全体は生物体のように生きたシステムである。

 重要なことは、集団であれ、クラスターであれ、それぞれの単位が相互に隣接し合って、単位の大小を問わず自己主張し、お互いを規制していることである。各集団はいかに小さなものであっても、既得権をその存在の基盤にしており、あらゆる意味での侵入、侵害に対して抵抗を示すが、同時に、いかに大きく優勢な集団であっても、積極的に自由な行動に出ることは極度に制約されている。

 隣接するそれぞれの単位は、お互いに同類であったり、異種であったり、上下関係であったり、取引関係であったりして、雑多な存在の仕方が見られるが、直接に隣接しあう集団と集団の間には、亀裂、あるいは機能的な分離帯があるのではなく、むしろ両者のなじみ合いから醸成される連続を可能にするメカニズムが内包されている。この関係が幾重にも錯綜し合って、全体として連続体(ゝゝゝ)を形成している。

 個々の接点において、もちろん摩擦や緊張関係は起こりうるが、個々の集団の存在理由が全体構成のバランスの上に立っているために、いかなる場合においても全体構成の枠の中で(その許容範囲において)のみ、ことは処理される。これは、リオガニゼーションというものを許さないきわめて保守的な構造である。2025.02.17 記す

同質の部分から構成される連続体 P.117

 これに対して、類別集団ごとの単位が全体の社会構成において高い機能をもっている場合には、各単位が性質・役割を異にすることによって、相互に明確な分離(ゝゝ)ができている。そしてこの分離された単位が特定の役割を独占することによって、相互に補完的な関係に立ち、全体がオーガニックに結ばれ、機能するというメカニズムとなっている。このシステムでは、全体の中枢の位置づけも役割も明確で、したがって、権力行使というか支配と服従の関係も、ルールとしてその中に位置づけられている。

 連続体の場合は、いちおう、中枢部が存在するわけであるが、それは他の単位から明確に分離して、他を従属させる主体的自由をもった――あるいはルールとしての支配・服従の関係にのっとった――権力の中心ではない。

 すなわち、大集団・クラスター、あるいは日本社会全体のいずれを単位として考えても、それ自体は、前に考察したように、システムとしてタテに統合されており、その頂点(ならびに直属する部分)は、中枢部としての機能をもっているが、それは全体構成の中で頂点に位置しているということだけで、権力行使が可能であるという構造的特権はもちえないものである。なぜならば、原則的には他の諸単位と同じように隣接諸単位からくる力関係に大いに制約されるからである。

 すなわち、全体は、どの部分も同じような性質をもった連続体から構成されている軟体動物に似ているいるということができる。がっちり組まれた石垣(よくできた全体)の要件は、個々の石や形や大きさは違っても同質(ゝゝ)のものであることである。連続体を可能にしているのは、実に全体を構成している部分が同質ということによってささえられているからである。そうでなければ、単なる隣接という条件では相互に結びつくこと、より正確には、なじみ合って(ゝゝゝゝゝゝ)、それが全体をつくり上げるということはできないのである。

 これに対して異質の場合は、すでに指摘したように、なじみ合うのではなく、まず相互に明確な分離ができていて、分離された各集団が相互補完的なオーガニックな関係に立っているのである。

ヒトデに似た運動法則 P.119

 それでは、どの部分も同じような性質をもつ連続体の、動的メカニズムというのはどのようなものであろうか。すでに数年前のことになるが、大阪大学の生物学の鈴木良治次教授が筆者の質問に対して説明されたヒトデのモデルにおける、周口神経環と他の部分との関係は示唆に富むものであった。(同教授の論文「ヒトデのシミュレーション」)『医用電子と生体工学』一九七二年四月所集、一六四~一七〇ページ参照)

 ヒトデの五本の腕は、自発活動をある程度行なうが、この五本の管足の動きを統合する必要があり、これを行なっていると考えられるのが周口神経環である。たとえば、ヒトデが「波にさらわれるなどしてひっくり返されると、すぐ起きなおり始める。その動きは初めは鈍く、五本の腕がそれぞれ勝手に動いているようにみえるが、やがて五本の協調がが始まって、次にはすばやく起きなおってしまう」のである。

 このような協調を可能とするヒトデの五本の腕の管足の動きを統合するのは、中央に位置する周口神経環であるが、これはコントロール・タワーのように各部分の動きへ指令を発するという機能をもつものではなく、各部からくる反応をシステム全体の中の動的法則性の集合として受け持つ役割をもつ。

 日本社会にあっては、首脳部とか政府というものは、その本質において、このヒトデの中枢領域に位置する周口神経環のような性質をもっている。

 権力構造のあり方については後に述べることとし、全体のダイナミックスなメカニズムについてまず考察してみよう。つまり、どこか一部に刺激を与えると、あるいはどこか一部が自律的に動き出すと、その周辺ならびに全体に、どのような反応が起こるかを考えてみたいのである。

 こうした動きへの反応度には、集団の位置ならびに大きさなどによって差があることは、十分推察できるところである。

 タテに組織された独立・半独立の各集団は、ヒトデの各腕のようなもので、それ自体の活動において、相当な独立性というか自由度をもっている。その集団クラスターが、外部的あるいは内部的要因によって刺激を受けると、その全体の中でとくにその刺激に強く反応する特定部分(局所)から他の部分が一種の連鎖反応を受け、しだいに全体に影響していくが、この連鎖反応は全体にまんべんなく行きわたるのではなく、なかにはそれにまったくといってよいほど反応しなかったり、影響を受けない部分もある。

 このために、局部に起こった動揺はその周辺に波及するだけでとどまり、そこだけの問題として自然に治癒することが多い。お家騒動などというものはその典型であるし、また、大学紛争は全国の大学には波及したが、あの大騒ぎの最中でも大学を一歩出ると、うそのような平静さが街にみられ、人々はいちおう大学紛争について話し合っても、大学のソトの人々にとっては、対岸の火事も同様であった。労働者たちは学生の呼びかけに少しも動ぜず、むしろ批判的な目を向けていた。フランスにおけるような、学生と労働者との交流はついぞみられなかった。学生と労働者どころか、諸大学の学生が連合することすら容易ではなく、一大学内においてさえ運動は学部により、さらに学科による差が生じ、こうした事実によって、その全体としての勢いは低下せざるをえない事態であった。

 タテ社会における、各レベルの集団の孤立性・閉鎖性は、さまざまな動きの伝達に段落をつけ、その勢いをそぐ作用をもつものである。この作用は集団間の相互協力(ヨコの関係)がうまくできないということとウラハラの関係にある。私たち日本人は、ヨコの関係の貧しさを慨嘆するが、このヨコの関係があまりにも自由に設定できるようになると、集団はここで指摘した一定の動きに対する防波堤を弱体化することになる。

 同質の構成をもつ社会において、この単位(集団)の独立性が弱く、個々人がその単位のあいだを自由に流出・流入することができるような状態であったならば、強い刺激に対して諸集団の抵抗力がきわめて低く、全体としてもろい社会となるであろう。この意味で、日本的システムにおいては、各単位は隣接する同一クラスター内の単位の動きに影響されやすいとはいえ、抵抗・制御のメカニズムをも内臓しているものである。

刺激への反応と伝達のプロセス P.123

 刺激を受けた特定部分(震源地の動きに影響される部分)の動きをみると、次のようなプロセスが見出される。

 それぞれの立場で受けとめた刺激に対して反応があると、その対応の方向が各集団ならびに集団間で模索され、しばらくたつと、それぞれ一定の方向が萌芽的に打ち出される。初期には一見優位にみえるこの方向も、その後の力関係の発展によって打ち消され、他の方向に向ったりする。

 こうした全体としての方向の模索のプロセスにおいては、集団相互の力学的調整が行われるわけだが、隣接する集団の動きに相当左右される。特に、社会的に隣接する集団(大集団内の諸集団、同種・同類に属する諸集団)のあり方が最も大きなな関心事となり、相互に同様な動きをとろうとする運動が起こる。それは、それらが連帯した立場をとることによって、各々の集団が安定性を感じるからである。

 こうした動きの中では、あらゆる小さな兆候に対しても敏感に反応し、偶発的な小さな事柄が方向決定に大きな役割をもったりする。この場合、必ずしも優位集団の意志が決定的役割をもつということはない。したがって、この段階においては、個々人の判断、とくにその衝に当たる人々の判断が有効に働きうるのである。たとえ、それはその状況に対して相対的な力しかないとしても。

 しかし、しだいに形成されてきた一定方向が優位集団によって採られると、あるいは、ある反応連鎖が決定的に優位を占めるようになると、鈴木式のヒトデのモデルのように、もはやそれに対するいかなる取消し・反対も無効となり、その方向を変えることができなくなる。こうなると個人はもとより、各集団の動きは大きく制限される。こうしたときの並発現象としてよくみられるのは、その方向に向って個々の集団の自己規制さえ起き、その方向への勢いが助長されることである。

 この段階になると、同質のものからなる連続体においては、何らの制御のメカニズムもないのである。

2――権力でなく圧力 P.125

責任も明確にしえないメカニズム

 以上述べた運動法則は、権力の座にあるとみられている者(個人にしろ集団にしろ)に対しても同様にあてはまるものである。戦犯裁判の際、責任を問われた被告が、「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなりゆきがあります」と述べたのは、実は、ここでいう、決定がいったんおきてしまうと、いかなる反対意見も(個人としても集団としても)それをとめることのできない動的法則の存在をよく示している。

 このメカニズムでは、特定の決定の結果がたいへん誤ったものであるということが明らかになった時点で、その決定の責任が問われても、それに参画した人々としては、個人としても集団としても、責任を明確にしえないのである。

 この種の現象は、普通、日本人の集団主義による無責任体制とか、個人の弱さということに帰せられるが、このような見方は、印象的な説明であるにすぎない。問題は集団や個人の主体性とか意識というよりも、動的法則に求められるのである。事実、意志決定のプロセスの前半(決定の方向がうち出される前においては、各人の意見の表明は相当自由にできるものである。したがって、自分の意見を通そうと思えば、その方向が決められる直前、タイミングよく効果的に提示しなければならない。

 実際には、これは容易なことではないかもしれない。というのは、その決定の方向がうち出されるとき(ゝゝ)というのは、論理的に到来するのではなく、また、ある個人・集団によって意図されたとき(ゝゝ)でもなく、ある時点で急激に起こるからである。何かの拍子に、温度が急激に上昇するという感じである。そのとき(ゝゝ)を後から考えると、一人一人の意見が、それぞれなんらかの形で影響し合って形成されてくるのだが、それは論理的なつめ(ゝゝ)の結果ではなく、ある瞬間に、集団内の誰かのいったこと(いい方)、あるいは外的な刺激が発火点となって、決定的な方向に全体が踏み出すというのが常である。2025.02.18 記す

意志決定のプロセス P.127

 決定への第一歩が踏み出されてから、最終決定にいたるまでのプロセスは、その前に比して緊張度が高く、時間的に短く、また、きわめて単純な動きをする。それ以前においては、ずいぶん時間的にも心理的にも余裕があり、お互いの気持のさぐり合いや、個人の気晴らしまでふくめた、あらゆる建設的・非建設的な意見が出されうる。日本人の意志決定が長くかかるとすれば、その時間の大部分がこの前半のプロセスに消費されるからである。

 これを他の諸社会の人々(議論好きな)の場合と比較してみると、この部分は後半に比して長くない。そして前半と後半といった転換も明らかでなく、一つの連続体をなし、とくに後半の短兵急な一気に坂をのぼるようなプロセスがなく、最後まで反対意見が考慮され、始まりから最終決定まで、しだいにスピード・アップされるが、運動の質的転換をさけることができる。

 これが可能なのは、一つには役割というか専門意見というものが常に尊重されるという、異質のものをふくむ構造からくる強い認識があるためと思われる。同質のものからなる連続体を母体とする認識では、「ひっぱればついてくるべきだ」とか「ひっぱられればしようもない」という性質が助長され、専門の意見というものが力関係に従属しやすい。もちろん、他の社会でも力関係は存在し、日本的意志決定にみられるような要素も介在しうるが、その度合をミニマムにおさえることのできる諸要素が強く機能しうるということが、一見、非常に異なる意志決定を現出させることになる。

 すなわち、日本でいう「全員の賛同を得た」とか、「満場一致」ということは、正確には全員がすべて同じ意見に一致したということではなく、意見が違うにもかかわらず、全員がその決定に従わざるをえない立場にたった(その意味で決定が受諾された)ということである。

※参考:全員一致の審決は無効(サンへドリンの規定と「法外の法):イザヤ・ペンダサン著『日本人とユダヤ人』(山本書店)

 このプロセスでは、反対意見、少数意見というものに対する考慮はないがしろになり、全体のなかで譲歩せざるをえなくなる。こうした最終決定は往々にして実行を迫られたとき(ゝゝ)という要素に制約され、そのとき(ゝゝ)の要求に全員が従うことによって、いっそう全員の受諾を可能にするものである。こうしてみると、意見の一致より、とき(ゝゝ)におくれず実行(ゝゝ)にうつるということに、決定の主力が注がれているともいえよう。

 一方、欧米諸社会において「全員一致」すなわち unanimouse concensus というのは,全員の意見が文字どおり一致した (agreed) のであって、たんなる受諾(acceptance) ではない。したがって、最終決定ぎりぎりまで反対意見が認められる。しかし、このためにひどいときには、意志決定がその実行のとき(ゝゝ)にまにあわなかったり、実行に移ってからも、全員の協力が必ずしもえられなかったりして、その実行のスピードもゆるく、ジグザグの道をたどったりする。そのかわり、とり返しのつかないような悲劇をさける可能性もあり、また、その責任を問うことも容易である。

 軟体動物的構造をもつ場合は、以上のような最終決定へのプロセスをとるため、決定が最終にどのようなものになるかは、中枢にある者にとってさえ予測しにくい。著名な政治家が、「一寸先はやみ」とか、「潮どきというものがある」などといったりしているのは、こうした力学的動きを無意識に体得しているためであろう。

権力は存在するか P.130

 末端からみると、トップにいる人たちは、いかにも権力をもっているようみえるが、その権力の行使がなされたとみられる場合は、リーダーとして卓抜な個人が存在したとか、あるいは、その人々が権力を常に独占しているため、というよりは、トップセクターにある特定の人人がその動的法則にたまたまうまくのったためといえよう。特定個人が権力者とみられるのは、実は、そのときの波にのった特定の優勢集団の長としてであり、さらに、彼自身が属する小集団(ならびに大集団)を彼がうまく維持している(この点では個人的能力も大いに発揮できるが)という点にその基盤がある。

 小集団の論述においてすでに明らかにしたように、日本社会の組織においては、一般のレベルのみでなく、社会ならびに大集団の上層部においても、小集団が形成されているから、トップのの権力者といえども、小集団的世界をもっているのであり、その中での彼の自由な権力行使は容易にできなくなっている。

 このようにみてくると、権力者とよばれる人も、小集団的制約の中にいるから、権力があるとすれば、個人ではなく集団にあるということになる。実際、人々の意識においても、権力は集団的(コレクティブ)な様相をもって意識されているのが常である。首脳部とか、大きな枠では政府とか、かつての軍部とかのように、特定集団をさしている。構造的により正確には、その中の特定グループということになる。特定個人の名がクローズ・アップされることはあるが、それはその特定集団の象徴であったり看板であったり、スケープ・ゴートであったりするにすぎない。

 したがって、東条とかヒットラー、カーターと福田氏とは構造的基盤が異なり、リーダーシップの質も異なるのである。歴史的にみても、日本社会には、西欧や中国その他の社会にみられたような、スケールの大きい、個性の強い卓絶した力をもった権力者はついぞ出現したことがない。

権力は「悪」か P.131

 それならば、特定個人でなく、特定集団は一般に信じられているほど、権力行使の特権をもってるいるだろうかというと、すでに述べたように、集団として権力を行使するには、全体構成のなかであまりにも制約された位置づけにある。

 しかし、なぜ人々は、あのように不当にまで権力が行使されると信じ、権力を非難するのであろうか。日本人は「長いものにはまかれろ」などというくせに、権力(権限)を、特定個人や特定集団に与えることに常に強い抵抗を示す。そして、自己(集団)がより上位の、あるいはより強いもののいい分にさからえない場合は、うらみがましい感情を抱くのである。たとえば、政府に対する民間の場合には、そうした現象をよくみるところである。

 日本社会では、「権力」とか「権威」は悪徳であるかのような認識で受けとめられている。度合の差はあっても、社会全体の機構・組織のうえで、当然存在するものなどという考えはないようにみられる。権力行使も、非常の際を除いて、あるいはおろかしい自己顕示欲にかられないかぎり、できるだけあらわな印象を与えないような配慮がなされている。

 いったい、日本人が悪徳とみなす権力・権威とはいかなるもので、また、なぜ、そのような受けとめられ方をするのであろうか。これは、やはり、前述の日本社会の構造ならびに、そのダイナミックス(隣接集団の圧力のかかり方)に由来するものと思われる。

権力ではなく圧力 P.132

 大集団に隣接する諸集団は、どうしても力関係で圧力をを受けやすい。その接点に立たされた者の感覚からすれば、自分はまったく非力のように感じられる。隣接しているために、全面的に圧力がかかるということもあろう。その圧力はさらに、その圧力をかける当事者たる集団の上位集団から、また上位とは限らなくとも、圧力をかけうる位置にいる集団からの圧力の強さで、いっそう下位におかれている小集団は苦しむということになろう。

 とくに、この圧力はインパーソナルな形で集団から集団へとかかるので、所属集団が小さい成員ほど、強く感じられるものである。したがって、いわゆる末端における大集団に属さない層が最もその犠牲になりやすく、この庶民感情が権力に対する嫌悪という表現となってあらわれるものと思われる。しかしよく考えてみると、日本人が権力と思いこんでいるものは、正確には上位あるいは隣接集団からの圧力という種類のものである。

 それは全体の動きの中でかかってくる圧力であるから、動きが異なれば、反対方向にも動くわけである。民間団体が圧力団体となって、政府の政策や予算にも影響することは、よく知られていることである。相対的な力関係がよくみられるのである。

 この圧力関係は、お互いに接近した立場にあるので、その場から逃げられず、全面的にかかってくるので、怨念の対象となるのである。権力に対して、日本社会ほど怨嗟の声がきかれるのはないような気がする。さらに、前に記したように、「決定がなされたとき」の力学的動きに対する無力さが、特定人物や特定集団を敵とみなして、鬱憤を晴らさざるえない立場に、人を追いこむからであろう。

 他の社会においてみられるような権力のかかり方というものはもっとあらわで、きびしいものがるが、一般生活者にとっては、特定行為、特定分野が対象とされるのであり、日本の場合のように、全面的にかかってくるということはない。したがって、庶民の生活感情とは必ずしも密着しないから、「うらみがましい」などといった、同類の者に対する庶民的な性質をもつ感覚よりは、あきらめとか恐怖につながるものである。この意味で、少なくとも、ドイツ人や中国人が経験したような、すごみのある権力の経験は、日本人一般にはないといえよう。2025.02.19 記す

権力ではなく権威 P.134

 相対的な圧力のうちでも、不可抗力とされるものは、小集団にその上位集団からかかってくるものである。その源泉となるものは、権力というよりは権威(ゝゝ)である。上下の組織においても、タテの順位においても、相対的に上のものが権威をもつわけで、不可抗力とされる圧力は、常に権威のある側から出される。

 この常識のために、権威ぶること自体が不当な圧力をかけるという意味をもって受けとられる。したがって、「権威主義的」ということばは、悪い、あるいは不評判の形容詞であり、反対に「庶民的」ということばは賛辞になるのである。同一の母体から、他方では、実力(権力)がないのに権威をかさにきていばる、という行動のスタイルが出てくる。

 実際、タテ社会では、個人や集団にとって、権力の行使は容易ではないが、権威による圧力は、きわめてかけやすくなっている。どんなに日本人が「権威」に悪感情をもっていても(実際には、権威は好まれているともいえる)、タテ社会の秩序がある限り、権威はつきものである。権力には交替がつきものであるが、タテの秩序によってささえられている権威は、その政治・経済機構、社会構造が基本的に変らない限り安泰である。

 集団についてみると、「権威ある」とされる場合の特定集団というものは、同類の他の諸集団より歴史が長く、活動のスケールも大きく、よく名の知れたものである。この種の特定集団は、その恵まれた位置づけと大きさ、格の高さにより、前述した集団間のダイナミックスにおいて、弱小あるいは劣勢集団よりも、有利に動きうる可能性も高い。

 しかし、そのプロセスにおいて、そうした優位集団のみの利益追求が明らかにイメージ化された場合、そして劣勢集団の自衛意識が連鎖反応を起こすと、反対に働く大きな力が作用し、前者がその方向に傾けば傾くほど、後者の力はエスカレートし、大きなブレーキをかけることになる。この意味で、優位集団といえども、決してその特権に安住することは許されぬ。

 これは、生物が常に平衡状態にもどろうとして自己調節をするように、劣勢集団が存在を維持しうる健全な社会にもどろうとする反応といえよう。それは「道徳的に許せない」という表現をしばしばとるのである。弱小集団の正当化ということは、常日頃から日本人の道徳的感情に深く根ざしており、それは優勢にある者(人でも集団でも)が劣勢にある者に力を行使するという、組織上・政治力学上の特権に抵抗を示していることである。

 なにしろ、劣勢集団も優位集団も、実際には連続体の一部であり、石垣の石のようにさまざまな集団が隣接しあって中での相対的な違いであるから、相互に距離がなく、劣勢集団からくる力をつきはなすことはできない。同時に、後者が革命的行動にに出ることもできない。少数の特定の個人や小集団が革命的行動をとることはあっても、きわめて散発的な形で、その周辺の多くの人々・諸集団を、動員することなどとてもできないのである。

3――エスカレートする隣接集団間の動き P.138

選挙違反と法

 前に、局部的な動きは必ずしも全体に波及しないことを指摘したが、そのために、隣接する諸集団が、他のことを無視して、局部的な活動をエスカレートさせるという現象がしばしばみられる。これは優勢対劣等という設定ではなく、相接する同類の集団間に起こる現象である。これにまきこまれると、いかなる集団(個人をふくめて)も、独自の考え・信条に従って常に行動するということはむずかしい。行動の可否・決定は、隣接する諸集団の動きに大きく影響される。また、これら諸集団は、同時に相対的順位に関心が高く、競争関係に立たされている場合が常であるために、その動きはいっそうエスカレートしやすい。この種の現象は枚挙にいちまがないが、次の地方選挙の例などは、その運動法則をよくあらわしている。

 地方の村落生活者にとっては、周知のことであろうが、地方選挙ともなると、東京在住のサラリーマン層の人々には想像もつかないほどの活発さで、買収・饗応が行われる。そして、そのほとんどが選挙違反に問われるのである。

 先般の地方選挙直後、たまたま私はある農村を訪れ、そのときの話を知人からきいたのであるが、それは小説よりもおもしろい人間関係の悲喜劇を内包していた。その内容については、ここでは立入らないが、本論に関して興味をひくのは次の点である。

 その農村では、村民の中の一人を候補者として立て、隣村から立つ候補者をおさえ、絶対当選をめざして、とくに中堅の村民たちを中心として、あらゆる手段を使って全力投球をするかまでのぞんだ。しかし、彼らとしても、選挙違反にあげられることは極力さけなければならない。そこで、いったいどのあたりまでならばあげられないですむかの判断が問題となった。この場合、彼らにとって、国の選挙違反の規則は問題ではなかった。なぜならば、その規則は、往々にして無視されるのが、その地方の慣習であるからである。要は、その規則からどのくらいまで出ても選挙違反としてあげられずにすむか、ということである。

 そこで彼らは、その地方の選挙のベテランである、また日頃尊敬する有力者のところに相談にいったのである。そのボスが彼らにいったことは、「みんなやっていることならよい。みんながやらないようなことは決してしないように」ということであった。

 ここで使われたみんな(ゝゝゝ)とは、いうまでもなく、その地方の同じように選挙運動をする人たちということで、本論でいう隣接諸集団にあたり、それらの動きにそって動くように、ということで、実に日本社会の動的法則をよくあらわしている。

 あまりにも派手に行なわれる彼らの買収・饗応などを目撃した当地駐在のお巡りさんが、「やい、やい、そんなことをしたらいかんじゃないか」と注意すると、「やあ、少しやり過ぎたかなあ」という反応が返ってくる。法にてらせば不正を行なっているわけであるが、彼らのシステムでは、全体の動きより自分たちだけ少し出てしまったのはよくなかったなどという反省である。

接待行政の根 P.140

 こうした人々の信条とか、考え方というものは、なにも田舎の選挙の例だけでなく、日本社会のあらゆる分野に見出せる。すなわち、全体社会の中で同類・同種の隣接集団の世界にみられる局部現象で、その人々にとっては、慣習(ゝゝ)であり、常識(ゝゝ)として受けとめられているのが常である。法的にはたとえ不正であっても、彼らの世界では、道徳的には非難されることではない。

 このように、慣習・常識・道徳といわれるものは、社会(より正確には部分社会)の動きにそっているものである。つまりそれに関係する人々・諸集団が、全体としてある方向に動いていれば、その動きを前提としている行動規範があって、それとは無関係の、彼らの生活感覚とつながらない法規範や一般社会人としての正義感とは、相当なズレがあるのが常である。

 この意味で、一九七七年十一月二十五日の『朝日新聞』夕刊の「接待行政」の記事は興味深い。

 税金のお目付役、会計検査院まではまりこんでいた接待行政。接待がなければ、円滑に進まない行政とは、接待行政を当然とする役人とは、一体、何だろうか。「中央」と「地方」の間で、中央省庁の間で、接待をする側、される側の病根は根深い(ゝゝゝゝゝゝ)。その断面を追った。(傍点筆者)
 この意気込みで行なった実態調査で得た反応は、「うちの県でしているのは、ごく常識的な接待です」「よそでも同じ程度やっていますよ」「どこでもやっていることで、本県だけやめて印象を悪くしてはマイナスだ」公金を使って役人同士で酒色のもてなしをしても、「行きすぎなければ問題ない」と、地方自治体の幹部は口をそろえる。……などと、一般社会人としての常識を代表する記者の意識(病根は根深い)に対する関係者の意識(どこでもやっている常識・慣習)のギャップが大きく提示されている。

悪の許容限度 P.142

 全体社会の中での、同類諸集団による局部的な動きは、必ずしも違反とか病根などといわれるような()の意識に発するのではない。なぜならば、そのほとんどのケースは、社会の特定部分が全体と必ずしも関係なく動きうる相対的自由をもっているという力学的な性質を前提として、競争によるエスカレートに随伴して生まれる()で、病原菌のようなものがあって、それがしだいに他を浸蝕していくという性質のものではない。したがって、その競争に参加する必要のない部分や、参加をはじめからあきらめたような部分には、()はおよばないのである。

 特定のいくつかの諸集団からなるセクターにおいて、活動が活発であったり、利害関係が相当からんでいたり、上昇期に向っていたりすると、とくに動きがエスカレートしやすいものである。したがって、どの分野でもナンバー・ワンの地位にある集団は、あげられるといういうな憂き目にほとんどあわず、それに接近しようとする第二、第三セクターにある集団がやられるのが常である。

 ここではとくにその名を出さないが、昭和五十一~二年の悪評高かった主な事件を思い出していただければ、このことが明らかであろう。これら集団は、上昇気流にのって、ボルテージが上がっているので、冷静な観点から自己の行動をみるという余裕がなく、エスカレートしている動きがどのあたりまでいっているかということさえ忘れ勝ちである。

 あるとき、ほんのちょっとした兆候がソトに出ることによって、その姿がクローズ・アップされ、その動きが他の部分によって、耐えられないという認識が一般化すると、大きな社会的制裁が加えられ、沈静を余儀なくさせられる。この社会的制裁は、必ず特定ケースとしての具体的な人物や集団をとりあげられて行われるという形をとる。エスカレーションは徐々に進行するもので、その渦中にあっては、どこでやられるかを予測することは容易ではなく、たまたまタイミングにより、その位置にいた者が犠牲になることになる。

 エスカレーションの限度というものは、その局部の動きが、たの部分の許容限度をこえるかどうかということにあり、その許容限度も、さまざまな全体社会の条件によるもので、予測することは容易でない。

 とにかく、なんらかのきっかけを契機として、許容限度をこえたとされると、同類諸集団(関係者)という局部の問題は、はじめて大きな全体の問題となる。すなわち、大きな社会問題として、全国ネットワークをもつマスコミによってとりあげられるようになる。こうして全体としての運動が起こり、方向がつけられると、もはや、局部の動きは自由を失う。

 その渦中(局部)に位置しない一般の人々は、よくもこんなひどいことが行われていたことだと驚き、憤慨し、また攻撃する。一方、その渦中にある人々にとっては、自分たちの行動が、一般の常識や法を破ってしまった、ということに気がついて、反省し引き下がるのではなく(ゝゝ)、「誰がもらしたのか」ということが何よりも強い関心事となる。集団内、あるいは局部的な現象としてだけにとどまるはずなのに、そうならなかったことに対する驚きである。2025.02.20 記す

法的ではなく力学的な規制 P.144

 最近、続発して報道された入試不正事件などは、まさにそのよい例である。当事者と一般の人々の"驚き"には相当へだたりがある。局部的な活動がエスカレートしすぎたことと、集団単位でみれば、内部統一というか和が保てなくなったためであろう。入試や選挙の場合ばかりでなく、利害関係がからんだ場合は、必ずといっていいほど運動はエスカレートするし、集団内に不満分子を育む危険性をもっている。

 エスカレーションがあまりひどくなると、ちょうど、ヒトデの例のように、一本の足があまりにエネルギッシュに運動をはじめると、その力が他の部分に及ばざるをえなくなり、全体に影響を与え、それによって、隣接部分や全体が反応しはじめる。そうした力が前に述べた、優勢集団の独走に対する劣勢集団の反応のように、ブレーキの作用をもつことによって、その独自の活動をおさえることを結果する。

 このメカニズムでは、「悪」とみたものを根絶するなどということはできないが、全体の健全な維持のために、勝手な行動は慎んでもらう、という力をもっている。個人的には法的処罰を受けることはあっても、全体としてみると、これは、法的規制ではなく、力学的規制である。

 この力学的規制をオブラートのように包んでいるのが、日本人のいう道徳とか道義、あるいは人道という用語であろう。これらはいつも力学的運動にそって使われている。上記のような遺憾な事件が報道されると、社会評論家たちはそろって慨嘆の言辞を弄し、人々の道徳観念や意識の低さ、心がけの悪さを指摘し、不用意な行動に反省を求める、といったスタイルをとる。そして当事者を攻撃し、関係者の善処・改善の意向を期待する。

 これらは全体のインパーソナルな圧力となって、当事者・関係者に対するのであって、「人の噂も七十五日」といわれるように、圧力というものは、かかりぱなし、ということはないために、その時点における反応がいかに激しいものであっても、同一の攻撃が特定の対象に対して、長期にわたってなされるということはない。実際、どれほど大きな問題となった事件でも、徹底的に追及されることはなく、少したつと、ウヤムヤとなってしまうのが常である。「喉もとすぎれば熱さも忘れる(ゝゝゝ)」という、日本人の生物体としての強さもあろうが、本論の立場からは、さきに指摘したように、日本社会が法的に規制されているというよりは、力学的に規制されているからであると、みることができるのである。

4――性能のよい連続体 P.147

観念と現実のあいだ

 日本人は自分たちの社会が力学的に規制されているということを、無意識に体得しているのではなかろうか、と私は思う。なぜならば、社会的評論(識者・評論家などといわれる人々のみでなく、一般の人々の社会現象への対応をふくめて)というものが、あまりにも観念的なもので、現実の上をうわすべりしていることを、そうしたあり方を、むしろ当然のことのように受けとめているからである。

 さきにあげた社会評論家たちの反応のように、日本における社会評論というものは、主観的で一人よがりになりやすく、問題を対岸の火事のように扱い、説得力もなく、問題の解決に役立たないものが多い。たとえば、世の関心を集めたなげかわしい社会的現象に対して、道徳的批判を熱心にして、その後で「要するに教育(制度)が悪い。これをなおすべきだ」ということがよくきかれる。この種の意見は、もちろん、教育関係者以外から出されるのが常で、文部省がけしからん、とか、学校教育の内容が悪いことを指摘する。

 もちろん、こうした指摘は十分意味のあるものと思われるが、それでは、実際に、どうしたら教育をその方向に改革することができるか、従来の挙育体制・内容を変えるためには、どれほどの関係者のエネルギーと時間がかかるか、あるいは、それでもできるのかどうか、という問題となると、ほとんど戦略をもちあわせていない。

 さらに、たとえ、教育制度や内容を変えることができたとしても、それが実際にどのくらい効果をもつものであるか、といった予測においては、まったく希望的観測の域を出ない。日本人の教育に対する期待は、並はずれて大きいような気がする。これは前述した社会認識のあり方と、密接に関係していると思われる。(七八~八〇ページ参照)

 とにかく、実情にメスを入れて方法を論ずるのではなく、「こうあるべきだ」という歌い文句や、「こうすべきだ」という主張の吐露に力点がおかれるのが、日本における社会評論の特色である。実施をどのようにしたら、どこまで改善できるか、またできないか、という実態の把握をもとにした具体的方策に関する問題は、彼らの関心の枠外におかれているようにみえる。

ファションとしての評論 P.149

「××のこれからのあるべき姿」とか、「望ましい××像」たどというテーマが出され、ジャーナリズムにおける議論、さまざまなシンポジウム、政府への答申にいたるまで、多くの人々のエネルギーと時間をさかれるのだが、その結果は、山のように積まれた印刷物・書類が残り、一方、実態は旧態依然といったことが、くり返しくり返し行われる。どうして、こうしたことがあきもせず行われつづけるのか、心ある人々にとっては理解に苦しむところである。

 しかし、みんなが相当な熱意をもって(また楽しんで)やっていることであるし、何か意味があるに違いない。少なくとも、本論で展開した構造分析の立場から考察すると、次のように理解をすることができる。

 それは、こうした一連の観念論の横行は、日本社会を装う一種の衣装であるということである。力学的規制ならびに動きとういうものは、ちょうどヌードのようなもので、それに着せる衣装が道徳的観念論である。衣装は人体をひきしめ、保護すると共に、その欠陥を補ったり、"馬子にも衣装"で、よい衣装は実体をひきたてもする。

 衣装は実体にそって動くが、実体とはまったく別のものであるように、観念的な議論や意見の表明は、現実にそってはいるが、両者は一体でもないし、交わってもいないのである。

 さらに、衣装というものが、その時代の流行を常に反映するように、社会評論にはときの流行がよく出ている。大勢の人々が同じようなことをいって、一つの見方が支配的に出てくるのは、その時の流行に当たる。論理的な可否よりも、論者の姿勢が問われるのはそのためである。

 国際会議の場で、「日本代表の演説は内容がなく、観念的で我々の期待に反したものであった」などということをよくきくのは、実体よりも衣装に力点があり、行動計画よりも姿勢を示すということに関心があり、また、それが文化的スタイルとなっているためであろう。少なくとも、国内的には、このような観念的提示でことがすむ、あるいはそれが意味をもつということは、日本社会がその構造設計において、すぐれた性能をもっているからである。

じゅずつなぎの連続体 P.151

 現代の日本のように、社会全体を律する確固たる倫理規範もなく、宗教的基盤をもつ社会の規律もなく、専門家を除いては規定もよく知らずに、とにかくつつがなく社会生活を営むことができるのは、日本社会がタテの秩序をもちながら、本論で考察したように、一定の動的規則の働く単一体として、きわめて性能がよいからだと考察できる。

 単一体を構成する細胞のような無数の集団は、各々独自性をもち、同質で同一の構造をもって、一つの連続体を構成している。組織的につながらない各々の相対的順位の認識である。全体構成の中で自分たち(集団)がどのへんに位置しているか、という認識でなく、各々自分の位置を中心とした隣接するものとの位置づけ(順位)についての認識である。この累積というか延長というものが、全体を形成することになる。

 すなわち、すべての部分が、どこをとっても微妙な差(順位)によってつながっているということは、全体がじゅずつなぎ(ゝゝゝゝゝゝ)になっているということになる。このシステムでは、各自の主要な関心は、前後の者との関係にあるから、上層部にいようと、下層部にいようと、同様な心理状態にあるといえる。

 事実、日本社会においては、全体のスケールからみると、底辺に近く、しがない商売と思われるような仕事に従事している人々でも、近寄ってみると、なんと誇り高い気持ちでいるか驚くほどである。

 たとえば、お祭りのときの小さな屋台店で食べ物を作って売っているような人でも、「わしらはこの道八年もやっているんですぜ、そのあたりの連中とは出来が違いますよ」などといった自負をもっている。どんな仕事をしている人でも、ちょっと話をすれば、こうした気持をもっていることがわかる。

 他方、一般からみれば、エリート中のエリートと思われるような上層にある人でも、よく知ってみると、昇進が誰々よりおくれたとか、このポストでは不満だとか、エリートらしからぬ気持ちをもっていたりして、驚かされたりする。関心が常に自己中心的な局部的な比較にあるためである。そのために、上層部にいても、一般の人々ときわめて似た心理状態にあるといえよう。前に上層部にも小集団が形成されており、トップセクターにあっても、人々は小集団的関心が強いことを指摘したが、そのことも密接に関連していることはいうまでもない。また、じゅずつなぎの全体構成は、次に示す日本人の中流意識にもよくあらわれている。

中流意識の実態 P.153

「余暇開発センター」(財団法人)というところで出している月刊誌『ロアジール』(一九七七年十一月号)に「中流意識」としておもしろい記事がのっている。

 経済企画庁が「国民生活白書」で、日本人の九割が中流意識をもっていると発表したとき、マスコミは一様に"ナンセンス"とたたいた。これは当然の批判だ。

 余暇開発センターのある調査員が、次のような報告をしている。

 麻布(こうがい)町のお屋敷街で"あなたの家は、社会階層のどのランクだと考えますか?" と質問してまわった。

 返ってくる答えのほとんどが"中流の中"。

 "それでは、上流階級とは、どのへんだと思いますか?" とたずねると、"元華族のような人たちでしょうね"ということだった。

 次に、麻布の商店街の住民に同じ質問をした。

 "自分たちは、中の中。上流階級は、笄町のお屋敷に住んでいるような人たち"という答えである。

 次に、いわゆる下町の江東区へ行き、やはり同じことをたずねた。

 "私たちは、中の中。上流は、港区に住んでいる人"ということだった。

 このように、相対的な中流意識をパーセンテージで現したときに、日本人の九十パーセントが中流だとするのは、無意味なことだ。

 お役人は、社会調査を買いかぶりすぎる傾向があるようだ。

 この「中流意識」こそ私が連続体(ゝゝゝ)としてとらえる日本の社会構造をよく反映している。実はこの自己中心的な相対的・社会学的認識というものは、今日の日本だけではなく、士農工商などという身分制のあったころにも、基本的には存在したものと思われる。江戸時代の武士たちがいかに相対的な家格(ゝゝ)の順位にこだわったはよく知られているところであるし、同様に、農民のあいだでも、村内における家の格付けは最も関心のあるものであった。彼らの生活意識としては、武士と農民などということより、同類の中の違いの方が、はるかに重要な関心事であったといえよう。第一、両者の社会的接触の場などというものはなきに等しかったのであるから。

 今日と異なるところは、政治的な制度として、両者を明確に分かつライフ・スタイルが設定されていたことである。しかし、これは必ずしも社会学的に形成された階層とは同じではない。そうでなければ、あのように早く、士族と一般の区別がなくなるということは考えられない。また、多くの社会では、前近代的な階層における上層が中・下層に対して経済的にも圧倒的な優位を占めていたのに対して、日本の上層(士)の経済的基礎が脆弱であったことによろう。今日においては、全体の経済的な格差がいっそう少なくなったこともあって、ライフ・スタイルが上から下まで共通になってきたために、日本人特有の社会意識が遺憾なく発揮されるようになったものといえよう。

 ここで重要なのは、上下の差がないということではなく、前に述べたように、上から下までじゅずつなぎの連続体をなしているということである。すなわち、階層的な設定が社会的にできないということである。さきにも指摘したように、どこまでが頭の部分で、どこからが尻尾なのか分らない軟体動物的な構造ということができる。このことは同時に、全体としての感度・性能は、きわめて高い単一体を構成していることにもなるのである。

 日本社会について、外国人が「日本株式会社」といった印象を抱くのは、日本人がとくに強いナショナリズムをもっているとか、外国人に対して排他的であるなどという意識によるものではなく、実は、この軟体動物的構造と、その動的法則性によるものである。

 常態においては、日本人は他の国の人々に比して、ナショナリズムはむしろ低調である。そして、外的圧力に対して、全体的に防御態勢を必要としたとき、あるいはある部分が対外的な直接接触の場におかれたときに起こる集団としての凝集性が、日本人としての意識を高揚させる結果となるのである。

法意識の対比 P.156

 日本のような社会に対して、歴史的に異民族をその社会に包含するようになった社会、また同一社会内に顕著な社会階層を発達させた社会(両者はしばしば同一社会にみられる)では、単一体として、その内部にいくつもの大きな亀裂をもつことになり、自然発生的な生物システムに依存するだけでは、容易にことを運ぶことはできない。そこで、生物的な動的法則とはまったく異質な、状況や対象の違いに左右されない、普遍性をもつ()体系とか 倫理(ゝゝ)体系を設定することによって、異質のものをふくむ複雑な全体社会の動きに、基軸を与える方法が発達したものと思われる(そのプロトタイプは古代ローマ帝国や古代漢帝国である)。

 こうした社会では、常に中枢から明確な原則がうち出され、社会は軟体動物でなく、脊椎動物のような構築のあり方になる。西欧社会とか、中国社会はそのよい例である。西欧社会において、いかに()というものが尊ばれ優先されてきたか、日本人の感覚ではとらえがたいものがある。最近のドイツのハイジャック、シュライヤー事件にみられる対応のあり方など、このことをよく示しているといえよう。

 これに対して、日本人にとって、法とは、社会の骨格ではなく、全体の動きを不当に乱す特殊な細部の手当てとして適用されるもので、専門家による技術的な問題とされやすく、全体社会を規制する原則にはなりにくい。2025.02.27 記す

法規制でなく社会的規制 P.157

 日本と欧米の法観念の違いについては、法律の専門家の立場から十分説明されうることと思うが、ここでは本論の社会学的分析から考察するわけである。

 第一部、小集団の分析のところで、日本人は自己の小集団の意向にはよく従うが、大集団のルールには鈍感であることを指摘したが、法規制となると、さらにスケールの大きい集団、国といったものを対象としたルールであるから、個人の生活感覚からいっそう遠くなることはいうまでもない。法律とか裁判というものは、例外的な特殊なケースにおいてのみ関与してくるものと考えられている。たとえば、交通事故などの場合、当事者たちができるだけ示談にもっていこうとすることなどにもそれはよくあらわれている。

 私たちの社会生活に規制が働き、全体の治安が維持されているのは、個々人が小集団的規制に従い、全体が力学的にバランスをとろうとする動きをもっているからといえよう。こうした社会に育まれた私たち日本人は、法規制にてらして行動するということはなく、まわりの人々にてらして、あるいはあわせて(ゝゝゝゝ)行動することに慣習づけられている。いいかえれば、規制というもの(規制という認識さえなく)を肌で感じながら行動しているといえよう。

 日本社会においては、法のきびしさを忘れがちである。否、知らないで過ごすことも可能である。

 このことを私はある機会に端的に強く感じたことがある。それは三~四年前、インド国境の町、カリンポンを訪れたときのことである。そこで、私はある日本人が監獄に入れられているから、合ってみないかといわれ、そこを訪ねると、今日世界中どこでもみかけるような日本人の青年がうらぶれた感じであらわれた。ヒマラヤのカリンポンの冬は寒い。さぞ監獄の生活はつらいことだろうと思った。理由をきいてみると、特別地区許可証なしで、この地区に入ったという。

 許可証が要ることは知っていたが、こちらに来るとき、チェックポイントで運よく調べられなかったので入ってきたという。直接面と向かって妨げられない限り、ルールは無視してもたいしたことはないだろうというこの青年の考え方は、ここでいう小集団的規制しか経験しない者の感覚である。この日本青年にとっては、ルール、法のきびしさを知るために高い代償を払わされたといえよう。

小集団規制の効用 P.159

 小集団規制は、このように法のきびしさを知らずに過ごしてしまうあまさ(ゝゝゝ)をもっているが、同時に、法的には少しも違反にならないのにできない(ゝゝゝゝ)という分野を大きくするものである。すなわち、法的に許されても道徳的に許されないということがあるように。これはすでに考察したように、個人が小集団の意向や局地的な慣習に制約されるからである。

 このことは、社会生活において、個人の行動の自由を相当制約するが、一方、社会全体の治安の維持に大いに役立っているこのも見逃せない。よくいわれるように、世界の大都市のなかで東京ほど犯罪が少なく、治安のよい所はない。これは私の考察からすると、ほとんどの日本人が小集団的世界をもっており、そこで個人が勝手な行動が規制されると同時に、フラストレーションの解消の機会をもちうるためと思われる。

 このことの対比で興味深いのは、日本人は公徳心・公共心というか、公共の場における道徳がない、といわれることである。公共の場がゴミだらけになるなど。こんなことは諸外国でよくあるように罰金を課すとか、法的ルールによって鶏締まれば、簡単に解決のつくことと思われるが、そうした方法についぞとられることがなく、たんに「きれいにしましょう」「ゴミを捨てないで下さい」などと呼びかけだけである。

 ここにも法によらず、社会的規制・道徳心に訴えるだけで、ことが運びうると信じていることがうかがわれる。これは公共道徳の低さというよりは、社会的規制が効果的に行なわれうるのは、小集団的世界であって、そのソトにはあまり効果がないという社会学的認識の欠如に由来するものと見るべきであろう。さらにつけ加えていえば、小集団規制は、あとに尾をひく対人関係には効力があるが、その場限りの行為までにはおよばないのである。

変化に強い社会環境 P.161

 以上は、小集団的世界における社会的規制を法と対比して考察してみたものであるが、法のみでなく、価値観といったものについても同様な分析を行なうことができる。価値観のバックボーンをなすものとして代表的なものは、宗教・倫理体系であろう。日本には宗教的観念はあっても、一般の人々の日常生活の行動を律するような力はもっていない。また道徳はあっても、倫理体系というほどの普遍性をもつ原則には人々の生活は支配されることがなかった。

 この意味で、日々の生活を支配する日本人の価値観とは、生活に蜜着したレベルでの人間関係に求められるといえよう。これは常に動き変化しうる性質をもつものであるから、不変の性質を前提とした倫理体系や宗教的ドグマに依存する価値観をもつ社会の人々より、変化に強いものといえよう。

 今日、工業化による技術変化によって、従来の価値観がその効用を失い、それにともなって従来の社会制度がくずれ、人々は疎外感に悩まされ、社会的・精神的不安定が人々をむしばむという見方が一般的によくなされるが、この見方は必ずしも日本社会にあてはまらない。少なくとも日本社会は、そうした悲劇的側面はさけれる体質をもっているといえよう。

 第一に、もともと体系化された価値観に現実の社会生活が支配されていたのではない(かつては儒教的道徳が強い影響をもっていたとみられているが、それはむしろ、都合のよい部分的に使われていたのであり、中国人の場合のように、体系として社会生活の基本を律していたとはいえないのである)。第二に、工業化にもとづく都市化、職業の変化にもかかわらず、小集団は常に形成されてきたのであるから、同質の(同一のではなく)社会環境を維持しつづけたといえることである。この小集団形成に象徴され、本論で考察した諸集団のメカニズムに支えられた社会環境は、体系とか原則をもたず、軟体動物のような生物的な強さをもっている。

原則のない国 P.163

 かつて私は、日本を「原則のない国」とよび、中国を「原則の国」として対比させたことがあったが(『ニューズ・ウィーク』一九七三年十月十五日号。邦訳としてはバーナード・クリッシャ―・仙名紀訳『インタビュー』一九七六年・サイマル出版会所収)、こうしたことを背景とした発言であった。

 中国では昔から西欧の()に対比して、政治的色彩の濃い倫理体系が社会の骨格を形づくってきた。毛沢東語録は、新しい国づくりにふさわしい倫理体系、つまり全体社会に対する原則の提示なのである。

 原則の設定とは、本来、人工的な性格をもつもので、常に動き、生成変化する社会の諸現象を、どこまでコントロールし、指針を与えることができるかは疑問である。権力者のドラマティックな交替や、原則の大幅な変更がときとして起こるのはこのためである。

 しかし原則があるということは、さまざまな異質の単位を全体として統合する場合に、有効な方法であることはいうまでもないし、また、異なる単位が対応した場合にも、それぞれが異なるものでも、なんらかの原則をもっているということは、双方あるいは一方が原則をもっていない場合より、はるかに相互理解を容易にするものである。日本に対する不当とも感ぜられる不信とか非難というものが出てくる背景には、この「原則のない」日本の体質というものがたしかにあるような気がする。

「日本は何をしようとしているのか」「日本のゴールは何であるか」などと、日本国内の動き、対外姿勢について、外国の特派員をはじめ、日本に関心をもつ人々は常にききたがる、否、詰問する。そして、日本の要人たちにインタビューしても、「何もはっきりしたことをいってくれなかった」とか、「何もわからなかった」といって、「外人」にそれをかくしているのではないかと憤慨する。

 しかし、正直なところ、日本人自身でもよくわからないのだ。要人といえども、この軟体動物的世界の棲息人として、とてもそんなことに答えられるものではない(一二九ページ参照)。せいぜい「心と心のふれ合い」とか、「友好関係をどの国とももつこと」などという観念的なことしかいえない。

 また、きく方も相手が脊椎動物のようなものであれば(原則を明示していれば)、現在の姿勢から、ある程度進行方向というものが予測できるが、ヒトデやクラゲのようなものを相手としては、どっちに行くのか、とつめよらざるをえないであろう。

動的法則性 P.165

 しかし、こんなに複雑な世界状況の中で、いったいどうして明確な路線を設定できるというのだろう。むしろ、そうしたことを言明できるという彼らの方が、幻想を抱きつづけているのではないか、という見方もできるわけである。

 いかなる社会においても、国という単位ばかりでなく、あらゆるセクターの独立性が減少し、相互影響がますます増大してきている今日、いっそう動的法則の作用が大きくなりつつあるのではなかろうか。すなわち、動的法則の働きは、多くの似た集団が接近して(物理的な意味よりも、コミュニケーションが密になるという意味で)存在すればするほど、大きくなるといえよう。

 この動的法則の働きと権力行使(リーダーシップの発揮)は、反比例の関係にある。すでに考察したように、かつて日本において、外国にみられたような、個性の強い強力な権力者というものは出なかった。この日本においてさえ、現代はリーダーシップ喪失の時代といわれるが、世界全体をみても、偉大なリーダーとして歴史に残るような人は、毛沢東をもって最後とするのではないかと思われる。

 こうしてみてくると、世界全体も、しだいに日本社会の構造パターンの方向に向っているのではないかとさえ思われる。しかし、これはあくまで大きなスケールでみた方向であって、必ずしも日本のような社会になるということではない。

 文化とか社会というものは、驚くほど保守的な体質をもっているものである。原則とはその社会の文化である。また原則がないということも社会の文化である。異なる文化、異なる社会のあいだには、度合の違いはあるにしろ、今日なお大きな亀裂が存在する。いわんや原則をもつ国と持たない国のあいだの亀裂は深い。お互いに意図や姿勢を明示しない限り、国際間の交流・調整は困難である。日本に対して原則をあるいは方向を明示せよ、というのは当然の要求と思われる。

 伝統的に原則をもたず(そのような文化的伝統と社会意識をもたず)、動的法則性に敏感な日本人が、これからの国際社会において、どのような高価な代償を払わされるか、また、どのようなユニークな貢献ができるか、将来の大きな課題であろう。

※以上、2025.02.06日~22日 写した。

●付記1 理論と変化の過程――社会諸現象の理解とその方法について P.168~176

●付記2 タテ社会論からクラゲ論へ P.177~191


★中根千枝著作

『タテ社会の人間関係』昭和四二年二月一六日 第一刷発行 講談社現代新書 

昭和四八年六月十日購入

『適応の条件』昭和四八年一月二四日 第ニ刷発行 講談社現代新書    

昭和四八年六月二七日購入

『タテ社会の力学』昭和五三年三月二〇日 第一刷発行 講談社現代新書   

昭和五三年六月三日購入

『未開の顔・文明の顔』昭和四十七年九月三十日 初版発行 角川文庫    

昭和四八年二月四日購入

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