唐様で書く三代目 P.52~54 英米両国における社会の階層性と人間観について、基本的な性格を述べてきた。ひるがえって、日本の場合を考えてみると、あまりにも違いがはなはだしいことに気づくであろう。基本的に違う点は、再三述べたように日本には血筋といった観念上の産物にすぎぬ意識はあっても、「血統」という事実はなく、全員が「馬の骨」であるということだ。そのため、エリート教育なるものが、もともと存在しない。日本で五歳の子供を毎朝五時に起床させ、ランニングでも強制しようものなら、まず母親が承知すまい。子供も親を気違い扱いするのが落ちであろう。日本の教育思想の中心が、昔から「甘えさせる」ことにあったのは明白である。 日本でエリート教育にかわるきびしさがあったとすれば、それは「貧困」であろう。貧乏な家庭に生まれたがゆえに、子供は一生懸命に働き、なにこそとばかり発奮する。貧乏が文字どおり人間を鍛え上げたのである。 だが反面、貧困であることは、両親をして子供に対する憐憫の情を深めさセ゚、甘い態度をとらせることになる。その結果、「売り家と唐様で書く三代目」のような川柳も生まれてくる。初代は越後の片田舎から上京して、てんびん棒一つで大商人になるが、、そのかわり無筆。二代目、父親の汗」の」においのする金で育ったから、商売でもなんとか一人立ちできる。だが三代目になると、お蚕ぐるみの育ちがたたって、人柄がよく、教養は豊かで、唐様の見事な字は書けるが、家業を維持していくだけの忍耐力、決断力、馬力というものはすでになくなっている。そしてつぶれる。 こうした状況は、現代の日本社会でんも七~八割は該当するはずである。しかし、わが子こそ貧乏からのがれさせたいとする親の態度は、他面において日本社会の流動性に結びつく。わが子には自分の職業を継がせたくないという願望が働くからである。日本では徳川時代においてさえ、武士と農民を除くと、子供のほとんどは父親の職業を継がなかった。戦前の調査でも、つらい仕事の場合、親の職業を継ぐ子供の比率は、イギリス七〇パーセント、アメリカ四〇パーセントであったのに対し、日本はほとんどゼロであった。好むと好まざるに拘らず、能力の有無に関係なく、日本人は全員がロッククライミング派にならざるを得ないという、全員上昇志向の国なのである。、 このことが結果的には日本社会の流動性を高め、革命なくして社会の発展を実現させていく一因となった。日本には、危急存亡の時にも本能的に渦中に飛び込んでいくような偉大な指導者は出現しない。明治維新の元勲といわれる人々もみな「小物」であった。にもかかわらず、日本は尊皇攘夷から一転して開国へと踏みきり、憎みに憎んでいたはずの西洋人を大歓迎するという放れ技さえやってのけた。欧米人の目からみれば、日本は苦労なしに社会発展を遂げていく不思議な国に映るであろう。 2024.01.17 記す。
裏で通じ合う人間集団 P.54~55 ところで、このような日本社会の発展力を「人間観」にまで遡って考えていくとどういうことになるであろうか。遠大な目的も、高い理想も、偉大なる指導者も生れないのに、日本人が国民として、組織人としてお互いにあまり文句もいわず、なんとはなしに寄り添い、協力していける不思議さはどこからくるのであだろうか。近代西欧国家には絶対にみられない同質的な人間関係の中にこそ、日本人自体が自覚しない発展の原動力があるのではなかろうか。 そして、日本人が互いにわかり合えるのは、前章でも述べたが、自分の欠点――弱い面を通じて相互につながり合っているからでぁる。酒飲み仲間、麻雀仲間などはその典型といえる。その昔、貝原益軒は「酒の肴にもいろいろあるが、いちばん安くいちばんうまい肴は人の陰口だ」と述べた。陰口でつながる仲間――お互いの欠点を通じてつながる心のふれ合いこそ、欧米には見られない日本の特徴なのである。 こうしたつながりは、夫婦関係についても同様だ。アメリカにおいては、互に信じ合い、尊敬し合い、協力し合うことが夫婦の前提条件だと考えられている。日本でそんなことを言えば、日本の大部分の夫婦は、夫婦でないということになってしまうだろう。 西田幾多郎の高弟であった坂田吉雄氏は、ある結婚式の席上、釈迦の言葉を引いて、次のような祝辞を述べた。「愛情で夫婦が結ばれるのは二十代限り。三十代は互いの努力によってかろうじて関係が保たれる。四十代は努力するエネルギーがなくなってがまんする以外に方法がなくなり、五十代はがまんさえできなくなって互いにあきらめの境地に入る。そして六十代に入って」はじめてお互いに感謝するようになるのだ」と――。 これは日本人の人間観の根底を言い当てた言葉ではないだろうか。夫婦が互いに信頼・協力し合おうとする欧米社会は、言い換えれば表面だけの社会でありん、人間性の欠点を露骨に出してぶつかり合うとという「裏」の面がない。欠点をお互いに許し合うような安らぎを、そこで生み出すことができない。お互いに自分が正しいことを主張するだけ。勝つか負けるか、せいぜい妥協があるだけの世界である。 日本が真のエリート層をもたないにもかかわらず、過去において一致団結して危機を乗り越えてきた秘訣は、こうした裏の弱点によって通じ合う人間集団にある。われわれは「馬の骨」国家を改めて認識し直す必要があるのではなかろうか。 2023.11.05 記す。
「大人の思考」とりもどせ 黄色人種の特異性 P.120~121 去年亡くなられた京大名誉教授、駒井卓先生は人類遺伝学の泰斗である。晩年、私と雑談中ふと次のような言葉を漏らされた。 「君の本を読んでいて感じたのだが、同じ人間とはいいながら、どうも黄色人種は黒人や白人とは大分遠いのではないかと思うときがある。白人と黒人との合いの子は繁殖力もあり子供もふえて観察しやすいのだが、白人と黄色人、黄色人と黒人の合いの子は、その人自体に別に異常はなくても、その子、その子と続かないので、遺伝関係を調べるデータが不足になる。偏見その他、社会条件の作用ということも考えられるから、学問的には何もいえないんだが、素人としての放言を許されるなら、ラバ(馬とロバの合いの子)のように繁殖力がないか、あるいは足りないのではないか。つまり、黄色は白や黒と人種的にかなりの差があるのではないか」と。 これに似た意見は他からも耳にしたことがある。学問的なことは別として、外見だけでも黄色人が黒人や白人と著しく異なることは実にはっきりしている。私たちの脚は短く、湾曲している。下腹が長い。女性の乳房、腰まわりが小さい。横断面は丸型である。体毛が少なく、体臭に乏しい。その点、皮膚の色と容貌はちがうが白人と黒人は共通する。 どちらが美しいのか、どちらが進歩した人種なのか、などはもちろん判らない。要するに、黄色は体躯としては幼児的体型だということであろう。大人になっても白人から見ればヨチヨチ歩きの赤ん坊のような、すばしこいといっても子供のような動作に見える。 身体がどこか大人になり切らないということは当然精神状況についても深い影響を与える。青春が輝きに満ち、しかも、それが一瞬のものであることを思い知らされている白人は青春に一切をかけ、全力を集中しようとする。遊びにも、学問などにも出る。大学生の勉強の猛烈さは、日本の大学生などとは比較を絶する。アメリカの大学へ留学する日本人で、卒業できるのは四パーセントにしかすぎないというのは、英語力の不足のためばかりではない。 日本人は大人になっても若いかわり、青くささがいつまでもつきまとう。思考の基礎である感情感覚が子供っぽいままで残るからだ。一人で行動することができない。個人に全責任を持たせるとのびてしまう。いつまでも不平家で、子供のように虚勢を張り見栄っぽい。社会を現実で見ず、センチメンタルな色眼鏡を通す……という風に。社会の指導者である政治家が冷静な大人、理性人ではだめで、親分肌の人間でないとボスになれないというのも、子分は「幼児」として「親」を要求するからである。 2024.01.18 記す。
青春復帰願望型の文化 P.121~123 ところで、私が問題にしたいのは日本人の智慧、人間洞察というものである。私たちの父祖は日本の大人の子供っぽさというものは、痛いほど自覚していたらしい。すくなくとも徳川時代、平和な三〇〇年の生活を通じ、ゆっくりと人間を観察できる経験をつんだ後ではある。 子供は純真な心を持つ。しかし、それは動物のような存在だ。それを鍛えてこそはじめて大人、つまり人間らしくなるというのが日本人の考え方だった。 一方、白人は、身体は大人になるにしろ、その精神の鍛え方はどうだったか。かれらは肉食のためもあろう、青春期には激しい性の衝動に苦しめられる。比較の基準はなけけれど、その苦しさは日本人よりはるかにまさると推察してよい。そこから性を罪とするキリスト教の原罪観が生まれた。 子供は純真と考えるのは同じとしても、汚れ泣きもの、さらには道徳的に上なるものということになった。大人になるのは堕落することである。文化の進ことは人間の堕落が進むことだという考え方も一般化した。それは日本などの末世思想とはちがう。 日本の末世観というのは、人間の堕落という思想より、生命の無常感、人間の無力感、社会におけるバイタリティの欠如の感覚というものが強い。ヨーロッパの末世思想は堕落と再生という感覚が強く、無力感には極めて乏しい。先頃『ノストダムスの大予言』という本(五島勉の著書)が話題を呼んだが、あれは『ヨハネ暗示録』の予言に基くもので一二、三世紀のころからヨーロッパで大流行をした予言の流れをついだものである。みんな週末を予言しているのだが、そこに流れているのは、その破滅の中で自分は選ばれて生き残り、人間の社会を再生させようとするたくましい執念である。 ルソーなどの「古代ではなく自然に帰れ」という思想が出て来る理由も――という思想が出て来る理由も――単なる古代復帰はどの文化、時代、民族にも見られる一般的な考え方だが――三〇歳以上は信じるな、というアメリカ青年の叫びもそこからくる。現代日本の若者純情論はその直訳的物真似にすぎない。 白人、とりわけ、欧米近代文化では、 せまい専門部分だけが詳しいが、他の部分は赤ん坊的な学者や技術者が尊敬されたり、純粋理性という子供みたいな哲学が重んじられたりする。壮年性老人性拒否症の文化というのが近代文化の本質だといえよう。 2024.01.19 記す。
知恵の鍛錬忘れた戦後 P.123~124 この近代文化の根底には新教、とりわけピューリタニズムの人間観、世界観がある。信仰の純粋化徹底化はみごとなものだけれど、あれほど単純で、およそ人間性や社会の矛盾を認めない思考を堅持できるというのは、大人の知恵の世界からみれば正気の沙汰とは思えない。こんな思想が根底で支配力を持っていたら、複雑な人間性を考えることなどできはしない。 ヨーロッパは、古い文化も残っているし、近代文化の幼児的思想を補う思想も並存していたからましだった。それに体がすぐ成人化というより老人化する。思考も落ちつきを見せる。しかし新しい純粋近代世界であるアメリカ人の善意ある単純さというのが、どうにもこうにも、世界中のもてあましものになった原因は、このような近代文化の特質からくるものではない。 しかし、えらいことになったのは戦後の日本である。幼児的体質を補うべく、大人の知恵で鍛えるということで、日本人はバランスがとれてきていた。それを大人にならないことを旨とする近代的鍛錬で置きかえたわけである。どうにもならない幼児症人間が巷に溢れる結果となった。 なるほど「あの馬鹿が本因坊に二目置き」といわれたように、限られた特殊な対象だけに、知識や興味を持ち、他の方面は小児同然というのはどの世界にもいる。しかし、それらは決して社会の第一線で指導するような位置にはつかなかったものである。ところが、戦後日本はこういう人が進歩的文化人とか、良心的な人として社会をうごかす狂った社会になった。赤軍的幼児主義の支配の時代である。 こういうやり方で日本がうまくいくかどうか、外から見れば、その崩壊が見ものだぜ、という一種の期待が持たれるゆえんである。一体、日本はどうなるのだろうか。 2024.01.19 記す。
利口な学者は成功しない P.124~125 故寺田寅彦氏の有名な指摘に「学者は馬鹿でなければならない」というのがある。頭が良い人は何か新しい研究を始めようと思っても、その前途にある困難さや障害や行き詰まりが見えてしまう。そこで成果が挙がるはずがない研究などは、やる気になれない。」しかし、手前からはどう見ても行き詰まりになっているはずの途でも、そこまで行くとふいと右へ行く道がついているのを発見したりするように、どんな賢い人間でもやって見ないと判らぬところが多いものだ。 「頭が悪い」人間にはその困難や障壁が見えない。だから無謀な研究や実験に乗り出し、頭が悪いから諦めも悪くて、失敗に終わるが、時には大きな発見をしたり、独創的な学説をうち立てたりする。学問の発展はこのような頭の悪い連中の犠牲と例外的な成功によってなされる。頭の良い学者は失敗しない。コツコツ努力ぐらいはする人がいても、そこからは紹介や翻案や模倣や時には改良は生まれても、真の独創は求められないというわけである。 これは決して学問だけのことではない。古くから京都などには「あの人は気の毒に器用貧乏で」といった表現があった。頭の良い人だから、昔ながらのやり方では満足できず、いろいろ新しいことをやってみる。だが、全く新しいことは危険性が目につくからやらない。学者と同じことである。しかし、気の利いた小さな試みでも根が続かない。飽きっぽいというわけではないが、何か障害にぶっかると、これはいけないと気がついてすぐ止めてしまうからだ。傷口を深くしないという点では、賢明な処置なのだが、人生万事、苦難や危機はつきものである。それが乗り切れないものだから、いつも小失敗の連続。世を白眼視し、頭の良い人だから鋭い世相批判、というと聞こえはよいが、要するに引かれ者の小唄をうたうのがせいぜいのところとなる。それが器用貧乏である。 ※参考:寺田寅彦随筆集 2023.11.20 記す。
ある人間選別法 戦前の古い人間選別法とか、管理職者の人間観訓練とでもいった例話の中で奇妙に私の心に残っている一例がある。 忙しい最中の会社である。課長が何かの用事で席をはずした。鬼の居ぬ間ということで、みんなストーブの前に集まってプロ野球か競馬かの話に夢中になっている。そこへ突如その恐ろしい課長が入ってきた。そのとき、各人がとった対応の仕方である。 「じゃあ、明日のその会合のこと、打ち合わせた通りにやってくれよ」という風に、仕事のことを話していたようにうまく逃げる人間……A。「バレたあ」と笑いながら、頭をかきかき机にもどる男……B。「課長、すみませんでした」と率直にあやまり、さっと仕事にとりりかかる男……C。強情を張って、なおしばらく雑談をつづける人間……D。「課長、課長もこんどの有馬記念、ハイセイコーだと思われますか」と、課長も雑談にまきこもうとする心臓男……E。バツが悪そうな顔をして、もぞもぞと仕事に戻る男……F。自分だけ雑談に加わっていなかったような顔をして、黒板をながめ、メモに何やら書きこんでいる男……G。 もし貴方が課長だったら、どのタイプの人間を一番信頼できると思い、どれを不可と思いますかというのが問いである。 人々が良しとしたのは圧倒的に率直に謝る人間Cであった。嫌いなのはまちまちだが、主流としては二種ある。強情を張る男とうまくごま化すのとだ。 ところで面白いのはこの教訓の解答である。 本当に信頼できる男は Cは本当に反省していただろうか。鬼の居ぬ間に、ちょっとサボることは人間性の常である。もちろん課長――使用者のほうは大いに腹を立てるだろう。安土にあった信長が竹生島に参詣した。当然一泊するだろうと思った侍女たちは、近所の寺へ遊びに行った。早舟を仕立ててその日に帰って来た信長はその怠慢を怒り、命乞いした住職もろとも侍女二十数人の首を切ってしまった。 司馬遼太郎はこれを「ゆるみ、たるみが嫌い」という信長の特性を、うっかり侍女が忘れていたことに原因があるとしている。信長の留守につけ入ってサボるというようなことを許していたら、あの厳しい時に織田家が保たない。信長の参詣も石山本願寺や毛利攻めに備えての軍船の新しい訓練法だったのだろう。殺すのは無茶だが戦国時代という条件を考えれば、厳罰は仕方あるまい。無届無許可欠勤がいけないわけだ。 それにしても、サボリたいのは男女を問わず勤め人のふつうの感覚である。見つかったらしまったとは感じるだろうが、心の底から悪かったとは思うものではあるまい。昔の人はそういう時の感情をバツが悪いとか、きまりが悪いという適切な言葉で表現していた。 その感情を表現するのに「課長、すみませんでした」というのは大げさすぎる。一見正直で良心的なように見えるが、内実は偽善的ハッタリ屋であろう。うまくごま化した男と同種の人間だともいえる。この場合は率直にみえるし、またそういう側面もあるが、他の場合はそうは行かない。自分の正当性とか働きとかを大げさに主張するだろう。損害を誇大にいいふらしたり、他人のけなし方もひどかろう。人の弱点にたくみにつけ入る性格をもっている。 本当に信頼できる男は、いたずらを母親に見つけられた子供のように、ブスッとした表情、つまり半ベソをかいた子供のような顔で、いいわけもごま化しもせず仕事にもどるFである。ここで「バツが悪そうな顔」でという適切な形容がつけられているのに、人は案外 F を信用するという洞察が持てなかったのである。それでも一五~六パーセントの人が正解を出していた。 排斥される本当の正直者 現在の日本ではこの Fを選ぶ人は一人もいないと思われる。なるほど管理職の人に試してみたら「正解」が出るかも知れぬ。いろいろ苦労して人物眼ができているからだ。しかし、戦前のこの設問は一般人を対象だった。これで一〇人に一人以上の正解は出た。しかし今日の社会状況ではゼロのはずである。なぜか。 戦後の日本の民主化の最大の誤りの一つに、奇怪な懺悔主義の大流行と、それと表裏一体につらなっている責任転嫁主義と、「私は正直者で被害者だとする卑劣極まる主張」の奔流がある。 日本の懺悔はイザヤ・ペンダサンのいういわゆる「日本人のゴメンナサイ」である。謝るということは自己の非を認める行為であり、当然罪を問われたら引き受けますという引責行動でなければならない。 しかし日本人のゴメンナサイは、それならと相手が復讐か処罰か何かしようとすると、謝っているのになぐる奴があるかと食ってかかることになっている。本当の謝罪にはならぬ行為なのだ。戦後のゴメンナサイは、その伝統の上に、引責しなくてすむ奇妙な論理を身につけた。 中国へ行って日本人は悪かったと謝る。しかし自分は処分される理由はない。そのときは子供だったのだから。悪い奴は外にいる、自分は処分される代わり、そういつらをやっつけます、といって今度は中国の側に立って日本の何かを攻撃しはじめる。日本を代表して謝ったのに、これはまことに矛盾した行動である。そこで、そういう責任転嫁を可能とする論理として、自分は今でも日本の中の被害者なのだから、という主張を持ち出す。 しかし、ただの被害者では怠けものだからなどといって反撃をされかねない。そこでなぜ被害者となったかというと「正直者だ、コツコツ真面目に働くことしか知らないからだ、体制はまともな人間ほど損をするという間違ったしくみになっているから」といえばよろしい。こうしてゴメンナサイ・責任転嫁・自己正当化としての被害者化が三位一体化された。 この論理が進歩的評論家によってその指導論理となって、マスコミと日教組などを通じて国民に叩きこまれた。何でもよい、率直に謝る人間は信頼できるという感覚が一般化したと、私が考える理由である。 自分で自分は純情だとか真面目人間だなどという奴は偽者である。小器用に口先だけでゴマ化すこともできず、うまく被害者ぶることもできぬ本当の正直者が反動とか体制派だとかいわれ、社会の核になるどころか、排斥されつくしてしまったところに、今日の日本の社会の救い難い病弊が存在する。 ※参考:〔信頼できる男は誰か?(P.208)〕 小島直記『出世を急がぬ男たち』。 2023.11.30 記す。
あ と が き P.220~221 高度成長期は人で不足が嘆かれたが、低成長で日本の社会が各種の困難をかかえた今日はしきりに人材難が口にされるようになった。たしかに政治界にはそれが目立つけれど、日本は決して人材不足の社会ではない。多少の運不運はあるにせよ真の能力者でどうにもならぬ不遇に陥ってしまっている人は珍しいでであろう。声高に不遇を叫んでいる人は私の知っているかぎり、単なる不平居士であるのが殆どだ。 にも拘わらず現在の日本で、経済的活気とは裏腹に、国民の間にいわゆるシラケムード、軒昂たる意気の欠如が広く見られることも事実である。親や当人の単なる見栄から大学に入学して、抗議も何も判らず自棄と反抗からしらけている連中などはどうでもよいかも知れない。問題は、能力があったり、自分自身の力で人生を切り開いて行く意欲がある中年以下の精神的沈滞である。 それは、今日の社会がそういう人々を、全くの不遇ではないにしろ真の処を得させずに、待遇も社会の尊敬も不充分ままだということ、その逆に本来は片隅にあるべきごね屋、たかり屋的人間が、その人々と肩を並べたり、さらには時めいているという逆平等現象のせいであろう。どこの社会でもそうだが、日本ではこの現象が顕著すぎるのである。 こうなった原因は二つある。日本では、いわゆる「えらい人」が大体において、上司を見る目はあるが、部下の人物理解力と考課能力に欠けるということ、特定の歪んだ判断眼を持っているということが第一。第二には当人たち自体が本当の自分を広い意味でPR し、認めさせることが下手だということである。第三にはそういう状況を過度に押し進めて来た戦後社会状況がある。 そのことを、日本人が案外気づいていない。多少なりとも欧米と日本の比較文化史をやって来た私には、この「特殊性」が割合はっきりと見える。この種の欠陥を矯正し、何とか能力や意欲を持っている人々が、希望と生き甲斐を感じ得る社会にならないものだろうか。そういう人たちを何とかすることが急務であり、日本を救う唯一つのい道だと私は信じている。そのことを訴えつづけて来た文章を集めたのが本書である。何かのお役に立てば幸だと思う。収録を許可された各社、とりわけ多くを集録したサンケイ新聞「正論」当局と、講談社の加藤勝久氏、本書の編集でいろいろお世話いただいた同社学芸第二部の末武親一郎氏に心からお礼申し上げる。 昭和五十一年秋 会 田 雄 次 2024.12.19 記す。
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