脳を鍛える
ー東大講義「人間の現在」ー


 脳を鍛える 東大講義「人間の現在」 

平成十六年九月一日 発行(新潮社)平成十六年九月一日購入

    アインシュタインの脳を分析したら P.124~139

 脳に対する入力のバランスをとること、強くバイアスがかかった入力をさけることも大事ですが、かといって、どうでもいいいいような人畜無害の入力ばかり繰り返していても仕方がありません。脳を発達させるためには、刺激が必要なんです。

 脳の発達に関して、面白い実験結果があります。生後環境がどれほど脳の発達に影響を与えるかという研究です。一九六〇年にカリフォニア大学バークレー校のローゼンツヴァイクがやった研究です、(図1を示して)次々ページ図2を示して)ここに見るように、育った環境によって脳の重量がちがってくるんです。この表に脳の部位別の重量のちがいが出ていますが、重量が重いということは、その部位がより発達したということです。脳全体ではそんなに大きなちがいがみられませんが、大脳皮質だけをとると、かなりのちがいがあります。大脳皮質の中でも、後頭皮質を見ると、相当顕著なちがいがあります。

 後頭皮質というのは、視覚野があるところです。哺乳類、特に霊長類では、脳の一番発達している部分が視覚野で、ニホンザルなど、マカクのたぐいになると、脳の表面積でいって、五五%は視覚に関係しています。人間の脳にしても入力情報の大半は視覚からきます。つまり高次な脳機能にしても、そのいちばんべースとなる入力情報は、文字にしろ記号にしろ、図表にしろ、個物の形態にしろ、現象の観察にしろ、ほとんど視覚から来るわけです。よく発達した視覚野を持っているかどうかで、認識能力のよしあしの相当部分がきまるといっていいわけです。

 刺激的な環境に育つほど、視覚野が発達するということは、刺激をより多く受ければ受けるほど、頭はよくなるといってもいいわけです。

 脳の重さだけでは、頭のよしあしはわからないじゃないかと思うかもしれませんが実は、迷路学習などをさせて、環境と頭のよしあしの相関をちゃんと調べた研究があるんです。


ローゼンツヴァイクMark Richard Rosenzweig(一九二二~) 米の心理学者。現在、カリフォニア大学バークレー校名誉教授。

マカク(族) アカゲザル、ニホンザルなどを含む、アジアや北アフリカに生息するサルの総称。ニホンザルはマカクのなかで最北端に生息する。


 頭の良さは遺伝か環境かという議論は昔からあって、いろんな研究がつみ重ねられていますが、正しい答えは、「遺伝か環境か」ではなくて、「遺伝も環境も」であるということははっきりしていますどちらも否定できない証拠が沢山あるんです。

(マリアン・クリーヴス・ダイアモンド『環境が脳を変える』井上昌次郎・河野栄子訳[どうぶつ社]という本を示して)最近、こんな本が出ましたが、この著者は、先の研究をやったローゼンツヴァイク教授の研究助手をつとめた人で、その後もずっと環境が脳に与える変化の研究をやって来た人です。この本はやたらに具体的な実験の報告とデータが多くて、まとめの部分がスッキリせず、読みにくい本ですが、結論はこのタイトル通り、環境が脳を変えるということです。環境が脳に与える変化は、一定の感受性期だけに起こるのではなく、生れてから死ぬまで続きます。刺激が豊かなる環境は、脳の構造に影響を与え、脳細胞をより発達させ、より複雑化し、より機能をたかめるのです。老齢化による脳機能の減退を防ぎます。

 脳の構造は具体的にどこがどう変わるのか。(図3を示して)フォルクマ―とグリーンナウの研究によると、ニューロンの樹状突起の枝分かれがより複雑になっていくかいくかどうかが一番のちがいです。図に見るように、一次と二次の枝分かれでは、環境に違いはありません。ということは、二次の枝分かれまでは遺伝子で決定されているということでしょう。三次の枝分かれになると、豊富な環境かそうでないかで、枝の数が二本ちがってきます。四次、五次の枝分かれでは、環境によって、枝の数が四本も五本もちがってくるのです。1000億以上といわれる脳細胞の一つ一つの枝の数がそんなにちがえば、全体の回路の複雑さはぜんぜんちがってきます。一個の細胞からできた枝分かれの全体像について一番シンプルなケースと一番複雑なケースをえがいてみると、(図4を示して)こんな風になります。こんなにちがってくるんです。細胞の数がこの1000億倍もあったら、どんなにちがったものになるかわかるでしょう。

 枝の数がちがってくるだけでなく、その上のシナプスの数も大きくちがってくるという報告があります。シナプスの大きさが大きくなるという報告もあります。タン白合成がさかんになるという報告もあります。まta、ニューロンがふえることはないのですが、ニューロンを支えるグリア細胞の数が一〇~二〇%増加するといわれます。

 脳細胞というと一般にニューロンのことだと思われていますが、実は脳の中には、ニューロン以上にグリア細胞が沢山あって、その数はニューロンの五倍とも一〇倍ともいわれています。実績的には両者ほぼ同じといわれています。ニューロンは電気信号を伝え、グリア細胞は伝えないので、情報処理はもつぱらニューロンがやっていると考えられています。そのため、従来、グリア細胞はあまり重要なものとは考えられず、いまでも、グリア細胞のことを無視した脳の本が珍しくありません。実際、グリア細胞の研究はニューロンにくらべて著しく遅れています。まだその役割はよくわかっていないのですが、近年、その重要性がますます強調されています。


タン白合成 タン白は生物を構成する基本的な物質の一つで、生物は摂取したタン白をいったんアミノ酸に分解し、それぞれの遺伝情報にしたがってこれを再結合し、必要な機能を担うタン白質を合成する。

ニューロンがふえることはない 一一三ページの註を参照。


次ページ図5を示して)グリア細胞と一口にいっても、いろんな形態、いろんな機能の細胞があって、それぞれちがったことをやっています。情報処理以外のことはほとんどやっているといいくらいです。ニューロンの活動はグリア細胞が支えているといってもいいんです。血液から栄養分を受けとつてニューロンに供給しているのもグリア細胞なら、ニューロンから老廃物を受けとつてそれを処理しているのもグリア細胞です。要するにニューロンの代謝活動はグリア細胞が全部面倒を見ています。脳には血液脳関門(前ページ図6)というところがあって、外部から毒性がある物質が入りこもうとしても、入れないように防ぎとめているという話を聞いたあると思いますが、血液脳関門というのは、物理的実体として存在しているわけでなくて、その実態はグリア細胞が担っている機能なんです。

 ニューロンが何かで損傷を受けたときにその修復するのもグリア細胞です。カリウムイオン濃度の調節、神経伝達物質の調節、神経栄養因子・神経成長因子の供給、脳内のPHの調節などなど、ニューロンの活動が正常に保たれるために必要なケミカルな環境は、すべてグリア細胞がによって整えられています。脳内の情報伝達過程は、電気パルスによる伝達過程であるとともにケミカルな過程でもあり、脳はケミカル・マシーンとも呼ばれています。グリア細胞がやっていることは、ケミカル過程にに付随するケミカル・ノイズを除去するという意味で、実は、情報的に大きな意味を持っているhわけです。

 もう一つグリア細胞が果たしている大きな機能は、ニューロンの軸索を被覆する髄鞘を作ることです。脳の神経回路は、はじめ裸の神経線維で作られますが、(次ページ図7を示して)それはすぐ髄鞘という保護カバーでおおわれていきます。髄鞘には一定間隔でランビエ絞輪と呼ばれる切れ目が作られます。神経線維をを伝わる電気信号は、この切れ目から切れ目に飛び飛びに伝わるパルス電流の形で流れるので、伝達速度が秒速三〇センチから二目メートルというスピ―ドなのに、髄鞘化が終った有髄繊維になると、それが秒速一二〇メートルという大変なスピードになります。秒速一二〇メートルというのは、時速四三〇キロメートルですから新幹線「のぞみ」(時速三〇〇キロ)以上の速さです。ということは、ニューロンからニューロンの間は、ミリ秒単位ないしナノ秒単位で(神経線維の長さによってちがう)信号が伝達されてしまうということです。

このように、あらゆる意味でニューロン活動はグリア細胞によって支えられているといいわけで、それ自体情報処理の一翼を担っているといってもよいのですが、


血液脳関門 中枢神経の毛細血管のあいだにあると考えられている。色素、毒素、ウイルスなどを通さない障壁。

髄鞘 ニューロンの一部を成す軸索(神経線維)を取り囲んでいる管状の幕。ミエリン鞘とも。

ミリ秒、ナノ秒 ミリ秒は一千分の一秒、ナノ秒は一〇億分の一秒。


最近では、もしかしたら、記憶や学習といった、脳機能の中で最大の謎として残っている部分にもグリア細胞が関与しているのではないかという説もあってグリア細胞の重要性は高まる一方です。

 それだけ大事なグリア細胞が、刺激の豊かな環境とそうでない環境では、数にして一割から三割もちがってくるというのは大変なことです。

 実はこの研究をやったマリアン・クリヴス・ダイアモンドという人は、アインシュタインの脳の研究をやった人としても有名なんです。アインシュタインの死後二五年もたってから、その脳を保存していた病理学者に頼んで、その左右両半球から小さなサイコロ状の脳の細胞を切り出してもらって、それをプラスチィク処理し、ミクロン単位の薄い切片にしてニューロンの数をかぞえたり、大きさを測ったりしたのです。すると、ニューロンの数は普通の人とちがわないが、グリア細胞の数が、サンプルを取った四つの領域のいずれにおいても、一般の同年齢の男性(アインシュタインは七六歳で死亡)よりずっと多かったといいます。

 高齢化すると、一般にニューロンが減ってグリア細胞が増えるという説がかつてありましたが、これは動物実験などではっきり否定されています。一般には高齢化すると、グリア細胞も減るのです。それにもかかわらず、アインシュタインの脳は顕著にグリア細胞が多かったのです。

 グリア細胞の多さは、ニューロンの活動性の反映と考えられていまう。ニューロンの活動が盛んになればなるほど、その活動をサポートするグリア細胞がふえるわけです。ニューロンは生まれてからずっと細胞の数は減ることはあっても増えることはないといわれますが、その活動性、その機能は高められています。一つは、樹状突起の軸索の側枝を伸ばし、シナップスをふやし、より複雑でより大きな回路を作っていくことよってだし、もう一つは、髄鞘化によって情報伝達のスピードアップをはかることによって、そのどちらも、グリア細胞の支援によって可能になることです。そして、先に述べたように、グリア細胞のもう一つの働きは、ケミカル・ノイズの除去にあり、それによって伝達される情報が質的にクリーンになり、伝達過程にありがちなエラーの発生がおさえられるということも重要です。情報理論、信号回路理論でいうSN比(シグナルとノイズの比)が向上するわけです。このような大切な働きをするグリア細胞はニューロンとちがって、細胞分裂が可能であるということがもう一つ重要なポイントです。グリア細胞は、どんどん増殖してニューロンの活動性と機能を高めていくことができるわけです。

 つまり、遺伝子によって神経回路の基本が作られるまでは、ニューロンが主役ですが、そのあと、その回路を基盤にどれだけ頭がよくなってくかは、環境によって、その基本回路がどれだけ肉づけされていくことによって決まり、そちらの側の主役は、グリア細胞だということです。アインシュタインの脳が、ニューロンの数は普通の人と同じだったのに、グリア細胞の数が顕著に多かったということから、そういうことが読みとれるだろうとM・C・ダイアモンドは述べています。

2024.04.29 記す

    前頭葉にこそ人間は宿る P.139~150

 ここでもう一つ注目すべきなのは、アインシュタインのグリア細胞が特に多かったのは、脳の30野と呼ばれる頭頂葉連合野の部分だったということです。(図8を示して)ここのところですね。 ここは角回と呼ばれる、脳の中でもちょつとユニークな場所なんです。文字言語の中枢がここにあり、ここが損傷されると失読失書といわれる、文字も読めない書けないという症状がでます。


細胞の数は減ることはあっても増えることはない

角回 下頭頂回の後部。一つの感覚領域(聴覚・視覚・体性感覚)の連合野と接して、各領域と密にシナプスで連結されているため、言語のある面に必要な連合の形成を促進しているといわれる。


 

ここは進化的には遅く発達した部分で、サルにはほとんどありません。チンパンジーなど高等霊長類にもあまりありません。人間になってはじめて発達した領域なんです。個体発生からいっても発達が遅い領域で、幼児期には完成が充分でなく、髄鞘化が最も遅い部分でもあります。樹状突起の発達も遅れます。 

 ここはまた、感覚器官からの直接の入力がない部分でもあります。感覚器官からの直接入力がある所は視覚野、聴覚野などの感覚野です。そういう情報を統合するところが連合野です。連合野では、新皮質と古い皮質の情報の統合なども行われ江ています。 

 39野には、感覚器官からの直接入力がなく、もっぱらいろんな連合野からの入力が集まってきて、それが統合されるので、「連合野の連合野」ともいわれています。別のいい方をすると、感覚野がまず直接感覚入力情報(一次情報)を素材として、より高次の情報(二次情報)を作りだします。連合野の連合野(39野)は、さらにその上にある上部構造ですから、三次情報を素材として、四次情報を作りだしているといえます。文字情報になぞらえていうと、一次情報がただのアルファべット、二次情報が単語、三次情報がセンテンス、四次情報は、多数のセンテンスを複雑に用いての議論の展開くらいのレベルのちがいがあるわけです。 

 観念運動失行といって、理解力があって、発語も可能で、運動能力もちゃんとしているのに、指示された行為、運動ができないということが起ります。「敬礼をしてください」といわれても、指を動かすことしかできない。「おいでおいでをしてください」といって指を一本立てるだけ、「バイバイと手をふってください」といわれてもできないしタバコをのむまねもできない。観念の理解ならできるし、運動だけも可能なのに、両者を結びつけることができないという不思議なことが起きるのです。低次の情報処理は問題なくできても、その上の次元の情報処理ができないというのは、こういことなのです。ここが損傷された人は、おそらくことばや観念などというものとは無縁の生なら営むことができるでしょうが、人間らしい生を営むことはむずかしくなると思います。                                  

 おおそらく人間の人間らしさをいうのは、このあたりにあるんだろうと思います。感覚人間と運動出力を結びつけるだけの機能があればよいのが動物の脳で、人間の場合は、その間で一回感覚入力を脳の中にある観念世界に翻訳してそこに感覚世界というインナーワールドを作り、また同時に運動出力をリアルタイムでモニターすることによってできる別のインナーワールド、運動世界を作る。それら二つのインナーワールドと情報交換を常時つづけることによって自然に形成されるのが、「もう一つの情報空間としての自己の内部世界」です。その内部世界(情報空間)が実は人間の意識というものではないか。そしてその重要な一部を構成してるのが39野なのではないか。そういう気がします。 

 いずれにしろこの部分は、系統発生的には、人間が誕生してから急激に発達した進化的に最も新しい部分です。個体発生的にも、ここは最も新しい部分です。それはつまり、ここが最も人間的部分であるということを意味すると思うんです。また、ここは奇妙な三次元構造をしてるんですが、それは、ここが遅れて発達した部分なのに、他の皮質部分にくらべて、釣り合いがとれないほど大きくなったので、その前にすでにできあがっていた脳の他の部分とうまく接郷できなくなり、周辺の他の構造を前後に押しやるようにして、脳の構造ができあがったからだといわれます。 

 M・C・ダイアモンドは、この39野が、前頭葉の前頭前野(9野)とならんで、最も高度に進化した、より人間的な部分であろうと予測して、39野と9脳を集中的に研究しました。そして、より進化した部分はより活動的であるだろうとし、より活動的部分はよりグリア細胞が多いだろうと考えて、サンプルを沢山集め、両方のグリア細胞を丹念にかぞえるという作業をしたのです。アインシュタインの脳を調べたのも、その作業の一環で、現代における最も知的に活動的だった人間の脳にも自分の仮説があてはまるかどうかをしりたかったのだといいます。

 その結果、一般的には、39野より、9野のほうが、ニューロン辺りのグリア細胞が多いという結果が出ます。アインシュタインの場合は9野のグリア細胞も多かったけど、もっと顕著に39野のグリア細胞が多かったというわけです。

 ところで、9野のある前頭葉という領域は、進化論的に人間に近づくに従って、どんどん大きく発達してきた部分で、人間の脳においては、ついに全体の三分の一を占めるほど巨大化しています。しかし、それが何をやっているかは、もうひとつよくわからないんです。わかっている部分もありますが、わからないほうが多い。特に進化がすすんでいると考えられる前頭前野部分がよくわからない。人間以外の動物では前頭葉があまり発達していないので、動物実験はあまり頼りにならない。かといって、人間を実験材料に使うというわけにもいきません。

 人間を意図的に実験材料に使うというわけにはいきませんが、怪我や病気で脳に損傷が起きたり、生れたときから脳に異常があるという場合にはどういう形質上の異常が、どういう脳機能の変調に結びつくかを調べることで、脳機能が少しずつわかってきました。脳損傷患者は脳機能の最高の研究材料だということです。人間の脳に関する重要な知見の多くは、実はこういう研究から得られてきたのです。ところが、前頭葉の場合は、前頭葉に原因があるとはっきりわかっている病変がないんです。また、事故で太い鉄棒が、前頭葉のどまん中にを貫いたなどというケースがあるのですが、(そのケースを示して)すごいでしょ、人間が生きていられるなんて思えないくらいひどい事故ですが、この患者の場合、気まぐれになった。迷いやすくなった。人の忠告を聞かなくなったなどとの性格の変化はいろいろあっても、これといった知的生涯は起きなかったのです。あるいは、一九五三年から一九六〇年にかけて、ある種の精神異常患者の脳にメスを入れて、前頭葉の前頭前野部分を切り離すロボトミー(英: lobotomy)手術というものが行われていたことがあります。はじめはロボトミーによって、激しい不安症状や異常行動といった精神病症状が緩和されるというプラス面がもっぱら評価され、マイナス効果はあまりないと考えられました。画期的な精神病治療法が発見されたと大喜びされ、ロボトミー手術の開発者にはノーベル賞が授けられるほどでした。

 しかしそのうち、ロボトミー患者に長期にわたる人格変化が起きていることがわかり、これはノーベル賞の歴史上最大の汚点といわれるようになります。ロボトミーは患者を救うどころか、患者の人格を破壊していたのです。その人格変化というのは、仕事への興味をなくす、失敗を気にしない、積極性がなくなる、自発性が欠如する、無気力になる、抑制性が欠如する、野心が欠如するといったことでした。精神が異常になるとか、頭の働きが悪くなり知能水準が低下するといった目立ったマイナスがなかったため、はじめはプラス面だけが評価されていたのですが、すぐにはわからない形で人間性の最も大事な部分が破壊されるというとんでもないマイナスがあったわけです。

 脳の重要な研究方法の一つに破壊実験があります。脳のある部位がどういう機能を果たしているかわからないとき、そこをわざと破壊してみるのです。もちろんそれは、動物実験でするのですが、そこを破壊したときに何らかの脳機能が失われたら、それがその部位が果している機能だと考えることができるわけです。

 考えてみると、病気や怪我で起きた脳損傷の患者から知見を得るというのは、偶然が起した破壊実験の結果を利用したものということでもできるわけです。 

 ロボトミー手術も、結果において、意図せざる破壊実験をやっていたのと同じことになったわけです。

 ロボトミーによって失われたものこそ、前頭葉が果たしていた機能に相違ないのです。ロボトミーを受けた患者が、精神的にノーマルな人でなく、精神にある種の異常をかかえていた人々であったというサンプルの偏りはあったものの、ここにあげたような症状が患者全体にあらわれたことから考えて、前頭葉がやっていることは、このような症状と逆のことと考えられるわけです。

 つまり、仕事に興味を持つこと、失敗しないように注意すること、計画性、積極性、自発性、気力、やる気、自己抑制、野心といったことがそれであると考えわけです。

 こういった要素は、人間なら誰でも程度の差こそあれ、ある程度あるものです。ところが、実はこういう要素が動物にはおおむね欠けているんです。つまり、人間をもっとも人間らしくさせているものとは、実はこういう能力であるということが、この不幸な失敗からわかってきたんです。 

 前頭葉がやっていることはいまだにクリアカットにはわからないんですが、比較解剖学的見地から、人間と動物の脳の最大のちがいは、前頭葉にあるということははっきりしています。これだけ発達した前頭葉を持つ動物は、人間以外にありません。脳の特徴からいえば、人間は前頭葉動物であるといってもいいくらいなんです。

 進化史からいってもそうです。系統発生をたどると、人間進化は脳進化として起きたということがすぐわかるんですが、その脳進化は、大脳が大きくなる方向に、なかんずく、大脳の中でも前頭葉が大きくなる方向に進んできたのです。だから、人間らしさをもたらしたのは何といっても前頭葉機能にあるだろうという推測は前から成り立っていたんですが、それは恐らく、知的側面にあるだろうと考えられていました。しかし、ロボトミ―患者からの知見で、人間らしさは、必ずしもいわゆる人間の知性にあるのではなく、むしろ、生きる方向づけ、動機づけ、気力、意欲、目的、目的実現のための計画能力、注意能力、自己抑制能力といったものにあると考えられるにいたったのは実に興味深いことです。(図9)。

 では、そのような能力をいかにして個々人が獲得していくのかといえば、大部分はその人の持って生れた(さが)によるものだろうし、それに加えて、家庭教育、初等教育、社会教育などを通して幼い時期から各人に与えられたものが総合されて、できあがっていくのだろうと考えられます。つまりこの点については、問題はもっぱら大学入学以前のところにあり、大学の出る幕はあまりないということです。

 ここで覚えておいてほしいことは、人間が生きる上で一番大切なのは、必ずしも知の領域にあるのではないということです。大切なのは何といっても、生きる力にかかわる問題です。生きる意志であり、生きるパワーです。一言でいえば、生命力です。

 大学入試にそういう要素をテストする項目が皆無であるため、しばしば大学には、そういう生命力が根本的に欠けている人間が入ってきます。無気力、無関心、無目的、チャレンジ精神皆無といった連中ですね。きみらの中にもいるかもしれないが、それははじめから前頭葉に欠陥がある人間です。そういう連中には高等教育をさずけることがほとんど無意味です。もう一つ前頭葉欠陥人間に特徴的なのは、社会性の欠如と自己抑制の欠如です。要するに、人格に問題がある人間です。他人を尊重するという人間関係の基本ができていない人間です。なべて自己中心的で、他人が口をはさむとすぐ怒る。他者の心の中が理解できない。きみらの周囲にも、そういう連中が沢山いるでしょう。いま東大には前頭葉欠陥人間がふえているんです。

 東大の卒業生の中に、官界でも実業界でも、信じ難いような不祥事を起こすエリート連中が沢山いるでしょう。あれこそ、前頭葉欠陥人間の典型です。本当は東大も、入学試験の方法をちょっと変えて、ああいう欠陥人間は最初から入れないようにするといいんですが、相変わらずの学力検査中心主義ですから、これからも前頭葉欠陥エリートを社会に送り出しつづける役割を果たすことになるでしょう。

2024.04.26 記す

    脳にとって「いい」環境 P.150~160

 話を脳のほうに戻すと、39野のほうは、アインシュタインンの脳のように知に直結しています。ここは先ほど説明したように、「連合野の連合野」で、いろんな感覚入力の連合野の情報がここに集まってきて統合されるわけです。頭の働きは大きくいうと、分析過程と統合過程にわかれます。分析過程では、一つの入力をいろんな要素に分解して、要素別の解析をする。視覚入力でいえば、形に関する情報、色に関する情報、明暗に関する情報、動きに関する情報などに分類し、さらに形に関する情報なら、線分に関する情報、面に関する情報にわけ、さらに線分に関する情報は、その傾き具合を調べるとか、線分の大きさを調べるといったことが、ニューロンレベルで分解して行われるわけです。視覚野の一次視覚野、二次視覚野といったところでは、そいう分析が行われています。それが偏った入力にばかりさらされていると、その分析能力が偏ってしまうという話は前にしました。視覚情報をこうやってどんどん分析したあとで、次に必要になってくるのは、それを総合する過程です。しかし分析過程についてはかなりわかってきたものの、総合過程については、実はほとんどわかっていません。

 脳を情報マシーンと見たときに、そもそも脳内で情報がどのように表現されているかという情報表現の問題と、情報を要素別に分析したあとでそれをまとめる情報統合の問題がいまいちばんわかってないところなんです。脳には、いろいろな連合野と名づけれらる領域があるから、情報の統合についてもかなりわかっているのだろうと思うかもしれませんが、実は連合野というのは、そこで何をやっているかがわかった上でそう名づけたわけではないんです。感覚器官から情報が入ってくる感覚野、それに、運動器官に出力た出ていく運動野、この二つがまずわかって、その間にあってそのどちらでもない、よくわからない領域を連合野と名づけたのです。神経線維の連絡はある程度わかっており、そこには別の領域との結合線があるので、そこでは情報の統合がなされているのにちがいないと推測して、連合野と名づけただけなんです。

 その実際の機能解明はまだ徐々にしかなされておらず、わかったとはとてもいいがたいところにあるのですが、やはり、基本的には異種情報の統合がどこで行われているだろうと考えられています。

 主な連合野は三つあります。前頭葉がある前頭連合野、39野がある頭頂連合野、認知機能に大きな役割を果している側頭連合野です。

 こういう連合野は、系統発生的にも新しいし、個体発生的にも新しい。(次ページ図10を示して)これは、いろんな動物の運動野、感覚野、そのどちらでもない領域(それが連合野ということですが)を示したものです。霊長類以前の動物は、ほとんどが感覚野と運動野でできています。霊長類になって連合野が拡大し、それが高等霊長類になるとグンと拡大したということがわかるでしょう。

図11を示して)こちらのほうは、個体発生の順序を示したものです。この番号順に髄鞘形成が進んでいくんです。この番号は、これまで39野というように場所を示す目的で使っていたプロードマンの脳地図の番号とはぜんぜんちがうので注意してください。これまで39野と述べてきたところは、この図では、42番のの領域になっています。この図で白くなっているところが、髄鞘形成がいちばん遅れる、つまり脳の形成最後になるところで、この図を作ったフレクシッヒは、ここを終末領域と呼んでいます。この終末領域が全部今いった連合野なんですね。この図の番号でいうと、42のあたりが頭頂連合野、44のあたりが側頭連合野、45のあたりが前頭連合野です。こういうところが、人間の脳として、最後に完成されていく部分ですね。

 話を39野(この新しい図面では42番あたりですが)に戻すと、ここには、他の連合野からの情報が流れこんでくるので、「連合野の連合野」と呼ばれているわけです。つまりここでは、ある体験事実にかかわるあらゆるモードの情報が流れこんできて、その総合が行われると考えられます。

 M・Cダイアモンドの実験では、ラットの環境条件をいろいろ変えて飼育すると、刺激が豊かな環境ほど、この39野の皮質が発達して重量がふえたんです。39野は実に一六%も重量がふえたといいます。そして、皮質重量がふえたラットは明らかに迷路学習のパフォーマンスがあがった、つまり頭が良くなったといいます。


ブロードマン Korbinian Brodmann(一八六八~一九一八) 独の大脳生理学者。細胞の大きさや形や分布状態などに違いをもとに、大脳皮質各部位四七~五二の領域に分類した「ブロードマンの脳地図」を作成。

フレクシッヒ Paul Flechsig (一八四七~一九二九) 独の神経学者。脳の構造を研究し、髄鞘形成の研究をもとに連合野を発見した。


 ラットの場合は、仲間と遊んだり、オモチャで遊ぶことによって脳が発達したわけですが、人間についても、同じことだと思うんです。刺激が豊かな環境で生活するほど、脳は発達するんです。

 人間二〇歳をすぎたら、自分の脳は自分で育てろと前にいいましたが、そのためには、なるべく自分の脳を刺激が豊かな環境に置くことです。自分の脳を知的に育てたければ、知的刺激をいっぱい自分に与えることです。知的刺激を受けるためには、本を読むことも必要だろうし、先生の話を聞くことも必要でしょう。しかし何がいちばん刺激になるかといって、仲間なんですね。霊長類はみんなそうなんですが、同年齢の仲間と遊び、刺激を与えあいながら成長していきます。親よりも、先生よりも、仲間から学ぶことのほうがずっと多いんです。特に若者はそうです。

 人間も同じことです。しかし、仲間から学ぶといっても、学ぶ相手を選ばないと、いいことより悪いことを学ぶ結果になります。仲間を選ばないと、何の知的刺激も得られないことになります。

 このキャンパスは、刺激を得るという点ではいいところです。学生も教師も、どうしようもなく下らない連中が多いけれど、中には、ドッキとするほどすごいのが何人かいます。"ドキスゴ"は、教師の中にもいます。頭はそんなによくないけど、人間的にすごいというものもいます。すごいといえないけど、どうしようもなく気が合ってしまうという相手とも出会うでしょう。そういういろんな人間と出会ってお互いに刺激を与えあいながら、人生のかけがえのない若い日を共有できるというのが大学というキャンバスのいいところです。

 ぼく自身ふり返ってもそうだし、いろんな人の思い出話を読んでもそうですが、大学の教養学部時代、いちばんいい思い出は、やっぱり、友達ですね。授業は大半下らなくて、いまでも何の印象も残っていない授業がほとんどですが、同年輩の仲間からはものすごく刺激を受けました。特に一年に入ったばかりのときには、いろんなサークルや読書会なんかに出たりして、そこで出会う二年生と話をすると、いやになるほど自分の無知を思い知らせられました。「お前あれ読んだか? これ読んだか? あれ知ってるか? これ知ってるか?」と聞かれて、自分が何も読んでいない。何も知らない。いま思うと、その相当部分は向うのハッタリだったというのがわかるんですが、当時は純真だったから、そうとは夢にも思わないわけです。こんなに何も知らないのは自分だけだと思ってあせりまくって、それから猛烈に本を読むようになりました。あの頃同年輩の仲間から受けた強烈な知的刺激が、その後の自己形成の核になったような気がしますね。

 二〇歳前後というのは、そういう時期なんです。知的自己形成の感受性期なんです。本当の意味での人生のオリエンテーションが得られる時期です。授業で知識を得ることより、そつちのほうがはるかに大事です。この授業も、できるだけ知的刺激があるものにしたいと思いますが、授業でできることには限りがあります。各自、ありとあらゆる場、あらゆる機会を利用して、自分に知的刺激を与えて下さい。本当の意味で知的な人生を歩もうと思うなら、いま自分に何を与えるかがいちばん決定的です。

 刺激の与え方も大事です。M・C・ダイアモンドの本は、ほとんどラットの話ばかりなんですが、最後のほうで、人間の知的成長と知的環境について語り、刺激の与えすぎにも気をつけろといっています。 <  幼児に過剰な刺激を与えると、泣いたり、神経症的な症状が起きたりするが、若者でも成人でも同じことで、「意味のある出力を引き出すまえに、人力を統合することが、どうしても必要です」といいます。人力と出力の間に「同化」の時間を置けといいます。「よく私は、勉強しすぎの学生には、外に出て、ただ芝生に横になり、雲がゆっくり流れていくのをごらんなさい、といいます」と彼女は書いています。確かにそういうことも必要でしょう。

 もう一つ彼女がいっていることは、これはリューベン・ハレックからの引用なのですが、

「発育途上の神経系に与えうる最善の教育は既知の五感の全部を刺激するような教育である。たった一つかやっと二つの感覚しかうまく訓練しなかったような人物は、せいぜい、哀れむべき人間の部品にすぎぬ」、

 ということです。

 これはその通りだと思います。ハレックは初等教育についてこう述べたんですが、高等教育についても同じことがいえます。いまの高等教育は、そういうことを忘れているんですね。この前、本郷の工学部の機械工学科の先生と話していたら、「いまの学生は、これまで自分でものを作った経験が何もないから、実習をやらせると、まともにネジをしめることすらできない。こんなことで日本の未来はどうなるんだろうと暗澹たる気持ちになる」といってましたが、ほんとうです。いまの大学入試制度は偏っているから、「たった一つか二つの知的能力しかうまく訓練しなかったような人物」を選抜することになってしまっているわけです。そして、選抜された人間、つまりきみたちの大半は、自分たちがそういう偏りをもって選抜された人間で、「せいぜい哀れむべき人間の部品」にしかなれないということに気がついていない。気がついていないどころか、「我こそは東大生なり」みたいな肥大した自尊心のかたまりになって胸を張って歩いている。自分たちが前頭葉未発達の欠陥人間だということに気がついていない。これじゃ本当に日本の未来は危いんです。

2024.05.01 記す

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