New Year's Eve Night to Next Morning ZAZN
曹源寺本堂 | |
目 次
昨年末、「年越しの坐禅会」を行いました。平成15年末の十一時三〇分から年越しの平成16年一月一日の0時三〇分まで。宮本進先生が岡山の曹源寺の老師のお許しを受けて本堂で。九名参加。ほぼ前半は除夜の鐘突される人のざわめきと鐘音が響いていましたが、後半は静寂な坐禅を行うことができました。 終わると、老師からお抹茶をいただき、その上、カレンダーも頂戴いたしました。 写真を参考にしてください。皆さんに提供いたしますのでお読みください。 ▼少し説明しますと、このカレンダーは老師とその弟子が作られたものでした。 「解 打 鼓」の揮毫の下に 「Beat the Drum!」の英語がありさらに次のような英文が記載されていました。 The founder of modern haiku poetry, a man named Shiki, lived his whole life in haiku. Even when sleeping he continued to deepen the haiku state of mind. While he had at first thought that Zen was to be able to die at any time or place, he had finally and profoundly realized that Zen was to be able to live through any situation or circumstance, no matter what the hardships might be encountered. It also became clear that this did not have to be done with force and pushing. Rather, it could only be done by becoming soft and flexible. By becoming a complete idiot, seemingly“out of it.” We have to become like Master Kassan in case 44 of the Blue Cliff Records who would answer every question with the same answer: “Knowing how to beat the drum, do don don don don. Knowing how to beat the drum, don don don don don.” As if to say, “Enjoy to its very root the deepest timber of the drum.” For Master Kassan to realize this state of mind completely he had to pass through many hardships and challenges. Such realization, of course, cannot be reached by imitating someone else. It could be said that this is where the truth of all region lies. *註1;Shiki=正岡子規 *註2:Kassan=禾山 *註3:case 44 of the Blue Cliff Records=碧眼禄第四十四則 *以上は私の註。 2005年:平成17年1月7日 |
16年の年末に第1回目の年越しの坐禅会を宮本 進先生のご提案で行いました。
16年12月31日、午後10時過ぎ、お寺に参ると、すでに坐禅をされている方がいました。
▼迎春の準備がまったく整えられている曹源寺本堂。仏間の上に「祈祷」と「修正」の額が掲げられている。
0時5分で坐禅会終わる。皆さんのお互いに「おめでとうございます」と挨拶。 ▼原田老師からじきじきのお抹茶をいただく。 拈華微笑の直筆の色紙をいただく ▼「お釈迦さまの八十年のご生涯は、自らお悟りになられた"衆生本来佛なり"という、誰でもが生まれながらにして持っている、"全てのいのちを尊敬して行ける大いなる心"を説き続けられました。 晩年霊鷲山で、その真髄である法華経を、お説きになられた時、ただ一輪の花を無言で差し出されました。八万四千の菩薩方はお分かでなかったが長老の迦葉尊者だけが破顔微笑、ニッコリと微笑されました。お釈迦様のお心とピッタリ一つになられたのです。六根清浄、日々心を清めて、心の眼が開ければ、今ここがこのまま霊鷲山で、この自然一木一草が、そのまま、御釈迦さまによって差し出された金波羅かと頂けるでありましょう。」とご解説された説明書を添えて。 ▼お寺を出て天空を見ると星がきら名ていた。本当に美しい。諸方実相を感じる。
☆補足:元旦の坐禅会で、老師が本堂の「修正」と「祈祷」について、お話くださいました。 「修正は、文字通り自分の心を正し、一点の曇りもないようにすること。自分のみではなかなか難しいので、神仏にお願いする祈祷が必要でしょう。神仏は、森羅万象、宇宙全てを包み込み、存在するもの全てと同根であり、一体です。」と言われたように思います。また、お正月三が日は、朝四時から本堂で大般若経を唱えます。とも言われました。 ☆補足:年越しの坐禅会第1回目は「習えば遠し」の26号に記載しています。 2005年:平成18年1月2日 |
平成17年12月31日は日曜日。いつものように日曜坐禅は、午前8時から9時まで行われました。 坐禅後、原田老師のお話が、本堂でありました。 「今年最後の坐禅、ご苦労さまでした」と、労いの言葉をかけてくださり、『寒山詩』の中か「咄哉、咄哉、三界輪廻」の欲界、色界、無色界の三界について、具体例を挙げ、大変わかりやすく話してくださり、「三界に留まってはいけない」と言われました。 そして、西田幾多郎博士の歌「我心深き底あり喜びも憂いの波もとどかじと思う」を引用されながら、「私たちの心には、深い々底の底を突きぬけた所、言葉で表現できない場(絶対無の場所)がある」と、「諸事に行き詰まり、二進も三進も行かなくなった人が坐ると本物に成りやすい(命がけで坐る人は、坐禅が坐禅に徹しきるようになる)」と、老師は、なぜ坐禅が必要なのか、噛んで含める様に懇切丁寧に話してくださいました。 老師は「欲界、色界、無色界の三界について」具体例を挙げて、説明してくださいましたが、省略しました。また、(括弧)内の文は、老師の言葉を私なりに解釈したものです。
▼午後10時、親しくして下さっている方が自動車で迎えに来てくださる。
本堂ではすでに3名のかたがたが坐禅の場をしっらえて下さっていた。その上、石油ストーブも6個も配置して、その心配りに感謝。 仏壇の最上部に祭られているご本尊の十一面観音様がライトアップされ、昨年同様「祈祷」「修正」の額も掲げられていました。すがすがしい雰囲気を感じました。 観音様が私どもをみまもて下さる。午後11時から開始する。静寂そのもの。11時30分前後から、除夜の鐘の響きが年越しを伝えて聞こえてくるようになる。 第1回(9人)、第2回(14人)、第三回と続くと、参加者も増えてきまきして、今年は16人となりました。 終わって、老師にご挨拶に参る。いつもの接客の部屋で和やかなお顔で迎えてくださり、ご挨拶にこたえてくださる。お菓子と、お抹茶を頂きながらお話をする。 老師の色紙とカレンダーを頂いて帰途につく。除夜の鐘をつく人たちも見られなくなっていた。まさに元旦。特に今年は朝と年越しの2回の坐禅により、心身一如を感得され清められました坐禅会でした。 合 掌
参考:岩波文庫:西田幾多郎『善の研究』解 題(下村寅太郎)を読む。 『善の研究』のなるまでの十年間の日記(『寸心日記抄』(アテネ文庫)として出版されている)には、読書省察と同時に常に上断に「打坐」のことが記されている。『善の研究』の、やがて又西田哲学一般の基礎には禅的体験がその重要な思想動機の一つとして存するやうに思われる。先生はこの時代を通じて金澤市卯辰山麓にあつた洗心庵雲門和尚に師事した。寸心なる先生の雅号も和尚から与えられものである。 金澤時代十年の間、上断に打坐し、春夏の休暇には殆ど常に禅堂に在り、屡ゝ遠く京都の妙心寺の接心会に参し、前後十年を通じて家庭で正月を迎へたことなく、禅堂で「打坐越年」のことが記されてある。 2007年平成19年3月25日 |
☆4 年越しの坐禅会―第四回―平成19年
年越し坐禅は、2004年(H16)から始まり、今回で四回目になります。 参加者は、年々増加しています。これは、ご老師のお力添えのおかげです。お釈迦様のことを「両足」と言われます。大方丈の間に、この横物が掛かっています。なぜ「両足」なのか、年越し坐禅は、この問の答えを与えてくれます。「全てを離れ、純粋に自己を見つめるとき」、「生かされている自分に気づき、感謝の念が、湧き上がって来る」と思います。では、生かされているもの、生かしているものは、一体何者か。年越し坐禅は、自己を反省に追い込みます。そこに、人生への哲学や宗教が、体験的にあると思っています。私は、静寂さを求めて坐ります。 「生死事大 無常迅速 歳月待人 慎勿放逸」ですね。 上記の文章は平成19年12月31日の宮本 先生のメールです。 年越しの坐禅会が終わってからの年頭のお便りでは 今年で、4回目の越年坐禅は、午後11時~12時5分間、宗彦さん、西さんのご指導の下に15人の参加者を得て、行われました。15人中3人は、宗彦さんのご母堂様、ご長女、そして石原さんの女性たちでした。 薄暗い本堂は、深々と冷え、手足の指先が痛く感じられました。しかし、皆さんの坐禅は、除夜の鐘をバックに、凛として、静けさの中に荘厳さが、漂っていました。まさに、三八九坐禅でした。 坐禅後、お互いに新年のご挨拶を交わし、老師が、お茶を点てて下さいました。帰りに、カレンダーを頂きました。 宮本 進
残念でしたが私(黒崎)は今回は参加できませんでした。 二つのお便りを拝受しました。その中に少し補足した言葉があるように私は感じます。それは「両足」と「三八九」です。 「両足」については先生の説明を記載いたしますと 「両足尊」とは、両足で歩くもの、即ち人間の中で最も尊いお方、お釈迦様を意味しています。そして、そのお釈迦様の説かれた仏法「福慧」を「両足」と見なしています。 「福足とは仏は、因縁によって生起し」、慧足とは「諸法は、いつも実体がない」ことを意味しています。 したがって、「諸法は、いつも実体がない」と分かると、一切の法(存在)は、今ここに出現することが出来ません。そこで、「仏は、因縁によって生起する」ことになります。 「両足」は、法(存在)と因縁とが、お互いに切っても切り離せない、一如の関係であることを意味していますね。 釈尊の時代のインドは、まだ仏像彫刻の技術が無く、ただ仏足のみが、デホルメされて残されていました。時代や場所を経て、ガンダーラ時代になって、釈迦像などの造形彫刻が現れてきました。曹源寺の本堂前の仏足跡(両足)は、釈尊を表わしています。お床の墨跡「両足」は、そのお釈迦様のお説きになられた内容の具体化、「法(存在)と因縁とが、一如である」ことを表しています。 三八九について 黒崎さんから、「三八九居」について、まとめて欲しいとご依頼をいただいた。そこで、私の知っていたことと、今日(2日)茶礼の席で、老師から教わったことを、お知らせします。 三八九は、『物語・20世紀人物伝』種田山頭火(1882~1940)に書かれていました。 1929(昭和4)年の末、熊本市春竹琴平町に一室を間借りした。ここを三八九居とな付けた。 禅僧としての自分の庵のつもりである。「三八九」の題名は、彼の説明によると、「唐の超真和尚の三八九府による」もののようであるが、私はその三八九府について調べているけれど、今のところはっきりしない。山頭火はこれをサンパクと読んでいたが、臨済宗では白隠禅師のお言葉の中に、サソパックを諦めずんば云々とあるので、私はサソパックと言うくせがついている。私の久しく参じた臨済宗仏通寺派では、これを初心者向きの公案の一つとされていた。「無字」「隻手の声」を通ったその次ぎあたり、師家は対手にもよるが、三八九を与える場合が多いと見てよかろう。 つまり、三は二の次の三でもなく四の前の三でもない、三そのものになり切って来いと言うのである。八も九も亦同じである。その根源は華厳経の数息観からくる坐禅の修行法で、自分の呼吸を調えるために、一から十まで心にふかく数えて行く、その場合、三と数える時は絶対の三になり切る。山頭火の場合は、歩行禅の幾山河を超えて熊本に戻って来た時なので、一息一息、一歩一歩、一句一句、そのすべてが、雑念をまじえず、いのちがけの俳三昧でありたいと志向して「三八九」と題したものと解すべきか。 この公案を解き得たならば、一句は一句だけの身心脱落であり、一歩は一歩だけの脱落身心となるのである。山頭火は自分でガリ版の原紙を切って刷り、そして、こよりでとぢて会員に分っていた。薄黄色の半紙二つ折りの二十頁前後のもので、巻頭言から俳句・随筆・消息・編集後記に至るまで、一応雑誌の体をなしたものであった。 費用は、俳友たちが出してくれた。さらには山頭火の個人雑誌『三八九』発行のための金も援助してくれた。100部発行のガリ版刷りの小誌である。 その第一号の巻頭にこう書いた。 「私は疲れた。歩くことにも疲れたが、それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに疲れた。袈裟のかげに隠れる、うその経文を読む、もらいの技巧を弄する、供養を受ける資格なくして供養を受ける苦悩には耐えきれなくなったのである」 個人雑誌『三八九』の発行が続いたのは、第三号までだった。第四号以下にあてられるべき金は、酒に変わってしまった。 三八九居を引き払った。また、行乞の旅に出た。九州西北方面。 また、『秋月龍珉著作集13巻』の「趙州和尚と女人禅」の中に、 禅門には、油断のならぬやりて(作家)の婆さまが多くいます。正受庵を訪ねてくる雲水は、たいてい母堂の「三八九を明らめずんば、境に対して所思多しという一拶をくって、庵主の正受老人恵端蔵主に相見するまでもなく退散するのが常であったといいます。とあります。 「三八九」については私(黒崎)は一度教えていただきましたが、再度調べることにしました。 山頭火の句集の一つに「三八九日記」があります。昭和五年十二月廿八日にもう三八九日記としてもよいだろうと思ふ、水が一すぢに流れるように、私の生活もしづかにしめやかになったから。――とあります。 『山頭火全集 第二巻』(春陽堂書店)に大山澄太氏が解説されている。 「三八九」の題名は、彼の説明によると、「唐の超真和尚の三八九府による」もののようである。私はその三八九府について調べているけれど、今のところはっきりしない。 山頭火はこれをサンパクと読んでいたが、臨済宗では白隠禅師のお言葉の中に、サンバックを諦めずんば云々とあるので、サンバックと言うくせがついている。私の久しく参じた臨済宗仏通派では、これを初心者向きの公案の一つとされていた。 「無字」一隻手の声を通ったその次あたり、師家は対手によるが、三八九を与える場合が多いと見てよかろう。つまり三は二の次の三でもなく四の前の三でもない、三そのものになり切って来いと言うのである。八も九も亦同じである。その根源は華厳経の数息観からくる坐禅の修行法で、自分の呼吸を調えるために、一から十までふかく数えて行く、その場合、三と数える時は絶対の三になり切る。 山頭火の場合は、歩行禅の幾山河を超えて熊本に戻って来た時なので、一息一息、一歩一歩、一句一句、そのすべてが、雑念をまじえず、いのちがけの俳三昧でありたいと志向しおて「三八九」と題したものと解すべきか。(長い引用になりました。) 当日の句八つの中の一つ、「どしゃぶり、正月の餅をもらうてもどる」 2008年平成20年1月1日 |
☆5 年越しの坐禅会―第五回―平成20年
昨年から今年にわたる恒例の年越し坐禅が、曹源寺副住職宗彦様のご指導の下で、日曜坐禅の要領で、平成20年晦日の午後11時から平成21年1月1日0時03分まで、本堂で行われました。本堂は、坐相がかすかに分かるぐらいの明るさで、幽玄で静寂な雰囲気に包まれていました。そこには、特別な世界「永遠の今」が有りました。天候にも恵まれ、寒さも厳しくなく、穏やかな年越し坐禅が出来ました。後半、30分過ぎから、除夜の鐘が聞こえ、参拝者の足音や雑談、お賽銭箱に投げ入れられる音などに、心が囚われました。 ▼坐禅参加者は、日曜坐禅会の方が、ほとんどで、19人でした。その中に、外国修行者も3人おられました。回を重ねる度に、参加者は定着し、増えています。 ▼坐禅後、大方丈の間で、ご老師から、新年のご挨拶がありました。そして、ご老師が、直接お抹茶を点てて下さいました。一朊のお茶の中に、込められた新年の喜びと決意を、「潜龍元年」と受け止め、美味しく頂きました。また、丑年にちなんで「帰家穏座」墨跡の色紙を、各自に下さいました。
以上は宮本 進先生のお便りです。
▼私は第3回まで参加させていただいていました。今回も残念ながら参加できませんでした。 「牛歩而不止」の生活を心がけたく念じています。 |
大晦日、夜の曹源寺は、昼間と異なり、深い漆黒の闇に包まれていました。そこには、非日常的な異質の世界がありました。 ▼恒例の第6回年越し坐禅が、曹源寺副住職宗彦さんのご指導の下、2009.12.31 p.m.11:00~2009.01.01a.m.0:05迄、行われました。参加者が22名居ました。そのうち、子ども2名、女性も4名、青年たちも、約半数いました。 ▼境内は、風が強く、本堂の障子や戸が、時々ゴトゴトと音を立てていました。本堂は、おそらく2℃~3℃に冷えていたと思われます。坐禅中は、手先や足先が痛くなるようでした。その冷たさの中に凜とした荘厳さがありました。11:30過ぎぐらいから、除夜の鐘の音が聞こえ、子どもの声や若者たちの足音、賽銭箱に硬貨が投げられる音などが、集中力を妨げます。12:00に、県庁の鐘の音も聞こえて参りました。しかし、越し坐禅は、日曜坐禅と趣を異にした「いま・ここに・すべて」が、存在しているように思われました。 坐禅を終えた、皆さんのお顔にも、何か安堵と充実した「喜び」が溢れていました。 ▼原田老師様が、大方丈の間で茶礼を催して下さいました。そのお床には、おめでたい富士山の画に「寿山万丈高・福寿海無量」の賛の入った幅広の長物が掛けられていました。 一椀のお茶に込められたご老師のお気持ちを"徳不孤必有隣"と受け止め、精進したいと思いました。また全員が、ご老師様から寅年にちなんだ色紙「虎嘯生風」の直筆を頂きました。禅では、虎の勢いを自覚の働き、絶対自由意志の働きと見なしています。 ▼越年坐禅も毎年、参加者が増えています。ふと、"なぜ、寒い中遠くから、この年越し坐禅に参加されるのであろうか"との思いが過ぎりました。 曹源寺には、如何なる時代や環境にも左右されない普遍的な価値があり、その価値に目覚めさせてくれるご老師や副住職、修行者たち(16カ国、約40人)がおられます。 ▼私は参加いたしませんでした。尊敬している先生からメールでお知らせいただきあつくお礼申し上げます。 2009年平成22年1月1日 |
☆7 年越しの坐禅ー第七回―平成22年
大晦日の夜、深い漆黒の闇に包まれてた曹源寺は、幽玄で荘厳な雰囲気に包まれていました。薄明かりの本堂では、坐禅する四十数名の観音様たちの姿が、どっしりとした磐のようなシルエットを浮かび上がらせていました。 ★恒例の第7回年越し坐禅が、曹源寺副住職宗彦さんのご指導の下で、平成22年2010.12.31p.m.11:00~2011.01.01 12:05a.m.迄、行われました。今までと異なることの一部は、まず、参加者が多く、四十数名もの方がおられました。女性も十数名おられました。また、初めて坐禅をされる二十代の男性もおられました。彼の感想は、「上手に言えませんが"しずけさ"が心に残りました。人数的には、日曜坐禅会と変わらなくなりつつあります」。
★境内は、冷え冷えとしており、本堂は、昨年より暖かでしたが、それでも2℃~3℃ぐらいに冷えていたと思われます。坐禅中は、やはり手先や足先が痛くなりました。その冷たさの中に凜とした静寂がありました。
越年坐禅は、日曜坐禅と趣を異にした「心の底の奥深いこころ」との交流が可能となるような場が、存在しているように思われました。
★原田老師様が、大方丈の間で茶礼をして下さいました。茶礼の席は、三十五名ぐらいの方が参加されました。
★毎年、参加者が増えています。やはり、"如何なる時代や環境にも左右されない普遍的なこころを求めて参加されるのであろうか"と思いました。 宮本先生から贈られたものです。有難う御座いました。私は今年も参加できませんでした。 文責は黒崎です。 2010年平成23年1月1日 |
☆8 年越しの坐禅ー第八回―平成23年
大晦日の夜、曹源寺境内は昼間と異なり近寄りがたい幽玄な雰囲気に包まれていました。 今年は、翌日が日曜日ですので、元旦坐禅となります。坐禅の連続にもかかわらず参加者からは、「今年を反省し、来たるべき年への希望」が伝わって参りました。 恒例の第8回年越し坐禅が、曹源寺副住職宗彦さんのご指導の下、薄明かりの本堂で平成23年2010.12.31~2011.01.01のp.m.11:00~12:05迄、行われました。
参加者が毎年増え、坐禅する四十数名の男女の姿が、観音様のようなシルエットを浮かび上がらせていました。初めて坐禅をされる方も5~6名おられました。
▼本堂は、比較的暖かでしたが、それでも昨年同様に2℃~3℃ぐらいに冷えていたと思われます。坐禅中は、やはり手先や足先が痛くなりました。 2011年平成24年1月1日 |
☆9 年越しの坐禅ー第九回―平成24年
深深と冷える大晦日の夜、除夜の鐘の音が鳴る前の曹源寺境内は、ひっそりと静まりかえり近寄りがたい幽玄な雰囲気に包まれていました。 ▼今年は、前日が日曜日でしたので、連続の坐禅となりました。坐禅の連続にもかかわらず参加者たちからは、「今年を懺悔反省し、来たるべき年への自覚と希望」の「只管打坐」が伝わって参りました。 恒例の第九回年越し坐禅が、曹源寺副住職宗彦さんご指導の下、薄明かりの本堂で2011.11.31~2012.1.1のp.m.11:00~12:05迄、行われました。 参加者が毎年増え、坐禅する四十数名の男女の姿が、不動明王のようなシルエットを浮かび上がらせていました。 若い女性や初めて坐禅をされる方も数名おられました。 ▼本堂は、厳しい冷え込みで1℃ぐらいに冷えていました。それでもまだ五時頃までは、冷え込むとのお話しでした。 坐禅中は、手先や足先が痛いばかりでなく、鼻水や涙がほほを流れました。副住職さんも、今回は鼻水が流れましたとおっしゃいました。 前半の坐禅は、日曜坐禅の如く「静けさの中の静けさ」、静寂そのものでした。 後半の坐禅が始まる時、副住職さんから、"この一炷が終わると新年になっています。気合いを入れて坐りましょう。"と、激励のお言葉がありました。 ▼11:30過ぎぐらいから、東の鐘楼から除夜の鐘の音が響いてまいりました。それに続いて、どこからともなく修行者たちの「大般若経・般若心経」の読経が朗々と聞こえ、その後、参拝者の足音、子どもたちの弾んだ声、賽銭箱に硬貨が投げられる夕立のような音など、聞こえて参りました。今回は、これらの外の音が、今までのように外の音ではなく坐禅と一つであるように聞こえて参りました。除夜の鐘の音を初めとして、参拝に訪れた方々と一緒に坐禅しているような錯覚に陥り、極楽浄土での坐禅であるように思いした。 ▼除夜の鐘は、旧年度中に煩悩を払うため107打ち、新年度に清らかな心で108番目を打つそうです。曹源寺では、希望者全員に打たせて頂けます。 ▼越年坐禅は、日曜坐禅と趣を異にした「坐禅の醍醐味があります。私たちから、すべてのものを剥ぎ取り『いま・ここに』しか、存在していないことを目覚めさせてくれます。」 坐禅を終えた皆さんのお顔には、例年同様、何か安堵と充実した「喜び」が溢れているようでした。 ▼坐禅後、原田老師様が、大方丈の間で茶礼をして下さいました。 昨年が辰年(龍)、今年が巳年(蛇)と言うことで、「作龍上天 作蛇入草」(龍と作って天に上り 蛇と作って草に入る)の「禅語」を、お話しされました。
「龍が天に上がる故事の如く、禅者が仏陀の清らかな心を求め、幾多の迷妄や困難をも突破せんと修行し、蛇が草や雑林、泥沼などに分け入るように、禅者自らが進んで、世間一般大衆の中に入り、全ての人々や生き物に救いや幸せ・笑顔を与えんと慈悲の心を発揮する姿を、表現しています。」と、話されました。
▼禅者は、自らが悟るのみでなく、一般人(衆生)を救うために、上に向かい佛道を求め学び、下に向かいその佛道をもって衆生を教化する。衆生済度のために野に下って自在になるという慈悲落草の教えでしょう。真宗の「往相・還相」の廻向と同じだと思います。 修行者たちにとっては、大変大切な教えであると思います。また、私たちにとっても、同様であると思います。 ▼さらに、老師は「私たちは知らず知らずのうちに、程度の差はあれ、十の罪の中のどれかを犯している」と、言われました。その十罪とは、身体的罪が3つ、口的罪が4つ、心的罪が3つあり、計10あります。 これは、仏教では「十善戒」言われています。
身体の罪(3)
口の罪(4)
心の罪(3)
そして、「罪の帳消しはできない!。(「その人の歩んだ足跡は、決して消し去ることはできない。」)如何に善きことをしても。」とも、言われました。ただ、救われるのは、「その人が、なにものにも囚われない心境に達した時(自己を忘脱し「真の自己」(臨済の真人)に目覚めた時)からである」と、言われました。
宮本先生から贈られたものです。有難う御座いました。私は今年も参加できませんでした。
2012年平成25年1月2日 |
☆10 年越しの坐禅会―第十回―平成25年
大晦日、夜の曹源寺は、総門を潜ると見慣れた山門、禅堂、本堂、経蔵、鼓楼、開山堂など、闇に包まれおり、人影も見えず、かすかに鐘楼の灯りが、ぽつんと灯っていました。ひっそりと静まりかえった近寄りがたい幽玄な雰囲気が漂っていました。 恒例の年越し坐禅(第10回)が、曹源寺副住職宗彦さんご指導の下、 薄明かりの本堂で2013.12.31~2014.01.01のpm11:00~a.m.0:05迄、行われました。 ▼今年は、年越し坐禅について事前の問い合わせが数件もありました。それだけに、十年を節目に、この年越し坐禅への関心が高かまってきているように思いました。 坐禅する四十数名の男女の姿が、独特の雰囲気の中で「独坐大雄峰」を思わせるようなシルエットを浮かび上がらせていました。女性も十数名おられ、初めて坐禅をされる方も三分の一程度おられました。初めて体験された若い男性が、「坐禅中、自分が清らかに成っていくように感じました」と、話されました。参加されていた方々からは、緊張し張り詰めた中、来たるべき年に希望を託した「只管打坐」が伝わって参りました。 ▼今年の大晦日は、比較的暖かいとはいえ、本堂は、やはり2~3℃ぐらいに冷え込んでいたと思えました。 坐禅が始まる時、副住職さんから、「坐る時の姿勢の取り方、特に腰骨、背骨、首、頭の伸ばし方、重心の取り方、目の置き所、さらに呼吸の仕方、肩やみぞおちの力を抜き、吐く息と吸う息の間に隙間をあけず、ゆったりとする」などのご指導がありました。 ▼後半の11:30過ぎぐらいから、東の鐘楼から除夜の鐘の音と読経が響いてまいりました。それに続いて、どこからともなく参拝者の足音、子どもたちの弾んだ声、賽銭箱に硬貨が投げられる音などが聞こえて参りました。 今回も、除夜の鐘の音や読経、参拝に訪れた方々と一体であるように思われました。 除夜の鐘は、旧年度中に煩悩を払うため107打ち、新年度に清らかな心で108番目を打つそうです。 曹源寺では、だいたい11:30頃から希望者全員に打たせて頂けます。 鐘楼の中には、外国の修行僧が2名ずつ交代で居り、除夜の鐘を鳴らす為に入楼した参拝者たちに合掌して、お経を唱えて居ました。順番待ちの方が、12:30過ぎても、まだ30名ぐらい列をなしていました。 ▼越年坐禅は、早朝の日曜坐禅「静けさの中の静けさ」と趣を異にし静寂さの中に「只管打坐」があります。私たちから、すべてのものを剥ぎ取り「いま・ここに」しか存在しない厳しさがあります。坐禅を終えた皆さんのお顔には、清々とした「喜び」が溢れているようでした。 ▼坐禅後、原田老師様が、大方丈の間で茶礼をして下さいました。 今年は午年なので「うまに関する禅語」を、伺いました。 「うまに関する禅語は、大変多く500以上もあります。その中に、馬と牛に託した故事があります。人々の平和を願う気持を現わしています。禅語として捉えると、自我からの解放を現しています。(ご老師は、この禅語を具体的に話されましたが、思い出せません。殷の時代が滅び、周の時代に入り戦国時代の武帝のころのお話をされました)」 さらに、よく知られている「人間万事塞翁馬」「禍福は糾える縄の如し」「天馬行空」「駿馬と驢馬」のお話もありました。 「お互いに、主体性を持った生き方をしましょう」と、諭されたと思いました。 一椀のお茶に込められたご老師のお気持ち"清々とした生き方をしましょう"と受け止め、精進したいと思いました。 ▼今回も私は参加できませんでした。宮 本 進 先生からのメールによるものです。ありがとうございました。文責は黒崎にあります。 2013年平成26年1月1日(水) |
☆11 年越しの坐禅会―第十一回―平成26年
大晦日、22:00頃の曹源寺境内は、総門を過ぎると見慣れた山門、禅堂、本堂、鐘楼、鼓楼、経蔵、開山堂など、闇に包まれ、人影も見えず、かすかに鐘楼の灯りが、ぽつんと灯っていました。ひっそりと静まりかえった近寄りがたい幽玄な雰囲気が漂っていました。 恒例の年越し坐禅(第11回)が、曹源寺副住職宗彦さんご指導の下、「歩歩是道場」「煉出人間大丈夫」の軸が掛けられています薄明かりの本堂で、2013.12.31~2014.01.01の23:00~24:05迄、行われました。 本堂内は、鏡餅が祭壇や歴代の池田家の藩主(殿様)方に、お供えになっており、お正月らしい雰囲気がありました。 参加者は、約40名ぐらいで、年輩の男性(60歳以上の方)や働き盛りの男性が多く、女性も10名程度おられました。 本堂の気温は、10℃弱ぐらいで例年より5~6℃高く、温かく感じられましたが、23:00過ぎ頃からは、次第に冷えて参りました。 手足が冷たく感じられました。 ▲今年の年越し坐禅は、温かかったので、何か張り詰めたような緊迫感や厳しさ閑けさなどに欠けていたように思われました。 23:30頃から、鐘楼から除夜の鐘の音と読経が響いて参りました。それに続いて、どこからともなく参拝者の足音、若者たちの声、賽銭箱に硬貨が投げられる音などが聞こえて参りました。また、24:00頃に県庁の方向からオルゴールの音が聞こえて参りました。しかし、今回も、それらの音や参拝に訪れた方々と一体であったように思えました。 ▲坐禅後の茶礼の席で、皆さん全員に一言、感想をいただきました。その一部は、 ・朝の坐禅とは異なり、幻想的であった ・一年の締めくくりが出来、新年への新たな気持ちになった ・非常に新鮮で荘厳な気持ちになった ・「一年の計は元旦にあり」ですので、今の気持ちを大切にしたい ・今年は、「いまここに」を徹底させたい ・一年間無事に過ごせ、締めくくりが坐禅で終えられた ・長く坐禅を続けたいと思った などでした。 皆さん、坐禅が出来る喜びに溢れ、感謝の気持ちを表されていました。 ▲老師のお話 ・時差はありますが、アメリカ、ヨーロッパの曹源寺一滴道場でも、年越し坐禅をしています。 ・私が曹源寺に来て、36年経ちました。その間、皆さんのおかげで大過なく過ごせました。本当に有り難いことです。 ・曹源寺は元禄11年(1698年)、今から300年前に建立されました。本堂は170年前に焼けまいたが、その後再建されました。他の建物などは当時のままです。 ・曹源寺は、池田家の菩提寺であり、本堂の裏の正覚谷に墓所があります。 ・正覚とは、悟りを得たという意味です。 ・曹源寺は、北・東・西の三方を山に囲まれ、南に開けた風致に恵まれた環境に立地しています。 ・操山には、縄文・弥生時代からの古墳が、200~300もあり、この曹源寺の境内にも10ぐらいはあります。貝塚が多くあり、塚を掘ると貝ばかり出てきます。 ・この付近は、まわりより3㍍ほど高い丘状であったので、円山と言われたとのこと。 ・三重の塔は、殿様が参勤交代から帰ってこられた時の目印に建てられたとのこと、重塔の前に立って見ると、眼下に遙か彼方の児島湾や児島半島が一望出来ます。 ・坐禅会のみでなく、この恵まれた豊かな風致を散策され、心の安らぎを得て下さい。 ・茶礼は、0:30ごろ終えましたが、まだ除夜の鐘を突く順番待ちの方が、30名ぐらい列をなしていました。 ・干支の未(羊)のこと、坐禅や禅語など話されなかったのが、残念に思われました。 ▲私の考えでは、坐禅の内容は、白隠禅師の「坐禅和讃」、「四弘誓願」が、そのものだと思います。究極的には「悪事向己 好事與他 忘己利他 慈悲極之」の「忘己利他」に尽きると思います。 ▲「追加」 2014.12.21(日)の茶礼時の老師のお話を、お聴きして 「煉出人間大丈夫」(伝衣老師の墨跡)の内容:「只箇一点無明焔、煉出人間大丈夫」 禅語で対句の下の句である。大丈夫は、お任せ下さいの意味であるが、菩薩の意味。 火で溶かされ混ぜられたような厳しい修行を経て、人間は初めて菩薩になれる。 「歩歩是道場」 この言葉は『維摩経』にあります。その意味は、優れた師を求めていろいろな道場を訪ねるのではなく、自らの心の中が道場であるとの意味。 これは、例えば坐禅を組むなら禅寺へ行くとか、修行するならばそれに則った格好をしなければいけないとか、人は形や決まりから入ろうとしますが、そうではなく、暮らしている日々の中に自分を修練していく場があるということです。 至るところすべて修行の場であり、どんな時でも修行だと心掛けよという意味です。また、あまり大きな夢や妄想の中で生きるのではなく、着実に地に足をつけ一歩一歩人生という道場で生きていれば何が真実で、何が真実でないということが解るということです。 と載っていました。 焦ることなく、油断することなく、無意味な不安や焦燥感などを抱くことなく、一歩一歩真実に近づきたいと思います。 ▼今回も私は参加できませんでした。尊敬している方からのメールによるものです。ありがとうございました。文責は黒崎にあります。 平成27年1月3日 |
☆12 年越しの坐禅会―第十二回―平成27年
振り返ってみますと、第1回の「年越し坐禅」は、平成27年12月31日の11時30分から、年越しの平成28年1月1日の0時30分まで行われました。 参加者は、山本先生、赤木さん、黒崎さん、金光先生、武野さん、藪井さん、成田さん、赤木さん、山本哲也さん、私の9名でした。 当時は、私たち参加者で自主的に行っていましたが、後に副住職の宗玄さんご指導の下に、11時00分から0時05分まで行うようになりました。 年々参加者が増え、女性や子どもさんもお見えになり、現在では約40名もの方が参加されておられます。 坐禅後は、大方丈のまで老師から、新年のご挨拶とお抹茶をいただき、お互いに新年の抱負などを一言述べ、老師から新年の心構えなどについて、お伺います。 曹源寺の総門をくぐり、山門に近づくにつれて、漆黒の中に鐘楼付近から薄明かりが見えてきます。夜の曹源寺は、幻想的で神秘的です。 今年の大晦日の夜は、比較的暖かく感じましたが、それでも、ご老師のお話では、曹源寺(本堂)の気温は、4℃だそうでした。 本堂内は、左右24枚ずつの座布団が整然と並べられ、正面の祭壇には、お正月らしいお花やお鏡餅が飾れていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。本堂の空気は、深々と冷えていました。 坐禅は、本年も例年のごとく、11時00分から、年越しの1月1日の0時05分まで行われました。参加者は約40名弱で、初参加の方は6名でした。そのうち女性が10名いました。宗玄さんの先導で「坐禅和讃」を唱え、前半30分坐禅・体操5分・後半35分坐禅が行われ、「四弘誓願」を唱えて終えました。前半は、物音一つだにしない厳粛で荘厳な雰囲気で行われていました。そこには、毎週の日曜坐禅と異なり、「絶対無」の世界があるように思えました。前半を終えると同時に除夜の鐘の音が聞こえて参りました。 後半は、警策が入りました。この頃から、参拝者の賽銭を投げ入れる音や話し声が、鐘の音と共に聞こえてきました。しかし、外の人声は、例年になく小さかったように思われました。すべてが、除夜の鐘の音に吸い込まれていたようです。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼を催して下さいました。 「共に同じ場所で同じ時間を共有する大切さ、アメリカのシアトルの一滴道場・ドイツの北欧山一滴道場でも年越し坐禅をされておられること、日本では、大災害などの時でもパニックが発生しないこと、これは、古来から日本の伝統的文化が共有されている証しでしょうと、日本人としてのお互いの絆が、共有されていますと、禅にも「鼻祖」「和唱」という言葉があります。私も今朝、本堂で修行者たちとお互いに話し合います。と話されました。 また、「坐禅は、日本人としての古来からの文化や伝統を引き継ぎ発展させるのに最適です。曹源寺の本堂は、木造では中四国一の広さがあります。今後、益々多くの方が、坐禅会に参加して下さり、本堂が一杯の人になるように願っています。」とも話されました。 除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。茶礼を終えても、鐘楼の前には約20名ぐらいの方が、列をなして並んでいました。 私が特に印象に残ったことは、茶礼の席、ご老師が柔和なお顔で身を乗り出すような姿勢で、約40名弱一人一人の方のお話を、お聞き下さったことです。 ▼今回も私は参加できませんでした。尊敬している方からのメールによるものです。ありがとうございました。文責は黒崎にあります。 2016年平成28年1月3日 |
☆13 年越しの坐禅会ー第十三回―平成28年
おかげさまで、今年も「年越し坐禅」 (2015.12.31~2016.01.01)を終えることが出来ました。 第1回~13回まですべて記録に残せることに成りました。 振り返ってみますと、始めは 2004.12.31~2005.01.01 9名で立ち上げられましたこの会は、大勢の方が見えられるようになりましたが、初回に参加された方は5名に成りました。歳月の流れを感じます。しかし、継続は力ですね。年々参加者が増え、今年は40名弱にもなりました。 今日は、「第13回年越し坐禅」と「茶礼時の老師のお話」の様子を、お知らせ致します。 今年は、大晦日が土曜日なので元日が日曜日になり、新年度の日曜坐禅と続きます。 このように連続する年を調べますと、過去13回の「年越し坐禅会」間に3回(2006・2012・2017)ありました。 第13回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、23時00分から、元旦の 0時05分まで、曹源寺副住職宗玄さんのご指導の下で行われました。 坐禅後は、大方丈の間でご老師から、新年のご挨拶とお抹茶をいただき、お互いに新年の抱負などを一言述べ、ご老師に新年の心構えなどについて、お伺いしました。 人影の全く見られない曹源寺の総門、山門、本堂は漆黒の闇の中に包まれていました。鐘楼付近から薄明かりが見えてきます。夜の曹源寺は、幻想的で神秘的です。 今年も大晦日の夜は、比較的暖かく感じましたが、それでも、本堂の気温は、4~5℃に下がっていたと思います。 本堂内は、左右24枚ずつの座布団が整然と並べられ、正面の祭壇には、お正月らしいお花やお鏡餅が飾れていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。本堂の空気は凜としていました。 参加者は、約40名弱で、女性が10名おられました。初参加の方は10名でした。 坐禅は、本堂で前半30分・(体操5分)・後半30分で行われました。 前半は、物音一つだにしない厳粛で荘厳な雰囲気で被われていました。そこには、毎週の日曜坐禅と異なり、「深い深い淵黙雷声」の世界があるように思えました。前半を終える頃、参拝者の声や除夜の鐘の音、読経が聞こえて参りました。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼をして下さいました。 参加者一人一人が、それぞれに昨年の反省・感謝と今年の希望・決意などを述べました。 その主な反省・抱負などは、
・地に足を付けた生活をしたい
・煩悩は捨てきれるものではありません。仲良く付き合うのがよろしい。
除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。0時を過ぎても鐘楼の前には、約40名ぐらいの方が、列をなして並んでいました。 私が特に印象に残ったことは、ご老師が一人一人のお話を身を乗り出して、お聞き下さり、優しい言葉を返して下さったことです。 慈悲心に溢れていました。 2017年:平成29年1月1日(日) 記 |
☆14 年越しの坐禅会ー第十四回―平成29年
第14回年越し坐禅 (2017.12.31~2018.1.1) 今年は、大晦日が日曜日ですので朝の日曜坐禅に年越し坐禅と続きます。 このような年を調べますと、過去14回の「年越し坐禅会」間に3回(2000・2006・2017)ありました。 第14回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、2017.12.31.23時00分から、2018.01.01元旦の 0時05分まで、曹源寺副住職宗玄さんのご指導の下で行われました。 人影の全く見られない夜の曹源寺は、満月に近い(月齢13.2)月に照らされ、通路にも蛍光灯が一ヶ所灯されていましたが、静寂さに包まれ幻想的で神秘的です。総門をくぐり、山門に近づくにつれて、鐘楼付近から薄明かりが見えてきました。 今年も大晦日の夜は、比較的暖かく感じられましたが、それでも、23時を過ぎると本堂の気温は、4~5℃に下がっていたと思われます。 本堂内は、例年通り左右24枚ずつの座布団が整然と並べられ、正面の祭壇には、お正月らしいお花やお鏡餅が飾られていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。本堂の空気は凜としていました。 参加者は、約40名で、女性が6名居られました。初参加の方は3名でした。 今年は、例年になく曹源寺の修行者が10名ほど参加され、ご一緒に坐ることが出来ました。 坐禅は、本堂で前半30分・(休息5分)・後半30分で行われました。 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。 前半を終える頃、参拝者の声や除夜の鐘の音、読経が聞こえて参りました。 今年は、本堂中央の天井に灯りが灯され、灯明も灯されていましたので、今一つ集中しきれないものが残りました。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼をして下さいました。 参加者一人一人が、それぞれに昨年の反省・感謝と今年の希望・決意などを述べました。 その主な反省・抱負などは、
・放生池の蓮の枯れ葉を見て、枯れ葉といえども精神が宿っている。肉体は朽ち果てても、真理が残されている。
ご老師は、
・観念でなく、生活に役立つこと、実感すること、坐ることが大切です。
除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。0時を過ぎても鐘楼の前には、約20名ぐらいの方が、列をなして並んでいました。私たちも、茶礼後に打たせて戴きました。 特に印象に残ったのは、ご老師が身を乗り出して、一人一人のお話をお聞き下さり、慈悲心に溢れた言葉を返して下さったこと、参加者の皆さんが、真摯にご自分の意見(反省や目標)を述べられたことでした。 2018年:平成30年1月1日 記 |
☆15 年越しの坐禅会ー第十五回―平成30年
第15回年越し坐禅 (2017.12.31~2018.01.01) 今年は、大晦日が日曜日ですので朝の日曜坐禅に年越し坐禅と続きます。 このような年を調べますと、過去14回の「年越し坐禅会」間に3回(2000・2006・2017)ありました。 第15回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、2017.12.31.23時00 分から、2018.01.01元旦の 0時05分まで、曹源寺副住職宗玄さんのご指導の下で行われました。 人影の全く見られない夜の曹源寺は、満月に近い(月齢13.2)月に照らされ、通路にも蛍光灯が一ヶ所灯されていましたが、静寂さに包まれ幻想的で神秘的です。総門をくぐり、山門に近づくにつれて、鐘楼付近から薄明かりが見えてきました。 今年も大晦日の夜は、比較的暖かく感じられましたが、それでも、23時を過ぎると本堂の気温は、4~5℃に下がっていたと思われます。 本堂内は、例年通り左右24枚ずつの座布団が整然と並べられ、正面の祭壇には、お正月らしいお花やお鏡餅が飾られていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。本堂の空気は凜としていました。 参加者は、約40名で、女性が6名居られました。初参加の方は3名でした。 今年は、例年になく曹源寺の修行者が10名ほど参加され、ご一緒に坐ることが出来ました。 坐禅は、本堂で前半30分・(休息5分)・後半30分で行われました。 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。 前半を終える頃、参拝者の声や除夜の鐘の音、読経が聞こえて参りました。 今年は、本堂中央の天井に灯りが灯され、灯明も灯されていましたので、今一つ集中しきれないものが残りました。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼をして下さいました。 参加者一人一人が、それぞれに昨年の反省・感謝と今年の希望・決意などを述べました。 その主な反省・抱負などは、
・放生池の蓮の枯れ葉を見て、枯れ葉といえども精神が宿っている。肉体は朽ち果てても、真理が残されている。
・自分にとって、何が必要か見極めたい。
ご老師は、
・観念でなく、生活に役立つこと、実感すること、坐ることが大切です。
除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。0時を過ぎても鐘楼の前には、約20名ぐらいの方が、列をなして並んでいました。私たちも、茶礼後に打たせて戴きました。 特に印象に残ったのは、ご老師が身を乗り出して、一人一人のお話をお聞き下さり、慈悲心に溢れた言葉を返して下さったこと、参加者の皆さんが、真摯にご自分の意見(反省や目標)を述べられたことでした。 |
☆16 年越しの坐禅会ー第十六回―令和元年
第16回年越し坐禅 (2019.12.31~2020.01.01) 2019年(令和元年)5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の規定に基づいて、第125代天皇明仁が退位し「上皇」となり、明仁の第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位した。この皇位の継承を受けて、元号法の規定に基づき、「平成」から「令和」に改元された。 年号が令和になって初の「年越し坐禅会」は、今回で17回目を迎えた。 今年の干支は子「ねずみ」で、勅題は「望」。 曹源寺は、一昨年の台風で壊れた三門の屋根瓦葺き替え工事も5月頃に終え、境内の雰囲気は、以前同様、幽玄な静寂さを漂わせています。 冬の境内は、気温も0℃近くに下がり、凜とした身も引き締まる厳しさがあります。 そのような中で、海外から多くの方々が、ご老師の直接指導や提唱などを求めて、参禅に見えられます。特に12月の大接心(2回あります)には、40人以上もの方が、参加・修業されています。 第16回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、23時00分から、元旦の 0時05分まで、曹源寺本堂で副住職宗彦さんご指導の下で行われた。 夜の曹源寺は、朝の境内と異なり、人影の全く見られない漆黒の闇に包まれ、幻想的で神秘的。 総門をくぐり、脇道を通りかかると、蛍光灯が一ヶ所灯され、鐘楼付近からもかすかな薄明かりが見える。静寂さに包まれていた。 参加者は、50人弱で、除夜の鐘をつくために、両親と参加した小中学生6~8人おられた。 本堂には、例年通り、座布団が左右24枚ずつ整然と並べられ、正面の祭壇に、お正月らしいお花や鏡餅が飾られていました。 その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていた。 本堂の気温は、3~4℃に下がっていたと思われる。 坐禅は、本堂で前半30分・(休息5分)・後半30分で行われた。 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていた。 前半を終える頃、参拝者の声や除夜の鐘の音、読経が聞こえてきた。 今年も、本堂中央の天井にかすかに灯が灯されていたが、本堂の中は薄暗く、坐禅に集中することができました。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼をして下さいました。 茶礼参加者は34人で、そのうち女性が10人、初参加の方も10人。 参加者一人一人が、それぞれに昨年の反省や感謝と今年の抱負などを述べました。 その主な反省・抱負などは、(抜萃)
・人ともっと拘わりたい。
ご老師は、坐禅について、お話しされました。
・お釈迦様は、お生まれになられたとき、「天上天下唯我独尊」とおしゃいました。各自が、人間のみしか果たすことのできない目的を持っています。
(皆さんの感想・抱負やご老師のお話しを、Yさんがメモして下さったものを、参考にまとめた。) 特に印象に残ったことは、昨年同様、ご老師が身を乗り出して、一人一人の顔をのぞき込むように、お話をお聞き下さり、うなずいたり、一人一人に"ありがとうございます"と、声をかけて下さったこと、参加者の皆さんが、真摯にご自分の意見(反省や抱負など)を述べられたことでした。 除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。私たちも、茶礼後に打たせて戴きました。 鐘楼には、少し前までは、約10人ぐらいの方が、列をなして並んでいた。
これまでの「年越し坐禅」で、変わったことと変わらなかったことについてまとめてみた。 変化と不変は「その変化する側から観れば、天地も一瞬なる能わずですが、その変じない側から観れば、物も我も皆無尽です」ので、このことを、具体的に「年越し坐禅」に当てると、分からなくなります。 。 不 変 ・理念「真の自己に目覚める」 ・日時・場所(大晦日11:00から24:05・曹源寺本堂) ・老師は、毎回、茶礼を設け、お話をして下さる (一度も欠席されたことはありません。) 変 化 ・理念「真の自己に目覚める」から「日常の幸せ」に変化か ・指導者が初回は、武野さん、2回目は、武野さん・西さん、3回目から、宗彦さん(現在副住職)になる ・参加者の増加、最初の9人から今は約30数数人、故人となられた方(山本先生・赤木さん)もあり、現在も続いている方は、9人中の4人である ・茶礼の場所が小方丈から大方丈の間になる ・老師が、参加者一人一人のお話を聞いて下さる ・女性の増加、0人から現在約 10数人と増加している その他 ・初回の参加者は、山本先生・赤木さん・黒崎・金光さん・武野さん・藪井さん・成田さん山本哲也さん・私の9人であった。 最初の年越し坐禅 三八九ナインの皆様 年越し坐禅は、曹源寺日曜座禅会の有志数人で、除夜の音を聞きながら、約1時間行われました。 参加者9人を一言で表現すると、「三八九ナイン」が最適ではなかろうかと、思いました。 「三八九」の意味を、老師にお尋ねすると、「坐禅を離れ日常生活の中にあっても、とらわれない心境で振る舞え、心の中に跡形を何も残さない」「よく目を見開き、よく耳を傾け、何が真実なのか、見極める」ことが大切であると、言われたように思います。 私は、「何のために、大晦日に年越し坐禅をするのか」と問われると、窮してしまいます。「分からない」からです。しかし、坐禅が始まり、9人の方が坐禅和讃を唱え始めたとき、なぜか、涙が出てきました。分析不可能です。ただ、「有り難かった」のです。 参考:登竜門 ―龍吟ずれば雲起こる― この季節、気持ち良さそうに鯉のぼりが泳いでいる姿を目にします。昔ほど大きな鯉のぼりは見かけなくなったような気がしますが、庭先やベランダなどに掲げられている光景に子の健やかな成長を願う節句としてだけでなく、家族団らんの温もりが、優しい陽射しと共に心を温めてくれます。 そんな光景に、つい口ずさむ童謡「こいのぼり」ですが、この曲が生まれる以前は「鯉のぼり」という別の歌が大正の頃まで親しまれていたようです。 百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべきと、中国の登竜門の伝説になぞらえた歌詞となっています。 登竜門とは、『後漢書』に、「中国の黄河上流にある竜門という激流を登った鯉は竜になる」と伝わります。また竜は仏法の守護神でもあり、天より仏法の雨を降らせ、大地を雨の恵みで潤すように、広く私たちを救済してくださる存在です。 各派本山の法堂天井画を始めとして随処に見られるのはそういった理由からですが、同時に、そんな竜の如く自らに対しては惜しまず精進を重ね、他に向かっては苦しみや困難から救うためにことごとく施していく「自利利他」の仏法護持者としての姿勢が思い出されます。 な古屋にある徳源寺という修行道場の師家として後進の指導に当たり、妙心寺でも管長を務められた松山萬密老師という方がいらっしゃいました。晩年は重度の白内障とほとんど聞こえない聴力と、おぼつかない足取りで道場生活はおろか日常の生活も難儀であったろうと想像いたします。半ば介護のようなことが必要な生活であっても、毎朝のお勤めと坐禅は欠かすことなく、時には付き人であった私にも教えを与えてくださり、或いは作法を指導してくださることもありました。修行から逃げ出したいと思った私を救ってくれたのは、そんな松山老師の姿であったように思います。 ある日のこと、付き人をしていた私に「三八九じゃ」と一言おっしゃいました。意味が分からず続きを待っておりますと「足せば分かる。しっかりと拈提してきなさい」と、帰されてしまいました。結局答えも分からず随分前に亡くなられてしまいました。 最近になって思い出し、後を継がれた嶺興嶽老師に教えを請うと「足したら二十。ニャン(禅宗僧侶が通常用いる呉の時代の読み方)。ニャンは念("念"も同じ読み方をする)だ」と助け船をいただきました。 目を落とされる間際まで『懺悔文』という我が身を振り返る内容のお経を唱えながら、息を引き取られたことを思い出しました 常に我が身を振り返り、今、この瞬間をどのように生きるべきかという心が、在りし日の後ろ姿に重なって感じられます。 即今。今この瞬間に何をすべきか? この繰り返しが登竜門そのものです。竜の如く即今に吟ずれば、雲のごとく大いなる恵みがもたらされるものなのです。 ※参考:瀧 玄浩 2020年(令和2年)1月1日(水) |
☆17 年越しの坐禅会ー第十七回―令和二年
第17回年越し坐禅 (2020.12.31~2021.01.01) 「年越し坐禅会」は、今回で17回目を迎えます。今年の干支は「丑(うし)」「牛」で、勅題は「実」です。 牛のように、一歩一歩着実に歩み、勅題「実」のように実りある希望に満ちた生活を送りたいと思います。 真夜中の曹源寺境内は、朝の境内と異なり、人影の全く見られない漆黒の闇に包まれた幻想的で神秘的な世界です。 冬の境内は、気温も0℃近くに下がり、凜とした身も引き締まる厳しさがあります。 第17回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、23時00分から、元旦の0時05分まで、曹源寺本堂で外国修行僧のご指導の下で行われました。 参加者は、約30人で、本堂には、例年より広く間隔を取り、座布団が左右16枚ずつ整然と並べられ、正面の祭壇に、お正月らしいお花やお鏡餅が飾られていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。 本堂の気温は、2~3℃に下がっていたと思われます。老師のご配慮で、4台の石油ストーブが灯されていました。(今年は特別です) ※小方丈の写真です。写真をクリックしますとサイズが大きくなります。 坐禅は、本堂で休息なしで65分間行われました。 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。 30分を過ぎる頃、参拝者の声や除夜の鐘の音、「延命十句観音経」が聞こえて参りました。 今年も、本堂中央の天井に灯が灯されていました。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶(さ)礼(れい)をして下さいました。茶礼参加者は、16人でした。
★ご老師は、ご自分の使命や坐禅について、お話しされました。(速記者山下さん、文責宮本) ・“背骨”を有つ 人生においては、何か自分の拠り所になる“背骨”を持つことが大切です。“背骨”の有る人は、安定感をもたれ、大いなる意味を持つでしょう。続けないと“背骨”にならない。 ・人を見送ること 自らの人生において、自分の思いを離れて、流れる水の如くとらわれない心境を、一日でも早く会得する。 ・生死の迷い すべての思いから離れられない、思うのは当たり前、思いに拘らず、心のありようが大切。 “岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる”ようにすべてを離してい行けることが、人生を大切にすることです。 ・師匠のこと 無文老師が、妙心寺の管長に推挙された時、5人の弟子はお慶びを申し上げた。その時、師匠は烈火の如く怒って、わしには、為たいことが残っていると。 ・坐禅に海外へ 一昨年、ヨーロッパへ坐禅指導に赴いた。 今年1月17日からヨーロッパへ坐禅指導に参ります。アメリカには、本当は行きたいが、もう少し先に考えています。 私の人生は、私ではない。師匠(山田無文老師)のご縁に導かれています。師匠ができなかったこと(国内では十二分にできた)を、世界の人々のために捧げたい。そういう生き方もある。自然に生まれた状況である。どんなことがあっても、師匠の能力を借りてやり遂げたい。弟子が待っているので、行ってやりたい。 ・自分であって自分ではない T先生が、いろいろな圧力で身体の支障をきたした。自分に圧力を掛け過ぎた。圧力も水と同じように、止められなければ、すうと流れる。 師匠の能力を借りてやっているので、自分は無い。したがって、圧力があっても、私への圧力でなく師匠への圧力と受け流せる。 ・坐禅のこと 中心線が入ると、重さがなくなる(正しい坐り方をすると)。身体に圧力をかけない坐り方は、常に工夫をこらし、「どうしたら内容ある坐禅ができるか」模索する中で、会得できてくると。 ご老師も17歳から坐禅をされ、60間されておられると。そして、常に工夫を大切にして、苦しみの坐禅でなく、楽しい坐禅であって欲しいと。
★茶礼の席で、参加者(16人)全員が昨年の反省や感謝と今年の抱負などを述べました。
・仕事面でも、その他でもコロナに翻弄された年でした。
・持続可能給付金を頂いたので、助かった。
・毎週、日曜坐禅に通えた。
・何人かの訃報に接し、その方々が、“死とどのように向き合って迎えた”か、人ごとではない。そこを学びたい。
・仕事面では悪くなく、プライベートは充実していた。
・一年前、この席でボーッとすると言った。今年は、天然(自然体)で過ごしたい。 ・絶外和尚様から横井一保和尚様、原田正道ご老師様へと法が引き継がれ、祖師方の高尚な生き方・人柄などを述べられた。 その中で、禅のあるべき姿を専門的な言葉で示され、感謝の気持ちで結ばれました。(感嘆すべき「N禅」が燦然と輝いていました) ・あたりまえのことが、そうでなくなった。取りたてて何かをしないでも、日々のありふれたことを、心を込めて丁寧にしたい。 ・昨年コロナで出来なかったことを、今年はしたい。
・昨年初めて、年越し坐禅に参加しました。何事も、実行が難しいと反省しています。
・年越し坐禅は、10回目。会社勤め31年目。昨年同様で無く、一つ一つを考え、工夫して頑張りたい。
・日曜坐禅会で心が調えられて来ている。
・コロナの中、坐禅会を継続して下さって、有り難うございました。
・昨年は、数回目の年男になりました。
・とらわれないで感謝の生活が、少し出来だしました。 ・最近、言葉が不要に思われます。老化のせいかもしれません。 *皆さんの「反省と抱負」を、お読み下さり、再度、「ご老師のお話」を、お読み下されば、茶礼参加者への見事な、ご提唱でもあったことが理解出来ます。 特に印象に残ったことは、昨年同様、ご老師が身を乗り出して、一人一人の顔をのぞき込むように、お話をお聞き下さったこと、ご老師自身の使命感を話されたこと、無文老師の講演録『日本の道』をくださったこと、そして、参加者の皆さんが、真摯にご自分の意見(反省や抱負など)を述べられたことでした。 除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。私たちも、茶礼後に打たせて戴きました。 鐘楼には、私たちの前に、約10人ぐらいの方が、列をなして並んでいました。鐘楼の中では、外国修行者二人が鐘の音に合わせて「延命十句観音経」を唱えていました。 |
☆18 年越しの坐禅会ー第十八回―令和三年
第18回年越し坐禅会 (2021.12.31~2022.1.1) 「年越し坐禅会」は、今回で18回目を迎えます。今年の干支は「寅(とら)「虎」」で、勅題は「窓」です。 虎といえば、法隆寺の玉虫厨子の薩埵王子そして雪山童子の捨身物語が、思い出されます。人生の意義や日々の生活のあり方が暗示されます。 勅題の「窓」には、心の窓が開かれさえすれば、希望に満ちた生活があると、托されているようです。 大晦日、深夜の境内は、気温が氷点下近くに下がり、身も引き締まる寒さの中に、凜とした厳しさがありました。朝の境内とは異なり、人影の全く見られない漆黒の闇に包まれた幻想的で神秘的です。 第18回の「年越し坐禅会」も例年のごとく、23時00分から、元旦の0時05分まで、曹源寺本堂で外国修行僧のご指導の下で行われました。
参加者は、約22名で、本堂には、例年通り、広い間隔で座布団が左右16枚ずつ整然と並べられ、正面の祭壇に、お正月らしいお花やお鏡餅が飾られていました。その上にお釈迦様の絵図と、その両脇に「祈祷」「修正」の額が掲げられていました。 老師のご配慮で、石油ストーブ7台が灯されていました。それでも、本堂の気温は、3~4℃ぐらいに下がっていたと思われます 坐禅は、本堂で休息なしで65分で行われました。 本堂の天井には、うす明かりが3箇所点いていました 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。 30分過ぎ頃から、鐘楼から除夜の音のみが聞こえて参りました。参拝者の声や、修行僧たちの読経が聞こえませんでした。 坐禅後、ストーブの灯された大方丈の間で、ご老師が茶礼をして下さいました。茶礼参加者は、12名でした。
※写真をクリックしますとサイズが大きくなります。 参加者一人一人が、それぞれに昨年の反省や感謝と今年の抱負などを述べました。
・自分の許容
・人生100年時代
・毎年参加
・おせっち料理
・心のひらめき
・NPO法人
・できることを最大限
・年越し坐禅会に初参加
・コロナ禍で良かったこと
貴重な反省や抱負を戴きましたが、十分にまとめきれていません。それでも、真摯な雰囲気は感じられると思われます。ご老師様のお話しと合わせて、お読み下されば、皆さんの思いが補完されるのではと思っています。 皆さんのご健康と、ご多幸をお祈り申し上げます。 (速記者山下さん、文責宮本) ご老師は、心の世界について、お話しされました。 ・自暴自棄型の犯罪が多い 大阪市北区のビルで起きた放火殺人事件の様な自暴自棄型の犯罪は、世界中で多い。12歳程度の考えをもった大人が、自暴自棄の犯罪を犯す。 成長しきっていない大人である。 ・意識の中の空間がなくなる 私たちは、時速4㌔の生きものである。 自転車は時速11~18㌔、車は40~100㌔、新幹線、飛行機、など、あらゆる高速の乗り物がある。 時速4㌔では、路傍の草花や樹木、石をゆっくり眺め、話しかけることが出来る。 しかし、高速化すると、ゆとりがなくなり、遠くは見えても、近くが見えなくなる。自分自身が見えなくなる。意識の中の空間がなくなってくる。 物事が、ありのままに見えなくなる。 犯罪は、頭の中が考えで一杯に成り、意識に空間がなくなるから、パーンと破裂した状況に。 ・鏡と同じ心の働き 今の社会は、心が働かなくなっている。空間が無いからである。 坐禅とは、鏡と同じような心の働きが出来るように、頭の中にその空間を作っているとも言える。 ・空間が出来ると 物事をありの儘に見たり、聞いたり、ただ花を見て美しいと、ストーブが点っていると、事実に触れる。仏心に触れることができる。 ・坐禅中の法話 「お釈迦様の体験のお話やそのご縁が多くの方に広がると良い。今年は、特に心の中に空間が作れる」お話しがしたい。 4月までは、コロナの関係もあり、外国へは行けないので、日曜坐禅は出ます。 ・ホスピタル ご老師の主宰されるホスピスが、ワシントン州シアトルにあります。円相ハウスとなづけられています。もう、20年近くも続けられています。 個人のボランティアや遺族の方の寄付などで運営されておられるそうです。心の繋がりで、支えられているとのことでした。 特に印象に残ったことは、昨年同様、ご老師が身を乗り出して、一人一人の顔をのぞき込むように、お話をお聞き下さったこと、また、私たち一人一人に「意識の中の空間作り」を援助したいと話されました。 そして、参加者の皆さんが、真摯にご自分の意見(反省や抱負など)を述べられたことでした。 除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打つそうですが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。私たちも、茶礼後に打たせて戴きました。 時刻は、すでに午前2時頃でしたので、鐘楼には、私たち5名が居るだけでした。 空を見上げると、快晴の夜空にオリオンや北斗七星などが、美しく輝いていました。 |
☆19 年越しの坐禅会ー第十九回―令和四年
第19回年越し坐禅会 (2022.12.31~2023.1.1) 「年越し坐禅会」は、今回で19回目を迎えます。 そして、元旦には、午前8:00から日曜坐禅会があります。 今年の干支は「卯(う)<兎>・60年ぶりの発卯(みずとのう)」で、勅題は「友」です。 兎は、柔和で見る人、触れる人に幸せを与えてくれます。 卯年の守り本尊様は、文殊菩薩だそうですので、求める方には、安全・安心や飛躍・繁栄などの智慧を授けて下さると思われます。 また、「友」は、会意兼形声文字(又+又)で、「右手と右手を取り合う」象形から「とも」を意味する「友」という漢字が出来たようです。 今年が、平和で安らかな年でありますように念願致します。 さて何故、年越し坐禅会に参加されるのでしょうか。 ※参考:「月の兎にまなぶ」 月が美しくみえる季節になりました。古来より月には兎が住むといいます。実際に月を望遠鏡などでよく見ると、表面の模様が兎に見えてきます。 兎はお釈迦様の時代から身近な動物なので、仏教説話の中にも多く登場します。 その説話の中に、兎が月に住むきっかけになったお話があります。 この世の初めの頃、ある林に狐・猿・兎がおり、仲良くしていました。 時に帝釈天がこの三匹の仲良しを試験しようとして、一人の老夫に姿を変え現れ、こう言いました、「私はいま腹が減っています。何か食べ物を下さい」。 三匹は「ちょっと待って下さい、いま探してきます」と言って食物を探しに行きました。 しばらくすると、狐は魚を、猿は果物を持ってやって来ましたが、兎だけは手ぶらで帰ってきて、そこら辺を跳んで遊んでいます。 老夫は「あなた方は本当に仲良しではありません。狐と猿は十分に食べ物をくれましたが、兎は何もしていません。」と兎の悪口を言いました。 それを聞いた兎は、狐と猿に「たくさん薪を集めて下さい。いま食べ物をご覧にいれましょう」と薪を集めさせて、それが堆く積み上がると火を点けさせました。 兎は「ご老人、私はどうしても食べ物を探すことが出来ませんでした。どうか私のこの小さい身体をもって一度の食事に当てて下さい」と言い、火に飛び込みました。 老夫は慌てて助け出しましたが、もう兎は生きてはいませんでした。老夫の身体から姿を変えた帝釈天は嘆息して、この事跡を滅ぼさないように月の中に兎を残しておいたといいます。そして、その兎は、釈尊がまだ世に出られる前に、兎となって修行をされていたお姿でした。(『大唐西域記』) この壮絶な話は何を伝えようとしているのでしょうか? いろいろ解釈はあるでしょうが、私達は、普段生活している時、何でも狐や猿のように他から探して持って来ようとしていないでしょうか。 あれがない、これがないと自分の外に理由を求めていないでしょうか。 自分の幸福はどこにあるのか、と外ばかり探してはいないでしょうか。 兎はそれがどこを探しても無かったが為に、自分の身に既に具わっていることに気付いたのです。 気付いた兎はもう慌てることはありません。だから手ぶら(空手・くうしゅ)で、跳ねて遊んで(仏の行を“遊ぶ”とも表現する)いたのです。 臨済禅師も「什麼をか欠少す(なにをかかんしょうす)」(『臨済録』)・ブッダと比べても何も欠落しているものはない、と言われています。月を見る時は兎に習って、すべてが具わっている自分に出会うため、生活を見直してみませんか。 ※インターネットによる。(以上、黒崎記) “ 全てを離れ、純粋に自己を見つめるとき、生かされている自分に気づき、感謝の念が、湧き上がって来ます ” 年越し坐禅は、坐る人を自己反省の淵に追い込みます。そして、体験的に人生の究極が“ いま・ここ ”にあると気づかせてくれます。 私は、静寂さを求めて坐りました。 第19回の「年越し坐禅」も例年のごとく、23時00分から、元旦の0時05分まで、曹源寺本堂で日本修行僧(2名の女性)のご指導で行われました。 深夜の曹源寺境内は、例年と異なり、比較的暖かく感じられましたが、凜とした厳しさもあり、早朝と異なり漆黒の闇に包まれ幻想的で神秘的でした。 参加者は、約30名で、 本堂には、例年通り、広い間隔で座布団が左右6枚ずつ6列整然と並べられ、正面の祭壇に、お正月らしいお花やお鏡餅が飾られていました。その上にお釈迦様の絵図と、その左脇に「祈祷」、右脇に「修正」の額が掲げられていました。 今年は、暖かかったのですが、それでも本堂の気温は、5~6℃ぐらいになっていたと思われます。 坐禅は、本堂で前半30分、体操(ストレッチ)10分、後半25分で行われました。 本堂の中央の天井に、うす明かりが1箇所灯っていました。 前半は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。 30分過ぎ頃から、鐘楼から除夜の音や参拝者の足音、修行僧たちの読経が聞こえてきました。 坐禅後、ご老師がストーブの灯された大方丈の間で、茶(さ)礼(れい)をして下さいました。茶礼参加者は、14名でした。 参加者は、それぞれに昨年の反省や感謝と今年の抱負などを述べました。 その主な反省・抱負などを載せます。(速記:Mさん 記述責任:宮本) ご老師のお話し ・私のお話は、「RACK」に載せていますので、見て下さい。と「RACK」N0.38 2022.12.13 を下さいました。 ・核シェルターのお話し
ヨーロッパの方や共産圏の方に、日本には核シェルターがありますか、と問われます。日本にないことを不思議がります。
・Zoom(インターネット)での指導
世界各地の弟子と、Zoomで話し合いをしています。
・面談の直接指導が最良
・コロナについて
・世界情勢
・少年の自殺者
参加者のお話し ・第19 回年越し坐禅は、引き締まった坐禅でした。 ・今年は、コロナ・介護など大変でしたが、禅の心を大切にしたい。 ・感謝する気持ち、気づきなどを大切にして、生きたい。 ・何かを、見据えるような年にしたい。 ・ゴミを一つ拾えば、周りがきれいになる。自分の出来ることを積み重ねる。 ・清水寺の今年の一文字は「戦」であったが、心は永遠(雄大な人間性がある)ということを言って欲しい。 ・日本では、仏教が滅んでいる。 ・己を喜ばすために食べよ。他人を喜ばすために整えよ。これでよいか。 ・今年は、人の話を良く聞く。 ・今年40歳に成り、何か見つけられればと思っています。 ・今年の目標は、結跏趺坐を出来るようにしたい。 ・いろいろなお寺で坐禅をしてみたい。 ・海外生活の体験を生かしていきたい。 ・年越し坐禅12年目、社員の健康管理、山の管理、ゴミのお話しに共感。 ・定年退職そして再就職、毎朝坐禅したい。 ・変化の多い毎日、今の自分を大切に、周囲の人を大切にしたい。 除夜の鐘は、煩悩を払うために百八打ちますが、曹源寺では、参拝者全員に打たせていただけます。私たちも、茶礼後に打たせていただきました。 時刻は、すでに午前2時近くでしたので、鐘楼には、私たち4名と修行僧たちだけでした。 空を見上げると、上弦の月やオリオン座などが、美しく輝いていました。 ご老師様に、衷心より感謝申し上げます。 (完) RACK N0.38 2022.12.13 挨 拶 K会長原田 正道 世界の危機、心の調え、坐禅を大切に 今年も残り僅かになってまいりました。世界中に影響を及ぼしたコロナ禍がやっと終息に向かって居ります。皆様におかれましては、その間、不自由な日々を送って来られた事と拝察申し上げます。その中においても、ラックの活動にご支援賜り厚くお礼申し上げます。ラックも三十年を数え、社会に多くの功績をあげることが出来ましたのも、皆さまの深いご理解の賜もので御座います。 長年ご指導頂きました、名誉会長さまも、今年九十二歳を迎えられ、なお弟子教育に余念なく、更に龍門寺の庭木の手入れにいたる迄、益々ご壮健で過ごされて居られます。 世情は、ホッとする間も無く、今度は、ロシアがウクライナに侵攻して、ウクライナの歴史ある街を爆撃し、罪も無い市民を殺害し、住む街を失った人達が国外に難民となって逃げざるを得ない状況に、世界中が再び不安の中に置かれています。 今、世界中が核戦争の恐怖を抱き、近隣の国々に至る迄不穏な状況に有ります。 国が、核シェルターを用意して防御することを考えている時です。就中、日本は広島、長崎の苫い経験を持った国です。一人一人、心の核シェルターを用意する必要があると思われます。 西暦二〇〇一年九月十一日に起こった同時多発テロ事件、ワールドセンタービルに、テロの飛行機が突っ込んだ事件は誰もが周知の處でありますが、丁度、シアトルにある禅堂で、五十五人の修行者が参加して行われた接心の六日目の朝でした。アラスカ航空の職員をしている修行者が、泣きながらポータブルのテレビを持ってきて、見てくれという。 見れば、一つのビルは既に燃え上がり、もう一つのビルに飛行機が突っ込む瞬間を映し出していました。アメリカの歴史上、内乱は有っても、外国から本土爆 撃を受けたことがない。異例の事ですから、修行者にそれぞれ、自らの判断で行動をして、帰りたい人は帰りなさいと、伝えると、電話をした人は有ったが、誰一人帰らず、最後まで接心を終えました。 そうして、夫々が感謝して、私達が街に居れば、この酷い事件の恐怖で、メディアのマインドコントロールによって、冷静な判断を失ったでしょう。しかし、この事件が起こるべくして起こったことを、私たちは良く知っています。接心のお蔭で、混乱する事無く、冷静に対処するべき事も分っていますと、感想を述べて居りました。 ヨーロッパ各地は、二月に勃発したロシア、ウクライナの戦争で、誰もが不安な日々を送っています。毎月の接心の度に百人、百二十人と集まってきて共に、坐禅をして、心の安らぎを大切にしています。 アジアも大変です。ビルマの国境周辺に国軍が爆撃するので、タイの民衆も、尼さん達も、精神不安になっています。精神医療専門の弟子が、タイ国に出掛けて行って、治療、坐禅を共にしてくれています。 台湾の弟子が言うのには、中国が攻めてくることを念頭に置いて、仏教会が激励し、各寺院の修行者は信者さんも含めて、毎日真剣に坐禅、誦経に心を深めて居ります。 韓国の修行者たちは、毎日の様に撃ち込まれるミサイルの恐怖に負けていてはなりません。接心に努力をして、気が弛まない様に頑張っています。 印度もイスラム、ヒンズーの過激派が衝突を繰り返し、危険なので来てくれるな、巻添えに会って、身に危険が及ぶことも有りますと、菩提も言って居ります。 日本は如何がでしょうか。曹源寺にはコロナ以後、現在二十名ですが、此れから十二月に向けて、世界から集まって来る修行者が四十名、五十名が予定されています。この世界的な危機の時、自らの内面の充実が最も大切と思います。一人一人、身体を調え、呼吸を調え、更に心を調えて、何事にも動じない心境を、大切にして行きたいものです。 <以上> 日曜坐禅会 曹源寺の日曜坐禅会は、毎週日曜日の午前8:00~9:00まで行われます。無料です。 途中で体操やご老師のお話し、法話などがあります。 また、坐禅後、茶礼もあります。 50年以上も参加されて居る方もおられます。 尚、日曜坐禅会は、開始以来、休みはありません。と、お聞きしています。 本堂に7:50ごろまでには坐して、8:00の板木の合図で、直日の指導で始まります。参加者は、通常50~60名ぐらいで、老若男女、外国人も居ます。 始めに「白隠禅師坐禅和讃」を斉唱します。前半約25分坐禅。ご老師のお話。後半約20分坐禅。警策、打つもの受けるもの警策前後合掌礼拝します。「四弘誓願」を三回斉唱して終了します。 ご老師様のお話 (記述責任:宮本) 2023年元旦は、日曜日でしたが大勢の方(約40名)が参加されて居ました。 ・坐禅について 調身・調息・調心と言われますが、中でも調心、心を調えることが大切ですと。 心は肉体の中に束縛されているとも考えられますが、色・匂い・形などがありません。物質でないので、見ることも掴むことも出来ません。肉体は滅びますが、心は、肉体を働かせて雄大な宇宙的人間性に目覚めさせてくれます。 臨済禅師の説法、 「上堂(じょうどう)。云く、赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人有り。 常に汝等諸人の面門(めんもん)より出入(しゅつにゅう)す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。」と言われましたと。 参考:『臨済録』(岩波文庫)P.20~21 自己の内面を見つめることによって、心の働きに目覚められますと。 そして、何事にも動じない心の柱が育ちますと。 ・Zoomの指導 これから(Am9:00)、大方丈のまで海外のお弟子さんたちのZoomよる指導がありますと。 2023.1.1 日曜坐禅 |
☆20 年越しの坐禅会ー第ニ十回―令和五年
第20回年越し坐禅会 (2023.12.31~2024.1.1) ※写真は坐禅堂:修業者のみ坐禅をしています。 「年越し坐禅会」は、今回で20回目を迎えます。 そして、元旦には、午前8:00から日曜坐禅会があります。 「年越し坐禅会」は、今回で20回目を迎えます。 そして、大晦日は、いつものように日曜坐禅会が午前8:00からありました。 令和6年の干支は「辰(たつ)<竜>・60年ぶりの「甲辰」(きのえたつ)」で、勅題は「和(わ)」です。 辰年は、陽の気が動いて万物が振動するので、活力旺盛になって大きく成長し、形が整う年だと言われています。 また、たつ(竜、龍)は十二支の中で唯一空想上の生き物で、権力や隆盛の象徴であることから、出世や権力に大きく関わる年ともいわれています。 古代中国の神話では、神獣とされているので、中国では皇帝のシンボルとなっています。 「和」という漢字は「禾(のぎ)」と「口(くち)」を組み合わせてできた会意文字。 意味は、静かでのんびり・やわらか・おだやか、ゆるむ、争いをやめる・打ち解けるなどがあります。 今年が、平和で安らかな年でありますように念願致します。 年越し坐禅会も、今年で20年を迎えました。 “全てを離れ、純粋に自己を見つめるとき、生かされている自分に気づき、感謝の念が、湧き上がって参ります ”。 年越し坐禅は、坐る人を自己反省の淵に追い込みます。そして、体験的に人生の究極が“ いま・ここ ”にあるとに気づかせてくれます。 第20回の「年越し坐禅」は、20分遅れの23時20分から、元旦の0時05分まで、曹源寺本堂で修行僧(外国男性と朝光さんの2名)のご指導で行われました。 参加者には、23:00に連絡がありましたが、既に坐っていましたので、長時間坐ることになりました。 本堂の中央の天井に、うす明かりが1箇所灯っていました。 例年通り、東西に座布団が8枚ずつ3列に整然と並べられていました。 深夜の曹源寺は、例年と異なり、4~6℃ぐらい暖かく感じられました。しかし、早朝と異なり、漆黒の闇に包まれ幻想的で神秘的でした。 本堂での坐禅は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。参加者は、約40名でした。 30分過ぎ頃から、鐘楼から除夜の音や参拝者の足音、修行僧たちの読経が聞こえ、年が明けたことが伝わって参りました。 坐禅後、ご老師が大方丈の間で、茶(さ)礼(れい)をして下さいました。茶礼参加者は、25名でした。 ご老師が、今年新しくお見えの方のみに、心境をお尋ねされました。 ・家で一分間瞑想をしていますがん、じっくり30分坐って・・・・・。 ・日曜坐禅は、参加していますが、全く違う空気感・雰囲気感でした。 ・日曜は毎回参加して、自分を振りかえる気分を入れ替えていますが、年越し坐禅は、ひと味違った静けさ鐘の音が聞こえ、一年の振り返りができた。 ・今朝、聞いて初めて参加しました。幸せな気持ちになりました。 ・朝の坐禅は、昨年から参加していますが、8~9割が雑念で、あまり成長しない。 少しは、雑念が少なくならないか。 ご老師のお話 ・年越し坐禅は、弟子の修行僧も、29・30・31・1/1と行っています。 北欧山(17名)・ハンガリー・ポーランド・ドイツ・バルト三国・・・の人達も坐っています。 こちらの時間が午後2時、むこうの時間が午前6時で時差はありますが、参禅を見ていますと分かりますが、指導を受けると、変わって参ります。 ・ただ坐っているのもよろしいが、意識の改革「意識の革命」のある坐禅が必要です。 その体験の指導をしています。背骨が通る人生であることが必要です。 自分で毎日革命が起こらなければいけない。 お釈迦様も、全てを投げ捨てて、人類救済(心のありよう)の道を歩まれた。 ・私(ご老師)は、83歳ですが、心のない人はいないから年齢は関係ありません。 ・日本人は、皆仏教徒で農耕民族である。 ・仏教とは、農業でもある。家庭菜園を営めば、自分の智慧や努力などでそれに応じた収穫ができます。 ・一神教は、破壊をもたらす。砂漠の民です。 ・日本以外の国々の弟子達は、世界の人々の不安感や責任感を、自分たちが当事者と感じています。 ・人生は、死ぬ迄のことではない。「生死」の身体があるから存在する、身体がないから存在しないでなく、46億年生き残っている地球、99.98%まで一度滅びたが、生き残っている私たち。 経典が絶対でなく、私たちの心が絶対である。騙されてはいけない。 ・人間、毎日革命、革命と難しく言わずとも、自らの在り方を求めて行く、それで存在している。毎日革命の気持ちを持っているから行動できる。自らを支えながら、目覚めのない人生はない。 目覚めがあるから、私たちは生きている。心を磨いて、心を鍛えて生きたい。 ・西さんは、早朝に私たち(ご老師・修行僧)と坐った後、日曜坐禅会の皆さんの座布団を敷いておられると話されました。 (速記:山下さん 記述責任:宮本) 茶礼後、時刻は午前一時を過ぎていましたが、除夜の鐘をつかせて戴きました。 ご老師様に、衷心より感謝申し上げます。 |