岡山理大学附属高等学校勤務
1987年(昭和62年)4月1日~1997年(平成9年)8月31日


 87 おかやま
  人模様◇15◇
  その5 フレッシュ先生 黒崎 昭二さん(岡山理科大学付属高教諭)

 企業マンの体験を授業にも

 「所長」から「先生」へ。岡山市理大町、岡山理科大学付属高校の黒崎昭二先生(五九)=理科担当=は今春、三十七年間の企業マン生活に終止符を打ち「教壇人生」に転進した。

 「センセイなんて言われると、だれのことかとピンとこなくてね」「ちょいちょい、いまだに通勤とか出勤とか言ってね。『アッ、しまった』と、ひとりニタニタしたりして」。柔和な相好を崩し、苦笑い。

 二十五年に入社したクラレ(本社・大阪)では、主にビニロンなど繊維部門の製造、研究開発畑を歩いた。退職前は研修所長として社員教育一筋。
※写真:同僚教師や生徒たちと初の蒜山合宿へ思いをはせる黒崎先生

 「だから、人にものを教えることに抵抗はなかった。大勢の前でしゃべるのも慣れていましたね。長年勤めた会社を辞めたが、年も年だしね・悔いはありません」

 「親父、理科など教えられるものか」と心配してくれた息子より、ぐっと若い生徒たち。彼らを見ていると、自分の旧制中学のころを思い出すという。

 「入学式や試験監督の時にね。何十年も前、自分たちもあんな調子でやっていたのかなあ、と思わず感慨にふけることがあるんです」

 いつもニコニコ。穏やかな口調に豊富な人生経験、それに裏打ちされた自信がにじむ。

 教えているのは、一年生の理科と二年生の物理を週十八時間。それに機械科国際コース一年生のクラス担任も。

 「生徒が理解できるように教えるにはどうすればいいか。他の先生の授業を参考にしたり、テレビ講座で研究したり。新米ですから難しいですよ」。

 だが、同僚教師は、「もう、ベテラン並みの授業を進めていますよ」。生徒も「わかりやすい。それに、若い先生のように怒らんからええわ」と、温厚派先生を大歓迎。

 ふと笑顔が消えた。じっくりと「今後」を語る。

 「学校行事にしても、すべて初めて。一年やってみないとわからない。それに最低三年は経験しないとね。一人の子を一年から三年まで面倒みる。どう伸びるか、楽しみにしながら、ね。それで教師としての一段階が終るのでしょうね」

 「工場で行われる安全教育も教えたい。化学薬品や器具の扱い方などですね。それに社会人になるための心構えもね。それが学校出てすぐ先生になったのではない私たちの役目だと思っています」

 きのうから初体験の長い夏休みに入った。今月末、蒜山合宿に参加する。「生徒と、より親しくなれそうです。今から楽しみですわ」

◇「フレッシュ先生」は今回で終わり、八月中旬「戦争を語り継ぐ」を連載します。

 くろさき・しょうじ 昭和2年9月23日、竹原市生まれ。広島工専(現広島大工学部)卒。趣味はテニス、愛読書は小島直記の伝記もの。今春、理科大学付属高と姉妹校、英数学館高(福山市)の教壇に立った元企業マン20人のうちの1人。

★山陽新聞夕刊(昭和62年7月20日:月曜日)のインタビュー掲載記事そのまま写す。読まれた多くの人から連絡あり。


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