地獄大菩薩


 小島直記『老いに挫けぬ男たち』P.126~128に、引用されていた。

 白隠禅師に「南無地獄大菩薩」という書があることは、紀野一義『禅 現代に生きるもの』で知った。
 南禅寺管長柴山全慶老師著『越後獅子全話』の中には、この書にまつわる話があり、その話に感動した紀野氏によって要領よく紹介されている。

▼A氏とB氏の俳句を通じた交遊は二十年に及んでいた。そのB氏が事業に失敗し、万事休してA氏に金策を頼んだ。

 「大金です。私の手もとにそれだけの金は遊んでいません。困りましたね」

 と言ったきり、A氏は沈黙した。そしてしばらくして、

 「明日九時にご足労願います。そのときご返事させていただきます」
 と言った。

▼翌日B氏が通されたのは茶室で、床の間に一軸が掛けられている。それが白隠の「南無地獄大菩薩」であった。

 心の底に毒気を浴びせかけるかのようで、うす気味が悪く、見たくない。それでいてひきつけられる。B氏の心を占めている「破産」、「自殺」、それが「南無地獄大菩薩」と重なって、耐えがたい苦汁となって胃の腑(ふ)を突き上げた。

 B氏はいつの間にか、「南無地獄大菩薩 南無地獄大菩薩」
 と唱えていた。

▼「地獄を嫌うのは人間の情である。しかし、地獄を厭い避けようとすればするほど、地獄は盛大となり、頭のうえから覆いかぶさってくる。この厭わしい地獄に対してそのまま南無と帰命し、大菩薩と合掌礼拝したら一体どういうことになるのか」

 B氏はそのとき、今まで経験したことのないような一条の光を見出した。

 「逃げられるような地獄ならそれは地獄ではない。地獄というものは絶体に逃げられないのだ。逃げられないのなら、どこまでもその地獄を背負っていくほかはない。背負うのなら、南無地獄大菩薩、ありがたいご縁だ、とことんまで一緒に参りましょうと腹を据えるほかはない。そうだ、地獄の中で、自分の能力の限りを尽くして死ぬまでやるのだ」

 白隠の太い文字が、そう語りかけているように思われた。人の好意にすがって地獄を逃れようとしたおのれの甘さ、卑劣さにむしろ悲しみを覚えて、やっとB氏は落ちつきをとりもどした。

 地獄に体当たりをしようと決意したB氏は、金子(きんす)融通の件を改めて願い下げにしてA氏邸を辞去したのである。

 「一幅の書の中に、これほどまで起死回生の力を打ち込んだ白隠禅師の禅定力に、わたしは怖れさえ覚えるのである」

 と紀野氏は書いておられる。

▼人の好意にすがって地獄を逃れようとしたおのれの甘さ、卑劣さにむしろ悲しみを覚えて《の言葉を読むと、B氏の心の転機におしえられるものがありました。

▼本当にB氏が事業に失敗して追い込まれ、自殺まで思うまでにいたったのと比べて、現在はとっくに退職しています私にも、会社勤務中には色々なことがありました。工場に勤務していたとき、仕事場での事故により、現場の指導者としての責任を感じて退社を真剣に考えました。私は身体障碍者として定年まで会社のご配慮もあり、研究開発や工場勤務、研修所に勤めさせていただけたのに感謝しなければならないと思います。

2012.02.01

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