アメリカ旅行ー第一回目ー

目 次

夫婦でアメリカ旅行 ホームパーティに参加 ワシントン見物とアナポリス兵学校へ
ナイアガヤラツアーとカナダのトロント旅行 アメリカ・メイン州のバーハバ―への旅行 初めてのアメリカ旅行からの帰国

夫婦で初めてのアメリカ旅行


 アメリカ旅行―第一回目―日記に記載していたものを抜き出してまとめた。25年前であるから、最近の事情と違う部分があるかも知れないがご容赦いただきます。 

1989年7月24日~8月27日(平成元年)

 家内と二人(家内は60歳)の外国旅行、初めてである。私は会社の出張でヨーロッパに2回旅行していたが、会社ですべて手配していただき、ドイツには駐在員がいて、世話をしてくれていたから、自分で旅行の段取りはしなかった。今回は私ども二人だけの旅行であった。しかし、航空券の手配はニューヨークにいた長男が(研究所に留学中)がしてくれていた。そのうえ現地につけば息子夫婦がいるから不安は、まったくなく、アメリカへの旅にでることができた。

平成元年7月24日(月)

1、N.Y. へ出発 家→岡山駅( タクシー)、岡山駅→新大阪(新幹線)、大阪→成田 North West、成田→N.Y. North West
2、大量輸送時代 ジャンボジェット機 食事もお粗末(私がヨロッパーへ出張した(第一、二回)時はDC8に乗ったが、それと比較して)
3、成田→N.Y.の飛行時間:丁度12時間
4、ケネディ国際空港:昇降式バスに乗り空港。入国審査。税関。

▼成田~N.Y.への機内及び空港で感じたこと

1、黒人が多い。飛行機でスチューワデスが何人かいる。入国審査・税関にもそれぞれはたらいている。
2、空から見たカナダ―、アメリカ北部は広大な土地である。農業者は一度こんな大地を見て日本の農業を考えたらどうなるのだろうか。
3、スチューワデスの接客、物の渡し方ひとつにもおおまかである。エコノミクラスでのこと。食べ物は甘くて、デリカシーとは縁遠い
4、全く問題なく出・入国できた。入国時、黒人から Can you speak English? Plant, clothing について聞かれた。Nothing と記録しているのを見て彼は了解した。

平成元年7月25日(月)

1、まりさんの案内でN.Y.市 のバスに乗り、街に行く。

 バスの乗り方:東西線に乗る→アベニュー線に乗り換える。その時トランスファ(1回のみ有効) トークン(Token)1$/人

2、DOUBLE BOOK SHOP で2冊購入。案内人「二階です」と説明する。

 FREDERICK FORSYTH 「NEGOTIATOR」19.95$ TAX 8.25%、 ETIQUETTE GUIDE TO MODERN MANNERS 19.95&
3、食事外食 ボリュームが多い サラダ―:半人前で十分な感じがする。注文を取る人、計算をする人→チップを受け取る人、料理を持ってくる人、片づける人とぶんたんがある。

平成元年7月26日(水)

1、川合収治君に電話した。KIC office (パンナムビル内のクラレのニューヨーク事務所)に、外国ではじめての電話。

 “Is this KIC office?”

 “Can I speak to Mr. Kawai?”

 “Your name?”

 “Shoji Kurosaki.”

話が通じて、来週、火・水曜日、昼食の約束

 私は、N.Y. に来ている。2週間、Bilingual に通う。息子が Sloan Kettering institute(スロン・ケタリング・インスティティチュウト)に留学で滞在していると話す。

2、まり 女房 小生 スーパー・銀行に行く。The New York Times, Manhattan mapを購入。

▼見たこと、感じたこと

1、アパートにはドアーマンが必ずいる。

2、アパートに入るには、アパートの入り口のキー、自分のアパートの2重のドアーキー、随って3個のドアーキーが必要。

3、Apple Bank がある。岡山市にある「トマト銀行:Tomato Bank」 はこんなところもヒントになっているのではないかと思った。Big Apple はニューヨーク市のニックネーム。

4、職にあふれてゴミを探している人間をみかけた。

5、歩行している女性はバッグを肩にかけて前に回している。

6、自動車はまったく下駄・靴代わりである。大きな立派な車でもフロント部分がへこんでいても、そのままにしている。傷の部分にはテープを貼りつけているものもある。ピカピカの車はほとんどみない。車の種類が多い。三菱・マツダを見た。バスは冷房を使用しているものもあるが、全くないものもある。ワンマンカーで壁に取り付けているバーを押す。紐を引っ張る。降り口は自分でドアーを押してあける。エローカー(ニューヨークのタクシー)が走り廻っている。

7、レディファスト 建物の入り口、バスへの乗車などに見られる。

8、Excuse me! はよく使う。バスの中で体がちょっと触れても。

9、劇場などで秩序を守って列に並ぶ。時間など気にしないようである。

10、交通マナー 歩行者 WALK、 DON'T WALK 点滅、DON'T WALK、自動車が通っていないときは交差点で DON'T WALK でもドンドンわたる。自動車は一方交通。

11、住居 York Avenue. 81st では年収10万$以上の人。

平成元年7月27日(木)

▼午前中 スーパーに買い物 Aのスーパーで買い物袋に入れて、そのまま持ったままでBのスーパーに行き買い物をする。袋には名前印刷。疑われないようである。日本では疑われるような気がする。

 ロックフェラー大学に行く。正門の守衛に、Where is Noguchi statue? と聞いたが通じない。

 紙に、Bronze statue. He passed away. Japanese Doctor.と書き、ようやく通じた。
 彼のいうには、He passed away long long ago nineteen.

 I.D.(identify card) を見せろと言われた。Nothing というと Bring it here again. と言われて別れて帰った。

*ID Card など今まで使ったことがなかったが、アメリカでは校内に入るにも提示を求められることがある。

*Noguchi’s Statue は library にあることを Ph. Doctor の人に教えてもらった。

 その人のお世話で、後日、「野口英世」の胸像を拝見できた。

平成元年7月29日(土)

▼The New Art of English Composition をはじめて読む。

 来週月曜日から2週間 Rennert Bi lingual In New York に通う準備。

 9:00~10:00 East River Side 散歩。風があり涼しかった。青森の緯度である。ジョギングする人がたくさんいた。日光浴をする人。

▼午後、セントラル・パークに家族4人で行く。

 公園内のレストラントで喫茶(Tavern on the Green)

 Sheep Meadow 公園では大勢が日光浴。ともかくもいたるところで日光浴している。

 子供がタコを上げたりしている。

 Summer Music Stage をしていた。Naumberg Band shell

▼夕食

 予約の電話を入れる2軒は vacation(バケション)3軒目でやっと決まった。

 予約でこちらの名前をいうとき、Dr. Kurosaki と、まりはいっていた。信用の程度が違う。M.D.は特に高い

*Dr.の信用度はドイツでも感じた。

▼野球 19:30~視聴

 国歌がうたわれていた。観客は起立(日本での大相撲と同じだと感じた)

 ピッチャの投球カウントがボールとストライクが日本と逆である。

平成元年7月30日(日)

▼Schurz Park 散歩 リスが3匹いた。Sunday Suite の人は見かけなかった。教会から一人出てきた。

▼家内と二人で遊覧船観光。約2時間30分 15$*2人 cash card を使う

(1)Circle Line Sight-seeing Yacht W. 43 St. 83 Pier 航空母艦が繋留されていた。

(2)Statue of Liberty も見た。

(3)Yankee Stadium 貿易センター・ビル

(4)一周してマンハッタン島の概略を眺めることができた。

▼パンナム・ビル、グランド・セントラル駅にもたちよった。E45th St Park Ave.

 駅で掃除婦夫に Lavatory の場所を聞いた。Lady room と表示されていた。ニューヨークでの外人は英語が話せるとは限らない。彼らにとって英語は外国語であることが多い。しかも英語を学んでいない人が多いと思う。

▼Broad Way Time Square に出た。日曜日の午後4時過ぎであり、人の通りは少なく、ネオンも輝いていなかったので落ちついた雰囲気であった。

▼テニス ナイター 3セット目 Last meeting と表示されていた。

その他

▼研究室では、ボスは、はじめ何も言わずに観察している。データが出ると猛烈に contact してくる。できる人とはお互いに contact が intimate になる。データの出ない人は仕事がなくなり辞めて行くようになる。

 猛烈に頑張る研究者、人口が多い、体力がある。この点には日本の研究者は注意しておく必要がある。

 すべておおまかな仕事ぶり。自分の事さえしていれば日本の全員参加活動は実施困難。

平成元年八月九日(金)

 ニューヨーク市でバイリンガルの英語教育を受ける。当日、指導者と市内見物に出かけた。

 始めて、グランド・セントラルタミナルステイションから地下鉄に乗った。日本の地下鉄ほどには清潔でなかった。

 悪名高い地下鉄にたいして偏見を持たないわけにはいかなかった。

 日中、地下鉄に乗った時、その偏見が正しいかどうかは言うことが出来ない。

 まず、ウオールストリートの入口でトリニティ教会にいつた。それは1697年に建てられ、世界で最も裕福な教会として有名である。

 次に、ニューヨークベトナム戦没者慰霊碑にいった。その前に立つた私は考えさせられた。

 それから、我々はニューヨーク證券取引所(N.Y.S.E.)にいった。

 まず、驚かされたのは取引が行われている floor が静かなことであった。次に conputer が整っていることであった。

※約二年後の2001年 -――アメリカ同時多発テロ事件により、4日間取引を停止。ニューヨーク・ダウが大幅に下落。

春秋 2016/9/11付                     

 2001年9月11日の米同時テロでは日本人24人も命を失った。

 ニューヨーク・世界貿易センタービルの邦銀支店に長男が赴任していた住山一貞さんは、ビルに旅客機が突っ込む映像を見て思わず立ち上がった。遺体の一部が見つかったのは翌年春になってからだった。

▼「なぜ息子は34歳の若さで亡くならねばならなかったのか」「テロの実行組織アルカイダはどうして生まれたのか」。住山さんは社会人講座でイスラム教について学び、聖典コーランも読んだ。04年に米調査委員会が分厚い同時テロの報告書を出すと何年もかけて翻訳した。それもテロの背景をつかみたい一心からだった。

▼「9.11」から15年たつ。日本人がテロに巻き込まれるケースはこのところ相次いでいる。13年1月のアルジェリア人質事件では10人の日本人が亡くなり、今年7月にバングラデシュで起きた飲食店襲撃事件では7人の日本人が犠牲になった。なぜテロに遭わなければならなかったのか、という家族の声はいまも絶えない。

▼どうすればテロを根絶できるのか。バングラデシュの事件は実行犯が裕福な家庭の出だったが、一般には貧困や高失業率が若者を過激主義に走らせやすいとされる。そこを同時テロ報告書も分析した。住山さんは訳書を出版し、テロを生む土壌を日本の人たちに考えてほしいと思っている。9.11を風化させないためにも。

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ホームパーティに参加


平成元年7月27日(木)

 長男が「ホームパーティがあるので参加しますか?」と聞く。私はなんでも体験したいので、差支えなければ参加したいと返事した。連絡してくれて4人で参加することになる。

 家内とまりさんが細まきの巻き寿司を作り、水羊羹16個(長男の要望で日本から持ってきていた)を持参した。

 参加されたみなさんは、それぞれが飲み物、食品を持参して参加していた。

▼19時過ぎ長男の研究室に行く。私ども4人はギリシャからの研究員の自動車に便乗してパーティ会場に行く。East End Avenue の横の道路を通り、国連本部、N.Y. 大学の横を通る。ギリシャの人は車に取り付けていたラジオを外して参加。(盗難対策だそうだ)

▼パーティは、N.Y. 大学の助教授に転出する女性研究者の送別会であった。転出する人の親しい友人の研究者(女性)が開いたものである。

 ホームパーティの行われたアパートの一室は(居間+ダイニングキッチン+ベッドルーム+ベランダ―)の作り。

 パーティ参加者:総勢20人くらい。みなさんは、さまざまに坐り、勝手に前菜を取って食べている。ビールも勝手に飲んでいる。日本のような形式的挨拶はなかった。みなさんは顔見知りだからだろうからか?

 Nice meet you! が初対面の挨拶である。

▼ホステス、助教授、研究室のボス(Jeff)、アメリカ人の研究員に私どもは紹介されて挨拶。家内も「ナイス ミー チュー」と言っていた。

▼助教授が「アメリカ人のなれなれしさに対してどう思うか?」と質問された。…アメリカ人の気持ちをかいまみた。

 ロックフェラー大学生(昨年、35日間、日本見物)、ホステスらと話す。

 ホステスは時々見回って会話やら食事の状況やら気を配っている。

 ホステスの御主人はベランダ―でバーベーキューを焼いていた。

▼ホステスや参加者が「ビールを飲むか」と聞くが、断わるとそのままである。無理じひはしない。自分のペースで飲んでいる。一度、No thanks. というと、決してすすめられない。しまったと思っても、あとのまつり。

 ゲストはその家の冷蔵庫を自由にあけてビールを取り出して飲んでいる。

 自宅では、二重・三重の鍵をかけてガードをかためている反面、家でのパーティは友人たちに日本では考えられないくらい開放している。

▼長男夫婦もとけこみエンジョイしている。二人はこれが2回目のパーティ参加である。昨年、渡米して1~1.5月目にボスの家でのパーティに参加したが少し疲れたが今回は楽しかったと。

 研究者たちの仲間を見ていて、頭での勝負だと強く感じた。中国女性研究員は実にカボソイ、ギリシャからの研究員は巨漢である。それらが研究集団の中にいる。

▼研究集団(同じ研究室の人たち)

1、日本の研究集団には外人は少ない。アメリカでは外人が多い(人種も多様である)。現在は、日本でも外人が来ている。

2、世界の国々からの研究者の中で武者修行することは自分の実力を知ることができるのでなかろうか。

▼以上のような様々なホームパティ、治安、研究集団などの事情を知ることができたのは今回アメリカに来ての見聞の一つとなった。

平成二十五年十一月十六日

ワシントン見物とアナポリス兵学校へ


平成元年8月05日(土)

 Washington D.C. Two Day Tour

 PAN AM SHUTTLE to Washington National from New York LaGuardia

 朝、7:40 アパート出発 家内、まりと三人。タクシーで LaGuardia Marin air terminal で行き、Washington までの所要時間約40分のフライト。

▼Arlington Nat’l Cemetery, West Potomac park, Pentagon, Lincoln Memorial Washington Monument, U.S. Capital, White House,とみて、 Nat’l Air & Space Mus.に行くと、 エノラ・ゲイや零戦が展示されていた。見物客が多い。入場料は無料。

参考:ペンタゴンとは、アメリカ合衆国の国防総省の本部庁舎、または国防総省そのもののことである。建物の形から英語で五角形を意味する「ペンタゴン」と呼ばれる。5階建て、各床に環状の廊下がある。

 歴史上の人物

 リー将軍(Robert Edward Lee ):ロバート・エドワード・リーは、南北戦争の時代のアメリカの軍人。南部連合の軍司令官を務め、北軍を苦しめた。最終的には敗北したが、アメリカ史上屈指のめい将としてな高い。1807年1月19日~1870年10月12日, アメリカ合衆国 バージニア州 レキシントン

 グラント将軍:ユリシーズ・S・グラントは、アメリカ合衆国の軍人、政治家。南北戦争北軍の将軍および第18代アメリカ合衆国大統領。アメリカ史上初の陸軍士官出身の大統領。南北戦争で戦った将軍の中では南軍のロバート・E・リー将軍と並んで最も有めいな将軍の一人である。1822年4月27日~1885年7月23日, アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ウィルトン

 John Fitzgerald Kennedy:ジョン・フィッツジェラルド・”ジャック”・ケネディ (1917年5月29日~1963年11月22日), は、アメリカ合衆国の政治家。下院議員、上院議員、第35代アメリカ合衆国大統領を歴任。アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ブルックライン:暗殺: 1963年11月22日, アメリカ合衆国 テキサス州 ダラス:配偶者: ジャクリーン・ケネディ・オナシス (1953年~1963年)

平成元年8月06日(日)

 United States Naval Academy Annapolis, Maryland 、ここに行くのは私の念願であった。日本海海戦で有名な秋山真之がここで研鑽していた。

 Annapolis is 35 miles away from W.D.C. タクシの運転手と交渉 We was intent to going by bus but miss the bus, then go by taxi.話し合いができて、往復にしましょうと。

*江田島に似て入海のそばにある。

▼校内案内 案内人がいる。人数制限。案内料が必要。案内料を払わない人は完全に排除される。

 学校紹介のビデオテープを見る。訓練・勉強の様子。

 建物はりっぱ。校内に教会もあり。全館、江田島の参考館を大きくした構造だと思った。

 生徒館の自習室?は2人部屋であった。カータ元大統領(1924年10月1日 (年齢 95歳) 第39代アメリカ合衆国大統領)が生徒時代の2人居室を見る。私たち江田島では居室はなかった。自習室・寝室を使用していた部屋であるが、1、2、3号の共同であった。

 女性の生徒がいた。少し話す。写真のように明るくて、目がキラキラ美しい! 率直さに驚いた。

 パンフレットで入学競争率を知る。上院議員の推薦が必要。生徒募集の記録が面白い。リーダシップの養成に特異なものを感じた。

 校外から湾を眺めて江田島湾と重ね合わせて、写真を撮影。わずか2日の国内の思い出の多い見物となった。

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ナイアガヤラツアーとカナダのトロント旅行


平成元年8月12日(土)

 家内と二人だけで、ルックアメリカン・ナイアガラツアーに出発。

 朝6時20分 N.Yのアパートを出発、トークンでバスを乗り換えて、N.Y.ヒルトンホテル(53 st 6th Ave)に行く。

 そのバスでは私ども2人だけだった。乗ると、運転手から明るい声で Good morning ! と声をかけられ、降りるときには、Have a nice day! と笑顔を向けられた。日本ではまずこんなあいさつを受けてことがない。

▼ヒルトンホテルから、借し切り自動車に乗る。運転手は日本人。Newark Air Port に向かう。往復運賃17$/人。

 N.Y.~Buffalo 飛行時間約40分 USAIR

▼Buffalo~Niagara Falls Bus Rainbow Bridge を渡って税関(カナダ側)検査。

 ワールプール(Whirlpool)School of Horticulture Floral Clock 見物した。写真のように美しく手入れされていた。

▼Minolta Towerでランチ:鶏肉。ナイアガラの眺望がすばらしい。

▼Maid of the Mist に乗船:観光船乗り場へ降りるケーブルカー、待ち時間が長い。ナイヤガラFallの近くまでの遊覧。しぶきを受けるので備え付けの合羽を着ての見物。こんな広い滝は、はじめてである。

▼当日の夜は、Old Stone Inn: Inn 形式の旅館にはじめて宿泊。Inn の部屋に取り囲まれて Swimming Pool がある。何人か泳いでいた。あまり暑くないので泳ぐ気はしない。

 Dinning 家内と二人ではじめて外国の Inn での食事
 家内はサラダ(Boston風)Beef Steak(Well done)
 私はスープオニオン Shrimp と貝
 コーヒ、紅茶→ケーキ―
 2時間以上の食事時間 約59$ 65$支払う。食事中、ハプシコードが時々Playされて静かな夕食の雰囲気を高めてくれる。室内の照明は明るくなく、暗くもない。食事中の人声は全くきこえなく、しずかに会話をしている。

▼無事旅行をしていると、Collect call を長男にした。I’d like to collect call to N.Y. 212-879-1959 公衆電話でもできる。

平成元年8月13日(日)

▼8:00 Toronto に向かって Bus Tour かなり高速。Hamilton を経由して Toronto に。

 車中、JTB の社員が説明

 地理、歴史の簡単な説明。国土の広さは世界で第二、人口は2,500万人。大部分はアメリカ国境350Km以内に住んでいる。

 彼女の説明でよかったのはアメリカは人種のるつぼであって、ともかくどうかしてアメリカを作ろうとする意欲があるが、カナダは人種のモザイクである。全体としては国を構成しているが1箇1箇は個性をもっている。学校入学年齢でも州によって異なっている。

▼トロント市内見物
 CNTOWER、TORONTO’s exciting new domed stadium

 TORONTO HABOUR BOAT TOUR

 ガイドのEnglish Explanation 全然分からない。

 Ontario Parliament Building, Queen’s Park English Empress の坐像がある。

▼昼食 中華料理 日曜日に店を開くと罰金を取られる。罰金を課せられても店を開く、商売根性に、少し異端を感じた。

 City Hall 見学してBuffalo に帰る。

 Niagara アメリカ側から見物。

▼US AIR 1時間以上遅れて N.Y. へ。Our flight is delated の掲示。:遅いので、長男が US AIR に電話したとのこと。

 Newark→Apartment まで、タクシ チップ5$

▼夕食を作って遅くまで待ってくれていた。ガイドがついていたものだが、私ども夫婦の楽しい二人のナイアガラツアーとカナダのトロント旅であった。

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平成二十五年十一月二十一日

アメリカ・メイン州のバーハバ―への旅行


平成元年8月17日(木)

 Main State Bar Harbor へ旅行:N.Y. City→ Boston→ Bangor→ Bar Harborへ LaGuardia Air から家内・長男・まりと、旅行。

▼Tour でなく By oneself で旅行するときはアメリカ旅行では自分でレンタカー自動車で動き回らなければならない。 Niagara へは Tour での旅行であったから自分で自動車を運転する必要はなかった。

▼無事目的地に到着して、The Holiday Inn に止宿。(Bar Harbor Regency)リゾートホテルに類する。部屋からの海の眺望は素晴らしい。2:00過ぎても Swimming Pool で泳いでいた。テニスコートも2面ある。

平成元年8月18日(金)

 夜中3時に目が覚めた。家内が蕁麻疹(ロブスターがあたったのだろう)、持参のパンシロンを飲む。

 午前中 Acadian National Park を半分回る。

 昼から、長男はゴルフに行くためにその日の朝に予約して、午後2時過ぎ、外人と組んでゴルフをを楽しむ。22$。私どももゴルフ場を見に行き、ホテルに帰る。私らは昼寝。

 新聞を読む

    QE 2 Due Down east August 23

The world’s largest luxury liner the Queen Elizabeth 2, is scheduled drop anchor off of Bar Harbor early on the morning of Wednesday, Aug. 23.
On its third visit of Down east Main the great ship will visible from many locations in Bar Harbor and other communities surrounding French man Bay.

▼Party The Holiday Inn Party に自動車で4人行く 背広・スーツ着用

 テーブルにつく前にそれぞれ drink を飲みながら会話している。Party での conversation の大事さ、情報交換の再確認か? ともかくもいろいろな形式の Party がある。

 21:00 テニス 月齢17日くらいか ナイター設備 結構涼しかったが、うっすらと汗をかく。運悪く長男が右肢肉離れする。

平成元年8月19日(土)

 Sidney Sheldon の小説をを読む。N.Y. city の所・番地が出てくる。街に少しなじんだから、親しみやすい小説になった。

▼Academic National Park を ドライブ。Sand Beach Hunter Beach 浪打際でも磯の香りがしない。ゴミが全く落ちていない。私がジュースの缶を石の上に置くと観光客が自動車から降りてきて注意されて恥ずかしい思いをした。

 ホテルのプール(温水プール)の周りのベンチで日光浴をしている。

 夕食 中華料理

平成元年8月20日(日)朝、曇り

 Hotelの Room で Supermarket で買ってきておいたものをサンドウィツにして食べる。Coffee Tea は Hotel の Restaurant の入り口にある free でいくらでも飲める。Ice は Hotel の各 Floor にある。

 Checkout 12:00 普通のひと。13:00 会員の人(こんなホテルに会員制があることを知る)。Hotel 1040$/2 room 3 days.

▼飛行機の変更 18:50 Bangor 発の予約であったが、長男の足の肉離れのため見物が出来なくなったので早い便に変更。彼が電話で交渉。14:00 の便で Boston まで変えることにした。Boston~N.Y. City はopen ticket であるがどの便にも乗れる。

    Rental Car Fee 80$/one day. ガソリン代8$に対して10$支払う。Keep the change! というと Are you sure! と、Boy at gasstation in Bangor 歓声を上げて喜ばれた。

▼Boston Air Port で昼食。PAM Terminal の中の Coffee House は落ちついた雰囲気であった。Boston Air Port では日本人の団体が見られた。PAM Shuttle 便でN.Y. City に帰る。

▼長男のアパートに帰る。日本食:刺身、寿司、ニワトリのから揚げ、ヌタ、ご飯、葡萄酒。

 大統領が避暑に出かける、アメリカの北の端のメイン州への二泊三日の楽しい旅でした。

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平成二十五年十一月二十四日

初めてのアメリカ旅行からの帰国


平成元年8月25日(金)

 楽しい、長いアメリカの旅でした。いよいよ帰国の時がきた。前日予約。値段も20$と決めておく。時刻が過ぎるとキャンセルすることも決めておいたとのこと。ハイヤー代+Toll +チップ。  
   8:00 ハイヤーがアパートに来る。

▼F. Kennedy Airport Northwest Terminal に3人で行く。(写真は空港)

 Check in して荷物を預ける。

 家内 ビーフジャキ― 11$*3個 購入。

 送ってきてくれた長男の嫁と別れる。

▼11:20 ニューヨーク発。12時ころ離陸。13時間して成田に到着予定。

 機中、Ludlum の小説を読む。64ページ讀んだ。アメリカで起きて日本に帰って寝るまで28時間(7時~11時)寝なかった。

 隣の席に女性テニスの選手:柳さんが乗る。彼女はランキング3位である。カナダ・オープンに参加しての帰りであった。テニスラケット8本も持っていた。プリンスホテル所属。夙川高校・武庫川女子短大卒。毎日4時間練習。彼女は話好きで、テニスを中心に話した。

参考:プレーヤー:柳 昌子ー日本テニス協会公式サイト

▼N.Y. F. Kennedy→成田→大阪~千里中央~新大阪→岡山→我が家。

 新幹線は極めて時刻が正確(誇りにしてよいものである)

 アメリカで飛行機にたびたび乗ったが、時間は遅れるものであった。

 日本のJR, 都市の電車も自慢してもよいものだと思つた。便利・清潔。

 英語のアナウンス アメリカへ出発するときは新幹線の英語のアナウンス、空港でのアナウンスは聞き取りにくかった。約1カ月のアメリカ旅行で、ともかくも英語のシャワーを浴びた。帰国した時は非常に聞きやすくなっていた。中でも、ニューヨークでの話すスピードは早いといわれていた。


アメリカを覗き見て

 日本でお金をためることができれば、アメリカで生活をすれば楽であるようだ。生活費が安い実感がした。

 チップの習慣に馴染めなかった。あるレストランで支払金額の10%程度にすると Waiter がなにかふ都合なことがあったのかと聞きに来る。スープを注文したのに持ってこなかったと理由を言うと紊得したようである。Busy であったので忘れていたのであろうと言い訳をする。

商店の売り子 カメラ電気製品店 買うだろうと判断すると、愛想よく説明する。買うのをよそうかと思うと、タイミングよく80$のものを10$も値下げする。それでも買わないと、大体口も利かなくなる。

 人種混在のアメリカ人では、アメリカ人ということは、日本人はということと比較できない。アメリカある程度で住んでから、アメリカ人を知るのは難しい。

 職業意識 プロ野球をTVでみた限りでの印象:自分のポジションを責任をもつてこなしている。同僚間では助け合い、慰め合い、励まし合いはあまり感じられない。監督~選手個人の関係のみが感じられた。
 Show を見たが Showman は自分の Performance を全部出しきっている印象を受けた。Performance の真の意味を感じる。Hungry 精神が基本にあるのだろう。あらゆる分野にいえることだろう。
*当時は、日本のTVでアメリカのプロ野球は見たことがなかった。現在は、メージャリグで日本の野球選手が活躍しており、TVでも放映されている。隔世の思いがする。

 アメリカの空港の多くでは軍の大型輸送機(黒色)が駐機していた。何時でも発進できる状態であると思った。

 Weatherman アメリカ天気予報(N.Y. city のTV):アメリカ全体の気象を放送している。日本の25ばいの面積である。50州の国であるから日本では2州に相当する面積を細かく天気予報していることになる。したがってアメリカでは地域の細かいものはわからない。全体の傾向を知ることができるということになる。

平成元年8月26日(土)

 日本に帰ったのが14時過ぎ ともかくも無事に帰った。郵便がどっさりきていた。

 旅行の前には国際電話で長男夫婦と話していた。どうしているだろうか、困ったことはないだろうかと、家内は話していた。夫婦で初めてのアメリカ旅行で、二人の生活を見て安心した。


参考:F. Kennedy Airportから、私どもが帰ってきて二十五年後、ケネディ大統領の娘さんであるキャロライン・ケネディ氏、大使着任(2013/11/16)
 米国一の新しい駐日大使になったキャロライン・ケネディ氏(55)が15日、着任した。
 1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ元大統領の長女で、女性初の駐日米大使となる。
 成田空港に到着後、夫を伴って報道陣の前に現れ、「父は米国大統領として初めて訪日することを望んでいた。日米両国の緊密な関係の強化に取り組めることは、私にとって特に名誉なことだ」と声明を読み上げた。「日米同盟は平和で繁栄する世界にとって非常に重要だ」とも述べ「日本という美しい国を見て多くのことを学び、新しい友人をつくることを楽しみにしている」と話した。19日に天皇陛下への信任状奉呈式に臨んだ。

平成二十五年十一月二十四日

平成二十六年十月二十一日:Google Mapを張り付けた。美弥子と初めてのアメリカへの旅行を思い出す。