アメリカ研修旅行に同行して

改 訂 版 2022.12.13 改訂 
目 次
アメリカ研修旅行に同行して―1990年― 初めてのホームステイ━1━ 初めてのホームスティ━その2━
研修旅行━ナイアガラ・ワシントン・ニューヨーク━ 研修旅行━フェニックス 研修旅行━サンフランシスコ・ロスアンゼルス・帰国
米学生研修団、日本文化理解へ 岡山理大、吉備国大訪れ交流

アメリカ研修旅行に同行して―1990年―

平成2年5月22日(火曜日) 

 会社定年後、私が勤めていた高校の関連高校のアメリカ研修旅行の通訳としていかないかと、堀井教頭からはなしかけられた。7月15日~8月3日の20日間。英語は好きであったが通訳するほどの自信はなかった。しかし、何事も体験したい気持ちもあり、高校生はどんな行動をするか関心があったのでお受けした。国内での修学旅行で高校の先生の苦労は知っていましたので、外国での不安を少しでも助ければと思って……。

参考;☆夫婦で初めてのアメリカ旅行をしたのは1989年であった。

▼いよいよアメリカ旅行ー平成2年7月15日日曜日ー

 朝、タクシーで岡山駅にむかう。8:00から広島県福山駅で壮行式。校長、生徒の家族、関係者見送り。校長、その他の先生から宜しくと頼まれた。

 福山~大阪、新幹線。大阪空港で出国手続き。JTB(日本交通公社)添乗員末松・森の2氏。大阪~成田(NW)、成田~シカゴ(NW)11時間30分のフライト。

 感 想

 高校生は何でもよく質問する。

 機内でのジュースのコップはどうすればよいか?
 Host Family の人が「日本に来たいといえばどう答えればよいか?」などなど。

▼同じ日付の 7月15日 14:04 シカゴ OHARE AIRPORT (空軍将校の名前)到着。雨上がりの曇り。早速、市内観光。Sears Tower 433 メートル110 階(104 階に上る)。立派な美術館もある。

 シカゴ市は大阪市と姉妹縁組、全米2位のまち。

 ヘミングウエイが近郊で生まれる。タクシーは綺麗であり、N.Y.city と全く違う。Illinois state は Land of Lincoln と呼ばれている。各州 nickname がある。農業地帯。本当のアメリカ都市であるといわれている。保守的な人が多い。(この州の言葉がアメリカの標準であると Kalea Huff(Catherin) が言っていたのを思い出す)。

 ホテル Bismarck 定時コレクトコールを学校にした(アメリカ旅行中に私に与えられたことであった)。

平成2年7月16日月曜日 ディトン(ホームスティの予定地)

▼アメリカでは、Sun light saving hour(4月~9月)。朝6時過から建設業者が仕事をしている。市内では高架式の電車が走っていた。

▼A・BとC・D組が別れて Dayton へ向かって出発。C・D組(小生が担当)の行程。Chicago→Detroit(飛行機)→Columbus (飛行機)→Dayton(バス)

 Detroit→Columbus では積み残しがあり更に2班に分かれた。私は積み残しの生徒たちを一人で案内するはめになる。不安であったが、これも経験だと腹をくくる。生徒は私から離れては大変だとよくついてくれた。

 バスから見る風景は広大なコーン畑ばかりであった。時々バスの運転手に話し掛けたがコーンの発音を正確にしないと通じない。half の発音はついに通じなかった。自動車なしの生活は考えられない。

▼Wright State University (Dayton) に到着するとすぐに Dormitory に全員はいる。

 19:00 より Eisugakkan Junior High School Welcome Dinner があることを Jim Flaherty に知らされた。打ち合わせをした。

 7月17・18日の日程の打ち合わせも何とか小林先生立ち会いのもと、全部小生でこなすことができた。

 Welcome Dinner の順序は以下の通り

1.Dr.Harold Nixon の挨拶 現地の日本人が通訳
2.小林団長挨拶 小生が英語に通訳(内容は別紙)
3.食事
4.生徒代表(宮原奈里)のスピーチ
5.プレゼント交換 赤富士(日本画の軸)のいわれを日本語と英語で解説(内容は別紙)
 メインテーブルの席順
 Jim
 通訳(日本人)
 小林先生
 Nixon ( 黒人の Doctor vice president) 話振から知性を感じた
 小生
 Joanne Risacher(assistant vice president)

 小生の通訳は外人の前で初めてである。自分ながら気後れせずによく出来たと思う。北浦先生もさすがであると誉めてくれた。赤富士の説明も現地で英語に翻訳したのであるが良くできたと思う。

 昨日のこと、「明日の行事が終われば黒崎先生の仕事は終わりだ」と小林先生は言ってくれていた。食事中は Nixon と Joanne Risacher に挾まれて会話しながらであった。

小林先生は窮屈であったと言っていたが小生は結構新鮮な体験を楽しみながら食事できた。日本に比べて食事も簡素であると思った。

▼螢 Welcome Party が終わり、dormitory に帰える途中、 campus の芝生に螢が飛んでいた。全く思いがけない事であった。国原先生はこんなところで働いてみたいと率直な感想を述べていた。

▼反省会 dormitory で。先生5人、JTB 2人、世話係りのアメリカ学生。

▼dormitory 巡回 24:00 頃 担任の先生が実施。生徒の1部が部屋を入れ代わっている。女生徒を部屋に入れている男子生徒。A・C・D組の違反者に担任が注意。小生もC組の森川先生の adviser として2人に注意。生徒の平素を知らないので、具体的指導に限界あり。カッカしない良い点もある。

 団長の小林先生は男女生徒間の問題を非常に心配されていた。

平成2年7月17日火曜日 ディトン

▼7時少し前に起床。campus を散歩。昨日注意した生徒の1名と出会う。

 構内には兎、リスがいた。学生や働く人が行き来していた。皆なシャツ、半ズボン、スニーカである。自動車が構内を走り、自転車は見掛けない。dormitory と講堂は地域が区別されている。随所に森が残されていた。建物はレンガ造りであり、個人の名前が付けられている。

 内村鑑三がコネチカットの大学留学中、静寂な森に囲まれたキリスト教の学校生活について書いているのを思い出した。

 Ohio state の中都市での静かな生活は住む人の性格形成に影響を及ぼしていると思う。アメリカは広すぎて、「こうだと概括する」ことは無理である。

※今回の旅行で dormitory 生活の2日間、home stayの4日間は小生にとって必ず記憶に残るものになるだろう。

▼朝食9:00 学生の cafeteria 果物が美味しい。朝食前に北浦先生が昨夜の巡回結果をふめえて生活指導。

 10:00 The Beach で遊ぶためバス2台で出発。OHIO の内陸部で海岸での水泳を楽しむ施設である。Dayton から 50 mph(mile/h) で約1時間の位置。

 私は小林先生と女性ドライバーの車に同乗。

 彼女に時々話しかけた。almost here が「オールモステアー」と聞こえる。連音に慣れなれなければ聞きとれない。「come here」が「カメア」とも聞こえるとのこと。

 The Beach 入場料 $12.5 /人 昼食は chicken のからあげ。

▼Mr.Jim(今回の Dormitoryでの生活の実質上の責任者)と食事をしながら話す。彼は漢字を知っているが少しだけだというので、「教えてあげよう」と言う。話しているうちに、中国で2年間勉強をしていた。中国語のまま読み、知っている漢字は極めて正確に書き、中国事情に通じていた。

 漢文(論語など)について英語で雑談した。

 アメリカ人の謙譲に接した。よく確かめてはなさなければならない。

▼生徒にマナーの話(1回目,生徒に話すのは通算2回目)を5分位した。

 ドアー・交通・傘のマナーについて。昨年の N.Y. 訪問が役に立つ。

▼Cincinnati の Riverboat に行く。

 The Beach から約 90Km はなれている Cincinnati 市と Kentucky 州の境の Ohio River を遊覧する boat である。ドイツのライン川 ( am Mein) の情景を思い出した。

 遊覧しながら dinner ハンバーガー ビールを飲む。

 Cincinnati Reds (野球チーム)の赤帽子を戴く。

 Jim, ハットン, Marianne (気が優しいお嬢さん学生)らと会話を楽しむ。

▼野球見物 米国大リーグの試合を球場で見るのは初めてである。TVではしばしば見ていたが。1塁側、外野の高い席。

 野球開始には女性の歌手が国歌を独唱。観衆は起立脱帽。

 球場内の治安維持に非常な注意を払っている。

1.用事もないのに通路に立っていると自分の席に着くように注意を与える。

2.若い観客がビールを買うとき自動車のライセンス(年齢を証明するものであれば良い)の呈示を売り子から求められていた。初め、理由がわからなかったので現地の人に質問して確かめたところ、未成年者にはアルコール類は売ってはならないのだそうである。

 規則の遵守について日本以上のものを見せつけられた。また、犯罪が多いから警備が厳しいのだろう。

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ドミトリ(寄宿舎)

シカゴ空港

シアズ・タワー

シカゴ美術館

ライト州立大学

Cincinnati Reds 野球場

平成二十五年十一月二十九日

 

初めてのホームステイ━その1━

平成2年7月18日水曜日 

▼昨夜(今朝)0時半過ぎに寝たが、4時半に目が覚めて眠れず6時過から散歩。 

 9:00 大学の cafeteria で朝食

 10:00~ 生徒は English conversation class に参加。

 先生たち・添乗員は学校の見学。

1.学生の放送・新聞設備、本屋・学用品の棟。
2.ロボットの研究(ネパールかインド系の人が説明)。
3.コンピューター。
4.医学部(整形関係の研究の一部、関連病院は市内にある)。
5.図書館。蔵書45万冊(スペースは十分)。
0OHIO 州には state university は12校、その他の大学は40校ある。

▼昼食 屋外でハンバガー(ホットドッグ)・野菜サラダー・飲み物。出前専門の店が準備していた。
 assistant vice president とブラジルの研修団のリダー、小林先生と小生、生徒2名が同席。楽しく会話しながら食事。
 午後の予定の English conversation class は中止(Jim は、生徒が一生懸命に午前中勉強したからと説明)。
 14:00 から荷物の整理、15:00 から host family が生徒の pick up にくる。

「かけはしさん」訪問 

 大正10年(奥さん)生れ。ご主人が脳血栓で倒れてリハビリの最中。これまで毎年、岡山理科大学関係の host family になられている。日本社会の情報源にされている。奥さんは家で縫物をされている。外人女性の声もしていた。

 日本人にたいするアメリカ社会の変化を例え話しで話されたのが、アメリカの人が日本人の見方の移り変わりと同時に日本人のアメリカへの溶け込みをしることが想像できた。

 奥様の時代    日本人であることに肩身が狭かった。
 子供の時代    日本のものを見せるのが恥ずかしかった。
 孫の時代(現在)日本の“おにぎり”などのびのびと見せている。
 お孫さんが来た。アメリカ人と日本人(奥さんの娘)の ハフ、10学年(日本では高校1年生相当)
 祖父(アメリカ生れの日本人)が孫にすこしずつ日本語を教えている。

ホームスティ(Home Stay)

 Brent W.Young 氏の自動車で彼の家に行く。

 自動車から見た町は静かで治安もよく全く不安は無さそうである。

 奥様は買い物に行っていると言っていたが既に帰られていた。

 早速2階の私のための寝室(個室)に案内された。

 それから家の中を全部案内され、気楽にしてくれと言われた。服を着代えた。

 家の作りは2階建。2階は寝室が3部屋。家の前は広い芝生の庭がある。約300 坪位。

 昨日、花屋で花を買いたいと大学での案内人(レスリングの champion )に言ったところ、君は gardener? かと言われたが、なるほどこんな庭があればこんな挨拶になることが分かった。庭の一角に野菜を植えていた。レタス、ピーマン、トマトなど。兎が出てきて食いちぎるので網で囲んでいた。

▼家事の分担 主人と奥さんが料理を始めた。ステーキである。屋外のガスオーブンで焼く。3人前、50センチ×15~20センチ位の大きさである。主人の担当である。奥さんは野菜サラダーを作る。夫婦で準備。

 家族の話し:私の家では家内は働かずに家にいる。私は料理などしないと言うと。余り不思議な顔をしない。(仕事を分け持つと言う考えからおかしくないようである)。この家族は夫婦が大学で働き、奥さんは大学院の博士過程を勉学中である(生涯学習と資格を取ることにより仕事が変わり収入もよくなる)。当然家事も分担している。ご主人が奥様の勉強の手伝いを日曜日にはされている。

 指導力:彼等には高校生の娘さんがいる。Michigan に summer camp の指導に出掛けていた。夏休みの過ごし方が推察できた。高校生の指導力の養成に役立つのではないかと思う。奥さんは 34 歳,主人は 43 歳位。主人の子供か?

▼夕食 皆な好きな飲み物。主人はバーボン、奥さんは葡萄酒、小生はビール。

1.食事中 頻繁に美味しいと、お互いに作ったものを誉め合う。ステーキは主人が焼き、野菜サラダーを奥さんが作った。日本の肉のコスト、食前食後の挨拶など会話が弾んだ。また、日本では考えられないくらい会話を楽しむようである。
2.食後 めいめいが食器を下げる。小生も同じようにすると thank you! と直ぐに言われる。また、こちらが thank you! と言うと、you are welcome! が必ず跳ね返ってくる。食器洗いの器械がある。

食後、家の key を渡してくれた。朝食は自分で好きなものをたべなさいといわれた。小生は何もできないので、卵のスクランブルの作り方を教えてもらった。自分たちの生活のリズムは壊さないで、しかもお客さんにも自由にさせることのようである

 夜、遅くまでご夫妻と歓談。当時の私は英会話がすこしできていた。
 話の中で、私の年齢を forty といったところ、You hope that you are forty for ever! と、大笑い。

 ご主人の名前 Brent & Mindy Young

参考:後日談:Brent & Mindy Youngが翌年、来日されて、我が家に来られて、家内と一緒に天ぷらを作って、会食したのが忘れられない記憶に刻まれている。

※:来日前の手紙

June 1.1991

Dear Mr. Kurosaki
I hope this letter finds you and your family well. I am sorry for not writing sooner but this year has been very busy for Mindy and myself.
Mindy is now a Doctor of Philosophy she completed her dissertation –a long book on her subject-and graduated from Bowling Green State University in December.
My daughter, Rachall, just graduated from high school. She is 18 years old and will attend Wright state this September. I am taking a course also at Wright state and have been studying Japanese language since January. I need much more study to be understood, I am afraid.
I will be arriving in Okayama on June 25. I will be travelling with one other adviser and about 15 students. I am very excited. We will be staying in Japan until June 24.
I hope I have the opportunity to see you and your family. I am going to bring many picture of Dayton to show while I am in Okayama.

I will say SAYONARA for now.
Sincerely
Brent Young

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ホームスティ先を待っている生徒たち

ホームスティ先の人たちを待っている生徒たち

私がホームスティしたご主人

私がホームスティしたごご夫妻


「かけはしさん」のお宅、お孫さんと

平成二十五年十二月二日

初めてのホームスティ━その2━

平成2年7月19日木曜日 

▼4:30頃目が覚め、もう一度寝て、次は 7:00 過ぎであった。ベッドをきっちり整頓。

 Host family の主人は early riser で、奥さんは good sleeper だと、昨夜話していた。それぞれ別々に起きて勤め先の大学へ自動車で出勤。

 昨夜、ガスバーナーの使い方並びに卵のスクランブルの作り方を教えてもらった通りに朝食を準備。お皿、バター、tea を kitchen の台の上に準備してくれていた。心遣いに感謝した。彼等は朝食をしている様子はない。飲み物程度で、コップとナイフが台所の流しにあっただけである。

 食事後、TVで Dayton international airport での air trade and show を見ながら日記の整理。

▼私の寝室にしてくださった部屋に以下の“掛け物”があった。

      TO MY DAUGHTER

   You're a precious thought to me.
   A treasure to my heart.

   You're a daughter who has played
   A very special part.

   All the beauty life can give
   is summarized in you.

   I am proud and I am glad
   That life presented you.

   In your own compelling way
   I see that you're unique.

   I am confident you'll reach
   The very goals you seek.

   Your growth and progress always are
   So charming to behold.

   It is such a wondrous thing.
   To match your life unfold.

   All my love and all my hopes
   Give time a special hue.

   All my days and all my years
   All full because of you.

           ---Bruce B. Wilmer

 親の愛情を具体的に表現しようとする行動に感心させられた。

注:Bruce B. Wilmer をインターネットで調べると多くの詩を書かれています。

▼11:50 頃、昼食のために SHOPPING CENTER に出掛ける。近くまで行った所で原さんに pick up された。小林先生も乗っていた。昨日、Young が言っていたことを正確に聞いていなかったようである。これからは大事な予定などは書いてもらわなければならないと思う。

 N. ALEX HARA(昭和16年生まれ)横浜市出身、中央大学卒業、アメリカ国籍取得、アメリカの女性と結婚、8歳の男の子供がいる。20年位滞米、訛があり子供さんが直したりするそうである。

 Consultant の外に PNEMOTOR の会社を作って企業化直前である。

 PNEMOTOR と関連して軍関係と交渉するときはアメリカ国籍が便利。

 昼食にピザーの店に行く。満員。次の店でハンバーガーをいただく。彼のオフィスに行く。

 ホンダからの出向社員 Mr.HIROSHI IMADA の案内で U.S. AIR FORCES MUSEUM 見物。

 17:00 過ぎ帰宅。30分過ぎた頃,Young 夫妻帰宅。

 Hello! How are you! の挨拶。場面,場面での英会話の勉強になる。

 Young は来年6月、中国を訪問する予定であったが、日本に変更したとのことである。日本料理に案内することを約束した。

▼Mindy のお母さんを訪問

 Mindy の運転で訪問。その間、主人が中華料理を作る。フライドライス、白ご飯も同時に作る。

 訪問の途中、彼女は34歳であること。小生は62歳を40歳と言って大笑いになる。彼女が小さいとき建築家のお父さんが亡くなる。彼が建てた家があれだと指し示したりした。お母さんは再婚していることをお隣の歯科医師の奥さん(アメリカ人と結婚している広島出身)から聞いた。

 Mindy は今年12月に Education management の Doctor course を働きながら4年かけて卒業の予定。

 家に着くと、家の中をくまなく案内された。立派なものである。

 庭を望むテラスでビールを飲みながら雑談しているとお隣の歯医者夫婦が手土産に「ほしいか」「いかの燻製」「おかき」を持って庭から訪問してきて雑談が弾む 。鯛の刺身、ふぐの話しなどが出たがよく聞き取れなかった。お母さんは57歳で早口で年配者独特のまくし立てるので聞き取れなかった。

 お母さんは Mindyに教育をつけたことを口にすると、彼女は感謝をキスで表現していた。親しい人の間でもこの様にたえず口に出して確認しあうことが生活の知恵になっているようである。

 dinner 招待を受けた。pick up に行くと言う。date だと笑わせた。

 歯医者の奥さんは「彼女は open である。すこしオーバーかも知れない」と、いわれる。

▼ホームスティの家に帰ると料理はだいたいできていた。

 食前の挨拶について話しながら食事。

 食前の挨拶は say a grace before a meal 日本語では「いただきます」か?
 For what we are about to receive may the Lord make us truly thankful.

 食後の挨拶はないようである。

 「アメリカというものは変わった国で、アメリカ料理という店が全米に一軒もない(ワシントンに一軒できたという話しを聞いている)。アメリカのどこを歩いても、レストランといえば、他国の料理を出す。フランス、イタリア、中国、日本…。」『アメリカ素描』より。

 アメリカ料理とは何か、とアメリカに住む人に聞いてみたことがある。その人はニュージャジー州の小さな町に四年、ワシントンDCに一年住んでいた。わからないという答えが返ってきた。

 アメリカは全ての人種を受け容れたように、あらゆる料理を認めたのである。移民たちは心づくしのおくに料理をアメリカにはこんできた。それを田舎料理といつてもよかったのではないか。

平成2年7月20日金曜日 

 ご夫婦が出勤した後に起きる。寝室に誰もいないときはドアーを開けている。

▼電話がかかってきた。英語で I am Japanese staying at this home, Young is out. と話す。

 shopping 鈴木さん(小林先生の host family)の奥さんが pick up に来てくれた。土地に余り慣れていないため原さんの事務所に到着するのに困る。途中大雨に出会う。日本梱包運輸倉庫(ホンダの物流の仕事60% )の社員・水野さんの案内で Columbus(Ohio capital City)で shopping 。

 昼食 水戸 Mito(日本料理店) 日本食御馳走になる。

 Columbus Mallでイタリア製のネクタイ2本買う。$15 が$7.5になっていた。水野さん(会計担当)との雑談

01.営業上の取り引きのやり方に日米の違い。彼等には日本式根回しがない。将来を見越しての初期の赤字を考えない。
02.普通の一軒屋の購入は約8万$。価格が上がっているので売るのに困らない。
03.ホンダの従業員2500人、関連会社600 人、合計2100人。その 2.5ばいの5000人の日本人がいる。雇用の創出は凄い。State government office には日本関係の部門がある。Ohio Stateは poor から rich state になっている。
04.反面 GM などは lay out したため、反感を持っているものがいる。ホンダの人を殺してやると言う者がいる。
05.ホンダの技術者は職人根性的なものがトヨタに比べるとある。従ってアメリカに来ている従業員が多い。
06.アコードが全米1位の売上になった?(1位の人気車種)。理由を尋ねなかった。故障率が低いことを含めた性能の問題なのか?
07.アメリカでの生産・管理の規制が厳しくなってきている。モデル・チェンジなどもアメリカ自動車会社の仕来たりに従うようになっている。日本車だけすると米国のものが売れなくなる。
08.minority の雇用 6% 以下であると罰金。
09.Appalachia 山脈から西を西部と言う。Ohio は Midwest と呼ばれる。
10.Columbus の街では横断歩道以外を渡ると罰金を取られる。州によりルールもかなり違うものである。

 現地の人との雑談から知識が得られる。聞き上手が大事である。

▼夕方 原さんの事務所に寄る。夕食に中華料理を御馳走になる。今日から小林先生は原さんのお宅に home stay。

 原さんのお話し

1.子供は母親の母国語は覚えるが父親のものは覚えようとしない。
2.友人の子供(中学生)がアメリカに一人で勉強に来ているが英語が出来ない。ある学校では引き受けてくれないので別の学校にいれるよう手続きをしている。アメリカで勉強したい人は日本のマナーを身に付けた後に来るべきである。大学を出て企業で2年位働いた後がよいだろう。英語の力を付けるには若いほうがよいが
3.これまで何度となく裁判にでくわしたが一度も負けたことがない。私はアメリカが弁護士社会であることを思い出した。
4.Dayton で黒人だけが数人乗っている市バスを見て、バスもあるのですねと話したところ「黒人家族は1台の自動車しか持たない。主人だけの収入では生活できないので女房も働かなければならないが自動車2台持つ余裕はない。従って公共のバスに頼っている。過去白人が黒人を虐待した弱みを感じての施策だ。」*『アメリカ素描』

平成2年7月21日土曜日

▼8:00起床 お休みで夫婦も溌刺としている。

 朝食は、オレンジジュースとミルクだけ。

 お土産に持参した「赤富士」の掛け軸を玄関の壁に掛け、「畳み表のテーブル置き」は客室のテーブルに、渋団扇は食卓に近い壁に掛けていた。

 家族の写真を撮る。シャーツの洗濯をして戴いた。また、靴も洗ってくれていた。家の中ではべットに入る時以外は靴を履いままであることから。こんな雑用は土曜日の暇なときにするようである。本日、彼は Mindy の大学院の勉強の手伝いをする予定。
 10:45 頃、原さんが pick up に来てくれた。小林先生と Air trade and show 見物のため。途中で日本人学校に寄る。小学生から高校生に至るまで各学年6時間の勉強をしていた。市から建物を借りているが想像していたよりお粗末である。もう少し日本人が手を加えたら良いと思った。高校生が学校に自動車で来ていたのが印象に残る。小林先生は授業参観して生徒の学習意欲が足りないと評価。
 Air show 見物 ともかくも、こんな見物は初めてのことであり、航空機についての知識もない。本当に沢山の人が集まつている。
 個人用から戦闘機、爆撃機、輸送機にいたるまでの飛行機が展示されていた。Show ではアクロバット飛行が絶えず行われていた。Thunderbirds の飛行で終わった。ソビエトの輸送機の上でビデオカメラを動かしていた。「あれはスパイをしているのだ」と原さんが笑わせた。

▼夕食招待 Mindy's mother, Brent and Mindy とご一緒。Treasure Restaurant に行く。普通の店であった。奥さんに葡萄酒($7)を選んで貰いプレゼントにした。扇子も贈った。

平成2年7月22日日曜日 ホームスティ終わる ナイアガラへ

★朝6:00 Mr.Kurosaki! Wake! と Mindy が声を掛けてくれた。

 I wake right now! と返事。Brent がハンバガー(昨日、レストラントから持ち帰った肉を挾んで)を作ってくれた。milk と juice を飲んで、6:30出発。

 Brent and Mindy が自動車で大学まで送ってくれた。少し感傷的になる。大学で Kalea Huff の両親に合う。彼等が私のところに来て自己紹介した。日本でのことを話す。原さんが子供を連れて小林先生を送っこられたのでお礼の挨拶。

 8:00 2班に分かれて出発

  Dayton ~~Cincinnati~~Detroit ~~Buffalo ~~Niagara Falls

 Niagara Falls は小雨であった。ホテルは上等でなかった。夕食は別のホテルの10階で、野菜サラダー、魚(美味しくない)、アイスクリーム。

 移動の時には最後尾について全体の行動に注意するように心掛けた。

★ 私見

1.Young 家の食事 朝抜き,軽食を持参して昼食,夜は main dish と野菜サラダー程度の非常に質素な食事だと思う。
2.guest には家を open に使わせる。部屋を show aroundして、冷蔵庫には何があると説明して自由に使いなさいと言う。guest の思うように気楽に、自由にさせることが最高のもてなしであるようである。host の思いは差し控えるようである。日本では host が guest の思うことを想像してあれこれしてしまう傾向がある。この気持ちでアメリカ家庭に入れば「ほっとかれた気分」になるかも知れない。
3.夫婦間、親子の間でも絶えず会話を交わして親しさを確認しあっている。お母さんがお前の学歴を付けてやった、今日の料理は美味しいなど。
4.仕事を分担する。女性だから男性だからと言うことでない。女が仕事をしていないで男に家事を手伝いなさいと言うようなことはない。
5.ホームスティ から帰ってきた生徒の中には涙を流しているものがいた。
6.彼等の生活態度から、私も個人生活を少し enjoy したほうが良いと。
9.米国各地を腰を落ち着けて生活して回らなければ米国は分からない。

 生徒・私たち大変お世話になりました。ありがとうございました。現地で活躍されている皆様のご健闘をねがっています

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航空ショーウ1

航空ショウ2

スティ先からドミトリへ集合

赤 富 士

カナダ側からのナイヤガラ
 

平成二十五年十二月四日

研修旅行━ナイアガラ・ワシントン・ニューヨーク━

平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

ナイアガラ見物

 Minolta Tower で昼食。最上階に登り全体を眺めると四周は水平線の大地であった。中国人の見物客が多かった。 平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

 団体旅行での食事について思った。今回の旅行では外人の中に分散して囲まれて、食事をする機会はほとんどなくて、私たちのグループが集まって食事をした。たまには近くに外人もいたが幸いに生徒も彼等から注意されるような行動もしなかった。しかし彼等の食事マナーを観察できなかったのは残念であった。

私見 生徒観察

1.余り感激性を示さない。何故か?

 Marshall McLuhan's theory that television would turn the world into a global village.

 これが本当かも知れない。日本のTVで見たことのないホームスティ、学生との協同生活などが研修旅行に役立つのだろうと思った。

2.歩道でも全体に広がって立ち stand, walk の区別なしに。どこでもやたらに大きな声で話す。

3.自動車の中でガイドの説明を聞いていないもの、トランプをしているなど。

▼Niagara ~~Buffalo ~~Detroit ~~Washington 移動。

平成2年7月24日火曜日 ワシントン

▼ワシントン 見物。

1.Mount Vernon 見物。VIRGINIA と MARYLAND の州境にある。今回初めて見物。

注:マウントバーノンはアメリカ合衆国バージニア州アレクサンドリア近くに位置し、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンのプランテーションがあった所である。木製の邸宅は新古典主義ジョージア調建築様式であり、地所はポトマック川の堤にある。

2.アーリント墓地では Robert Kennedy の墓を見た。軍人墓地で兵隊と将校の墓の違い。John F.Kennedy 大統領就任演説の刻まれた石に腰掛けた生徒が叱られた。何処でも凭れたり、腰掛けたりする癖を注意しなければならない。見てもみないふりをしないで,直ぐに注意する人がアメリカにはいる。平成2年7月23日月曜日 ナイアガラ ワシントン

3.Lincoln Memorial、Potomac River、Rosslyn Hotel の階上で昼食。Georgetown University を遠望。VIRGINIA はタバコとハムで有名。日本(東京・埼玉)の高校生が50人位いた。home stay 3週間、sight seeing 2週間の予定。

4.White house、The Capitol Sumisonia Air Museum 見学。

5.スパーマーケットで生徒は自分の好きなものを要領良く買っている。travel check を使っている。こんな体験がいきるのだろう。全く物怖じしていない。

平成2年7月25日水曜日 ニューヨーク

▼ワシントンからニューヨーク市へ移動。

 Washington Union Station (The capitol から放射線状に街が開けているから、この駅からもそれが見える)。駅前の Lincolon の statue と地球儀の石像が印象的である。駅は物凄く清潔で立派である。

 Amtrak Metroliner Service Northbound に乗る。TVで見た列車である。

 Dp Washington 10:00 a.m.→Dp Baltimore 10:31 a.m.→Dp Wilmington 11:15 a.m.→Dp Phila. 11:35 a.m.→Ar Newark 12:33 p.m.→Ar New York 12:49 p.m.

 whistle がもの寂しい。座席はリクライニング、足を乗せる台もある。床にはカーペットが敷かれていた。一列4座席。New York City まですれちがったのは3回である。発車時にもベルがならない。日本の社内の騒々しさは全くない。途中の停車駅で乗り込むものは少ない。

 車両の用途を表示している。例えば、Coach, Sleeper, Dinner, Baggage など。車内での生徒は、host family にハガキを書くもの、トランプ、読書をしているもの、居眠りをするもの。生徒には Walkman を持たせなかったのは良かった。

感想:Metroliner Service の乗車中の時間は考える時間を与えてくれた。

1.沿線の風景 廃屋はどうしようもない。行けども行けども平地。ボロ家がかなりある。Naiagara~Buffalo でも化学工場が廃墟のまま放置されていた。

2.アメリカは広い。パイオニア精神の持ち主、孤独に耐えて自立心のある人が幾らでも活躍できる国だろう。

3.アメリカの小説を読むのにアメリカの風土環境を条件にいれること。家族全員の仕事の分担(今回体で感じた)、アメリカ人の hospitality は人間の淋しさ、滅多に人に会えない環境なればこそ作り出されたものだろう。

  Do it yourself. は当然要求されるものである。

参考:「アメリカにきておどろいたことのひとつは、機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった」。「ワシントンからニューヨークにもどる途中、列車の窓からフィラデルフィアの鉄鋼製構造物の廃墟群をみたときだった。」『アメリカ素描』より。

▼昼食 は N.Y.City のエンパイアステートビルの近くの日本料理店。ビールを飲みながら。生徒(中学生)はアルコール飲料に興味を余り持っていないようで先生が飲んでいても気にしない。昼食後、市内見物

1.国連ビルに行く。ビル内の tour はなくて、何だかあっけない感じがした。地階の売店で 1991 年のカレンダー5本購入。

2.ハーレムをバスから見物(セントラルパークよりさらに北側)。全く黒人ばかりである。ハーレムはオランダ人が建築をした19世紀末の高級住宅であったとのことである。もうすこし観察すれば良かった残念。

参考:吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』講談社文庫があるが未読。

私見 修学旅行

1.私の旧制中学時代を思い出す。一年上級生まではあったが、戦時中の昭和17年、文部省により中止された。

2.当時の高校の修学旅行の一切の費用が7万円以下と規制されている。

3.今回の中学校の旅行は直接費用だけで60万円、その他を入れると高額である。

4.JTBの完全なリードである。学校としては責任上、事故・トラブルの無いことを念願するのは当然であるから、旅行中も毎日生徒指導をする。もちろん、事前学習にも力をいれる。旅行中自由行動の時間が少なく自己体験も少なくなる。従ってホームスティなどが有効である。

平成2年7月26日木曜日 ニューヨーク

▼N.Y.市内観光 9:00 Madison Tower Hotel (38th Street Madison Ave.)を出発。

1.貿易センター2に行く。途中バスでワシントン広場、グリニッチビレッジなどを通る。gay street の街路名が見えた。

2.Staten Island Ferry Boat に乗る。この島に最初に入椊したのはオランダ人である。マンハッタン島より大きい。乗り場の時計の表示が面白かった。Next Ferry Departs In 06 Minutes. Inの使い方が面白い。日常関連記事を読んでいるうちに前置詞など正確に覚えてしまう。Children Excursion group の遠足風景を見る。N.Y.港を30分往復した。自由の女神、マンハッタン島を眺めての一時であった。

3.中華街で昼食。この街には孔子の立像があった。中国人は外国でも自分たちの街を作るとの説明があった。(Niagara で中国人が多かったのが理解できた)。

参考:「中国系は濃厚な文化を共有しているだけでなく家族主義で寄り添っている。」『アメリカ素描』より。

午後の見学

1.Metropolitan Museum 見学。1時間半の自由時間は短かすぎた。英国の大英博物館と比較しながら見物。

2.五番街で shopping してホテルまで歩いて帰る。

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Mount Vernon

メトロポリタン美術館
 
平成二十五年十二月七日

研修旅行━フェニックス

平成2年7月27日金曜日 フェニックス

▼Phoenix へ出発 6:45 N.Y.のホテル出発。

 La Gaudia Airport ~Minneapolis Minneapolis ~Phoenix

 9:08 ~11:37    待ち時間3:30    15:45 ~18:37

 アメリカは標準時間帯が4種類(Pacific, Mountain, Central, Eastern Standard Time) あることを知った。

▼Phoenix airport に到着 砂漠の中の飛行場である。梛子の樹が街路に椊えられている。熱風が吹いているように熱い。41℃であるが muggy ではない。

 Phoenix 市は人口90万人(全米10位)、Arizona 州都である。海抜 300m、山岳地帯の海抜は 2500m。

 Arizona State は 292,000 k㎡(四国を除く日本の全土に等しい)。雨が殆どなく、年間14日位の降雨。砂漠地帯。水は地下水により賄う。ユタ、コロラドから流れているコロラド川の水をカルフォルニアと争いながら利用している。

 産業は copper, cotton, 柑橘など。インディアン(NAVAJOで有名)、カウボーイで有名。英語の発音はかなり違うと、ガイドさんが説明していた。

注:ナバホ・ネイション(ナバホ語: Naabeehó Bináhásdzo, 英語 Navajo Nation)は、アメリカ合衆国アリゾナ州北東部、ユタ州南東部、ニューメキシコ州北西部に位置する、アメリカ合衆国先住民族(ネイティブ・アメリカン)の準自治領(ウィキペディア)

★私見

 N.Y.2日間の宿泊であった。

 バスによる一通りの観光で表面をさっと通っただけで何が残るだろうか? 「初めてであれば何が残るのだろうか」生徒達に聞いてみたい。

 生徒たち大過なく病人も出ないで好かった。これからは A.B.C.D. 全体が合流する。50人を4人で案内するのと 100人を7人とではは前者が楽である。生徒の絶対数が多いのは集合、指示の徹底などに疲れる。

 今回の Dayton 4日間の地方都市の生活体験などはこれからの読書、アメリカを考える上で参考になる。N.Y.City の生活が very expensive の実感が掴み掛けた。絵画をみても何となく静寂な雰囲気は体験的に想像できる。鑑賞能力が深くなる。

 humanwatching しながら彼等の新聞の種類の多いのに気付いた。

各地でそれぞれ新聞が有るようであるようである。アメリカは国土が広く。州が独立的であり、個性を尊重することなどが新聞の種類が多いのだろう。

USA TODAY は各地にあることに気付いた。Washington の女性ガイドが「この新聞は読み易くて便利である」と言っていた。

平成2年7月28日土曜日 ウィリアムス

 4:50頃、Phoenix のホテルで目が覚めた。東の空が明るくなっていて、大小の三角形の山々が続いて稜線を描いている。西は遥かに見渡せて夜のライトが点滅している。もしも建物がなければ大砂漠の中にいることが容易に想像できる。インディアンが住んでいたというがどんなところで生活していたのだろうか?

 朝が明けてくると稜線は二重になって近い山並みと遠い山並みが徐々にはっきりしてきた。それぞれの山並みに三角形の山が立ち並んでいて或いは高く或いは低くなっている。縁どりのある皿の中に立つているビルからの眺めである。私の表現力では言い尽くせない。絵画力、文章力が欲しいものである。

▼グランドキャニオン見物 8:05出発。

 バスから街路名を読んでいると、Cactus Rd.Thunderbird Rd. など砂漠地帯らしい名前を見掛けた。

 バスには下記の文句が書かれていた。

        ARROW STAGE LINES
        Very Special People Inside
        Please Drive Safely

 8:45頃、Cactus が荒地に現れ始めた。砂地に木(種類は分からないが)が青く生きているのが不思議である。どんな風景が現れるか?バスは 65~70 mile/h でつつぱしる。グランドキャニオンに近づくに従ってサボテンの種類が変化する。背の高いものから、背の低い掌の型(団扇の形のもの)に。

 砂漠の概念が少し分かる。実地に足を入れなければ分からないものである。土地の高度、湿度、温度、風、水分、土質により椊生のさまざまな変化を見た。7500 feet の高地で休憩。休憩所にはアメリカの旗と State flag が掲揚されていた。直射日光はさすが南部のため熱いが、木陰に入ると風が爽やかで涼しく、湿度は全く感じられない。

 Kaibab Forest の中をバスで通る。白樺と yellow pine が主な樹木であった。高度により bush 地帯もあった。Grand canyon villageで昼食。

 YAVAPAI PT, MATHER PT, DESERT VIEW で見物。

 グランドキャニオンの本とビールを購入。日本では観光地で何かを買うと値段が非常に高くなるが、ここでは街での値段と変わらない。こんなところにも国民性が現れ面白く感じた。

 Cameron 砂漠見物

 Indian NAVAJO が道路傍に小屋をかけて物を売っていた。

 Indian の店の前で少女と写真を撮る。

 小生:How old are you?
 少女:Four. 孫と同じ年であると思う。

 WILLIAMS Quality Inn に入る。「岡山県の蒜山高原」の感じ。真夏だが涼しい。

★私見

1.一日中観光バス旅行中(走行距離 516Km)、生徒の大部分は寝ているか、本を読むか、トランプをしている。何のための旅行か?

 外国で物を買ったりして外人と接触の体験が将来役立つのか?

2.ガイドについて

 JTB の社員2名が常時随行(末松、森さん)。空港、駅等に到着すると現地のガイドさんが待ち受けている。シカゴ:女性、ナイヤガラ:男性、ワシントン:女性、ニュヨーク:男性 JAPAN TRAVEL BUREAU INTERNATIONAL INC、フェニックス 女性

 こんな旅行で中学校の英語通訳が出る幕はない。Dayton での Welcome Party において挨拶するだけである。相手側の挨拶では現地の日本人が通訳する。私たちの米国の知識の不足をカバーする力があれば好いと思える。

平成2年7月29日日曜日 サンフランシスコへ

6:52 WILLIAMS のホテルを出発して Las Vegas(NEVADA State)までバス旅行。全行程 400Km 道路の名前と地形とを関連させながら自動車旅行を楽しむ。

Cross Mountain Road, Fort Rock Road, Willow Ranch Road, Willow Creek, Silver Spring Rd. Blake Ranch Rd.

Elevation 4000 などの標識もあった。

 WILLIAMS から Kingman まで1時間50分の間(65mile/h の速さで) 全くの無人。草原、山だけ。Kalea Huff が Arizona の driveを楽しげに話していたのを思い出した。

 Arizona と Nevada との州境で commercial vehicles stop で停車。

 Nevada に入ると全くの砂漠が続いた後、山岳に入る。禿山である。

 Hoover Dam で休憩。車外は hevy hot であった。pacific time zone の標識があった。

 Las Vegas は砂漠の中にある。四周は禿山ばかりである。11:45 到着。4時間15分の Bus trip であった。

 Airport で日本食の幕の内弁当を食べる。空港内にスロットマシンが沢山ある。さすがに遊びの街である。

 Las Vegas ~Los Angels~San Francisco へ移動。double bookingで first class に移された。16:00 過ぎ、到着。JTB の案内で San Francisco ホテルに入る。

 昨年の地震の影響があちらこちらに残っていると想像していたが全く見られないのに驚く。TVの見方を反省させられた。当時2日停電の為に baby boom になったと話していた。

 昨年の地震のときTVを見ていて、私が感心したのは画面を通して伝わってきたボランティア活動の積極性と親切さであった。

▼バス旅行 アメリカの国土の広さ、自動車社会を体験できた。

1.1回の旅行時間が長い。バスの速さが 65~70 mile/hr である。バスの構造 車内に便所、保冷庫あり。
2.道路が整備されている。ARIZONA, NEVADA の砂漠の中でも。
3.4台のバスが無線連絡している。運転手は楽しんでいる。
4.その他 バスの速度が速いので席を立つ事を注意される。細かいことまでゆきとどかないアメリカだと思っていたが道路網の整備は素晴らしいと感じた。

★私見

1.中学生の躾 朝の挨拶を殆どしない。7月30日生徒全体に話をしてからはよくするようになった。

2.外国旅行は日本の家族、国を思わせる。

3.故郷に誇りを持つのは万人共通である。グランドキャニオンへの運転手は New England 出身でその土地の美しさを自慢。Williams の hotel のアルバイト女子学生(Northern Arizona University)は minneapolis だと明るい顔で話していた。

4.アメリカ人と日本人の違いについて、自尊心、独立心の点から考ええた。

5.英語のパンフレット程度は読める力があると旅行が楽しくなる。TVの英語が hearing が出来れば尚ほ楽しい。

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フェニックス

グランドキャニオン

フェニックスへの街

インディアンの店

インディアンの子供たち
 
平成二十五年十二月九日

研修旅行━サンフランシスコ・ロスアンゼルス・帰国


研修旅行━サンフランシスコ・ロスアンゼルス━帰国

平成2年7月30日月曜日 サンフランシスコ

 サンフランシスコのホテルで目を覚ますと、前のビルの扉の前にホームレスの黒人が寝ていた。掃除人に起こされた。掃除人は二人で、ヒスパニック系の女性と黒人男性であった。女性のほうが起こしていた。黒人は何となく起こしたくない様子に見えた。この男はやおら起きて、自分の寝具を丁寧に時間を掛けてたたんでいた。30分後ビルの前の道路に座っていた。午後、ダウンタウンを歩いたところ、お金を下さいと書きものを置いて道路に座り込んでいる人をあちこちで見掛けた。

▼市内観光 サンフランシスコはGallup poll(ギャラップ世論調査)で全米一美しい街

1.CIVIC CENTER の CITY HALL の横に OPERA HOUSE がある。日米講和条約が調印されたところである。

2.GOLDEN GATE PARK 見物。アメリカ式公園である。大阪市が寄贈した日本式庭園(金門苑)がある。幾何学的配置の公園と自然の儘の状態の日本式の公園の違いを感じた。アメリカと日本の国土の違いが造園形式に影響を与えている一つの要因ではないかと思う。california black bird(烏の小形)が沢山いた。ユーカリが多かった。鉄道の枕木に使うためにオーストラリアから移椊したが弱くて使われなかった。

 サンフランシスコの特徴は fog, slope, golden bridge, fisherman's warf だそうだ。fog は california 寒流の影響で家には冷房設備は必要ないそうである。19:00 頃、街を通る人がコートを着ている者がいた。12月の初めの感じ。寒流の影響を肌で感じた。

3.TWIN PEAKS に登る。霧がかかり眺望は開けなかった。寒かった。街道に面した家にゲイ解放運動の rainbow flag があちらこちらに掲げられていた。

4.ケ*ブルカーに乗る。

5.昼食はチャイナターンで食事。

6.fisherman's warf の thirty-nine pier 見物。

7.golden gate bridge を歩いて渡る。約35分。Auto Toll $2。二人以上自動車に乗っていればただである。歩いているとき、スイスの夫婦に出会い、奥さんと話す。結婚25周年記念でアメリカに3週間滞在している。グランドキャニオンにも行くと言うことであった。彼女の英語は小生と同じくらいである。それで二人だけの旅行をしている。この位の度胸を持たなければ。

▼歴史 golden gate bridge とな付けられているのは forty niners'(1849 年の golden rush の時、サンフランシスコが基地となったからである。当時はパナマ運河 (1914年開通) がなかったので東部から南アメリカを通ってる西部に来た。

▼生徒に話す(2回目)

1.国際人とは。

2.Mac Luhan's theory を引用して、皆が余り旅行中、好奇心を示さないのは理解できるが、アメリカでしか体験出来ないことを進んで経験すること。

3.マナーについて。礼を正す、時を守る、場を清める。

 JTB の末松さんが小生の話の中で「アメリカはカレライスの国でカナダはモザイクの国である」との例え話しに感心したと言う。

参考:San Francisco の代表的な歌。

    I left my heart 
    In San Francisco
    High on a hill
    It calls to me
    To be where little cable cars
    Climb half way to the stars
    The morning fog 
    May chill the air
    I don’t care
    My love waits there
    in San Francisco
    Above the blue and windy sea
    When I come home to you 
    San Francisco
    Your golden sun 
    will shine for me

研修旅行━ロスアンゼルス

平成2年7月31日火曜日 ロスアンゼルス

 サンフラシスコからロスアンゼルスへ移動。飛行機の都合で2班に別れて出発。

 ロスアンゼルスではサンタモニカの近くのホテルの屋上の夏の太陽のもとでイタリア料理の昼食。ヨットハーバーが近くにあり、梛子の街路樹、南国風景。

 メキシコ人が多い。土地勘が少し出来たから U.S.HISTORY をもう一度読めば勉強になるだろう。

 Santa Monica Beach, Beverly Hills, Sunset Blvd. を見物。

HOLLYWOOD Blvd. の chinese theater の前でマリリンモンロー、エリザベステーラの手形・足形を見た。映画製作の HOLLYWOODの街である。

 チャップリン自伝を思い出した。Sheldon の小説でも HOLLYWOOD を舞台にしたものがあった。

 Shopping LITTLE TOKYOで。DFS(duty free store)ウエストで買い物、学生が盛んに買い物をしていた。

 フィゲロアホテルで夕食 日本からの大学生・高校生・中学生(我々グループ)で一杯である。Dinner は New York Steak であった。教員のテーブルにはウイスキーが一本プレゼントに置かれていた。日本式取扱に慣れている。

 駒沢大学附属高校の教員が挨拶に来られた。33人の生徒に教員3名と校長が引率してきていた。西海岸で2週間の英会話研修と1週間の観光の計画。

平成2年8月1日水曜日 ロスアンゼルス

ディズ二ランド見物

 ANAHIME (ドイツ人が入椊木したところ)までバスで約30分。 10:00~16:00 自由に遊ぶ。子供のときからこんな遊園地で遊んだ経験がないので本気で楽しめない。どうも遊びが下手である。哀愁が先に出てくる。孫達のことを思い出す。

 未来の国で乗り物に2回乗り、開拓の国を少し見物、全体を回る電車に乗る。昼食は公園の外の日本料理店で。牛肉の一口カツ、冷やっこ、御飯。一人$10支給(昼食に支給して自分の好きなものを食べさせることが何度かあった)。

 午後、モノレールで公園に帰り、パレードを見た後、サブマリンに乗った。

 6歳の少女がお母さんとお爺さんと来ていた。彼女に How old are you? と聞く。Six.の返事。小生に How old are you? と聞き返す。Sixty two.と答えると、彼女は、Grand Pa! How old? と聞いた。Sixty seven.と返事していた。また小生に Are you going to go to submarine?と質問した。

 遊園地では5~6歳以下の子供ずれの夫婦、お爺さんお婆さん。メキシコ、東洋系の人も沢山いた。黒人の家族は数人しか見なかった。

 Los Angels は熱いが汗はかかない。

 デンマークのチボリ公園と何処が違うのだろうかと思った。

▼生徒の集合 16:00 にゲートの外に集まるように指示したが、何人遅刻するか先生たち賭をした。全員定刻に集まるだろうか?(先生の指導力の自発的確認のため)、私は14~15人の遅刻を予想していた。賭は外れた。

平成2年8月2日木曜日~3日金曜日 帰国

 朝食後、小林先生(団長)の立案により先生と添乗員末松さんの締め括りの話し。末松(10分)、森川(2分)、北浦(4分)、国原(2分)、小生(15分)。

▼小生の話しの内容(3回目)

1.外国語の勉強:実用英語に絞って話す。シューリマンの勉強方法(外国語を話している人の中で生活する)。出来なければ次善の方法として外国語の放送を back ground mu-sic にして聞くこと。

2.エビの脱皮

 San Francisco 39 pier で蟹を食べたいと思っていたが残念でした。蟹は成長に合わせて何度も脱皮します。皆さんもアメリカ旅行で一回り大きくなりました。時間を守るようになりました。これからも脱皮して欲しい。そして行動に現して下さい。

参考 末松さんの話し。外国人はエレベータに人が乗っていると入ろうとしない。外国でも日本人であることを忘れないようにして下さい。

▼現地時間14:00 に Los Angels airport を takeoff

 帰りの飛行機もNWであった。生徒の一部と先生全員、Executive seat に乗せられた。楽で食事も良かった。

 10時間30分の飛行で大阪空港に到着。日本時間では8月3日(金)であった。教頭・宇田先生と JTB神田さんが出迎え。福山駅には校長、3年団担任、事務長、父兄、関係者の出迎え。

 簡単な解散式。添乗員に挨拶して新幹線で岡山に帰る。

 22:30! 旅は終わった!! 研修旅行に参加させていただき、お世話してくださった多くの方々のご親切に厚くお礼を述べさせていただきます

後記:

★礼状の手紙発信 8月13日(月曜日)。

 Brent and Mindy への礼状,Kalea Huffにも手紙を書いた。初めての体験である。形式を覚えれば難しいことでない。

 原さんにも礼状を発信。Kalea Huff から返信、受信。8月25日。文献を読んでいる内に材料が集まり今回の「アメリカ研修旅行」の作成に逐次引用して補強した。

参考文献

01.能登路 雅子 『ディズニーランド』(岩波新書)
02.猿谷 要 『アメリカ歴史の旅』(朝日選書)
03.加藤 秀俊 『アメリカの小さな町から』(朝日選書)
04.司馬 遼太郎 『アメリカ素描』(新潮文庫)
05.常盤新平 『ニューヨーク五番街物語』(集英社文庫)
06.アメリカの近影(日本経済新聞平成2年8月9日~)
07.NHKテレビ英語会話Ⅱ1990.10 月号「ホームレスに見る日米比較」
08.昨年の私のアメリカ旅行日記
09.ALISON RAYMOND LANIER 『VISITING THE USA』
10.ALISON RAYMOND LANIER 『Living in the U.S.A.』(日本語翻訳がある)
11.U.S.HISTORY REVIEWD TEXT(米国の教科書)
12.Ford 『Etiquette 』
13.Sidney Sheldon 『Windmills of THE Gods 』 以上
14.THE CROWN ENGLISH SERIES Ⅱ(SANSEIDO)


ゴルデン ゲート・パーク

フィシャーマン・ワーフ

ゴールデン橋を走る女子生徒

ゴールデン橋でJTB末松さんと

ディズニランド見物

ディズニランドでの先生

サンフラシスコ電車1

サンフラシスコ電車2
平成二十五年十二月十二日

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 米学生研修団、日本文化理解へ 岡山理大、吉備国大訪れ交流

 学校法人加計学園、順正学園との教育交流で招かれた米国2大学の学生研修団が28日、岡山理科大の研究施設(岡山市北区半田町)や吉備国際大岡山キャンパス(同奥田西町)を訪れ、県内の大学関係者らと交流を深めた。

 研修団は、いずれも米国オハイオ州にあるライト大、フィンドリー大の計20人。岡山理科大の施設では、海水魚と淡水魚を一緒に飼育できる「好適環境水」の研究現場を見学。同大職員からウナギやサケなどの養殖状況の説明を受けメモを取ったり、カメラに収めたりした。

 吉備国際大岡山キャンパスでは歓迎会があり、順正学園の加計美也子理事長が「今回の研修を通じ互いの文化を理解し合い、友情を育みましょう」とあいさつ。同大外国語学部の学生らと共に食事しながら歓談した。

 フィンドリー大のレイ・ステッドマンさん(23)は「日本文化を学び、米国文化との違いを理解することで一層の友好につなげたい」と話していた。

 一行は27日に来日し、7月下旬まで滞在。倉敷美観地区の見学、武道や華道の体験、ホームステイなどを通じ、日本文化への理解を深める。

山陽新聞(2016年06月28日)

平成二十八年六月三十日


岡山理科大の研究施設を見学する研修団の学生ら

研修団と吉備国際大の学生らが交流した歓迎会