伊藤文大さんと私
元クラレ社長


2017.04月4日(火):Kuraray Times 3・4 Mar. Spr.2017により、下記の記事が知らされた。

 故伊藤文大・クラレ会長のお別れの会 

 故伊藤文大氏(クラレ会長、病気のため、平成29年3月1日死去)のお別れの会 20日午前11時30分から東京都港区芝公園3の3の1の東京プリンスホテル「鳳凰の間」で。主催は伊藤正明クラレ社長。

 読んだとき、ああ彼も雲の上に去られた。

 ともかく、彼との思い出を記録する。

 私が研修所長(クラレ倉敷工場にあったが、総務労働本部研修所)だったとき、彼は大阪本社で総務・労働本部か人事本部にいた。

 業務の打ち合わせでたびたび本社に出向いていた。あるとき(昭和62年2月15日)、仕事がおわり梅田の地下街で懇親会を楽しんでいた。:当時は中村尚夫社長(昭和六十年社長に就任)であった。

 そのとき、「黒崎さん、社長と会って話して下さい」と言われた。その内容は社員の教育についての進言であった。

 私は、社長は雲の上の存在であったので、実行することはできなかった。

 教育について日頃から考えていたことを述べて進言すればよかったのではないかと、伊藤さんの訃報で彼の話しかけてくれたのを実行しなかったのが悔やまれた。

 また社内に「シニア学校」を作ろうではありませんかなどと提言していた伊藤さんだった。

 伊藤さんは、会津若松の出身で東大卒であった。朴訥な人柄で、しかも多くの社員と親しく接していた。そして親しみを感じさせる人柄であった。上司・後輩との付き合いも立派であった。こうした人だから、後に社長になり会長にまで登りつめた。度々話し合った社員の中で、たただ一人社長になられた。生前ずつと、社内報(クラレタイムス)で活躍ぶりを拝見して、心から喜んでいた私だった。

 頑健であったが激務がお体を侵したのであろう。六十九歳でのご逝去。あまりにも若くして、この世を去られた。ゆっくりと、故郷の民謡を聴きながらおやすみください。

参考:福島県出身。1971年6月東京大学経済学部卒(東大ラグビー部OB)、同4月クラレ入社。94年6月人事室労務部長、02年7月理事、03年6月執行役員、04年6月上席執行役員、06年6月常務、07年4月経営統括本部長、海外事業統括室担当、総務・人事本部担当。08年4月より社長就任

平成29(2017)年4月10日


 伊藤文大会長を悼む

 去る3月1日、伊藤文大がご病気のため、69歳で逝去されました。ご生前のご功績を偲び、こころからお祈り申し上げます。

 伊藤会長を追悼するため、4月20日(木)に都内の東京プリンスホテル鳳凰の間において「お別れの会」がしめやかに執り行われました。会場には取引先や関係先など社内外を含めて約900人の方々が参列され、供花に包まれた遺影に最後のお別れを告げました。

お別れの辞

 社長 伊藤 正明

 本年3月1日会長 故 伊藤文大さんがご逝去された。

思えば2014年の春に病気がわかってから、随分苦しく辛い時もあったと思いますが、そういう言葉を口にすることなく本当に頑張ってこられました。ただ、今年に入ってから腰が痛いとかシンドイという言葉を口にされることがあり、秘かに随分と心配をしていました。2月8日の取締役で決算案が承認されると、「アア良かった、ホッとした。これで責任は果たせた」と言われその日は帰宅、10日に1客の対応だけに出勤、14日に入院されました。

 奥様から、担当の医師が「今回は帰宅するのが難しいかもしれない」などを話されたというご連絡を頂戴し、残された時間は月単位かと覚悟していたのですが、3月1日の夜にご逝去の連絡を受けて、落胆愛惜この上なく、誠に残念でなりません。

 伊藤さんと初めてお会いしたのは、私が昭和55年にクラレに入社した際に集合教育のアドバイザーをされたときでした。社会人1年生にいろいろと心配りの利いたご指導・アドバイスをいただき、チョットと怖そうなところもあるけれど、優しい兄貴みたいな方だなという印象を持ったことを覚えています。その後は人事の担当者、課長あるいは部長として、私の会社生活のいろいろな節目で大変お世話になり、2014年秋には後継社長として推薦をいただきました。

伊藤さんは社長就任直後、平成20年秋にリーマンショックに見舞われ、未曽有の困難に直面しましたが、迅速で大胆な舵取りにより、短期間で業績を回復させました。

 また、インド、ブラジル、タイなど新興国での現地法人設立により、グローバル体制の強化に手腕を振るわれたほか、コア事業ではデュポン社にビニルアセテート関連事業や、水溶性ポバールフイルムのモノソル社の買収を成功裏に進めるなど、ビニルアセテート事業でグローバルNo.1メーカーとしての地位を確固たるものとして、「世界に存在感を示す高収益スペシャリティ化学企業」の実現の道筋をつけられました。

仕事では非常に厳しい方でしたが、社員一人一人を思いやる人情味に満ち溢れた方でありました。家族を愛し、故郷を愛し、また、お酒を愛する人でもありました。笑うと優しいお顔と、会津訛りが残る朴訥でゆっくりとした語り口を思い浮かべると、改めて有難い先輩を亡くしたと、誠に残念でなりません。

 伊藤さんがその座右の銘の通り「愚直」に進めて来られた経営理念を引き継ぎ、世のため人のため、誠心誠意、まい進し続けることが残されたわれわれに課された使命であると思います。社員を代表し、ご霊前に改めてお誓い申し上げます。

 ご冥福をお祈りします。           合掌

思い出のパネル展:「お別れの会」会場で、思い出のパネル展での一部。

1967年春・東京大学入学 お母親と   大学時代・好きなお酒に興じて   2009年地球環境大賞<文部科学大臣賞>を受賞・秋篠宮ご夫妻と

(KURARAY TIMES 5・6 May Jun.2017)による。

平成29(2017)年6月3日

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