☆20 年越しの坐禅会ー第ニ十回―令和五年


 第20回年越し坐禅会 (2023.12.31~2024.1.1)

※写真は坐禅堂:修業者のみ坐禅をしています。

 「年越し坐禅会」は、今回で20回目を迎えます。

 そして、元旦には、午前8:00から日曜坐禅会があります。

 「年越し坐禅会」は、今回で20回目を迎えます。

 そして、大晦日は、いつものように日曜坐禅会が午前8:00からありました。

 令和6年の干支は「辰(たつ)<竜>・60年ぶりの「甲辰」(きのえたつ)」で、勅題は「和(わ)」です。

 辰年は、陽の気が動いて万物が振動するので、活力旺盛になって大きく成長し、形が整う年だと言われています。

 また、たつ(竜、龍)は十二支の中で唯一空想上の生き物で、権力や隆盛の象徴であることから、出世や権力に大きく関わる年ともいわれています。

 古代中国の神話では、神獣とされているので、中国では皇帝のシンボルとなっています。

 「和」という漢字は「禾(のぎ)」と「口(くち)」を組み合わせてできた会意文字。

 意味は、静かでのんびり・やわらか・おだやか、ゆるむ、争いをやめる・打ち解けるなどがあります。

 今年が、平和で安らかな年でありますように念願致します。

 年越し坐禅会も、今年で20年を迎えました。 

 “全てを離れ、純粋に自己を見つめるとき、生かされている自分に気づき、感謝の念が、湧き上がって参ります ”。

 年越し坐禅は、坐る人を自己反省の淵に追い込みます。そして、体験的に人生の究極が“ いま・ここ ”にあるとに気づかせてくれます。

 第20回の「年越し坐禅」は、20分遅れの23時20分から、元旦の0時05分まで、曹源寺本堂で修行僧(外国男性と朝光さんの2名)のご指導で行われました。

 参加者には、23:00に連絡がありましたが、既に坐っていましたので、長時間坐ることになりました。

 本堂の中央の天井に、うす明かりが1箇所灯っていました。

 例年通り、東西に座布団が8枚ずつ3列に整然と並べられていました。

 深夜の曹源寺は、例年と異なり、4~6℃ぐらい暖かく感じられました。しかし、早朝と異なり、漆黒の闇に包まれ幻想的で神秘的でした。

 本堂での坐禅は、物音一つだにしない荘厳で凜とした雰囲気に包まれていました。参加者は、約40名でした。

 30分過ぎ頃から、鐘楼から除夜の音や参拝者の足音、修行僧たちの読経が聞こえ、年が明けたことが伝わって参りました。

 坐禅後、ご老師が大方丈の間で、茶(さ)礼(れい)をして下さいました。茶礼参加者は、25名でした。

 ご老師が、今年新しくお見えの方のみに、心境をお尋ねされました。

 ・家で一分間瞑想をしていますがん、じっくり30分坐って・・・・・。

 ・日曜坐禅は、参加していますが、全く違う空気感・雰囲気感でした。

 ・日曜は毎回参加して、自分を振りかえる気分を入れ替えていますが、年越し坐禅は、ひと味違った静けさ鐘の音が聞こえ、一年の振り返りができた。

 ・今朝、聞いて初めて参加しました。幸せな気持ちになりました。

 ・朝の坐禅は、昨年から参加していますが、8~9割が雑念で、あまり成長しない。 少しは、雑念が少なくならないか。

ご老師のお話

 ・年越し坐禅は、弟子の修行僧も、29・30・31・1/1と行っています。

 北欧山(17名)・ハンガリー・ポーランド・ドイツ・バルト三国・・・の人達も坐っています。

 こちらの時間が午後2時、むこうの時間が午前6時で時差はありますが、参禅を見ていますと分かりますが、指導を受けると、変わって参ります。

 ・ただ坐っているのもよろしいが、意識の改革「意識の革命」のある坐禅が必要です。

 その体験の指導をしています。背骨が通る人生であることが必要です。

 自分で毎日革命が起こらなければいけない。

 お釈迦様も、全てを投げ捨てて、人類救済(心のありよう)の道を歩まれた。

 ・私(ご老師)は、83歳ですが、心のない人はいないから年齢は関係ありません。

 ・日本人は、皆仏教徒で農耕民族である。

 ・仏教とは、農業でもある。家庭菜園を営めば、自分の智慧や努力などでそれに応じた収穫ができます。

 ・一神教は、破壊をもたらす。砂漠の民です。

 ・日本以外の国々の弟子達は、世界の人々の不安感や責任感を、自分たちが当事者と感じています。

 ・人生は、死ぬ迄のことではない。「生死」の身体があるから存在する、身体がないから存在しないでなく、46億年生き残っている地球、99.98%まで一度滅びたが、生き残っている私たち。

 経典が絶対でなく、私たちの心が絶対である。騙されてはいけない。

 ・人間、毎日革命、革命と難しく言わずとも、自らの在り方を求めて行く、それで存在している。毎日革命の気持ちを持っているから行動できる。自らを支えながら、目覚めのない人生はない。

 目覚めがあるから、私たちは生きている。心を磨いて、心を鍛えて生きたい。

 ・西さんは、早朝に私たち(ご老師・修行僧)と坐った後、日曜坐禅会の皆さんの座布団を敷いておられると話されました。

(速記:山下さん 記述責任:宮本)

 茶礼後、時刻は午前一時を過ぎていましたが、除夜の鐘をつかせて戴きました。

 ご老師様に、衷心より感謝申し上げます。

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