ビニロン―石から合成繊維―倉敷レイヨン


「おかやまを語る会」

 資料:講演年月日:平成21年3月3日(火)
     講 演 場所:岡山市立中央図書館
     講 演 者 : 黒 崎 昭 二

ビニロン
――石から合成繊維――

繊維いろいろ

1、皆さんが着ている上着の繊維材料は何でしょうか?
2、絹糸の美しい艶はその他繊維と何故ことなるのでしょうか?
3、木綿のバケツは何故水がもれないのでしょうか?

目 次

1:繊維の種類…………
2:繊維の太さの単位……
3:ビニロン製造法……
4:ポリビニルアルコール用途
5:エバール……

本 論

1:繊維の種類

天然繊維:綿、毛、絹、麻

再生繊維:レイヨン糸、レイヨン・ステープル

合成繊維:ポリアミド系繊維:ナイロン:6-ナイロン(アミラン)、66ナイロン

       ポリアクリルニトリル系繊維:オーロン、アクリラン

       ポリエステル系繊維:テリレン、テトロン

       ポリビニルアルコール系繊維

       ポリビニリデン系繊維

       ポリエチレン系繊維

       ポリプロピレン系繊維

       ポリウレタン系繊維

       その他 各種

2、繊維の太さの単位

1、長繊維:デニール=9,000メートルノ重さが1グラムノモノヲ1デニールトスル。
  数字が大きくなると太いものとナル。
2、綿糸:1ポンドあたりの長さ840ヤード(768m)のものを1番手。数字が大きくなると、細い糸になる。100番手になると高級品である。

3:ビニロン製造法

 [アセチレンと酢酸とで合成]→ 酢酸ビニール→[重合]→ポリ酢酸ビニール→ [鹸化]→ [分離]→ポリビニルアルコル→ [熔解 ][濾過][紡糸][延伸][熱処理][アセタール化][水洗][乾燥]→トウ 

2、ステープル製造法

 [延伸]までは上記方法と同じ。[切断]→[熱処理・捲縮]→[アセタール化][水洗][乾燥]→ステープル

参考:石灰石からアセチレンを得るには

 カーバイドは炭化カルシュム(別名カルシウムカーバイド 、化学式 CaC? で表される化合物)を主成分とする固体である。自然界に多く産する炭酸カルシウムCaCO3を強熱して熱分解させて酸化カルシウムCaO にコークス(主成分は炭素)を混ぜて、約2,000℃の高温で強熱すると、カーバイドが得られる。

 カーバイドと水を反応させるとアセチレンと水酸化カルシウムを生じる。

 CaC2+H2O→C2H2+Ca(OH)2

 アセチレンは燃料や有機化合物合成に用いられる。

4、ポリビニルアルコール用途

1、繊維:学生服、漁網、ロープ、中空繊維(まかろに状)として水の浄化、その他不純物の除去。FRC(Fiber Reinforced Concrete) として。石綿の規制が厳しくなっている。偏向フイルムへの応用。

2、市販用ポバール樹脂の生産開始。1958年、富山工場で生産開始。繊維用の糊剤・加工剤向け。

3、ビニロンフィラメント・ポバールフィルムの生産。

 1960年、岡山工場にビニロンフィラメント専用のプラント(日産3.2トン)を建設。各種産業用資材分野の用途拡大への対応を目的とした。

4、1961年、倉敷工場でポバールをフィルム化したポバールフィルムの設備能力を拡張し、本格的な生産を開始した。繊維製品包装材として評価が高まり、大幅な需要増が見込まれたためである。

5:エバール

  1950年~1953年, 朝鮮戦争による特需景気. 1955年~1957年 ... 神武景気の1956年度の経済白書では、 『もはや 「 戦後 」 ではない』 という言葉が使われた。

 スーパーマーケットの普及が急速に進んだ。おれに伴い、ポリエチレンや塩化ビニ―ル樹脂といったプラスティツク素材が脚光を浴びる一方、軽量で長期保存可能な食品包材に対するニーズが高まりつつあった。1957年、「(ポバールの原料である)酢酸ビニールからプラスティックへの誘導」という研究テーマに本格的に着手する。

 ポバールの改質によるプラスティック化には、まずその最大特徴である親水性低減する必要があった。あらゆるモノマーを共重合の相手に選んでデータ解析を繰返したところ、エチレンを共重合して親水性を抑制した結果、ポバールでは不可能だった通常の湿度下で高いガスバリアー性を維持することができた。この共重合物を後に「エバール」と命名した。

 高度なガスバリアー性に加え、可塑剤や安定剤の添加物を含まない安全性が高く、環境にもやさしいことが評価されたのである。

 「エバール」は、ポリエチレンやポリプロピレンなどの複合によって、かつお削りぶし、味噌など保存食品の包装用フィルムとしてまたマヨネーズ、ケチャップ、醤油、ソース、食用油などの食品や薬品の容器として、急速に販路を広げていった。さらに、中空糸を用いた人工腎臓の開発に成功するなど「エバール」はメディカル用途への道を拓いた。

参 考

Ⅰ、クラレの歴史

 明治以来、繊維工業は日本における産業近代化の先導役として、綿紡績を中心に急速な発展を遂げ、特に第一次世界大戦(1914~18年)は綿紡績業を飛躍的に拡大させた。

 しかし、大戦の終結とともに世界的な恐慌が発生し、紡績各社は深刻な不況に陥ることになる。倉敷の地方資本を結集して、1883年3月に設立された先進的紡績企業・倉敷紡績株式会社も、そのひとつであった。

 1922年:倉敷紡績(株)社長、多角経営に関する調査指示

 1925年:レーヨン事業の兼営を計画。レーヨン製造技術研究のため京大研究所の設立を決定。開設

 1926年:倉敷紡績、倉敷絹織(株)を倉敷酒津に設立決定

 1928年:倉敷工場完成

 1933年:新居浜

 1936年:愛媛県西条

 1937年:岡山に相次いで新工場を完成

 1939年:社長に大原總一郎、相談役に大原孫三郎それぞれ就任。

 1940年:岡山に研究所を開設し、日本初の純国産合成繊維・ビニロンの研究を本格化させた

 1948年:倉敷工場の一貫製造試験設備が運転を開始。

2、富山工場でポバールの操業を開始:1950年10月から。日産5トン(年1.825トン)原料であるカーバイドが豊富で低廉に得られる富山地方が最適と判断された。カーバイドは炭化カルシウムからアセチレンを作る。岡山工場で同年11月ビニロンステープル操業開始。

3、天然ガス法によるポバール生産を開始。

4、1967年:独バイエル社とエチレンを原料とする酢酸ビニール製造技術導入契約締結。岡山工場でエチレン法による酢酸ビニール生産開始。(日産25t)。

5、ビニロン繊維増強峰設備の竣工・稼働について 山工場で同年11月ビニロンステープル操業開始。

 岡山工場で同年11月ビニロンステープル操業開始。

 2008年12月5日

 ビニロン増設竣工式

 当社は、総額20億円を投じ、ポリビニルアルコール繊維・ビニロンの現行生産設備の能力増強工事(5,000 トン/年)を、岡山事業所(岡山県岡山市)で実施していましたが、昨年12月4日に竣工式をおこない、稼働を開始しました。この増設によりビニロンの年産能力は35,000トンから40,000トンになりました。

Ⅱ、倉敷絹織(株)ビニロンプラントの研究を開始

 わが社が合成繊維に関する一般的基礎調査を開始したのは、昭和10年の10月であった。その後13年に至ってカーバイドを原料とするビニール系合成繊維を中心とする一連の研究に着手したが、その着手は同年の4月であった。同じ年の7月、鐘紡もまたビニール系合成繊維の研究に着手した。

 これらの研究は京都大学において、喜多、桜田両教授の指導のもとに李、川上氏等によって進められ、14年10月ポリビニールアルコール繊維の湿式紡糸に関する研究が発表され、この繊維に「合成1号」の名称が与えられた。この研究が実るまでには、わが社の友成博士は終始外部から協力激励して、ポリビニールアルコール繊維の研究完成に対する推進力となった。同年12月、鐘紡も矢沢博士のもとで同様の繊維の製造方法を公にし、翌年1月に「カネビアン」と命名した。

 わが社は、14年12月より、合成1号の一貫的製造技術確立のための研究を開始し、翌15年10月には岡山工場内中央研究所にポリビニールアルコールおよび繊維の日産10キロの中間試験設備を設置して研究の推進を計った。

 また、日本合成繊維研究協会も高槻試験場に合成1号日産50キロの中間試験設備を建設して工業化試験に着手したが、これは当時、工業化に最も進んだ技術者が、主として設計にあたった。

 当時は戦争の初期に当り、繊維原料の自給が強く要望されて、強力な推進体制が期待される空気もあっyたが、戦争の進行にしたがって、いっさいの繊維の研究は、技術。資金のあらゆる面での極度の制約をうけるに至った。

 わが社の研究は岡山の研究所内で基礎技術に関するを研究を終了し、昭和17年10月には、日産200キロの工業化試験工場の建設に着手するまでになった。この設備は翌18年12月に完成を見たが、当時は繊維工業に対して軍需産業への徴用などによって技能者が得難く、また技術も低下していたので不測の災害を招くという結果となった。すなわち20年1月、アチレンタンクに溶接の火が入って大爆発が起り、工員3名が即死し、友成研究所長は研究所の椅子にかけて執務中であったが、爆風に押し倒され負傷するという惨事を招いた。当時のことであったので、憲兵隊からはスパイによる戦力破壊工作でないかとの疑いをうけ、小南課長が取調をうけたりなどするという事件ともなった。

 これによって研究は挫折し、その後再び再建に着手したが、繊維の研究はもはや休止のやむなきに至り、ポリビニールアルコールのみ航空用塗料などとして、ある程度の生産を続けるという結果となった。これは昭和19年3月、日本合成繊維研究協会が「高分子協会」と名称を変更して合成物一般の研究に目標を移したことに現れているように、当時においては繊維工業はもはや問題とされる段階にはなかった。そして4月、ポリビニールアルコールは同協会により「ポバール」と命名された。

 このような最小限の研究も、昭和20年6月、岡山市を襲った空襲によって試験工場が全焼するとともに中止のやむなきに至り、その後2ヵ月にして終戦を迎えた。(以下略)

(連絡月報、昭和36.6月号)

*大原總一郎「資料編」より。P.22


★ビニロン企業化を決意 昭和24年1月18日「ビニロン工業化の思い出」(講演)より

(前略)

 やがてポバールおよびビニロンのパイロットプラントが動き始めましてから約半年以上たちまして昭和24年になりましたが、この昭和24年もいぜんとしてもインフレは進行しておりまして、繊維製品はもとより食料も不足であり、物価は月とともに上っていくという状態でありました。(中略)

 そういう時に試運転を始めまして、ビニロン工場は漸次安定の条件を発見するような階段に向かっておりました。製品も試作品ができて、それが織物に織られ靴下に編まれたりして、物量段階にはいっておりました。

 24年の1月に父の命日に郷里に帰っておりました私は、風邪をひいて寝込みましたが、もうそろそろ工業化の決心をすべきであろうと考えたのは、そのころのことでありました。私の父は昭和18年、ちょうど岡山工場の例の爆発事件を起した試験設備が完成した年に亡くなったのでありますが、風邪寝の病床で考えておりまして、おやじが死ぬ前に、こういっておった。まあ、いろんなことを言っておったのでありますが、それらの中で、役に立つと思いますことをお話しますと、人間というものは経験ということが非常にたいせつだということを人はいうけれど経験にもいろいろあると、一ぺんやったことを何回でもくり返してやるといういうのは動物でもなんでもやる経験であって、人間らしい経験ということはいえないのだと、ほんとうに経験のある人間というのは、いままでやったことのないことをやって失敗するというのがほんとうの人間の経験であって、いままでやったことをもう一ぺんまちがってやるというようなことはだれでもやることで、経験のある人間ということはいえないのだといっている。それからまた10人の人間がいて、その中の5人が賛成するようなことをいったらたいていのことは手おくれだと、7、8人もいいようなことをいったらもうやらないほうがいいのだと、せいぜい10人のうち、2、3人ぐらいがいいということをいった時に仕事をやるべきだと、1人もいいといわない時にやるとそれも危ないと、(笑声)2、3人ぐらいはいいとというのを待てばよかったのに、その前にやったから失敗したということをいっておった。ずいぶん死ぬ前に自信のあることをいっておった……ということを思い出したのであります。

 余談でありますが、父は大原社会問題研究所というものをつくりました。資本主義に対して批判的な東京大学の宇野弘蔵氏などもこの一人でありました。そのような反資本主義的な研究所をつくって日本の資本主義に対して反逆的なことをしているとずいぶん非難されました。おそらくそういうことを死ぬ前に思い出しておつたんだろうと思いますが、まあそういったようなことを私も思い出しまして、いといよ病気が治ったら、これをやる決心をしようかと思って、少しよくなってから研究所の人たちにうちへきてもらい、いよいよ工業化したいと思うのだが、そいうことを決心していいような技術的段階にきたかどうかということをたずねてみましたら非常に自信のあるような返事でありました。その自信が果たしてほうとうの自信であったかどうか、いまはわからないのですが、私は自信が仮にないといっても、やろうと思っておったわけで、いよいよ工業化ということを決心いたしました。そのほうに会社を挙げてまい進するという方針を決定いたしました。(後略)

(昭和36.12,東北大学における講演より「化学工業」昭和44.11月」号)

*大原總一郎「資料編」より。P.40

参考:宇野弘蔵、岡山県倉敷市に生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1921年東京帝国大学経済学部卒業。1954年経済学博士(東京大学)。

 1921年大原社会問題研究所入所。ドイツ留学を経て、1924年東北帝国大学法文学部経済学第三講座(経済政策論)助教授、同大学在職中の1938年に人民戦線事件に連座し逮捕されるも、後に無罪となる。1941年東北帝国大を辞職し、財団法人日本貿易振興協会(現・独立行政法人日本貿易振興機構)日本貿易研究所入所。1944年三菱経済研究所入所。この間1946年に東北帝国大学講師を務めた。

 1947年東京帝国大学社会科学研究所教授、1949年同所長、1958年東京大学を定年退官し、法政大学社会学部教授に就任、1968年まで務めた。

1954年12月、「恐慌論」により東京大学から経済学博士の学位を授与される。

 1977年、肺炎により神奈川県藤沢市鵠沼の自宅で死去。

 以上二つの資料は、昭和25年倉敷レイヨン株式会社(株)に入社、ビニロン生産工場に配属された私には、会社の研究経過、社長の決断をしることことを後輩に伝え残したものだと思います。


Ⅲ、ビニロン用途・ビニロン事業

 ビニロンはポリビニルアルコール(ポバ―ル)を原料とする日本における合成繊維の第1号で、クラレは1950年に岡山工場(現岡山事業所)にて生産を開始しました。

 用途は、学生服などの衣料、漁網・ロープ・寒冷紗などの農水産資材からスタートし、高強度・高弾性・低震度・耐アルカリ性などの素材特長を生かして、FRC(セメント補強繊維)、紙、不織布、ゴム資材などへと用途を拡大させています。

 さらに世界的なアスベスト規制の大きな動きの中で、住宅屋根材・建材用などのFRC用途が着実に拡大しています。これまどの西欧・日本などの既存市場に加え、東欧・アジア・中南米などの新興国への市場拡大が見込まれています。この旺盛な需要に対応しています。

★クラレ研究所大森昭夫君たちが「クラロンK-II」を開発。

特筆:1999年:「クラロンK-Ⅱ」 新規PVA系繊維の開発と工業化(繊維学会技術賞)

*説明:1995年賀状は大森君が開発に取り組んでいた時のものである


Ⅳ、画期的だった中国へのプラント輸出

 クラレは1963年6月、中国との間でポバールおよびビニロン・プラント輸出契約を締結した。これは、58年に中国訪日化学工業考察団が岡山・富山両工場を訪れ、プラント輸出交渉を申し入れたことを受けたものであった。

 国交回復前の日中間にあって、中国へのプラント輸出は極めて異例のケースと言えたが、その背景には、大原總一郎社長の中国に対する”戦争の贖罪”という意識があった。「繊維に不足している中国人大衆にとって、いささかでも生活の糧となり、戦争により荒廃と悲惨をもたらした過去の日本人のために、何程かの償いにでもなれば」という使命感に裏打ちされたこの事実は、内外に大きな関心を呼んだ。


Ⅴ、日中平和友好条約

 1972年に締結されたこの『日本国と中華民国との間の平和友好条約(日中平和友好条約』は、同じ年に宣言された『日本国政府と中華民協和国政府の間の共同声明(日中共同声明)』を基礎としています。

 日中共同声明では、大きく次の事が宣言されました。

・日中戦争にて中国に重大な損害を与えた事の、深い反省

・中華人民共和国が中国唯一の合法政府である

・台湾は中国の一部である

・中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する

・「平和五原則」及び国連憲章に基いた、平和的関係を築く

 日中平和条約は、上記の内容を確認し、経済及び文化交流を促進する事を宣言しています。

 この日中共同声明の宣言と共に台湾と結んでいた『日本国と中華民国との間の平和条約(日華平和条約)』は失効します。

参考:米中の日本頭越し外交:1971年のキッシンジャー訪中、72年のニクソン訪中は日本の頭越しに行われ、日本政府を大いに慌てさせた。日本外交の遅れを取り戻すため、田中内閣も日中国交回復を急ぐこととなった。1972年、田中角栄首相が訪中、中華人民共和国首脳の毛沢東・周恩来などと会談し、日中国交正常化に合意し、日中共同声明を発表した。日本側は過去の戦争責任を痛感、反省することを表明。日中平和友好条約の締結をめざすこととなった。これによって日本は中華人民共和国を中国唯一の政権と認めたので、台湾とは断交することとなり、1952年に締結されていた日華平和条約は無効となった。

 日中共同声明で日中間の平和条約締結交渉に着手することとなったが、当時ソ連と鋭く対立していた中国側との「覇権条項」に関する意見の相違から手間取ることとなり、ようやく1978年に日中平和友好条約が締結される。


Ⅵ、昭和25年当時の岡山市海岸通り1丁目の様子

 田園地帯。工場は空襲(1945.6.29)のあとで荒地になっていた。

 通称:人絹道路(ガタガタ道路、岡山電気軌道のバスの本数が少ない。水道の配管(岡山市の最北端に近い三野から最南端の福島へ)。


Ⅶ、私の中学校時代の服装の繊維

1、制服・制帽はレイヨンステープル:5年間使用。

2、巻き脚絆はレイヨンステープル

3、カバンは綿製品


参考文献

1:『化学繊維工業論』 大原總一郎 東京大学出版會 昭和36年3月30日発行

2:『大原總一郎年譜』 「資料編」 発行:株式会社クラレ 昭和55年7月27日発行 3:『大原孫三郎伝』大原孫三郎傳刊行会 中央公論事業出版 昭和58年12月10日発行 非売品 

4:創刊 クラレ80年の軌跡 発行:株式会社クラレ 2006年6月24日発行

5:『第三の繊維』 桜田一郎 高分子化学刊行会 昭和30年10月30日

6:『合成繊維』 ローランド ヒル 小方芳郎 井上正一訳 丸善株式会社 昭和32年12月10日

7:『繊維物理学』繊維学会編 丸善株式会社 昭和37年11月30日

8:『合成樹脂の化学』 三羽忠弘 技報堂 昭和34年12月10日

2018.12.28(平成30年12月28日)

Please、Click Back to Top Page

Please、Click Back to Home Page