和歌山城と紀三寺方面旅行




 旅行記といっても85歳の夫の姉との老人のたびでしたので宿で2泊しておいしいものを頂いてゆっくりするのが目的でしたので、あまり観光をしていません。

 新大阪から特急くろしお号にて和歌山迄行き和歌山城にのぼりました。
 お庭はさすがに見ごたえがありましたが、天守閣は20年の大空襲で焼け33年に再建されたようです。

 加太線で休暇村まで行き宿泊

 2日目は紀三井寺にお参りしました。126だんの階段を3人供がんばってのぼりました。

 此処は、標準木があるくらいですので桜のころは見事なものですが、当日はもみじに少し早くさびしかったですが西国観音霊場ですのでお参りの人がひっきりなしで賑わっていました。

 再度特急に乗って紀州南部まで行き紀州ロイヤルホテルに投宿。

 3日目は雨模様でしたので、一路我が家を目指して帰宅。

※旅行された真水さん記。

▼史跡 和歌山城

 天正13年(1585)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が紀州を平定し、弟の秀永(ひでなが)に命じて岡山「虎伏山(とらふせやま)」の峰に創建したのが和歌山城。

 藤堂高虎らが普請奉行を勤め、高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭といえる。

▼紀三井寺(きみいでら:西国観音霊場第二番札所 救世観音宗総本山)

 ふるさとを はるばるここ紀三井寺 花の都も近くなるならん

 の詠歌は、私のふるさとで、母がよく仏前でお唱えした御詠歌、子供の頃からこの歌だけは暗記していた。それだけになつかしい門であり、石段であり、大きな御本堂であることよ。

 花山法皇がここに詣でられたのは二十代のお若い時、この歌をつくられた。

 この寺の縁起は千二百年前、光仁天皇の御代、唐の僧為光上人によって開かれた。上人は唐の王子で、観世音菩薩の御光をもって、日本の衆生のもろもろの苦しみを救うために、この景勝の地にはるばる来て、高さ六尺の十一面観音(現在国宝)を一刀三礼して自ら刻みまつられたことから始まっている。

(大山澄太『観音経の話と西国巡礼』より)

参考:花山天皇(かざんてんのう):安和元年10月26日(968年11月29日) - 寛弘5年2月8日(1008年3月17日)、在位:永観2年10月10日(984年11月5日) - 寛和2年6月23日(986年8月1日))は、日本(平安時代中期)の第65代天皇。諱は師貞(もろさだ)。花山院や花山法皇とも呼ばれる。

※黒崎記

2014.11.16 

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JR和歌山駅

和歌山城解説(1)

和歌山城大手門

和歌山城解説(2)

石 垣(1)

石 垣(2)

石 垣(3)

石 垣(4)

大 楠
伏せ虎
忍 者(1)

忍 者(2)

お 城

天守閣

お城入口

天守閣より廓、回廊、二の丸御殿

紀ノ川

西の丸庭園(1)

西の丸庭園(2)

加太線 加太駅

友が島

ホテル 休暇村加太

三井寺 西国33観音霊場2番札所


本堂 江戸時代

本 堂

標本木

鐘楼 桃山時代

本 堂

特急くろしお

南部駅"

ホテル全景

紀州南部ロイヤルホテル スイトルーム

夕 日

夕 陽

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