☆武 士 道
ー武士道ー
衣食足りて礼節乱る━最近の社会情勢━ 私どもが教えられていたのは以下のようなものでした。<衣食足りて礼節を知る(いしょくたりてれいせつをしる意味)生活に余裕ができて初めて礼儀や節度をわきまえられるようになる。> 出典:管子 <原文> 倉廩米蔵がいっぱいになると人ははじめて礼儀道徳に関心を持って、わきまえるようになるし、衣食が十分に足りて生活が安定すれば、めい誉とか恥辱というものをわきまえ重んずるようになる。:インターネットより引用。 現状の社会ではどうでしょうか? この原典にたいして、はなはだ疑問に思える点を感じます。 必ずしもすべての人が感じているとは限りませんが。<格差の解消>などが社会問題になっています。また、社会の指導者と言われる人たちのテレビで頭を下げて謝る姿は見ておれません。人に知られなければ、法は無視され、夫婦間・親子の問題、学校での諸問題、会社での雇用にしても以前は考えられない、いや耳を疑い、耳を洗いたい気持ちにされる事件の続発はここに述べる必要はないくらいですご承知のことです。 衣食がある程度(どの程度かと聞かれると返事に困る)まで足りるようになると礼節道徳もわきまえるようになるが、その程度を超えて飽食の状態(日本国中とは思いませんが)になると、ますます経済的な面に目が向き、礼節はどこかにやってしまい、なりふりかまわず自分たちの利益追求に走っている。 ▼ある学校に勤めている親しくしていただいている先生からのお話で、その学校で英語を教えているアメリカからの娘さんのお母さんが来日されたそうです。そのお母さんは<日本の武士道に関連したことを知りたい>と言われているそうです
外国からの日本人の見方は違いがあると思います。先生は<葉隠>の精神を思われたそうです。
私も調べることにしました。 ★文献:JAPAN The Story of a Nation revised editor EDWIN O.REISAER
The early Tokugawa not only borrowed the antiquated social theories of early Confucianism(儒教; they encouraged the study the whole Confucian philosophy, in the hope that it would be a stabilizing factor in the intellectual life of the land. Confucianism, with its emphasis on proper relationship between the ruler and the ruled, seemed admirably fitted to be a state philosophy that would foster a deep sense of loyalty to the regime. It had also served for a millennium;1000年(間)、as the underlying philosophy of an essentially bureaucratic state in China, and therefore was not ill suited to the type of bureaucratic political system Japan was developing.
★参考:『日本歴史大系 2 中世』(山川出版社) 武士の主従倫理 武家社会が成立し発展する中で、武士は公家とは異なる倫理を生み出すようになった。ここで武士の倫理思想について触れておきたい。中世の武士は、みずからの倫理・道徳を<兵習><弓馬の道>というような言葉で現した。武士行動の規範とされるものは、合戦の場で自覚され、武芸の修練と結びつけて考えられる実践的なものであった。中世を通じて、武家社会が複雑な構造をもつようになるにつれて、倫理思想の面でも徐々に抽象化が進み、合戦の方法も変化すると、中世の末には<士道>という言葉が用いられるようになった。そして近世社会が確立する中で、武家社会の倫理は<武士道>という言葉で現されるようになった。武士の倫理の中で<忠>が重んぜられ、近世社会の秩序を支える思想として、煩瑣な教学が生み出された。そしてさらに近代国家が形成される過程で、国民の天皇への<忠>がきわめて重要な倫理として説かれ、武士の倫理が説かれたかについては、後の第四巻で述べられるであろう。 昭和の前半に活動した代表的な倫理学者・日本思想史研究者の和辻哲郎は、その著『日本倫理思想史』の中で、武士の倫理の根本は献身の道徳であり、主従の関係によく現れていると説いた。他方、武家社会を封建社会として捉えようとする研究が歴史学の中で進められていたが、日本思相史研究者の家永三郎は、武家社会の主従関係の基本は御恩と奉公の関係であり、それは双務的な契約によって成り立つものであると主張し、和辻説における武士の倫理の美化・抽象化は、天皇への忠誠の道徳と重ね合わせた一方的な見方であると批判した。(以下略)。日本の倫理学者・歴史学者の中でも様々な解釈がされています。 参考3、武士道について簡単に歴史的な形成、思想について述べた。 ▼現代に生きる私どもは<武士道>についての考え方はと自問自答しますと、どのようにいかされているか? 戦後の復興期、終身雇用が基本であったときは、従業員たちは会社への献身が行われていたように思われます。 J・アベグレンは『日本の経営』(ダイアモンド社)昭和三十三年十月七日 初版発行を著わしている。その中で決定的な相違点――終身関係を取り上げている。 日本とアメリカにおける工場の社会的組織を比較してみるとき、一つの相違点がただちに注目されてくる。その相違点は一環して、両制度の間の全体の相違の大部分を支配し、これを浮彫りするものである。どのような水準にある日本ある日本の工場組織でも、労務者は入社にさいして、彼が働ける残りの生涯を会社に委託する。会社は、最悪の窮地においこまれた場合を除いて、一時的にせよ、彼を解雇することをしない。彼は、どこか他の会社を離れることをしない。彼は人々が家族、友愛組織、その他アメリカにおける親睦団体の構成員である場合に似た仕方で、会社の一構成員となるのである。と述べている。P.17 まさに、当時は武士を会社員に置き換えた状態であったといえるのではないか。経営者と従業員との関係。 昭和の前半に活動した代表的な倫理学者・日本思想史研究者の和辻哲郎は、その著『日本倫理思想史』の中で、武士の倫理の根本は献身の道徳であり、主従の関係によく現れていると説いた。 他方、武家社会を封建社会として捉えようとする研究が歴史学の中で進められていたが、日本思相史研究者の家永三郎は、武家社会の主従関係の基本は御恩と奉公の関係であり、それは双務的な契約によって成り立つものであると主張し、和辻説における武士の倫理の美化・抽象化は、天皇への忠誠の道徳と重ね合わせた一方的な見方であると批判した。(以下略)。日本の倫理学者・歴史学者の中でも様々な解釈がされています 一口に武士といっても、農業経営的基準をもっていた鎌倉時代の武士から、都市の消費者となりおわった江戸時代の武士にいたるまで、いくつもの段階があり、その性格も大きく変っている。したがって武士の道徳も、時代により必ずしも一様ではなかった。ひろく使われている<武士道>というなは、江戸時代になってからできたことばである。明治以後の倫理学者が普遍的道徳であるかのように美化し、欧米諸国にも喧伝された<武士道>と呼ばれるものは、江戸時代に成立した観念的イデオロギーであって、封建社会成長期の武士の道徳の実体は、そういうものからはちょっと想像のつかない性格のものであったことを知っておく必要がある。家永三郎著『日本文化史』第二版(岩波新書)P.117より。 ★葉隠:山本常朝 ★新渡戸:新渡戸稲造 |