研修を終えた人たちとの交流
改 訂 版 2022.12.16.改訂


 クラレ退職後、研修を終えた人たちとの交流のために〔自学自得ハガキ通信〕をはじめた。その経緯について記録した。

岸城読書会二〇〇回記念文集に寄稿した文章と関連して書く。

人々光々(にんにんこうこう)
岸城読書会二〇〇回記念文集


 寺田一清氏(1927~2021)が主宰の読書会(岸城読書会)が森信三先生の名著『修身教授録』を会のテキストとして回を重ねて平成十五年七月、二〇〇回を迎えた。そのとき会員だけに限らず、全国各地の道縁につながる方々に呼びかけ記念の文集を思いたち計画をすすめ完結発行されたものです。

文集の正式な書名は「『修身教授録』に学ぶもの・人々光々(にんにんこうこう)・岸城読書会 二〇〇回記念文集」。
巻頭にはご高名の小島直記先生の序が述べられている。

             

‫小 島 直 記             

 かねて敬愛する寺田一清氏主宰の読書会が本年七月、二〇〇回を迎えると承りました。

 実は私も『輪読会』と称する読書会を始めてから、ちょうど十二年目を迎えております。

 これは毎月一回ですから、今のところ一四四回で、岸城読書会にはまず回数に於て及びませんし、内容的にも浅学菲才、とても及びがつかぬことをよく承知致しておりますが、似たような体験から、そのことを心からご同慶に存ずるものです。

 岸城読書会は、森信三先生の不朽の名著『修身教授録』をテキストにされ、何べんも繰り返し読みつづけてこられたそうで、そのお方たちのみならず、全国に及ぶ二〇〇〇名から感想文を募られ、その文集は、

「『修身教授録』に学ぶもの」・『人々光々』

というタイトルのもとに公刊されるとのことで、私はそのなかの七十七篇を読ませて頂く光栄に浴しました

 すべての文章が実に真摯で、感動的で、全体を通じて森先生の珠玉のような箴言をそれぞれに選ばれ、「出会いのありがたさ」を伝えたいという悲願に貫かれていることに打たれ、感動致しました。それが日常生活の慌ただしさのうちに、いつの間にか忘れた形になっていることも発見しました。

 森先生の、厳しくも温かい言葉は、今日の現代人が忘れている心のふるさとということを思い出させ、そこに導いてくれ、その無限の霊水を心ゆくまで堪能させて下さるように思われます。ありがたいことです。

 しかも承れば、この岸城読書会は多年、寺田さんを支える人として金谷卓治氏の存在も大いに見逃せないお方のようで、全て物事はお二人をはじめ所縁の恩恵により成り立っていることを思ってひとしお感慨にふけるものです。

 二三六名の多くの寄稿された方々のなかの一人として黒崎もくわえさせて頂きましたのでその内容を披瀝する。同書 P.70

 何としても教育とは、結局人間をうえることであり、この現実の大野に、一人びとりの人間をうえ込んでいく大行なのである。 (『修身教授録』第18講 P.126)

 『修身教授録』の昭和十二年の講義の中で「人をうえる道」を読んだとき、これこそ教育の真髄だと思った。
 森信三先生は、学校教育後の方法について、真の人間を植えるには、有為の少年を選んで、これに正しい読書の道を教え、それによって各々の職分において、一道を開くだけの信念を与えなければならぬ。さらに有志の青年たちの読書会を設けることでしょうと提唱されています。

 学校に限らず、企業においても人をうえることは最大の課題である。教育を受ける者はもちろん勉学しなければならないが、同時に教える側にはさらなる修業が求められるものだと思います。

ふりかえりますと、私が勤めていた会社で昭和五十八年末、社員教育を目的とした研修所が再開され、中堅社員約五十名が選抜され、その担当に任命されました。第一期生の入所式にあたり、彼等の生涯の指針となることを念願して「自学自得無息」を基本理念として選びました。

 森先生の教えを少しでも実行しようと、月に一度の「自学自得ハガキ通信」で研修生、実践人、知人たちと交流を重ねております。

   黒 崎 昭 二

      (『自学自得』誌発行)


◆◆◆自学自得ハガキ通信◆◆◆

まえがき

 昭和六十二年(一九八七年)十二月一日からはじめました。その一号に次のように動機を述べています。 

 ㈱クラレ研修所において研修生の行動の指針は〔自学自得〕でありました。第一線のリーダとしての管理技術習得に励みましたが何よりも大事なのは自分で学び自分で体得する心構えを身に付けられたことであったと信じます。研修所でお互いに心の扉を開きともに学び共に育ったのはいつまでも忘れることの出来ないことです。研修所に在任当時、通信教育の期間中、皆さんにハガキを書きました。終業してからもできれば切磋琢磨したいものだと。そのためには定期的に通信、その名称として「自学自得ハガキ通信」といたしました。

 昭和六十二年の四月より高校に勤めるようになり、仕事に取り組んできました。漸く慣れてきたので、年が改まって念願の通信をとおもっていましたが即実行することにしました。退社してからも多くの研修所修業生の方々から折々のお便りを戴いてきましたのもハガキ通信を早める力になりました。この企画の原動力になっているのは森 信三先生の教えの賜物です。

 幸いにもこの夏ワープロの練習を始め、秋、東芝ルポ90Fを購入したので活用することにしました。可能な限り毎月一回は発信したいと願っています。

 「ハガキ通信」の経緯については、契縁録(三)平成四年五月発行(契縁録刊行会)に寄稿いたしましものを転載いたします。一部加筆しました。P.221

 森信三先生との出会いは雑誌の記事でした。「九十九才の哲人、森信三氏に聞く」(『致知』昭和60年11月号)のインタビューです。立腰、ハガキ道などに魅了されました。先生についてさらに知りたいとの思いにかられ図書館をめぐり、倉敷市立図書館で『森信三全集』(続編第一巻~第八巻)、『不尽叢書』をさがしあて誌上再会しました。当時、私は株式会社クラレの研修所で第一線リーダーの育成を目的とした研修を担当、主体性を高める具体策を模索していました。早速、『不尽叢書』を注文したところ、同年十二月、倉敷で、寺田一清様が講演の機会に私の勤務先にお立寄り下さいました。森先生をはじめご道縁の方々のお話をうかがい、先生に傾倒する端緒となりました。

 昭和六十一年二月四日 寺田様のご案内で、立花の実践人の家を訪問後、辻光文様(初対面)と同道して神戸市灘区の自宅を訪ねました。はじめてお目にかかり、心底を見透されるするどい厳しさと慈愛のこもる清話に心の共鳴するのをおぼえました。立志の日にふさわしく、ご著書を心読して、ご提唱の立腰、小自伝の作成、ハガキ道の実践を念じました。八月には、兵庫県三田市での実践人夏季研修会に初参加しました。先生は車椅子でした。終世の師とされている皆様の敬慕の情、会場にみなぎる参加者の情熱と静謐な充実感に身も心もつつまれ、先生のご講演、参加者の実践報告を拝聴しまし。

 (一)「立腰教育」の実践として企業内社員研修において立腰の紹介、実践、さらに静座による筆写などをしました。状況は『実践人三五七号』に寄稿しました。

 (二)報恩録としての「自 伝」作成については、研修生の課題の一つに「自分史」を作成させました。同時に私も始めましたが、在職中は仕上げることが出来ず、約四年後、書き上げました。昭和六十二年十二月より「ハガキ通信」を始め、指導した研修生を対象に始め、その後、先輩・知人・実践人の一部の方に差し上げています。通信文が『実践人』に紹介され実践人会員の方々との交流を深めています。

平成八年 月

              黒崎 昭二

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