研修生活が教えたもの


 K.S.君が原稿用紙に書き残したもの

 妻と子供たちの見送りをうけて、N駅を後にしたのが、研修生活の始まりでであった。早いもので、一年が過ぎた。家庭または、職場での生活を振り返ってみると、私自身、少なからず変化を感ずる。そして、周囲の人たちの声を聴くとき、今までとは違った自分の発見、さらには、周囲に及ぼす影響の大きいことに気がつく。

▼両親が、私の生活に口をはさむことは、めったにない。が、すべてを察しているようで普段、無口な父が私に、「人間、いくつになっても勉強だな。これからが、本当の勉強になるぞ」と、いい聞かれた。

 以前の私ならば、「そんなこと、わかっている」と突っぱねたであろうが、不思議と素直に聞き入れることができた。

 それに、そういった父が、毎日私の本を読んでいる。親子という関係だけでなく、人間として尊敬しあえる関係が生まれたようだ。

▼私にとって人に聞くことは、無知をさらすようで、勇気のいることであった。レポートの問題がどうしても解けず、先輩に聞いてみた。

 先輩も、その場で解くことができず、考え込んでいた。夜、遅くなって先輩から、「やっと解けたぞ、あれから昔の参考書を引っ張り出して……」と、電話があった。

 そして、次の日、顔を合わすと、

 「きのうの問題で、頭がやわらかくなった気がするよ。大変だな。頑張れよ」と、励ましてくれた。

 思ってもみなかった感謝と、励ましの言葉をいただき、先輩とのきずなが、いっそう強くなったことはいうまでもない。

 「聞く」ことで、先輩も私も、一歩前進することができたものであった。

▼机に向かう時間が多くなっただけ、子供たちとの交流の時間が少なくなったことは確かである。それでなくても、交替勤務のために交流が少なく、父離れを心配したものである。

 小学三年生になる長女が、先日、学校から帰ってくると

 「きょう、先生に褒められたの、作文が上手になって。日記を書いているからかな、でも、算数や理科は、もっと頑張れって。お父さん、教えてね」と、うれしやら、困ったことをいっていた。

 日記帳は、正月に買い与えたものであり、以来、毎日欠かさず書いているようだ。

 子供たちは、毎晩「おやすみなさい」といって、ふとんにもぐり込むが、最近「頑張ってね」の一言ふえたのに気がついた。一緒に遊ぶことだけが、子供たちとの交流でなさそうで、どうやら私の心配も無用のようだ。

 私の作文は、妻に目を通してもらう。誤字・脱字、指摘の多いのに腹立つこともたびたびだが、たまには褒めてくれることもあり、私がレポートに追われていると、

▼「よく頑張るわね、見直しちゃった。私も頑張らかくっちゃ」と、いいながら内職に精をだしている。妻と二人三脚の研修が、理解を深め、家庭円満に役立っている。

 人間は、心がまえが変わると、姿勢までも変わるものである。そして、その姿勢が自分だけにとどまらず、周囲の人たちにも影響を与えるものである。私は、研修という機会を得て、今までとは違った「すべてに学ぶ」という心がまえで生活している。この姿勢が、周囲の人たちの活性化をうながすことにつながるならば、うれしいことである。そして、この研修を、単に会社内の研修としてだけでなく、社会人の研修として、素直な心で自学自得に励んでゆきたいと思う。

 同居の人たち 自宅
 父 (七十一歳) 自分(三十五歳)
 母 (六十八歳)
 妻 (三十四歳)
 長女(八歳)
 次女(六歳)
 三女 (三歳)


※私が会社での現役時代、「自分の勉強する姿がまわりの人にどんな影響を与えているか」を課題として与えた作文集をファイルしていたものから抜き出した記録の一つです。昭和六十年三月

 上記のものは平成二十六年十月、奥様に返却しました。

参考:K.S.君との出会いと別れ

平成二十六年十月八日

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