四国の名山石槌山登山:その後の話
昭和61年6月28年、伊藤一雄君・藤井達彦君と


昭和61年6月28日(土)3:44起床

1、6:00 TV予報 曇りのち雨、70~80%。26日、27日は雨が降らなかったのに。
1、6:10 雨が降りはじめる。雨モヨシ 晴レルモ マタヨシを思い、雨の登山で行けるところまで行けばよい。藤井達彦君、伊藤一雄君に気の毒。

2、8:30 伊藤一雄君の運転で藤井達彦君と二人で渓石に迎えにきてくれる。

3、9:00 小松駅にI君の友人レイヨンの女性をピックアップ。

4、9:50 ロープウェイ前下谷駅に着く

5、10:00 出発  10:07 成就駅(標高:455m)に着く、ロープウェイに乗る。リフト終点(標高:1,440m)まで一気に上る。雨雲にさえぎられ駅が見えなくなる。緑は雨でみがきがかけられる。7月1日の山開き準備のために白装束の人10人ぐらい乗っている。

6、成就社に参る。展望台から歩いて傘をさし黙々と、道ばたの木に椊物のな札がかけられている。運動靴のなかまで濡れる。

 成就社に礼拝。おみくじ(50円)。

 周囲を散策 ブナの木をはじめて見た。

7、食事 ししなべ 伊藤君の携帯燃料で沸騰していただく 長崎の本物のカスティラもいただく 外の天候は急変している

 F君(大学時代:登山部で活動)、I君の登山についての経験談は楽しい。

 F君の幅広い登山歴、I君の地に迷って木に登っての地形の判断と準備の良さに感心。

 残念なのは、当日は雨のため山頂に登れなかった。

※伊藤君の案内で初めて名山の途中まで登った貴重な体験となる。山登りの愛好家が集まって楽しんでいた。

※参考:石槌登山ロープウェイ株式会社

※私は学生時代はもとより、社会人になっても、山に登ったことは殆どなかった。
 昭和25年クラレ入社して、二~三年後のある年の夏、上司小川義雄さんと池永和男さんと3人が一泊二日で広島県庄原市西城町道後山に出かけた。

 その他には、島根県大山のスキー場昭和二十九年山陰地方の旅)に行ったことがある。

▼古い日記を読み返していると、以上のような記事を記録していた。茫洋とした三十年であるが、当時の様子を思い出している……。藤井君、伊藤君 有難う!!

平成二十八年八月二十七日


 平成十四年賀状に「私の愛する東赤石山(1700m)です。案内したいと思います」と、写真の下に書かれていました。当時、案内して頂いていたら良かったのにとおもうが、後悔は先に立たず残念だ。

平成二十九年一月三十日。


 2017年02月10日

 私が数日前、伊藤一雄君に手紙をおくった返信受信。

(前略)私の百名山「東赤石山1706m」の山小屋を経営している恩師実森が今年7月に山小屋経営30周年のイベントを計画しています。その一端を私も助太刀の予定です。詳細はこれからですから、決定次第連絡します。その時、黒崎さんを赤石に案内出来れば幸いだと思います。

 ちなみに、赤石のアプローチですが、一般登山者で約3時間必要です。私の場合、病後なのでばいの6時間が必要です。と2017.02.10 受信。その後、私の体調が登山できないと伝えて、この計画には参加できなかった。


 2017年10月07日

 郵便局レターパックが送られてきた。7月末に、赤石にあがってきましたので、記念品や写真、新聞記事、赤石山荘の主人が発刊した「四国赤石山系物語」を送付します。また、銅板(しおり)は一枚づつの手作りです。絵葉書はかつて赤石に上がって写真を撮っていたものから選択したものです。

 秋の夜長をこの本をお楽しみください。と。早速、お礼の電話をして、本をめくると、伊藤君の尊父も山登りをされていて、伊藤君は、その血を受け継いでいるとことが分かった。また実森さんは、伊藤君の恩師であることも。そして、この本に「発刊を祝って」の記事を書いている。

参考までに、インターネットで、書名で検索しますと、多くの記事を見ることができた。

平成二十九年十月六日
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平成二十七年十月六日

 

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