花・樹木の名を写真で知る


★穣葉 【ユズリハとは】

 福島県以西の本州、四国、九州及び沖縄に分布するユズリハ科の常緑樹。日本原産の木で内陸の山地に自生するが、樹形が整いやすいため庭園や公園にも植栽される。漢字表記は「譲葉」のほか「杠葉」「楪」など。

 一般的には葉を正月飾り(注連飾り、蓬莱飾り、鏡餅の敷物など)に使うことで知られる。こうした習わしは、新葉が揃うまで古葉が落ちず、新旧の葉が着実に入れ替わる様子に円満な世代交代や子孫繁栄を託したもので、縁起の良い木として記念樹に使うことも多い。

 ユズリハという名は、上記の世代交代にちなむというのが通説だが、太めの葉脈を弓弦(ゆづる=弓に張る糸)に見立てたという説もある。古名は「ゆづるは」で、万葉集にもその名で登場する。

※写真:古葉の上に新葉が出ている。

2024.10.15 記す。

★冬の美観ユズリハ


 牧野富太郎著『植物一日一題』

 ユズリハはその葉片にも無論美点はあるが、冬に至るとその太き長き葉柄が殊のほか紅色を呈して美わしくなる。葉片と枝とは緑色であるからこれに反映しての葉柄美は特に目立ち、ユズリハは全く冬の植物であることを想わせる。葉柄の前側には狭長な縦溝路があり、葉は質が鈍厚で表面は緑色を呈するが、裏面は淡緑色で常に或る菌類が寄生し、諦視すると細微な黒点を散布している。またある白色黴の菌糸が模様的に平布して汚染しみのように見える、すなわちこれらがその葉の裏面の状態である。詳かに検して見るとなかなか興味のあるものである。

 ユズリハは譲り葉で、その時季に際すれば旧葉が枝から謝すれば、早速その上方に新葉が萌出して旧葉に代わるからそういわれる。タブノキなどの葉でも矢張り同じく新陳代謝はするが、その中にもユズリハが最も目立って著明である。

 正月にユズリハを飾るのは譲るの意である、すなわち親は身代を子に譲り、子はまた身代を孫に譲り、もって子々孫々相襲いで一家を絶させんようにと祈ったものだ。

 ユズリハの葉は大形常緑で、その中脈は葉の上面にも隆起するが、しかし殊に下面に著しい、支脈は多数で羽状に並んでいる。

 ユズリハの枝を取りそれを上方より望み見ればその葉が車輪状に四方に拡がり出で、したがってその赤き葉柄も四方に射出して見え、外方は緑葉、内方は赤葉柄で特に美しく眺められ棄てたものではないと感ずる。

 ユズリハは諸州の山地に自生があるが、また庭樹としても植えられてある。また葉柄は時に淡紅色のものもあればまた淡緑色のものもある。この淡緑色の品をアオユズリハと称する。

 正月にユズリハを飾るのは、譲るの意で、親は子に譲り、子は孫に譲り、子々孫々相襲いで一家を絶えさせんようにと祈ったものである。この点からみるとユズリハは芽出度い木である。松竹梅に伴わさしてもよかろう。

 私の庭には今二本のユズリハの木があるが、その葉が美わしく茂って、万歳を寿ほぎしているかのように見える。

2024.11.05 記す。

★花・鳥・昆虫の名前の由来を知るには


 花の名前は覚えにくい。日本語のもの、外国語の花の名前いずれのものも。なにか名前を命名した説明を知れば覚えられるのではないかと思った。

 Google で「花の名前 名前の由来」を検索した。

 以下に検索した花・鳥・昆虫の名前の由来として記載されていたものを記述した。・

一 植物関連

★「譲り葉(ゆずりは)」は、春先に新葉が出ると古い葉が落ちる様子が「代を譲る」ことに由来しています。このことから、子孫繁栄の縁起をかつぎ、正月の飾り物として古くから使われてきました。

★花菱草(ハナビシソウ)という名前は、4枚の花弁が菱型に並ぶ様子が花菱紋に似ていることに由来しています。

★イヌサフランという名前は、サフランの花に似ていますが食用にならないことに由来しています。植物の世界では、本物に似ているが、本物のように役に立たないものの名前の頭に「イヌ」を付けることが一般的です。

★ツワブキ(石蕗)という名前の由来は、葉に艶(つや)があることから「つやぶき」、転じて「つわぶき」になったと言われています。

 また、葉や茎が蕗(フキ)に似ていることと、海岸の岩や石などの間に多く自生していることにちなみ、漢字で石蕗と書かれるようになりました。

★鬱金桜(うこんざくら)という名前は、花の色がショウガ科のウコン(ターメリック)の根茎で染めた鬱金色(こんな色→□)に似ていることに由来しています。

 鬱金桜は、数多くある桜の品種の中でも唯一、黄色の花を咲かせる桜として知られています。淡黄緑色の八重の桜で、開花は4月中旬から5月上旬です。

★エーデルワイスという名前は、ドイツ語で「高貴な白」を意味する言葉です。ドイツ語で「高貴」を意味する「edel(エーデル)」と「白」を意味する「weiß(ヴァイス)」が組み合わさってできた言葉です。

 エーデルワイスはヨーロッパ・アルプスやヒマラヤに自生するキク科ウスユキソウの1種で、アルプスの花として知られています。オーストリアの国花にもなっています。また、その形からヨーロッパでは「アルプスの星」とも呼ばれます。

ニ 鳥関連

★ツバメ(燕)の名前の由来には、次のような説があります。

「つちばみ」(土食)とする説

「つば」光沢のこと、「くら」黒色のこと、「め」鳥のこと、とする説

「つばくら」鳴き声からとする説

★スズメという名前の由来は、次のような説があります。

「小+隹(とり)」で小鳥という意味です。

「スズ」はチュンチュンのように鳴き声を表し、「メ」は鳥を表す接尾語です。

「スズ」は小さいものを表す接頭語「ササ」が変化したものです。

三 昆虫関連

★モンシロチョウという名前は、明治時代に「紋のある白いチョウ」という意味で名付けられました。白い羽に黒い斑点が入っており、この黒い斑点が紋に見えることが名前の由来です。

★コホロギという名前の由来は、秋に鳴く虫の総称だったことに由来しています。

コホロギは、江戸中期に国学者の賀茂真淵や朱子学者の新井白石によって、古代の「きりぎりす」が江戸時代の「こおろぎ」であるとされ、次第に定着していきました。

2024.11.12 作成

★まんりょう


★薄田泣菫

 夕方ふと見ると、植込の湿っぽい木かげで、真っ赤なまんりょうの実が、かすかに揺れている。寒い冬を越し、年を越しても、まだ落ちないでいるのだ。

 小鳥の眼のような、つぶらな紅い実が揺れ、厚ぼったい葉が揺れ、茎が揺れ、そしてまた私の心が微かに揺れている……

 謙遜な小さきまんりょうの実よ。お前が夢にもこの夕ぐれ時の天鵝絨ビロードのように静かな、その手触りのつめたさをかき乱そうなどと大それた望みをもつものでないことは判っている。いや、お前の立っているその木かげの湿っぽい空気を、自分のものにしようとも思うものでないことは、よく私が知っている。

 お前はただ実の赤さをよろこび、実の重みを楽んでいるに過ぎない。お前は夕ぐれ時の木蔭に、小さな紅提灯をともして、一人でおもしろがっている子供なのだ。

 持って生れたいささかの生命をいたわり、その日その日をさびしく遊んで来たまんりょうよ。

 またしても風もないのに、お前の小さな紅提灯が揺れ、そしてまた私の心が揺れる。

※参考:天鵞絨(てんがじゅう)と書いてビロードと読みます。なぜこんなに分かり難い漢字表記になっているかというと、諸説ありますが、ビロードという織物が日本に伝来した際に、ポルトガル語のveludoの音と、中国語の天鵞絨(白鳥の織物という意味になるそうです)の文字が同じ織物を指したことから、このような当字のような形になったといわれています。

2024.10.21 記す。

★第六十七候「芹乃栄 (せりすなわちさかう)」 1/5~1/9頃

 七十二候が小寒の初候に変わり、芹が盛んに茂る頃となりました。

 冷たい水辺で育つ芹は、空気が澄み切るように冷えるこの時期、“競り合う”ように良く育ち、1月から4月にかけて旬を迎えます。

 春の七草のひとつ「セリ」

 食べると爽やかな香りと歯ざわりが特徴の芹は、春の七草の一つとしてもおなじみ。

※ 自生するセリを採取する場合、同様の生育環境に育ち、見た目も似ているとされる有毒の「ドクゼリ」や「キツネノボタン」に、ご注意ください。

★七草粥


 七草粥 天声人語 '94 春[英文対照](朝日新論説委員室)朝日イブニングニュース訳 1994年5月31日 初版発行 P. (1994.1.7)

 春の七草は、何と何だったかな……。ひとによって、覚え方は様々である。小学生のころ暗記させられたままに、覚えている人がいる。スズナ、スズシロ、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ。

 七五調で、口調がよいから覚えやすい。別の記憶法もある。これは、まるで短歌のようだ。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草、というのである。七種を詠み込んだ、こういう歌が、昔の本にあるそうだ。

 秋の七草は見て美しい草花、春の七草は食用になる実用的な植物ばかりでる。これらを入れた七草粥を、一月七日に食べる。七種の菜で、羹(あつもの)、つまり吸い物を作り、邪気を払い、万病を防いだという中国の古い風習が伝わったらしい。

 寒中に緑を食べよう、という知恵がしきたりを支えてきたのに違いない。セリは水田で栽培されている。ナズナは実の形が三味線のバチに似た、いわゆるぺんぺん草である。ゴギョウはハコグサ、ハコベラはハコベで、子供の時、鶏や兎のえさに集めた人も多かろう。

 ホトケノザは、冬の田に生えるコオニタピラコだろうという。スズナはカブだというが、異説もある。スズシロはダイコンだろうと言われている。いずれも身近植物である。

 草を摘むと、潮干狩りと同じで、太古の食物採取を自ら追体験する思いにさせられる。ギリシャに滞在して、村の人々と一緒にタンポポの葉を摘んだことがある。サラダにして食べ、自然の恵みを味わった。食糧不足の戦争中には食べられる草を探して食べた。「ヤツデの葉だけは堅くて無理だった」などと友人と話し合った。

 地に生えたものを大昔の祖先と同じように感謝して食べる、緑を求める原始的な衝動を自分のうちに確かめる、平生の飽食ぶりを省みる……。七草粥は、さぞ、いろいろな味がすることだろう。2012.10.17記す。

2024.10.18 記す。

★クリスマス・ローズ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.45

 僕は数年魔に、この花のことで五六日、根気よく文献をあさり、またギルシャ語の大家を訪ねたりしてものである。その詳しいことは「アリポロン自伝」という小説にしてしまったが、ギリシャの哲人たちは、これをへレポロンと言って大切にしていた。というのは、彼らが大論文を書いたり、厄介な論敵とわたり合ったりする時、自分の胃の腑に溜まっている腐った気が、霊魂の邪魔をしないように、この草の助けを借りたということである。ヒロポンのようなもので、それをどういうふうにするのか多分、煎じても飲むと、頭がすっきり。狂人にも効力を示すので、今、辞書には、治癲草(ちてんそう)という訳語もついている。

 ヨハネス・スコウトゥス・エリウゲナという哲学者がいた。この人がどうもヘレポロンをアリポロンと読みちがえて、草が人間に化し、大層悧巧なアリポロン先生が生れた。もっとも現在では、この人物も馬鹿でのろまとして扱われている。

 つまり賢者は常に愚者たる可能性を持っているようである。僕は自分の精神活動ががらりと変わるような草花を、庭にずらりと植えておいて、思う存分に賢くなったり、また必要に応じて愚かになったりすることが出来たら……とそんな夢を見ている。

挿絵
クリスマス・ローズ
2024.11.09 記す。

★はこべ(はこべら)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.171

 冷たい風はさかんに吹いているが、日だまりにはもう春がぽつぽつ見られるようになって来た。今日ははこべの花を見たが、ただ開花の記録としてその名を手帳に記すだけでなく、持ち帰ってしらべた。小鳥のためにも兔のためにも、何度も何度も摘んだことのあるこの草の花について、いったいどれだけのことを知っているか。

 はこべの花はしぼむと一度下へたれ下り、実が熟すると再び立ちあがるが、これも僕の発見ではない。なぜそんな特性があるのか、これも答えられない。だんだんあやしくなる視力を補うためには、見るための努力をいっそう重ねなければならないだろう。

 しかし図鑑をたよらずに、はこべの花の花弁が十ではなくて五つであることを自信をもって数えられるようになるには、どうも努力や年期のほかに、他のいっさいのことをあっさり忘れられる特性を身につけなければならないだろう。この五つの花弁は底の方まで深くさけているのである。

 こういう細かいものを念入りに見ているうちに、息詰まって来るような苦しさに襲われることがよくあるが、それではだめである。無理のない呼吸を続けながら自分の、これらの微小なものに比べて大きすぎることを忘れなければならない。

※この記事を読んで花の花弁が十である写真を貼り付けた。

※名前の由来:「はびこりめむら(蔓延芽叢)」が変化して「はこべら」になったという説

 茎がよくはびこり、種が落ちるとその年のうちに芽が出て繁茂することから、ともいわれる

 古語で「群がる」を意味する「べラ」と、繁(はん)の直訳である「縷(ろう)」が組み合わさったという説

挿絵
はこべ
2024.10.08 記す。

★なずな


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.190

 ここ数日、変に冷たい風が吹きつづけて、丘の畑みちを歩いても、日かげには驚くほどの大きな霜柱が立っている。近よって来る春の足なみが、だいぶ狂っていることは確かだ。それでもいつもなら日だまりには菫が幾種類か見当るころだと思って出かけたが、それは全然なくて、かえってなずなの小さな白い花が目につくのだった。そしてもう花の下のほうには、果実が出来ている。三味線の撥(ばち)のようには、僕には見えないが、優曇華(うどんげ)といわれているくさかげろうの卵のように見えてかわいらしい。

 しかし僕はなずなについては、ここしばらく根生葉を注意してみることになるだろう。根生葉は羽状にさけるとは本に書いてあるが、それが魚の骨のように、葉とは思えない姿に変わっているものが多い。ちょうどいい機会でもあるので、植物奇型の勉強にかかろう。奇型とは……という定義から本によってひとまず学ばなければならない。そして最も興味あることは、なぜ奇型にならなければならないのか、その原因をさぐることであろう。諦めるより仕方のないことをもう一度考えなおすことが勉強の一つである。しかし、人間の精神の奇型などということはいっさい考えないようにしよう。

※根生葉(こんせいよう)とは、植物の根元に密集して生える葉のことを指します。タンポポやホウレンソウなどが代表的な例です

挿絵
なずな
2024.10.08 記す。


★第六十八候「水泉動 (しみずあたたかをふくむ)」 1/10~1/14頃

 七十二候が小寒の次候に変わり、地中で凍っていた泉が融け動き始める頃となりました。

 この候でいう「水泉」とは、“湧き出る泉” のことをいいます。

 湧き水の流れに生える水草

 一年で一番寒さの厳しい大寒に向かいながらも、自然界では着々と春への準備が進み、かすかなあたたかさを愛おしく感じられる季節です。

★のぼろぎく


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.68

 周囲何粁という広さで、かちっと舗装してある、そこは東京の」まんまん中。地震の国のことだから四十階、五十階というばかばかしい建物はないが、それでも大小のビルディングが続いている街の、その歩道のほんの片隅に、僕はのぼろぎくを見つけた。二月のからっ風にさらされて、その花は何とも貧相だったろう。

 植物学者たちは、みんな風流な、優しい心の人が掘っているはずなのに、のぼろぎくとは少々気の毒な名前である。

 だがまことにけなげな花ではないか。日にそこを、何千何万という人が、みんな用ありげに忙しく通るのに、ほんのわずかな、実に危険な安全地帯を見つけて、きっぱりとその存在を主張している。植物界の代表というような誇りをもって。

 僕はそこを通るたびに声をかけたものだ。相変わらず元気だね。結構なことだ。つらいだろうが、僕は尊敬している。しゃがんでゆっくり話し込みたいのだが……。

 ところで丁度その角のビルディングが改築され、新しい玄関がそこに出来た翌日、のぼろぎくは早速踏み倒され、四日後には全く姿を消してしまった。僕は長いあいだの知り合いとして、また芽をふくかも知れないその根をどこかに移してやろうかとおもったが 、建物の改築によって新しく出来たはずの安全地帯をどうしても見つけることはできなかった。

参考:ノボロギク(野襤褸菊)という名前は、花の後の果実が熟して白い毛で覆われた状態がボロ切れ(使い古した布切れ)のように見えることに由来しています。また、同じキオン属のボロギク(サワギク)に似ていて野原に生えることから名付けられました。

挿絵
のぼろぎく

2024.11.12 記す。

★第六十九候「雉始雊 (きじはじめてなく)」 1/15~1/19頃

 七十二候が小寒の末候に変わり、雉のオスがメスを求めて鳴き始める頃となりました。

 雉のメスは全体的に茶褐色をしていますが、オスは目の周りに赤い肉腫があり、深緑色を主色とした長く複雑美麗な羽をもっています。

 日本の国鳥「雉 (キジ)」

 雉は日本の国鳥で、古名をキギスまたはキギシといい、それが転じて「キジ」になったそうです。

★第七十候「款冬華 (ふきのはなさく)」 1/20~1/24頃

 七十二候が大寒の初候に変わり、ふきのとうが出始める頃となりました。

 厳しい寒さの中、そっと黄色いつぼみを出すふきのとう。

 款冬とはフキのことで、その花茎をフキノトウといいます。

 冬に黄色の花を咲かせるところから、冬黄 (ふゆき) がつまって「ふき」になったと言われます。

★大寒


大 寒 天声人語 '93 春の号(朝日新論説委員室)+株式会社英文朝日[訳]1993年月30日 第1刷 P.406 (1993.1.20)

「大寒の富士へ向って舟押し出す」西東三鬼。

 今日は大寒である。一年で最も寒い、といわれる時期だ。立春の前、三十日間を寒と呼び、その前半を小寒、後半を大寒、と分けて考える。「寒に帷子(かたびら)土用に布子」ということわざは、季節はずれの無用なもの、あるいは、あべこべなこと、のたとえだ。

 気象台の記録では、最低気温の記録の上位はやはり大寒の時期である。第一位は旭川での氷点下四一度、一九〇二年一月二十五日だった。青森歩兵連隊が八甲田山で遭難したのは、この時の寒波によるものだ。

「面とれば妙齢なりし寒稽古」永田百々枝。寒さはつらい。だからこそ、それに打ち勝つように気力をふりしぼる。寒稽古、寒念仏、寒垢里(ごり)、寒行。寒中に三味線などの芸ごとに励むのが寒弾き。寒ざらい、ともいう。

 寒苦鳥、というのは想像上の鳥である。夜の寒さに苦しむが、朝になると考えが変って巣をつくらない。無常を感じて変化するとも、日の暖かさに満足して変心するともいう。修行に努力しない。怠け心のたとえに使われる鳥だ。

 寒鰤(ぶり)や寒鮒(ぶな)は脂がのって、うまい。寒の字のつくものが、この時期に増える。寒菊、寒独活(うど)、寒鯉(ごい)、寒卵、寒鴉(からす)……。昨今の都会のカラスには寒鴉などという趣はない。飽食して丸々と肥ったものばかりだ。「寒雀顔見知るまで親しみぬ」富安風生。

 寒という漢字自体に、貧しい、という意味があるそうだ。寒村、寒山、寒林などという言葉には、寂しさが感じられる。一文なしは素寒貧。最近でこそ暖房の利いた場所が多いが、しばらく前までは、寒と貧は直結した印象だった。

 さまざまな工夫をし、人々は気力を充実させて寒の内を過ごすことだろう。だが、そうは行かぬ地域もある。旧ユーゴの人々が、飢えと寒さで一晩のうちに何十人も死んだ、などと聞く。心が寒くなるニュースである。2021.10.26記す。

2024.10.19 記す。

  ★蕗


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.94

 春の山の、麓の谷を歩いていると、、時々、ぼこっと穴があく。そのときはもう足はそこに落ちている。重い荷を背負っている時には、その足を抜き出すのに一苦労するし、力を入れるためみ、また次の足が新しい穴をあける。山歩きをしている人はそんなことはよく知っている。しかし、春の雪はよごれていても、やがてしばらくのあいだにこんな雪とも別れなければならないと思うと、穴に落ちてもあまり口惜しくはない。

 僕もそうして谷をのぼりながら、踏み込んだ足を、抜き出した穴をのぞいてみると、そこにうす緑の蕗が一本笑っている。

 雪の下の、暗い中で、蕗だまって育ちながら、まだ日光を知らないのに、ほのぼのとしていた。そして僕の、足を踏み込んだみっともない姿を嘲笑することも知らないように、こうつぶやいていた。

 天井を破って下さって、ほんとうに嬉しゅうございます。お陰さまで、わたしも、薹が立たたないうちに春風にあたることが出来ました。

 蕗の根もとの、ぐじゅぐじゅの土をひたす水も、雪解けの春の水だ。ツルゲネフがどこかにいるのではないかと思って、しゅんとした木立のあたりを僕は振りかえる

2024.10.04 記す。

★木の芽


★薄田泣菫

 勝手口にある山椒の若芽が、この頃の暖気で、めっきり寸を伸ばした。枝に手をかけて軽くゆすぶって見ると、この木特有の強い匂が、ぷんぷんとあたりに散らばった。

 何という塩っぱい、鼻を刺すような匂だろう。春になると、そこらの草や木が、われがちに太陽の光を飽飲して、町娘のように派手で、贅沢な色で、花のおめかしをし合っているなかに、自分のみは、黄色な紙の切屑のようにじみな、細々こまごました花で辛抱しなければならず、それがためには、大気の明るい植込みのなかに出ることも出来ないで、うすら寒い勝手口に立っていなければならない山椒の樹は、何をおいても葉で自らを償い、自らを現すより外には仕方がなかった。そして葉は思いきり匂を撒き散らしているのだ。

 Smithsonian Institution の McIndoo 博士は、嗅覚の鋭敏なので名高い人だが、いつだったか、五、六ヶ月の実験の後、同じ巣に棲っている女王蜂と、雄蜂と、働蜂とをそれぞれ嗅ぎ分けることが出来た。博士はまた数多くの蜂蜜を集めて、その匂の差異を少しも間違わないで、嗅ぎ知ることが出来た。こうした実験の成功から博士は確信をもって、同じ巣に棲んでいる蜂という蜂は、それぞれちがった体臭をもっているので、彼等は暗い巣のなかで、やや離れていても、お互によく相手を嗅ぎ知ることが出来るのだといっている。

 何の別ちもなく見えるこんなものの匂にも、味いわけようとすれば、味いわけ得られるだけの微かな相違はあるのだ。自然がかくばかり細かな用意をもって、倹約しまつして物を使っているのに、この木の芽の塩っぱい匂は、あまりに濫費むだづかいに過ぎ、あまりに一人よがりに過ぎはしないだろうか。――とはいうものの、自然に恵まれないものは、しょうことなしに溜息でもつくの外はなかった。こうして洩らされた葉の溜息は、その静かな情熱を包んで、麝香猫のようにぷんぷんあたりを匂わせているのだ。

 春さきに勝手口の空地に顔を出しているものに、山椒と蕗の薹とがある。蕗の薹は辛辣な皮肉家だけに、絶えず苦笑をしている。巧みな皮肉も、度を過ごすと少しあくどくなるように、蕗の薹の苦い風味を好む人も、もし分量が過ぎると、口をゆがめ、顔を顰めないわけにはゆかなくなる。皮肉家は多くの場合に自我主義者エゴイストで、どうかすると自分の持味で他の味をかき乱そうとするからだ。それに較べると、山椒の匂は刺激はあるが、苦味がないだけに、外のものとの折れ合も悪くはない。

 筍といういたずらものがある。春になると、土鼠のように、土のなかから産毛うぶげだらけの頭を持出して来る奴だが、このいたずらもののなかには、えぐい味のがあって、そんなのはどうかすると、食べた人に世の中を味気なく思わせるものだ。また小芋という頭の円い小坊主がいる。この小坊主にもえぐいのがあって、これはまた食べた人を怒りっぽくするものだが、こんな場合に木の芽がつまに添えてあると、私たちはそれを噛んで、こうした小さな悪党達の悪戯いたずらから、やっと逃げ出すことが出来る。

 イギリスのある詩人がいった。――

「万人の鼻に嗅ぎつけられる匂が二つある。一つは燃える炭火の匂。今一つは溶ける脂肪の匂。前のは料理を仕過ぎた匂で、後のは料理を仕足りない匂だ。」 と。私は今一つ、木の芽や、またそれと同じような働きをするものをこれに附け加えて、料理の風味を添える匂としたいと思う。

2024.10.20 記す。

★第七十一候「水沢腹堅 (さわみずこおりつめる)」 1/25~1/29頃

 七十二候が大寒の次候に変わり、厳しい寒さで沢の水さえも凍る頃となりました。

 大気の冷えがまさに底となるこの時期、池や沼の水面の氷は、溶けたり凍ったりを繰り返しながら厚みを増していきます。

岡山県鏡野町 冬季限定氷瀑の岩井滝

★さわらび


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◆(巻八 一四一八)(岩波文庫)P.327

 〽石いはばしる 垂水たるみの上の さ蕨わらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (岩波文庫)

犬養孝著『万葉の人びと』(PHP)P.17

  石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも

warabi.jpg  こうやってうたっていくと、ほんとうに何だか春になった、今まで雪や氷に閉ざされていたところの春が来てホッとしたような、春の喜びが感じられるでしょう。それは、歌というものを普通はみんな意味で読みますね。だから意味がよくなければいけません。この歌にしても滝のほとりのワラビが萌え出す春となったというのは、本当に気持ちのいいことです。ところが意味だけではない。歌というのはやはり、五・七・五・七の型というものがあるでしょう。型というのは別の言葉で言えば、表現ですね。この歌にしても、さわらびに焦点を置いて、そのさわらびをちゃんと滝のほとりのさわらびだと限定して、そして、その滝の上には“石ばしる”という言葉があるから、イメージとして石の上を水が走って流れる感じがあるでしょう。さわらびに焦点を置いた上で、詠嘆しているのです。“萌え出づる春に なりにけるかも”と。表現が実によくできています。

 それから、この歌の大事な点は律動です。歌のリズムです。見てごらんなさい。この歌で"の"の""の"の律動はいかにも流動的に満ちているでしょう。いかにも流動的です。「石ばしる 垂水の上の さ蕨の」というのは、実に淀みなく、流動感に満ちているでしょう。いかにも、こんこんと流れてやまない感じ。その上、"萌え出づる春に なりにけるかも"と言葉を引き伸ばして言っているのも、ゆったりとして、春風駘蕩の感じがします。このように歌は、律動というものを抜きにしては考えられません。

wakayama.isihaasiru.JPG *この歌を絵にされた若山 侑さんから贈られ、我が家の壁を飾っています。2008.6.11

※参考:テンペラ(〈イタリア〉tempera)

顔料を卵・膠にかわ・樹脂などで練った不透明な絵の具。また、それで描いた絵画。15世紀に油絵の具が発明されるまで、西洋絵画の代表的手法であった。

2024.10.24 記す。

★立山たちやまの雪


◆(巻十七 四〇二四)(岩波文庫下巻)P.224

 〽立山たちやまの雪し来くらしも延槻はひつきの川の渡瀬鐙浸わたりせ あぶみ あぶみつかすも 

 上の歌一首は、大伴宿禰家持作れり。

*立山(たちやま) 雪し来(く)らしも 延槻(はいつき)の 川の渡瀬(わたりぜ) 鐙浸(あぶみ)つかすも  〔大伴家持の歌〕(朝日新聞の記事から)

 ナカニシ先生は、つぎのように説明されている。

   立山(たてやま)の雪は消えているらしい。早月(はやつき)川を馬で渡ると、鐙まで水に濡(ぬ)れることだ

 富山県の立山は屏風のように高い峰を東西につらね、いくつかの川を日本海へとはしらせます。 

 春が遅い山国にも、いま春がやってきていることを、鐙までひたすようにふえた水によって作者は知りました。

私感:「雪消水」は、私には美しい言葉です。昔、三月中旬、山形県の小国町の基督独立学園訪問の途中の雪景色をみて「美しいですね」とつぶやきました。ところが新潟県出身の同乗者が雪国の冬をしらないから、そんなことが言えるのですとたしなめられた思い出があります。北国の方々が春を待つ気持が察せられます。

歌の季節告げる山国の雪解け

2010年3月12日

立山(たちやま)の 雪し消(く)らしも

延槻(はいつき)の 川の渡瀬(わたりぜ) 鐙(あぶみ)浸(つ)かすも

   ◇

巻十七の四〇二四番、大伴家持(おおとものやかもち)の歌

立山(たてやま)の雪は消えているらしい。

早月(はやつき)川を馬で渡ると、鐙まで水に濡(ぬ)れることだ

   ◇

 富山県の立山は屏風(びょうぶ)のように高い峰を東西につらね、いくつかの川を日本海へと走らせます。

 その一つ、早月川も立山山中の雪を、春のおとずれとともに、海へと流すのでしょう。

 春先のある日、作者は早月川を渡ろうとして、水量がましているのに気づきました。山の雪消水(ゆきげみず)が流れこんだ証拠です。

 春が遅い山国にも、いま春がやってきていることを、鐙までひたすようにふえた水によって作者は知りました。

 冷たくて滑らかな雪消水です。春が来たよころびに、胸がふくらみます。

 作者の家持は都の人間です。重く暗い冬には歌が作れず、とかく口をとじがちでした。だから春が彼のくちびるを開かせます。

 春が来たことは、彼にとっては歌の季節が来たことだったのですね。

 越中国守ながら、この時彼はまだ三十一歳の若さでした。

(奈良県立万葉文化館長・中西進)

★第七十二候「鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく)」 1/30~2/3頃

 七十二候が大寒の末候に変わり、春の気配を感じた鶏が卵を産み始める頃となりました。

「乳す」は、鳥が卵を産むという意味です。

 ところで、今回の候は七十二候の最後の候で、2月4日頃の立春からは「東風氷を解かす」という第一候に変わります。

 ようやく春がやってきますね。

★すずめのかたびら 


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.180

 温室に入れて花を早く咲かせたものは別として、一月、二月に花を見せる野草はもちろん少ない。けれどもいくつかは数えあげられる。青い花が日だまりにいっぱい笑っているようないぬふぐりや、黄色いきじむしろは寒いうちから賑やかである。そのなかでうっかり忘れているのはこのすずめのかたびらである。穂が出ているのはもう秋のことであるが、このごろその小穂から、やっと目に見えるほどの雄蕊がのぞきはじめている。道ばたの、乾ききった土に、この草はうす緑に、早春らしい日なたをもう作り出している。

 この緑が春を土の中から誘い出す。しかも静かに、決して大袈裟な創世の動揺もなく、誘われたものは、やがて到ところから滲み出すだろう。

 植物で、雀の名をその頭にもつものはかなり多いいが、「雀の帷子」とはどういうところから出た名前だろうか。これは虫眼鏡を片手にさがそうとしても見当たらない。ただ紫を帯びたその穂が、見ているうちに薄い着物のように思われて来ないこともない。寒の雀がこんなものをまとったところで少しも暖かくなりそうもないのに、すずめのかたびらという名は何か善意のおののきが感じられて、五月に咲く同じようなからすのかたびらよりは僕は好きだ。

※参考:スズメノカタビラという名前の由来は、花穂(小穂)の形がスズメが着るような小さな帷子(カタビラ)に似ていることに由来しています。帷子とは、裏地のない一重の着物です。

 スズメノカタビラはイネ科の小型の雑草で、人家のまわりや公園、畑地などに多く見られます。秋に発芽し、冬を越し、早春2月ころから秋までほとんど年中開花します。寒い地方では一年草となります。

挿絵
すずめのかたびら

2024.11.18 記す。

★木守り


「木守の花梨二つ氷雨降る」

 曹源寺の本堂は小方丈、書院、庫裡、東司が集まっている建物と廊下でむすばれている。小方丈は日当たりがよい。その南側に瓦をのせた白い土壁の塀に三方を囲んでいる五十坪くらいの庭がある。沙羅双樹、菩提樹、花梨の樹(張り付けている写真)がうえられていて、いずれも大樹である。なかでも花梨は樹齢三百年の老木である。高さは屋根にまでのびて枝を広くひろげている。幹の根元は広く開いていて支え棒をしている。

 昨年の秋は、この花梨は、なり年で沢山の林檎大の実をつけ、日曜坐禅参加者も頂戴していた。

▼一月の中旬、曹源寺の東司のまどから、経堂、本堂、庭と遠方から近くへと眺めていた。一番手前の庭のすべての樹木は落葉し尽くして幹と枝は裸になっていた。そんななかで花梨の老樹のてっぺんあたりに、まだ黄色をとどめていた二コの実が雨あしのみえる氷雨に打たれていた。

 木の実を残す昔からの知恵が今も生きていた!

「きまもり」の言葉を思った。私どもはいただくばかりでなくて、実りの秋が終わり、山も眠り、木の実もなくなる時節、鳥たちに残しているのだと聞いたように思う。また果実を沢山いただいたことに感謝すると同時につぎもお願いしますと、全部を頂くのでなくて自然の神へのお供えものとして、お祈りしているようでもある。

「木守」は木を守ると言った言葉通りにとらえても美しいものである。   

参考:[木守柿]という季語がある。来年もよく実るようにとのまじないで、木の先端に一つ二つ取り残しておく柿の実。こもりがき。きまもりがき。《季 冬》

 調べると、こんな句が載せてありました。

 〽富士見ゆる村は寧(やす)しや木守柿    角川源義

 〽木守柿来る年のこと誰(た)も知らず    川島万千代

2024.10.14 記す。

★第一候「東風解凍 (はるかぜこおりをとく)」 2/4~2/8頃

 七十二候が立春の初候に変わり、暖かい春風が川や湖の氷を解かし始める頃となりました。

 東風は春の季語で、菅原道真の

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな」

 をはじめ、多くの和歌や俳句に詠まれています。

 七十二候はこの候が第一候となり、一年の始まりでもあります。

 春の兆しとなる柔らかな風が吹き、冬間に張りつめた厚い氷を解かし始める、まさに春の訪れを表した候です。

★第二候「黄鶯睍睆 (うぐいすなく)」 2/9~2/13頃

 七十二候が立春の次候に変わり、山里ではウグイスが鳴き始める頃となりました。

「睍睆」とは鳴き声の良いという意味で、その美しい音色からウグイスは、オオルリ、コマドリとともに日本三鳴鳥に数えられています。

 ウグイス

「ホーホケキョ」という、ウグイスおなじみのさえずりは雄のみのもので、気象庁ではこのウグイスのさえずりを初めて聞いた日を「ウグイスの初鳴日」として、梅や桜の開花とともに観測しています。

 ウグイスの初鳴きは、一般に温暖な地方ほど早く、沖縄や九州では2月20日頃、北海道では4月30日頃と、「初鳴き前線」は季節の進行とともに北上していきます。

 ウグイスが別名「春告鳥」や「報春鳥」と呼ばれるのも、そんなところからきています。

 また、その年に初めて鳴くウグイスの声を「初音 (はつね)」といいますが、実はこの頃の鳴き声は、まだ本調子ではありません。

「ホーホー、ケッケッ、ケキョ・・」と鳴き声を整えている状況を「ぐぜり鳴き」と呼び、その初々しい声を聞くのもまた微笑ましいものです。

★ウグイスの初 鳴 日


 三月十二日の岡山市、曹源寺日曜坐禅会の茶礼の席のことでした。
 老師が手紙の時候の挨拶にウグイスが鳴き初めたと書こうとされたところ、今年はその声を聴いていないので困りましたと話されていました。

▼「ウグイスの初鳴き」は『理科年表』の中の生物気象にウグイス初 鳴 日が記載されています。広島・三月九日、神戸・三月十二日など各地の初鳴き日。そこで岡山ではその中間の三月十日から三月十一日ころだろう。

 三月十三日、岡山気象台に問い合わせたところ、岡山では今年は三月二日に初鳴きがありましたとのことでありました。

 ついでに

「理科年表に記載されている『ソメイヨシノ開花日、満開日』は何を規準で決められるのですか?」と、尋ねました。

「数輪咲いた日を開花日とします」

「満開日はどうですか」

「八割咲いたころをその日とします」との回答。この電話によっていつか聞いていながら忘れていた記憶がよびもどりました。

 長期にわたっての開花日などの観測の記録が気温・降雨・日照時間・風などの気象と関連して役にたっているのだろうと・・。

補足:生物気象には:ウメ開花日・ウグイス初鳴日・ツバメ初見日・ソメイヨシノ開花日・ソメイヨシノ満開日・モンシロチョウ初見日・ヤマツツジ開花日・ノダフジ開花日・ホタル初見日・サルスベリ開花日・アブラゼミ初鳴日・ススキ開花日・イチョウ黄葉日。イロハカエデ紅葉日が掲載されている。

▼記録の継続を私どもにあてはめて考えると、例えば毎日、どんな本を読んだかを記録しておくと、自分の読書の傾向を知ることができる。また、風呂上がりに体重を測定記録しておけば健康についての目安となるのでは。

 豊中市にお住まいの尊敬している先輩は「失敗の記録」を始められたそうです。「自らの失敗を客観視することができ、また失敗のストレスも消えやすく面白そうです」と書かれていました。

 東京のK氏は自宅の庭の草花について記録を続けています。一昨年、昨年と比べて今年の春の庭の花にきっと何かを感じられていることでしょう。

2024.10.15 記す。

★第三候「魚上氷 (うおこおりをいずる)」 2/14~2/18頃

 七十二候が立春の末候に変わり、凍っていた川や湖の表面が割れだす頃となりました。

「魚上氷」は、そんな割れた氷の間から、魚が飛び跳ねる様子を表した候です。

 この時期によく見られる春先の薄く張った氷や解け残った氷は、「薄氷 (うすらい)」や「春の氷」「残る氷」と呼ばれ、まだまだ寒い日が続く雪国にも、春の訪れを実感させてくれます。

 吹く風も柔らかくなり、温かくなった水の中には、ゆらゆら泳ぐ魚の姿が見え始めます。

 薄氷 (うすらい)

★第四候「土脉潤起 (つちのしょううるおいおこる)」 2/19~2/23頃

 七十二候が雨水の初候に変わり、あたたかな雨に大地が潤い活気づく頃となりました。

 降っていた雪がしっとりとした春の雨に変わり、凍てついた大地もゆっくりと潤い始めます。

 忍び寄る春の気配に眠っていた植物が芽吹き始める季節です。

★第五候「霞始靆 (かすみはじめてたなびく)」 2/24~2/28頃

 七十二候が雨水の次候に変わり、春霞がたなびき始める頃となりました。

「靆=たなびく」は、霞や雲が層をなし、薄く長く漂っている様子を表しています。

 春になると、冬の乾いた空気に比べて大気中に細かな水滴や塵が増え、遠くの景色がぼんやりとかすんで見えることがありますが、こうした現象を「霞」と呼びます。

 遠くに薄ぼんやりとたなびく「霞」と、近くに深く立ち込める「霧」。

★櫂 の 木


 株式会社クラレ研修所は、二千五百本、種類も百数十に及ぶ樹木に取り囲まれ、四季を楽しめる環境にある。ここで学び自学自得したものにいつの日にか亭亭として語りかける楷の木を選び、一九八七年一月、前庭に植樹した。

説明:旧特別史跡旧閑谷学校所長:板野喜八さんから苗木をいただいたものです。

▼楷樹は中国原産の木で、黄蓮樹ともいう。学名はピスタチア・シネンシス・ブンゲ。うるし科の落葉高木で、葉は対生複葉、高さは二十米以上に達するものもある。雌雄異株のうえ、花がつくまで数十年を要する珍木である。中国では孔子の生誕の地、曲阜の孔林に多数の巨木がある。この地は中国山東省の南西部にある小邑。春秋時代に魯の都であった。日本においては、牧野富太郎博士が特に「孔子木」と命名した。孔子との関係で「学問の木」という人もいる。孔子聖廟の数箇所に見られる珍しい木である。東京の湯島の聖堂の木は孔林で採取された種子から苗に育てた後、ここに植えられた。会津若松市の会津藩校「日新館」、佐賀県「多久聖廟」岡山県では「閑谷学校」、関西では関西師友協会成人研修所にある。

▼三樹の教え 一年の計は穀を樹うるに如くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし。

☆追記:友人の一人が平成18年5月末に撮影された写真です。

19年経過後、見事になっている姿になっています。

平成十八年五月二十八日

☆追記1:平成二十年一月 クラレ倉敷事業所(玉島)に移植。

2024.10.15 記す。

★第六候「草木萌動 (そうもくめばえいずる)」 3/1~3/4頃

 七十二候が雨水の末候に変わり、草木が萌え出す頃となりました。

 だんだんと春めき、暖かい日差しに誘われるかのように、地面や木々の枝々から萌黄色の小さな命が一斉に芽吹き始めます。

 着々と長くなる陽の光が大地に降り注ぎ、春の兆しは確実な気配へと変わります。

 萌黄色の新芽

★猫柳


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.176

 東京郊外の、川とも言えない小川のへりを、僕はまだ霜7どけのひどい土を踏んで歩いた。靴の裏にこってりつく泥を、枯草になすりつけたりするが、踏み込むと靴をとらられそうになる。向こう岸飛び移ったり、またこっちに戻ったり、そうして足をすくわれそうになってしがみついたのが猫柳の枝だ。

 たのむぞ、しっかりしていてくれよ。僕はその小川を大きくまたいだ姿になってしまう。そしてまだ手をはなすわけには行かない猫柳の枝には、三角帽をかぶった、白いほわほわの小人の猫の顔が幾つも幾つもこっちを向いている。時々その顔を見合わせて首を縮めているように思える。

 両方でお互いにからかいながら、僕は流れに跨ったまま春を感じはじめる。川は澄んでいて、時々、ちょぽん、ちょぽんと何か言う。そして大きく息を吸い込むと、土の中でのびあがってする虫たちのあくびの匂いが入って来た。

※参考:猫柳という名前は、花穂が猫の尾に似ていることに由来しています。江戸時代まではカワヤナギと呼ばれていましたが、明治以降に銀色の花穂を猫の尻尾になぞらえて猫柳と呼ばれるようになりました。 猫柳はヤナギ科の落葉低木で、中国、朝鮮半島、日本に自生しています。3~4月に銀白色の花穂をつけ、花穂が美しく切り花などに利用されます。

挿絵
猫柳>

2024.11.18 記す。

★べツレへムの星


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.44

 キリストが生れた時に見なれない星が現われた。このべツレへムの星が何だったのかということで、大勢の天文学者たちは真剣になって沢山の計算をした。聖書にはほんとうらしく書いてあるからだ。

 まだ、べツレへムの星という名をつけられた花がある。ほそばのおおあまなと言われているオルニソガルム Ornithogalum umbellatum である。

 この、六方に張って、緑色を帯びた白い花を見ていると、清浄な星の光を想わないでもない。すがすがしく、少しは神秘的な匂いを嗅いでいる気持ちにならないこともない。

 旧約の列王記略下に、サマリヤに糧食が乏しくなった時、驢馬の頭だの、鳩の糞までが大層値が上がったと書いてある。驢馬の頭の方は、ぐつぐつ煮込めば何とかなりそうだが、鳩の糞とはどういうことなのか。

 これは本物の鳩の糞で、塩の代用にしたのだとか、また聖書の方々に出ているいなご豆のことだという解釈など、いろいろの説があるが、それはこのオルニソガルムだという人もいる。目立つものにはさまざまな名前がつくものだが、星から鳥の糞まではずいぶん隔たりがある。

 またこの花をフランスでは、十一時の夫人と言う。十一時にならないと目を醒さない、寝坊な貴夫人である。

挿絵

2024.11.09 記す。

★沈丁花

★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.201

 庭の沈丁花は一尺たらずのものであるが花を開きはじめた。いつもどこからかこの花の香が漂って来て、ああことしも咲き出したかと思うのに、花の方をことしは先に見つけた。

 小説家の円地文子さんが、御歳よりから教えられてこの花を丁子(ちょうじ)とよんでいたと書いておられたが、僕も確かにそう教えられていた。母は今も丁子と言っている。丁子は日本では見られないモルッカ島原産の熱帯植物であるが、沈香や丁子に香も姿も似ているので沈丁花というのである。

 『本草綱目啓蒙』を見ると「花後実ヲ結ブ南天燭子ニ似タリ」と出ている。日本の沈丁花は普通雄であるために実を結ぶことがなく、僕も見たことはないが、まれに熟して南天のような赤い実がなる。この実は辛いので「こしょうの木」ともいわれているが、さきの本には「実ニ毒アリ食スレバ半日バカリ煩悶ス」と書いてある。僕は沈丁花の実を食べて煩悶している人のようすがどうもこっけいでたまらない。

 円地さんも辞書を引いて沈丁花と丁子とが別のものであることを発見されたようだが、僕も確かに長いあいだ、この花を堂々丁子と呼んでいた。

 

★沈丁花

 生まれ育った故郷の家の庭に二階の大屋根にとどくビワの樹と小さくこんもりとした沈丁花が植わっていた。

 三月ころにその香りを漂わせて花も咲いていた。

2024.10.07 記す

★第七候「蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)」 3/5~3/9頃

 七十二候が啓蟄の初候に変わり、地中で冬ごもりしていた虫たちが、暖かい春の気配を感じて姿を現し始める頃となりました。

 虫と言っても、いわゆる昆虫だけでなく、蛇や蛙、とかげなど、土にひそんで冬を過ごす様々な生き物のことを指しています。

★クロカス


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.189

 十日近く山にいて、吹雪のひどい日に下りて来た。ふもとの春めいたぬかるみの道を歩くことをたのしみにしていたが、汽車に乗っても雪は降り続いていた。それでよけいに、帰宅後のわが庭の変化が目立ったが、出かける前に一二輪咲きはじめていたクロッカスの、すっかり咲き そろっているのが、僕に、山ばかりへはいり込んでいないで、少しは庭を見る季節になったことに気がついてくれと訴えているようだった。

 二列横隊に並べて埋めておいたものが、幾分横へその葉をのばしているのや、頸をかしげているのやさまざまあって、花は花らしくくつろいでいるのは、見ていて楽しい。台所のガラスもこれで当分黄色に光っているだろう。

 僕は古いノートを開き、クロッカス属(さふらん属)とコルシカム属(いぬさふらん属)との相違についておさらいをする。細かいところを実によく忘れている。そんなことをしながら、二十数年前にもらったスイスのカレンダーに、春のざらめ雪の消えて行くへりから順に紫や白のクロッカスの咲き出している写真のあったことを思い出す。「春来りなば……」というドイツ語をその時覚えた。かっきりとした季節の変り目に向って、僕の感動はあまり変化していない。

挿絵
クロカス

2024.11.03 記す。

★ほくろ:春蘭(しゅんらん)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.61

 三年前の春先の山で、一株掘って植えたほくろが、忘れていたが今年はじめて花を咲かせた。もうずいぶん長く咲き続けているけれど、まだ一向にしぼむ様子がない。少しも目立とする気持ちもなく、それでいて立派だ。ほくろは春蘭(しゅんらん)とも言う。蘭の中には、ずいぶんあからさまな感じのものもある。それで秘かに愛されるというよりも、特別な寵愛をうけて品評会に持ち出される。

 僕も、時々、百貨店を歩いている時に、蘭ばかりでなく、薔薇やグラジオラスの展覧会があって、のぞくことがある。その品種の名前だけでなく、そこまで育てた人の名前もついていることが多い。そしていつも素人コンテストの会場を想い出して具合が悪くなる。

 花にせよ、人間の女性にせよ、きれいなものはやっぱりきれいでいいけれど、ある場所に並べられ、その美を競い始めると、美を愛する心をどこかへはじき飛ばしてしまった奇妙な個性だけがそこに並んでいるようで、どうにも淋しいものである。

 家の草むらも、そろそろ賑かになっえ来た。同じ場所に去年も全く同じようにお咲くものや、移動して澄ましているものもある。ほくろはその草むらのかげで大きく手をひろげて大地を抱えてみたいという姿だ。なぜかその顔をのぞいてみることも僕はためらう。さっきまで花の好きな友だちが来ていた。僕は話をしながら時々ほくろのことを想い出したけれど、とうとう見せなかった。

挿絵
ほくろ:春蘭(しゅんらん)
2024.10.27 記す。
 

★第八候「桃始笑 (ももはじめてわらう)」 3/10~3/14頃

 七十二候が啓蟄の次候に変わり、桃のつぼみがほころび、花が咲き始める頃となりました。

 昔は花が咲くことを「笑う」と表現しました。

 桃の花

 桃の花は、梅と桜の間を縫うようにして咲き出します。

 梅は咲いたが、桜にはまだ少し早い3月の中頃、桃のつぼみはほころび始め、旧暦のひな祭りにあたる4月上旬頃、ちょうど満開を迎えます。

 寒白 (梅)

 桃は桜とよく似ていますが、桜は枝から房状に花がついているのに対し、桃は枝から直接くっつくように、あふれんばかりに密集して咲くのが特徴です。

 普通、「モモ」というと採果用の品種を指し、花や樹を観賞するための品種は「ハナモモ」と呼ばれます。

 また、一般にハナモモの実は大きくならず、食べられません。

★第九候「菜虫化蝶 (なむしちょうとなる)」 3/15~3/19頃

 七十二候が啓蟄の末候に変わり、菜虫が蝶になり、飛び交い始める頃となりました。

 菜虫とは、大根や蕪などの葉を食べる青虫のことで、一般的には蝶の幼虫などを指します。

 菜の花が咲いて、蝶が舞い始めると、いよいよ本格的な春の到来です。

 畑を荒らし、害虫と呼ばれ嫌われていた幼虫は、冬の時期にさなぎの姿となり、じっと寒さをこらえて越冬します。

 そして春、暖かくなり始めると1週間ほどで羽化します。

 蝶へと生まれ変わり、ひらひらと美しく舞う姿は、まさしく春の象徴と言えます。

★もくれん


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.55

 よく観察するためには、離れて見詰めているだけでは足りないし、時にはある方法をもって、可能なものにも手を下さなければならない。大切そうに、少しずつあたりの容子をうかがいながらのびて来た木の芽をちぎり取って、剃刀の刃でずばりとやらなければならない。こうして僕はこれまで何匹かの蝶を殺し、花を摘んで花弁(はなびら)をむしった。美しく咲くべき花の芽にとっては、たとえ僕がそこからどんな貴い知識を得ても、何かしら残念な行為には違いない。

 しかし僕はもくれんの芽を切ってその容子を見た時に安心した。それは一種卑怯な安心である。この花芽と葉芽とをあたたかく守っているビロード製の苞(ほう)。北風からも、あの雪からも、時には小鳥の痛い嘴からも守っていた苞は、どこを見ても無理がなく、自分の使命を実に満足げに味わっているのだった。

 自分の腕の中へしっかりと子供を抱きかかえていられるあいだ、親はちょうどこのとおりの、苦しみを片っぱしから忘れて行くような、おだやかな幸福を味わっていられるのだろう。けれども、このもくれんの芽も、春とともに成長し、ふくらみ、苞を脱ぎすて て、もうそれを不用ののものとして地上に落とす時が来る。そして、あの大きな花が咲く。僕もまた大切に守り育てたものが、僕を振りすてて行くことを欣(よろこ)ばなければならない時が来るだろう。

挿絵
モクレン(シモクレン)
モクレン
2024.10.26 記す。

★第十候「雀始巣 (すずめはじめてすくう)」 3/20~3/24頃

 七十二候が春分の初候に変わり、雀が巣を作り始める頃となりました。

 昼の時間が少しずつ伸びる春から夏にかけては、雀にとっての繁殖期で、早朝から夕方まで、枯草や毛をせっせと集めて巣作りを始めます。

 秋の収穫時には稲穂をついばむいたずら者として憎まれることもありますが、ふっくらとした姿かたちや鳴き声は、言いようもなく可愛いものです。

 くちばしが太く短いスズメは、メジロやヒヨドリのように、花の中にくちばしを深く入れて蜜を吸えないことが理由だそうです。

★第十一候「桜始開 (さくらはじめてひらく)」 3/25~3/29頃

 七十二候が春分の次候に変わり、桜の花が開き始める頃となりました。

「花」といえば桜をさすほど、桜が大好きな日本人。

 桜の「開花」とは、各地の気象台が観測している標本木の花が5~6輪咲き始めた状態を言います。

 また、「満開」とは、つぼみの8割以上が開いた状態のこと。

★第十二候「雷乃発声 (かみなりすなわちこえをはっす)」3/30~4/3頃

 七十二候が春分の末候に変わり、初雷が鳴り出す頃となりました。

 2月4日頃の立春後に初めて鳴る雷のことを「初雷」、春に鳴る雷を「春雷」と呼びます。

 雷といえば夏に多いものですが、「春雷」は夏の雷と違って激しくはなく、一つ二つ鳴ったかと思うと、それきり止んでしまいます。

★雪柳


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.172

 雪柳は僕の庭にも一本あるが、近くの公園の池のへりに並んで植えられてあるので、花の咲き具合を見るのには便利である。この小灌木の名は、花が咲くと雪をかぶったようになり、そしてその枝が柳に似ているのでこう呼ばれているのであるが、ほんとうの花の時期は四五月ごろである。花の一つ一つは小さいうえに、それほど特徴のある形もしていない。けれども離れて見た時の、その集団の美しさは、花ということを忘れてたのしい。

 ところが、なにも手を加えないのに、この花はよく狂い咲きをする。去年の秋、かなりおそくなってから、池のへりでずいぶん花を見たし、今は年を越える時分に開いたものが黄ばんでくっつているほかに、また一ニ輪ずつ新しく咲いている。

 園芸の本を見ると、「促成栽培が容易」だと書いてある。花の少ない冬に人の気持を慰めてくれるし、せっかちな人の心をくんでくれるわけだ。しかし、勝手に狂った咲き方をし、気まぐれた人を驚かせることはいいとして、促されて簡単に花を見せるというのは、僕のモラルでは少々戒めてやらねばならない態度である。

挿絵
雪柳
2024.11.19 記す。

  ★チューリップ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.62

 文献による僕の知識では、この球根たった一個で、寝台、衣服一揃い、小麦二駄、ライ麦四駄、牛四頭、豚八頭、葡萄酒大樽二、ビール四樽、バター一樽、チーズ1000ポンドに値したという時代があった。そのころの話で、持参金としてチューリップの球根を一つ持って来たお嫁さんを貰って狂喜した男もいる。これは一六三四年から三七年にかけての、オランダのチューリップ狂時代のことである。

 チューリップは南欧には野生もあったが、栽培種が近東から入ったのは十六世紀後半で、たちまち大流行となった。この栽培種は突然変異で、さまざまの雑色の花が現れるのが特徴であるが、オランダの栽培家たちがこれに注目し、競って新種を作り出すようになった。そのため、貴族も農民も、また煙突掃除人までが商売道具を売り払って種子をまき、球根を育てて成金の夢を見、その投機に士農工商入り乱れて熱中し、花の美しさなどはどうでもいいことになった。一六三七年春、突如破局が来て取引は停止され狂瀾は終ったが、後この熱は英仏へ移り、アディスンやラ・ブリュイエールの文中に出て来る。デュマの『黒チューリップ』にオランダの狂乱時代を描いたものがある。彼はこの小説の中で、四月中旬に植えた球根を翌月初めに咲かせているが、これは少々無茶な話である。

挿絵
チューリップ
2024.10.28 記す。

★第十三候「玄鳥至 (つばめきたる)」 4/4~4/8頃

 七十二候が清明の初候に変わり、夏鳥のツバメが渡来する頃となりました。

「玄鳥 (げんちょう)」とはツバメの異名で、黒い鳥という意味です。

 冬を暖かい東南アジアで過ごしたツバメたちは、繁殖の為、春になるとはるばる海を渡って日本にやってきます。

 バメが飛来してきたら、本格的な農耕シーズンの始まりです。

 ツバメ

 日本では昔から、「ツバメが巣をかけると、その家に幸せが訪れる」

 という言い伝えがあり、ツバメは大切に扱われてきました。

 これは、ツバメは米などの作物を荒らさず、害虫だけを食べてくれる益鳥として親しまれてきたことも関係しています。

 ツバメのひな達

 泥を集めて巣作りをし、飛びながら虫を食べるツバメ。

 鳥のさえずりを、意味のある人の言葉やフレーズに当てはめ、憶えやすくしたものを「聞きなし」といい、ウグイスの「法、法華経 (ホウ、ホケキョ)」が有名ですが、ツバメの場合は「土食って虫食って渋~い」と聞きなされてきました。


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.203

 僕が去年、山へ登るまえに泊まった新潟県のある村の宿屋は、その部屋をスケッチ・ブックに描いておいたほど、黑光りがしていて大きな柱がそこここに見え、感じがよかった。

 山へ登る朝、少し寝坊をしてしまったので急いで靴をはいている時、そこの土間の天井に燕の巣があって、親燕はその子供にせっせと餌を運んでいた。燕の渡って来るのは、その辺だと四月なかばごろだろうか。まだそれでも雪深いところなので、村の人たちはもう燕が来たなどと言って空を見あげることだろう。

 燕が子供に餌を運んでいる様子は、都会にいてもよく見られるが、子供たちが三角に大きくひらいて、喉のどの辺で鳴くのか、せっくように騒ぎ立てている。親は順に餌を口に入れてやっているだろうのに、その度に、一応全部の雛鳥が大きく口を開いて騒ぐ。ひょっとしたらまちがえて、続けて自分の口に虫を入れはしないかとおもうのだろうか。

 そういえば人間の子供でも、兄弟で、何か貰う時にはいざこざが起りやすい。不公平を監視する幼い目は光るし、自分だけに多く分配されるのを期待する目はするどく、またあどけなく光る。

 その燕の子たちが飛び立って行く、やわらかな初夏がまたやって来る。

2024.10.07 記す。

★桧葉やどりぎ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.151

   三宅島の阿古小学校の先生が、この春先から四年の生徒といっしょに島の植物を採取し、謄写版で百種の植物を図鑑にされたものを送って下さった。

 この先生も植物を特別に勉強された方ではないらしく、苦心して調べ、それがていねいに整理されている。今後も続けて行くということだが、ほとんど実物を丹念に写生し、またその記載が子供たちのために面白く書いてある。「ふじなでしこ……さびがはまにたくさんあったな」というふうに。

 こういうふうに書いてあると、子供たちもああそうか、あれかと思う。そして名前を知りたいと言ってはさんであったのが、この桧葉(ひば)やどりぎだった。

 島の人は椿の葉が化けたと言っているそうだが、さかき、いぬつげその他にも寄生するもので、僕もはじめて見ることが出来た。紀州の高野山や名古屋の長禅寺などでは、霊木として、いろいろの伝説を結びつけているらしい。

 島の人は、椿の葉がいったい何に化けたと思っているのだろうか。かにさぼてんと見る人もいるだろうし、その名のように檜の葉とも見える。島の方言には「つばきひじき」というのもある。寄生されている以上、もとの木は害をこうむる。これは動物でも、僕たち人間でも、また国のようなものでも同じことである。

※参考:ヒノキバヤドリギはツバキ科(ヒサカキなど)、モチノキ科、モクセイ科などの常緑樹に半寄生(自ら葉緑素を持ち光合成を行うことができる)して、水や養分を ...含まれない:

挿絵
桧葉やどりぎ
2024.11.16 記す。

★平成五(1993)年四月七日水曜日:岡山市半田山植物園に行く。知人と。以下の花を見た。

▲トサミズキは葉が出るよりも先に、3月下旬から4月に、5~7個の丸みのある黄白色の小花が連なり花序になって下垂します。トサミズキは四国地方を原産としていますが、特に名前が示すように高知県内の山地の石灰岩地域に多く生育しています。枝はやや太くまばらに分岐し、ややジグザグに稲妻形に伸長します。枝が少なく野趣に富んだ軽快な樹形で、よくひこばえを出すために株立ち状の樹形となるものもあります。本種は葉が円形から広卵形で厚く、左右が非対称になり、また若い枝や葉柄に毛があることでほかの種(ヒュウガミズキ、イヨミズキなど)と区別できます。

▲ヒュウガミズキは近畿地方(石川県から兵庫県)の日本海側の限られた地域の岩場に自生している、樹高1.2~2mの落葉低木です。花は、葉が出るよりも早く3月下旬に2~3個の丸みのある黄白色の小花が花序になって、数多く下垂します。枝は細くたくさん分岐し、半球状の整った樹形になります。刈り込んで樹形を整えることが簡単にできるので、樹形づくりを楽しむことができます。 本種に類似したものにも、イヨミズキなど地名を冠した名称のものがありますが、いずれも必ずしも原生地とは限りません。本種の名称も別名のヒメミズキが訛ったとの説があり、日向(宮崎県)には自生していません。

▲御衣黄は鬱金とともに特異な花色の品種として江戸時代から知られています。DNA解析により鬱金とは枝変わり関係にあることがわかりましたが、御衣黄として栽培されている中には、小輪で緑色の花が咲く個体と中輪で薄黄緑色の花が咲く個体があります。今後、整理が必要とされます。

2024.10.15 記す。

トサミズキ
ヒュウガミズキ
御衣黄
鬱金

★第十四候「鴻雁北 (こうがんかえる)」 4/9~4/13頃

 七十二候が清明の次候に変わり、冬鳥の雁が北へ帰って行く頃となりました。

 ツバメの渡来とは入れ替わりに、冬を日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていきます。

 鴻雁とは、渡り鳥の「がん」のことですが、「鴻」は「ひしくい」と読み大型のがんを、「雁」は小型のがんを指しています。

「雁」「雁渡る」は秋の、「雁帰る」は春の季語です。

 昔話に「雁は海で休むための枝をくわえて渡りをする」という言い伝えがありますが、その枝とお茶の茎をかけたのが「かりがね」の名の由来と言われています。

 10月上旬には「鴻雁来 (こうがんきたる)」という季節があり、春に帰っていった雁が、その頃また日本へとやってきます。

★春紫苑


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.82

 今、どこの庭にも、路傍にも、電車の走る土手にも、ほとんどいたるところにといってよいほどに春紫苑が咲いている。

 無論僕の家にも抜いてすてたいほど咲いている。白いのが普通だが、時々ごくうすく紅をさしたようなのもある。エリゲロン・フィラデルフィクスという学名であるが、フィラデルフィアの春の翁ということになろうが。北米原産の多年草である。

 昭和五年に初版の出た園芸の本を見ると、最近四五月ごろに花戸(かこ)で見かけるようになったが、繁殖力が非常に強いので、今にほうぼうに雑草化するのではないかと書いてある。この筆者の予言はそのとおりになったて、今では春紫苑はもう売りものにならない。

 花にとっては、この繁栄ぶりはよろこぶべきであるが、そうなれば名前も忘れられ花びんにさされることもなくこんなものが昔はねえ、と言って見る人もあるが、春紫苑は昔も今も全く変りなく、人間の評価とは無関係に澄してきれいな花を咲かせている。

 僕は雑草という言葉を使うときに、その花の気持がぴんと響いて来てためらわざるを得ない。動物の中でも、数が少なければ大事にされ、天然記念物となって保護をうける。人間はいまのところ、とうてい記念物となる望みは持てない。雑として扱われる。そして僕の書くものもすべて雑誌の中へたたき込まれる。

※参考:春紫苑(ハルジオン)という名前は、キク科の植物「シオン(紫苑)」に似ていることから、植物学者である牧野富太郎氏によって名付けられました。シオンは秋に咲く紫色の花で、ハルジオンは春に咲くシオンという意味です。

挿絵
春紫苑
2024.11.13 記す。

★しゃが


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.211

 僕がまだ小さいころには、小さい僕にも巻紙で手紙をくれる人が幾人かいたし、そういう人には僕の方からも巻紙をもって返事を書いたものだった。その一人に、特別親しい知り合いでもなかったが、よく手紙の中に絵を描いてくれた人がいる。もちろん、巻紙に描く絵だから日本画だったが、誰が見てもこれは上手だと感心するようなものだった。もっともその人は建築家で、ヨーロッパを回って来たこともあり、ローマの話などをしてくれたものだった。

 気節の花がおもだったが、ある時、しゃがが描いてあった。僕はまだ名前を知らなかったので、多分母から教えられたのだと思うが、次に実物を見た時に、それはしゃがだと確信をもって言えるほど正確にそれらしく描けていた。

 それで、この花の名を覚えるについては、大変に贅沢なことをしたようにも思っているが、しゃがという名は射干と書く漢名から来たのではないかという説しか聞いていない。けれども射干は、ひおうぎのことであろう。それからこの花のことを胡蝶花(こちょうか)とも書いているが、しゃがに一番よく似ている蝶というと何だろうか。色はともかく、姿は「シーたては」ということだろう。

2024.10.23 記す。

★第十五候「虹始見 (にじはじめてあらわる)」 4/14~4/19頃

 七十二候が清明の末候に変わり、冬には見かけなかった虹が現われ始める頃となりました。

 春が深くなるとともに、だんだんと空気が潤ってくるので、この時期から雨上がりに虹を見ることが多くなります。

 春は陽の光はまだ弱く、その分、夏の虹に比べると淡くはかない虹ですが、それもまた趣があり良いものです。

 晩秋には、また陽の光が弱まって虹を見かけなくなるということで、「虹蔵不見 (にじかくれてみえず)」という候があります。

★樅


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.168

 クリスマス・トゥリーとして売り出されているものは、必ずしも樅の木ではない。近よって見るこのと種のものはかえって見分けがたく、遠くから見ると色がちがう。実際、日本のクリスマスでは部屋が飾れれば何の木でもいいのだし、無花果の枯れ木に白ペンキをぬったものなどかえってきれいなものだった。

 僕の家のは、まだ子供の乳母車があってそれにのせて買ってきたのだから、もうずいぶん古くなるが、今は下枝がなく、まことに貧弱な樅である。植木鉢が小さくなって」しまって、苦しくてたまらないのである。

 しかしこの木については、毎年毎月ごろに一番成長するかをはかったり、こずえに出る新しい芽の出かたを記録したりした。ある年、新しい葉が巻いて、その中に小さい幼虫を見つけた。これは明らかに害虫であるが、正体をつかみたいので、樅の木は擬制になった。まだ確信をもっては言えないが、恐らく「もみひらたはばち」という蜂の幼虫だろうと思う。六月ごろに羽化するところを見とどけたいと思いのがしてしまう。

 こんな樅にはもう何も飾れない。そのやせほそり方からいって、これはキリストの木と呼ぶことにした方がよさそうである。受難のキリストの生れかわりである。

※参考:モミ(樅)という名前の由来には、次のような説があります。

 風に揉み合う様子から「揉む」を語源とする説

 美しい萌黄(もえぎ)が語源という説

 神聖な木で信仰の対象となっていたことから「臣の木(オミノキ)」が転じて「モミの木」となったという説 モミはマツ科モミ属の常緑針葉樹で、モミソ、トウモミ、モムノキ、サナギ、オミノキとも呼ばれます。厳しい冬でも葉が枯れずに色鮮やかな緑を楽しめるため、昔から強い生命力の象徴とされ、神聖な木として扱われていました。クリスマスツリーとして飾られるのも、このためです。

 モミの学名は、シーボルトとツッカリーネによって命名されており、「硬いモミ」という意味です。

挿絵
2024.11.14 記す。

★花菱草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.79

 北米カリフォルニアあたりが原産で、明治のはじめに渡来したものだという。それでカリフォルニア・ポピーというわけだ。鉢植えのものを買って来ると、黄色というよりも赤に近いぱっとしたオレンジ色の花が見られる。ホントニ、キレイデス。一面デス。とアメリカの人が言った。それはそうだろうと思う。ところが、種から育てると案外ひねっこびた花が咲いたりする。僕の庭は寒いからいけないのかも知れないが、どうもかなしい花しか咲かない。それでもいいのだが、僕はこの花のことをずっと前に書いてからある種の痛々しい親しみを感じて、よく育ってくれないと、なにかしら自分のせいのような気もする。そしてついに畸形が生れた。

 このあいだから、どうも葉の一部がちぢれていると思って、毎日それとなく気にしていたのが、その一部から黄色の葯(やく)のようなものが生じ、その数は十五本ほどで中央は緑色だった。そうかと思うと鳥の翼に似たものもあり、気味の悪いほど痩せた指をすり合わせているようなところもある。畸形の説明は詳しくしても要領を得ないものだが、ともかく花が変化したものである。それを写生しながら思ったのであるが、僕は精神的な畸形をを知らずしらず面白がっていることが多い。第一僕自身の精神だって正常だという証拠は何もない。けれども、自分の育てたものがこんなふうになると、珍しがるよりもやはりいやだった。

※参考:花の名前の由来:花の形が花菱紋に似ていることに由来しています。4枚の花弁が菱型に並ぶ様子が特徴です。

挿絵
花菱草
2024.11.11 記す。

★えぞすみれ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.200

 ラ・フランスとか、プリンセス・オヴ・ウェールズとか、立派な園芸種のすみれも、もちろんきれいでそれにふさわしい箱に入れたり、リボンをかけると、すみれは私たちの複雑な気持ちをそっくり引き受けて、これを贈った人の前へ出た時には、言いたいことをうまく喋ってくれるかも知れない。重宝なものであるけれど、やっぱり、こっ恥かしいことには変りない。

 けれども春から夏にかけて野山や路傍でめぐり合う数々のすみれを、記憶の箱の中へ採取して、それを思い出す時には語り合うことも出来るだろう。

 薄く濃く、また赤味を持ったさまざまな紫。白いすみれ、夏の山に咲くたかねすみれやきばなのこまのつめ。えぞすみれはえいざんすみれ、かくれみのなどという別名も持っている。そして一つの大きな特徴は葉が裂けていることである。普通三つに裂け、それがまた二つに裂けているので、花を着けないうちはすみれの葉とは思えない。僕が春の山道を歩いている時ににこっそりさがしている花である。

挿絵
えぞすみれ
2024.11.04 記す。

★第十六候「葭始生 (あしはじめてしょうず)」 4/20~4/24頃

 七十二候が穀雨の初候に変わりました。

 だんだんと暖かくなり、野山だけでなく、水辺の葭 (あし) も芽を吹きはじめる季節です。

 葦の茎は、竹同様に中が空洞なので、軽くて丈夫です。

 葦簀 (よしず) や葦笛 (あしぶえ) 、茅葺き民家の屋根材などとして、古くから様々な形で利用され、人々の暮らしに身近な植物でした。

★一輪草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.184

 春先の山の麓の暖かそうな草むらに、すっきりと白い花を見せている一輪草を見つけると、誰かが白秋の詩を想い出すだろう。「真実寂しき花ゆえに、一輪草とは申すなり」「……一輪さくのが一輪草、二輪さくのが二輪草、まことの花を知る人もなし」

 寂しい花ではあるけれど、一輪草は明るい。二輪草のようにふたりで明るく咲いているよりも、ひとりで明るい顔をしているのはけなげな様子にも見えてうれしくなる。

 この花には、支那に伝説がある。ある家にかわいらしい子供がいて、両親から大切にされていた。その子供が、まだ五つにもならないうちに死んでしまった。両親は大そう悲しんで、毎日その墓のまわりをうろうろ歩いては泣いていた。ところがある晩、その子供が夢にあらわれ、一本の花を持っていた。そして、「私はいま浄土にいて幸せにしていますけれど、御両親があまり悲しんでいらっしゃるの御仏が気の毒に思われ、私にこの花を持たせたのです。私と思って育てて下さい」と言った。悲しみの心のまよいかと思ったが、夜の明ける待って墓へ行くと、そこに、夢にみた花が咲いていた。両親は自分の愛児の魂として大切に育て、それが一輪草だというを

2024.10.08 記す。

★ニ輪草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.194

 二輪草が咲いた。確かに花は二つあるが、そろって開かず、片方はまだ蕾がかたい。ほとんど無数の花を一度に咲かせるものもあれば、下の方から順に咲き上って行くものもある。二輪草は、どういう気持ちかよくわからないが、」せめてにこやかな顔を揃って見せればいいものを、こうして遠慮している。

 北原白秋の「……一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草のとおりであるが、この花の数が二輪とは限っていないし、同じアネモネ属には三輪草もあるので、断定を下すまえに、十分の用心が必要である。

 中国の伝説に、かわいがっていた子供が死に、悲しむ親の夢にあらわれて、この花を私と思って育ててくれという話があるが、その花が、一輪草であったり二輪草であったりしている。

 この白い花弁のようなものは萼で、普通は五つとなっているけれど、僕の眼の前に、いくぶんうつむいていて、困ったような顔つきをしているのは七つである。花弁はないことになっているが、二輪草も花びらを開いてみせているつもりではないかと思う。余計なことだが、雄蕊がだいぶ多すぎて、うるさそうである。

挿絵
ニ輪草
2024.10.29 記す。

★第十七候「霜止出苗 (しもやみてなえいずる)」 4/25~4/29頃

 七十二候が穀雨の次候に変わりました。

 暖かくなるとともに、霜が降りなくなり、苗が健やかに育つ頃です。

 種籾が芽吹き、すくすく青々と伸びていきます。

 10月下旬に二十四節気は「霜降」へと移り変わり、この頃からまた霜が降りはじめます。

2024.10.13 記す。

★黒百合


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.227

 少年時代に立山へ登り、ザラ峠をとおった。この峠は佐々成政が通った峠である。その近くで黒百合を見た。

 これはあのあたりへ行った人ならば珍しい経験ではないが、そこで黒百合の伝説をきいて、ふしぎな気持になった。花の伝説というものは、時たまなまなましい感じを与える。

 佐々成政は、妾の小百合と小姓の竹沢龍四郎の中を疑って、二人を殺した。それでも足りずに小百合の一族を十八人も殺した。小百合が殺される時に、恐ろしい顔になって、「立山に黒い百合が咲いた時は、佐々の家はほろびる」と叫んだ。それから後、黒い百合が咲いたのを成政は淀君に献じた。そのことから北政所の怨みを買って、最後にはザラ峠を越えて関東へ落ちなければならなくなり、死にのぞんで言った早百合の言葉のとおりになった。

 黒百合という花に、僕自身は何も関係ない。というより、僕は僕らしくこの花との関係を結び、想い出を持てばいいわけであるが、伝説の力が強くききすぎることもあって、暗い紫色がどうも気になる。そして花の伝説を知ることは恐ろしいと思う。

※石川県の「郷土の花」である(「県花」ではない。

挿絵
黒百合

2024.10.14 記す。

★第十八候「牡丹華 (ぼたんはなさく)」 4/30~5/4頃

 七十二候が穀雨の末候に変わり、牡丹の花が咲き始める頃となりました。

 牡丹は、晩春から初夏にかけて直径10~20cmの豊麗な花をつけ、色も紅・淡紅・白・紫など様々です。

 牡丹の花は、20日ほど楽しめることから「二十日草 (はつかぐさ)」の別名も。

 ちなみに、牡丹の花言葉は、その名にふさわしく「王者の風格」。

2024.10.13 記す。

★なんじゃもんじゃ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.38

 未知の読者からのお手紙により、明治神宮外苑のなんじゃもんじゃが枯れそうだというのでお見舞いに行った。植物医でない僕には何とも診断が下せないが、野球場の外の素人野球の鞠が飛び交う芝生に、全く邪魔もののように、痩せほそって立っている姿は気の毒である。この木の本名はひいらぎ科のひとつばたで、大正十五年の明治神宮奉賛会が立てた傍らの石碑にもその名は大きく書かれている。

 「此の樹は古くより青山六道の辻にありて俗に六道木又ナンジャモンジャとも呼べり吾邦に稀なるものを植物学者の注目する所となり旧時の位置をそのままに維持し来り大正十三年天然記念物として指定せられたるものなり」

 またそのそばには、「右原樹は昭和八年枯死したるにより、嘗て其樹より根分けして育てたるを昭和九年十一月植え継ぐ」と書いてある。僕はいかにも栄養不足で、もう神経も衰弱し切っているような幹を撫で、写真を撮った。そんなことをしたところで、どうなるものでもないのに。

 ところで、なんじゃもんじゃという名は、水戸黄門がそう名づけたと言われる千葉県神崎神社の楠(くすのき)を本物または元祖として、筑波山のあぶらちゃん、山梨県の鶯宿峠(うぐいしやどとうげ)のりょうめんひのきなど、方々でいろいろの木につけられている。奇妙な現象のような気もするが、風変わりな得体の知れない男が、昔はみんな哲学者と呼ばれていたようなものだろうか。便利な名前である。

※参考:「なんじゃもんじゃ」は、ヒトツバタゴの別名で、その由来は、他では見られない珍しい木を珍しがって呼んだことにあります。

ヒトツバタゴは、本州中部の木曽川流域と対馬に自生する落葉高木で、初夏に雪を被ったように真っ白な花を咲かせます。日本では東濃地域と愛知県、長崎県対馬市の一部でしか自生しておらず、自生地では国の天然記念物に指定されています。

「なんじゃもんじゃ」の由来には、次のような諸説があります。

水戸黄門が下総の神崎神社の御神木を「この木はなんじゃ」と尋ねられたとき、土地の人が「なんじゃもんじゃ」と問い返したという説。

神社・仏閣にある御神木と見慣れぬ種類の大木を「なんじゃもんじゃ」と呼ぶ説。

木草学者の水谷豊文が、タゴノキ(トネリコの方言名)と見誤って単葉のタゴ、つまりヒトツバタゴと名づけましたという説。

ヒトツバタゴの英名は”Chinese fringe tree”で、「fringe」とは「ふさ飾り(状のもの)」を指します。

挿絵
なんじゃもんじゃ

2024.11.20 記す。

★びろうどもうずいか


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.92

 こんな変な名前の植物が、ドイツ、イギリス、フランスの小説の中などに時々出て来る。もちろん日本の植物ではないが、だれが日本名をつけたのか、このもやもやした長い名前がいかにもうまくその植物を言いあらわしている。というのは、三年ほど前、ある薬草園でこぼれていた種子を拾い、庭へまいたら、高さ二メートル以上にも及ぶ毛深い化け物ンおようなものが出て来たが、これがびろうどもうずいかで、今年も黄色の花を咲かせている。

 種子が沢山とれるので、よかったらあげようかと言っても、庭に咲いているその姿を見てしまったものは、まあいいやと言って持ってゆかない。

 新聞にこの植物のことを書いたら、米沢、秋田の方から、近くに生えているという葉書を頂いた。駐留軍が来てからのことか、その辺のところはよく分からない。

 外国では、書物によって調べてみると、この花には、悪魔はらいの力があるとか、これを採取すると雷に打たれるとか、花の位置で冬の寒さを占うとか、さまざまの言いつたえがある。またこお植物を蔽う毛は細かに枝分かれしていて、蝋燭の芯にする。薬草としては、肺炎、気管支炎、痙攣、痛風、歯痛、神経質に効くということであるが、そんな威力を持っていることが分ると、種子をひろったばちでも当りそうな気がして来る。

※参考:ビロードも毛蕊花も毛の多いことからの名前で、花や茎、葉の全てに細かい毛がある。

挿絵
びろうどもうずいか

2024.11.17 記す。

★鈴蘭 P.224


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.225

 街を歩きながら、花屋の店頭や、そのほかのところで鈴蘭を見ると、僕は必ず想い出すことがある。それはある高原の療養所から送られて来た一通の手紙である。

 その療養所の一患者からの手紙だったが、自分のいる病棟のわきには、鈴蘭がきれいだった。鈴蘭ばかりでなく、いちやくそう、べにばないちやくそうなどの花も眺められたのに、この二三年、患者たちが根ごと掘り、中には大量に掘って都へ送り、お小遣いかせぎをしている人もある。それで、今年などはもう余程遠くまで歩いて行かないとそんな花を見ることが出来なくなってしまった……、ということが書いてあった。

 僕はその手紙をよんで淋しくなったし、もう長いあいだその療養所にいるらしい、花を愛するその患者をどういう言葉で慰めたらよいか困った。もうあれから三年たつが、どういうことになっただろうか。

 鈴蘭の一種に「ドイツすずらん」がある。これは英語で Lily of the Valley, フランス語でも Lis des Vallies といい、共に「谷間の百合」であるが、そのまま直訳されると、少なくとも鈴蘭とはちがった花を考えるだろう。

※参考:スズランの名前の由来は、白い鈴のような花をつけ、ランの葉に似ていることに由来しています。学名の「Convallaria majalis」は、ラテン語の「谷(Convallaria)」と「5月に花が咲く(majalis)」という意味です。

 スズランには、次のような別名や花言葉があります。

「聖母の涙」という別名があり、キリスト教の伝説に由来しています。イエス・キリストが十字架にかけられ母マリアが涙した時、その涙が流れ落ちた地面からスズランが咲いたという伝説です。

 花言葉には「再び幸せが訪れる」「純粋」「謙遜」などがあります。春の訪れを知らせてくれる花であることに由来して「再び幸せが訪れる」という花言葉がつけられています。

 和名には「君影草」という名前もあります。

 スズランは全草に強い毒があり、赤い実を食べたり、若葉をギョウジャニンニクと間違えたりするなどの注意が必要です。切り花で使う場合は特に飾る場所には注意しましょう。

挿絵
鈴蘭

2024.11.17 記す。

★さるとりいばら


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.244

 動物の中でも賢いことになっている猿でもこの刺にはひっかかる。ことりとまらずとか、へびのぼらずとか、動物の動作を、その植物を見て何とはなしに想像させるのはおもしろい。

 僕もこのさるといりいばらに引っかかることがある。そのてららてらと艶の葉を見ると一応は警戒しているが、河原のへりの草むらの道の道もないようなところを歩いていると、ぱりぱっと気持ち悪くからまることがある。

 田舎住いをしていた時分、幼い子供がどうしても昼寝をしないような時、無理に寝かそうとしてもつまらなくなり、河原へ遊びに行く。石ころのあるところばかりを歩いていればいいが、川の水の曲り具合でそうばりも歩いていられず、藪にはいると、子供は急に声を出すことがある。

 そんな時に見ると、さるとりいばらにかかって、小さい草履をはいている足があわれに見える。仕方ながなく背負って、手をうしろへ回して歩いていると、今度は僕がこれにやられる。早く赤い実が出来てくれれば、それを危険信号にしてよけて行くが、緑っぽい花の時にはだめだ。どうしてこんな意地の悪い草がはえるのだろうと思う。

挿絵
さるとりいばら

2024.11.05 記す。

★においすみれ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.187

 庭の日溜りに、幾種類かのすみれを集めてみようと思って、毎日胴乱をかついで草原や土手に沿って道を歩いたことがある。そして新しい種類を見つけると、ていねいに掘ってその発見の場所を手帳に記録した。

 僕の書く文章は少々甘ったるいところがあるかも知れないが、批評をして下さろうとする方は星菫派(せいきんは)を想い出して下さるらしい。まことに光栄である。批評家は案外語彙が少ないと見えて、同じようなことを何度も言われているうちに、わが庭少々すみれを植えておかないと申しわけないような気持になって来た。星はどうもわが庭に並べて光らせておくことが出来ないので。

 ずいぶんすみれがふえてるね。少し貰っていい? そう言って持って行くすみれは大がいにおいすみれである。色が濃くていい匂いがして、何となくつやつやしているのを選ぶ。彼らはそれを庭へ植えるのかどうか知らない。誰かの胸にでもさしてやろうという魂胆かも分らない。それならば、彼らこそ、そのすみれに感謝すべき星菫派でなければならない。

挿絵
においすみれ

2024.11.03 記す。

★富士桜


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.77

 小型のさくらなのでまめざくらという名もあるが、富士山の麓ではいま満開である。ぼけと一緒に自分の季節をたのしもうとしている。

 高等学校のころ、友人と絵具箱をかついで箱根の方をスケッチ旅行をした。その時、峠をクウクウと言って越すバスの、若い女の車掌さんに教えてもらったことを忘れずにいたかれんなさくらである。富士の広い裾野には、五六ミリにのびたからまつの芽が、うす緑の、ねむたい色を果しなく煙らせていたが、その中で、若い少女のあどけなくきょととした眼のように、ふじざくらは咲いていた。

 しかし、このさくらの花は、ほとんどすべてが下を向いている。のぞき込んでもじっと下を向いて、首をちぢめてる。雨も降り出していたが、そんなことでこんなに臆病者らしくしているはずはない。それともこれがこのさくらの特徴なのかと思っていると、頭上を大砲の弾が飛び、また近くで、機関銃の音がしはじめた。何という腹立たしい音だろう。なんという殺伐な響きだろう。しばらく行くと、白ペンキの立札に、大きく黒々と、「弾は路の三〇〇〇フィート上空を通過するから危険はない」と書いてある。そんなことを言ったって僕は安心しない。すべてがぶちこわしである。溜息をつくばかりである。まして小心のふじさくらには、この音がたまらなく怖いのだろう。

挿絵
富士桜
2024.10.28 記す。

2024年05月02日(木)

誕生日花:ムシトリナデシコ(ナデシコ科) 花言葉:青春の愛

 ムシトリナデシコ(虫取り撫子)は、ヨーロッパ中南部原産の一年草である。 茎は直立し、上部で分枝する。高さ50~60㎝になり、茎や葉の全体が平滑で白粉におおわれる。

 葉は全縁の卵形または卵状披針形で、基部は無柄で茎を抱き先端は鋭形である。

 茎の上部の節下には環上に粘液を分泌し、これに虫がつくとこからハエトリナデシコともよばれる。

 開花時期は、5~6月である。 園芸種では玉咲きのものが栽培されている。 場所によっては路傍に野生化し群生している。]

▼ラジオ体操参加者:黒崎、西田、真水(3人)。有岡、小寺、佐藤、武田、槌田、久岡、真水、村田(8人)。

▲岡山暦情報 日出~日の入り時間=13:37分

常用薄明:4時46分 日の出時刻:5:13分 薄明時間=27分
常用薄明:19時17分 日の入り時刻:18時50分 薄明時間=27分 

★岡山市中区の天気 21/10

0時 晴れ 12 3時 晴れ 11 6時 晴れ 10 9時 晴れ 16
12時 晴れ 19 15時 晴れ 21 18時 晴れ 20 21時 晴れ 16

★花の名前を知る:路傍の花を切りとって、ラジオ体操に参加。

槌田さんに見せると「ヒナゲシ(雛罌粟)」と教えてくれた。

村田さんがスマートフォンで撮影して見ると、写真とその名前が出てきた。便利なものだと思った。

[ケシ科ケシ属の一年草で、原産地は中央ヨーロッパ~地中海沿岸。

我国への侵入が確認されたのは1961年で、世田谷区で発見されて以降、各地に拡散。

花期は4~5月で、長い花柄の先端に、直径3~6cmの花を一つだけ付ける。

花は橙赤色~紅色の1日花。 花弁は4枚で、雄しべは多数。

果実は蒴果。長楕円体で長さ2~3cmのポット状。果実には小さな種子が、1000個以上入っている。種子は長さ0.7~0.8mm、表面に網状脈がある。 なお、ケシの仲間ではあるが、アヘンの原料となるアルカロイドは含まない。

★虞美人草(ひなげし)・睡蓮関連


寺田寅彦「藤棚の陰から」

       一

 若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑をドライヴしていた。ナンジャモンジャの木はどこだろうという話が出た。昔の練兵場時代、鳥人スミスが宙返り飛行をやって見せたころにはきわめて顕著な孤立した存在であったこの木が、今ではちょっとどこにあるか見当がつかなくなっている。こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人の学生が大きな声で話をしている。その話し声の中に突然「ナンジャモンジャ」という一語だけがハッキリ聞きとれた。同じ環境の中では人間はやはり同じことを考えるものと見える。

 アラン・ポーの短編の中に、いっしょに歩いている人の思っていることをあてる男の話があるが、あれはいかにももっともらしい作り事である。しかしまんざらのうそでもないのである。

       二

 睡蓮を作っている友人の話である。この花の茎は始めにはまっすぐに上向きに延びる。そうしてつぼみの頭が水面まで達すると茎が傾いてつぼみは再び水中に没する。そうして充分延び切ってから再び頭をもたげて水面に現われ、そうして成熟し切った花冠を開くということである。つまり、最初にまず水面の所在を測定し確かめておいてから開花の準備にとりかかるというのである。

 なるほど、睡蓮には目もなければ手もないから、水面が五寸上にあるか三尺上にあるかわからない。もしか六尺も上にあったら、せっかく花の用意をしてもなんの役にも立たないであろう。自然界を支配する経済の原理がここにも現われているのであろう。

 このつぼみが最初に水面をさぐりあてて安心してもぐり込んだ後に、こっそり鉢をもっと深く沈めておいたら、どういうことになるか。

 これは一度試験してみる価値がありそうである。花には少し気の毒なような気はするが。

       三

 虞美人草のつぼみははじめうつ向いている。いよいよ咲く前になって頭をもたげてまっすぐに起き直ってから開き始める。ある夏中庭の花壇にこの花を作ったとき、一日試みに二つのうつ向いたつぼみの上方にヘアピン形に折れ曲がった茎を紙撚こよりのひもでそっと縛っておいた。それから二三日たって気がついて見ると、一つは紙ひもがほどけかかってつぼみの軸は下方の鉛直な茎に対して四五十度ぐらいの角度に開いて斜めに下向いたままで咲いていた。もう一つのは茎の先端がずっと延びてもう一ぺん上向きに生長し、そうしてちゃんと天頂を向いた花を咲かせていた。つまり茎の上端が「り」の字形になったわけである。

 もっと詳しくいろいろ実験したいと思っているうちに花期が過ぎ去った。そうしてその年以来他の草花は作るが虞美人草はそれきり作らないので、この無慈悲な花いじめを繰り返す機会に再会することができない。

底本:小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店「寺田寅彦随筆集 第四巻」P.327~329

2024.09.04 追加

★第十九候「蛙始鳴 (かわずはじめてなく)」 5/5~5/9頃

 七十二候が立夏の初候に変わり、野原や田んぼで蛙が鳴き始める頃となりました。

 蛙の声が響くようになると、野山の若葉もみずみずしく輝いて、まもなく本格的な夏が訪れます。

★苺


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 苺の花がこぼれたように咲いている。

 白い小さな花で、おまけに地べたにこびりついて咲くので、どうかすると脚に踏まれそうだ。

 女にも娘のうちは、内気で、きゃしゃで、一向目にも立たなかったのが、人の妻となって、子供でも産むと、急にはしゃいで、おしゃべりな肥大婦ふとっちょになり、どうかすると亭主の頭に手をやりかねないようになるのがあるものだ。苺もそれで、花のうちはあんなにつつましいが、一度実を結ぶと、だんだん肥えて赤ら顔になり、よそ事ながら気恥かしくなるほど尻も大きく張って来るものだ。

 その苺もやがて紅く熟して来る。

 むかし、江蘇の琬が清朝に二度勤めをして、翰林編修になっていた頃のことだった。あるとき客と一緒に葡萄を食べたことがあった。葡萄は北京の近くで採れたもので、大層うまかった。北の方で生れた客は、ところ自慢から琬にむかって、

「うまいですな。お故郷くにの江蘇にも、何かこんな果物のいいのがおありでしょうか。」

と訊いたものだ。すると、琬は、

「私の故郷にですか。故郷には、夏になると楊梅(やまもも)が、秋になると柑子(こうじ)が熟しますよ。こんなことを話してるだけでも、口に唾つばきが溜ろうという始末で……もしか自分でそれをちぎった日には……」

といって、夢でも見ているような眼つきをしていたそうだが、それから暫くすると、急に病気だといって、役を罷めて故郷に帰ったということだ。

 それを思うと、上方かみがた地方に住んで、朝夕を採り立ての苺を食べ馴れている人達は、滅多に土地を離れて、天国にも旅立ちが出来ないわけだ。なぜというのに、天国にはそのむかしエバが盗んだ林檎の樹が立っている。もしかその実を見て、琬のように、故郷へ帰りたくなっては大変だから……

2024.10.19 記す。

2024年05月09日(木)

★村田さんに広場に咲いていた草花をスマートフォーンで撮影してもらった。

 マツバウンラン(松葉海蘭)であった。撮影した写真が現れた。さらに、スマートフォーンンを操作していると、内臓している画像:マツバウンランが現れた。前回の「ヒナゲシ」撮影の具体的操作と再現性をしることができた。

★第二十候「蚯蚓出 (みみずいずる)」 5/10~5/14頃

 七十二候が立夏の次候に変わり、冬眠していたミミズが地上に現れ始める頃となりました。

2024年05月10日(金)

★久岡さん、半夏生の苗を植えたプランターを持ってきて下さった。

2024年05月10日の苗2024年05月17日Googleで検索:ハンゲショウ2024.06.24日の苗

 しばらく日陰に置いて、いきおいを回復したら陽の当たる場所に移動したらよい、と言われた。

 2024年05月17日Googleで検索した。ハンゲショウの名前がでてきた。

 2024.06.24日撮影。45日経過した。花が咲くに至っていない。

★第二十一候「竹笋生 (たけのこしょうず)」 5/15~5/20頃

 七十二候が立夏の末候に変わり、タケノコがひょっこりと顔を出す頃となりました。

★庭石菖(にわせきしょう)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.89

 あなたの好きな花の名を教えて下さい、という葉書が来る。往復葉書なので返事を書かない訳には行かない。こういう時に僕はいつでも、むらむらと博愛主義者になる。

 花に限ったことではありません。僕はすべて平等に愛します。少なくとも平等に愛することを念願としております。人間でも……。

 これが返事だが、折りかえしまた葉書が届く。無理をなされなくてもよろしかったのです。失礼しました。僕はどんな人か知らないがひどく気に入った。博愛主義もこんなところで崩れる。

 その時、庭石菖が好きだと書いたことを想い出した。鎌倉の野柴の中にころがって、好き勝手に本を読んでいられた頃、その芝の中から庭石菖がいっぱい咲いていた。紫のと、紫の線がはいった白いのと、それを、地面に顔を押しつけて横から見ると、この花の気持に急に近づくのが嬉しくて、それですっかり好きになっていた。しかしそれだけではない。暇だった僕は、恐らくのんびりと、花の姿から、少女の映像でも創りあげていたにちがいない。僕は今だってそのくらいのことは出来る。けれども、悪い癖は、いい加減のところでとどめ置くことが出来なくて、その映像をつい超現実的なものにしまうことだ。

 庭石菖はダイヤモンド草。丸い種。丸く生まれて丸く実るそれがまた愛らしい頭だ。

挿絵
庭石菖(にわせきしょう)
2024.10.29 記す。

2024年05月17日(金)

★村田さんに広場に移植されて、花が見られない草花の葉だけの植木をスマートフォーンで撮影してもらった。

移植されて、花が見られない草花の葉スマートフォーンで見られる「スズラン」

★すると、上の右側の写真のように「スズラン」であると現れた。またしてもスマートフォンの機能は素晴らしいと思った。

2024.05.17 記す。

2024年05月17日(金)

★我が家の庭に植木の葉にまとをしぼって撮影した。

我が家の植木の写真ハクチョウゲ

★Google で画像を検索すると、上の写真の右側のような「ハクチョウゲ」が表れた。左は我が家の植木の写真。

[ハクチョウゲ(白丁花) /コウチョウゲ(紅鳥花)/ハクチョウボク(白丁木)

白丁木/バンテンシ 満天星/コウチョウゲ 紅鳥花/リトウハクチョウゲ)アカネ科ハクチョウゲ(セリッサ)属・常緑低木(花5~6月/秋~冬にも開花する・草丈30~100cmくらい)台湾、中国、タイ、インドシナ原産

ハクチョウゲの純白の花がきれいに咲いています。

「白丁」の名は、「丁字咲きのこの純白の花」から付いたものですが、

どのようにでも剪定できて萌芽力もあるので、とても扱いやすい低木です。]


★パソコンでも花の写真を操作すれば、その名を知ることができるのではないかと思い以下の操作を試みた。

★「Google」、「画像で検索」をクリック

 Search any image with Google Lens、Drag an image here or upload a file、Paste image linkp

★「Google Chrome」画像検索をクリック

 Google レンズで画像を検索、ここに画像をドラッグ

★「Google」と「Google Chrome」とでは
少し方法が違う。表れる画像も違うものが表れる。 


★雑草という名の草はない!「牧野富太郎」の言葉を思い出した。雑草と思っていた草花を含めて掲載することにいたします。

一、以上の手順で、先ず、2024年05月02日の「ヒナゲシ」の写真を張りつけた、すると

[5月5日 雛罌粟(ヒナゲシ)]の記述が表れた。「ヒナゲシ」であることを知ることができた。

★5月9日、ラジオ体操の時に撮影したマツバウンランをはりつけた。

 多くの画像とその説明が掲載されていた。その中の「4月20日マツバウンラン北アフリカ産」の画像をクリックすると、

[北アメリカ原産の帰化植物。北関東地方以南から九州の、陽当たりの良い道端や、河川の土手などにも生える越年草。の記述があった。]

2024.05.09 記す。

★シラン(紫蘭) 我が家の庭に数年前から咲いている花を張りつけた。

[うつむいたように咲く花姿から、「美しい姿」という花言葉が付けられました。「あなたを忘れない」「変わらぬ愛」とは、英名が「Hyacinth orchid(ヒヤシンス・オーキッド)」と呼ばれることに関連して、ヒヤシンスの花言葉の由来ともなった悲しいギリシャ神話のエピソードにちなんでいます。とい説明もあります。

日本の関東から沖縄、台湾、中国に自生する、ラン科シラン属の多年草です。育てやすいランであることから、園芸で見かける機会は多くありますが、野生種は準絶滅危惧種に指定されています。花期は4月から5月、花は紫紅色で、30~50cm程度の花茎の先に数個つきます。花弁は細長く、筒状に咲きます。花の色が白色のもの、斑入りのもの、淡いピンク色、写真のようなものなどがあります。] 2024.05.16 記す

 一般的に紫色の花をつける蘭であることから「紫蘭」と名づけられました。

★クチビルシラン(唇紫蘭) 我が家の庭に咲いている花を2024.05.04撮影。シランの色違いと思っていたものを張りつけた。

[クチビルシラン]と説明していた。

紫 蘭
クチビルシラン

 並べて見ると、色ちがいはよくわかる。花の大きさはこれでは判らないが、クチビルシランは紫蘭に比べると小ぶりである。

★我が家の庭に植えているが正確な名前を知らない庭木を張りつけた。

 すると、

Googleでの写真我が家の庭に植えているもの

「マメツゲ」であることを知った。左の写真:我が家の庭に植えているもの。右はGoogleでの写真。

2024.05.08 記す。

★近所のお宅の庭に「サクランボウ」の小さな赤い実がついている写真をとってその一枚を張りつけた。

[観賞用の桜にも実がなることがありますが、小さな実で美味しくありません。サクランボがなるのは、同じ桜でもミザクラとか桜桃(おうとう)と呼ばれる品種で、同じ桜の仲間ですけれど別物なのです」といわれるのは山形県園芸農業推進課の担当者。

赤く艶やかなサクランボミザクラが日本に入ってきたのは明治になってから。各地で栽培を試みますが、霜害や梅雨、台風などで失敗するなか、山形県で成功しました。

「月山や蔵王山という高い山に囲まれた盆地が多いため、梅雨期の降水量が少なく、台風の強い風を免れるからです。国内産サクランボの収穫量は約2万tですが、山形県はその7割を供給する一大生産地になったのです」(山形県園芸農業推進課)

ミツバチや手作業で受粉

山形県園芸農業推進課の担当者によると、花の開花からサクランボの収穫までは大変な手間がかかっています。4月下旬に花が咲くと、ミツバチに受粉してもらいます。自家不和合といって、同じ品種の花粉では実ができないため、近くに他の品種を受粉樹として植え、その花粉を受粉させるのです。]

2024.05.04 記す。

★写真のような花が三月に一輪一輪とわが家の庭に咲いていた。名前を知らなかった。誰かに教えてもらわなければと思っていたが。その機会を失っていた。

 今回、撮影していた写真を上述の方法で処理して下記のような記述をよむことができた。

 寒い時期に咲く常緑の多年草です。花被片は6枚で花茎は殆ど無く花筒が長いのが特徴です。花の咲く位置が葉よりも低いことが気に成りますが、花の少ない時期の花として、観賞価値が高いです。葉の幅は1~1.5Cm程の線形で 根生して茂り草丈は15~30Cm程に生長します。アヤメは通常.冬には葉を枯らしますが、カンザキアヤメは常緑性です]。

 寒咲きあやめの原産地は、地中海の東部沿岸から西アジアです

寒アヤメは、11~3月の寒い時期に咲く常緑の多年草です。花被片は6枚で花茎は殆ど無く花筒が長いのが特徴です。花の咲く位置が葉よりも低いことが気に成りますが、花の少ない時期の花として、観賞価値が高いです。葉の幅は1~1.5Cm程の線形で 根生して茂り草丈は15~30Cm程に生長します。アヤメは通常.冬には葉を枯らしますが、カンザキアヤメは常緑性です。

★路傍の花を張りつけた、すると

[ユウゲショウ]と説明した写真が見られた。

 ユウゲショウ(夕化粧)はアカバナユウゲショウとも呼ばれ、アメリカ大陸(熱帯地域)原産の外来(帰化)植物で、日本国内では、主に関東以西の市街地や荒れ地、耕作地周辺など日当たりが良く、乾燥気味の場所で見られる多年草です。世界の暖温帯地域に広く帰化しており、日本には明治時代に観賞用の園芸植物として持ち込まれたものが逸出(逃げ出し)、野生化したとされます。

2024.05.08 記す。

★[ユウゲショウ]と同じ場所に咲いていた花を張りつけた、

[クロタネソウ(黒種草) キンポウゲ科 分類:草 学名:Nigella damascena 別名・別読み: ニゲラ

 花びら:5枚 7枚以上 花びら:5枚 7枚以上 白花とピンクの品種。「黒種」の名前は袋状のさやに包まれた種が真っ黒なことからで、南ヨーロッパ原産。日本には江戸時代に薬草として渡来。

クロタネソウの実。英名はニゲラ。葉は糸のように細く枝別れし、ガクが花びらのように見える]

2024.05.16 記す。

★隣の家の庭に咲いていた花を張りつけた。

[ムラサキツユクサ(紫露草)(英語:Spiderworts)

ツユクサ科ムラサキツユクサ属のムラサキツユクサ(紫露草)(学名:Tradescantia)は別名をインクバナ(インク花)、スパイダーウォート、トラデスカンティアといいます。日本では紫露草と言った名前が付いており、北アメリカが原産地です。

名前の由来は、紫色の花でツユクサ科ツユクサ属ツユクサ(露草)に似ていることから付けられました。花色はピンク色、白色、紫色。開花時期は05月~10月。]2024.05.11 記す

★隣の庭に咲いていたを張りつけた。

[トキワマンサクは高さ3~6メートルになる常緑小高木で、国内では限られた場所にのみ自生する希少な樹木だ。世界レベルでの分布は日本のほか、台湾、中国中南部、ヒマラヤ東部に見られる。

 トキワマンサクの名前は、マンサク科の代表種であるマンサクが落葉樹であることに対して、冬にも葉を落とさない常緑樹であることから「常盤」(ときわ)の名前が付けられたとされる。葉は左右対称とならない形状で、葉の基部が左右でややずれている。これはマンサク科の中ではいくつかの種類で見られる特徴だ。

 4月から5月にかけて、黄白色で広線形のやや縮れた4枚の花弁をもつ花が数個まとまって咲き、見る者に独特な印象を与える。花の形状のおもしろさからか、中国産のトキワマンサクは園芸樹木として庭に植えられ、中でも花の色が紅色となるベニバナトキワマンサク(園芸品種)が多く見られる。

 花は公園のサクラが満開となるころに咲き始めるが、サクラの花に囲まれると目立たないため、公園を訪れる多くの花見客には気づかれにくいようだ。

さて、三重県立博物館の植物標本には90年以上も前に採取された資料もあり、過去の植物分布を知るための重要な資料群となっている。]

2024.05.11 記す。

★散歩道に咲いていた花を張りつけた。

[春の花のはず「ガーベラ」が、最後の花でしょうか、散歩の途中でで見つけました。南アフリカ原産の交配園芸草花なのだそうです。別名「ハナグルマ・花車」とも呼ぶようです。葉は、まるで「タンポポ」のようで、茹でたら食べられそうな感じがします。写真の赤花だけでなく、花の色もピンク、黄色、白、橙色など多岐にわたり、秋にもう一度咲くようです。] 

2024.05.11 記す。

★ヤマブキ(山吹)

 ヤマブキ(山吹)は、バラ科ヤマブキ属(一属一種)の落葉低木です。

 日本や中国が原産で、日本では北海道から九州の低山や丘陵地に自生します。

 晩春に咲く黄金色の花が美しく、万葉集の歌に詠まれるほど古くから親しまれており、春の季語にもなっています。

 絵の具や色鉛筆の「山吹色(やまぶきいろ)」は、この花の色が由来で平安時代より用いられています。

 樹高は1~2mほどに生長し、枝は細くてしなやかで、葉は卵形で互生し縁にギザギザがあり、全体に毛が生えています。

 4~5月に鮮やかな黄色の花を咲かせます。花弁が5枚の一重咲きと、八重咲きがあります。

果実は、9月頃に暗褐色に熟しますが、八重は雄しべが花弁化して、雌しべは退化しているため結実しません。

 シロヤマブキ(白山吹)と混同されますが、ヤマブキとシロヤマブキは別属(バラ科シロヤマブキ属)になります。

 シロヤマブキは花弁が4弁枚、ヤマブキは葉が互生するのに対し、シロヤマブキは葉が対生していて、容易に区別ができます。

★やまぶき

  yamabuki.jpg
▼『万葉の人びと』 犬養孝(PHP)

◆(巻二 一五八)(岩波文庫)P.85

 〽やまぶきの立ちよそひたる山清水(しみず)()みに行かめど道の知らなく 

 山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水(やましみず)酌(く)みに行かめど 道の知らなく 高市(たけちの)皇子(みこ)の歌

 当時ヤマブキは永遠を象徴する花だと考えられていました。

2024.10.24 記す。

太田 道灌 (1,432~1,486年)


 「七重八重 花は咲けども 山吹のみの一つだに なきぞ悲しき

参考:「花咲きて実はならずとも長きけに思ほゆるかも山吹の花」 
万葉集10・1860
*古語辞典では(け)を日としていた。

 資長((すけなが)嘗て放鷹に出て雨に遭ひ、或小屋に入て蓑を借らんと言ふに、若き女の、何にとも物をば言はずして、山吹の花一枝折りて出せり。資長、我は花を求むるあらずと言て怒て帰れり。或人之を聞き、夫は「七重八重、花は咲けども、山吹の、みの一つだに、なきぞ悲しき。」と言ふ古歌の心なるべし。と言ければ資長大に慙ぢ、夫より憤を発し、歌学(うたまなび)しければ、遂に名家とは成りてけり。砕玉類題江戸歌合(さいぎょくるゐだいえどうたあわせ)慕京集(ぼきやうしふ)漢字(かんじ)(はいあんきかう)漢字(かんじ)等の書あり。

*岡谷繁実著『名将言行録』(岩波文庫)一冊/八冊 P.72

 少し詳しく述べると、

 遠乗りにでかけたある日、突然のにわか雨にあった道灌は蓑を借りようと、たまたま側にあった農家にかけこんだ。農家に入り、声をかけると、出てきたのはまだ年端もいかぬ少女であった。貧しげな家屋ににあわず、どこか気品を感じさせる少女であったという。

▼「急な雨にあってしまった。後で城の者に届けさせる故、蓑を貸してもらえないだろうか?」道灌がそう言うと、少女はしばらく道灌をじっと見つめてから、すっと外へ出ていってしまった。蓑をとりにいったのであろう、そう考え、道灌がしばし待っていると、少女はまもなく戻ってきた。

 しかし、少女が手にしていたのは蓑ではなく、山吹の花一輪であった。雨のしずくに濡れた花は、りんとして美しかったが、見ると少女もずぶ濡れである。だまってそれを差し出す少女は、じっと道灌を見つめている。この少女は頭がおかしいのであろうか、花の意味がわからぬまま、道灌は蓑を貸してもらえぬことを悟り、雨の中を帰途についた。

▼その夜、道灌は近臣にこのことを語った。すると、近臣の一人、中村重頼が進み出て次のような話をした。そういえば、後拾遺集の中に醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王が詠まれたものに、七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき、という歌がございます。

 その娘は、蓑ひとつなき貧しさを恥じたのでありましょうか。しかし、なぜそのような者がこの歌を……。そういうと、重頼も考え込んでしまった。

▼道灌は己の不明を恥じ、翌日少女の家に、使者を使わした。使者の手には蓑ひとつが携えられていた。しかしながら、使者がその家についてみると、すでに家の者はだれもなく、空き家になっていたという。   

 道灌はこの日を境にして、歌道に精進するようになったという。

2024.08.18 記す。

★散歩道に咲いていた花を張りつけた。

[ラベンダーは鮮やかな紫色と心地よい香りが魅力のハーブです。木本性ですが、草花として扱われることが多く、花壇の植え込みやコンテナ栽培などで楽しまれています。北海道富良野のラベンダー畑ほどの花園は難しいにしても、一面に群生させると美しいものです。

多くの系統(品種群)がありますが、花の美しさと香りのよさでいえば、イングリッシュラベンダー(コモンラベンダー)が随一です。しかし、北海道のような寒さには強い反面、高温多湿に弱く、暖地での夏越しは難しいラベンダーです。 コモンラベンダーとスパイクラベンダーの交雑種をラバンディンと呼びますが、この系統は比較的暑さに強い性質をもち、花も香りも優れているので、暖地で楽しむにはおすすめです。ほかに、薄紫色の苞がリボンのように目立つフレンチラベンダー(ストエカスラベンダー)や、暖地であれば冬も開花する四季咲き性のデンタータラベンダーなどもあります。耐寒性、耐暑性は、系統によって大きく異なるので、育てる環境によって品種を選びましょう。] 2024.05.11 記す

★宮本さん、山下さんと路薙で会食の席に備前焼の花瓶に活けていた花を張りつけた。

[アルストロメリアのデータ、花色:赤ピンクオレンジ黄白、学名:Alstroemeria、科名:アルストロメリア科、分類:秋植え球根、原産地:南アメリカ原産、大きさ:背丈20~150cm、横幅20~40cm、主な見所:花(5~7月)

アルストロメリアの特徴

蝶のような美しい花は花つき・花もちにも優れています。ユリを小型にしたような整った姿の花なので切花にも人気です。花弁には斑点や線状のブロッチが入りますが、ブロッチなしの改良種もあります。 矮性種から高性種まで幅広く品種があり、葉の形も丸い短めのものから、長い円錐状のものまであり、用途によって使い分けられます。以前は鉢植えで植えられることが多かったのですが、耐暑性に優れるハイブリッド種が一般的に出回るようになって地植えで見られることも多くなりました。球根はカラカラの乾燥を嫌うため、ユリと同じくポット植えの状態で出回ることが多いです] 

2024.05.12(日) 記す。

★2024.05.13(月)ラジオ体操を広場で終わって帰り道で撮影した写真を張りつけた。

[キンギョソウ(金魚草)の特徴

名前の通り金魚を思わせる愛らしい花姿が魅力のお花。英名では竜に見立ててスナップドラゴンと呼ばれます。

品種が多く、草丈1m以上の高性種、こんもり茂る小型種、その中間のタイプもあり、切り花や花壇、鉢植えと幅広く利用されています。

本来は多年草ですが、高温多湿の蒸れに弱いことから、日本では一年草扱いです。

花が終わった後は、種子を包んでいる「莢(さや)」が、骸骨のようなドクロ形になるのが面白いと話題を呼んでいます。]

2024.05.13 記す。

★2024.05.13(月)ラジオ体操を広場で終わって帰り道で撮影した写真(2)を張りつけた。

[ツリガネソウCampanula medium

ツリガネソウは、晩春から真夏にかけて、風鈴のようなつり鐘型の花を背の高い花穂に咲かせます。二年草のため、1年目はロゼット状の緑色の葉が成長するだけですが、翌年には花を楽しむことができます。 風鈴草ともいわれる。]

2024.05.13 記す。

★路傍で見つけた草を張りつけた。

[ハハコグサ(母子草)

 ハハコグサは、キク科ハハコグサ属の越年草。春の七草の一つとして御形(ごぎょう、おぎょう)と呼ばれ、茎葉の若いものを食べる。開花時期は4月から5月末まで。柔らかい薄緑色の葉の先に、黄色の花がつぶつぶになってかたまって咲く。

 ハハコグサは春の田圃でお馴染みの植物であり、日本中に分布する。秋に芽生えてロゼットで越冬し、春に茎をもたげて花を咲かせる。全体に白いクモ毛が多い。ハハコグサという和名は「母子草」と書いてしまうのだが、古い呼び名はホウコグサ、あるいはオ(ゴ)ギョウである。毛が多い状態あるいは毛を持った種子が形成される状態を「ほほけ立つ」と呼んで、ホホケグサがなまったという説がある。ムギ類の栽培とともに伝来した史前帰化植物である。]

2024.05.13 記す。

★蒟蒻(こんにゃく)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.206

 群馬県の方から重たい植木鉢が届いた。それを預かった方は、うちの近くのお菓子屋まで持ってきたので、僕のところへはそのお菓子屋の娘さんが抱えて来たので驚いた。紙包みをほどいてみて僕は更にびっくりした。さてこれはなんだろう。

 さといも科の商物であることは見当がついたが、暗紫色の気味の悪い姿が、これはひょつとするとなにかの化けたものかも知れないと思わせる。知らない者をすぐに異常なものと考える悪い癖が僕にはまだ残っている。

 これは蒟蒻の花の芽であって、今ほうぼうの山地に咲いている水芭蕉と似た構造であるが、長くつき出しているものには付飾棒という名がついている。この中にまだ咲き出すには早い雄花雌花が包まれている。

 おでんやで、僕はすまして蒟蒻を食べているが、なにをかくそう、この花は知らなかった。そして同時にいま知ったことは英語でもフランス語でもコンニ」ャク(Konjak)である。だれかをさそっておでんを食べに行き、蒟蒻の花知っている? ときいてみたくなって来た。

2024.10.14 記す。

★2024.05.13(月)ラジオ体操を広場で終わって帰り道で撮影した木(3)を張りつけた。

[シャリンバイ (車輪梅)Rhaphiolepis indica var. umbellata

海岸近くに自生する常緑低木。名前の由来は、葉が車輪のように輪生状につき、花が梅の花に似ることから。葉は革質で光沢があり、互生、葉身は4-8cmの楕円形。葉の先は尖るものと丸いものがある。4-6月に枝先に円錐花序をだし、1-2cmの白色の5弁花を多数つける。果実は1cm程のナシ状果で10-11月に黒紫色に熟す。樹皮から大島紬の染料を採取する。大気汚染に強く道路脇に植栽される。]2024.05.13 記す

参考:輪生:茎の一節から、また、節間がつまって茎の一か所から、葉を三枚以上出すこと。クルマユリ、アカネ、クルマバザクロソウなどに見られる。

2024.09.27 車輪梅に実がついていた。

★たちばなもどき


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.166

 だれでも教壇に立っている人は同じだと思うから言うのだが、講義の準備が出来ていないのに学校へ出かけて行くのは実につらいものである。四五年前のちょうど今ごろ、もうそろそろ冬休みにしようかと思いながら、重たい気持ちで学校へ行く途中、よその家の生垣に、このたちばなもどきの、ちっぽげな蜜柑のような実がいっぱいなっているのを見て、こっそり小さい枝を折り、それを哲学の教室まで持って行った。

 黙っている僕の方を四十人ばかりの学生さんがふしぎそうに見ている。いつもそこでは、連続の話でhあなく、一回ごとの読切講義というのをやっているので、今日はデカルトかな、まさかカントではあるまいなと学生さんは待っている。僕は哲学の話はどうしてもする気がしない。

 そこでこの灌木について五分ほどしゃべって帰って来たことがある。原産地は中国の雲南だが、明治の中ごろ福羽逸人博士がフランスから持って来て新宿御苑に植えたということである。初夏に咲く白い花よりも、橙色(だいだいいろ)のつやつやした冬の実の方が僕には講義準備の戒めを与えてくれるばかりでなく、かわいらしく見える。雪でも降りかかると一段とあたたかそうに見える。雪の山小屋にともる灯のように見える。

※参考:タチバナモドキという名前は、果実の色や形がミカン科のタチバナに似ていることに由来しています。タチバナモドキの果実は橙色でやや扁平な球形で、ナシ状果と呼ばれる偽果です。

 タチバナモドキはバラ科トキワサンザシ属の植物で、フランスから明治時代に日本へ導入されました。トキワサンザシ、カザンデマリとともにバラ科トキワサンザシ属の植物の総称であるピラカンサに含まれます。

2024.11.14 記す。

★ポピーの写真を張りつけた。

[ケシの仲間で、花を観賞する目的で栽培されるのはおもに次の3種です。ヒナゲシは虞美人草とも呼ばれる多花性の一年草です。アイスランドポピーは日本では秋まき一年草として育てられ、早いものでは3月頃から咲き始め6月くらいまで花が咲きます。オリエンタルポピーは直径10~15センチもある大輪の花を咲かせる宿根草です。

 笠岡市の笠岡湾干拓地で、約1200万本のポピーが見頃を迎えた。赤やピンクの色鮮やかな花が一帯を埋め尽くすように咲き、家族連れやカップルらを楽しませている。

 同市が道の駅笠岡ベイファーム(同市カブト南町)に隣接する約5ヘクタールの畑で栽培。今月初めごろに咲き始め、ここ数日の陽気で一気に開花が進んだ。見頃は6月初旬まで続くという。

 訪れた人たちは風に揺れる花々を眺めるなどして満喫。友人と足を運んだ井原市からの来場者(58)は「一面に広がるポピーは写真映えしますね」と話した。(山陽新聞2024年05月11日 19時52分 更新)]

2024.05.15 記す。

★ゼラニウムの写真を張りつけた。

[ゼラニウムはギリシア語のゼラノス(鶴)に由来し、果実の形を鶴のくちばしに見立てたものです。テンジクアオイはインドの古名、天竺に由来しますが、インドとの関りはありません。

明治時代終わりころから人気が高まり、大正時代には輸入された品種をもとにした独自の栽培が始まっています。昭和初期になるとブームが起こるほどの人気を集めています。

一般的には、3~12月が花期なのですが、環境によっては年間を通して咲き続けるものもあります。

花色は赤、ピンク、白色など様々ですし、一重咲きだけでなく、八重咲きもあります。

一年を通して、日当たりと風通しの良い場所で育てることができます。耐寒性がやや弱いのですが、軒下や簡単な防寒によって屋外で冬越しさせることができます。明るい窓辺に取り込むと、冬でも花を楽しむことができます。]

 私には「葵(アオイ)」の名前が馴染み深いものです。

2024.05.16 記す。 

★マツバギクの写真を張りつけた。

[マツバギク(松葉菊)ツルナ科の常緑草。半耐寒性多年草、草丈:10~20cm、開花期:4~6月

南アフリカの原産。茎の下部は木質で地に這う。

葉は線形で多肉。夏、長い花茎の頂に紅紫色の大花を開く。

株を覆うように色鮮やかで、つやのある花がたくさん咲きます。

地を這うように茎が伸び、乾燥に非常に強い性質があります。

花は雨や曇りの日は開かず、日光が当たると開くので、日当りのよい場所に植えます。

一見キクに酷似するが、単一の花で、キク科のような頭上花ではない。サボテンギク] 

2024.05.17 記す。

★シキザキべコニアの写真を張りつけた。

[ベゴニアはシュウカイドウ科の多年草です。

花に近寄ってみると貝のような2枚の大きな顎がある。花が開くとこの顎が花弁ように見え、昆虫誘引の目印になっているのであろう。

  ベゴニアの仲間は寒さには弱いのが通例である。霜が降りると一辺に枯れてしまう。この四季咲きベゴニアも冬はだめなようである。] 

2024.05.17 記す。

★ナデシコの写真を張りつけた。

[ナデシコ(なでしこ・撫子・ダイアンサス)は4〜10月にかけて咲く、日本の気候にもあっていて育てやすい一年草・多年草です。ナデシコは、秋の七草のひとつとして知られ、「なでしこジャパン」など日本では女性を例える花としても有名です。]

2024.05.17 記す。

★ハナイカダについて


前川文夫著『日本人と植物』(岩波新書)

 まえがき

 どんなものでも、皆、名があります。名前は物の標識です。誰がつけたかわかりませんが、どんどん拡がって行きます。そしてその過程できびしい淘汰を受けます。使いにくい名前や感じをうまく表していない名前、どことなくパッとしない名前などはどんどん見捨てられて、こればかりは法律で食い止めることもできません。しかし、一度おぼえ込まれてしまうと、今度はしぶとく生き残ります。その意味が判らなくなってしまっても頑張ります。頭がちぎれたり、しっぽが切れたりしても、時には後から手足を附けたり、首をすげかえてでも、生き残って行く根強さを持っています。その意味では、名前は生物そのものです。動物や木や草の名もやはりこの形式や習慣からはずれていないと思います。(中略)今を昔にかえすのはむずかしい話です。名前はそれがついてから、それが違う歴史を辿って来ています。しかしその違った個々の歴史の間に、それぞれの時代にとって癖のある扱いを受けて今日まで来ていることは充分に考えられます。ですからそれぞれの修理を受けた時の時代の環境にたち返って考えるならば、はじめてほんとうの意味が判るのでhあないかと思います。またそうすることで今までにどうも判らなかった名前のつき方がわかることもあるでしょうし、またよりよい理解も生ずるのではないでしょうか。そういう見方で私はこの本の資料を整理してみました。(後略)

 一枚の葉の真中、というよりも少々、手元に近い方に花がのっかっている。それを筏乗りにたとえて、ハナイカダとはうまい名で、いかにも日本的な味である。もっとも花といってもサクラの花やチューリップの花のようなあでやかさを期待していただくと、拍子抜けがする恐れがある。さしわたしでせいぜい五ミリくらい。うっかりすると、ほかの木の花がこぼれて乗っているのかとさえ思われる。その上、淡いみどりだから、看慣れるのには少しばかり時間が要るかも知れない。(同書P.93)

 これまでは、「花の名前を知る」ことについてでしたが、今回は「花の名前」についてです。この本には日本の花の名前の由来などが多く記載されている。

2024.05.19 記す。

『日本人と植物』の中の挿絵ハナイカダ

★なぎいかだ


串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.124

なぎいかだ

 うちの庭にもときどき奇妙なものが出現する。よく考えてみて、原因のおもいいたることもあるが、このなぎいかだはどうしてこんなところにやって来たのか分からない。分からない時にはすべて子供のいたずらということになる。生えたのではなく、さしであったのが、そのままついてしまったのだ。しかし、それ以来近くの家の庭の垣根を気をつけてみているが、なぎいかだは見当たらない。

 聖書の中のエゼキエル書に、「人の子よたとえアザミとイバラなんじらの周囲にあるとも……」と書いてあるが、そのイバラを、なぎいかだだといっている学者もいる。パレスチナには、さわると痛い植物が多いようだ。

 この先のとがった葉のよなものは枝である。そんなばかなことがあるものかと思うし、百合の仲間だというのも、変な感じがする。幾ら変であっても学問は尊ぶばなければならない。

 暖地に生えるなぎの葉に似ているのでこの名をもらったのだろう。なぎの葉を、鏡の裏に入れておくと合いたい人の姿が鏡に現れる。これはその代用にはならないだろうが、なぎいかだが出現して三年目になり、来年あたり、僕はこの花に会いたいものである。

挿絵なぎいかだなぎいかだの果実

2024.10.04 記す

★今回は花にかわって何度か登った山の写真を「Google」ー「画像で検索」に張りつけた。

[瀬戸内海が一望 広島県竹原市 黒滝山

 さくら堂から黒滝山までは距離が短い割には展望がとても良い道を歩くので楽しかったです。

 眼下には瀬戸内海が一望でき、途中には平山郁夫画伯がスケッチをした場所もあり、それはそれはすばらしい景色が堪能できました。夜明け前に登り、日の出を見ると感動しそうな所です。

 黒滝山から白滝山までは単調な道が続きますが、龍泉寺と白滝山からは瀬戸内海が望めます。]とありました。まったくその通りです。

 私が登っていたころは、平山郁夫画伯は忠海高等学校に在学していなかった。

2024.05.20午前 記す。

★ほぼ一年前にDCM西大寺店の入り口で苗木を売られていた花の写真を張りつけた。

[オジギソウは、南アメリカ、中央アメリカを原産とするマメ科の多年草です。

 オジギソウの名の通り、葉に刺激が加わると閉じてお辞儀をするように垂れ下がるという性質を持った植物です。

 この不思議な性質は人々の好奇心を刺激し、世界の広い地域で栽培されており、栽培を逸出したものが各地で野生化し、東南アジアなどで帰化植物として定着しています。

 日本へは江戸時代後期に渡来し、現在では沖縄で帰化し繁殖しています。

 本来は多年草ですが、耐寒性が低く冬の寒さで枯れてしまうことが多いため、一年草として扱うのが一般的です。

 オジギソウの花期は7月~10月。

 花期になると、葉の付け根から花柄を伸ばし、先端に径2㎝前後の球状の花序を形成して花を咲かせます。

 丸い花序は一つの花に見えますが、小さな筒状の花が多数集まったもので、それぞれの花は特徴的な長い雄しべを持っています。]

2024.05.20午後 記す。

★曹源寺のタラヨウを張りつけた。

曹源寺浴室の前のタラヨウタラヨウ

[タラヨウとは、本州中部以西に分布するモチノキ科の常緑樹。山地の林内に自生する高木で、大きくて艶のある葉と秋に稔る赤い果実を特徴とし、各地の庭園や公園、街路にも植栽される。

 葉の裏面を硬い棒などで傷付けると、その部分だけが黒く残る性質を持つ。紙が希少であった戦国時代にはこの性質を利用して情報のやり取りをしたことから、「ハガキノキ」という別名がある。

 郵便局の木とされ郵便局前に植栽されることもある。ハガキ(葉書)の語源になったという説もあり、現代でも定形外郵便としてハガキに利用できる(ただしタラヨウの葉に限らない)。

 弘法大師がこれを用いて字の勉強をした「学問の木」とされ、学校や寺社に植栽されることも多い。しかし本来、インドで経文を書くのに使われたのは「タラヨウジュ(=オオギヤシ、パルミラヤシ、タラジュ、貝多羅樹)」というヤシ科の植物の葉を短冊状にしたものであり、本種はこれにちなんで命名されたに過ぎない。

 タラヨウの葉は長さ10~20センチほどと大きい。分厚くて表面に光沢がありセイヨウバクチノキに似るが、縁の細かなギザギザが目立つ。写経や学問のみならず、この葉を火で炙って模様を浮かび上がらせ、占いに用いることもあった。葉は両面とも無毛。

 タラヨウの開花は5~6月。雌雄異株で雌木には雌花を、雄木には雄花を咲かせる。雌花には4本の雄しべと1個の雌しべがあり、雄花には同じく4本の雄しべと退化した小さな雌しべが1個ある。雌雄いずれも黄緑色で、一輪当たりの直径は6ミリほどだが、多数が葉の脇に集まって咲くため目立つ。

 10月~12月になると雌木には同科同属のモチノキと似たような赤い球形の果実ができる。直径8mmほどで鈴なりにでき、かなりの存在感を示すが、結実するのは2~~3年おきであるのが一般的。ヒヨドリ、ツグミ、ムクドリ、メジロなどの野鳥はこれを捕食するが、エグ味が強く、人が食すのは難しい。

 材は薪に、樹皮はモチノキ同様、鳥もちに使う。葉はお茶の代用となり、中国産のタラヨウの新芽で作った「苦丁茶」(くうていちゃ)はダイエットに効果があるとして流通している。]

2024.05.21 記す。

★第二十二候「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)」 5/21~5/25頃

 七十二候が小満の初候に変わり、卵から孵化した蚕が盛んに桑の葉を食べ始める頃となりました。

 私が子供のころは蚕が養われていた。そこから離れたところに桑の木が植えられていた。桑の実を食べていた。美味であった。このころ「タバコ」が成長していた。

★季節の花の写真を張りつけた。

[フタリシズカ(二人静)センリョウ科 センリョウ属 別名:サオトメバナ ツキネグサ

 山野の林内に生える草丈30~60センチの多年草。

 名前から2本付いているのがフタリシズカとのイメージの強い花ですが、花穂は2本の物が多いが3本以上付く姿もしばしば見られます。

 よく似たヒトリシズカと比較すると、一人静より1ヶ月ほど遅く咲き、全体の大きさも二周りほど大きく成長します。また葉も一人静のように光沢はありません。] 

2024.05.22 記す。

★ひとりしずか


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.66 

 今年もひとりしずかが実に賑やかに咲いた。僕はこの花がちっとも嫌いではないし、前に拡大鏡でその裸花を写生したこともあるので、充分に愛着を持っているつもりだ。しかしまた一方、この花がその名にふさわしいように、藪の小暗いところに、ひとりさびしく、ぽつんと咲いているのを見たいものだと思っている。しかし、僕の庭に限らず、どこで見かける時にも沢山かたまって咲いている。

 数年前の春に、すみれの種類をいろいろさがしながら、小金井から国分寺の方へと歩いて行ったことがあるが、その時、何の気なしに日かげの土手を登ってみると、そこの林の下は、一面のひとりしずかの花で、呆れかえってしまった。

 この花にとって、こんな名前をつけられていることがそもそも至極迷惑千万なことなのかも知れない。どんな花でも一つ一つを見ればそうなのかも知れないが、それも一本一本を見れば孤独な顔つきをしていないこともない。

 花弁を持たないこの裸の花も、じっと見つめて首をひねっていると、向こうから言われそうである。あなたもやっぱり孤独が好きな人間のお一人でいらっしゃいますか。孤独がお好きな方々がお集りになって、大層賑やかにしていらっしゃることはありますまいか。それではこの花も、人間の真似をしているのか幾組も草むらに集まっていることが多い。

挿絵ひとりしずか

2024.10.13 記す。

★庭に植えられている花の名前を知らない葉の写真を張りつけた。二種類。

「ミヤマシキミ」オオバギボウシ

 花が咲いたら、それらを張りつけ、花の種類だとか特徴を記載する予定。2024.05.20 記す。

 左側は「ミヤマシキミ」であることが判明。「タチバナ」と思っていた。

参考

ミヤマシキミタチバナ花

 五月二十九日、二種類のうちの一つの花芽が長い花茎の頭頂にに芽吹いていた。早速、張りつけて調べると「ギボウシ」の名前であることが判った。

 六月十四日、花芽から十六日後に開花。 

 オオバギボウシ 花期 7~8月 ユリ科

[生態]日本各地(沖縄を除く)の産地の草原などに生える多年草。

[特徴]花茎の高さ50~100cm。葉は卵円形で長さ30~40cm、幅10~15cmと大きい。葉面には10~15本の支脈が明瞭にあり、表面はやや光沢がある。花茎の上部の総状花序に紫白色の筒状の花をつける。花の長さ4~5cmで細長く、先は6つに裂ける。若葉こころの葉柄はウルイと呼ばれ食用にされる。観賞用に栽培されていて、生育地によってさまざまな大きさのものがある。『日本の山野草』(成美堂出版)P.327

名前を知らなかった花の葉五月二十九日六月十四日六月十五日、朝七時

★2024.05.23(木) 朝6時過ぎ、ラジオ体操への道で撮影した写真を張りつけた。

[これは、赤花(あかばな)科、マツヨイグサ属の待宵草(まつよいくさ)という花である。

 この花の開花時期は、 7/10 ~ 10/15頃である。これは、北アメリカ地方原産。

 この花は、夕方、宵になるのを待つようにして花が咲く。昼間は閉じているため、月見草とか宵待草とも呼ばれる。マツヨイグサの仲間で最も早く渡来した。

 茎は直立し、赤味を帯びる。全体に毛が多い。根生葉は花期にもある。茎葉は互生し、長さ(5)6~10(13)㎝の狭い楕円状披針形、切れ込みがなく、縁に波状鋸歯があり、先が尖る。葉の色は濃いことが多く、白色の中央脈が目立つ。花は葉脇に単生し、直径3~4㎝の4弁花。花弁は長さ15~25㎜、黄色、普通、基部に赤い点があり、しぼむと赤色を帯びたオレンジ色になる。萼片は長さ14~20㎜。花托筒は長さ20~45㎜と長く、花柄のように見えるがその下位に子房がある。花托筒が長いのがこの属の特徴である。花が小さいのはミナトマツヨイグサ。葉に切れ込みがあるのはコマツヨイグサ。花がしぼんでも赤色lを帯びないのはメマツヨイグサ、オオマツヨイグサ、ヒナマツヨイグサなどである。] 2024.05.23 記す

★写真ワスレナグサの写真を張りつけた。

[マツヨイグサと関連して「待てど暮らせど来ぬ人を」の歌い出しで愛唱される『宵待草 よいまちぐさ』は、画家・詩人の竹久 夢二(たけひさ ゆめじ/1884-1934)による詩歌を原詩とする抒情歌。ワスレナグサを連想して]。

2024.05.23 記す。

★勿忘草


大原総一郎著『夏の最後のバラ』

 軽井沢の梅原竜三郎氏の新しい別荘に足を踏み入れると、例によって、東京からお供してきた若いグレートデーンが大声で吠えながら、鎖の繋いでいる太い針金の端から端まで、飛びまわった。

 新築の二階の梅原さんの仕事場から眺める浅間とその前景は、浅間周辺の土地の中から特に選ばれただけに、梅原さんのお気に入りの景色である。広々した視野の中に浅間は堂々と中心に聳え、気色の方から、こう描けと要求しているようなところはない。そこで梅原さん、この山と対決し、四つに組んで自分の得意の技で、この鳴動する火山を仕止めようとされるのであろう。その闘志は、隣室に用意された将棋盤の上に移る。夫人と一緒に、今朝から棋譜をちょっと勉強していたといわれるだけに、その熱心さは非常なものと思われる。升田八段に対して会心の将棋を残して勝利を得、それは『将棋世界』に掲載されたこともあるが、それはなかなか完璧な闘いであったようだ。

 ところで私との対戦では、升田八段とのようなわけにはゆかない。私には梅原さんとの将棋は甚だ愉快である。なぜかといえば、先ず熱心なこと、予想以上に研究的なこと、そして何となく気分が寛ぐことなどがその理由であるが、あまり棋力に差がないことも、その理由の一つであろう。今までに勝敗の率は、ほぼ同じである。

 対局が始まると、最初は梅原さんの方が大抵の場合よい。しかし、局面が好転すると、きまって戸棚からウイスキーが出て、大いに優越の感情を満喫される。その頃から、少しずつ鋭さが鈍ってくるようだ。面白いのは、一局終ってから、よく調べて、よいテ、悪いテを再三検討されることである。勝ちっぱなし、敗けぱなしということはない。

 それでいて、過去の勝負の成績については、割合によくお忘れになる。夫人も、いつも勝った時のことをよく憶えているのですよ、と御賛成のようだった。何か楽天的なところがあって、包容力があるためであろう。

 しかし三番ぐらい連勝の後でも、一番でも敗れると非常に残念がられる。三対一とか、三対ニとかの勝負勝では、我慢がならないように見える。何でも完璧を期する豪華趣味の梅原さんには、ストレートでない勝負勝などは、けち臭くて面白くないのであろう。これも対局していて、盤外大らかな気持が漂う原因であるかも知れない。

 勝負が終って、夫人の笑顔が現れると、勝負のことは忘れてしまう。心尽くしの手料理をいただいて、そお近辺を一周して帰る頃には、実際どちらが勝ったのか、記憶が薄れる。誰でも負将棋の方をよく憶えていて忘れ難いものだが、梅原さんの場合、勝つほどには負けていても、負将棋でひどく記憶に残るものがない。梅原御夫妻、全くの善人であるに違いないと思う。

 帰りに、庭に咲いていた空の色よりも青い勿忘草をいただいて帰った。その上、赤い小さな桜草を夫人がわざわざ駅まで届けて下さった。その花は玄関の直ぐ前に咲いていて、あまりよい場所にあるので、一度おことわりして帰ったのだったが、後からわざわざそれをいただいたので、全く恐縮した。

 この勿忘草と桜草は、毎年春になると芽をふき、高原でのように、冴えた深い色にはならないが、それでも軽井沢を思い出させるだけの青と赤の花を開く。

2024.08.31 記す。

★ミカンの写真を張りつけた。

ミカンの由来

[ミカン(蜜柑)は室町時代に中国から渡来し、他の柑橘系に比べて甘かったことに由来します。まるで蜜のように甘い果物という意味で、蜜柑と呼ばれるようになりました。

 ミカンの学名である「Citrus」は、ラテン語でシトロンを意味する 「citrus(キトルス)」が由来です。シトロンとは、ミカン科の常緑低木という意味です。

 英名は「Orange」であり、インドのサンスクリット語である「nagarunga(ナガルンガ)」が語源だと言われています。ヨーロッパに伝わった時にフランスで「Orange(オランジュ)」という言葉に変化し、そのまま英名になりました。

ミカンの種類、品種

 ミカンは、日本国内で収穫されている柑橘系の品種では約80種類以上あります。品種によって、果実の大きさや味などはさまざまです。

 温州みかん

 鹿児島県原産のミカンで、日本で一番多く栽培されている品種です。木の高さは4m~5m程度、果実の大きさは約5cm~10cmです。温州みかんという名前は、その当時柑橘類の産地で知られていた中国浙江省温州にちなんで名付けられました。

 呉市大長(おうちょう)、尾道市瀬戸田のミカンも美味である。

 ミカンの花言葉

 ミカンには、「純粋」「愛らしさ」「結婚式の祝宴」などの花言葉があります。西洋では花嫁が結婚式でオレンジの花を髪飾りに使用する風習があることに由来し、3つの花言葉が付けられました。

 ミカンには、木と実にもそれぞれ素敵な花言葉があります。ミカンの木の花言葉は「寛大」「気前のよさ」、そしてミカンの実には「美しさ」「優しさ」という花言葉があります。ミカンの木の花言葉は、木に沢山の果実が実ることが由来とされています。

 どれも良い花言葉ばかりなので、出産祝いや母の日などのプレゼントとして贈ってみてはいかがでしょうか。]

2024.05.23 記す。

★第二十三候「紅花栄 (べにばなさかう)」 5/26~5/30頃

 七十二候が小満の次候に変わりました。

 最上地方は今でも紅花の日本最大の産地として知られており、紅花は山形県の県花にもなっています。

 七月五日誕生日の花べにばなを張りつけた。

紅花 (べにばな)(コウカ、とも読む)      

地中海沿岸、中央アジア原産。

6世紀に高句麗(こうくり)の僧侶が日本に紹介し、推古天皇の時代から、紅色の染料をとるための植物として利用した。

花は7月頃咲き、咲き始めは黄色、しだいに赤っぽく変わる。

花は紅色の色素を含み、染料や薬用として使われる。

紅花の名前もここからきている。

花から得られる紅は女性の口紅にされ、平安王朝人の紅や桜色の衣装を染めまた、古代エジプトのミイラの 布の防腐にも使われた。

種子からコレステロールを取り除くリノール酸を含む、良質の油が採れるので、今では食用油としての需要が多い(→ べにばなサラダ油)英語では「サフラワー」。

 紅花は、アザミに似たキク科の花で、古名を末摘花(すえつむはな)、紅藍(べにあい)、久礼奈為(くれない)とも呼ばれ、7月の梅雨の時期から梅雨明けにかけて、真黄色の花を咲かせます。

原産地の中近東からシルクロードを経て、3世紀頃に渡来した紅花は山形で美しく花開きました。特に江戸時代においては、土も肥えて水はけもよい最上川流域は紅花の一大産地となり、山形の紅花は京都や大阪で大変重宝されました。

昭和57年には、紅花が山形県の花として定められ、山形県民に広く親しまれています。現在では、加工用品種の「もがみべにばな」や、切花用品種の「とげなし紅花」・「しろばな紅花」などが、山形県内の村山・置賜地方を中心に栽培されております。

参考:山形県西置賜郡小国町叶水:基督教独立学園を訪ねた。昭和60年3月14日。

 〽まゆはきを俤にして紅粉の花

 元禄二(1689)年旧暦五月十七日、芭蕉は『おくのほそ道』の難所の一つ山刀伐なたぎり峠を越えて、尾花沢おばなざわへとたどり着いた。陸奥から出羽へと出て、これから日本海側の旅が始まるのだ。尾花沢には、芭蕉旧知の俳人、鈴木清風が住んでいた。豪商でもあった清風に歓待されて、芭蕉とその門弟曾良は、この地で十泊、『おくのほそ道』の旅で奥州に入ってから最長の逗留をしている。

 紀行文『おくのほそ道』所載。

 句の「紅粉の花」は紅花。かつて当地で盛んに栽培されていた、化粧品や染料として用いられる紅の原料になる花である。夏にあざみに似た黄赤色の花をつける。平安時代には「末摘花すえつむはな」と呼ばれ、『源氏物語』の巻名の一つともなっている、雅な花である。「まゆはき」は、化粧道具。おしろいをつけた後、眉についた粉を払うための小さな刷毛のこと。

 句意は、「いずれ女性の唇をいろどる紅となる紅花、そのかたちも、女性が化粧に使うまゆはきのかたちを彷彿とさせる」。芭蕉はよく紅花を見て、そのかたちに「まゆはき」を感じ取っているわけだ。花そのものも、そこから連想したものも、女性の化粧にゆかりのあるものであったというのが、艶めかしい。『おくのほそ道』中、もっとも色っぽい句と言ってもいいだろう。蕉門を代表する俳諧撰集『猿蓑』にも収録されている。芭蕉が自信を持っていた句なのだ。

2024.07.13 記す。

★忍 冬(すいかずら)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.87

 自然界の姿、色、匂いなどが、僕たちの気持をうまく代弁してくれることもずいぶんある。何だか、あの人のことを考えると、すみれの花を思い出す……と言ってみたり、真紅の薔薇があってくれるので、ずいぶんたすかっている人もいる。……だって、美しい花はいつまでも路傍に残ってはおりません、などと言われると、何となくあきらめられる人もいる。しかし自然界のそれらを逆に僕たちが形容しようとなるとむつかしい。色だけでなく、そこに瑞々(みずみず)しさが加わっているのをどんなふうに説明したらいいのか。

 忍冬(すいかずら)はいろんな木にからまりついて、白と黄色の花を咲かせている。黄色のは枯れかけているのだが、そのために金銀花という名をもらっている。つまり金と銀ではないがただの黄色と白でもない。にぶい赤味と、品のいい光がある。僕の嗅覚は優れてはいないが、こぶしやくちなしの匂いに足を止めてしまうように、忍冬も今しきりに、方々の家の垣根のかげから僕をなやます。うっかりなやますと書いたが、この甘ったるさは、人間がどんな技巧や演技を使っても表せない。エルマンのバイオリンも、どんな名優の色眼も及ばない。もしもほんとうにこんな匂いを持っている人がいたら、……それを想像すると怖い。いま忍冬に集っているあぶたちを見るといい。いっこうに蜜を吸わず、具合悪そうに葉の上をつっ突いていた。

挿絵
忍冬(すいかずら)
2024.10.29 記す。

★岡山市海吉サニー団地第四遊園地に植えられている樹木を張りつけた。三種類。

アラガシヒマラヤスギクロガネモチ六月二十七日クロガネモチ七月三日クロガネモチ

 クロガネモチの樹か切りとられていた。



★クロガネモチの樹の上部が切りとられていたのをみて


小島直記著『逆境を愛する男たち』 老いて虚しく生きず 第一話より

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 印刷した賀状の中に、手書きのものがまじっていると、なぜか心ふかれる。今年は先輩Oさんのものが、とくに心にのこった。

 ハガキの上半分に、自分で彫った「賀正」と、「元旦」の朱色のスタンプ。その下に、

『呻吟語』――呂(りょ)新吾、中国明末の人、と註がつけてある。そして、これにつづけて、

「まことに仰せの如くなれども、われ次の愚句を詠みたり。

 しようことの あるようでんし 老いの春」

 この句が三行に分けて書かれ、「しようこと」に赤マルがつけてあり、上段空白のところに、「広辞苑をみるに『しようことと』はセンコトの転。仕様事と書くのは誤り……とあり」

 と註がつけられている。

 Oさんは、東大を昭和九年に卒業されているから、多分七十二、三歳であろう。某省付属の研究所に奉職。定年後は悠々自適しておられる。

 ときどきお会いすると、じつに柔和な表情で、狂歌のことをたのしげに話され、また碁に熱中される。負ければくやしがる様子は、まことに天真爛漫」、別れたあとも、ほのぼのとした楽しさがいつまでも消えないのである。

 この賀状には、そういうOさんの心境が、さりげなく、しかし的確にのべられているようで体温が直に伝わってくる。

 ただ「しようことのあるようでなし」には若干心ひっかかるものを感じた。狂歌も、碁も、それぞれ老境の楽しみのひとつにはまちがいないとしも、これとは別に「しようこと」を渇望しているのかの感じ、そのことができないでいるためんい、老いの虚しさを嘆くニュアンスがある。私はここにひjっかかる。

「老いて虚しく生きない」という問題を考えるたびに、よく思い出すのは、山形の守谷伝右衛門というひとである。歌人斎藤茂吉の父親。本名は、熊次郎といった。

 二十三歳のとき、守谷伝右衛門の娘、十九歳のいくの婿として入籍し、明治二十七年四十四歳で家督をつぐと同時に「右衛門」を襲名した。

 三十二歳のとき、三男坊として生まれたのが茂吉。茂吉は二十四歳のとき、同郷人で、「青山脳病院」を創立した斎藤紀一の養子となる。これは明治三十八年第一高等学校を六月に卒業し、九月に東京帝国大学医科大学に入る間の七月のことであった。

「茂吉の父」の晩年の逸話がすばらしい。結城哀草果は、「茂吉とその秀歌」(中央公論社)という本で、次のように書いている。

「お父さんは牡丹園をつくろうと思いたたれて、山形市外の元木(もとき)といところの、有名な牡丹園に牡丹の種子を求めにゆかれた。芽で接ぐことによって育てる方法は、簡便で早く花が咲くけれども、それでは真の愛着が起らないばかりでhあなく、それ以上の珍花を求めることができないところに、不満を感じられて種子蒔(ま)いて育てることを思いたたれたのである。

 牡丹園の主人は顎に白鬚ののびた老人の姿を目のあたりに見て、

『牡丹は種子で蒔いては少なくとも五、六年を経てようやく花をもつものである。あなたの年頃ではとても骨折損になるだろう』

 と真面目に忠告されたのであるが、

『その事なら承知の上だ。十年でも十五年でもかまわない、自分の死後に立派な花が咲いたらそれで本望である。自分は生涯牡丹に丹誠をここめて見たいのだ』

 と申されて、種子を求められた。牡丹は生前に立派な花を咲かせていた。肥料から栽培法までしっかり研究しておられたのには、全く驚くの他ないのである」

 また、真壁仁の『人間茂吉』(三省堂)には、

「(茂吉の父は)体重十二貫(四十五キロ)ほどの小男だったというが、胆(たん)剛直で意志は強靭であった。

 牡丹は根つぎでは育たない。種で蒔いて育てなければならない。元木(現山形市)部落に丹野ときう牡丹屋がある。熊次郎は、そこへ種を買いに行った。すると、

『種子で蒔いてから二十年経たなきゃ花が咲かない。すこしおそすぎはしませんか』

 と主人が言う。熊次郎は怒って、

『何を仰言(おつしや)る。私がまもなく死ぬとでも思ってらっしゃるのか』

 とやり返す。そして種を手に入れて帰る。それは生前みごとな花をつけた。大正十一年(一九二二)五月、守谷家の庭でうつした熊次郎(七十三歳)の写真がある。茂吉はドイツ留学中で、孫の茂太(七歳)と並んで立っている。そばに背丈より高い牡丹の木が幾株か茂っているのが見える」

 と書かれている。

 ともあれ、老年に老いて牡丹を愛した茂吉の父は、期せずして「老いて虚しく生きない」人生をつらぬいたのではあるまいか。

2024.06.29 追加

★ハッチョウトンボの写真を張りつけた

[鮮やかな赤 ハッチョウトンボ 岡山・総社 ヒイゴ池湿地で飛び始める

5/24(金) 19:13配信 山陽新聞デジタル

 周囲の緑色と鮮やかなコントラストを見せるハッチョウトンボの雄=24日

 体長2センチほどと「世界最小級のトンボ」として知られるハッチョウトンボが、岡山県総社市福井のヒイゴ池湿地で飛び始めた。雄は全身が鮮やかな赤色を帯び、周囲の緑色と美しいコントラストを見せる。

 湿地の保護に取り組む市民団体・北の吉備路保全協会によると、今季は17日に初確認された。6月をピークに8月中旬まで観察できそうという。雄は約1ヘクタールの湿地内で葉や花に止まって茶褐色をした雌を待つが、別の雄が近づくと縄張りを争って飛び回る。

 開発の影響で生息地が減り、岡山県のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に指定される。湿地内では絶滅危惧Ⅱ類のランの一種・トキソウも見頃を迎えており、萱原潤会長(71)は「足を運び、小さな命の営みをそっと見守ってほしい」と呼びかける。]

2024.05.24 記す。

★岡山市半田山植物園60年節目に観察会報道された樹木を張りつけた。「Google」、「画像で検索」をクリックして貼り付けた

[半田山植物園 60年節目に観察会 開園当初からの植物 学芸員が紹介

 岡山市北区法界院の半田山植物園が25日、1964年のオープンから60周年の節目を迎え、記念イベントが開かれた。多くの愛好家らが訪れ、深まる緑に彩られた「還暦の植物園」を楽しんだ。

記念イベントの観察会では、開園当初からあるという植物を学芸員が紹介。入園者は落葉期の樹形が竜の爪のように見えることから「龍爪樹」の中国名を持つシダレエンジュ、05年にはあったといわれる長寿のソメイヨシノを興味深そうに見入った。

 参加した女性(78)=岡山市北区=は「未知のことを知ることができた。今後も足を運び、植物の勉強をしたい」と話した。

 25日は入園料が無料となり、アンケートに回答した先着300人には園内のバラをプリントした記念のポストカードもプレゼントされた。

 半田山植物園は市街地を望む丘陵地に設けられ、約11万平方メートル。現在は約3200種15万本の植物があり、60年間で延べ約360万人が訪れた。柴田映昭統括園長は「先人が守ってきた園が、より良くなるよう情報発信にも挑戦し、多くの人に親しまれる園を目指したい」としている。(2024年05月25日 17時43分 更新)]

★岡山県自然保護センター|里山の自然にふれてみようイベント報告の「トキソウ」の写真を張りつけた。

[トキソウ 教授が教えるトキソウ観察会 2024.05.25

 教授が教えるトキソウ観察会

 ほのかなピンク色の花をつける湿生植物園の看板植物「トキソウ」の観察会を行いました!

 長年湿原の研究をされてきた岡山理科大学名誉教授の波田善夫先生から、湿原とトキソウについて講義を受けた後,実際に湿生植物園で観察しました。

 4000本を超えるトキソウの花が見られ,参加者からも「こんなにたくさん生えているのは初めて見て感動した!」との声も聞かれました!

★イタドリを張りつけた。

[いたどり里山の恵み−山菜【イタドリ】(自生種)

 酸味がさわやかで食感がよいイタドリ。

 1年を通して自生しているイタドリですが、新芽の時期である4~5月が食べごろ。

 山菜のなかでもマイナーな存在でが、食感が良く特有の酸っぱさがあります。生でも食べられますが、酸味がやわらぐため、炒め物や漬物にすることが一般的。穂先の部分は天ぷらにすると香りがよく、軽い食感も楽しめるのでおすすめです。茎はごま油で炒めものにすると美味。

 イタドリの新芽に含まれる酸味には、肝臓の働きを助けて体をデトックス。利尿作用によって排出を促します。また、根茎部分を天日乾燥させたものを漢方では虎杖根(こじょうこん)と呼び、緩やかに排便を促す作用があり、便秘薬として古くから民間療法に用いられてきました。

 また若い葉には止血作用や鎮痛効果があるとされ、同様に用いられてきました。名称の「イタドリ」はこの”痛みを取る”ことから名づけられたと考えられています。 生のままでも摂取量に気をつければ食べられますが、リンゴ酸、酒石酸、クエン酸などの有機酸を多く含むため強い酸味を感じます。シュウ酸も含むためアク抜きをした方が美味しく安全に食べられます。

 たじな=イタドリ=タデ科の多年生植物。別名は、スカンポ、イタンポ、ドングイ、スッポン、ゴンパチ、エッタン。若い茎は柔らかく、春頃の新芽は、皮をむいて山菜として食用になる(Wikipediaより)とか。

 イタドリの漢字表記に「虎杖」がある。調べると、「虎杖」の名前の由来は諸説あります。 節に虎の縞模様のような柄が見られるから、という説や、葉に咳止めや止血の効果があるとされ、「痛みを取る」から「イタドリ」と名付けられたという説も。 このような理由から「イタドリ」の漢字表記は「虎杖」のほかに「疼取」とされることもあります。]と。

2024.05.28 記す。

★岡山市海吉サニー団地第四遊園地に植えられている樹木を張りつけた。

[夾竹桃 (キョウチクトウ)リンドウ目、キョウチクトウ科の常緑低木。白い花をつけている木と紅色の花をつけている木がある。

 1975年、フランスで大きな事故が起きた。バーベキュー(BBQ)に来てた7人の男女だったが、いざこれからという時にBBQ用の串を持ってこなかった事に気付く。お肉や野菜を串に刺し食べるのは美味しく楽しい。ガッカリしながら串の代用を皆で探す事に。

 そこで目についた樹木に付く真っ直ぐな枝をひとりが発見し、その枝をカットしてみる。剛度も強度もあって良くしなる。これはもう串に使うのにはピッタリではないか。と皆でその枝を何本も切り落として、肉や野菜など次々とにわか仕込の新鮮串に刺し、BBQが無事に始まって参加者にとり楽しい思い出になる、筈であった。

 それは皆の楽しい思い出の1ページとならずこの件は新聞の一面記事に載ったのである。『BBQ参加の男女7人、猛毒植物で死亡』

 そう、BBQの面々が喜んで串に使ったのは近くの夾竹桃 (キョウチクトウ)の枝だったのである。この植物は学校や企業の植込みに良く見られる樹木である。虫などが有毒ゆえ葉を食い荒らさず、セミすらもとまらない。つまりは公共の場で、虫対策の手間要らずで余計な費用もメンテナンス費用も掛からない。だが、実は夾竹桃の毒は半端なものではなく猛毒すぎて土壌そのものも毒で汚染して下草すらも生えない。この樹木を池のほとりな植えようものならば、池の中の鯉も蛙も蟹も全てが絶滅する勢いの毒である。

 焚火にも夾竹桃の葉すらくべてはならない。毒ガスが発生するからである。

 フランスでの7人死亡事故は、BBQの際に夾竹桃の枝が炙られた事で肉や野菜の中へと毒性物質オレアンドリンがたっぷり含まれていたのである。

 この事故以降、欧米諸国に於いては学校授業の生物講義の中に『身の回りの毒性植物』の教育プログラムが組み込まれた。]

2024.05.30 記す。

★夾竹桃


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.205

 地の神の娘に、白妙姫という色のまことに白い美女がいた。若い神々はこの白妙姫を得ようと思って夢中になっていたが、彼女の心にかなう者がいなかった。若い神々の中に、植物の神がいたが、これこそ白妙姫にも父の神にも気に入ったので、婿君になることを告げると、意外にも、彼は、こんなにまっ白い姫君は、まるで死んでいるようで好きになれないと言って断った。

 色の白きを嘆きはじめた白妙姫は段々やっれて来た。父の地の神はそれを天の神に告げると、天の神は自分の夾竹桃をとって与える。それを持ちかえると、娘はその紅い花をもんで紅色の雫を顔に熱心に塗った。すると、白い顔は美しい赤味がさして、植物の神は悦んでお婿さんになることを承知した。

 花の伝説というのはこんな調子のものが多い。その話をきいた中学校の運動場の隅に夾竹桃が一本あって、夏の休みがはじまる頃になると紅色の花が見られたが、中学生たちも、この伝説をきかせた国語の先生も、夾竹桃が校庭に植わっているのを知らなかったらしい。

2024.10.22 記す。

★第二十四候「麦秋至 (むぎのときいたる)」 5/31~6/4頃

 七十二候が小満の末候に変わり、初冬に蒔かれた麦が小麦色に熟す頃になりました。

中学三年生麦刈り勤労奉仕麦が実った畑

★鉄道草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.83

 ひめむかしよもぎという菊科の植物は誰でも知っている。名前を知らなくとも実物を見れば、これかという。この草は明治草、御維新草という別名を持っている。ならべついでに学名まで書けば、エリゲロン・カナデンシス。北米、カナダあたりが原産地で、日本にやって来たのが明治初年である。

 わざわざ持って来て植えたのではなく、何かの荷物にその種子がついて来てこぼれて生えたのだろうが、それから鉄道線路を順に種子がはこばれて、今では高山は別として、日本の到るところに生えている。僕は数年前に九州の小さい離れ島でも見た。こんな具合に繁殖力の強いものは他にもあるだろうが、ともかくこれはそんなことから鉄道草という名がついている。

 僕は自分のいる井之頭から都心に出る時は吉祥寺から電車に乗ることが多いが、大分前から、鉄道線路に生えている植物をしらべることを考えている。この考えは至極単純であるが、鉄道草的原理によって、新宿付近には信州の方に見られる植物があり、上野の構内付近には、東北、上越、ともかく北の方のものが運ばれて来ているかも知れないと思っている。

 以前、僕の友人は線路の石を気にして、ついに日暮里の近くで蛇紋石を拾った。勇敢にホームから飛び降りて、田端の方へ歩いて行って見付けた「のだが、彼自身もまた見付けられてひどくどやされたそうだ。この勇気と覚悟こそ、僕には必要である。

挿絵
忍冬(すいかずら)
2024.11.13 記す。

★薔薇


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.46

 僕は立ちどまって薔薇の花を造っている白衣の男の手先を見た。彼はガラス張りの檻の中で、片手に混沌としたクリームのはいった三角帽をさかさに握っていた。

 人間はこうして、食べることのできる薔薇の花を造っている。なぜ薔薇を食べようとするのだろうか。デコレーションケーキというものは、とかく争いのもとになることは承知の上で、人間は甘い薔薇を造りつづけている。子供たちも大人も、その花を堂々と、またひそかにねらう。それはこの花が愛のシンボルであるからでも、美しいからでもない。ただ甘いクリームのカタマリであるがために、むきになってジャンケンをする。

 ところがこの薔薇も、本物のようにするためには、花びらのへりをややそらせなければならない。白衣の造物主は、そのこつを心得ている。彼は一枚の花びらを造ると同時に、口をとがらせて息を吹きかける。どろどろのクリームはその男の息をうけていよいよ薔薇のようになる。

 この見学によって、お菓子の薔薇をねらわなくなるのは僕だけではないだろう。造物主は奥座敷で仕事をしてくれた方がよさそうである。

挿絵
薔薇
2024.10.27 記す。

★観葉植物「サンスベリア」を張りつけた。

[サンスベリアは、トラノオ(虎の尾)とも呼ばれている観葉植物です。スラっと伸びている葉は、スタイリッシュ。

 サンスベリア全体をトラノオと呼ぶこともありますが、基本的にはサンスベリア=トリファスキアタ=ローレンティという品種のことを、トラノオと呼んでいます。

 トラノオと呼ばれるようになった理由は、葉の柄がトラのしっぽのように見えたためです。

 そんなサンスベリアは、乾燥に強い観葉植物の1つです。

 サンスベリアの水やりは、2週間に1回程度で充分。

 乾燥で土が乾きやすい時期の水やりは、2~3日に1回とされています。

 基本的に水は、土が乾いたことを確認してから与えます。

 毎日水をあげなくていいため「植物に興味はあるけど、水やりを忘れそう……」というお父さんの、植物を育てるハードルを下げることができそうです。

 花言葉は「永久・不滅」などがあります。

 サンスベリアはこの縁起の良い花言葉から、父の日やお祝いの場面で贈られることも多いようです。 p>  また、風水的にサンスベリアを見ると葉が鋭く尖っているため、悪い空気を浄化するといわれているのだそう。

 サンスベリアは、風水に興味があるお父さんへのプレゼントにもよさそうですね。

 その時はサンスベリアを置くと良い方位などを調べて、プレゼントする時に伝えるのも喜ばれそうです。] 

2024.05.31 記す。

★「サツキとツツジ」を張りつけた。

さつきとつつじのみわけかた。

 多くの見分け方の説明があるが下記の記事でたりると思う。

さつき・・・枝先に複数の花芽がつく
      開花時期が少しずつ違い、ぱらぱら咲き始めるが1週間ほどですべて咲く

つつじ・・・1つのつぼみに3つの花が咲く
      同じ時期にいっせいに咲く

2024.06.01 記す。

★近所の家の庭に植えられている花を張りつけた。

[コエビソウ:メキシコ・西インド諸島原産の、観賞用に栽培される、半常緑低木。

 樹高は30-100cm。葉は卵形で長さ3-8㎝、全体に毛が生える。花は筒状で、頂生および腋生する円錐花序につき、花茎はアーチ状に曲がる。個々の花は小さく短命だが、淡緑から赤褐色の苞は長期間色が残って観賞できる。四季咲性だが、春から夏に多く咲く。きれいに重なった赤褐色の包葉から,下唇弁に紫紅色の斑点のある白い花が突き出す。

花期は5-11月。

※ 名は、花のつく穂が苞(ほう)に覆われていて、その形が小海老の尻尾に似ていることによる。]

2024.06.02 記す。

★酸 奨(ほおずき)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.18

 農夫たちは、せんなりほずきを、畑にはびこるということで目のかたきにしている。しかしまた、どこから運んで来るのか、観音様の四万六千日に沢山並べるせんなりほおずきは、やっぱり彼ら農民たちが丹精して育てたものに違いない。

 これは昔、薬として売っていたものらしい。解熱剤である。酸奨は何となく東洋的なので、文献を見ると、フランスでは、葡萄畑の、あの棚の下に沢山生えているようだ。百科事典では、果物の仲間にはいっている。僕は単純に一つの連想を作ってしまう。フランスのある地方では葡萄酒のコップの底にこれを沈めておいて、いい加減の時にぶちゅっと噛むのかと思う。それでフランスでは酸奨のことを冬の桜ん坊といっているのかと思った。だが、この国でも何かの薬にしているだけらしい。

 僕は久し振りに丹波酸奨を鳴らしたくなった。あの赤い頬っぺたを、誰に遠慮することもなく、くにゃくにゃと可愛がって、そのうちに種子(たね)が走馬灯のように回り始める。僕は丹波酸奨が八百屋の店にもあることを忘れていたので、縁日をさがして、とうとう買って来た。

 それを揉みながら、昔のように胸がわくわくした。というのか、昔の胸のわくわくを思い出した。そしてさっきのフランスの酸奨のことをちょっとしらべたことから、一体フランス人に酸奨が鳴らせるものかどうかを考えた。ジャン・ジャバンだの、ジャン・ポール・サルトルだの、フランソワーズ・ロゼエの口許がいやに官能的に浮かんで来た。

せんなりほうずきほうずき挿絵

2024.10.19 記す。

★道ばたに生えている草を張りつけた。

[エノコログサ(狗尾草、学名:Setaria viridis)は、イネ科エノコログサ属の植物で、一年生草本である。ブラシのように長い穂の形が独特な雑草である。

夏から秋にかけてつける花穂が、犬の尾に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)が転じてエノコログサという呼称になったとされ、漢字でも「狗(犬)の尾の草」と表記する。ネコジャラシ(猫じゃらし)の俗称は、花穂を猫の視界で振ると、猫がじゃれつくことから。逆に猫をじゃらす、草状のものを「お遊び草」と呼ぶようになった。穀物のアワ(粟)の原種とされ、交雑もよくおこる。

わが国の各地をはじめ、世界の温帯から暖帯に広く分布しています。乾燥した痩せた土地に生え、高さは20~80センチになります。花期は8月から11月ごろ。小穂のあいだの剛毛が紫褐色を帯び、全体に紫色に見えます。]

2024.06.04 記す。

★夏水仙


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.62

 夏水仙は一名、「葉見ず花見ず」と言われている。線形の葉が、わっさわっさと繁っている時には花は咲かず、夏になって花径が勢いよくのびる頃には、もう葉は枯れていない。花は自分の葉を知らず、葉はその花を知らない。庭にその鈍頭の葉が、大きな爪のような恰好で出て来るのは、まだ地面が凍っているころであるが、今年はその出方が早すぎるようである。どういうことなのだろうか。

 暖冬異変による現象ではなく、しばらく前から僕の家に飼われることになった犬が、好んでそこに寝るからである。好んでというよりは、そこが、こんもり高くなっていて、繋いである鎖の限界のうちで一番気持ちがいいらしい。

 犬という動物も、飼ってみると変なものである。欣然とすれば、それを隠したくも隠せないような、始末の悪い尻尾を持っているし、呼ばれても、面倒臭い時には、地面にすりつけたまま首をあげず、上目使いでこっちを見る。それで、わざわざトタンを買って来て、小屋を造り、乾いた藁を敷いてやったが、そこにいないで、土の上に寝そべっている。それで犬の方は知らないのに、地下の夏水仙は春の錯覚を起こして、早目に葉を出した。

 その葉はのびはじめるとかなりの勢いで成長するので、ある朝雨戸をあけるとうちの、吠えることも知らない詩人肌の犬が、一夜にして伸びた葉に持ちあげられて、そのまますいこすいこと眠り続けている姿を見るのではなかと思う。

挿絵夏水仙

2024.10.28 記す。

★2024年6月4日、歯科医院受診からの帰り道に空き家の塀の中に「ユスラウメ」の木に赤い実がなっていた。

「ユスラウメ」だと、すぐに判ったのは少年時代にこの木の実を食べたのが記憶に刻まれていたからです。この実のほかに、杏子、ナツメ、スモモ、ぐみ、桑の実、野イチゴなど。

 そこで「ユスラウメ」を調べてみることにした。

[バラ科サクラ属に属するユスラウメ(梅桃、山桜桃、学名: Prunus tomentosa)は、その風情ある低木の果樹として知られています。この樹木は、特有の毛が生えた若枝や葉を持ち、その特徴的な姿で庭園や公共の場に美しい景観を提供しています。果実の魅力だけでなく、その観賞価値も多くの人々を魅了しています。今回はユスラウメについてご紹介します。

 ユスラウメ、または梅桃は日本における伝統的な果実です。特に6月から7月の間に緑色から黄色になるときに、その甘酸っぱい風味が増します。

 食用にも観賞用にも利用されるユスラウメは、その美しい花が春の風情を彩り、各地で愛されています。その花は大きく美しいため、春先の風物詩とされています。また、実は梅酒や梅干しの材料となる上、抗酸化作用と豊富なビタミンCから健康効果もあり、美容と健康に気を使う方に適しています。

 北海道から九州まで広く栽培されているユスラウメは、江戸時代初期頃やや早めに日本に渡来しました。木、実、花と多くの魅力を持つユスラウメは、その多面性から日本の四季折々の風情を彩り、日本人の生活の一部となっています。これからもユスラウメの魅力と可能性を引き立てるため、その風情と季節感を楽しんでいきたいものです。

 ユスラウメの味

 ユスラウメの味は、一般的には酸味と甘みが混ざった特徴的な風味を持っています。果肉は柔らかく、時には少しシャキッとした食感をもつことがあります。この果実は通常、酸味が強く、少し渋みも感じられることがありますが、熟すと甘みが増し、食べやすくなります。

 ユスラウメは、独特の風味と酸味が特徴的であり、そのまま生で食べるほか、ジャムやゼリー、お菓子、または料理に利用されることもあります。果物としての風味や食感は人によって異なる場合がありますが、多くの人がその特徴的な味わいを楽しむことができます。

 ユスラウメの毒性や危険性について ユスラウメ自体に毒性はないとされていますが、注意が必要な点もあります。一般的に、果実そのものに毒性はなく、食べられることが一般的ですが、種子には微量の青酸配糖体(シアン配糖体)が含まれています。

 種子に含まれる微量の青酸配糖体は、大量に摂取された場合に人間や動物にとって有害となる可能性があります。しかし、通常、ユスラウメの果肉を食べる際に種子を噛まずに取り除くことが推奨されていますので、果肉を食べる際には種子に注意することが重要です。

 ただし、これまでにユスラウメによる深刻な毒性の報告は少なく、普通の量を摂取した場合には問題が起こることはまれです。しかし、種子は小さな子供やペットにとって誤飲の危険性があるため、取り扱いには注意が必要です。万が一、摂取した場合にはすぐに医療機関に相談することが大切です。

 名前の由来は、牧野富太郎説として、「枝を揺さぶって果実を落として採るから」というのがありますが、「果実は揺すったくらいでは落ちない」という反論もあります。 韓国名で「イスラ yisular」がそのまま和名に転じたという説など、諸説あります。]

2024.06.05 記す。

★第二十五候「螳螂生 (かまきりしょうず)」 6/5~6/9頃

 七十二候が芒種の初候に変わり、カマキリが卵からかえる頃となりました。

 カマキリの卵

 手の鎌がトレードマークのカマキリは、「鎌で切る」から「鎌切り」となったとも言われますが、この鎌を持ち上げ待ち伏せする姿を祈っているようだと見て「拝み虫」とも呼ばれます。

 カマキリは英語で「mantis」、語源はギリシャ語で「予言者」や「僧侶」という意味です。

平成五年九月一日 一〇一号

カマキリの脱皮


 今年八月、実践人夏季研修大会に参加、帰った翌朝八時ころ、前脚は折り畳み、後脚と中脚の先端部を曲げ、庭木にぶら下がったカマキリが九十五%脱皮していた。殻の長さは二・五センチ、体は五センチだった。体色はうすい緑黄色。抜け出ながら成長したのか殻が収縮したのか分からなかったが多分前者だろう。抜け出ようと下腹部を膨らませたり、縮めたり。全身を半回転して上向きになり腹部を上下にくねらせて尻部に付いている殻を振り払おうとする。体を前に進めたところで抜けきった。はねは小さかったが二十分経過したころ成虫の三分の二に伸び、三十五分後、成虫の大きさになった。閉じこめられていた体は二倍に成長し、はねは爆発的な速さでのびて透きとうった。からは触ると軟らかく、胸・腹部を手で押さえると、紙風船の空気が抜けたよう凹んだ。

▼串田孫一氏は、「ところが今日、いつも葉書ばかりをくれる友だちが、珍しく、十一円の簡易書簡をくれた。封緘葉書がいつの間にかそんな名前に変っていたのだ。上下のミシンをぴりぴりと破いてみると、用件の終りに、カマキリが脱皮したと書いてあって、ぬけがらが二つはいっていた。簡易書簡の中には何も入れてハピーズいけないんだよ、そりゃ違反だよ、という人もいた。しかしそれはもう届いてしまったし、はいっていたものは、ともかくもぬけがらなのだ。……うっかりしていると、なかなか凝ったことをする友だちのことだから、このぬけがらを僕に送ってくれたことによって、彼の思想的脱皮を伝えているのかも知れない……と。串田孫一『博 物 誌』(角川文庫)P.11
▼研修大会での収穫をバネにして自分のからをどれだけ抜け出すかは私次第だ。

カマキリ
2024.07.27 記す。

★第二十六候「腐草為蛍 (くされたるくさほたるとなる)」6/10~6/15頃

 候が芒種の次候に変わり、草の中から蛍が舞い、明りを灯しながら飛び交う頃となりました。

 古くは、暑さに蒸れて腐った草や竹の根が、蛍になると信じられていたそうです。

 水辺や野の暗がりに浮かんでは消える蛍の光は、まさに夏の風物詩。

 夏の夜を幻想的に照らし出してくれます。

 飛び交うホタルの群れ・蛍火

 夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。

 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」

 これは、清少納言の枕草子『春はあけぼの』に登場する有名な一節です。

 夏は夜が趣深い。月が出ている夜はもちろんのこと、闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている様子も良い。また、それらがただ一つ二つと、ほのかに光って飛んでいるのも良い。夜に雨が降るのも趣があって良いと、綴っています。

 短い一節ですが、閑雅な光景が浮かんできますね。

 蛍が放つ淡い光は「蛍火」と呼ばれ、夏の季語にもなっています。

 昭和42年夏、倉敷市酒津のクラレ北社宅に住んでいた。当時は冷暖房器もなく、家の扉もあけて蚊帳の中に寝ていた。夜中にホタルが部屋に飛びこんでいた。

ホタル

★ かたつむり


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.17

 かたつむりに僕が熱をあげた一つの理由は。その名前がなかなかいいからだ。キムスメマイマイとか、オトメマイマイとか、クチべニマイマイとか。それに、オオペソマイマイ、コペソマイマイ。ただこれらはその生殖器を丹念にしらべなければならないので、それがつらい。別段悪い心はなんにもないのだが。

 かたつむりの雄と雌、どこで区別するか知っている? と訊ねると、なかなか面白い返答が出る。貝の左まきが雌に決まっているじゃないか、そんなことを言う人もいる。

 僕は息子の手を引っぱって藪の中をがさごそとよく歩いてものだ。雨あがりの日に、ゴム長をはいて。そしてこういものを見つけるのは、幼い眼の方がいいのだ。

 その息子が小学校へあがってしばらくしてからだ。先生は一匹のデンデンムシを板の上に這わせた。これは何というものか知っていますね。このことで、作文を書いてみることにしましょう。そう言ったのだそうだ。後で教室を参観に行くと、作文が貼り出してある。「おうちをかついでいるから、にげたくないのです」「ぼく、せんせいがさっきこれをひろっているのをみました。ちゃんとみちゃった」僕はわが子がどんなことを書いたか、それを読むのがつらいような気持になったが、ついにそれを見っけた。

 「これはひだりまきみすじいまいというのです。おとこでもおんなでもありません」

※参考:カタツムリにはオスとメスの区別がなく、雌雄同体です。同じ種類の大人になった個体が生殖器をお互いに受け入れ、両方が卵を産みます。 カタツムリが雌雄同体である理由は、あまり移動しないため別個体に会う機会が少なく、たまたま出会った個体が同性であると交尾をすることができないためと考えられています。 雌雄同体のカタツムリの一部は、ラブダートと呼ばれるカルシウムでできた針を相手の体に突き刺して受精させます。ダート表面に塗布された特殊な分泌液が卵子を受精させるのを手助けします。

2024.10.21 記す。

★カタツムリの歩み


 “たゆまざる 歩みおそろし かたつむり ”

 この俳句に見覚えはありますか?  皆野町立皆野中学校校長 小菅恭青史 述

 これは、長崎平和公園内にある平和記念像の作者、北村西望氏の句です。

 彼は、この記念像彫刻の制作中、足元にいた一匹のカタツムリを見つけます。半日して、再び彫刻を始めようとすると、なんとそのカタツムリは、10m先の像の頂点に移動していたのです。

 「一歩一歩の歩みは遅くても、時間をかければ偉業を成し遂げることができる」ということに気づかされます。カタツムリに感動した彼は 102 歳で亡くなるまで、生涯現役とたゆまぬ努力を貫き通しました。

 教育の目的もまた、子供が自立して社会を生き抜く力を身につけることです。

 先日、第3学年生徒と保護者対象の秩父管内4校の高校説明会を開催しました。

 様々な反響がありました。受験を経験してきた親や教員だから、子供の進路や高校の選択に助言することは必要でしょう。でも、決定するのは子供たちで、子供の意志です。大人の責務は、子供を一人の社会人として一人前にすることです。つかず離れず、眼を離さずにかかわり続けることが大事です。もう既に目標を定めて自立(秩父管外)へのチャレンジを決めている生徒もいます。また、「○○高校の先生、やさしそう…」と、意中の高校であるかのように受け止めている生徒もいました。目標の達成までには様々な困難に出会うものです。例え失敗したとしても、いくらでもやり直せます。やる前から諦めてしまったら、そこで成長は止まってしまいます。一日一日を大切に過ごしていきましょう。

 今月、「3つの奇跡」が起こりました。

 1日、一瞬衝撃を与えられた交通事故から生還した生徒。

 ほぼ時を同じく機転を利かせて小学生の窮地を救った生徒。

 7日、諦めずに粘り強く頑張る聖火ランナーの勇姿を見せてくださった皆野幼稚園の鈴 木秀太郎園長先生。1年、大会開催が延期された梅雨の晴れ間でした。

 後悔するくらいなら頑張ってみることです。諦めない気持ちが人生を変えます。小さな一歩でもいい、カタツムリのような前進が偉業を成し遂げるのです。

 奇跡と思えるような機会をいただいたことに感謝して、精一杯頑張りましょう

宮本 進 先生の 2024.7.1(月)メールによる。

2024.11.01 記す。

★平家蛍


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.219

 ほたるは「火眠る」ということらしいが、あたたかみのある名前である。だが蛍の光には熱がない。昨年までは僕の住んでいる近くでも、この青白い光を見かけたが、今年はどうだろうか。何しろ家が多くなって、蛍も別段あかりを必要としないだろう。しかし、その発光器をすててしまうようなことはしない。一体蛍は何のために光るのか。

 幼虫のうちから彼らは光る。不器用な光り方ではあるが、ともかく光る。幼虫の時代だけ光るのもあるが、大きくなると光り方も起用にばり、雄と雌とで信号をやる。種類によって色の区別もあるし、第一、点滅の回数がいろいろある。コッチへコナイ? イッテモイインダケド。それは僕に考えられる限りの人間の言葉である。それらしい人間語訳である。恐らく大きな誤訳だろう。

 しかし光の信号は、そんな醜悪な人の言葉とはおよそちがった、僕たちの想像からはあるかに距った情緒をかくし持っていることだろう。

 籠に入れた蛍は青臭い。それを、あんまり「いやだと思わずに、口に水を含んで吹きかける。ただ彼らが腹にあかりを持っていて何も隠せないのは辛いだろう。

※閑話休題:海軍兵学校兵学校の卒業式が済むと、真新しい軍服姿になった候補生たちは、在校生徒や教官たちの見送る中を、機動艇に分乗して表桟橋から離れて行く。そのとき軍楽隊が「オールド・ラング・サイン」(「蛍の光」の原曲)を演奏するのが慣例になっていた。ところが戦時下ますます激しくなった適性語追放の空気から、卒業式行事でこの曲を演奏するのは取り止めてはどうか、という意見が出てきた。スコットランド民謡だから、というのがその理由である。しかし井上校長は「名曲は名曲である。敵味方を絶している」として廃止の意見を斥けた。「蛍の光」は戦時中、国内どこの学校でも聞かれなくなったが、兵学校では終戦の年まで使用された。

2024.10.17 記す。

★たまあじさい


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.15

 ぬかるんだ雨の日の道を、近くの丘へたまあじさいの蕾のふくらみを見に行く詩を作ったのはもう三年前になる。その時小さな一本を抜いて来て、窓辺へ移植したのが今年はぐんとふえて、次々と花を咲かせている。いかにも大切なものがはいっているように、しっかりと握りしめたまんまるい蕾がほぐれると、そこからざっと三百ほどの花が咲く。

 決して実を結ぶことのない装飾花の方が、ずっと花らしく目立っているけれど、ほんとうの花は、薄紫の霞だ。涼しく甘い夢だ。しかし僕はその夢の構造を一応は知って置かなければならない。窓から思い切り身を乗り出し、拡大鏡をあてる。

 長く、しなやかに曲ってのびている雄蕊(おしべ)は、こうして見ると海底の藻(も)のようにも見えるし、それがまた迷宮のようにも思われる。その一本一本の、何というみずみずしいしなやかさだろう。僕は自分の体があまり無様(ぶざま)に大のが悲しい。そこにとろんと光る蜜を吸うための口を持っていないことがいかにも口惜(くや)しい。

 僕はついに、スリッパのまま窓から外へ出てしまう。せめて花の中へ自分を入れることで満足しようと思って。するとその時、拡大鏡の中のその迷宮に、一匹のひめひらあぶの雌が飛び込んで来た。翼を持つ彼女の勇敢な飛び込み振りはなかなか見事だったが、彼女はどうもそこで蜜を吸うよりも、ただ紫の夢の中でころげ回るのを嬉しがっているようだ。

2024.10.10 記す。

★第二十七候「梅子黄 (うめのみきばむ)」 6/16~6/20頃

 候が芒種の末候に変わり、青々と大きく実った梅の実が、黄色く色付き始める頃となりました。

 梅の実が熟す頃の雨” ということから「梅雨」になったとも言われ、梅雨時である陰暦5月を「梅の色月」と美しく言い表した言葉も残っています。

 梅の実

★日の丸弁当"は超合理的な食品


樋口清之『梅干しと日本刀』(祥伝社) P.50~52

 米を粗末にしたり、冒瀆するとたたりがあるという戒めができる。『山城風土記』という千二百年前の本に、こんなエピソードがる。

 秦伊呂具(はたいろぐ)という大地主が、米ができすぎるので、餅にして、それを的にして矢を射ていた。すると矢が当たった餠は、白い鳥になって飛んで行ってしまった。その鳥が落ちた山が稲荷山――稲のなる山、お稲荷さんである。その事件の後、秦氏は転落して貧乏になった、という話である。餠という食品を、遊びの対象にすると罰が当たるといって、米の神聖感を教えているわけだ。したがって、昔の人は米を大事にしたし、米には悪魔を払う力があると教えて、今日でも地鎮祭のときには神主が、水と塩と米を撒く。

 人間の経験的な客観の範囲での、物の説明が科学だとすれば、日本人の場合は、これを信仰や人間の倫理観、あるいはムードといったもので感じていくのである。その信仰も、特定の宗教に規制されるのではなく、宗教の原点というのか、人間が生存していくために必要な原点に立っているから、前近代的ではあるが、日本人には説得力があったのである。

 日本では、こうして米を"主食"として、カロリーの摂取源とした。だが、米自体は酸性食品であり(米は、その澱粉質が胃の中に入ると、すぐ糖化する酸性食品である。P.48)、さまざまの欠点を持っている。そこで、この米の欠点を補うために、米とは違った性質を持つ食品を摂取する。これが副食の概念である。

 外国人は、食生活において、こうした主食と副食といった概念を持ってなくて、すべての食品から万遍なくカロリーや栄養を摂るという考え方である。したがって、「ごはんとおかず」といった関係はない。どの食品もごはんであり、おかずである。だから、西洋の栄養学ではどの食品ひとつ取り出しても、その食品自体に、カロリーと栄養がバランスよく含まれていなければならない。そういう目で日本のごはんとおかずを見ると、それぞれ欠陥であることから、日本人の食事は近代的でらない、ということになってしまった。

 だが、これは正しい見方だろうか。たとえば、日の丸弁当を考えてみよう。日の丸弁当というのは九十九パーセンㇳが米で、副食は梅干しだけでらる。栄養学的にみれば、こんな低カロリーで野蛮な弁当はないだろう。だが、これは間違いである。大量の白米とひと粒の梅干だが、これが胃の中に入ると、この梅干ひと粒が、九十九%の米の酸性を中和し、米のカロリーは食べたほとんどが吸収される役目を果たす。


※参考:梅干しがアルカリ性食品に分類される理由は?

 梅干しがアルカリ性食品に分類される理由は、酸性かアルカリ性かの測定方法にあります。梅干しそのものを測定すると、確かに酸性の反応が出ます。ですが、食品を酸性かアルカリ性か分類する場合、食品そのものを直接測るわけではありません。

食品の酸性・アルカリ性の測定方法を簡単に説明すると次のようになります。

1.まず食品を燃焼させて、灰にします。
2.その灰を水に溶かした水溶液のpH(ピーエイチ・ペーハー:酸性かアルカリ性かの度合いを表す単位)を測ります。
3.pHを見て酸性の値なら酸性食品、アルカリ性の値だったらアルカリ性食品という分類です。

 食べ物を食べると、体内で吸収してエネルギーにするために酸化反応が起こります。そして、これと同じような反応が食品を燃焼させた時にも起こります。そのため、わざわざ灰にして測定しているのです。

梅干しは、燃焼した灰のpHがアルカリ性になります。そのことから、アルカリ性食品に分類されるのです。


 すなわち、日の丸弁当は食べてすぐ、エネルギーに変る、労働のための理想食なのだ。しかし、日の丸弁当はカロリーこそ摂れるが、ビタミンの種類が足りないし、これだけを毎日食べているわけにはいかない。しかし、ビタビン類というものは毎食事、つねに一定の量を摂取しなければならないというものではない。たとえば、夕食時にそれを補えればいいのである。

 いま必要なカロリーを摂るという意味では、日の丸弁当は、近代的な進んだ智恵なのだ。

2020.02.07


※参考:興亜奉公日

 昭和一四年八月三〇日、総辞職した平沼内閣のあとをついで、阿部信行内閣が成立し、この二日後の九月一日、第二次世界大戦がはじまった。

 阿部内閣は第二次世界大戦への「不介入」と、日中戦争の「早期解決」を政策に打ち出したが、国内問題にも厄介な事情が山積して、国民は苦しい歩みを余儀なくされる。まず食糧をはじめとして、生活必需品の不足が目立ってくる。

 「興亜奉公日」は、「国民精神総動員運動」の一環として、昭和一四年九月一日から、毎月一日をそう呼ぶことに決めたものであった。「興亜」とは、アジアを興こす、いまのことばで言えばアジアを「活性化」すること、「奉公」は、いうまでもなく「戦場の労苦を偲」び私生活を二の次、三の次として「公け」」のために「奉仕」しましょう、という趣旨である。

 しかし、そのために一体なにをすればいいのか。そこで決められたのが、この日には全国民が朝早く起きて神社に参拝する、食事は一汁一菜(いちじゅいっさい)と質素に切りつめ、禁酒、子どもは梅干し一つだけの「日の丸弁当」、「勤労奉仕」にはげみ、飲酒、接客の各業種は休業。いまから考えれば、理解に苦しむほどつまらない(●●●●●)日が、この「興亜奉公日」であった。「興亜の大業を翼賛」するために、個人生活のいろいろな欲望を抑え、きりつめ、まじめに働く日、といってよかろう。

 昭和一四年というこの年は、「戦時立法」が多かった。次々に法律をつくって、統制し、制限し、なんとか国民を戦争の方向へ引っぱっていく、そのための法律づくりが頻繁におこなわれ、違反するものは「非国民」の名前で、きびしく罰する立法が進められたのである。

 中でも、「米」の統制と配給制度が実施されたのには、ほとんどの国民が驚いた。当時の日本人は、現在とは比較にならぬほど「米」に依存した食生活に親しんでいた。その米が統制され、国民の自由にはさせぬというのだから、当時の国民はひそかに重大な危機感を抱いたはずである。米の「配給」は、「興亜奉公日」が制定される前の四月から法令で公布されていたから、国民も予想はしていたが、その実施の一〇月一日を迎えると、危機感は一段と深刻化する。やがて、米の消費をおさえるため、米を精白して食べやすい白米にすることが禁止された。次の年の昭和一五年に、農家に米の強制出荷が命令され、いわゆる米の「配給制」がはじまるのだから、為政者はかなり前々から計画を練っていたことがわかる。ほかの生活物質とちがって、米はむかしから日本人とは切っても切れないもの、それを統制する法律が公布されては、国民の気持が沈んでくるのは当然である。「統制」は女性のヘアスタイルにも及び、一四年の、パーマネット・ウェーブの廃止が決まった。

 「興亜奉公日」(毎月一日)は、昭和一七年一月八日から、毎月八日の「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」に切りかえられる。「太平洋戦争」完遂という目的を国民に滲透させるための制定である。 

※参考
14.06.16 ネオン全廃、中元歳暮の贈答廃止、学生の長髪禁止、パーマネット廃止など生活刷新案決定。
14.09.01 初の(興亜奉公日)(毎月1日実施)。待合・バー・料理屋など酒不買で殆ど休業。ネオン消燈。
15.01.05 広島県吉名村、米の自主的消費規制。池田勇人首相の出身地。
15.11.10 紀元2600年祝賀行事、赤飯用もち米特配。
 以上『近代日本総合年表』岩波書店による。

※私が子供のころ、家では、玄米を一升瓶に詰めて搗いていた。

2019.10.27

★近所のパンを製造している店の前に咲いていた花を張りつけた

 ヒペリカムカリシナム

 [オトギリソウ科オトギリソウ(ヒペリカム)属の黄色の花が目立つ季節である。昔はビヨウヤナギを見る程度だったが、キンシバイを見るようになり、ヒペリカム・ヒドコート、ヒペリカム・アンドロサエマム、など次々と国外から入ってきて、同定がややこしくなった。

 ビヨウヤナギ、キンシバイやその園芸品種ヒペリカム・ヒドコートが中国原産であるのに対して、ヒペリカム・アンドロサエマムやヒペリカム・カリシナムは南ヨーロッパから中近東が原産地とされる。ヒペリカム・カリシナムは、比較的背の低い品種で、グラウンドカバーとして人気がある。長い沢山の雄しべと、やや開いた5枚の花弁が特徴である。5-7月が花期で、梅雨の雨に負けずに咲く。

 学名はHypericum calycinum、オトギリソウ科オトギリソウ属で、トルコ、ブルガリアが原産地の常緑低木。日本名でセイヨウキンシバイ(西洋金糸梅)と呼ばれることもあるが、学名で呼ぶ方が紛れが無く良さそうである。]

2024.06.10 記す

★ラジオ体操広場への道筋の家に咲いていた花を張りつけた

[ガウラ(白蝶草)の穂状に咲く小花が風に揺れる様子は、白い蝶が群れて飛んでいるようで、やさしい風情が感じられます。性質は強健で耐暑性もあり、初夏から晩秋まで次々と花を咲かせながら株が大きく成長していきます。花壇の背景、コンテナの寄せ植えから、広い場所での景観植物としての利用まで、幅広い用途があります。またフラワーアレンジメントでは空間を埋めるフィラーフラワーとしても使いやすい花です。花弁は4枚で、長い雄しべがよく目立ちます。1つの花は短命で3日ほどで散りますが、花つきがよく、ほとんど途切れることなく咲き続けます。ガウラ属は、北アメリカに20種ほどがありますが、観賞用に栽培されるのは本種、G・リンドハイメリ(Gaura lindheimeri)で、日本へは明治時代中ごろに入ったといわれています。以前は、草丈1m以上に伸び、白花だけでしたが、近年、濃いピンクの‘シスキューピンク’の育成に始まり、複色、草丈の低いものなど、多くの園芸品種が育成され、利用されるようになりました。] 2024.06.12 記す

★イトウゴフクテンの店の近くに咲いていた花を張りつけた

 [サボンソウ(Saponaria officinalis) ナデシコ科サポナリア属)

 植物名のサポナリア・オフィチナーリス(Saponaria officinalis)は、サポナリア(石鹸のような)を、オフィチナーリス(薬))は薬用に用いられていたことを表します。名前の通り、根や葉にはサポニンが含まれていて、さまざまな方法を使い石鹸液を作ります。ソープワート、すなわちサボンソウの名前はここからきました。]2024.06.12 記す。

★ラジオ体操広場に近い知人Mさんの家の庭の植え込みに咲いている花を張りつけた

[チロリアンランプはブラジル原産のアオイ科イチビ属のつる性低木です。

 学名はアブチロン・メガポタミクム「キングベル」で、和名はウキツリボク(浮釣木)といいます。ほおずきのような丸く小さく膨らんだ赤い「ほう」から、黄色い花が釣り下がって咲きます。]

 開花時期は6~10月と長期間。

2024.06.13 記す

★沙羅双樹

開花時期は6月から7月頃で、葉腋に1個の花柄を出し、丸い大きめのタマアジサイのような蕾を付け、 大きさ5cm前後の純白で気品のある5弁花を咲かせます。花の大きさはヒメシャラより大きい。 花弁は5枚で薄く、縁は波打ち繊細でフリルのようなしわがあります。花は一日花でその日開いた花は、一日で散ってしまいます。

 別名はシャラノキと呼び、仏教三大聖木、沙羅(双樹)、菩提樹、無憂樹(ムウジュ)の1つでお釈迦様に縁のある木とされています。 沙羅はインド中部~ネパール原産の常緑高木で、フタバガキ科の植物です。成長すると高さは10~20mになります。

曹源寺の沙羅双樹
沙羅双樹の樹
沙羅双樹の花

★平家物語


 『平家』を読む。それはいつでも物の気配に聴き入ることからはじまる、身じろぎをして、おもむろに動き出すものがある。それにつれて耳に聞こえはじめるのは、胸の動悸と紛らわしいほどの、ひそかな音である。『平家』が語っている一切はとっくの昔におわっているのに、何かがはじまる予感が、胸さわぎを誘うのであろうか。それとも、何かがおわる予感から、胸がざわめきはじめるのだろうか。

 あることのはじまりは、あることのおわりであり、逆もまた然りとするなら、私が予感とともに待ち受けているのは、まさしくこの世の無常の姿、いのちを享(う)けたものすべてがたどる一栄一落の有様以外のものではない。『平家』を読む。このとき、かすかな胸さわぎが絶えないのは物怪(もつけ)の幸いである。

 『平家』冒頭の誰でも知っているくだりは、これから語り出されるものをよく聴き給えということを、ああいう喩(たと)えで語りだしたのである。天竺というおそろしく遠い国の、奥も知れない林のなかに埋もれてしまって、たしかめようもなくなった祇園精舎から、どこからとも吹く世外の風に乗り、はるばる鳴りわたってくる鐘の声。どんなものより近い自分の肉体という場にたしかめることのできる胸のざわめき。相隔たる最も甚だしいこのふたつが、時として、ひとつにかさなるのは、念仏を唱える人の両のてのひらが合わされるのと同じくらいに自然なことではないでしょうか。いま、耳の底にかすかに鳴っているものを「祇園精舎の鐘の声」と思うなら、たしかにそれは「諸行無常の響きあり」である。私の胸のなかにあって、瞬時も鼓動してやめないものも、いずれは停止する。これほどたしかなことはない。胸の鼓動が諸行無常の音となって聞こえはじめたにしても、わが耳を咎め立てることはない。いずれ、ほどなく、諸行無常という唱え声よりも、もっと耳をそばだてて聴かずにいられないものが、琵琶の響きとともに次から次にとあらわれてくるだろう。耳をせいぜい敏感な状態に保っておくこと。この用心を忘れぬことにしよう。

 だが、聞こえてくるものに聴き入れる用意をととのえていると、も一方では、見えてくるものに目をとめよという声もまた耳に入る。動くものはいうまでもない。動不動にかかわらず、色あるものの色、彩りに目をとめるべし、とその声は告げている。冒頭のくだりを念のために引き写すと、

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰(じょうしゃひつすい)のことわりをあらわす。

 おごれる人も久しからず、只春の夜(よ)の夢のごとし、たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひと)へに風の前の塵に同じ。

 はじめに音を言い、諸行無常を言ったあとで、色を言い盛者必衰を言うのは、勿論、対句にもとづいてのことである。仏教説話によれば、釈迦がクシナガラで二本の沙羅の木のあいだに横臥して涅槃(ねはん)に入ったとき、淡黄色の沙羅の花が白変した。そこで釈迦の入滅の地を白鶴に喩て鶴林と称する。いのちの果てで白く色あせたものも、もとはそれぞれのいのちの色に燃えていたのに、と対句後半は言いたいらしい。

 白が地の色として布(し)かれたことが大事なことである。この白地は、のちの物語に、あでやかな色、きらびやかな色、猛々しい色、しっとりと落ちついた色、物さびた色、重く沈んだ闇の色が、それぞれに映え出す用意なのだと納得される。のちの物語を絵巻物のように楽しむつもりなら、霧にとざされた冬の朝のように白いだけの世界を、つとめて思いえがくに限るだろう。しかし『平家』が昔の絵師たちを誘惑し、近代、当代の画家たちに格好の画題を提供し、えがかれた絵が人を魅了するのも、あるいは白変した沙羅の花の色が、われわれの眼底に染みとおっているからなのかも知れない。自然界が人界の異変に感染して示した一瞬裡の白変は、いつしかわれわれに無常を悟らせ色となり、すべて色あるものの示す色はやがて無常の白変を蒙り、ただ追憶のなかに再生する限りにおいて、もとのいのちの色を回復する。この経緯に注目すれば、『平家』が絵巻物あるいは大小の画面よりも能舞台に、もっと多くの主題を提供し、あんなに多くの主人公たちを幽明の境に出没させるにいたったことに、何ら不思議はないように思われる。

 『平家』巻頭の「祇園精舎」は、ほどなく調子をあらためて、天下の乱れを招き「ひさしからずして、亡じにし」高位高官の例をまずは「遠く異朝」にたずね求めて中国の諸例を挙げ、次いで近く本朝をうかがふに、承平の将門(まさかど)、天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)、康和の義信(ぎしん)、平治の信頼(しんらい)と並び立てたあとに、「まぢかくは、六波羅の入道前太政(さきのだいじょう)大臣平朝臣(あそん)清盛公ともうしし人のありさま、伝え承るこそ心も詞も及ばね」と、話題を清盛のことに絞る。この人、桓武天皇の第五皇子を祖とし、それより九代の後胤になるという。祖父は讃岐守正盛、父は刑部卿忠盛。「かの親王の御子高見の王、無官無位にしてうせ給ひぬ。その御子高望(たかもち)の王の時、初めて平の姓をたまはつて、上総介(かずさのすけ)になり給ひしより、忽ちに王氏を出でて人臣につらなる。」高望の王の子よりのち、清盛の祖父正盛にいたるまで「六代は諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだ許されず。しかるを」と一転した物語は、これより清盛の父忠盛が昇殿を許された次第に移る。撥(ばち)の音にわかに高く、息使い切迫して、せわせわしい。
杉本秀太郎著『平家物語』(講談社)P.11~14

2024.08.18 記す。

★ラジオ体操広場への途中のお宅の家の前に咲いていた花を張りつけた

[クチナシ Gardenia jasminoides Ellis(Rubiaceae) アカネ科

 クチナシは梅雨どきに大型で純白の6弁花を咲かせて強い香りを漂わせ、秋には橙赤色の果実をつけます。この果実は黄色の染料として利用され、また漢方では山梔子(さんしし)として用いられていますが、熟しても裂開しません。つまり口が開かないことから「クチナシ」の和名がつけられたとされています。ただし、庭木としてよく栽培されているクチナシは、大型の花で八重咲きのオオヤエクチナシ(別名ヤエクチナシ、英名ガーデニア)が多く、こちらは花は豪華ですが実はつけません。近縁種に樹高30~40cmの低木で地表を這うように枝が横に広がるコクチナシや葉が丸いマルバクチナシなどがあります。]

★六月二十九日 誕生日の花。クチナシ(Cape jasumine)(アカネ科) 花言葉;私は幸福すぎる 純潔

2024.06.13 記す。

★くちなし


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.161

 戦争の末頃から、しばらく北国に移り住んでいた僕は、再び東京近郊へ戻って来た時に、なんとなく久し振りに見る懐かしい草木にめぐりあうのがうれしかった。

 夏のはじめに甘い香りを夕やみの靄に漂わせていたくちなしは、今、かたい果実を結んでいる。緑の線をオレンジ色のふくらみ外側に残して、白い花からどうしてこんなきれいな色が出るのかと思うように目立っている。それは、どこか遠い国の、ずっと昔の町に、ぽつんぽつんと立っている街灯のようにも見える。

 この実を見て思い出すのは、戦争がやっと終わってから、行列をして受け取って来た配給の白い布を、この、実で黄いろく染めた時の、なんとなく少しばかりゆとりが出来たと思ったそのよろこびである。飛鳥時代からの染料をつかって、同じ方法で染めてみたその布は実に鮮明な明るい黄色だった。何を作るにもぽっちりばかりその布は、いくらきれいな色に染められても壁に画鋲でとめておくより仕方がなかったが、しばらくして、それはまた幼い子供のエプロンになり、ぼろぼろの着物をかくしてくれた。

2024.10.06

★2024.06.17(月):朝六時三十分からのラジオ体操が終って小野田さんのお宅に向かって歩く。奥さんが畑で作業されていた。朝の挨拶をして、花を撮影。

グラジオラススプレイ菊

 グラジオラス・スプレイ菊を数本切ってくださった。

★グラジオラスの基本情報科・属 アヤメ科グラジオラス属 植え付け時期:3〜5月 植える場所:日当たりがよい場所で育てる 水やり 庭植えの場合は不要。鉢植えの場合はこまめに水やりする 肥料:4~9月 開花時期:6〜9月

 グラジオラスとは、ユリのような大輪の花をいくつも咲かせる球根植物です。ピンク色や黄色、赤色などカラフルな花色で、初夏〜秋にかけて見頃を迎えます

 グラジオラスの葉は細長く、すらっとした見た目が特徴です。地植えはもちろん、鉢植えやフラワーアレンジメントなどでも楽しめます。

 グラジオラスの育て方は、日当たりと水はけのよい場所に植えます。植え付け時期は3〜5月頃で、球根の3倍ほどの深さの穴を掘って植えましょう。水やりは、グラジオラスは多湿が苦手なことから、土がしっかりと乾燥したら水やりします。ただし、成長期にはたくさんの水を必要とするので、土が乾燥したタイミングでたっぷり水を与えてくださいね。

 そのほか、庭植えのグラジオラスには、元肥と開花したらお礼肥を施しましょう。 鉢植えなら、元肥の他に月に1回ほど置き肥を与えたり、月に3回くらい液肥を施します。 肥料はリン酸やカリが多めのものを選んで、与えるとよいです。

 グラジオラスは丈夫な植物なので、育てやすいことから初心者の方にもおすすめです。

 グラジオラスの球根は植えっぱなしにしても大丈夫?

 グラジオラスは寒さに弱い傾向があるので、秋頃に球根を掘り上げたら、翌年の春まで保管しましょう。

 はじめに球根を慎重に掘り上げたら、日陰の風通しのよい場所で暫く乾燥させてください。その年に植え付けた古い球根は捨てて、上の部分にできた新球やそのまわりにできた木子は取り除き、別に保管します。]2024.06.17 記す

★「スプレーマム(スプレー菊)は、1本の茎から枝分かれしてたくさんの花をつける洋菊のこと。アメリカで品種改良され、スプレー状に花をいくつも咲かせる、明るい花色が特徴のスプレーマム(スプレー菊)ができました。日本では本来の菊と並んで秋の代表的な花となっています。」

2024.06.17 記す。。

★2024.06.19(水):ラジオ体操終わっていつもとちがう道を帰った。途中、ブラックべリーが植えられているお宅の花畑がある。その実を頂き、撮影して帰る。写真を張りつけた

[ブラックベリー:科・属 バラ科・キイチゴ属 英名 Blackberry 学名 Rubus 原産地 アメリカ、ヨーロッパ 開花期 5~6月

 ブラックベリーは初夏に黒い実をつける落葉性のツル性植物です。生食でも加工するのにも向いています。性質がとても強く、病虫害の心配も少ないことから、無農薬でも簡単に育てることができます。実が柔らかくなってからが食べごろのため、日本では果物としての流通は少なく、育てないと手に入らない果樹と言えます。ブラックベリーの実は、グリーン色から赤、黒に変化したころが食べごろです。ブドウのように房がいっぺんに食べごろになるわけではなく、それぞれバラバラに色づいていくのが特徴です。実を触ってポロっととれる頃が甘くて食べごろです。

 品種も多品種あり、花の色は白やピンクなどがあります。もともとはトゲがある植物ですが、最近流通している品種はトゲなし品種が一般的なため、誘引なども簡単にできるようになりました。地植えの他、鉢植えでも栽培可能です。ツル性を生かしてアーチやフェンス、トレリスなどに這わせると美しい植栽になります。 ]2024.06.19 記す

追加:2024.06.24、槌田さんが、下の写真の木から鉢植えしたブラックベリーを下さった。ラジオ体操から帰って、庭の東側の塀の側に置いた。2024.06.25さらに同じ場所に移した。

槌田さんのお宅のブラックべリ
頂いて家の庭に移植したブラックべリ
2024.09.27 岡山市海吉サニー団地第四遊園地、切りとられていたブラックベリーが復活していた。

★2024.06.19(水):ラジオ体操が終って帰り道のお宅の庭に咲いていた花を張りつけた

[テッポウユリ(鉄砲百合、学名 Lilium longiflorum)は、ユリ目ユリ科ユリ属の多年生草本球根植物である。ラッパに似た形の筒状の花を横向きに咲かせる。

特徴

丈が 50cm-1m 程度に生長し、楕円形で長い葉をつけ、葉脈は水平方向に入る。原産地での花期は 4-6 月で、茎の頂上に純白で細長い花を横向きにつける。花長は 10–15 cm、直径 5 cm ほど、花弁が6枚あるように見えるが根元がつながっており筒状になっている。雌雄同花である。

本種は外見・生態上の特徴が後述の近縁種タカサゴユリに酷似するが、一般にタカサゴユリよりも小型であり、葉が太めで、花が白く筋などが入らない点で区別する。ただし、本種はタカサゴユリとの園芸交雑種が多く、変異も起きやすいとされ、違いが判別しにくい場合も多い。一般的に球根植物は乾燥に強いが、本種は、乾燥に弱い。]

2024.06.20 記す

★ヒメサユリ

 日本にはユリの仲間が10種以上自生しています。その一つがヒメサユリで5月に花径5~6cmの桃色の優しい花を咲かせます。多くのユリは、茎がある程度成長してから花芽がつくられるため、植えたあとの手入れや場所が悪いと花をつけませんが、ヒメサユリは前年の夏に蕾がつくられるため、植えればほぼ確実に開花する特質があります。

 東北地方南部から新潟県の特産種で、山地から亜高山帯の草原に見られます。生産品が普通に販売されていますが、暑さに弱く、高山植物として扱う必要があります。茎はまっすぐか、やや斜めに伸びて高さ20~50cm、葉は幅広く少し厚みがあります。花には香りがあり、濃い桃色で葯は黄色、細い漏斗形で横向きに咲きます。

★ササユリ:2024年06月28日(金)の誕生日の花がササユリ(ユリ科)だということで張りつけた。

 古事記、万葉集にも登場する日本古来のユリです

 葉の形がササに似ている事から名前が付けられ、清らかで芳香の花として、広く人々に親しまれ花言葉が付けられました

 凛とした品格と美しさは日本が誇る原産のユリです

 ササユリ(ユリ科) 花言葉:希少価値

★岐阜県御嵩町によると、約1万株が自生するとされ、有志がパトロールするなどして、イノシシの食害から守ってきた。

2024.06.28 記す。

★2024.07.31(水):ラジオ体操が終って帰り道の私の家に近い道ばたに咲いていた写真を撮影・検索した。

★タカサゴユリは、ユリ科ユリ属台湾原産の外来植物です。

 7月から9月頃になると、テッポウユリに似た白い花を咲かせます。

 花の長さは15〜20cmほど(直径は5cmほど)で、テッポウユリの花は横向きに開花して下にややうつむくことがあります。葉は細長いです。

 タカサゴユリとテッポウユリの違い

 タカサゴユリとテッポウユリのどちらもユリ科ユリ属の植物ですが、タカサゴユリは「外来植物」、テッポウユリは沖縄原産の「日本固有種」の一つです。

 タカサゴユリの葉は細長くて松の葉に似ていますが、テッポウユリは笹の葉のようにややふくらみがあります。

 タカサゴユリとテッポウユリは花にも違いがあります。

 タカサゴユリの花の大きさは15cmから20cmほどで、テッポウユリは10cmから15cmほどです。小さいほうがテッポウユリと覚えましょう。

 また、タカサゴユリにはピンクの筋が入りますが、テッポウユリには筋がありません。筋の有無でも判断してください。

 タカサゴユリに毒性はあるの?

 猫が食べると危険?

 タカサゴユリの葉を猫が食べてしまうと、嘔吐をすることがあります。最悪の場合、猫が死んでしまうこともあるため注意をしましょう。タカサゴユリに限らずユリ科の葉でも猫には毒です。

 タカサゴユリは、見た目が猫草に似ていてさらに猫が嫌うニオイがありません。猫がその毒性に気がつかずに食べてしまうことがあるので、猫がいる家での栽培は注意が必要です。

 タカサゴユリが繁殖しすぎたら駆除すべき?

 タカサゴユリは繁殖力がとても強いため、日本では雑草としても扱われます。

 いつの間にか庭に入り込んで繁殖することもあれば、地植えしていたタカサゴユリがあっという間に増えることもあります。

 タカサゴユリは増えすぎると日本固有種の生態を脅かす危険があるため、繁殖のしすぎには注意が必要です。

 繁殖しすぎてしまった場合は、球根ごと引き抜いてしまいましょう。

 タカサゴユリ 高砂百合の花言葉は「無垢」、「純粋」です。白い見た目なことから、このような花言葉になったのでしょう。

★近所のお宅の庭に咲いていた花を張りつけた。

[名前からも分かるようにユリに似た花姿ですが、上向きに花が咲くゴージャスな見た目が魅力の球根植物です。

 スカシユリ(Lilium maculatum)は、ユリ科ユリ属に分類される球根植物です。日本が原産で、中部地方よりも北の海岸や崖などに自生しています。自生している環境にちなんで、ハマユリやイワユリなどとも呼ばれます。草丈は20〜60cm。ユリの仲間は香りが強いものが多いですが、スカシユリには香りがないのが特徴です。

花の特徴

 スカシユリの開花期は6~8月ですが、地域によって異なります。太平洋側に分布しているものは7~8月、日本海側は5~6月に咲きます。

 ユリの多くは下向きに咲きますが、スカシユリは上向きに咲くのが大きな特徴です。花弁の付け根部分が細くなっていて、花の基部が透けて見えます。これがスカシユリという名前の由来になっています。

 スカシユリの花色はさまざまで、オレンジや白、黄、赤、ピンクなどがあります。

 花言葉:スカシユリの花言葉は、「注目を浴びる」「飾らぬ美」「神秘的な美」「偽り」など。花の付け根が透けており、上向きに咲く花姿から「注目を浴びる」といった花言葉がつけられたのでしょう。また「飾らぬ美」は、美しい花に香りがないことからきているのでしょうか。]

2024.06.05 記す。

★ヤマユリ

 日本には10種以上のユリが自生しています。中で園芸的に最も重要なユリの原種がヤマユリです。

 ヤマユリは本州の平地から山地に分布し、日陰がちの斜面や、明るい林、草原に見られる球根植物です。7月から8月に、強い香りのある、花径20cm強の大きな花を1~10輪ほど咲かせます。花弁には白地に黄色い帯状の筋が入り、えんじ色か紫褐色の細かい斑点が散ります。まれに斑点のない「白星(しろぼし)」と呼ばれるものや、花弁の筋が紅色になった「紅筋(べにすじ)」などがあり、少量ですが生産されて市販されています。茎は斜めに伸びて高さ120~200cmになり、その先端に開花します。

 ヤマユリと同様に栽培できる野生のユリに、カノコユリ(Lilium speciosum)やタモトユリ(L. nobilissimum)などがあります。ヤマユリとこれらを交配して、豪華な花を咲かせる園芸品種の系統、オリエンタル・ハイブリッドがつくられています。

2024.08.08 記す。

★カノコユリとは

 四国南部や九州西部を中心として台湾や中国南東部まで分布するユリです。地域によって自生環境は異なり、九州では海岸近くの岸壁や草原、四国では内陸の岩壁などで見られます。鹿児島の甑島は群生地として有名です。『鹿ノ子百合』の漢字を当て、花に紅色の鹿ノ子絞りみたいな模様が入るところから来ています。学名のスペキオスムは『美しい』という意味です。

 主な開花期は7月中旬~8月中旬で、日本に分布するユリの中ではやや遅めです。径10cmほどの花を下向きに咲かせます(まれに上や横向きに咲くものもあります)。草丈は大きくて1.5mほど、1茎に10~20輪ほど咲きます。花びらは大きく上に反り返り、オーソドックスなタイプは縁部分が白で中心部分に行くにつれて紅色になります。茎は直立するか、湾曲して伸びます。

 花色をはじめ、個体によって様々な違いがあります。花色は濃紅~ピンク、中には全く色の付かない白花もあります。花粉の色も赤褐色と黄色があります。球根の色も赤紫~黄緑色まで色幅があります。おもしろいことに赤みの強い球根ほど、咲く花の色が濃い傾向があります。また、色の淡い球根は苦みが少なくて食用になります。ウイルス性の病気に比較的強くて、つきあいやすいユリのひとつです。

 球根は飢饉の祭の救荒食物となったと言われています。ヨーロッパへはシーボルトによって持ち込まれました。ヤマユリなど他の種と掛け合わせて作られた交配種のオリエンタル・ハイブリッドは大輪で美しく人気があります。

2024.08.08 記す。

★ユウスゲは本州・四国・九州の日当たりの良い草地に生育する、高さ1~1.5mほどになる多年草です。 中国などに分布する ウコンカンゾウ Hemerocallis citrina の、日本にのみ分布する変種(固有変種)とされます(独立種とする見解もある)(大橋広好・門田裕一ほか編.2015.改訂新版 日本の野生植物1.平凡社.p.238)。岡山県でも降水量の多い県北部を中心にほぼ全域に分布していますが、少雨乾燥の気候である県南部では少なく、湧水湿地周辺などの自然草地でまれに生育が見られる程度です。 対して県中~北部では、湿地周辺に加えて、やや湿った田の畔、林縁草地、火入れが毎年行われているような半自然草地など、様々な草地環境に生育しています。

 花期は7~8月で、高さ1~1.5mほどの花茎の先に花序をつけ、夕方頃から翌朝にかけて、6枚の花被片が根元で合着し、先が軽く反り返った直径7~10cm程度のラッパ状の花を咲かせます。 ただ、あまり厳密に時間を決めて咲いているわけではなく、午前中が晴れで昼頃から降雨があるなど、薄暗くなり気温が下がるような、つまり夕暮れ時に似た環境変化があった場合には、昼過ぎ頃から咲くこともあります。 花被片は鮮やかなレモンイエローで、長さは5~8cm程度、基部の合着した筒部は3cmほどです。 花の中央からは6本の雄しべと1本の雌しべが突き出しており、いずれも先はやや緩やかに上方に屈曲しています。 花には芳香があり、夜間に活動するスズメガの仲間などが訪花しますが、つき出した雄しべや雌しべが足場となることで、ちょうどスズメガの腹部あたりに葯や柱頭が触れるようになっているようです。 葉は地際から束生し、幅5~15mm、長さ40~80cm程度の線形をしています。 花後には直径1~2cmほどの俵形の蒴果ができ、8月下旬~9月頃に熟して、先端が3つに裂開して種子が散布されます。 種子は5mmほどの光沢のある黒色でゆがんで角張った卵形をしています。

2024.08.09 記す

★ニッコウキスゲ (日光黄菅)  別名:ゼンテイカ(禅庭花) 

 学名: Hemerocallis dumortieri var. esculenta

ススキノキ科  ワスレグサ属(キスゲ属、ヘメロカリス属、カンゾー属ともいう)

(※)ニッコウキスゲはユリ科(Liliaceae)に分類されていましたが、APG分類でススキノ科(anthorrhoeaceae)に分類され、さらにAPG分類の第4版(2016年~)よりススキノキ科はツルボラン科(Asphodelaceae)に名称を変更しました。 花図鑑など資料によって科名が異なるのは、APG分類で名称変更がここ数年で何度か行われてきたためのようです。

・ 多年草

・ 分布: 本州の中部地方以北、北海道とサハリン南部、南千島に分布する

・ 花の色が黄色く,葉は萓笠を作るカサスゲ(笠萓)に似ていて

 日光地方に多いことからこの名前になった。

・ 花は朝開いたものは夕方に萎む。毎日咲いているから

 々と別の花が咲いているのでしょう

・ ニッコウキスゲは日光の戦場ヶ原の群生地が有名です

・ ユウスゲ(キスゲ)との違いは、開花時期と花の色、決定的なのは咲いている時間帯です

ニッコウキスゲユウスゲ
開花時期5月~7月6月中旬~8月
花の色オレンジがかった黄色淡い黄色
咲いてる時間朝開いて、夕方閉じる夕方開いて翌日午前中にしぼむ
分布主に冷温帯主に暖温帯

2024.08.24 記す。

★オオバギボウシ 花期 7~8月 ユリ科

[生態]日本各地(沖縄を除く)の産地の草原などに生える多年草。

[特徴]花茎の高さ50~100cm。葉は卵円形で長さ30~40cm、幅10~15cmと大きい。葉面には10~15本の支脈が明瞭にあり、表面はやや光沢がある。花茎の上部の総状花序に紫白色の筒状の花をつける。花の長さ4~5cmで細長く、先は6つに裂ける。若葉こころの葉柄はウルイと呼ばれ食用にされる。観賞用に栽培されていて、生育地によってさまざまな大きさのものがある。『日本の山野草』(成美堂出版)P.327

★我が家の庭に咲いたヤブランは、日本各地の林床などで普通に見られる常緑性の多年草です。ほぼ一年中同じ草姿を保ち、性質が強く、丈夫で手のかからない植物なので、古くから緑化や造園の植栽材料として広く利用されています。耐寒性と耐暑性が強く、日なたから日陰まで幅広い環境に適応し、病害虫の被害もほとんど見られず、土質もあまり選びません。

革質の細長い葉は、しなやかで堅く、8月から10月には長い穂を伸ばして、青紫から白色の花を咲かせます。ジャノヒゲ(Ophiopogon japonicus)に似ていますが、ジャノヒゲは青紫の実がなり、ヤブランは黒い実がなるので区別できます。

ヤブラン属(Liriope属)には5種があり、日本には、ヤブラン、ヒメヤブラン(L. minor)、コヤブラン(L. spicata)の3種が自生しています。斑入りや花色の異なるものなど20ほどの園芸品種があります。最もポピュラーで栽培や流通の多いのは、明るい黄色の縦縞が入る斑入りヤブランで、‘ゴールド・バンデッド’(‘Gold Banded’)とも呼ばれます。

キジカクシ科(クサスギカズラ科) / ヤブラン属(リリオペ属)

※科名:ユリ科で分類される場合もあります。

2024.09.15

テッポウユリ
ヒメサユリ
タカサゴユリ
ササユリ
スカシユリ
ヤマユリ
カノコユリ
ユウスゲ
ニッコウキスゲ
オオバギボウシ
ヤブラン
黒百合

★ウツボグサ

 東アジアの温帯から寒帯にかけて広く分布しており、日本中どこにでも見られる多年草です。日当たりのよい山野の草地や路傍に自生しています。草丈は15~30cmになり、茎はシソ科か特有の四角、広披針形の葉を十字対生し、全体にあらい毛が密生しています。花期は6~8月です。シソ科には特有の臭いがありますが、無味無臭です。生薬での名前は、真夏の暑い日、花穂が急に枯れたように褐色になり、まさに立ち枯れた姿になることから「夏枯草」と名前がつきました。ウツボグサの名は、弓矢を入れる道具の「靫」に見立てたことに依ります。近縁種の高山に生えるタテヤマウツボや本州北部、北海道に生えるミヤマウツボは薬用にはしません。

「空穂」(うつぼ)とは、合戦や狩猟を行う際、空洞である内部に矢を収納し、携帯するために用いられていた筒型の道具です。

 空穂に矢を入れておくことで、雨露に濡れたり、物に当たって破損したりすることを防いでおり、室町時代以降の武士達が盛んに使用したことでも知られています。また空穂台は、空穂と弓を一緒に運ぶために使われていました。

 本空穂と空穂台で特に目を引くのが、黒地に金色で配された「丸に変り切竹クルス紋」の意匠です。「クルス紋」とは、十字型の紋章のこと。その形状がキリスト教の十字架にも通ずることから、本空穂と空穂台の制作者、または所有者がキリシタンであったと推測できます。空穂と空穂台が、両方揃って現存していることは非常に珍しく、大変貴重な道具であると言えます。

うつぼぐさ
うつぼ:武具

★第二十八候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」 6/21~6/25頃

 候が夏至の初候に変わり、乃東が枯れていく頃となりました。

 乃東とは、冬至に芽を出し夏至に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。

 今回の候「乃東枯 (なつかれくさかるる)」は、冬至の初候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」と対になっています。

★クレマチス

 2024.06.23(日)15時57分 近所のお宅の庭に咲いていた花を撮影。

 Gogle の画像で検索を行った。

 大部分は「クレマチス」であった。中に「テッセン」「デニーズダブル」「ユニーク・スピリット」の名も見られた。

2024.06.23 記す。


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.239

 デュアメルの『わが庭の寓話』は僕の愛読書というより、もっと大切な本だが、その中の「完全のための弁護という章でプレーズが次にように言う。尾崎喜八さんの訳を拝借する。「森や垣根のテッセンの花は綺麗ではないけれど、なんとも言えない佳い匂いをただよわせている。園芸家はそのテッセンに手を加えて、不自然なものして、すっかり形を変えてしまった。君たちの青や赤のテッセンは目ざましい花は咲かせるが匂い」というものを全く持っていない。してみると、僕等は成る力を獲得することはできるが、そのためには別の力を失わなければならないという事になる。なんという苛烈な哲学だろう!」

 そのテッセンはフランス語で La elematite であるが、「森や垣根のテッセン」のは、日本の仙人草やぼたんづるによく似たヨーロッパ産の白い花の咲く野草の C. Vitalilba に、東洋種のものを交配させた園芸種のことだろう。したがってプレーズは、このために暗い気持ちになる必要はなかったのである。

 僕の記録の中に採取されているクレマティス属の花には、信州高遠の、蓮華寺の裏手にある輪島の墓に咲いていた「かざぐるま」がある。初夏になると、「テッセン」と言って花屋に並ぶものである。

※参考:テッセン ... テッセン (鉄線、学名: Clematis florida)は、キンポウゲ科センニンソウ属のつる性植物。 ... また、クレマチスを指して「テッセン」と呼ぶこともある。

近所のお宅のクレマチス
挿絵
てっせん
私見:交配されているから似たものがあるだろう。本来のクレマチスはどれであるかを知るには花の栽培家に聞かなければと思う。

2024.10.11記す。

★第二十九候「菖蒲華 (あやめはなさく)」 6/26~6/30頃

 候が夏至の次候に変わり、菖蒲の花が美しく咲き始める頃となりました。

「いずれあやめか杜若」

 これは、どちらも優れていて優劣がつかず、選択に迷うことのたとえです。

 菖蒲 (ショウブ)

 言葉通り、非常に姿かたちが似ていて見分けがつきにくいアヤメ・ハナショウブ・カキツバタですが、まず5月上旬にアヤメから咲き始め、続いて5月中旬にカキツバタ、5月中旬から6月下旬になるとハナショウブが咲き出します。

 菖蒲は「あやめ」とも「しょうぶ」とも読むことが出来ますが、「菖蒲華」の菖蒲は、花の咲く時期から「ハナショウブ」ではないかと考えられています。

 菖蒲の花

 これら三つの見分けるポイントは、花弁のつけ根を見ることです。

 どれも紫色の花をしていますが、アヤメには網目模様、花菖蒲には黄色い菱形模様、杜若には白く細い線が入っているのが特徴です。

 また、咲いている場所で見分ける方法もあり、アヤメは水はけの良い草地に、カキツバタやハナショウブは水辺や湿地に咲きます

★菖蒲の花を張りつけた。

 Googleで「あやめ・杜若・菖蒲」を検索してその特徴を以下の表にまとめた

 あやめ・杜若・菖蒲は開花時期や自生地だけでなく、見た目にもいくつかの違いがあります。

以下にそれぞれの特徴をまとめたので、見分ける際の参考にしてみてください。

あやめ杜若菖蒲
花びらの根本網目模様がある白色の目型模様黄色の目型模様
花びら小輪中輪大輪
自生地陸地水の中水辺
開花時期5月上旬~中旬5月中旬~下旬5月下旬~6月上旬
  

 参考になる記事でした。

★2024.06.26(水)ラジオ体操が終っていつもの帰り道か遠回りしてかえった。途中で見つけた花を撮影した

[アガパンサスは 

学名, Agapanthus; 和名, アガパンサス ; 別名, ムラサキクンシラン(紫君子蘭)、アフリカンリリー ; 科名, ヒガンバナ科(旧ユリ科) ; 原産地, 南アフリカ.

アガパンサスはさわやかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美しく、厚みのある革質の葉が茂る様子には力強さも感じられます。南アフリカに10~20種ほどの原種が自生し、交配などにより300以上の園芸品種が育成されています。性質が強く、植えっぱなしでほとんど手がかからないので、公園などの花壇やコンテナの植え込みに利用され、また切り花としてフラワーアレンジメントにも使われています。

草丈、株張りともに1m以上になる大型種から、小鉢でも育てられる草丈30cmくらいの小型種まであり、花形も花筒の短い盃状のものから細長い花のもの、星形のように切れ込みの深いものや、ラッパ状の花形など、バラエティーに富んでいます。性質としては、周年葉が茂る常緑性のものと、冬期は地上部の葉が枯れて休眠する落葉種とがあり、その中間のタイプの品種もあります。

※科名:ネギ科、ユリ科、ムラサキクンシラン科で分類される場合もあります。

草丈/樹高 0.3~1.5m 開花期 5月下旬~8月上旬

花色 青紫,白,複色

耐寒性 落葉種は強い。常緑種は半耐寒性 耐暑性 強い]

※7月3日誕生日の花:アカバンサス(ユリ科)花言葉:恋の訪れ 愛の便り。

2024.06.26 記す。

★2024.06.27(木)ラジオ体操が終っていつもの帰り道にある農園に咲いている花を撮影した

[コスモスの花は、ピンクや白に加えて濃赤、黄やオレンジ色、複色が登場し、年々カラフルになっています。性質はいたって丈夫で、日当たりと風通しがよい場所であれば、あまり土質を選ばずに育ちます。

 日本の秋の風物詩となっているコスモスは、コスモス・ビピンナツス(Cosmos bipinnatus)という種類です。メキシコの標高1600m以上の地域に自生し、日本と同様に、秋になると道路わきや休耕地で、ピンクやまれに白い花を咲かせて群生するのが見られます。

 このコスモス・ビピンナツスは、日が短くなると花芽をつける短日植物なので、かつては夏にタネをまき、秋に花を楽しむものでした。和名の秋桜は、その開花期にぴったりの名前です。しかし、近年は、それほど日の長さに影響されずに開花する早生品種が主流になり、春にタネをまいて夏から開花を楽しむケースがふえています。ただし、秋にならないと開花しない晩生品種を早い時期にタネまきすると、開花する秋までに草丈が高くなりすぎるので、8月に入ってからまきましょう。早生品種もまく時期が遅ければ遅いほど、低い草丈で楽しめます。

 形態 一年草 原産地 メキシコ

 草丈/樹高 50~120cm程度 開花期 6月~11月]

★吉村冬彦博士の『柿の種』より


「コスモスといふ草は、一度植ゑると、それから後数年間は、毎年ひとりで生へて来る。

今年も三四本出た。

延び延びて、私の背丈け程に延びたが、一向に未だ花が出さうにも見えない。

今朝行ゆて見ると、枝の尖端に蟻がニ三疋づゝ付いて居て、何かしら仕事をしてゐる。

よく見ると、なんだか莟(つぼみ:黒崎記)らしいものが少し見えるやうである。

コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。人間に対する数千尺に当るわけである。

どうして蟻が此の高い高い茎の頂上に莟の出来たことを嗅ぎ付けるかヾ不思議である」

2024.06.27 記す。

★6月30日、誕生日の「花:カンナ(カンナ科)花言葉:情熱 尊敬 を張りつけた。

[カンナは真夏の炎天下、大きな葉の間から鮮やかな花を元気に咲かせます。現在の品種の多くは、1850年ごろからアメリカ、フランス、イタリアなどで、さまざまな原種間で交配を繰り返して作出された品種で、ハナカンナと呼ばれています。花が大きく、花色も変化に富んでいます。また、葉色が美しい品種も多く、赤や黄色の縞斑、白のはけ込み斑、銅葉など多彩です。
 地下に根茎をもつため、土壌の乾燥に強いですが、一方で根が水につかるようなところでもよく育ちます。特に実生系の品種は、鉢を水につける腰水灌水が可能で、真夏の水やりが楽にできます。]

赤みかかった黄色黄 色

※私は黄色のカンナが馴染み深い。この花が咲いていた季節・花畑が思い出される。

2024.06.30 記す。

★こばいけいそう


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.236

 ばいけいそうよりは小さいとはいえ、高山帯の植物としては大柄で目立つから、これは案外名前を知っている人が多い。そして写真機を持っていると撮りたくなる花である。

 ある時山小屋で紹介されたお嬢さんが、こばいけそうの写真を出して、これ、私がとった写真なんですけれど、何か書いて下さいませんかと言って僕に渡した。俗にいう気のきいた文句を、あまり待たせずに書かねばならない。ところがそのこばいけいそうはどうも見覚えがある、と思った途端に、これは知っていますと言ってしまったほど、確信があった。お嬢さんはきょとんしていた。

 Sさんとこの時一緒だったんじゃありませんか。僕はかなり前にSさんから、こばいけいそうの写真を貰ったことがあるが、写された花が、どうもそれと同じものと思ったので、こんな失礼なことを言ってしまった。しかしそれはそのとおりだった。

 これは別段、何の事件の原因ともならない。実をいうと僕は、写真に書く文句を考える時間をかせいだが、何と書いたかは全く想い出せない。

挿 絵
こばいけいそう

2024.11.05 記す。

 

★第三十候「半夏生 (はんげしょうず)」 7/1~7/6頃

 七十二候が夏至の末候に変わり、半夏が生え始める頃となりました。

「半夏」とはサトイモ科の「烏柄杓 (からすびしゃく)」の別名で、この頃、山道や畑などに生え始めます。

 カラスビシャクは「狐のろうそく」、「蛇の枕」とも呼ばれ、名前のとおり、ひょろっと不思議な形をしています。

 カラスビシャク

「半夏生 (はんげしょう)」は、七十二候であるとともに、雑節のひとつにも数えられます。

 かつて半夏生は、夏至から数えて11日目とされていましたが、今では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日になっており、毎年7月2日頃にあたります。

 農家にとっては大切な節目の日とされ、農家はこの日までに田植えを済ませ、このあとは田植えをしないという風習があります。

「半夏生前なら半作とれる」という言い伝えは、田植えが遅れても、半夏生の前なら平年の半分までは収穫できるという教えです。

 カラスビシャク

 畑地や野原など、日当たりが良くて乾燥した場所によく生えている多年草です。結実率は悪いのですが、地中の球根や、葉のつけ根と柄にできる「むかご」でどんどん増えていきます。 雑節のひとつの半夏生は、7月2日ごろのことで、半夏(カラスビシャクのこと)の生えるころと言う意味合いがあります。ただ、7月まで待たずとも、早いものでは4月から5月には葉を出し、花を咲かせ始めます。花は緑色の苞に包まれるようにして咲くため、外側からその様子をうかがうことはできません。紫がかった色の苞をつける株もあり、ムラサキハンゲと呼ばれています。

 名前は、苞に包まれた花のかたちをひしゃくに見立て、小さいことからカラスが使うものとしてつけられたものです。球根は薬用として使われ、漢方で「半夏」と呼ばれています。

2024.07.26 記す。

★たまあじさい


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.15

 ぬかるんだ雨の日の道を、近くの丘へたまあじさいの蕾のふくらみを見に行く詩を作ったのはもう三年前になる。その時小さな一本を抜いて来て、窓辺へ移植したのが今年はぐんとふえて、次々と花を咲かせている。いかにも大切なものがはいっているように、しっかりと握りしめたまんまるい蕾がほぐれると、そこからざっと三百ほどの花が咲く。

 決して実を結ぶことのない装飾花の方が、ずっと花らしく目立っているけれど、ほんとうの花は、薄紫の霞だ。涼しく甘い夢だ。しかし僕はその夢の構造を一応は知って置かなければならない。窓から思い切り身を乗り出し、拡大鏡をあてる。

 長く、しなやかに曲ってのびている雄蕊(おしべ)は、こうして見ると海底の藻(も)のようにも見えるし、それがまた迷宮のようにも思われる。その一本一本の、何というみずみずしいしなやかさだろう。僕は自分の体があまり無様(ぶざま)に大のが悲しい。そこにとろんと光る蜜を吸うための口を持っていないことがいかにも口惜(くや)しい。

 僕はついに、スリッパのまま窓から外へ出てしまう。せめて花の中へ自分を入れることで満足しようと思って。するとその時、拡大鏡の中のその迷宮に、一匹のひめひらあぶの雌が飛び込んで来た。翼を持つ彼女の勇敢な飛び込み振りはなかなか見事だったが、彼女はどうもそこで蜜を吸うよりも、ただ紫の夢の中でころげ回るのを嬉しがっているようだ。

※参考:タマアジサイは、日本固有種の落葉低木で、東北南部から関東・中部地方の太平洋側山地の日陰がちな場所に生育します。樹高はほぼ普通のアジサイと同じで1、5メートル程度です。他のアジサイ類よりも開花期が遅く、盛夏〜秋に見頃となります。

タマアジサイの花序は、白い装飾花と、明紫色の普通花(中心部に集まる、果実を結ぶ花)の対比が涼やかです。

タマアジサイは、他のアジサイが終わりを迎えようとする7月から一つ一つ咲き続け、秋までその花を楽しむ事...

挿 絵
たまあじさい

2024.11.19 記す。

★虱


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.70

 虱(しらみ)に会えなくなってからもう何年になるだろう。僕はそれをさびしく思うこともあるし、あの姿を見て、時々ぞくぞくとしたくなる。それでは、どうすればいいのか。河べりの日なたで、シャツを裏がえしてみているコスモポリタンの前に立ちどまってみるが、一匹十円でもいいから譲ってくれませんかとは、どうも言いにくい。コスモポリタンとの会話は、神様との会話以上にむずかしい。

 あの戦争は、虱と僕とを思い切り親しませた。想えば貴重な、実に嬉しい経験だった。彼らはシャッの緑地を遠慮深く一列にならんで歩いた。そして見つかると恐縮して動かない。半透明な体の中で、心臓がふるえているのも分かるようだ。

 それから別の一隊は、髪の毛を密林と心得ているターザンたちである。猛烈に繁殖することの早いターザンたちである。時たま襟首のあたりまでやって来るのもいる。ここから先は砂漠というやつなのかと思う。そして思案しているうちにぽたりと落ちる。こういううっかりものは、僕らの両手の親指の、爪のあいだで死刑に処せられるのも止むを得ない。彼らのつぶれる時の、かすかな音。蚤よりずっと陰性なその動作。それにしても、こんなにも僕たちに近く生きようとしている。

 英国人は、この虱を、最も人間の身近かにいる家畜と呼んでいる。彼らとその親しみを失いたくないなら、決して拡大鏡や顕微鏡でのぞいてはいけない。

▲私は子供のころ(戦前)の夕方、妹の髪に寄生していた虱を母親が櫛で虱をとっていた。その翌日もまた翌日も同じことをしていた。なんでかとおもっていた。「猛烈に繁殖する」ときさいされているので納得した。

 さらに調べると「成虫は交尾後、ヒトジラミで1日8~10個、一生で約100~200個程度の卵を産む。ケジラミはやや少なく1日1~4個、一生で約40個程度産卵する。寿命はヒトジラミの成虫が約1ヵ月、ケジラミの成虫が約3週間程度である」と。

 数量的はともかくも、毎日散乱して成虫になっていたのである。と。

 戦後、進駐軍が進駐して、DDTを人にも散布して殆ど駆除されたようである。

※参考:『目で見る昭和全史』(読売新聞社 1989)p131「シラミ駆除にDDT散布」(昭和21年)

2024.11.10 記す。

★蚤


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.138

 猫の蚤をとっていたら、今日は時間の大切な日なのに一時間を蚤と一緒につぶしてしまった。つぶした蚤をしらべたが、「ねこのみ」であるか「ひとのみ」であるか、その種類が容易には分からない。残念なので顕微鏡を出す。ねこのみが猫にのみ寄生するとは限らず、いぬのみが猫へ来ていることもあるので困るのだ。

 「頭楯溜を欠く。頬剛棘櫛は鋭く黒色で七八本の棘より成る」。第一棘は第二棘と等長……」という具合なのだが、段々に、小さい無限に近づいて行く恐ろしさ感じないこともない。そして時々、どっちみち痒いんだもの、蚤は蚤でいいじゃあないかと誘惑が蚤のようにちくりにちくりとさす。

 大変なことをはじめてしまった。死んだ蚤のしんとした世界だが、僕は生きているので遠くのラジオシャンソンも聞こえる。蚤の種類は世界中六百種も見つかっている。何という根気だろう。

五百何種類も分かっていて、そのほかにもいるかも知れない変な希望をもって蚤の身体検査をして行った人のその根気には頭をさげなければならない。

 僕はまだねこのみだかどうかがよく分からない。猫は、そんなことをしている僕の膝の上でやすらかに眠っている。蚤をとってやったという愛情などは、こんな時にはお話にならないほど単純なものに思える。

2024.11.10 記す

★時計草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.13

 この花は時の記念日に咲くのではない。また、昆虫たちの媾曳きの時間に役立つ花でもない。見たところ時計の文字盤のようだという。至極単純な名前のつけ方をしたものである。しかし外国では、もう少し念の入った名前をつけている。 Passiflora つまり受難の時に使われた道具をこの花の中に見つけたのである。

 僕はこの植物の鉢植えを貰ってから、実に注意深くそだてていたのだが、一度は茎がぽっきり折れて、沢山の花を黄色くしてしまった。もう駄目かも知れないと思ったが、それを花壇に下してやると、また根本から新しい芽を出した。それがまた枯れかけて、今度は三度目の復活だ。いくら自分のうちに恐ろしい道具を持っているからとは言え、これは全く受難の花である。これでは一体いつになったら時計のような花を見ることが出来るのだろう。

 その後僕は、「受難の花」という文集を出した。その時に、この花の研究書かと思って買った人から手紙が来た。その人は時計草の実から汁をとって、パッション・ジュースというものを創ろうと思っているということである。

 恐らくその時のパッションは受難の意味ではなく情熱の方だろう。熱くして飲んでもよし、冷たくして飲んでもよい。

※参考:「パッション」

1 熱情。激情。

2 キリストの受難。また、キリスト受難劇。受難曲。

挿 絵
時計草

2024.11.07 記す。

  ★ごぜんたちばな


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.158

 夏の山の、涼しい樹林に白い花を咲かせるこのごぜんたちばなのことを、なぜ今ごろ書くのか。

 十一月初旬、冬を出迎える気持で、尾白川をさかのぼって甲斐駒に登った。尾白渓谷の紅葉は楽しかったが、幾つもの大きな滝を一つ一つ高巻きして登るので時間がかかり、谷を離れる間に日が暮れて野宿をした。その翌日、二千二百メートルをさかいに降った雪は、頂上付近の幾つもの岩峰をすっかり冬気色にしていたが、その冬と秋とのさかいに、ごぜんたちばなの真赤な実が一本の茎に一つ二つずつ残っていた。丸く集って、にぎやかに残っているものはどこにも見当ラなかった。

 おそらくその多くは、自分の使命を感じて、落葉や苔の下にもぐり込み、さも勿れbあ小鳥たちに運ばれて行ったのだろう。だが今なお葉の先に、色あせることもなく、すべてx果実の持つ魅力を失わずにいるものは、みんなつまさき立って首をのばし、舞い落ちる雪片を頭上にうけることさえ期待して、あどけなく白い季節の到来をながめていた。

 僕は雪の舞い落ちている中へ入った時、この新しい雪をただ眺めていることは出来ず、飛びついて受けとめるようなことをした。

※参考:ゴゼンタチバナ(御前橘)という名前は、石川県の白山の最高峰である「御前峰」で発見されたことに由来しています。また、カラタチバナのような赤い実をつけることからこの名前が付けられました。、

挿 絵
ごぜんたちばな

2024.11.13 記す。

★駒草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.225

 夏の賑やかな山は避けているので、このところしばらく駒草には会わない。最近ずっと会っていないけれど、どうしているかしら、と旧い友だちのことを、何かの時にふと思い出して考えるように、駒草の本の扉などに描いてあるのを見ると、想い出す。  ずっと以前でも、夏の高山には女学生たちが先生に連れられて登って来た。汗で顔を赤くして、すれちがいに見ると、どうして山なんかに来てしまったのかしらとというような顔付を見うける。それは今も別に変りことだろう。その数はふえ、人の服装は変ったろうけれど。

 けれども花は顔も姿も変えない。

 ある人がこれも昔、案内をたのんで歩いたら、この岩のかげに駒草が咲いているはずだがと言って近づいたら、ちゃんと咲いていたので、さうがに山に詳しいものだと言って感心していた。しかし、山の径を歩いていると、ちょっとした岩などを妙によく覚えてているもので、その案内人が一週間ほど前にそこをとおったことがあるなら、駒草のありかお知っているのはさほど感心することでもないだろう。

 女学生の一団で、引率している先生が、「先生オコマグサはどれですか、早く見せて下さい」とせめられていたのを見かけたこともある。

※参考:学名命名者:牧野富太郎

 これは別段、何の事件の原因ともならない。実をいうと僕は、写真に書く文句を考える時間をかせいだが、何と書いたかは全く想い出せない。

挿 絵
駒草

2024.11.05 記す。

 

★とうがらし


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 青紫蘇、ねぎ、春菊、茗荷みょうが、菜っ葉――そういったもののみが取り残されて、申し合せたように青い葉の色で畑の健康を維持しているなかに、一株の唐辛が交って、火のしずくのような赤い実を点在させているのが眼についた。

「舞台では、なるべく赤い花をつかわないようにする。――これは脚本家が何よりも先に心がけなければならぬことである。強い赤の色は、どうかすると観客の注意を乱していけないから。」

 これは舞台監督として聞えたダヴィッド・ベラスコの言葉であるが、この監督が折角そういって気をつけているのにもかかわらず、唐辛は平気でトルコ人のような赤い帽子を被って舞台に立っているので、青一式の周囲の平和が、お蔭でどのくらい引っかきまわされているかしれない。

 唐辛は怒っているのだ。

 唐辛よ。お前は何をそんなに怒っているのか。もっと平和な気持になって、御近所の衆と一緒に静な秋を楽しんだらどうだろう。トルコ人の被りそうなそんな赤帽子は腋の下にでもそっとおし隠したらいいではないか。

 唐辛はむっとしている。

 唐辛は皮肉家だ。生れつきするどい皮肉家だ。彼は自分にさわるものには、誰にでも容捨なく持前の皮肉を投げつける。彼には「わさび」や「からし」のようなユウモリスト達が、相手に辛い皮肉を味わせながらも、同時にまた眼がしらに涙を浮べて笑いころげさせる滑稽味が欠けている。彼はどこまでも単純だ。感情が激越だ。単純で感情が激越なればこそ、皮肉家なのである。

 自然界のあらゆるものは性格をもっている。その性格にはそれぞれ変化があり、打開がある。たとえば柿や栗などは、初めのうちは渋いが、終いには甘くなる。蜜柑や杏のようなものは、初めのうちは酸っぱいが、終いには甘くなる。これらはそれぞれの性格の成長であり、飛躍である。悔悟であり、新生である。そんななかにたったひとり唐辛のみは、最初から終りまで同じ「からさ」の持ち続けである。何の変化もなく悔悟もない一本調子の生活ほど、気をいらだたせるものはない。日を重ねるにつれて唐辛の癇癪がいよいよ手におえなくなり、その皮肉がますますするどくなるのに何の不思議があろう。

 かくして唐辛は、いつもあんなにぷんぷん怒りどおしに怒っているのである。そして偉大なる太陽もそれをどうすることが出来ないのだ。

 今はもう三十年のむかしにもなろう。私が二十歳足らずの頃、早稲田鶴巻町のある下宿屋に友達を訪ねたことがあった。狭い廊下を通りかかると、障子を明けっ放しにした薄ぎたない部屋に、一人の老人が酒を飲みながら、声高に孟子を朗読しているのがあった。机の上には、小皿に唐辛を盛ったのが置いてあって、老人は時々それをつまんで、鼠のように歯音をたててかじっていた。

「誰かね、あの老人は。」

「あれが田中正造だよ。鉱毒事件で名高い……」

 私はそれを聞いた瞬間、あの爺さんのはげしい癇癪を、唐辛のせいのようにも思ったことがあった。

2024.10.20記す。

★2024.07.03、ラジオ体操広場の横のお宅に咲いていた花を張りつけた

[キキョウは東アジアに広く分布する多年草です。日当たりのよい草原に見られますが、国内ではそのような場所が激減したため絶滅危惧種になっています。茎はまっすぐに伸びて高さ10~120cm、先端近くに直径5~7cmの花を1~10数輪咲かせます。根は太くまっ

すぐに伸びて、ニンジンを小ぶりにしたような形です。この太い根は漢方薬にも利用されます。

古来より美しい花が人々に愛され、万葉の時代から観賞されていました。かなり早くから園芸品種が成立していたらしく、貝原益軒の『花譜』(1694年)に「紫白二色あり。(中略)八重もあり」と紹介されています。また、1年後に刊行された『花壇地錦抄』(1695年)には絞り咲きや各種の八重咲き、「扇子桔梗(おうぎききょう)」と名づけられた帯化茎(たいかけい)のものなどがあげられています。 前田利保の命で編纂され、1853年(嘉永6年)に序文が書かれた植物図譜『本草通串証図(ほんぞうつうかんしょうず)』には、現在は見ることのできない緑色の八重咲きや濃い黄色、花弁が基部深くまで切れ込んでそれぞれが外側に丸まってウサギの耳のような形になる「兎耳桔梗」、花弁が平皿のような形になる「紋桔梗」などのほか、現在も見られる桃色やウズキキョウ、早咲きのものが彩色図で収録されています。 残念ながら、これらの多様なキキョウの園芸品種は、その多くが明治の中ごろまでに絶えてしまいました。現在はアポイギキョウ、ウズキキョウ、早生の「五月雨」、‘小町’のほか、八重咲きや二重咲き、またいくつかの色変わりがあるにすぎません。]

2024.07.03 記す。

★2024.07.03、ラジオ体操広場への途中の菜園に咲いていた花を張りつけた

[セイヨウニンジンボクは、花が少なくなる7月から、さわやかなスミレ色の花を咲かせます。生育旺盛で育てやすい落葉低木ですが、あまり栽培されていません。

ハマゴウ属には約250種が含まれ、主に熱帯に分布します。日本にもハマゴウ(Vitex rotundifolia)、ミツバハマゴウ(V. trifolia)が自生します。このなかで、寒さにも強く、花が美しいことから栽培されるのが、セイヨウニンジンボクです。花には芳香があり、葉にも香りがあり、開花期も非常に長いのが特徴です。樹高は3mほどになり、枝も広く張るため、栽培するには多少広い場所が必要ですが、開花時にはひときわ目立ちます。葉は、5~9枚の手のひら状になり、花のない時期でも楽しむことができます。 なお、ニンジンボクの名は、この葉が、チョウセンニンジン(Panax ginseng)に似ることに由来します。

半日程度は日が当たる場所から日なたで、寒風が当たらず、水はけのよい場所であれば、特別な管理をしなくても、毎年よく花を咲かせます。

※科名:クマツヅラ科で分類される場合もあります。]

2024.07.03 記す。

★エーデルワイス(レオントホディウム・アルヒスム)

開花期/6~9月

備考/標高約3,500mまでの日当たりのよい草原や岩場、岩礫地などに点在。エーデルワイスというドイツ名がよく知られる(エーデルは高貴、ワイスは白の意)。個体数は多いいが、地味なのでその気にならないと見つからない。草丈5~20cm。

『世界の山草・野草』ポケット事典(NHK出版)より。

★エーデルワイス


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.113

 僕がもし欧州のアルプスへ行くことがあって、そこに咲いているエーデルワイスを見ることがあったら、毛ぶかい顔を見ながら言うだろう。

 やっとお目にかかることが出来まして、まことに嬉しゅうございます。私の国には、山へ登る人が大勢おります。それはそれは大変な数で、この大多数の人はあなたのことをよく存じております。そして中には、あなたの、ひからびた姿を箱に入れて、大切にしている人もおりますが、実際にこうしてお目にかかった者は極めて少ないので、まことに光栄に存じます。

 そんな讃辞をのべながら、この花を見せてやりたい人のことを思い出すだろう。そして自分だけが今エーデルワイスの前にいることを、あまり幸福なことだと思わなくなるだろう。それから日本へもう一度帰ることがあって、スイスへお出になったそうですが、エーデルワイスをごらんになりましたか、と訊ねられた時、ええ見ましたけど、そんなに大騒ぎするほどの花でもありませんよという自分の言葉も考えてしまうだろう。

 けれども私はエーデルワイスはいい花だと思っている。昔貰ったものはアルプスの恐らくお土産もので、それも大事にしていたが、山好きの少年に事もなげにやってしまった。

 今は、最近、日本の女流登山家の集りであるエーデルワイス・クラブから頂いたものを持っている。みんな黙って見ているが、欲しいと思う人も多いに違いない。

挿 絵
エーデルワイス

2024.10.08 記す。

 

★薄雪草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.135

 夏の山旅の記念として、未知の方々から高山植物の押花を送っていただく時、うれしいと思いながらふと暗い気持ちになる。これらの植物を採取するには、かなり面倒な手続きをして許可を得なければならないのを知っていたのだろうか。

 しかし、今日は、この花はだれかに摘みとられ、道に棄てられていた、と言って、薄雪草を送って頂いた。

 白というよりはほとんど銀色に光る細かい毛が僕に山の太陽と霧とを想い出させた。そればかりではなく、辿れば」一ニ時間は容易にたってしまうほどの多くの想い出を次々と湧きあがらせてくれた。大した魔力である。そしてその葉には、小さな虫がつつましく口をつけながら這った跡さえ残っていた。

 こいつもたまらない。薄雪草の葉に紋様を描くのは何だろう。蝶の食草にちて戸籍しらべをはじめる。それでまた一時間。

 この花には僕自身の想い出は何もつながらない。けれども、もう一度ていねいに押しなおし、台紙にとめて額に入れていこう。この日本のエーデルワイスの一つを。そういえば最近、ヒマラヤのエーデルワイスも贈られ、僕のまわりには、自分では摘むまなかった高嶺の花がだんだんにぎやかに飾られて来た。

※参考:薄雪草(ウスユキソウ)という名前は、茎や葉に白い綿毛が密生して薄雪をかぶったように見える様子に由来しています

2024.11.12 記す。

★いわぎぼうし 


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.185

 四月はじめの後立山の唐松岳では、氷片や小石が真横に飛ばされているような風で、気温もかなり低かったが、八方尾根を下るにつれて、雪の表面に春の表情があらわれて来た。遠くから見れば山々は目も痛いほどに光っているが、次第に雪がよごれ、よごれが浮き出して来る。そのぐすっともぐる水っぽい雪の上を雪虫がさかんに歩いていた。そして解けはじめる雪の上には、すぎ去った年の虫の死骸や、落葉などが諄々とあらわれて来るが、どういうものか、いわぎぼうしの枯れ葉がたくさん出て来る。

 山の秋風に、淡い赤紫の花がゆれ、やがて初雪が舞いとぶころにこの葉は枯れながら方々へ飛んだのだろう。一昨年もほぼ同じころに、八方尾根を登りながらこの葉を雪の上で拾いあげたことを思い出した。

 もともと強い葉であるが、葉脈も、裏面の細かい横の脈も、長い柄にある斑点もはっきり残っている。なお雪深い山で、春の訪れを告げるものはいろいろあるが、いわぎぼうしの枯れ葉は、この尾根ではいつも印象的である。

※参考:ギボウシという名前は、つぼみの形が日本の社寺仏閣や橋の欄干に付けられる伝統的な装飾品である「擬宝珠(ぎぼし)」に似ていることに由来しています。また、葱坊主に似ていることから名付けられたという説もあります。

 ギボウシは、キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ属(学名: Hosta)の総称で、東アジアに分布する多年草です。日陰でもよく育ち、観賞価値の高い植物です。学名の「Hosta(ホスタ)」は、植物学者であるニコラス・トーマス・ホストの名前に由来しています。

 夏の朝に咲く儚い一日花「ギボウシ」

挿 絵
いわぎぼうし
2024.11.17 記す。

★たばこ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.106

 たばこをのんでいる人のうちで、たばこの花を知っている人はどのくらいいるだろうか。なす科のこの花は、ぐんとのびた先に、四方に向って咲くのので、サイレンを想い出す。

 こんな記録も何年か後には貴重になるかも知れないが、戦争をするとたばこがのめなくなる。僕もたばこの代用として、どのくらいの種類の植物を煙にしてすってみたか、正確には覚えていない。緑茶、紅茶、いたどり、柏(かしわ)。それからとうもろこしの鬚やら、その辺のごみまですった。

 紅茶の葉はもちろん一度のんだあとのをほして、それをパイプにつめる。煙とともに火をのむこともあるし、パイプがこげて、お尻に穴があく。

 僕がそのころ逃げかくれていたところは、東北の田舎で、前がずらっとたばこ畑だった。黄色になって、明らかに枯れて、誰が見てもこれは役に立たないと思われるような葉が落ちているいることもあったが、それをひろってパイプにつめるようなことも決してしなかった。

 そして、とうとうもろこしの鬚をパイプにつめ、ただ気やすめにくさい煙を出しながら、たばこの花を観察し、ノートにスケッチをしていた。誰もいないので、偉いとは思ってくれなかった。

※子供のころ、たばこ畑があり、乾燥場もあった。専売局が管理していた。

※戦時中、タバコが配給制になり、タバコだけが配給されていたので、インド紙の英語の辞書を破ってつかって、たぼこを包み吸っていた。

※戦時中、「金鵄」という名のタバコがあった。「金鵄(きんし)上がって十五銭 ~昭和18年~」から、戦中に歌われていた。 タバコ「金鵄」の元の名前は「ゴールデンバット」昭和15年に敵性語を用いてはいけないと改名され。「金鵄」は当時もっとも大衆に親しまれていたタバコ。

※戦後、進駐軍のオーストラリヤの兵隊から煙草を貰っている人もいた。

※戦後、昭和27年頃は「ピース」という名のタバコがあった。

挿 絵
たばこの花
2024.10.08 記す。

★2024.07.04 菜園で生育しているミニトマトを張りつけた

[初心者向け!トマトの栽培方法・育て方のコツ

多くの方が家庭菜園で一度は作ってみたいと思う人気の野菜「トマト」。トマトには大玉トマト・中玉トマト・ミニトマトなどがありますが、大玉トマトの栽培は少し難しいため、初心者の方には実が付きやすく、収穫量も多いミニトマトがおすすめです。

今回は、家庭菜園で人気のミニトマトの栽培方法・育て方のコツをご紹介します。

家庭菜園で初心者におすすめのミニトマトの品種

ミニトマトの実の形は丸形や楕円形などがありますが、作りやすさは変わらないため、お好みで選んで問題ありません。初心者の方におすすめの品種は「アイコ」と「とってもアイコ(R)」です。

アイコ

愛らしい形と群を抜くおいしさで、家庭菜園で超人気のプラム形トマト。比較的丈夫で実も割れにくく、作りやすさも折り紙付きです。

ミニトマト アイコ

とってもアイコ(R)

「アイコ」より一回り小さく、酸味が少なくて甘みが強い、とにかくたくさん採れるプラム形のミニトマト。成長の勢いが「アイコ」よりも落ち着いているので、より育てやすいです。]

2024.07.04 記す。

★第三十一候「温風至 (あつかぜいたる)」 7/7~7/11頃 張り付けた。」

 候が小暑の初候に変わり、熱い風が吹き始める頃となりました。

 時節の前後に梅雨が明けますが、梅雨明け頃は、湿った暖かい空気が流れ込みやすいため雷雲が発生しやすく、突然の雷雨、突風が起こることも。

 強い日差しと共に気温が一気に上がるので、注意が必要な時季でもあります。

 真夏のトウモロコシ畑 

 「至」の温風とは、梅雨明けの頃に吹く南風のことで、「白南風 (しろはえ)」と呼ばれます。

 梅雨の間に吹く南風は「黒南風 (くろはえ)」です。

 どちらも亜熱帯から吹く暖かく湿った風ですが、雨雲が覆う梅雨空では黒、さわやかな青空の下では白と、風にも色をつけて言い表しました。

 日に日に暑さが増していきます。

★トウモロコシの一種のスイートコーンは、野菜としてはでんぷん質・糖質が多く、高カロリーで、甘くておいしいことから、子供の好きな野菜の上位に入っています。また、食物繊維が多く、胚芽にはビタミンB1、B2、Eが豊富に含まれており、栄養的にも優れた野菜といえます。

 スイートコーンには、糖含有量が低いスイート種と高いスーパースイート種があります。最近の主流はスーパースイート種で、粒は通常黄色ですが、黄色に白色が混じるバイカラー、黄・白・紫色が混在するトリカラー、乳白色の品種などがあります。このように、スイートコーンは見ても食べても楽しめる野菜です。

 実の粒ぞろいをよくするには、10株以上を複数列に配置し、お互いの株の花粉が雌穂にかかるようにします。粒色が違う品種が近くにあると、粒色が本来のものと違ってくること(キセニア)があるので、粒色をそろえたい場合、混植は避けます。特に、ポップコーン種との混植は味も悪くなるので注意しましょう。

 主な産地:我が国のスイートコーンの収穫量は、年間25万900トン(平成17年産)です。都道府県別にみた収穫量の割合は、北海道が圧倒的に多く42%、千葉県8%、茨城県6%でこの3県で国内生産の5割以上を占めています。

真夏のトウモロコシ畑

2024.07.25 記す。

★2024.07.10 ラジオ体操広場のに近いお宅の前に植えられていたヒマワリを撮影した

[ヒマワリ(ひまわり/向日葵)学名 Helianthus annuus 和名 ヒマワリ(ひまわり/向日葵/日廻り/日回り)別名 コウジツキ(向日葵)、ヒマワリソウ(日回り草)、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、天竺葵(テンジクアオイ)英名 Sunflower

 原産地 北アメリカ

 種まき時期 4~6月頃 開花時期 7~9月頃 発芽する地温 20~25度 誕生花 8月8日 夏を象徴する花であるヒマワリ(ひまわり/向日葵)は、地温が平均して20~25度ほどになる4~6月頃に種をまくと1週間ほどで発芽し、7~9月に開花時期を迎えて、大きなものでは3mほどにまで成長します。大ぶりな黄色の花を観賞用に、または種を食用とするために広く栽培されています。

 和名の「ヒマワリ」は「向日葵」と表記するほか、同じ漢字で「コウジツキ」と読んだり、その他「日廻り草」「日輪草」「日車」「天竺葵」などとたくさんの別名があります。

ヒマワリの種は栄養価が高いので、ウクライナ、ロシア、アルゼンチン、中国などで食用として盛んに生産されています。ウクライナとロシアではヒマワリが国花に指定されているほど。日本では千葉県、北海道、長野県などで観賞用として多く育てられています。]

2024.07.10 記す。

★フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)


 ゴッホは34歳の時、印象派や点描派の明るい絵に刺激を受けたパリから、南仏アルルへと陽光を求めて移り住みました。その日から文字通り寝食を忘れて、猛烈なスピードで絵を描きます。迷いに満ちた自分から解き放たれたかのように、ゴッホは自分の手から生まれる絵にすこしずつ確信を持つようになっていきます。

 細かい色の組合せで、穏かな絵の中の無数の色が輝き始めます。芸術家の共同体を作りたい……画材が足りない……時間が足りない……。急(せ)く思いを受け止め、励まし続けた人が一人いました。幼い時からの唯一の理解者、弟のテヲです。

 テヲは絵を扱うグービル商会のパリ責任者になっていました。やっかいな兄への複雑な思いがなかったわけではないでしょう。しかし、芸術家のユートピアを夢見る兄の一途な思いを叶えたい気持ちは、いつの間にかテヲ自身のものにもなっていました。兄と暮らしを共にしながら制作してくれる人、そんな画家を探してテヲも奔走します。

 経済的に行き詰まるっていたゴーギャンが、テヲの支援を聞きつけてこの誘いに応じたようです。

 ゴーギャンからの連絡を受け取ったゴッホの喜びはどれほどだったでしょう。ゴーギャンを歓迎するため「ひまわり」の絵を壁一面にかけたい。ゴッホは何枚もの「ひまわり」を描きます。

 希望に満ちて始まった2人の共同生活は、わずか2か月後にゴッホの耳切事件という形で幕を下ろしたのでした。それでもその後、ゴッホの絵画は更新され、命の鼓動のような渦が表れるのです。

 「ヒマワリ」(1888年制作 91*72cm ミュんへン、ノイエ・ピナコテーク蔵)

 花の数が12本であるのは太陽に向かう12使徒を表し、後には14本になるのはテヲとゴーギャンを加えたためとい研究もある。

 構成・文 中岡一貴(倫風 20249月号)

2024.08.07 追加。

1888年制作ヒマワリ

★2024.07.10 ラジオ体操からの帰り道に咲いていた花を撮影・検索した結果オニユリだと

[オニユリ:アゲハチョウを誘う草原の橙色の花

 コオニユリは野山の草地、高原、湿原に自生するが、オニユリは民家近くに多く生える。コオニユリより一回り大きく珠芽ができる。草丈は1〜1.8mもあり遠くからでもよく目立つ。花茎の先に直径6〜8cmの花を2〜10個つける。花は橙赤色で、黒紫色の斑点が散らばる。この色は昆虫の仲間でもアゲハチョウの仲間だけに目立つ色。うつむいた花からくるりと反り返った花びらは、蜜をすいにきたチョウの足場になる。細身の葉が互生してたくさん出る。球根が大きく食用に向く。

 学名 Lilium lancifolium 科名 ユリ科 属名 ユリ属 花期 7月〜9月 分布 北海道、本州、四国、九州]

2024.07.10 記す。

★第三十二候「蓮始華 (はすはじめてひらく)」 7/12~7/16頃

 七十二候が小暑の次候に変わり、ハスの花が開き始める頃となりました。

 ハスは、まだ薄明かりの早朝から花が開き始め、昼過ぎには閉じてしまいます。

 これを3日間繰り返し、4日目には花びらは再び閉じることなく散っていきます。

「ハスは泥より出でて泥に染まらず」という言葉がありますが、優美で清らかなハスの花は、天上の花にも例えられます。

 ハチス (蜂巣)

 ちなみにハスという名前は、花の中心部分が蜂の巣に似ているところからハチス (蜂巣) と呼ばれるようになり、やがて転じてハスになったと言われています。

 また、「蓮」という漢字は、ハスの種子が連なるようにしてなることから、草冠に連なるで「蓮」となったそうです。

★えんじゅ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.96

 僕が小学生のころ、と言えば大正の末期であるが、東京三宅坂付近に住んでいた。そこから半蔵門へ続く濠端に並木が植えられ「いぬえんじゅ」という札が下がったのでその名を覚えた。記憶がいいわわけではない。毎日そこを通って学校へかよっていたからだ。

 中国には槐(えんじゅ)という木がある。戦争で長いあいだ向うにいた人にその木のことをきいてみたら、一里塚などに植えられて「槐碑」といわれているということまで教えて貰えた。日本に昔からあった「えんじゅ」は、古名を「えにす」というが、それ

を「槐」と同じものだと思っていた時代がある。ところがしばらくして実物に接してみると「槐」と「えんじゅ」とは決して同じものではない。そこで外国のものを本物だと思う考えから、日本の「えんじゅ」を「いぬえんじゅ」と呼びかえるようにした。  これが一般の説明であるが、考えてみればずいぶん滑稽な話である。つまり、別のものはどこまでも別のものであって、えんじゅの本物を「槐」とする理由は何もない。牧野富太郎博士は「槐」を「しなえんじゅ」と名付け、日本の在来種を「えんじゃ」というふうに整理された。  外国崇拝のために、古来日本にあるものを、実にあっさりと、当然のように否定し、にせものとしてしまった例は、えんじゅばかりではなく、今でもいろいろと思いあたる。

挿絵
えんじゅ
2024.10.29 記す。

★曹源寺「蓮」の銘品集(武野 篤 作) 

真如蓮一天四海蓮瑞光蓮京福宮蓮
舞妃蓮大伯蓮西円寺青蓮毎葉蓮
嘉祥蓮大伯蓮皇居蓮王子蓮
蜀紅蓮

 あとがき

 曹源寺境内では、放生池、本堂裏の中庭等において花蓮を植栽しているが4,この銘品集は、平成13年4月、宇治の黄檗山「萬福寺」より、同寺境内植栽の花蓮100種以上の中より10種余の株を頂き、これを加えて今夏当寺(曹源寺、大光院)で開花に至ったものを主体に編集したものでありますと、記載されている。(ここに掲載している花蓮の写真の名前と順序は「銘品集」のものと同じですが、写真そのものはインターネットによっている)。終わり。

▼ハスには大賀蓮をはじめとしてその品種がたくさんあり、その品種に名前がつけられています。

 ハスといえば仏様の花と感じるでしょう。ある資料では約百種のものがある。その名前の一部を紹介すると、真如蓮、一天四海、瑞光蓮、妙蓮、嘉祥蓮、輪王蓮、天竺斑蓮、天上蓮、天女蓮、仏足蓮、白光蓮、法華蓮、香炉蓮などがある。その他には京福宮蓮、西円寺青蓮、招提寺蓮などお寺のな前のものなどもあり、ほかには大伯蓮、皇妃蓮、王子蓮などもあります。

▼ハスに限らず、バラにしても種類が多くて、それぞれの名前がつけられている。私どもにも名前がある。子供が生まれると両親をはじめ関係者が赤ん坊の将来の健康、幸福、知恵を願って子供の未来に思いをはせてああでもない、こうでもないと考えに考えて名付けている。

▼国には国の花がある。日本はヤマザクラである。英国はバラ、インドはハスだそうだ。お釈迦様生誕、仏教を説かれた国であることも関連してか、ハスの品種の名前にその教に結びついたものがつけられているのが多いのも納得ができるようだ。

★宮本さんが「蓮を育てる」送って下さった。

 水が冷たく感じられる2月下旬から3月初旬に、花蓮の根の植え替えをします。来年で、16年目を迎えます。

 新しい根を植え込むと「祈りしかない」と禅友の武野さん(曹源寺の守り人・蓮の先生)は、言われます。

 蓮の栽培をはじめて、2~3年迄は、自由に造作なく立派に、育っていたように思います。しかし、実際は武野さんが精選した蓮の根、肥料、薬などを下さっていたからである。自分で育て出すと、まず土、肥料、その配合、肥料を施す時期など、さらに病虫害の予防薬などにも、躓(つまず)きます。そして、何とか開花できても、花輪が小さく貧弱です。良い花を咲かそうと、工夫すればするほど、難しくなります。

 毎朝、一番に蓮の鉢を覗いて、小さな蕾に合掌します。不思議ですが、「祈りから始まり蕾の成長を乞い願っています。」蓮は、たった四日間しか咲きません。しかも、蕾が付いても、必ず咲く保証がありません。もし、咲かないと、来年を期さねばなりません。まさに、「一期一会」なのです。

 私にとっては、「蓮作りは、人作り」と同じです。

 「泥中の蓮華」と言われますように、蓮は他の花と異なり、本当に神秘性や高貴性が備わっています。

 庭瀬は、大賀博士誕生の地であり、庭瀬城跡のお堀には、「大賀蓮が咲き乱れていた」とのことです。一度、訪れてみたいと思います。

 心優しいSさん(庭瀬在住)が、蓮を作られれば、美しい高貴で聖なる花が咲き、見る人に感動を与えて下さるでしょう。 (『随想集』p20)

2024.06.04 記す。

★2027.07.14 岡山市曹源寺蓮まつりが行われた。宮本さんが写真を送ってくださった。

  

※写真左:曹源寺蓮祭り 右:当日音楽演奏。武野さんが耳を傾けている。

★花托(かたく、英: Receptacle)

 曹源寺の総門を入ると山門までの間に放生池がある。その中央に石橋が架かっている。右側には毎葉蓮(紅蓮系の普通種)、左側には太白蓮(白蓮系の大形種)が植えられて、葉、蕾、花、花托へと移り変わるのを毎日、朝と夕方に見ていました。

 蓮は種から成長して根茎になり、一節、二節と、伸びながら節のところに髭の様な根を作り成長する。はじめの一節、二節から出てくる葉は水面に浮かぶ浮葉になり、三節目から背の高い立葉になるのだそうだ。

 蕾の期間は約一週間前後で、開花は約三日であった。二日目が全開で見栄えがします。そして三日目くらいから花びらが散っていきます。そのあとには薄緑色のシャワーの先端の逆三角錐型のものがながい柄の先に残ります。これが花托です。

▼花托:「花梗の頂端にあって花の諸部分を着生する部分。花床」と説明されています。

 この言葉は、なんとよい言葉でしょう。素直に読んでも「はな托す」。

 蓮の花を見ていると開花時には長い花梗の頂端にあって、花托は花の中心にあります。周囲に雄蕊が取り囲み、そのさらに外側に蓮の美しい花びらが取り囲んで花の世界を作っています。開花が終わると、花びらが散り、薄緑から黄色へ、さらに褐色へと。花梗も同じ色に移り変わります。

 ありのままの姿、次ぎの世代の花に托す変遷をあますことなく、人間の考えを超えた力を感じさせられます。

「かたく! かたく! かたく!」と唱えると聴こえてくるものがあるようです。

▼イチゴやイチジクの食用部分は花托が発達して出来たものである。

★2024.07.14(日) 宮本さん、山下さんと路薙で会食の席に花瓶に活けていた花を張りつけ検索した

 色々な画像、記事が表示されて、名前を知ることができなかった。張りつけた写真をみると花が明瞭でないために名前をしることができなかった。失敗作として掲載。

2024.07.14 記す。

★2024.07.15(月) ラジオ体操をしている広場の近くの菜園に咲いていた花を一輪切りとってカメラで撮影、検索した

菜園
ゼフィランサス

[ゼフィランサスは、南北アメリカを中心に約70種が分布するヒガンバナ科タマスダレ属(ゼフィランサス属)の球根を持つ多年草です。

 美しい花を咲かせることから世界で広く栽培されており、いくつかの種はアメリカ、インド、中国などで帰化植物として定着しています。

 ゼフィランサス属の植物は観賞用として数多く流通していますが、最も普及しているのがタマスダレ(Zephyranthes candida)と、サフランモドキ(Zephyranthes carinata)です。

 高温乾燥が続いたあと雨が降ると一斉に開花することから「レインリリー」と呼ばれます。

 ゼフィランサスの花期は品種によってやや異なりますが、6月~10月。

 花期になりると、細い花茎を長く伸ばし、頂部に径3~8㎝程度の花を咲かせます。

 花は6個の花弁を持つ漏斗状で、上向きに咲きます。]

2024.07.15 記す

★2024.07.15(火) ラジオ体操広場に近いお宅の玄関先に鉢植えされていた花を撮影、検索した。

センニチコウ
ペチュニア

★センニチコウとは

 センニチコウの仲間は、花そのものではなく紫やピンク、白、黄、赤に色づく苞を観賞します。暑さと乾燥に強く、日本の夏に適した性質で、長期間咲き続けます。庭や花壇、鉢に植えて育てたものが、切り花としてよく仏壇に飾られます。また、フラワーアレン

 ジメントにも欠かせない素材です。苞の部分はドライフラワーにしても色があせにくいため、名前のとおり、千日色が変わらないのではないかと思うほどです。

 ゴンフレナ属の植物は、熱帯アメリカを中心とした熱帯各地に100種以上が知られています。従来から紫、ピンク、白の花を咲かせるセンニチコウ(Gomphrena globosa)と、黄色や赤の花を咲かせるキバナセンニチコウ(G.haageana)の2種が栽培されてきましたが、最近は‘ファイヤーワークス’と呼ばれるスパイシーな香りをもち、ローズ色の花を咲かせる品種も流通しています。

 センニチコウの仲間は、タネをまいて育てますが、発芽には比較的高温が必要なので、早まきしても芽が出にくく、5月ごろが適期です。また、‘ファイヤーワークス’はさし芽でふやすこともできます。

 なお、センニチコウは一年草ですが、キバナセンニチコウは地下に球根をつくり、3℃程度保てば冬越しできる多年草です。‘ファイヤーワークス’は、軽く凍っても冬越しさせることができます。

 園芸分類:草花 形態:一年草,多年草 原産地:熱帯各地

 草丈/樹高:15~70cm程度 開花期:5月~11月

 花色:白,赤,ピンク,黄,紫 栽培難易度(1~5)

★ペチュニアはコンテナや花壇などでおなじみの草花です。枝垂れるものやこんもりと茂るもの、大輪~小輪、八重咲きなど、いろいろな園芸品種があり、毎年育てていてもあきません。成長が早くて丈夫なので、初心者にもおすすめです。

 南アメリカに自生するペチュニア・アキシラリス、ペチュニア・インテグリフォリアをもとに、ヨーロッパやアメリカで品種改良が進み、多様な品種がつくり出されました。太平洋戦争前には世界に先駆けて日本の種苗会社が八重咲き品種の商業化に成功し、注目を集めました。

 1985年ごろからは品種改良に、ほふく性のペチュニア・アルチプラーナなどを利用することで、それまで実生系(タネから育てる系統)のみだったペチュニアに、栄養系(さし芽でふやせる系統)の園芸品種が誕生しました。従来の実生系とは異なり、雨に強く大きく育つため大人気となり、ヨーロッパの窓辺を変えたと称されたこともあります。

 さし芽をして冬越しさせれば多年草として扱えますが、次第にウイルス病に侵されて観賞価値が下がるので、新しい苗を購入してください。

 葉に細かい毛があり、べたつきますが、このべたつきは病害虫から身を守ることに役立っています。

 園芸分類:草花 形態:一年草,多年草 原産地:南アメリカ中東部亜熱帯~温帯

 草丈/樹高:10~30cm 開花期:3月~11月

 花色:赤,ピンク,青,紫,白,黄,複色 栽培難易度(1~5)

2024.07.15 記す。

★昭和63年7月16日(土)

 沖縄旅行3日目

1、ホテルムーンビーチ出発

2、嘉手納基地の説明。600万坪

ガイドの細かい説明あり。

3、camp Rester Navy Hospital がある。

4、marin 部隊 2万人いる。

*タクシーの運転手の話:沖縄の産業としての収入の大きいものとして地料がある。Base として提供している土地代金。完全にとりあげられているものでないことを知った。

 基はサトウキビ畠であった。

●東南植物園見学


 植物園内の花・樹木

 非常に掃除がゆきとどいている。掃除のオバサンがクリンしているという。台湾人であった。

樹 木説明
(1)
パピルス「パピルス」とも呼ばれるカミガヤツリ(C. papyrus)で、茎の髄を利用した世界最古の紙の原料として有名です
(2)
ソシジユ(想思樹)和名ソウシジュ科名マメ科。沖縄における分布各島(農地防風林用として栽培)
(3)
ユスラヤシ・クジャクヤシ(葉の形)・ナツメヤシ・アレカヤシユスラヤシは豪州原産で、ヤシ科ユスラヤシ属の常緑高木です。成長が早い椰子です
(4)
マンゴウルシ科の植物で,マンゴー属には約40種あるが,うち15種が食用として利用されている
(5)
ビンロウジュマレーシア原産で、高さは20メートルにもなる高木です。年輪はなく繊維が束になったような構造で古来より親しまれてきました。利用価値も高く、未熟の種子は檳榔子(びんろうじ)と呼ばれ、生薬(漢方薬)や染料・嗜好品・生活用品としてさまざまに人々の生活に役立ってきました。また、木材としては「檳榔樹」と表記し、高級ステッキに使われるほど硬く丈夫ですので、お念珠に最適の素材
(6)
カジュマル>くから精霊が宿る木として知られるガジュマル。熱帯~亜熱帯地方に分布する常緑高木で、自生しているものは高さ20mほどにもなる大木です。カジュマルは気根が地中に付くとそれは太くなり、ガジュマルの木を支える支柱根となっていきます
(7)
ブ―ゲンビㇼヤオシロイバナ科
(8)
ニンニクカズラニンニクカズラ科
(9)
扇芭蕉ゴクラクチョウカ科の常緑高木。高さ10~30メートル。葉は幹の先から左右2列に並んで出て、扇形になる。マダガスカル島の原産で、湿地に生え、葉鞘ようしょうにたまる水を旅行者が利用したことから、旅人の木・旅人木りょじんぼくともいう
(10)
シマナンヨウスギ豪州領ノーフォーク島原産で、ナンヨウスギ科ナンヨウスギ属の常緑針葉高木です。円錐形やピラミッド型の美しい樹形を作ります。豪州では夏の真っ盛りにこの木でクリスマスツリーを飾ります
(11)
パパイヤ世界で広く親しまれている人気のトロピカルフルーツです。果実は年間を通じて収穫することができます。熱帯各地で商業栽培され、家庭果樹としてもよく育てられます。生育が非常に早く、実生から3~5年で高さ7m以上まで生育します
(12)
ナガバミズアオイナガバミズアオイ(長葉水葵) ミズアオイ科ポンテデリア属。北アメリカ東部の原産で、池沼の浅瀬に生育する多年草。日本では、鑑賞用に水辺や水鉢で栽培される

パビルスソシジュユスラヤシマンゴ
ビンロウジュカジュマルブ―ゲンビㇼヤニンニクカズラ
扇芭蕉シマナンヨウスギパパイヤナガバミズアオイ

2024.09.09 記す。

★第三十三候「鷹乃学習 (たかすなわちわざをならう)」7/17~7/21頃

 七十二候が小暑の末候に変わり、鷹のヒナが巣立ちの準備をする頃となりました。

 5~6月に孵化したヒナは、この頃に飛び方や狩りの方法を覚え、独り立ちに備えます。

 オオタカ

 鷹は、飛翔力が優れており、空中を自由自在に飛び回ることができますが、獲物を捕まえる時のスピードは、最高で時速80キロにも達すると言われています。

 また、「能ある鷹は爪を隠す」「鳶が鷹を生む」などの諺が言い表すように、知能指数が高いことでも知られています。

 鷹狩りに用いられるなど、猛禽類の中では昔から人に身近な存在でした。

 鷹を巧みに扱い狩りを行う「鷹狩り」は、紀元前およそ一千年前から、中国やインドで行われていたそうです。

 そして、鷹を操る「鷹匠」は、古事記にも登場するほどの長い歴史を持っています。

※参考:S・ゴードン 大原総一郎訳『イヌワシの生態』(平凡社)

★2024.07.19(金)ラジオ体操からの帰り道のあるお宅に咲いている花を撮影検索した。

ムクゲ
八重タチアオイ
タチアオイ

[ムクゲ 暑さのために、人も植物も元気がなくなる夏に、次々と大きな花を咲かせるムクゲの仲間は、盛夏を彩る代表的な花木といえるでしょう。ムクゲは、鉢植えとして栽培される熱帯花木のハイビスカスやアブチロン(フヨウ型の花を咲かせるアブチロンのほか、ウキツリボクや「チロリアンランプ」とも呼ばれる種類も含む)、草本植物のタチアオイ、有用植物のワタなどが含まれるアオイ科の植物です。韓国の国花として知られています。

 花を咲かせるためには、日当たりのよい場所に植えつけます。水はけがよければ特に土壌を選びませんが、夏の高温期の極端な乾燥を嫌うので、腐植質に富んだ保水力のある場所が適しています。

 ラバテラは多少寒さに弱いので、土壌が凍結するような寒冷地での栽培には適しません。暖地でも、日当りがよく、冬に寒風が当たらない場所を選びます。

 ムクゲは落葉中の12~3月に植えつけます。また、ラバテラは3月下旬~5月が植えつけ適期です。根鉢より1回り大きな植え穴を掘り、腐葉土あるいはピートモスに、元肥として粒状肥料「マイガーデン植物全般用」1m²当たり150gを、土と混合して植えつけます。根鉢のまわりに十分に水を注ぎ、棒などでつついて根と植え土をなじませます。花芽はその年に伸びた枝につくので、植えつけ時に短く刈り込んでもかまいません。]

2024.07.19 記す。

★7月20日誕生日の花:タチアオイの花を張りつけた。

[ホリホックは、まっすぐに伸びる草姿からタチアオイ(立葵)の和名があります。2mくらいに伸びる長い茎に、花を穂状につけます。梅雨入りごろ、花穂の下から咲き始めて順々に咲き上がり、花が終わるころに梅雨が明けるといわれています。多数の園芸品種があり、花形は一重から八重まであります。二年草または多年草ですが、株の寿命はあまり長くなく、次第に生育が衰えていくので、数年に1回、タネや株分けで更新していくとよいでしょう。一重咲きの品種は、こぼれダネが周囲で発芽することも多いです。園 芸品種のなかには、春にタネをまくとその年の夏に開花する一年草タイプもあります。

園芸分類:草花 形態:多年草,二年草,一年草 原産地:地中海沿岸西部地域からアジア

草丈/樹高:60~200cm 開花期:6月上旬~8月中旬

花色:白,赤,ピンク,オレンジ,黄,黒,紫,複色

耐寒性:強い 耐暑性:強い

開花期が長い,耐寒性が強い]

※写真は八重タチアオイであるためムクゲに似ているように思えないところがある。

※アオイ科の植物を並べて見ると類似点・相違点を比べるのに便利である。 (黒崎記)

2024.07.21 記す。

★睡蓮(別名ひつじぐさ)とコウボネについて観察記録をふくめてまとめることにした。


平成十年十二月十五日の記録

☆ひつじぐさの観察

 ひつじぐさと睡蓮―開花と閉じる時刻―

 睡蓮については「モネ 睡蓮」を知っている人は多いでしょう。

 私も大原美術館蔵「モネ 睡蓮 1906年頃」の絵画を見て知った一人です。

 モネはほとんど作品を売らぬことにしていたが、日本の牡丹の苗木と交換する条件で「睡蓮」の売却を承諾したという。

 睡蓮と蓮(ハス)の区別もはっきりとは知りませんでした。

 今年6月中旬、植物の知識が豊富な人と話しているとき睡蓮の話しが出た。この花を「ひつじぐさ」ということも教えられた。未の刻に咲くからこの名前がつけられているのだとも。そこで、未の刻は現在の何時に相当するのかに話題が発展、調べると午後2時(午後1時から3時の間)だと。

 岡山の後楽園では観蓮会が開かれている。それは大賀ハスの開花するのを朝4時ころから待って行われています。

 ハスは朝に咲き、ひつじぐさは未の刻に咲く、何だか変だと直感しました。

 そこでひつじぐさ、睡蓮について調べることにしました。

 まず辞書・事典・その他にあたりました。同時にこの水草の開花と閉じる時刻を観察することにしました。思わなかったとがわかりました。

◆わたしの観察

 1、年月日:98年8月23日~9月4日

 2、場所:岡山市、曹源寺(臨済宗系)の庭の池。

 3、種類:水面で咲いているものと、10センチくらい伸びた花茎の先に花がついているものもある。ピンク系のもの。

 4、時刻と開花状態

 5時前には咲き始めていると思う。

 ひつじぐさの種類が多くて昔は未の時刻に咲いていたのかもしれない。また、現在でも、未の時刻に咲く花もあるのかもしれない?

 今までは、心字池の西側のあたりに比較的たくさん集合して咲いていたピンクの種類であったが、白色のものは東側の少し日当りの悪いところに少しあった。

 種類によりあるいは光りの当たるわずかな違いが開花時刻を左右するのかもしれない。勉強になった。以上。

★睡蓮とハスの違いは?それぞれの特徴や見分け方を解説

 睡蓮とハスは、どちらも水辺に美しい花を咲かせる植物として知られていますが、みなさんは見分けることができるでしょうか。一見とても似ていますが、分類上は全く異なる植物です。この記事では、睡蓮とハスの特徴とその違いについて紹介します。

 睡蓮は、スイレン科スイレン属に属する水生植物で、熱帯や亜熱帯、温帯などに分布しており、耐寒性のある温帯スイレンと熱帯スイレンに分けられます。

 水位が安定している池などに生息し、水中から長い茎を伸ばし、水面に丸い葉と花を浮かべるのが特徴です。花は5〜10cmほどの大きさで、ピンクや白、オレンジ、青など様々な色があります。また、花びらの先端が尖った形をしており、咲き終わると閉じて水中に沈みます。

 ハス

 ハスはハス科ハス属の水生植物で、日本や中国、インドなどのアジアを中心に分布しています。水面に1m上伸ばした柄の先に30〜50cmほどの葉を広げ、夏には10〜30cmの大きな花を咲かせます。花色はピンクや白が一般的で、花は朝に咲いて昼には閉じてしまいます。

 水底に地下茎があり、地下茎の膨らんだ部分は「レンコン」として食用にされます。

★コウホネは全国の湖沼、池、川などに群生する抽水性の多年草。根茎のゴツゴツした感じが骨に似ているので河骨、川骨と書く。 根茎が泥中を横走するが、繁殖力はアサザなどと比べると遅い。 葉は濃緑色で艶があり、長楕円形で基部は矢尻形で長さ30cmを越えるものもある。 花期は6~10月。3~6cmの濃黄色の花が咲く。 花びら状のがく片5枚、その内側に15~30枚の内側に巻いた花弁がある。 ヒメコウホネとの簡単な違いは、コウホネの葉が長楕円形で気中葉に対し、 ヒメコウホネは円心形で浮葉形である。大阪府

2024.07.23 記す。

曹源寺心字池:スイレンとコウボネ

★第三十四候「桐始結花 (きりはじめてはなをむすぶ)」7/22~7/27頃

 七十二候が大暑の初候に変わり、桐の花が実を結び始める頃になりました。

 桐は、初夏に薄紫色の花を咲かせ、盛夏を迎える今頃、卵形の実を結びます。

 この長さ3cmほどの実の中には、翼のある種子がたくさん入っており、風に乗って飛散します。

 卵形をした桐の実

 桐の樹高は10メートル以上と大きく、花も高い場所に咲くため、目にする機会は少ないですが、古来より高貴な木とされ、家紋や紋章の意匠に取り入れられてきました。

 天皇家や日本政府、そして500円硬貨でも桐が使われています。

★桐(キリ)はノウゼンカズラ科のキリ属に分類される広葉樹で、奈良時代から平安時代にかけて中国から日本に伝えられました。成木は8~15m、樹皮は灰白色でなめらかな手触りをしており、葉は直径20~25cmの広い卵型をしています。春から初夏にかけて釣鐘型をした薄い紫色の上品な花を枝先に咲かせ、花が終わった後は実を付けます。元気のよい株は開花が控えめになるという、面白い特徴もあります。

 木材としては丈夫で扱いやすく、断熱性に優れている、水を通しにくいなどの特徴から、下駄やたんす、箏などの材料に古くから利用されてきました。さらに、虫や菌を退ける成分も含まれているため、昔から桐だんすに着物をしまうことで高価な着物の虫食いを防いでいたそうです。

 桐の花は神聖な花?

 桐の木や花には古くから神聖なイメージがあります。原産地である中国では、伝説の鳥・鳳凰(ほうおう)が止まる木と言われ、桐は神聖な意味を持つ植物となっています。日本に渡来した後も神聖なイメージが引き継がれ、また高貴な色とされる紫色の花を咲かせることもあって、神聖な木として大切にされてきました。皇室の紋章や武家の家紋、500円玉硬貨のモチーフとしても使用されています。

 また、かつて日本では農家に女の子が生まれると庭に桐の木を植えるという古い風習があったそうです。これは女の子が成人した時に桐だんすや長持を作って嫁入り道具として持たせるためで、15年ほどで成木になり、木材として丈夫で扱いやすい桐の特徴から生まれた風習だと言われています。

 桐の花の見頃はいつ?

 桐の花の開花時期は、エリアにもよりますが5月~6月です。桜の花が終わる頃、春から夏の初め、季節の変わり目に紫色の花を鈴なりに咲かせ、人々の目を楽しませてくれます。

 桐の花に似た花にはどんなものがある?

 キリモドキ(ジャカランダ)

 南アフリカやオーストラリアで野生化している木で、ジャカランダ、またはシウンボク(紫雲木)という別名で呼ばれています。日本では5月下旬~6月上旬頃に見頃を迎え、紫色の花をたわわに咲かせるため桐に似ていますが、葉の形は桐とは異なりシダに似ていています。

 日本では見る機会が少ない花ですが、静岡県熱海市のお宮緑地にはジャカランダの遊歩道、宮城県日南市の植物園や道の駅の一部でも見ることができます。

 アキギリ

 葉が桐に似ていて秋に咲くので「アキギリ」と呼ばれているシソ科の多年草で、学名はサルビア・グラブレスケンスと言い、日本原産のサルビアの1種です。本州の中部地方から近畿地方の日本海側に分布し、山地の木陰などに生えています。花の形は似ているものの、木である桐とは異なり高さ20~50cmの草花で、その名の通り8~10月の秋に紫色の花を咲かせます。

 桐の実(きりのみ) 初秋

 家具財として広く植えられる落葉高木。初夏に紫色の花を開き、秋に尖った卵形の実を結ぶ。その実は十月頃熟し、二つに裂け、翼のある種子を多数散らす。

桐の樹
桐の花
桐の実

2024.07.23 記す。

★アサガオ・ヒルガオ・ユウガオ・ヨルガオを張りつけた。

 アサガオ(ヒルガオ科)は日本で古くから親しまれている草花ですが、日本原産の植物ではなく、奈良時代に中国から渡来し、薬草として用いられたのが始まりです。観賞用として楽しまれるようになったのは江戸時代で、大きな花の「大輪アサガオ」や、葉や花がユニークに変化した「変化咲きアサガオ」が大流行しました。

 つる性の一年草で、あんどん仕立てやつるを長く伸ばしてカーテンのように仕立てる方法が代表的ですが、つるが伸びない矮性の品種もあります。

 花色には白やピンク、青、紫のほかに、覆輪部(ふくりんぶ)と花弁の中心に向かって筋状に白い模様が入る「曜白(ようじろ)」と呼ばれる模様などもあります。さらに、花の大きさも巨大輪から小輪まであり、変化に富んでいます。

 園芸分類:草花 形態:一年草 原産地:熱帯から亜熱帯地域

 草丈/樹高:20cm~6m 開花期:7月中旬~10月上旬

 花色:白,赤,ピンク,青,紫,複色 栽培難易度(1~5)

 耐寒性:弱い 耐暑性:強い

 特性・用途:開花期が長い,初心者でも育てやすい

★ヒルガオ(ヒルガオ科)朝しか咲かない「朝顔」に対して、昼間もずっと咲いているので「昼顔」と呼ばれます。日当たりのよい場所にふつうに生える多年草で、地下茎をのばしながらどんどん広がっていきます。また地上の茎はつるになってあちこちに絡みつきます。

 葉には耳のようなものがあります。同じ仲間のコヒルガオはこの耳が真横に張りだし、さらに2つに切れ込みますが、ヒルガオは後ろに張りだし切れ込みません。ただ市内では葉のかたちが中途半端なアイノコヒルガオがかなり多く見られます。

 6月から10月ごろ、葉のわきから直径5センチメートルほどのピンクの花を咲かせます。花色の濃淡は株によってちがいますが、コヒルガオに比べると色が濃い傾向にあります。またコヒルガオと異なり、花柄はつるつるでフリルのような翼はありません。テンシボタン(ヤエヒルガオ)という八重咲き品種があり、稀に栽培されます。

★ユウガオ(ウリ科)ユウガオの果肉を薄くそいで乾燥させたものが、寿司の具材や煮物などで食べるカンピョウ(干瓢)です。夕顔の名のとおり、花は夕方以降に咲きます。人工授粉の必要はありません。生育旺盛で、重さ20kgにもなる果実が10個以上もなります。

★ヨルガオ(ヒルガオ科)は、夕方から咲き始め翌朝にはしぼんでしまいます。夏は夜8時ごろから咲きはじめ、あたりにいい香りを放ち、朝にはしぼむという、まさに夜型の花です。パッと明るいアサガオとは対照的に、真っ白な花が夜道にぼんやりと浮かぶ姿は艶やかです。

 アサガオ、ヒルガオ、ユウガオ、ヨルガオ。同じ「カオ」一族ですが、それぞれ個性的で、それぞれの美しさがあります。

 特にアサガオは小学1年生でも簡単に育てることができるので、アサガオの観察日記は夏休みの宿題には欠かせません。また、最近はグリーンカーテンとして、ベランダに見事に花を咲かせている家庭もよく見かけるようになりました。猛暑の夏、涼しげなアサガオのカーテンを見かけると、来年はウチでも育ててみようかな…と思う方も多いのではないでしょうか。

★アサガオ・ヒルガオ・ヨルガオはヒルガオ科、ユウガオだけがウリ科である。

アサガオ
ヒルガオ
ユウガオ
ヨルガオ

2024.07.25 記す。

★しろつめくさ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.217

 徳川時代に、ガラスの器が輸入された時に、われぬように詰めものいなってやって来たのがこのつめくさである。思えばかなしい渡来ぶりだが、帰化の仕方は堂々たるもので、ポランの広場などは実に見事なはびこり方をしている。

 「つめくさの花の咲く晩に、ポランの広場の夏まつり。つめくさの花のかおる夜は、ポランの広場の夏まつり」宮沢賢治の、あの酒くせの悪い山猫が、黄色のシャツで出かけて来る。そうするとポランの広場に飴が降る。

 しろつめくさは童話の野草にだけ咲いているのではない。Trifolium repens という学名は匍匐(ほふく)する三つの葉という意味があるが、三つの葉と言われると四つ葉のクロバーをさがして、人は幸福を夢見る。その四つ葉はさがそそうとすると容易には見つけにくいけれど、ひょっとした時に、ひとかたまりの四つ葉を摘みとることが出来る。誰か幸福になりたがっているものはいないだろうか。戦場」に傷ついた兵士が、傷を癒してくれた乙女にささげたこのシンボルを、愛と幸福と感謝のシンボルをほしいものはいないだろうか。

※参考:「ポランの広場」:宮澤賢治全集 第十二巻(筑摩書房)

挿絵
しろつめくさ

2024.11.05 記す。

★第三十五候「土潤溽暑 (つちうるおうてむしあつし)」7/28~8/1頃

 七十二候が大暑の次候へと変わり、熱気がまとわりつくような蒸し暑い頃となりました。

 土が強い陽気を受けて熱を発することや、熱そのものを「土熱れ (つちいきれ)」といいますが、まさにこの時期の蒸し暑さを体現している言葉といえます。

 また、じっとりと蒸し暑いことを表す「溽暑 (じょくしょ)」は、陰暦6月の異称にもなっています。

 よくニュースや新聞などで耳にする「夏日」や「真夏日」。

 この「夏日」とは最高気温が25℃以上の日、「真夏日」は30℃以上の日のことを指しています。

 加えて2007年からは、35℃以上の日を「猛暑日」と呼ぶようになりました。

 またこの時期、夜になっても気温が下がらず、寝付けない日がありますが、このような一日の最低気温が25℃以上の日は「熱帯夜」と呼ばれ、真夏日や真冬日とともに、気候の統計値に用いられています。

★梅鉢草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.137

 梅鉢草は、昔作りかけた僕の植物地誌(フ ロ ラ)の第一頁に描いた花である。そこでこのフロラは真秋の最中にはじめられたことが分る。

 それは長く続かなかったが、時間を幾らかけてもよかった時代だったので、一つ一つ色をぬり、丹念なものだった。しかもちょっと版画風な趣きも加えたりした。

 あの萱(かや)の原の、その萱の刈りとられたあとに、白くつやつやと、変にはっきりと咲いた花だ。茎のなかごろに、大きく目立つ葉っぱが一枚ずつついている。それが逆さにはいたスカートのようだ。  最近雨に降られながら、長い長い峠への径を辿っていた。重い荷物が肩へめり込み、一歩一歩はもう苦しみの向う側へ突きぬけてしまって、頭もしびれていた。霧の流れる山の斜面が明るくなって、もうそろそろ峠が近いと感じた時、足もとに幾つもの梅鉢草が、澄し込んで空模様をみていた。僕はもちろん久し振りで懐かしかった。こっちを向いて笑ってくれないのが不思議なくらいだった。

 花々は黙って歓迎する。むしろそれだから僕は困ってしまう。寂しいような、恥ずかしいような、誰かに来てくれるといいと思うような、具合の悪いその感じ。

 こういう時に手帳を出し、詩でも作ればいいのだ。「梅鉢草の寄す」という題にして、求愛の気持をこの花に向って実験してみればいい。

※参考:梅鉢草の花の由来:紋所(家紋)のひとつで、変形に、中心部がおしべの形ではなく、ただの丸になっている「星梅鉢」がある。菅原道真や前田利家の家紋として有名で、湯島天神など天神社でよく見かける。家紋に由来する植物名には、ほかにハナビシソウ(花菱草)などがある。

2024.11.11 記す。

★献 涼


 涼しさを皆様におくりしますといった意味でしょう。『広辞苑』にはみあたりませんでした。

 七月末、真夏のわが家の庭の白柏、銀木犀、藤、南天、楓の木々の地面より三十㌢から二㍍も登ったところに大小の空蝉が飴色の原型を残していました。その数は十一個も。木の根元には直径二㌢程度の通り抜けた黒い穴がぽつぽつ。当夜、岡山市の紊涼花火大会の炸裂音が遠雷のように微かにわが家にもとどけられました。

 翌日曜日、坐禅会に高校生くらいのフインランドの少年が参加していました。坐禅の後、小方丈で境内の涼風に蝉の鳴き声を耳に薄茶をいただく。

 蝉の地理分布が話題になりました。デンマークでは気温のため幼虫が越冬できないので棲息してない。フインランドにもいない。毎週、参加しているスイスの青年は自分の国にはいない、イタリヤにはいます。あのやかましいゴキブリはいりませんとの感想

『おくのほそ道』立石寺の一読を私からの献涼とさせていただきます。(岩波文庫:P.87)

 山形領に立石寺りっしゃくじと云いふ山寺あり。慈覚 大師の開基にして、殊ことに清閑の地也。一見すべてよし、人々のすすむるに依て、尾花澤よりとって返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松柏年舊ふり、土石老て苔滑かに、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂莫として心すみ行くのみおぼゆ。

   閑さや岩にしみ入蝉の聲

 スイス以北の方には味わえないですネ!

※参考:A cicada is a large insect that lives in hot countries and makes a loud high-pitched noise. By COLLINS CO BULD ENGLISH DICTIONARY

1995..08.01の記事を記載。

★無駄花(其の一)


 平成十一年八月二日、初めて庭の一部を菜園にして知人から頂いた「ニガウリ(ゴーヤー)の苗を植えました。ところが朝、花が咲いていても夕方にはしぼんで枝から落ちてしまっていました。
 そこで夕方の散歩の途中に出会った農家のおばさんに「胡瓜や茄子の花はどうして無駄花があるのでしょうか?」と尋ねました。
 茄子の花と親の意見千に一つも無駄がないと言われているではありませんか。胡瓜は無駄花がありますが茄子はほとんどありませんよ、無駄花がどうして起こるのか分かりませんが。
▼しまった! 胡瓜や茄子の観察を十分にしないで、最近見たばかりの「ニガウリ」のことを茄子や胡瓜までにひろげてしゃべってしまって、野菜作りに全く無知であることをさらけ出して。ましてやこんな諺があることも知らなかったのだから…。
 肥料のことやらなにかと教えて下さいました。
 知人にこの話をすると、茄子でも無駄になる花があります、ただその数が少ないのでしょうと教えられました。
▼「経験こそがわが師」「われ以外皆わが師」などを思い出させられる日々。真紅、黄色、黄色の綾目模様のカンナが帰り道を色鮮やかに飾っていました。

2024.10.16 記す。

★無駄花(其の二)


 平成十一年八月二日、ニガウリ(ゴーヤー)の無駄花について書きました。

 雌雄同株であるクリの観察を行ってきていましたところ、梅雨明けから生理落果が目立ち、その数を数えていました。
 八月二日午後、その日の数は六十四コもあり、一日平均四十コの落果が続いている。何時おわるのだろうかと思いながら帰った。ひと汗を拭いている時、ニガウリは、ひょっとしたらキュウリと同じ雌雄同株のため雄花がドンドン落花していて、私には無駄花と想えていたのではないだろうかと気付いて、『広辞苑 第一版』を引いた。にがうり→つるれいし、と記載されていた。その項目をみると雌雄同株と明示されていました。そうだったのか、だから雄花が役目を終わってシボンで散っていたのであろう。無駄花であるどころかちゃんと役目をはたしていたものもあったのだな。
 そこで、雌雄同株であるからには雄花と雌花がカキ、クリの様にはっきりと区別できるはずだと思い翌日、観察すると私の目には同じ花としか見えなかった。辞書にも雌雄同株と書かれているのにこれは不思議だ。

▼次は生物の参考書を調べることにした。
 植物では、雌雄の区別のある場合とない場合とがある。
 (一)雌雄異株 雄花をつける雄株と雌花をつける雌株が異なる場合で、スイバ・ホウレンソウ・シュロ・イチョウ・ソテツなど。
 (二)雌雄同株
 (1)単性花をつけるもの 同じ株に雄花と雌花がつく、キュウリ・クリ・マツなど。
 (2)両性花をつけるもの 1つの花におしべとめしべとがある。大多数の種子植物。 
 雌雄同株には二種類があることが示されていた。調べるまでは、前者しかないものと思っていた。

▼私にはいまのところ、ニガウリは雌雄同株の両性花であるように思える。したがって二六七号の無駄花の思いは今も同じである。(調べると、雌雄同株で雌雄異花であるとのことである)

 『広辞苑 第一版』では、ニガウリは雌雄同株となぜ書き、ナスについては雌雄同株と書かれていないのだろうか?

★おなもみ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.146

 水

 おなもみの実が秋になると目立って、何ということもないのにとって来る。ちくちくする針がのび、その先がちょっと曲っているところがまた妙に面白い。何にすることもないのに、ほとんど毎年必ずとって来て机の上にころがしておく。

 猫のおもちゃにやってしまった時もあった。猫が前脚で、少し気味悪そうにさわっているのを見ていると、それがやまあらしの一寸法師のようにも見える。結局猫も、変な気持になって、最後には横目でみながら行ってしまう。

 去年はこれを写真によった。古道具屋で、極く小さい写真機を買った。それで、おなもみの実を撮ったらよくとれた。一フィートのところから撮った。魚の骨を主にし、そこへこのp実をばらまいて、芸術的な構成を考えたわけである。写真屋がひどく感服していた。しかし写真屋は大概感服する。けなしたら次にはもう現像も何もたのまない。

 それで今年もおなみの実にあったのであるが、それが何と、アクセサリーを売る店のガラス戸棚の中に並んでいた。売物かとたずねたら、一つ四十五円だと言った。こんなものをつけている婦人にうっからさわって、離れなくなったら大変である。

※参考:オナモミという名前は、「雄なもみ」で、「なもみ」はひっかかるという意味の「なずむ」に由来すると言われています。

オナモミはキク科の植物で、果実は指先ほどの大きさの卵形で、トゲが全体に生えています。トゲの先端がカギ状に曲がっていて繊維にからみつく性質があり、ひっつきむしとも呼ばれます。

オナモミはアジア大陸が原産で、日本には古くに侵入した帰化植物と考えられています。しかし、近縁種のオオオナモミやイガオナモミの繁殖の増大や、自生地の宅地化などにより減少が著しく、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧II類に指定されています。東京都区部および北多摩では絶滅状態と推定されています

挿絵
おなもみ

2024.11.20 記す。

★第三十六候「大雨時行 (たいうときどきふる)」 8/2~8/6頃

 七十二候が大暑の末候へと変わりました。

「大雨時行」は夏の最後の候で、集中豪雨や夕立などの夏の激しい雨が降る頃です。

 青空にむくむくと湧き上がる入道雲が、突然の雷鳴とともに激しい夕立に変わり、乾いた大地を潤します。

 入道雲とヒマワリ

 この時季多い夕立は、低気圧などによる長く広く降る雨ではなく、その場その時限りの局地的な雨です。

「夕立は馬の背を分ける」ということわざは、馬の背の半分は雨が降っているのにもう半分は濡れてもいないという意味。

 ある場所では夕立が降っているのに、ごく近い場所では晴れている様子を表します。

★水引


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.109

 水引はだれもが知っている珍しい花ではないまた人によって好ききらいもなさそうな、目立たないものである。梅雨があけるころから、秋までほとんど変わらない様子なので、そのあいだに一二度、ああそうそう今年も水引が赤い砂粒みたいな花をつけたと思う。そしてそんなことを想った旧い夏の日の窓辺を考える。僕は確か、ある文章で、夏のはじめのころの出来事を書き、その時に水引を、ある効果を考えながら文章の背景につかった。そして秋になっても、水引は衰えず赤くぼつぼつ咲いているのを見て、これはべつのものに変えた方がいいかも知れないと思いながらそのままになっている。そんなことを思い出す。

 細長い花軸を下から見れば猫の顎みたいで、うすきいろく、上から見れば深みのある実にいい赤だ。僕の心臓はこんな色かしらと思う。そして次にレンズをとおして見れば、花弁はなく、四つに裂けた萼(がく)の中にはやはりきちんと道具がそろっている。  花には、遠くからながめた時の名前や、のぞき込んでつけた名前や、色によるもの、形によるものなどがあって、これを分類してみたり、名前の花の名のつけ方を比較したら面白いと思う。水引はある程度、遠くから見た名だが、夏中、蝉の声で蜂の羽音をじっと聞いているアンテナのようだ。

挿絵
水引

2024.11.09 記す。

★みょうが(茗荷)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.117

 茗荷の花が咲いた。僕の部屋のわきへ茗荷を移し植えたのはもう大分前になるが、うす暗く茂った根もとから、青白く、近よってみればうすく黄ばんで、幽霊のような花を咲かせる。一日でその花は終る。

 僕は茗荷を特別に好んで食べない。食べれば食べられるもの、普段忘れていても一向に平気なものの中に入れてある植物である。釈迦の弟子の槃特(はんどく)がよく物を忘れ、自分の名まで忘れるので、名前を書いた札を首にかけてやった。その般特が死に、彼の墓からはえたのがこの草、それで「茗荷」と呼ぶ。そんな話だの落語で「みょうが屋」の話などを聞いた僕は、少年のころ物忘れするのを怖がった。

 フランス語の単語一つ忘れると、そのためにひどい目にあうような教育を受けたため、うっかり茗荷が口にはいることまで極度に警戒した。このごろになれば、いろいろ忘れたいことが出来てくる。般特がうらやましくことさえある。しかしこれが単なる伝説である以上、好んで食べてみても仕方がない。

 茗荷の花はしみじみと見ているとなかなかきれいだ。ひらひらとして、またくるりとまるまって、あまりきれいなので、何か音楽でもやりたくなる。そして、これを七八輪、真赤な菓子盆にでもころがしてみると、オペラの舞台を見ているような気持になれそうである。

2024.10.07 記す。

★第三十七候「涼風至 (すずかぜいたる)」 8/7~8/11頃

 七十二候が立秋の初候に変わり、涼しい風が吹き始める頃となりました。

 まだ残暑は厳しいものの、夕暮れになるとどことなく涼しげな風が吹き、雲の色や形にも、さわやかな秋のにおいが感じられるようになってきました。

 日が落ちると、草むらから虫たちの涼しげな音色が聞こえ始め、季節の移ろいが感じられます。

★こなぎ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.131

 庭への出入り口の前に池をこしらえた。子供が魚をとって来ては、たらいやバケツを占領してしまうもんで、と人にはいうが、僕はこの小さな池に水草を入れたり、微生物を飼ったり出来るようになったのがうれしくてたまらない。

 家の前の道が、簡単に舗装され、それはありがたがったが、重たい地ならしの車が門の段をこわした。これを放っておくわけにも行かないので、コンクリートで修繕し、そのついでに池をつくったというのがほんとうの話である。

 欅や柿の葉が水面いっぱいに散り込む日も近いが、そしてやがてはかたく氷のはる冬も来るだろうが、今はともかく田んぼですからすぐって来たこなぎがつやつやと浮いている。ぶっくりと腹をふくらませている布袋葵(ほていあおい)よりはほっそりとした小柄だが、その葉のハート型は、水から手を出していかにも太陽の光を受けとめている感じである。

 それよりも、こなぎの花の色は実にきれいだ。決して葉よりも高くのびて目立とうとするところがなく、競って虫を呼びとめようとする気勢もない。ひたすら魚たちのために咲いているように、下を向いているものもある。

挿絵
こなぎ

2024.11.10 記す。

★くろぐわい


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.143

 八九年ほど前に、高校時代からお世話になっている渡辺一夫先生をお訪ねした時、これを持って行きませんかと言われ、くろぐわいを頂いて来た。その名のとおり、黒いくわいであるが、すぐには芽が出そうもない。確か、先生の郷里の新潟から届いたものらしかった。僕は戦争の真最中に、弥彦線の燕というところにおられた先生をお訪ねし、三日ほど御厄介になったことがあるので、そんなことも思い出しながら、くろぐあいを頂いて来た。

 まだ食糧に困っていた頃だったので口にはいるものを持ちかえれば悦ばれた。けれどもこれはすぐ食べてしまうにも珍しすぎるので図鑑を看たり、日記のわきにスケッチをしたりしていた。そして食べるのを我慢して、どんなことになるか分からないけれど泥に埋めることにした。

 今の家へ越して来て間もないころだったが前に住んでいた人が置いて行った大きな甕(かめ)が庭にころがっていたので、それに泥と水を入れ、僕は十個のくろぐわいが少なくも三十個ぐらいになる夢をちらっと見ながら埋めた。筒型の葉が甕いっぱいに茂ったのはそれからどのくらいしてからだっただろうか。

 僕は渡辺先生にそのことを報告したが時期を見はからって根茎の先にあるはずの塊茎を掘り出すことしかしなかったため、いつの間にカこの植物も絶えてしまった。しかしともかく栽培をしたことがあるので、くろぐわいについては知っているような口をきくけれど、実際にはその味を僕は知らない。

2024.10.08 記す。

★第三十八候「寒蝉鳴 (ひぐらしなく)」 8/12~8/16頃

 七十二候が立秋の次候に変わりました。

 ヒグラシが「カナカナカナ」と甲高く鳴く頃を表した候ですが、実際にはもう少し早くから鳴き始めます。

 よく鳴くのは日の出前や日没後の薄暗い時間帯ですが、気温が下がると日中でも鳴くようになるそう。

 どこか懐かしく涼しげなその鳴き声からは、過ぎ行く夏を惜しんでいるかのような哀愁さえ感じられます。

 夏の間中聞こえてくるセミの声ですが、その種類は季節とともに移り変わります。

 4月下旬頃「ゲーキョゲーキョ」と合唱しているのはハルゼミ。

 6月頃から鳴くのはニイニイゼミ。「チィー」という声で一日中鳴いています。

 そして、7月頃から盛んに聞こえるのはヒグラシの声。

 7月中旬の盛夏から「ミーンミーン」と鳴くのは、ミンミンゼミ。

 同じ頃、「ジリジリ」と油で揚げているような声で鳴くのはアブラゼミ。

 7月下旬から8月上旬にはクマゼミの鳴き声も聞こえてきます。

 声の主はみな成熟した雄で、お腹にある膜を震わせて鳴くそうです。

 多くのセミたちが一斉に鳴きたてる声を、時雨の降る音に見立てて「蝉時雨 (せみしぐれ)」といいます。

 ちなみに、"蜩 (ヒグラシ)" の季語は「秋」。

 セミの多くは夏の季語になっていますが、蜩は、法師蝉 (ツクツクボウシ) と共に秋の季語に分類されています。

★ハルセミ

 時期4月中旬(早いところでは3月末)~6月末(山間部では7月上旬まで)。鳴き声「トゥルルル…ギーギーギー…」、「ムゼームゼー…」、などクロマツやアカマツの高い梢付近で晴れた時に鳴く。分布本州(新潟県、福島県以西)・四国・九州。

おもに低山地のマツ林に生息。合唱性があり、晴天時の午前中によく鳴き、午後になると散発的になる。松枯れや伐採などによるマツ林の減少、都市開発などによる環境の悪化によって生息地は各地で急激に減少している。春~初夏の夜に草むらや低木で「ジーー」と単調な声で鳴くのはクビキリギス(キリギリスの仲間)である。セミの声に似ているために「春にセミの声がするから…ハルゼミ?」と勘違いされることもある(ハルゼミは夜には鳴かない)。

★二イ二イセ三

 時期6月末~9月上旬(8月後半になると激減)。鳴き声「チィー」と透きとおる高い鳴き声を繰り返す。分布北海道・本州・四国・九州・琉球諸島(沖縄本島以北)。

 朝から夕方まで鳴き、市街地から山地まで見られ、ケヤキのような灰色の木に生息することが多い、小型のセミ。透明な羽に、黒や茶色の褐色が混ざっている。木の幹や枝などの低いところにとまることが多い。

★ヒグラシ 時期6月末~9月上旬。鳴き声「カナカナカナ…」と高い声で鳴く。「ケケケケケ」とも聞こえる。分布北海道(南部)・本州・四国・九州・奄美大島(石垣島・西表島には別種・イシガキヒグラシが分布)。

 中型のセミで、平地から山地にかけての薄暗い林の中に生息し、明け方や夕方に合唱する。特に、夜明け前の4~5時頃に約30分間合唱し、交尾も確認される。スギ・ヒノキの植林に多いが、ケヤキやブナなどの広葉樹林にも多く見られる。

★ミンミンセミ

 時期7月中旬~9月中旬(8月に最も多い)。鳴き声「ミーン・ミンミンミンミー」を繰り返す。分布北海道・本州・四国・九州(北海道では局所的)。

 東日本では平地に多いが、西日本では主に低山地~山地に生息。ケヤキ、サクラ、アオギリなどの高い木の幹を好む。少ない場所では、一回鳴き終わると、移動することが多い。

★アブラセミ

 時期7月中旬~9月下旬(10月でも鳴き声を聞かれることもある)。鳴き声「ジッ・ジッ・ジッ・・・」と鳴き始め、「ジリジリジリ」と長く鳴く。分布北海道・本州・四国・九州・屋久島(奄美・沖縄本島地方では別種・リュウキュウアブラゼミが分布)。

 平地から山地、人の家の庭先から雑木林、街なかの公園など広い範囲に生息する。羽が茶色の“もっとも身近”に出会えるセミ

★クマセミ

 時期7月上旬~8月下旬(沖縄では6月上旬~)。鳴き声「シャシャシャ…」「ワシワシワシ…」と鳴く。分布本州(関東地方以西)・四国・九州・琉球諸島。

 西日本(関西)では、とてもメジャーなセミ。温暖な地域の低地や低山地、街なかの公園などに生息。分布が東(北)へ広がっている可能性も指摘されている。サクラやケヤキ、ブナなどの広葉樹に生息し、1本の木に十数匹ものセミが集まることがある。朝早くから午前中に鳴き、午後になるとほとんど鳴かなくなる。関東地方南部から西日本にかけて多くみられる。

ハルゼミ
二イ二イセ三
ヒグラシ
ミンミンセミ
アブラセミ
クマセミ



★曹源寺のねむりづか
      Nemurizuka being in Sogenji's Garden


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ねむりづかへの道

ねむりづか

☆ねむりづかへの道の入り口の右側あたりに、ほぼ四角形の粗い石柱があり、「ねむりづか」と彫られている。その左側面に「行 治」ときざまれている。そこから十五歩ほどの場所に☆ねむりづかある。 

▼石をたたんで低い(約20センチの高さ)4m四方ほどの壇があり,左上に灯籠のようなものがあり、中央は真円にくりぬかれている。これは太陽を象徴されている。その壇の左の一部はかまどの形にくりぬかれている。もう一方の隅に、1m角くらいの御影石の碑が横たわっており、その上面に句がある。設計は前川国男,谷口吉郎両(俳名:古杏)氏の共同になり、石の造形は流政之氏。文学碑の最高作の1つ。

▼ねむりづかに「かまど」があるのは、このつかぜんたいが日常生活を即ち人生を意味し、「かなかなや」で人生の終末を意図したものであると製作者はいわれていると、原田老師からうかがった。

▼親友の谷口古杏氏が、曹源寺の紅葉谷の一角に石碑を建てられたとき、古杏氏の奥様への想いを、しっかりと受け止め三木行治元岡山県知事さんが「ねむりづか」と名付けられたようです。碑文の句は、晩年古杏氏が、奥さんと三朝温泉にご旅行されたときに、詠まれたとのことです。

▼石の彫刻家:流 政之氏によって、1㍍四角のあじ石の上に、叢雲(むらくも)の中にある満月に照らされているかのように「かなかなや 朝の枕灯 妻と消す」と名句が刻まれています。

「かなかなや」はヒグラシセミの鳴き声。

▼この石碑が、「仰向けに上を向いている」のは、古杏氏ご自身が、「立てるのは恥ずかしいので、寝かせて欲しい」と、頼まれたようです。ある日、三木氏がここをおとづれると、古杏さんが立つておられ、その姿を見られて「彼も寂しいのだな!」と思われたそうです。

▼私たちが、「ねむりづか」に佇むとき、言いしれない静寂さに包まれます。そして、なぜ「ねむりづか」なのかと問いたくなります。石碑が、単純に仰向けになっているからではなく、親友、三木行治氏の谷口古杏氏を思う「こころ」が、そうさせるのではないでしょうか。また人生を振り返えさせるものがあるのではと。さらに、太陽、満月と叢雲、石をたたんだ壇は私どもの住む大地と思うとき宇宙のなかに私どもは生かされ天地人の一体化が心の中に刻まれるからではないでしょうか。

▼この「ねむりづか」も、周辺を取り巻く、紅葉が伸びすぎており、塚全体が傷み、碑文も読みにくくなっているので、近々改修工事がなされるとのことでした。
注:文章の大部分は宮本 進先生にまとめていただきましたが、一部黒崎が加えました。文責は黒崎にあります。

平成17年7月18日


☆補足1:最近、『谷口久吉の文化巡歴 没後30年によせて』山陽放送45周年記念を見る機会がありました。著者は先咲恭仁彦(故人)氏で、この本に『曹源寺と「ねむりづか」』の記事があります。参考にしてください。なかなか立派な資料なので、山陽放送に転載の許可をお願いいたしましたところ、個人の著者に著作権がありますとのことで、転載いたしませんが、機会があればお読みください。

平成18年11月21日


☆補足2:日曜日坐禅会が終わって一人でここに行くと、新しい石に代わっていた。岩石を割って切り取ったように表面がでこぼこしている上に同じ俳句と満月が刻まれていた。これまでのものは、表が砥石で磨かれたように滑らかであった。本日、みたものが今までのものに比べて世の実相を表現されているのではなかろうかと、作者の意図を憶測しながら静寂な風景の一人の点描のようにしばらくでたたずんでいた。
平成20年2月17日、2024.08.02 補筆。

★2024.08.09(金)ラジオ体操広場への途中にある菜園にイチジクが熟してきているイチジクを撮影

 おすすめイチジクはこちら!

 まるで野菜感覚で栽培できる、手っ取り早い果樹の代表格がイチジクです。

 無論、果樹なので永年樹であり、家庭で育てても20年以上生き続けている樹もざらにあります。

 栽培は非常に簡単で、結実の習性を理解しさえすればおいしい果実を収穫することができます。

 実は市場に流通しているのは、完熟手前で収穫した果実。

 イチジクの実はデリケートで完熟果は流通が難しいため、正真正銘の樹上完熟果を味わえるのは家庭園芸ならではなのです。

 それでいて、無農薬で植え付け2年目から収穫できるという栽培カンタンな果樹。

 イチジクにチャレンジしなくて、まず何を作りますか?!

 品種数は200を超える

 国内で栽培されている品種は、日本イチジクといわれる‘蓬莱柿別名’‘早生日本種’と、一般的に西洋イチジクと呼ばれている‘桝井ドーフィン’(桝井は正式には不要)の2品種でほぼ独占状態です。2品種以外では、‘ホワイトゼノア’や‘カドタ’‘ブラウンターキー’といった品種も比較的古くから栽培されていますが、これらは家庭園芸で楽しまれているのがほとんどです。 しかし近年、海外から続々と他品種が導入されており、前記以外にも小ぶりながら濃厚な味、あっさりした味、皮が薄くて丸ごと食べられるもの、香り高いものや、中には果実の表面に縦斑が入るといったユニークな模様のものなど、さまざまな品種が増えています。しかしながら、まだまだ当分青果が店頭に並ぶことはないので、自分で育てる以外に楽しむ方法はありません。ただし、イチジクの品種は大きく分けて4つの系統があり、花のつくりや受粉の関係でその内の2系統しか国内では栽培できません。品種選びの際には、種苗会社の通信販売などで信頼できる苗を購入しましょう。

 イチジクってこんな果樹

 イチジク果実のちから

 イチジクの果実には、丈夫な歯や骨を作るミネラルであるカルシウムが、200g中、生果で52mg、乾果では260mg含まれています。また、カルシウムと併せて摂取すると吸収率が高くなるというマグネシウムも28mgと多く含まれており、カルシウム不足が気になる人にもおすすめです。また、水溶性の食物繊維も豊富に含まれているので、腸の運動を活発にして働きを整えてくれるともいわれます。生食はもちろん、甘露煮やジュース、ジャムにしたり、また、ドライフルーツは栄養成分や旨みもぎゅっと凝縮され、青果の不足する時期の栄養源としても重宝します。

 イチジクは落葉低木のひとつで、その育てやすさから日本では古くから庭木としても人気が高い果樹ですね。

 そんなイチジクですが、漢字で書くと「無花果」花が無い果実、といった意味の表記になります。

 このような漢字表記になったのには、じつはイチジクの花の特徴が由来しているんです。

 イチジクの花はどこに咲く?

 イチジクは花が無い果実「無花果」と書くとはいえ、実際はイチジクの果実の中に花が咲いています。

 イチジクの果実を切断すればわかりますが、その内側には空洞があって、そこにとても小さな花がいくつも咲いています。

 花が無いのではなく、外から見えてないだけなんです。

 ただ普通の花とは違って、花びらがありません。イチジクの実を食べるとぶつぶつしている部分を感じられますが、あれこそがイチジクの花なんです。

 イチジクの花はなぜこのような進化をとげたのか

 イチジクは受粉によって子孫を増やしません。花が受粉を経ずに実、ひいては種になる、単為結実(たんいけつじつ)なのです。そのため、別に花が外に出ている必要はないのです。

 なぜそのような形になったのでしょうか?その答えはイチジクの進化をひも解けば分かります。

 イチジクは元々アラビア半島、小アジア(現在のトルコ)が原産。ヨーロッパとアジアの境目のところで生まれ世界に広まりました。

 そのころはイチジクコバチとう呼称の小さな蜂が、イチジクの底部にある小さな穴から入り、内側に産卵していました。

 そうすると、孵った幼虫は養分と外敵から身を守れる空間を確保できます。そうして安全に成長できるわけです。

 成虫になると、イチジクコバチは花粉をまとって出てきます。そして別のイチジクに自身も産卵します。すると一般的な花のつき方をしなくても、内側に咲かせたまま受粉できるので、こうした経緯で現在の花のつき方になっています。

 ちなみに、昔はハチに花粉を媒介させていましたが、現在は先述のように単為結実のため、「食べたらハチがいる」なんてことはありませんのでご安心ください。

 イチジク(無花果)の花言葉|怖い意味があるの?葉っぱには面白い意味があった!

 イチジクの花はいつ咲くの?

 イチジクの花がいつ咲くのか、という質問は、つまりイチジクの実はいつなるのかということになります。

 イチジクには品種によって、夏のみに実をつける夏果専用種、秋のみに実をつける秋果専用種、秋と夏両方に実をつける夏秋兼用種の3タイプがあります。

 そのため、品種にもよりますが、6月下旬〜7月下旬、9月上旬〜10月下旬の間で花を咲かせ、ひいてはイチジクの果実となるのです。

2024.08.03 記す。

★スイカについてのかずかず

 スイカを網袋にいれて、紐を結び付け、井戸につりさげて冷やしていた。

スイカを縁側で兄弟妹たちと、大きな西瓜を包丁で切って。種を吹き飛ばしながら。

 冷蔵庫(箱モノに氷を入れたものであった)は使われている家庭は少なかったものであった。

 現在は電器冷蔵庫でどの家庭でも使われていて、便利に冷やすことができる。

 わたしの故郷では、西瓜畑の広いものは四百坪くらいの畑に植えられていた。そして、スイカ泥棒を監視する番人が夏の日差しを避けて、仮小屋で見張っていた。それでも盗まれていたようである。

 夏、海水浴の海辺でスイカ割りの遊びをしていた。

 スイカ割りとは、用意したスイカの果実を、目隠しをした挑戦者が周囲の声だけを頼りに、手にした棒で割る遊びである。前もって挑戦者の体を回転させ、平衡感覚を狂わせてから開始することもある。


 昭和十九年(一九四四年)一月二十四日 スイカ・メロンなどの不急作物の作付禁止 青木雨彦監修『中年博物館』(発行者:大正海上火災保険株式会社) 発行 昭和五十六年十一月二十日

 年表で見る戦争と空襲 昭和19年1月(1944年1月)の主なできごと

•日本放送協会、「前線へ送る夕」の放送を開始(7日)

•緊急学徒勤労動員方策要綱を閣議決定(8日)

 私は昭和十九年四月、中学校五年生になるとすぐ、広(広島県)の海軍工廠に動員されて2階木造建ての安永寮に入り、先生も一緒だった。工廠の職場までは二キロくらいもあった。十二時間勤務の二交替制で働いていた。海軍工廠の補機という部門でネジ切旋盤を使ってネジを切っていた。

•防空法施行令実施(9日)

•女子挺身隊結成(14~25歳までの未婚女性を軍需工場などに動員)(19日)

•スイカ、メロンなどの不急作物の作付けを禁止(24日):こんなこともあったのである。

•内務省、東京、名古屋に(改正防空法による)初の疎開命令(指定区域内の建築物の強制取壊し)(26日)

 2012.07.下旬、西瓜をたべながら思い出などを記録した。

2012.07.27

46 西 瓜 '92 夏の号(朝日新論説委員室)+株式会社英文朝日 1992年10月12日 第1刷 P.114 (1992.5.25)

 西瓜を、今年初めて食べた。ひと汗流した後すすめられた。ひと切れの西瓜で汗がひく。夏が来る、という気分。上品ぶってはいられず、車座でかぶりつくところがいい。「西瓜赤いき三角童女の胸隠る」野澤節子。

 夏の味の代表格である。果実が大きいせいか、いつも、何人かの人々と一緒に食べた。という記憶が伴う食べ物だ。食べ物が乏しかった時代、重い、立派な西瓜を真中に置く。包丁を入れる前から期待で歓声がわいた。「両断の西瓜たふる東西に」日野草城。

 ずいぶん昔からある作物らしいが、日本での歴史はそう古くない。アフリカ南部のカラハリ砂漠に生まれ、エジプトでは四千年も前に栽培していたことが絵に残されているという。ギリシャに三千年前、ローマには紀元初期にはいる。

 中国には、中東からシルクロードを経て十二世紀に西域に達した。西瓜と呼ばれるゆえんだろう。遅れて日本にも来たが、あまり普及しなかった。明治初期になり、米国経由で優良品種がはいり、栽培されるようになる。

 日本では、富山県の黒部西瓜などを除けば球形がほとんどだが、米国には長円形の西瓜が多い。半分に切り、中をくりぬいて鉢の形にし、細かく切った実をほかの果物とまぜ、フル―ツカクテルにして食べることがある。

 「水中に水より冷えし瓜つかむ」(上田五千石)。甘さと歯触りが身上だが、冷たさも大切な要素だ。深い井戸や清流に入れて冷やしておくなど、最近ではかなわぬぜいたくだろう。栄養の面でもなかなかの食品だそうだ。

 これからの季節、盛夏炎天のもとで汗をとめ、のどの渇きをいやすには西瓜が一番。家族の人数が少なくなったためか、近頃「小玉」と称する小さな西瓜が目につく。だが、西瓜は、大きいのを、やや騒々しく食べる時が最も楽しい気がする・「西瓜切る家に水気と色あふれる」西東三鬼。

2021.10.04記す。

 46. WATERMELON SEASON

I have just eaten my first watermelon of this year. It was offered to me after I had worked up a good sweat. That slice of watermelon brought my sweat to a quick halt. Watermelon puts me in the mood that summer is coming. I don't like to waste time acting in an elegant manner while eating watermelon. What I like is biting into a slice on the spot. "The young girl's breath is hidden/ behind the red triangular pyramid of the watermelon"(Setsuko Nozawa).

Watermelon has a typical summer flavor. Perhaps because it is big, in my memory, I associated it with being eaten together with several other people.

When food was in short supply, We would place in the center of the circle. Our voices became louder in anticipation of the feast long before the first cut was made. "As the watermelons is cut/the two halves collapse/ eaten to west"(Sojo Hino).

It is said that watermelon is one of the crops of the ancients, but its history in Japan is rather short. According to a pictorial record, the watermelon originated in the Kalahari Desert in the southern part of Africa and was already being cultivated in Egypt as long as 4.,000 years ago. It had spread to Greece by 3,000 years ago, and to Rome at the beginning of the Christian era.

It traveled the Silk Road from the Middle East and reached Hsiyu in the 12th century. This is probably the reason a combination of two Chinese characters meaning "western arc" is attached to the name of the fruit. Watermelon was introduced into Japan late, but it did not spread widely. It was not until a watermelon of superior quality came to Japan from the United States that the fruit began to be cultivated.

Nearly all the varieties of watermelon in Japan are spherical in shape, except for the Kurobe watermelon and a few others of Toyama Prefecture, but most American watermelon are elongated in shape. Americans often cut their watermelons in half, scope out the center to create a bowl out of the rind and mix the diced center with slices of other fruit to make fruit cocktail.

"Under the water/ I hold a melon/ cooler than the water"(Gosengoku Ueda). The quality of a watermelon is revealed by its sweetness and feel in the mouth, but coolness is no less a sine qua non. The old ways of cooling the melon in the water of seep well or in a stream probably sound like untold luxuries to the people of this generation. Watermelons are also said to be quite nutritious.

The watermelon is unmatched for stopping for the sweat of the coming hot season and soothing the dryness of the throat. A small species called "Kodama" (small ball) hss caught our eyes in recent years, perhaps because of the shrinking size of the family. Still, I feel the watermelon is best enjoyed in large, noisy slice. "When the watermelon is cut/the house fills/with its scent and color"(Sanki Saito).

Copy on 2012.10.5

2024.09.07 記す

★2024.08.09(金)ラジオ体操広場に近いお宅の玄関に鉢植えされていた三種類の花を撮影・検索した。

★サフランモドキ

 サフランモドキは、ヒガンバナ科タマスダレ属の球根植物で、原産地はメキシコ、グアテマラです。

 花径6~7㎝のピンク色の大きめの花で、開花期は6~10月です。

 草丈は20~30㎝です。

 暑さに強く、寒さにも比較的強く、暖地では野外で越冬できます。

 日当たり、水はけの良い場所を好みます。

 全草にリコリンを含み、有毒です。

 江戸時代に渡来し、当初はサフランと誤認され、明治初めに誤りであることが確認されて、サフランモドキと呼ばれるようになったとのことです。

★サンパラソルとは?育て方・栽培方法|植物図鑑 お気に入り サンパラソル 学名:Mandevilla 英名:Sunparasol 科名:キョウチクトウ科 原産地:中央、南アメリカ

 サンパラソルの特徴

 夏の花としておなじみだった「マンデビラ」の改良品種です。「サンパラソル」というシリーズ名がひとり立ちし、品種名として定着するようになりました。大輪でカラフルな花色が揃い、名前の通りに夏気分いっぱいにしてくれるサンパラソルです。 夏の花だけあって日差しが大好き。半日以上、日光にあたる場所を用意しましょう。あんどん仕立てが中心ですが、マンデビラよりつるが伸びないので、支柱なしで育てることも可能です。 元は熱帯産なので地域によっては室内に取り込んでも冬越しできない場合もあります。1年草と割り切って楽しむのもようでしょう。うまく冬越しすると茎が木質化し、より見ごたえのある株に育ちます。冬越しを何度も繰り返した株は根が太くなり、とても丈夫になります。

 サンパラソルの詳細情報

 園芸分類:草花 耐寒性 弱い 耐暑性 強い 花色 白、赤、ピンク

 開花時期 5月~10月頃

サンパラソルの種類・品種

 品種によって若干、開花期に違いがあります。調整して植えると、初夏から秋口まで長く花を楽しむことができます。いずれも原種のマンデビラより直射日光に強いのが特長。花のバリエーションだけでなく、近年の気候変動も考慮してメーカーは新品種を作出しているのです。 つるが長く、様々な形に仕立てやすい「サンパラソル・ビューティ」、グリーンカーテンにも使える「サンパラソル・ジャイアント」などがあります。

★ヤナギバルイラソウ Ruellia simplex はキツネノマゴ科ルイラソウ属の栽培種。ルイラソウ属は約250種があり、世界の熱帯~温帯に広く分布する。ヤナギバルイラソウは広く栽培され、USAで帰化し、日本でも野生化が報告されている。いくつかの品種があり、高さ30㎝以下の矮性種や、花は紫色の他にピンク色、白色、淡紫色などの品種もある。

 低木、直立~広がり、高さ1m以下、ほぼ無毛の低い低木状。葉は無柄、線形又は線状長楕円形、長さ6~30㎝×幅5~16㎜、上面は脈が帯白色、基部は長く漸尖し、縁は全縁又はやや波打ち、先は鋭形。花は青紫色、頂生する葉のある散房花序状の円錐花序に、疎につく。苞は線形、長さ1~2㎝、鋭形。小苞は無い。花柄は長さ1.5㎝以下。萼は5裂、萼片は線形、長さ5~6㎜。花冠は外側が無毛、花冠筒部は長さ2~2.5㎝、下部は円筒形、上部で広がる。花冠の拡大部は裂片が開出し、長さ1~1.5㎝、先は円形、やや円鋸歯状。雄しべは突き出さず、花糸は無毛。葯は長楕円形、長さ約3㎜。花柱は糸状、長さ約2㎝、突き出ない。柱頭はわずかに曲がる。蒴果は楕円形、扁平、長さ1.8~2㎝、無毛、先が尖り、種子が12~14個入る。種子は円形、直径約2.5㎜、褐色。花期は4~11月。

サフランモドキ
サンパラソル
ヤナギバルイラソウ

2024.08.09 記す。

★ヘチマ(ウリ科)の写真を張りつけた

原産地はインドを中心とする熱帯アジアで、およそ2000年以上前から作られており、中国に伝わり日本には1600年頃に伝わった。古い書物には、「農業全書」(1697年)には、若い果実を食用とする、と有り、かなり昔から、食用にされていた。

ヘチマの花

 ヘチマはツルレイシ同様熱帯性の1年生つる植物で、ウリ科のなかでは特に耐湿性が高く、湿気のある肥沃な用土で育てるとよく育つ。低温、多湿、乾燥を嫌い、25~30℃を成育温度として、ウリ科の中でも高い方。また、多日照で果実肥大がよく、土壌適用範囲は、広くpH6.0~pH7.5程度が良い。

①花が見みられる季節せつ 夏~秋( 7 ~ 10 月)

②花の大おおきさ5 ~ 10 cm

③葉はの形かたちてのひらのように深ふかくさけた形

④全体たいの高たかさ3 m 以上

 体だのつくり

花は、黄色ろで、花びらが 5 つにさけている。めばなとおばながあり、めばなの根ねもとに小さいキュウリのようなふくらみがある。

 葉は、てのひらのように深くさけて、先さきがとがっている。

 くきは、細ほそ長ながくて、まきひげでほかのものにからみつく。

 実は、長さが 30 ~ 60 cm の細長いつつのような形で、先が少すこしふくらんでいる。たてに浅いみぞがある。

 育ち

 春にたねから芽め生ばえて、夏にかけて大きく成長し、花をさかせる。夏から秋にかけて実が大きくなる。実がじゅくして、たねができたあとはかれる。

 じゅくした実をかんそうさせて、たわしとして利用ようすることができる。

★糸瓜咲て痰のつまりし仏かな・痰一斗糸瓜の水も間にあはず・をとゝひのへちまの水も取らざりき


▼『病牀六尺』正岡 子規著 (岩波文庫) 1984年7月16日 第26刷改版発行

 一

●病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余りにも広すぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、布団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るのは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさわる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じはまずこんなものですと前置きして(以下略)P.7~

(五月五日)

●草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると造化の秘密が段々分かって来るような気がする。

(八月七日)

参考:『この世 この人生』の著者:上田三四二さんが、書くことが生きることであった子規が、飽くなき好奇心をもって、死の2日まで書き続けた随筆集《解説=上田三四二》

 その解説の最後の部分に、『病牀六尺』の最後の回の載った翌九月十八日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句を書付けた。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」。痰を切り、ひと息いれて、「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」。またひと休みして「をとゝひのへちまの水も取らざりき」。そこで、筆を投げた。穂先がシーツをわずかに汚した。そしてその日のうちに昏睡におちいった子規は、越えて十九日の午前一時に、息を引き取る。三十六歳。いまふうに数えて、三十五歳になる直前であった。

追加:子規の著作に『仰臥漫録』(岩波文庫)がある。子規が死の前年から明治34年9月から死の直前まで、俳句・水彩画等を交えて赤裸々に語った稀有な病牀日録。現世への野望と快楽の逞しい夢から失意失望の呻吟、絶叫、号泣に至る人間性情のあらゆる振幅を畳み込んだエッセイであり、命旦夕に迫る子規の心境が何の誇張も虚飾もなくうかがわれて、深い感動に誘われる。(解説-阿部 昭):表紙の文章から。

2024.08.12 記す



★流星群


平成六年九月一日の記事

 八月十一日~十二日、カシオペア座あたりに流星群が見られるとテレビ報道。十一日夜、庭からしばらく北の空を見上げたが流れ星に出会わなかった。

▼十二日朝三時三〇分、岡山市を貫流する旭川の分流の百間川の河川敷に出かけた。徒歩十二分。三時四十二分からベンチに仰向けに寝ころんで本腰の観察開始。川面を渡る風が涼しい。目標の星座は南中より少し東寄りだがほぼ真上、真北に輝く北極星に向っている。オリオン座は東の空、仰角十五度。ときおり、星を隠す雲は適当な速さで動き、観測にさわりない。はたして放送通り星が流れるのだろうかと待つこと七~八分、最初の流れ星がカシオペア座に近い南側を光の尾を引いて西へ。その後、時間間隔はまちまちに西、南、北北西へと。速い、緩やか、長い、短い、火の球、痕と飛ぶ。四時二十六分までのわずか四十四分間に七個、正に予想された“はしりぼし”の出現。

▼観測の終わりを告げるかのように芥子山の稜線が白み、曙の空は茜色に染まりはじめ、満天の星の輝きはよわまり、目覚めた水鳥の鳴声がひと声ふた声。帰り途、朝を迎える立秋の虫の声に追憶の夏の銀河が脳裏によみがえった。

★今夜 ペルセウス座流星群が極大 1時間あたり40個程度 見られる所は? 2024.8/12(月) 8:07配信

 今夜、三大流星群の一つであるペルセウス座流星群が極大を迎えます。空の暗い場所での流星数は、1時間あたり40個程度が期待されます。関東から九州、沖縄は晴れる所が多く、流れ星を見られるチャンスです。 ペルセウス座流星群が極大

 三大流星群の一つである「ペルセウス座流星群」が今日12日23時頃に極大になると予想されています。今日12日深夜から明日13日未明にかけて、多くの流れ星が見られるでしょう。

 国立天文台によりますと、21時頃から流星が出現し始め、夜半を過ぎて薄明に近づくにつれて流星の数が多くなると予想されています。最も多く流星が見られるのは明日13日の夜明け近くで、空の暗い場所での流星数は、1時間あたり40個程度が期待されます。 22時30分前後に月が沈むため、流星群が多くなる夜半から明け方までの時間帯は月明かりの影響もなく、良い条件のもとで観察できそうです。

※参考:ペルセウス座流星群観測ガイド - 倉敷科学センターがインターネットで見れます。

2024.08.12 記す。

★第三十九候「蒙霧升降 (ふかききりまとう)」 8/17~8/22頃

 七十二候が立秋の末候に変わり、深い霧が立ち込める頃となりました。

「蒙霧」とは、もうもうと立ちこめる濃い霧のことをいいます。

 この時期の早朝、特に前日に雨が降り、空気が湿り気を含んでいる時には、山や水辺に白く深い霧が立ち込め、幻想的な風景が見られることがあります。

 残暑の厳しさは相変わらずですが、朝夕はひんやりとした空気が心地よく感じられる季節です。

 岡山県高梁の雲海

 霧は、地面に近い空気が冷やされ、水蒸気が凝結することで非常に細かな水滴となり、空気中に浮かんでいる状態をいいます。

 また、霧は発生する場所によって「盆地霧」「都市霧」「海霧」「山霧」「谷霧」「川霧」といろいろあり、そのでき方によっても「放射霧」「移流霧」「蒸気霧」「前線霧」「上昇霧」などに分けられます。

 ちなみに霧と雲は現象としては同じですが、大気中に浮かんでいるものが「雲」、地面に接しているものを「霧」と呼びます。

 麓から眺める山にかかった雲も、実際に雲がかかっている部分にいる登山者にとっては、霧 (山霧) なのです。

2024年08月17日(土)

誕生日花:ノコギリソウ(キク科)花言葉:戦い 忠実

参考:2023年8月18日毎日新聞のコラム:余録

 葉の形状からその名がついたノコギリソウは…

 葉の形状からその名がついたノコギリソウは本州から北海道にかけての山地に広く分布し、夏に白い花を咲かせる。種類は多いが、日本の近代史が刻まれた和名を持つのがシュムシュノコギリソウである

▲かつて日本領だった北千島最北端の占(しゅむ)守(しゅ)島が名の由来だ。カムチャツカ半島と海峡を隔てた島には第二次大戦末期、2万を超える精鋭部隊が置かれた。北洋漁業を行う日本企業の缶詰工場もあった

▲島で戦闘が始まったのは玉音放送から3日後の18日未明。8日に対日参戦したソ連軍が上陸し、日本軍が反撃して双方に多くの犠牲者が出た。日本側が優勢だったが、停戦交渉を進めて5日後に武装解除した

▲浅田次郎さんの小説「終わらざる夏」は日ソ両軍に加え、缶詰工場に動員された女性従業員の視点も交えて描かれている。数百人いた女性従業員は全員が停戦前、小型船に分乗して脱出した

▲ソ連軍は9月上旬にかけて北方領土を含めた千島列島を占領した。満州、樺太(サハリン)にも侵攻し、占守島を含めた残存兵はシベリアなどに抑留された。終戦後も長く戦争の悲劇が続いたことを忘れることはできない

▲スターリンが抑留を命じた8月23日に東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑でシベリア抑留犠牲者の慰霊祭が開かれる。過去にはロシアの団体がサハリンや占守島で収集した日本兵の遺骨を自主的に返還してくれたこともある。だが、ロシアのウクライナ侵攻で人道協力も難しい状況になった。新たな戦争が鎮魂の思いを妨げている。

★ブナ

 ブナは、落葉広葉樹の樹木で、名前の由来としては、風が通り抜けた時に「ブ〜ン」といった音がすることからブナという名前が付けられたとも言われております。ブナは、世界中に約120種近く存在していると言われ、高さが50メートルを超えることもあり、大きな木をもつことが1つの特徴になります。ビーチ(ビーチ材)といった言葉が用いられることもありますが、北海道南部から本州、四国、九州の山の奥地に多く生育するのがブナ(ブナ材)、EUの中・西部、イギリス、北米東部全域など海外に生育しているのがビーチ(ビーチ材)といった名前で使い分けられています。(ブナを英語で訳すとビーチになり、木材としては同じ種類になります。)

 ブナの木材は、建築材、家具材、工芸品などに利用されることが多く、それ以外にも内装材、床材、ベニヤ材、スキー板、筆やハケ類の柄、木製玩具、楽器の鍵盤などに使用されたり、食器にも用いられることがあります。

★石鎚山登山


昭和六十一年六月二十八日(土)3:44起床

1、6:00 TV予報 曇りのち雨、70~80%。26日、27日は雨が降らなかったのに。

2、6:10 雨が降りはじめる。雨モヨシ 晴レルモ マタヨシを思い、雨の登山で行けるところまで行けばよい。藤井達彦君、伊藤一雄君に気の毒。

3、8:30 伊藤一雄君の運転で藤井達彦君と二人で渓石荘に迎えにきてくれる。

4、9:00 小松駅にI君の友人レイヨンの女性をピックアップ。

5、9:50 ロープウェイ前下谷駅に着く

6、10:00 出発  10:07 成就駅(標高:455m)に着く、ロープウェイに乗る。リフト終点(標高:1,440m)まで一気に上る。雨雲にさえぎられ駅が見えなくなる。緑は雨でみがきがかけられる。7月1日の山開き準備のために白装束の人10人ぐらい乗っている。

7、成就社に参る。展望台から歩いて傘をさし黙々と、道ばたの木に植物の名札がかけられている。運動靴のなかまで濡れる。

 成就社に礼拝。おみくじ(50円)。

 周囲を散策 ブナの木をはじめて見た。

 当日、石鎚山登山は途中までで降雨のため下山。

※参考:大原總一郎は、東大を卒業して入社後、すぐに新居浜に赴任して倉敷絹織(クラレの前身)の工場新設にあたった。また新婚生活も新居浜で始めるなど東予地方とは縁が深い。新居浜工場は戦争の時代に国によって接収されてしまったが、西条工場だけは戦時中も、操業を続けた。非軍需工場として生き残ったのは、宮崎延岡の旭化成の工場とともに全国で2つだけであったそうだ。

總一郎は自社の工場がある西条を年に2回は訪れた。そして、同じ東予地方でも住友一色の趣がある新居浜とは違い、クラレが早くから地域に馴染んでいた西条では、まるで郷里に帰ったような居心地の良さを感じていたという。とりわけ、定宿にしていたクラレの寮、渓石荘と工場との行き帰りに目にする旧西条藩陣屋あたりの街並みは、故郷倉敷の美観地区に似たところがあって、とても深い愛着をもっていたそうだ。

2024.08.17 記す。

★白樺とつけペン軸

 中学生3年生のときつけけペン軸をいただいた。室蘭高等工業学校在学中のひとから土産ものとしていただいた。白樺の木からつくったものであることでした。

 白樺はカバノキ科カバノキ属の落葉樹で、フィンランドの国樹としても有名です。

「シラカバ」と読まれることが多いですが、正しくは「シラカンバ」。漢字の通り、「白い樹皮のカバの木」という意味があります。

日本では、信州や北海道などで多く見られ 、札幌近郊の都市、小樽市や千歳市などでは市の木として指定されています。

真っ白な幹が高原を明るく爽やかな印象にしてくれることから、「高原の白い貴公子」と呼ばれることも。春の新緑や秋の紅葉も美しく、その見た目から住宅地や公園に植えられることも多い樹木です。

つけペン軸白樺

2024.09.22 記す。



★こだま[木霊]


平成七年八月二十日の記事、

 富士山を北方に仰ぐ裾、御殿場(富士社会教育センター)での実践人夏季研修会(平成七年八月十九日~二十一日)に参加した。八月二〇日の朝、ボカシ絵のような富士を見ることができた。この時季、見えるのは珍しいそうだ。会場の職員の指導で全員が軽い体操を行ったあと、自然観察:双眼鏡野鳥観察・虫眼鏡地表観察・聴診器樹の聴音をおこなった。参加者は思い思いの観察に散らばった。

▼樹のなかを通る液体が流れる音の話はきいていたが、一度も耳にしていなかった。数人の人と同行した。呼吸音、心臓の鼓動を確かめたりしたあと、まず、二人が、樹の音が聞こえるという。私は、耳が遠く、耳鳴りがしているので、聞き取れるかなと思いながら、径約三十センチ、高さ約二十メーターの杉に聴診器を当てた。かすかに聞こえているようだ、だが、耳鳴りかも知れない。木から離すと、どんな音もきこえない。二、三度繰り返しても同じだったので、木の音だと納得、神経を集中。新幹線が静かにトンネルの中を走っているときの変動の少ない連続音の感じだった。

▼目に見えない地下の毛根、細根、主根を通して、いのちの水を高く、こずえまでおしあげている。ひとときも、何年も休まず。樹木に宿る精霊と考えられた木霊の音を聴いている思いがした。

参考:こだま[木霊]は『広辞苑』にも記載されています。

★2024.08.20 Zag Zag に近いお宅の花畑に咲いていた花を撮影検索した。

 デュランタ Duranta erecta (クマツヅラ科 ハリマツリ属)

 沖縄や奄美大島などの温暖な地域の庭先、美しい紫色の小さな花が群れ咲いている。栽培植物なのであまり気にしていなかったが、最近は苗を売っているのを見かけるようになった。調べてみるとデュランタの『宝塚』という品種であることが分かった。なるほど、華々しい花である。

 デュランタはメキシコから南アメリカ、カリブ原産の常緑低木であり、熱帯から亜熱帯の地域で鑑賞用植物として広く栽培されているそうだ。オーストラリア、中国、南アメリカなどでは野生化し、帰化植物となっている。温暖な地域の植物であるが、霜に当たらなければ越冬するとの事。こんな植物が栽培できるのも、温暖化の為であろうか。

 英語名は dewdrop, pigeon berry, skyflower など。前2者は「露のしずく」、「鳩の苺」であり、実った果実に因むものであって、果実も美しいらしい。最後のものは「青空のような色の花」ということであろう。原種では白色からピンクの花もあるらしいが、「宝塚」の白縁取られた濃い紫のものしか見たことが無い。

 果実は有毒とのことだそうで、人間は食べられないが鳥は大丈夫だそうで、熱帯域の島などでは鳥によって散布されて侵略的植物として防除に苦労しているそうだ。新たな侵略的植物にならぬよう、沖縄など、温暖な地域では野生化に気をつけなければならない。

2024.08.20 記す。

★サルスベリ

 夏に咲く花の代表といえば、美しい花笠のように見えるサルスベリ(ミソハギ科)。

「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅(加賀千代女)」という句にあるように、強い日差しを浴びて、枝元の方から先へ順次咲いていく花です。

中国原産で落葉小高木、幹は薄茶色。花をつけている期間が非常に長いので漢字では百日紅と書きます。また、猿も滑って落ちるといわれるほど木肌がスベスベしているので、猿滑りというユーモラスな名前がつけられました。

花期は7~10月、花色は淡紅、紅、白があります。昔は寺院木として、今は庭木や街路樹として用いられ、材質は緻密で腐りにくく硬いので土木杭、床柱、木工細工物、舟材などにも用いられています。

花は朝開いて夕方には落ちる一日花ですが、蕾を多く付けるため花が途絶えることがありません。日々、新しい花を咲かせる姿を楽しみたいですね。

2224.08.21 記す。

★ クヌギ(椚)

学名:Quercus acutissima 科属名:ブナ科コナラ属 分布:本州(岩手県・山形県以南)、四国、九州、沖縄 クヌギは日本に限らずアジア東北部からヒマラヤにかけて分布する。「国の木」が語源とされるほど日本人には馴染み深く、古事記や万葉集にもその名が登場する。材はかつて薪炭材とされていたが、現在ではシイタケ栽培の原木として利用されている。

※堅果は直径2cmと大型で、下半分はお椀型の※殻斗に包まれている。大型のどんぐりのため、狩猟採取時代にはクリやトチノキと並び重要な食糧で、クスノキの殻斗や樹皮の煮汁は、染料に使われていた。

※堅果(けんか)…クリの実やどんぐりのように、皮が堅い果実。下がお椀のようなものに包まれている。

※殻斗(かくと)…クリ・クヌギ・シイ・コナラなどブナ科植物の堅果の一部または全部を包むお椀形または球形の構造。

クヌギ
原木クヌギに椎茸

2024.08.22 記す。

★2024.08.23 ラジオ体操広場に近い菜園に植えられていた植物をGoogle 画像で検索して、オクラだと記載されていた。

2024.11.10 1.2 メートルほどの高さに成長していたオクラが刈り取られていた。

 オクラの原産地はアフリカの北東部です。

 本来は多年草ですが、日本の気候では冬越しが難しく、一年草として育てられています。

 暑さには強いため、夏に収穫できる野菜として人気です。 ひとつの株から次々と花を咲かせて実をつけるため、適切に管理できればたくさん収穫が行えます。

 栄養豊富な夏野菜

 オクラは栄養豊富で夏野菜として人気です。

 独特のネバネバは、ペクチンやガラクタン、アラバンなどの食物繊維に由来するものです。

 とくにペクチンは、整腸作用があることで知られています。 ほかにも、オクラにはβカロテンやビタミンB1、ビタミンCなどが豊富に含まれています。暑い季節でも元気に過ごしたいときは、ぜひオクラを使った料理を食べてみましょう。

 品種豊富なオクラ

 オクラにはさまざまな品種があります。主に異なるのは実の形や色です。

 赤い実をつけるものや、断面が五角形のもの、丸いものなど、幅広い種類があります。

 変わり種としては、花の部分を食べる「花オクラ」が知られています。ふんわりと柔らかいオクラの花は、実とおなじようにネバネバしており、サラダや天ぷらなどに使われます。

 また、実の大きさも品種によって異なります。よく見かけるオクラは実が10cm程度ですが、なかには20cmを超えるまで大きくなるものも。ぜひ育ててみたい品種を探してみましょう。

参考:AN ENGLISH LITERARY CALENDAR 英語歳時記 普及版(研究社出版)P.904

okra, gumbo オクラ  

学名 Abelmoschus esculentus. アメリカ南部および西インド諸島にひろく栽培されるアオイ科の植物、このオクラのさやのこともいう。ゆでて野菜サラダに用い、あるいは成熟したさやのなかの種子は炒ってコーヒーの代用品となる。オクラはスープにもなるし、ゆでて、たたいてとろとろのようにしても食える。標準名はアメリカネリ、別名オクラ、ガンボ。1年草。高さは2mにも達し、わが国のタチアオイに似ている。エジプト原産のは7~8月にかけて直径3~4cmの単横色のタチアオイに似た花をひらく。長い六角錐状のさやのなかに2~3mmの実がいっぱいつまっている。わが国でも戦後高給野菜のひとつとして喜ばれるようになった。

※名前の由来:オクラという名前は、アフリカ・ガーナ地域の言葉「nkuruma」に由来し、英語の「okra」から来ています。ドイツ語やオランダ語、スペイン語でも「okra」と表記されます。

オクラの木
オクラの花
オクラの実

2024.08.23 記す。

★第四十候「綿柎開 (わたのはなしべひらく)」 8/23~8/27頃

 七十二候が処暑の初候に変わり、綿を包む「柎=花のがく」が開き始める頃となりました。

 綿は、7~9月にかけて黄色い花を咲かせ、実をつけますが、その実はやがてはじけ、ふわふわとした白い「綿毛」が顔をのぞかせます。

 綿花

 この種子を覆っている綿毛は「コットンボール」とも呼ばれ、これを集めて紡ぐことで、糸や木綿が作られます。

 また、繊維を採取した後の種子からは「綿実油 (めんじつゆ)」が採られ、食用油として利用されます。

 ちなみに綿は、植物としての呼び名は「わた」、製品になると「めん」と呼ばれます。

★羅(らっきょ)


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.20

 昔僕らが子供のころ、ある漬物屋の主人にラッキョというあだ名をつけた。あまりきれいでないつるつる頭が実にラッキョの形だった。いつも前掛けをして店先に坐っていた。  羅は、漬物屋の店先まで来ると、すっかり甘ずっぱくなって「楽京」と書かれる。猿が熱心に羅の皮をむいているのは昔からよくある光景だ。ただ、訊ねてみると、そんなところを実際に目撃した者はほとんどいない。みんな見たことがあるような気がしているだけだ。

 皮をむく。そう、正確に言えば鱗片葉(りんぺんよう)を剥いでいるのである。猿のしゃがんでいるあの容子。あの内股の足つき。そして、黒い爪の指先は、人間そっくりだと思ってみていると、リウマチにかかっているようにも見えて来る。

 これが最後だぞ。あれ。今度はどうだ。猿も「畜生」といって舌を打つ。今度こそはうめえものが出て来るぞ。はてな???

 ついに放り出された。小さくなった羅は、中(ちゅう)っぱらの、時々歯をむき出している猿に言うのだった。

 仕合せだぜ、君は。腹を立てながらも、あたしの着物を一枚一枚脱がせながら、勝手な夢を見続けているじゃないか。

 そうだ、包丁を持ってざっくりとやることを知らない猿は、それだけ人間よりも幸福である。

※らっきょうの植え付け時期は8~10月ごろで、収穫時期は翌年の6~7月ごろです。収穫の目安は、球が肥大し葉が黄化したころです。

らっきょの花
らっきょ漬物

2024.10.11 記す。

★第四十一候「天地始粛 (てんちはじめてさむし)」 8/28~9/1頃

 七十二候が処暑の次候に変わり、ようやく暑さがおさまり始める頃となりました。

「粛」は縮む、しずまる、弱まるという意味で、夏の気が落ち着き、万物が改まる時季とされています。

 天気図には秋雨前線が登場し、北の方から冷たい空気を運んできます。

★葛


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.34

 秋風が山を撫でる。山が白っぽくなる。葛の葉がその裏を見せるからだ。これが山の木々にからみつくと、秋が奇妙に荒れ、もうこれですべてが終るという感じだ。年寄りは寂しがる。

 僕はそれまで老人の寂しさというものをどうでもいいと思っていたが、こんなことがあった。お前何かすることあるのか。おれもやるから、あの葛を退治してくれないか。老人の顔と、風にあおられは白々とする葛を見較べているうちに、老人の寂しさが分って来た。

 土手をのぼった。薄を分け、滑り落ちそうになりながら、木々にからまっている葛を見つけると、根もとの方を鉈(なた)でぶっ切り、腕にからませておいて力一杯に引張った。頑強な葛は、茎を断ち切られても一向に平気だった。時には、その蔓をもって、僕は松の枝から飛び降りた。風の強い秋の一日、老人を寂しさから救うために、僕は汗を多量に流し、みみずばれを足にも手にも、頬っぺたにも作った。その老人は僕の父なのだが、そうして一日の努力で、目の前の土手の葛はあらかた退治は出来ても、寂しさはきえなかったようだ。

 僕はその時以来、山道を歩いていても、葛を見つけると、つい目のかたきにする癖がついてしまった。葛の葉のうらみというのはこれである。

2024.10.25 記す。

★イタリア トリノ・イタリアの化学者アボガドロ 


2024年09月01日(日)長月

 2024 September  分子論の基礎の確立[イタリア]

「同じ圧力、温度、体積であれば、すべての種類の気体には同じ数の分子が含まれる」

1811年にイタリアの化学者アボガドロが発見したこの法則は、

分子という概念を初めて提唱した点でも評価されています。以上、カレンダに記載されている。

 アボガドロ(アメデオ=)

(1776〜1856)イタリア北部トリノ生まれの物理・化学者。はじめ法律ほうりつの勉強をしたが,1800年ころから数学や物理学を研究し,1809年に王立学校の教授になった。1811年に,気体に関するアボガドロの法則(はじめこの説はみとめられず,アボガドロの仮説とよばれた)を発表し,分子論・原子論の基礎を確立した。⇒アボガドロの法則

上記のクラレカレンダー:2024年9月の写真をGoogleの画像で検索した。

「イタリア・トリノ」であることがわかった。

 たまたま、2024.9.1 Webで「トリノ王宮のプライベートウォーキングツアー」が掲載された。

 そこで、更にGetYourGuide | 公式サイトで検索すればいろいろツアーの案内がある

2024.09.01 記す。

★第四十二候「禾乃登 (こくものすなわちみのる)」 9/2~9/6頃

 七十二候が処暑の末候に変わり、稲などの穀物が実り始める頃となりました。

「禾」は「いね」や「のぎ」とも読み、稲・麦・稗・粟などの穀物を総称した言葉です。

 日に日に稲穂はこぼれるように実り、黄色く色づき始めます。

 稲穂が頭を垂れるといよいよ刈入れ間近ですが、この時期は台風が多く、農家の人々はまだまだ気が抜けません。

★おやまぼくち


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.59

 まだ雪のちらついている深い谷や、雪がほとんど氷となっている風あたりの強い高原には春の訪れがない。しかしもし誰かが、その雪や氷を掘ってみれば、その下には春の営みをきちんと準備している草の芽を発見するだろう。

 南アルプスのかなり長かった山脈から、どうにもすぐ帰るのがいやだった僕は、信州の霧ケ峰に知人の山小屋を訪ねた。そしてその翌朝、気温は零下十一度に下り、強い風の中を晴れた車山の方へ登って行った。

 縞(しま)になった、かりかりの大斜面だが、その一面のまばゆい白の中に、去年の秋、一きわ丈高くのびて咲いたおやまぼくちの、枯れたまんまの花が、雪面から顔を出して、いかにも嬉しい頑固もののように立っていた。

 それには、僕たちが海老(えび)の尻尾と言っている氷片がこびりつき、枯れた花ながらしまめ面をしているように見えた。ポケットから小型の写真機を出し、その影などを考慮に入れて三枚撮っておいた。

 雪の下の、この春先は萌え出す新しいおやまぼくちは、今にここに立っている亡霊のような頑固者の姿を知らない。亡霊のようなといったけれど、帰ってから五本のフィルムを現像すると、おやまぼくちを撮ったはずの三枚だけが何も出ていなかった。

※参考:オヤマボクチ(雄山火口)とは

キク科の多年草です。 オヤマボクチの名の由来は火を着火させる際に火口として利用されたからその名がついたそうです。

挿絵おやまぼくち

2024.11.21 記す。

★ちょろぎ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.48

 甘党である僕は、正月の御馳走は何でもきれいに食べる。しかし黒豆の、てらてらの光の中に真紅のちょろぎがはいっているあの赤と黒は、目と口とを同時に楽しませてくれるのが好きだ。

 梅酢につけられたちょろぎを、普段食べようと思うとなかなか買えない。毎年正月になると、庭に栽培しようかと思う。そして山歩きの時に梅干しの代りに持って行ったらと思う。

 ちょろぎがどんな植物の根であるかを知っている人は案外少ないようだ。僕は、ジャン・ジャック・ルッソオの、植物に関する幾つかの手紙を読んでいる時に、 epiaire という植物にぶっかった。「わたくわっこう」と手元の辞書には出ているが、どうにもならないので、あっこっちと植物の本を歩き回ると、最後にちょろぎにぶつかり、これを覚えることが出来た。

 地下茎の先に、どうしてこんな塊茎が出来るのか、まるでガラガラ蛇の尻尾みたいだ。その後、西洋料理ではこれをゆで、バターいためにし、グレピーソースをかけて食べるということを聞いた。うまいかどうか、食べたことはない。原産地の中でその存在を主張させておいた方がよさそうである。

 現在、庭でちょろぎを栽培するという念願がかなった。うんと殖やし、梅酢につけたり、バターいためにしたり、また新しい料理を考えてやろう。

※参考:ちょろぎの由来には、次のような諸説があります。

中国語の「朝露葱」が日本語読みされたもの

韓国語でミミズを意味する「チョロンイ」が転じたとされるもの

ちょろぎはシソ科の植物で、中国が原産とされており、江戸時代に日本に伝わったと言われています。おせち料理の定番として梅酢漬けの赤いちょろぎがよく使われ、縁起をかついだ漢字表記が当てられています。

ちょろぎは、次のような意味が込められています。長寿を願う、健康でまめに長く働くことができるように、 子孫繁栄。

ちょろぎは、1つの種から多くの塊茎(かいけい)が収穫できることから、「子孫繁栄」の願いも込められた縁起物です。

挿絵ちょろぎ

2024.11.21 記す。

★あかざ


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.213

 川沿いの道を雨あがりに歩いた。僕が全部うつって、まだ雲が三つもうつるくらいの水たまりが道をさえぎっている。そのあたりが全体赤っぽいのはあかざがいっぱいあって、わかい葉の赤紫色のせいだった。それが白ければしろさだ。この赤紫は前から気になっていたが一種の粉状のものである。僕はどうもある種の色に酔う性質があるらしいが、それが必ずしも快い気分に発展してくれるとは限らない。

 なぜこんな粉をふかなければならないのか、それがなぜ赤かったり白かったりするのか。僕は葡萄の実の表面につく粉やその他のものを考えながら、家に持ちかえって拡大鏡でみると、細かいぶつぶつが、一つ一つ光っている南京玉だ。これをつないで、幾人の少女のくびを飾ることが出来るだろう。植物生理の本を読みなおす前にそんなことを考えて遊んでしまう。そして悲しい気持ちでこの草をうでて食べた戦争のころを思い出したが、その当時あかざを食べすぎてひどい火傷(やけど)のような「アカザ皮膚炎」にかかった人もいる。まさかこのきれいな南京玉がいけなかったのではあるまいか。

挿絵あかざ

2024.10.25 記す。

★アカザとシロザ


 牧野富太郎著『植物一日一題』

 世間の人々、いや学者でさえもアカザとシロザとを区別せずに一つに混同してアカザと呼んでいるが、これはその両方を区別していうのが本当で正しい。しかし元来この二つは共に一つの種すなわち species の内のものであるから両方がよく似ている。シロザが正種で学名を Chenopodium album L. といい、アカザがその変種で Chenopodium album L. var. centrorubrum Makino といわれる。このシロザは原野いたるところに野生しているが、アカザは通常圃中に見られ、あまり野生とはなっていないのが不思議だ。これは昔中国から渡り来ったもので中国の名は藜レイである。また紅心灰「藋」、鶴頂草、臙脂菜エンジサイの別名もある。

 アカザの葉心は鮮紅色の粉粒を布きすこぶる美麗である。そしてその苗が群集して一処にたくさん生え嫩わかき梢すえを揃えている場合は各株緑葉の中心中心が赤く、紅緑相雑わって映帯し圃中に美観を呈している。

 茎はその育ちによって大小があるが、それが太くて真直ぐに成長したものは杖となる。中国の書物にも「老フル時ハ則チ茎ハ杖ト為スベシ」と書いてある。すなわちこれがいわゆる藜杖れいじょうでアカザの杖をついておれば長生きをするといわれる。

 アカザはまた一つにアカアカザともオオアカザとも江戸アカザとも、またチョウセンアカザとも称する。そしてアカザの語原は判然とはよく分らないが、そのアカは無論赤だが、ザはどういう意味なのか。書物に赤麻アカアサの約と出ているが、この想像説には信を措き難い。貝原益軒かいばらえきけんの『日本釈名にほんしゃくみょう』には「藜アカザ、あかは赤なり、さはなと通ず赤菜なり」と書いてあるのも怪しい。

 シロザは一つにシロアカザともアオアカザともまたギンザとも称える。その漢名は灰※(藋)カイテキである。葉心は白色あるいは微紅を帯びた白色の粉粒をその嫩葉に糝布さんぷしている。

 アカザもシロザも共にその葉が軟くて食用になる佳蔬であるから、その嫩葉を摘むことの出来る限り、大いにこれを利用して食料の足しにすればよろしい。

※参考:「藋」の一字は「れいじょう」と読み、植物の「あかざ(藜)」の異名です。

※参考:宋 戴益(701~761)の詩:「探 春」

 春を探る <戴 益>

 尽日春を尋ねて 春を見ず

 杖藜踏み破る 幾重の雲

 帰り来りて試みに 梅梢を把って見れば

 春は枝頭に在りて 已に十分

とある。

しろざあかざ

2024.11.05 記す。

★ヒゴタイ花の花を張りつけた。

 ヒゴタイという花、ご存知ですか? 丸いポンポンのような瑠璃色のかわいい花。

 ヒゴタイはキク科ヒゴタイ属の多年生植物、氷河時代の残存植物のひとつなのだそうです。

ヒゴタイの和名の漢字表示は「平江帯」または「肥後躰」と書きます。花言葉は「実らぬ恋」。

 分布は西日本(愛知県、岐阜県、兵庫県、広島県)、そして九州の特定箇所で確認されています。 特筆すべきは、レッドリスト(絶滅危惧種)に指定されているほど貴重な花なのです。

 九州のヒゴタイ

 九州でヒゴタイを見ることができるのは、阿蘇くじゅうの高原、日当たりのよい草原地帯です。 こちらではもともと自生しており、どこでも見られたようですが、今では限られています。 開花時期は8月中旬から9月にかけて、青紫色の頭花が多数集まり、5センチほど球状の花を咲かせます。 上の方から咲いてくるので、最初はツンツン頭のようでなんともかわいいんです。


余録 江戸時代の儒学者、貝原益軒は…

 熊本県産山村の草原で瑠璃色の花を咲かせたヒゴタイ=2024年8月25日午前11時50分、津島史人撮影

 草原の維持に野焼きは欠かせない。枯れ草が勢いよく燃え、黒く染まっていく熊本県阿蘇市の草千里=2024年3月9日午前10時38分、中村園子撮影

 江戸時代の儒学者、貝原益軒は薬学者でもあった。「本草(ほんぞう)学者」と呼ばれ、国内の植物などをまとめた事典「大和本草」を編さんした。そこに「平江帯(ヒンガウタイ)」という植物が登場する。「花ルリ色ナリ葉ハ敗醬(おみなえし)ニ似タリ」と記す

▲キク科の「ヒゴタイ」のことだ。8月のお盆の頃、瑠璃色で球状の愛らしい花を咲かせる。だが、近年は数を減らし、絶滅危惧種に指定される

▲大陸から日本に入ったのは氷河期。現在は東海、中国、九州地方に点在するが、気温や降水量などでは説明がつかない不思議な分布という。なぜなのか

▲ヒントは「草原」だ。縄文時代以降、日本は湿潤な気候となり、草原は森林に変わっていった。今も草原が存在するのは、地域の人々が利用してきたからだ。かやを屋根や家畜の飼料に使い、野焼きで大きな木が育たないようにする。そんな営みが草原を守り、そこで生きるヒゴタイも現代まで残ることができた

▲生態学者の湯本貴和・京都大名誉教授は「ヒゴタイは、草原が人によって管理されてきたことの生き証人」と話す。ただ、絶滅の危機の背景には草原の減少がある。湯本さんたちは全国の草原を守ろうと、「未来に残したい草原の里100選」というプロジェクトを進める

▲これまでに53カ所が選ばれた。ヒゴタイを村の花とする熊本県産山村の阿蘇の草原も含まれる。ヒゴタイの見ごろは例年は9月中旬まで。しかし、産山村では台風10号の影響で多くの花が倒れてしまったそう。来シーズンの復活を祈りたい。

2024.09.02 記す。

★茶の花


薄田泣菫著『艸木虫魚』misosazai.jfif

 茶の花が白く咲いた。

 茶は華美はで好きの多い草木のなかにあって、ひとり隠遁の志の深い出世間者である。裏庭の塀際か、垣根つづきに植えられて、自分の天地といっては、僅に方丈の空間に過ぎないことが多いが、唯いたずらに幹を伸し、枝を拡げるのは、自分の性分に合わないことを知っているこの灌木は、いかにも隠遁者らしい恰好で、まるまると背を円めて地べたにかいつくばっている。春から夏へかけて、多くの草木が太陽の「青春」と「情熱」とに飽酔しようとして、てんでに大きな、底の深い花の盃を高く持ち上げている頃には、彼は心静かに日向ぼっこをして、微笑を続けているばかしだ。そしてその騒々しい草木が、花を閉じ、葉を振い落してしまうと、この謙遜な隠遁者はやっと自分の番が来たように、厚ぼったい葉の蔭から小さな盃を持ち出して来る。それは白磁作りの古風なもので、彼はそれでもって初冬の太陽から水の滴りのような「孤寒」と「静思」とをそっと汲み取るのである。

 渡鳥は毎日のように寒空を横切って、思い思いの方角へ飛び往くのが見られるが、みんな自分の旅にかまけていて、誰ひとり途の通りがかりに空地に下りて来て、この隠遁者を見舞おうとはしない。訪いもせず、訪われもせぬ閑寂な日が二、三日続いて、あるうすら寒い日の夕ぐれ前、灰色の着付をした小さな旅人がひょっくりと訪ねて来る。長めの尻尾を思いきり脊に反しているので、誰の眼にもすぐにそれがみそさざいであることが分ろうというものだ。

 みそさざいは灰色の翼を持っていながら、空高く飛ぶことを心がけないで、絶えず物かげから物かげへと、孤独をもとめてさすらい歩くひとり者である。このひとり者はさびしい裏庭の茶の木が目につくと、自分の好みにそっくりな好い友だちが見つかったように、いきなり飛んでいって、厚ぼったい葉なみを潜りぬけたり、小枝につかまってとんぼ返りをうったりする。

 画禅室随筆の著者董其昌は、茶を論じてこういったことがあった。

「茶は眼にとっては色である。鼻にとっては香である。身にとっては触である。舌にとっては味である。この四のものは皆茶の正性ではない。これを合せばあるが、これを離せばなくなってしまう。ありというのは種々法生で、なしというのは種々法滅である。色は眼をもっては観えない。香は鼻をもっては嗅げない。触は身をもっては覚れない。味は舌をもっては知れない。法界の茶三昧とはこれである。」

 随分と気取った物のいいようであるが、それにしても茶を味わう場合には、この灌木の閑寂な生活を心頭より忘却しないようにしなければならぬ。

 むかし、宋の書家として聞えた蔡襄が、その友歐陽修のために頼まれて、集古目録の序に筆を揮ったことがあった。その返礼として鼠鬚筆そしゅひつ数本と、銅緑の筆架と、好物の茶と、恵山泉の名水幾瓶とを歐陽修から贈って来たものだ。蔡襄はそれを見て、 「潤筆料としては、少しあっさりし過ぎてるようだ。しかし、俗でなくて何よりだ。」 といって笑ったそうだが、その恵山泉の水で茶を煮ると、すっかりいい気になって、

此泉何以珍

適与真茶遇

在物両清純

 於予独得趣

……………………

と詩を作って歌ったということだ。

 すべて茶を煮るには、炭加減と水の品とを吟味することが肝腎で、むかしの数寄者は何よりもこれに心をつかったものだ。わざわざ使を立てて、宇治橋の三の間の水を汲ませた風流も、こうした細かな吟味からのことだったが、大阪ではむかしから天王寺逢坂の水が茶にいいといって、一般に尚ばれたようだ。逢坂の水といえば、それについてこんな話が残っている。

 俳優二代目嵐小六の家に、ながく奉公をしている女中の父親で、女房に死別れて娘と一緒に身を寄せているのがあった。小六はこの男が仕事もなくては、定めし居つらかろうと、毎日逢坂の水を一荷ずつ水桶で家に運ばせることにした。それを聞いた世間はよくはいわなかった。

「役者風情が贅沢な沙汰じゃないか。あんなに遠くまで人をやって、わざわざお茶の水を汲ませるなんて。まるでお大名のすることだ。」

 この噂が弟子の口から師匠の耳へ伝えられた。すると、小六は

「それはもっての外の取沙汰というものだ。お前たちも聞いてるだろうが、むかし阪田藤十郎は、大阪の芝居へ勤める折には、わざわざ京の賀茂川の水を樽詰にして送らせたものだそうだ。ちょっと聞くと大層贅沢なようだが、藤十郎の考えでは、芝居に出ているうちは、自分の身体は銀主方と見物衆のもので、自分ひとりのものではないはずだから、つねに飲みつけない水を飲んで、腹をこわしてもとの用心から、賀茂川の水を取り寄せたまでのことなのだ。わしが逢坂の水を汲ませるのも、それと同じわけで、つまりは銀主方と見物衆とを大切に思うからのことなんだ。」 と顔色を変えて言訳をしたそうだ。

 むかし、大阪の備後町に、河内屋太郎兵衛という商人があった。財かねがあるにまかせて、随分思い切った振舞をするので、その度に世間の人たちから、

「また河内屋のいたずらか。何を仕出かすかもわからない男だな。」

と評判を立てられるようになった。

 あるとき、紀州侯を備後町の屋敷に迎えて、茶を献じたことがあった。紀州侯はその日の水が大層気に入ったらしかった。

「いい水質だ。太郎兵衛、ついでがあったら余も少しこの水を貰い受けたいものじゃて。」

 太郎兵衛はかしこまった。

「お口にかないまして、太郎兵衛面目に存じます。早速お届け致すでござりましょう。」

 紀州侯は間もなく和歌山へ帰った。そして太郎兵衛の茶席で所望した水のことなどはすっかり忘れていた。すべて人の頭に立とうというものは、昨日あったことを今日は忘れてしまわねばならない場合が多いものだが、紀州侯は誂え向きにそういう質に生れ合わせていたらしかった。

 ある日のこと、側近くに仕えている家来の一人が、慌てて紀州侯の前へ出て来た。

「殿、只今大阪の商人河内屋太郎兵衛と申すものから、かねてのお約束だと申しまして、水を送って参りました。」

「ほう、河内屋太郎兵衛から……水を……」紀州侯は忘れていた約束を思い出した。

「それならば早速受取ってつかわし、大事に貯えおくようにいたせ。」

「さあ、貯えると申しましたところで、あんなに沢山な水樽では……」

 家来は当惑したようにいった。

「そんなに沢山持って参ったか。」

 殿は物好きそうに眼を光らせた。

「はい、お城前はその水樽で身動きが出来ぬほどになっております。まだその上に次から次へと荷車が詰めかけて参りまして……」

 家来は城のなかはいうまでもないこと、紀州侯の領地という領地は、すっかり水樽で埋ってしまうかのように、気味悪さに肩を顫わせた。

「そうか。河内屋めがまたいたずらしおったな。」

 紀州侯はからからと声を立てて笑った。

2024.10.21 記す。

★フヨウとムクゲ

 フヨウの花とムクゲの花はよく似ています。

 どちらも夏から秋にかけて大きな一日花を咲かせる

 アオイ科フヨウ属の落葉低木です。

 似ているフヨウとムクゲの見分け方を探してみました。

「フヨウ」は、5枚の花弁が椀状にひろがるように開花し、雌しべと雄しべのある花柱という部分がカーブしているのが特徴です。

「ムクゲ」は、花弁を全開させ、花柱をまっすぐに伸ばします。中国原産ですが、平安時代にはすでに観賞用として植えられていたとえられています。 「フヨウ」と「ムクゲ」を見分けるには、花の違いもありますが、

葉の形も違います。

「フヨウの葉」は、手のひらを広げたような形をしているのに対し、    

「ムクゲの葉」は、フヨウの葉に比べて小さく、鋸葉で切れ込みが入っています。

芙蓉の花
ムクゲの花
芙蓉の葉
むくげの葉

2024.09.03 記す。

★スイフヨウ

 中国の中部を原産とするフヨウの園芸品種。性質はフヨウと同じだが、時間帯によって花色の変わる様を、酔客の顔色になぞらえてスイフヨウと名付けられた。花を観賞するため、庭園や公園に植栽される。

 花はフヨウと同じ一日花で、午前中は白色だが、日が暮れるに従って赤みを増し、夜には完全な紅色になる。また、夜に赤くなった花は翌朝、元気なく萎んでおり、その様も酔っ払いのそれを彷彿させる。

 スイフヨウの開花は7~10月。蕾は細毛のある二層の萼に包まれ存在感がある。花の直径はフヨウ同様の12センチほど。八重咲きが基本だが、花弁が5枚の一重咲きもある。

 一重咲き種には花後、直径2~3センチの果実ができるが、八重咲き種は八重咲きのサクラなどと同様に結実しない。このため繁殖は挿し木によることが多い。

スイフヨウ
夕方~のスイフヨウ

2024.10.03 記す。

★fruits,berries,nuts 果実 『英語歳時記』(研究社出版)P.883 より


 広義のfruiitは、植物学的には

品名
(1)dry(乾果、裂果、閉果)
マメ類、コムギ、トウモロコシ、クリ、ハシバミなど
(2) fleshy(肉果)
ブドウ、トマト、スモモ、オリーヴ、リンゴ、ナシなど
(3) aggregate(集合果)
イチゴ、キイチゴなど
(4) collective(多花果
イチジク、パイナップ、クリの実など

 このなかから、こく物、野菜類を除くと、リンゴ、ナシの類から、クリ、ブドウ、イチゴ、パイナップルなど、いわゆる「くだもの」が残る。

ただし、クリ、ハシバミ、アーモンドなどは nut(木の実)と呼び、イチゴ、キイチゴは berry(小果実)と呼べば、常識的なくだもの、わが国のいわゆる水菓子類が残る。

つまり apple, apricot, banana, grape, grape-fruit, lemon, melon, orange, peach, pear, persimmon, pineapple などである。

Berry strawberry のほか、currant, raspberry, gooseberry などあるが、形の類似から grape が、このなかに入れられることもある。

 Nut のなかには、almond, chestnut, coconaut, filbert (or hazel)nut, peanut, walnut などがある。乾したブドウやイチジクが nut のなかに入れられることもある。

 つまり水気の少ない、貯蔵のきく、小型のものを便宜上まとめた呼び名である。わが国では「木の実」という総称的な呼び方で、ひとつの季語(晩秋)となっている。「鳥啼いて笠にこぼるる何の実ぞ」(子規)、「よろこべばしきりに落つる木の実かな」(風生)、「森深く木の実拾いの子らと逢う」(小暮輝清)。

 これらのさまざまな果実は、おおむね夏から秋にかけて、食卓にのぼり、あるいはデザートに、またはサラダの材料、けーきの材料として使われる。生まのまま、あるいは熱を加え、あるいは乾したものを食べ、罐詰にしてりようするなど、その方法もいろいろである。berry 類はジャムにして食べることが多い。nut 類はことにクリスマスのころ多く使われる果実である。

Tennyson の 'The Gardener's Daughter' に、

...then for roses, moss or musks,

To grace my city rooms; or fruits and cream

Served in the weeping elm...

 それからバラ、コケバラ、あるいはジャコウバラをもとめにいった、都会の私のへやを飾るための、あるいはクリームをかけたくだものめあてに枝を低くたれたニレの木の下で出される...

と、主人公が恋人のもとに通うさまざまの口実を述べたくだりがある。

(以下略)

2024.09.04 記す。

★第四十三候「草露白 (くさのつゆしろし)」 9/7~9/11頃

七十二候が白露の初候に変わり、野の草に降りた朝露が白く光って見える頃となりました。

露は、夏から秋への季節の変わり目など、朝晩の気温が下がる日によく見られ、秋の季語にもなっています。

「露が降りると晴れ」という天気の諺をご存知でしょうか。

このため、昔から「露が降りると晴れ」と言われてきました。各地では、風をおさめ、豊作を祈る風鎮祭が行われます。

★出雲そばは、岩手県のわんこそば、長野県の戸隠そばと並び、日本三大そばのひとつにも数えられる。粉の選別をせず、玄そば(殻のついたそばの実)をそのまま挽き込む「挽きぐるみ」と呼ばれる製粉方法で作られるため、栄養価と香りが高く、風味と食感の良いそばになると言われている。つなぎに使われる小麦粉が2割程度と少ないのも特徴の一つである。出雲そばの代表的な食べ方に、冷たい割子そばと、温かい釜揚げそばがあり、どちらもそばに直接つゆをかけて食べるのが特徴である。 そばの栽培は山間部など寒冷な気候が適しており、山々に囲まれた島根県は出雲そば以外にも各地の風土に根差したそばを味わえるそば処として有名である。特に三瓶山の火山灰土壌で育ったそば粉を使い、実の殻を極力むき、淡い色とのど越しが特徴の三瓶そばや、隠岐諸島で古くから冠婚葬祭などで振る舞われた、そば粉と水だけで打った隠岐そばは、その土地ならではのそばとして今も親しまれている。

 歴史・文化、関連行事 そばは古代から栽培されていたが、多くはそばがきや、おやきとして食べられていた。江戸時代初期、信濃国松本藩から出雲国松江藩主として松平直政が着任した際、信濃のそば職人と共に、練ったそばを平らに延ばし、細く切った蕎麦切(そばきり)が伝わったとされている。

 割子そばが城下町松江の発祥であるのに対し、釜揚げそばは出雲大社をはじめとした神社周辺が発祥と言われている。全国の神々が集まる旧暦の10月、出雲地方の神社では「神在祭」が執り行われるが、昔はこの祭りの際に神社の周りには屋台が並び、温かい釜揚げで新そばを振る舞っていたと言われている。

 製造方法

 通常そば粉を作る時は、殻をむいたそばの実を一番粉から四番粉に分類し、どのそば粉を使うかによってそばの風味や食感が大きく変わってくる。出雲そばはそば粉の選別はせず、玄そば(殻のついたそばの実)をそのまま挽き込む「挽きぐるみ」と呼ばれる製粉方法で作る。出雲地方には数多くのそば店があり、同じ出雲そばでも店それぞれに違いやこだわりがあり、郷土色豊かな出雲そばを楽しむことができる。

★H君(岡山工場)、退社の挨拶にくる。美術館周辺を案内して、信州手打ち蕎麦屋『あずみ』の蕎麦を御馳走する。

 「あずみ」について、大原さんは酒もタバコも飲まないまじめな学者はだの人だったが、ソバが大好きだった。民芸関係の仕事で信州松本市に行ったとき、同地で食べたソバの味が忘れられず、二年がかりでソバ屋の店主をくどき落し、美術館のそばに店を“誘致”、郷里に帰るとよく同店のソバを楽しんでいたという。(山陽新聞記事による)

参考:信州手打ち蕎麦屋『あずみ』

★ソバ(蕎麦)

 双子葉、離弁花、 タデ科、 ソバ属、1年草。 用語説明

 花期:夏~秋 7月~10月

 高さ:0.5~1.2メートル

 春に蒔いて夏収穫する夏ソバと、夏に蒔いて秋に収穫する秋ソバがある。

 茎は中空で、直立して分枝し、花期は緑色であるが、 収穫時には下半分が赤くなる。

 葉は長さ7センチ弱の3角形の角が尖った形で、互生する。 托葉が鞘状の托葉鞘となっている。

 茎先に総状花序を出し、長さ6ミリぐらいの白~淡紅色の花をつける。

 花弁のように見えるのは萼片で、5枚ある。

花は花序の基部から先へと順次咲いてゆくので、花期が長い。

 花には、雌しべが雄しべより長い長柱花と雌しべが雄しべより短い短柱花 があり、

 長柱花と短柱花の組合せによる受粉でしか果実はできない。

 そう果は長さ5~6ミリの3稜形で黒褐色。 果皮を除いて粉にしたものがそば粉である。

 やせ土地でも育ち、種まき後3ヶ月ぐらいで収穫できる。

 中央アジア原産。

 識別点: シャクチリソバ、 ソバ、 ミゾソバ

 シャクチリソバ:多年草、高さ0.3~1メートル、果実は7~9ミリの3稜形で栗褐色。

 ソバ  :1年草、高さ0.5~1.2メートル、果実は5~6ミリの3稜形で黒褐色。

 タニソバ:1年草、葉は卵形で葉柄に翼がある、高さ10~40センチ、果実は卵形。

 ツルソバ:多年草、茎はつる状、葉は卵形、そう果が液質の花被に包まれる。

 ミゾソバ:1年草、葉は矛形、高さ0.3~1メートル、果実は3稜形。

そばの花出雲そばわんこそば戸隠そば

2024.09.19 記す。

★第四十四候「鶺鴒鳴 (せきれいなく)」 9/12~9/16頃

 七十二候が白露の次候に変わり、セキレイが鳴き始める頃となりました。

「チチッチチッ」と鈴のように高い声を放ちながら、秋の空をさわやかに飛んでいくセキレイ。

 水辺を好む鳥ですが、民家の軒下などにも巣を作るので、その鳴き声だけでも聞いたことがある人は多いはず。

 ハクセキレイ

 セキレイは、長い尾が特徴のスマートな小鳥で、羽色は主に「背黒・白・黄」の3種類が見られ、それぞれセグロセキレイ・ハクセキレイ・キセキレイの名が付けられています。

★ほととぎす


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.150

ほとぎす

 これは鳥のほととぎすではない。鳥のほとぎすの胸毛の、そのまだらによく似た斑点が、花の内側にあるので、こんな名をつけられたにちがいない。僕も秋ごととにこの花が咲くと鳥の方のほととぎすを想い出す。そしてすぐそのなき声を考えるけれども、もともと、まだら模様というものは、だんだんと見ているうちに気味が悪くなる。こんなふうに、植物と鳥ばかりでなく、自然界では、同じ名を貰っている蝶と貝がいたりして、滑稽な間違いが起る可能性がないこともない。

 ところでこの花の方のほとぎすの特徴として、三つの外花被の下の方に、丸いふくらみがあるが、その中にたまっているはずの蜜をなめてみようとする時、薄紫のぼちぼちが、何か伝染病にかかった皮膚のように見えて来て、蜜の味をためすこともためらってしまう。ちょっと離れて、ちらっと眺めるのには大変きれいな紋様も、なめて見るほどに近づけると、ぞっとするようなものがある。五六メートル以上近づくとがっかりする着物の紋様だってあるし、そういう種類の人間もいる。

 英名は Toad-Lily という。つまり、そのまま訳せばヒキガエル・ユリである。せいぜいびっき百合ぐらいにしか訳せない。外国でも、そんな名前をもちいながら園芸植物として栽培されているが、名前のつけられ方によって、花の顔つきも変って来るはずである。

2024.10.07 記す。

★第四十五候「玄鳥去 (つばめさる)」 9/17~9/21頃

 七十二候が白露の末候に変わり、春先にやってきたツバメが帰り始める頃となりました。

 子育てを終えたツバメは、季節の移り変わりとともに暖かい南の地域へと旅立っていきます。

 越冬先である東南アジアやオーストラリアまでは数千km。

 1日300km以上移動することもあるそうです。

 陰暦8月のことを「つばめ去り月」ともいいますが、ツバメは昔から季節の移ろいを知らせてくれる鳥として人々に親しまれてきました。

 夏に子育てしていたツバメを見かけなくなったら、秋が深くなってきた証拠です。

★ザボン

 小学生のとき、近所の小さい広場で相撲場の円を描き相撲をとっていた。私はあまり強くなくて、頭を相手の胸辺りにつけけて、最後は打っちゃりといったところでした。

 その広場に「ザボン」の大きな木があった。大きな実がなっていた。たまに食べようと皮をむぐと、厚くて白いもので、実は子供の口にはあわなかった。そのため、みんな見向きもしなかった。

 インターネットでみると、ザボンの木は3メートルほどまでに育ち、その果実は品種により直径15から25センチメートル、重さ500グラムから2キログラムまで様々な大きさに育つ。

 果実の果皮は黄色。果皮の内側の白いスポンジ状のアルベドの部分は2センチメートル程度の厚みがあり、これを取り去ると大きさは半分くらいになる(ただしアルベド、の部分は文旦漬けに用いる)。果肉は果汁が少ないが独特の甘みと風味を持つ。果肉は淡黄色だが、品種が多く、その色は淡乳白色から紅紫色まである。なお果実の収穫は年末頃に行われることが多いが、採取したては酸味が強すぎるので、数ヶ月間貯蔵して酸味を減らした後に出荷される。 

『英語歳時記』(研究社出版)P.911 には、下記の記述がある。

 shaddock ざぼん

 学名 Citrus grandis. 柑橘類の一種。ポリネシア原産で、18世紀初めに、東インド会社貿易船の Shaddock とい船長がイギリスへ帰国の途中、西インド諸島のひとつパルパドス島へ移植したというので、この名がある。別名 pompelmoose (語源的には pumpkin+lemon) ともいう。葉は丸味を帯び、先が切れこんでいる。大きな白い花をひらき、青黄色の実を結ぶ。実はオレンジに似ているが、はるかに大きく、人間の頭ほどのものも珍しくない。重さ20 pounds ほどのものもある。厳密には、ナシ型の大きい種類の実をこの名で呼び、北アメリカ南部特産の、比較的小さくて丸い種類は grape-fruit と呼んで区別する。今では熱帯諸国でひろく栽培し、オレンジはこれにつぎ木すれば収穫量が増えるという。

ザボンの木
ザボンの実

2024.09.06 記す。

★すもも


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.12

 ぼたんきょう、ハタンきょう、いいかえればプラム……プラムは梅じゃないの。何だかよく分からないから果物屋の前で知ったかぶりをすると、鉢巻をしたおやじと喧嘩になる。こいつを三つ、と言って買わなければならない。

 こいつは甘いかい?

 甘いですとも。

 それじゃだめだ、甘ずっぱくなくっちゃあ。

 果物屋のおやじをからかってから買うと、すももは味が悪くなる。こういう香りと味とが微妙に交ざり合った食べ物を買う時には微妙なのだ。

 僕はこいつを二つ買う。少々かたいのを選んで買う。すもものはじらいが、禿げちょろけの白い粉になってうっすら残っている。こんどはそいつをズボンでふいて、果物屋の店先でかぶりつく。山と積まれたすももが、自分たちの運命を見せつけられてぎょっとする。気の毒なことをしたと思う。

 僕はそんな時、喉が渇いているばかりでなく、ちょっと悲しんでみたいのだ。すももの甘すっぱさは、街を歩きながら食べると、泥だらけになった少女の悲しみを覚えさせる。

 笑うがいい、泥だらけになっては、やっぱり可哀そうだ。

2024.10.09 記す。

★ゲンノショウコ(現の証拠)

 薬用植物と言えばゲンノショウコをあげる人が多い。この植物は、下痢止めの妙薬として日本で一番膾炙され、今日でも利用する人が多いいからであろう。

 我が国で有名な薬用植物だが「漢方」(中医)の本場中国では全く使われていない。わが国独自で発達した「和方」のひとつで、⺠間伝承の薬用植物である。恐らく、人間の病の中で胃や腸の病気が多いことと、ゲンノショウコは日当たりの良い道端でも畑の周りでも一寸した空き地に生える草で、欲しければ容易く入手できるからであろう。

 このゲンノショウコはドクダミ、センブリと共に、日本では古くからの三大⺠間薬の一つに数えられている。 「土用だからゲンノショウコを採っておこう。」このような言葉を耳にしたことがあるかもしれない。土用とは、五行説に基づく言葉で方位の中央を示している。四季の終わりの18日間には土気を生じ、土がものを変化させると言う意味で、「土旺用事」を略して「土用」と呼ぶようになった。年に四回ある土用のうち、夏の土用だけが生活に溶け込んでいるのは、五行の相生関係によるものである。例年夏の土用は立秋から一八日前に始まり、立秋の前日が土用明けである。一年で一番気温の高い頃で、「土気盛んな時」である。 また、ゲンノショウコと葉の形が良く似ている早 春プリバーナル の植物プラントのイチリンそうやニリンソウは既に地上部は枯れており、更に葉の形が似ている有毒植物のトリカブトは丈が高くなり区別できるので、この時期の採取は最もふさわしいからである。

 花期は7~ 10月。茎は当初、地表を這うようにして横に伸び広がりますが、花期が近づくにつれ、高さ30~50㎝に立ち上がり、葉腋(ようえき)から細長い花軸を出した先に花を2個ずつつけます。花弁は5枚で、花径は10 ~ 15㎜ほどです。

ゲンノショウコドクダミセンブリ
2024.09.17 記す。

★クリの花

1.訪れる昆虫

 クリはカシやナラなどと同じく風媒花をつけるブナ科の植物ですが、例外的に虫媒花をつけます。蜜のありかを示す花弁はなく、たくさんの雄花が集まった白い花穂をたくさんつけて存在を示します。また、分泌するスペルミンで醸し出されるあの独特の匂いも、昆虫を呼ぶためのものです。

 どんな昆虫が訪れ、花粉の運び屋をしているのでしょうか。蜜によって招かれる昆虫は、ハナバチやチョウ・ガの仲間が主ですが、クリ場合はちょっと変わっています。チョウでもアゲハやシロチョウではなく、ケモノの糞尿によく集まるヒョウモンチョウなどのタテハチョウ科や、トラフシジミなどのシジミチョウ科の仲間が集まります。また、白い花が好きな蜜食のカミキリムシや、花粉食のハナムグリやコガネムシの仲間も集まります。昆虫採集にはクリの花を目指して行くと良いくらいです。いろいろな種類が集まりますし、これらの昆虫を餌とするアブなどの捕虫性の昆虫も集まりますから、一石何鳥にもなるのです。高い場所に花が咲くのが欠点で、長い柄の網を持って出かけます。双眼鏡があると良いでしょう。 花穂が黄色くなると終わりですので、白いものを観察しましょう。

 みんなが果肉だと思っている部分は種

 栗の木には雌花と雄花があり、受精した雌花が実をつけます。もともと雌花にはトゲがあり、これが実をつけたときにイガになります。イガは他の果物でいう皮に当たり、その中にある栗が果肉と種です。一般的に栗の皮だと思われている鬼皮が、他の果物の果肉にあたる部分。表面の皮(鬼皮)だけむいた渋皮つきのものが種。

 みんなが食べている部分は種

 1つのイガには通常3個の栗が入っている

 雌花にあるトゲの部分は総苞(そうほう)といい、その中には将来、種となる子房が、通常3つずつ入っています。受精すると総苞はイガになり、子房が栗となります。そのため、一般的な品種ではイガの中に3個の「3つ栗」です。ただ、茨城県のブランド栗「飯沼栗」のように、栽培技術によって、1つのイガに栗が1つだけ入った大粒の栗も生産されています。

 栗の木は枕木に利用されていた

材質が固く、腐りにくいため、日本では栗の木を古くから木材として利用してきました。明治時代には、線路の枕木としてもよく使われ、栗は日本の近代化に大きく貢献しました。

 モンブランと栗は、関係ない

 勘違いされやすいのですが、ケーキの“モンブラン”は、栗とは関係ありません。フランス語で“モン”は山、“ブラン”は白という意味です。ケーキが山のような形をしていることから、イタリアとフランスの国境にあるアルプス最高峰の山“モンブラン”にちなんで名付けられたといわれています。

 モンブランと栗は、関係ない

 丹波栗は江戸時代の参勤交代で全国に広まった

 丹波地域で採れる大粒の栗“丹波栗”は、古事記や万葉集、日本書紀にも登場するほど歴史のあるものですが、全国に知られるようになったのは江戸時代のこと。名物として京都周辺で人気になり、さらに参勤交代を通じて江戸から全国に広まったとされています。

 日本一の栗の木が山形県にある

「桃栗三年柿八年」といわれているとおり、栗の木は成長が早く、すぐに大きく育ちます。樹齢20年で幹の太さが20センチメートルから30センチメートル、樹齢100年では太さが1メートルを超える巨木にまで。「全国巨樹・巨木林の会」の調査により、日本一の木と確認されたのは、山形県西川町にある「大井沢の大栗」。樹齢は300年以上と推定され、一説には800年ともいわれています。高さが15メートルで幹まわりが8.5メートル(断面を円形とすると太さ2.7メートル)にもなる巨大な木です。

 栗の保存や食べ方

 茨城県は栗の栽培面積も生産量も全国第1位。その中でも笠間市は、栽培面積が県内第1位で、「かさまの栗」をブランド化する取り組みも行っています。栗農園での収穫体験に力を入れている、(一財)笠間市農業公社に、上手な拾い方や食べ方、保存方法を聞きました。

 栗拾いのときの服装に注意

 栗の収穫期は虫の多い時期なので、長袖・長ズボンで肌を守る。

 木からイガが落ちてくることがあるので、帽子を被って頭をガードする。

 栗拾いのときの服装に注意

 栗の上手な拾い方

 栗の収穫体験ができるのは、だいたい9月から10月中旬。

 他の果物狩りとは違い、木からもぎとるのではなく、地面に落ちているものを拾う。

 イガを足で踏んで、中の栗だけを拾う(厚手の手袋があれば、イガのまま手で拾うこともできる)。

 栗の上手な拾い方

 イガの両側を足で踏んで広げ、火ばさみで栗をつかむ。

★寺田寅彦:栗の花 ( 寺田寅彦「花物語」より )


 三年の間下宿していた吉住よしずみの家は黒髪山くろかみやまのふもともやや奥まった所である。 家の後ろは狭い裏庭で、その上はもうすぐに崖がけになって大木の茂りがおおい重なっている。 傾く年の落ち葉木の実といっしょに鵯ひよどりの鳴き声も軒ばに降らせた。 自分の借りていた離れから表の門への出入りにはぜひともこの裏庭を通らねばならぬ。 庭に臨んだ座敷のはずれに三畳敷きばかりの突き出た小室こべやがあって、しゃれた丸窓があった。 ここは宿の娘の居間ときまっていて、丸窓の障子は夏も閉じられてあった。 ちょうどこの部屋へやの真上に大きな栗くりの木があって、夏初めの試験前の調べが忙しくなるころになると、黄色い房紐ふさひものような花を屋根から庭へ一面に降らせた。 落ちた花は朽ち腐れて一種甘いような強い香気が小庭に満ちる。 ここらに多い大きな蠅はえが勢いのよい羽音を立ててこれに集まっている。 力強い自然の旺盛おうせいな気が脳を襲うように思われた。 この花の散る窓の内には内気な娘がたれこめて読み物や針仕事のけいこをしているのであった。 自分がこの家にはじめて来たころはようよう十四五ぐらいで桃割れに結うた額髪をたらせていた。 色の黒い、顔だちも美しいというのではないが目の涼しいどこかかわいげな子であった。 主人夫婦の間には年とっても子が無いので、親類の子供をもらって育てていたのである。 娘のほかに大きな三毛ねこがいるばかりでむしろさびしい家庭であった。 自分はいつも無口な変人と思われていたくらいで、宿の者と親しいむだ話をする事もめったになければ、娘にもやさしい言葉をかけたこともなかった。 毎日の食事時にはこの娘が駒下駄こまげたの音をさせて迎えに来る。 土地のなまった言葉で「御飯おあがんなさいまっせ」と言い捨ててすたすた帰って行く。 初めはほんの子供のように思っていたが一夏一夏帰省して来るごとに、どことなくおとなびて来るのが自分の目にもよく見えた。 卒業試験の前のある日、灯ひともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら栗くりの花の香は慣れた身にもしむようであった。 主家おもやの前の植え込みの中に娘が白っぽい着物に赤い帯をしめてねこを抱いて立っていた。 自分のほうを見ていつにない顔を赤くしたらしいのが薄暗い中にも自分にわかった。 そしてまともにこっちを見つめて不思議な笑顔えがおをもらしたが、物に追われでもしたように座敷のほうに駆け込んで行った。 その夏を限りに自分はこの土地を去って東京に出たが、翌年の夏初めごろほとんど忘れていた吉住よしずみの家から手紙が届いた。 娘が書いたものらしかった。 年賀のほかにはたよりを聞かせた事もなかったが、どう思うたものか、こまごまとかの地の模様を知らせてよこした。 自分の元借りていた離れはその後だれも下宿していないそうである。 東京という所はさだめてよい所であろう。 一生に一度は行ってみたいというような事も書いてあった。 別になんという事もないがどことなくなまめかしいのはやはり若い人の筆だからであろう。 いちばんおしまいに栗くりの花も咲き候そうろう。 やがて散り申し候とあった。 名前は母親の名が書いてあった。

 かなり年数が経過した、ある先輩のひとから紹介された寺田寅彦の上記の記事が日記にきろくしていたので掲載した。

2024.09.05 記す。

★第四十六候「雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ)」9/22~9/27頃

 七十二候が秋分の初候に変わり、春から夏にかけて鳴り響いた雷が収まる頃となりました。

 実際に雷は、空気中の酸素や窒素に化学変化を起こさせ、天然の肥料の窒素酸化物を作り、雨とともに大地に降り注ぎます。

 この窒素酸化物は、窒素系の肥料と同じもので、稲や植物の成長を助けます。

 椎茸などのキノコ類も、雷に反応して成長するのだそうです。

 ちなみに「雷」は "夏" の季語ですが、「稲妻」とした時は "初秋" の季語となります。

★オミナエシとオトコエシ

 立秋が過ぎ、暦の上で秋とは言ってもまだまだ暑い日が続いています。

 オミナエシはオミナエシ科の多年草で、日当たりのよい草地に生えます。

 夏までは丈の低いロゼット※ですごしていますが、初夏を迎えると急速に細長い茎が伸び、夏から秋にかけて小さな黄色い花がかさ状に群がって咲きます。

(※ロゼットとは、本来はバラの花の形を表す言葉。葉が冬越しの間、地べたに平面的・放射状に広がった様子のこと。)

 万葉の時代から歌に詠まれて、山上憶良による「秋の七草」のひとつにも数えられており、「お盆花」の代表でもあります。

 すらりと背の高い花が風にそよぐさまは実に優美ですね。

 その名は日本女性のやさしさを見立てたものと言われるのも納得です。

 昔は身近な野原や草地にごく自然に見られましたが、開発が進んだ現在ではなかなか自生している個体を見つけることはできません。

 どうやら、この植物はどこにでも生えて勝手に増えるというような器用さは持ち合わせていないようです。

 全草を乾燥させて煎じたものは醤油が腐ったような臭いがすることから敗醤(はいしょう)と呼ばれ、生薬になります。

 ところで、本年はオミナエシの群落のそばにうまいあんばいにオトコエシが生えてきて、遅ればせながら今、花を開き始めました。

 オトコエシは同じくオミナエシ科の多年草で、姿、形はオミナエシによく似ていますが、全体に毛が多く、茎は太くて、白い花を咲かせます。

 その名のとおり、オミナエシにくらべると、より大きく、地味で、かつ男性的な感じがします。

 オミナエシが短い地下茎で子苗を作るのに対し、オトコエシは根元から地表に長い匍匐ほふく枝しを出し、その先端に新しい苗をつくって増えていくという性質があります。(この点はホタルカズラとよく似ていますね!)

 しかし、ののはな館周辺の土はかたく、草もびっしりと生えています。

オミナエシ
オトコエシ

2024.09.19 記す。

★ヒガンバナ

 9月22日(日)が秋分の日・お彼岸の中日ですので、9月19日(木)が彼岸の入りです。9月25日(水)彼岸明け。

 この時期に咲く代表的な花といえばやはり彼岸花が思い浮かびます。曼殊沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、よく墓地に咲いていることから不吉なイメージも持たれる花ですが、植物学的にはどんな特徴があるのでしょうか。ヒガンバナの3つの秘密について、日本花の会研究員の小山徹さんに伺いました。

「ヒガンバナは中国大陸原産のヒガンバナ属の多年草です。北海道や東北地方を除く日本全国で自生していて、9月中旬になると地中から蕾を出し、直径10〜15cm程度の集合花を咲かせます。

 花が終わる頃になると葉が大きく伸び、そのまま冬を越します。春になると葉は枯れ、夏の休眠期に入る花です」

 バナには毒がある?

 バナには毒があるというのは本当でしょうか。

「本当です。鱗茎(りんけい)と呼ばれる球根の部分が特に強く毒の成分を含んでいます。毒はおもにアルカロイドで他の植物の生育を阻害するため、雑草対策として田んぼのあぜ道に多く植えられたようです。

 同じ理由で、彼岸花の球根(正確にはヒガンバナの部位全て)には毒があるため、田んぼを荒らすネズミやモグラ・虫などがその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ようにするため、あぜ道に植えて田んぼを守ったのです」


樋口清之『梅干と日本刀』(祥伝社)1975年4月25日 65刷

☆飢饉用の食糧としてうえられた彼岸花 ☆ P.108~112

 自然のもたらす災害の中で、一番恐ろしいのは、旱魃や冷害による飢饉である。人間社会の完成度というものは、こうした自然災害に対して、長期的な防備がどれだけ完成しているか、ということがひとつの尺度になるだろう。たった今、豊かな生活を営んでいるとしても、一、二年の飢饉に対する備えがないとすれば、それは"豊かな社会"とはいえない。

 飢饉といえば、まず食糧問題である。私たちの祖先は、何度かそれを經驗しているが、当然のことながら、彼らも食品保存をつねに考えていた。私たちの場合、食品保存といえば、まず罐詰や乾燥食品が頭に浮かぶ。しかし、祖先たちはまず塩蔵食品を考えた。塩は細胞の中の水分を吸収する。

 生魚に塩をかけて水分を取り、蛋白と繊維質だけを残して保存する。

 燻製という方法も知っていた今日でも残っているものに「信玄味噌」がある。これは味噌を固く作って草鞋状にし、囲炉裏やカマドのある部屋の天井に吊るしておく。すると、コールタールがつく。塩蔵されたうえにコールタールによる保存が加わるから、非常に長期の保存に耐える。武田信玄が死んで四百年だが、この信玄味噌は今日でも十分、食べられる。大豆の蛋白と食塩とを四百年もの間、保存することは罐詰でも不可能だろう。

 だが、私たちの祖先はこれだけの備えでは満足しない。用心に用心を重ねて、建築用材の中に食品を塗り込んでいる。土壁を作るときに入れる藁である。藁の根元のほうを三センチぐらいの長さに切って、泥と混ぜて壁に塗り込めておく。

 さて、飢饉になった。塩蔵食品や燻製食品や漬物も底をついてくると、壁を崩して藁を水洗いし、その藁をつぶしてもう一度、汁のように煎じて飲む。そうすると、澱粉がとれる。

 米そのものの保存では、籾の状態にしておいてもせいぜい十年、米だと三、四年で栄養価格は半減する。藁の根元近くには米の七、八パーセントぐらいの澱粉質があり、これは百年、二百年の保存に耐えるのだ。それを彼らは知っていたのだろう。

 さらに芋ガラである。里芋の茎を編んで敷物状のものをつくり、細い竹を渡して天井に張る。通気性もあるし、保温力も強い。長い間には煙も通って燻製状になる。飢饉のときには、それを味噌汁に入れて食べた。

 そのほかに、ご飯にまぜる増量材、たとえば大根葉、干し大根なども多くある。こうした増量剤の種類ばかりをあげた書物まであるほどだ。その本によると、飢饉のときには何でも食べる。食べられものはない、と言っているくらいである。

 松の木の甘皮。これには樹脂が多い。甘皮を粉にして、一度煮沸して、上に浮んだものを摂取すると、澱粉が採れる。本体の甘皮は"松皮だんご"といって、臼で搗いて、だんごにして 食べる。松の皮のだんごだ。昆虫の幼虫も、もちろん食べる。

 こうしたすべてのもの食べつくしたあと、最後に備えてあるのは"彼岸花(曼珠沙華)"である。

 墓地や田舎の川岸などに咲く彼岸花は、毒だと教えられている。だが、彼岸花は、本来は渡来植物で、雄株は日本の酸性土壌に適応せず、雌株だけが残った。彼岸花は球根だからタンポポのように遠方に殖(ふ)えることはない。十年間で一メートルぐらいしか自分の領分を殖やすことはできない。だから、あの彼岸花は、墓地や川の土手に勝手に生えているのではなく、遠く、祖先の誰かが飢饉のときを考えて殖えたものである。その証拠に、道路や、村落、墓地などの人間活動の周辺以外の純白自然原野には、日本ではこの椊物は見られない。そうして"毒だから触ってはいけない"と言い伝えて、不慮の災害の日まで、すくすくと自然増殖できるような配慮しておいたのである。

 食用にするのはその球根である。これには、もちろんアルカロイド毒がある。だが水に晒すと、熔解して無毒になる。そして、その球根には多量の澱粉質が含まれている。ただ、もともとが毒を含んでいる危険な食品なので、安易に食べたりはしないほうがよい。

 彼岸花を食べつくすと、次は人間の肉しかない。秋の彼岸に咲くことのほかに、最後の最後の食品という意味で"彼岸花"というのだろうか。

 私たちの祖先は、深謀遠慮だったというか、案外、今日の私たちより利口だったのではあるまいか。こうして、自然との困難な戦いに勝ち抜いて、何千年かを生きのびてきたのである。

2020.02.18記。

  ★ひがん花


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.139

 今日、雨の中で子供が、母親に断って庭の花を友だいに持たせてやっていた。雨の中を栗拾いに誘い、大分ぬれたのでそのままかえすと家で叱られると思ったのか、それとも僕の家へ遊びに行くことをその家の人が知って、帰りに花を買っておいでと言われていたのかも知れない。

 植木鋏で、みずひきを切ったりしていたがひがん花を持たせてやろうとすると、母親がそれを切るのはいいけれど、その花をいやがるおうちがあるからおやめなさいと言った。

 僕も誰からとなく、この花は縁起が悪いとということを聞かされていた。しばらく忘れていたそのことを想い出した。

 関東大震災の時に、家が潰れ、近くの大きな家に一家世話になっていた。余震がいつまでも続いていたので長い間松林の中で生活していた。僕はまだ十にならない頃で、地震の恐ろしさをすぐ忘れて、遊びに出かけた。そしてひがn花がきれいに咲いていたので、子供心にも、それを摘んでみんなに悦んでもらいたいと思った。何しろ大人がみんなですぐ青い顔をしてうろたえるのでは仕方がないよな気持ちもあった。

 ところが、その花を五六本持って戻ると、そんな花をとってはいけないと言われ、何か悪いものをかかえていたようにそこへすてた。詳しく理由なんぞは訊ねなかったけれど、地震と関係があるような気がした。そして後に、地に埋められた人の霊がこうして咲くように思った。よく見ればきれいな花だ。

2024.10.22 記す。

★すだち

 2024.09.20 ラジオ体操同好会の方から、「すだち」を頂いた。

(学名:Citrus Sudachi Hort. ex Sirai / 英名:Citrus Sudachi)はミカン科カンキツ属の常緑樹で、ユズやカボスなどと同じ香酸柑橘です。

 名前の由来は、果実に多く含まれる果汁を食酢として使用していたことから、酢橘(すだちばな)に由来するといわれています。「巣立ち」「酢立」などと当て字されることもあります。

 すだちは、1個約25グラム前後の大きさで、ビタミンCやクエン酸などが豊富で、果汁を搾るだけではなく果皮料理に使うことができます。

 爽やかな香りとすっきりした酸味があり、食卓には欠かせない名脇役です。

 すだちの季節 すだちの花

 花期は5月頃で。

すだち
すだちの花

 すだちの花は、昭和49年10月4日徳島県の花に指定されています。

 最近では、ハウス物、露地物、貯蔵物があり1年中スダチを店頭で見かけるようになりました。3月から8月まではハウス物、8月から10月にかけて露地物、11月から翌年3月までは冷蔵した貯蔵物です。

 すだちは、青いうちに収穫し出荷しますが、熟すとミカンと同様に黄色になります。全国の生産量のおよそ98%を徳島県で生産しています。

 すだちの主な生産地

 神山町、佐那河内村、阿南市です。

 すだち栽培面積・収穫量

 すだちの利用方法

 果皮の緑色が濃く、果皮、果肉の香りがよいものを選びます。

 搾って使う

 すだちを横に二つ切りにして、いろいろな料理(刺身,焼き魚,豆腐料理など)に搾りかけます。 擦って使う

 よく水洗いしたすだちを皮のまま擦り、つけ汁に加えたり、わさびに混ぜても風味が出ておいしくいただけます。

 また、お土産として、すだちを使った「すだち酢(すだち果汁)」「すだちポンズ」「すだち酎」「すだち酒」「すだちマーマレード」は人気の商品です。

 確認されているすだちの効用

 減塩効果:すだちを使うことによって、その酸味で醤油など塩分の多い調味料を控えることができます。

 すだちに多く含まれるクエン酸は、一般的に、疲労回復を助けるとされています。

2024.09.20 記す。

★奈良漬

 中学生だったとき、故郷の隣村(小泉:こいずみ)の農家で昼食に「おにぎり」と「奈良漬」を頂いたことがある。たたき【三和土】の台所でいただいた。その味がいまでも舌に残っている。


樋口清之『梅干と日本刀』(祥伝社)1975年4月25日 65刷

☆飢饉用の食糧としてうえられた彼岸花 ☆ P.100

 奈良漬に使うウリには、白瓜や隼人瓜などがあります。白瓜は奈良漬の代表的な素材として古くから使われており、食感がよく奈良漬に適していると言われています。

 奈良漬には、白瓜のほかにも、きゅうり、スイカ、ナス、ショウガ、青瓜、にんじん、しいたけなども利用されています。

 奈良漬は、野菜を酒粕に漬けて作る漬物で、三ヵ月ごとに酒粕を替えて漬け返すことを繰り返します。漬け上がるまでには一年以上かかります。

 奈良に奈良漬けという、瓜を漬けたものがあるが、今日でも東大寺の前で、スモモだけの漬物を売っている。
 要するに、日本人は奈良時代には、すでに酵母菌の媒体による発酵作用を知っていて、それによって澱粉系のもので味噌、酒を、野菜類からは漬物を、生の肉や内臓から塩辛を作っていたのである。
 こうした発酵食品にはどんな利点があるかというと、まず食品の保存ということがひとつ。さらに栄養の問題がある。
「タクワンは犬の臭いがする、といって外国人が嫌うから、日本人ガイドはタクワンを仕事の前や途中には食べないように」といっていた時代があった。そのときに、「外国人が食べないタクワンを、日本人がどうして食べるのか」という疑問を私は持った。
 当時は、食品にカロリーだとかビタミンだとかの近代栄養学の概念が入ってきて、従来の日本の食品、とくにタクワンなどは栄養学的には、まったく無価値で、ただ嗜好品としての意味しか持っていないようにいわれていた。これは、これから日本の歴史を学ぼうとしていた私には、いささか屈辱的に思えたことも事実である。そして一方では、この民族が千数百年の間、摂取しつづけたものが、何の価値もないということは考えられない、という確信もあった。
 今日、タクワンは、秀れた発酵食品であり、消化促進に良い科学的な食品とされている。一般に、漬物というと、どうも食品価値がないように思われがちだが、それはあやまりで、漬物にはいろいろな雑菌、とくに酵素が多量に含まれているから、胃の中で、他の食品を消化分解する作用が強いのである。

2024.09.25 記す。

★第四十七候「蟄虫坏戸 (むしかくれてとをふさぐ)」 9/28~10/2頃

 七十二候が秋分の次候に変わり、寒さを覚えた虫たちが地中に姿を隠す頃となりました。

 今回の候は、啓蟄の初候「蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)」と対になっています。

 夏が終わり、外で活動していた虫たちは寒さの到来を察知して、冬ごもりの支度を始めます。

 蝶の幼虫はさなぎになって寒さに備え、クワガタやテントウ虫は成虫のまま木の根元や土の中にもぐり静かに春を待ちます。

 そして来年の春、啓蟄 (けいちつ) の頃になると再び姿を現します。

★いぬさふらん


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.133

 この春先に、いぬさふらん(コルシカム)の球根を一つ頂いた。

 これを下さった方は植物に詳しい若い方だったが、僕のことを研究して下さっていて、どうしても実物を見たいのでやって来たという種類の方だった。実物の観察報告は受け取っていないが、がっかりなさったのであろう。けれども、この球根は、正しく僕を悦ばせる贈物だった。卵形ではあるが、親指の先ぐらいおしりがとび出していて、園芸種にはこれがないということだった。そしてこれは、何もしないで机の上に出もころがして置けば、秋に花が咲くということだった。

 その秋がやって来た。それとなく注意しているよ、ほとんど突然まるで蛹(さなぎ)から蝶が出る時のように芽を出し、毎日寸法をはかっていると、それからの伸び方は実に早く、十三日に二十五センチになって、薄く淡い紫をおびた花を二ホンの花茎から六つも咲かせた。一回も太陽の光にあてないのに、秋を知ることの何という的確さだろう。僕には、秋が来てくれては困る。夏の仕事がたくさん残っている。

 黙って準備をし、言訳をしながらおどおどしている僕のことなどは眼中にない。そして窓から何げなく見ると、庭の草むらに埋めておいたいぬさふらんも、同じ日に花を見せていた。

※参考:いぬさふらんの名前の由来:AI による概要

イヌサフランという名前は、アヤメ科の薬草であるサフランの花に似ているが、食用にならないことに由来しています。

「イヌ」には「似て非なるもの」という意味があり、サフランの花に似ていますが、実は全く違うものという意味です。

2024.11.12 記す。

★きつりふね


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.29

 これはヒマラヤの山中にも咲く鳳仙花の仲間だが、植物学者リンネは Impatiens noli-tangere という学名をつけ、我ながらうまい名前をつけてやったと思って、さぞかしにっこりしたことだろう。わたしは気短かでさわちゃいやよ。といういみである。黄色の小舟のような花をいっぱいぶらさげてから、細長い莢(さや)が出来るが、そいつにちょっとさわると、突然はじけて種を勢いよく飛ばす連中なのだが、こんな学名がついているのを知ってしまうと、きつりふねの多い藪を歩くのはむずかしい。

 四日間も雨に降られていた八ヵ岳の谷で、僕はもう小屋にぼんやりしているのもほとほとたまらなくなくなると、濡れるのも承知の上でそこらの藪を歩いた。藪のきつりふねとは大分親しくなったようである。

 最初のうちは、黙っていた。ただ自然から与えられた仕方で、自分たちの種族を保存するために、忠実に、いじらしくなるほど忠実に種を少しでも遠くへ飛ばしていた。しかし馴れて来ると文句を言うのもいた。

 さわっちゃいやって言ってるでしょう?

 ごめんごめん。だけどいいじゃないか。種子をまき散らすことは祝福すべきことなんだから……。

 でもあたしの、あんまり勢いよくって……。すっ飛ぶんですもの。恥ずかしいの。

挿絵きつりふね

24.11.08記す。

★釣舟草


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.26

 三年前の秋に、日帰りの山歩きの途中で道にまよった。まよっても大して心配のないところだったので、秋草の中をおよぎまわるのも楽しかった。そうしして道のない沢を登っている時も、釣舟草があんまりいっぱいに咲いているので、小さい一株を抜いて来て庭の隅に植えた。次の年は赤紫の花を咲かせ、僕は大層満足だった。去年は僕の額に八の字が寄った。というのは、少少いい気になって筋骨たくましい赤い腕を四方に、傍若無人にのばしはじめたからだ。

 ところで今年は僕もついに我慢出来なくなった。土手を下り、花壇の中にまで彼らは前進した。しかも何の宣言もなしに、庭の平和のためにこらしめなければならない。その前進のしかたは、きつりふねや鳳仙花の戦法と同じで、種子を猛烈な勢いですっ飛ばすのである。つやつやした緑の莢(さや)は、内緒で力瘤を入れていて、ちっとでもさわると、無茶苦茶に破裂して、その種子は三メートルも四メートルも飛ぶ。僕は充分に身構えているつもりでも吃驚(びつくり)する。そのためにこいつらは気短か者という学名を貰っている。

 僕は手を下さなければならない時が来たと思った。弾き出される黒い種子は、頬にぶつかって来る。そんなちっぽげなものをぶつけてみたって、痛くなんかあるもんか。不遜な彼らの、これが最後のもがきかと思った。そうすると僕の耳には、君も相当気短か者だねという声が聞こえたり、来年は花壇でお目にかかりましょうというつぶやきが聞こえる。

挿絵釣舟草きつりふね鳳仙花

2024.10.25 記す。

★鈴 懸 P.169


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.130

 花が咲いて目立つ植物もあれば、青々としげった時に人目につくものもある。今、街を歩いていると、鈴懸の実が目立ちますね、ときのう来た友だちが言った。一昨年、日比谷公園の脇の街路樹の枝を下している時に、鈴懸の実を沢山広いあつめ、それをぶらさげて音楽会へ行ったことを思い出した。街路樹の手入れをしているような人の中には、大層怖い人もいるので、慇懃に挨拶をしたら幾らでも持って行けと言われたので、いっぱいぶら下げて見たが、スメタナを聴きながら、この実が気になって困った。その実が今も三つ壁にぶらさがっている。

 小アジア原産のこの木は、明治のころにはいって来たものだが、同じころに北米原産の「あめりかすずかけのき」も移入して、そのどちらも街路樹になっている。はっきり区別できるのは、すずかけの実は一本の花軸に数個なる点であるあるが、樹皮がはがれるということもある。

 ヘブライ語でこの木のことをアルモン(Armon)という。種という意味だそうだが、その皮のはがれることから出た名前らしい。旧約聖書にもこの木のことが出て来るが日本語訳では「欅(けやき)」とか、「桑の青枝」になっている。

挿絵鈴懸の樹

2024.10.31 記す。

  ★菱


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 どこをあてどともなく歩いていると、そそけた灌木にとり囲まれた池のほとりに出て来た。池にはところどころに細かい水草が浮いていて、片眼で笑うような午過ぎの日ざしが一杯に落ちかかっている。

 草の路に沿うて池のまわりを歩いていると、ふと菱の実が食べたくなって来た。

 何の故ともわからない。

 支那湖州の菱湖鎮の菱は、味がうまいので聞えたもので、民船であの辺を旅をすると、舷を叩いてよくそれを売りに来るそうだが、私はまだそんなうまい菱の実を味わったことがない。私が少年のころ食べ馴れたのは、自分たちが小舟に乗って、村はずれの池から採って来た普通ただの菱の実で、取り立てて言うほど味のいいものではなかったが、いかつい角を生はやした、その堅苦しい恰好がおもしろい上に、歯で噛むと、何とも譬えようのない仄かな匂が、ぷんと歯ぐきに沁み透ったものだ。

 秋が来ると、私がときどき菱の実を思い出すのも、ひとえにその匂をなつかしむからのことだ。

 一わたり池のおもてをあちこちと見わたしても、見覚えのある菱の葉はそこらに見つからなかった。

 ふと小蝦か魚かの白く水の上に跳ねあがるのが見えて、泡のつぶやきのような微かな音が聞かれた。

 その瞬間、私は菱の実の殻を噛み割ったような気持を私の前歯に感じた。

 菱の根は池の底におりて泥のなか深く入っているが、蔓は長く伸びて水の面を這いまわっている。葉柄の腫れ上った三角形の葉は、水の面が皺む度に、たよたよと揺れ動いて、少しの落つきももたない。葉と葉との間にこぼれ咲いた小さな白い花は、真夏のものとは思われないほど佗しいもので、水底からわざわざ這い上って来て、あんなに小さい質素な花で満足しているその遠慮深い小心さは、贅沢好き、濫費好きの夏の太陽から、侮蔑の苦笑をもって酬いらるるに過ぎないかも知れない。

 だが、その小さな、謙遜な花から、兜虫のように、鬼のように、いかつい角を生した青黒い顔の菱の実が生れるのだ。

菱の実:変色していると

2024.10.19 記す。

★月下美人 科名 / 属名:サボテン科 / エピフィルム属 

 月下美人の花には強い香りがあり、花を見なくても、漂い始める香りで咲き始めたことがわかるほど。初夏から秋まで開花を続けますが、連続的に咲くのではなく、2~3回ほどにまとまって開花します。蕾は、大きく育った株の茎葉の各節につきますが、株の栄養状態によっては、しだいに落花してしまうこともあります。

 メキシコから中米にかけて分布し、樹木の上に着生して育ちます。近縁種のクジャクサボテンが昼間開花するのに対し、月下美人は夕方から咲き始め、朝にはしぼんでしまいます。なお、姫月下美人(Epiphyllum pumilum)との交配によって‘満月美人’という品種ができています。

2024.10.01 記す。

★スズメが絶滅危惧種の判定基準を満たす可能性がある


 環境省と日本自然保護協会は1日、国内各地で動植物の状況を定点観測した結果、里山に生息する鳥類の15%、チョウ類の33%で個体数が年3・5%以上のペースで減っているとの報告書を公表した。この減少ペースが長期間続けば、スズメなどの身近な鳥やチョウが環境省レッドリストの絶滅危惧種の判定基準を満たす可能性があるという。

 環境省などは2003年度から、全国のボランティアの協力を得て、国内1000カ所で生態系の変化を調査する事業「モニタリングサイト1000」を継続している。今回の報告書では22年度までの調査結果をまとめた。

 報告書によると、身近な鳥やチョウの減少が特に顕著で、スズメは年3・6%、日本の固有種のセグロセキレイは8・6%のペースで減っていた。オオムラサキの減少率は年10・4%とさらに深刻だった。農地や湿地などの開けた環境を好んで普段よく目にする種が減少していたという。

 環境省によると、温暖化で生存に適した気温ではなくなったことや、管理されなくなった里山が増えて生息環境が変わったことなどが背景にあるとみられる。

 調査に助言などをする専門家委員の石井実・大阪府立大名誉教授(昆虫生態学)は「深刻な結果だ。全国規模で里山の自然環境が変貌している」と話す。

 里山以外でも気候変動の影響とみられる変化が表れている。全国的に南方系のチョウが増加し、暖かい気候を好む樹木が増えた。アカガエルの産卵日が10年で5~10日早まり、サンゴ礁では夏の高水温が原因とみられる白化現象が頻繁にみられるようになった。

 湿地の減少など環境悪化による影響も深刻だという。シギやチドリなど内陸の湿地や沿岸域に生息する鳥類が10年間で半減し、島しょ部ではカモメ類が大きく個体数を減らしたことが分かった。

★オオムラサキ♂

 本日(2013/06/16)は終日晴天、暑い一日となりました。ナミアゲハやカラスアゲハにヒョウモンチョウ類もチラホラ見られ、蝶の仲間が活発になってきた感じがしていました。そうしたところ、お昼にセンター棟を出ると、周囲の常緑樹の樹冠の中で今季初見のオオムラサキを確認することができました。遠かったのでお披露目は先延ばしと諦めていましたが、午後に所用で建物の裏に行くと!何やら地面をちゅーちゅーしている大きな蝶が…。まだ羽化して間がないのでしょう、痛みのないキレイな翅の個体を見ることができました。

 間近で見るとやはり大きい。♂は翅を全開すると幅は8~9センチ(♀は10センチぐらい)。力強い羽ばたきで小鳥よりも立派な飛びっぷりばかり見せつけられてきているので、間近でおとなしくしている姿に違和感を覚えますが、でも餌場ではスズメバチをものともせずに吸蜜する種でもあり、怖いもの知らずなのかもしれません。

 国蝶と聞くと格式が高く感じられますが、里山や雑木林の代表種であり、本来はとても身近な昆虫にちがいありません。

岡山県和気郡和気町 自然保護センターの記事による。

スズメ
オオムラサキ

 日本自然保護協会は調査結果を受け、生物多様性の回復に向け、モニタリング体制の強化とともに、地域で環境保全を進めるために「官民の支援の充実が求められる」などとする提言を公表した。【山口智】

2024.10.01 記す。

★第四十八候「水始涸 (みずはじめてかるる)」 10/3~10/7頃

 七十二候が秋分の末候に変わり、田んぼの水を抜き、稲穂の刈り入れを始める頃となりました。

★ブーゲンビレア


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.182

 さむざむとした気持ちで、戦争のニュースを聞いていた頃に、よくこんなような島の名を耳ににした記憶があるはずである。それも確かにフランスの航海家ブーガンヴィーユに関係はあったのだが、この花も彼を想い出さずには眺められない。

 熱帯植物園へ写真撮影に行って来た人が、こんなきれいなものがあったんですと言って手帳のあいだから出したのがこれだった。いたかずらという和名がついているが、もともと南米ンおものである。この苞ンお色の薄い赤紫を何と言ったらいいのだろう。数世紀前の洋書のあいだから出て来そうな色である。

 彼が帰ってからスライド映写機を開いて、これをスクーリンにうつしてみる。三枚の苞にはさまっている花梗(かこう)のひからびたのも見えるが、この桃色の苞は、天国から追放された天使たちが、自分の心臓の鼓動をかくすためにつかったものにちがいない。それでこんなふうに薄赤く染まったのだろうし、血管もここに見えているこの天使たちは、だんだん図々しく地上の人たちと交わって、しまいには心臓のトクトク言う音をたのしむようになって、このプラカップをすててしまったのだろう。

※参考:ブーゲンビレアという名前は、フランスの植物学者フィリベルト・コマーソンが発見した植物の友人である船員のルイス・デ・ブーゲンビルに由来しています。

 ブーゲンビレアは南米原産のオシロイバナ科の低木やツル性植物で、1760年代にブラジルのリオデジャネイロで初めて発見されました。

 また、ブーゲンビレアの和名は「筏葛(イカダカズラ)」で、花の姿が筏のように見えることが由来です。花のように見える苞を筏(いかだ)に、中心の白い花を人に見立てたことからきています。

※参考:ブーゲンビル‐とう〔‐タウ〕【ブーゲンビル島】 の解説

《Bougainville Island》パプアニューギニア東部の島。地理的にはソロモン諸島に属す。中心地は南東部のアラワ。ココア・ココヤシや銅を産出。第二次大戦中、日本軍が占領。連合軍との激戦地になった。名称は、フランスの航海者L=A=ブーゲンビル(1729〜1811)にちなむ。

2024.11.15 記す。

★葉鶏頭


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.247

 鶏の頭というものを、特にその鶏冠(とさか)を美しいと思う人はあまりない。それはどう見ても、もう手当の仕様のない、ひどい皮膚病である。けいとうの花にはずいぶん異品があって、それぞれ名前がついているが、その赤い部分の気味の悪さはさほど変わらない。けれど葉鶏頭の葉の赤さはちがった趣があって、これをいっぱい植えてある庭の秋は真赤にもえる。

 いつか訪ねた家の庭は葉鶏頭だらけで、これは恐ろしくきれいなものだと思った。

 外国へ行ったまま帰って来ないそこのご主人が、葉鶏頭が好きで、それで早く帰って貰いたい気持ちから庭をこんなふうに飾っているのだと説明された。

 ヨーロッパにもこれはあるだろうかと訊ねられ、僕もこの植物が出て来る小説を二つ三つ思い出しながら、あるようですけれど、こんなにきれいな庭はないでしょうといい加減のことを言った。

 小学二年になるお嬢さんが、この赤い葉の中に分け入って、姿が見えなくなって歌をうたっていたのが大層印象的で、御主人は遠い国でどんなことをしているのか知らないけれど、早く帰って来ればいいににと思っ

挿絵
葉鶏頭

2024.10.24 記す。

★落花生とピーナッツの違いとは?

1.落花生

 落花生はマメ科ラッカセイ属の一年草で、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われています。

 株元から茎を伸ばし、20~50cmほどに成長します。夏に黄色い花を咲かせ、受粉すると花は枯れ落ち、子房柄が下向きに伸び、地中に潜り込み結実します。このように花が落ち地中で実を生むということから「落花生」と名付けられたとされています。

 そして、深さ3〜5cmに達すると、子房柄の先が膨らみ始め、そこにさや(鞘)ができ、そのさやの中で豆が育ちます。

 ラッカセイ(落花生)は他のマメと違い、地中にマメができるのが特徴です。

2.ピーナッツ

 実はピーナッツは、落花生と同じ植物を指す英語です。

 日本では、状態によってこの2つの言葉を使い分けています。植物の状態や殻つきのものを「落花生」、殻から出された種子のみになると「ピーナッツ」と呼んでいる場合が多いようです。

落花生の栄養素

 落花生にはたんぱく質をはじめ、脂肪、ビタミンB1、B2、Eなどがバランスよく、豊富に含まれています。

 落花生に含まれる脂肪にはオレイン酸が多く、このオレイン酸にはコレステロールを下げる働きがあります。

 また、ビタミンEは老化防止や美肌効果に期待が出来ます。

 落花生の収穫時期は9月〜11月頃。炒った落花生は日頃よく口にしますが、掘り立ての落花生を塩ゆでにしたものは格別です。

①落花生の下ごしらえ

 落花生は収穫後に、炒るものは1週間ほど天日干しの作業を行うそうですが、生のものを塩ゆでする場合は‟採れたての鮮度のよいもの”をゆでます。

 ゴシゴシと洗ってよく泥を落とします。

 あとは殻付きのままゆでるだけですが、落花生は塩をしっかりきかせてゆでることが大切で、ゆでる水に対して3〜4%の塩を加えるとよいです。(1Lの水でゆでるなら塩大さじ2、1.5Lでゆでるなら塩大さじ3ほど)

②落花生のゆで方/食べ方

 ゆで時間は30分が目安です。殻がある分少し長めにゆでる必要があり、茹でている最中に浮いてくるようであれば落し蓋をします。 30分後にゆで加減を確認し、少し硬ければ数分追加でゆでましょう。

 ゆでたてはホクホクの白い実が甘く美味しいおつまみになります。すぐに食べるのが一番ですが、冷蔵庫で保管すれば翌日まで美味しく食べられます。

2024.09.26 記す。

★レモン


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.64

 高村幸太郎さんの死が伝えられたその日、僕は遠くから訪ねて来た友人に高村さんの詩を読んでいた。若い友人は、まだニキビがぽつポつ見える襟首をたれて、聞いた。

  三畳あれば寝られますね

  ……

  智恵さん斯(こ)ういうところが好きでせう

 という「案内」を読み、その岩手県の小屋から届いた葉書のことなども想い出しながら、詩集をめくっていると、「レモン哀歌」が出て来た。僕はその時に全く別のことを想い出した。もうかれこれ半年も前に、ある人から、「レモンの花どんな花ですか」と訪ねられ、しらべて書き送る約束をしておきながら、そのままにになっていたのである。

 僕はそれから幾つものレモンをしぼった。この冬は、寒い夜にレモンをしぼり、熱い湯をさして飲む習慣がついていた。サンクスとの色のいいのも、和製の青いのも、しぼってしまえばそんなに味は違わなかった。

 そんなことをするたびにレモンの花のことを考えた。年中断続して咲くというその花は大体白くて、花弁の外側がいくらか紫を帯びているということである。それを見ていないことを告白するのは恥かしい、その花をどこかの海に近い丘の上で見る日に、僕はだれのことを想い出すだろうか。トパアズ色の香気の中からだれの顔が浮かんで来るだろうか。

※断続的に開花し、結実することがある。しかし、一年中結実させていると木が弱るので、晩春に咲く花だけを結実させ、それ以外の時期に咲いた花は全て摘み取る。(黒崎記)

※トパーズは黄玉とも呼ばれる宝石です。確かに色はレモンと同じ(※無色 ... もっとそのまま感じればよいのかもしれません。 「トパアズいろの香気」(黒崎記)

2024.10.12 記す。

★第四十九候「鴻雁来 (こうがんきたる)」 10/8~10/12頃

 七十二候が寒露の初候に変わり、雁が北から渡ってくる頃となりました。

★リンドウ

 2024.10.13 テレビ放送で群馬県高山村特産のリンドウの摘み取り・選花・出荷作業が放映されていた。

 リンドウの出荷が栽培農家で盛んに行われている。ハウスでは、赤紫色の「ハイジラブ」のつぼみが膨らみ、1本ずつ丁寧に収穫する作業に追われる。

 リンドウの切り花は作業場に運ばれ、花の付き具合や草丈の長さなどで選別し、箱詰めして出荷される。「高温のため、収穫は例年より10日ほど早い」と話す。

 同村では20年ほど前から本格的にリンドウを栽培。現在は高山村りんどう栽培組合(中山美代子組合長)の7軒が県内や都内などに出荷している。作業は10月中旬まで続く。

2024.10.13 記す。

★カリン

 カリンには咳どめ効果があるようで、カリン酒などに利用されています。しかし残念ながら、生食はもちろん、ジャムなどへの加工もできません。カリンジャムとして販売されているのは、じつはマルメロ(Cydonia oblonga)のジャムです。長野県ではマルメロのことをカリンとも呼ぶためです。

 カリンは木肌が美しく、果実にも風情があるので、庭木や盆栽に用いられます。木はマルメロと違って、直立性です。果実は楕円形のものが多いですが、円形のものもあります。果皮に毛はありません。花は紅色です。一方、マルメロの果実は洋ナシ形で、果皮に綿毛があり、萼が残ります。花はサーモンピンクです。マルメロには品種もいくつかありますが、カリンには品種名のついたものはありません。

 栽培は容易で、ほとんど無農薬で栽培できます。ただ、果実にシンクイムシが入るので、被害が多い場合は薬剤による防除か、袋かけが必要です。そのほか、アブラムシがつくことがありますが、ほとんど問題になりません。

曹源寺の花梨の木
花梨の花
花梨果実
2024.10.17 記す

★第五十候「菊花開 (きくのはなひらく)」 10/13~10/17頃

七十二候が寒露の次候に変わり、菊の花が咲き始める頃となりました。

★すすき


★串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.250

 僕は大正生まれで、「枯れすすき」の歌なんぞを聴きながら育ったからこんなのだと言われたことがあるが、こんなとはどんなかは訊ねなかった。つまりそんなことを訊ねないのが枯れすすき的なのかも知れないと僕は賢く思ってしまったから……。

 どうせわたしはかれすすき……

 僕はそうでもないと思う。しかしまたそうかも知れないと思う。「枯れすすき」の歌は亡国の調べだそうである。

 けれども今は、虫めがねをもって、その披針形の小穂を見る。秋の七草の一つとしてではなく、また尾花の姿にひかれることもなく、はっきりと知らないものを念入りに見るために。

 すすきの葉はつかまると手を切る。つかまえるならば、ぎゅっとにぎらなければならない。臆病な握り方をしていると手が切れる。それは確かに一つの風刺である。つかまえようとさえしなければ何の心配もない。

挿絵
すすき

2024.10.24 記す。

★第五十一候「蟋蟀在戸 (きりぎりすとにあり)」 10/18~10/22頃

七十二候が寒露の末候に変わり、戸口で秋の虫が鳴き始める頃となりました。

★ぱせり


串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.90

 ある奥さんが、少し上等なレストランでサンドイッチをとり、お皿についていたパセリを食べたら、くすくす笑われたと僕に報告した。程よくふくれた顔つきで。

 外国の品物や様式が無闇にはいり込んでいる国では、お互いに、田舎者にされて、常に誰かに嘲笑されている。止むを得ない。そんなことがあったからと言って、緑のかおりのパセリを食べないことにするのは愚かである。

 僕もだいたい、きれいに洗ってあるかどうかを見定めて食べることにしている。それだけでなく、緑をお食べなさい、太陽を食べないから背中が凝るんですと医者に言われてから、時々多量に食べる。それで花壇の一部にパセリを栽培し、今は花盛りである。

 典型的な複繖形の花で、およそ十三に分れた先に二十内外の細かい花の数である。花は食べても葉よりは香りがない。まことに目立たない花だが、昆虫には極めて人気があって、蟻、蠅の類から大小さまざまのものがいつも集まっている。すぐそばでは真赤なけしも咲いているのに、こっちにばかり寄って来る。彼らにとってのパセリの花がどういう魅力を持っているのか、ほんとうのところ分からない。小さな昆虫たちがごたごたしている中で蟷螂の子供たちは、彼らをつかまえる練習をさかんにしている。ところが、もっともらしく鎌をかまえて飛びつくが、蟻につきとばされて、危く落ちそうになる。

※パセリの花の開期は3~5月、9~11月の年二回。

2024.10.04 記す。

★銀 杏


 岡山大学医学部の正門の東西に銀杏の大樹が十四~五本ある。昨年の十一月、西側の二本が雌株で枝もたわわに実がなっていた。雄株より雌株のほうが黄葉していた。根元には実がたくさん散乱。

『ことばの道草』(岩波新書)によると、銀杏は、与謝野晶子が「金色の小さき鳥の形」とうたったいちょう。中国が原産といわれるが、漢語の「鴨脚樹」はその中国で銀杏の葉を鴨の脚に見立てたな。「鴨脚」の近世中国音ヤーチャオが転訛して「いちょう」になったという。もう一つの漢名「公孫樹」は、銀杏が老木でないと実が実らないところから、孫の代に実る樹の意。やっと実ったその実が、おなじみ銀杏。
 大学の銀杏も植えられてから孫の代になっているのだ……。

▼臘梅は五~六年。桃栗三年、柿八年。柚子も五~六年か? 

 実を結ぶ適齢期がそれぞれあるようだ。竹は五十~六十年に一度だけ花を咲かせて枯れるという。人間の一世代は三十年といわれているから約二世代、孫の世代に。公孫樹とほぼ同じ年齢で花を咲かせるが精根を尽くすのだろう。

▼人が花を咲かせて実をつけるのは生後何年くらいだろうか。

 自分の花はいつだったのだろうか? 

 咲かないままだったのだろうか? これから咲くのだろうか? いま咲いているのだろうか? 

 若くて実をつける人、公孫樹のように年輩になって実るような人、さまざま。

 若竹の伸びている五月晴れの空を仰ぎみる。 


 宮本さんよりのメール(2014.10.24)

〽境内に 銀杏聳え 鐘の音 黄色き玉が 青き宝珠
〽天高く 稲架掛けに 夕日映え 津高の郷に 天地の恵み

 上の句は、真福禅寺の銀杏の大木のことで、住職さんの奥さんがギンナンをくださり、電子レンジで焼く方法(ギンナンの種を封筒に入れて暖める)を教えて下さいました。

 実際この方法ですると、2分程度で銀杏の種が弾け、中から青く透きとおったサファイヤーの宝石のような美しい実が顔を見せてくれます。食べると、実においしいです。

 下の句は、津高の郷、家のまわりの長閑な田園風景を詠んで見ました。

★柿の花


 雌の花と雄の花が同じ木になるのを知ったのは数年前の秋でした。イチョウ、クチナシなどのような雌雄異株があるのであれば雌雄同株があっても不思議ではないと思ったのがきっかけ。カキ、クリ、キュウリ、マツの類。そこで来春(今年の春になります)はどんな花かみたいものだと期待していました。

▼今年五月、私の家に植えられている柿の花を初めて観察。四弁で壷状の中におしべをもっているものと花弁の中心部に四角錐形(ピラミッド状)のものがあって、その先端から花柱のようなものを出しているものがありました。ほぼ半分半分でした。植物にうとい私にでもすぐに見分けられました。

▼ある日、散歩していると、柿の花が路上に沢山落ちていました。それらをつぶさに見ると殆ど全部が壷状の花でした。不思議な気がしました。偶然だろうか? その後、庭の木の花の観察を続けていますと両方の花が膨らんでいるのでまたまた不思議。

▼ある事典によると、雌花のみを生ずる品種と雄花と雌花を生ずる品種があると説明されていました。実際にみた木でも雌雄同株ばかりでないことは知ることができましたが、なぜ壷状の雄花が膨らんできているのか理解できないでいます。

▼ちょうどいまごろ、クリが開花していますので、里山にでかけ雌雄の花をみています。キュウリの花も手にとっています。

「見る目を観(み)る目に変える」とみえなかったものがみえてくるようです。しかし疑問も増えています。

※参考:柿の花は雌雄が分かれており、左が雄花、右が雌花です。

雄花は小さくかたまって咲き、雌花は大きく単体で咲きます。花は白く、香りはほとんどしません。

(当然のことですが)雄花にはおしべが、雌花にはめしべがつき、雌花はそのまま実になります。

雄花は一般的な品種(富有・伊豆・刀根・平核無(ひらたねなし)など)にはつきません。

渋柿は受粉しなくても結実するのですが、甘柿の場合、受粉しないと結実が安定しません。

そこで雄花を大量に咲かせる「受粉樹」を畑に混植して受粉しやすくします。

雄花
雌花

2024.10.16 記す。

★第五十二候「霜始降 (しもはじめてふる)」 10/23~10/27頃

七十二候が霜降の初候に変わり、北国からだんだんと初霜が降り始める頃となりました。

★第五十三候「霎時施 (こさめときどきふる)」 10/28~11/1頃

七十二候が霜降の次候に変わり、小雨が思いがけず降っては止む季節となりました。

この小雨とは、秋雨のようにしとしと降り続く雨ではなく、ぱらぱらと通り雨のように降り、じきに止んでしまうような「時雨 (しぐれ)」のことです。

★第五十四候「楓蔦黄 (もみじつたきばむ)」 11/2~11/6頃

七十二候が霜降の末候に変わり、楓 (かえで) や蔦の葉が色づく頃となりました。

 岡山市曹源寺の紅葉も色づいています。

★つわぶき


串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.144

 つわぶきという名を覚えたのは中学二年の時である。植物の発生から教えられたのではない。

 僕はそのころサッカーをしていた。それも試合の最中だったが、球を蹴りそこね、体は宙へ飛びあがり、背中から落ちた。すぐ立ちあがろうとすると左側の膝に全然力が入らない。びっこを引いてやっと家に帰り、自動車で病院に行った。「オスグッド・シュラッテル氏病、左膝関節外傷性水腫」という病名を与えられた。一年も足を思うように使えなかったので、それで何十年たってもそのややこしい病名をわすれない。

 絆創膏や包帯で足をぎりぎり結(ま)かれ、少しでも曲げると逆戻りしてしまうと言われていた。それでもいつか休みの日に、友だちの家まで遊びに行った。そこには、もう八十近いおばあさんがいて黄八丈のもっこり着ていたから寒いころだったと思う。

 そのおばあさんに、足のそういう怪我にはこれが一番効くと言って帰る時につわぶきを一株持たされて来た。僕はそれをすぐ庭に植え、どういうふうにしていいのか分からなかったので、つやつやしたその葉をとって膝にあてておいた。誰かにきいて、あぶってからあてたように思う。効果がありそうににも思えなかったが、友だちに効目があったようにおばあさんに伝えてもらった。

 そしてすっかり忘れた頃、秋の虫の声の中に黄色いつわぶきの花が咲いていた。

※参考:日本薬理学界の記事:「ツワブキ」主な使い方として、打撲、おできなどの腫れもの、切り傷、ものもらいに対し、生の葉を炙り軟らかくなったらちぎって患部に貼ります。

※参考:ツワブキ(石蕗)という名前の由来は、葉に艶(つや)があることから「つやぶき」と呼ばれ、転じて「つわぶき」になったと言われています。

 また、漢字で石蕗と書かれるのは、葉や茎が蕗(フキ)に似ていることと、海岸の岩や石などの間に多く自生していることに由来しています。

2024.11.11 記す。

★とりかぶと


串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.130

 秋の山を歩いている時に、この花は濃い紫で目立つものだからよく名をきかれる。僕は厳密に言えば、「やまとりかぶと」であることを教えてから、これは猛毒があるというと、たいがい山男たちもさわることを遠慮する。さわりかけて引込める手つきが誰でもよく似ているのでおかしい。アコニチンが根にあって、昔アイヌが熊を射るときに、この根の汁を矢につけたという話をつけ加える。鳥兜という名は鳥がこれをかぶるわけではない。おどけた山の小鳥がこれをかぶると似合いそうだが、これは雅楽の伶人がかぶるあの鳥の形をしたかぶとのことである。ドイツでは Sturmhut というが、これは暴風雨のときにかぶる帽子だ。消防夫なんかがこんな形のをかぶっているのを映画か写真で見た記憶がある。

 カロッサが死んだ。彼が小さいころもこの花が毒だと教えられたらしいが、彼は花には別に毒がないことを知っていて、この帽子をとるとどんなものが出て来るかその秘密を知っていた。かぶとをぬがせると「指の間にかわいらしいすみれ色の車が現われ、ちっぽげな鳩が銀の梶棒でそれをひっぱっている」というのである。フランス人たちはその車を「ヴィナスの車」」と言っている。幼いころのカロッサのような子供が僕の近くにいたらどんないいだろと思う。

※参考:ハンス・カロッサ(Hans Carossa,1878年12月15日 - 1956年9月12日)は、ドイツの開業医・小説家・詩人。謙虚でカトリック的な作風であった。

挿絵
とりかぶと

2024.11.07 記す。

★第五十五候「山茶始開 (つばきはじめてひらく)」 11/7~11/11頃

七十二候が立冬の初候に変わり、山茶花 (さざんか) の花が咲き始める頃となりました。

★鴨


(巻一 六四)(岩波文庫)P.59

 葦辺あしへ行く鴨かもの羽交はがひに霜降りて 寒き夕ゆうべは大和し思ほゆ 〔志貴しき皇子の作りませる御歌 〕

*朝日新聞2009年11月6日 ナカニシ先生のこども塾(奈良県立万葉文化館長・中西進)より

 葦辺(あしへ)行く 鴨(かも)の羽交(はがひ)に霜降りて 寒き夕(ゆうべ)は大和し思ほゆ

 「ところでカモは雌雄仲のいい鳥で、『万葉集』でもかならずいっしょにいる姿が歌われています。皇子はアシ辺のカモの姿から妻を思いやったにちがいありません。」と説明されています。

2024.10.30 記す。

★山茶花


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 山茶花は泣き笑いをしている。十一月末のいじけ切った植込みのなかに立って、白に、薄紅に、寂しく咲いたその花には、風邪に罹った女の、眼の縁の上気のぼせは、発熱のせいかも知れないと、そっと触ってみると、肌はしっとりと汗ばんで、思いの外冷えきっている、そのつめたさが感じられる。途の通りがかりに飛び込んで来た風来坊の泥棒蜂が、その大きな百日鬘を花びらのなかに突っ込んで、すぐにまたつまらなさそうに引返して往くのは、その蕊の匂があまりに低く、冷いのによることかもしれない。

 これまで薄暗い庭の片隅で、日光に向いた一方にだけ花をもっていた山茶花を、ことしの春先に日当りのいい中央まんなかどころに移し植えたことがあった。いつも室の片隅から客に応対することしか知らない「女」を、大勢の群集のまんなかに引張り出すと、「女」は自分の背後を気にして、しきりと帯の結び目のあたりを撫まわしたりするものだが、ちょうどそのように、庭の片隅から日光のただなかに引越して来た山茶花は、小枝の少い自分の背後を気にして、出来合いの見すぼらしい花を三つ四つつけて、やっとばつを合わせているような恰好だ。

 寂しい花だ。

2024.10.20 記す。

★第五十六候「地始凍 (ちはじめてこおる)」 11/12~11/16頃

七十二候が立冬の次候に変わり、寒さで大地が凍り始める頃となりました。

★第五十七候「金盞香 (きんせんかさく)」 11/17~11/21頃

七十二候が立冬の末候に変わり、水仙の花が咲き、芳しい香りを放つ頃となりました。

ここでいう「きんせんか」とは、春に咲くキク科の金盞花ではなく、水仙のことをさしています。

★草の実のとりいれ


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 収穫とりいれといえば、すぐに晩秋の野における農夫の労働生活が思われる。これは激しい汗みずくな、しかしまた楽みにも充ちたものである。草の実の採入れは、それとは趣の異った、暢気な、間のぬけた、ほんのちょっとした気慰みの仕事に過ぎないが、それでも、そのなかに閑寂そのものの味が味われないこともない。

 秋の彼岸前後になると、懐妊した女の乳のように、おしろい花の実が黒く色づき初める。それを撮み取ろうとすると、円い実は小さな生物か何ぞのように、こざかしく指の間を潜りぬけて、ころころと地べたに転がり落ちる。人間の採集がほんの気紛れからで、あまりあてにはならない事をよく知っている草の実は、こうして人間のおせっかいから遁れて、われとわが種子を保護するのである。それを思うと、落葉の下、土くれの蔭までもかき分けて、落ちたおしろいの実の行方をさがすなどすまじき事のように思う。

 おしろいの実を掌に取り集めると、誰でもがその一つ二つを爪で割ってみたくなるものだ。中には女が化粧につかうおしろいのような白い粉が一ぱいにつまっている。小供の時もよくそうして割ってみた。大人になって後もなお時々割ってみる事がある。自然はいかさまな小商人こあきんどのように、中味を詰め替える事をしないので、今もむかしのものと少しも変らない、正真まざりっ気なしのおしろいの粉が、ほろほろとこぼれかかる。この小さな草の実にこうした誘惑を感じるのも、不思議なことの一つである。

 鳳仙花の種子を採集するには、蟋蟀を捉えるのと同じ程度の細心さがなくてはならない。なぜかというに、この草の実は苞形つとがたの外殻からに包まれていて、この苞の敏感さは、人間の指さきがどうかした拍子にその肌に触れると、さも自分の清浄さを汚されでもしたかのように急に爆ぜわれて、なかに抱いている小坊主の種子を一気に弾き飛ばしてしまうからだ。苞ぐるみ巧くそれを劣ぎとったところで、どうせ長もちはしないに極っているが、手のひらのなかで苞の爆ぜるのを感じるのは、ちょっとくすぐったいもので、蟋蟀のように刺とげだらけの脛すねで、肌を蹴飛ばしたりしないのが気持がいい。

 のっぽな露西亜種の向日葵が、野球用の革手袋ミットを思わせるような大きな盤の上に、高々と大粒な実を盛り上げて、秋風に吹かれているのは哀れが深い。秋から冬へかけて、シベリヤを旅行した人の話を聞くと、あの辺の子供たちは、雪の道を学校への往き復りに、隠しの中からこの草の実の炮じたのを取り出しては、ぽつりぽつりと噛っているそうだ。そろそろ粉雪のちらつく頃になると、好きな虫けらも見当らないので、そこらの雀という雀は、余儀なく菜食主義者とならなければならない。脂肪の多い向日葵の実は、この俄仕立にわかじたての青道心あおどうしんのこの上もない餌となるので、それを思うと、私はこの種子を収める場合に、いつも余分のものをなるべく多く貯えなければならなくなる。

 けばだった鶏頭の花をかき分けて、一つびとつ小粒の実を拾いとるのは、やがて天鵞絨ビロードや絨氈の厚ぼったい手ざわりを娯むのである。からからに干からびた紫蘇の枝から、紫蘇の実をしごきとる時、手のひらに残ったかすかな草の香を嗅ぐと、誰でもが何とはなしにそれと言葉には言いつくし難い哀愁を覚えるものである。枯れた蔓にぶら下って、秋を観じている小瓢箪の実が、いつのまにか内部に脱け落ちて、おりふしの風にからからと音を立てながらも、取り出すすべのないのも、秋のもどかしさである。

 糸瓜の実が尻ぬけをしたあとを、何心なく覗き込み、細かい繊維の網から出来上った長い長い空洞が、おりからの秋天の如く無一物なのに驚いて、声を放って哄笑するのも、時にとっての一興である。

鳳仙花
露西亜種の向日葵
鶏頭の花
糸瓜

2024.10.20 記す。

第五十八候「虹蔵不見 (にじかくれてみえず)」 11/22~11/26頃

七十二候が小雪の初候に変わり、虹を見かけなくなる頃となりました。

★柚子湯


 平成二十九年十一月二十二日夕方、知人が「今日は冬至ですよ」と言って、柚子を袋に入れて持って来て下さった。

 そこで早速、柚子湯に入ることにした。

 湯船に八個の柚子を丸ごと入れた。お湯の中に体を浸して温まること約5分で柚子をつかみ香をかぐと、かすかに匂う。齧ってみると、柚子独特の味。独りで湯船でリラックス。

 平成三十年十一月十五日、冬至二十二日には、まだ早い。ラジオ体操参加者の一人から柚子をいただいていた。そこで、柚子を輪切りにして柚子湯に入つた。

★柚子湯に入った。冬至は11/22

【ユズ】ミカン科の常緑椊物。耐寒性に優れているので東北地方でも栽培。表面がでこぼこしていて大きなオオユズ、小ぶりのハナユズがある。

 柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」。こうした語呂合せから柚子湯に入ると思われていますが、もともとは運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)だと考えられています。昔は毎日入浴しませんから一陽来復のために身を清めるのも道理で、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。端午の節句の菖蒲湯も同様です。

 また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められています。

 もちろん、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防したり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果があります。さらに、芳香によるリラックス効果もありますから、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。

2024.10.25 記す。

第五十九候「朔風払葉 (きたかぜこのはをはらう)」 11/27~12/1頃

七十二候が小雪の次候に変わり、冷たい北風が、木の葉を散らす頃となりました。

朔風とは北風のことで、木枯しを指します。

★やつで


串田孫一著『博物誌』(角川文庫)P.163

 やつでは、あんなに大きな葉をひろげているのに、自分の家にあったかどうか思い出せないほどに、なんとなく庭にある木だ。僕は家の植物分布を一度紙にかいたことがあるので、やつでのある場所も知っているが、多分あったはずだという程度の人が多いいのではないかと思う。今、どこの家でもその雄花、雌花の立派な繖形(さんけい)の花が咲いているが、それも気づかずにいることがある。

 花火のような、レースの玉のようなその個性の花が、どんな割合でついているかを気にしているが、僕の見たところでは、はっきりしたつき方はないようである。しかし、全然無秩序というわけでもあるまい。

 雌花のほうは、幼いころちぎりとって、投げて遊んだ触覚がなつかしい。これは、そんなふうに乱暴に投げたりするものじゃあなくってよ。こうしてお手玉にするのよ。そんなことを言われながら、僕は自分がちぎり取ったこの玉をどこかの女の手に取りあげられてしまったことがあるような気がする。あるいは昔の夢かも知れない。

 雄花にレンズをあてて見ると、中央の蜜のてらてらしているところが罐詰の桃のようで、なめると甘い。今日は冷たい雨降りで虫はやって来ない。すぐ隣り合っているのに、花粉ががうまく運ばれるかどうか、気が気でない。

※参考:よく見ると、花の形が2種類あります。雄花と雌花が分かれているわけではありません。一つの花が日が経つにつれてその役割を変えるのです。

 まずおしべが成熟して花粉を出します。花粉を運んでもらう虫を呼ぶために蜜も出します。この時期を雄性期(ゆうせいき)というそうです。

 やがておしべと花びらが散り、蜜も止まります。そして、今まで小さかっためしべが伸び始めます。

 めしべが成熟するとふたたび蜜を出して虫を呼びます。花粉を着けてもらうためです。この時期は雌性期(しせいき)と呼ばれます。

 このようにおしべとめしべの成熟する時期がずれているのは、同じ花の花粉がめしべに着くことを避けるための工夫です。近親交配をすると性質の劣る子孫ができる可能性が高いからです。他の植物でもよく見られる仕組みですが、ヤツデの場合は形が分かりやすいですね。

挿絵
やつで

2024.11.19 記す。

第六十候「橘始黄 (たちばなはじめてきばむ)」 12/2~12/6頃

七十二候が小雪の末候に変わり、橘の実が黄色く色づき始める頃となりました。

★柚子


薄田泣菫著『艸木虫魚』

 柚の木の梢高く柚子の実のかかっているのを見るときほど、秋のわびしさをしみじみと身に感ずるものはない。豊熟した胸のふくらみを林檎に、軽い憂鬱を柿に、清明を梨に、素朴を栗に授けた秋は、最後に残されたわびしさと苦笑とを柚子に与えている。苦笑はつよい酸味となり、わびしさは高い香気となり、この二つのほかには何物をももっていない柚子の実は、まったく貧しい秋の私生児ながら、一風変った秋の気質は、外のものよりもたっぷりと持ち伝えている。

 柚子は世間のすねものである。超絶哲学者の猫が、軒端で日向ぼこりをしながら、どんな思索にふけっていようと、また新聞記者の雀が、路次裏で見た小さな出来事をどんなに大げさに吹聴していようと、彼はそんなことには一向頓着しない。赤く熟しきった太陽が雑木林に落ちて往く夕ぐれ時、隣の柿の木の枝で浮気ものの渡り鳥がはしゃぎちらしているのを見ても、彼は苦笑しながら黙々として頭をふるに過ぎない。そこらの果樹園の林檎が、梨が、柿が、蜜柑が、一つ残さずとりつくされて、どちらをふり向いて見ても、枝に残っているものは自分ひとりしかないのを知っても、彼は依然として苦笑と沈黙とをつづけている。彼は自分の持っているのは、さびしい「わび」の味いで、この味いがあまり世間受けのしないことは、柚子自らもよく知っているのである。

 むかし、千利休が飛喜百翁の茶会で西瓜すいかをよばれたことがあった。西瓜には砂糖がかけてあった。利休は砂糖のないところだけを食べた。そして家に帰ると、門人たちにむかって、 「百翁はもっとものがわかっている男だと思っていたのに、案外そうでもなかった。今日西瓜をふるまうのに、わざわざ砂糖をふりかけていたが、西瓜には西瓜の味があるものを、つまらぬことをしたものだ。」 といって笑ったそうだ。もののほんとうの味を味おうとするのが茶人の心がけだとすると、枝に残って朝夕の冷気に苦笑する柚子が、彼等の手につまれて柚味噌となるに何の不思議はない。「わび」を求めてやまない彼等に、こんな香の高い「わび」はないはずであるから。

 徳川八代将軍吉宗の頃、原田順阿弥という茶人があった。あるとき、老中松平左近将監の茶会に招かれて、懐石に柚味噌をふるまわれたことがあった。その後幾日か経て、順阿弥は将監にあいさつをした。

「こないだの御味噌は、風味も格別にいただきました。さすが御庭のもぎ立てはちがったものだと存じました。」

「庭のもぎ立て。」将監は不審そうにいった。「なぜそんなことがわかった。」

 順阿弥は得意そうに微笑した。

「外でもございません。お路次へ上りましたときと、下りましたときと、お庭の柚子の数がちがっておりましたものですから。」

 それを聞くと、将監は

「油断もすきも出来ない。」

といって、にが笑いしたそうである。

 ものごとに細かい用意があるのはいいものだが、路次の柚子を数えるなどは、柚味噌のわびしい風味をたのしむ人の振舞とも覚えない。こんなことを得意とするようでは、いつかは他人のふところ加減をも読みかねなくなる。

2024.10.18 記す。

第六十一候「閉塞成冬 (そらさむくふゆとなる)」 12/7~12/11頃

七十二候が大雪の初候に変わり、天地の気が塞がれ、本格的な冬が訪れる頃となりました。

「雪曇り」と言いますが、特にこの時季の日本海側の空は、この言葉がぴったりと当てはまります。

第六十二候「熊蟄穴 (くまあなにこもる)」 12/12~12/15頃

七十二候が大雪の次候に変わり、クマをはじめ、動物たちが冬ごもりをする頃となりました。

第六十三候「鱖魚群 (さけのうおむらがる)」 12/16~12/20頃

七十二候が大雪の末候に変わり、鮭が群れをなして川を上っていく頃となりました。

★サケがふるさとの川へ


桑原萬壽太郎 『帰巣本能』NHKブックス 昭和45年12月10日 第2刷発行 P.44~46

 渡りをする動物は沢山ある。哺乳類でも大きな移動をするものもあるし、昆虫の中にも数百キロといった移動するものもある。しかし、今われわれの興味の中心においているのは、もとのところに戻ってくるということである。その意味では忘れられないのは、サケ、マスの回帰性ということである。私は北海道大学の学生だった頃、石狩川の川口の近くで、巾広い川を何列になっても、あの大きなサケが勢よく川上に向ってさかのぼる姿をみた。まさにそれは壮観であった。こうして今のぼっているサケは、四年前にこの川で産卵され、この川で稚魚となった同級生なのである。大洋をまたにかけて、アリューシャンから、アラスカの方までも回遊して充分に成熟し、今産卵のために故郷の川の戻って来たのである。

 沢山の標識放流の実験がなされた。この方の歴史はむしろ鳥の足環より先輩なのである。鳥のように足環というわけにはいかないので、セルロイドなどの小さな札を銀の針金で尾のつけ根とかえらぶとかにつけてやる。若い魚のひれ等に切りこみをつけたりする方法もある。

 こうした数々の実験の結果は、サケの生れ故郷への回帰は確認されている。そして母川に戻ったサケはわき目もくれず遡河するのであるが、自分の育った支流の合流点にくるとあやまたずに、躊躇するところなく、その支流に入るのである。

 もうずい分前からではあるが、乱獲による絶滅をさけるため、人工孵化ということが盛んに行われている。母川に上ってくるところを川一杯に網をかけて、ねこそぎ捕かくして、卵のすじ子まで食われたのでは、サケは絶滅してしまう。そこで遡河するサケを沢山捕え、雌は腹をさいて、すじ子とかすず子とかよばれて食用にされるあの卵を金属の水盤にとり、一方繁殖期には吻の先が曲って鼻曲りといわれる成熟雄の腹をしごくと白い精液が出てくるので、これを卵の上にふりかけ、よくかきまぜて受精させる。受精した卵は清流の中で孵化させ、飼育地に移して、三・四ヵ月さなぎ粉等を与えて飼い、稚魚が六センチくらいになったところで放流してやると自然に川を下って海に出て長い回遊の旅にでるのである。卵をとり、精液をしぼられた親は食用に供される。自然の状態では、餌もとらずに一日一四キロくらいの速さで何キロも何十キロも川を遡り、美しい砂礫の底の六〇~九〇センチくらいの水深のところで、雌は長さ一メートル、深さ0.五メートル、巾も0。五メートルくらいの孔を掘り、その中に産卵する。そのとき一夫一婦の如くにつれそっていた鼻曲り雄は卵の上流に位置して精を流し、受精は無事に行われるのである。そのようにして産卵受精を終わった両親は、精魂つき果ててまもなく死ぬのである。それ故人工孵化の方も、卵をとり、精をしぼったら魚屋に払い下げても一向にさしつかえないわけである。すじ子をどんどん食うのはもったいない話しである。

 さて、、このようにして人工孵化した稚魚を母川でなく、今までサケの上らなかった川に運んで放流してやると、まことに面白いことにそれから四年の後、サケが上ってくるようになる場合がある。その川が条件さえ不適当でなければ、立派に育ち、下って大海に入り、やがて放浪の旅を終って、母なる川と思って、放流された川に上ってくるというわけである。どうもサケの母川への郷愁は、何か幼き日の記憶につらなるようにさえ思えてくる。この神秘の鍵は何であろうか。

2024.10.03 記す

第六十四候「乃東生 (なつかれくさしょうず)」 12/21~12/25頃

七十二候が冬至の初候に変わり、乃東が芽を出し始める頃となりました。

乃東とは、冬に芽を出し夏に枯れる「夏枯草 (かこそう)」の古名で、紫色の花を咲かせる「靫草 (うつぼくさ)」の漢方名でもあります。

★猩々木(ポイントセチア)


串田孫一著『博物誌』(角川文庫) P.154

 クリスマスにちなんだ花は沢山あるが、その中の一つに猩々木がある。ポインセチアと言った方が通りがいいかも知れない。

 僕がこの花を頂く時にはかなり悲愴だった。熱があるのを承知で外へ出かけた帰り、もう夜おそく、寒い風が吹いていた。あげたい花があるんだがなあ、ちょっとうちへ寄って下さらないかしら……。それとも……ここで待って下さるかしら……。

 そんなにして僕のためにとっておいて下さった花なら頂にあがらなければならない。熱があって赤い顔をしていても、要らないなどとは言えない。電線が風に唸っていた。それから犬が何匹も吠えていた。

 その晩かかえて来たのが鉢植えの猩々木だった。赤い花ではなく、枝の先の赤い葉を、くるんでくれた紙の包みの上からちらちらのぞかせながら、僕はがたがた寒さにふるえて帰って来た。多分僕の顔は猩々(しょうじょう)のようだったにちがいない。それから二週間床についていながらこの花をしみじみと眺めた。小さな青蛙が、何匹も集って会談しているように見えた。何を語り合っているのだろう。青蛙たちは信心深いかどうか知らないが、それは、キリストがべタニアのマリアから猩々木を貰ったかどうかを議論している姿にも見えた。

※参考:ポインセチアという名前は、アメリカの初代駐メキシコ大使であるポインセット氏の名前に由来しています。ポインセット氏は、メキシコで自生していたポインセチアを見つけ、 ...

挿絵
猩々木

2024.11.14 記す。

第六十五候「麋角解 (さわしかのつのおつる)」 12/26~12/30頃

七十二候が冬至の次候に変わり、オス鹿の角が落ちる頃となりました。

メスの鹿は角が生えませんが、オスの鹿は一年に一度、角が根元から自然にポロっと取れて、春にはまた新しい角が生え始めます。

★柚子湯


 一 陽 来 復 '92 冬の号(朝日新論説委員室)+株式会社英文朝日 1993年3月25日 第1刷 P.100 (1992.12.21)

 「机上なる冬至うす日に手を伸ぶる」皆吉爽雨。

 このところ日の光がめっきり弱まったような気がする。それも道理、北半球では、正午の太陽の高度が、冬至の日に最も低くなる。昼の長さが一年で最も短い日だ。

 とろによって違うだろうが、この日に特別に何かを食べる習慣がある、という人は多かろう。冬至がゆ、カボチャ、こんにゃく、もち……。忘れられないのが柚子湯だ。「白々と女沈める柚子湯かな」日野草城。

※句の説明:白々と女沈める柚湯かな:日野草城

 冬至には柚子湯を湧かす習慣である。一年の苦労の垢を洗い流して新しい年へ向かってゆく。今一人の女が身を沈めて寛いでいる。湯の中に白々とゆらめく姿は妙に艶めかしい。当人は今年の苦労一切合切をすっかり洗い流して無の状態になっている。クリスマス大晦日新年と時の流れの音が聞こえる。まずは斯く在る今年に感謝である。来年も家内安全一病息災で迎えたし。「母様の胎内記憶ありて柚子湯:やの字」:日野草城句集「花氷」所載。

 豊かな湯から、温かみのある芳香が立ちのぼり、湯殿にこもる。ゆったりと手足を伸ばし、快い放心の境にひたる。ひとりしずかに湯を使うのもいいが、家族で柚子湯に入るのも、たいせつで楽しい歳時記である。

 「子の臀を掌に受け沈む冬至の湯」田川飛旅子。おさなごの肌の弾力とつやが、生命力を感じさせる。冬至という日の独特の面白さは日の力が衰えたということから、逆転、むしろ新しい生命力を待望し、感得するというところこにある。

 何しろ、いちばん日の短い日だ。これ以上に悪くなろうはずがない。太陽が最も衰弱し、農耕の行く手が心配な時こそが、考えてみれば、すべてが上向きになる出発点なのだ。衰弱から再生へ、死から復活へ、だ。

 いろいろな民族がこの季節を再生への希望の節目と考えて祝うのも、このすばらしい逆転の思想のゆえだろう。この日を「一陽来復」と表現することがある。中国の周の時代の易によれば「陰が極まって陽が生じる」ことをさすのだという。

 冬至のころから寒さは本格的になる。年が押し詰まり、何となくせわしない、追い立てられるような気分にもなる。風邪をひかないように気をつけよう。なべを囲む機会も増える時期だ。

 上の句はどんな五文字でもよい、下に「湯気の向うの友の顔」と続ければ形になる。これは駄句の見本だそうな。2021.10.11記す。

※「中学の同窓会湯気の向うの友の顔」:旧制中学校の同窓会で温泉の湯船の中で近づいてきたI.T君、始めは誰かわからなかったが記憶がよみがえった。

 2024年の冬至は12月21日。

2024.10.18 記す。

第六十六候「雪下出麦 (ゆきわたりてむぎのびる)」 12/31~1/4頃

七十二候が冬至の末候に変わり、降り積もる雪の下で、麦が芽を出す頃となりました。

麦の新芽 麦は越年草で、秋に種をまいて、翌年の初夏に収穫します。

★七十二候一覧表

72候時期語句・よみ説明

67候1/5~1/9頃「芹乃栄 (せりすなわちさかう)」七十二候が小寒の初候に変わり、芹が盛んに茂る頃となりました
68候1/10~1/14頃「水泉動 (しみずあたたかをふくむ)」七十二候が小寒の次候に変わり、地中で凍っていた泉が融け動き始める頃となりました
691/15~1/19頃「雉始雊 (きじはじめてなく)」七十二候が小寒の末候に変わり、雉のオスがメスを求めて鳴き始める頃となりました
701/20~1/24頃「款冬華 (ふきのはなさく)」七十二候が大寒の初候に変わり、ふきのとうが出始める頃となりました
71候1/25~1/29頃「水沢腹堅 (さわみずこおりつめる)」七十二候が大寒の次候に変わり、厳しい寒さで沢の水さえも凍る頃となりました
72候1/30~2/3頃「鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく)」七十二候が大寒の末候に変わり、春の気配を感じた鶏が卵を産み始める頃となりました
 
1候2/4~2/8頃「東風解凍 (はるかぜこおりをとく)」七十二候が立春の初候に変わり、暖かい春風が川や湖の氷を解かし始める頃となりました
2候2/9~2/13頃黄鶯睍睆 (うぐいすなく)」七十二候が立春の次候に変わり、山里ではウグイスが鳴き始める頃となりました
3候2/14~2/18頃「魚上氷 (うおこおりをいずる)」七十二候が立春の末候に変わり、凍っていた川や湖の表面が割れだす頃となりました
4候2/19~2/23頃「土脉潤起 (つちのしょううるおいおこる)」七十二候が雨水の初候に変わり、あたたかな雨に大地が潤い活気づく頃となりました
5候2/24~2/28頃「霞始靆 (かすみはじめてたなびく)」七十二候が雨水の次候に変わり、春霞がたなびき始める頃となりました
6候3/1~3/4頃「草木萌動 (そうもくめばえいずる)」七十二候が雨水の末候に変わり、草木が萌え出す頃となりました
7候3/5~3/9頃「蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)」七十二候が啓蟄の初候に変わり、地中で冬ごもりしていた虫たちが、暖かい春の気配を感じて姿を現し始める頃となりました
8候3/10~3/14頃「桃始笑 (ももはじめてわらう)」七十二候が啓蟄の次候に変わり、桃のつぼみがほころび、花が咲き始める頃となりました
9候3/15~3/19頃「菜虫化蝶 (なむしちょうとなる)」七十二候が啓蟄の末候に変わり、菜虫が蝶になり、飛び交い始める頃となりました
10候3/20~3/24頃「雀始巣 (すずめはじめてすくう)」七十二候が春分の初候に変わり、雀が巣を作り始める頃となりました
11候 3/25~3/29頃「桜始開 (さくらはじめてひらく)」七十二候が春分の次候に変わり、桜の花が開き始める頃となりました
12候3/30~4/3頃「雷乃発声 (かみなりすなわちこえをはっす)」七十二候が春分の末候に変わり、初雷が鳴り出す頃となりました
13候4/4~4/8頃「玄鳥至 (つばめきたる)」七十二候が清明の初候に変わり、夏鳥のツバメが渡来する頃となりました
14候4/9~4/13頃「鴻雁北 (こうがんかえる)」七十二候が清明の次候に変わり、冬鳥の雁が北へ帰って行く頃となりました
15候4/14~4/19頃「虹始見 (にじはじめてあらわる)」七十二候が清明の末候に変わり、冬には見かけなかった虹が現われ始める頃となりました
16候4/20~4/24頃「葭始生 (あしはじめてしょうず)」七十二候が穀雨の初候に変わりました
17候4/25~4/29頃「霜止出苗 (しもやみてなえいずる)」七十二候が穀雨の次候に変わりました
18候4/30~5/4頃「牡丹華 (ぼたんはなさく)」七十二候が穀雨の末候に変わり、牡丹の花が咲き始める頃となりました
19候5/5~5/9頃「蛙始鳴 (かわずはじめてなく)」七十二候が立夏の初候に変わり、野原や田んぼで蛙が鳴き始める頃となりました
20候5/10~5/14頃「蚯蚓出 (みみずいずる)」七十二候が立夏の次候に変わり、冬眠していたミミズが地上に現れ始める頃となりました
21候5/15~5/20頃「竹笋生 (たけのこしょうず)」七十二候が立夏の末候に変わり、タケノコがひょっこりと顔を出す頃となりました
22候5/21~5/25頃「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)」七十二候が小満の初候に変わり、卵から孵化した蚕が盛んに桑の葉を食べ始める頃となりました
23候5/26~5/30頃「紅花栄 (べにばなさかう)」七十二候が小満の次候に変わりました
24候5/31~6/4頃「麦秋至 (むぎのときいたる)七十二候が小満の末候に変わり、初冬に蒔かれた麦が小麦色に熟す頃になりました
25候6/5~6/9頃「螳螂生 (かまきりしょうず)」 七十二候が芒種の初候に変わり、カマキリが卵からかえる頃となりました
26候6/10~6/15頃「腐草為蛍 (くされたるくさほたるとなる) 七十二候が芒種の次候に変わり、草の中から蛍が舞い、明りを灯しながら飛び交う頃となりました
27候6/16~6/20頃「梅子黄 (うめのみきばむ)」 七十二候が芒種の末候に変わり、青々と大きく実った梅の実が、黄色く色付き始める頃となりました
28候6/21~6/25頃「乃東枯 (なつかれくさかるる)」 七十二候が夏至の初候に変わり、乃東が枯れていく頃となりました
29候6/26~6/30頃「菖蒲華 (あやめはなさく)」 七十二候が夏至の次候に変わり、菖蒲の花が美しく咲き始める頃となりました
30候7/1~7/6頃「半夏生 (はんげしょうず)」 七十二候が夏至の末候に変わり、半夏が生え始める頃となりました
31候7/7~7/11頃「温風至 (あつかぜいたる)」七十二候が小暑の初候に変わり、熱い風が吹き始める頃となりました
32候7/12~7/16頃「蓮始華 (はすはじめてひらく)」七十二候が小暑の次候に変わり、ハスの花が開き始める頃となりました
33候7/17~7/21頃「鷹乃学習 (たかすなわちわざをならう)」七十二候が小暑の末候に変わり、鷹のヒナが巣立ちの準備をする頃となりました
34候7/22~7/27頃「桐始結花 (きりはじめてはなをむすぶ)」七十二候が大暑の初候に変わり、桐の花が実を結び始める頃になりました
35候7/28~8/1頃「土潤溽暑 (つちうるおうてむしあつし)」七十二候が大暑の次候へと変わり、熱気がまとわりつくような蒸し暑い頃となりました
36候8/2~8/6頃「大雨時行 (たいうときどきふる)」七十二候が大暑の末候へと変わりました
37候8/7~8/11頃「涼風至 (すずかぜいたる)」七十二候が立秋の初候に変わり、涼しい風が吹き始める頃となりました
38候8/12~8/16頃「寒蝉鳴 (ひぐらしなく)」七十二候が立秋の次候に変わりました
39候8/17~8/22頃「蒙霧升降 (ふかききりまとう)」七十二候が立秋の末候に変わり、深い霧が立ち込める頃となりました
40候8/23~8/27頃「綿柎開 (わたのはなしべひらく)」七十二候が処暑の初候に変わり、綿を包む「柎=花のがく」が開き始める頃となりました
41候8/23~8/27頃「天地始粛 (てんちはじめてさむし)」七十二候が処暑の初候に変わり、綿を包む「柎=花のがく」が開き始める頃となりました
42候9/2~9/6頃「禾乃登 (こくものすなわちみのる)」七十二候が処暑の末候に変わり、稲などの穀物が実り始める頃となりました
43候9/7~9/11頃「草露白 (くさのつゆしろし)」七十二候が白露の初候に変わり、野の草に降りた朝露が白く光って見える頃となりました
44候9/12~9/16頃「鶺鴒鳴 (せきれいなく)」七十二候が白露の次候に変わり、セキレイが鳴き始める頃となりました
45候9/17~9/21頃「玄鳥去 (つばめさる)」七十二候が白露の末候に変わり、春先にやってきたツバメが帰り始める頃となりました
46候9/22~9/27頃「雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ)」七十二候が秋分の初候に変わり、春から夏にかけて鳴り響いた雷が収まる頃となりました
47候9/28~10/2頃「蟄虫坏戸 (むしかくれてとをふさぐ)」七十二候が秋分の次候に変わり、寒さを覚えた虫たちが地中に姿を隠す頃となりました
48候10/3~10/7頃「水始涸 (みずはじめてかるる)」 七十二候が秋分の末候に変わり、田んぼの水を抜き、稲穂の刈り入れを始める頃となりました
49候10/8~10/12頃「鴻雁来 (こうがんきたる) 七十二候が寒露の初候に変わり、雁が北から渡ってくる頃となりました
50候10/13~10/17頃「菊花開 (きくのはなひらく)」 七十二候が寒露の次候に変わり、菊の花が咲き始める頃となりました
51候10/18~10/22頃「蟋蟀在戸 (きりぎりすとにあり)」七十二候が寒露の末候に変わり、戸口で秋の虫が鳴き始める頃となりました
52候10/23~10/27頃「霜始降 (しもはじめてふる)」七十二候が霜降の初候に変わり、北国からだんだんと初霜が降り始める頃となりました
53候10/28~11/1頃「霎時施 (こさめときどきふる)」七十二候が霜降の次候に変わり、小雨が思いがけず降っては止む季節となりました
54候11/2~11/6頃「楓蔦黄 (もみじつたきばむ)」七十二候が霜降の末候に変わり、楓 (かえで) や蔦の葉が色づく頃となりました
55候11/7~11/11頃「楓蔦黄 (もみじつたきばむ)」七十二候が立冬の初候に変わり、山茶花 (さざんか) の花が咲き始める頃となりました
56候11/12~11/16頃「地始凍 (ちはじめてこおる)」七十二候が立冬の次候に変わり、寒さで大地が凍り始める頃となりました
57候11/17~11/21頃「金盞香 (きんせんかさく)」七十二候が立冬の末候に変わり、水仙の花が咲き、芳しい香りを放つ頃となりました
58候11/22~11/26頃「虹蔵不見 (にじかくれてみえず)」七十二候が小雪の初候に変わり、虹を見かけなくなる頃となりました
59候11/27~12/1頃「朔風払葉 (きたかぜこのはをはらう)」七十二候が小雪の次候に変わり、冷たい北風が、木の葉を散らす頃となりました
59候11/27~12/1頃「朔風払葉 (きたかぜこのはをはらう)」七十二候が小雪の次候に変わり、冷たい北風が、木の葉を散らす頃となりました
60候12/2~12/6頃「橘始黄 (たちばなはじめてきばむ)」七十二候が小雪の末候に変わり、橘の実が黄色く色づき始める頃となりました
61候12/7~12/11頃「閉塞成冬 (そらさむくふゆとなる)」七十二候が大雪の初候に変わり、天地の気が塞がれ、本格的な冬が訪れる頃となりました
62候12/12~12/15頃「熊蟄穴 (くまあなにこもる)」七十二候が大雪の次候に変わり、クマをはじめ、動物たちが冬ごもりをする頃となりました
63候12/16~12/20頃「鱖魚群 (さけのうおむらがる)」七十二候が大雪の末候に変わり、鮭が群れをなして川を上っていく頃となりました
64候12/21~12/25頃「鱖魚群 (さけのうおむらがる)」七十二候が冬至の初候に変わり、乃東が芽を出し始める頃となりました
65候12/26~12/30頃「麋角解 (さわしかのつのおつる)」七十二候が冬至の次候に変わり、オス鹿の角が落ちる頃となりました
66候12/31~1/4頃「雪下出麦 (ゆきわたりてむぎのびる)」七十二候が冬至の末候に変わり、降り積もる雪の下で、麦が芽を出す頃となりました


★花言葉一覧表 ステラ 花ごよみ 誕生日の花・日本の花世界の花 1999/平成11年 カレンダー (NHK「ラジオ深夜便」で放送「誕生日の花」より)

日付植物名科名花ことば
1月1日マツ クロマツマツ科不老長寿 向上心
1月2日オモトユリ科母の愛 相続
1月3日スノードロップヒガンバナ科初恋のため息
1月4日オトメコザクラサクラソウ科少年時代の希望 初恋
1月5日ウメバラ科高潔 上品 澄んだ心
1月6日カンアオイウマノスズクサ科秘められた恋
1月7日ハコベナデシコ科ランデブー 追憶
1月8日テンドロビウムラン科わがままな美人
1月9日カンツバキツバキ科紅一点
1月10日トキワコザクラサクラソウ科富貴 神秘な心
1月11日コチョウランラン科幸福が飛んで来る
1月12日カンザクラバラ科気まぐれ
1月13日クリンコザクラサクラソウ科神秘な心 うぬぼれ
1月14日ツバキツバキ科気取らない優美さ
1月15日セントウソウセリ科繊細な美しさ
1月16日カニサボkテンサボテン科恋の年頃
1月17日フキのとうキク科待望
1月18日パフィオぺジラムラン科優雅な装い
1月19日クンシランヒガンバナ科貴い 望みを得る
1月20日ストックアブラナ科不変の愛  逆境に堅実
1月21日オンシジウムラン科可憐
1月22日シンピジウムラン科深窓の麗人い
1月23日フクジュソウキンポウゲ科幸福を招く 長寿
1月24日エリカツツジ科孤独 幸運
1月25日フウキギクキク科快活 常に輝く
1月26日ミスミソウキンポウゲ科内緒 優雅く
1月27日キンカンミカン科思い出く
1月28日エンドウマメ科未来の喜び
1月29日ハナアナナスパインナツプル科たくわえる
1月30日カルセオラリアゴマノハグサ科たすけあい
1月31日ギョリュウバイフトモモ科蜜月
2月1日ハナナアブラナ科初々しい
2月2日セツブンソウキンポウゲ科光輝
2月3日ナズナアブラナ科すべてを君に捧げる
2月4日フキタンポポキク科公平な裁き
2月5日ネコヤナギヤナギ科自由 親切 思いのまま
2月6日ヒメオドリコソウシソ科愛敬
2月7日タンポポキク科愛の信託 思わせぶり
2月8日サンガイクサシソ科調和
2月9日カンボケバラ科熱情
2月10日アザレアツツジ科愛の楽しみ 節制
2月11日マンサクマンサク科霊感 魔力 神秘
2月12日アセビツツジ科二人で旅をしよう
2月13日キンセンカキク科慈愛
2月14日サンシュユミズキ科持続 耐久
2月15日ニオイスミレスミレ科秘密の恋 交渉
2月16日レンテンローズキンポウゲ科丈夫
2月17日アキタブキキク科包容力
2月18日ジンチョウゲジンチョウゲ科不滅
2月19日アネモネキンポウゲ科信じて従う
2月20日ウグイスカグラスイカズラ科未来を見つめる
2月21日ミツマタジンチョウゲ科壮健
2月22日クリサンセマムキク科清純
2月23日オウバイモクセイ科恩恵
2月24日オウレンキンポウゲ科変身
2月25日カンヒザクラバラ科あでやかな美人
2月26日アズマイチゲキンポウゲ科温和
2月27日クロッカスアヤメ科青春の喜び 堅実
2月28日フリージアアヤメ科純潔 無邪気 潔白
2月29日スギスギ科雄大
3月1日ハハコグサキク科いつも思う 優しい人
3月2日タチツボスミレスミレ科つつましい幸福
3月3日モモバラ科気立てのよさ
3月4日ムラサキケマンケシ科あなたの助けになる
3月5日キブシキブシ科出会い
3月6日シヨウジョウバカマユリ科希望
3月7日パンジスミレ科物思い 私のことを忘れないで
3月8日コブシモクレン科友情 友愛 歓迎
3月9日シバザクラハナシノブ科合意 一致
3月10日シュンランラン科飾らない心
3月11日キランソウシソ科あなたを待っています
3月12日デージキク科無邪気 幸福
3月13日ユキヤナギバラ科殊勝 可憐 愛敬
3月14日ムラサキハナナアブラナ科知恵の泉
3月15日ラッパズイセンヒガンバナ科尊敬
3月16日ハルリンドウリンドウ科高貴
3月17日クサボケバラ科一目ほれ
3月18日イワウチワイワウメ科春の使者
3月19日シダレザクラバラ科優美
3月20日スミレスミレ科謙遜 誠実 真実の愛
3月21日ハナノキカエデ科信仰
3月22日バイモユリ科才能
3月23日ミツバツツジツツジ科節制
3月24日ムスカリユリ科夢にかける思い
3月25日レンギョウモクセイ科達せられた希望 深情け
3月26日チューリップユリ科愛の宣告 魅惑
3月27日ヒヤシンスユリ科勝負 控えめの愛
3月28日ソメイヨシノバラ科優れた美人
3月29日カタクリユリ科初恋
3月30日ダイコンアブラナ科適応力
3月31日アマナユリ科運が向いてくる
4月1日カブアブラナ科慈愛
4月2日エイザンスミレスミレ科茶目気
4月3日ヒトリシズカセンリョウ科隠された美
4月4日ニリンソウキンポウゲ科かわいらしい
4月5日キジムシロバラ科明るく輝いて
4月6日イカリソウメギ科あなたを離さない
4月7日オドリコソウシソ科快活 陽気
4月8日レンゲソウマメ科私の苦しみを和らげる 感化
4月9日オキナグサキンポウゲ科華麗 告げられぬ恋
4月10日ヤマザクラバラ科あなたにほほえむ
4月11日ミヤコワスレキク科忘れ得ぬ人
4月12日シャガアヤメ科私を認め 反抗
4月13日モクレンモクレン科自然への愛 壮麗 恩恵
4月14日マーガレットキク科恋占い 真実の愛
4月15日ぺラルゴニウムフウロソウ科決心 厚い信仰
4月16日ヤマブキソうケシ科すがすがしい明るさ
4月17日ハナビシソウケシ科希望
4月18日キリシマツツジツツジ科燃え上がる愛
4月19日ハヤグルマギクキク科教育
4月20日ヤマブキバラ科気品 待ちかねる
4月21日サクラソウサクラソウ科少年時代の希望 青春
4月22日ヤマツツジツツジ科燃える思い
4月23日オダマキキンポゲ科勝利の誓い
4月24日ワスレナグサムラサキ科私を忘れないで 誠の愛
4月25日ライラックリラ科思い出を大切に
4月26日ケマンソウケシ科あなたについていく
4月27日フジマメ科恋に酔う 懐かしい思い出
4月28日スイトーピーマメ科私を覚えてください 喜び
4月29日コデマリバラ科努力する
4月30日ボタンボタン科風格
5月1日スズランユリ科純愛 希望
5月2日ムシトリナデシコナデシコ科青春の愛
5月3日ミズバショウサトイモ科変わらなぬ美しさ
5月4日ハナミズキミズキ科公平にする
5月5日ショウブサトイモ科心意気
5月6日シャクナゲツツジ科威厳
5月7日クリンソウサクラソウ科物思い
5月8日ゼラニウムフウロソウ科厚い信仰 決心
5月9日キリゴマノハグサ科高尚
5月10カーネーシヨンナデシコ科あなたを熱愛する
5月11カキツバタアヤメ科幸福が来る
5月12カザグルマキンポウゲ科心の美しさ 高潔
5月13ドイツアヤメアヤメ科虹の使者 すばらしい出会い
5月14シランラン科互いに忘れない
5月15シキザキベコニアシュウカイドウ科幸福な日々
5月16バラバラ科愛 純潔
5月17ジャガイモナス科情深い 恩恵
5月18アヤメアヤメ科神秘な人 よき便り
5月19ヒナゲシケシ科慰め
5月20シラネアオイキンポウゲ科優美
5月21セキチクナデシコ科女性の美
5月22ミカンミカン科親愛
5月23アマドコロユリ科心のいたみのわかる人
5月24シャクヤクボタン科はじらい はにかみ
5月25カスミソウナデシコ科清い心 思えば思われる
5月26キンギョソウゴマノハグサ科欲望 清純な心
5月27エビネラン科謙虚な心
5月28アマリリスヒガンバナ科誇り おしゃべり
5月29セッ4コクラン科あなたは私を元気づける
5月30フタリシズカセンリヨウ科静御前の面影
5月31タニウツギスイカズラ科豊麗
6月1日サツキツツジツツジ科協力が得られる
6月2日ウツギユキノシタ科秘密
6月3日ツリガネソウキキョウウ科感謝
6月4日スイレンスイレン科清純な心 信仰
6月5日ハマナスバラ科照り映えする容色
6月6日ネジバナラン科思慕
6月7日イワガミイワウメ科忠実
6月8日ノイバラバラ科素朴なかわいらしさ
6月9日ガベラキク科神秘 一家団らん
6月10日ユキノシタユキノシタ科切実な愛情 博愛
6月11日スイカズラスイカズラ科愛の絆 友愛
6月12日ヤマボウシミズキ科友情
6月13日マイツルソウユリ科清純な少女の面影
6月14日センダンセンダン科意見の相違
6月15日アジサイユキノシタ科移り気 乙女の愛
6月16日ウツボグサシソ科協調性
6月17日タイサンボクモクレン科威厳をつける 自然の愛情
6月18日オオマツヨイグサアカバナ科浴後の美人
6月19日ノアザミキク科私をもつと知ってください
6月20日ハナシヨウブアヤメ科優しい心 あなたを感じる
6月21日テッポウユリユリ科純潔 純愛 淑女
6月22日シモツケバラ科いつかわかる真価
6月23日ヒメサユリユリ科飾らぬ美 純潔
6月24日レンゲツツジツツジ科情熱
6月25日オカトラノオサクラソウ科優しい風情
6月26日ザクロザクロ科円熟した優美
6月27日ホタルブクロキキョウ科正義 貞節
6月28日ササユリユリ科稀少価値
6月29日クチナシアカネ科私は幸福すぎる 純潔
6月30日カンナカンナ科情熱 尊敬

7月1日ハンゲショウドクダミ科内に秘めた情熱
7月2日タチアオイアオイ科灼熱の愛
7月3日アガバンサスユリ科恋の訪れ 愛の便り
7月4日ノカンゾウユリ科苦しみからの解放
7月5日ベニバナキク科化粧
7月6日イワタバコイワタバコ科涼しげ
7月7日ヒルガオヒルガオ科はかない望み 優しい情愛
7月8日グラジオラスアヤメ科堅固 用心 密会
7月9日ギボウシユリ科静かな人 沈静
7月10日シモツケソウバラ科秘かな恋 自由
7月11日ブッソウゲアオイ科常に新しい美
7月12日ヤグルマソウユキノシタ科優雅 愉快 幸福
7月13日カライトソウバラ科深い思い
7月14日チダケザンユキノシタ科まつすぐな性格
7月15日ネムノキマメ科歓喜 胸のときめき
7月16日トキソウラン科献身
7月17日ハマオモトヒガンバナ科どこか遠くへ 汚れがない
7月18日スカシユリユリ科注目をあびる
7月19日コバイケイソウユリ科遠くから見守っています
7月20日ノウゼンカズラノウゼンカズラ科名誉
7月21日ヤマユリユリ科荘厳 純潔
7月22日ベチュニアナス科あなとなら心が和む
7月23日ハススイレン科清らかな心
7月24日ニッコウキスゲユリ科日々あらたに心安らぐ
7月25日ヒマワリキク科あなたはすばらしい 崇拝
7月26日ムクゲアオイ科デリケートな美 柔和
7月27日マツバボタンスべリヒユ科無邪気 かわいい 可憐
7月28日コマクサケシ科高嶺の花
7月29日チングルマバラ科可憐
7月30日ハナボウアオイ科楽しい思い出
7月31日フジグロセンノウナデシコ科転機
8月1日アサガオヒルガオ科愛情の絆 気取っている
8月2日サギソウラン科心の強さ
8月3日ニチニチソウキョウチクトウ科楽しい思い出 友情
8月4日サルスベリミソハギ科雄弁 潔白
8月5日クサキョウチクトウハナシノブ科同意
8月6日コウボネスイレン科崇高
8月7日カノコユリユリ科富と誇り 威厳
8月8日トロロアオイアオイ科知られぬ恋
8月9日コウスゲユリ科麗しき姿
8月10日ヘチマウリ科悠々自適
8月11日オモダカオモダカ科秘めたる熱情 高潔
8月12日オにユリユリ科荘厳
8月13日ミソハギミソハギ科切ないほどの愛
8月14日ホホズキナス科自然美
8月15日ヒオウギアヤメ科誠意
8月16日ヤナギランアカバナ科集中する
8月17日ノコギリソウキク科戦い 忠実
8月18日ヒャクニチソウキク科友への思い
8月19日ナスナス科つつましい幸福
8月20日センニチコウヒユ科変わらぬ愛情
8月21日ノリウツギユキノシタ科臨機応変
8月22日ナツスイセンヒガンバナ科快楽
8月23日ナデシコナデシコ科純愛 才能
8月24日カラスウリウリ科よき便り
8月25日シシドウセリ科健康美
8月26日ケイトウヒユ科永久 おしゃれ 情愛
8月27日ユウガオウリ科魅惑の人
8月28日ヤマハハコキク科純情
8月29日ミズアオイミズアオイ科前途洋々
8月30日キツネノカミソリヒガンバナ科妖艶
8月31日ホウセンカツリフネソウ科性急な解決 快感
9月1日オシロイバナオシロイバナ科内気 柔和
9月2日ミヨウガショウガ科忍耐
9月3日ツルボユリ科風情のある
9月4日レンゲシヨウマユリ科伝統美
9月5日オニバススイレン科神秘的
9月6日ヨルガオヒルガオ科妖艶
9月7日コルチカムユリ科回顧 努力 華美
9月8日タマスダレヒガンバナ科潔白な愛
9月9日ハナシユクシャシヨウガ科あなたを信頼します
9月10日クズマメ科治癒
9月11日ソバタデ科あなたを救う
9月12日ツリフネソウツリフネソウ科安楽
9月13日キキョウキキョウ科変わらぬ愛 気品
9月14日フヨウアオイ科繊細な美 しとやかな恋人
9月15日ススキイネ科活力
9月16日アキノタムラソウシソ科自然のままの あなたが好き
9月17日ツユクサツユクサ科尊敬 懐かしい関係
9月18日ゲンノショコフウロソウ科心の強さ
9月19日オ三ナエシオミナエシ科はかない恋 美人 親切
9月20日ヤブランユリ科忍耐
9月21日ノハラアザミキク科心の成長
9月22日ナンバンギセルハマウツボ科物思い
9月23日ヒガンバナヒガンバナ科再会
9月24日シラヤマギクキク科丈夫
9月25日オトコエシオミナエシ科野性味
9月26日ベンケイソウベンケイソウ科静穏 信じて従う
9月27日ハギマメ科思い 清楚
9月28日トレニアゴマノハグサ科愛敬
9月29日ゲッカビジンサボテン科ただ一度だけ会いたくて
9月30日サワギキョウギキョウ科高貴
10月1日マツムシソウマツムシソウ科風情 健気
10月2日キンモクセイモクセイ科謙虚 初恋
10月3日アシタバセリ科旺盛な活動力
10月4日ワレモコウバラ科愛慕 変化
10月5日イタドリタデ科回復
10月6日ハゲイトヒユ科不老不死
10月7日コスモスキク科調和 善行 乙女の真心
10月8日サラシナシヨウマキンポゲ科雰囲気のよい人
10月9日シュウカイドウシュウカイドウ科片思い 繊細
10月10日ハマギクキク科友愛
10月11日ダリアキク科栄華 優美
10月12日シュウメイギクキンポウゲ科忍耐
10月13日サルビアシソ科燃える思い 知恵
10月14日ユウゼンギクキク科恋の思い出
10月15日シオンキク科追憶 遠くの人を思う
10月16日ヒヨドリバナキク科清楚
10月17日フジバカマキク科あのひのことを思い出す
10月18日ホトトギスユリ科永遠にあたたののもの
10月19日オオケタデタデ科思いやり
10月20日アキノキリンソウキク科安心
10月21日オヤマリンドウリンドウ科正義
10月22日アキチョウジシソ科秘めやかな思い
10月23日シコンボタンノボタン科平静
10月24日カツコウアザミキク科信頼
10月25日ダンギクウマツズラ科忘れ得ぬ思い
10月26日モヨウビユビユ科燃え上がった情熱
10月27日ヨメナキク科隠れた美しさ
10月28日センブリリンドウ科はつらつとした美しさ
10月29日ウメモドキモチノキ科明朗
10月30日ナギナタコウジュシソ科匂い立つ魅力
10月31日オケラキク科親しみやすい
11月1日サクラタデタデ科愛くるしい
11月2日トリカブトキンポウゲ科美しい輝き
11月3日キクキク科わたしは愛する
11月4日イヌタデタデ科あなたのために役立ちたい
11月5日マリーゴールドキク科友情 生きる
11月6日ノコンギクキク科指導
11月7日シラタマホシグサホシグサ科純粋な心
11月8日ダイモンジソウユキノシタ科自由
11月9日コウヤボウキキク科働き者
11月10日ガマガマ科救護
11月11日ミズヒキタデ科慶事
11月12日ヤクシソウキク科にぎやか
11月13日ヒマラヤスギマツ科あなたのために生きる
11月14日ダルマソウキク科打たれ強い
11月15日ミソソバタデ科純情
11月16日ミセバヤベンケイソウ科静穏
11月17日イソギクキク科清楚な美しさ
11月18日ウメバチソウユキノシタ科いじらしい
11月19日ムラサキシキブクマツヅラ科聡明
11月20日イワレンゲベンケイソウ科よき家庭を築く
11月21日リュウノウギクキク科無常の美
11月22日リンドウリンドウ科正義
11月23日ピラカンサバラ科慈悲
11月24日ネリネヒガンバナ科箱入り娘
11月25日カエデカエデ科遠慮
11月26日サフランアヤメ科愛への誘い
11月27日アゼトウナキク科変わらぬ愛い
11月28日キチジョウソウユリ科祝意
11月29日イチョウイチョウ科長寿
11月30日ハナカタバミカタバミ科決してあなたを捨てない
12月1日エラチオールベコニアシュウカイドウ科高貴
12月2日マルバノキマンサク科早熟
12月3日ハボタンアブラナ科利益 祝福 愛を包む
12月4日サザンカツバキ科謙譲 理想の恋
12月5日ツワブキキク科困難に負けない
12月6日ヒイラギモクセイ科用心 歓迎
12月7日セントポーリアイワタバコ科小さな愛
12月8日チャツバキ科追憶
12月9日スイセンヒガンバナ科自己愛 崇高
12月10日フユサンゴナス科神秘的
12月11日ヤドリギヤドリギ科困難に打ち勝つ
12月12日マンリョウヤブコウジ科寿き
12月13日ヤツデウコギ科分別
12月14日フユザクラバラ科冷静
12月15日センリョウセンリョウ科富 可憐
12月16日カンギクキク科繊細
12月17日ビワバラ科ひそかな告白 温和
12月18日フタバアオイウマノスズクサ科細やかな愛情
12月19日シクラメンサクラソウ科内気なはにかみ 理解
12月20日アロエユリ科復活
12月21日ケヤキニレ科重厚
12月22日ポインセチアトウダイグサ科清い願い 博愛 祝福
12月23日ユズミカン科健康美
12月24日シャコサボテンサボテン科美しい眺め
12月25日クリスマスローズキンポウゲ科追憶
12月26日フユベコニアシュウカイドウ科愛の告白
12月27日ナンテンメギ科福をなす よき家庭
12月28日ロウバイロウバイ科慈愛心 思いやり
12月29日カトレアラン科優雅な女性
12月30日ベニベンケイベンケイソウ科幸福を告げる
12月31日アオキミズキ科若く美しく

2024.09.26 作成完了。

花・樹木の名前 248

ア行・アガパンサス・アサガオ・あかざ・葦・アリストロメリア一輪草・イチゴ・イチジク・イタドリ・一天四海蓮・イネ・いわぎぼうし・鬱金・薄雪草・ウメの実・梅鉢草
・えぞすみれ・エノコログサ・えんじゅ・王子蓮・扇芭蕉・オクラ・オジギソウ・オダマキ・オトコエシ・おなもみ・オニユリ・オミナエシ・おやまぼくち(29)
カ行・櫂の木・柿の花・嘉祥蓮・カジュマル・花梨・カンザキアヤメ・ガウラ・ガーベラ・カンナ・キク・キキョウ・きつりふね・木の芽・銀 杏
・御衣黄・キョウチクトウ・キリ・キンギョソウ・葛・クチビルシラン・クチナシ・クリスマス・ローズ・クレマチス・グラジオラス・クリの花・クロカス
・クロタネソウ・黒百合・桑・くわい・鶏頭・京福宮蓮・月下美人・ゲンノショウコ・皇居蓮・コウボネ・コエビソウ・コスモス
・ごぜんたちばな・こなぎ・こばいけいそう・駒草・こんにゃく(42)
サ行・西円寺青蓮・サクラ・サクランボウ・サツキ・山茶花・サポンソウ・ササユリ・サンスベリア・サフランモドキ・さわらび・ザボンの木・沙羅双樹
・サルスベリ・さるとりいばら・サンパラソル・シキザキべコニア・シダレエンジュ・シマナンヨウスギ
・シャリンバイ・ショウブ・蜀紅蓮・虱・シラン・しろつめくさ・しろざ・スイカ・スイフヨウ・スカシユリ・スダチ・真如蓮・しゃが
・忍冬(すいかずら)・瑞光蓮・スズラン・スイレン・すすき・すずめのかたびら・鈴蘭・スプレー菊・すもも・鈴懸・セイヨウニンジンボ・セイヨウニンジンボク
・ゼラニウム・ゼフィランサス・センニチコウ・センブリ・そば・ソシジュ・(45)
タ行・大伯蓮・タカサゴユリ・タケノコ・タチアオイ・タチバナの花・たちばなもどき・種籾・たばこの花・たまあじさい・タラヨウ・茶の花・沈丁花
・チューリップ・チロリアンランプ・ツツジ・ツリガネソウ・つわぶき ・釣舟草・テッセン・鉄道草・テッポウユリ・デュランタ・とうがらし
・トキワマンサク・トキソウ・時計草・トサミズキ・ドクダミ・とりかぶと(29)
ナ行・ナガバミズアオイ・なぎいかだ・なずな・夏水仙・ナデシコ・なんじゃもんじゃ・においすみれ・ニガウリ(ゴーヤー)・ニッコウキスゲ・庭石菖(にわせきしょう)
・二輪草・ニンニクカズラ・猫柳・ノコギリソウ・のぼろぎく(16)
ハ行・ハクチョウゲ・葉鶏頭・はこべ・パセリ・花菱草・ハハコグサ・パパイヤ・パピラス・ハナイカダ・薔薇・春紫苑・ハンゲショウ(からすびしゃく)・ヒガンバナ
・ヒゴタイ・桧葉やどりぎ・ヒペリカムカリシナム・ヒナゲシ・ヒマワリ・ヒュウガミズキ・ヒルガオ・ビンロウジュ・フキ・ブーゲンビレア・富士桜・フタリシズカ
・芙蓉の花・ブラックベリー・ヘチマ・ペチュニア・べツレへムの星・ベニバラ・鳳仙花・猩々木(ポイントセチア)・ほおずき
・ほくろ:春蘭(しゅんらん)・ほとぎす・牡丹・ポピー(39)
マ行・舞妃蓮・毎葉蓮・マツバウンラン・マツバギク・マツヨイグサ・マメイヌツゲ・マンゴ・まんりょう・ミカン・ミニトマト・水引・水菜・ミヤマシキミ・みょうが
・ムクゲ・ムシトリナデシコ・麦・ムラサキツユクサ・綿花・モクレン・樅・桃(22)
ヤ行・やつで・ヤナギバルイラソウ・ヤブラン・山吹・ヤマユリ・ユウガオ・ユウゲシヨウ・雪柳・ユスラウメ・柚子・ユスラヤシ・穣葉・ヨルガオ(13)
ラ行・落花生・ラベンダー・リンドウ・レモン(4)
ワ行・ワスレナグサ(1)
樹木・アラガシ・クロガネモチ・クヌギ・白樺・ヒマラヤスギ・ブナ(6)

その他

ユリ科・オモト(1/2)・ショウジヨウバカマ(3/6)・貝母(3/22)・ムスカリ(3/24)・チューリップ7(3/26)・ヒアシンス(3/27)
(月日)・カタクリ(3/29)・アマナ(3/31)・スズラン(5/1)・アマドコロ(5/23)・マイツルソウ(6/13)・テッポウユリ(6/21)
(月日)・ヒメサユリ(6/23)・ササユリ(6/28)・スカシユリ(7/18)・コバイケイソウユリ(7/19)・ヤマユリ(7/21)・ニッコウキスゲ(7/24)
(月日)・カノコユリ(8/7)・ユウスゲ(8/9)・オニユリ(8/12)・タカサゴユリ(8/9)
セミ・ハルゼミ・ニイニイゼミ・ヒグラシ・ミンミンゼミ・アブラゼミ・クマゼミ
動物・オオタカ・オニヤンマ・蛙・かたつむり・カマキリカマキリ脱皮・鴨・カモメ・雁・キジ・きりぎりす・鮭・鹿・しーたては・スズメ・つばめ・蝶
・蚤・ハクセキレイ・ハッチョウトンボミ・ホタル・ミミズ
・石鎚山・黒滝山
お寺・曹源寺ねむりづか
ほし・流星群
人物・アボガドロ・アリストテレス・梅原竜三郎・大原総一郎・太田 道灌・小島直記・ゴッホ・佐々成政・杉本秀太郎・清少納言・谷口古杏・牧野富太郎・正岡子規・吉村冬彦博士(13)
図書・『イヌワシの生態』・『梅干と日本刀』・英語歳時記・『おくのほそ道』・『終わらざる夏』・『柿の種』・『逆境を愛する男たち』・『夏の最後のバラ』
・『日本の山野草』・『日本人と植物』・『庭木のつくり方』・「藤棚の陰から」・『黒チューリップ』・『植物一日一題』』・『平家物語』・『病牀六尺』
・万葉集・『万葉の人びと』・『枕草子』・理科年表(19)
語句・秋の七草・ウグイスの初 鳴 日・老いて虚しく生きず・うつぼ:武具・梅干し・木守り・献涼・こだま・fruits,berries,nuts 果実・春雷・大寒・蛍の光
・虹・奈良漬・春の七草粥・柚子湯

参考図書

『日本の山野草』(成美童出版)

『庭木のつくり方』(池田書店)

 前川文夫著『日本人と植物』(岩波新書)

『世界の山草・野草』ポケット事典(NHK出版)

 牧野富太郎著『植物一日一題』

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