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ハガキ通信―3―
POSTAL CARD COMUNICATION ーPART3

改 訂 版 2023.04.01 改訂

☆掲載の順序につきましては、最新の発信号より、逐次過去のものへと順序を逆にすると、読まれるかたがたが便利だと、友人のご意見がありまして、そのような配列にいたしました。18年4月に順序を元に戻しました。
「ハガキ通信」ではサイズに制限があり、文章としては読みにくい点がありました。本ページではできるだけ読みやすいように、文章の改行などに心がけました。

目 次

01私のパソコン元年 02パソコンの世界 03私の授業は理解されているか? 04 逸失損
05 「袖ふれあうも他生の縁」 06 マイナス即プラス 07 私の好きな言葉 08『三屋清左衛門残日録』
09ハガキ智慧抄 10老いる達人 11全過程を修了 12社内のこんなものイラナイ!
13花・華・ハナ 14ある日の夢 15観 桜 16老師のお話し
17古い本 18 母国語と外国語 19Technical terms in chemistry 20 Correspond
21英作文 22老いを生きる 23 ヘレン・ケラー 24 科学進歩と波及の一側面
25わら製の沓を穿いていた馬 26敗軍の将の死 27書き続けることの難しさ 28新入社員研修
29無財の七施 30最近いただいた芳信から 31会社の風土 32隔靴掻痒
33規制と緩和 34随筆の素材発見 35English composition 36脳死は人の死か
37触って得られるもの 38 義手とパソコン 39 日の丸 日本 国家 天皇 40 文章の誤りを少なくするには
41 仁者寿 42 of color blacks colored 43ツクバネの種 44パブリッシュ・オア・ぺリシュ
                     

     



平成八年九月十五日 一七八号

私のパソコン元年


 十年来、使い慣れてきたワープロが疲労、買い換えの時期にきていました。パソコンに乗り換えてはとすすめられていました。操作法は全く知らないので少し習ってからにするか、それとも直ぐに高価な器械を購入するか考えました。購入すれば使わなければとの気分になり、操作の上達も速いだろうと期待、今年七月末、アップル社のものを選んだ。

▼機種を選定するとき、何がしたいのかと相談相手に言われ、ワープロ、パソコン通信、インターネットだと答えるしかなかった。ワープロは、今までの踏襲であるから問題はない。パソコン通信、インターネットは、私には未知の世界であり、これからの課題であった。

▼操作の練習をしている時、英語の勉強と似た疑問が起きた。中学、高校だけでも六年間は教えられた英語を実際に使う人は、何らかの関係で英語を使う人は別として、日本で生活する限りでは少ない。いつの間にか忘れてしまい、英文を読むことさえしなくなる。

▼パソコンは所詮道具であって、目標がはっきりしていなければ無用の長物となってしまい、そのうちに埃をかぶるようになるのではないか。六年も勉強してきた英語を忘れ去ってしまうように。

▼秋をむかえます。新古今和歌集を拾いよみしていると次の和歌がありました。 
 〈〽おしなべて 物をおもはぬ 人にさへ 心をつくる 秋のはつかぜ〉西 行 法 師



平成八年十月一日 一七九号

パソコンの世界


 今年七月末からパソコンを使いはじめて変わったことの一つは、新聞記事で今まで見向きもしなかったパソコン関連に目を向けるようになったことです。もちろん関連の書物も読むこともありませんでした。読めば読むほど変化している状況に驚かされます。

▼文部省の一九九九年度までのピュター配備計画は各小学校二十二台、中学校四十二台。配備率は小学校七七・七%、中学校九九・四%。しかし使い方を指導できる教員の割合は小学校十・二%、中学校二十・一%と低い。

▼「理系も文系も、コンピュターと英語ができなければ勤め人の未来はない」という段階。昨今の、おじさんまで巻き込んだインタネッブームはその象徴でしょう。

▼「夜更けの私の楽しみはインターネットです。開くのはさまざまな場所の据え付けカメラが送って来る『いま』の風景です。朝さ焼のニューヨーク、昼下がりのシドニー、暮れ行く南極大陸。クリック一つで地球を」飛び回る不思議な時空感覚。

▼ワープロ、表計算ていどにしか利用していない私には、パソコン通信、インターネットの拡がりが社会的にどんな変化をもたらすのか予想もつかない。個人的には、ニュース・ウィクリ、タイムス、アメリカの新聞などを拾いよみして、これはとおもつたらコピーして読んでみたいものだと願っている。



平成八年十月十五日 一八〇号

私の授業は理解されているか?


 高校で化学の授業をしています。もうこれ以上分かりやすい教え方は自分ではないと思うのだが、テストすると期待した成績があげられない。何故かと疑問に思うことがあります。

▼パソコンを操作しながらその方法の説明を何度も読み、試みても出来ないことがある。表計算に論理計算があります。その論理関数の一つにROUNDがあり、例えば一五七二・五の数を適当に丸めて一五七〇と整理することです。以下のような説明がされていました。

▼ROUND(数値、桁数)
 数値は指定した桁数で四捨五入した値を返します。
 ○数値:数字
 ○桁:数値データ。負の数値は小数点の左側の桁数を指定し、正の数値は右側の桁数を指定します。
例:ROUND(一五七二・五八九ー一)では一五七〇を返す。

▼これを読みながら二時間くらい、あれやこれやと試みて、漸く出来るようになりました。パソコンを操作しながら説明していただければ五分ですむことだっただろう。パソコの専門家はこれ以上分かりやすく説明しようがないと思って書いたものに違いない。しかし経験のないものには読み切れないのである。化学の授業でも同じだろうと感じる。講義だけで分かるはずがないと思う。



平成八年十一月一日 一八一号

逸失損


 辞書には見当たらない言葉であるようだ。株式関連の言葉だと聞いたようだが、確かめてはいません。売買の時期を逸したり、失ったりするとそん失を招くといった意味だろう。

▼自分では何かをしようと考えている積もりでも何もしないでいることが多い。もう少し早い時期にしておけば良かったと後悔することがしばしばあります。直ぐに行動に移せばよいがそのうちに、そのうちにと、時が過ぎて後悔も何処かへ消えてしまつて生活に終われてしまつている。

▼何かを実行していると、意外なことに気付いたりすることがあります。私は、こんな状況を後知恵と言っています。この積み上げが自分自身の本物の知恵だと思っています。

▼逸失損を招かないためにヒルティ『幸福論』を読むと参考になります。最初に「仕事の上手な仕方」の章があります。 
 一、まず何よりも肝心なのは、思いきってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けけるという決心が、結局一番むずかしいことなのだ。       
 二、また他の人たちは、特別な感興のわくのを待つが、しかし感興は、仕事に伴って、またその最中に、最もわきやすいものだ。        
 三、諸君にとってもっとも容易なものから始めたまえ、ともかくも始めることだ。



平成八年十一月十五日 一八二号

「袖ふれあうも他生の縁」


 「たしょう」は「他生の縁」「多生の縁」が使われている。ワープロで打ち出すと「多少の縁」が表われてくる。「多少」には「多いこと、少ないこと。いくらか。少し」の意味があるから「袖ふれあうようなわずかな縁は本当に少ないものであるから、多少の縁」と思い、ワープロの言葉に疑問を持ちませんでした。

▼大学での「講義」で、「講議」と書く学生が多いとのことである。同音であるから何を使ってもかまわないということにならない。私は、「ほうもん」と「せんもん」のもんは「門か問」かと、間違うことがあります。

▼「ざぜん」には、二つの漢字、「坐禅」と「座禅」がある。意識して使い分ける人は少ないだろう。前者は動詞、後者は名詞であると教えられた。「ざぜんする」と言えば坐禅が正しく、座禅は坐禅する場所をしめす。

▼「他生」は仏教でこの世に生まれる前の前世と、死後に生まれかわる来世。「他生の縁」は前世で結ばれた縁と説明されている。ハガキ通信させて頂いているのも「多少の縁」ではなくて「他生の縁」によるのでしょう。

平成八年十一月十五日


他生の縁

   「袖(そで)振り合うも他生の縁」という。われわれが通りを歩いているときなど、人と袖がふれ合うのも宿縁によるものだ、という意味である。すなわち、ちょっとした出来事も、すべて宿世の因縁によるということである。

▼二、三の国語辞典で、「たしょうの縁」という項をみると、「多生の縁」とあり、ある辞書には「他生の縁」は「多生の縁」の誤用と出ている。そして、「前世で結ばれた縁」と説明されている。しかし、もし「たしょうの縁」が前世で結ばれた縁のことであるとしたら、「他生の縁」の方がよさそうに思われる。

▼多生とは文字通り「多くの生」を意味する。すなわち、いくたびも生まれかわってさまざまな生をうけること、あるいはさまざまな生の一つ一つ、あるいはさまざまな生のすべてをさす。そうしてみると、「多生の縁」とは過去・現在・未来にわたる無数の生存の一つ一つにおける縁があること、あるいはその期間ずっと縁があり続けるという意味である。けっして二、三の辞典で説明されているように、「前世で結ばれた縁」だけをさすわけではない。その点、『日本国語大辞典』には、「多くの生を経る間に結ばれた因縁」と「多少の縁」の正しい解釈がなされている。

▼「他生の縁」という場合、「他生」というのは現在の生以外の他の生、すなわち、前世か来生のうちのいずれかにおける縁ということになる。この際、来世における縁は、いまだ経験されたわけでないから、何の効果も生ずることもなく、現在の生に対して影響力をもたない。すなわち、「他生の縁」というと、主として前世における因縁をさすのである。だから「前世に結ばれた縁」という説明は、「他生の縁」という言葉の解釈としてのみ適切であることになる。そして「袖振り合うも他生の縁」という場合、たいてい前世における因縁(かかりあい)が問題になるのだから、やはり「他生の縁」のほうが正しいようである

▼しかしながら、それだからといって「多少の縁」という表現を抹殺すべきであるというわけでない。「多少の縁」という言葉が古典でもちいられている例もあるのだから、それはそれで誤りではないのである。その場合は、「多くの生を経る間に結ばれた因縁」という意味になる。ただ、「他生の縁」では、「多少の縁」の誤用であるとということはいえないと思うのである。

参考資料:中村 元編『仏教語散策』(東京選書)P25~26 



平成八年十二月一日 一八三号
マイナス即プラス


 今年七月末、マックの愛称で呼ばれるパソコンを購入しました。八月の始めから、パソコンの操作練習をかねて、ヘミングウェイの『海と老人』の原書を打ち込み始めました。

 私は、左腕上膊切断しているためキーボードの打ち込みは右手でしか出来ない。その結果、打ち込みは両手に比べると遅い。さらに困るのは打ち込みミスであります。間違いの大部分は打ち込むべきキーの横を誤って打つっています。打ち込んだ英文を必ず読みなおして訂正しなければなりません。いやでもおうでも打ち込んだものをもう一度読んでいます。結果的には英文を二度読んでいます。

▼片手であることにマイナスの考え方をしていました。簡単なことでは靴紐を結ぶにも困難するなど数え上げれば際限がない。両手でなければ出来ないことが幾らでもある。しかし、片手を失っているために読み直す習慣ができているようです。

▼失わなければ気付かないことがいくらでもある。マイナスもプラスも考える人が何かを基準にしています。その基準が変われば逆転さえします。比較であり、絶対的なものではない。マイナスもプラスも、そのひとが比較して評価したといった点から同じものである。また、マイナスと評価している状態もプラスと評価している状態も評価に関係なくそれぞれそのまま存在している。マイナス即プラスと言える。ある人はプラス思考せよ、またある人は、あるがままに受け入れてやるべきことを行動本位・目的本位にやることだと言われている。いまをいかに生きるかが問われている。



平成九年一月一日 一八四号

私の好きな言葉


 「不将不逆」がある。『荘子 内篇 應帝王』にある言葉である。
 「将(おく)らず逆(むかえ)えず、応じて而して蔵(おさ)めず」
 「至人之用心、如鏡。不将不逆、応而不蔵>
 「過去を追わず、将来のとり越し苦労もせず、その時機に応じて適当の措置をとり、心にとどめない」『中国古典名言事典』(諸橋轍次)。

▼“逆”の字の読みには、「ギャク。ゲキ」がある。
 その意味は、・さからう。たがう。→の方向に対して、反対に←の方向にでる。そむく、体制や物事の順序にさからっている。・さかさま。ふつうと反対である。・むかえる。→の方向から来るものを←の方向に出迎える。・あらかじめ。来るものを出むかえる形で、事のおこる前に用意して、前もつて。『漢字源』(学研)。

▼「ゲキ」と読まれる語句は、以下の三つであった。逆訴(げきそ)人があざむくのではないかと、こちらから疑う。逆睹(げきと・ぎゃくと)前もってみる。見通しをつかむ。逆旅(げきりよ)旅館。旅人をむかえる所の意。

▼私は不将不逆を「ふしょうふぎゃく」と読んでいたが、「ふしょうふげき」が正しい読み方になることに気付かされた。

▼岩波文庫『荘子』(金谷治訳注)では「将(送)らず迎えず、応じて蔵せず」「不将不迎」となっている。解釈は「至人(最高の人)の心のはたらきは鏡のようである。去るものは去らせ来るものは来させ、相手しだいに応対して心にとめることがない」。
 今年も宜しくお願い申しあげます。


★補足1
 今人専(もつぱ)ら念なきを求めて、而(しか)も念終(つい)になるべからず。只是れ前念滞(とどここ)らず、後念迎えず、但(た)だ現在的の随縁も将(もつ)て打発し得去れば、自然に漸(ぜん)々に無に入らん。『菜根譚』後集八二


★補足2

 顔回曰わく、「回(われ)は益(すす)めり」と。

 仲尼曰わく、「何の謂(い)いぞや」と。

 曰わく、「回、仁義を忘れたり」と。

 曰わく、「可なり。されど猶(な)お未だし」と。

 它日(たじつ)、復(ふたた)びた見(まみ)えて曰わく、「回は益せり」と。

 曰わく、「何の謂(い)いぞや」と。

 曰わく、「回、礼楽(れいがく)を忘れたり」と。

 曰わく、「可なり。されど猶(な)お未だし」と。

 它日(たじつ)、復(ふたたび)た見えて曰わく、「回は益(すす)めり」と。

 曰く、「何の謂いぞや」と。

 曰わく、「回、坐忘(ざぼう)せり」と。

仲尼しゅく然として曰わく。「何おか坐忘と謂う」と。

 顔回曰わく、「枝体(したい)を堕(やぶ)り、聡明を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去(す)てて、大いなる通(みち)と同くなる、此れを坐忘と謂う」と。

 仲尼曰わく、「同くなれば則ち好(この)みにくむこと無く、化(ひと)つになれば則ち常(とら)わること無し。而(なんじ)は果たして其れ賢なるかな。丘や請う、而(なんじ)の後(しりえ)に従わん」と。福永光司著『荘子』(朝日新聞社刊)P.321~322
私はこの節について荘子が孔子一門に何を言いたいのかわかるような気がします。孔子はBC551~BC479、荘子はBC286~BC369年であり、孔子没後110年にして生まれている。このような一世紀も後に、孔子と顔回が以上のような話したかどうかは疑問に思います。二人を引き合いににして、孔子一門のありかたに対して荘子の考え、言いたいことを述べたのではないかと思うのですが。中国文学の専門家にお聞きしたいところです。
 平成十八年七月二十八日。「ふ将ふ逆」を検索すると私のホームページに出会い。類似のものを補足しました。



平成九年二月二十八日 一八五号

『三屋清左衛門残日録』


 藤沢周平著『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)の一読をすすめます。      

  醜 女

 自身の隠居と惣領又四郎の家督相続。外からみればたったそれだけのことだが、藩に願いを上げてから、それが承認されて又四郎が城に出仕するまで、実際にはさまざまに煩瑣な手続きとひととの折衝が必要だった。

 だからそのすべてが無事に済み、最後にごく内輪に、親戚の者たちと他家に片づけた子供を呼んで、又四郎の相続を披露する祝い事をおえたとき、三屋清左衛門は心からほっとした。

 これで三屋家は心配がない、と相続にからむ一切の雑事から解放されたとき三屋清左衛門は思ったのだが、その安堵のあとに強い寂寥感がやって来たのは、清左衛門にとって思いがけないことだった。(中略)

 隠居することを、世の中から一歩しりぞくだけだと軽く考えていた節がある。ところが実際には、隠居はそれまでの三屋清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣のすべてを変えることだったのである。清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてひかえめながらまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で気骨の折れる勤めの日日。ついこの間まで身をおいていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。

 でも、ぼんやりしておっても仕方がないから、日記でも書こうと思い立った。

「でも、残日録というのはいかがでしょうね」

「日残リテ昏(ク)ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけでない」

「そうですか」

「いろいろとやることが出来て来た。けっこわしもいそがしくなりそうなのだ」

▼清左衛門の生活をとおして老いた身とこころの綾模様が書き込まれている。最終の章「早春の光」に、前髪のころの友人の大塚平八が中風に倒れて、やっと歩く練習をはじめたのをみかけて、

 人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。

2011.04.16:読み返す。2011.09.15:再読。何度読んでも、老いの生き方は読みつくせない。


 ――藤沢さんの小説は立身出世にはあまり役立ちそうにないけれど(笑い)、何か読んでいて心が温かくなりますね。

 藤沢 教訓とあまり難しいことは言いたくないですね。それよりも自然の風景とか、こういう人間がいるってことを感じとっていただければありがたい。「三屋清左衛門残日録」ではちょつと失敗しました。教訓めいたことを書いてしまったんです。主人公が隠居した老人だからかんべんしてもらえると思いますが、書かなければよかったと後悔しています。

 2012.08.11、日本経済新聞1992年6月6日の記事を引用記録しました。

 藤沢周平氏:1927年12月26日 - 1997年1月26日(若くして亡くなる)



平成九年三月十五日 一八六号

ハガキ知慧抄


 若い人たちから 

 一、今年も「継続」が目標です。運動の継続、読書の継続、そして国家試験の継続、この三つを大切な柱としました。さらに日記の継続が人生の継続としての自分史をつくってくれます。

 二、若い方達をさそって始めた「北極星」です、始めた限りは、目標まで頑張りたいと思います。

 三、先を想いわずらうことなく、過去にとらわれず「今」に生きることを心がけて一年を過ごして参ります。

 光陰矢の如。勤続二十五年でカナダヘ記念旅行に行って来ました。真っ青の空、真っ白のロッキー、深緑の木々感動の世界でした。夜は片言の英語でのバーで一杯。地元の人と打ち解けご馳走になる。

▼先輩、同年配の人たちから 

 一、旧年末にはお会いできて嬉しうございました。若い人と会うて話相手をして下さるは何よりの喜びです。
 二、丑年生まれの六巡目が今年は終わることになります。ときに心を燃やすことこそが、生きる証しなのでしょうが、しかし、「無為の安らぎ」もまた、格別素晴しい、と思うようになりました。
 三、きたる三月、二度目の定年です。田舎で畠いじりに専心します。
 四、退職四年目になりますとそれなりに生活のベースをつかんで来ました。
 五、今年は自分のしたことを少しずつまとめていきたいと思います。
 六、お互いに七十歳に突入ですね。「おかげさま横丁さまより 人の世もいとなみごとの機微にもふれん」
 七、「われひとのへだても知らぬ白雲のいよいよ白く月の光りに」。

▼若い人たちの活学に声援を送り、先輩の皆さんの心理の曲折に共鳴させられています。

●信仰深い友人から(クラレの熱心なクリスチャンである友人)
 たとい山々が移り動いても わたしの変わらぬ愛は あなたから移らず わたしの平和の契約は動かないと あなたをあわれむ主は 仰せられる 「イザヤ五四:一〇」われを 主は 仰せられる 「イザヤ54:10」ネいと あなたをあわれむ主は 仰せられる「イザヤ54:10」



平成九年四月 一八七号

老いる達人


 河合隼雄著『働きざかりの心理学』(新潮文庫)のなかに次のようなことを述べている。P.206
 最近、私はスイスの精神療法家のユングについて『ユングの生涯』という伝記を書いた。そのとき非常に心を打たれたのは、彼の主著と呼ぶべき多くの著作が、七十歳以後に書かれていることを知ったことであった。彼は八十六歳で死亡するが、死の一週間前も、なお机に向かって書物をしていたという。彼がこのような力を年老いても保つことのできた秘密はどこにあるのだろうかと。これを読んで、佐藤一斎先生のことを思いました。

 ユングは「人生の後半」の意味の重要性をよく強調する。人生を太陽の運行の奇跡にたとえるなら、人間は中年においてその頂点に達し、以後は「下ることによって人生を全うする」ことを考えねばならない。人生の前半においては、上昇が中心の主題であり、社会的地位や家庭などを築くことが大切であるが、人生の後半においては、「いかにして死を迎えるか」に思いをいたすことが重要である、というのである。生きることは、もちろん大切であるが、中年以降において、人間はいかに死への準備を完成してゆくかが大きな主題となるのである。

▼幕末の漢学者佐藤一斎先生については『言志四録』を著わしている。

 『言志録』凡そ二四六条。四十二歳から十一年間書き続けられた。

 『言志後録』凡そ二二五条。五十七歳から十年間。

 『言志晩録』凡そ二九二条。六十七歳から十二年間。

 『言志耋録』凡そ三四十条。八十歳から三年間。

 佐藤一斎が八十三歳まで書き続け、八十八歳まで長寿を保たれた秘密をこれらの著作をとおしてしりたくなります。

▼『言志晩録』には

心は現在なるを要す。事未だ来らずに邀ふ可からず。事已に往けるに、追う可からず。纔に追ひ纔に邀ふとも、便ち是れ放心なり。

▼『言志耋録』には老人の養生法規が述べられている。

 一、「視・聴・言・動は、各々その度有り。度を過ぐればすなわち病を致す。養生も亦吾が道に外ならず」

 二、「児孫団集すれば養を成し、老友聚話すれば養を成す。凡そ吉慶事を聞けば、亦皆養を成す。

 三、「心志を養ふは、養の最なり。体躯を養ふは、養の中なり。口腹を養ふは、養の下なり」          

▼「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰へず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」の教えもあります。

2011.07.14:再読



平成九年四月 一八八号


全過程を終了

 去る三月、小学校の卒業式が行なわれていた。校長先生が「小学校の全過程を終了したことを証明する」と、生徒一人一人に証書を手渡していた。中学校でも同じであろう。「全過程を終了した」というのはなにを目安にしているのだろうか。それぞれの生徒に適した知・徳・体であることであろう。私は文部省の指導項目を勉強不足で十分に理解していない。小中学校は義務教育だからともかくも教育を受けねばならない、また受けさせなければならない。ところが高校は義務教育でないにもかかわらず現在では全過程を終了した中学卒業生の九八%くらいが高校進学している。

▼ある高校で教えた経験から、数学だけに限定すると、小学校の先生たちが工夫指導されていても、高校生でも算数の分数計算の少し込み入ったもの、または小数点を使った計算問題などがまともにできない生徒もいる。私には全くの基本の基本と考えている。とすれば小中学校の「全過程を終了した」内容をどのようにかんがえればよいのか。

▼大学入試センター試験に似た同年代の全中学生にテストをして偏差値がどのていどか知り、どの程度の者が分数計算できないか知った上で、習得別に教育しなければ教育効果は向上しないのではないかと思う。

全過程を終了」とはいったいどんな状態をさすのだろうか?



平成九年四月 一八九号


  社内のこんなものイラナイ! こんなもの あったらいいな!

 今年三月号の株式会社クラレ社内報の特集を面白く読ませていただきました。「社内のこんなものイラナイ!」から無断で引用させていただきましたことをお断わりいたします。

▼先ず、職場での人間関係について、めだったものは、「忙しい時いないで、ヒマな時にいる上司」「おじさん」「働かない課長」「評論家の上司」「忙しい時のチョット」など。それぞれの簡単な感想も的確でした。部下の目から書かれたものが多くて、上司から見たらまた面白い内容のものがえられることでしょう。社内報に限らずいろいろな方法で意見を述べあって職場活動に活かしてほしものです。 

▼「文書フアイル」「会議の資料」「三年間使用された形跡のないもの」「内容がわからないフロッピーディスク」「放置されている原反」「茶色くなったデーター(書類)」などは、パソコンの時代だから皆さん関心をもって見直しをされているだろうが末端までいきとどいていないのだろうなと、元社員であったわたしにはおもわれました。一般的に若い人に比べて年配の人たちがパソコンに慣れるに苦労されるといわれています。管理者は職場の心理的感情から習得がさらに進んでいないとまでいわれています。しかしこれを乗り越えなければイントラネットが遅れ、社内の情報の伝達も遅くなり企業の発展につながらないのではないかと思ったりさせられました。本当に楽しく読ませていただきました。



平成九年四月 一九〇号


花・華・はな

 わが家の庭にも春がやってきた。ときおり、メジロが訪れていた八重の梅も散り終わろうとしている。一昨年、知人からいただいた「寒あやめ」が、咲いている。五月ころに咲くものと違ういま、そんなに背が高くなくて地面から十センチあたりに普通の大きさの花を咲かせている。ラッパ水仙は黄色の、パンジは紫、白、エンジの色様々に小菊は白い花びらをこれ以上に広げられないまでに開き、沈丁花は香りをふりまいている。ハクモクレンはすべてのつぼみを天空に向けている。貝母(ばいも)が今年は九輪も咲かせてくれた。その花びらの内側の編み笠模様は美しいものだが、なぜか地面に向かって咲いて見せようとはしない。

▼花の姿を文章で誰にでもわかるように表現しようとするのは至難のわざである。たとえば、知らない花について手もとの辞書を調べたとしても専門用語が多くて具体的な形を想像することは殆どできない。

▼「ばいも」について『広辞苑』を調べてみますと、絵入りではなかった。まず「ばいも」の漢字が「貝母」であることに何故だろうかと疑問に思わせられる「あみがさゆり」を見なさいと指示されている。この項目を読むと、「ゆり科の多年生草木。中国原産。鱗茎をもつ。三、四月頃葉肢に淡黄色で内面に網状紫斑のある花をつける。」とある。絵に描くか、写真で表現したうえで特徴を説明されなければ覚えられるものではない。見る、聞く、さわるなどによって身につく知識となっているのだと思いながら、陽光を受けて庭の草をとり続けた。



平成九年四月 一九一号


ある日の夢

 (一九九七年三月二七日)の朝、夢を見ていた。両手を使ってオルガン、ピアノの練習を学校の先生と思われる人から教えていただいている夢であった。これから一生懸命に手習いをしようと夢がふくらんでいた。左手の五指は右手のものほど動かなかったが、かなり動いていた。右手と同じ程度に動くように折曲げたりして屈伸運動を繰り返していた。

▼私の左手は肘から先、約十センチを残して切断している。その断端には五本の指の感覚が四十年も経過しても明瞭に残っている。あるときは握り拳のように、あるときは手のひらを開いて指をのばしているように。             

▼したがって、パソコンの打ち込みは右手の指二本で実行している。両手を使わなければ不便なことが多い。そのために左手の義手が使えるようにするために、義手の先端に二~三センチ長い指サックを取り付ければ便利になるのではないかと工夫して、制作を依頼している。そんなことを考えていたのが潜在的に左手を使う夢に現れたのかもしれない。私には夢でしか使えない左手の指が使える夢。はかなく消えるものであったが楽しいものであった。             

▼心理学者はこのような夢をどのように判断されるのか興味がある。



平成九年四月 一九二号

観 桜


 三月三十日、曹源寺での日曜坐禅会が終わり、客殿の書院で老師と参加者の一部の人たちとお茶をいただきながら枝垂れ桜を本当に気持ちの良い見物させていただきました。坐禅も終わり皆さんも鑑賞しながら老師のお話しを伺っているとき参考になる二つの話題がありました。                 

其の一 桜の花が一番いきいきしているときは太陽が登るときの花が朝露を帯びているときだそうです。暫くして朝があけて風が吹いてくると花の水分が飛ぶと生気が失われて美しさがへるのだそうです。曹源寺の回遊式庭園の池の北側にある二本の枝垂れ桜はちょうどその日が満開でありました。数年前まで咲かなかつたそうです。 

其の二 桜の樹の近くに実のなる銀杏の樹を切り倒してから後に、この桜は立派に咲くようになったそうです。また池の東側にも桜の樹が一本あります。誰もほとんど気付かない小ぶりの樹ですが、これはポロポロとしか咲いていませんでした。そのそばに柳があるからだそうです。桜は銀杏、柳の樹に弱いようである。ふと植物の共生を思い出したので事典で調べると、「共生とは二種の生物が密接な相互関係を保って利益をうけつつ生活する様子をいうが、二種ともに利益をうける場合を双利共生、片方だけが利益をうける場合を片利共生という。」と。桜と銀杏、柳は片利共生になるのだろうか。桜の樹一本植えるにしてもその近くにどんな樹を植えてもよいというわけではなさそうです。専門家にうかがってみたいものです。



平成九年四月 一九三号

老師のお話し


 其の一 ある日曜坐禅の日、坐禅が終わり、お抹茶の接待を受けて談話しているとき参加者の一人が「曹源寺の財源は何で賄われているのですか」と質問した人がいた。

▼老師のお答えは、「いろいろな意味でのお布施によるものです」とだけいわれたが、暫くして初めて行乞に出かけたときは非常に恥ずかしかったものです。そこで先輩に遅れないようについて歩いていた。あるとき、遅れて歩いていると、老婆から呼び止められ、そして十円をいただいた。「お頼みしますと」といわれた。そのとき私は「なにもなくても生きられる」と感じられたと経験談を話された。

其の二 春の彼岸のために老師はでかけられていた。日曜坐禅終了後、アメリカの青年修行者がお茶を接待して下さる。老師のお話しを紹介された。      

▼「君たちは泥棒だ」としばしば説ききかされるそうだ。その青年の説明では私たちは全てひとからいただいたもので生活している。何一つとして生産していない。だから老師からこんなことをいわれても一言もない。

▼私たちも日曜坐禅のたびに坐禅が終われば「ごくろうさま、小方丈にお茶の準備をしています、どうぞ」といわれて、抹茶とお菓子の接待を俗な表現でいえばただでいただき老師のお話しを伺ったりしている。老師のいわれる盗品のおすそわけをいただいている私たちはいったいどうすればよいのでしょうか。



平成九年四月 一九四号

古い本


 本も多くになると置き場所に困らされる。私の場合は、一階に書斎の積もりで作った部屋があるが、家財道具がすこしずつ増えてミシンや机や小型の冷蔵庫が侵入したので、二階に本棚を取り付けたり、寝室に小さな本箱を置いたりして、三カ所に分散している。何処にどんな本が置かれているかわからないものが沢山ある。はなはだしい失敗は同じ本を二度買ったりすることがある。しかし部屋のなかのものの配置替えをしたり整理をしたりはしないで、不便をそのままにしている。             

▼知人(小林秀三郎さん)に非常な読書家がいます。古物商か古本屋か聞き漏らしたが、あるとき本を処分しようと買い手を呼んできてみさせた。一抱えもする本がティシュペーパ一つの値踏みだったそうだ。それを聞いて「自分がみじめな思いがしましたよ」ともらされた。

▼長い間、その折々に買い集めた本はそれぞれ思い出がある。なかにはこれはと感じた内容の文章には赤線を引いたりして、二度三度と繰り返し読み自分を育ててくれたものもある。またあるものは楽しませてくれたものなど様々である。考えて見れば読書家にとってみれば「本は自分の分身」のようなものであることでしょう。それが単なる古紙扱いされては「自分がみじめだ」と実感されたのは十分に推察させられる。「自分の本は自分で読めるうちはもう売るようなことをしない」といわれていた。賛成である。私も自分が買った本との愛着をたちきれないでいる。

▼以上は平成九年の記事ですが。最近知人が、「あるバザーで本を提供してはどうか?誰かが少しでも買ってくれれば、その収益金はそのバザーを主催した人に寄贈しようとの計画」を思いつかれて、私も賛同していた。そこで、かって、バザーを開いた人にお話を伺うと、本は重いからとの理由で、もっていってくれないから、それは無理ですねとのお話でした。

 私は思いました。自動車を運転してバザーにくるのだから、重いのは理由にならない、ただ古い本は読むような人がすくなっているのだろう。反面、電子本が器具は別として、一冊百円で読める時代になっているからますます、紙の本は敬遠されるのだろうと。本屋さんも紙の本と電子本との競争をどのように対処するのだろうか。頭の痛い問題ではなかろうかと。いかが思われますか。

2011.07.15



平成九年四月 一九五号

母国語と外国語


 数年前、スイス旅行した。各地を見物した一つにマッターホーンがある。その麓のツェルマットの村落?そこには自動車を乗り入れることができない。その村落の手前で自動車から降りて電車で村に向かい、終着駅に着くと電気自動車が待っていて目的のホテルに案内される。村のなかにはもちろんガソリンを使う自動車は一台もいない。私の長男の知人にスイスの首都ベルンで開業している耳鼻咽喉科の女医さんがいる。彼女によるとスイスでも、最近はアレルギー性の病気が増えている。大気の汚染が徐々に進んでいるのでしょうとのお話しだった。

▼フランス生まれで、フランスの大学を卒業、アメリカのエール大学へも留学している彼女はドイツ語、フランス語、英語が自由に使える。彼女と話しをしていると、自分の母国語はフランス語だといわれた。また、自分の子供にもフランス語を話させていると。私には、母国語という言葉が非常に奇異に感じられた。わが国では仕事で英語を使う以外は日本語しか使わないのではないでしょうか。それ以外の言葉は外国語としている。日本語が母国語だという人はまずいないだろうとおもいます。     

▼外国旅行が年々盛んになっているが、文化交流で言葉以上に効果の大きいものはないでしょう。インターネットが普及すると英語が主流になるだろうといつている人もいます。今後何年かさきには「母国語は日本語です」という人がでてくるかもしれませんネ。



1997. 4. No. 196

Technical terms in chemistry


 Technical terms in chemistry

 1,element : An element is a stubstance such as gold, oxygen or carbon that consists of only one type of atom ; a technical use in chemistry.
 2,atom: An atom is the smallest amount of a substance that can part in chemical reaction.
 3,molecule: A molecule is the smallest amount of a chemical aubstanse which can exist by itself.
 4,ion:Ions are electrical charged atoms; a technical term in science.
 5,oxygen:Oxygen is a colourless gas that exists in large quantities in the air. All plants and animals need in order to live.
 6,nitrogen: Nitrogen is colourless element that has no smell and usually found as a gas. It forms about 78% of the earth's atmosphere, and is found in all living things.
 7,solvent: A solvent is a liquid that can dissolve other aubstances.
 8,solution: A solution is a liquid in which a solid substance has been dissolved.
 9,acid: An acid is a chemical substance, usually a liquid which contains hydrogen and can react with other substance to form salts. Some acids burn or dissolve other substances that they come into contact with.
 10,alkali: An alkali is a substance with a pHvalue of more than 7.
 For the first time, I wrote my correspond in English.
 Because I would like to compare the definision of chemical terms in Japanese with in English.
By COLLINS COBUILD NGLISH DICTIONARY



1997.4 No.197

Correspond


 For the first time, I wrote my JIGAKUJITOKU (Learn from experience by oneself)
  No.191 in English.

 I have been teaching chemistry at high school in Okayama City. Therefore I wanted to learn the definition of some chemical terms in English. For example, element, atom, molecule, ion, oxygen, nitrogen, solvent, solution, acid and alkali.
 In order to learn them I consulted the COLLINS ENGLISH DICTIONARY. The definitions are written in the sort direct and informal style that teachers use explaining words, or that friends use with each other. (From this book)
 If high school students use this book, it is helpful for the study of English.
 When I would write this essay, I was thinking which title was the best.I have been writing the called JIGAKUJITOKU Essay in Japanese for many years, then dicided to use the Essay's name.
 I went to a German woman at Sogenji Temple to have it checked, because I have been learning English for many years but I have rarely written English composition or letter.
 When she checked my sentence and said it was perfect I was delighted at.
 Thanks for her checking my English sentence.



平成九年四月 一九八号

老いを生きる


 老人の話しを聞いていると、「ガンなど苦しい思いをしたくない、嫁や子供に苦労をかけるような病気をしないでコロリといきたい」など、切実にねがっている。

▼病院に行くと沢山の老人が受診を待っている。常識でかんがえても若い人に比べれば回復に時間がかかり、当然医療費は重なる。

▼不老長寿は中国の昔から願望されてきた。いまや医学の進歩は種々の病気を治し、長命をもたらした。分子生物学の面から不老要因の因子の研究がつづけられているがまだまだ未来の問題であり、限界もあることだろう。成人病が増加して老人社会の諸問題がおきている。例えば、健康保険、社会保障、医療費の増加にともなう財源の問題、その負担問題が政治の問題になっている。

▼老いを生きることは難しい。癌の宣告を受け、手術不能と言われてから、医者の予期に反して長く生き続ける人があることは、最近よく知られるようになった。このような点を研究したあるアメリカの心理学者は、興味深い結果を見出した。つまり、癌の宣告を受けて、まったく気落ちした人は早死にする。それと同時に、何とかこれに負けずに頑張り抜こうと努力する人も早死にすることがわかったのである。それでは、長命する人はどんな人であろうか。癌に勝とうともせず、負けることもなく、それはそれで受け入れて、ともかくも残された人生を、あるがままに生きようとした人たちであった。これはもちろん、言うは易く、行なうは難いことである。しかし勝負を超えた生き方が存在し、そこに建設的な意味があることを見出したことは素晴しいことだ。」

   このように考えると、中年のときから死に思いを致すべきだと主張したユングが、死の直前まで、仕事をやり抜いた秘密もわかる気がするのである。いかにして若さを保つかに努力するのではなく、いかにして死を受け入れかに力をそそぐことが、老いてゆくためには大切であり、その仕事は個人個人が中年から始めていくべきことであるb。これについては近代科学は解答を与えてくれない。河合隼雄著『働きざかりの心理学』(新潮文庫)P207~208



平成九年四月 一九九号

ヘレン・ケラー  


 『わが生涯の記』の一部を拙訳しました。人生のなかで最も忘れ難い日はアン・サリバン先生との出会いである。七歳になる三か月まえの日であった。その日の朝、アンはパーキンズ盲人学校の子供から送られた人形を彼女に与えた。しばらく人形で遊んだ後、アンはヘレンの手のひらに「doll」と綴った。この指つづりが楽しくなりまねをした。ついにその字が正しく書けるようになると子供らしい喜びと誇らしくなりました。二階の部屋から階下にいた母のところにかけおりて、自分の手のひらを上げてdollの字をかいた。単語を綴っていることや言葉があることさえ知らなかったのである。その後、この方法で多くの言葉の綴りを知った。pin~hat~cup。動詞のsit~stand~walkなど。(中略)多くの新しい言葉を学んだ。mother~father~sister~teacherなど。言葉を知って彼女の世界に花が咲いた。その日、ベッドに横たわり喜びをかみしめているとき、私より幸せな子供はいないだろう。明日に速くなればと初めて待ち望んだ。         

※参考:サリバン著 遠山啓序・槙恭子訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか――サリバン先生の記録』(明治図書刊)

★『D・カーネギー 人生のヒント』から教えられました。(三笠書房)

 目が見えなくなる―これが人生最大の不幸だと思っている人がおおいが、ヘレン・ケラーによると、目が見えないよりも耳の聴こえないほうが辛いそうだ。彼女は全くの暗黒と静寂によって社会から隔離されている。最も恋い焦がれているのは友情ある人の声なのである。彼女は全盲である。そのくせ、彼女は大概の目の見える人より遥かに本を読んでいる。おそらく一般人の百倍は本を読んでいるだろう。その上、著書も七冊まである。その生涯が映画化された時は出演までした。耳も全く聴こえないが、ちゃんと耳の聴こえる大概の人より遥かによく音楽を鑑賞できる。P.190



平成九年四月 一九九号

科学進歩と波及の一側面


 技術の進歩とともに企業のリストラが盛んにいわれている。例えばある会社が新規技術を導入したとする。若い学卒は新技術に順応するが年配の人はなかなか追い付けない。なんとか追い付こうと努力する人は若い人の後塵を拝しながらもついていけるがそうでない人は片隅に追いやられる。極端な場合は肩たたきの対象になる。技術進歩が早くなればなるほどこの問題は大きくなる。さらに企業の外国への移転が多くなればますます年配者の不適応性が大きくなる。

▼ある新聞記事によると「東京のあるクリニックの診察室に訪れるサラリーマンの十人に一人は軽症のうつ病と考えてもいい」と警告する。またある医科大学の調査によると様々な病気を扱う総合診療部で診察した初診患者の三六%が心身症や適合障害などの心身的な病気だった。

▼技術進歩がそれほどでないときはどうでしたか。先輩が後輩を指導することができた。当然年配者が尊敬される風土が出来あがっていた。賃金体系も年功序列型で何ら矛盾もかんじられなかった。ところが上述の事態になるとどうか。若い人は俺達が仕事をしているのだ。年配者はなにもしていないではないか。そうだのに賃金は逆になっていると。

▼「近代科学は、その急激な進歩によって人間の寿命を延ばすことに貢献しつつ、一方では、それを支える進歩の思想によって、老人を見捨てようとしている。この両刃の剣によって、多くの老人が悲劇の中に追いやられているのである。」と。河合隼雄はいっている。年配者のみならず中年者の課題でもある。



平成九年四月 二〇〇号

わら製の沓を穿いていた馬


わら製の沓を穿いていた馬 

 私が子供のころは馬が荷馬車につかわれていたが、現在、馬をみるのはテレビでの競馬くらいである。最近、馬について読む機会が二回あった。

▼司馬遼太郎『この国のかたち四』を読んでいると馬」について書かれていた。『明治初年、日本にきた外国武官が、日本陸軍の馬をみて、「猛獣のようだ」とおどろいていたらしい。日本人は馬の去勢をしらなかったのである』「明治まで蹄鉄はなかった。馬の蹄は、減りやすく傷みやすい。とくに人や荷をのせて、礫地をゆく場合に、損耗がはなはだしく、蹄を傷めてしまえば、馬はうごけなくなる。この蹄を保護する道具を装蹄具と言い、その決定的なものが蹄鉄なのである。日本では、古来、馬沓を穿かせた。ふつうはわら製である。ヨーロッパでは、十世紀ごろから蹄鉄が普及しはじめた」など書かれている。        

▼東洋文庫『日本奥地旅行』は英国婦人イサベラ・バードが明治十一年六月から約三カ月、東京から北海道までの旅行の記録で、著者が妹へ送った手紙をもとにしてかかれたものである。その第九信は、日光山 湯元 屋島屋 明治十一年六月二十二日のものである。「今日、私は、実験的に馬上旅行をしてみた。八時間で十五マイルであった。(中略)私は、蹴られも噛まれもしなかったし、投げ出されもしなかった。というのは、この地方では雌馬だけしか使用されないからである。(中略) 馬は鼻のまわりに縄をつけてひく。石の多い地面のときは裸足で歩く。石だらけの道では、馬子が馬の足に草鞋をはかせる」と書き送っている。

▼以上、二つの記述をあわせて読むと面白い。わずか百二十年前まで旅行の主役が馬であったこと、わら製の沓を穿いている馬に乗るのを「実験的に馬上旅行をしてみた」との記述に文明の違いを痛感した英国の人の姿が、現在、外国旅行しているわれわれの心象とかさねあわされて興味深かった。



平成九年四月 二〇五号

新入社員研修


 四月一日の午後、日課の散歩で、曹源寺にでかけた。境内に入ると若い男女が作業をしていた。明らかに新入社員の研修だとわかった。数人のグループに分かれて、修行者の指図でアジサイの若木を植え、草取りをし、掃除をしていた。一泊二日の予定だと言っていた。翌日、小雨の降る午後五時前にでかけると、総門の前に大型のバスが二台待機していた。門を入ると、研修が終わった新調のスーツの社員たちが話しながらバスに向かっていた。見も知りも知らなかった彼等にもいくぶんか仲間意識が芽生えつつあるようだと思いながら見送った。放生池の石橋を渡り山門を通り抜けて石畳みの道を行くと、本堂に入っているスポーツウエアの若者たちに出会った。彼等の一人と話すと、今日から二泊三日の研修だと言う。会社は違うが、連日、社員教育が行なわれていた。寡て社員(入社十年勤続程度)の研修を総社の宝福寺で三度行なったことがある。社外研修がある程度活発に行なわれているのは景気が上向いてきているのかなと想像した。 

▼禅寺の研修で何を体得して帰っていくのだろうかな?老師の法話、坐禅、食事、作務を通して多くのこと学ぶことだろう。しかし、坐禅で脚がシビレタ、警策が痛かった、禅寺での食事のマナーが厳しかった、一汁一菜の食事は美味しくなかった、なかには自分たちで初めて作業や掃除をしたことなどの印象が焼き付けられたのだろうかなと経験から想像した。       

▼禅寺の研修の体験に加えて参考にしてほしいものがあります。        
「一 礼を正し 二 場を浄め 三 時を守る これ現実界における三大原理にして、いかなる時・処にも当てはまるべし」と、森信三先生は言われています。



平成九年四月 二〇一号

敗軍の将の死


 沖縄本島の中央部にある嘉手納海岸に米軍が上陸したのは昭和二十年四月一日で、日本軍は激しい抵抗を繰り返したが、守備隊司令部のおかれた首里も五月下旬にはアメリカ軍の手に落ちた。さらに、守備隊は避難する住民とともに撤退をつづけ、遂に本島南端の摩文仁の崖上に圧縮された。六月二十三日、軍指令官牛島満中将と参謀長長勇中将は切腹し、兵や住民の死もつづいて、沖縄戦は終了した。(中略)長勇中将がまず切腹し、ついで牛島中将が短刀を腹に突き立て、それぞれ部下が介錯したという。壕の一番奥で自決したと。吉村 昭『私の引き出し』

 七日、戦艦大和艦長ノ有賀大作大佐 身三箇所ヲ羅針盤ニ固縛ス 艦トトモニ渦ニ呑マレタリトイウ。。吉田 満『鎮魂戦艦大和』
十年八月十五日 大分基地、午後五時、第五航空隊宇垣司令長官二十二人の塔乗員を乗せた特別攻撃機十一機の彗星(艦上爆撃機)が最後の出撃。大分の空から沖縄へ。午後七時二十四分、機上より決別の電報を発信、約一時間後に宇垣長官機は突入した。

武人と平時の官吏の違いはあるとしても、その責任の長にある人の心構えが時代の変遷といえども考えさせられる。



平成九年四月 二〇三号

書き続けることの難しさ


 三月の中旬から四月の始めにかけて、原則として月初めに発信しているハガキ通信、わずか六百字程度の短い随筆を十七日間書き続けました。毎日続けることがなんと難しいものかと実感しました。表題と内容の要点は次のようなものです。       

 ◇ハガキ智恵抄…年賀状から生き方をおしえられました数々。        

 ◇老いの達人…河合隼雄『働き盛りの心理学』より老いの受取り方。     

 ◇全過程を終了…小中学校の全過程の終了とは何を基準にして。       

 ◇社内のこんなものイラナイ!…会社クラレ社内報の特集記事より。     

 ◇花・華・はな…私の家の庭の花の観察記録。               

 ◇ある日の夢…夢のなかで切断している左手の指を使っていた。       

 ◇観桜…曹源寺日曜坐禅会の後、書院から庭の枝垂れ桜を観る。        

 ◇老師のお話し…自分で生きていると思っているが生かされている。     

 ◇本…自分で買い、読んだ本を売ろうとした人の気持ち。        

 ◇母国語語と外国語……グローバル化の中でアイデンティティは。        

 ◇GAKUJITOKU1、2……初めて英語通信を書いてみた。     

 ◇老いを生きる……『働き盛りの心理学』より老いの受取り方。        

 ◇ヘレン・ケラー……自伝『わが生涯の記』から一部抄訳。          

 ◇進歩と波及の一面…科学進歩が一般の人に及ぼしている側面。     

 ◇藁製の沓を穿いていた馬…現在文明はそんな昔からではない。      

 ◇敗軍の将の死…戦時の武人と比較して現在の官吏の汚さの数々。



平成九年四月 二〇四号

添 書(そえがき)


 通信をさしあげているある人から「先ず添書を楽しみにしている。それを読んでから通信を読むようにしている」といわれました。そしてありがたいことにハガキがフアイルされているのを見せられました。私も同じです。多くの方から通信文をいただいていますが、私あてに付け加え添えられた文章から読み、フアイルに挿入して繰り返し全文を読ませていただいています。

▼現在は、どんな方法で住所氏名を調べたのだろうかと思うほど本当に沢山のダイレクト・メールが送り込まれてきます。私のばあいはそのメールをチラット見てゴミ篭に捨ててしまっているのが現状であります。自分でも、毎月一度の黒崎の通信は大体内容は似たものであり、ダイレクト・メールと大差ないと思えることがあります。 

▼そこで冒頭にいわれたことがダイレクト・メールか読んでいただける通信になるかの大きな違いになるのだろうときづきました。添書は通信文のスペースを使って、あるいはハガキの表の宛なを半分の大きさにかいてその下に簡単なものでは「お元気ですか」「がんばっていますか」「いまなにをしていますか」、あるいは宛先の人に関連したことを二、三行書くようにしています。

▼添書をかくときはその人のことを思いながら書かせていただいています。「無財の七施」の第二の優しい言葉を施します、第四の温かい心を施すになるのかなと思い、これからも通信の随筆にはどんなことがあっても添書だけは忘れないようにしたいと念願しています。
追記1

 文化庁が12日に発表2004年度「国語に関する世論調査」結果がわかった。
 手書きの心 女性は重視

 急速に減っている「手書き」を初めて調査項目に加え、手書きへの思い入れに男女差があることが浮き彫りにになった。
▼手書きについての調査(数字は%)

 はがきや手紙などのあてな
 男性:手書きする:71.0、しない:21.3
 同上
 女性:同上86.5、同上:7.9
 年賀状のあてな:男性<:同上58.7<:同上:34.8
 同上
 女性:同上70.4:同上:22.1
 はがきや手紙などの本文男性同上65.0同上22.6
 同上女性同上83.0同上8.9
 報告書やリポートなどの文書男性同上40.4同上44.3
 同上女性同上50.3同上30.1

▼以上、朝日新聞:17.07.13に掲載されていた。私信では<手書きでなくては>と考えるひとが男女を問わず多いようである。女性が男性よりその気持ちが強いようである。
17.5.13
追記2:朝日新聞 「折々のうた」2006年4月22日
 「手書き文字の一字だになき手紙を寄せ返事待つとぞ未知なる人が」 辻下 淑子
 大岡 信さんは(前略)手書きの文字が一字もないワープロだけの手紙をよこして、返事を待つと言ってきた未知の相手の無礼を怒っている。日本人の「礼儀」感覚の激変ぶりを象徴的に語っている歌だろう。せめて自分の名前くらいは手書きでありたい。と書かれていた。

 伝書鳩から今日の電子メールになるまで100年だそうです。時代の変化を感じます。私も電子メールでのやり取りをしています。作句者にどんなしかられ方をするのだろうか。
18.4.23



平成九年四月 二〇六号

無財の七施


 山田無文『坐禅和讃講和』を読むと、無財七施の眼施(和眼施)、言辞施(愛語施)、和顔悦色施(慈眼施)、心施(心慮施)、身施(捨身施)、床座施、房舎施がやさしい言葉でそのまま身体にしみ込むようにおしえられます。

 第一に、涼しい目をほどこします。
 第二に、優しい言葉を施します。
 第三に、和顔悦色施といって…。
 第四に、温かい心を施します。
 第五に、身を施します。
 第六に、房舎施、宿を施します。
 第七に、床座施、座席を譲ることです。 

 涼しい目をしているか、少しでも気分がわるければ目がとがっていないか。優しい言葉をかけているか、少しでもからだの調子がわるければ口にして逆に優しい言葉どころでなくて心配をかけていないか。和顔悦色の顔をしているか、温かい心をしているか。身を施しているか、ちょっとした雑用をたのまれれば、いやいやながらしていないか、などなど自問自答してみると、なにも言えませ。   

▼施しを受ける立場でしか考えていなかったのではないか。無財七施は自分一人で生きているとおもっているがけっしてそうではなくて、生かされていることを教えているのでしょう。



平成九年四月 二〇七号

 最近いただいた芳信ごから


 一、先日、七十歳で薬草研究家の方と山歩きをしました。とてもお元気で身のこなしも軽く考え方も前向き…。其の方から楽しい人生を送るコツは
 (一)恥をかく 
 (二)汗をかく 
 (三)文をかく 
 ことだとおしえていただきました。 中村和美様

 二、私の方も六十七歳の人生を生きています。見るもの、きくもの、すべてがやっぱり生まれて初めての感動があり、人生は何歳になっても大事やと思うや切です。辻 光文様

 三、古希を迎えることになりました。七十歳はありがたいことです。いよいよ<人生二度なし>をかみしめることになります。寺田清一様       

 四、尾張旭市の永井幹夫先生はまさに「老いて学べば死して朽ちず」を実践せられつつあります。怒涛のような勢いで次々と論文を発表しておられ、お便りを頂く毎に凄いなと感心ばかりしています。境港市の小椋正人先生もしかりです。八十七歳で毎月「ませんろく」個人誌)を発行し、雑誌「致知」も向こう三年分予約されたそうです。この気概、実践人には本当に凄い人物がいらっしゃいますね。矢部和子様



平成九年四月  二〇八号

会社の風土


 クラレレタイムス三月号の特集をよんで『自学自得ハガキ通信』にして広報部あてに三月三十一日(月曜日)に発信した。社内のどこかにあるはずである。在勤中、社内報に何度か書いた。読んだ感想を広報部に書き送ったことはなかった。現職でない気楽さからか、今回は自発的に書いた。

▼どんな反応を示すか待っていた。一週間たってもなんらの返答もなかった。もう一週間待つことにしたが同じだった。生産販売会社の社外のひとへの対応教育は十分に行なわれているはずである。社外の人から社内報の感想文など、企業の成績になにも直接影響するものではないことは誰でも承知している。しかし企業にたいするものにはどんな簡単なことであっても直ぐに返事を書くような会社であって欲しいと思う。こんな些細なことでも直ぐに実行する気風が会社の無形の力だと思うのだが如何なものでしょうか。

▼ある会社の秘書は訪問にこられた人にできるだけ早く、絵ハガキにちょっとしたことを書き送っているそうです。普通のハガキでなくて、絵ハガキにした理由は文章を書く面が半分であるからだそうです。ほとんどなにも知らない人に書くことがそんなに多くあるはずがありません。それを頂いた人のその会社にたいする気持ちはどんなものでしょう。

 工夫のある秘書だと感心させられます。



平成九年四月 二〇九号

隔靴掻痒


 日本経済新聞(四月六日)の中外評論は、ビッグバンで何を捨てるか まず「国籍意識」から脱却の見い出しで書かれていた。日本版ビッグバン(金融制度改革)について、ロンドンで開かれたシンポジムに参加した。司会者のエコノミスト誌編集長が討議の最後に冗談まじりにこう問掛けてきた。「オフレコでけっこうですが、日本の金融機関は何社が外国勢に買われているとみていますか」と、かきはじめられていた。これだけを読んだだけで正に凄い改革だなと初めて知らされた思いがした。記事を読み進んでも、論説についていけなかった。理由は簡単。読者はビッグバンの骨子を知っている前提で論説が書かれているからだと思った。ところが私はビッグバンの骨子をなにも知っていないからです。

▼隔靴掻痒の言葉を思いだした。「かくかそうよう」だと思っていた。『広辞苑』を引くと見当たらなかった。岩波国語事典で、かく「隔」の見出しの説明のなかに隔靴掻痒かっかそうようと書かれていた。「かく」が「かっ」に促音に変化していたのである。『広辞苑』では「(無門関序)にはいている靴の外部から足のかゆいところをかくように、もどかしいさま。物事を徹底しないさま。沓を隔てて痒を掻く」と。

▼ビッグバンの記事から、物事をしっかりと知りたいのだがなんとなく漠然として曖昧な自分の知識の物足りなさと隔靴掻痒とがむすびついたのだろう。

▼静かな水面に石を投げると波紋が外へ外へと移動して、そのうちに消える。投げ入れた石の大小により波紋は変わる。日本版ビッグバンはどの程度の大きさの石なのだろうか。波紋の大きさに驚いて対策におわれて、あれもしなければこれもしなければと言っているうちに改革が骨抜きにされたりしなければ。



平成九年四月 二一〇号

規制と緩和


 日本経済新聞の経済教室(四月七日)を珍しく読んだ。「やさしい経済学」の記事に『橋本政権は経済改革を最重点政策課題として掲げている。規制改革、財政改革、行政改革などがその主要なテーマである。(中略)一連の経済改革に関連した最も重要な考え方は、いうまでもなく、「経済の自由な活動にむやみに介入することなく民間経済のあるままにさせるのがよい」というレッセフェールの思想である。自由主義経済の守護神的存在である新自由主義者のミルトン・フリードマンの言葉を借りれば、「民間企業は自分の利益のために自分のカネを使って行動する。政府は他人の利害のために他人のカネを使う。どちらの方が真剣で、正しい判断を行なうことができるかは明らかだ」ということになる。。

▼公共の埋設工事をみていると、予算の関連があるとは思うが、年度ごとに、同じ処を掘ったり埋めたりしている。もし民間企業の工事であれば一度ですませてしまうであろう。また、だれが見ても耐用年数のある建物が早めに建て替えられたりしている。こんなものをみると、ミルトン・フリードマンの言葉が正しいと思う。

▼しかし、私にはある程度、行政機関が規制したほうが良いと思うことがある。たとえば、タバコ、酒類、飲料の自動販売器の設置は制限したほうが良いと考えている。このための電力の消費は全国的に計算すれば凄い量になる。タバコについては、喫煙を禁止されている少年が利用したりしている。少しくらいの不便さは利用者も我慢できるはずである。

▼規制と緩和、排除の得失、波及効果は十分に論議して、実行施策してほしいものだ。



平成九年四月 二一一号

随筆の素材発見


 今年、三月から四月にかけて、六百字程度の随筆を毎日書き続けた。だんだんと日数がたつにつれて、書く材料を思いつけなくなった。自分の世界を広くしなければ、どうにもならないと思えてきた。自分が読む傾向と違った本を読むことが対策の一つの方法ではないかと思っていると、知人に話した。

▼「毎月、数冊、発行される岩波新書を全部かって読んだらどうか」と、すすめられた。早速、岩波新書の大塚恭男『東洋医学』と中込弥男『ヒトの遺伝』の2冊を買った。ふと、これは、はじめの自分の意図と違っていると気付いた。東洋医学、ヒトの遺伝については簡単な解説を読んだりしていている、そのうえある程度関心ある。しかし、多くの本から、自分で選択している。なるほど、新しく買った本から、ある程度の新知識はえられるだろう。しかし自分の選択傾向の範囲から抜け出していなかつたと。発行されるものを全部買わなければ、好みの問題が無意識にはいり、自分にとつて、新しい世界を覗き、従来と傾向の変わった素材は得られない。こんな状況からぬけだすためには、知人がすすめられた方法でなければと。

▼辰濃和男著『文章の書き方』の素材の発見についての記述に、向田邦子さんのいっていたことが書かれていた。「ベストセラーばかり追いかけずに、なるべく人の読まない本、自分の世界とは無縁の本、むずかしくてサッパリわからない本を読むのも、頭脳の細胞活化のためにいいのではないかとおもいます」と。P.8

▼向田邦子さんの方法により自分が知らなかった世界に入り、いまより幅広い考えができるようになりたいものだと思い、知人の勧めの素直な実行を考えている。



1997.4 No.197

English composition


 For the first time, I wrote my JIGAKUJITOKU (Learn from experience by oneself) No.191 in English.

 I have been teaching chemistry at high school in Okayama City. Therefore I wanted to learn the definition of some chemical terms in English. For example, element, atom, molecule, ion, oxygen, nitrogen, solvent, solution, acid and alkali.
 In order to learn them I consulted the COLLINS ENGLISH DICTIONARY. The definitions are written in the sort direct and informal style that teachers use explaining words, or that friends use with each other. (From this book)
 If high school students use this book, it is helpful for the study of English.
 When I would write this essay, I was thinking which title was the best. I have been writing the called JIGAKUJITOKU Essay in Japanese for many years, then decided to use the Essay's name.
 I went to a German woman at Sogenji Temple to have it checked, because I have been learning English for many years but I have rarely written English composition or letter.
 When she checked my sentence and said it was perfect I was delighted at.
 Thanks for her checking my English sentence.



平成九年四月 二一二号

脳死は人の死か


国会では現在、脳死を人の死と規定する「臓器移植法案」と、人の死かどうかは規定せずに、提供者本人の事前の意思が確認できた場合に限って臓器移植を認める「対案」とが提出されている。

▼「臓器移植法案」にたいする参考人の意見陳述が本日の新聞記事にみられた。

一、ノフィクション作家柳田邦夫氏は「救急医学の発展を考えると、今の基準で脳死判定をされた人が将来も回復の可能性がないとは言えない」と指摘。「脳死状態は科学的事実だが、それを人の死だと押し付けるのは暴力。脳死を受け入れの社会的環境ができる前に一律に規定するのは死の『青田刈り』だ」と脳死を死と規定しないで移植を実現する方法を考えるべきだとした。
二、平野龍一東京大学名誉教授(刑法)が「脳死が人の死だということは、国民が受容すべきだ」として法案を支持した。
三、石川元也・日弁連刑事法制委員長は「脳死を死とする国民的合意は無く、救急医療の混乱や脳死者が医学研究に使われる危険を考えると容認できない」と。

▼私には、知人に植物人間といわれている人が二人います。専門家でない私には、本人はどんな身体的な状態か分からない。しかし、その家族は、生活全般にわたって大変である。また、父であり、母であるその人にたいして、家族が救命装置を取り外してくださいといえますか。

▼柳田氏の言われる「将来も回復の可能性がないとは言えない」は正しいとしても、その将来が今年、来年と言った短い期間ではありそうにもないと思う。また、脳死を「死と規定しないで移植を実現する方法」は如何なる方法をかんがえておられるのか紙面にはみられなかった。多分に、複雑にして問題が起きる可能性も想像される。いつまでも、外国に臓器移植をたよりにしている現状がそのまま黙認されているのは如何なものかという思いもする。総合的に考えて、酷なようであるが、私は平野龍一氏の考えが妥当ではとかんがえる。

追加:「渡航移植」臓器求め海外へ522人 厚労省研究班最終報告
 厚生労働省研究班が実施した心臓、肝臓、腎臓の海外渡航移植に関する最終報告が21日まとまった。渡航移植患者は3月の中間報告より69人増えて522人に上った。渡航移植患者は増加傾向にあり、研究班は「国内の脳死移植体制が不十分なため他国民からの臓器提供を求めて渡航すると指摘、速やかな改善を求めている。(毎日新聞) - 4月22日4時6分更新
18.4.26



平成九年四月 二一三号

触って得られたもの


今年の桜の満開の時季はあいにくの雨つづきだった。最近、ヘレン・ケラーの自伝を読んでいる。目も見えない、耳も聞こえない彼女にとっては、触るか、匂いをかくことによって、ものを知っている。

▼私が花を見るときは、眺める程度である。体験的に、目を閉じて、庭の花にさわってみることにした。水仙の花びらは、なめらかで絹状の感触、桜の花びらも同じようである。椿の花は肉厚で、あまりスベスベしていない。さらに、水仙の花びら、葉、花の咲いている茎などにさわっていると、葉は偏平であるが、花の咲いている長い茎は円形に近い中空であることに気付いた。そのほかの花も、花のついている茎は円柱か円管であった。私には、これは素晴しい発見だと思えた。

▼せっかくの花が、風などで倒れないようにしておけば、受粉のチャンスも多くなるだろう。葉は炭素同化作用を活発にするために、少しくらい曲がっても面積が広いほうがよいだろう。これが自然の配慮だろうと思うと、その素晴しさの一面を知らされたようであつた。

▼「長さが同じで、同じ質量であれば、円柱よりも円管にしたほうがたわみにくい。鳥類の骨や竹は中空になっている。」と物理の本には書かれている。このことからも、水仙全体が全く合理的にできていると納得できた。

▼さて、こんなことさえ知らないでいたのか。「見れども見ざる」の自分であったのかと思えた。触ることによって得られた認識は、いまの自分の認識と違い、想像に絶するものであろうと感じさせられた。



平成九年四月 二一四号

義手とパソコン 


パソコンに対する入力でキーボードで行なうとき、正式なタイプ法である十指入力法を習得することがすすめられている。左手義手の私には上可能である。右手の指で雨垂れ入力でこなしてきたが、シフト・キーを押しながら、キーボードを操作するなど数々のふ便がある。

▼義手を新作するとき、その義手の左手も使えて、少しでも、パソコンの打ち込みを便利にしようと思い、義手の指に差し込むサックを製作してもらった。差し込むと、普通の指の先から約十から十五ミリくらい長くなるものをと依頼。約一カ月して、人さし指に差し込んで、送ってきてくれた。

▼四月九日、人さし指に挿入された、そのまま、使い始めた。シフト・キーを使うときはミスもなくて、便利であった。キャップス・ロック・キー(英文では、大文字と小文字を打ち込むときに、日本文では、平仮なと片仮なに変更するときに使用)は自動的に戻らない構造のため、二度打たなければならない。打ち方が悪いと大文字が小文字になったり、反対になったりすることがしばしばおこった。翌日、ふと、中指に挿入して打ち込んで操作した。人さし指のときより、楽で、ミスも少なくなった。人さし指と、中指とでこんなにも操作性に違うのかと驚くほどであつた。

▼口に棒をくわえて、身体全身でパソコンに一文字ずつ打ち込んでいる身体障害者からみれば、片手だけででも自由に打ち込みができるのは、どんなに楽だろうかと。しかし、片手しか使えない私には、正直なところ、両手が使える人を羨ましくおもっていたようだ。だから義手による工夫などを試みてきたのでしょう。「上を見ればきりがない」といわれているとおりですネ。義手の人さし指にサックを差し込むといつた至極簡単なことでも、自分で工夫したものだと思うと、なんとなくも嬉かつた。 ▼パソコンに対する入力でキーボードで行なうとき、正式なタイプ法である十指入力法を習得することがすすめられている。左手義手の私にはふ可能である。右手の指で雨垂れ入力でこなしてきたが、シフト・キーを押しながら、キーボードを操作するなど数々のふ便がある。



平成九年四月 二一五号

日の丸 日本 国歌 天皇


 「吉村昭氏の卓上日記」日本経済新聞(四月十一日)に、日の丸が制定された経緯が、次のように書かれていた。それでは、日本、国歌はどのようにして決められたのだろうかと、しらべることにしました。

▼日の丸 「日の丸の旗は、どのような経緯で日本の国旗になったか。最近、御城米船についての小説を書き、そのことについて知ることができた。御城米船とは、江戸時代に全国各地にあった天領で徴収した年貢米を運ぶ回船である。重要な役目を持っている船なので、航海の安全を第一とした。一般の回船と区別するため、幕府は御城米船すべてに日の丸の船印の幟を立てることを定めた。幕府は公式に日の丸を御城米船の船印に制定し、その後、二百年近く幕府の御用船にかかげられていた。(中略)アメリカ使節ペリーが四隻の軍艦をひきいて来航してから一年後の嘉永七年、幕府の大型洋式帆船「鳳凰丸」が完成し、その船尾に日の丸の旗がかかげられた。さらに六年後、幕府は日の丸を日本の国の船印とすることを制定したと。

▼私が調べた日本(Japan) と 国歌は『日本事物誌1』(東洋文庫)は、チェンバレン(英国人)の著作の翻訳である。これらについては諸説があるかも知れない。

▼日本(Japan) 英語のジャパンという語と、日本語のニホン、ニッポンはともにジーペンのくずれた形である。之は「日本」の中国語発音であり、文字通りの意味は、日の本(もと)、太陽が出てくる所、である。これは中国人が日本につけた名で、日本列島が自分たちの国の東方に位置するからである。マルコ・ポーロがジパングー(Zipangu)と書き、詩人たちがジパンゴー(Gipango)と書くのも、同じ漢字にクオ(日本語では国:こく)よいう語を加えたものに由来する。

 ニホンという名は、西暦六七〇年に日本政府が始めて公式に用いたようである。それ以前にこの国を土着の人々が呼んだ普通の名は、ヤマト(大和)であり、正しくはは中央の国々の中の一つの名であった。大和(やまと)とか大御国(おおみくに)という名は今でも詩や純文学では好まれている。日本には他にも古い名があり、その幾つかは、学術用語のように長く、雷が鳴っているような発音である。例えば、「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(名gあいほあき)の瑞穂の国」。しかし、このようなものを並べ立てて読者を引き止めことはしたくない。この題目についてさらに興味を持つ人は、古事記をめくって読めば満足するであろう(『アジア協会史』第一〇巻付録を見よ)。『日本事物誌1』(東洋文庫)P.312

▼国歌(National Anthem) 一八六八年の革命以後この国がヨーロッパ化されるにしたがって、英国の国歌(「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」)に相当するものを持つことが適当であると考えられて、『古今集』と題する古い歌集から、つぎのような美しい短詩が選ばれた。
 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」。この歌の曲は日本人が作曲したものであるが、ドイツ人の楽長が和音を加えて編曲した。『日本事物誌2』(東洋文庫)P.112


☆参照1:国歌の豆知識をお読みください。
平成十八年九月九日

☆参照2:日本経済新聞の記事より。
 奈良国立文化財研究所は1998.3.2、奈良県・明日香村の飛鳥池遺跡(七世紀中ごろー八世紀初め)から、「天皇」と書かれた七世紀後半ごろのものとみられる木簡が出土したと発表した。これまで天皇の呼び名を記した木簡は奈良市の平城宮跡からみつかった八世紀のものが最も古いとされていたが、今回出土した木簡が最古になり、天皇呼び名の起源を知る上で貴重な発見という。
 なお詳細を知りたい方は、次のインターネットのお読みください。高松塚光源

平成十九年九月二十一日



平成九年四月 二一六号

文章中の誤りを少なくするには


テレビのアナウンサーがニュースを話しているとき、内容などで間違いがあれば、紙に書いて、アナウンサーにわたしている人が、時々、画面にみられる。ラジオの場合も、放送をチェックしている人がおるときと、一人だけの場合がある。このかかりの人を、フロア・ディレクターと呼んでいると、放送局の人から教えられた。テレビ、ラジオは瞬時に電波にのり、視聴されるから、大変な神経をつかうだろう。従って、フロア・ディレクターが必要だと思う。            

▼私は六百字程度の随筆をハガキに書いて、定期的に発信している。時間的には十分な余裕があるから、誤字、脱字、テニオハの間違いがあったとしても、ていねいに繰り返しよめば訂正できるはずである。しかしながら、誤りを繰り返して、恥ずかしい思いをしている。この文章でも誤記をしていた。アナウサーと、はじめは書いていた。なんとなく、おかしいと感じたので、辞書(岩波 国語辞典)で調べると、アナウンサーだった。「ン」がぬけていた。フロア・ディレクターにつてもフロアに「ー」を付け加えていた。 

▼ところが、人が書いた文章を読むと、不思議なくらい間違いに気付き、それらが文面から浮かび上がっているようにさえ思える。間違いの少ない文章を書くには、人に読んでいただくのが最良であると思う。校正係のような人が身近にいれば、こんなよいことはない。そんな人もみあたらない次善の策は、一晩、原稿をねかせて、読み直すことで、フロア・ディレクターの役目を自分一人ですることだろう。



平成九年四月 二一七号

仁者寿


クラレOB会報のおもて表紙をかざる墨書の文言であった。

 裏に、「仁者寿 論語 読み:仁者はいのちながし。意味:仁徳あるものは仁に安んじて憂えることがないから長寿である」と、表紙を書いた人が説明していた。良い言葉を教えられました。論語は何度も読んでいるがこの文言は記憶がなかつた。先ず、岩波文庫本にあたってみた。

▼「子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し」[雍也第六の末尾に確かに記載されていた。

▼宮崎一定は『論語の研究』のなかで、この文章にたいする新譯として「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ、という諺は全くその通りだ。知者は運動が好きで、仁者は安静が好きなのだ。知者は目前を楽しく暮らす方法を知り、仁者は長寿の秘訣を知っている」と。

▼さらに、調べると、「子の曰わく、君子の道なる者三つ。我れ能くすること無し、仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。子貢が曰わく、夫子自ら道うなり」[憲問第十四]

▼宮崎氏は「子曰く、人間の理想に三箇条があるが、自分はまだどれにも到達できない。仁者となって不安を知らなくなり、知者となって惑いを知らなくなり、勇者となって懼れを知らなくなることだ。子貢曰く、先生ご自身、ちゃんと出来ていらっしゃる」。

▼いまを生きるに、目前を楽しく暮らす方法を知り、不安を知らない者になりたいものだと思った。仁者寿の説明を読みながら、田端繁様、村川美鈴様の親子が、毎月、発行されている個人誌『静観』の記事のなかに「論語に学ぶ」を連載されているのをおもいだしていました。



平成九年四月 二一八号

of color blacks coloured


Woods, whose father is Africa-American and mother is Asian-American, had a chance to be the first golfer of color to win any of golf's four majors. Blacks were not ever allowed to enter the Masters until Lee Elder burst through that tedious barriers in 1975. 以上の英文は毎日新聞二面のキーワードの記事(四月十六日)である(「ヘラルド・トルビューン」より)。

▼この記事中の二つの用語と、 blacks のゴルフ参加の記事に引かれた。  
of colour と blacks が使われている。英々辞典 COLLINS でどのように説明されているかをしらべた。
colour の見出しの説明 People of colour are people who belong to a race with dark skins.
black の見出しの説明 A black person belongs to a race of people with dark skins, especially a race from Africa.
Black people are sometimes referred to as blacks, though some people find this use offensive.
 日本語でも、差別用語だといわれる言葉があるが、これらの英語はそれに相当するのだろうか? Blacks の説明では明らかにこの言葉は offensive だと思う人がいるとかかれている。参考までに coloured は 
A coloured person belongs to a race of people with dark skins; an old-fashioned use which many people find offensive.



▼ゴルフでも、二十二年昔まで blacks はマスターズに入れなかつたことがわかつた。日本でも制限があるものがある。日本相撲協会では、いままで、女性を土俵に上がらせていない。英国では、山岳関連のクラブに女性は入会できない。どこの国でも似たようなことがあるものだと感じた。



平成九年四月 二一九号

ツクバネの種


 いかにも遠くまで飛んで行けそうな羽子板の羽に似たタネである。一つ一つの絵と散らばっていく方法を書き添えた二十二のタネを新聞紙半紙の四分の三にパラパラと配り、紙面の中央部に、「こぼれタネ。はじけタネ。飛ばされタネ。それぞれに、おもしろい道があるようだ。工夫しながら、それぞれの道を行くタネたち(中略)」。ある会社のPRの新聞に出会った。

▼先ず、タネの形の多様性に驚かされ、タネの運ばれ方に興味がわいたので整理してみることにした。

 一、風にのる…ツクバタネ オトコエシ クサボタン。風に転がる…ムクゲ。滑空する…マクロザノニア
 二、海流に乗る…メヒルギ。水に運ばれる……オニバス ヒシ ハスノカズラ ヒシモドキ。水に運ばれる、物に引っかかる…タウコギ。人や動物に引っかかる、水に運ばれる……オナモミ。
 三、人や動物に引っかかる……コセンダングサ。人や物に引っかかる…ヌスビトハギ
 四、アリに運ばれる……ホトケノザ。動物に運ばれる…ミズナラ。鳥に運ばれる…アオツズラフジ マンリョウ
 五、人の靴の裏などにつく……オオバコ。粘液で人や動物につく…ヤブタバコ
 六、しょく物自身がはじきとばす……コミカミソウ カタバミ

▼それぞれのしょく物は繁殖のために、そのタネの形も長い期間にできたのだろう。風にのるツクバネのタネは、風の強さ、向きなどで、かなり広いところまで運ばれ、群生することなどはないだろう。人や動物に引っかかる、水に運ばれるオナモミはピーナツの大きさで両端が少し尖った形をしていて、表面全体から沢山のトゲが突き出している。トゲの先端が鈎状に曲がっているものまである。ホトケノザはアリに運ばれる。二センチほどのパイナップルの形をしている。アリにはこばれるには、どんな相互関係あるのだろうかと想像をかきたてられた。また「工夫しながら、それぞれの道を行くタネたち」の言葉は、あれこれの連想に運んでくれた。



平成九年四月 二二〇号

 パブリッシュ・オア・ペリシュ


 『米国の研究者の社会には「パブリッシュ.オア.ペリッシュ」という言葉がある。きちんと仕事をして評価されるか、さもなくば消え去るかのどちらかという意味である。実績もあがれば処遇も上がる。』日本経済新聞(四月十二日)転換期の研究予算の記事より。

▼Publish or perish! この言葉を『COLLINS』で調べたところ、「Perish」には非常に厳しいものを感じさせられる。その説明をそのまま写すと以下の通りである。

 If something perish, it seems to an end or is destroyed for ever.
 それで終わりであるか、永久に破壊されることを意味している。

▼米国で研究を続けた人の話しでは、ある期間、研究しても成果が現れず、学会誌に発表できない人は、研究費も減らされ、実験室のスペースも狭くなり、自然にその研究室から消えてゆくとのことである。

▼科学技術会議(首相の諮問機関)は三月末、小委員会で検討していた研究評価の指針案を公表した。国立研究機関や大学などの、国費を使った研究開発活動を評価する際の基本原則をまとめたものだ。広く意見を聴き、六月をめどに決定する。これを受けて文部省や科学技術庁など各省庁は、研究評価のための体制・組織作りをすすめる。

▼評価の記事を読んで率直に感じるのは、関係者は努力していたのかもしれないが、この時期まで、よくも放置されていたものだなと。また、議論百出してまとめられるのだろうかと。すくなくとも実行する案を作成してほしいものである。さらに、大学教員の任期制度導入の是非を巡って、大学関係者の間で熱い議論が起きているが、個人的には実施の方向を望んでいる。

補足:古い記事です。しかし、平成二十五年に研究者と話をしていると、アメリカも予算が厳しくなっている。したがって、Publish or perish!はさらに厳しくなっているだろうと私は感じました。2013.05.04