桑原武夫編『一日一言』 |
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☆02『春 秋』(B.C.607年)
![]() 晉の霊公が無法な行為を重ねた。趙盾(ちょうとん)が諫めたが、かえって殺されそうになった。彼は亡命した。しかし、彼がまだ国境を越えていない時に、趙穿(ちょうせん)というものが霊公を殺しちぇしまった。趙盾は亡命をやめて、ひき返して来て、政務をとった。
史官は「趙盾が国君を殺す」と国史に書いた。趙盾の抗議に、史官が答えた。「貴殿は晉国の正卿である。それ故に、亡命の途中とはいえ、まだ国内にいたからには、そして帰って来た後におも反逆者を討ちとらないからには、責任はすべて貴殿が負うべきではないか。」(春秋左氏伝)
*春秋は年代記。中国古代の歴史家は、事件の奥底に目を通し、責任の所在を極めることに努力した。いわゆる「春秋の筆法」である *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.170 2020.08.18 |
![]() 雇鵲が斉の桓侯にお目通りした時にいった。「御病気が筋にあります。早く治療しなさい。」 五日たった。「御病気が血脈にあります。」 また五日たった。「御病気が胃腸にあります。」 桓侯はこの忠告をすべて聞き入れなかった。 それから五日の後、雇鵲は桓侯を遠く見ただけでで、退出してしまった。「病気が筋にある時は貼り薬でなおせる。血脈にある時はハリでなおせる。胃腸にある時は飲み薬でなおせる。骨髄に来ては、生命をつかさどる神さまでも手の下しようがない。それ故に、私は何も申し上げなかったのである。」
(『史記』扁鵲伝)
*中国では古来、名医をつねに雇鵲とよぶ。『史記』にしるす雇鵲は、戦国時代の鄭国の人。吊医の中の吊医として神格化されている。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.211 |
☆04釈 迦(B.C.566?~486?年)
![]() 一切の国々に赴け。そしてこの福音を説け。貧しきもの卑しきものも、富めるもの位高きものも、すべて一なることを、すべての種姓(カースト)はこの教えのなかに統合せらるることを、人に告げよ。
勝利は憎悪をはぐくむ。被征服者は不幸であるから。戦いにおいて、一人千人に打勝つこともある。しかし自己に打勝つ者こそ、最も偉大なる勝利者である。
4月8日インドのカピラ城主として生まれ、二十九歳から世を捨てて修行した仏教の開祖。彼の教えは自己伸張、自己克服である。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.60 2010.04.08 |
☆05孔 子(B.C.551~479年)
![]() 子いわく、学びて時に習う、またよろこばしからずや。とも遠方より来る。また楽しからずや。人[おのれを]知らざるもうらみず、また君子ならずや。1学而第一 子いわく、われ十有五にして学を志し、三十しして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳したがう、七十にして心の欲するところに従って矩をこえず。20為政第二 子いわく、如何せん如何せんといわざる者は、われ如何ともするなきなり。394霊公第十五 8月27日に生まれたとされる儒教の創始者。政治に志したが成功せず、退いて弟子を養成した。「聖人」として長く中国の思想界を支配した。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.142 2020.08.03 |
![]() もし私が罪なくして殺されるならば、正義を無視して私を殺した人々に、この行為の恥がきせられるであろう。なんとなれば、不正が恥であるならば、正義にそむいた行為がどうして恥でなかろう。しかしながら、人が私の正義を知ることもできず、私に正義を示すこともできないのが、私にとってなんの恥であるか。私は昔の人々でも、不正を加えた者と加えられた者とでは、後の人々にたいして決して同じなを残していないのを見ている。私もまた人々の心に残り、たとえいま死んでも、私を殺した人々の受けるのとは異なった心づくしを注いでもらえるのを知っている。(クセノフォーン『ソクラテースの思い出』) ] 問答法によって真理を探究したギリシア最大の哲学者。民心をまどわす者として死刑を宣せられたが、処刑直前、4月27日服毒自殺した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.69 |
☆07孫 子(B.C.380~320年)
![]() 戦わずに相手を降伏させるのが、最上の兵法である。相手をうち破って勝つのは次善のものでしかない。しれ故に、「百戦百勝」を最善と言うことはできおない。智によって勝のが第一、威によって勝のが第二、武器を用いるのは第三、白を攻めるのは最下である。 攻城戦は万やむを得ない時にのみする。その時は攻城用の諸道具を十分に用意しなければならない。それには六ヵ月を要する。もし将軍が怒りにまかせて用意もなく攻め、兵を城壁に肉薄ししめ、三分の一死なせて、なお陥落しない時には、天罰を受ける。(謀攻篇) 2月01*中国の戦国時代に兵法を各方面から説き、兵法の祖と言われる。自分とともに相手をも相傷しないことを理想としている。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.20 2020.08.11 |
☆08孟 子(B.C.372~289年)
![]() くりやに肥肉あり、うまやに肥馬ありて、民に飢色あり、野にうえ死(じ)にするものあるは、これ獣をひきいて人を食(は)ましむるなり。獣相食むすらなお人これをにくむ。[いわんや]民の父母[君主]となりて政(まつりごと)を行い、獣をひきいて人を食ましむるを免れざる、いずくんぞそれ民の父母ならんや。(梁恵子篇上) ※参考:金谷 治著『孟子下』中国古典選書8(朝日新聞社)P.46 仁の不仁に勝つは、なお水の火に勝つがごとし。今の仁をなす者は、なお一杯の水をもって、一車薪の火を救うがごとし。消えざればすなわち之を水は火に勝たずという。これまた不仁にくみするの甚しき者たり。ついに必ず≪亡びんのみ。(告子篇上) *孔子につぐ儒教の代表的思想家。政治的には一そう尖鋭で、革命権を肯定した。諸国を遊歴したが、志をえず教育に専心した。 ※参考:金谷 治著『孟子上』中国古典選書8(朝日新聞社)P.180 8月27日に生まれたとされる儒教の創始者。政治に志したが成功せず、退いて弟子を養成した。「聖人」として長く中国の思想界を支配した。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.105 2020.08.09 |
☆09エピキュロス(B.C.341~270年)
人が自分で得ることができることを、神にたのんだとて、無駄である。 哲学しているように見せてはならず、実際に哲学しなければならない。なぜなら、必要なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身だからだ。 むなしいのは、人間の苦しみをなおすことのできない哲学者の言葉である。なぜなら身体から病気を追いだすことのできない医学にはなんのとりえもないように、精神の苦しみを追いだすことのない哲学にはなんのとりえもない。(断 片) *古代ギリシャの哲学者。唯物論者として快楽主義をとった。彼の主義は卑俗な道楽主義ではなく、感覚の哲学上での解放であり、その目的は人間の幸福な生活にある。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.96 2021.12.24 |
☆10司馬遷(B.C.145~86年?)
![]() 父の遺志をついで『史記』に着手したが、七年めに李陵の事件で去勢の刑を受けた。一たびは絶望の淵に沈んだけれど、よく考えてみると、すぐれた古典は、みな何かに抑えられた理念の具現を果そうとしたものであり、孔子は陳蔡の災難に遭うて『春秋』を著し、屈原は追放されて『離騒』を作った。失明した左丘明、足斬りの刑に遭うた孫子、秦に幽囚された韓非子などみなそうだし、『詩経』の三百篇も憤りを発した作である。いずれも胸の鬱血をまともに発表しえなかったのだ。私も過去の事実をのべ、未来に期待して、仕事を続けよう。(『史記』大史公自序) *11月6*中国漢代の歴史家。不滅の歴史『史記』の著者。その正義感がわざわいして屈辱の刑を受けたが、激しい憤りを制作欲にかえて、史筆をとった。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.184 ※参考:『史記列伝五』(岩波文庫)1986年4月10日第12刷 P.192 2020.08.18 |
☆11キケロ(Marcus Tullius Cicero)(B.C.106~43年)
![]() もし、この世界から、人間を結合している親切のきずなをたち切ってしまうならば、どんな家も、どんな都市も存続することができない。もしこれを充分に理解することが困難ならば、争いや不和を見て、人は、友情と和合との力が、いかに大きいものであるかを、さとることができるであろう。なぜなら、憎悪と争いとによっても、根底からくつがえされることを、なお免れているような非常に堅実な家とか、非常に基礎のかたい都市とかが、一体どこにあるだろうか。これによっても友情には、いかに多くの美点があるかを判断することができるわけだ。(友 情 論) この日1月2日アルピヌムに生まれる。ローマの雄弁家、政治家、哲学者。共和制の擁護のため、政治的精力を傾倒したが、破れ、殺された。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.3 2022.01.08記す。 |
☆12カエサル(Marcus Tullius Cicero)(B.C.102~44年)
賽は投げられ。 カエサルがルビコン河を渡った時の決意の言葉。ガリア平定後、元老院の禁止を無視して渡河、ローマを占領したのである。
来た、見た、勝った。
わが子よ、お前もか。
この日(3月15日)ローマの元老院で殺された。第一次三頭政治をへて、独裁者となった。その間ガリアやエジプトに戦った。文筆にもすぐれた。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.46 2022.01.09記す。 |
![]() こころの貧しい人たちは、さいわいである、 天国は彼らのものである。 悲しんでいる人たちは、さいわいである、 彼らは慰められるであろう。 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、 彼らは飽き足りるようになるであろう。 平和をつくり出す人たちは、さいわいである。 彼らは神の子と呼ばれるであろう。 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである。
天国は彼らのものである。(山上の垂訓)
12月25日ユダのベツレヘムに生まれる。三十歳頃から福音を説き、三年後十字架にかかったが、復活したとされる。キリスト教の始祖。図はルオ―作。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.213 ※『聖書』新共同訳 発行所 日本聖書協会 1991 P.(新)6 山上の垂訓(五ー七章)を始める 2020.08.28 |
世の儒者は師を信じ、古を是とする癖がある。聖賢の言はみな深い省察から出た言葉であるとして、疑をさしはさもうとしない。そもそも聖賢が慎重な用意のもとに筆を執って書いたものでも、ことごとくが真実であるとは保証できぬ。いわんや卒然と吐かれた言葉においておや。……古人の才は今人の才にほかならず、今日のいわゆる英傑は古のいわゆる聖・神に当る。されば孔門の七十子が聖神にして、史上その比を見ずと称せられるのも、もし、かりに孔子という師が今日の人であったとすると、現代の学者でもみな顔淵・閔子騫の徒ということになるのである。(問 孔 篇) *後漢の学者。浙江省上虞の人。儒教の偏見、世俗の迷信を攻撃して『論衡』を著わす。中国のヴォルテーと称する人あり。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.138 2010.08.20 |
![]() 悪人は皆、悪人であるかぎり憎まれ、人間であるかぎり愛されるべきである。私たちが悪人において正当に愛するも、すなわち人間の本性そのものを、罪悪からきよめ、解放するために、私たちが彼において正当に憎むもの、すなわち罪悪を、責めなければならない。それゆえ、敵を、彼における悪しきもの、すなわち不義のために憎み、彼における善なるもの、すなわち社会的、理性的存在者としての彼の本性のために愛することこそ、私たちが支持する主義なのである。(マニ教徒ファウストゥスにたいする駁論) この日(11月13日)北アフリカに生まれたキリスト教会最大の教父。彼の完成した正統的信仰は、中世哲学に決定的な影響を与えた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.188 |
朝早く門を叩く音。あわててあけてみれば、これはこれは百姓のお爺さん、遠路、酒をたずさえての御入来、そのいうことに―― 「なぜあなたは世に背きなさる。ボロをまとうて茅の家に住むのが、なにも清い暮らしとは限りませぬ。調子を合すのがこの世の習い。濁り世の同じ泥田にお立ちなされ。」
いやもっともの御意見なれど、世に交わり難きはわしの性(さが)。この性を直せばよいものの、己れを曲ぐることは過ちじゃ。まあここへござれ、そいつを景気よく飲(や)りましょう。わしの道は曲げられねども。(飲酒の時)
六朝時代の詩人。官途についたが、すぐにやめ田園に帰った。自己に誠実かつ純粋な人間で、その詩はすべて彼の信仰告白であった。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.27 |
![]() 心の怒りを絶ち、おもての怒りをすて、人のたがうを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執ることあり。彼よみすれば、すなわち我非なり。我よみすれば、すなわち彼非なり。我必ずしも聖にあらず。彼かならずしも愚にあらず。共にこれただひとのみ。是非の理)、いずれか定むべき、相ともに賢遇なり。鐶の端なきがごとし。これをもって彼の人はおもて怒るといえども、かえって我があやまちを恐れよ。我ひとり得たりといえども、衆に従って同じくおこなえ。(憲法、第十条) 4月3日、太子によって『憲法十七条』が制定された。太子は大陸文化の移入に熱心で、仏教を盛んにして、日本文化に新しい方向を開いた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.57 |
![]() 人間の足がふむ広さは、わずか数寸にすぎないのに、一尺ほどもある路で、きまって崖からつまずいて落ちるし、ひとかかえもある丸木橋で、かならず川に落ちておぼれるというのは、なぜか。そのかたわらに余地がないからである。君子が世に立って行く場合も、まったく同じこと。真実のこもったことばも、人に信用してもらえず、天地に恥じぬ行いも、人から疑われることもある。みな、自己の言行・名声に余地ががないためである。私は人からそしりを受けたとき、いつも、この点について自己反省した。(『顔氏家訓』吊実篇) *南北朝時代の学者。儒教と仏教との調和をこころみた。『顔氏家訓』は、人間いかにいくべきかを家族を中心の立場から述べた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.3 ★この文章は記憶していた。 2010.07.01 |
![]() 善知識たちよ、我が法門は定と慧とを根本とする。定〔坐禅〕と慧〔學問〕とを別個のものと誤解してはならない。定は慧の体〔根幹〕であり、慧は定の用〔発現〕である。定と慧とは一体不二である。
(六祖大師法宝壇経、定慧第二)
汝らよく聴け、後生の迷える者も、もし衆生を識らば、そこに仏性がある。もし衆生を識ることなくば、万劫の永きにわたって仏を求めても、仏に会うことはできぬ。汝ら、自心の衆生を識り、自心の仏性を見よ。仏を見んと欲する者はただ衆生を知れ。
(同付嘱第十)
*唐代の僧。禅宗の第六祖。文盲と言われるが、禅風を革新し頓悟禅を開く。後世の禅宗の総祖。図は梁楷の筆 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.183 2020.08.21 |
![]() 〽瓜はめば 子ども思ほゆ 栗はめば ましてしぬばゆ いずくより 来たりしものぞ 眼(ま)なかひにもとなかかりて 安寝(やすい)しささぬ 〽しろがねも くがねも 玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも 〽秋風の 吹きにし日より いつしかと 吾が待ち恋ひし 君ぞ来ませる *『万葉集』の代表歌人。中国に二年留学。儒教の影響下に社会意識をつよめ『貧窮問答歌』などを作った。写真は彼が上の歌を作ったと伝えられる飯塚市外「鴨生」。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.117 2020.08.21 |
![]() 潮騒(しおざい)に いらごの島辺 こぐ船に 妹(いも)乗るらむか 荒き島回(しまみ)を
ささの葉は み山もさやに さやげども
草枕 旅の宿に 誰(た)が夫(つま)か
鴨山の 磐根(いわね)し纏(さ)ける 吾をかも
*『万葉集』第一の作者。大和の古い豪族の出で、持統天皇につかえた文人。儀礼歌、相聞歌に古今独歩の才をしめした。4月18日、人麻忌 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.65 2020.08.21 |
![]() 天地の 分れし時ゆう 神さびて 高き貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 ふり放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行き憚(はばか)り 時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひつぎ行かん 富士の高嶺は
田子の裏ゆ打出でて見れば白にぞ
山部赤人 図は葛飾北斎筆 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.2 2020.08.21 |
![]() 君見ずや 黄河の水 天上より来り 奔流し海に到って また廻らざるを 君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを 朝には青糸の如きも 暮には雪を成す 人生意を得なば すべからく歓を尽くすべし 金樽(きんそん)をして空しく月に対せしむるなかれ 天の我が財を生ずる 必ず用有ればなり 千金散じ尽くせば 還(また)復(ま)た来たらん 羊を烹(に) 牛を宰(ほふ)りて 且(しばら)く楽しみを為せ 会(かなら)ず須(すべか)らく一飲三百杯なるべし (まさに酒を進めん) 杜甫とともに唐代を代表する詩人。生命力にあふれた自由奔放な人柄で、一時宮廷詩人ともなったが、多くは放浪のうちに生活した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.61 2022.01.18記す。 |
![]() 古賢禹王は、一寸の暇を惜みて、一生の空しく過ぐる事を歎勧せり。因無くして果を得るは是の処あることなく、善なくして苦を免るるは、是の処あることない。 ] 伏して願うくば解脱の味独り飲まず、安楽の果独り証せず、法界の衆生と同じく妙覚に登り、法界の衆生と同じく妙味をふくせん。 ] 6月4日比叡山中道院で死す。わが国における天台宗の開祖。桓武天皇の帰依があつく、比叡山をひらき延暦寺をたてた。 ]*桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.93 2020.08.16 |
真理を伝え、学を授け、疑を解くもの、それが師である。人間は生まれながら知るものでないから、師につくことが、絶対に必要である。その場合、問題は真理にあって、年齢や身分に関係しない。工人たちはたがいに師とし合うことを恥じないのに、士大夫たちは、年齢がどうの、学業がどうの、といって、師である弟子であるといえば、みなが笑う。相手の官位が低いと、かっこうが悪いと思い、高ければ高いで、へつらっているように思う。君子は工人たちを眼中においていないけれども、現状では、その智はかえって工人に及ばない。奇妙なことである。(師説)
12月1日晶黎県(河北省通洲の東)に生まれた。唐宋八大家の一人。唐代の代表的な文学者。前代の技巧派の宿弊を打破し、古文の復興に努力した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.200 2010.11.29 |
![]() 送春上用動舟車 唯別残鶯與落花 若使韶光知我意 今宵旅宿在詩家 (春を送るに舟車を動かすを用いず ただ鶯と落花と別るるのみ もし韶光(春の光)をして我が意を知らしめば 今宵の旅宿は詩家(詩人である私の家)にあらん)
こちふかば にほひ おこせよ 梅の花
君がすむ やどのこずゑを ゆくゆくと
2月25日九州の大宰府で死んだ。和漢の学に通じた平安朝の代表的文学者。右大臣になったが藤原氏に憎まれて左遷された。天満宮は彼をまつる。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.33 参考:写真は岸和田市土生町:「土生神社 御祭神」 2010.02.25 |
![]() なにもせずにじっとしておれば、一日が二日みたいな気になるものだ。もし一生涯を全部こんな気分に切りかえることができれば、七十まで生きたとしても、それは百四十歳の寿を得たことになる。こんなすばらしい長生きの薬は、めったに有るものではない。副作用もなければ、金もかからぬ。人間だれでも、この処方をそなえておるのに、困ったことには、よい白湯がないために、せっかくの薬がのめぬという始末だ。(魚隠叢話) ふざけたような言葉ながら、ふかい感慨がこめられている。彼の生涯こそは、烈しい政争をくぐって波瀾にみちたものであった。 12月19日 この日四川省眉山に生まれる。宋代の文豪。あけっぱなしの放胆さ、しかも志を曲げぬ強靭さがある。作品の幅は広く、かつ爽快。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.209 2020.03.01記す。 |
![]() 我来って 万里 長風に駕す 絶壑 層雲 許も 胸を盪かす 濁酒三杯 豪気発し 朗吟して飛び下る 祝融峰 (酔下祝融峰詩。祝融峰は湖南省の衡山にある) 天地は物を生しめることを心としている。気に陰陽があり、物に盈虚はあるけれども、天地のこの心は、古往今来、一瞬の間断もないのである。……冬となれば陽の気は収斂するが、しかし天地の生物の心は決して息んだのではない。ただ蔵れて端倪のみとむべきものがないにすぎない。(朱子語類巻七十一)
血気の怒は有るべからず。理義の怒は無かるべかあず。(孟子集注。本来は張南軒の語)
9月5日福建省南平県に生まる。なは熹。儒教史上、空前絶後の組織哲学、いわゆる朱子学を建設、日本、韓国に絶大な影響を与えた。
*桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.154
2020.08.20記す。
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![]() 親鸞は弟子一人ももたずそうろう。そのゆえは、わがはからいにてひとに念仏をまうさせうらわばこそ、弟子にてもそうらめ。弥陀の御もよおしにあずかりて念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめて荒涼[乱暴]のことなり。つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきてひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいうこと、不可説なり。如来よりたわりたる信心を、わがものがおにとりかえさんともうすにや。かえすがえすもあるべからざることなり。
(歎異抄)
4月1日京都に生まれた真宗の開祖。法然に師事した。肉食妻帯を認め、農民の間に絶対他力の信仰を深めた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.56 2020.08.14 |
![]() わが姉妹、鳥たちよ、神は汝らに好むがままにあらゆるところへ飛びゆく自由をあたえたまい……汝らは播かずまた刈らざれども、神は汝らに食をを与え、泉と流れを汝らの飲みものとしてあたえたまう。彼は汝らに山と谷をかくれ家としてあたえたまい、高き木々を汝らが巣くうためにあたえたまい、汝らは紡ぐことも縫うことも知らざるを見たまいて、神は汝らと汝らの幼きものたちに衣をきせたまう。それ故に、わが姉妹よ、心して忘恩の罪を犯さず、つねに神をたたえまつれ。(小さき花―小鳥への説教) この日(1226年10月3日)死んだ中世イタリアの修道僧。若いころ放蕩したが、宗教的回心をへて、愛と清貧を旨とする托鉢僧団を創始した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.165 2010.11.04:写之 |
![]() 世間の食物、その味一種にあらず。その中にいずれを本と定むべきや。人の天性まちまちなる故に、甘き物をこのむ人もあり、辛き物を愛する人もあり。もし我がこのむ味を本として、余味は皆いたずらなりと言わば愚人なるべし。法門もまたまたかくのごとし。衆生の性欲〔性質と欲望〕同じからざる故に、わが心にはこの法門を貴しと思うといわば、さも有りぬべし。もしわが思いを本として、この法門は正理なり、余の法門は皆真実にあらずと〔固〕執せば、これ邪説なり。 (夢中問答)
*桑原 武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.160 |
![]() 初心忘るべからず。 (花鏡) 命には終りあり、能には果てあるべからず。(同上)
上手にもわるき所あり。へたにもよき所かならずあるものなり。これをみる人もなし。主もしらず。上手はなをたのみ、達者にかくされてわるき所しらず。へたはもとより工夫なければ、わるき所をもしらねば、よきところのたまたまあるをわきまえず。されば上手も下手も、たがいに人にたずぬべし。(花伝書)
(6月17日)*日本能楽の完成者。観阿弥の子。天才的演技者で、同時にすぐれた作者として現行曲の過半数をつくった。ほかに理論書が多い。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.100 ▼世阿弥、佐渡に流される:世阿弥が佐渡に流されたのは永享(一四三四)五月のことで、理由はやはり分からないが、おそらく元重(世阿弥の弟で観世座の庶流であった四郎の子であるが、早くから世阿弥に認められて、その指導をうけた)に対してその後も変らない狷介さが、ついにこの偏執狂的な将軍(足利義教)の勘気にふれたのであろう。在島の作品としては、配流途上の風物や謫所の生活・感情を謡った小謡集『金島書』が残っており、ほかに金春氏信に送った自筆書簡一通も現存する。(中略)やがて赦免をうけて帰洛したという伝えもある。 参考:吉田東吾の業績としては、ほかに能楽研究がある。この方面でも「花伝書」を含む世阿弥の遺著十六部を発見、甲注本を出すなどの巨歩を残した。紀田順一郎『知の職人たち』P.38 |
![]() いにしえは道心おこす人は寺にはいりしが、今はみな寺をいずるなり。見れば坊主に知識もなく、坐禅をものうく思い、工夫をなさずして道具をたしなみ、ころもは着たるも、ただとりかえたる在家[俗人]なるべし。けさ衣を着たりとも、衣は縄となりて身をしばり、袈裟は鉄のしもく[撞木]となりて、身をうちさいなむと見えたり。
袈裟ごろも ありがたそうに 見ゆれども これも俗家の 他りき本願
11月27日死んだ室町末期の臨済宗の僧。京都、大徳寺の住職であった。書画、詩、狂歌にたくみで、諸国を漫遊し、奇行をもって世人をおしえた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.196 *青木雨彦監修『中年博物館』(大正海上火災保険株式会社)P.92 2020.06.22 |
広さ数頃にして源なき塘の水たらんよりは、深さ数尺なる源ある井水たらんにしかず。 (伝習録)
山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。もし己が心朊の冠を掃討して、よく廓清平定の実をあげるならば、これまことに大丈夫不世出の偉業である。 (王文成公全書巻四、書簡)
知〔認識〕の痛切にして誠実なるところが行〔実践〕であり、行の明確にして精密なるところが知にほかならぬ。知行という功夫は本来離しえぬものである。(伝 習 録)
浙江省の余姚に生まれた。本名は守仁。明の国務大臣、軍略家、哲学者。国定学説であった朱子学に反対して、心即理、致良知、知行合一を説いた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.162 参考:伝習録は王陽明の言行録 2010.05.29 |
本を読んでいて、むつかしいところにぶっつかっても、私はやきもきしたりはしない。一突き二突き、あとはほっておく。
いつまでも立ちどまっていると、頭がぼんやりする、時間がきえる。私は即戦即決の精神なのだ。一突きで解らぬことは、執着すればいよいよ解らなくなる。私は快活な気分でなければ何一つやらない。根(こん)をつめたり、あまり緊張すると、私の判断は、くもり、悲しくなり、疲れる。視力がみだれ、とまどう。……この本がいやになれば、あの本をとり、何をするのもじゃまくさいときしか本に熱中したりしない。(『エセ』二ノ一〇)
9月13日ボルド近郊のモンターニュで死んだフランスの思想家、モラリスト。法官辞職後、聖賢の書に埋もれて随想『エセ』を書いた。ボルド市長にもなった。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.153 2021.12.15記す。 |
![]() ※写真:黙示録の幻想(部分) *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.59 2022.01.15記す。 |
さて……戦闘の日が到来したとしよう。すると、とたんに彼〔戦士〕の頭には、たぶんそのコメカミを打ちぬいたか、さもなければ腕か脚を不具にした弾きずの治療のために麻布製の患者帽をかぶらせられることになろう。としんば……慈悲ぶかい天が彼を守り、無事に命を保たせたもうとしても、貧乏は旧態依然というわけだ。すこしでも裕福になろうと思えば、戦いにつぐ戦……しかもそのたびに勝利者にならねばならないが、そんな奇蹟はごくめずらしい。……あなた方は一体、戦争によって賞をえたものの数が、戦争に倒れたものの数よりどんなに少ないか、お考えになったことがありますか? (ドン・キホーテ) この日(10月9日)生れたスペインの小説家。はじめ軍人。ドレイ生活など人生の辛酸をなめ、リアリズムの傑作『ドン・キホーテ』を書いた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.168 2022.02.05記す。 |
![]() 自分が、その正しさを誰にも劣らず信じ、かつ認めてきた結論が、後になって他の人によって、簡単に暴露せられ、その誤謬をを指摘されるということは、……痛ましい、不愉快なことに相違ありません。私はこのような感情を、……新しく発見された真理受けいれるよりも、古い誤謬にしがみつこうとする一種の病癖と欲望であると考えたいのです。そして、この欲望は、しばしば世人を誘惑して、ただ多数の、かつ無知な大衆の意見を刺激して、自分の論敵の名声に対抗させたいばかりに、自分自身にとっても十分に明白な真理にたいして攻撃の筆をとらせるのです。(新科学対話) 1月8日フィレンツェに死んだ。イタリアのルネサンス期に、迫害に抗しながら、近代自然科学の方法を確定した先駆的物理学者。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.6 2020.02.26 |
![]() 人の悪を攻めるのに、ひどくきびしくしてはならない。その人が受けとって背負うことができるていどにするように、考える必要がある。人に善をおしえるのに、ひどく高い理想を示してはいけない。その人がきっと実行できるように、と考えてあげるべきだ。 ※参考:今井宇三郎訳注『菜根譚』(岩波文庫)P.46 幸福は求めて得られるものでない。きげんよくくらして福をまねくもととするほかない。わざわいはさけられない。他人を害する心をなくして、わざわいに遠ざかる法とするほかない。 (菜根譚) ※参考:今井宇三郎訳注『菜根譚』(岩波文庫)P.92 *明末の儒者。老荘の説と禅学をまなび、一六〇二年に『菜根譚』を発表した。。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.76 2020.8.17 |
![]() 日常の生活行動というものは多くの場合すこしの猶予も許さぬから、どれが最も真実な意見であるかを識別する力が私どもに無いときには、蓋然性の最も多い意見に従わねばならぬ、ということがきわめて確かな真理である。進んでは、一の意見を他の意見に比べて、いずれにより多くの蓋然性があるかをまるで認められないしても、いずれかの意見に自分を決着しなければならぬ。しかるのちは、この選ばれた意見を、それが実践に関するかぎりにおいては、もはや疑わしいものとしてではなく、きわめて真なるもの、きわめて確実なるものとして見なければならない。(方法序説) この日(11月11日)この日ストックホルムで死んだフランスの哲学者。精神の問題と物体の問題とを切り離し、近代的哲学への道をひらいた先駆者 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.25 |
心友問う、先生は先師中江氏の言を用いずして自らの是を立て給えるは高慢なり、と申すものあり。
〔答えて〕いわく。余が先師に受けて違(たが)わざるものは実義〔不義をにくみ、悪を恥ずること〕なり。学術言行の未熟なると、時処位に応ずるとは、日を重ねて熟し、時に当りて変通すべし。大道の実義においては、先師と余と一毛違うこと能わず。余の後の人も同じ。……先師存在の時変せざるものは志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。その至善を期するの志を継ぎて、日々に新たにするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。 〔集義和書一三〕
8月17日古河で死んだ江戸前期の儒者。中江藤樹に陽明学を学び、岡山・古河藩に仕えたが幕府ににくまれれ禁固された。幕末の志士に思想的影響を与えている。
*桑原武夫編『一日一語』(岩波新書)P.136 |
文章が天地の間に絶えてはいけないというのは、道理を明らかにするものだからである。政事(まつりごと)を記録するものだからである。人民の言おうとして言いえないことを、はっきりさせるものだからである。人人の善をいうのを楽しむものだからである。このようなものは世の中に益がある、将来に益がある。一篇多ければ一篇だけの益がある。理性でわりきれぬ怪力乱神のこと、ばかばかしい言葉、古人の考えを失敬した説、権威にへつらう文。このようなものは、当人には害があり他人には益がない。一篇多ければ一篇だけの搊がある。(日 知 録)
5月28日江蘇省昆山県で生まれた。明朝の遺臣として終生清朝に仕えず。経学・史学上、考証と実用とを重視する新学風を開いた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.88 2010.4.28 |
![]() (問)ふつう博学と多学は同じものと考えられていますが、先生が相反するとされるのは、(答)一であって多にゆくものを博学といい、多であって多にとどまるものを多学といいます。博学はたとえば根のある木であって、根から幹や枝や花や実がぴっしり茂り、それらは無数だが、しかも樹液の至らぬところはなく、いつまでも成長をつづけるようなものです。多学はたとえば切り花であって、枝葉や花や実が相ならび輝かしく、見る目には美しいが、しかもかわき枯れて長もちせず、成長しないようなものです。生と死が相反するようなもので、同一視してはいけません。 7月20日生れた京都の儒者。材木屋の子。『論語』と『孟子』を高く評価し、宋学に反対して古学を主張した。『語孟字義』『童子問』。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.120 2020.07.31 |
![]() 幕府軍は、オランダ船に城を砲撃させ、また降服をすすめた。城内からの拒否の矢文は、自分たちの蜂起は国家を奪おうとするものでなく、ただ信仰の自由を死守するものであるとし、内戦に外国勢力を利用する卑劣をとがめた。その一節…… 「かくの如きの仕合せ、いささかもって邪路にあらず候。然らば海上に唐舟見え来り候。誠にもって小事の義に御座候処、漢土まで相催さる事、城中の下々ゆえに、日本の外聞然るべからず候。自国他国の取沙汰是非に及ばず候。」 2月28日天草四郎を盟主と仰ぐキリシタン農民軍三万余は、原(はら)城によって十二万余の幕府軍に抵抗すること四ヵ月にお及んだが、この日全員玉砕した。図は原城にかかげた盟旗 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.35 2020.08.02 |
自然哲学〔自然科学〕は、自然の粋とはたらきとを発見し、それを可能なかぎり一般的な規則または法則に還元すること―― これらの規則を観察と実験によって確立し、そこから事物の原因および結果をひきだすこと、のうちに存する。(王立協会設立試案)・わたしは自分が世間の眼に、どのようにみえるかは知らない。しかし、わたし自身の眼には、「真理」の大洋がわたしのまえに未発見のまま横たわっているとき、海岸でたわむれつつ、ときどき普通のより一そうなめらからな小石、または一そうきれいな貝がらを見つけて、打ち興じている少年に似ていたように思える。 この日生まれたイギリスの大科学者。万有引力、光の分析、微積分法を発見して、近代の物理・数学・天文学の基礎をきずいた。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.4 |
その事を神にして、これを秘するは天統を尊ぶ義なりというべけれど、その民を愚にして自ら尊大するは、秦の二世にして亡びしところなり。……わが国の皇統の天地と共に悠久におわしめす故も、また神にして秘する事により給うべき者にはあらず。(古 史 通) 上古の時、神といいしは人なり。……わが国の語およそ称してカミというは、尊称の義なりければ、君上のごとき、官長のごとき、皆これをカミといい、近く身に取手ても、頭髪のごときをいい、遠く物においても、上(ウエ)なる所をさしてカミという。 2月10日生れた合理主義者。将軍の侍講として国政に参与した。当代第一の百科全書的博学者。『読史余論』『潘翰譜』『折りたく柴の記』。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.25 2020.07.31 |
☆47芭 蕉(1664~1694年)
![]() 〽五月雨をあつめて早し最上川 ※『おくのほそ道』(岩波文庫)P.38 〽一つ家に遊女も寝たり萩と月 ※『おくのほそ道』(岩波文庫)P.46 〽一家に遊女もねたり萩と月 〽故郷は涙に炭の煮ゆる音 〽何でこの師走の街にゆく烏 〽旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 元禄二年の3月27日、奥の細道の旅に出立した俳諧の巨匠。伊賀上野の武士の出で、一生を旅にすごした。日本独特の美の一境地を開く。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.52 2020.08.03 |
![]() [朱子の『通鑑綱目』]にこれあり候歴代の人物の評判をよく覚えて候て、評判いたし候分にては、悉皆(しつかい)覚え事にて人のうわさばかりに候。人のうわさをいたし候を学問と存じ候ゆえ、人柄のよき人も学問いたし候えば、人柄悪しくなり候こと多くござ候。 学問は飛耳長目(ひじちょうもく)の道と荀子も申し候。この国にいて見ぬ異国の事をも承り候は、耳に翼できて飛びゆくごとく、今の世に生れて数千戴の昔の事を今日見るごとく存じ候ことは長目なりと申す事に候。されば見聞広く事実に行きわたり候を学問と申す事に候ゆえ、学問は極まり候。 2月16日生れた儒学者。朱子学を排して古学に帰ろうとし、そのために古代の言語をよく研究した。役に立つ学問、「実学」を推進した。図はその印鑑。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.28 2020.07.31 |
現代のヨ-ロッパでは]人民が飢饉で弱ったり、疫病でおとろえたり、党派的な対立のために混乱におちいったような場合に、その国を侵略しても、これはきわめて正当な戦争理由だと考えられている。……また、ある君主が、貧しく無知な国民に対して兵を進めるような場合、たとえ彼らの半ばを殺し、残りを全部ドレイにしても、それが彼らを文明にみちびき、野蛮な生活状態から救ってやるためなら、それもかまわない、ということになっている。(ガリヴァー旅行記) 11月30日、アイルランドのダブリンに生まれる。政界進出の野心がが破れた後、はげしい社会風刺の傑作『ガリヴァー旅行記』を書いた。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.197 2021.12.24 |
火薬玉の発明だけで、ヨーロッパ―中の人民が自由を奪われたという話です。それは一発の火薬玉で降参してしまうような町人どもに城の番をさせるのは危いというのが口実になって、大みょうどもはたくさんの軍勢を養い、さらにこの軍勢で人民に暴圧を加えたというのです。また火薬の発明以来、難攻不落の城塞などはなくなった。つまり、不正や暴力にたいするこの世における避難所がもうなくなったわけです。私はいつも心配するのですが、人間は、最後になにか秘密を発見して、ずっと手軽に人間を殺し、人民や国民全体を滅ぼしてしまうのはないでしょうか。(ペルシャ人の手紙) この日(1月18日)に生まれた。フランスの政治学者で三権分立を説いた。博識な啓蒙家として歴史や文学関係の著述もある。主著『法の精神』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.11 2021.12.31 |
![]() この非道なくわだて〔戦争〕における奇妙な点は、人殺しの首領が、それぞれ隣国を皆殺しに出かける前に自分の軍隊を祝福し、おごそかに神に祈るのことである。もし首領が二、三千の人間を殺させるという幸運しかつかめなければ、彼は神に感謝しない。だが、約一万の人間が鉄火によって皆殺しされ、さらに恵まれて、ある都市が完全に破壊されたときは、かなり長い歌が、四方八方で歌われる。……それと同じ歌が、殺人のためと同様に、結婚や誕生のために役立つのである。これこそ許しがたいことである。(『哲学辞典』の項目[戦争]) 11月21日パリに生まれた、フランスの啓蒙主義の代表的な哲学者、文学者。ヒューマニズムの立場から、するどい皮肉で、社会の悪と戦った。『カンディド』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.192 2010.11.21 |
☆52安藤昌益 (1703~1176年)
![]() 上(か)みなければ下(しも)を責め取る奢欲もなし。下なければ上に諂(へちら)い巧むこともなし。故に恨み争うこともなし。上に立ちて転道(てんどう)を盗みて上に盗の根を植えるものなければ、下にありて貨財を盗む者もなく、上み法を立て下を刑罰することもなし。……上に立ち不耕にして衆人の直耕を責め取り、貪り食いながら礼楽音曲に遊戯して女色に溺るる者なければ、下に伏して之を羨(うらや)み酒宴遊興して売女に溺れて、みだりにお禽獣の業する者もなし。……金銀銭の通用なれば上に立ち富貴栄花をなさんと欲を思う者もなく、下に落ちて賤しく貧しくわずらい難儀する者もなし。
(自然真営道)
*徳川中期に生れた独創的な思想家。耕作農民の立場にたって、封建社会の矛盾と悪弊をばくろし、人間の平等を力説した。写真は『統道真伝』 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.54 ※参考:司馬遼太郎著『街道をゆく』3(朝日新聞社)P.42~47 2020.8.22記。 |
![]() ひとり徒歩で旅したときほど、ゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえていうならば、ゆたかに私自身であったことはない。徒歩は私の思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。じっと止まっていると、私はほとんどものが考えられない。私の精神を動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ。田園の眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いてえられるすぐれた健康、田舎の料亭の自由さ、私の隷属(れいぞく)を思い起させる一切のものから遠ざかることが、私の魂を解放し、思想に一そうの大胆さをあたえる。(告 白) この日(6月28日)ジュネーブに生れたフランスの思想家、文学者。政治、経済、文学などあらゆる方面において近代の父といわれる。『社会契約論』 『エミール』 『告白』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.106 |
☆54富永仲基(1715~1746年)
五里十里へだてたる近き国所(くにどころ)の風俗さえ、うつし習うことはかたきものなるに、まして漢・天竺のことを日本へまなばんとし、また五年十年すぎたるほどの近き事さえ、覚えたる人はすくなきものなるに、みな甚だなるまじきことの、大いにおろかなる事どもなり。たといそれをよく学び得て、露ほどもたがわずありとも、人のうべしかりとて、また今の世に会得すべきことにもあらず。さればこの三教の道はみな今の世の日本に行わるべき道にはあらざれば、三教はみな誠の道にかなわざる道としるべし。(翁の文) 8月28日死んだ大阪の町学者。懐徳塾に学び、のち破門さる。儒、仏、神三教を批判して、実践哲学を志した。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.142 2020.08.03 |
☆55与謝蕪村(1715~1783年)
![]() 〽いかのぼり きのうの空の 有りどころ 〽かげろうや なも知らぬ虫の 白き飛ぶ ※『蕪村俳句集』(岩波文庫)P.24 〽妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ 『蕪村俳句集』(岩波文庫)P.26 〽妹が垣根 さみせん草の 花咲ぬ 〽うれいつつ 丘に登れば 花いばら 〽百姓の 生きて働く 暑さかな 〽月天心 貧しき町を 通りけり 『蕪村俳句集』(岩波文庫)P.72 12月24日京都に死んだ天明期の俳壇の代表者。摂津毛馬村に生れ、各地を放浪した。文人画家としても有名。『蕪村七部集』がある。図は「夜色楼台図。」 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.212 2020.08.03 |
☆56三浦梅園(1723~1789年)
![]() 学問は飯と心得べし。腹にあくの為なり。かけ物などのように人に見せんずる為にはあらず。 衣装うつくしくかざり、人に好かれんとするは売女なり。人の見る時所躰をなし、人に誉られんとするは歌舞伎のものなり。今の学者はどうやらこの真似するようなり。
足の皮はあつきがよし。つらの皮はうすきがよし。人もろとみに小ざかしく口はきけど行いは女童に見限らる。さるゆえ面の皮あつくなり、足の皮うすくなり、株ふむこと多し。よく心得てつつしむべし。(戯示学徒)
8月2日豊後に生まれた江戸時代後期最後の独創的哲学者。『玄語』で自然界に法則のあることを論じ、『価原』で物価と貨幣論を展開した。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.128 2020.08.06 |
☆57アダム・スミス(1723~1790年)
王族の宮廷や貴人の接見室における成功や昇進は、知識のすぐれた教養ゆたかな同輩の人々の評価にもとづくのではなく、無知 な、自惚れの強い、高慢な支配者のいだく気紛れな、たわいのない好意に左右される。そこでは、またしばしばへつらいと虚偽と が功績や能力などにくらべてより有力である。かような社会では、人を喜ばす能力の方が、人に奉仕する能力よりも一そう高く評 価される。――[ハイカラ男]とよばれるあの生意気な間抜けた人物の外面の端麗さや、くだらぬお世辞の方が、堅実なおおしい緒 徳性より一そう賞讃されやすい。 (道徳情操論) 6月5日スコットランド生まれたイギリスの古典学派の経済学者。道徳哲学でも業績をのこした。主著『国富論』 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.94 2021.12.25 |
![]() 常備軍は時を追うて全廃されるべきである。 なぜかというならば、常備軍は常に武器をもって立ちうる用意ができているから、他国をして常に戦争の危惧を感ぜしめ、このようにして互に他を刺激して、無制限に軍備の優劣をきそうようにさせるのである。……人を殺すため、あるいは人に殺されるために雇われるというようなことは、人間をたんなる機械や道具として他のもの[他の国]の手において使用することを意味すると思われる。これは私たち自身の人格における人間性の権利におそらく合致しえない。
(永久平和のために)
2月12日死んだドイツの大哲学者。形而上学の批判を課題とし、『純粋理性批判』によって、独自の批判哲学を完成した。
*桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.26
2020.09.27記す。
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大かたこの戦国の時のもようは、田畑の物成りの内わずかに農民の今をつづけて飢えに及ばぬほどを百姓の手にのこして、その余は皆年貢に取れるくらいの事なりしは甚しき事ならずや。……今の世の年貢は、その戦国のころのままなれば至って多きこと也。……しかるに上々も下々の役人も、百姓をあしらうに露ほどもめぐみいたわる心はなくして、年貢はもとより今の世の定まりの如く出すべきははずのものと心得、その定まりの年貢の外にも、なおさまざまの事ども工夫し出して、……ただ百姓を苦しめに苦しむる所もありとかや。
(秘本玉しくげ)
この日5月7日松坂の町人の子に生まれた古典学者。日本の古典を実証的文献学的に研究し、また外国崇拝を排して国学の中心人物となった。主著『古事記伝』など *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.77 ※参考;本居宣長 2021.12.31記す。 |
![]() アメリカ人民が自由人となるか、それとも奴隷となるかを、そしてアメリカ人民が、自分自身のものと呼びうる財産をもちうるかを、おそらく決定すべき時がいま目前にせまっている。……これから生まれてくる幾百万の人びとの運命が、神の加護のもと、いまこの一軍の勇気と行動とにかかっている。残酷かつ無慈悲な敵軍に直面して、われわれの選ぶべき道は、勇敢な抵抗のみであり、しからずんばもっとも卑しい屈従しかない。ゆえにわれわれは、勝利かそれとも死か、と決意せねばならない。((独立宣言直後ロング・アイランドの戦闘を前にしての軍への布告) この日(2月22日)アメリカのヴァージニアに生まれる。軍総司令官として独立戦争を指導して勝利を得、のち合衆国成立にあたり初代大統領となった。孤立外交を強調した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.32 20.02.22 |
人間は、かれらが日常従事している労働のうちに、かれの世界観の基礎を求めなくてはならぬ。……かれは主として、自分の労働から自力で見聞を引きだすようにしなくてはならない。……であるから、あらゆる子供に教えられる知識は、かれの労働を中心として、集約されなくてはならない。 ((『スイス新聞』より) 乾ききった大地が水をのぞんでいるように、民衆は知識を欲している。しかし民衆には、パンのかわりに、石があたえられている。 ((ㇼーンハルㇳとゲルㇳルーㇳ) この日(1月12日)スイスに生まれた教育家。貧民救済、孤児教育につとめ、民主的な小学校制度や生活教育の理論を強調した。『隠者の夕暮れ』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.8 ※参考:森 信三先生『一日一語』二月十七日 2021.12.25 |
思案なんぞ一切やめにして、 一緒に世間へまっしぐらに飛び出しましょう。 敢ていいますがね、瞑想なんかする奴は、 枯れた草原のうえを悪魔にとりつかれて ぐるぐる引廻された動物みたいなものです。 その周りには美しい緑の牧場があるのに。 ((ファウスト) この日(3月22日死んだドイツ最大の文学者、また自然科学者。古典主義の代表的作家。主著『若きヴェルテルの悩み』『ファウスト』『色彩論』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.50 2022.01.02 記す。 |
☆63良寛(1757~1831年)
![]() 冬ごもり 春さりくれば 飯乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 里にい行けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく ひふみよいなむ 汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ あがつけば なはうたひ つきてうたひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも 霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ この日(1月6日)死んだ村の聖者。越後出雲崎の人。十八歳で出家。諸国行脚ののち越後にすみ、無一文で托鉢に生きた。詩歌と書にすぐれていた。図は自画自賛。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.5 2020.08.03 |
![]() すべての国の人間は兄弟であり、諸国民は、おなじ国家の市民のように、その力に応じて互に助けあわねばならない。 一国民を抑圧するものは、何人といえども、すべての国民の敵であることを自ら宣言するものである。自由の進歩を阻止し人間の権利を絶滅するために、一国民に戦争をおこなうものは、通常の敵としてではなく、暗殺者、反逆的強盗として、すべての国民によって追究されねばならない。 国王、貴族、暴君は何人であれ、世界の主権者である人類に対し、宇宙の立法者である自然に対して反逆する奴隷である。
(ロベスピエール人権宣言案)
この日(7月28日)この日ギロチン上に死す。フランス革命における小ブルジョワ独裁の最大の指導者で、封建制の撤廃と外敵の撃退とを達成した。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.124 2020.07.15 |
![]() 独立を失った国は、同時に時代の潮流にあずかる能力、時代潮流の内容を自由に規制する能力をも失ったものである。このような国はもはや独自の存在を許されず、他の民族や国々などの事件や時代区分に従って、自国の紀年を定めなければならなくなる。このようなありさまでは、従来の世界に自力で参加することなど高嶺の花となり、ただ、他国に追従するだけとなる。こういう状態からふたたび奮起するには、新しい一世界が開けてきて、その国自身の一新紀元をつくり、その世界を築きあげつつ、新時代の内容を充実させてゆくよりはほかに道はない。 (ドイツ国民に告ぐ) この日(1月27日)死んだ。ドイツ理想主義の哲学者。フランス軍の占領下にあったドイツ民族の愛国的感情を鼓舞した。『全知識学の基礎』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.16 2020.07.19 |
☆66小林一茶(1763~1827年)
〽我と来て遊べや親のない雀 ※『一茶俳句集』(岩波文庫)1082 〽我と来て遊ぶや親のない雀 〽やせがへる負けるな一茶ここにあり ※『一茶俳句集』(岩波文庫)1291 〽瘠蛙まけるな一茶是に有 〽めでさも中位なりおらが春 ※『一茶俳句集』(岩波文庫)1515 〽目出度さもちゅ位也おらが春 〽故郷は蠅まで人をさしにけり ※『一茶俳句集』(岩波文庫)1627 〽古郷は蠅まで人をさしにけり 〽思ふまじ見まじとすれど我家かな ※『一茶俳句集』(岩波文庫)見あたらず。 〽秋風や磁石にあてる故郷山 ※『一茶俳句集』(岩波文庫)1619 〽秋風や磁石にあてる古郷山 6この日(11月19日)故郷信濃の柏原で死ね。江戸後期の俳人。俗語をたくみにつかい、農村や貧困な庶民の生活をうたった。主著『おらが春』。図は自著の扇面。 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.191 2020.08.03 |
☆67スタール夫人(1766~1817年)
文学の進歩、すなわち思考と表現の技術の完成は、自由の建設とその保存に必要である。すべての市民が政府の行動に直接の関係をもっているのとおなじく、一つの国において啓蒙の光を欠くことができないのは明らかなのだ。
文学に、そして思考の技術に大きな重要性をあたえるのは、なんと有益なことだろう。良くそして正しいものの典型はもはや亡びはしないだろう。自然が徳へと運命づけている人類は、もう道案内にことかかないであろう。 (文学論)
この日(7月13日)死んだフランスの文学者。その熱烈な自由主義思想は、ナポレオンににくまれ追放された。『文学論』のほか多くの小説を書いた。新ロマン主義者 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.116 20201.12.24 |
![]() いにしえの人いわずや、禍福はあざなう縄のごとし。人間万事往くとして、塞翁が馬ならぬはなし。そは福の倚る所、はた禍の伏する所、彼にあれば此にあり、とは思えどもかねてより、誰かよくその極を知らん。憐れむべし犬塚信乃は、親の遺言、紀の名刀、心に占つ、身に伝つ、艱苦の中に年をへて、得がたき時を得てしかば、はるばる滸我へもたらして、なをあげ、家を興すべかりし、その福は禍と、ふりかわりたる村雨の、刃は旧もとの物ならで、わが身をつんざく讐とぞなりし、憾をここに釈くよしもなく……そこに必死をきわめたる、心の中はいかなりけん。(南総里見八犬伝) この日(10月27日)生まれた江戸の小説家。山東京伝(さんとう きょうでん)に師事、勧善懲悪主義により雅俗折衷の文で読本を作る。『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.96 |
![]() もしも美しいまつ毛の下に、涙がふくらみたまるならば、それがあふれ出ないように、つよい勇気をもってこらえよ。通る小道が、あるいは高くなり、あるいは低くなり、正しい道の見きわめがたいこの世のお前の旅路において、お前の歩みはたしかに坦坦たるものではなかろうが、しかし徳の力は、つねに正しい方向へお前を前進せしめるだろう。(手記)
つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。報酬への期待を行為のバネとする人々の一人となるな。(手記)
この日(3月26日)ウィンで死ぬ。苦しい境遇、さらには失聴という困難にも屈せず、数多くの不朽の名曲を残した天才的作曲家。九つの交響曲は有名。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.52 ※関連:青木雨彦『中年博物館』P.71 五月七日 2020.05.06記す。 |
![]() 女性の思想は、本にもとづくものではなく(幸いなことに彼女らはほとんど読書しないからだ)、事物の自然から学びとったものだから、この両性の平等ということが、イタリア人の頭脳に良識のおどろくべき分量を導入することとなった。よそではまだ一々論証せねばならぬような行動原理で、ローマでは定理として採用されるものを、私は百も知っている。女性に完全な平等を許すことは、文明を見わける一ばん確かな目じるしであろう。そのことは人類の知力と、その幸福の可能性を二倍にすることであろう。 (ローマ、ナポリ、フィレンツェ) この日(3月23日)パリに死んだフランスの文学者。強烈な個我とするどい眼をもって、リアリズムの最高作品『赤と黒』『パルムの僧院』を生んだ。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.50 2022.01.10記す。 |
![]() こうして、歴史がその記憶を保持してきた最も偉大な革命がなしとげられた。その結果の重要性を考えるならば、流された血はきわめて僅かなものでしかなかった。この瞬間から、フランスは自由な国土として、王はその権限が制限された君主として、貴族は残余の民の水準までひこもどされたものとして、考えうるであろう。 (事件の二日後パリ駐在イギリス大使ドーセット公の報告) この日(7月14日)パリ市民はバスチーユ牢獄を攻略した。フランス革命開始の世界史的事件。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.116 2020.08.21 |
![]() 科学者たちは、この[電気や化学親和力という二種の力の]関係をながいあいださがしていたし、成功するという希望はもっていたのでした。といいますのは、すべて自然科学の研究において、私どもは第一に希望と期待とをもって出発するものなのです。そして実現し、確立したことは決して失わずに、その上にさらに、それ以上の発見をするという新しい期待をおき、そのようにしてさらに追求し、実現し、確立してゆき、さらに新しい希望をその上にと見出してゆくのであります。(力と物質) この日(9月22日)ロンドンに生まれる。製本屋に働きながら独学で化学を勉強した。のち王立研究所の教授となる。子供のための講義は有名である。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.158 2020.08.27記す。 |
☆73シェリー(1792~1822年)
君たちが種をまく。刈り取るのは別の人だ。 君たちが富をみつける。ためこむのは別の人だ。 君たちが着物を織る。着るのは別の人だ。 君たちが武器を作る。使うのは別の人だ。
種をまけ――だが暴君に刈りとらせてはならぬ。
(英国の人々へ)
この日(7月8日)イタリアのスペチァ湾で溺死。イギリス・ロマン主義の代表的詩人。その詩には抒情と同時に社会革命への情熱が見出せる。『雲雀に寄す』、劇詩『解放されたプロメデウス』 桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵― P.113 2021.12.24 |
![]() ……天災流行、ついに五穀飢饉に相成り候。これみな天より深く御誡めの御告に候えども、一向上たる人々心もつかず、なお小人奸者の輩、大切の政を執(と)り行い、ただ下を悩まし、金米を取りたてる手段ばかり打ちかかり、実もって小前百姓どものなんぎを、我等ごときもの草の陰より常に察し悲しみ候……もはや堪忍なりがたく、湯武の勢、孔孟の徳はなけれども、よんどころなく天下のためと存じ、血族の禍をおかし、この度有志のものと申合せ、下民を悩まし苦しめ候諸役人をまず誅伐いたし、引続き驕に長じおり候大阪の町人どもを誅戮におよび申すべく候(檄文) 参考:湯武とは、殷の湯王と周の武王のことで、湯王が夏の桀王を放ち、武王が紂王を伐ちしことをのべている。 この日(2月19日)貧民救済のため大阪で挙兵した。大阪町奉行の与力。陽明学者として多くの門下をもった。乱は一日でやぶれ、やがて自殺。写真の図は当時の檄文。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.30 参考:幸田成友著『大塩平八郎』(中公新書)あり。 2010.02.19 |
![]() 御領中にまかりあり候数万人の内、たとえいかに賤しき小民たりとも、一人にても餓死流亡に及び候わば、人君の大罪にて候。さりとて人君自ら御手を下し候事は成されがたく、すべて役人に御任せなされ候事ゆえ、万一行届かざることありとも、しいて人君の罪とは思召されず。下よりもまた左は存じ奉らざるより、家老は奉行の過ちとし、奉行は下役人の過ちとし、誰が罪とも定かならず。表面ばかりの取計らいにて事をすまし候。……家老、年寄の不行届きとは申すものの、実は人君の治政に御心これなきよりかく相成り候。(恐慌心得書) この日(10月11日)この日自殺。田原藩家老として治績をあげ、画家としても一流。高野長英らと蘭学の研究、普及につとめ、幕府ににらまれた。 *桑原 武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.168 |
![]() 私は進歩を信ずる。人類が完全な幸福にいたるべき運命をもっていることを信ずる、それゆえ、神が人間をただ苦しめるために創り出したと妄想している信心家たちより、自分は、はるかに神について大きな考えをもっている。最後の審判の日になってはじめて天じょうにあらわれる、と信心家どものいうあの極楽の状態を、自由な政治と産業の設備のめぐみによって、この地上に打ちたてたいと思うのである。(ドイツの宗教と哲学の歴史) この日(12月13日)ドイツのデュセルドルフに生まれた。甘美な恋愛詩にすぐれると同時に、また人類の進歩と祖国愛にもえる革命的詩人だった *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.206 22.12.13 |
たかい教養、専門の研究、そしてわれわれがなしとげたと信ずる巧妙な発見を頼りにして、国民的伝統を安易に蔑視してはならむ。軽々に、この伝統を変えたり、他の伝統を創造し、強制したりしようとくわだててはならない。人民に、天文学や化学を教育せよ。それはまあよい。しかし、人間が、すなわち人民自身が問題である場合、人民の過去、道徳、心、めい誉が問題である場合には、研究者たちよ、人民によって教育されることを恐れてはならない。(フランス革命史) この日(8月21日)パリに生まれる。フランスの歴史家、文学者。民衆を愛し、フランス文学史上屈指の名文で民衆をたたえた。主著『フランス革命史』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.138 2021.12.24 |
改革という魔物は、あらゆる立法者、あらゆる都市のあらゆる住人の心に通ずる秘密のドアを心得ている。新しい思想や希望のあかつきが、君の胸のなかに明けそめたという事実は、おなじ瞬間に、新しい光明が幾千もの人びとの心にさしこんだということを、君に知らしているのだ。君は、君の秘密を自分だけのものにしておきたいと願うかも知れない。だが、君が外に一歩ふみだすやいなや、みよ、君の戸口でまちかまえていて、おなじ秘密を君にささやく人があるにちがいない。(改革者としての人間) この日(5月25日)生まれたアメリカの思想家。[超絶主義]の哲学で当時のアメリカ思想界を導いた。主著は『随筆集』、『代表的人物』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.87 2021.12.24 |
![]() 蘭学が行われてより未だ二百年に至らず、その学をなす者はわずかに千万人中の中の一、二人に過ぎず。これを卑蔑するものは多くして、これを尊信するものは少し。我党のしいてこの学をなすは、その言うところ実理ありて業とするところに利あればなり。何ぞかかる目出度き神国をすて沍寒不毛の西洋をしたい、西夷に従わんや。しかれども蘭学をにくむの輩、往々そしるにこれをもってなとす。……天の蘭学に災する一に何ぞここに至るや。哀しい哉。けだし蘭学を業とし蘭学に死し、忠義の事を致し、忠義の事に死せば、理において恨むるところなく、義において恥ずるところなし。 (鳥の鳴音) この日(10月31日)自殺す。シーボルトに医学を学び、蘭学の研究普及に努め、幕府に追究され、地下にもぐること五年余であった。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.180 2020.05.20 |
![]() ![]() 僕には、死んでゆくことは少しもこわくない。いや、いま自然に死んでゆけるものだったら、どんなにうれしいか、とまで思っている。だが、僕はこうして人間に生れて来たんだから、やはり、何か生きがいが感じられるまで生きている義務はあると思う。
自分の生きてゆく目あては、自分の名前を、われわれの時代の事業に結びつけることである。この世の中にいっしょに生きている人びとにとって、なにか有益なことに、自分の名前をつなぎつけることである。(三十四歳ごろの言葉)
この日(4月15日)この日暗殺されたアメリカ第十六代大統領。「人民の、人民による、人民のための政府」を主張し、ドレイ解放を実現した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.63 2015.10.12。 |
![]() これほど多くの証拠があっては、人類と他の動物とが共通のものから進化したものであることを、どうしても認めざるをえない。この断定に異義をとなえるものは、もっぱら私たちの生来の偏見と、また私たちの先祖が神に近いものから出たととなえた慢心のためである。けれども、人類と他の哺乳類との体制や発育を熟知する博物学者でありながら、なお、それらがおのおの別々に創造されたと信じたのは、実にふしぎなことだ、と考えられる時代が来るのも遠くはなかろう。(人類の由来) この日(4月19日)死んだイギリスの博物学者。実証的に進化論を唱え、宗教家の反対にもかかわらず、以後の思想界に決邸的影響を与えた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.65 |
![]() 昨年末ふたたび童子輩にまかりなり洋学に取掛り、……折々深川までも、麹町辺までも風塵暑雨を避けず通い候て、不明の所をさぐり申し候ように仕り、夜分も九ッ[十二時]を聞かずに臥せり候と申す事はこれなく候。かくのごとく余計の苦労も仕り候事、逸楽を願い候は人の常情に候えば、小生とてもその苦労を喜び候事にはこれなく候えども、この時に当り、これにてすまぬ事と心付き候事も天の霊寵によるに候えば、これを小にしては御国の干城にも相成り候ために、かく仕り候て天の霊寵に答え候よう仕り候……あえて私の物好きにて致し候事にてはこれなく候(竹村七左衛門への手紙) この日(7月11日)この日攘夷論者に暗殺された。松代藩士。幕末の洋学、兵学の第一人者。公武合体と開国をとなえ、貿易による富国強兵をはかった。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.115 平成二十九年六月十八日 |
他人を感動させようとするなら、まず自分が感動せねばならない。そうでなければ、いかに巧みな作品でも、決して生命はない。 芸術はなぐさみの遊びではない。それは戦いであり、ものをかみつぶす歯車の機械である。
美は表現だ。もし自分が母というものを描く場合なら、母が子供をじっと見ているところをとらえて、どうかして美しく、単純に描こうとするだろう。 (カートライト著『ミレー芸術史』)
この日(10月4日)生まれた。バルビゾン派と呼ばれる自然主義画家。みずから農業に従事しながら、農民生活や農民を描いた。『晩鐘』『落穂拾い』など。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)昭和31年12月10日 P.165 2010.06.18 |
ルージンの不幸は、あの男がロシアを知らない点にあるんです。そしてこれは、実際、大きな不幸です。ロシアそのものは私たち個人がいなかたって立派にやってゆけますが、私たちのうち誰ひとりだってロシアなしにはすませませんからね。ロシアなしでゆけると思っている人間は、ばいもばいも悲惨です! 世界同胞主義(コスモポリタンニズム)なんて――下らぬたわごとだし、コスモポリタンなどという奴は――ゼロに等しい、いやゼロ以下だ。民族性をぬきにしては芸術も、生活も、何にもありゃしませんよ。
(ルージン)
この日(9月3日)この日住みなれたパリ郊外で客死。西欧思想の影響をうけ、専制と戦った。ニヒリスト、[余計者]のタイプを描く。『父と子』など。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.147 2021.12.15 記す。 |
![]() あなたの好きな徳行 質朴 あなたの好きな男性の徳行 強さ あなたの好きな女性の徳行 弱さ あなたの主要性質 ひたむき あなたの幸福観 たたかうこと あなたの不幸観 屈従 あなたがいちばんきらう悪徳 卑屈 すきな仕事 本食い虫になること すきな格言 非人間的なものは私の関知しないところである すきな標語 すべてをうたがえ (これは彼の娘が出した問いに答えたもの――『告白』 この日(5月5日)ドイツのトリール市に生まれた。科学的社会主義すなわちマルクス主義の創始者。主著は『共産党宣言』『資本論』その他。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.76 2019.12.28 |
![]() いまでは、女の家内労働は、男の生計獲得のための労働のまえに影うすいものとなった。後者がすべてで、前者はつまらないお添えものである。女が社会的生産労働からしめだされて、家内の私的労働に限定されたままであるかぎりは、女の解放、男女の平等の地位は不可能事であるし、またいつまでも不可能事であろう。女の解放は、女が大きな社会的規模で生産に参加することができて、家内労働がもうほんのわずかしか女をわずらわさないようになるときに、はじめて可能となる。 (家族、私有財産および国家の起源) この日(8月5日)亡命地のロンドンに死す。マルクスの友として科学的社会主義の確立に協力、多くの著作がある。主著『反デューㇼング論』 *桑原武夫編『一 日 一 言』一人類の知恵一(岩波新書) P.130 2021.12.25 |
![]() 詩の天職こそ偉大である! 陽気なものにせよ、悲しげなものにせよ、つねに詩は自らのうちに、理想を追う神のごとき性格をもっている。詩は事実に異をたてることを止めない。さもなくば亡びるの他はないのだ。牢獄で、詩は暴動となる。病院の窓辺で、詩は平癒の燃ゆる希望だ。いたんだ不潔な屋根裏の部屋で、詩は仙女のように、豪奢に優雅に身をかざる。詩はたんに確認するだけではない、たてなおすのだ。どこでも詩は不正の否定となる。 (『ビェ*ル・デニポン詩歌集』への序) この日(8月31日)死んだフランスの詩人。『悪の花』一巻によって近代詩の開祖となった。象徴主義の先駆者。評論にも独特のするどさを示した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』一人類の知恵一(岩波新書) P.144 2010.08.31 |
![]() 今日、相反する二つの法則が争っているように思われる。第一は、毎日あらそいのための新しい手段を考えながら、人民にたえず戦場に出る覚悟を抱かしめるところの血と死との法則であり、第二は、襲いかかる災禍から人類を救うことのみを考えるところの、平和・労働・救いの法則である。……後者は、人生をしてあらゆる勝利よりも高からしめ、前者は、一人の人間のいやしい望みによって何万という人間の命をいけにえにする。……この二つの法則のどちらが勝つだろうか。フランス科学は、人間の命が危くなった時、これを救うために努力するであろう。(演説集) この日(12月27日)生れたフランスの科学者。狂犬病ワクチンの発見、製造によって、免疫学の先駆者となった。自然発生説を実験的に打破した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.214 2010.06.01 |
大臣はいいはった。「……君は、明日私と、学者の御拝謁で、陛下のところに行くのだ。」
彼の思う通りにことは運んだ。あくる朝、大臣といっしょに私は、短い半ズボン、銀環の靴をはいた式部官に案内されてチュイルリー宮殿の小室に通された。彼ら[廷臣たち]は奇妙な人物だった。あの装束と四角張った物腰、歩きつきは、鞘翅(しようし)の代りに背の中央に棒縞(ぼうしま)のある乳入りコーヒー色のフロックコートを着こんだ、タマコガネムシのように見えたのである。(昆虫記)
この日(12月23日)フランスのサン・レオンに生まれた。独学で教員免許をとり、昆虫の生態研究に没頭した。大著『昆虫記』は文学的にもすぐれている。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.212 2020.08.28 |
幕末、イギリスは倒幕派に援助を申し出たが、西郷は次のように拒絶して、日本の独立を保持した。
「これは大幸の訳、その時機に至りては御相談申すべし」と相答え候ては、また英国に使役せらるる訳に相成候のみならず、全く受太刀に落来り、議論もにぶり、この末のところ下鳥〔落ちめ〕に相成候儀、自然の勢に御座候故、うんと返答いたし置く処と相考え申し候につき、「日本の国体を立て貫きてまいる上に外国の人に相談いたし候つらの皮はこれなく、ここの処は十分相尽すつもりに候間よろしく汲取りくれ候よう」相答え置き申し候 (桂右衛門への手紙)
この日(9月24日)鹿児島で敗死。明治維新の最高指導者の一人。のち征韓論を唱えて下野。反政府の保守派の頭目として西南戦争をおこした。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.159 平成二十二年五月二十七日 |
![]() なるほどあなたは始終わたしを、それは可愛がって下さいました。でも、この家は遊戯室でしかありませんでした。わたしは実家でお父さんの人形っ子であったように、こちらへ来てはあなたの人形妻でした。そしてこんどは子供たちがわたしのお人形さんになりました。それで子供たちがわたしがお相手として遊んでやるとうれしがるように、あなたがわたしのお相手になって遊んで下さるのが、わたしはうれしかったのです。これがわたしたちの結婚というものでした。(『人形の家』のノラの言葉) この日(5月23日)死んだノールウェーの劇作家。近代劇の祖とよばれる。近代社会の欠陥と因襲を突く写実的な問題劇を発表した。『幽霊』『野鴨』『民衆の敵』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.86 *青木雨彦監修『中年博物館』(大正海上火災保険株式会社)P.59 |
![]() 私が「何をなすべきか」という問題にたいして、自分自身のために発見した答えは、こうである。 第一、自分自身に対してウソをつかぬこと、たとえ私のいまの生活の道が、理性の啓示する真の道から、いかほど遠くかけはなれていようとも、真理をおそれないこと。 第二、他人にたいする自己の正義・優越・特権を拒否し、自分を有罪と認めること。 第三、自己の全存在を働かすことによって、うたがう余地なき永遠不滅の人間のおきてを実行すること。いかなる労働をも恥じないで、自己ならびに他人の生命を維持するために、自然界と戦うこと。(われら何をなすべきか) 家出して、この日(11月7日)倒れたロシア最大の文学者。独創的な思想家。帝政ロシアの社会を鏡のように反映したレアリスト。『戦争と平和』など。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書) P.185 2010.11.07 |
![]() われ行年三十、一事成ることなくして死して、禾稼[いね]の未だ秀でず実らざるに似たれば、惜しむべきに似たり。しかれども義卿[松陰]の身をもって言えば是また秀実の時なり。何ぞ必ずしも哀まん。何となれば人寿は定りなし。禾稼の必らず四時を経る如きにあらず。十歳にして死するものは十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。……五十百は自ら五十百の四時あり。十歳をもって短とするは蟪蛄[短命のセミ]をして霊椿[長生の木]たらしめんと欲するなり。百歳をもって長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。ひとしく命に達せずとす。(留 魂 録) この日(10月27日)この日江戸で刑死す。長州藩士。とくに兵学に通じた。佐久間 象山に学び、海外渡航を企て失敗。幽閉中、松下村塾を開き、多くの維新の志士を教育した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.178 |
![]() 我が国、欧米各国とすでに結びたる条約は、もとより平均を得ざる者にして、その条中はほとんど独立国の体裁を失する者少からず。……英仏のごときに至っては我が国内政いまだ斉整を得ずして、彼が従民を保護するに足らざるをもって口実となし、現に陸上に兵営を構え、兵卒を屯し、ほとんど我が国を見ることおのが属地のごとし。ああこれ外は外国に対し、内は邦家に対し恥ずべきの甚しきにあらずや。かつ、それ条約改定の期すでに近きにあり。在朝の大臣よろしく焦思熟慮し、その束縛を解き独立国の体裁を全うするの方略を立てざるべけんや。(征韓論反対の意見書) この日(8月10日)鹿児島藩士に生まれる。明治維新の推進者の一人。新政府の中心となり、新国家の基礎をきづいたが暗殺された。 :明治11年(1878年)5月14日、馬車で皇居へ向かう途中、紀尾井坂(東京都千代田区紀尾井町)にて暗殺された(紀尾井坂の変)。享年49〈数え年〉、満47歳没。*桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.132 ※関連:大久保利通 ※図書:海音寺 潮五郎著『西郷と大久保』(新潮文庫) 2010.08.10 |
![]() 志立てたるものは、あたかも江戸立ちをさだめたる人のごとし。今朝ひとたび御城下をふみだし候えば、今晩は今庄、明日は木の本と申すように、おいおい先へ先へと進み行き申し候ものなり。たとえば聖賢豪傑の地位は江戸のごとし。今日聖賢豪傑にならんものと志し候わば、明日明後日と、だんだんにその聖賢豪傑に似あわざるところを取り去り候わば、いかほど短才劣識にても、ついには聖賢豪傑に至らぬと申す理はこれなし。ちょうど足弱なものでも、一度江戸行ききめ候うえは、ついには江戸まで到達すると同じことなり。(啓 蒙 録) この日(3月3日)この日福井藩に生まれた幕末の志士。蘭学をおさめ、藩政の改革に尽力、将軍継嗣問題にも活躍した。安政の大獄によって刑死。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.44 |
![]() 世に活物たるもの皆衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし。いま世の活物にては、ただ我をもって最上とすべし。されば天皇を志すべし。 予が身寿命を天地とともにし、歓楽をきわめ、人の死生をほしいままにし、世を自由自在に扱うこそ、うまれ甲斐はありけれ。何ぞ人の下座におられんや。 恥ということを内捨てて世の事は成るべし。使い所によりては却って善となる。 この日(11月15日)土佐の郷士に生まれた。明治維新の準備者。海援隊の組織、薩長連合、大政奉還の画策者として最も幕府に憎まれ、1867年(慶應3年)11月15日暗殺された。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.189 2010.11.15 |
![]() 政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなけばならぬというから、私は自分の説を主張して、「ほめるのほめられぬのと全体ソリヤ何の事だ、人間が人間当り前の仕事をしているに何も不思議はない。車屋は車をひき豆腐屋は豆腐をこしらえて書生は書を読む、というのは人間当り前の仕事をして居るのだ、その仕事をしているのを政府がほめるというなら、まず隣の豆腐屋からほめてもらわなければならぬ、ソンナ事は一切止しなさい」といって断つたことがある。 (福翁自伝) この日(2月3日)東京で死んだ教育家。明治初期の思想界にあって、実利を説き、啓蒙的な役割を果した。慶應義塾の創設者。主著『学問のすすめ』 *桑原 武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.21 2010.02.02 |
![]() 国家の大本は国民の教育にして、その教育は士・民を論ぜず、国民にあまねからしめ、これをあまねからしめんには、なるべく簡易なる文字、文章を用いざるべからず。その深邃高尚なる百科の学におけるも、文字を知りえて後にその事を知るごとき艱渋迂遠なる教授法を取らず、よって学とはその事理を解知するとせざるべからずと存じ奉り候。しからば御国においても、西洋諸国のごとく音符字(カナ字)を用いて教育をしかれ、漢字は用いられず、ついには日常公私の文字〔より〕漢字の御廃止相なり候ようにと存じ奉り候。 (国字国文改良建議書) この日(11月25日)当用漢字と現代かなづかいの制定。国語改革は明治以前から追求された民族の大問題で前島 密はその先駆者。彼は郵便制度の創始者。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.195 2010.11.25 |
![]() わが国は徒らに坐して自由と憲法の与えらるるを待つがごとき、卑屈、無気力なる国民にあらず。実に自ら起ってこれをかち得たる、質実剛健なる国民なりき。思うに、もしわが国民にして、自ら起って憲政の樹立を要請するなく、徒らに成を藩閥(はんばつ)の有司に仰ぐがごとき、卑屈、無気力の国民たらしめば、立憲政体は決してこれを望み得べきにあらず。憲政樹立の誠意なき保守、恋旧の政府を衝動して、国会の開設を公約するの余儀なきに至らしめ……たるものは、実に輿論の効力と、志士が身命財産をなげうって国事に尽瘁したるのたまものなり。 (『自由党史』) この日(4月17日)この日土佐藩士の家に生まれた。明治維新の功労者。のち自由党の頭領として、自由民権運動を指導し、政治の民主化に貢献した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.64 |
![]() 青年よ、青年よ、つねに正義とともにあれ。もし、正義の観念が、汝のうちでうすれるようなことがあれば、汝はあらゆる危険におちいるだろう。……もし、どこかに、憎悪のもとに屈従しかけている殉教者あれば、彼の立場を弁護し彼を救いだすという、この義侠心に富んだ夢を、なぜ汝は抱かないのか。……そして、今日、不正にたいしていきどおり、高邁な熱狂にみちた汝の仕事を代行しているのは、汝の年長者、老人たちであるということが、汝には恥しくないのか。(前進する真理) この日(9月29日)パリで死んだ自然主義の代表的作家。社会主義にかたむき、ドレフュース事件で裁判の不正を告発した。『ナナ』『ジェルミナール』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.161 ※関連:青木雨彦『中年博物館』P.70 五月五日 2020.05.60記す。 |
![]() 全国民が軍隊であり、破壊の科学が生産の科学と知的進歩をきそうときには、戦争はそれじしんの非道から、不合理で不可能になるのを私は見る。法外な野心は、理のとおった要求によっておきかえられべきであり、諸国民はそれにたいして共同して対抗すべきである。私は、すべてのことが、白色人種の諸国とおなじく、黄色人種にも適用されない理由はないと思い、戦争行為が、文化諸国民のあいだにおけるとおなじく、正式に禁止される将来を待ち望んでいる。 (戦争の道徳的等価物) この日(8月26日)死んだアメリカの哲学者、心理学者。プラグマチズムの唱道者。情緒と生理の関係を解明した『心理学』など独創的著作が多い。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.141 2021.12.25記す。 |
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今日の病気の数々
この日(9月4日)死す。栃木県人。自由民権運動に活動し、第一回の代議士当選後、足尾銅山の鉱毒により荒廃した渡良瀬川沿岸の救済に一生を捧げた。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.147 |
賢者の夢はいつの時代にも、それの実現にとりかかる行動の人をよび起した。私たちの思想は未来をつくりだす。……私の夢は私だけのものではなく、現在では幾百万の人びとの夢であり、架空の幻想ではなく、かならず実現するものなのだ。その器官がもはや、かつてそのためにつくられた機能に適応しなくなった社会、その成員が彼らの生産する労働によって養われていない社会、そいう社会は死ぬ。……必要な革命が病める社会を運び去ってしまうのである。 (現代史) この日(10月12)日死んだフランスの小説家。皮肉な懐疑家だったがドレフュース事件以後、社会主義に傾いた。代表作『タイス』『現代史』。 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.170 2021.12.25記す。 |
![]() 起てよ国民、酒屋、米屋、小作人、地主、呉服屋、大工、株屋、大中小商業家、工業家。公等は国民に非ずや。斬りすて御免の時代は遠き過去界中に消滅し去れり。公等すでに生産的動物の群を出でて政治的動物の列に入れり。時世と号する無形の汽車は公等を乗せて疾行しつつ、日々月々新たなる光景中に進入せり。悲しきかな、公等はこの汽車に後ろ向きに乗って、しかしてすましおれり。公等の身体は知らず知らず新たなる光景中に入れり。しかして公等の眼睛は常に後方に注ぎて…前方を見ることなし。汽車はいよいよ進みて、…公等の精神はいよいよ時に後れつつあり。(一年有半) この日(12月15日)死んだ急進的思想家。土佐に生れ、フランスに留学。西欧民主義をつかみ、自由民権の理論家であった『兆民選集』『一年有半』。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.207 2019.04.27 |
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ひとが七十歳になって日をすごすのを困難と感ずるようになれば、それはその人が、頭脳の活動的な青少年時代に、興味を感ずべきはずの無数の事物を閑却していた証拠である。……七十歳になって隠居する人は、まあ、三年もたたぬ内に死ぬ覚悟でおらねばならぬ。(七十歳誕生日の新聞記者とのインタヴュー)
この日(10月18日)この日アメリカのウェスト・オレンジで死す。電信・電話の改良、蓄音機・電灯・活動写真など発明が多く、「発明王」とよばれた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.173 2019.06.27 |
西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われる。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械、どこか他の場所へたやすく運んで、そこで仕事をすることのできる機械と考えている。これは誤りだ。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体であって、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要である。……日本では今の科学の[成果]のみを受取ろうし、……この成果をもたらした精神を学ぼうとはしない。
(『日記』明治三十四年十一月二十二日)
この日(1月13日)ドイツに生まれ、明治九年、医学の外人教師として日本に招かれ二十九年間滞在、東大教授として、宮中の侍医として活動した。
*桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.9
2021.12.27
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![]() 上下心を一にして盛に経綸を行うべし 官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す 旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし 知識を世界に求め大いに皇基を振興すべし
(五箇条御誓文)
この日(一八六七年:1月9日)即位。なは睦仁。明治維新を完成し、中央集権を確立することによって、近代国家日本を誕生させた。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.7 2020.08.15 |
![]() *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書) P.125 2010.07.29 |
![]() (緒方正規教授の東大在職二十五年祝賀会における門弟総代としての祝辞) この日(6月13日)死んだ日本医学の育成者。熊本県人。コッホに学び、破傷風菌の純培養と血清療法に成功、治療医学に革命をもたらした。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.98 |
![]() 一昨日(おととい)の戦死者のねむる フランスの野の上を幾千羽 旋回せよ やよ鳥 冬を 道ゆく人おのがじし思い新たならしめよ! かくて 義務の叫び手たれ おお わが黒き喪の鳥よ! されど 空の聖者たち 樫のこずえ かぐわしき夕べにかすむマストには せめて五月の頬白をのこせ 未来もなき敗戦に 森の奥につながれ 草間より
逃れえぬ人びとのために (鳥)
この日(11月10日)死んだフランス印象派の詩人。十六歳で彗星のごとく怪光をはなって詩壇に現れ、ヴェルレーヌと共に放浪した。『酔いどれ船』、『地獄の季節』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.186 ※関連:青木雨彦『中年博物館』P.71 五月六日 2020.05.06記す。 |
![]() (ブリュセル自由大学の二十五周年祭における講演、『科学における自由検討』) この日(4月29日この日生まれたフランスの数学者、物理学者。その主要な関心は、科学の方法と分析と、科学的認識の定義の探究にあった。『科学の価値』 ポアンカレ著 吉田洋一訳『科学と方法』(岩波文庫)あり。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.70 2022.01.19記す。 |
![]() この日(5月15日)首相官邸で青年将校に射殺される。福沢諭吉の門下。新聞記者から政界に入り、終身議席にあって藩閥打倒、憲政擁護につくした。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.82 |
![]() 唯物論者は、人間のイデオロギーは人間の実際の経済的条件の結果であり、上層構造であるにいすぎないと主張することによって、超自我(スーパー・エゴ)を除外する。唯物史観は真理ではあるだろうが、真理のすべてではない。人間は現在のみに生きるものではなく、民族の過去の伝統が超自我のイデオロギーの中に存在している。この伝統は現在文化の影響をきわめてわずかずつしか受入れない。そして伝統が超自我を通じて働いているかぎり、それは経済的条件とは無関係に、人間生活に大きな役割をもちつづけるものである。 この日(9月23日)この日死んだオーストラリアの精神医学者。精神分析の学問をうち立て、医学、心理学のみでなく、文化科学全般に最大の影響を与えた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.158 |
われわれがルンペンとちがって、余暇をほしがるのは、それによって自分の好きなことを、よりたくさんしたいからです。それはドレイが獣的な強制のもとに仕事をしなければならないのとは、まったくちがいます。ルンペンは余暇をむだに使ってしまいますから、みじめなのですが、われわれは、その余暇を用いて幸福になろうと思っているのです。忘れないでいただきたいのは、余暇は休息ではない、ということです。休息は睡眠のように、しなければならないものであります。本当の余暇とはわれわれの好きなことをする自由であって、なにもしないということではないのです。 (自由の自然的限界) この日(11月2日)この日死んだイギリスの劇作家。人生のための劇を目ざし、イギリス近代劇を確立した。社会主義運動に参加した実践家でもあった。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.182 2021.12.25記す。 |
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予は時に、感ずることがある。人間には運命というものがあって、自分である程度までこれを開拓して行くことができる。……世人は暇があったら何をなすとか、金があったら何々を実行するとかいって、暇と金とに全責任を負わしている者が多数である。が、実際、この暇と金とを自分でどうにかしてこしらえるものだということを深く確信しているものはないようである。予はこの当時は、別にどうとも感じなかったが、今から考えて見ると、たしかに人間というものには一種の運命というものがあって、これをある点まで支配することができるものだと思う。 (自伝)
この日(11月5日)モスクワで死ぬ。苦学しつつ渡米し、アメリカ労働運動の強化に尽力した。のちコミンテル代表となりロシアに住む。『自伝』 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.184 |
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元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明らかにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして投票の結果が、いかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる多数党といえども屈従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の利福を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ。しかるに……表決において多数さえ得れば、それで満足する傾きがある。すなわち議事堂はなばかりで実は表決堂である。 (憲政の危機)
この日(11月20日)埼玉県に生まれる。新聞記者をへて、第一議会より終生衆議院の議席にあり、つねに軍閥、官僚政治を攻撃し、普選運動・護憲運動の立役者であった。 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.192 |
![]() 安心してはいけませんよ、自分を眠らしてしまってはいけませんよ!……幸福なんてものはありません、またあるはずがないのです。もし人生に意味や目的があるとすれば、その意味や目的は、けっしてわれわれの幸福のなかにあるのではなく、何かもっと合理的な、偉大なもののうちにあるのです。
明らかに、いわゆる幸福な人間は、不幸な人たちが黙々としてその重荷を背負っていることによってのみ、自分を都合のよいように感じているのだ。この沈黙なしには幸福はありえないにちがいないのだ。 )
この日(7月02日)この日死んだロシアの誠実な作家、劇作家。医者出身。十九世紀末のロシア社会の明暗相を、すぐれた短編でえぐりだした。『六号室』『桃の園』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.110 2020.07.19 |
いわゆる自由諸国においては、国民の大半は自由ではない。彼らは少数者によって、彼ら自身にすら知られていない目的へと駆りたてられているのだ。このようなことが生じうるのは、国民が道徳的・精神的な自由を自己の目標とみなしていないからである。彼らは自らの情念でもって巨大な渦をつくりだす、そしてその渦まく運動のたんなる速度に目もくらほど酔い、その速度こそ自由だと考える。しかし彼らを襲うべく待ちうけている破滅は、死と同じほどたしかである。――なぜなら人間の真理とは道徳的真理であり、人間の解放は精神生活のうちに存在するのだから。
(ナショナリズム)
この日(8月07日)カルカッタで死ぬ。インドの生んだ世界的詩人。西洋の影響をうけながらも、彼のうちには根づよい国民主義の思想が見られる。 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.131 2021.12.27 |
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アジアは一つだ。ヒマラヤ山脈は、二つの強力な文明――孔子の共同主義のシナ文明と、ヴェーダの個人主義のインド文明とを、ただこれを強調せんがために分つ。しかしながら、この雪の障壁をもってしても、あの窮極と普遍とに対する広い愛の拡がりを、ただの一時もさえぎることはできないのだ。この愛こそは、全アジア民族共通の相続財産ともいうべき思想なのだ。この愛こそは、彼らに、世界のすべての大宗教を生み出すことを得させたものなのだ。(東洋の理想)
この日(12月26日)生まれた美術評論家。東京美術学校長をつとめ、日本美術院を設立するなど、明治美術の父と称せられる。主著『日本の目覚め』『茶の本』 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.213 |
![]() 「きようなり。きようなり。きのうありて何かせん。あすも、あさても空しきなのみ、あだなる声のみ。」この時、二点三点、粒太き雨は車上の二人が衣を打ちしが、またたくまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あららかにおとずれ来り、紅を潮したる少女が片頬に打ちつくるを、さしのぞく巨勢の心は、唯そらにのみやなりゆくらん。少女は伸びあがりて、「御者、酒手は取らすべし。疾く駆れ。一策加えよ、今一策。」と叫びて、右手に巨勢がくびを抱き、己はうなじをそらせて仰ぎみたり。(うたかたの記) この日(7月9日)日死んだ近代日本の古典的文学者。医科大学を出て軍医総監となったが、文学により大きな仕事を残した。『鴎外全集』 *桑原 武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.114 |
☆122メーテルリンク(1862~1949年)
![]() チルチルとミチル――いや、いや、いやですよ、光さん! ここにいてね!
光――泣くんじゃないよ、ね、いい子だ。わたしは水のように声を立てないで、人間にはわからないように輝いているだけなのだ。でも、わたしは人間が死ぬまで守っているよ。わたしはね、広い月の光の中にも、キラキラ光る星の中にも、毎朝のぼる朝日の中にも、毎晩ともされるランプの中にも、それからお前たちの魂の、どんないい立派な考えの中にも、どこにでもいて、お話しているんだから、それを忘れないでね。(青い鳥)
この日(8月29日)この日、ベルギーのガンで生まれた劇作家。象徴的な手法で宇宙と人間の運命をえがいた。代表作『青い鳥』のほか、劇、随筆が多い。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.143 |
中国の漢(かん)代はローマと同時代である。この漢代は政治思想が非常に高まった時である。この時、一般に力づよく主張された思想は、反帝国主義であった。思想家は、南方の未開民族と土地を争うことに強く反対している。中国は二千年昔に十分に平和思想が確立していたのである。そして宋・明にいたるまで、外国に侵略されたことはあっても、外国を侵略したことがなかった。南洋の小国の進貢や帰化も、彼らから望んでしたことであって、中国が武力で圧迫した結果ではない。これらのことは、世界の最強の国にも見ることのできない中国の光栄である。(三民主義) この日(11月12日)広東省香山県(いまは中山県)の農家に生まれた。字は逸仙。三民主義の主張によって始めた民国革命の父である。主著『三民主義』『建国方略』 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.187 |
![]() かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や図書館あって、地方には何もなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、學問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。(土宜法竜への手紙)
孫逸仙と初めて〔ロンドンの〕ダグラス氏の室であいしとき、一生の所期はと問わる。小生答えて、願わくは我々東洋人は一度西洋人を挙げてことごとく国境外へ放逐したき事なりと。孫逸仙失色せり。(柳田国男への手紙)
この日(12月29日)、故郷の紀州田辺で死んだ博物学者。若くしてイギリスに渡り学才を世界に知られた。百科全書的博学者。『南方熊楠』十二巻。 *桑原武夫編『一日一言』――人類の知恵――(岩波新書)P.215 ※神坂次郎『縛られた巨人』南方熊楠の生涯(新潮社)一九八七年八月十五日 五刷 手元にある。 2010.05.31 |
![]() われわれの思想のおのおのは、生涯の一瞬間にすぎない。もし生きるということが、自分の誤りを正し、偏見を征服し、思想と心とを日々に拡大するというためでないならば、それはわれわれに何の役にたとう。待ってもらいたい。たとえわれわれに誤りがあろうとも、しばらく許してもらいたい。われわれは自分で誤りがあるべきことを知っている。そして自分の間違いを認めるときには、諸君よりも、もっときびしくそれをとがめるであろう。われわれは毎日多少なりとも、さらに真理に近づこうとつとめているのだ。(ジャン・クリストフ) この日(12月30日)このパリで死んだ文学者。第一次大戦当時から反戦主義を守りとおした。自由の友として多くの小説、評論を書いた。代表作『魅せられたる魂』 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.215 |
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日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流で、その波を渡る日本人は西洋人ではないのだから、新しい波が寄せる度に自分がその中で食客をして気がねをしているような気持ちになる。新しい波はとにかく、今しがた漸くの思いで脱却した旧い波の特質やら真相ゆあらも弁えるひまのないうちに、もう棄てなければならなくなってしまった。……こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念をいだかなければなりません。……我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言でいえば、現代日本の開化は皮相、上滑りの開化である。(現代日本の開化)
この日(1月5日)生れた明治大正期の文豪。当時の自由主義運動のそとにあり、余裕派と呼ばれた。『坊ちゃん』『明暗』『文学論』 *桑原武夫編『一日一言』―人類の知恵―(岩波新書)P.4 |
![]() 今日の世界に冒険精神の消滅する危険があるとは思いません。わたしの周囲に何か活力のあるものが見えるとすれば、それこそまさしく冒険精神が根絶できぬものであり、好奇心となってあらわれてくる証拠であります。それは人類の原始的な本能であると思いたい、というのは、もしこれが人類から奪われたとすれば、記憶力を奪われた個人が存続しえいないように、人類が存続しうるとは思えないからであります。好奇心と冒険精神はたしかに消滅してはおりません。……幼児のうちにも、あらゆる年齢層のうちにも、あらゆる階層のうちにも、冒険精神は見出されるのです。(イㇾーヌ・キュリー『我が母マリーキュリーの思い出』) この日(7月4日)死んだポーランド出身の科学者。夫のピエール・キュリーとと協力してラジウムを発見し、両者そろってノーベル賞をうけた。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.111 2019.06.09追加。 |
![]() 余はこの旅行にいささかもくゆるところなし。われらはイギリス人が困難を克服し、相協力して、いまだかつてなき不抜の精神をもちて死に臨みたることを実証したるなり。われらは危険を敢てせり。われらはその危険なることを承知しいたり。ただ事情がわれらに組せざりしなり。さればわれらは何ら不満の意を表すべきいわれなし。ただ神の御心に頭を垂るるのみ。しかしなお最後まで最善をつくさんと決意しおれり。われらは進んで探検のことに命をささぐるものなりとはいえ、そはわれらの祖国の名誉のためにして、余は祖国の人々に、われらに頼りいたる家族の身の上を援護したわんことを懇請す。(最後の日記より) この日(3月29日)南極大陸の氷原上で死んだ。イギリス探検隊をひきいて南極点に到達したが、アムンゼンにおくれ、帰路荒天に合い遭難した。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.53 |
![]() 幸徳(秋水)君らは時の政府に謀反人(むほんにん)と見なされて殺された。諸君、謀反を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である。「身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るるなかれ。」肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安をぬすんで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀反せねばならぬ。(明治四十四年二月一日、一高における講演) この日(9月18日)死んだロマン主義文学者。熊本県に生れ同志社に学んだ。キリスト教的自由主義にたち『上如帰』『黒汐』などで大衆をつかんだ。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.155 |
![]() 私は月を好まない。月のなかには、何か不𠮷なものがあり、そしてそれは犬においてと同じように、私にも悲哀を痛々しくhおえてみたい、という欲望をよびおこす。月は自分の光でかがやいているのではなく、死んでいて、そこには生活はないし、またありえない、ということを知ったとき、私は大へんうれしかった。(私の大学) 私は書物のなかで、私がかつて生活のなかで聞いたことのないような、思想に出会うことは希であった。(私の大学) この日(3月28日)ロシアのニジニ・ノヴゴロドに生まれる。小学校中退、あらゆる職業をへて、社会主義リアリズムの創始者となる。代表作は『母』『どん底』 *桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.53 *青木雨彦監修『中年博物館』(大正海上火災保険株式会社)P.68 |
![]() 大臣大将の胸に光るは何ですエ、 金鵄勲章? イエイエ違います、 可愛い兵士のしゃれこうべ! ポコ、ポンポコポコ、ポン お金持衆のコップに光るは何ですかエ! シャンぺーン? イエイエ違います、 ポコ、ポンポコポコ、ポン
(『良人の自白』社会糖売りの歌)
この日(9月08日)この日松本に生まれる。明治時代の社会主義文学運度の先駆者の一人。社会主義小説もかいた。のち運動から離脱した。代
表作『火の柱など。』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.150 2020.05.20 |
改造すべきは、たんに世界だけでなく、人間だ。その新しい人間は、どこから現れるのか? それは外部からでは決してない。友よ、それをお前自身のうちに見出すことを知れ。しかも鉱石から滓(かす)のない金属をとるように、この待望の新しい人間に、お前みずからなろうとせよ。お前からそれを得よ。お前があるところのものに敢えてなれ。いいかげんで安心するな。各人のなかには、驚くベキ可能性があるのだ。お前の力とお前の若さを信ぜよ。たえずいいつづけることを忘れるな。[ぼく次第でどうにでもなるのだ]と。(新しき糧) この日(11月22日)パリに生れた。世間の誤解を恐れず、彼一流の誠実さで生きて、二十世紀前半に多くの名作を残した作家。ノーベル賞を受賞。『狭き門』『背徳者』なる。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.193 |
![]() 「人はいうシナ国民は古を尊ぶ国民なり、故に進歩なしと。これ思わざるの甚しきものなり。……彼ら古をしたう所以のもの、すなわちまさに大に進まんと欲する所以にあらずや。……願わくば共に一生を賭してシナ内地に進入し、心をシナ人にして、英雄を収攬してもって継天立極の基を定めん。もしシナにして復興して義によって立たんか、インド興すべく、シャム、安南振起すべく、ヒリッピン、エジブㇳもって救うべきなり。」……余はこれ[兄の言葉]を聞いて起って舞えり。余が宿昔の疑問ここに破れたればなり。然り、余が一生の大方針は確立せり。(三十三年の夢) この日(12月6日)に生れ、また同日に死す。自由民権論から出てアジアの解放に想到、孫文らとともに戦う。志やぶれ浪花節語りなる。 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.202 |
![]() 今年の議会では何だか少し明い気持がして、やはり議会というものの存在理由を感じた様ですが、政治というものもっと根本的にどうかならぬものにや、心細き次第と存じます……将来の世界というものは、今日一派の人々の考える如く各国孤立の国家主義に落ちつくののではなく、何らかの意味において世界的協調ができなければ落ちつかないのでしょうか。今日各国の悩みは本当はそこにあるのではないかとおもいます。我国の政治家達もそういう所に着眼してもらいたいという様におもいます。
(昭和十三年三月十三日、原田熊雄あての手紙)
この日(6月7日)死んだ日本初の体系的哲学者。東洋的無の思想を基底として、ヨーロッパ哲学を旺盛に摂取し、両者の主体的統一をはかった。『全集』十八巻 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.95 |
われわれの世代の生活は、父の代のときよりも、もっとくるしい。しかし、一点において、われわれは父たちよりずっと幸せである。われわれは、ただかうことをまなんだし、また急速にまなびつつある。しかも、父たちのなかでもっともすぐれた人々のように単独にではなく、……われわれの階級のスローガンのもとにたたかうことをである。われわれは父たちよりも立派にたたかっている。われわれの子供たちは、さらに立派にたたかい、勝利をおさめるであろう。
(労働者階級と新マルサス主義)
この日(4月22日)ロシアのシンビㇽスクに生まれる。ボㇽシェヴィキ党(共産党)の基礎をきずき、ロシア社会主義革命を指導し、成功させた。『帝国主義論』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.67 2020.07.11 |
建設するには、知識をもたなければならず、科学を習得しなければならない。だが知識をもつたみには、まなばなければならない。(中略)われわれのまえには城塞がある。この城塞は、知識の数多くの部門をもつ科学とよばれるものがある。この城塞は、なんとしても抜きとらなければならない。この城塞は、もし青年たちが新しい生活の建設者でありたいと思い、老練な人びとのほんとうの交代者でありたいと思うならば、青年たちが抜きとるべきである。(共産青年同盟第八回大会演説) この日(3月05日)モスクワで死す。一九一八年以来、革命運動に参加、レーニンの死後、ソヴェト連邦の指導者となり、社会主義建設を遂行した。主著『レーニン主義の基礎』 桑原武夫編『一 日 一 言』ー人類の知恵ー(岩波新書)P.40 202.01.01記す。 |
![]() 軍備を誇揚(こよう)することをやめよ。徴兵の制を崇拝することをやめよ。我は兵営が多数無頼の遊民を産出することを見たり。多くの生産力を消糜することを見たり。多くの有為の青年を蹉跌せしむることを見たり。兵営所在の地方の風俗が多く壊乱せらるることをみたり。行軍の沿道の良民が常に彼らに苦しめららるるをみたり。いまだ軍備と徴兵が国民のために一粒の米、一片の金をだに産するを見ざるなり。いわんや科学をや、文藝をや、宗教道徳の高遠なる理想をや。いな、ただこれを得ざるのみならず、かえってこれを破壊し尽くさんとするにあらずや。(廿世紀の怪物帝国主義) この日(1月24日)この日天皇暗殺未遂と称せられた大逆事件のやめ死刑となる。明治時f代の社会主義運動の指導者。のち無政府主義にかたむいた。著書『社会主義真髄』 *桑原武夫編『一 日 一 言』―人類の知恵―(岩波新書)P.15 |