私の社内教育体験記録――研修所――


昭和58年06月06日(月)

1、岡山工場臨時部長会議あり。

2、総務労務本部研修所長に6月13日付転勤をはじめて聞かされる。

3、工場幹部の転勤について、大原副社長より内示するとのこと。

昭和58年06月09日(木)

1、学卒レポート報告会。

2、労連本部の案内で懇談、懇親会。

 岡山工場:黒崎昭二、神崎 登。倉敷工場:長浜雅夫、伊木慶四郎、高島征助、金丸龍美。玉島工場:東島武夫、秋田 智。西条工場:藤川雅彦(昭和25年入社)。

越智労働組合中央執行委員長と話す。「研修所所長に誰がなるか期待していた」と。

昭和58年06月14日(火)

1、58.06.13 付総務労務本部研修所長を命ずる。玄馬君とビニロン部長職引き継ぐ。

昭和58年06月16日(木)

1、17:30 岡山工場旭風寮で主幹以上の送別会。

 送られる者:福田工場長(クラレショップへ転出)。頼本(倉敷中央病院へ転出)。 黒崎・玉置・高野(研修所へ転出)。

昭和58年06月1日(金)

1、ビニロン部大クレモナ会:約80人。岡山市南京楼。

昭和58年06月21日(火)

1、岡山工場労使懇親会会食 旭風寮で。 林崇文工場長・青山副工場長・玄馬部長。

 福田・頼本・黒崎。

 組合幹部。

昭和58年06月22日(水)

 研修所就任のメンバー全員、倉敷工場に集合。あいさつに廻る。午後、岡山工場主査以上の集会で転勤の挨拶をする。その後、大原副社長の 6月13日付の組織改正の意義について約30分の説明あり。

昭和58年06月23日(木)

 倉敷にある研修所で大卒新入社員の配属式あり。

 12:30~13:00、平田総務労務本部長から研修所の構想についての意図、その資料を手渡される。その後、研修所のメンバーと話す。

 大原副社長に副社長は教育熱心だと聞いていますが昨日、岡山工場でのお話ではふれられていなかったが、平田本部長の説明が予定されていたので質問しませんでしたが如何なるものですかと申し上げましたところ、玉島工場で質問あった。主幹以上と一般の教育はどうなのかと。一般についてはいま、準備していると答えられたとのこと。倉敷工場での説明会では研修所についての説明が二度あった。横断的にコミュケケーㇳをはかるためにも必要性を説明された。

昭和58年06月24日(金)

 岡山工場課長会送別会に参加。

昭和58年06月27日(月)

 研修所第一回スクーリングまでの行事、担当時間等の検討。

昭和58年06月28日(火)

 研修所の開所準備。

 岡山県立水島工業高等学校訪問。工業高等学校での教育状況を知るため。教科書10数冊借りて帰る。

昭和58年06月29日(水)

 研修所入所試験英語の問題の討議。さらに再討議することにした。

 午後、岡山県立岡山東商業高等学校訪問。研修所でのカリキュラムの立案準備のため。行司先生、その他の先生と話す。

1、三年生には就職問題集を勉強させている。 

2、実業学校は実業が主であって普通学(英・数・国)は付け足しである。英・数・国では普通科と実業学校ではレベルが異なる教科書を使っている。

3、普通科高等学校では鉛筆が落ちても音が聞こえるほど静かに勉強している。

昭和58年06月30日(木)

 副主査教育に大原副社長が研修所来所。

 森田節斎、副社長のおな前についてうかがったところ 、大原孝四郎氏は森田氏の弟子であった。 謙一郎の"謙"は『謙受説』からとられたとのことであった。

※参考:「二、三のマーク」――倉敷紡績・クラレ社標

 副主査教育の事例研究に参加、オブザバーとなり夜遅くなる。市原倉敷工場事務部長も同席して副主査全員、教育関係者と缶ビールを飲みながら懇親会。

昭和58年07月04日(月)

1、道場君来所。研修所開所のための諸準備のスケジュール案作成。

昭和58年07月06日(水)

1、アドバイザー制度について原案作成討議。

昭和58年07月13日(水)

1、本社に久しぶりに出張。

2、電算機部安井部長にあって電算機概論について説明を受けた。

3、労務部:白鳥・道場・森山 清水。研修所:黒崎・秋山・玉置・高野・大田。

昭和58年07月14日(木)

1、カリキュラム案について検討。

昭和58年07月19日(火)

1、大阪出張。日本能率協会 産業能率関西にて通信教育材料を見に行く。玉置同道。

昭和58年07月20日(水)

1、白鳥氏(1990年6月、取締役就任)から電話あり。

1-1、カリキュラムについて本社労務担当者と実務的協議をしたいと。

1-2、研修所卒は将来担任者になる。

1-3、研修所は普通の学校ではなくて企業内の教育である。

 以上を念頭においてカリキュラムを適当に組んで欲しい。研修所内で25~29日の間に大体組むことに決定。

昭和58年07月25日(月)

1、研修所のスクーリングについて原案作成。

昭和58年07月26日(火)

1、倉敷工場市原事務部長に事務系の学科の案の作成依頼。

昭和58年07月27日(水)

1、第一期:第一回スクーリング、第二回スクーリング案作成。

昭和58年07月29日(金)

1、本社より道場君来所。

 研修所運営基準、アドバイザー制度、研修所修業者処遇など検討。

※参考:海軍兵学校の対番制度とクラレのアドバイザー制度

昭和58年08月01日(月)

1、広瀬総務課長(中研)に事務系の科目の選択を依頼。市原部長・広瀬課長は事務系を全部やっていないから科目のアンバランスがあるかもしれないので職能の長を通してやって欲しいと意見をのべる。

昭和58年08月04日(木)

1、白鳥・清水・道場来所。

2、研修所運営基準(案)等検討。

昭和58年08月05日(金)

1、カリキュラム(スクーリング時)案について再検討案を本社へ発信。AIAを前期スクーリングに入れるため。

昭和58年08月09日(火)

1、東京事務所で研修所について説明。

2、総武線で銚子に行き、クラレ 鹿島事業所(〒314-0102 茨城県神栖市東和田36)の寮に泊る。戸叶常雄工場長(1985年6月取締役就任)と話す。

昭和58年08月10日(水)

1、茨城県潮東→東京→上野→大宮→新潟→中条。初めてのコース。なかでも上越新幹線はコンパクトにできているようであった。天井が20cm位低い。山本五十六氏の長岡市を見ることができた。盆地であるということができる。河井継之助がまとめるとしてもまとめやすい地形のように思った。

2、工場長赤尾さん、石田昭四郎さんと歓談。VACは輸入。為替変動をもろに受ける。

 人員合理化の話で平田本部長が来られた。鹿島とプールして考える。モノマーの合成をあつめることによりアセチレンの損が協和・クラレ合算でかなりへるように合理化を考える。

昭和58年08月11日(木)

1、中条工場で研修所についてのヒアリング。多くの人が出席。

2、協和ガス化学、国広・加藤氏に挨拶。

3、中条→新潟→大宮→上野→東京→大阪。大阪今津寮に宿泊。

昭和58年08月12日(金)

1、大阪本社で研修所について説明会。昼食:平田本部長、白鳥副本部長、黒崎、高野。

 研修所のモットーを社長又は副社長に作成して頂くようお願いする。

2、松田洋一さん、小生を広島にある人材センターへと人事に相談したところ、猛反対されたとのこと。

昭和58年08月17日(水)

1、岡山工場へ研修所全員でヒアリング。

2、青山副工場長:本社に教育部の案があった。総務労務の人間が増えるとのことで立ち消えになったとのこと。

昭和58年08月19日(金)

1、西条工場へ研修所についてヒアリングに行く。高野講師と同道。

2、白川課長より推薦図書の目録を貰って帰る。

昭和58年08月24日(水)

1、清家、越智委員長来所。

 研修所ヒアリングの件で2工場正式なものを流していて、工場から問い合わせがあり、困ったので本社にクレームをつけたとのこと。

昭和58年08月26日(金)

1、大阪に出張。研修所開始までのスケジュール決定。

2、神戸市 知能テストの検討のため寄る。

昭和58年08月29日(月)

1、12月までに準備すべき事柄についてスケジュールを決定。

2、機器分析関係について中研土屋室長に依頼に行く。

昭和58年09月03日(土)

1、清水人事室主任部員より、モリタ主催「青年経営者研究会」アイビスケア―(倉敷)で9月10日にあるので「体験的リダーシップ」について1時間10分話してくれとのこと。村本工場長は「労務管理」について話すとのこと。

昭和58年09月10日(土)

1、アイビスケア―(倉敷)で、海軍兵学校でのリーダーとしての教育方法について話をする。村本工場長「新しい労務管理について」講演。

昭和58年10月06日(木)

1、倉敷工場医局、間野先生に精神衛生の講話依頼。快諾していただく。

昭和58年10月13日(木)

1、副主査(学卒)の研修、研修所で実施。

 大原副社長、平田本部長来所。

 副社長は中期計画の基本方針、経営課題を述べられる。

 平田本部長に所訓を依頼。

昭和58年10月17日(月)

1、研修所一期生入試の英語・数学の採点をする。

2、研修生のフォロアップ教育について意見交換。研修効果を現場で発揮することを希望して。

昭和58年10月19日(水)

1、研修所開所までの準備計画を立てる。計画がきまり、すこしずつ熱が入る。

昭和58年10月24日(月)

1、大阪出張 

2-1、白鳥・道場・森山と研修所入所者数について話す。技術系40名。事務系は10~12名の範囲で検討。

2-2、井本三郎さんと雑談。

3、今津の寮に宿泊。

昭和58年10月25日(火)

1、AIA(Adventures in Attitudes)コースを受ける。21名。

昭和58年10月26日(水)

1、AIA 2日目 9:00はじまり。

2、技術40、事務12名にしたとのこと。

昭和58年10月27日(木)

1、AIA 3日目

2、昼休み、労務森山君が一期の前期スケジュールの変更の意見を聞きにくる。 

昭和58年10月28日(金)

1、AIA 4日目

2、昼休みに道場君がくる。クラレ不動産の16/17人を12/17人に入れ替えてくれるように了解してくれるように話しにくる。

昭和58年10月29日(土)

1、岡山工場で海軍兵学校関係者テニス。

   河内・久保・杉本・深澤・波多野・黒崎・岩見のお嬢さん。

2、参加者の一人杉本医師は菱田さんのお母さんの死を取りあっかっている。坂本氏も患者であった。常務から監査役に落ちてショックを受けているとのこと。

※杉本氏、初対面で私にたいして、「眼がすばらしい」。骨相を研究しているが骨相がいいと。

昭和58年11月02日(水)

1、尾崎泰司さん来所。

 宮野澄『最後の海軍大将井上成美』は、海軍の人が資料をあつめていたのを借りて著者が本を出したと言って腹を立てていた。

※宮野 澄【みやのとおる】1925年−。東京生まれ。鎌倉アカデミア、早稲田大学文学部中退。ブレーンネットワーク社長、「日本女性広報担当者の会」主宰。ノンフィクション作家。

昭和58年11月10日(木)

1、大阪でアドバイザー、兼任講師に研修所の説明。会食。

2、今井清和(クラレ→長岡技術大学教授)さんに逢った。

昭和58年11月11日(金)

1、柴田町ビル

1-1、クラレ不動産に行き菱田さんに合う。立ち話し。杉本氏の評判を聞く。

1-2、クラレシヨップに寄る。福田、早藤、佐藤氏と合って雑談。

2、東京事務所に行く。アドバイザーに研修所の説明。会食。19:00発~23:27岡山に帰る。

3、井上成美伝記刊行会『井上成美』¥5,000 尾崎泰司さんに買ってもらっていたものを持って帰る。この本の写真に生出 寿(『海軍兵学校 よもやま物語』著者)が井上成美と一緒に写っていた。

昭和58年11月14日(月)

1、清水さん(人事)AIA coordinatorを正式に受講して本を買ってスタートした方が良いとの話し。労務と話してから返事してくれるように頼む。

昭和58年11月17日(木)

1、AIA coordinator 受講するよう要請あり。道場・清水君より。

昭和58年11月18日(金)

1、岡山・倉敷・玉島・西条のアドバイザーが研修所に来所。白鳥氏・道場君同席で説明会。労働会館で懇親会。

昭和58年11月19日(土)

1、AIA coordinator 一日コース受講。大阪、服部先生。

昭和58年11月21日(月)

1、鈴木嘉一中研所長、村本倉敷工場長に研修所入所式の招待の挨拶に行く。

昭和58年11月22日(火)

1、越智委員長に入所式の招待と概況説明に労組本部に行く。

2、越智さん:土曜日に勉強させることについて心配している人がいるようであるが本人の勉強になることだし十分にやってください。

2-1、研修所長には人格者をと組合からも言っていた。現場でテキパキとやっておられて、それを離されたと思われたかも知れません。だが私は安心したとのこと。

2-2、新研修所は勉強ばかりでなくその他が多いので安心した。研修所卒がすいすいとゆくのにブレーキを掛けていた。研修所卒は問題解決能力が少し違う。

昭和58年11月25日(金)

1、研修所講師と最終打ち合わせ。親切を根底に教育指導するようにと指示。

2、岡山工場溝辺・保城秀樹君たち来所。

昭和58年11月30日(水)

1、研修生、前期スクーリングで入寮。

2、川鉄研修所寮に行く。AIA 服部先生の指導を受けるため、川鉄の吉川嬢(今年県短大卒)のコディネター特訓のため。

昭和58年12月01日(木)

1、所長訓示入所者面接 

2、ざっくばらんに指導する。入所成績等、激励する方向で。

昭和58年12月02日(金)

1、入所式 大原副社長・平田・白鳥

  鈴木・村本・市原・池田

  専任講師・兼任講師

  越智・五百川

  所長あいさつ。副社長訓話。

   厳粛にして和気藹々の式であった。

 大原副社長:スタンフォード大学の連中に日本について相当に説明しているとのこと。島根県医科大学の教授(宇田川君を中研より派遣している)を尊敬しているとのこと。

※関連:研修所第一期生入所式

昭和58年12月03日(土)

1、10:00 講話。12:00~研修生と講師全員会食。12:45~自己紹介、AIAの資料準備。

昭和58年12月05日(月)

1、IQテストした。結果は本人に知らせて欲しい要望あり。(中条工場:小林清一君)

2、業務知識講義。管理技術のオリエンテーション開始。

昭和58年12月06日(火)

1、AIA 1日目開始 Group Dynamic Institute 服部先生より激励の電報受信。

2、黒崎組 28名。清水組 29名。18:25完了。一日目から順調に進んだ。

昭和58年12月07日(水)

1、AIA 2日目 かなりなれてきたようだ。チラチラとコーディネーターの方をみている。みんな頑張っている。

2、研修所寮に泊る。20時~24時の間、全室を廻る。宣誓書は一室のみ掲示していなかった。

3、服部先生に激励のお礼を書く。

4、渡辺一郎様、御子柴様(二人とも元研修所長)に研修所再開のハガキを出す。

昭和58年12月08日(木)

1、朝食:研修生と食事。今日は何の日かと質問するも大東亜戦争勃発の日と答える者なし。

2、秋山講師のQCの講義一時間聞く。

3、倉敷工場医局間野先生の講義。2時間目。昼食、研修生と一緒にしていただく。

4、電算機概論。電算機部長(本社)

5、工場見学。倉敷工場:レイヨン・EVA・メディカル。中央研究所。

昭和58年12月09日(金)

1、AIA3日目 講師秋山・玉置は清水組。高野・長田(倉敷工場勤労)黒崎組。

昭和58年12月10日(土)

1、AIA4日目 完了。

2、清水さんとの話し

3、AIAを次にやるときは、研修所卒業生をコーディネーターにするか、アドバイザーをAIA受講させるのがよいのではないか。

昭和58年12月13日(火)

1、業務知識の講義をする。いろいろな勉強上の注意する。

2、午後、岡山工場見学。大田講師が玉島工場のバスを借りて研修生を岡山へ。

昭和58年12月14日(水)

1、工場長会議で大原副社長が中期計画で忙しかろうがアドバイザーにしっかりやってほしいと要望されたとのこと。

昭和58年12月21日(水)

1、本社へ出張 58.11.30~58.12.14 第一期生の前期スクーリングが終了したのでその報告並びに反省をこめて第二期生の問題、その他各種懸案事項を片づけるため。


昭和59年02月03日(金)

1、倉敷工場五百川委員長、今年の本社での労協会(中協会)。研修所再開に大原副社長大変喜んでおられた。

 「黒崎は家庭的だが厳しい面がある」と言われていたとのこと。

昭和59年02月13日(月)

1、59.2.10 教育担当者会議の報告を大田君より受けた。

2、後期スクーリングの内容で TA をやめ KJ法 にまとめることを講師たちに提案。

昭和59年02月15日(水)

1、白鳥労務部長来所。5分位打ち合わせ。

昭和59年02月21日(火)

1、第一回目 倉敷工場研修生巡回指導。アドバイザー懇談会。研修所にて。

昭和59年02月22日(水)

1、玉島工場巡回指導。全講師出かける。

2、堀田工場長と雑談。

昭和59年02月23日(木)

1、岡山工場巡回指導。

2、青山総務部長に会う。

3、野津アドバイザーから研修生にノイローゼになっている者がいる様にきいたがどうか。そんなものはいないと答えておいた。

昭和59年02月24日(金)

1、57年度大卒入社者教育研修。研修所にて。アドバイザーとして参加。

昭和59年02月27日(月)

1、7:40出発 東京行き→総武線潮来→鹿島工場。

  巡回指導:大塚・五十嵐、アドバイザー林・阿部 課長富井。終って、懇親会。ホテルリオに宿泊。

昭和59年02月28日(火)

1、鹿島工場 工程説明→見学。門田君、浜公園案内。鹿島神宮参拝。手入れが良くなくて、幻滅。

2、鹿島→東京 東京事務所で巡回指導。研修生:市川・佐藤、アドバイザー:市田(慶應卒)・吉田。

3、セントラルホテル宿泊。

昭和59年02月29日(水)

1、東京より中条へ。越後湯沢より雪国であった。本当に雪が多かった。

2、布施君が脳底血腫で重体入院中のこと。回復を祈る。

 巡回指導:小林清一・水戸部・河内・中野。アドバイザー:高地・早瀬・高橋・北村・木村

 工場長:赤尾、総務課長:沢井、副長:小川

3、堀内君(昭和25年入社):協精化学工場長を訪問。

昭和59年03月01日(木)

1、中条→新潟→大宮→上野→東京→大阪。

 巡回指導:阿部・国富・石飛・岸本・齋藤・清水・藤井・松村

 アドバイザー:岩崎・鈴木・己波・生田・大田・藤井・及川・森山

昭和59年03月02日(金)

1、西条工場巡回指導

  研修生:井上・竹形・西岡・稲掛・高木。アドバイザー:板村・佐藤・三宅・大塚・鴻上・藤井。

2、渓石寮で会食。

3、巽工場長、薦田君と話す。

4、白川君と話す

4-1、黒崎が所長であることは非常に良い。

4-2、研修生はエリート意識をもつ。周囲の人もやらねばならぬと考えている。英数物化をやらせてくれと要求がでている。

4-3、教育部を作ろうという案が出ている。清水だけではやっていけない。

昭和59年03月03日(土)

1、第一回目巡回指導を終わって工場の雰囲気を知ることができた。

2、玉島:工場長堀田さん以下関心あり。

3、岡山:工場が大き過ぎて、足並みに違いがある。

4、倉敷:まあまあである。

5、鹿島:富井君のもとでよく統制されている。

6、東京:協力的である。

7、中条:工場長赤尾さん以下協力的である。

8、大坂:事務系のみで淡々としている。

9、西条:まあまあである。

 講師の対人関係・仕事への姿勢を知ることができた。

 巡回して多くの人と接触して、黒崎の立場としては「説得力」が大事である。岡山工場勤務しているとき、組合執行委員をやってきたことは力になっていると思った。

昭和59年03月05日(月)

1、研修生1、2,3期の研修所計画立案。

昭和59年03月06日(火)

1、大阪出張。

  兼任講師との連絡会。第一、二、三期関係の計画について

2、兼任講師との懇親会

 山本(電算機)・藤井(法律)・岩崎(販売)・欠〔黒田:資材〕・福滝(経理)・森山(労務)。

昭和59年03月08日(木)

1、クラボウ教習所初訪問。

昭和59年03月09日(金)

1、研修所で58年大卒入社者教育。人事来所、実施。

昭和59年03月16日(金)

1、倉敷工場高卒新入社員入社式 研修所の第一教室を使用。工場長も喜こばれる。

昭和59年04月03日(火)

1、学卒新入社員教育はじまる。研修所にて。清水、福盛、森山来所。

昭和59年04月04日(水)

1、越智さん、白鳥さん、大隅さん、相田さんたちが大卒新入社員研修のため来所。

2、相田さんの話し

2-1、52歳以上の人に所属長が面接している。

2-2、研修所は黒崎さんがするようにして下さい。

昭和59年04月10日(火)

1、植田特許部長:大卒の講義に来所。研修生の後期スクーリング中、講義を依頼。

2、井本三郎さん、アセスメントの説明会に倉敷工場に来場。糸井氏と寄ってくれる。

昭和59年04月17日(火)

1、研修生中間試験。各工場で実施。

昭和59年05月07日(月)

1、鹿島工場大塚君、指導をうけるため来所。組合活動で出張してきたという。

昭和59年05月09日(水)

1、鹿島(5/9)→東京(5/10)→中条(5/11)巡回指導。黒崎・高野・大田。

昭和59年05月10日(木)

1、ホテル・リオ(鹿島)、朝5:00前に醒める。太陽はもう出ていた。時差の違いを感じた。

2、鹿島官幣大社にお参り。

3、東京市川君、佐藤君を指導。

4、センターホテルに宿泊。夕食一人。

昭和59年05月11日(金)

1、中条工場へ。中野君が駅に来てくれる。

2、赤尾工場長と話す。TQなど。

3、小林・水戸部・河内・中野に面接。布施君の見舞い中止。

4、夕食、赤尾工場長・中曽根君(25年入社)と。

昭和59年05月12日(土)

1、中条→大宮→東京→岡山に帰る。

昭和59年05月15日(火)

1、長沼さんと話す。高野講師について。

2、研修生の指導。

3、終業後、道場・森山君と屋上でビールを飲む。帰りの電車で玉置講師に合う。

昭和59年05月16日(水)

1、岡山工場へ研修生巡回指導に行く。

2、玄馬ビニロン部長と雑談。502列を見る。建設中。

昭和59年05月17日(木)

1、西条工場へ研修生巡回指導に行く。秋山・玉置と同道。

2、白川君に合う。今回の研修生カリキュラムは現業向けで非常に良い印象である。

3、あづま旅館に泊まる。

昭和59年05月18日(金)

1、玉島工場へ研修生巡回指導に行く。秋山・玉置と同道。

2、堀田工場長と雑談。QCだとかお祭り騒ぎはしない。先端技術を現場に応用することを考えている。

昭和59年05月22日(火)

1、鹿島工場のカンニングの疑いの問題。

3、徳永さん(福岡事務所次長)来所。事務所に研修所受験者がいる。

昭和59年05月24日(木)

1、主務職昇進者3名集合教育。(24日~26日)

2、平田総務労務本部長と話す。秋山講師の話をこちらから出す。

昭和59年05月28日(月)

1、長沼さん来所。電気の講師を野中君にする。12月まで資生堂の仕事があるのでそれまで待って欲しい。松山さんたちとも話した。

昭和59年06月01日(金)

1、秋山君、大阪、若杉常務に退社の話で出張。

2、片山さん・浅野君の主査昇進祝いをする。

 片山さん:村山工場長が中期計画の「戦闘的」な表現を黒崎がそっと訂正を提案してくれて非常に喜んでいたとのこと。

 片山さん、研修生に所長名で一人一人直筆でハガキをだしてくれ。必ず感激して喜んでくれる。坂口尾崎工場勤務時、高橋博道工場長の話をする。

昭和59年06月05日(火)

1、午後、労務部:白鳥・道場・森山 研修所:黒崎・秋山・玉置・高野・大田。

1-1、研修生のグループ制の導入。(導入しないことに決定)

1-2、特別認定試験。6ゕ月後、各工場で行う。

2、終業後、鶴風寮で懇親会。

昭和59年06月06日(水)

1、研修生に黒崎名でハガキを出す。

昭和59年06月11日(月)

1、今年入社大卒者、最後の養成教育:金曜日まで研修所で。

昭和59年06月15日(金)

1、ボーナス、昨年冬と同じ。

2、学卒の配属式

 大原副社長ほか来所。

3、平田総務労務本部長:秋山君についての話。

4、相田次長:難波君のQCの実力調査。早めに勉強させるための内示の時期。

5、村本氏:秋山君の美学はわかるが会社の配慮に対する感受性がないのは困ったものだ。平田・若杉さんも困っている。

昭和59年06月21日(木)

1、鈴木嘉一さん(2年間所長)、井本三郎さんと中研所長交替の挨拶あり。

2、市原倉敷工場総務部長(1年間)→玉島転勤のあいさつ。

3、松田クラレイソプレン社長より秋山君に合うとのテレあり。

昭和59年06月22日(金)

1、井本さん中研所長就任の挨拶で来所。研究員の不勉強を力説。会議をして決まったことは守らせるようにした。

昭和59年06月25日(月)

1、湯面氏に難波君に内示することを依頼。6/28岡山に行くからその時に言う。それから一度、黒崎に連絡するように伝える。(秋山君はどうした。体に自信がついたというがあぶないものだ。)

昭和59年06月27日(水)

1、松田洋一さん来所。秋山に話して帰る。

昭和59年06月28日(木)

1、副主査教育。28、29、30。研修所にて。

昭和59年06月29日(金)

1、湯面氏、14:30頃、研修所に来所。玄馬君には話したが、難波君には話さなかった。毎日毎日の残業で話す状況ではなかった。話したら連絡する。

2、副主査教育のため、平田本部長、大原副社長来所。

昭和59年07月02日(月)

1、第一期研修生後期スクーリングに来所。7/26まで。

2、所長訓示。後期スクーリングの心構えについて。

3、研修生の日誌の一部を読む。

昭和59年07月04日(水)

1、研修生 7:50 クラレ体操がはじまる前、みんな研修所構内の草を抜いている。

2、研修生の日誌を読んで、講話の受け取り方などいろいろ。指導方法など改善の参考になる。

昭和59年07月06日(金)

1、植田君(特許部→アセスメント室長)特許について。研修生が講師の方に向って眼が光っていた。非常に嬉しく思った。是非伝えて欲しい。学卒の時の講義より気分がいい。

2、加計岡山理科大学総長に講演の依頼。Wright University より、Doctor of Human Letter(人文学博士)を受けたとのこと。クラレ中研の見学を依頼された。

3、寮に泊る。20:00~24:00くらいまで各部屋を廻る。

昭和59年07月07~08日(日)

 井山宝福寺坐禅。

昭和59年07月09日(月)

1、午後から玉島工場。レイヨン・エステル見学。

2、見学後、工場で感想文を書かせる。当日朝、太田君予告。

3、市原総務部長に研修生の靴・スリッパのまとめ方が良いと褒められた。

昭和59年07月10日(火)

1、井山宝福寺体験記のまとめ終る。文献も整理した。次回14日、所長講話で話そう。

昭和59年07月13日(金)

1、試験:品質管理。

2、講話:波多野「感受性と受容」。研修生には好評であった。

昭和59年07月20日(金)

1、研修生2分間スピーチ全員。私も学校での友が心の支えになっていることを話す。

2、ハイランド操法。藤井君(クラプラ)、指導が上手であった。

3、優等賞を決定:白鳥・岩脇 黒崎・大田の会合で。

優等賞者:渡辺・大塚・水戸部・河内。7月25日、発表する。

4、8月度クラレタイムス掲載の座談会を行なう。本社:岩脇。講師:黒崎・大田。研修生:高橋・河本・高木・岸本・大塚・中野。アドバイザー:石井正雄。

昭和59年07月21日(土)

1、難波君、秋山さんと引継ぎ。

昭和59年07月23日(月)

1、井本中研所長講話。

昭和59年07月24日(火)

1、所長講話。

1-1、フォローアップ教育の説明。

1-2、Good Bye Mr.Chips の最期の章を翻訳。Good Byeの意味を説明。

1-3、禅の話を少々。

2、村本工場長講話。

3、岡山理大加計総長講話。中研案内。

昭和59年07月25日(水)

1、研修生活を振りかえって。45分間スピーチ。

2、優等賞の発表。

3、認定証交付。

4、記念品を研修生より貰う。

5、大掃除。

昭和59年07月26日(木)

1、一期生修業式 岩脇

1-1、開式の辞

1-2、修業証書授与(所長)

1-3、成績優秀者表彰(副社長)握手される(思い出になるであろう)

1-4、所長式辞

1-5、研修生答辞(渡辺)

1-6、社歌斉唱

1-7、閉式の辞

2、記念撮影

3、記念会食:副社長・平田・越智・黒崎・久保・岸本・河内・岡本・市川・石飛。(以上同席)

4、全員、各科ごとに記念撮影。

5、講師全員が握手して送る。三木君は2回もする。竹形君は泪をながしていた。

6、八重で歓送迎会。秋山・難波。

7、森山君:黒崎イズムを講義して欲しい。池田君:さすがに話がうまい。五百川:研修生の家庭の話はほろりとさせられる。越智:修業書証を渡すとき「握手」に万感のものを感じた。

※関連:研修所第一期生終業式大原副社長訓辞

昭和59年07月29日(日)

1、ロスアンゼルスオリンピック開会式。JETMANが出たのはびっくり。

2、波多野氏に依頼。「神戸いのちの電話」に秋山氏の紹介。

昭和59年08月01日(水)

1、村本工場長、井本中研所長、黒崎、太田、アイビースケアで会食。

昭和59年08月02日(木)

1、Advisor 説明会。研修所にて。岡山・倉敷・玉島・西条。白鳥・研修所専任講師。

2、パーティ(立食)研修所にて。

昭和59年08月03日(金)

1、主幹教育:新大阪。

1-1、研修生の態度を見れば職場の雰囲気がわかるとの小生の発言はかなり影響を与える。

1-2、最初の2分間の自己紹介を2分間でやったことに参加者に影響を与えた。

昭和59年08月04日(土)

1、主幹教育。午後、TA 清水君、本当に立派。

2、会食で小林・松尾に積極的に話す。

3、小生の発言で参加者に与えた影響

3-1、時間の区切りの点 小塚(積極的に付き合いを求めてきた)

3-2、研修生を見れば上司がわかる 水上・川瀬・薬袋(みない)

3-3、大いに人に会っておきたい 水谷氏も引用

3-4、キーワードのない話は影響力がない 宇山

昭和59年08月05日(日)

1、主幹教育:新大阪にて。

2、社長を囲む座談会 上野社長、大原副社長、平田人事室長。

2-1、大原副社長:研修所での修業式に当って小生の「鯛の話」を引用。感銘深く紹介。提言に対して、熱心に答えられているのに共感。

2-2、クラレは管理強化と言われているが、そうではない。償却・利益計画のけじめについては甘い。書類とかダブつているようなことはやめたい。

2-3、箸の上げ下ろしまではやかましく言わないが、米の大事さは教えて行く。これは印象にのこった。

3、会食

3-1、平田人事室長が上野社長に小生を紹介してくれる。社長はミルクミートで知っている。平田さんが引き立ててくれたことはありがたい。

3-2、平田~黒崎話:秋山君の話その他。

3-3、一緒に写真を撮る。平田さん大事にしてくれる。

3-4、教育は長い目でみなければならない。

3-5、大原副社長が研修所を説明してくれるのはありがたい。

昭和59年08月07日(火)

1、大阪本社でアドバイザー会。

2、二期生終了時期に「社内教育センター機構」にすることを考えたい。

昭和59年08月10日(金)

1、東京に出張。アドバイザー会議。

昭和59年09月03日(月)

1、本日より二期生の前期スクーリング。

昭和59年09月05日(水)

1、入所式 大原副社長ほか来所。

2、平田本部長、白鳥副本部長と話す。

3、三期生について基本計画を早くだそう。10月に会議。来年1月末には基本計画完了。3月、教科書購入。

4、片山事務課長:大原副社長が「黒崎所長は立派な教育者で人格も立派だ」と言っていた。

 片山氏「所長は研修生全員に激励のハガキを出して、ある研修生は所長のハガキをお守りにしている」といったら感心していた(片山さんのアドバイスで実行したものである)。

5、越智さんの食事中の挨拶の中で、ある研修生は奥さんと研修生の入所試験を受けると話したところ、奥さんは是非受けて下さい。しかし、絶対に受かって下さい。そうでないと会社に自分が出勤することができないと言ったとのこと。

昭和59年09月06日(木)

1、研修生全員一分間スピーチ。ビデオ撮影。

2、講義が始まる。

3、全員の日誌を読む。

3-1、副社長の祝辞に全員よろこんでいる様子。「修業式に皆さんの成長を見るために来る」との話で相当自覚している様子。きっとよい結果になると予想。

3-2、越智さんの話の研修生のようなものがいたのは、家族の人にも緊張させていたのだ。

昭和59年09月09日(日)

1、『責任ラバウルの将軍今村均』を読んで抜き書きしている。

2、研修生が文句も言わずに草取りをしている。難波君(秋山君も)はしてくれている。

昭和59年09月11日(火)

1、AIAを開始する。コーディネーター 黒崎・大田。道場課長・西條越智課員が参加。

2、『責任ラバウルの将軍今村均』は読めば読むほど味がある。

昭和59年09月12日(水)

1、AIA 2日目。

昭和59年09月13日(木)

1、部長会議

2、研修生工場見学 レイヨン・EVALフイルム・メデイカル・中研見学。

昭和59年09月14日(金)

1、AIA3日目 一部メンバー入れ替える

2、当直で寄宿舎に泊まる。

昭和59年09月14日(金)

1、AIA4日目

2、AIA完了後、道場・大田慰労のため飲みに行く。

昭和59年9月17日(月)

1、難波君、AIA受講して、所長と大田君のやり方を較べるとどこか違う。何がどう違うのかわからない。雰囲気、ボディランゲージの違いか。

昭和59年09月18日(火)

1、研修生の日記に書き込む。「植えて見よ 花の育たぬ 里もなし」

※植えてみよ 花の育たぬ 里はなし 心からこそ 身は癒しけれ 福沢諭吉 (良寛?)

2、昼食後、「これからの決意」1分間スピーチ

3、15:00過ぎ、前期スクーリング終って、自分の部署に帰って行く。

昭和59年09月27日(木)

1、本を読んでいて、教育材料をさがすことになり、目をさらのごとくに。

2、伊藤肇『現代の帝王学』(講談社文庫)¥400

昭和59年10月02日(月)

1、「入所にあたっての私の決意」の作文採点。

昭和59年10月03日(水)

1、住友生命名誉会長:新井正明会長に依頼手紙投函。控えはとっておく。

※『古教、心を照らす』(竹井出版)著作あり。

2、NHK学園 文章教室第一回本日発送。

3、小島直記『逆境を愛する男たち』(新潮文庫)\980

昭和59年10月08日(月)

1、本社出張

1-1:第三期生の入所について労務部と打ち合わせ。

1-2:池永さんと話す。大丸の27階、二人で会食

4、住友から田中良雄『職業と人生』送って下さった。

昭和59年10月17日(水)

1、坪井君 テクノソフトの教育関係で意見を求める。

2、中江兆民『三酔人経綸問答』(岩波文庫)¥400

昭和59年10月18日(木)

1、新井会長に礼状を出す。

2、副主査研修会に大原副社長、平田本部長来所。

3、長沼本部長と逢う。野中君を笹原君に変えたい。

昭和59年11月16日(金)

1、田中美文君、来所。AIAの件。

2、難波君が「ある人がきて、研修所をやりたい」と言っていた。

 「彼は出来ないのではないか。黒崎とは違う。世の中を知り、本をよく読んでいる」。

昭和59年12月03日(月)

1、岡山工場巡回指導。

2、林工場長と雑談。

3、天野労働組合長(ビニロン仕上げにいた)と話す。三期生の募集要項について。研修所の効果について。

昭和59年12月04日(火)

1、玉島工場巡回指導。玉置・高野・難波・黒崎。

  一期生は家族ぐるみの研修所生活であった。

2、二期生では、カリキュラムも改善された。課題作文をあたえた。

3、一期生のフローアップの期間中に研修所で学んだことで何が残った聞いたところ、品管、日記の継続、法律等があった。とりわけ「研修所を卒業した」ということであると、寺崎君は言いました。周囲の人からも研修所卒業生と言われることであった。

昭和59年12月05日(水)

1、倉敷巡回指導。

昭和59年12月06日(木)

1、福岡事務所に行く。大田君と。

2、徳永次長:12月16日付西条工場事務部長転出。薦田君:12月16日付御津カントリー転出。

3、事務所長、徳永さんと一緒にいきづくりの魚の店に行く。。

4、徳永さん「一専多能」の言葉をおぼえていた。。

※徳永(西条)、道場(玉島)、門田(鹿島)、小川(中条)、片山・池田(倉敷)たちに大体説得が行き届いた。

昭和59年12月07日(金)

1、西条工場巡回指導。黒崎・玉置・高野

2、巽工場長:研修所卒業生は目に光がある。めりはりのあるものの言い方になっている。

3、昼食:巽、白川、藤井(勤労課員)。黒崎、玉置、高野。

昭和59年12月11日(火)

1、大阪巡回指導 6階で大原副長にあった。立ち止まって挨拶する。

2、終って、第一生命ビル12階“好文”クラブで食事。白鳥・岩脇 黒崎・高野・難波。

昭和59年12月12日(水)

1、クラレ油化巡回指導。

昭和59年12月13日(木)

1、部長会議

2、巡回指導終る。11月27日~12月12日 11日間。

昭和59年12月17日(月)

1、松田洋一さん、岡新さんと会食。松田さんが昨年6月、職務開発室に移動するとき、大原副社長と話す。新しいことをするので頼まれたとのこと。

1-1、黒崎は人事が離さない。

1-2、黒崎は教育に適任だ。誰がみているのだろうかといわれる。

昭和59年12月20日(木)

1、平田本部長へ手紙を書く。23日投函予定。

2、第3回課題作文「生活体験」の添削。

昭和59年12月25日(火)

1、研修所、巡回指導の慰労会兼忘年会。

昭和59年12月27日(木)

1、研修生第三期マスター・カリキュラム(案)発送。

2、鶴風寮で会食。倉敷工場池田勤労課長・小野。黒崎・難波・大田。

昭和59年12月28日(金)

1、研修所掃除。

2、帰宅すると、新井会長から毛筆の書簡がきていた。

  59.12.17 会長あてに手紙をだす。関西師友協会への会長のお名前を使わせていただく手紙。

  本日受け取った手紙でお許しを得た。

1985年(昭和60年)

昭和60年01月11日

1、大阪出張 カリキュラムの打ち合わせ。

1-1、研修生の評価ABCDにする。

1-2、研修生の指導(実技)に各工場の応援を得ること。

昭和60年01月14日(月)

1、3期生のマスターカリキュラムを講師に説明。

昭和60年01月18日

1、2期生中間試験。

昭和60年01月29日

1、研修生の「感銘を受けた書物について」を1回読み終わる。

昭和60年01月31日

1、越川春樹著『人間言志録』を読む。

P.237 「心声の人を感ずるに在るのみ」言志録耋録(岩波文庫P.266)

※至誠より発する声をいう。

「一善書を択びて真読を続くべし」(関西師友のことば)

P.253 「教育の終着点は感化である」

 「化教」の章の語句。言志録耋録(岩波文庫P.286)「教えて之れを化するは、化及び難きなり。化して之れを教ふるは、教入り易きなり」※広島大学竹内先生、退官パーティで第6代学長頼実正弘の挨拶に使われた。

P.272 師友の言葉をみつける。西郷南洲手抄録言志録に記載。言志録後録(岩波文庫P.99)

昭和60年02月02日

1、児島豊和株式会社 AIA開講。応援スピーチ5分。

※こんなことまでしていた。

昭和60年02月21日

1、クラレ六甲山寮、主査研修所に参加

  新神戸よりタクシーで登る。雪のためタクシー(chainなし)で登れない。30分位歩いて寮に行く。

  平田本部長、大原副社長。自己紹介、私という題で自己紹介する。

1-1、コンセンサス討議。

1-2、自律訓練

 昼食の時、平田本部長と話す。研修生の優秀者を社内留学など。

 終ってbeer party。24:30ころ就寝。

昭和60年02月22日

1、相田君の説明。

2、TA、エコグラム

3、Fish Bowl 三回実施。

 Beer party:大沢(研修所所卒)・林(研修所所卒:西条レイヨン製造課長)・清水君と話す。

昭和60年02月23日(土)

1、2分間スピーチ

  上司は部下を知るには3年かかるが、部下は上司をしるのはわずか3日でわかる。

2、清水君:平田本部長が所長の参加されているのを喜んでおられた。

  黒崎:参加者、清水さんの能力に感心していた。

昭和60年02月25日(月)

1、一期生フォローアップ発表会。倉敷9人。

昭和60年02月26日(火)

1、岡山工場一期生フォローアップ発表会。8人。

昭和60年02月27日(水)

1、一期生フォローアップ教育。

2、終わって、青山氏と太平楽で会食。

昭和60年02月28日(木)

1、玉島工場一期生フォローアップ発表会。3人。

2、堀田工場長はじめ全員で22名出席。工場長も小野君の発表を批判してくれる。

昭和60年03月01日(金)

1、昨日、玉島工場での二期生原田君の指導。カール・ロジャーズの勉強と応用を考えるべきだときさいしていた。2020.04.06、下記の記事を掲載した。

参考:「積極的傾聴(Active Listening)」は、米国の心理学者でカウンセリングの大家であるカール・ロジャーズ(Carl Rogers)によって提唱されました。ロジャーズは、自らがカウンセリングを行った多くの事例(クライエント)を分析し、カウンセリングが有効であった事例に共通していた、聴く側の3要素として「共感的理解」、「無条件の肯定的関心」、「自己一致」をあげ、これらの人間尊重の態度に基づくカウンセリングを提唱しました。(図表1)(図表1)ロジャーズの3原則

1.共感的理解 (empathy, empathic understanding)

 相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。

2.無条件の肯定的関心 (unconditional positive regard)

 相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。其のことによって、話し手は安心して話ができる。

3.自己一致 (congruence)

 聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。

 具体的に言えば、「共感的理解」に基づく傾聴とは、聴き手が相手の話を聴くときに、相手の立場になって相手の気持ちに共感しながら聴くことです。「無条件の肯定的関心」を持った傾聴とは、相手の話の内容が、たとえ反社会的な内容であっても、初めから否定することなく、なぜそのようなことを考えるようになったのか関心を持って聴くことです。「自己一致」に基づく傾聴とは、聴く側も自分の気持ちを大切にし、もし相手の話の内容にわからないところがあれば、そのままにせず聴きなおして内容を確かめ、相手に対しても自分に対しても真摯な態度で聴くことです。

昭和60年03月04日(月)

1、大阪一期生フォローアップ発表会。8人。黒崎・玉置・大田。

2、長沼さんと一寸逢った。

昭和60年03月06日(水)

1、西条工場一期生フォローアップ発表会。5人。黒崎・難波・大田。

2、35人が参加。工場長、原動部長(小島)、内藤部長(フイルム)、井端部長(エステル)、徳永部長他。

3、参加者のある課長はアドバイザーがテストされているようなものだという。井端部長、新研修所の役目を十分果たしている。

4、全員がかなり練習していて原稿を読むものはいなかった。

  アドバイザーの一分間説明は効果ある。二期生の傍聴も効果。

  研修生に私は励ましを受けていると挨拶。

4、徳永事務部長、小生をほめてくれる。大学の教授になってもよい。教育に熱心である。最適である。

5、大田君、労務の合理化の話が相当でているとのこと。3/4大阪での話し。

6、白鳥さん、昨日は岡山・玉島、それ以前は倉敷。本日は入れ違いであったが西条にきていた。

7、夕食後、渓石荘で藤井達彦君(総務部員:広大附属高校→慶應:岡山県笠岡市出身)一期生全員と酒を飲む。

8、松山(KEC専務)西条工場幹部慰労に西条にきていた。その慰労会後、徳永、白川がきて一緒に飲む。

昭和60年03月07日(木)

1、西条工場二期生指導。昼食、徳永・白川・藤井と一緒。

昭和60年03月08日(金)

1、午後より、倉敷二期生指導。アドバイザー懇談。

2、58年入社大卒者のアドバイザー。終って研修所で缶ビール2本飲んで帰る。

昭和60年03月09日(土)

1、朝、太田君よりテレあり。

 研修所に泥棒が入った。北の棟の便所の窓を破って研修所事務室の窓を破って入り、太田君の机の抽斗のネジを切って20数万円盗まれる。難波君の抽斗も抜かれ机の上においてあった。所長室もぶっしょくした様子。警察が来て調べる。人事室相田・清水・福盛君も指紋をとられる。

昭和60年03月11日(月)

1、鹿島工場一期生フォローアップ発表会。2人。黒崎・難波・高野。

2、夕食:戸叶・能勢・阿部・林・五十嵐(研修生)・大塚(研修生)。黒崎・高野・難波。

3、能勢部長、小生の教育熱心であることを強調してくれる。

昭和60年03月12日(火)

1、東京一期生フォローアップ発表会:2人。二期生巡回指導。

2、終わって池田総務部長と懇親。

2-1 本社人事 Project チームができるとのこと。

2-2 人事で困っていると応援しますからとの発言。

昭和60年03月13日(水)

1、中条一期生フォローアップ発表会:4人。二期生巡回指導:3人。黒崎・高野・難波。

2、終わって、赤尾工場長・小川・一期生。黒崎・高野・難波。すき焼きパーティ。

※これで全部完了。

昭和60年03月14日

1、協精化学、堀内武君訪問。彼が工場長になるとき社長(上野クラレ社長が兼務されている)が大日精化からいろいろ言われないようにしてくれということであった。仕事は大日の副工場長にまかせておけばよいということであった。協精化学は協和ガス化学の一部課としてやっている。『日暮硯』の話をする。堀内君の家は日暮硯の場所に近い所にあることを地図で示す。本を借りることにする。

2、中野君の自動車運転によって基督教独立高等学園訪問。

3、中野君(一期生:中条工場総務部)と小国駅で別れる。

  米坂線で米沢に出る。駅前の食堂で食事。海軍兵学校の同分隊の飯沢君のことを思い出す。Kiosk で『上杉鷹山公小伝』(300円)を買った。

  奧羽線で福島へ。電車がスイチバックしながら動いているのをはじめて知る。

  福島の駅前交番で東急ホテル紹介される、満室で断られる。もう一度まいもどり東急のセンターホテルにテレするも満室。交番に頼み込み、大亀ホテル紹介。\4,000(飯なし)

昭和60年03月15日(金)

1、大亀ホテルの風呂からの会津磐梯山が美しい。朝日に雪が輝いている。

2、9:16 東北新幹線、初めて乗り込む。新幹線ホームから見る福島は盆地であることがわかる。会津藩“おけい”を思ったりする。現地を知っていると知らないでは……。

3、積雪はどこで終るのか。郡山(9:31着)積雪、磐梯山は見える。宇都宮(10:05着)線路上に積雪はない。大宮→上野。1時間27分の新幹線の旅。

4、東京事務所に寄る。総務部島次長より故仙石会長従四位が決定したと。

5、クラフレックスの二期生林君の案内で神保町の古本屋を案内で回ることができた。東京はさすがだと思った。クラフレックスの事務所で山田販売部長・若桑・アドバイザーの方々と雑談。15:00発で帰岡。

昭和60年03月20日

1、NHK学園社会通信講座「国語基礎コース」申し込む。三期生教育準備のために。

2、高野君、昨日、福岡に巡回。

3、鈴木独立学園高等学校校長先生に『大原孫三郎伝』送付。

昭和60年03月22日

1、訪問記の原稿清書。片山課長に読んでもらう。課長の意見を入れて訂正した。片山君も勉強になりましたと言ってくれた。連絡月報(Kurashiki Rayon 1965 連絡月報の April 号:20年前)に投稿したのだが、指めいされたものであったが、今回は福盛君から寄稿をすすめられた。

※関連:黒崎昭二リレー随筆

*NHK文章教室受講、研修生に作文を書かせているので率先して模範を作る必要を感じている。

昭和60年03月25日

1、クラレタイムス投稿。基督教独立学園を訪ねて。広報部の人が来倉していたのでことづける。

2、鈴木校長先生の奥さまからハガキ受け取る。

昭和60年03月26日

1、広報部大藤部長より小生の原稿5月号に載せると連絡あり。4月号は会長の追悼号にするとのこと。

2、新入社員(高卒)養成教育で講話。躾(出船、入船、5分前、あいさつ、メモ の話をする。草柳大蔵氏の話もまじえて。

3、倉敷工場2期生の品質管理の特別講義を難波君が実施。

昭和60年04月18日

1、3期生カリキュラム(前期)検討。岩脇・森山・黒崎・大田。

①考える教育を打ち出す。

②電算機は後期のみにする。

③スクーリング期間の効率をはかるため Work Shop は時間を6~8時間にすることを考える。

2、其の他

2-1、小生の研修所長への案は58年6月13日の約6ヵ月前に決まっていたとのこと。清水課長が強く推薦した。(岩脇君)

  57年10月、Project部→ビニロン部長転出直後からであったことになる。誰が決めたのかは不明である。

  58年は菱田さんはクラレにいたから、多分研修所人事に関与していたと思われる。

2-2、平田さんが手造りで小生に任せるといわれた。それから一切口をはさまないと、小生がいうと、これから所長に相談に行く(岩脇君)。

昭和60年04月23日

1、佐藤守君(昭和25年入社)からテレあり。クラレタイム4月号を読んだと。女房にも読ませる。

2、波多野君、鈴木校長先生にタイムス送る。

昭和60年04月24日

1、金丸君(特許部)クラレタイムスにいいこと書いていた。

2、福盛君、名文を書かれていた。今後も外部情報をどんどん書いた方が良いと思います。

昭和60年04月25日

1、主務職昇進者研修:25~27日。岸本、安倍、五十嵐、河本(研修生一期生である)。

2、平田本部長来所。タイムスに書いていましたね。

2-1、大原孫三郎伝、外部の人が欲しがっている。研修生に読ませたい。思想の強制になりはしないか。副社長はどう考えられるか、ということを言われる。

2-2、研修生の社内留学案を提案。人事制度の中で検討したい。明確な結論は得られず。

2-3、講師の人事について白鳥さんとは話しているか。二人について検討して欲しいと申し上げる。一人については聞いている。一人については以前聞いている。若い人の順番制はよくない。年配の人がよい。全人格者を強調して賛成を得る。白鳥さんとよく話してみると返事されて帰る。

2-4、社史の原稿を読みなさいと見せられた。

3、道場、クラレタイムスの話が出る。

4、岩脇、文体を変えたのかという。扇谷正造氏の考え方を話す。

5、浜田美治さんよりテレ。中村春彦君の餞別発起人になってくれと、了承。

6、QCのカリキュラムについて岩脇・森山に話す。難波・黒崎。森山君に事務単独のときは講師になるようすすめる。

昭和60年04月26日(金)

1、大原副社長、新井会長に手紙投函。

2、武藤(昭和25年入社)、クラレタイムス、黒崎の記事を最初に読む。

3、波多野ハガキ受信。「貴兄の玉稿(クラレタイムス)輝きがあるぞ深く敬意を表したい」

4、クラレタイムスに投稿して。21人の反響について記録している。その中で

 田辺(女)、岡山いのちの電話の会誌にクラレKGに書いていたのがタイムスの記事で所長であることが分った。

 60.4.27 遠山、主務職昇格研修に参加。中条荒川の付近の生れ。懐かしく。学校のこと知りませんでした。

昭和60年04月27日(土)

1、午後、60年度主務職昇格者研修会オブザーバとなる。

  事例研究の話を聞きコメント。

1-1、上、横の活用・連絡。

1-2、新井会長「性相近く、習いは相遠し」で勉強の必要性強調。

  パーティ:多くの人が話しかけてくれる。研修所卒業者はどんなことでもはっきり発言でき、しっかりしていると参加者の一人はいっていた。発表の席でも安倍・岸本・河本は発言していた。

2、清水課長、小生の参加をよろこんでくれていた。

3、終って大正亭で御祝い。安べ・岸本・河本・五十嵐の4人と大田。

4、河本と沙知に行く。

5、沙知での会話

5-1、店主「黒崎さんはきびしい人だ」という。

5-2、「にこにこ飲み、ぐでも言わないのにどうしてそんなに思う」

5-3、「なんとなく、けじめのあるものを感じる」

5-4、「そんなものかな」

5-5、河本も「所長はきびしいひとである。きびしいが人のこころをつかむやさしさがある」

昭和60年04月29日(月)

1、クラレタイムスについて

  村本工場長:タイムスの記事は良かったですね(労務担当であり文章家の村本さんにこんなことを言われるのはうれしいことである)。

  槙野君:対話の雰囲気がよく伝わってきました。

2、諸橋徹次『古典の叡智』(講談社学術文庫)\260

昭和60年05月10日

1、午後、岡山工場。青山さんに第三期生の選抜にあたり推薦順位をよく考えてくれるよう依頼。素直でファイトのある人間を考えるよう。終って笹崎君も同席で話す。あまり熱心にいままでやっていないようであった。

昭和60年05月13日(月)

1、二期生後期スクーリング開始。

昭和60年05月14日(火)

1、8:15~10:15 オリエンテーション

2、大掃除:前庭の草とり。草を抜きながら研修生の話を聞く。

3、太田君:玉置・高野・難波は草取りせず何ですかとこぼす。講師室を研修生が掃除に来ても椅子から立とうとしない。

4、昼休み、リンガㇹン流す。大塚君一生懸命に耳を傾けている。

5、小尻君3年前から本を買い集めている。

昭和60月05月18日(土)

1、所長講話:10:00~12:00

2、体育:体育館13:00~15:00

昭和60年05月20日(月)

1、大ニュース 上野社長→会長 中村副社長→社長

昭和60年05月21日

1、倉敷工場で臨時部長会議あり。

  4月から中村新社長は内示を受けたとのこと。

  代表権なし 上野他一新会長

  代表権あり 中村尚夫新社長(25年入社) 61歳

  代表権あり 大原謙一郎副社長 45歳

昭和60年05月22日(水)

1、日経人事

 会長:上野他一 社長:中村尚夫

 取締役:戸叶常雄・西本豊・村本浩・桜田洋

 退任:矢吹伊勢郎→クラプラ副社長

    角田要次郎→クラレトレーディング社長

    鈴木嘉一

2、研修生、玉島工場見学。堀田工場長・市原総務部長と雑談。

昭和60年05月23日(木)

1、部長会議 村本氏、取締役候補になったと挨拶。

2、人事:清水、白川が主幹になった。岩脇・門田が主査になった。

3、研修所、本試験。

昭和60年05月24日(金)

1、研修生試験終る。

2、2時限『日暮硯』28ページ読んで聞かせる。堤清二解説訳『日暮硯』(三笠書房)、『日暮硯』(岩波文庫)あり。

3、研修所寮に泊まる。

昭和60年05月25日(土)

1、昨夜、23:15まで研修生と雑談。今朝、4:00頃、眼が醒める。『Will』を読む。三国志関係。

2、朝風呂にはいる。

3、研修生と話し、指導者としての仕事をしていると、一緒に勉強してきた研修生がすくすくと成長してくれることを考えるようになっている。

4、所長講話 10:00~11:45

5、広常人世岡大教授「曹操と諸葛孔明」12:30~14:00 講演テープを採る。

6、中条工場高地君、出張の途中で寄ってくれる。五十嵐君、感激して日記に書いていた。

7、第二期生、宝福寺坐禅に行く。

※関連:研修生坐禅

昭和60年05月26日(日)

1、宝福寺。起床、登山、読経、法話、食事、坐禅。帰る。

昭和60年05月27日(月)

1、二期生の成績が出た。

2、生産:川村 坪田君と接戦

  設備:槙野(大田講師、池田課長に行動を聴取。問題ない)。

  電気 中川

  事務 小尻 三村と接戦

3、田中善喜君来所。研修所の教育を聞かせてくれと云ってくる。

昭和60年05月29日(水) 1、午後、村本工場長講話。

2、中野幸次『わが体験的教育論』(岩波新書)\430

昭和60年05月30日(木)

1、全員面接:1~3時限

2、4時限 井本中研所長講話。

昭和60年05月31日(金)

1、8:10~9:00 ヘルスケア

2、9:00~10:00 各科講師~研修生懇談会

3、10:00~11:00 生産事務:黒崎 「即席談」「結婚」について。

          設備:玉置

          電気:高野

4、11:00~12:00 号令、基本操作

  12:30~14:30 号令、基本操作

5、14:45~16:40 白鳥副本部長講話

6、16:00~16:30 長沼氏と高野氏の転部の話し。

7、17:00~18:30 研修生全員懇親会。労働会館で。白鳥さんも参加。指導された方々も招待。二期生より掛け時計・置時計を研修所に贈られる。

8、18:30~22:00 白鳥氏と飲む。

9、22:00~01:15 寮で雑談。

昭和60年06月01日(土)

1、5時過ぎ、目がさめて男子寄宿舎の風呂にはいる。6時前に所長室に入り、本日の講話の準備。日記を記入する。

2、10:00~12:00 講話。優等生を発表する。川村・槙野・中川・小尻。

3、12:00~13:30 ごろまで、食事しながら入所時の1分間の自己紹介を見る。子供子供していたな、今は大きくなったという思いがした。

昭和60年06月02日

1、研修所に 8:45 ごろ着く。

2、10:00~14:50 4分間スピーチ。

 本社:森山 岡山:杉本 倉敷:池田・小野 玉島:道場・宅間 出席。

 それぞれ感想コメントをいただく。

3、15:05 全員に認定証を一人一人に渡す。

4、研修生、終わってソフトボール大会をしている。

3、17:00 大正亭で本社:森山、岡山:杉本、倉敷:小野、玉島:道場、研修所:黒崎・難波。お礼のコンパ。

4、席上の話題。

杉本:8月頃、研修所で従業員の宿泊研修をする。講話の依頼。

森山:越智中央執行委員長が「研修所は黒崎道場」だと言っている。

道場:研修所は黒崎のものだ。もう4、5年早かったら、これだけ人間を作ったのだから重役だ。「研修所は黒崎が作った」と、白鳥氏がいったとのこと。

昭和60年06月03日 2期生終業式

1、いつもの通り研修生は草ぬき、クラレ体操2回、その後、大掃除。8:45 帰寮して背広に着替えて 9:30集合。

2、式次第:修業証書授与。優秀者表彰。研修所式辞。副社長訓辞。修業者答辞。社歌斉唱。記念写真。記念会食

2-1、副社長:あいさつで小生の修業式の話を引用される。式場を出られる時、ご苦労さんと言われた。

2-2、平田本部長:所長は信念をもって教育にあたる。今の教育システムは波及効果が大きく、所長が巡回して人物評価してくれている。研修所は続ける。研修所は知と徳の教育である。

『ラ・ロシュフコー箴言集』 二宮フサ訳 (岩波文庫)

 情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。それで情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させるのである。P.13

2-3、越智中央執行委員長:クラレタイムス60.4月号引用して「学校の校門がない」に関連して話される。

昭和60年06月06日(木)

1、玉島工場に行く。AIAの準備のため 道場君に会う。

昭和60年06月07日(金)

1、玉島工場でAIA実施18名。

2、堀田工場長少し見学していた。

昭和60年06月19日(水)

1、大阪出張 第三期生の研修所についての会社説明会の計画。白鳥氏と話す。

1-1、現状認識

①3期の研修所要領についての認識がふ揃。

②アドバイザーと研修所の communication はよくできている。

③ホローアップで職制(部課長副長)と接触している。ふ揃である。

④文書だけでは研修制度については徹底しない。

1-2、巡回説明

①、研修所黒崎、労務白鳥さん担当。

②、内容 研修所スケジュール(スクーリング3回 18カ月)。カリキュラム(前期)。アドバイザー制度。

昭和60年06月20日(木)

1、村本工場長より話しあり。笠田専務からテレあり、高野君 7/1より生産技術本部 6/26内示予定。笹原君7/1より研修所講師兼原動主任部員。

2、其の他 前田力さん、倉敷運輸やめる、後任:村上氏。熊井、岡山KEC(中川君の後任)。北山、倉敷(熊井の後任)。

3、西条白川君よりテレあり。西条中央病院に香川医科大学の先生に来てもらいたいので事務長と西条出張時に話して欲しい。

昭和60年06月25日(火)

1、人事異動内示

  高野君→本社。後任、笹原君(村本氏から連絡)。

  大田→玉島工場副長。後任、中山(白鳥氏から連絡)。

昭和60年06月27日(木)

1、部長会議。倉敷工場、研修所、中研の人事異動について説明。

2、五百川さん・池田課長と研修所教育について雑談。五百川さん、小生の話を聞きたいと言ってくれる。

昭和60年06月28日(金)

1、堀内武君来所。

昭和60年07月01日(月)

1、6/28付 組織改訂 人事異動あり

  赤尾:中条工場長→鹿島工場長

  尾崎:中条工場長

  戸叶鹿島工場長→クラレイソプレンケミカル社長

  松田俊男:クラレイソプレンケミカル社長→クラレ顧問

  矢吹:クラレ常務→クラレプラスチック副社長

昭和60年07月02日

1、長沼本部長に笹原君の件で電話。研修所が主であるから「余裕があったら電気」の業務だとのニュアンス。

2、小林成一さん送別会。岡山工場北社宅の中の寮で。小林・池永・玄馬・天野・溝部・近藤・水谷・岡・杉田・黒崎。

昭和60年07月03日(水)

1、中山君が引継ぎに来所。活発に発言する。

2、歓送迎会 鶴風寮:高野・笹原・大田・中山。黒崎・玉置・難波。

昭和60年07月04日(木)

1、3期生についての説明会。

2、白鳥氏がはじめ20分同席、その後一人で説明。

3、玉島→三原→今治→蒼海寮

  徳永・白川・藤原労働組合委員長と会食。

  終って労務関係の情報交換→麻雀。

4、越川春樹先生にテレ。先生が合って下さることになる。自宅への訪問許可。

5、巡回予定:7/4玉島、7/5西条、7/8鹿島巡回説明1人で、7/9東京、7/10中条、7/11KP、7/12大阪、7/17KC・岡山。

昭和60年07月05日(水)

1、6時前に目がさめる。雲が多いが晴れている。瀬戸内の浜辺に打寄せる波の音、船のエンジンの音、魚がとびはねる。二階の宿泊室から窓をあけて眺める。

2、白鳥さんと雑談

 中山君に組織を通して仕事をするよう厳しく言っている

 システマティックな教育体制を作って人が替わってもシステムは残ることを考えよう。

3、西条中央病院の事務長本田氏と面談

 この先生ならあの病気に強いという柱の医師をもらいたいと考えている。心当たりがあったら知らせて欲しい。入野昭三先生(香川医科大学学長:海軍兵学校76期同期)のスタッフを考えてみたい。香川からこられるのであれば第三内科のようなものを考えてみたい。少しポイントがわからないので今後の協力をして別れる。

5、西条工場のアドバイザーと上司に説明。

6、二期生川村君と10分間ぐらい話す。6月3日修業式のとき奥さんのお母さんがなくなられた一週間までの寿命と宣告されていたが修業式の日まで生きておられたと。その間に娘婿と研修所を全うすることを話していたそうである。

昭和60年07月08日(月)

1、鹿島工場に行く。巡回説明一人。

2、科目別アドバイザー5名と門田君。

3、説明後、一期生・二期生と雑談。

昭和60年07月09日(火)

1、鹿島 センターホテル 5時15分に目覚めた。

2、東京事務所で説明会 5人に説明

3、八日市場に行く。越川先生に面会のため。

4、11:45東京発(成東:なるとう)回り銚子行き総武線、しおさい特急。→錦糸町→船橋→千葉→佐倉→八街(やちまた)→成東→八日市場で下車。タクシーで光町。先生のお宅へ。

※渡辺五郎三郎『トップと補佐役の人間学』『組織の中の人間学』を頂いた。

5、歓待される。ビールを御馳走になる。

6、クラレタイムスに投稿するお許しを快諾された。森山君に書くことを依頼されていた。

7、クラリーノと大手饅頭の手土産。

8、娘さんのお話などうちあけて話していただく。娘さんの一人は東レの人と結婚。

9、庭先で記念写真をとり、お別れする。

昭和60年07月10日(水)

1、上野駅で防衛大学の白服姿が。夏休み帰郷か。なつかしく眺める。長髪ではないが刈り上げている。少しきになる。テキパキした印象はもてない。

2、上越新幹線に乗る。

3、中条駅を降りるとき、尾崎泰司さんとばったり会う。赤尾さんとも同じ電車であった。

4、2期の説明会 次長・課長(直属)他4名と。

5、終わって中野君の案内で堀内君に会いに行く。大日如来の老寺、日本海をみるための海辺に行く。

6、夜、アドバイザーと男子寄宿舎で懇親会。

昭和60年07月11日(木)

1、中条→新潟→上野→東京→名古屋→羽島。

2、クラレプラスチック説明会。始めて研修生が入るためと新制度について説明する。

  菅原君がクラレトップも非常に関心と期待を寄せている。小生の話を聞いて本当によかったと思うと。

  中村春彦君取締役工場長になっていた。家に泊めてもらう。機械の次長:平田と酒をよばれる。ゆたか君、岐阜大学医学部小児科大学院生、娘は岐阜大学農学部大学院生。

昭和60年07月12日(金)

1、クラレプラスティックス菅原君、羽島駅まで送ってくれた。途中、法永寺(小沢道雄著『本日ただいま誕生』:著者が住職)にお詣り。無住職になっていた。

2、大阪本社での説明会。

  平田本部長に巡回の結果報告。退席されるとき「よろしく」と丁重に挨拶される。

  飯野常務にあいさつ。

  湯面さんと雑談。池永さんと面談。

  水島(労組本部書記長)と中高年活性化論議。家庭学習を強調。相田君と雑談。

  長浜氏と雑談。社史には個人のことを書かないのが方針。クラボウの人からクレームがついた。

  伊藤君、森山君と会食。談論風発、教育の人事労務一本化を提案。シニア研修所ができた場合、黒崎校長だとの談。会津若松の出身。サルトルの意志決定論。

  森山君「独立基督教学園を訪ねて」は評判がよかったと。

昭和60年07月15日(月)

1、中村春彦、川村君(二期生)にハガキ。

2、森銑三『著作集第十二巻』(中央公論)\1,800

昭和60年07月16日(火)

1、越川先生に礼状を出す。

2、倉敷工場三期生説明会。成相氏もきていた。

昭和60年07月17日(水)

1、越川春樹『一隅を照らす』一回読み終わる。

2、クラレケミカルへ三期生の説明に行く。武藤(昭和25年入社)・角・松村その他の人に会って説明。

3、ブルーハイウエイ 難波君の運転で岡山工場に行く。

4、青山・大野・杉本にアドバイザーの選任について話す。

5、研修生の上司、アドバイザーに 14:00~15:10 説明。その後、白鳥氏が説明。

※これで全工場説明完了。

6、白鳥氏と中山君の仕事について話す。

昭和60年07月18日(木)

1、松田洋一さんよりテレ。

1-1、玉置にテクノソフト応援してもらいたい。原田社長が 7/22か7/23 に説明に小生のところへ来る。

1-2、秋山君、透析をかけているとのこと。

2、研修所講師打ち合わせ。

2-1、中山君の仕事の責任範囲

2-2、発送業務は全員で応援する

2-3、三期スクーリングの詳細を立案

昭和60年07月19日(金)

1、玉島工場で AIA 宅間五郎君、新倉敷駅に自動車で迎えにきてくれる。玉島昇格者(上級職・主務職・副長)

昭和60年07月20日(土)

1、玉島工場での AIA 最終日。市原部長が駅に迎えにきてくれた。

2、AIA 参加者の発言。

2-1、教育を受けたことに感激。

2-2、人生設計等考えたこともなかった。

2-3、積極的でないこともよくわかった。

2-4、エステル・レイヨンの人たちとお互にしることができた。(顔を知る程度であった)。

2-5、研修生のレベルを知ることができた。

昭和60年07月21日(日)

1、岡山師友協会に出席。自転車で行く。

2、帰去来。論議が盛んで面白い場面であった。

3、出席していた婦人に「どこの学校の先生か?」と問われる。「会社の先生である」と答える。

昭和60年07月22日(月)

1、石飛君退社するので激励のハガキを書く。

2、玉島工場道場君より AIA 指導の礼のテレあり。

3、越川春樹先生訪問記のクラレタイムス投稿依頼を受ける。広報部和久井課長(後、クラレ社長)より。タイムス2頁。8月8日まで。本の表紙に書いて頂いたものを送る。

4、タイムスに投稿することにより研修所の活動を社内に知ってもらう。

5、黒崎がどんなことに関心を持っているかを知ってもらい、間接的に研修所に対する信頼度を高めることをねらう。

6、クラレマンの人間成長のために何か寄与したい。

7、岡山工場、滝沢・杉本が研修所での高卒社員のフォロー教育の打ち合わせに来所。

8、62年7月8日、滝沢さん勤労課長栄転の御祝いを複写ハガキでだしている。

昭和60年07月25日(木)

1、片山課長、クラレタイムス投稿予定原稿通読して注文をつけてくれる。訂正・添削、読める様になった。来週、広報部に発送しよう。

2、松田洋一さん来所。雑談。

2-1、西条時代、中山君、突然、社宅に来る。

2-2 労務は人が足りないのでこんな配置を?

昭和60年07月29日(月)

1、三期生について

1-1、研修所のすべてをまとめるようにすること。中山。

1-2、前期スクーリング、毎日1分間スピーチ。

2、クラレタイムス投稿8月号清書。「三学の師・越川春樹先生」 60.7.30 広報部に送付。

昭和60年07月30日(火)

1、クラレタイムス投稿。

2、山田琢『山田方谷・三島中洲』(明徳出版)1,500円。越川先生より推薦された。倉敷市図書館小野敏也氏の好意により山田琢氏のサイイン入り入手。

昭和60年08月08日

1、中村新社長来倉。主査以上に就任の挨拶。主幹以上、ヒル会食。飯野常務随伴。

2、組合の夏祭りを少しみて帰る。

  越智委員長と話す。三期生は厳しくすると。

  川村君の義母が死ぬまで、川村君の研修への心配りを黒崎が宿直の時、話している。外の人ならしていないであろうと言われる。

昭和60年08月09日(金)

1、山田琢先生に手紙を出す。

2、二期生の自学自得を夫々発送。今回、総務労務本部に一部送る(平田本部長)。他は上司・アドバイザーを通して修業生に渡るようにする。

3、研修所の庭の草取り。

昭和60年08月12日(月)

1、第三期生入所式 9月4日に決定。白鳥氏より。

  本社よりは飯野・平田・白鳥来所。

  村本・井本・越智・五百川に電話連絡。池田勤労課長には口頭連絡。

昭和60年08月13日(火)

1、大原副社長の担当はクラフレックスとディスク関係の鹿島工場であると。中村社長の考え方はきわめてはっきり打ち出されている。

昭和60年08月19日(月)

1、岡山工場高卒フォロ教育於研修所。13:00~14:30 所長訓示。。

昭和60年08月20日(火)

1、岡山工場高卒フォロ教育。初めてであるとのこと。

  即実行・礼儀・下駄の並べ方・あいさつ・集中力・メモ・英語の勉強・読書・日記を書く等々。

昭和60年08月21日(水)

1、山陽時事問題懇談会に出席。松原泰道氏、「人間復興」について。

2、記念に、松原泰道著『禅語百撰』(祥伝社)に「曹源一滴」と書いて頂いた。

昭和60年08月26日(月)

1、EVAL人工腎臓部門賞一級受賞記念電卓二本木君からいただく。

昭和60年08月28日(水)

1、滝沢君来所。先日岡山工場高卒フォロ-教育で多くの人が感想に小生の話を書いていたとのこと、今後ともお願したいとのこと。

2、岡山工場主査研修所に講演したいから機会があれば呼んでもらうように依頼する。

昭和60年08月29日(木)

1、クラレタイムス8月号入手。越川春樹先生を訪ねて反響を整理すること。

2、タイムス編集メンバー高野奈奈さんに会った(10月8日)。

  中村春彦、小林成一、駒津、笹崎、金丸、江口さん、浅野正司君たちが読んでくれていた。

3、部長会で研修生のスクーリングで挨拶の励行させることを説明。

 村本工場長、全部長に挨拶の励行と掃除要望。

昭和60年09月02日(月)

1、第三期生、前期スクーリング開始。60年9月~62年2月、follow up 8月終了。

昭和60年09月03日(火)

1、研修生に訓示。

2、電気、事務一人五分ずつ面接。現在一番やりたいことは何かという質問する。

3、庭掃除、入所式の練習、会食のマナー、クラレ体操の指導等適切、やってみせ、やらせることをしている。

4、研修所寮に宿泊。二日間、中山君と同室。

昭和60年09月04日(水)

第三期生入所式

1、飯野常務 平田・白鳥・伊藤・村本・池田・井本・越智・五百川

  黒崎・玉置・難波(秋山と替わっている)・笹原(高野と替わっている)・中山(大田と替わっている)。

  今回はじめて飯野常務訓示

  越智さんの祝辞でクラプラ・クラレケミカルの研修生入所をクラレ連邦経営の一環として会社に要請していた。黒崎所長を尊敬している。

  村本工場長、研修生が日照りの中で掃除、剪定、玉砂利をふるいにかけていた。感心した。

  池田勤労課長、会食で自分が椅子にこしかけるまで研修生が着席しないのには驚かされた。

  片山事務課長、帽子をぬいで挨拶されるのは恐縮。

  研修生のマナーは一を聞いて二までやるようである。

  テーブルスピーチ:小板・増田・岡。

  平田本部長、自学自得にふれられる。

2、四項目唱和。体操:合わせるよう指導。役割の効果(KPの藤井君の指導性)。規律訓練。躾・礼儀作法。掃除指導。

3、規律訓練

3-1、藤井(倉敷環安室)指導。研修生小野君(中研)補助。

3-2、二期生にくらべてはるかによい(藤井発言)

3-3、二列縦隊で行き帰る(研修所所⇔グランド)特に帰りはかけ声をかけながら帰ってくる(五百川委員長の奥さんがご主人に話した)

4、三期生は元気で素直

4-1、資質なのか、年齢構成なのか。

4-2、オリエンテーション、指導者(中山君)がよいのか。

4-3、役割を積極的に活用しているからか。

4-4、指導内容とその順序がよいのか(カリキュラム)。

4-5、一・二期の積み上げ効果が影響しているのだと思う。

昭和60年09月05日

1、浜田美治さん、倉敷工場来場。昼休みに藤井・倉重君に合う段取りをした。

2、渡辺五郎三郎氏より署名入りで『組織の中の人間学』本の恵存。

昭和60年09月06日(金)

1、役割の指導:気のついたことを役割リーダーを通して注意、全員に徹底させる→リーダーが自発的に気のついたことをリードできるよう指導。

2、朝の体操:唱和:研修生に順番に発声させる(9月9日より実施)。

3、一分間スピーチ第二回目。訓練成果表れる。基本的には考える能力があらわれる。

4、入所5日目で実力テスト。

5、事例研究:18:00~20:20時間外。初めてのケース。疲れも見せず。

6、昨日の規律訓練は評判がよい。けじめ、スマートな切り替えの訓練と受け取るものあり。藤井君のキビキビした訓練と休憩時間のリラックスに感銘をうけていた。指導者が率先すれば部下はついてくる。

昭和60年09月10日(火)

1、事例研究

2、一分間スピーチ、後半分が発表(四回目)。

昭和60年09月11日(水)

1、授業なし。

2、スポーツ。亀山、国司リーダー。一回目より指導力発揮。

3、西条:藤井課員、AIAコーディネーター実習のため来所。9月8日(日)笠岡の彼の家に西条工場の研修生全員訪問。挨拶、礼儀と作法、一分間スピーチが話題になったとのこと。

4、ビデオによる教育。実験化学は役にたったようである。

昭和60年09月12日(木)

1、AIA実施初日:1班黒崎31名。2班中山31名。

  午前中、1班黒崎。午後、藤井君(西条工場より実習に来ていた)

2、道場課長見学に来所。

昭和60年09月14(土)

1、所長訓話。

  訓話の中で一分間スピーチが下手だと自分で思っている人を励ますことができた。

1-1、人前でのスピーチが上手にでないと思う人、上手であると思う人の挙手を求める。前者26めい、後者3めい。

1-2、26人のうちの赤沢君(私がみて上手になっている)の話し方は上手になっているかと問うと、全員そうだと挙手。

1-3、当人に挙手の状態をみせる。

1-4、紅潮してみなさんに「こんなにうれしかったことはない。人を褒めることとの大事さを知りました。これからは激励する人になりたい」、と表明。20歳の赤沢君である。

1-5、約三時間後、一分間スピーチの訓練。

2、GDI社、服部氏にハガキを出す。

昭和60年09月16(月)

1、AIA三日目。

昭和60年09月17(火)

1、AIA四日目。

2、三期研修生にたいする評:藤井(環安)きっちりしている。

昭和60年09月18(水)

1、事例研究に玉島道場課長、宅間、倉敷工場小野見学。

昭和60年09月19(木)

1、宝福寺体験作務で「禅寺で汗をたらしても貴重な体験であった」という。

2、三期生の規律訓練はすがすがしかったという。

3、共通していることは宝福寺の指導僧と藤井君とがきびきびした態度で終始して圧倒していること。そのうえ汗をかきすっきりした気分になったことであろうか。

4、論客の説得

4-1、師友会での古典の発表にあたっては字句に関連した古典を引用説明することであると思う。

4-2、科学では再現性のある実験事実であると思う。

昭和60年09日20日(金)

1、三期研修生スクーリング最後の日。面接指導。

2、中山君の指導のしかた(肯定の否定)。大体良好。

3、研修所の草取りは伝統になっていた。三期生は自分たちの意志でここまでやった。私は待っていた。動機付けの無意味さの証明。

昭和60年09月21(土)

1、研修生を送り出して。やりとげたという充実感・達成感あり。

2、村本工場長に挨拶。

3、スクーリングの整理。

3-1、礼儀と作法。

3-2、一分間スピーチ

3-3、唱和 精神的安定。

3-4、掃除:寮の庭掃除自主的。

3-5、規律訓練: 指導者の大事さ。

4、清水氏より本を送ってくる。

昭和60年10月04日(金)

1、越智・五百川氏と黒崎・中山会食。アイビスクエア。11:00~13:00

昭和60年10月08日(火)

1、本社に出張。中山君同道。

2、期生前期スクーリングの報告並びに意見具申。

2-1、中期スクーリング、江田島に行く。

2-2、勤労部課長会議倉敷開催。

2-3、スクーリング参観。

2-4、後期スクーリング、試験日検討。

2-2、ワークショップ。

2-3、躾の体験。

3、成人教学研修所伊与田覚先生訪問⇒本社にはレポート送る。

昭和60年10月12日(土)

1、独立基督教学園 朝のNHKテレビニュース。63年4月島根県江津に分校設立。小国の学園鈴木校長先生の姿がテレビにでた。 キリスト教愛真高等学校 インターネットによる。2020.04.13

昭和60年10月24日(木)

1、岡山高卒 follow 教育。講義13:00~14:35

2、江口保さん(クラレ中研→倉敷工業高等学校先生)に電車の中で逢う。クラレタイムスを読んでいます。立派な人を発掘してください。シリーズで他の本にだしなさい。

昭和60年11月07日(木)

1、副主査研修所。7、8、9日の予定で。人事主催。

昭和60年11月08日(金)

1、平田本部長に板敷の部屋を作りたいと話す。

2、畳にして床の間、掛け軸等を話される。福利施設の何から手をつけてよいかわからない。見積もりが出たら案を出して下さい。次のスクーリングまでが希望ですね。費用については一千万円ぐらいかと言われた。

  百万円ぐらいだと申し上げる。経費削減もありますので。

昭和60年11月14日

1、岡山高卒 follow教育第三回目。立腰、唱和を実施評価することを試みる。姿勢が正しくぴりっとして話(90分)を聞いてくれたように思えた。社内外の研修の講師に頼まれたら応用する。

昭和60年11月20(水)

1、倉敷中央高校弁論部見学訪問。難波・中山・黒崎。

  心の平安と宗教のような即席弁論 難なくこなす高校一年生(中学卒業後八ゕ月足らず)でも堂々と発表できる。日頃の精進を見せつけられる。研修生に教えなくては。

昭和60年11月22日(金)

1、研修所静坐室について平田本部長に手紙を出す。

昭和60年11月27日(水)

1、玉田先生『立腰教育二十年』拝受。(森信三先生の弟子)

昭和60年11月28日(木)

1、研修所一部改修の件 平田部長より畳の部屋として中洲寮使用の提案あり。

昭和60年12月02日(月)

1、岡山工場高卒follow 教育。4回目。一時間三十分。立腰指導。二十分立腰のまま講義。途中で十分、終りにもう一度。

2、巡回指導に出発。笹原、中山君と。

昭和60年12月03日

1、3期生巡回指導。12/3鹿島、12/4東京、12/5中条、12/7倉敷、12/11岡山、12/12玉島、12/17クラプラ、大阪、12/18西条。

昭和60年12月04日(水)

1、鹿島ホテル・リオ→東京

2、池田部長他外2名と会食。一分間スピーチに共鳴される。

昭和60年12月05日(木)

1、センターホテル東京→中条

2、指導終って寮で懇親会

  一期生(松村・小林・河内・水戸部)、二期、三期生。尾崎工場長・植草次長・小川課長。

2、尾崎さんと中条町長熊倉さん(海軍兵学校75期)表敬訪問。 

  町長、研修生入所成績はあまりよくなかったが修業時にはトップクラスであった。一企業の研修についても暖かい配慮されていいて教育の波及を知らされる。

昭和60年12月06日(金)

1、中条の寮。六時半起床。風呂に入る。

2、中条駅に佐々木君見送りに来てくれる。夜勤だったとのこと。本当に好青年である。

昭和60年12月07日(土)

1、岡山工場主務職研修会準備。

2、8:30、杉本君迎えにきてくれた。

※写真をクリックすると拡大された画面になります。

3、ゼンセン友愛の丘で一時間半講演。岡山県岡山市北区建部町福渡1188。

4、ゼンセン弁論大会が開催されている。河田次弘君に合う。岡山高卒follow 教育後の感想文、黒崎さんの訓話について多く書いている。

昭和60年12月10日(火)

1、越智委員長に森信三先生インタービュー記事をことづける。

2、青山氏:研修所長が高卒の研修に力を入れてくれている。畳の部屋で静坐を考えている。

3、倉敷工場巡回指導。講師全員。

4、水島組合本部書記長:研修にアイデアを次々と入れて教育している。

昭和60年12月11日(水)

1、岡山工場巡回指導。三期生に「立腰」の簡単な説明と実行。

2、橋本君に滴一滴を毎日書き写すようにしなさいと話す。

3、研修生の上司との懇談。スクーリングの僅かな期間で研修生が変わると思うのは教える側の思い込みがすぎる。研修生の人間性を無視するような添削をしないように。

4、大野勤労課長:高卒の研修でも効果をあげている。部署によりピシッとしているのとそうでないものとみられる。

5、小生の添削について尾崎工場長、関谷課長は感謝している。

昭和60年12月12日(木)

1、玉島工場巡回指導。

昭和60年12月16日(月)

1、自衛隊連絡所(岡山県庁内)に江田島見学について聞きに行く。。

昭和60年12月17日(火)

1、クラレプラスティクス巡回指導。昼食:中村・田中寧・菅原 黒崎・中山

2、菅原さん(勤労課長)研修所に入所させてクラレとの壁が低くなっていると発言。喜ばしいことである。

3、大阪巡回指導。 

  白鳥氏と話す。

① アドバイザー・上司の三期生への役割がよく回転している。

② 二期生の follow up 教育についてクラレタイムスに載せること。

③ 夕食:清水久良・森山・中野 黒崎・中山。

昭和60年12月18日

1、大阪南港⇒東予港フェリー(オレンジ2)。

  5:30、東予港に6:00入港予定とアナウンスされる。

  藤井君、東予港に来てくれる。

  6:20、渓石寮に着く。AIAの実施状況を聞く。西条中央病院と合同で実施。中央病院事務長、これからも是非つなげてゆきたい。勤労曽根さんAIAコーディネーター受講。服部先生が私たちが作ったデ―タを使ってクラレも力をいれていると紹介され嬉しかったとのこと。

昭和60年12月22日(日)

1、片山課長:本社の人事の若い人たち「黒崎は教育に最適、人事配置がこれほどうまくゆくと良い」と、言っていた。大原副社長もほめていた。


昭和61年01月01日(水)

1、二、三互礼会 10:30 倉敷国際ホテル 出席する。

2、帰りに上田君(中央研究所)の車に便乗。阿久津・矢部・小林成一さんクラレタイムスを読んでいる。年賀状に今井。松原氏が書いてくれている。

3、越智さん「致知」の記事を組合本部研修生の奥様に配ったとのこと。

4、守谷さん(三楽)に『大原孫三郎伝』を二回いただいているのでお礼を述べる。

昭和61年01月03日(金)

1、自伝に取り掛かる。個人年表を作ってみる。

昭和61年01月06日(月)

1、初出勤。

2、越智・小橋・水島三役来所。森信三『一日一語』贈る。

3、クラレユニオンで、社長~越智対談では研修所のことをいつも話している。伊藤文大・白鳥→合田とチェックしているとのこと。ありがたいことである。

昭和61年01月17日(金)

1、人事異動:青山岡山工場副工場長→御津カントリー。

昭和61年02月03日(月)節分

1、組合本部合田教宣部長より 3/17 講演依頼される。

昭和61年02月04日(火)

1、大阪へ出張:白鳥、長沼、池永氏と会う。

  三期生中間スクーリング、其の他関連事項。

2、実践人の家(兵庫県尼崎市立花町)へ、寺田様が待っている。訪問。森信三先生宅訪問。

※関連:辻公文さんと。

※参考:森信三先生

昭和61年02月17日(月)5:30起床

1、長田幕僚長(海軍兵学校76期同期)の副官白畑二佐より江田島見学の件すべてOK。簡単な手紙を出します 術科学校にも連絡ずみ。

2、本日より、三期生巡回指導・二期生レポート発表会。3月01日まで。

昭和61年02月25日(火)4:10起床

1、労働組合本部労働講座:越智委員長の案により講演を小生もその一人に依頼された。

昭和61年02月27日(木)

1、岡山工場2期生フォロー発表会。

2、鶴風寮で池田勤労課長・小野副長・難波功・中山と懇親会。

雑談:教育は、黒崎か尾崎かと思っていた。

昭和61年02月28日(金)

1、岡山工場三期生面接。青山さん御津カントリーに転出していた。

  昼食:林工場長、湯本部長、大野課長、杉本君、黒崎、玉置、難波、中山。

  湯本、「黒崎所長は最適任であるー教育」と。

昭和61年03月03日(月)5:00起床

1、玉島工場二期生発表会、三期生指導。

2、道場課長、今年1月4日より、一分スピーチ実施していると。

3、クラレケミカル、三期生指導。

昭和61年03月04日(火)4:15起床

1、巡回、クラレプラスチックス。中村君、大阪に出張。田中寧夫、菅原君と食事。金森君の子供さんの作文資料を頂く。

2、大阪本社:新研修所修業者10めい主務職に昇進。

3、平田本部長と話す。重層教育に小生言及。

4、白鳥・伊藤君と会食。終って伊藤君と話す。

昭和61年03月05日(水)5:30起床

1、梅田OSホテル。

2、二期生発表会 ヤンマジゼルビルで。

3、佐藤勇・中近・松浦・日置君(クラりノー部)と話す。

4、クラレ不動産青木所長。御子息にクラレタイムス「独立基督学園」の記事を話したところ、入学したい意向をもったようである。話をききたいとのこと。

  一度、学校を訪問したいといわれる。いつでも手紙を鈴木校長先生に出しますと話す。中学生の生き方を決定するような記事になったことには責任を感ずる。

5、第二期研修生のフォロー教育のクラレタイムス掲載の打ち合わせ。大藤部長、部員、伊藤労務部員と打ち合わせ。4月号にする。四頁ものにする。感想文は工場バランスを考慮する。小尻君の記事をのせることにする。

6、松田洋一さんと話す。

6-1、池永さんの次の仕事を話している。彼は武士である。

6-2、黒崎・岡は評価されている。

7、第三期生のスクーリングについて白鳥・伊藤君と協議。難波君同席。

昭和61年03月06日(木)4:40起床

1、西条工場発表会 1、2、3期生全員参加。

  歓招寮で懇親会。徳永三幸・白川勝久・藤井・岡野・越智有志。黒崎・笹崎。

昭和61年03月07日(金)5:40起床

1、三期生指導。

2、今治→大長→大崎下島→豊浜→呉。呉→小用:江田島倶楽部宿泊。

昭和61年03月08日(月)6:00起床

8:00 海上自衛隊第一術科学校へ行く。

 海将:遠藤峻夫、海将補:高須是夫、一等海佐:田中久夫、二等海佐:宮内幸雄

 101分隊自習室跡→食堂→507分隊自習室(食堂の近くにあった)→参考館見学。

 江田島の小用~広島市宇品~本町~広島グランドホテル。広島大学竹内先生退官送別式(広島大学工学部主催)。

昭和61年03月11日(火)5:45起床

1、鹿島工場巡回指導。難波・玉置

2、中山義雄君、所長の顔を思い浮かべて頑張っているとのこと。

3、越川春樹先生、来岡。中山君に閑谷学校を案内してもらうことにする。

昭和61年03月12日(水)5:30起床 ホテルリオ。

1、二期生(鹿島)宮崎・石井君発表。

2、鹿島から東京。林栄治、図子洋司、池田昭宏発表。。

3、三期生面接。杉原、岩本秀幸。上司アドバイザー懇談。

4、園部君、瀬川博之(二人共研究所研究開発担当)と話す。

5、東京二期生三人が夕食を如水会館にてもてなしてくれる。クラフレックス箭本課長・若桑君が挨拶に寄ってくれる。

昭和61年03月13日(木)4:15起床

1、中条工場に行く。

2、中川福男、五十嵐一成、近藤一男君の発表ですべて完了。

3、夜、懇親会。二期生、三期生、尾崎工場長、小川課長、綾君、高地君。

4、佐々木喜一君と話す。

4-1、小学校四年生(四月から)の女の子に日記を今年の一月一日から書かせている。三月十三日まで続いている。三交替のため話すことが出来ないことがある。日記帳に書き込んでやるようにしている。子供の成長がわかる。

4-2、誤字・脱字は奥様に訂正させている。

※本当に実行力のある人だ。アドバイザー綾君も作文を楽しみにしていると。

4-3、読書作文のアドバイザーに提出して二・三日後、どうかと意見を聞きに行くとのこと。作文の誤字・脱字がないので立派だと言うと、すべて奥さんに読ませているとのこと。小生の語録を読み「論語」の引用を見て、本を購入して読んでいるとのこと。

4-4、「中学しか出ていない」と言わないようにしろとアドバイスする。

4-5、スクーリングの最初の出合いから、「一生涯、黒崎とつき合いさせてもらえる人だと思った」とのこと。

5、河内要吉君、帰りに挨拶に来てくれる。

昭和61年03月14日(金)7:00起床

1、上越新幹線(新潟→東京)。今回も佐々木喜一君中条駅に送りに来てくれた。夜勤あけだというのに。中条野球クラブのコートを着て。本当にしっかりした男だ。

2、尾崎工場長「黒崎の研修所長は人事のヒットである」と、多くの人の前で言う。あいさつも落ち着いた声で熱意を感ずる。

3、小島伝記文学館訪問。小島直記先生不在。

4、社史図書館長井出金夫氏案内してくれる。企業経営研究所、駿河銀行研修所(三樹の教え、三学が掲示されている)、ベルナール。ビュフェ美術館、井上文学館案内いただく。研修所のお話を伺う。

※参考:三学・三樹の教え

昭和61年03月17日(月)5:30起床

1、労働組合本部労働講座。8:30~10:30

  精一杯話す。話しごたえがあったようだ。林前衆議院員が私の後で講演。

昭和61年03月20日(木)5:45起床

1、池永さん来所:4月1日付、ある会社に転籍。

2、岡新さんと三人で話す。人事異動、大幅なものが計画されている様子。

昭和61年03月22日(土)6:40 起床

1、小尻・升永君(研修所修業者)来宅。

昭和61年04月02日(水)5:45 起床

1、村本工場長と話す。

2-1、中期、尾崎、白鳥。後期、村本、井本講演。

2-2、大原副社長に機会があれば訓示依頼。

昭和61年04月04日(金)

1、高沢君、倉敷勤労課より人事室に転勤挨拶に来た。「所長から仕事以外に声を掛けられてありがたかった」と言われる。

2、学卒教育で越智委員長・田村・白鳥・笹崎たち来所。

昭和61年04月29日(火)4:50 起床

1、クラレタイムス4月号「研修所第二期生のフォロー教育を終えて」4頁/28ページ。

2、どんな反響がきけるだろうか。私が考えていたものより立派な編集であった。7人の感想文も要領よくまとめられていて、小見出しもよい。課題レポートの整理も4千万円の小見出しがあり、社内にアピールするものとなるであろう。

1、片山課長:研修生もいいことを書いている。所長の訓示を必ず書いている。4/30

2、林栄治君:東京事務所で上司と女の人から。岡山工場で原田進君と女性から。5/8

3、糸島(元組合本部):クラレタイムスを読みました。5/9

4、上渓(元繊研):クラレタイムスを読みました。5/9

5、小尻君からハガキ受信。波紋があったとのこと。

昭和61年05月07日(水)4:30起床

1、大原副社長に逢う。17:30 岡山行(電車)の中で村本工場長から研修生に話すよう今日頼まれた。原秘書課長に当ってもらっている。30分くらい。研修生の昇格研修の影響。嬉しい話。校長として困ることもあるでしょう。

 『大原孫三郎伝』外部の人が非常に喜ばれている。副社長の手持ちから五冊ほど送ることにしていただく。

昭和61年05月08日(木)4:50起床

1、主務職昇進者研修。

2、平田人事室長来所。スクーリング日程、副社長の訓話予定、江田島研修所の話をする。組織変更等が対話の中で。

昭和61年05月10日(水)5:00起床

1、61年度主務職昇進者研修最後の日。

  新研と旧研と研修において差が見られない

  新研修業者しっかりしている印象を福森君たちがもったよう。

  44人中10名新研修業者。この割合となれば教育効果(考え方、行動力、躾)が全体に影響するようだ。

昭和61年05月20日(火)4:00起床

1、片山課長:「副社長に所長が訓話をしていただけるのでよろこんでいる」と話しました。

昭和61年05月21日(水)4:22起床

1、松永市郎氏、来倉。美術館案内。松永さんを囲んで「倉敷工場又新寮」で会食懇談:井本三郎・薦田永・中山真一・黒崎。

昭和61年05月22日(木)4:45起床

1、白鳥氏に電話。中期スクーリングは計画通り実施することを連絡。

昭和61年05月23日(金)4:27起床

1、尾崎氏が来所。倉敷運輸社長に就任予定。マンション探しに行き、茶屋町で別れる。

昭和61年05月30日(金)~31日(土)

 研修生江田島体験入隊体験入隊。

昭和61年06月03日(火)5:13起床

1、大原副社長訓話 11:00~11:40

  所長が研修生の成長を我が子のように喜んでいる。

  発明はどこにもあるから創意工夫して欲しい。

  福島さんは発明者としてシンボルにして、汚れ役はさせたくない。

  新任の仲村総務部長にがんばってもらわねば。

  昼食を共にする。

2、立腰とお茶 足守安養寺住職:畠中大心さまより茶道の歴史、茶道の精神 和敬清寂のお話し、喫茶、途中で大喝される。静坐でお話をきいていたのだが。大原家に「早船」と名付けられた茶碗がある。倉敷工場・中央研究所女子茶道部員の練習中でお茶をいただく。

昭和61年06月04日(水)4:16起床

1、村本総務労務本部長(6月1日付)と話す。研修所の活用、中国三工場の合同教育、研修所修業者の国内留学、社内留学について検討します。(ほとんど行われなかった)

2、岡山工場へ研修生と見学に行く。

昭和61年06月05日(水)5:15起床

1、道場課長、職務事業開拓室転勤挨拶に来所。平田室長より管理組織をスリムにするために仕事をつくると言われたと。教育産業を考えてみたい。所長も苦労しましたですね。三年かかりまね。頼本倉敷中央病院事務長から学校をつくれと言われた。

2、午後から玉島工場見学。

  堀田工場長、5月27日、平田人事室長から工場以外の異動を内示された。クラレケミカル鶴見に行く。武藤さん(25年入社)はやめる。玄馬君・角(つの:25年入社)さんがいる。

昭和61年06月06日(水)3:15起床 十息静坐

 白鳥氏よりテレによる転勤あいさつ。「研修所を充実して……」の言葉あり。

 所長講話:寮の畳の部屋(静座室と名付ける)で話す。静坐20分後、1時間40分後、半跏趺坐を行なう。 

 研修寮に泊まる。研修生はよく書き、勉強している 寮の掃除がゆきとどいている

昭和61年06月07日(土)4:45起床 十息静坐

1、所長講話 寮の静座室。

2、全員一分間スピーチ。中山君、個人めいをあげて指導。狙い通り実行。

昭和61年06月09日(月)

1、研修生の勉強する姿が周囲に及ぼす影響について一人KJ(川喜田二郎法)法で纏めさせる。指導難波。

昭和61年06月10日(火)

1、KJ法によって新田次郎著『八甲田山死の彷徨』を読んでのまとめ発表を聞く。

2、畠中大心先生のお茶の歴史・精神・和敬清寂のお話し。

昭和61年06月12日(木)

1、所長講話 8:00~8:55 静座室で。10:00過ぎ、中期スクーリング終了。それぞれの工場・事務所に帰る。講師全員、寮で整列して見送る。

2、伊藤文大君に終了連絡(後にクラレ社長になる)。

3、福島工場長と話す

昭和61年06月16日(火)4:50起床 十息静坐

1、「企業研修における立腰教育について」原稿を寺田清一氏に送る。

昭和61年06月23日(月) 4:25 起床

1、クラレケミカルに出張。3期生後期アドバイザー説明会

昭和61年06月24日(火)4:15 起床 十息静坐

1、会社創立記念日。倉敷工場で式典が行われる。

2、会社の制服が新調された

3、倉敷工場アドバイザー説明会

4、歓送迎会:玉置・高橋君。倉敷国際ホテル。

昭和61年06月25日(水)3:47 起床 十息静坐。

1、岡山工場:アドバイザー説明会。

昭和61年06月26日(木)3:46起床 十息静坐。

1、玉島工場:アドバイザー説明会。

  工場長内藤さん(堀田さんの後任)と話す。工場の食堂で初めて食事。

2、三原~今治経由で西条へ、渓石に宿泊。曽根・岡野(岡野興業の息子)と話す。

昭和61年06月27日(金)3:30起床 十息静坐

1、相田事務部長(西条)、渓石で朝食ご一緒。こころがけに感心

2、55年~61年高卒入社者に講演。

3、3期生後期アドバイザーと話す。

4、2期修業者:浅野文治・河村・今井君と話す。伊藤一雄君は出張。

5、北海道民芸浜田君訪問。工場見学。

6、1期生:井上・竹形・西岡・稲掛・高木と藤井君招歓寮で懇親会。

7、3期生:藤田俊久・藤田幸晴・戸田・堀端・丹下・伊藤定と話す。

昭和61年06月28日(土)3:44 起床 十息静坐

石鎚山登山

1、登山詳細の記述四国の名山石槌山登山:その後の話

昭和61年06月30日(月)5:20 起床

1、大阪のアドバイザーと話す。新幹線車中、佐藤勇さんと雑談。

2、伊藤文大君、労務として精神安定をとりあげようとしている。中山君を検討メンバーに考えているがどうか。小生少し考えるよう。

3、クラレプラスチックス訪問。矢吹伊勢郎さん:6月29日付、社長。従業員に説明に来ていた。田中寧君も取締役。浜田氏、昨年、常務。

4、岐阜第一ホテル宿泊。

昭和61年07月01日(火)2:50 起床

1、岐阜~羽島:名鉄電車。

2、クラレイソプレン鹿島工場 石井正雄君に合う。

3、門田・和田・尾古(学卒新入)・石井とホテルリオで話す。

昭和61年07月02日(水)4:25 起床

1、クラレ油化東京事務所に行く。

2、OE工場見学。弘岡部長・市村君・中島・藤岡・多田たち知った顔多し。活気あり。

3、石井正雄君と潮来から東京に出る。昼食後別れる。

4、東京事務所総務部長有沢氏、畠中(京大卒)、武永、広報部和久井氏(東大卒:大原副社長教育担当労務であった)クラレタイムスの小生の投稿をよく記憶していて、越川先生の本と、言志録を買って読んだとのこと。後、クラレ社長。畠中氏の会話の中で、黒崎氏は「カリスマ性がある」という。

5、大野課長(岡山)テレで、工場班長教育(8.22~23)講演講師依頼される。受諾。岡山の高卒の講演依頼は教育担当者会議で、和田君に皆が黒崎推薦。組合での講演は研修生の推薦。中条では綾君・小川さんに依頼される(7/3)。むくいられていると感じる。

6、白鳥氏と合う。夕食:畠中・武永・伊藤とご一緒。

昭和61年07月03日(木)3:55 起床

1、センターホテル~地下鉄日本橋(銀座線)~上野新幹線。

2、中条工場長内藤さんに合う。秋田県出身。京大時代、琵琶湖西岸の山で遭難しかかった。新潟地震の時、名古屋に出張していた。酒が強くならなかった。上海工場建設に行く。秋田から京都に本籍を移し、原田享衛さんから中条を逃げるつもりかと言われた。非常に清潔感のある人であった。小生について熱情を以て教育している人だと聞いているといわれる。

3、小川課長:今年入社の高卒者に半年間、日誌を書かせる。

4、木村さん(経理:読書作文のアドバイザー)読書の教科書は自分も読み勉強になった。

5、アドバイザーと懇親会。綾・小川さん。次回巡回時、講演するよう依頼される。綾君、研修生がこんなに変わるのだから、是非多くの人に話して欲しい。

昭和61年07月04日(金)4:46 起床

1、中条の寮。昨日の巡回で全部終了。

2、寮で「おにぎり」を作ってもらう。

3、帰りの新幹線で玉井君に合う。独立キリスト学園の話し、密教の話し、労働科学研究所の話しなどについて話す。

昭和61年07月07日(月)

1、「ろうまん」岡山市奉還町(大政奉還のとき、金券債券をもらい武士が商売をはじめた街)へ買いにゆく。4個105円。江口保さんが案内してくれた。家に持ちかえると、近所のスーパーで売っているものであった。

2、森信三著『幻の講話』の中の日記に人の悪口を書かないとあり。

※参考:"労研饅頭" と "ろうまん"━━社史周辺━━

昭和61年08月08日(火)

1、倉敷運輸尾崎社長にテレする。元気な声であった。

昭和61年08月10日(水)5:00 起床

1、実践人夏季講習会参加準備 5:00~5:25

  三の宮→新開地→三田。兵庫県三田市 関西地区大学セミナーハウス。

  昭和61年 90才 関西地区セミナーハウスで開催された夏期研修会が森先生最後の出席となられ、「最近思うこと」と題して講話。

 森信三先生・寺田清一・西本岩夫・玉田泰之・山田先生・辻光文・西山恵子さんたち。

昭和61年08月22日(金)2:30 起床

1、岡山工場班長教育講演:13:00~15:00 ゼンセン友愛の丘。大隅・湯本・大野との話の中で瀬戸内合同教育をやってはどうかが話題。小生も前から提言している問題でもあった。

2、研修が終わって大隅工場長・湯本部長と話した。よかったので今後もご指導して欲しい。大野課長よりお礼の電話あり。

昭和61年08月25日(月)2:30 起床

1、人事:村本総務労務本部長より高橋隆治郎君を崎本氏がくれと言って来ているがどうか。

昭和61年08月28日(木)

1、高橋隆治郎君:太陽セメント転出。10.16付。村本総務労務本部長より。承諾した。後任は本部長に一任。

昭和61年09月02日(火)

1、第三期生の特別認定試験不合格者の取り扱い。もう一度テストすることにする。講師全員了解。

昭和61年09月03日(水)

1、平田人事室長 岡山(本日)、明日倉敷、玉島工場を回って職務事業開拓の話し。余剰人員対策。

昭和61年09月04日(木)

1、平田人事室長・白川職務事業開拓室次長:ちょっと寄られる。高橋隆治郎君の出向について説明と感謝。

2、開拓室の仕事として今、廻っている。

3、12月の人員整理として、高橋君の件は少し早くなったと思ってもらえばともらされた。

昭和61年09月16日(火)

1、余剰人員対策:職務事業開拓室

1-1、外部から人が欲しいと要求あれば社内の都合などどうでもよい。

1-2、倉敷技術調査室に精米所を検討の話がある。愛媛県西条でやったからとのこと。

昭和61年09月18日(木)

1、中山君、きょうから休む。自宅に帰る。

昭和61年09月24日(木)

1、仲村総務部長と教育 Projectについて話す。福島さんの意向を受けての話し。

昭和61年09月29日(月)

1、研修所の評価 資格制度の改定が労務部と組合とで検討している様子。一般組合員(従業員)の昇進には研修所修業が大きな役割を持っているようである。

昭和61年10月03日(金)

1、人員問題。

1-1、臨時工場長会議(人事室招集)。10月20日の週に平田室長が全工場の部課長に説明して回るとのこと。

1-2、45歳以上の管理職転職促進制度制定について。

昭和61年10月07日(火)

1、資格制度改定説明会

  生田執行委員(本部)が倉敷工場で説明。10月6日。研修所は一般従業員の完全な登龍門になる様子。所長が喜ばれることであろうといっていたとのこと。

昭和61年10月17日(金)5時26分起床

1、福島さんの話では、人事制度について、本社ではもう説明ずみだと。

        主査・主幹  参事  昇格主査

ポストからはなれる 55歳   57歳 57歳

退社      56歳   58歳

 昭和62年04月実施。既にこれ以上のものには話合いがある。

 河内要吉君、転勤のあいさつに来所(中条→中研総務)。

昭和61年10月18日(土)

1、中山君:東予市の自宅から電話で転部を申しこんできた。

昭和61年10月23日(木)

1、中山君の件。笹崎、越智副長。平田人事室長。清水人事室主席室員。白川次長テレで話す。

2、管理職転進援助システム説明会。人事室平田重役、笹崎次長。

3、平田重役、成人教学研修所のレポート記憶されていた。

昭和61年10月24日(金)3時44分起床

1、中山君 研修所にきた。11月10日復職したい。

昭和61年10月29日(水)

1、座談会:ビデオ通信用。岡山工場家庭寮。江見・河原・宮崎・武本・河原君たちご夫妻。しっかりした奥さんたちでした。武本君の奥さんが「クーリングから帰ってからご主人の姿勢がよくなった」と。。

2、村本総務労務本部長と話す。

2-1、中山君の件。

2-2、ビデオ通信の説明。評価を受ける。

昭和61年11月04日(火)

1、第三期生の巡回開始。三期生・アドバイザー、一・二期生連絡会。倉敷工場、クラレケミカル。

昭和61年11月05日(水)6:30起床

1、岡山工場巡回。一期生との話し合い。

昭和61年11月13日(木)

1、センターホテル東京

2、中条工場へ行く。

2-1、2期生:小林清一君、近藤一男君、五十嵐君。

2-2、桜田誠君、研修所辞退申し出る。

昭和61年11月17日(月)

1、越智委員長、資格制度再検討の中で研修所修業者は昇進が早くなり、3,000円のアップは止める。(転進制度はふれず)

2、三期生(組合所属)がお世話になっている。

4、玉置君:岡山工業高校、常勤嘱託となり退社。

昭和61年11月18日(火)

1、出向:若い管理職は出向。既出向者は解職。年配の管理職は依願解職、転職。

昭和61年11月20日(木)

1、中国三工場教育計画検討

  岡山:大野・渡辺。倉敷:池田・小野。玉島:広瀬・大田。

2、JST(人事院監督訓練)の内容について中山君に30分説明させる。小生の勉強と彼の泌尿器の軽減をねらって。

昭和61年12月01日(月)

1、尾崎泰司さん来所。雑談、倉敷運輸は川鉄が不景気のため苦しい。

昭和61年12月03日(水)

1、組合本部生田執行委員来所。

2、研修所修業者取り扱いについて。

昭和61年12月11日(木)

1、60周年記念茶会。倉敷工場家庭寮。畠中大心方丈、クラレ茶道部。大原總一郎氏の軸が掲げられていた。「蒼天白菊 總」

2、作法を見よう見まねで少しだけおぼえた。

昭和61年12月12日(金)

1、総務労務本部長村本来所。

2、小生の転進問題。

2-1、転進制度で黒崎さんの後任を決めるから引き継いでほしい。

2-2、何か考えているか。

2-3、考えていない。

2-4、会社で世話させてもらいましょうか。

2-5、お願いします。

2-6、クラレの力が及ぶ倉敷・岡山地区の管理者としての仕事を考えましょう。

2-7、平田人事室長も心配されている。

2-8、手が悪い、自動車の免許も持たぬことを考えておいて欲しい。

2-9、わかっています。

昭和61年12月24日(水)

1、クラレ研修所 58年12月再開。岡林社長時代、人事室が教育提案するも却下されていた。社長が変わった時期に再開。組合も要望していた。越智委員長は所長にだれがなるかと思っていた。

2、人事室、教育再開。主幹教育、主査教育。

3、労務、研修所再開。

4、研修所の評価。四期も募集。

4-1、白鳥氏:研修所は黒崎さんがやった

4-2、池田篤俊氏:研修生をみていると労務はすばらしい教育のノー・ハウをもっているようですねと人からいわれましたよ。

4-3、綾さん(中条NIC):研修生がスクーリング帰るとすばらしく変わっている。ノー・ハウがあれば教えてもらいたいとアドバイザー通信に書いてくれた。

昭和61年12月29日(月)

1、玉置氏来所。餞別の礼。ピカソの複製を額に入れて持参。

2、岡新さん来所。国司君(三期生)の欠点について心配してくる。転進の状況が人事ですすんでいることを話す。

3、研修所大掃除。


昭和62年01月05日(月)

 越智、水島、成相来所。

 ユニオンについて雑談。

 国司・力武君が欠点をとっていることくを知っていた。

 中山君について一月一日付転勤について知らせる。村本さんから12月26日に聞いていたと。

昭和62年01月12日(月)

1、永島宗忠君(事務講師)初出勤。仕事を指示する。

昭和62年01月05日(月)

 大阪出張。

昭和62年01月05日(月)

 池田総務副本部長、伊藤文大主任部員に研修所業務連絡。

 道場君のところに行く。白川君の机に研究所平野豊さんの履歴書あり。平野さんを中国短大におしていることがうかがわれた。

昭和62年01月13日(火)

 波多野二三彦君講演。社宅婦人。

 転進。加納君(新田操様の娘婿)日本興業に出向中クラレ退社。

昭和62年01月22日(木)

1、人事評価制度説明会:笹崎次長。

2、岡山工場班長研修会講演。

昭和62年01月27日(火)

1、岡 新さん:メディカル桜田 洋さん、二人で夕食をしようと申し込みされた。28日に転進の話と思っているという。工場長はこんな人事に一切関与しない。

昭和62年01月29日(木)

1、近藤一男君(中条工場)来所。クラレ安全大会参加。越の寒梅をいただく。

昭和62年01月30日(金)

1、クラレ安全大会。近藤君(二期生)の発表を聞く。よかった。

昭和62年02月03日(火)

1、岡 新さんと話す。1月28日、桜田さんと会談の結果。

1-1、四月からの転進制度に例外はない。

1-2、矢竹氏から桜田が話すように言われていた。

1-3、会社も仕事は適当なものを探せない。

1-4、六月のボーナスは考えろと桜田氏に言った。

昭和62年02月05日(木)

1、倉敷工場片山課長、倉敷中央病院へ出向。2月16日付、内示された。研修所に知らせにきてくれた。

2、大原副社長「黒崎研修所長はえがたい人である」といわれていた。

昭和62年02月09日(月)

1、研修生三期生後期スクーリング

2、難波君出向の人事。

昭和62年02月10日(火)

1、研修所

1-1,立腰 約五分間 授業のはじめ、おわり。静寂そのもの。

1-2、最後のスクーリングである。

昭和62年02月10日(火)

1、研修所

1-1、一分間スピーチ訓練。

1-2、規律訓練

昭和62年02月11日(水)

1、研修所

1-1、一分間スピーチ訓練。

1-2、規律訓練。昨日一日と本日一時限テスト後、屋外訓練。倉敷工場藤井君に依頼。

昭和62年02月14日(土)

1、所長訓話。

昭和62年02月15日(日)

1、伊藤文大さんとの話。

  社長と所長と会談して欲しいと。

  社長と労組委員長の対談では社長はいままでのことを無視」しての話し方をするので往生する。例えば55歳以上はやめてもらえばよいといったことを委員長にいうとのことである。厳である。慈を心得ぬ社長のようである。

※参考:伊藤文大さんと私

昭和62年02月17日(火)

1、三菱自動車工業水島工場見学。

バスの中で立腰。

2、松下電器産業株式会社 ビデオ部門見学。

昭和62年02月18日(水)

1、寺田清一様講演、研修所にて。金谷卓治さん同伴。鶴風寮で会食。

  研修生優等賞決定。生産:佐々木喜一。設備:江見博志。電気:金森 晃。事務:赤沢誠治。

昭和62年02月21日(土)

 井山宝福寺座禅

※関連:研修生の坐禅:第三期生

※参考:井山宝福寺

昭和62年02月23日(月)

1、倉敷中央高校弁論部招待。

1、人前での話し方。講演:久保田先生。

2、聴衆を引きつける手段。態度、内容(キャッチフレーズ)

昭和62年02月26日(木)

1、研修所。所長講話。フォロー教育・論文の書き方講義。個人面接。

2、修業式練習(玉島工場:大田勤労課副長に指導依頼)

3、主務職昇進。小尻君が知らせてくれる。生峰(二期)、三木(一期)も昇進したとのこと。

昭和62年02月27日(金)

 研修所第三期生終業式

昭和62年03月04日(水)

1、岡 新さんと話す。本日、平田重役と面接。

昭和62年03月05日(木)

1、平田人事室長と面接。小生、三月三十一日で辞めることを決定。

 辞 令 黒崎 昭二 殿 願に依り解職 昭和62年 3月31日 株式会社 クラレ

昭和62年03月10日(月)

1、研究所後任人事。村本総務労務本部長より。

1-1、難波君 62年03月31日 岡山理科大学付属高校出向。

1-2、田中二朗君 62年04月01日 研修所主任室員。

1-3、所長後任:鈴木邦生氏。

昭和62年03月18日(水)

 鈴木邦生さんと引継ぎはじめる。

 送別会:福島さん、仲村(倉敷工場事務部長)、岡 新さん、黒崎。竹の子(倉敷市) 

 医局間野先生に辞めることと、これまでのお礼の挨拶。先生も日立の病院をやめるとき一年延ばしした。胃潰瘍になった。ストレスがたまることだろうといわれる。

昭和62年03月19日(木)

1、岡山工場高卒新入社員講話(13:00~14:30)

1-1、鈴木邦生も傍聴。

1-2、女子の大学卒は目が生きている。

1-3、男子の中には二・三人、目が生きていた。卒業した学校の校訓のいえないものがいた。

1-4、講演中メモをとるモの一人もいない(レジメは渡している)

1-5、立腰実施。ふとっていて腰骨が意外にかたいものが男女ともいる。

2、三期研修生慰労会出席。旭風寮。大隅・湯本・大野・渡辺・杉本・研修生・アドバイザー。

3、退職することは知らせず。

昭和62年03月23日(月)

 鈴木邦生と引継ぎ。

昭和62年03月27日(金)

 越智労働組合委員長が労組本部で送別会をしてくださる。

 越智、水島、成相、生田、赤壁、溝口、力武、川野。ありがたい。

 越智さん「黒崎さんを何とかしなさいと村本さんにいったが平田さんと……」

 理大附属高校に勤めることを越智さんに伝える。

※越智 勝氏(愛媛県西条出身:若い頃から顔見知りで、岡山工場の組合の執行委員で調査部長をしていたとき、越智さんは西条工場の調査部長であった。非常にまじめなひとであった)は研修所では入所式などでは挨拶を依頼してこころよく引き受けてくださる関係であった。彼も私の定年後の仕事について、人事に後押しをして下さっていた。

 福島 修、浅野君、池田勤労課長、中近さん、堀内武、岡 新、坪井 淸、宮本、大田君、広瀬中研課長、内藤さん、長沼さん、村本さん、奥山 佳にあいさつ。

昭和62年03月30日(月)

 送別会、鶴風寮で、村本、池田、鈴木、佐藤、笹原、田中、永島、難波、黒崎。

昭和62年03月31日(火)

 小川課長(中条工場)、門田課長(鹿島工場)、畠中課長(東京事務所)、田中 寧室長(クラプラ)、松田洋一(四日井:クラレ油化)、相田部長(西条工場)、越智さん(西条工場)、大隅岡山工場長、滝沢岡山勤労課副長。以上のかたがたに電話で挨拶。


 社内の方の講話

1、昭和59年07月06日(金)植田君(特許部→アセスメント室長)特許の話をしてくれる。彼は研修生が講師の方に向って眼が光っていた。非常に嬉しく思った。是非伝えて欲しい。学卒の時の講義より気分がいい。  

2、昭和59年07月23日(月)井本三郎中研所長講話。

3、昭和59年07月24日(火)村本工場長講話。

 社外の方の講話

1、昭和59年07月06日(金)加計岡山理科大学総長に講演の依頼。 Wright University より、Doctor of Human Letter  (人文学博士)を受けたとのこと。クラレ中研の見学を依頼された。岡山理科大学学長加計 勉さん。 昭和59年07月24日(火   )加計総長講話。中研案内。

2、岡大中国文化教授広常先生、

3、昭和59年07月13日(金)波多野「感性と受容」。研修生には好評であった。35,000の謝礼。

4、昭和60年05月25日(土)広常人世先生「曹操と諸葛孔明」12:30~14:00 講演テープを採る。

5、昭和61年06月03日(火)立腰とお茶 足守安養寺住職:畠中大心 さまより茶道の歴史、茶道の精神 和敬清寂のお話し、喫茶、途中で大喝される。静坐でお話をきいていたのだが。大原家に「早船」と名付けられた茶碗がある。

6、昭和62年02月18日(水)寺田一清さん。静坐、立腰。


 研修所長の評価

昭和59年03月02日(金)

 白川君と話す。黒崎が所長であることは非常に良い。研修生はエリート意識をもつ。周囲の人もやらねばならぬと考えている。英数物化をやらせてくれと要求がでている。教育部を作ろうという案が出ている。清水さんだけではやっていけない。

昭和59年09月05日(水)

 片山事務課長:大原副社長が「黒崎所長は立派な教育者で人格も立派だ」と言っていた。

昭和59年12月17日(月)  松田さんの話。黒崎は人事が離さない。黒崎は教育に適任だ。誰がみているのだろうかといわれる。(松田・井本・大森・伊藤・清水人事主室等:白川も小生の所長はよいとの評価59.3.2)

昭和60年03月11日(月)

 鹿島工場、能勢部長、小生の教育熱心であることを強調してくれる。

昭和60年06月02日

 森山:越智中央執行委員長が「研修所は黒崎道場」だと言っている。*岡山工場勤務時、原液浜田馥さんが「仕上げは黒崎教だ」と言われた。道場:研修所は黒崎のものだ。もう4、5年早かったら、これだけ人間を作ったのだから重役だ。「研修所は黒崎が作った」と、白鳥氏がいったとのこと。

昭和60年06月03日 2期生終業式

 平田本部長:所長は信念をもって教育にあたる。今の教育システムは波及効果が大きく、所長が巡回して人物評価してくれている。研修所は続ける。研修所は知と徳の教育である。

昭和60年12月05日(木)

 尾崎泰司さんと中条町長熊倉(海兵75期)表敬訪問。 

 町長、研修生入所成績はあまりよくなかったが修業時にはトップクラスであった。一企業の研修についても暖かい配慮されていて、教育の波紋をここでも知らされる。

昭和60年12月22日(日)

 片山課長:本社の人事の若い人たち「黒崎は教育に最適、人事配置がこれほどうまくゆくと良い」と、言っていた。大原副社長もほめていた。

昭和61年02月28日(金)

 岡山工場湯本、「黒崎所長は最適任であるー教育」

昭和61年03月14日(金)7:00起床

 尾崎泰司さん「黒崎の研修所長は人事のヒットである」と多くの人の前で言う。

昭和61年07月02日(水)

1、東京事務所総務部長有沢氏、畠中(京大)、武永、広報部和久井氏(東大卒:大原副社長教育担当、後、クラレ社長)。クラレタイムス(1985年07月に訪問した記事)の小生の投稿をよく記憶していて、越川先生の本と、言志録を買って読んだとのこと。

2、畠中氏の会話の中で、「黒崎氏はカリスマ性がある」という。

昭和61年07月03日(木)

1、中条工場長内藤さんに合う。非常に清潔感のある人であった。小生に熱情を以て教育している人だと聞いているという。

2、小川課長:今年入社の高卒者に半年間、日誌を書かせる。

3、木村さん(経理:読書作文のアドバイザー)読書の教科書は自分も読み勉強になった。

4、アドバイザーと懇親会。綾・小川さん。次回巡回時、講演するよう依頼される。綾君、研修生がこんなに変わるのだから、是非多くの人に話して欲しい。

昭和61年12月24日(水)

1、クラレ研修所評価。四期も募集。

2、白鳥氏:研修所は黒崎さんがやった

3、池田篤俊氏:研修生をみていると労務はすばらしい教育のノー・ハウをもっているようですねと人からいわれましたよ。

4、綾さん(中条NIC):研修生がスクーリング帰るとすばらしく変わっている。ノー・ハウがあれば教えてもらいたいとアドバイザー通信に書いてくれた。

昭和62年02月05日(木)

1、倉敷片山課長。大原副社長「黒崎研修所長は得難い人である」といわれています。

昭和62年4月11日

 浜田美治:藤井、金森君(クラレプラスチック)は元気で仕事しています。先日も工場へ行った際、折角勉強する 習慣がついたのだから引き続き勉強をし、いろいろな資格試験をうける様に云ってきました。二人共研修所時代の短期且つ合宿期間も短いのに見違へる程変心しました。貴兄の影響が大きかった事をつくづくと思いかへして居ります。

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