★習えば遠し 第1章 生活の中で学ぶ 第2章 生きる 第3章 養生ー心身 第4章 読 書 第5章 書 物
第6章 ことば 言葉 その意味は 第7章 家族・親のこころ 第8章 IT技術 第9章 第2次世界戦争 第10章 もろもろ

第3章 養生ー心身    

改 訂 版 2022.11.27 改訂

CARE of BODY AND MIND

目 次

01携帯電話と散歩 02散歩道ー石高神社ー 03習慣病 04認知症 05落し物・忘れ物のあれこれ
06空腹は最高の料理人-沢庵ー 07パパはマイナス50点 08元気で病気します 09C.H.ブルックス/E.クーエ:自己暗示 10立腰と歩行
11起床後の服装 12へその「の」の字 13能勢之彦教授:人工腎臓透析: 14高齢者五省 15メモの書き方ーもの忘れ対策ー
16躰が寒く感じたとき 17お母さんの子ども還り 18あの人は誰だったかな 19緩和医療 20柴田二郎著作より:睡眠薬服用
21心は部屋の外に 22脚と健康・早起き 23禁煙の秘訣 24黙 養 25丸本淑生著作より:果物は胃が空(から)のときに単独で食べる
26書簡での健康判断 27電話の声による健康想像 28調理―スマートホンを使って― 29健康寿命 30腹式呼吸と快眠
31風邪くらいは―高齢者は要注意― 32「人」をみる医療 33四足・二足・三足とは 34平均寿命ー男性がなぜ女性より短いかー 35個人の自律性を 国が守るデンマーク
36愛唱歌とともに歩こう 37乳がん・卵巣がんの予防切除 38三階建ての家 39水とビール 40忘れた友人のな前
41立ち上がりました佐藤真海(まみ)さん 42健康人生への「五つの数字」 43しゃがれ声をよくするには 44脚力を保持するには 45「ハマヤラワ」五 省
46高齢化社会の足音がひたひたと 47「命(いのち)のきずな、愛と笑いとユーモ」 48早食いは肥満になる 49病院がさまざまに変わっている 50一・十・百・千・万を日常生活に
51大津秀一医師:「死ぬときに後悔すること25」(患者の後悔) 52十六穀ごはん 53小島直記著作より:白隠の健康法 54かむ(噛む) 55むせぶ・喉頭蓋・誤嚥性肺炎
56NHI(アメリカ国立衛生研究所)入院規則

1

携帯電話と散歩:健康長寿の強い味方


 時折、散歩で何度かあっている人に私から「こんにちは」と挨拶を交わした。それからは逢うたびに軽い話をするようになった私よりご年配のかたがいる。話を聞くと、心筋梗塞で足から血管を抜き取り心臓手術をした。散歩を勧められ、歩いているが、棒のような感じがする足を動かしているといわれ、何時また倒れるかも知れないので、ニトロを腰のバッグに入れて肌身はなさずに持っておられる。

▼十二月中旬の天気は良かったが、少し風がある日に散歩されていた。立ち話しの中で、今日はマスクをするのを忘れている。そしてポケットには携帯電話も入れて、「1」はだれ、「2」はと、その人の子供さんに簡単に知らせられるように、その人たちの自宅の電話番号を紙にかいて、電話器の裏側に貼り付けておられた。準備万端の準備、毎日散歩して血液の循環をよくする様に心がけておられる。携帯電話にまつわる問題もたくさんある、しかしこんな使い方もある。また、年配の方々が散歩されているが、散歩を楽しまれているようだが、体のどこかに悪いところをたいていの人は持っているものですよとも言われる。散歩しながら、「学ぶべきは天然」との教えもあるが、人との会話によっても何かがえられる。

平成十五年十二月十三日


2

散歩道ー石高神社ー


 私の散歩道の途中に石高神社がある。石作りの鳥居の後ろに一対の石造の狛犬の台石に「産子」の字が彫られている。「道産子(どさんこ)」の言葉はきいているが、ただの『産子(うぶこ)と読む)』。同じ産土神(うぶすなかみ)を奉じる人。氏子。古老のお話によると其の氏神様の範囲の土地に生まれたものだそうだ。廣島県豊田郡忠海町(現在は同県竹原市)出身の私にはその町の八幡様の氏子になるのだろう。小学校の同級生が四十歳になったとき、その厄払いに私たち全員のな前を彫った石碑を社前に寄進している。あれやこれやと思うとき、帰巣本能が紅炉上一片の雪のように記憶がよみがえる。

▼約百段の石段をのぼり神社の木造瓦葺の門がある。そこから南を望むと、かって勤務した工場が見える。天気の好い日には児島半島の山並が青空に曲線を描いている。また、工場の煙突からの煙の様子で風の強さ、方向が判断できる。

▼その神社の裏手に、天満宮の小さな造りの社がある。私は手を合わせて、「しかじかしています」。たとえば「孫たち(高校2年生)も一生懸命に勉強しています」と、ただ報告をしている。神前で手を合わせて拝礼して報告をするだけでも、孫たちのために陰ながら報告していると思うと、祖父として心が落ち着く。

*参考こまいぬ 【▼狛犬】 〔高麗(こま)の犬、の意...
〔高麗(こま)の犬、の意〕神社の神殿や社寺の前庭に置かれる一対の獅子(しし)に似た獣の像。ライオンを基に形象化されたもので、初めは犬に似ていたが、平安末期に獅子に近い形になった。こま。

(平成十六年二月十八日)


3

習慣病


 習慣病は何時ごろから言われ始めたのだろうか?

▼糖尿病や心臓病、脳卒中、がんなどの病気は、症・進行すると考えられていました。ところが、これらの病気が発症するまでには、食生活や喫煙、飲酒など、個人の生活習慣の因子が深く関わっていることが明らかになったのです。そこで、平成8年12月、当時の厚生省「公衆衛生審議会」が成人病にかわって、生活習慣に着目した生活習慣病という概念を新たに導入しました。食生活や運動習慣、休養、喫煙、飲酒などの生活習慣によって引き起こされる病気を「生活習慣病」と呼びます。(インターネットによる)

▼上記の糖尿病や心臓病、脳卒中、がんなどの病気以外にも、歯周病も含まれています。現在、私はこれに不愉快な思いをさせられている。思い切って抜いてしまえばと思うことすらあります。

▼最近、友人の一人が二年に一度の自動車の定期検査を受けた。車検の前後では全く調子がかわり、乗り心地も好くなり、自分の気持ちより自動車が先に動いてくれるようだという。私は自動車を持っていないので、こんな経験はない。

▼健康のために「人間ドック」に入って検査している人がいる。時に体の各部の検査をするのは良いことである。しかし「心のドック」に入ったということは聞かない。
 「習慣は第二の天性」だといわれている。自分では分からないでいる心の習慣病に罹っていてかも知れない。定期的に検査してみなければ友人が話しているとき思った。車検→調身・調息・調心へと連想させられた・・・。

平成十六年二月二十七日


4

認知症


 新聞報道によると、厚生労働省は平成十六年十二月二十四日、「痴呆(ちほう)」の呼称を「認知症」に改めることを決定した。 行政用語はこの日から「認知症」を用いるほか、関係法令についても来年以降、表記を変更する。四月から広報を集中的に行い、一般への普及を図る。これにより、「痴呆性高齢者」は「認知症高齢者」などに言い換えられる。「痴呆」という用語には侮べつ的な意味が含まれ、「何も分からない人」との誤解や偏見を受けやすいとの指摘があることから、同省では昨年6月から、誤解、一般にもわかりやすい呼称を検討していた。

▼「認知症高齢者」と言っても、当分はなんだろうかと思う。 一般的に少し難しい言葉ではその語意まで理解しにくいものであり、こんなものだと思ってつかっているからそのうちになれてくるものだろう。 痴呆という言葉は私ども普通に使っていた、いや「ボケ」といっていた。高齢になる人が多くなるとともに、周りに物忘れが多くなった程度から、彷徨するなどさまざまな症状の人のことを耳にすることが多くなった。多くの人は上に述べられているような誤解して使っていなかったと思うが、当事者やその家族のものにとっては非常につらい心を傷つける言葉であったであろう。

▼言葉はともかくとして、私の言いたいことは、自分がある年配になったからか、「加齢化につれてのボケの対策はありやなしや」と思うようになっている。同じ年配でも「認知症高齢者」、そうでないものもいる。また九十歳を越しても言語など明晰なかたがいらっしゃる。

 このような違いがあるのは何故だろうか。認知症にならない人は「人とよく会話していて」「趣味が多い」「なにか仕事をしている」「内にこもらずよく外に出かける」「新聞・本をよく読んでいる」「好きなことを熱中してやる」などなど・・・。

▼生理的に当然として「認知症高齢者」がふえるだろうと予想される。頭のMRIスキャンにより多種類に分類されている。しかしアルツハイマーなどについても決定的な治療法はまだ確立されていない。近い将来に完治を期待するのは無理だろう。こんな状況の中で、多くの人は他の人に迷惑をかけたくないのでそのようになりたくないと思っている。しかしその防止対策はといえば、上に述べた周囲の人の観察によるものか、脳の活性化などがいろいろな角度からいわれているが、いまの私にはこれらがその対策だと確信できないが、認めるとしても、生理的なもの、性格によるものか、いわゆる習慣によるものか。生理的なものであれば「あるがままに生きる」しかない、そのほかによるものであれば、概して老人は頑固で柔軟性がないといわれている。これまでにつくりあげた性格・習慣をかえることは容易ではないが、そうなりたくないと思えば、今までにしたことのないことをはじめればよいのだろうか。熱中できることを続けるか。多くの関係者がその対策を総合的に研究しているがその成果に期待したい。ひとりひとりのためであると同時に高齢化社会の将来にたいしても。                            


補足1:認知症の改善の期待は、現実に多方面で成果の事実が報道されている。

一 簡単な数の足し算の繰り返し 徐々に速く
二 簡単な言葉を朗読する
三 ワープロより手書き
四 コムニュヶションをする
 これらを続けていると、彷徨しなくなり、睡眠が改善されるなどの効果もあらわれている。(平成十七年一月十五日)

平成十七年三月十五日


補足2:若者も認知症

 認知症はお年寄りだけの病気だと思っていた。

 40代~50代が多いけど、20代で発症する場合もある。96年度(10年以前)の調べでは、全国で2万5千~3万7千人いると推計された。専門家の間には、軽い症状の人を含めると、現在は全国で10万人という見方もある。

 原因は高齢者と同じように、脳細胞が死滅するアルツハイマー病や、脳出血などが原因の血管性認知症が多い。ピック病などが原因となる場合もも高い。

 脳の自己チェックリスト

◆毎日1回以上、置忘れがある。

◆その日の朝食の内容(おかず)を思い出せないことがある。

◆よく知っている道で迷ったことがある。

◆野菜のな前を10個以上言えない。

◆火の不始末がある。

◆現在の総理大臣の名前が思い出せない

 失われた機能を根本的に回復することが出来ないのがなんとも言えない。

「朝日新聞のニュースがわからん」より。

平成十八年六月二十九日


補足3:認知症告知、80%超が希望 市民2千人意識調査

 将来自分が認知症になった場合、告知を希望する人が80%を超えることが、約2000人の一般市民を対象に国立長寿医療センター(愛知県)の荒井由美子長寿政策科学研究部長らが実施した意識調査で分かった。東京都内で開催中の日本老年精神医学会で6月30日に発表した。

 根本的な治療法が確立していない認知症の告知には賛否両論があり、論議に一石を投じるデータとして注目される。
 調査は2004年に実施。協力が得られた全国の20代~70代の一般市民2012人の回答を集計した。
*私の感想:ガンの告知希望の増加と同様にその数が増加しているようだ。
2006年(平成18年) 7月 1日共同通信により。


補足4:最近の医学の進歩により、「認知症」については歳によるものではなくて、病気である認識をもつ必要があるといわれている。

 最近は「認知症」の進行を遅くする薬から進歩して、進行を止める薬があるとのことである。また、それらの人の気力を回復するためには「センター方式 認知症」(インターネットで多数紹介されている)による方法が試みられて成功している事例が平成18年12月17日、NHKTVで放映されていた。


補足5:高齢者が大きな手術をすると「認知症」になることを知った。

2009.8.21


補足6:研究は09~12年度に、愛知県大府市、茨城県つくば市など全国10市町で実施された。65歳以上の住民計約9000人を対象に、調査員が訪問するなどして生活状況を聞き取り、認知機能検査や脳の画像検査を行って、専門医が国際基準に従い診断。認知症の人の割合(有病率)を調べた。          

▼その結果、65歳以上の人の有病率は15%。全国の高齢者数約3080万人と照らし合わせると、認知症高齢者数は約462万人に上った。介護保険のデータを基にした昨年の国の推計より大幅に多くなったのは、介護保険サービスを受けていない軽度の人や、病院に入院している重度の人なども含んでいるためだ。(2013年6月1日23時54分 読売新聞)

▼2013年6月に厚生労働省が発表した「認知症有病率等調査」によると、65歳以上の認知症の有病率は15%、全国の認知症高齢者数は約462万人と推計されています。また、予備軍も約400万人いるといわれています。

 団塊の世代(1947~49年頃に生まれた世代)が65歳以上となる今年、認知症はますます身近な病気になるといえます。

▼認知症高齢者(65歳以上)4人に1人 認知症の行くへ不明1万人と報道されている。全国の認知症高齢者数は、2012年時点で推計約462万人に上り、昨年の国の推計より約160万人多いことが、厚生労働省研究班の大規模研究で分かった。

 認知症を発症する前段階とみられる軽度認知障害(MCI)の高齢者も、推計約400万人だった。正確な診断に基づく全国の認知症高齢者と、その“予備軍”の実態が明らかになったのは初めてで、国の早急な対策が求められる。

▼岡山市の人口は約71万人(2010年)であるから、約6.5の人々に相当する。

大変な人たちが認知症になられており、本人は勿論家族の方々は大変です。

 認知症のひとを健忘症の進行しているものと思い、対応していると家庭が崩壊することになりかねません。「これは病気」だとして、辛抱強く見守らなければならないものだと思います。

2014.04.25


5

落し物・忘れ物のあれこれ


 その一

 下旬に歯の手入れに大学の歯学部にでかけた。目的のバス停で小銭入れからバス代を取り出し、ズボンのポケットに入れて、降りた。病院に到着して小銭入れを出そうとすると見つからない。ズボン、上着、カバンの中を調べても見当たらないので、はじめてポケットに入れたはずだが落としたことに気づく。帰りに、乗ったバス、坐っていた場所、小銭入れの形・色などをバス会社に届けた。私が家に帰るまでに会社から電話があり、「見つかりませんでした」との連絡を下さっていた。

 その二

上歯の一部は入れ歯である。治療をはじめるときに先生に入れ歯を取るように言われて取り外して、先生と学生(五年生の実習中)さんに丁寧に手入れをしていただき、次の予約日をきめて、市内での雑用のため昼食をとらず、そのまま家に帰った。途中で知人と話しているとき、大学へ入れ歯を忘れてきたことを思い出し、「これは困った」と。 帰宅すると、これまた、学生さんからすでに電話があり、家内はその学生さんと話し、最終的には、自分の勉学・研究が終わってわざわざ届けてくださることになり、夕方六時に、自動車を運転して丁寧に水のなかに入れ歯を漬けて届けてくださった。学生さんの心遣いに感激させられました。

▼帰宅前に家内は上の二件を電話でしり、「貴方はどうもおかしいのではない」と心配していたと言う。たしかに若いころに比べて物忘れが多くなっているようだ。 こんなことでは、話の繰り返しが多くなり、またか、くどいとの感じを人様に与えているのではと反省しきり。

▼こんなことが一日に二件もあり、ある学校での私の生徒時代のことを思い出させられた。 校内のどこに落し物をしたとしても、その日の夕方には必ず呼び出しを受けて手元に返された。自分の持ち物の多くには、教科書をはじめとして、所属の何期、何分隊、な前をかきこむことになっていたから持ち主が判明するからでもあった。私はそのときのしつけか、カバン、眼鏡のケースには住所・氏めいを書き込んでいる。六十年の昔をなつかしむ・・・。

平成十七年一月二十七日


6

空腹は最高の料理人ー沢庵ー


 美味しくない! 食べ残す。もったいない。レストランや食堂で、食事を終わり、立ち去ったテーブルにはたいてい何かが残っている。ある調査によると、日本では輸入食材の三分に一は生ごみになっているとのこと。

*最近の実体はかわっているのか調べていません。

▼容易に想像できることは、どこそこの食事は美味しいと、食べ歩き、結局は食べすぎになっている。次は運動不足でなかろうか。例えば、近くの決まったところにゴミを捨てに行くにも、スーパでの買い物も自動車。これでは体によくないことは誰でもわかる。成人の八十パーセントは運動が不足していると感じている。そこで対策として、中には、水泳教室とか運度ジムに入会している。矛盾の言葉そのものである。

▼NHKこころをよむ 鎌田茂雄 『沢庵を語る』。皆さんもご承知だと思いますが、転載させていただきました。私も好きな話しで何も付け加えることはありませんが一言付け加えれば表題になりました。

▼三代将軍家光が沢庵と大変意気投合いたしまして、四方山話をしていたということです。すると家光が申しました。

 「和尚、余は近頃、何を食べても味がなくて困っている。何か口に合うような美味しものがあったら、馳走してくれぬか」

 沢庵はこれを聞いて、

 「それはいと易いことです。明日、巳(午前十時ころ)の時、私の休息所へおいでを願いまする。当日は愚僧が主人で上様はお客であれば、わがままを仰せられてははなはだもって迷惑であります。それさへご承知であれば、天下にまたとない美味なものを差し上げます。但し、どんな用がございましても、愚僧のもとにおいでになった以上は、絶対に中座なさってはいけません。これは念のために今申しあげておきます」

 と申し上げました。家光は大変喜びました。

 「いや、それは大変ありがたい。それでは明日巳の時までに和尚の所へまいるであろう」

 といって、帰ったわけです。翌日、家光は小姓二、三人連れて、和尚のもとへやってまいりました。

 十二月の下旬の頃で、朝から雪がちらちら降っていて、もう一面の銀世界です。家光はこの雪の中を珍味を食べたいあまりやってきたのです。沢庵は将軍を迎えて、

 「これはようこそ雪の中おいでくださいました。まず茶室へお通り下され」

と茶室へ案内して、和尚はそのまま自分の居間へ引き下がってしまいました。雪はますます降って、庭の松の枝にも積もってきます。家光はこの景色を眺めながら、一体、今日は何をご馳走するのか、と考えていました。ところが待てど暮らせども和尚の姿が見えません。朝の十時頃に来たわけですが、昼になっても見えない。昨日の約束で何があってもそこを動いてはいけないと言われているので、いらいらしながらお腹を空かせて待っていました。三時頃になってもまだ姿が見えません。茶室には菓子が一つとお茶があるだけです。その冷え切ったお茶を飲んだら、真冬のことですからたまりません。腹の底までしみわたり、腹が空いて目が回りそうです。その頃になってやっと和尚が出てきました。

 「はなはだ遅れまして恐れいります。沢庵手製の料理、何とぞご賞美くだされますように」

そういって出したお膳を見ると、そこには黄色で四角く、一寸四方ばかりに切ったものが二つ小皿に載っているだけです。そばにはお椀が添えてあるばかりで、他には何もありません。小姓の方も全く同じです。家光が大急ぎでお椀のふたを取ると、中にはご飯が入っていて、湯がさしてあります。昔、よく食べた湯漬けですね。家光は、

 「和尚、馳走になるぞ」

 と言うやいなや、お椀を駆け込みガツガツと食べました。そして黄色い四角なものは何だろと思いながら食べてみると、塩気があってコリコリして誠に味がいいわけです。家光は喜んで、

 「いや和尚、まことにもって好い味だ」

と、湯漬けを何杯もお替わりしました。

 やっとお腹がいっぱいになって、

 「自分は生まれてからこんなに美味しいものを食べたことがない、この黄色いものは何だ」

 と、尋ねました。

 沢庵は、

 「それは大根の糠漬けです」

と、答えました。家光はすっかり感心して、

 「大根の糠漬けか。まことに美味じゃ」

と、いいました。すると沢庵はかたちを改めて、

 「上様は征夷大将軍という高い位で、富貴この上はありません。いつも結構なものを毎日膳部に供えて、料理の方が差し上げますから、それが口になれてうまみがありません。それは贅沢になっているからです。今日、愚僧がご招待して空腹を待ち、このような粗食を差し上げましたが、お怒りもなく美味しいと仰せられました、以後、美味しいものを召し上がろうと思し召しましたら、ご空腹になるのを待ってお食事をなさるのがよろしゅうございます。空腹の時はどんな粗食であっても味がよいと感ずるものであります。そのようにお考えあってほしい」

と言ったわけであります。P.112~115より

平成十七年五月十四日、平成二十二年十一月再読・修正。


7

パパはマイナス50点


 明子さんが表題の本を出版され(新聞広告で知る)た。若い人たちは小山さんを知らない方が多いのではでしょう。ご主人が映画監督・大島 渚さんの妻、映画女優でした。

 その記事には

 妻失格。母親も失格。女優としても失格。完璧な介護うつで入退院をくり返す。そんな日々からいかにして再起したか、包み隠さずに告白する。

 自殺願望にとらわれた日々から立ち直った心の軌跡。介護うつを越えて夫、大島 渚を支えた10年。

▼映画監督として立派な作品を制作された夫が倒れて何もすることが出来ない人になる。その落差は女優として活躍されていた夫人にとってもあまりにも苛酷なもので明子さんの自分を失格者であると思いつめさせ、自殺願望にとらわれるに至ったのだろう。

▼私自身、過去に大きな手術を2回もした。2回目の手術後、健康不安が鬱積して何もすることができなかった。テレビを視ることさえうとましくなった。遂にある大学病院に入院することになった。内科的にはまったく異常ないと診断されても受け入れる状態でなかった。“うつ”状態は長く続いた。自分自身が暗くなるばかりでなく家庭の様子もおかしくなる。そんな状態のとき、転勤があり勤務環境が変わり、日常業務が多忙になり、体を動かす機会も増えて、自分の身体のことを思う時間なくなったようであり、さしもの“うつ”も自覚しないで気づかないうちに軽快した。今でも不思議なくらいである。

▼小山さんはこの本を出版するにあたり、どのような準備をされたのだろうか? 例えば、毎日、介護日誌を書き続けることなどされたのだろうか?その作業を通して自分・夫の体・こころの状態などに真っ向から向き合ってこられたのではなかろうか。そして何かをつかみとられたのではないだろうか。自殺願望の極限に至ったとき、はっと引き戻すこころの救いをえられたのではないかと拝察しました。ご本を読まず、私の独断で解釈して申し訳ありませんが、安心の世界に生きられることを願ってやみません。

平成十七年十月十四日


追加:平成25年1月15日に亡くなった映画監督の大島渚さんの妻で女優の小山(本みょう・大島)明子さん(77)が16日夜、東京・池袋の東京芸術劇場で、マスコミの取材に応じ、大島さんの最期の様子について語った。

 小山さんは、舞台出演を終えた直後、詰めかけたマスコミの前に姿を見せ、「ずっと覚悟していた。私の中では、お別れはできていました」と気丈に話した。

 1か月前から容体が悪化し、会話もほとんどできなくなっていたという。「私が冗談で『神様に最後のお願いをするなら、家に帰りたいか、おいしいものを食べたいか、お酒を飲みたいか』と尋ねたら、『飲みたい』と言った。少しずつ、お酒を口に含ませたら、ぺろりとなめていました」と、最後の思い出を語った。

読売新聞の記事より


8

元気で病気します


 中嶋先生
               五十四年二月十三日夜七時
 何事もあなたまかせの如月(きさらぎ)よ

 スミマセン

 涙でくもりまともに仰げず

 元気で病気します

 ありがとうございました。

 飯尾学級のみなさまに

              五十四年二月十四日

 千羽ずる

 一羽 いちわの

 かがやきて――

 元気で病気しています。

  『徳永先生遺文集』

▼徳永康起 先生のハガキです。

 先生は熊本県の人です。八代(やつしろ)でも教鞭をとられた方です。腎臓病にかかりなくなられました。永眠される、約四カ月前に書かれたものです。

 「元気で病気します」のすばらし言葉に私は感動しています。

 「元気で○○しています」と言つたり、書いたりするのは、

 「元気で仕事に励んでいます」

 「元気で暮らしています」と言うのが普通です。

 「元気で困っています」「元気で悩んでいます」という人はいないでしょう。まして、死に至る病にかかりながら、元気で病気しますとは。この一語に、先生の行動哲学が凝結していると思われてなりません。

▼兵庫県に米田啓祐という先生がいました(現在は退職されています)。

 学校の運動会の前日のことです。測候所が風雨注意報を出しました。その日、放課後、受け持ちの六年生の子どもたちに、マイクで話しかけました。

 「もしも、明日、雨が降っても、天に向かってブッブッ言うな。雨の日には、雨の日の生き方がある」。

            東井義雄『根を養えば樹は自から育つ』

 東井義雄先生は米田啓祐先生の勤めている学校の校長先生でした。

 先生はこのマイクの話を聞き、

 「雨の日には、雨の日の生き方がある」

 ほんとうにそうだと思いました。もしも、雨が降ったら、

 「雨のおかげで、こんないい一日にしていただきました」と言えるような生き方をするばかりだと気がついたら、降りたければ降ってください、と、何事も、両手で受けて立つ覚悟が湧いてきて、急に心が軽くなってきました。次の日は、ふ思議にいいお天気にしてもらいましたが、事にあたってブッブッ言わないで「両手で受けて立つ」というのも「男の生き方」¥でしょう、と東井先生は書かれています。

 今年の夏、米田先生の講演を聴く機会がありました。この先生ならば子供の教育はおまかせできる人だ、こんな先生に教えてもらえる子供は幸せであると感じました。

 日々是好日(にちにちこれこうじつ)(中国唐代末期の禅僧雲門和尚の有名な話です)。私は米田先生の生き方には同じものを感じました。

▼「元気で病気します」、「雨の日には、雨の日の生き方がある」と、口ずさんでいますと、研修所のみなさんに、「どうせ」と「せつかく」について話したことを思い出します。

 「みなさんは罪を犯し、刑務所に入ってきました。『どうせ』自分たちは犯罪者なのだから、何をしても、どうにもなりはしないと考えているでしょう。しかし、『せっかく』ここに入ってきたのですから、時間もあります。食べるものを与えられています。何かを考えてつかんでください。」

との主旨の話を所長がされたところ、聞いていた人たちはびっくりした。受刑者ばかりではありません。職員までも。

 自分が苦しい状況になったとき、「どうせ、自分には運がないから、こんなになったのだ、仕方ないや」とあきらめるか、「これは、自分を試しているのだ、せつかくの機会だ。やるだけやってから考えてもおそくない」と考えるか。「どうせ」と「せつかく」はまつたく百八十度の方向違いの行動をさせるもののようです。

 この話を何度かしているうちに、「ともかく」と「せめて」という言葉がうかんできました。「どうせ」から「せつかく」に気がつけば、その次は「ともかくも」やってみようと一歩踏み出すことです。苦しい状態にせつかく置かれているのだから、ともかくも解決の道をさがしてやってみよう。つらいことだけど、やってうまくゆかなくても、いまの状態よりは悪くならないのである。「せめて」これくらいはやりたいと考えたいものです。

▼日常、私たちは多くの言葉を何気なく使っていますが、「どうせ」といった言葉の使い方には注意したいものです。マイナスのイメージにつながる言葉や否定する言葉は、使っている人にかぎらず聞かされる人も落ち込み、落ち込まされる力を持っています。反対に肯定する言葉は励ましと勇気を持つようになります。

付記:この文章は私が会社の研修所に勤めをしていた昭和六十一年(1986年)に研修生に書いたものを一部訂正したものです。

平成十八年一月十二日、平成二十二年十二月二十二日読み返す。


9

自己暗示


▼C.H.ブルックス/E.クーエ『自己暗示』という本があります。

 この本で私が選んだ文章をあげますと

一  Day by day, in every way, I am getting better and better.

 「日々に、あらゆる面で、私はますますよくなってゆ」

二 ある考えが精神を独占してしまった場合、その考えは実際に、肉体的もしくは精神的状態となってあらわれる。

 三 ある考えを意志の力でおさえようと努力すれば、その考えをますます強めてしまうだけである。


 この本について故 遠藤 周作氏がある新聞に紹介されていた。

 フランスのナンシーというに市にエミール・クーエという医者がいた。毎日彼のところにはさまざまな痛みを伴った患者たちが押しかけた。

 というのはこのクーエ先生は彼独特の方法でこれらの痛みに悩む病人たちを癒していたからである。

▼彼の独特の方法とは自己暗示療法ともいうべきもので、患者の心を「この痛みは消える」という考えに仕向けるだけのことなのである。

 彼の理論や方法を書いた本は幸い法政大学出版局から出版されている興味ある方は御一読されたい。

▼しかしこういう本を読んでも自己暗示だけで痛みが消え去るものかと馬鹿にされる読者も多いだろう。

 だが十人のうち十人がみなこの方法で痛みを除去できなかったとしても、医師クーエの診療室に行く患者のなかには本当に治癒したものがあまたいたのである。

 それはやはり肉体と心が別々のものでないことをはっきり示している。

 我々は長い間、肉体と心とは別々のものと考えこまされてきた。たしかに一面ではそれは言えるだろう。しかしもう一面では心と切り離せぬものであることは今の医学のなかでも心療科を中心とした医師の主張するところである。心の状態がまるで物の影のように体にあらわれ、それが色々な痛みや疾患となってあらわれるからだ。

▼最近、私はある内科医と対談した。その内科医は長年、彼の患者のなかで検査では何も異常はないのに各種の痛み、不眠、下痢、息切れなどの症状を訴える人がいるのをフシギに思い、これはひょっとして肉体のうつ病ではないかと考えたのである。肉体のうつ病とは心のうつほど深刻ではないから暗い顔をしていないかわりに、痛みや下痢という体の症状になってあらわれる。

 そこでこの内科医は試みにこうした患者にあるうつ病の薬を与えてみた。すると不思義に上に書いた不定愁訴は消えたというのだ。ある意味ではクーエ医師と同じ療法なのだ。私は非常な興味をもってこの内科医の話をきいたのである。

▼この本を読みまして、私は、「日々に、あらゆる面で、私はますますよくなってゆく」といったよい言葉などを繰り返していると力が与えられることもあるようです。活用したいものです。

 こころが弱っているとき、自分の座右の銘「泣いてすむことか」なども時折、口ずさんでいます。

平成二十五年七月七日


10

立腰と歩行


 西山 啓子先生からのお便り

 「全校立腰教育 1学期続けました。7月20日の終業式では全校児童36人の立姿がこれまでと違うことを校長先生はじめ他の職員が気づいて話題となっていました。」(後略)先生からのお便りの一部です。

▼全校関係者が立腰教育に取り組まれ、わずか1学期間で以上のような進歩は素晴らしことで、よいことを始められたと思います。

 2、3学期と1年間、続けられると、きっと素晴らしい子供たちになるのでしょう。

▼最近、私は歳のためか、歩いているとき前のめりに2、3歩、足が乱れるのを感じるようになりました。此れは危ないぞと! 自分の歩く姿は、背中は前の方にまがり、目の付け所は3~5メートル前方で、歩いているのに気づきました。そこで、お腹を前に突き出すようにして、顔を上げて、遠くを見るようにして胸をはって歩くように心がけて見ました。すると、足の乱れがなくなりました。おわかりいただけると思います。腰骨を立てずに歩いていたのです。

▼立腰は教室で椅子に坐って、あるいは床に静座して実行されていると思いますが、その効果は先生たちがお気づきなられたようにまさに立姿にも表れています。ところが私のように歩くときにも立腰が役に立っているのですね。ところがこのようにして歩いていると、少しばかり左の方に短い時間ですが体が移動することに気づきました。そこで、左右の踵で前に踏み出す力が違うのではないかと思い、できるだけ注意して同じ程度の力で踏み出すようにしました。まっすぐにあるけるではないですか。ほっとしました。

▼題目は私の体験を含めて「立腰と歩行」としました。立腰は子供のときに身につけ、やがて大人になっても「こころと体」にもよいと思うときがきっときますので、生徒さんたち「全校立腰教育」に励まれますよう。期待いたしています。

 先生の皆様にもお願いいたします。

平成十八年八月十一日


☆補足; こしぼねをクリックしてください


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起床後の服装


 定年退職後の起床してからの服装はどんなものでしょうか?

定年前は朝食の前後に寝巻きから必ず服装を整えます。背広或は作業服に。人によっては食事前、あるいは食後とまちまちでしょう。定年後、再就職して新しく勤務された方は、出勤時、服装を正すと「今日も!」と言ったなんとなく身が引き締まる気持ちになるようです。

▼退職後、多くの人は「毎日が日曜日」「曜日の感覚がなくなる」「今日は何曜日か?」と。

 家庭におられる人も、起床後の服装は人によるでしょう。定年後、何かをされている人はべつとして、しなければならないものを持たない人は、起床後、寝巻きのまま食事、自分の好きなことをする。服に着替える時はさまざまでした。外出するときなどは、平素の服に着替える。また、起床後、寝巻きから普段着に着替えて、食事して、その後、自分の好きなことをする方も居るでしょう。

 私は長い間、前者の生活ぶりでした。然し最近、目覚めて床から起きると、すぐに平素の服装に着替え、食事する、新聞を読むなどすることにしました。朝早く、来客や托鉢のお坊さんがこられても恥ずかしくありません。気分もシャンとするように感じます。

▼一日のはじめの気分を引き締めるのは、気分的にも健康のためにもよいのではないでしょうか。船乗りの用語に「入り船」「出船」があります。「自学自得ハガキ通信」にも書いていますが、ここでもう一度、説明しますと、大きな船は港に入るすなわち「入り船」すると、必ず「出船」の状態にして繋留します。いつでも出航できるようにしておくことです。多分、海上自衛隊の艦船はそうしていることだろうとおもいます。小型の船は知りません。

▼履物についても外出から帰ると、そのままの履物の向きにして家に上がらず、いつでも履けるように向きを変えてそろえておくように心がけるのも同じことでしょう。訪問などして家の中に招かれる時に、このようなことをすれば、その人の受けたしつけがよいのだろうとおもいます。反対に、靴や履物などがばらばらの向きに乱雑になっているのを見ますと、この家はと、おもいます。古い人間だからでしょうか。

▼何でもない些細なことを書きましたが、そんな細かいことはどうでもよい、大きいことが出来さえすればよいといわれるかもしれません。細かい何でもないことにも心配りしているその人の生活への心構えのみならず、けじめのある生活の態度に通ずるものではないでしょうか。

▼森信三先生『一日一語』

 「人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。退職後は、在職中の三ばいないし五ばいの緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならぬ」

 このためにも、朝の服装からきっちりとするようにすれば、その日を有効に過ごすものを見つけ出せるようになるのではないでしょうか。

平成十八年十一月二十三日


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へその「の」の字


 一昨年、腸の調子が悪くなり、「虚血性腸炎」で入院するハメになる。その期間、便秘が続いた。担当の看護師(今は看護婦とは言わない)さんの一人が、「の」の字を腸の上でこぶしで押さえて書きなさいと、教えてくれました。

▼退院してもあまりはかばしくなくて、約一年後、再検査しましたところ、「虚血性腸炎」は治っているが、便秘と下痢は相変わらずであり、「過敏性腸症候群」と診断された。この病気は高齢者が多くなり増加して、多くの人たちが同じ症状になっているそうです。この病気の特徴は腹の特定の場所が痛むのではなくて、日によって「S字結腸」「みぞおち」などと変わる。私の場合、夜中に目が覚めると痛みがおこる日が続いていた。

▼ある日のこと看護師さんが言われていたのを思い出して、寝る前に「の」の字をかくのを5回位したところ、それ以来続けているが完全に収まったとはいえないまでも不思議に痛みが軽減された。

▼伊藤 肇『帝王学ノート』(PHP文庫)P.114 のなかで『へそで「の」の字を』について書いるものに出会った。

 漢学者の宇野哲人先生が白寿の記念講演で荘子(そうじ)を引用して、解説されておられた。

 親類のおじいさんで大変元気な人がいまして、たまたま、宅へみえました折に、父が「どうして、あなたはそんなにお元気なんですか」ときいたところ、「私は寝る前にヘソを中心に『の』の字を百遍書いています」と答えられました。私はそれをきいて、早速、実行しましたが、これはたしかに私の長寿に役立ったと思います。

▼もう一つは荘子の「不将ふ迎、応而不蔵」(おく)ラズ、(むか)ヘズ応ジテ而シテ蔵メズ)を実行したことです。「(おく)ラズ」というのは「心配ごとや苦労があっても、それにこだわってくよくよしない」ということであり、「(むか)ヘズ」は「とりこし苦労をしない」ということです。この二はどうにかやってこれたと思います。

 しかし、「応ジテ而シテ蔵メズ」が未だに十分やれません。

 これは何か事が起きた時、直ちにテキパキと処理する。それが一旦、処理したあとは「蔵メズ」で、すっかり忘れてしまう、つまり「執着しない」ということでございます。

 風、疎竹(そちく)ニ来タル。風、過ギテ竹ニ声ヲ留メズ。

 (かり)寒潭(かんたん)ヲ度(わた)ル。雁、去リテ潭ニ影ヲ留メズ。

 故ニ君子ハ事来リテ心始メテ現ハレ。事去リテ心随ッテ空シ。

 「かの風は 竹に来てさやげども 過ぎ去れば、ひそともいわず

 清き淵の上を 雁の飛ぶ時 飛び去れば、はや影なし

 君子の心事もかくの如く 事に逢えば心を生じ 事すぎればまた無心」


 『荘子 第一冊[内篇]』金谷 治訳註(岩波文庫第一冊。P.234)には

 (おく)(送)らず、(むか)えず、応じて而して蔵せず。故に能く物に()えて(そこな)わす。と記載されている。

 『菜根譚』今井 宇三郎訳註(岩波文庫P.102)には

 風、疎竹(そちく)に来たる、風過ぎて竹は漢字(かんじ)声を留めず。

 (かり)寒潭(かんたん)(わた)る。雁去って潭は(かげ)を留めず。

 故に君子は事来たって心始めて現われ、事去って心随って(むな)し。と記載されている。

 宇野 哲人(うの てつと、明治8年(1875年)11月15日 - 昭和49年(1974年)2月19日)は儒学者で、東洋学の開拓者の一人。東京大学めい誉教授。東方文化学院院長、実践女子大学学長、東方学会[1]理事長・会長などを歴任。

平成十九年四月十四日、平成二十四年十一月十七追加・修正。


▼病院でおしえられていました、このへその「の」の字(写真のように)まさつは、しばらくはおこなっていましたが、中断していました。

 平成二十六年六月はじめ、ふと思い出して、再開しました。

 百遍書いているとのことであったので、やってみると10分もかかりました。2~3日後、同じことをやっていますと、途中で眠って、ハット目覚め、ともかくも百回にたどりつきました。

 行っているとき、腸がもみほぐされるためか腹部の痛みはほとんどないことに気づきました。

 ただ、年配のためか朝までに1~2回目覚めるときがあり、少し痛みがあることがあります。

平成二十六年六月


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人工腎臓透析:能勢之彦教授記事


 知人に人工腎臓による透析を受けている人が二人いる。             

▼その一人(S.I.さん)にお見舞い状を差し上げたところ、平成十五年十二月に入院して透析を受けることになり、現在まで丸三年と四カ月、週三回、それぞれ三時間半の透析を受けているとのこと。

 お見舞い状の返信に、

 「私共の前後にかなり至近弾が落ちており鬼界にはいられた方もあり、お互いこの年になれば病と共存しながら過ごしていかざるをえません」と、述懐されたお手紙をいただきました。

▼会社勤務していたとき、私はこの人工腎臓の開発を担当したことがありました。(能勢之彦さんの甥:Sueoka 君を先生の研究室に1年間派遣した。)

 文芸春秋(2007年3月号)巻頭随筆に能勢之彦(のせ ゆきひこ)氏(ベイラー医科大学 人工臓器開発センター長・外科教授)が「日本製医療機器の将来」を書かれているのを読みました。開発の歴史と日本の医療機器について示唆に富んだ記事と思いますのでその要点を記載します。

 私が北海道を後にしてアメリカ行きの飛行機に乗り込んだのは、一九六二年(四五年前)、二十九歳の時だった。後に、生涯をかけることになるテーマとの出会いは、北大医学部卒業後、進学した大学院で担当の三上教授から言われた一言に始まる。「これからは人工臓器の時代だ――」。

   世界で初めての人工腎臓は、四三年ドイツ占領下のオランダの小さな村立病院でウィリアム・コルフ博士の手によって誕生した。その後、コルフ博士は、アメリカに渡り、クリーブランドクリニックの人工臓器部門の部門長として、人工腎臓の開発およびその臨床応用に携わる。六〇年にはシアトルのスクリブナー教授と共に、慢性腎不全患者の延命が人工腎臓によって可能であることを証明し、以後、クリーブランドクリニックは世界の人工腎臓開発の中心なった。渡米二年後、私はコルフ教授よりそのクリーブランドクリニックへ招聘され、六七年にコルフ教授がユタ大学へ転出した際には、当時三十五歳の私が跡継ぎとなった。

 人工腎臓のみならず、人工心臓、人工肺、人工肝臓、人工神経など、様々な治療用医療機器の開発とその臨床使用を実に四十三年間の長きにわたり行ってきたことになる。この間、私が日本人として常に誇りに思ってきたのは、日本製の医療機器が、アメリカ製やドイツ製のものに比べ間違いなく優れていたことである。

 思えば、日本での人工腎臓の開発は七一年ニクソンショックによって危機に瀕した繊維業界が選択した唯一の生き残り策であった。当時私の所にまで相談にみえたこれらの企業の幹部に、「人工腎臓産業に参入すべし」と勧めたことを昨日のことのように思い出す。以降、東レ、旭化成、クラレ、三菱レイヨンをはじめとする数々の会社がこの分野に手を染めていった。

 現在、日本の人工腎臓の機器は、その使い易さ、信頼性、性能の良さなどの面で他を圧倒し、世界で一番広く使われていることは言をまたない。それまで世界のマーケットをほとんど握っていたアメリカの会社は日本企業との競合に敗れ、撤退。世界の年間約二億回(約百三十万人の患者)の透析は、少量のドイツ製を除き、ほとんどが日本製の人工腎臓の機器によって行われているのだ。

   話が大きくなるが、現在の日本経済は、高度な技術を基盤とした自動車、視聴覚製品、IT製品に支えられているといっても過言ではない。しかし、これらの近い将来、中国やインドなどの発展途上国の安価な製品に取って代わられる可能性が高いのもまた事実だ。だからこそ、私は思うのだ。今後の日本経済を支えるのは、高度先進技術を駆使した医療用機器である、と。

 ところが昨年十一月、私は日本人工臓器学会に出席した折、その席で耳を疑うような報告を聞いた。アメリカ及び日本の“Harmonizing approval”(合同認可)がアメリカより提案されたというのだ。それは簡単にいえば、アメリカのFDA(食品医薬用品局)許可製品はそのまま日本でも販売可能とし、厚労省が日本で認可した製品はそのままアメリカでも許可するというものである。この提案を受け入れれば、厚労省が現在行っている世界で一番難しい医療機器の認可が簡単になり、日本製医療機器が日本製の自動車の様にアメリカに広く普及できる絶好のチャンスであると、その場では喜びと共に報告されていた。

 本当にそうであろうか。一見、立派な日米協力の一つに見えるが、これは、将来的に日本で作られるであろう有効かつ安全、安価な治療用医療機器をアメリカのFDAのコントロール下に置くことによって、日本医療機器をアメリカ製品と同じように高価にしてしまうための愚行に他ならない。

 アメリカではFDAの関与以後、許可時の手続きが煩雑となり、必要以上の試験が課されることになってしまった。結果、新しい医療機器の開発費はそれまでの約十ばい以上になったが、装置の安全性は改善していない。もし、このままアメリカの要求を受け入れた場合、そしてアメリカ製の医療機器を使用した場合の医療費の高騰は考えるだけでも恐ろしいものがある。

  日本にとって、現在一番大切な事は、日本独自の医療用機器を世界のマーケットに供給する事である。そのためには、アメリカ、ドイツとの競合が必要であり、不用心にアメリカのFDAとの合同認可制度などを取り入れてはいけないのである。

 能勢先生がアメリカの長年の研究・開発に尽くされて、その状況を把握されてのご意見は日本の将来を考えるうえでの大事なヒントを与えられているものだと思われます。

平成十九年五月十八日

*能勢之彦先生:2011年10月13日、テキサス州ヒューストン市内の病院で死去。79歳没。平成二十四年七月十日知った。

▼現在:ダイアライザーの主要メーカーには、旭化成メディカル、東レ、ニプロ、フレゼニウス、川澄化学、日機装などがある。


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高齢者五省


 平成二十年一月 絵画・随筆などすぐれた外科の先生からのおはがきで

 海兵の五省を模して題名の五省を作られて、お便りをいたきました

 医師として多くの患者も診てこられてのご見解だと思います

 一 姿勢に衰退なかりしか

 二 言語にもつれなかりしか

 三 栄養に欠くるなかりしか

 四 歩行に異常なかりしか

 五 頑固に亘るなかりしか

▼私の状況についてチェックしますと

 一はまずまずのようです、しかし背骨の一部がいたんでいるようです

 二は言語明晰とはいえないようです、 一部の入れ歯の原因によるものではないかと

 三は(家内の手料理で)まったく自分では配慮していないので、反省しようがない

 四は加齢化によるものか少し要注意かも知れない

 五はどうも性格によるもので高齢になり、他の人がどう評価しているか

 いずれも先生の五省で時々は反省したいものです。


平成二十五年四月十三日の自省

 一 繰り返し同じことをいわざるか

 二 去りし事を忘れ来たるをむかえたりしか

 三 知らざる事をしらべざるか

 四 人を頼りて自らうごからざるか

 五 自分中心で他をはいじょせざるか

参考:海軍兵学校 五 省

 一 至誠に悖るなかりしか

 二 言行に恥ずるなかりしか

 三 気力に欠くるなかりしか

 四 努力に憾みなかりしか

 五 不精に亘るなかりしか

 高齢者五省との違いが少しあります。後者は日々の言行行動についてのものであることについてのものであることにお気づきだと思います。 

平成二十年二月十七日初稿、平成二十三年八月二十三日、平成二十五年四月十三日:追加。


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メモの書き方ーもの忘れ対策ー


 たびたび、電話で話している方がいる。率直な方である。

▼「この話は何月何日にしたではないですか?」といわれることが多くなった。

 「すまないな! 高齢者と話していると思ってください」と苦しい返答。

 「日記を書いて、内容を書き込みなさい、私は日記に書いています。勤めている会社のお客さんが多いので、以前に話したことと違うことを話すと信頼されなくなりますので」と。

▼私の想像ではお客様ごとに分類して、書き込んでいるのではないかと想像。これはメモをとるヒントになると思った。

 私自身も、長い期間にわたって、毎日、パソコンのWordで日記を書いています。非常に簡単であるので、その内容を詳しく思い出せないことが頻繁である。第一線から退いているので信頼問題はないと思うが、同じ事を繰り返す人だな!!」 またかと思われているだろう?

 加齢とともに、もの忘れがすすむだろう。これからは、折角、記録しているのだから、話の内容を今までより少し詳しく思い出せる程度にはしたいものだと。

▼最近のことである。私のホームページのトップページのバック・グランドミュジックを代えようとしました、以前一度は出来たのに、今会は悪戦苦闘すること約三時間。こんなことを繰り返しては大変だと考え、手順を詳しく書き綴る。これで大丈夫だと思える程度に。更に、その手順通りに行うと、できない。これではなんのための記録であったのであるか、無駄骨であったと後悔することしきり。またもや、同じ苦労をして、できたので手順を訂正。この記録どおりにすれば再現できた。

対策

 第一 自分に大事なことは日記に記録すること。自分でよく電話で話している人との話は別のファイルにすること。

 第二 記録は再現性のあるように、要点をはずさないで書き残しておくこと。このとき実行して便利な方法は5W1Hである。

 When、Where、Who、は問題がない。Why(何故)が問題であり、What(何)を話したかを注意してかきのこすことである。

 第三 ホームページ作成では、私にとってはあたらし方法は、即座に、手順を記録する。その通りに再度実行確認する。

 何か良いほうがありましたら教えてください。

平成二十年九月十七日


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躰が寒く感じたとき


 11月23日(勤労感謝の日)の前日は日曜日。午前8時ころ、いまごろ日曜日坐禅で坐っている人たちがいると思いながら、新聞を読んでいた。躰が冷えて寒くてしようがない。ふと、躰が寒いと感じて何もしなければ暖かくなるはずがないと気づき、庭の掃除を始める。熊手で草を引き抜いているといつの間にか寒さはどこかへ。庭の木を見ると枝に伸びた葉っぱが形を崩していので、剪定を始める。約1時間の作業であった。

 「先ず行動ありき」である。寒いと感じる→庭の掃除→庭木の剪定へとつながる。行動をはじめると次の行動へとつながる。作業が終わると、このような感想文へと。先賢が何か関係あることをかかれているかと下記の本を開いてみる。

 貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』を開いてみると、

 「静かに労働せよ」 家に居て、時々わが体力の辛苦せざるほどの労働をなすべし。わが吾起居(わがたちい)のいたつがはしきをくるしまず、室中の事、奴婢をつかはずして、しばしばみづからたちて我身を運用すべし。わが身を動用すれば、おもひのままにして速やかに事調ひ、下部(しもべ)をつかふに心を労せず。是(これ)「心を清くして事を省く(はぶ)」の益あり。かくのごとくにして、常に身を労働すれば気血めぐり、食気とどこほらず、是養生の要術也。身をつねにやすめおこたるべからず。我に相応せる事をつとめて、手足をはたらかすべし。時にうごき、時に静なれば、気めぐりて滞らず、静に過(すぐ)れば、ふさがる。動に過ればつかる。動にも静にも久しかるべからず。

 「怠らず労働するのが養生訓の途」 華侘(かた)が言に、「人の身は労働すべし。労働すれば穀気きえて、血脈流通す」といへり。およそ人の身、欲をすくなくし時々身を動かしし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安坐せざれば、血気めぐり滞らず。養生の要務なり。日々かくのごとくすべし。呂氏春秋(りよししゆんじゆう)(に)曰く。「流水腐らず、戸枢螻(と すうむしば)まざるは、動けば也。形気もまた然り」(と)。いう意は、流水はくさらず、たまり水はくさる。から戸のぢくの下のくるる(枢)は虫くはず。此の二つのものはつねにうごくゆへ、わざはひなし。人の身も亦かくのごとし。一所に久しく安坐してうごかざれば、飲食とどこほり、気血めぐらずして病を生ず。食後にふすと、昼臥すと(は)、尤禁ずべし。夜も飲食の消化せざる内に早くふせば、気をふさぎ病を生ず。是養生の道におゐて尤いむべし。巻第二(岩波文庫:P.44~45)

 寒さ対策によんだのであるが、下線のような効果までは期待していなかった。この反対に体をうごかさず人に頼めば、簡単なことであれば自分の思っていたようにしてくれるが、すこし込み入ったことであれば思ひのままにならぬことがある。時には心乱れることにもなりかねない。是(これ)「心を清くして事を省く(はぶ)」の益あり、とあり。私にとっては反省させられる教えである。

平成二十一年十一月二十四日


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お母さんの子ども還り


 お母さんが八十四歳の時、アルツハイマー型認知症と診断されて、現在グループホームに入られている方のお話。

▼お母さんは、ご主人が早く亡くなられて、母子家庭となりました。働き盛りの頃は勝気で三人の子どもを育ててくれました。並み大抵でなかっただろうと推察しています。罹病された頃は、その人がホームに行くと喜んでおられた。それから徐々に、目の光がなくなり、笑顔が消え、表情が四年の間に(現在八十八歳)変化してしまった。 
   今、その方は仕事をされているので毎週一回しか手助けにいかれていない。だが誰だかは分かるそうです。

▼「お母さんが子ども還りしました」と話されていました。この言葉をきいた私には「なんと悲しい言葉だ」と思わずにいられませんでした。

 その方が仰るには、入所している費用も経済的にも大変な負担になります。ですが病気ですからできる限りお母さんの面倒は見なければと思っていますといわれていましたので、救われた気分になりました。

 付け加えますと、ホームへの入所待機待ちの者が沢山いるとのことでした。

▼私は年配者に散歩の途中で遭うことがあります。表情がよくない方々をみたときには、この人には人には言えない悩みがあるのだろうと思ふことがしばしばです。

▼また、親しくしていただいた方は、奥さんと娘さんの三人の家族でした。奥さんが「痴呆症?」(アルツハイマー型認知症状・加齢による物忘れと多数の言葉があり、病理的学的には区別されているのでしょうが、私には区別できないので、その主人から病めいを聞いていませんでした)に罹られまして、その方の家から遠い町の施設に入っていました。週に一度、面会に行かれると「かすかに表情をくずされて、笑顔を見せてくれて、私がきてくれたのを喜んでいるのだろう」と話されていました。奥さんのしぐさにもかすかな回復のきざしを求められていたのだとおもいました。

 その友人も今は亡く話すこともできなくなりました(Kasaiさん)。

 こんな話はいくらでも耳にします。

▼私は六十五歳ころに友人と「これから年とれば認知症になったほうがよいのではなかろうか。死も考えなくなるから」とはなしていた。
 自分本位の言葉であったと反省しています。家族をはじめ関係者にどれだけ苦労させるか、悲しい思ひをさせるかを少しも配慮していないことを口にしていたものかと。

▼世界の多くの医学者が基礎・臨床で研究されています。また日本でも「東北大学:加齢医学研究所」などがあります。できるだけ早く対策を発見してくださることを願ってやみません。

平成二十二年三月二十一日(春の彼岸の日)、平成二十三年十月三日、訂正。


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あの人は誰だったかな


 「あの人は誰だったかなあ」と、あいさつされた人のな前が思い出せない。「約束した日を忘れている」「今日は何曜日だったかな」とか。
 定年退職した後、決まった仕事を持たなくなっている者には、しばしば経験することのようです。
 色々な原因があるだろうが、こんなことを少しでも減らしたいとの願望を皆さんもつています。 

▼私の場合は、毎日、ワープロで日記を書いています。その書き込みはメモを書き込んでおき、できるだけ忘れないうちに日記に打ち込んでいます。だが、冒頭のありさまである。いい方法はないか、何か対策を考えださなければと……。

▼思いついたのは、夜、寝るとき寝床で、朝から始めて寝るまでのその日にあったことを紙に書き込むことを始めてみました。時間はそんなにかかりません。書き終わると、その紙を枕元において寝ます。ほぼ思い出せるようですが、時には思い出せないことがあります。例えば「アルツハイマー」について知人と、発症の年、その後の病状の変化などのお話しを聞いたのだが、その話題にあった「アルツハイマー」の言葉を忘れていました。しかし夜中に目覚めたとき忘れていたものが浮かび、すぐに書き込んで寝る。あるいは翌朝フト記憶がよみがえったりします。頭のどこかに入っていたのが休息しているうちに神経がつながったのでしょうか。

▼使用する紙はA4を使っています(新聞に折り込んでいる広告用紙などで用をたしています)。大体縦に4分割して書き込んでいます。そうしますと、前日、その前の日の記事なども参考になり、その日の記憶だけでなくて以前の記憶のもとになる便利さがあります。
 書き込むときは、メモであるから、いいかげんにかくのはよくないようです。後ほど読んでも、理解できる程度の記述にすることと、丁寧にゆっくりと書くと、気分的に落ち着き、思い出すことが多くなるようです。

▼こののようなこころみをしていますがその効果はいまのところ判定できませんが、「記憶力が落ちた、落ちた!」と思っていてもどにもなりません。自分でささやかな工夫して、続けています。無駄な抵抗はやめなさいとのささやきが自分の気持の中にあります。
   余談ですが、寝るとき最近の自分で少しでも楽しかったことを思もうようにしています。いつのまにか睡眠にとりこまれています。

▼2010年3月14日、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で倒れた大イチョウは根元部分から約4㍍の部分で切られ、クレーンでつり上げられて7㍍離れた穴に移された。専門家は根付いて再生する可能性は高いという記事を読み、人にも何かをほどこせば思い出しにくい記憶がよみがえるのではなかろうかと想像しました「ひこばえ」 を期待してのことのようです。

▼私には、この言葉ははじめてだったので、なかなか記憶できませんでした。うえに述べたように位置を引越ししていますのと関連して、「引越しのひ」と結びつけてようやくにして覚えることができました。

 よい方法がありましたら教えていただきたいものです。

関連:■ひこばえ

平成二十二年三月二十六日


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緩和医療


緩和医療 柏木 哲夫 

 1978年前後より世界に拡大したホスピス運動は日本にも移入され、06年11月現在、公的に認められているホスピスは163を数えるようになりました。77年に設立された『日本死の臨床研究会』は日本におけるホスピス運動と呼応する形で発展し、その会員も2千人を越えました。しかし、医学の進歩に対応する専門性をもった緩和医療について言及すれば十分な取り組みとはいえません。

▼(1)一方、イギリスでは87年に緩和医療が医学の専門領域と認められ、大学の医学部で正式な講座となりました。オーストラリアでも緩和医療の教授が誕生しています。日本でも、現在、大学に正式な講座が生まれつつあります。

▼(2)WHO(世界保健機構)の定義によりますと、「緩和医療とは治癒を目的にした治療に対する積極的で全人的なケアであり、痛みや他の症状のコントロール、精神的、社会的、霊的な問題のケアを優先する。緩和医療の目標は患者と家族のQOL(生活の質)を高めることである。緩和医療は初期段階において、治療の過程においても適用される」とあります。要約しますと、生命にかかわる疾患の医療のあらゆる課程で、患者と家族に対して積極的に行われる全人的なQOLを重視した医療ということです。このように積極的なケアを専門分野として目指す医学が緩和医療です。

▼(3)重要なのは、その積極性が治療・延命にではなくて、苦痛の緩和に向かうことです。これまで、治癒に導けないのなら、たとえ苦しくても、少しでも延命する考え方が中心でした。延命はもちろん大切ですが、しっかりと症状をコントロールし、精神的にも支えることが重要であるとするのが緩和医療の基本的な考え方です。
資料:消化器now(No.36 2007)

▼先日、柏木 哲夫先生が島根県で病院を開き、ガンの末期患者の方を訪問ケアにあたられている様子が放映されていた。このような病院・先生が多くなることを願っている患者・家族がたくさんいるだろうとおもぴました。

平成二十二年八月十九日

私見:緩和医療(緩和ケアーともよばれている)を受けられているかた、またそのご家族の方々はご理解されているでしょうが、(3)の説明を十分に刻み込んで患者に対して心配(こころくば)りしなければならないことです。また家族の方々もその準備をしておかなければと思うものです。

平成二十三年十二月のある日…。


20

睡眠薬服用


 柴田二郎著『患者に言えないホントの話』(新潮文庫)平成九年六月一日発行

 眠られぬ夜のためには酒か睡眠薬か P.103

 猛暑続きの早朝(5時30分ころ)、散歩する。

 年配の知人が公園のブランコにぶら下がり、背筋を伸ばしている。

 「おはよう御座います」、「眠れなくてて困っている」、「私は睡眠薬を服用しています」などの話をして、一人で散歩道に向かう。

 先ほどの話から、先輩の一人は、酒も毎日飲み、睡眠薬も服用されてお元気なこと。次に「睡眠薬」について、柴田先生が書かれていた記事を思い出してしらべることにした。

 眠られぬ夜のために酒か睡眠薬か P.103

■そもそも睡眠には定義がない P.104

■酒が眠りを助けることはない P.108

■耐えて耐えて耐えしのべ P.111

 「眠るためには、酒がよいか、睡眠薬がよいか」という命題は、始めから議論にならぬめいだなのである。

 不眠がいくら続いても、耐えて耐えて、耐えしのび、不眠の体調が回復するのを待つしかない。その苦痛に耐えきれなければ、あとは死ぬか、睡眠薬を服用するしか残っていないのである。

■「ふ眠で死んだという人はいない」 P.115

 (前略)筆者のクリニックのことを宣伝する気は毛頭ないことを始めにお断りしておくが、筆者は不眠症なども治る人は治るし、治らない人は治らないと思っているから、不眠症に対する対応も人によって(患者さんによって)変わってくる。放置しておいて直る人と、一生、睡眠薬を止めたり、続けたりしながら不眠をごまかしていかねばならない人を区別するというのは、可成りの経験が必要だが、今のところまあまあ成功している積もりである(こちらがそう思っているだけだと言われれば、それまでであるが)。

 殆ど一生、睡眠薬の御厄介になる人達から受ける質問というのは決まっている。「副作用はありませんか」というあれである。筆者の答えも決まっている。「副作用というものは、服用して直ちに出てくるものと、長期に連用していると出てくるものがあります。私の知っている限り、私のところで処方するものの中で服用直後直ちにどうこうという副作用を訴えてきたひとはありませんし、あるとすれば、ちゃんと説明します。長期の服用で何かが起こるかということになれば、何とも言えません。起こるるかも知れないし、起こらないかもしれません。例えば十年後にこの薬のための副作用が出てきても、或は私はもう死んでいて責任のとりようがないかも知れません。質問の答えになっていないかも知れませんが、そうとしか答えようがないのです」。

 もう一つは習慣性にならないかという質問である。筆者の答えは常に次のようなものである。「人体が免疫力を持って生きているのですから、薬物という異物に対してだんだん抵抗力ついてくるはずですから、当然習慣性は出来るでしょう。そうなれば、違った種類の薬物で似たような効果を出すものに変えるしかないでしょう。それも時期を見はからってやりましょう。それでも、今、服用している薬でも、時には半分で眠られる夜もあるかも知れませんから、時々試したりしながら、加減していけるはずです。一番大切なのは、私の知る限り、この手の薬によって頭がおかしくなったとか、狂暴になったとか、寝たきりになったとかいう話は、私自身だけでなく、私の周囲の医師からも一度も聞いたことはありません。極端なことを言えば二十年後に、何等かの副作用が起こったとしても、服用しなくても不眠に耐えながらの二十年か、不眠をあまり苦にしなくて過ごせる二十年かを選ぶのはあなた自身です。私は今は不眠でありませんが、私が不眠になったら迷わず睡眠薬を使います。もっとも私があと二十年生きている保証はどこにもありませんが」。

■要するに老化現象の一つである

 睡眠という現象が如何(いか)なる機序で生ずるのかも判らなければ、睡眠が阻害されている不眠という説明出来るような話は今のところ全くない。(中略)

 ただ一つ言えることは、不眠も老化現象の一つである。不眠やそれによる体力の消耗、食欲不振、いらいらした気分を訴えてこられる四十代以上の人のすべてが、もともと若いときから、しばしば眠られない夜を過ごすことが、人より多かったように思うと言われる(三十代までのひどい不眠というのはしばしば、本来の精神病の前駆症状のことが多い)。若いうちは体力もあり、一晩くらい眠らなかったとしても、翌日の仕事位は誤魔化すことが出来たが、年をとってからは誤魔化しが利(き)かなくなるというわけである。

 以上でこの章はおわっています。

▼同年輩の友人に「私は睡眠薬を服用している」と話すと、「それはやめとけ」というのが主流であることを付け加えておきます。

※柴田二郎:1928(昭和3)年、広島県呉生れ。’45年陸軍幼年学校生徒、1951年山口医学専門学校卒業。その後、米国ゆた大学に学び、’63年山口大学医学部助教授、’66年シカゴ大学研究員、’68年に帰国後、’75年に山口大学教授、保健管理センター所長。’82年に退職し、山口市内で「中央クリニック柴田病院」開業。著書に『患者に言えないホントの話』『精神科クリニック物語』『病いに医者いらず』など多数。

平成二十二年八月二十二日、平成二十五年七月十八日再読・追加。

21

心は部屋の外に


   私は病院にお見舞いにゆきました。そのとき患者が便秘していて、坐薬を挿入してからしばらくして、便がしたいと言うので、看護婦さんに連絡したら、二人こられた。
 その一人は「オシメをしているのだからそのまましたらよいと」と手を出そうともしなかった。
 もう一人は、寝ている患者さんを手助けして起こし、移動用の便器に坐らせて排便させていた。
 これを目撃していて、二人の振る舞いはなぜ、このように違うのだろうかとあれこれかんがえていました。
▼たまたま、その後、河合隼雄『「老いる」とはどういうことか』(講談社+α文庫)P.122~123に出合いました。

 わが国にも末期患者のためのホスピスが、少しずつではあるができている。

 これまでにも紹介したことがあるが、大阪の淀川キリスト教病院副院長の柏木哲夫先生はは、そのようなホスピスを早くから創設して、その仕事を継続してきておられる方である。
柏木先生とお話あいをしたときに、次のようなことを聞かせていただいた。
 死が近づいてくることを知りつつ、ベッドに寝ている患者さんが柏木先生に言われたことがある。
 検温の結果を聞きにきたり、様子を聞きにきたりする看護婦さんで、部屋のなかにはいってきても、心はそこにはいってきていない人がある。「いかがです」などと言っても、「心は部屋の外にいるまま」なのである。
 それに対して、ある看護婦さんは、その人が部屋にはいってくると、「ほんとうに傍(かたわ)らにいてくれている」と感じるのである。
 外見は何も変わったところはないのだが、その人の心がどこにあるか、「こうして寝てばかりいる者には、ほんとうによくわかるのです」と言われたとのことである。
 これは、うーんとうならされる話である。
われわれは外見や言葉によって、人を評価しがちである。しかし、死に近い人にとっては、真実がそのまま見える。その人の心がどこにあるのかが、ちゃんと見えるのである
 病気の人をお見舞いにゆくとき、このことをよく心しておくべきである。

 柏木先生言われている「心を部屋のそとにいるまま」の人もいるものだと教えられた。

 患者さんの気持をそのまま受け入れることのできる慈愛にみちた心の人、例えば苦痛をを癒すために手を足をさすってあげるような心がけのひともいることだろう……。

2011.05.02、2011.10.03訂正。


22

脚と健康

年配者の早起き第二の心臓ーー「脚」は朝鍛えるべし
靴(スニカーを含む)と歩行浮足指(うきあしゆび)

年配者の早起き

 夏7月の下旬、朝5時~6時ころ、散歩に出かけている。そのコースは大体決めている。

 岡山市は岡山城の前を旭川が流れているが洪水になるとその水を百間川の側流に流す先人の工夫がなされている。

 この百間川の両岸には土手が築かれていて、その上に立つと、東西南北三百六十度の展望が開けている。その下流は岡山湾にそそがれている。

   この道を散歩していると知人に出会う。「朝早く目が覚めてしまう」ので、小さな菜園の手入れ、散歩をしていると言われる。肢が痛いので杖を支えにゆっくりと散歩されている。

▼税所 弘『「朝型人間の成功哲学』(三笠書房)を読んでいると P.79

 人は年を取るにしたがい自然に早起きになる。脳研究科の専門家によれば、これは肉体的にも精神的にも衰えてきたことから自然に働く、体の自己防衛作用だという。

 朝早く起きることによって脳が刺激され、本来人間にそなわっている自然治癒力をより活性化させるというわけである。すなわち、生命のリズムは朝早く起きることでその活動を活発化させるのである。とすれば、年を取っていようがいまいが、この原理を利用しない手はない。

 ふ思議なことに、早起きの生活をずっと続けていると、こだわりやわだかまり、考えすぎや憂いといったことがなくなる。

 私(著者)が敬愛する中村天風という人物は、朝起きると必ず、ニッコリ笑って「ありがとうございます」といったという。

 早起きは、目が覚めた瞬間に、無事に生きていることはありがたいという感謝の気持ちを育ててくれる。こうした気持ちを持って生きると、不平や不満はなくなるのである。
 そうなれば、おのずと自分の人生に意義を見出すことができ、希望も湧いて、自然に運もめぐってくる。日々、ついついだらしなく過ごしてしまうといった悪い癖も当然なくなる。

▼研究者でも夜型であり、また朝型である。人さまざまのようである。この本の著者は後者であるべきだと説明している。夜型を朝型に変更するには、習慣を変更するに等しい努力がひつようだろう。体験して、体で覚えることが肝要であろう。

▼夏は朝が早く開けるので、この時期に早起きの癖をつけるのは絶好の機会だと思う。

2011.07.08


 第二の心臓ーー脚?は朝鍛えるべし
 

税所 弘著『「朝型人間」の成功哲学』(知的生き方文庫)三笠書房(1993/09/10):P.198~200より

 日本は世界でトップレベルの長寿国になった。しかし、平均的な寿命は伸びたからといって安心はしていられない。長生きするものの、寝たきりであったり痴呆症であったりという障害がつきまとえば、長生きの楽しみも享受できない。長寿の意味も半減というところである。

 実際、六十五歳以上の老人のうち、文字通り健康を保っている人はわずか二〇パーセントで、あとの八〇パーセントはなんらかの心身の異常を持っているデーターもあるくらいだ。

 健康で勉強にもビジネスにもバリバリ邁進できて、しかも健やかで長寿をまっとうするための条件はいろいろある。

 内的な因子としてはめったに争いごとをしない。思いやりがあって欲望も強くないといった要因、また外的因子としては、規則的な生活リズムがなんといっても第一である。そして食生活も大きな要因になる。食べ過ぎ、とくに肉食をひかえて魚介類や海藻類、野菜類をしっかり食べるといったことが大切である。

 たとえば、京都大学霊長類研究所所長の久保田競博士が、百歳以上の健康なお年寄りについて調べたところ、その健康長寿のコツも私たちの考え方と一致しているようである。

 久保田博士によると、百歳以上のお年寄りの生活の基本は、やはり早寝早起きを実行して、太陽を中心にした生活リズムにマッチさせていることが挙げられる。

 そして気持ちの持ち方としては、クヨクヨしないこと。つまり「ネクラ」にならないことである。明るく、またどちらかといえば外交的であることが大切だと説いている。

 そして、食事は腹八分目に抑え、お酒は少々たしなみタバコはひかえる。

 円満な家庭に恵まれ、また年を取っても生活のうえでの自分の役割を持ち、趣味や生きがいを持って頭を使うことも大切である。これが痴呆症の重要な予防にもなるといわれているからだ。

 早起きとともに実行する早朝散歩で、さらに健康な心身を保障することができる。現代人の体のウイーク・ポイントは、なんといっても脚である。いうまでもなく、クルマに頼る日常生活が脚を弱らせているのである。よく都会の人はクルマ生活で脚が弱っているといわれるが、むしろ実際には都市以外の農村に住む人にそうした傾向が強い。都会に住む人は通勤などでそれなりに脚を使う機会はあるが、農村の人々はそれも少なく、しかも公共交通が身近に少ないだけに、よけいクルマに頼るからだ。

 しかし、都会に住むビジネスマンにしても「歩き不足」は明らかだ。

 脚は使わないと「廃用性萎縮」といって、筋肉が極端に衰えてくる。この「廃用性萎縮」を起こさないためには、一日少なくとも一万歩は歩く必要がある。距離にして約六キロ、時間にしておよそ一時間半の歩行でもある。

参考:廃用症候群

 それがふつうの人は五千歩か六千。管理職のビジネスマンなどでは二千歩から三千止まりだ。健康で長生きするために必要な量の三分の一というのが現実なのである。

 歩いて脚を使うということは、ただ単に脚の筋肉の衰えを防ぐというだけではなく、同時に腕や胴体など体全体の筋肉の衰えを防ぐ。さらに歩くことによって脈拍や呼吸も早くなる。つまり歩くことによって心臓や肺の機能も高めていることになる。

 それで杉靖三郎博士は「脚は第二の心臓」といっているくらいである。早起きによる早朝散歩はいうまでもなく、こうした心身強化に大いに役立つ。まさに、いま確実に近づきつつある高齢化社会へのパスポートなのだ。

私見:上の本は1,993年9月、約8年前に発行されている。高齢者の健康保持については多くの方々がいろんな角度から提言されています。
私は確かに脚の衰えを自覚させらている。転倒しない程度までは脚の筋力は保持したいものです。知人の一人はご子息に「お父さんは毎日歩きなさい!」と言われているが、なかなか実行できないでいるといわれていました。継続できるかどうかが決め手のようだ。


靴(スニカーを含む)と歩行

私は知人から「転倒に気を付けなさい。転倒すると、骨折して寝たきりになりますよ」と、たびたび注意されています。

 もし、そうなれば、ますます肢の筋肉が弱り歩くことができなくなるでしょう。

 平素はスニカーで歩いていますが、どうも歩行がギコチない。路を歩いていると、横を通る自動車にブザを鳴らされ、あるいは、徐行して通り過ぎると普通のスピードで運転されます。

▼ギコチない歩行の理由は二つあると思っている。

 其の一:肢の筋肉が弱っているとおもっている。医師に触ってもらうと筋肉はしっかりしているといわれるのだが。

 其の二:スニカーの踵の部分が平らでなくて、極端に小指側が摩耗しているからだと思う。そのために踏み出した足が小指側に傾きギコチなくなるのではないかと。

 どうしてこのようになるのかと想像してみると、これまで、歩いているときの足の動かし方の癖によるものではないかと思う。

 それを確認できるのはスニカー・靴の踵の部分の摩耗の状況で判断できる。

 私の場合は、写真のように小指側が極端に摩耗している。革靴を含めてすべて同じようである。

▼ギコチない歩きにならないように新しくスニカーを購入した。

 歩いてみるとギコチナさが少しよくなっている感じがしているところです。

 スニカーの偏った摩耗を防ぐために、親指側の足の側面に体重をかけるようにしている。それもよほど注意していなければ、いままでの歩き方になっている。

 少々の歩行の癖があったとしても、平らに摩耗する靴はないものだろうかと思うのは無理な要求だろう……。

▼禅僧が托鉢されている時には素足で草鞋履きである。これは、冬時分、霜焼けにならなければ、最適な履物ではないかと思ったりしている。

平成二十六年五月四日


浮足指(うきあしゆび)

 この言葉は知りませんでした。ある雑誌で脚力に関連しての記事をななめよみした。

 浮足指についてパソコンで調べると、立ち上がった姿勢で足指が床面より浮き上がっていることらしい。私の足指は見たところそのようではないと思ったが、足指は浮いているようだ。

 若いころは足のことなど考えたこともない。小・中学校では運動靴であった。家では高学年になると朴歯(ほうば)の高下駄も履いて、「カタカタ」と音を立てて歩いていた。

 現在の私の歩行は、あまり安定していない。買物などで歩いていると、ご婦人や子供がサッサとあるいているのがちょっぴりとうらやまし。

 知人からは倒れないようにしなさいと言われ、日常の挨拶言葉になっている。

 肢の筋肉が弱っているためか、歩行に関連した神経によるものかよくわからないでいる。

▼立ち読みした雑誌では、「体を少し前傾にして足指で土地をつかむようにして歩くように」と書かれていた。効果として、安定して歩くことができて、転倒防止になる。また腰痛も軽くなるとの趣旨が記載されていた。

 ある人のお話では、足指の力をよくするためには、椅子に坐って、5本の足指を床につけてその指先を自分の体の方向に引き付ける動きを繰り返すとよいといわれた。

 気にもかけていなかったので、歩き方に注意してみると、足指を歩くとき使っていないのは確かである。

 そこで心がけて、靴下も履かないでスニーカで、このように歩いてみると足指に力がかかり、これまで経験しない感覚である。

▼数日後の朝、起床して歩くと、踵と足指の根本で歩いていて、確かにフラフラした足取りで、足指は使っていないことに気づき、「ああ、これが浮足指だな」と実感できた。

 よくよく考えると、浮足指は2点(踵と足の指のねもと)で体を支えているから、前後はともかくとしても左右には揺れる。

 足指で土地をつかむようにして歩くようにすると、踵と足の親指と小指の3点で体を支えるから安定する。

 また、すり足がなくなり、足が地面から少し上がった歩き方になるから、それだけでも運動になると思える。

 加齢とともに歩行が怪しくなるのは、杖を頼りにしている方々を沢山見かけるので自然なのであろう。
平成二十六年六月三十日


23

禁煙の秘訣


 成人喫煙率(厚生労働省国民健康栄養調査)ーインタネットによる

 平成20年の調査では、日本人の喫煙率は21.8%で、年々減少してきています。

 男性の喫煙率は36.8%で、40歳代がもっとも高く51.9%でした。平成7年より減少してきており、平成17年度に初めて4割をきっています。

一方、女性の喫煙率は9.1%で、20歳代が14.3%、30歳代が18.0%と若年層で高い値を示しています。男性に比べ、平成元年より9~12%の間を上下しながら漸増しています。

 肺がんに悪いと言われているのは百も承知されていることでしょうが、嗜好品としてやめられない人がいることを示しています。

▼尊敬している人から「愛(渇愛)―取(執着)―有(迷いの存在)―生(迷いの存在の発生)―老死」  NHK教育テレビ「こころの時代」の奈良さんと草柳さんの対談の抜粋のメールでいただいたものの一部が私には参考になりましたので紹介いたします。

 道元禅師は、お弟子さんに向かって、「あなた方はその発心を一回しかやらん。さらに発心しようとしない。これは困る」というんですね。「一発菩提心を百千万発しろ」という。とっても面白いなと思いますのは、これを禁煙に喩えますと、とっても分かり易いと思うんです。

 私は前にヘビースモーカーでございまして、幸いに止められたんですけどね。例えばタバコを止めると決心致しますね。お正月の元旦に決心して、二日目、三日目は我慢しても、四日目になりますと、ついつい吸ってしまう、と。みんなそうだと思うんですけれども。その時に、それはお正月元旦に「一回しか発心しないからだ」と、道元さんは言っていると思うんですね。

 「発心を百千万発すべし」ということは、一旦決心して、それから今度タバコ吸いたくなったら、またその時に改めて発心し直す。それから吸いたくなったら、また発心をする。つまり「発心、発心、発心・・・と続けていけ」ということですね。「百千万回」というのは数じゃなくって、ちょっとそれを自覚した時に発心し直していけ、ということでしょうから。そうしますと、最初の発心をして、ずっと発心、発心、発心・・・と続けていった時に、それが三ヶ月、半年経ってくると慣れて、ほんとに禁煙が成就するわけですが、考えてみますと、最初に発心した時から禁煙の道は歩いていること間違いない。だからほんとに誘惑に負けそうになった。よたよたしながらも、既に禁煙は最初から成就しているわけでしょう。ですから発心も、それから涅槃も、ということはこの場合、仏道修行の発心と禁煙の違いを一緒にするのも如何がかと思いますけど、でも同じ考え方ができると思うんですね。ですから最初に発心をする。そして発心、発心と続けていく中で、ふと気が付いてみると、「最初の発心した時から、禁煙は既に成就している」という。こんなふうに考えていいと思うんですね。ですからそれを仏道修行にいうにしましても、なかなか本能ですから、自我欲望を抑制せいというのは、それは難しいですけれども、そのことに当たるたんびに、「これはいかん」と言って努力しながら自己抑制の道を続けていく。そうしたところに、かえって本当の充実した人生、自己実現と言いますか、あるいは心を清めると言いますか、そういう生き方ができてくると。

▼私見:道元の教えを私どもの生活で自分を鍛えることに応用できる心の持ち方を禁煙に譬えて平易に説明しているいるとおもいます。ご参考までに。禁煙に限らず何に活用するかは自分できめることでしょう。

参考:「一発菩提心を百千万発しろ」は『正法眼蔵 (三)菩提心 P.332』(岩波文庫)に記載されています。

2011.12.29


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 安岡正篤 『照心語録』P.69に

 明の李二曲(りじきょく)は"黙 養"の修業をした。べらべら口をきかない、ついには三年軽々しく一語を発せざるに至るという。黙するということは内に力を蓄えることだ。かくして発せられた言は人を信ぷくさせるに足る。自然においては静寂、人においては、沈黙がよいものだ。と書かれている。

▼私は「黙するということは内に力を蓄えることだ」の言葉から、貝原益軒が「気」について述べていたとの記憶をたよりに調べてみますと、貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)P.56 にありました。

 言葉をすくなくせよ「心はつねに従容(しようよう)としづかに、せはしからず、和平なるべし。言語はことにしづかにしてすくなくし、無用の事いふべからず。是尤(これもつとも)気を養う良法(りようほう)也。」と。

▼「黙養」に関連して先賢は、内に力そして気の言葉から、さらに連想が続き「気」について気功専科を再読すると沢山の説明がありました。講師の帯津良一氏の説明の中の気の正体などを読みますと、“気”について思想か参考になりました。また「気功は潜在能力を引き出す」はその具体的な方法だと思いました。

 このように“気功”は古来から実践されてきたじつに多くの健身法を、その共通の要素と“気功”という概念に従って、一つにくくったわけですから、三千を越えるという多くの種類があるのは不思議ではありません。ただ困ったことには種類が多いと、それぞれの方法の間に微妙な違いがあるため、“気功”のとらえ方が人によって少しずつ違ってくることです。だから「太極拳」ははたして“気功”であるのか、というような問題も起こってくるのです。

 そこで 確定したものでないにしても、定義が必要になってきます。張有寯(ちよう ゆうしゆ) 主編の『実用中国養生全科』の中の定義は「意識的な制御のもとで気を調整、誘導し、一定の時間的蓄積をへて、体内に潜在するエネルギーを励発、放出させて、ある特殊な機能と効果を生じさせる方法である」というものです。これはこれで一つの定義であると思いますが、私はもう少し簡単に、「気功とは自分の力で調身、調息、調心を行うことによって、心身の秩序を限りなく高め、その結果、内に秘めた潜在能力を引き出す方法である」と、現在のところ定義しておきます。P.29

 「調身、調息、調心」は(坐禅の三要素)であることを付け加えておきます。 

▼私のようなものが口をきけば必ず自分の意思を正確に伝えられないで予想もしない受け取られ方をします。極端には人間関係が悪くなるケースもある。従って私は黙養は一つの人間形成の手段としても良いものだと共感するものです。ある方が一週間、独坐されて耐えかねて中止された話を伺ったことがあります。李二曲が「三年軽々しく一語を発せざる」は驚異のほかありません。

 黙養について、伊藤 肇『十八史略の人物学』(プレジデント社)に次のように、詳しく書かれているものに出会った。口八丁手八丁のウシオ電気会長の牛尾治朗(1931~)が、こんな述懐をしたことがある。P.73

▼「むかし、安岡正篤先生からお話をうかがい、『よくわかりました』と言ったら、『そんな簡単にわかる事柄でもないし、また、そんなにわかってもらっては困る』とお叱りを受けたことがある。そのとき、僕は、先生に叱られながらも内心では本当に理解したつもりでいたが今にして思うと、何ひとつわかっていなかったということです」

▼そして、そのとき教えられたのは、次の一言だった。

 習学ハ、マズ「不言」ヲ習ウベシ。

 始メハ勉強力制シテ、数日、一語ヲ発セズ。ヨウヤクニシテ数ヵ月、一語モ発セザルニ至ル。極ハ三年、軽々シク一語ヲ発セザルニ至ル。

 カクノ如クナレバ、則チ、蓄ウル所ノモノ厚ク、養ウトコロノモノ深シ。而ウシテ、言ワズンバ則チ已やム。言エバ則チ経ヲ成サン。      

李 二曲(り じきょく)

参考:東洋哲学者:安岡正篤先生から直接のお話はその場の雰囲気を想像いたしまして、私も教えられている感じがします。


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果物は胃が空(から)のときに単独で食べる


 リンゴは果物ですね。「西瓜は果物でしょうか、野菜でしょうか」 こんなことはみなさん正解をご存じだと思います。

 しかし、果物は何時たべるのが体によいのか考えもしなかった。

 丸元淑生『悪い食事とよい食事』(新潮文庫)平成六年五月十五日 二十刷 P.212~214 に表題の項目がありましたのでご参考までに紹介します

▼ダイアモンド式減量法で知られるアメリカのハーベイ・ダイヤモンドは、正し果物を食べる基本法則をこう述べている。

 消化のために食べるものは胃の中におよそ三時間はとどまる必要があるのですが、唯一の例外が果物です。果物は胃の中で消化される必要のない唯一の食品なのです。完熟している場合には果物は、自分自身を消化するのに必要な酵素をふくんでいて、実質的にはすでに消化されているために、胃のなかには20分から30分とどまるだけで小腸に移動します。そして、小腸で栄養素が吸収されて体がそれを使うのです。

▼第一の原則は、果物のもつている微妙な性質から必ず完熟した新鮮なものを食べること。そのままであれ、ジュースにしてであれ、新鮮であってはじめて体にとって重要な価値をもつことになります。新鮮な果物は体が体内にたまった毒をだしてきれいにするのをたすけるのです。

▼第二の原則は、果物は胃が空のときに、単独でたべること。他のいかなる食品とも食べ合わせないこと。果物を食べたすぐあとに他の食品をたべないこと。

 食事中に果物をたべるのはもちろん、デザートとして食べるのもよくないわけだ。なにしろ他の食品は胃のなかに三時間あまりとどまっているのだから混じり合うことになる。

 そして果物は、パパイヤのように消化酵素をとくに多量に含んでいるものを除き、胃のなかの食べものの消化を逆にさまたげることになる。

 だから果物はデザートよりオードブルで食べたほうがいいのだが、理想は朝食前に食べることだという。果物の大きな働きは体内の清掃浄化を助けることなので、朝食べると体のリズムにぴったり合ってくる。というのは、午前四時から正午くらいまでは、体が排出に力を入れる時間だからである。

 その時間に重い食事をとると排出に必要なエネルギーが消化のほうに回されて、十分な排出が出来なくなる。そして毒素が体内にたまる結果になるのだが、果物を食べても消化の負担がかからない。体は排出に専念できる。それに果物は八五~九〇%が水分で、毒素をふくんだ物質を体外に流し出すのにその水分が役立つ。

▼朝起きて新鮮な完熟した果物を食べ、その後三〇分以上おいて朝食(消化のよい軽めのもの)をとるという習慣がつけば理想的なわけである。そうすると毒をためないきれいな体になっていく。

 如何ですか。。

▼参考:「栄養の本質を見誤った料理が致命的な病気を生む。――かってない豊かな時代となり、ライフスタイルも大変化した今日、食事にもまた新たな体系が求められている。癌になりにくい食事、高血圧を防ぐ食事、フラストレーションから逃れる食事……。さまざまな食品とその食べ方に通暁し、軽薄なグルメ気取りから食の真の意味を知る健康な現代人に変身するためのハンドブック」と紹介されています。:カバー紙にかかれている。

※丸元淑生(としお):1934(昭和9)年、大分県生れ。東京大学文学部仏文科卒。女性週刊誌や健康雑誌などの編集長を経て作家に。著作『いま、家庭料理をとりもどすには』(中公文庫)など。

平成二十四年四月九日、二十五年七月二十二日、追加。


26

書簡での健康判断


 私は知人との連絡には①メール⇔メール②メール⇔絵入りハガキ③書簡(手紙・ハガキ)⇔書簡によって行っている。

▼①はお互いがパソコンあるいは携帯電話機を持っていなければならない。また、何時、讀まれるかどうかは相手次第である。

▼②は外科の先生との方法である。私がメールを送信しますと、先生からは自作の絵入りでしかも万年筆で丁重な返信を頂く。先生は『続 どくとる三人衆』を出版されていますがその中の一編に「万年筆」がありますが、その内容の一部を紹介しますと

文字を書くにはやはり万年筆に限る。考えたことを外に出すにはこの方がいかにもしゃべっているような文章になる。原稿、日記、手紙――は万年筆。メモ、手帳はボールペン。――。

「日記は過去の記録」、「手帳は将来の記述」――と言われるが、じっくりと物を書くには万年筆に限るのである。

 長年の付き合いでそれぞれの癖を知りつくしたペン先は、しなやかに反応して滑るように軌跡を残してくれる。やさし書き味は使い込むほどに書き易く、成長してくれる。

 手元のモンブラン、セーファー、ウォターマン、パイロット……夫々に思い出を持った万年筆である。作家の開高健は万年筆との付き合いを「何十年と生活を共にして、ようやく馴染みあえる夫婦関係のようなもの」――といっているが、パソコン、ワープロという高慢な機器に支配されるより、私の出番を……と、今日もわが愛用のペンたちが机上で待ってくれているのである。

 以上のようなお気持ちでのお便りには感謝の外ありません。

▼わたしとしては、③が今回一番言いたいことです。お互いに必ず讀むにことは間違いない。私たちの年輩になると健康が気になる。相手の書簡の書体の乱れ・誤字・脱字・後から挿入などを読んでいると、私は健康判断している気持ちになる。「今回いただいた手紙では、元気が少し回復しているな、或は少し体のどこかがよくないようだ」と。適当な時に書簡をやり取りしておれば、返信がおそくなれば気になり「どうしているかな」といった気分になる。

▼以上三つの通信方法について書きましたが、わたしは出来る限り「返信は出来る限り早く!」と心がけています。その内容がよくても悪くても……。

平成二十四年五月三日


27

電話の声による健康想像


 友人から電話がかかる。顔が見えないから、彼が健康かどうか本当はわからない。
「お元気ですか?」、「ああ、ままです」の声が聞こえる。

 しかし、声につやのあるもの、かすれたものとさまざまである。

▼最近、一人の生活で話相手が少なくて声を出すことがめっきりへったからだろう、声がかすれてきていることが感じられる。

 このため、かすれた声の主の健康・環境を想像できる気がする。「お互いに元気で生きましょう!」とあいさつを交わして、受話器を置く。

▼私はホームページに良寛一山中の沈黙行一黙 養で明の李二曲の修行を書きましたが、彼らの語る声はどんなものだったのだろうかと聞いてみたいものだと。

 それにしても、声帯の変化、むしろ衰えが正確な表現かも知れませんが、少しでも若々しい声が出るような対策はないものだろうかと考えた。

▼思いついたのは、自分が好きな本を読むとき黙読をやめて声讀である。毎日30分程度は実行してみてはと。このことは一挙両得になるのでは、いや三得以上になると思う。

 ① 声がわかくなる

 ② 本を毎日読む

 ③ 読書の内容の理解が良くなる

 ④ その他の効果?

 などが予測される。

▼紀野一義さんが「正法眼蔵が難しいので、少しでも理解するにはどうすればよいか」と聞かれた時、ていねいに声読しては?とすすめられている。

▼「言うは易く行うは難し」の言葉がありますが、僅か一日三〇分の読書を続けられるかどうかである。自分の覚悟の程度にかかっていると励ましの声がどからか聞こえてくるようだ……。

平成二十四年五月十二日


28

調理―スマートホンを使って―


 5月の連休、姉妹の孫がきてくれた。数日前に電話で連絡してくれていたので昼ごはんの前に来て、昼食を一緒に食べようと傳えていた。

▼予定日の時刻に自動車でやってきた。そこで、何度かゆきつけの料理屋に出かける。妹は鶏肉のアレルギーがあるためにそれぞれの好みで注文。孫たちの仕事の話しを聞きながらの団欒のひと時を過ごす。あっというまでに時間が過ぎた。

▼食事が終わって、用事が何かあるかといってくれたので、パソコン用のUSBメモリの購入に行き、次に食料品の買い物をスーパーへ、それらをすませて我が家に帰る。

▼午後3時過ぎに、夕食は作るのと聞かれた。上手には出来ないというと、「じゃ、つくつてあげる」「何が食べたい?」「そうだなー、冷蔵庫にある材料を使ってなんでもよい」と。

 あまり材料もないので「肉ジャガをつくろう」と。二人が台所で料理するのを見ていた。

 なんと、「スマートフォン」を取り出して、その料理法を参考に二人が話しながら作ってくれる。作り上げると台所をきれいにして自分たちの家に帰っていった。

▼私も一度、「U Tube」で「焼きそば」を参考にメモして作ったことがある。「スマートフォン」を手元においての便利さに「ほう!」と感じたものでした。

 独身生活者たちの中には自炊をするときこんな方法で料理をしている者もいるだろうと思う。

▼私はお手伝いさんに夕食を週に3日作ってもらっているから料理はほとんど出来ないでも食べるにはことにかけないが、意外に後片付あとかたづけが大変である。腹がふくれ休んでいるとどうも、たいぎになる。

 食べ終わるとすぐに片づけて、あとゆっくりするのが良いとはわかっているのだが……。

 こんな生活から「家庭の主婦の仕事は大変だ」と実感している昨今である。

▼「男子厨房に入らず」の世代の私にも対策を考えなければならない。それにしても「スマートフォンを使っての調理とは」と、ただただ感心させられた。

平成二十四年五月二十日


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健康寿命


 私はこの言葉と意味を知らなかった。あるメールから知り、調べると

 健康寿命とは、平均寿命から介護(自立した生活ができない)を引いた数が健康寿命といいます

 厚生労働省は、2010年の統計では日本人の健康寿命は男性で70.42歳、女性で73.62歳であると2012年6月に発表しました。

▼平均寿命とは、0歳における平均余命のことで、平均余命とは、ある年齢の人々が、その後何年生きられるかという期待値のことである。

 2010年の簡易生命表によると、日本人の平均寿命は男性が79.64歳 、女性が86.39歳で、2009年と比較して男性は0.05年上回りましたが、女性は0.05年下回りました。 

 「人生80年」という言葉は平均寿命からきたものですが、日本はまさに世界有数の長寿国です。 

▼健康寿命と平均寿命の詳しい説明

 都道府県別では、男性は愛知(71.74歳)、女性は静岡(75.32歳)がトップ。最短は男性が青森(68.95歳)、女性は滋賀(72.37歳)だった。

 いつまでも元気で長生きすることが望まれますが、肥満や高血圧、高血糖といった生活習慣病が原因で脳に障害が起きて、認知症となったり、寝たきりで介護が必要になったりする国民が増え、深刻な社会問題になっています。

 今後は健康寿命を延ばすため、地域間の健康寿命格差を縮めること、ガンや脳血管疾患、心疾患の死亡率低減、糖尿病の予防が主な目標となっています。

▼健康寿命の算定方法は、80歳まで生きた人を考えてください。

 80年間、常に健康な日常生活を送っていたとは限りません。

 例えば、50代で大きな病気になり1年間入院したとします。

 それから元気になり普通の生活をしていたとします。

 その後、76歳からは寝たきりで、亡くなるまで4年間介護をしたとします。

 死亡時の年齢から、入院期間と介護を受けていた期間を差し引くと75歳となります。

 これが健康寿命のイメージです。

 以上の説明で質問点が考えられます。例えば一年未満の短期入院(胃の全摘出の入院を一ヵ月した)ではどのように扱われるのか。

 この質問点は別として、

▼「健康寿命=平均寿命-介護」であるから、「介護=平均寿命-健康寿命」となる。

 2010年で介護を計算すると男性では「79.64歳-70.42歳=9.22歳」、女性では「86.39歳-73.62歳=12.77歳」となる。

 男性である私たちは約9年間も介護(入院を含めて)をうけていることになります。この数字は私には想像できないものものだ。しかし現実は認めなければならぬものでしょう。 

 私は、多くの方々の支援を受けて、幸いにも介護(自立した生活ができない)の状態でないことを感謝して一日一日をともかくも人様の手をわずらさないで生きたいと願っています。

平成二十四年六月七日


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腹式呼吸と快眠


「快眠」「快食」「快便」は私どもが健康に注意していることであります。

 睡眠に関連した、「羊が1匹…」では眠れない?理由は日本語にとの表題で下記の記事を読みました。

「羊が1匹、羊が2匹……」と数えると早く眠れるというのは本当か。

 広島国際大学の田中秀樹教授(精神生理学)らが大学生を使って実験したところ、腹式呼吸のほうが効果的という結果が出た。29日に横浜市で開かれる日本睡眠学会で発表する。

▼田中教授らは、眠くない状態の大学生14人を昼間に眠らせる実験を行った。それぞれの学生について、羊を数えることと、鼻から吸った空気を口から吐く腹式呼吸の2通りで実験した。

 その結果、まどろんだ際に出る脳波が表れるまでの平均時間は、羊を数えたときは14分4秒。それに対し、腹式呼吸は9分32秒と短かった。実験を行った20分の間に3分以上継続する眠りまで至ったのは、羊を数えた場合の5人に対して腹式呼吸は9人と約2ばいだった。

▼田中教授は、英語なら、「シープ(羊)」という発音を繰り返せば自然に腹式呼吸になることもあるが、日本語の「ひつじ」だとそうはならないと指摘。「日本人には単調な雨音やせせらぎ、電車に揺られる音を聞く方が効果的ではないか」と話している。

(2012年6月23日23時49分 読売新聞)

▼私はこの記事を読み、白隠禅師の『夜舟閑話』のことを思いだして、『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦■日本教文社を繙くと、そのP.85に、いまから二百年前に書かれた白隠禅師の『夜舟閑話』の中の「内観の秘法」の「睡り」こそは、永遠の価値をふくんだ理想的な熟睡法というのではないでしょうか。すなわち身をゆったりととのえ、一切の世事の思い煩いをすて去って心を悠然として一念に統一し、呼吸は気海丹田でゆっくり味わい、血行をよくして、幼児が母の胸にだかれるように、神や仏の温かい胸にだかれているとおもいながら、いい気持ちになり、永遠の生命との一致感を味わいながら自然に睡りの国へ入ってしまうのであります。

 「呼吸は気海丹田でゆっくり味わい」は当然、腹式呼吸であります。

▼上向きに寝転んで両足を伸ばし、肩の力をぬいて、両方の掌を臍の下の下腹部において、下腹部をへこませるようにしますと自然に息が吐き出されます。その後、腹を膨らませると鼻から空気が入りこみます。その後、ゆっくりと吐き出す。これを数回繰り返すことを試みるとよいとようです。

 このようにして快眠したいものです。 

平成二十四年六月二十七日


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風邪くらいは―高齢者には要注意―


 私はあるねんれいからは、「未見の世界にはいるのだ」とかねがねおもっていた。いつなにが起こっても名思議でなくて、新しい体験をするものだと。

 ところが25年2月9日:夜中に目が覚める、排尿に布団から立ち上がろうとした。立ち上がれない。
 からだを右に・左に倒して、最終的には膝を前に曲げて、少し体を起こし、箪笥の引き出しに手をかけて立ちあがることができた。一晩に数回、時には半分立ちあがり、たおれて体や頭を打つ。

 2月10日(日)前日、自力で立ち上がるのに四苦八苦し、一人暮らしのため、人のたすけを求められないので、娘に来てもらう。

 2月11日(月)何もする気がおこらない。額に手をあてても、発熱は感じられない。

 2月12日(火)肺炎にかかった経験のある友人に電話した。
「肺炎になると大変だぞ」と、さらに「発熱しなくても肺炎になった知人がいる」とまで注意してくれる。
近所の内科を専門としない先生に相談に行く。まず検査しようと血液検査をしてくださる。

 2月14日(木)検査結果を電話して下ださる。「感染症の数値が高くなっている。岡大病院でこれを見てもらいなさい」と。

 2月15日(金)大学で定期検査をしていただいている泌尿科に直行。先生は上記の検査結果をよみとられると、直ちに「総合内科」へ回してくださる。
 そこでは、数えきれない検査の連続。最終的には「横紋筋融解症」(初めて聞いた)の診断。即入院させられた。体温も37.8度もあった。

 2月16日~2月22(金)の間、抗菌処理、整理食塩水の補給、神経内科での筋肉の状態検査。

 2月23日(土)退院。

 入院当初、泌尿科の先生は「長く寝ていると、ぼけるから、症状を判断して、できるだけ早く退院させる」と、長男に知らされていた。

▼「ちょっと体調がおかしい」と感じたて時は、自分の体か「イェロカード」を突き付けられれているとかんじました。人によってそれぞれの生理的差異がありますが、少し風邪気味だと体温計できっちり測定すること。

▼今回、多くの先生のグーループか検査していて、いままで指摘されなかった体質も指摘されました。私に取っては「人間ドック」で検査さる以上の効果がありました。

 最後になりましが、先生たちに心か感謝申し上げます。

平成二十五年二月二十四日


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「人」をみる医療


 一九九一年六月十三日に日本病院学会が開催され、「新時代の医療文化をどのように構築していくか」というシンポジウムに、皆さんよくご存じの、NHK解説委員の行天良雄さんの司会で、歴史学の木村尚三郎、評論家の上坂冬子、免疫学の多田富雄という錚錚たる先生に伍して参加してきた。

 新時代の医療という点で、どの演者も共通して、老いと死のことを話題に取り上げたのが非常に印象的であった。

 考えてみると、特定の病気になるかも知れないし、ならないかも知れない。老いと死は生き続けているかぎり、すべての人の問題となるのだから、これらが重要な話題となるのは、当然と言えば当然であろう。

 国民全体の問題とあらば、このことを狭い意味での「医療」という考えだけにまかせておいていいのだろうか。

 これまでの医学は、なんといっても「病気を治す」ことに目標が置かれてきた。しかし、老いや死を相手とするならば、これまでのように「病気」に対してきた医療のあり方を抜本的に変革してゆくぐらいの意気ごみがいるのではなかろうか。

 病気よりも「人」そのものを全体としてみるには、医者のみでなく看護婦、ソーシャルワーカー、それにわれわれのような臨床心理を専門にするものなどのチームワークも大切になるだろう。

 新しい医療イメージを語って、三時間のシンポジウムがすぐに終わってしまうような感じであった。河合隼雄『「老いると」はとどういうことか』(講談社α文庫)より。

私感:このきじを読み、大病院について述べられていると思う。誤解であればと願う。

 私の場合は、大学病院・市立病院に定期的に通院している。大学病院では比較的長い時間またされ、先生に診ていだだく時間は僅かだが、面と向かって話しながら、私の健康状態を判断され、おもむろにデータをみて学生に説明されている。しかし、若い先生(皆様とは言いません)に診てもらう時は、データだけをみながら説明されて「人」をみることはほとんどないのでないか。

 しかし、緩和ケアー病棟では、ベテランの先生、臨床心理学を専攻された方が診て下さる経験をしたことがある。

平成二十五年三月二十一日


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四足・二足・三足とは


表題は何だと思われます。すぐに思いつかれる方が多いと思います。

 私の解答は人間の生まれてから老齢になってゆくことです。

 生まれて約一年前後は両足・両手を使って「はいはい」をするようになります。それから二本足となり成長して活動します。高齢者になりますと、人によって違いますが、杖を使わなければならなくなり、三足ということを表すものです。

 私は年は高齢者であり、脚力が弱っています。更によわくなるのをやわらげるために運動をかねて往復で約6000歩の店にキャリーバッグを右手でお供にして買い物にでかけていました。

 ところが、帰途の途中、三度も前に倒れました。その二回は左側で左足の打撲ですみました。それにも懲りず、三回目は自宅に近い所で前に倒れて鼻・おでこが傷き眼鏡にひびが入り、散々な目にあいました。

▼友人に話すと、たとえば写真のような「歩行器」を使わなければと忠告されました。さらに電動カートをつかわれているのを見かけます。

 居宅介護センターのかたが「暮らしの 福祉用具」のカタログを持参して下さいました。

 その方と話していると、往復ともそれを使用しなけれならない、疲れたからとバスに乗り込むことが出来ない名具合があります。

▼倒れた原因を考えますと、私の「キャリーバッグ」は柄がみじかいので、上半身が前かがみになるためにであると思いました。

 そこで買い物用の空のバッグささげて店まで行き、帰りはバスでという事にすることにしました。今のところ安全が保たれています。しかし、やがては「歩行器」にたよらなければならなくなるでしょう。

▼私の先輩は家の中で転んで、入院生活を半年もされた。また、ある人は、前に倒れて前歯を3本も折るありさまでした。

 高齢者はくれぐれも体の調子によつてそれぞれご注意されますよう。


 朝は四本足で、昼は二本足、そして夕方は三本足であるく動物は何か?

 ギリシャはテーベ郊外の岩にでんとかまえた、顔は処女、胴は獅子、そして翼をもった怪獣スフィンクスが、岩かげの道をとおる旅人に向って問いかけた有めいな謎である。

 この謎に答えられなかったものは、かたっぱしから海の中へとつきおとされていた。ところが、勇士オイディプスは、「それは人間だ。赤ん坊は手足を使ってはい、成長すると二本足であるき、老人になると杖をついてあるく」と、みごとその謎をといたので、さしもの怪獣もみずから身を投げ、海底にその姿を消したという。

 ギリシャ神話のなかのこのスフィンクスの謎は、私たちの人間の一生の外面的変化をみごとに描いている。しかし、形のうえだけで人間の本質が特徴づけられるものではない。

 アリストテレスによれば、人間は「社会的動物」、ソクラテスによれば「理性をもった動物」、パスカルによれば「考える葦」、フランクリンによれば「道具を使う動物」、さらにドイツの哲学者カッシラー(E.Carsirer)は、人間は「シンボル(言葉)を操る動物」だという。

 これを要するに、人間は、知性と理性をもぅて思考し、手を使い、言葉をしゃべって社会生活を営む存在物だということである。そしてこの人間の特徴は、まさしく、たぐいない立派な脳と高度に分化発達した大脳皮質(新皮質)の所産にほかならない。

 人間行動の尊厳は、新皮質の健全な働きによって保証されており、人間性の本質は、新皮質で営まれる精緻な神経活動によって具現されている。いうなれば、脳が人間のすべてであり、新皮質のすべてが人間の根元である。

※時実利彦『脳の話し』(岩波新書)1903年8月10日 第5刷発行 P.220 より

2014年4月10日、2019.12.16追加。


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平均寿命ー男性がなぜ女性より短いかー


 四月下旬、天気もよく足の運動をかねて食料品の買い物の途中、ふと表題が頭に浮かぶ。

 調べてみると、厚生省によると、日本人の平均寿命は平成22年度、男性79.5歳、女性86.3歳。6歳も違う。

▼約1年半前に妻に先立たれて、介護保険の手助けをうけながらも家事を一人でやっている。

 一口に家事と言ってしまえばそれまでだが、私の場合は、家内が元気なときにはすべてをきりまわしてくれていた。

 現在は、自分でしなければならない。その仕事の多さには昔人間には想像できないものであった。私もその一人である。

▼家事のもろもろをみますと:食事がある。その準備には食料品の買い物。台所での調理、三度の食事後の後かたずけ。家の部屋・風呂場・便所の掃除。洗濯(天候を考えて)。家の周りの草抜きなどなどがある。

 これらの家事は体力ばかりでなくて頭も使わなければならない。

 人によつて、家事の手伝いの程度は違うでしょうが、その全部をしたとしても、女性の思うほどにはしていないと思えるが、一人でこなすとしたならば容易なことでないことには気づかされている。

▼軽い病気で医師にかかると、診察中の会話で「出来るだけ散歩をしなさい、頭を使いなさい」と言われる。

 上にのべましたことから当然の結論として、普通のサラリーマンを定年退職された夫婦について推察しますと「体を動かし、頭を使うのは女性の方が多い」と、私についてはいえるようである。したがって、表題の結論がえられたと思う。

 医学・生理学を専門にしている方々のご意見をお聞きしたいものです。

補足;健康寿命につい述べましたが、お互いに気を付けましょう。

平成二十五年四月二十八日


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個人の自律性を 国が守るデンマーク


 病院から送られてきた郵便物の中に表題について、デンマーク在住の女性を講師に『日本とデンマークの死生観の違い』について医療倫理学習会についての記事です。お世話になった先生がまとめられているものを紹介します。

日本人とデンマーク人の考え方の違いについて

 「自律性の重視」

 デンマーク人は、自律性をたいへん重視している。自分のことを自分で決められるという自己決定の権利が、あたりまえのこととして国民に根付いている。

 デンマークでは、社会のなかで個人の自由な意志が尊重されるが、国のほうの役割はこれを守るために、基本的人権の社会権(生存権的基本権)に基づいて、社会保障制度を整えている。言い換えると個人の自律性が失われようとするとき、それを支えるための公的な保証制度が機能するのが、デンマークの社会である。

 「日本の現状と社会」

 日本では、憲法に定められた基本的人権が日常社会のなかで、十分にいかされているだろうか。今回のお話を聞いて、私たちの憲法が暮らしの中に生かされていないと反省する。

 競争社会のなかで貧困となった者は、自己責任だから死ぬのも自由といったようなことは、けっして真の自由でもなければ自己決定ともいえない。セーフティネットが整備された社会こそが、人間がつくる社会の健全な自由競争の場となりうる。自由な競争によって社会の発展を進めるために、十分な社会保障こそがそれを支える制度として必要なのではないかと、今回の全体学習で学んだ。

 「患者の権利章典」

 この病院「患者の権利章典」でも、知る権利とともに自己決定権の尊重がうたわれている。医療においても、自らの命や健康はまずは自分のもの、健康なとき病期になる前に、すべての人に必ず訪れる終末期に際して、どのような医療方針で臨んでほしいかを考え、自由決定すべきです。事前意志確認書などを利用して、その内容を記録しておくことを勧めたいと思います。

*参考:脳死判定による臓器移植がおこなわれている近ころは耳にすることがすくなくなりましたが、「尊厳死」を思い出させられました。先生の提言のように私はしたいと思います。

平成二十五年五月十二日


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愛唱歌とともに歩こう


 散歩、買い物を徒歩でされている方たちは多いようです。高齢化社会のためか、年配の男性の方々も多くみかけます。反対に若い女性が自動車でさっとスーパーにきて、買い物を積み込み帰って行っている。

▼散歩では犬と、また夫婦でされている方をみかけます。気温があまり高くない時間帯を選ばれているようです。散歩で顔見知りになった人たちは「こんにちは!」「お変わりありませんか」など挨拶をかわされている。亦年輩の方々の中にはストレッチをして体をほぐしています。

▼私は犬は飼っていませんので、一人でさわやかな空気に抱かれて、道々の家の植木や花を楽しみ、途中で柔軟体操(我流)をしています。

▼買い物では、キャリバッグを引いているかた、手押し車を押しているかたもいる。

 私も人並みに足の筋肉が弱って買い物にはキャリーバックをつかつていました。或る日、帰り道でキャリリーバックを引いて、転倒した痛い経験をしましたので、今は手提げ袋を下げて買いものに行きます。主として食料品です。歩数で約3000歩くらいのスーパーに。往きは袋だけですから足の筋肉の保全にと徒歩で。帰りは荷物が重いときはバスに乗って家に帰ります。時には、あまり重くないと徒歩で帰ることもあります。予想に反して疲れることがあります。

▼或る日、帰り道で愛唱歌をくちずさみました(坂本 九さんの「上を向いて歩こう」)。また人がいない時は声をだして歌ってみました。すると、歌っているときは疲れが何処かへ飛んでいました。

 「愛唱歌とともに」歩くと少しばかり元気が出てくるのは何故だろうか? 

   徒歩で帰っているとき、無意識に「しんどいな!」と思っているのではないだろうか。声を出して歌うと気分がそちらに振り向けられて、一時的かも知れないが「しんどい」が歌う声に包み込まれているのではないだろうか。

▼老化は足からくる?とも言われています。知り合いの方々から「転倒しないで」と注意されています。

 そこで、予防で徒歩を心がけておられる方はさまざまな方法を編み出されていることでしょう。その中に、愛唱歌を大声で歌うのを加えてみてはいかがでしょうか。平素、会話が少ないと声帯が委縮して「声がかすれる」対策にもなるでしょう

平成二十五年五月二十二日


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乳がん・卵巣がんの予防切除


 遺伝的に将来乳がんや卵巣がんを発症する可能性が高い体質を持つ未発症の人に対し、予防的に乳房や卵巣を切除する体制の整備が、国内の医療機関で進められている。

 米女優(37)が両方の乳房を予防切除したことを公表したばかりだが、未発症者の心理的な負担を減らす新たな治療として注目される。整備を進めているのは、がん研有明病院(東京)、聖路加国際病院(同)、大阪大病院(大阪)など。

 乳がんの5~10%は遺伝的な要因が強く影響する「遺伝性乳がん・卵巣がん」だ。特定の遺伝子「BRCA1、2」の変異が遺伝することで、70歳までに56~87%が乳がんを、27~44%が卵巣がんを発症するというデータがある。親から子へ50%の確率で遺伝する。

 血液検査で発症前に遺伝しているかがわかる。対策としてこまめな検診や乳がんの発症に影響する女性ホルモンを抑える薬物治療のほか、欧米では卵巣や乳房を予防切除する手術が普及している。

 早期発見する検診の手だてがない卵巣がんの予防切除は、国内でも複数の施設が行っており、がん研有明病院は2011年9月に開始。自費診療で約90万円かかる。これまでに約10人が手術を受けた。近く、乳房の予防切除についても院内の倫理委員会に申請する。

(2013年5月21日 読売新聞)


 遺伝子変異で前立腺を摘出 英国人男性、世界初

 乳がん予防のため乳房の切除・再建手術を受けた米人気女優(37)と同様、がんのリスクを高めるとされる遺伝子変異が見つかった英国人男性(53)が、前立腺の摘出手術を受けていたことが分かった。英紙タイムズが21日までに報じた。

 同紙によると、男性が遺伝子変異の発見により前立腺を摘出したケースとしては、世界で初めてという。

 女優さんは「BRCA1」という遺伝子に変異が見つかり、両乳房の切除・再建手術を受けたが、この男性は「BRCA2」遺伝子に変異が発見された。

 これらの遺伝子に変異があると、乳がんや卵巣がんのリスクが高まることが分かっているが、この男性が検査を受けたロンドンのがん研究機関の調査では、男性の前立腺がんのリスクも高まることが分かった。

 男性には乳がんや前立腺がんにかかった家族がいたが、通常の検査では異常が見つからず、担当医師団は当初、手術に消極的だったが、遺伝子変異が分かったことで踏み切った。手術後、前立腺からかなりのがんが見つかったという。

(2013年5月21日 日本経済新聞)


 私は遺伝子の変異が測定できて、どの部位の遺伝子の変異がどんな種類のがんに影響を与えるかを、上記の新聞記事でしった。

 乳がん・卵巣がん、前立腺がん以外のがんではどうなのかと専門家に教えていただきたいものです。

 日本人のがんについて、インターネットで検索すると、胃がんの死亡率は世界一、肺がんはつい最近胃がんを抜いて1位になった。そのほかに喉頭がん、咽頭がん、大腸がん、肝臓がん、膵臓がんなどなどがある。

 これらも遺伝子の変異があるのだろうか? 乳がん・卵巣がん・前立腺がんのように摘出しても直接には生命には関係ないとしても、切除出来ない部位の遺伝子の変異は調べられるものでしょうか?

 医学の進歩は素晴らしいものがあることを具体的にしりました。

 更に付け加えますと、人類の発達過程と相応してがんの発生利率も高くなっているとのことです。対策を研究されている方々に頑張ってくださいと声援を送ります。 

平成二十五年五月二十四日


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三階建ての家


 お釈迦さまのお経のなかに『百喩経(ひゃくゆきょう)』というのがあります。普通のお経は難解ですが、これは全部、譬え話で構成されている面白いお経です。でも、実に含蓄のある話ばかりで構成されています。この中に「三階建ての家」の話しがあります。

▼ある金持ちが三階建ての家を建てて、うれしくて友だちを呼びました。「家が新しくなったから、一度見に来いよ」と。友達は一階を見て「やあ、いいな」と言い、二階を見て「いいな」と言い、三階を見た「ああ、三階って景色がいいな」と感激して帰ってきました。家に帰ってから、「おれも三階を造ろう」と建築家を呼びました。建築家は設計図を描いて持ってきました。そして、「まず一階の基礎工事はこうやって、それから一階を造って、二階を造って、三階を造ります」といって説明をはじめました。するとその金持ちが「一階と二階はいらない。三階だけ造れ」と言ったのです。建築家はいや、一階と二階をちゃんと造らないと三階だけはできませんというのですが、「いや、一階と二階はは余分な金がかかるからいらない。三階だけ造れ」とかたくなに自分の考えを変えません。

▼絶対に無理でしょう。まず基礎工事をして、一階を造って二階を造らなければどうにもなりません。でも、これは建物の話しに譬えて人の生き方を教えているのです。いい景色が見えて「いいな、楽しいな」というこの三階は、人生の「幸福」を意味しているのです。そして一階は「生命」、二階は正命(しょうみょう)といって、「正しい生活」を意味していると私は思うのです。例えば、いくらテニスの高級用品を集めてもテニスは上達しないでしょう。テニスの基本を学び、練習によって腕を磨くことが必要です。幸福になるにも、「お金」だとか「家」だとか、いくら物を集めても駄目なんです。「生命」があって初めて生活設計が立てられ、そして「正しい生活」という種まきがあって初めて幸福がある。というのが人生の根本ですし、仏教の教えです。だからこそ、お釈迦さまは、「一階と二階が大切だ」とおっしゃるのです。そういうことをお釈迦さまは、『百喩経』の「三階建ての家」の譬えで教えたかったのだと思います。

*百喩経:原始仏教の経典の一つ。前生における素晴らしい善行のために、現世で立派な人間なのであるというような因果業報の物語。この種の物語は譬喩といわれるが、『百喩経』は百の譬喩を収めた物語といういみである。
*松原哲明編『東京原宿辻説法』(佼成出版社)P.165~166

平成二十五年六月一日


39

水とビール


 今年はまれにみる猛暑日が続いています。子供・お年寄りには大変な気象です。そうかといいえば、地方によっては雷雨を伴う降雨、山崩れ・家屋への浸水被害。

 「熱中症」(今年、初めて聞く新語なのでしょうか)について、毎日、報道されている。死者が出ている。

▼これまでは、私は(岡山の水はおいしいといわれていた)水道水で済ませていたが、スーパーに立ち寄ると水を買っているのを見かますので、私も「水」をかってきて、コップに氷をいれてこの水を注ぎ、見ていると、透明で透き通っていて見飽きない。各種のめい名水が売られていて、選ぶに迷わされる。

▼若い頃、ドイツに出張しました。ホテルで水をコップに入れておくと、底に濁りがたまりました。これは飲料として飲めないとおもいました。

 「ドイツでは料理に使う水はどうしているのだろうか?」と思っていましたが、現在は結構普通の水がうられているようです。海水さえ真水に変える技術が完成している事実から当然といえばいえる。

▼旅人の私でしたから、街に出て「コカコーラー」「ペプシコーラ―」「ビール」がみな同じ値段で当時100円でした。これには驚きました。ビールが安いのに驚いたのが実態で、喉が渇けばビールを飲むことにしていました。

 ドイツのビール(特にミュンヘンビール)はおいしいと聞いています。札幌のビールも同じだと。地図を見るとほぼ同じ緯度にあり、専門家はどのように解釈しているのでしょうか。

 またあちこちにビールの大衆さかばがあり、大ジョッキを多くの集団が飲み干しているのは壮観でした。

 また、大きな街の駅の国有鉄道(Bundesbhan)の待合室には、4~5人がビールの立ち飲みできるスタンドがあり、お互いに話し合っている様子は日本では見られない風景だ。

 これも、門外漢の私には「水が生んだ生活の知恵でしょうか?」

 ドイツでのビールの味が舌に残っています。

 さらに、スイスを訪れたこともありましたが、ここでもビールの大衆酒場がありましたことを付け加えておきます。

平成二十五年八月十四日


40

忘れた友人のな前


 忘れた友人のな前

 ある友人の「名」を思い出せなかった。三日間くらい、寝る前に思い出そうとつとめたが思い出せない。

 ふと、その友人の友人の名前が浮かんだ。それから次々と友人の友人と連鎖のようにな前をメモした。こんな作業をしていたら、ついに思い出せなかった友人のな前(A.K.)に到達した。


 中学生のとき、日本史の授業があり、歴史事項と年代を覚えるのに「日本史年代記憶法」をよく使ったものである。

 本棚の片隅に保存していたので少しばかり紹介します。

『2元方式による日本史年代記憶法 』三浦敬義 著(洛陽社) nihonsinendaikiokuhou

●538 仏教、百済(くらだ)から伝わる。ゴミは(538)けと、おやじぶつぶつ、経(仏教)を読む。

 こんなに散らしておいてどうするのだ。早く掃除をしなさいと、といいながら、父は仏壇の前にすわって、お経を読んでいる。

  ●672 壬申の乱。無理なふ(672)れ、出せば人心(壬申の乱)、つかめない

 ふれ=政府の命令。人民を苦しめるようなふれを出せば、人心は政府から離れるばかりだ。政治はまず人々の心をつかむことが大切。

●1192:源頼朝、征夷大将軍となる.(建久3) いい国(1192)だ。武士はどこより、供(源頼朝)多い。

 この国では武士の勢力が強く、たいていの武士は多くの供をつれて、威風堂々と歩いている。

●1333 鎌倉幕府の滅亡 父さんの、ササ(1333)鎌は、倉になし(鎌倉幕府の滅亡)

 ササを刈るから鎌を持って来てくれとお父さんがいう。そこでぼくは、さっそく倉をさがしてみたが、倉には鎌はなかった。

※建武の中興、後醍醐天皇、吉野へ移る、室町幕府の創立と続く。

●1467 応仁の乱おこる(応仁元)石牢の、中(1467)にひそむは、おお忍(応仁の乱)者。

※関連:内藤湖南

●1859 安政の大獄 今は獄(1859)、アン製(安政の大獄)造は、しておれず。

 アンコ屋の主人が捕えられて、獄へ入れられてしまった。おやじさんは自分の店のアンコがじまんだったが、今はそのアンコを造ることさえできないこととなった。

※桜田門外の変(万延元)と続く。

●1862 生麦事件 冷や麦に(1862)、造れよこれは、生の麦(生麦事件)

 薩摩藩の島津久光の行列が神奈川県の生麦にさしかかったとき、英国商人が行列に出会いながら下馬しなかったことを無礼であるとして、久光の家来が英人数人を殺傷した事件。翌年、薩英戦争。

●1867 王政復古の大号令.(慶応3)いやだろうな(1867)、おお征ふく(王政復古)がこんな色。

 太郎の制ふくもついにこんなに日焼けして、色が変わってしまった。さぞ太郎もいやだろう。思い切って一着新調しましょう。

●1932 五・一五事件(昭和7年) ひどく身に(1932)、しみた五一が、五(五・一五事件)の教え。

 五一が五ということは、ソロバンでは大切なことだから、よく頭へ入れておかなくてはなりせんよ、ということをまだ忘れない。

 国家主義者とこれに共鳴する海陸軍少壮軍人らによって起こされた事件。首相官邸で犬養毅を殺し、内府官邸、警視庁、日本銀行その他を襲撃した。軍部専制体制を目ざす日本ファシズム台頭期の大事件であり、政党政治は衰えた。

※二・二六事件(昭和11)、日華事変はじまる(昭和12)、日本軍の真珠湾攻撃(昭和16)と続く。

 以上のようなものでした。このようにして日本歴史の重要な事項と年代を関連づけて覚えたものだった。

記憶力にむらがある

 例えば上述の年代にしても記憶しやすいもの、そうでないものがある。その原因がまったくわからない。

 記憶しておきたいものがチャンと残って欲しい。また反対に残ってほしくないもは少しも残ってほしくない。これも、自己欲望の身勝手さなのだろう。

味の記憶

 お菓ウイロの味、麒麟ビールの味など。前者は子供の時の味、後者は社会人になったときの味。いま、その味を求めても、いまひとつその味に出会わない。記憶の味覚は微妙である。人間の味覚はどうなっているのだろうか。

関連:味覚の不思議

▼ところが、最近は加齢現象であろうか、メガネの置き場所、財布を持たずに買い物に出かけて、いざ財布を出そうとすると身の回りに見つからない。一度、読んだ本の内容も忘れていて、まるで新刊書を読むようである。

平成二十五年九月五日、2019.09.16追加。


41

立ち上がりました佐藤真海(まみ)さん


 2020年、東京オリンピックのプレゼンターとしての佐藤真海さん

 2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まった国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京のプレゼンターを務めたパラリンピック走り幅跳び代表、佐藤真海(まみ)さん(31)が

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。

 本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。

19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、「骨肉腫」により足を失ってしまいました。

 もちろん、それは過酷なことで、絶望のふちに沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。

 私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。そして何より、私にとって大切なのは…私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました

 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。

▼しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り…私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。

 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら5万人以上の子どもたちをインスパイア(激励)しています。

 私たちが目にしたものは、かつて日本ではみられなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値…卓越、友情、尊敬…が、言葉以上の大きな力を持つということです。

 プレゼンターとして、発言されました。


▼私自身も上膊切断創の障害者としておもいました。

 私の中学の同級生の一人に有本君がいました。旧制広島高等学校の生徒の時、佐藤さんと同じ病気にかかり、岡山大学病院で片肢を切断しました。手術後、松葉杖をたよりに勉学を続けていました。病気には勝てないで 在学中に逝去しました。

 佐藤さんは「骨肉腫により足を失ってしまいました」と述べています。膝から下でしたから義足を装着されて、ハードな運動に挑戦されました。体重が切断した肢にもかかり、本当につらい日常だったと実感します。

 私は今でも切断した腕の先端が痛みます。そして、親指から小指までかんじられるのです。想像できないでしょう。

 佐藤さんは現在も大変活躍して多くの方々を「ありのまま」で励まされているそうです。ご自愛なされて東京オリンピックで是非世界の人々に感動を与えてください。岡山の片隅から声援しています。   

平成二十五年九月二十日


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健康人生への「五つの数字」


 平成二十五年十月 絵画・随筆などすぐれた外科の先生からのおはがきで、健康人生への「五つの数字」をいただきました。

 医師として多くの患者も診てこられてのご見解だと思います

 一 生活に一つの目標をもつこと。

 十 一日に十回笑いを。

 百 一日に百回深呼吸の実施。

 千 一日に千字。字を書く。(指先を使うこと)

 万 一日一万歩、歩くこと。歩数に関係なく(足を使うこと)。

 

▼私の状況についてチェックしますと

 一は自分なりにささやかなものを持っている。

 十は妻が雲の上に逝ってから、独りで暮らしていると、話し相手がいない。したがってTVで自分の好みに合ったものがあり、ユーモアを感じられるものがあれば、つい釣り込まれて笑っていることもある。笑顔で話しあっているときは、気持ちがよくて、顔の笑みを浮かてはなしている。

 百はラジオ体操を始めてその日は第一・二体操では六回である。朝の空気を深く呼吸するのは意外に気持ちの良いものです。坐禅を長く続けている方は、一分間で五~六回の丹田呼吸ですから百回には二十分の坐禅に相当する。現在の私は中止しているから残念だができていない。

 千はパソコンを使っているが(指先は使っている)、手書きの千字は書いていない。日記帳にはメモ程度ですからできていない。

 万についてはほぼ毎朝の散歩で三千五百歩程度である。一日一万歩はできていない。


 平成成二十年:「高齢者五反省」をいただいています。


 一 姿勢に衰退なかりしか

 二 言語にもつれなかりしか

 三 栄養に欠くるなかりしか

 四 歩行に異常なかりしか

 五 頑固に亘るなかりしか

▼その時、私の状況についてチェックしました

 一はまずまずのようです、しかし背骨の一部がいたんでいるようです

 二は言語明晰とはいえないようです、 一部の入れ歯の原因によるものではないかと

 三は(家内の手料理で)まったく自分では配慮していないので、反省しようがない

 四は加齢化によるものか少し要注意かも知れない

 五はどうも性格によるもので高齢になり、他の人がどう評価しているか

 いずれも先生の五省で時々は反省したいものです。

▼以上、いずれでも自分の年齢に応じて、自分の状態を判断の目安にしてはいかがでしょうか。

平成二十五年十一月十一日


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しゃがれ声をよくするには


 勤めもなく、高齢者で一人暮らし、話し相手が少なければ、口をきくことが少ない。その結果は声帯が委縮するのか、声がしゃがれてくるのは仕方ないことである。

▼私は、その対策として、本の黙読をやめて、声読するするようにしてみた。しかし、それでも、しゃがれが声読中にもおこる。

 声読しているとき、しゃがれが起こった時、ふと気づいたのは、肩に力が入っていた。

▼そこで、両方の肩を上下して、肩の力を抜くようにして、両手を下に下げるか、正座しているときは腿の上において読むようにすると、どうやら、「しゃがれ」が少なくなるようであった。

 坐禅でも「坐る時の姿勢の取り方、特に腰骨、背骨、首、頭の伸ばし方、重心の取り方、目の置き所、さらに呼吸の仕方、肩やみぞおちの力を抜き、吐く息と吸う息の間に隙間を空けず、ゆったりとする」などど指導されています。

 肩やみぞおちの力をぬくことは、全身の力がぬけるのを体感します。当然、声帯の力もぬけるから、しゃがれ声も少し改善されるのではないかと考えます。

 坐禅の心構えで日常生活をすることの大事さを実行することに尽きるようである。少しは良くなるようであったが十分ではなかった。

▼次に行ったのは、のど仏から声を出すように心がけますと、名思議としゃがれ声を非常に少なくすることができるようです。声楽家に確かめたいものです。

▼人付き合いが多くて、会話を交わす機会に恵まれている方には声帯には関係がないかもしれません。ご参考までに。

平成二十六年一月十九日


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脚力を保持するには


 倉敷の翁会(パソコンの会)の主催者から聞いた話。

 大学時代の助教授が学生に話された言葉である。

▼カ…感動するの「カ」……自分自身が感動することを求めて行動すれば、ちょっとした言葉の端々に、また他人の行動に感動することは見つかるものである。生き生きとした生活ができる。自分自身が感動しなければ、人を感動させることはできない。

▼キ…興味をもつ「キ」……何事にも興味を持ち、打ち込むと、自分の能力のアップにつながる。

▼ク…工夫するの「ク」……何かをしていると、必ず疑問が起こる。それを工夫により解決すると、そのこと自体も喜びになる。更に工夫の過程も大事である。それは頭をつかっていることである。 

▼ケ…健康の「ケ」…………これは説明するまでもないと思います。

▼コ…恋心の「コ」…………これは、経験者にしかわからないものかもしれません。夫婦むつまじいことが基本でないかと私ども世代は思う。

……以下は私のおもったことである。


 最近「ケ…健康のケ」ともかんれんした「ク…工夫するのク」について私の試みを述べます。

▼脚力の衰えを感じている。低下は年齢によるものでしかたないものとしても、少くとも現状維持、望ましくは少しでも改善さなれないものかと思って、早朝ラジオ体操のグループに参加。買い物にはできる限り徒歩;にしている。

その徒歩について、「一日一万歩」が推奨されています。その通りで異論をさしはさむことはない。しかしながら、言うは易く、行うのは難しいようである。

普通歩く時、膝の曲りは気にしなかった。「ク」の字で、その角度は人によって違いがあるとしても、曲がったままである。

後ろ足の膝の筋をのばして、反対の足を前に出す。この繰り返しをすると、歩幅が少し広くなるようである。前の足の着地が安定している。体全体のバランスが良くて、左右への揺れが少ない。 

また、前足の裏側の筋を張り、後ろ足を前に出す間、体重が前足にかかっている、そして後ろ足を前に出す、この動作も運動になるようである。

いずれをおこなってみると、意外にも疲れるので、少しづつこの動作を続けるようにしてみている。

▼脚力を少しでも年齢相応に保つ方法がありましたら教えて下さい。ご参考のために私の歩き方を写真のように手書きしました。

写真をクリックしますと少し大きい画面になります。
Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.


歩く姿
 

平成二十六年四月十日


45

「ハマヤラワ 五 省」


近頃の私の反省項目を五つにまとめてみた

 ハ 話を聴くをおろそかにせざるか

 マ 満足を求めることなかりしか

 ヤ 優し言葉を使わざるなかりしか

 ラ 楽な道を選ぶことなかりしか

 ワ 私を中心にしてることなかりしか


 自分自身にあてはめてみる

▼「ハ」……対話は相手あってのことである。どんな対話がの頻度がよいか。結論からいえば、相手が7分、自分は3分くらいがよいと思う。5分5分であれば、相手の話に反応していることが多くて、相手の言い分を十分に聞いていない。「聞き上手」になりたいものだ。

▼「マ」……満足を求めては、次々と不足が湧いて来る。どこまでも不満足である。そうすれば精神的にも心安らかにはならない。また、健康についても、食欲も腹7分とい言われている。健康に生きようとすれば少しは我慢して、欲望を3割くらいは減らすのがよいことだと思う。しかし、習慣は少しの努力では変えることはできないようである。

▼「ヤ」……心に響く優し言葉に「愛語」という言葉がある。笑みを忘れずに語られた一言の愛語は人の生きる力になることもある。語った人にはわからないことが多いかもしれない。愛語が使えるのは平素からの心がけによるものだろうと。

▼「ラ」……何かをしようとすると、多くの道がある。仮に二つの、困難な道と楽な道があるとすれば、どちらを選ぶかは自分の判断でしか選ばれない。私はかって先輩に質問したことがある。その答えは「それは君が考えることですよ」と柔らかく言われたことがある。むつかし道を進み、失敗したとしても、その経験は次の段階への踏み台になると思う。楽な道を選べば進歩は期待できない。

▼「ワ」……「人間」という字は「人の間」と云うことになる。私どもは人と人の間でしか生きていけない。自覚するかしないは別としても、かなず、お世話になっていることは間違いないことに気付けば、自分中心ということはおのずから消え去り、生かされている感謝の念に包まれるのではないでしょうか。「ありがとうございました」という言葉しか考えられなくなるのではないでしょう。

 自己反省を込めて羅列しました。最後に云いたいことは「いま・ここ」に徹した生き方を念願しています。

平成二十六年四月十二日


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高齢化社会の足音がひたひたと


   最近のニュースで、転倒事故が増えています。また、65歳以上の高齢者のうち、認知症の人は推計15%で、2012年時点で約482万人に上ることが、厚生労働省研究班調査で分かった。認知症になる可能性がある軽度認知障害の高齢者も約400万人いると推計。65歳以上の4人に1人が認知症とその“予備軍”となる計算で、政府は早急な対策を迫られそうだ。

 私が最近であったお話を紹介します。

 第一の話 私が参加している近所の方々の早朝ラジオ体操に、ある日から左手足の名自由な男性が参加された。数日して、私はその人と話をするようになり、名自由な理由を話された。

 整形外科病院で首筋の牽引されて、帰宅されて夕方、急に、左半身が麻痺されたのことでした。頸椎の損傷だとのこと。リハビリを続けたが、まだ左手・肢がよくないが、右手に杖をついて歩けるまでになったので、少しでも良くしたいためにラジオ体操に参加するようになったとのことでした。

 その方の言われるには「体操すれば気分がよい」と。ラジオ体操が終われば、近所を少し散歩されて帰宅されています。

 その方、5月中旬の朝、「私の家内が、庭の草抜きをしている時、つまずいて大腿骨折して、病院に自動車で運び手術をした」と話された。

 この話を聞いていたラジオ体操を主催されているかた(女性:約70歳)の知人が同じく骨折されて、自家用車で病院に運んだが、そのさい、折れた部分が変形して、それを修復の手術となり入院日数が長引いたと話された。救急車を利用すればよかつのではないかと……。

 人ごとであはありません。私も「転倒しないようにように」と多くの方から言われていますので、わがこととして話を伺いました。

 第二の話 我が家から三軒離れた家のお婆さんとはたびたび話をしていました。朝8時半頃、その方の家の前でお婆さんとご長男の嫁さんが立つていました。挨拶するとデイケアの迎えの自動車をまつているのだとのことでした。

 嫁さんが話しかけてやって下さいと言われたので「私が誰かわかりますか?」「わからない」「何歳になられましたか」「百」と言われた。嫁さんが言うには九十三ですよ。また、長男にどなたですかというのですよと。私だけはわかっているのですけれで……。

 2~3年年前までは、足取りも軽くゴミ捨て場にごみを運ばれれていました。また耳が悪い時は遠くの医院に通院されていたのにと……。

 高齢化社会の足音がひたひたと押し寄せてくるような出来事です。

 以上のような方は皆様の周りにもたくさんおられることでしょう。中にはご家族にもいらっしゃると思います。

▼これらの自衛の対策は、実のところ私にはわかりません。

 転倒しないようには、足腰が現状より弱らないように、月~金曜日には早朝ラジオ体操の会に参加、月・水・土曜日には往復約1時間の買物に徒歩で歩くようにしている。

次に認知症には、パソコンを使う・読書をする━若い時の黙読を現在は朗読━、就寝時に当日の朝からの自分の行動を思い出してみるなど。

 私に名足しているのは日常会話をする人たちが少ないことです。だけど、自分の時間が十分持てるではないかと納得させている。

平成二十六年五月二十七日


47

「命(いのち)のきずな、愛と笑いとユーモア」


「命(いのち)のきずな、愛と笑いとユーモア」

 日時:平成26年6月22日
 場所:富山公民館 
 講演者:旭東病院院長(岡山市)


 脳の細胞は成長します。神経細胞はスナップスで結ばれるもので、使わないとダメになる。刺激を与えなければならない。パキンソン病の研究もすすんでいます。

 「ものまね細胞」というものがあります。簡単に言えば脳細胞を使え使えということです。この講演で初めて知った細胞でした。

(インターネットによる)と、

 スポーツをやっていた人は「先輩のプレーを見て技を盗め」というセリフを言われたことがあるのではないでしょうか? 聞き覚えのあるこのセリフには、実は脳の特別な機能が隠されています。その機能の鍵となるのが、別めい"モノマネ細胞"とも言われる「ミラーニューロン細胞」です。

 ミラーニューロンは1996年に発見された脳細胞で、他人の行動の理解や共感、模倣に重要な役割を果たしていると考えられ、発見当時は大きな話題になりました。たとえば、映画でロマンチックなシーンを見るとウットリし、感情を揺さぶるような激しいシーンを見ると涙するなど、感情移入をするのもこの細胞の効果です。そして、他人が考えていることを理解したり、伝えることができるこの細胞は、人とのコミュニケーションをとる際にも役立たせることができます。

 たとえば、初対面の人と会話する場面では、相手の気持ちを自分と同じテンションに引き上げ、相手のミラーニューロン細胞を活性化させることが大切です。具体的には、まずは自分から本気でその人を好きになることです。そうすることで楽しげな雰囲気やフレンドリーに接するなどの行動が相手のミラーニューロン細胞を刺激し、共感の効果で相手にも自分を好きになってもらえるのです。

▼ものまね細胞について、私は考えてみました。

その一:私達は多くの立派な方々との出会いがあります。絶えず伸びようと心掛けていると、その出会いが機縁となりまして、その方と同じようになりたいと願うのではないでしょうか。

その二:ある会社が業績の良い会社のマネをしようと、社長が旗を振られた。そうすると、会社の幹部が率先して、その良い会社を研究してそのよいところマネする努力をしました。当然組織全体に広がり従業員の心構えの変化が起こりました。ここで気のつくことは、自分の会社の良い点・悪い点を十分に考えたうえでまねることだと思います。

その三:QC(Quality Control)━品質管理が戦後アメリカから輸入されて日本の企業に取り入れられた。日本製品が安くてよいものづくりの基礎になったと思います。日本人の特質である協調性が本場のアメリカより効果を発揮したものと筆者は思っている。

▼いのちの特徴:一人ひとり違う。学習すると変わる。脳が働かなくなる(脳死)があげられる。

 ぼけにくい人:好奇心の強い人。感動を忘れない人。

 ぼけやすい人:自己中心の人。すぐ腹をたてる。人との和に入らない。自分で垣根をつくる。人を信じられない。笑わない。

 笑いは元気の素である。笑いはウイルのようなもので、伝わるものである。よく笑う人が胃がんになって、それが縮小した例があると。<

 神社の「おはらい」はオワライーが語源だと思うが証明してくれませんか(講演者のユーモア:一同笑い)

 天照大神が岩の中に入られた 外でドンチャン騒ぎされるのを聞いて出てこられた。

▼院長がされていることは、早寝早起き 頼まれたらすぐやる。

 院長さんは小道具を使い、ユーモアたっぷりの話をされました。聴講者の皆さんは絶えず笑わされて楽しんでいました。

平成二十六年七月三日


48

早食いは肥満になる


 テレビで報道された題目です<

 ある大学で新入学生にアンケートの項目の一として「貴方の食事は早食いですか?」を取り上げました。

 その後、ホローして4年後、調べると、早食いの者は、そうでない者と比べると肥満になっていたということで、結論は「食事の早食いは肥満になる」ということでした。

 対策として、「食物一口分を口にすると、お箸を食卓にいったん置」とよいとの説明。

 そうするとよく噛むことになり、満腹感が得られるからであるとのこと。

 実際にこうすることを一月つづけた学生の実行前後の映像が映し出されていた。確かにスマートになり、肥満体形は解消されていた。

▼ここで、私には疑問がおきた

 「食事量の制限はあったのだろうか」

 制限がないとすれば、「早食いの人は満腹感がえられないから、どんどんと食事の量がふえるだろう」

 食事の量が一定の場合でも、「早食いのひとは肥満になるのだろうか?」

 こんな単純な疑問点が起きるのは、私の聞き方が悪かったのか。

 私の体験では、学生と同じ年齢のころ、確かに早食いをさせられる体験をした。だが肥満にはならなかった。

 その理由は、いつも空腹を感じるほど動き廻っていたからだと思っている。

 近頃は過食と食事内容の変化によるものか、肥満は大人も子供にも見られるので、「早食いは肥満になる」は話題性があるが、総合的な説明を望むのは私だけではないだろう。

▼ 現代人は、過食や運動名足で肥満になりがちです。肥満になると、耐糖能(血糖を処理する能力)障害などの、軽い糖尿病状態になる人が増えますが、初期のうちに肥満を解消すれば、また正常に戻ることができます。

 しかし、そのまま肥満を放置し続けると、糖尿病になってしまう人が少なくないのです。このような、明らかに肥満が原因で発症する糖尿病を、「肥満糖尿病」といいます。(インタネットによる)

 ともかくも「腹七分目と早食いをしない」を実行して、無用な病気を避けたいものです。

参考:かむ(噛む)

平成二十六年十月二十五日


49

病院がさまざまに変わっている


 TV等でヘリコプターによる患者の輸送とか地方の病院と大病院の連絡網、その他多くのサービスが報道されている。

 最近、私が病院の連携についての見聞きした例を述べます。

其の一:脚力が衰えているので、頭の運動神経と関連しているのではないかと、素人判断で、公立病院で頭のMRI検査を受けた。医師は写真を見て診断された。

 私はその医師に「その写真を〇〇大学病院(知り合いの医師が勤務している)に送ることができますか?」と尋ねた。

 医師は「CDに焼き付けて送ることが出来ます」と気持ちよく答えてくれました。送料込みで270円(後期高齢者だからか)でした。

 そこで、〇〇大学病院の〇〇医師へとお願いした。

 〇〇大学病院の〇〇医師は3日後にメールで診断結果を知らせてくれた。その診断は公立病院のものと大差なく「ほとんど委縮していません」でした。

 以上のように具体的に病院のサービスをはじめて自分自身で知ることができました。

其の二:26年10月に大学病院での定期検査を受けた

 入口を入ると、知り合いの患者支援センターの看護師が笑顔で患者を迎えていた。少し会話を交わした。

 病院に不をたすけるためにボランティアの人がいましたが、看護師がお世話をしているので、さらに受診患者は安心されることでしょう。

 次に大学病院で血液検査を受けるために血液採取の部門にいった。

 多くの人が受けるので、以前は2人の高齢の男性が順番待ちの人たちの整理にあたっていた。

 二十六年十月に血液検査の採取の部門が様変わりしていた。

 まず第一に驚いたのは、自動販売機のようなものがありました。

 それに受診カードを差し込むと、尿の採取コップ(紙製)が出てきて、バーコードが張り付けられていた。そして順番が書き込みされた紙がでてきた。

 勿論2人の人はいなかった。ただ、慣れない人のために若い女性事務員がテキパキと親切に世話をされていた。見ていて気持ちがよい。ある期間が経てばこれもなくなるだろう。

 こんな患者にも感じられる合理化をしているのは素晴らしいものである。私達に見えない合理化も進んでいることだろうと推察した。

▲反面、私と同じように、大病院受診志向があるようである。従って、大学・公立病院などは患者が多いので、患者の地域で、かかりつけ医院を決めて、そこで受診するように勧められている。医院では患者を公立・大学病院への紹介はしてくれるから、ここぞと判断できる医院を選ぶのは賢明であるようにも思える。

平成二十六年十二月二十四日


50

一・十・百・千・万を日常生活に


 一 一合までで酒は止める 

 十 十人の人と話す 

 百 百字書く 

 千 千字読む 

 万 一万歩歩く 

平成二十七年二月一日

令和元年十一月三日のお便りでは、下のようになっていました。

 一 一つの趣味をもつ

 十 一日に十人の人と会話、十回の笑顔

 百 一日に百字書く、指先の運動

 千 一日に千字読む

 万 一万歩、歩く、脚力をつける


 平成二十年一月 パソコン関係でのホームページ:「抜き書きした言葉集」などでご面倒を見ていただいる絵画・随筆などすぐれた外科の先生からのおはがきで

 海兵の五省を模して高齢者五省を作られて、お便りをいたきました

 医師として多くの患者も診てこられてのご見解だと思います

 一 姿勢に衰退なかりしか

 二 言語にもつれなかりしか

 三 栄養に欠くるなかりしか

 四 歩行に異常なかりしか

 五 頑固に亘るなかりしか

▼私の状況についてチェックしますと

 一はまずまずのようです、しかし背骨の一部がいたんでいるようです

 二は言語明晰とはいえないようです、 一部の入れ歯の原因によるものではないかと

 三は(家内の手料理で)まったく自分では配慮していないので、反省しようがない

 四は加齢化によるものか少し要注意かも知れない

 五はどうも性格によるもので高齢になり、他の人がどう評価しているか

 いずれも先生の五省で時々は反省したいものです。


平成二十五年四月十三日の自省

 一 繰り返し同じことをいわざるか

 二 去りし事を忘れ来たるをむかえざりしか

 三 知らざる事をしらべざるか

 四 人を頼りて自らうごからざるか

 五 自分中心で他をはいじょせざるか

参考:海軍兵学校 五 省

 一 至誠に悖るなかりしか

 二 言行に恥ずるなかりしか

 三 気力に欠くるなかりしか

 四 努力に憾みなかりしか

 五 ぶ精に亘るなかりしか

 高齢者五省との違いが少しあります。後者は日々の言行行動についてのものであることについてのものであることにお気づきだと思います。 

平成二十年二月十七日初稿、平成二十三年八月二十三日、平成二十五年四月十三日:追加。


51

「死ぬときに後悔すること25」(患者の後悔)


 大津秀一医師の言葉

01 健康を大切にしなかったこと

02 たばこを止めなかったこと

03 生前の意思を示さなかったこと

04 治療の意味を見失ってしまったこと

05 自分のやりたいことをやらなかったこと

06 夢をかなえられなかったこと

07 悪事に手を染めたこと

08 感情に振り回された一生を過ごしたこと

09 他人に優しくしなかったこと

10 自分が一番と信じて疑わなかったこと

11 遺産をどうするかを決めなかったこと

12 自分の葬儀を考えなかったこと

13 故郷に帰らなかったこと

14 美味(おい)しいものを食べておかなかったこと

15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

16 行きたい場所に旅行しなかったこと

17 会いたい人に会っておかなかったこと

18 記憶に残る恋愛をしなかったこと

19 結婚をしなかったこと

20 子供を育てなかったこと

21 子供を結婚させなかったこと

22 自分の生きた証しを残さなかったこと

23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと

24 神仏の教えを知らなかったこと

25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと


 大津秀一医師:茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校、岐阜大学医学部卒業。消化器内科医として多くの末期がん患者と向き合った経験から、緩和ケアを手がけるようになり、日本最年少のホスピス医(当時)の一人として京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務。その後東京都の在宅療養支援診療所を経て、2010年6月から東邦大学大森病院緩和ケアセンターに所属し、現在はセンター長。
 終末期患者の診療の一方で、緩和医療や死生観の問題等について幅広く講演・執筆活動を行っており、多くの著作がある。2009年に出版した『死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)は25万部を超えるベストセラーになった。
平成二十八二月二十二日


52

十六穀ごはん


 2015.05.14(土)S.M.様と昼食をご一緒にした。岡山市東区益野町の飲食店である。

 そこで、見たのは十六穀ごはんであった。私はこれまで知らなかった。頂いてみると、おいしかった。店主にどの様にして作るのかと聞きましたところ、「企業秘密です」という。

 S.M.様は「十六穀ごは」についてご存知であった。その店の近くのスーパーで売られていた。

 2016.05.16(月)私はいつも利用しているスーパーに行き、写真のようなものを購入した。その日の夕食に使用した。

 一人ですから、一度に焚くご飯は一合半(二食分)である。炊き方を読むと、「いつもと同じ水加減にした白米2~3合に本品一袋を加えるだけ」とあり。

 原材料めい:もちあわ、黒米、黒豆(大豆)、アマランサス、発芽玄米、キヌア、たかきび、小豆、黒ごま、もちきび、大麦、赤米、ひえ、はと麦、とうもろこし:と列記されている。

 インタネットで調べてみると  

 本来、雑穀には米や麦は入らないが、市販の五穀米などの雑穀ブレンド品では、大麦、黒米、赤米などを含んでいることが多い。また、豆類を交ぜたものもあり、幅広い商品が雑穀として売られている。

 でんぷん質とたんぱく質が主な栄養素である白米に比べて、雑穀はミネラル類、食物繊維のほか、抗酸化作用によって生活習慣病などを抑制するといわれるポリフェノールが豊富だ。ご飯に交ぜて炊くだけで、同じ量なら低カロリーになり、食物繊維やミネラルを手軽に補給できる、まさにサプリメントのような食材として注目を集めている。

 麦や雑穀は、種類によって栄養素や、期待できる健康効果も異なる。

■大麦は腸内の環境を改善

 まず、これらの中でも健康効果がはっきりしているのが、大麦。押し麦、丸麦、裸麦などが該当する。白米に比べてカロリーが低いだけではなく、例えば白米と押し麦を比べると、炊く前を同じ量としたとき19ばい多くの食物繊維がとれる。

 大麦には野菜や豆類からはとりにくい水溶性食物繊維も、多く含まれている。これは腸内細菌の餌となり、その活動を活性化させることで、腸内環境を改善する。また、水分を保持して便のかさを増す名溶性食物繊維もバランスよく含まれ、便通を促してくれる、腸に優しい食品だ。

 しかも、白米と大麦を1対1でまぜた麦ご飯を1日2回、12週間食べた人で内臓脂肪が減少したというデータもある。この研究を行った食物繊維に詳しい大妻女子大学の青江誠一郎教授は「食物繊維に含まれるβグルカンは粘りが強く、コレステロールの吸収を抑えてくれる。さらに、消化吸収もゆっくりにし、血糖値の上昇を緩やかにするため、肥満の原因であるインスリンの分泌が抑えられる」と説明する。

 ミネラル類やビタミン類の補給に向くのが小粒の雑穀だ。貧血に悩む人には、鉄分などが多いアマランサスやアワがいい。料理に使う際には、スープやソースにアワを加えると、熱で溶けてとろみ付けに使うことができる。アマランサスは、亜鉛やビタミンB6も豊富で、女性に名足しがちなミネラルを補うのに適する。

 一方、ヒエは神経伝達物質の材料となるアミノ酸のトリプトファンが豊富。精神を落ち着かせたいときにいいようだ。

 高い抗酸化作用が期待できるのが、ポリフェノール類がとれる黒米と赤米。料理に加えれば見た目にも楽しいだけではなく、健康効果も期待できる。

 漢方成分「ヨクイニン」として知られるハト麦は、たんぱく質の含有率が約13%と豊富に含まれている。美肌作用や利尿作用があるという。

■ポイントは毎日食べること

 雑穀の効果を得るには、毎日とることが重要だ。さっそく食事に取り入れたいところだが、雑穀入りご飯だけでは、飽きる人もいるだろう。

 そこでお勧めしたいのが、雑穀をゆでて、おかずのかさを増す素材として使う方法だ。コロッケや肉団子に混ぜれば、食感にアクセントが出るだけではなく、低カロリーで歯ごたえも加わり満足感を得られる。ほかにも鮮やかな色味を利用して、サラダにあえるだけでも、ちょっとした来客の際によろこばれるおもてなし料理になる。

黒米のココナツミルク。デザートにもぴったり

 デザートにも活用できる。例えば、ココナツミルクに黒米を加えればタピオカのような味わいになるほか、押し麦とヨーグルトをあわせれば、おなかに優しいデザートになる。

 ダイエット効果あり、便秘解消効果ありと体にうれしい成分ばかりの雑穀だが、もちろん、むやみに多くとればいいというわけではない。食物繊維の摂取量を急に増やすとかえって便秘になることもあるため注意が必要だ。腸が慣れるまでは、1日の摂取量は大さじ2杯程度を目安にするのが良いだろう。

 腸が強くなく、どちらかと言えば便秘気味な私には「十六穀ごはん」をうまく活用したい食物だと感じている。

▼五穀豊穣(ごこくほうじょう)という言葉はしっていた。特に五穀は何をさすかは正確には知らなかったので、調べてみると、下記の通りであった。

 「五穀」は米、麦、粟、黍または稗、豆の5種類の穀物のこと。

 黍は黍餅で食べたことがある。稗は食べたことがない。

 思い出せば戦時中、麦ごはんを食べていた。米7分と麦3分であった。米だけの場合、「銀飯」といっていた。

 現在は、パンがコメを逆転している。変れば変わるものだ。

平成二十八年五月二十二日


53

白隠の健康法


 白隠の健康法 小島直記が記述「老いに挫けぬ男たち」P.128~132

 白隠の生涯を調べていて、先ず興味を引くのはその健康法である。生まれたのは、貞享(じょうきょう)二年(一六八五)年、三歳でやっと立ち上がることができたほど弱い子供であった。成長しても病身で、ことに二十六歳のときは「心火逆上し、肺金焦枯(黒崎記:心火逆上―激しい名安のために頭に血が上る。肺金焦枯―胸がざわざわして落ち着かず。)」して国手(医者)も手を拱く

 という状況になった。

 そういう病身でありながら、実に八十四歳まで生きたのである。その理由は独特の「健康法」を考え出し、実行したからで、彼はその秘法を、『夜船閑話』、『遠羅天釜(お ら て がま)』、『鵠林尺牘(こくりんせきとく)』などの書き物に書き残している。それは「内観の法」、「軟輭(なんそ)の法」、「独り按摩」などであるが、私はこの中の「独り按摩」を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにしたいと考えた。それは、次のようなものである。

一、手の平を摺(す)る。

二、指を組む。

三、揉み手。

四、拇(おやゆび)にて揉む。

五、手の平、指の筋を揉む。

六、指を引く。

七、腕を逆にこき上げる。

八、頬を逆に摺り上げる。

九、鼻の左右を摺る。

十、額を横にする。

十一、眉下を逆に摺る。

十二、耳を左右の手の平にて摺り下る。

十三、耳を上中下へ引く。

十四、耳へ人差し指を入れて一度ぬきて打つ。

十五、こめかみを両手にて摺る。

十六、脳を揉む。頭の中渦巻きよりヒヨメキを襟にかけ揉む也。

十七、頭を左右へ振る。

十八、身左右三度。

十九、九拝。

二十、左右の二の腕を掴み上下す。

二十一、同所にて肩を廻す。

二十二、指を組み、鼻の通りへ上げ膝を打つ。

二十三、左右のコブシを以て臍裏背肩を打つ。

 以上初伝。

一、胸をさする左右。

二、腹を左右よりさする。

三、手を上げて左右の耳を撮み捨つ如くす。

四、左右の耳朶(みみたぶ)をつまみ、手を左右へ大いに開く。

五、足を以て尻を打つ。手を組み合わせて胸を打つ。

六、足を以て頭を打つ。

七、足首をふる。

八、かかと爪先を以てふる。

九、左右のコブシにて足の裏を打つ。

十、手の中指を合わせ土フマズにて踏み、目を眠り、歯を叩く十二返、唾をのむ三度。

十一、足の甲を揉む。

十二、足の指を引く。

十三、足の指のマタを揉む。

十四、足の甲を裏へちぢめる。

十五、サンリの筋を揉む。

十六、ももの内外を揉む。

十七、サンリを左右のコブシにて打つ。

十八、左右の手を背に組み合わせ腰骨を打つ。

十九、向臥(こうが)して足を開く一尺。息三度。

 以上後伝。伝しおわる。銘にいわく、長生は長息也。

      *

 簡単に見えるが、容易ではない。試みてもらえばわかるが、根気がつづかないのである。

 六月末に入院したときも、これをつづけようとした。予定された手術では、成功した場合が、顔面の肉を削りとるので、顔が歪み、まぶたが閉じぬようになり、胸の肉をとって顔面にしょく皮するため、右腕が上がらなくなるといわれ、覚悟した。独り按摩もその日までかと思うと、急に自分の五体がいとしくてならなくなった。ところが、冒険的手術は避けようということで化学療法となり、顔面も、右腕もつつがないことになったのである。

「南無地獄大菩薩!」

 私が思ったのはこの言葉であった。

関連:『白隠禅師健康法と逸話』直木公彦

平成二十九年十一月十日。2022.03.14.補正。


54

かむ(噛む)


老いれば、足・腰が弱り、目も歯も悪くなるのも生理的老化現象でありましよう。老若を問わず、健康に暮らすには、食事はあれがよい、これがよい、また適度な運動がすすめられています。

最近、噛むことの大事さをおしえられた実例を紹介します。
 ものを食べるとき、よく噛むかそうでないかの違いはあっても、噛むことはあたりまえ過ぎて、効果を考えたことはないでしょう。
 Yさんのご主人は五十五歳の時、脳出血で倒れられて以来、十五年、寝たきりが続いています。近頃は気力が弱っているようだと、奥さんには感じられていたそうです。日頃から、栄養を考え、食べやすいようにと、雑炊のような食事にされていました。ところが、ある日、バナナをだしたところ、「美味しい」といわれたそうです。そこで、柔らかいお握りはどうだろうかと思い、食事にしたところ、召し上がり始め、だんだん顔色も良くなってきたそうです。夜が明け、寝室のカーテンを開くと、「おはよう」といわれるようになられた。体調の悪いときは一言もいおうとされなかった。

▼栄養は今も同じように心くばりされている。以前はただ噛まないですむものにされていました。こんなに気力が出るようになるのは、噛むことが、何か分かりませんが気力のもとの頭の働きをよくしているにちがいない、と少し安堵の色を浮かべられてはなされていました。

▼週に一度「かむかむ給食」をしている学校があるそうです。噛むことが頭の活性ばかりでなく、情緒などにも良い薬になっていないだろうかなどと考えさせられました。情緒などにも良い薬になっていないだろうかなどと考えさせられるお話でした。

★関連:咬筋の作用。


追加:四年前の平成十六年、大腸内視鏡検査で虚血性大腸炎で入院いたしました。一応回復しましたが、翌年もまたS字結腸にかさぶたのようなものがあり、その辺りが痛むので短期間入院いたしました。それ以来1月~2月間隔で通院治療を受けていますが、芳しくない。

 歯のかみ合わせも悪くなり、野菜などを食べると消化されず排便されている状態になりました。その排便がバラバラの塊になり、一つづきのものでないことが多くなりました。そこで、野菜名足を補うために、青汁を飲むことにしました。すると便が一続きになりました。

 平成二十年十月十三日(上述の記録以来約十年)朝食でのことです。よく噛むことを思い出し、一口ご飯をくちに入れると約30回噛み、次にお菜をまた同じく30回のくり返しをしました。当然、時間がかかります。家内が「歯がわるいのですか?」といわれるほどでした。

 Yさんの話を記録していましたが、話としては理解できても、実際に自分が何かの名調にならなければなかなか実行できないもののようです。

 この30回噛む(咀嚼)を続けて体調の様子をみるつもりです。

 人からのお話、他の人や自分の体験の記録はその時々に書き残していることは何時役立つかわからないものだと。また、この記録が10年も経過したものであることに感慨深いものがあります。

平成二十年十月十三日 体育の日 


杉 靖三郎『間違いだけの衛生』(実業之日本社)昭和33年12月15日初版発行

 子供だましの栄養学 消化のカラクリ 

   「栄養は舌先三寸で決まる」 P.115

 われわれは固いものをたべれば、ツバキがたくさん出てくるのである。そうすると、そのツバキの刺激によって、つぎに消化する胃液が出る。胃液が出れば、次の腸液が出るというふうに、非常に連鎖性を持っていることが、すでに生理学でわかっているわけである。

 だから、「栄養の運命は舌先三寸で決まる」といわれているとおりである。よくかんでツバキを出せば、あとの栄養酵素が、全部出てきてうまく行くということが、以前からいわれていたが、このことは今では、正確にわかって来たのである。固いものをよくかんで食うのと、やわらかいものをただ飲みこむのと、どちらがいいかというと、いうまでもなくツバキを出してかんだ方がいい。

   「食事をするときにごはんとおかずを一緒に口にするな」と昔の作法に書いてある。P.120

 昔の海軍に入った人ならご存じだろうが、海軍の食事の作法は、おかずはおかずだけを皿をとりあげてたべ、ごはんはごはんだけをたべるというふうに、固さの違うものを同時に、口にほうばるなということであったが、これは固いものはやわらかいものを一緒にたべると、固いものがよくかまれないうちに、飲みこまれるので、固いものは固いもの同士でよくツバキを出してたべて、やわらかいものはやわらかいものだけでたべるのだと考えると、理屈にかなっている。

森信三『』一日一語』一月二十日 :ご飯が喉を通ってしまうまでお菜を口に入れない―これ食事の心得の根本要諦である。(―飯菜互別食法―)

 貝原益軒の"養生訓"にも、津液は一身のうるほひなり。化して精血となる……といって、ツバキはからだ全体のうるおいで、精力を出す血液になる大切なものだから、唾液をむやみに吐いたりしてはいけない。逆にものをよくかんで、ツバキを出して飲みこみなさい、と教えている。

 また曲直瀬玄朔という人も、「唾液口中に満つれば呑むこと三度、一口を三次にのみて、三口を九次にのむべし」といっている。つまり食事時に、ツバキを十分出して、ツバキをうるおしてから、飲みこめということである。

参考:曲直瀬 玄朔(まなせ げんさく)、天文18年(1549年)~寛永8年(1632年)は、江戸時代の初頭に曲直瀬流医学を大成させ、以後数多の法印・法眼を輩出する曲直瀬学派を確立した。

 『養生訓・和俗童子訓』貝原益軒著 石川謙校訂(岩波文庫)「つばきを吐くな」P.51 を以下に参考として記載する。

 津液(しんえき:ツバキ)は一身のうるほひ也。化(け)して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。

津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再(び)、津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。此理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上(のぼ)せ、津液をへらす。

2019.09.14追加。


55

むせぶ・喉頭蓋・誤嚥性肺炎


 最近、食事中、むせぶ【咽ぶ・噎ぶ】ことがある。ひょっとしたはずみに喉の奥にわずかな食べ物がひっかかり、はきだそうとして喉を絞り上げてウッーとしてもはきだせないで、少し息くるしくなることがある。加齢の影響かな。

 こんなことの以前、しゃがれ声になった。また、話そうとすると、もぐもぐしてスムースに声がでない。簡単な言葉をえらんでぼつぼつ話す。

 ほぼ同年輩の人が電話をかけてくる。声がしゃがれていて、声をしぼりだしているなと感じる。

 知人が「ごえんせい肺炎」について話された。のどに食べ物が詰まって肺炎になるのだそうだ。インターネットで調べた。「誤嚥性肺炎」だとわかる。

 「パーキンソン症候群」で闘病生活をされている。歩行が難しくなる。室内でも転ぶ。風呂に入るにも介助されている。それが遂に誤嚥性肺炎となられた。

 食物、唾液、胃液、腔内細菌などが口を通って食道へ入るところを、誤って気管に吸い込んだ結果、誤嚥性肺炎が起こります。高齢で、色々な病気を持つようになると誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、その元になっている病気の治療が困難な場合が多いので、誤嚥性肺炎は繰り返し起って治しにくくなる。

 体のいろいろの部位の筋肉がかたくなっている。肩、首筋、腰、脚などはわかるが、それが喉頭蓋にまで及ぶとは。思ったこともなかった。

 東井義雄先生の『拝まない者も おがまれている』(光雲社)P.24~29 を読んでいると

 お盆がくると、昔からのしきたりで、村中、阿弥陀経を読んで廻らなければなりません。村の皆さんは、それを待ち受けていてくれるのですから、父が床に臥している以上、私が廻っていかなければなりません。「極楽の蓮池には〚大如車輪(だいにょうしゃりん)〛車輪のような大きな蓮の花が『青色青光(しょうしきしょうこう) 黄色黄光 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう) 白色白光(びゃくしきびゃっこう)』といろとりどりに咲き乱れているなんてバカらしくてなりません。「こんな子どもだましみたいなことが、信じてやれるか」などと思いながら、お経を読んでいるのですからおそろしいことです。

 「阿弥陀経に明け暮れる日、ひょいと無神論が頭をもたげ、ああ、わしは知らんぞ」と、日記に書いている私です。

 そんな私に、目を覚まさせてくれたのは、私が教えている受けもちの子どもでした。当時私は、高等小学の子どもたちを担任していたのですが、三学期のおしまいの頃でした。

 「これで、この学期の勉強は前部終わったわけだが、何か質問はないか?」

といったとき、北村彰男君とういうのが、

 「はい!」

と挙手しました。ギックとしました。

 彼は、母ひとり子ひとりの貧しい子どもでしたが、小学三年の時から、朝は三時半起床、豊岡市を新聞配達して廻ります。終って勉強、朝食をとってから学校にやってくる。学校が終わるととんで帰ってこんどは夕刊配達です。それを小学三年から一日も休まず続けてきたというしっかり者です。

 お母さんが厳しい方で、

 「お前の本職は勉強だ。新聞配達やっているからといって、学校で居眠りするようなら、新聞配達なんかやめてしまえ」

というようなお母さんです。ですから、他の子どもが居眠りすることがあっても、彼だけは、シャンと腰骨を立て、にらみつけるような目の玉で授業を受けるのです。私なんかよりも、人間的には彼の方が立派です。だから私の方がギクッとしてしまったのでしたが、彼は言いました。

 「先生、ああと口をあけると、のどの奥にペロンとさがったへんなものが見えてきますが、あれは、どういう仕事をしているのですか?」

というのです。「ノドチンコ」と子供の頃からいってきたあれの存在は私も知っていましたが、それがどいう仕事しているのか知りませんでした。教わった記憶もありません。

 「北村君、ノドチンコがどんな仕事をしているのか知らんわい。きょう家に帰ってから調べてみるから、すまんけど明日まで答えを待ってくれんかい」

 そのことがわかりそう学校の図書などを借りて帰って、その晩、一生けんめい調べましたからわかりました。ノドチンコ、ほんとうのな前は「口蓋垂(こうがいすい)」ということ、のどの奥で道がわかれており、ひとつの道は、鼻から吸い込んだ空気が肺にいく気管の道。もうひとつは、口からはいった食物が胃袋にいく食道の道。このわかれ道で、食物が道をまちがえて気管に入り込むと窒息してしまう。そういうことにならないように、食物をのみ込むときには口蓋垂が気管の入り口をふさでくれるというようなことがわかってきたのです。ほんとうに、ほんとうにびっくりしました。それを知らないくらいですからお礼をいったことは一度もありません。それどころか、すまんと思ったことさえもないのです。そんな私を、生かしずめに生かしてくれたものがあるのです。気がついてみると、それがとまれば死ぬ以外ないいのちに呼吸せも、私の意志でしていたのではなかったのです。心臓がとまれば死ななければならぬ心臓だって、礼もいわず、うれしそうな顔もしない私のために、夜も昼も、一瞬の休息をとらずにはたらき続けていてくれたのです。何もかも、生かしずめに生かされ続けてきた私だったです。

 「凡聖逆謗斉廻入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう)」

といお正信偈の中のおことばでした。生かされていながら、生かされているとも知らないできたぼんやり者のことを「凡」とおっしゃるのだということ、「唯物史観」だとか「無神論」だとか、学問の端っぽをかじって偉いものになったような気になり、仏さまもくそもあるものもあるかなどと、高あがりしていた私のことを聖とおっしゃるのだということ、せっかくお寺に生まれさせていただきながら、仏さまに尻を向けて生きてきた私のことを「逆」とおっしゃっているのだということ、罪の中で一番深い大きい罪だといわれている仏さまを謗る罪を、あえて犯してきた私のことを「謗」とおっしゃっているのだということ。しかも「凡」も「聖」も「逆」も「謗もひとしく抱きとってくださるおはたらきの中に、私が生かされてきたのだということ。これに気付かせてもらってみると、どうにもこうにも頭があがらなくなってしまいました。

 どこかのお寺の幼稚園の五歳の男の子のつぶやきを記録してくださっているのを思い出します。
       ○
   ぼくの舌 動け
   というたときはもう動いた後や
   ぼくより先に
   ぼくの舌動かすのは
   何や?

というのです。五歳でこんな驚きを驚く子があるのに、私は二十五歳になって、教え子のおかげで、このことに気付かせていただいたのです。

 私のような奴が、おがまれ、願われ、祈られ、ゆるされ、生かされていたのです。どうにもこうにも頭が上がらぬ思いでした。 

*口蓋垂(こうがいすい)は、口の奥(軟口蓋)の後部にある口蓋帆から垂れた部位。内部は迷走神経の支配を受ける口蓋垂筋である。口蓋垂筋は口蓋腱膜から起こり、口蓋垂末端の結合組織に停まる。口蓋帆は嚥下に際して鼻咽喉腔を閉じるために必要であるが、口蓋垂は嚥下には関係していない。通称喉彦(のどびこ、のどひこ)・上舌(うわじた)・のどちんこともいう。

2019.03.03


56

NHI(アメリカ国立衛生研究所)入院規則

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 (一)積極的な治療を行うこと――患者が最後の息をひきとるかぎりの瞬間まで。

 (二)患者には真実を包み隠さず知らせること。

 スチュアート・オルソップ(Stewart Alsop)崎村久夫約『最後のコラム』(文藝春秋)一九七七年三月一〇日 第四刷のなかの記述であった。

   著者はアメリカ東部でのコラムニスト。1971年夏に発病、医師も途方にくれる謎めいた白血病で闘病生活3年10か月の後に世を去った。
 約33年前にこの本で読んで、何か日本と異質な病院治療方針ついて感じたのを思いました。日本では〈ガンの告知〉の問題は論議されていたとしても大変な問題であると、当時の私は感じていたので、ここで取り上げました。

 2013年2月、私は短期間であったが、大学病院に入院しました。その時の調査票に「がんであった場合知らせて欲しいか、そうでないか」の主旨の項目がありました。33年前と同じものを感じました。しかし、これは大学の問題ではなくて私ども日本人の「がん」に対しての考え方にあるものだろうとおもいました。

2013.05.16:追加。



01
冥利を拒絶する


 岩波文庫『正法眼蔵随聞記』の中に心構えの一つとも言える文章がある。

 「亦ある人勧めて云く、仏法興隆のために関東に下向すべしと」 :岩波文庫P.51

答て云く、然らず。若し仏法に志しあらば、山川江海を渡りても学すべし。その志ざし無らん人に往き向ふて勧むるとも、聞き入れんことふ定なり。只我が資縁のために人を誑惑せんか、亦財宝を貪らんがためか。其れは身の苦しみなればいかでもありなんと覚ゆるなり。

 私はこの文章に惹かれていました。

 鎌田茂雄『正法眼蔵随聞記講話』(講談社学術文庫)を読んでいると、P.16~17に次のような文章を読み、道元の心がまえの一部をしるおもいがいたしました。

▼入宋した道元が全人格を傾倒させた天童和尚と最後の別れを告げるとき、この老禅師は道元に対して、都会に住むな、国王大臣に親近するな、常に深山幽谷に住んで一箇半箇を接得せよ、と教えた。この古仏の教えは道元の一生の指標となった。とくに国王大臣に親近し、権勢を得ることをどこまでも拒否した。道元は北条時頼に招かれて鎌倉へ行ったが、寺院を建立するから滞在してくれるようにとの時頼の懇請を拒否し、師如浄の教えを守り、直ちに鎌倉を去って永平寺へ帰った。その帰山の句を見よ。

 山僧出去半年余
 猶ほ孤輪の大虚(たいきょ)に処するが若し
 今日山に帰れば雲気喜ぶ
 山を愛するの愛初より甚し

 鎌倉の政治権力よりも永平寺の山気を愛したのである。かつて達磨は嵩山に隠れて道を行じたが、道元もまた越山を愛し、光風霽月(せいげつ)を愛したのであった。

▼この非凡な、けがれを知らぬ道元の下へ、弟子玄明(げんみょう)が、時頼の好意による越前の土地の寄附状をもらって喜んで帰った時、道元は痛烈に玄明を叱責して、彼の法衣(ほうえ)を奪って下山を命じ、さらに彼が以前に坐っていた僧堂のの座席を取り去って、床下の土を掘り棄てること、七尺に及んだという。この話は道元の明利を拒否したすばらし逸話として伝えられている。当時の僧は権力者から土地を寄進されることは、自分の道行の高さのバロメターとしていたので、弟子の玄明も、この報告を一日も早く師の道元に伝えようとして永平寺に帰って来たにちがいないのである。しかるに道元は、このような権力者にへつらう心こそが仏法を破り、後に禍をのこすものだとしてこのような処置をとったのであろう。それは世間の考えからすればあまりにも厳しすぎるものかも知れない。しかし、ここにこそ道元の真面目がある。この関東下向は道元の本意ではなかったことが『正法眼蔵隋聞記』(第二p.51)に書かれている。

 私はなるほどと理解できました。

  以前に道元の関東下向を掲載しました。できれば目を通してください。

 私、が思うに、今枝愛眞さんの解釈も、道元の考えに含まれていたのでしょう。

 さらに鎌田茂雄さんは次のようにきさいしている。

 ここで「ある人」とあるのはよく分からぬが、あるいは波多野義重(はたのよししげ)かも知れない。波多野義重は優れた道元の仏法を興隆させるためには、当時の権力者である鎌倉幕府の援助を得るのがもっともよいとかんがえたのであろう。そこで関東に下向することを薦めたにちがいない。それにたいして道元は、本当に仏法を学ぶ志があれば、どんなに道のりがあろうとも、三川江海を渡って学びに来るはずだという。道元が自分自身が万里の波濤を渡り、身の危険をかえりみることなく、宋に求法留学したことを考えあわせて、このような発言となったののであろう。仏道を求めるという学道の志のない物のところへ行って、いくら仏法を説き、仏法を勧めたところで、聞き入れてくれるかどうかはわからないのものである。ただ自分が仏法を興隆するための援助を得るためだけで、人に仏法を説くことはできないと拒否したのであった。聞法の志ない者に対して仏法を説くのは、人を誑惑(きょうわく)させるためか、財宝の寄附を貪るためかのどちらかだと痛烈に断じたのであった。現代の宗派の高僧といわれる人や、法主(ほつす)、管長といわれる人は、この道元の一言を何と見るや。

平成二十四年十一月十五日


43

つり銭はとるな!

      

 「つり銭はとるな!」は海軍兵学校江田島の生徒館内の散髪屋での支払いのマナーであった。

 床屋:ある日の訓練終了後、床屋(正式には理髪所)にいった。床屋は西生徒館(第一生徒館)の一階東北端にあり、私がいた五〇七分隊自習室から東に出て北に向かった近いところにあった。理髪は課業時間以外はいついってもいいことになっていた。

「はい、おつぎ」

 おじさん(海軍では理髪師を剃夫と称していた)の声で理髪台に坐ると、とたんにバリカンが後頭部から額につっぱしり、六、七回くり返されると、もう終わりだった。

 つぎに、たっぷり石鹸水をふくんだ刷毛が、顔中をぐるぐる撫でたかと思うと、剃刀が鼻の下を二回、顎のまわりを四回,両頬を一回ずつさっとかすり、「はい、終り」となった。

 その間二分三十秒。兵学校での毎朝の起床動作とおなじ所用時間だった。目の前に洗髪台があり、自分で石鹸を頭につけて洗い、持ってきた自前のタオルで顔と頭を拭いた。

 所謂"トラ刈"ではなく、平均したイガ栗頭になっていた。

 料金は十銭、入口脇の料金箱に十銭玉を入れればよかった。丁度の金を持っておればそれを支払い、大きいお金しか持っていない場合はそのお金を入れて、おつりはとってはいけないことが躾であった。(つり銭はとるな! 散髪屋での支払いのマナーである)。

 すべて文句のつけようはなかったが、ただ一つ、短い毛が襟首や背中に入りこんで、ちくちくするのが欠点だと思った。

参考: 海軍兵学校はイギリスを見本にしているといわれている。そのイギリスに留学していた池田潔はその著『自由と規律』ーギリスの学校生活ー(岩波新書)P.59~に理髪店での体験を記載している。

 学校の特約理髪店は小さな質素な店でよく満員だった。町には学校の特約でないが、もつと静かで設備のよい店があった。リースパブリックスクールに入学して間もなく、急いでいたのでつい悪いと知りつつ、校帽を懐にいれてその店に入ったことがある。いい心持で半分刈上げさせて、ふと鏡に写った隣の客の顔を見た。校長の顔である。途端にそれに並んだ黄黒い方の顔が土管色に変った。胸算用で、やがて申し渡されることを覚悟した罰の量を当たってみる。

 まだ貴方には紹介されたことがないのに、突然、話しかけて失礼だが……。私が校長を勤めている学校に、やはり貴方と同じ日本人の学生がいてね。もし逢うような序でがあったら言伝(ことづ)てしてくれ給え。この店にはリースの学生は来ないことになっている、と。

 この店で髪を刈ることが悪いことなのではない。ただリースの学生のゆく床屋は別に決まっていて、リースの学生は皆そこに行くことになっている。あの日本人の学生は入学したてで、まだそれを知らないらしい。何? 知っていた? 君は知っていたかも知れないが、あの学生は知らなかったに決まっている。知っていたら規則を破るようなことはしないだろうから。

 悄然として立ち去ろうとする後ろから、小声で、ここは大人の来る店だから心附けが要(い)る。これをわたしておき給え。何? 自分で払う? 一週間分のお小遣いではないか。そして突然大きな声で、子供はそんな無駄費いをするものじゃない。

 その後、大学生になっても大学を卒業してからも、その店だけには行けなかった。大人になれば心附けは他の店だって払うのである。ただ、何となくその店にゆくことがリースの校長先生に相済まない気がしたからなのである。

 その行為自体の善悪が問題なのではない。ある特定の条件にある特定の人間が、ある行為をして善いか悪いかはすでに決まっていて、好む好まないを問わずその人間をしてこの決定にふくせしめる力が規律である。そしてすべての規律には、それを作る人間と守る人間があり、規律を守るべき人間がその是非を論ずることは許されないのである。

 イギリスの青少年は、学校で、また家庭で、あらゆる機会に骨の髄に滲み込むまでこの朊従の精神を叩き込まれる。今日の我が国ではこれを封建思想と呼ぶ人が少なくない。もし然りとすれば、万が一これがそのようなものであったとしたら、イギリス人とは、チョン髷を頭に載せ両刀をたばさんだ封建思想の化物以外の何ものでもない筈である。

 私は、ゼンセン中央教育センター友愛の丘(岡山県福渡)での研修会に参加した。

 その時、建物に入ったところに図書が置かれていて、その書棚に小さな銭入れが置かれていた。お金を入れて下さいとかかれていた。受取人もいない。図書を持ち帰る人が定価をみてお金をその小箱に入れるのであった。お金を払わずに本を自分のものとしても咎める人もいない。だが、教育センターは無言の教育をしているのだ。

 次に落とし物についての躾

 兵学校内の何処に物を落としても、その日の夕方には手もとに返ってきた。どんな持ち物にも吊前を書いていたのはいうまでもないが、落としたものが必ず返ってくるのは信じられないくらいであった。

 ついうっかりと財布を落しても、まず、返ってこないのが普通である。そして落した財布の中にあったお金だけ抜き取って、財布は捨てられてしまうケースが多い。落せば諦めなければならない。少し多めのお金は持ち歩かないことだ。

 平成元年七月、アメリカに旅行した。その時のある日、国連本部の地階の土産物店で手帳を落した。思いがけなく、日本に帰国していたある日、送り返されたきたのである。国連本部というところはそいうところであったのか……。

2021.07.19記す。