★習えば遠し 第1章 生活の中で学ぶ 第2章 生きる 第3章 養生ー心身 第4章 読 書 第5章 書 物
第6章 ことば 言葉 その意味は 第7章 家族・親のこころ 第8章 IT技術 第9章 第2次世界戦争 第10章 もろもろ

第6章 ことば 言葉 その意味は
    
ABOUT MANY WORDS

目 次
01有隣荘 02日常の言葉―親が中学生にー 03外来語 04漢字の音訓から
05科学におけるコミュニケーション―英語― 06今年の漢字・言葉および今年の人 07知の飛び火 08生き様(生きざま か 生きさま か)
09私たちー人間関係をスムーズにしている敬語と卑語ー 10羊頭狗肉 11「悠々自適」の語源 12残 身(弓道・剣道・柔道の言葉)
13いろはにほへと 14自からに勝つものは強し 15蚊竜と亢龍 16基礎医学者の言葉
17漢字を楽しむ 18TPOとクールビズ 19習えば遠し 20読み書き
21【發】と【発】の字 22「侏儒の言葉」を読んで、言葉の流動を感ずる 23目線のことばから 24ひこばえ
25綸言(りんげん)汗の如(ごと)し 26良寛戒語 27男女七歳にして席を同じくせず 286分間で話すには
29スポーツマンの言葉 30うしろ指をさされる 31いまやらねば いつやる 32さようなら、グッド・バイ、アデュー
33I'm all eyes. 34忘年会 35固い決意を伴う約束 36クビチョウ
37ホウレンソウ 38「どうせ」と「せつかく」 39日本語はファジー? 40声を出して読む熟語
41ヒポクラテスの誓い 42な残り手 43歩 容 44〇〇メン「men」の使われ方の様々
45クーベルタンの言葉 46言葉の整理―いじめ関連語― 47白隠禅師の言葉:動中の工夫勝ること静中の百千億倍 48汝は我に帰するにあらず
49「語ざる語り」 50磨かねば包丁でない 51手書きの漢字 52ホスピタリティ━Hospitality━
53食品の保存期間 54終身路を譲るも、百歩を枉げず。 55就活と終活 56鶏口となるも牛後となるなかれ
57Have a nice trip! Have a nice day! 58君子豹変 59「下問を恥じず」 60「鉄杵を磨く」(てつしょをみがく)
61一怒一老、一笑一少――新・年寄りの冷水 62吾唯足るを知る 63最近読んだ新聞記事からの漢字・語句 64畳の縁を踏んではいけない
65「ほぼほぼ」 66「ケミストリー(相性)がいい」 67「天上大風」の書 68パノプティコンの住人
69森本哲郎:おもてとうら 70語源散策:あかぬけ、遠慮・勉強・馳走、他山の石 71ゴルディロックスの原理 72ニーバーの祈り
73No coment 74聖書(イザヤ書 四五・七) 75米国の研究者 76『Spoken American English Advanced Course』
77English Proverbs 78『EQこころの知能指数』 79『続 日本人の英語』 80『THE ELEMENTS OF STYLE』
81『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 82兵は拙速を尚ぶ・正岡子規の漢字の誤り 83ピグマリオン(Pygmaliōn)効果 84*****

有隣荘


 昭和五年、大原孫三郎が自邸の向かいに私費をもって設立した。そのギリシャ神殿風の偉観により、倉敷を訪れる人の眼をみはらせたが、泰西美術に関心の浅かった当時は、平日における観覧者は寥々たるもので、一人の入館者もない日すらあった。孫三郎も自分の手がけた仕事の中で、これが一番のの失敗作だったと述懐したこともあるという。(中略)昭和十年三月十六日設立許可を得て、「財団法人大原美術館の設立」が設立され、美術館に付属して迎賓館となった東邸は、後に第六高等学校教授松尾哲太郎の命名によって「有隣荘」と呼ばれることになった。写真参照(『大原孫三郎傅』非売品)

 「徳は孤ならず必ず隣あり」(『論語』)からなづけられた。その語句の中の「となり」の字は本によると「隣」と「鄰」が使われている。私の手元にある七冊の『論語』では、前者が使われているものは一冊であった。

▼この二字の違いは、ある漢字辞書では、「鄰」は「隣」の正字とあり。「隣」の説明には、①となり ○おたがいに接しあっている家屋・土地・国など。○いづれとも親しいなかま。②となる。となりとなる。境を接する。③むら(村)。さと(里)④周時代の行政区画の人。五戸を隣、五隣を里という。

▼隣を「つれ。とも。親しいなかま。」の意味に解釈されているものが多い。ただ、穂積重遠『新譯論語』では、「有徳者の感化影響である。舜の居る所、一年にして村を成し、三年にして都を成したという。」と感想を述べられている。地域全体の人にまで及ぶ徳の力が望まれるときであると感じさせられている。「徳必有隣」の色紙の揮毫をよくみうけられます。

 大原美術館を訪問されたら、有隣荘も見学されることをお勧めいたします。純和式の建物で、中には茶室もあります。屋根瓦、家のそとの板塀なども鑑賞されると宜しいかと思います。ただ、最近は秋に一般開放されているようですから、確かめられて訪れて下さい。

絵は小林成一さんから送られたものです。

平成十六年二月十二日、平成二十二年十一月


日常の言葉ー親が中学生にー



 S中学校1年生 約100人 自由記入 平成16年10月28日調べ

たびたび言われている言葉

 ① 勉強しなさい(宿題・塾)
 ② 頑張りなさい(努力)
 ③ 挨拶をしなさい(おはよう・頂きます・ご馳走様・ただいま・お帰りなさい・さようなら・有り難う)
 ④ 早く~しなさい (休む・起きる・風呂に入る・塾に行く・勉強する)
 ⑤ 毎日が楽しい?(面白い?)
 ⑥ 元気ですか?(大丈夫ですか・体を大切に・薬呑んだ?・大きくなったね)
 ⑦ 背筋を伸ばしなさい(脚をきちんと揃えなさい)
 ⑧ 部屋を片付けなさい(机を整理しなさい)
 ⑨ 静にしなさい(心を落ち付けなさい)
 ⑩ 横着をしやいように!(遊びすぎないように!)

 ①~⑤までが、圧倒的多数であった。 ほとんどが、命令調であったが、⑥に見られるような、子を思う親としての祈りも、かなりあった。

言われて心が明るく軽く(やる気)なる言葉

 ① やれば出来る
 ② ありがとう
 ③ 大丈夫(気にしなくてもいい)
 ④ 普通でいいのよ
 ⑤ 元気出しなさいよ
 ⑥ そういうと所が良いのよ
 ⑦ 何でも相談にのるからね
 ⑧ 楽しいな
 ⑨ ~が良くできたね(テスト・習い事・挨拶)
 ⑩ これからもよろしくね

その他1

 美人になったね・すごいわね・ごめんね・~点以上取ったら~買って あげる すべてが、肯定的で思いやりがあるように思われる。

言って欲しい言葉

 ① よく頑張ったね(よくやった・やれば出来るね)

 ② 大丈夫だよ

 ③ ありがとう

 ④ 頭が良いね

 ⑤ 上手ね・すばらしいよ・かしこくなったね

その他2

・ 誰でも辛いときは、あるのだよ

・ 努力が実らないことはないのですよ

・ 自分の意見を持つことは良いことだよ

・ 今が一番大切なのよ

「言われて心が軽くなる言葉」と同様な意味の言葉である。多くの生徒が、①~⑤のどれかを挙げていた。 人間は、誰でも自分を肯定的に捉えてくれる人を望んでいる。自分が良く整えられてくると、他者の力を借りずとも、自力で全てを 肯定的に捉えるように、なって来るのではなかろうか。

*S中学校に勤務されている先生の調査結果です。中学生・高校生を持つ親たち、周りの人たちにも参考になる言葉だと思います。(黒崎記)

平成十六年十月三十一日、平成二十五年四月二十五日再読。


外来語


 現役副社長によるコンプライアンス(法令遵守)推進会議への内部告発が解決の発端になり(以下略)最近の新聞紙上の文章である。

▼若し括弧の言い換え語がなければ私は意味を理解できなかったと思います。 国立国語研究所のホームページで、第3回「外来語」言い換え提案に以下の外来語の記事が掲載されていました。

▼アカウンタビリティー、イニシアチブ、カウンターパート、ガバナンス、コンファレンス、コンプライアンス、サプライサイド、スキル、スタンス、ステレオタイプ、セーフガード、セットバック、ソリューション、ツール、デジタルデバイド、デフォルト、ドクトリン、ハザードマップ、パブリックインボルブメント、パブリックコメント、プライオリティー、ブレークスルー、プレゼンス、フロンティア、ポートフォリオ、ボトルネック、マンパワー、ミッション、モビリティー、ユニバーサルデザイン、リテラシー、ロードプライシング

▼言い換え語 説明責任 、(1)主導 (2)発議 、対応相手 、統治 、会議 、法令遵守 、供給側 、技能 、立場 、紋切り型 、緊急輸入制限 、壁面後退 、問題解決 、道具 、情報格差 、(1)債務不履行 (2)初期設定 、原則 、災害予測地図 防5%災地図 、住 民参画 、意見公募 、優先順位 、突破 、存在感 、新分野 、(1)資産構成 (2)作品集 、支障 、人的資源 、使節団 使命 、移動性 、万人向け設計 、読み書き能力 活用能力 、道路課金。

▼32の外来語について理解度を調査しています。全体の人で8の言葉で2以上50%未満、そのほかは25%未満であります。60才以上ではすべての言葉の理解度は25%未満。 大多数の人は文脈からおおよその感覚でこれらの外来語が使われている文章をよんでいるのではないかと・・・。素直に言って、ここまで外来語をつかわなければならないのかと感じました。

平成十六年十一月四日


漢字の音訓から


 同じ漢字でも訓よみでは、全く反対の意味を表しているものがある。
 其の一:【乱】の音読みは「ラン」である。訓読みでは「みだれる」「みだす」・・「おさめる」がある。

 其の二:【面】の音読みでは「メン」である。訓読みでは「おも。おもて。つら。」・・・「あう」―顔をあわせる。「そむく」-後ろを向く。またそむける。

このほかにもあるのだろう。以上二つの漢字を例として、初めて教えていただいた。

               (元・岡大中国文学の教授より)

 本当にどうしてだろうか。それぞれの言葉の歴史があるのだろう。

▼われわれが漢字を読む場合、普通には音と訓とがある。例えば、次のような例である。

春 夏 秋 冬 シュン(はる) カ(なつ)  シュウ(あき) トウ(ふゆ)

*注:カタカナは音読み、ひらがなは訓読み。              

 この例のように、昔中国から伝えられた読み方、言いかえれば、中国の発音を写したものが「音」である。それを日本語にひき当て、日本語として翻訳した場合の読み方が「訓」である。

 漢字が日本に輸入された初めにおいては、すべて音読みされたであろうが、日本の言葉と一致するものについては、次第に日本読み、すなわち訓読みされるようになった。もっともすべての漢字に訓がある訳ではない。当時日本でその物がなかったり、ひきあてる適当なことばのなかったものは、漢字の音がそのまま日本語として用いられ、従って訓のないものがある。

               (『漢語林』)

▼以上の音訓の説明を読んでいると、漢語と国語とを混ざりあってつかっていたのは、現在、よく論議されている日本語と外国語のカナ文字を混合して使っているのと似たものを感じる。外国語で日本語に翻訳できるものは訓読みに相当し、現在日本でそのものがなかったり、引き当てる適当な言葉がないものは、外国語をカナ文字にして使われている。個人的によくないと思うのはその外国語の音がそのまま使われず、いわゆる日本製の発音のものは、外人に通じないで、日本人のみの言葉になっていることである。例えば発音のときの口や舌の動きなどで日本語の発音の構成と外国語のそれと違い、やむをえないのかも知れない。

平成十七年五月二十一日

補足:【文言】の読み方。 『漢語林』によると

 【文】音よみに漢音では「ブン」呉音では「モン」である。

 【言】音よみに漢音では「ゲン」呉音では「ゴン」である。

 【文言】のよみは「ブンゲン」。国訓とし「モンゴン」と記載されていた。

 『岩波国語辞典 第二版』で「ぶんげん」で調べると【分限】しか記載されていなかった。「もんごん」で【文言】と記載されていた。

 国訓は「モンゴン」、漢字を漢音で読む場合は「ブンゲン」、呉音で読むには「モンゴン」

 漢字の熟語を読むのは複雑だとあらためてしらされた。

平成十七年七月十二日


科学におけるコミュニケーション―英語―


 平成18年6月20日
 ☆第36回日本免疫学会・学術集会

 ― 英文演題登録の推奨 ―

 学術集会には、海外からの講演者、聴講者が多数参加しております。なるべくディスカッションがスムーズに行えるよう、“原則”演題登録は英語といたしますが、どうしても無理な場合は日本語でも結構です。また、同様に当日のポスターも”原則”英語としますが、どうしても無理な場合は日本語でも結構です。
☆理化学研究所 免疫・アレルギー総合科学研究所 研究成果の評価 第一回 アドバイザー・カウンシル(2004年4月26日~28日)

Specific Recommendations に多くの勧告記事が英文で見られたが私が注目したのは以下のないようでした。

 English as common language. Since English is the international currency of scientific communication, the Advisory Council encourages its general use in seminars and scientific meetings. While it may not be possible to introduce English as the administrative language, an effort should be made to make important documentation available in English and, more generally, to build a linguistic environment that facilitates the hiring of non-Japanese investigators.

 英語は科学のコミュニケーションの国際間の言語である。セミナや学術会に使用することを勧める。言語として英語を使うことが出来なくても重要論文は英語にする努力がなされるべきである。更に言えば、日本人以外の研究者を受け入れて英語環境を作るようにするのがよい。

 上の2項目だけでも現在の科学者たちには英語の力が要求されているようだ。立派な研究業績を出したとしても、グロバル化が進んでいる中で日本語では世界に発信するのは難しいのが現状である。その認識に立って英語を「話す・書く(論文)・聞く」総合的な力が要求されているようだ。次に思うことは日本の中で英語力を伸ばすのと、英語圏の中で英語の力を伸ばすには自ずと差があり、後者を選択しないと通用する英語力を身につけて外国の研究者とコミュニケーションする力をつけることは相当な努力が必要なのではなかろうかと思う。

▼今年は大学入試でもリスニングテストが行われた。現在は、小学校でも英語を教えようとしている。その論議がさまざまな形で行われている。

▼スイスに旅行すると多くの国籍の人が生活している。彼らと話していると多言語を話す人が多い。しかし「母国語と外国語」は明確に区別している。之は今後の日本での英語教育での参考になるのではないかと私は思っている。
参考:母国語と外国語

平成十八年六月二十一日


今年の漢字・言葉および今年の人
―平成18年(2006年)―


 1、今年の漢字:「命」 京都の清水寺で発表              

 財団法人・日本漢字能力検定協会(本部・京都市)が公募で選ぶ「今年の漢字」が12日、京都市の清水寺で発表された。最も多かったのは「命」で、森清範貫主が黒々と揮ごうし、大みそかまで一般公開される。  

 今年は12回目で、応募総数9万2509通のうち、「命」は8363通(約9%)だった。飲酒運転や虐待、竜巻、さらにいじめによる自殺で多くの命が失われたことなどが理由。森貫主は「現代の深い苦しみが潜んでいると思う」と話した。2位以下は「悠」「生」「核」と続いた。【鶴谷真】                    

 2、「ハンカチ王子」が今年の言葉1位に                
2006年11月08日

 インターネットや携帯電話サイトからの読者投票で今年の言葉を選ぶ「ワード・オブ・ザ・イヤー2006」(朝日新聞社主催)は、投票の集計と選考委員会による選考の結果、に決まった。2位は「イナバウアー」、3位以下は「格差社会」「飲酒運転」「美しい国」と続いた。

 3、米タイム、今年の人は「あなた」                  

 【ニューヨーク16日共同】米誌タイムスは16日、年末恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(今年の人)を発表、世界中の各個人がインターネットを通じて情報や動画を自由に発信し、それが世界に大きな影響を与える時代に入ったとして、一般市民を指す「あなた」を選んだ。

 タイムスは1927年以降、1年間で最も影響力があった人物を「今年の人」に認定し、毎年発表している。昨年の米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長らのように個人を選ぶのが一般的だが、2003年の「米兵」や82年の「コンピューター」など集団や人間以外を選んだこともある。

 18日に店頭に並ぶタイムス最新号の表紙にはコンピューターが描かれ、その画面部分には反射する素材を使用。同誌を手に取った人の顔が映るよう工夫することで「今年の人」が「あなた」自身であることを示した。

▼インターネットで、年末恒例の今年の漢字・言葉とアメリカの「今年の人」上記のものでした。日本での今年の漢字は「命」そして朝日新聞社の調査による「今年言葉」では「ハンカチ王子」「イナバウアー」、「格差社会」「飲酒運転」「美しい国」が挙げられていました。

 日本における社会現象を現したものであるが、お互いの「いのち」を大切にする社会でありたいものです。

▼米タイムスでは、「あなた」Youが選ばれている。インターネットを通して世界がグローバル化して情報が迅速に共有化される状態になり、「あなたらしさ」は何かを反省し、「あなた」自身がどんな人であろうとも一人一人の行為が厳しく求められていると自覚すべきだと、簡単な言葉であるが重い言葉である。

平成十八年十二月十七日


知の飛び火


 岩波新書『西田幾多郎』:読み終わった。その中に好きなことばに出会った。

 京都学派とは何かということを考えるときに、いつも思い起こされるのは、プラトンがその書簡のなかで語った「知の飛び火」という言葉である。いわゆる「第七書簡」のなかでプラトンは、哲学的な知とは何かということを問題にして、次のように語っている。「それは、ほかの学問のようには、言葉で語りえないものであって、むしろ、〔教える者と学ぶ者とが〕生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、〔学ぶ者の〕魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです」(三四一C-D,長坂公一訳)。

 一見したところ、プラトンは哲学を秘儀的な営みとしているように見えるが、彼が語ろうとしたのは、決してそういうことではない(内山勝利『対話という思想』参照)。そこでいわれているのは、物の授受と同じ仕方では哲学的な知の伝達はなされえないということである。

 「問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ね」ることによって、「自ら思惟する」訓練が十分になされたときに、知が「飛び火」することが言われているのである。哲学的な知の伝達が、物の授受と決定的に異なるのは、それが「自ら思惟する」という前提にする点である。プラトンの言葉は、まさにその点を言い表そうとしたものだと解釈することができる。

 これと同じことが西田と西田の回りにいた人々の間に起こったように思われる。西田の「自ら思惟する」という信条とその実践から刺激を受けた人々のなかに、主体的に思惟する力が発火し、自らの思想を紡ぎだしていったその結果が、いわゆる京都学派であると言えるのではないだろうか。それは、まさに自立した思惟の飛び火であったがゆえに、多くの弟子は西田の思想を批判することも辞さなかったのである。むしろ批判することをバネにして周りの人々が自らの思惟を紡ぎはじめたときに、はじめて知が飛び火し、燈火がともされたと言ってよいであろう。

               藤田正勝『西田幾多郎』(岩波新書)P.184より

 私には難解な「西田哲学」についての新書であったが、この言葉との出会いには、ひきつけられもがであったのであえて全文を引用した。

平成十九年四月七日


生き様(生きざま か 生きさま か)


 宮本 進先生から

 生き様(生きざま か 生きさま か)について、調べたことをお送りします。  

▼『広辞苑』(第四版)岩波書店

 生き様(いきざま)

 生きようとするありさま、生き方

 生き方(正しくは行き方)

 ① 生きる方法、生活の方法

 ② 人生に処する態度・方法

▼『明鏡国語辞典』大修館書店

 生き様(いきざま)

 特徴ある人生観や人間性などで他を圧倒する強烈な生き方

 例、著者の生き様に感動する

▼『日本国語大辞典』小学館(一巻)
 生(いき)

 動詞 いきる(生)の連用形

 ① 生きること、生きていること

 ② 魚肉、野菜などの新鮮さ

 ③ 原稿や校正刷りで、一度消えた字をいかす

 ④ 囲碁で、目が二つ以上ある

 生(いき)と様(ざま) (接頭語と接尾語)

 生(いき)

 接頭語 『日本国語大辞典』小学館(一巻)

 卑しめ、罵る意

 近世「いき傾」「いき畜生」「いき盗人」「いき盲」などのように用られた

 傾城・契情(けいじょう)

 美人が色香で城や国を傾け滅ぼす意

例、傾城町・・・遊女町  傾城屋・・・女郎屋

 様(ざま)・態

名詞  『広辞苑』(第四版)岩波書店

 ① 様子・ありさまをあざけっていう語

 例、何というざまだ 気の毒なざま ざまが無い  ざまを見ろ

 接尾語(動詞の連用形について)

 ① そうすると同時に、そうするや否や

 例、すれちがいざまに財布を抜き取る

 ② そのしかた、そのありさま

 例、生き様(ざま)、死に様(ざま)

 インターネットには、「死にざま」と「生きざま」について(2003/2/2のインターネット)
 第3版まで新明解の「死にざま」の語釈は、しにざま【死(に)様】

 その人の死んだ時の様子。(第2版・第3版) と、非常に簡潔でしたが、第4版で格段に詳しくなります。

 しにざま【死(に)様】

 その人の・死んだ時の様子(死を迎える態度)。 〔この語自体には、善悪の評価は全く無い。善悪の観点が分かれるとしたら、その人が大往生したか醜い死に方をしたかの相違が有るだけである。すなわち、言語の問題と事実の問題とは全く別の事柄に属する〕(第4版・第5版)

 通常の辞書の語釈の常識を超えた山田流の「濃い解説」になっています。

 現在では、一般に「死にざま」というと、あまりいい意味で使われることは少ないと思います。例えば、「立派な死にざま」という言い方には違和感を感じます。でも、山田主幹は、それは間違いだというのです。

 確かに、当初はニュートラルな(あるいはプラスの語感を持つ)言葉だったのに、しだいにマイナスの語感のみを持つ言葉になるケースは、けっこう多く見られます。

 (例えば「貴様」「お前」など人を呼ぶ言葉。)

 でも、「死にざま」の「ざま」は、「ざまを見ろ!」とかいうときの「ざま」ではないのでしょうか? とすれば、ろくな意味ではないと思うのですが・・・。

 ということで、次に「生きざま」を見てみると、

 いきざま【生きざま】

 その人の、人間性をまざまざと示した生活態度。 〔「ざま」は、「様」の連濁現象によるもので、「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、悪い寓意(グウイ)は全く無い。一部の人が、上記の理由で、この語をいやがるのは、全く謂(イワ)れが無い。〕(第4版)

 「生きざま」の「ざま」は、「ざまを見」の「ざま」とは意味が違うと、わざわざ私のために書いてくれています。「生き」「さま(様)」が結びついて「ざま」と濁音に発音されるようになっただけだというのです。

 ただ、この説にはやはり異論があるようで、例えば、作家の遠藤周作はエッセイに次のように書いています。 

 私の知る限り「死にざま」いう言葉は昔あったが、「生きざま」という言葉は日本語になかったと思う。

 だから、「生きざま」なる言葉をテレビで聞くとオヤッと思う。そしてやがて「生きざま」という美しくない日本語が新しい国語辞典に掲載されることを憂えてしまう。そんな言葉は美しくないからだ。

 (遠藤周作 『花時計 変わるものと変わらぬもの』 文藝春秋/石山茂利夫 『今様こくご辞書』 読売新聞社 より孫引き)

 遠藤周作は、「生きざま」という言葉は美しくないとして、国語辞典に載ることを憂えていました。(ちなみに新明解に「生きざま」が見出しとして立てられたのも、第4版以降です。)

 また、岩波国語辞典の編者である水谷静夫は、インタビューの中で、「生きざま」という言葉について、次のように語っています。
 嫌な言葉です。実に嫌な言葉です。新しくできた言葉だが、「生きる」と「ざま」という言葉の組み合わせに違和感があります。単に生き方というなら、「ざま」を使うのはおかしい。

 「ざま」は、江戸時代には、すでに「さま」から転じて、「ざまをみろ」などといった具合に、様子やなりふりをあざけっていう言葉になっていました。昔からある「死にざま」との連想から生まれたと思うが、そうだとしたら、ろくでもない生き方といった意味になる。ところが実際には、誇らしげな文脈で使われています。これもおかしい。

 石山茂利夫 『今様こくご辞書』 読売新聞社 P66より)

参考:「死にざま」「生きざま」

 山田主幹は「生きざま」という言葉に何の違和感もなかったのでしょうが、遠藤周作や水谷静夫のように「生きざま」という言葉に抵抗感を覚える人は多かったと思います。だからこそ、山田主幹は新明解の中に、わざわざこのような説明を入れて「一部の人」を牽制しようとしたのでしょう。

 『今様こくご辞書』の著者・石山茂利夫は、山田主幹の連濁説はいまひとつ説得力に欠けるとしていますが、「用意周到な山田さんのことだ。連濁説にはそれなりの根拠があったにちがいない。が、今年(平成8年)二月に亡くなっており、残念ながら反論が聞けない。」とも書いています。

 国語辞典というと、どれも同じで、どれも正しいことを書いていると思われていますが、学説が分かれるような難しい問題については、編者の考え方によって違ったことが書かれているという一例でしょう。

さて、新明解の「生きざま」の語釈ですが、山田主幹の歿後に出された第5版では、

 きざま【生きざま】

 その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。「ざま」は様の連濁現象によるもので、元来濁音の「ざまを見ろ」の「ざま」とは意味が違い、悪い寓意(グウイ)は全く無い〕(第5版)

 となっており、連濁説についてはそのままですが、「一部の人」云々の部分は削除されています。やはり、第4版のあの書き方はちょっととげがありましたね。

 やはり使わない方が、無難ですね。

               19年6月3日

               ***宮本 進***


 先生、ありがとうございました。私は「生きざま」を何気なくつかっていました。

 この調査を読ませていただき、言葉は多くの言葉と連携して様々に受け取られるようです。

 「生きざま」が「ざまを見ろ」の悪い言葉と結びつけて考えられるように。もともとは純粋だったのでしょうが。

 「言語道断」(ごんごどうだん)の言葉は法華経の中に、仏の功徳は言葉で表すことはできないと記してあるところから出た言葉で、本来は表現できない意だが、転じて、現在では、もつてのほか、ゆるすべからずの意に用いている。と説明されています。

平成十九年六月七日

関連:生きざま


私たち

ー人間関係をスムーズにしている敬語と卑語ー


 私たち

 十数年まえ、ある文科系の大学の卒業式で、答辞を読んだ学生が、この卑語の使い方を間違えて、問題になったことがある。

 答辞を読むのだから、もちろん、その年度の首席の学生だった。女子学生だったが、彼女が答辞を読むとき、「私たち卒業生は……」と言ったのである。彼女は、たちを女性語のつもりで使ったのだろうが、これは歴史的慣行ととして、明らかに間違いである。

「私たち……」のたちは公達(きんだち)のたちで、これは敬語である。答辞は感謝の気持ちを伝えるための一種の公文章だから、この場合、正確には「私ら(あるいは、私ども)卒業生は……」と言わなければならなかった。”ら”というのは、一人称を複数形にした卑語なのだから。

 このように、敬語、卑語の使いわけは、日本人が言葉の中で、相手の人格に対する尊重と尊敬の気持ちを伝えるうというところからきている。これは、人間関係を円滑にし、きめの細かい感情を生活の中で定着させてきた要因のひとつである。

>  西洋では、敬語のある国は少なく、卑語というものは、さらに稀で、中国語やヒンドゥ語、その他東洋語の言葉にしか存在しない。

 ”ぼく”は卑語である。”きみ”は下部(しもべ)と使用人の意味で、中国人も呼称としては使わない。古文章には出てくるが、現在は使われてない。第二人称”你(に)”ひとつだけである。日本ではそれが何種類もある。”あなた””きみ””おまえ””おぬし”……それによって、階級とか自分との関係を区別している。しかも、これが、単に階級的、あるいは人間的な差別という意味ではなく、相手の人格に対する尊敬とか承認を意味する形で使用されてきた。これは私たちの祖先が人間関係を円滑にするための知恵として、はぐくんできたものである。

 こうした敬語、卑語のほかに、人間関係に微妙な影響をもたらしてきた要素とし、”方言”の効用も忘れることができない。

 絵は村山正則先生の描かれたものです。

*参考本:樋口清之『梅干と日本刀』(詳伝社)P.189~190


 「海軍兵学校」では生徒は「僕」は使わないように指導され、教官、先輩には「私は・・・」と言わされました。また、同級生の間では「貴様」と「俺」の言葉を使って会話していました。敬語、卑語の意味などの説明を受けたことはありませんでした。

 しかし上級生が下級生に注意を与えるときには、たとえば「貴様たちの今週の生活態度を見るにたえかねる」などといわれていました。


*参考

1、き‐さま【貴様】

 「きさま」を大辞林でも検索する

 「代」二人称の人代名詞。

1.1 男性が、親しい対等の者または目下の者に対して用いる。また、相手をののしる場合も用いる。おまえ。「―とおれ」「―の顔なんか二度と見たくない」

1.2 目上の相手に対して、尊敬の気持ちを含めて用いた語。貴殿。あなたさま。

2、おれ【×俺/▽己/乃=公】

 「おれ」を大辞林でも検索する

 「代」一人称の人代名詞。元来、男女の別なく用いたが、現代では、男子が同輩または目下に対して用いる。「―と貴様の仲」

3 しも‐べ【下▽部/▽僕】

 「しもべ」を大辞林でも検索する

3.1 雑用に使われる者。召使い。「神の―」

3.2 身分の低い者。

3 官に仕えて、雑役を勤めた下級の役人。

平成十九年六月八日


10

羊頭狗肉


 初に仕えた霊公の時、町の女性の間で男装をすることが流行り、霊公はこれを止めさせたいと思って禁令を出した。しかし元々、この流行は霊公の妃がやっていたから始まったのであり、霊公は相変わらず妃には男装をさせていたので、流行は収まらなかった。そこで晏嬰は「君のやっている事は牛の肉を看板に使って馬の肉を売っているようなものです。宮廷で禁止すればすぐに流行は終わります。」と諫言し、その通りにすると流行は収まった。このことが「牛頭馬肉」の言葉を生み、後に変化して「羊頭狗肉」になる。

参考:晏嬰の身長は「6尺に満たず」と史書にある。周王朝の時代の1尺の長さは、22.5センチであり、6尺は141センチとなるから、「140センチに満たない」ということになる。しかしその小さな体に大きな勇気を備えており、常に社稷(国家)を第一に考えて諫言を行い、斉に於いて絶大な人気を誇り、君主もそれを憚ったという。また自身は、倹約を行い、質素な生活を心がけ、肉が食卓に出てくることが稀だったという。
(ウィキペディアより)

▼ある本によると「羊の肉を売っていると、看板に羊の頭をかかげておきながら、犬の肉を売るという意から、宣伝と内容の違うたとえ。上等に見せかけて実際には悪いものを出すたとえ。」と書かれている。この言葉は中学生時代に教わっていたが、ウイクペディアのような歴史的な語源?については知らなかった。

▼この言葉を思い出したのは、有名お菓子の、賞味期限の延長や期限切れの再加工。食品牛肉に他の肉を混ぜるなどが報道されていた。この問題に限らず、有名商品に賞味期限の延長や偽装など多くの実例が横行している。

▼食品に限らないと思う。有名ブランド商品の偽物、建築物の耐震強度の手抜きによる強度不足問題。また公務員は市民にサービスを提供することを職務とするその人たちが諸税金を私的なものに流用する。政府でも年金問題、防衛省内部の問題などなど。学問の世界でも、科学的論文を発表しながら、その実験ノートさえない。指摘されて論文を取り下げる。真理を求める科学の分野でも同じことが行われている。大学教授の肩書きの人たちが想像さえ出来ない問題行動を行う。

▼私たちが知らないことが薮の中で行われているのではないか。以上の例は比喩的に「羊頭狗肉」にまとめても不思議でないと私は思います。何がこのようなことに走らせているのか疑問と不安をもつものは私ばかりではないでしょう。

晏嬰のような人はいないのだろうか。あえていえば、次から次へとこんな問題が行われている事を考えると、一部だと思いたいが私には日本人のどこかに変化がおきている。

▼以上の諸問題はいままでの何時のころから日本人のこころの中に染みこんだものだろうか? 

 今年を代表する一字は「偽」であった。

 私は次の演説を思い出しした。

☆ジョン・エフ・ケネディ(一九一七~一九六三)

 His Inaugural Address offered the memorable injunction: "Ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.

平成十九年十二月十九日


11

「悠々自適」の語源


 悠々自適の生活ですか?

 悠々自適の生活で、狭い畑で野菜などを作って、暇なときには好きな本を読んだり、旅行をしていますなどなどが年金による暮らしの私を含めた友人たちの会話によく使われています。

 この熟語についてつぎのような意味と字句の移り変わりを知りました。

 伊藤 肇『十八史略の人物学』(プレジデント社)の「遊戯三昧の境地」を引用すれば P.14

★安岡正篤(まさひろ)先生は〈学問のしかたに四つの段階がある〉と言われ『礼記』にでてくる「蔵、修、息、游」の四つの言葉を解説された。

 「蔵」は一所懸命に記憶して、身体に取り入れること。しかし、クソ暗記しただけではダメで、これを消化して、血となし、肉となさなければならない。

 その消化作業が「修」である。やがて努力の甲斐があって「蔵」と「修」とが身につくと、学問をしているのが当たり前にの状態となって、学問が呼吸と同じになるから「息(いき)」となる。そして、最後の「游」の段階にはいる。つまり、学問にゆったりと遊ぶのである。

 この「游」は黄河の治水からきている。「水ヲ治ムル者ハ天下ヲ治ム」というのが、黄河の治水には、時の為政者がことごとく頭を悩ました。

 「万里ノ長江、豈(あに)、千里ニ一曲セザランヤ」などと言われているように、一方で築堤すると、今度は反対側のどこかが破れ、それを防遏(ぼうあつ)すると、また、その反対側が溢れるといった具合で、どうにも手のつけようがなかった。けっきょく、人智の及ばざるを識って、黄河が激したときの水路に沿って堰堤を築いたところ、ようやくにして治まった。

 その黄河の流れを見て、中国人は「游々自適」〔游々としてみずから適(ゆ)く〕と形容した。

 水に抵抗しない。水と争わないで、水をおのずから流す。そうすると、水はゆったりゆくので〈自適〉と称賛したが、さらに「游々自適」から、「優游自適」となり、もう一つ「悠々自適」に変っていったのである。

★「蔵、修、息、游」の言葉から私は「守、破、離」の言葉を思った。

 平素、何気なしに漢字を使っていますが、長い間に変化している。さらに廃語になって消え去っているものも沢山あります。

参考:【游】は表外漢字。【遊】は教育漢字、【游】は同字。

平成二十年三月二十四日、平成二十三年一月十日(成人の日)再読。


12

残 身(弓道・剣道・柔道の言葉)


 「残心」は茶道において大事にされている言葉である。おなじ読みである「ざんしん」を「残身」という一字違いの言葉があるのを知ったのは、平成20年6月23日、テレビを視聴していたときである。

 その番組で、アーチェリー山本博さん(ロサンゼルスオリンピックアーチェリー男子個人銅メダリスト、アテネオリンピック同銀メダリスト)が栃木県太田市の女子高校の弓道部を訪問して、日本の弓に挑戦したときに、聞いた言葉である。

 インターネットで調べ、全日本弓道連盟、弓道教本第一巻より抜粋

 弓道八節、第八節「残心(残身)」

 矢の離れたあとの姿勢をいう。

 離れによって射は完成されたのではない。なお残されたものがある。精神でいえば「残心」、形でいえば 「残」である。

 「残心(残身)」は「離れ」の結果の連続であるから、「離れ」の姿勢をくずさず、気合いのこもったまま天地左右に伸張し、眼は矢所の着点に注いでいなければならない。

 「残心(残身)」は射の総決算である。体形厳然として、縦横十文字の規矩を堅持していなければならない。

 前述のように、一貫した射が立派に完成されたときは、「残心(残身)」も自然立派であり、弓倒しも生きてくる。
 「残心(残身)」の善し悪しによって射全体の判別ができるし、射手の品位格調も反映する。

 「残心(残身)」ののち、弓を呼吸に合わせて倒し(弓倒しという)物見を静かにもどし、足をとじる。これらの動作は、すべて「残心(残身)」に含まれるという気持ちで 行うことが肝要である。射の巧拙によって不自然な弓倒し、つくろった弓倒しをしてはならな い。

▼全日本弓道連盟、弓道教本第二巻より抜粋

 残身の形は、作為的ではいけない、残身は会の充実如何に正比例するので、会が深ければ残身もシッカリ伸びておるが、会が浅くて残身だけ深 く大きいのはうそで、作為的のものである。深浅によって力や気のこもり方がちがって来るのである。

 押手は離れの勢いでそのままやや後方に移行するのはよいが、上ったり下ったりするのはよくない。

 弓は真直ぐになるか、末弭がやや的の方に傾くのがよいが、本弭が的の 方にはねたり、弓全体が照ったり、伏さり過ぎてはいけない。

 離れた方向に真直ぐに止まるのがよい。射終ると、残身の息合いを乱さず、静かに弓を倒し、頭を正面に向け、正常の呼吸に戻るのである

 (千葉胤次 範士)

 など説明されていた。 ihonnokyuzyutu.jpg

▼禅宗の修行者が弓で鍛錬されているのを見かけます。また『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル述 柴田治三郎訳 の本などもある。

 禅の修業と共通する心の問題を感じます。


 剣道や弓道のことばに「残身」というのがあるが、晩年の三船久蔵十段は、よく「残身美しく」といっていたそうである。

 剣道の残身は、打ち込んだあとの反撃に備える心構えであり、弓道のそれは、矢を射たあとの反応を見つめ、緊張を維持することをいう。

 十段の「残身美しく」は、技がきまり、勝負が終わったあとの姿が美しくなければいけない、ということで、いわば柔道芸術論である。

 そういえば、十段の工夫といわれる「空気投げ」にしても「球投」にしてもすべて、そこからきている。扇谷昭造『現代ビジネス金言集』P.42より

参考:三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段。大日本武徳会柔道範士。

 身長159cm、体重55kg。小柄な体型ながら「空気投げ」などの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。現在、出身地の岩手県久慈市に三船十段記念館が建っている。

 1883年(明治16年)岩手県九戸郡久慈町(現・久慈市)に生まれる。久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。呆れた父は一関中学(現・岩手県立一関第一高等学校)から遠く離れた仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進ませた。そこで柔道に出会った三船は詳しく学ぶため(旧制)第二高等学校(現・東北大学)に通い詰めて師範の大和田義一に熱心に教えを受け、後に仙台二中に柔道部をつくった。仙台には三船と互角に戦える相手がいなかったため、1903年(明治36年)に上京して講道館に入門。横山作次郎の弟子となる。1904年(明治37年)に早稲田大学予科に入学し、翌年には慶應義塾大学部理財科に入学した(当時の早稲田および慶應は呼称のみの大学で、法的には旧制専門学校)。

 球車、大車、踵(きびす)返し、三角固め等多数の新技を発明し、その真髄といえるのが隅落(別名空気投げ)である。講道館では横山作次郎に師事。講道館指南役、東京帝大・明大・日本体育専門学校(現日体大)等多数の大学・専門学校、警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成にも多大な功績を残した。

 1954年(昭和29年)、久慈市名誉市民。1956年(昭和31年)、紫綬褒章。1961年(昭和36年)に文化功労者に選出される。1964年(昭和39年)には勲三等旭日中綬章を受章した。

 柔道審判員としても活動し、1956年に東京で開催された世界柔道選手権大会で審判を務めている。1964年の東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った。その翌年の1965年(昭和40年)1月27日、喉頭腫瘍と肺炎のため81歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙される。

平成二十年六月二十四日。平成二十九年十月二一日追加。


13

いろはにほへと


 「いろはにほへと ちりぬるを よたれそつねならむ ういのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせず」

 小学生のころから口ずさんでいた「いろは・・・」を調べて見ました。

▼『広辞苑』によると

 いろはうた(伊呂波歌)

 平仮な四十七文字の歌。同一文字を重用しないで、涅槃(ねはん)経第十三行品の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、滅寂為楽」の意を和訳した。今様(いまよう)歌という。即ち「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」。弘法大師の作と信じられていたが、平安中期以後の作。色葉歌。

 今様歌は七五調四句の歌で、平安時代に新しくできた謡物。和讃から起こり、白拍子(しらびょうし)・遊女が歌い、宮廷貴紳に愛誦され、宮中の節会・宴会に謡われるに至った。

▼『国民百科事典』(平凡社)では

 いろはうた いろは歌

 かな全部を、同じかなをくりかえすことなく読み込んだ七五調4句47字の歌。ふつう一字一字を別々に読むようにして清音ばかりでとなえるが、漢字をあて独音を付して全文を示せばつぎのとおりである。

 「いろ(色)はににほ(匂)へど ち(散)りぬるを わ(我)がよ(世)ぞ つね(常)ならむ うゐ(有為)のおくやま(奥山) けふ(今日)こ(越)えて あさ(浅)きゆめ(夢)み(見)じ ゑ(酔)ひもせず」(中略)

 いろは歌の制作年代がア行とヤ行のエの区別の失われた平安中期以後のものと思われ、この点から弘法大師とする俗説の誤りがわかる。

▼『修證義講和』 大洞良雲著では

 もと国語の教科書すなわち国語読本のなかに「修行者と羅刹(らせつ)」という課題で、仏教の教理が掲げられておりましたが、その課の初めに弘法大師の作といわれておる『いろは』四十八文字の歌がのっていました。この『いろは』はまことによくよく通仏教の教理が、説き尽くされてておるのであります。その歌と申すのは「e>色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」という四句であります。この最後の「浅き夢見じ酔ひもせず」という句の心持は、今日まで夢のような人生を辿っておりました。丁度酒に酔うて前後不覚のような日暮らしをしておりました。ところが、今日は仏法を聞いた力によって、ただ今までの夢が覚めました。酒の酔いもさめてまいりました「浅き夢見じ」であります。いままでは迷いに迷いを重ねておったが、酔いも夢もさめましたといっ覚めの人生を喜んだ句であります。

*大洞良雲は昭和44年12月遷化 96歳(1900年生まれ)

 以上三つを調べました。私は誰からも教えられたものではなかったが子供心ながら、仏さまと結び付けていた記憶がありました。

 有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせずの先には無為の生活があるのでしょう。

平成二十年九月七日


14

自ずからに勝つものは強し


 表題の言葉は「老子」の弁徳第三十三章にある言葉であります。

 「人を知る者は智(ち)、自(み)ずから知る者は明(めい)。人に勝つ者は力(ちから)有り、自(み)ずからに勝つ者は強し。足(た)るを知る者は富み、強(つと)めて行う者は志(ここざし)有り。その所を失わざる者は久しく、死して亡(ほろ)びざる者は寿(いのちなが)し。>というのががあります。

 その中で、力ある者は人に勝つことが出来る、けれども本当に強いのは、自(み)ずから勝つ者である、というのであります。これはもう説明するまでもありません。王陽明が「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るのは難し」と言っておりますけれども、やはり自ずからに勝つということは大変難しいということであると思います。それではどうしたら自ずからに勝つことが出来るかというとなかなか難しいことなんですが、まずそういう決意をして、あらゆる困難にぶっかっても自分の欲に迷わされないで立ち向かって行くということが大切であると思います。

 私の方の職員に「一番好きな言葉葉はなんですか?」とよく訊かれるのでありますが、一番といわれると困ってしまうのです。沢山ありますから……。

 けれども「自ずからに勝つものは強し」というのは、私の一番好きな言葉といっていいと思います。

               新井正明『私の好きな言葉』より

 新井正明氏はノモハン事件で片足の太腿から下を切断されました。元住友生命保険社長・関西師友協会代表幹事を歴任されました。

 私の従兄弟の一人も同事件で戦死しています。そして師友協会の会員の一人にさせていただき、社長に書簡で教えを頂いたり、岡山にもご講演にこられたこともありまして、拝聴させて頂きました。社長の書き物もいただきここに紹介させていただきます。

平成二十一年四月十八日、平成二十七年十月十九日訂正。


 新井正明(住友生命)(1912~2003年)の知られざる逸話

平成23年3月8日

題名:「挫折をばねに生きよ」 

 ここ近年、不況の影響か自殺者が増加している。なかでも就職が出来なかった学生の自殺者が増えているというテレビ報道がありなんともいたたまれない気持ちだ。就職出来なかったぐらいで何も死ぬことはないではないか。片やニュージーランドの地震で命を落とし生きたくても生きられなかった人達がいると思うとなんとも遣りきれない気持ちになる。

 日本のマクドナルドの創業者、藤田田(ふじたでん)はマクドナルドを始める前に米国マクドナルド本社を訪れ、創業者であり社長であるレイ・クロックに会った。クロックは、藤田に左手を見せながらこう言った。「私の中指をごらん。第一関節からないだろう。あんたは五体満足なんだから、成功しないはずはない!」

 五体満足で生まれてきたのであれば必死に頑張ればどうにでもなるはずだ。就職で挫折したぐらいどうってことはないはず。挫折をばねに頑張ればいいだけのことで、ハンディがあってもそれをばねにして生きた人達はいくらでもいる。そういった人達を見習うべきだ。

 新井正明(あらいまさあき、大正元年~平成15年)という男は学校を出て住友生命へ入社した。そして入って9ヶ月で兵隊になりノモハンの戦闘に参加することになったが、運悪くこの戦闘で片足を失ってしまった。傷病兵として陸軍病院に入り、日々足が元通りになっている夢ばかりを見たという。新井26歳の時であった。苦脳の日々を過ごしたが色々の人の励ましを受け、徐々に生きる気力を取り戻していく。

 旧制一高時代の友人で、小児麻痺で小さい時から足が不自由な人がいた。その彼が見舞いに来て「靖国神社に行かなくてよかったなあ」と声をかけた。この言葉を聞いて生きている嬉しさを痛切に感じたという。また他の人には葉書をもらった。葉書には英文字で「苦しみを通じて喜びへ」というベートーベンの有名な言葉が書いてあった。新井にとって一生支えとなる言葉であったという。義足をひきずって歩くのは嫌だと思っていたが、だんだんマイナスの人生をプラスに変えられるような気がしてきて生きる勇気が湧いてくる。こうした心の中での闘いが、自分を非常に強くしていったと新井はいう。

 退院し住友生命に復帰した新井は片足というハンディを背負いながらも人の2ばい、3ばい努力し頑張った。そして新井は53歳の若さで住友生命の社長に就任する。二流の生保だった住友生命を一流の日本生命、第一生命を凌駕する大保険会社に育て上げた。

文責 田宮 卓 

参考文献
ジーン・中園 「藤田田の頭の中」(日本実業出版社)
伊藤 肇 「現代の帝王学」 (PHP文庫)
佐高 信 「ビジネスマン一日一話」 (徳間文庫)

城山三郎 「静かなタフネス」 (文春文庫)

2017.01.14 追加


15

蚊竜と亢龍


 江田島健児の歌には「蚊竜」の文字が使われている。海軍軍人の生徒として学んでいるのだから、龍が海軍士官であり、蚊竜は龍の訓練期間中のものであると思っていました。

 ところが、『中国古典名言事典』を拾い読みしていますと、「蚊竜雲雨を得れば、遂には池中の物に非ず。」

 蚊(みずち)や竜などが雲雨を得れば、いつまでももとの池の中にはいない。同様に、英雄が一朝時を得れば、いつまでも雌伏していない。(『呉史』周瑜傳)

 「蚊」はヘビに似て角と四足とをもつ想像上の動物とありました。 

参考:広辞苑では、こうりょう【蚊竜】①想像上の動物。まだ竜とならぬ蚊(みずち)。水中にひそみ、雲雨に会して天に上るという。あまりょう。②時運に際会しないで志を得ぬ英雄・豪傑のこと。

▼『易経』は私どもにはなじみが少ないものです。六十四種類のものが記され、それぞれの時のテーマと変遷課程を六段階で示しています。

 その第一は「乾為天」ではじまり、「坤為地」で終わっています。

 乾為天の第一段階は潜龍、第二段階は見龍、第三段階は君子終日乾(けん)乾(けん)す、第四段階は躍龍、第五段階は飛龍、第六段階は亢龍である。

 「亢龍」については「亢」はたかぶるという意味です。飛龍は、とにかく権力、能力、才能をもって、勢いのある時です。止まれずにいると。、そのまま亢龍になります。

 飛龍が空高く昇りつめて、ついには雲の上へと突き抜けてしまったのが亢龍です。従う雲が及ばないほどの高みに達してしまったなら、龍はもはや雨を降らすことができません。共に働き、従う人から遠く離れて、龍はリーダーとしての地位と役目を失い、あとは地に落ちていくだけの降り龍になります。 

 江田島健児の歌の蚊竜は『呉史』周瑜傳の説明の意味で使われていたのでしょう。

参考:1:江田島健児の歌 神代猛男作詩 佐藤清吉作曲

 1
 澎湃寄する海原の 大濤砕け散るところ
 常盤の松の翠濃き 秀麗の国秋津洲
 有史悠々数千載 皇謨仰げば弥高し

 2
 玲瓏聳ゆる東海の 芙蓉の峰を仰ぎては
 神洲男子の熱血に わが胸さらに躍るかな
 ああ光栄の国柱 護らで止まじ身を捨てて

 3
 古鷹山下水清く 松籟の音冴ゆる時
 明け放れ行く能美島の 影紫にかすむ時
 進取尚武の旗挙げて 送り迎えん四つの年

 4
 短艇海に浮かべては 鉄腕擢も、撓むかな
 銃剣とりて下り立てば 軍容粛々声もなし
 いざ蓋世の気を負いて 不抜の意気を鍛わばや

 5
 見よ西欧に咲き誇る 文華の蔭に憂あり
 太平洋を顧みよ 東亜の空に雲暗し
 今にしてわれ勉めずば 護国の任を誰か負う

 6
 嗚呼江田島の健男子 機到りなば雲喚ぴて
 天翔け行かん蛟竜の 池に潜むるにも似たるかな
 斃れて後に止まんとは わが真心の叫びなれ
参考:文献

 1、『リーダーの易経』竹村亞希子(PHP)
 2、『易と人生哲学』安岡正篤(竹井出版)


★竹村亞希子『リーダーの易経』(PHP)

 『論語』はこれまで何度と無くよんでいました。『易経』については、岩波文庫(上・下)は少し読もうと試みましたが投げ出していました。安岡正篤先生の『易と人生哲学』をよみましても、私には、ある程度の『易経』の基礎知識が必要されるものだとかんじていました。偶然、表題の本があることを知りまして、読む機会がありました。

 この本でかかれている要点を写させていただきます。

――◆――

 『易経』は数ある中国の古典のなかでも、唯一、学術的な解釈や読み方が定まっていないとされています。そのためか『荘子』『老子』『論語』をよく読んでいる人でも、

 「易経はさっぱり解からない」というのをしばしば耳にします。

 『易経』には読むコツがあります。まず、私がそうであったように、龍の話に出会うこと。そして書いてあることを自分自身の体験に刷り合わせて読んでいくことです。

   易経は中国最古の古典です。四書五経の筆頭にあげられる儒教の経典であり、処世の智慧の書、哲学書、道の書、また「君子のための書物」といわれ、帝王学の書でもあります。古代中国では、一国の担う君主が学ぶべき学問とされてきました。

 「易経には何が書かれているのですか?」と聞かれたら、ひとことで言うならば「時の変化の原理原則」が書かれているのです。

 易経の思想は陰陽説を根本として、すべての事象は春夏秋冬、日月のめぐりのように自然、経済、会社組織、個人の人生に至るまで、あらゆる事象に通ずる栄枯盛衰の変化の道理を説いています。

 古今東西の古典の中で『易経』の最大の特色はといえば、あらゆる「時」について研究した「時の専門書」である、ということです。

 私たちが遭遇するであろう六十四種類の「ある時」のシチューションを示し、それぞれの時について、原理原則にもとづいた変化過程を六段階で記しています。

 「易」という字は十二時虫の呼ばれる蜥蜴(とかげ)の意味です。光の変化によって日に十二回、体の色を変えることから「易(か)わる=変化」を意味します。「易経」は英語訳では「book of change」。直訳すると「変化の書」です。

 絶えず変化するもの=「時」なのです。『易経』は変化について法則を説き、自然と人生の「時の変化」を語っています。

 『易経』が掲げる変化の定義に、「易の三義」というものがあります。「易」の文字は、一字で変易(へんえき)・不易(ふえき)・易簡(いかん)という三つの意味をもっています。

   「変易」とは森羅万象、すべてひと時たりとも変化しないものはない、ということ。

 「不易」とは変化には必ず一定不変の法則性がある、ということ。

 「易簡」とは、その変化の法則性を我々人間が理解さえすれば、天下の事象も知りやすく、分かりやすいものになる、ということです。

――◆――

 「時」の三要素―時・処・位を体験で踏まえる

 時(とき)(時間、期、タイミング、兆し)

 処(ところ)(環境、状況、場)

 位(くらい)(位置、立場、社会的地位、人間関係)

 という三つの要素で成り立っているとしています。

 その時、その場、その立場において、適切な判断と行動をとることを、時に中(あた)る、時の的を鋭く射るという意味で時中(じちゅう)といいます。

――◆――

 時の変遷課程の原則

 『易経』には六十四種類の時が記され、それぞれの時のテーマと変遷課程を、六段階で示しています。一つの時は、起承転結で語られた、一つの物語と考えてください。

 この六十四の時の中で、最も原則的な時の変遷をたどるの龍の話が「乾為天」(けんいてん)という卦(け)です。

 「乾為天」は龍伝説にたとえて記されています。地に潜んでいる龍が力をつけ、飛龍になって勢いよく昇り、そして降(くだ)り龍になるという龍の成長になぞらえて、栄枯盛衰の変遷課程を教えています。人生や会社組織、あるいは一つのプロジェクト、技能の習得など、あらゆる物事に通じる原理原則として読むことができます。

参考:社是 

平成二十一年五月十八日


16

基礎医学研究者の言葉


 1997~京都大学教授:影山 龍一郎先生は次のように述べている。

 思い起こせば大学時代、最初の生化学の講義で故沼正作先生の

 「目の前の100人を治療する医師も重要だが、将来の100万人の治療に役立つ基礎研究も重要である。」
 という言葉に感銘を受け、基礎医学を志しました。

 その後大学院では恩師中西重忠先生(当時大阪バイオサイエンス研究所所長)の言葉

 「後追いするな。2番手では意味がない。」により研究の厳しさと喜びを味わいました。

 実際に研究は厳しい。でも楽しい!!   

▼私感:医学部卒業者の何パーセントが基礎医学を選んでいるのだろうか。国立大学の医学部でも基礎医学に進む人は少ないと聞いている。

 また基礎医学にも生命科学の分野には、医学部・薬学部・工学部・農学部その他の卒業生が大学院に進学して研究者になっている。世界中での、この分野の研究の進歩は目を見張るものがある。私は、日本の研究者の活躍を期待している一人である。

追加:山中伸弥先生が2012年「ノーベル医学・生理学賞」を受賞された。

平成二十一年七月十八日、平成二十三年七月十九日再読。平成二十五年四月三十日追加。


17

漢字を楽しむ


 最近、ふと自分が使っている漢字の解釈に興味がもつたものについて調べてみた。

 まず、最初にあることを決心したときである。

、決に「決」「決心」では「決」が使われているのはどうしてだろうか?心、気持ちに関連した言葉だから、「快」「心」の部首が適しているのではないだろうかと。水とどんな関連があるのだろうかと。

 「決壊」などでは、あまり疑問におもわなかった。

 『漢語林』の解字によると、「形声。(水)+夬○音。音符の夬は、えぐり取るの意味。堤防を水がえぐって切れ口が生ずるの意味から、きめるの意味を表す。」

 以上を参考にして我流で解釈した。堤防の代わりに自分の気持ちをえぐって新しい切れ口をつくるのが「決心」だと。新しい切り口が深ければ深いほど、決心は強くて長く保たれるものだろうと。

 、庭は广(まだれ)の部首が使われている。「家屋のおおいに相当する屋根の形にかたどり、いえの」意味を表す。广を意符として、いろいろな種類の家屋や、それに付属するものなどを表す文字ができている。

 「庭」の解字によれば、形声。广+廷○音。音符の廷は、宮殿からつき出たにわの意味。

 私共は庭の字を何気なく使っているがもともとは宮殿に関連した言葉だったのだとおもうと、庶民はどんな漢字をつかっていたのだろうか? 

 現代人の私にはなんともいえない想像においやられる。

 、礼は示の部首が使われている。部首の「衣」(ネの右の棒が一個多い)と「示」(ネ)が使われている単語または熟語で書き間違うことが多い。

 新字体の「ネ」は、古くからの筆写体にもとづく。示を意符として、神、祭事、神がくだす禍福などに関する文字ができている。

 これだけの説明を覚えていれば、衣服と神に関連する熟語も正しく書けるだろう。

 例えば、今回の「決」と「袂」(着物であり袖の部分である)など絶対に間違うことはないだろう。

 以上、わずか三つの漢字についてのべたが、日常生活でふと当たり前に使っている言葉(今回は漢字)について、どんな漢字の解釈が行われて、現在に至っているのか興味深いものだった。

 私はこれまで国語・漢文の教育で「部首」については詳しくその内容を教えられた記憶がほとんどない。ひたすら暗記にのみ頼っていたのではないかと。

 漢字を読む楽しみの一つとして「部首の解説」を読むとその意味がわかり、その部首の使われている漢字、さらには熟語の意味の想像が広がり、一種の知的な遊びになるようになると思った。

平成十九年七月六日。


18

TPO・クールビズ


 TPO について

 インターネットで調べますと以下の説明がされちました。

▼意味と由来

 これはMFU(日本メンズファッション協会)が大昔、その年のテーマとして発表した、れっきとした日本語です。
 当時、まだ洋服の着方が分からないと言う人達が多く、そう言う人達の為のガイドラインとして、どう言う時間帯(time)、どう言う場所(place)、どう言う場合(occasion)の3つの切り口を3つの(英語の)単語の頭文字を繋げて説明しようとした言葉、つまり造語です。当時のMFUの会長の石津謙介氏が提唱した言葉だそうです。

 従ってTPOは、洋服の着こなし方の分からない日本人の為の言葉なので、英語圏の人に言っても通じません。敢えて英語で言うと"common sense*1"辺りが近い言葉になるそうです。

 MFUと言っても(私を含めて)一般の方には馴染みが無いですが、毎年父の日前に「ベスト・ファーザー」賞や、年末の「ベスト・ドレッサー」賞を発表している団体だそうです。これらの賞は良く聞きますよね?ニュースでもやりますしね。

 洋服の着こなし方についてを由来するものだと知りました。

 私は服装によるものではなくて、自分の発言・行動などについての略語だと、とらえていました。

 発言について例を挙げれば、自分が話をする時間であるか、また、発言する場所がわきまえているかなどでした。TPOを考えて発言しろなどと、上司が部下に注意することもしばしば使われていました。

 しかし、最近はこの略語を聞くことがありません。言葉(略語・造語)が多く作られ使われ、また何時の間にか廃れている有様です。

▼クールビズ:インターネットで(ウィキペディア)などを読んでください。けいいが分かります。

 実行されて様々な服装になりました。自由であるが、反面から見るとだらしなく思われる場面があります。 

 色々な分野で造語など言葉が量産され生滅しているのは考えさせられる。

平成二十一年十月二日


19

習えば遠し


 ホームページの題名の使っているこの言葉の解釈について手持ちの本から羅列してみた。

▼岩波文庫 金谷 治訳注 『論 語』一九六三年発行

 子の曰(のたま)く、性、相(あ)い近し。習えば相遠し。 P.237

 先生がいわれた、生まれつきは似よっているが、しつけ(習慣や教養)でへだたる。

▼大修館書店 諸橋徹次著 『論語講義』一九七三年発行

 子(し)曰(いは)く、性(せい)は相近(あひちか)し、習(なら)ふことは相遠(あいとほ)し。 P.405

 孔子は言う、人間の天性(これは恐らく気質をも含めめて言ったのであろう)は、甲の人と乙の人との間に大差のあるものではなく、大体似たり寄ったりのものである。ただその後の習慣によって甲の人と乙の人との間に大きな距離の差が作られて行くのである。

 これは、習慣は第二の天性なりと言われるほど人の性行を左右するものである、との教えである。

▼岩波書店 宮崎市定 『論語の新研究』一九七四年発行

 子曰く、性、相い近し。習い相遠し。 P.350

 子曰く、生まれつきは互いに似たものだが、習慣によって人間がすっかり變ってくる。

▼講談社学術文庫 宇野哲人 『論語新釈』一九八〇年発行

 ()()はく、(せい)相近(あひちか)く、(なら)えば相遠(あいとほ)し。P.523

 「通釈」人の性はその初め相近く何人も似よっているものであるが、ただ善に習えば善となるなり、悪に習えば悪となって相遠ざかるのである。

 わずか五冊の本の解釈に共通している言葉に「習慣」が読み取られる。


 私のホームページの名付けた説明は「習えば遠しーなぜこの題目か」に述べています。

この題目の出典は、 以上は新井正明『古教、心を照らす』(竹井出版)P.135~P.138 によると、

 論語「性相近し、習相遠し」の次には「唯だ上知と下愚は移らず」という言葉があります。吉川幸次郎先生の講義によれば『漢書』を書いた班固の『古今人評』では、人間を九つの段階に分けているということです。

 それによると、上知というのは上の上という意味で、聖人あるいは絶対の善人のことです。孔子の弟子の顔回という人などはその一人で、あまり勉強や努力しなくても、初めから偉い人だったわけです。また下愚というのは下の下で、絶対の悪人ともいうべき人で、そういうものはどんなに教育してもだめだというのです。

▼それに対して、孟子は「人は皆尭舜(げようしゅん)となるべし」といっています。「舜も人なり、われも人なり「ともいっています。教育論としては孟子のほうが、一生懸命に勉強すれば尭舜になれるというのですから、嬉しいのですが、孔子のほうがやはり現実的といえるかもしれません。……。

▼『論語』の述而第七に

 「我れ三人行えば必ず我が師を得。その善き者を択びてこれに従う。その善からざる者にしてこれを改む」
 とあります。三人で行動したら必ず立派な師をみつける、そして自分もそういう人になりたいとそれをみらない、また、悪い人を見れば自分を省みて、あんなふうになってはいけないと思うわけです。

 王陽明の弟子が、あるとき、「先生、私は仕事が忙しくて勉強できません」といいましたら、王陽明は今やっている仕事を一生懸命にやりなさい。それが本当の実学ですといって諭したという有名な話があります。その弟子は裁判所の書記をしていましたので、それをつまらない仕事だと思ったのでしょう。

 この「実学」が大切だと思います。私も若いときには、会社の同僚が、研究的な仕事に携わったり、論文を書いたりしているのを見ると、彼らが非常にいい仕事をしているように見え、それに引き換え、一日中汗まみれになって雑用に追いまくられ、伝票の書き方さえわからないといっている自分は、遅れをとっているように感じられて、ただ羨ましいと思ったものでした。
 ところが、王陽明の実学の訓というものを読むと、学問というものはそのようなものであると知らされ、今、自分に与えられている仕事を一生懸命にやることが、本当に生きた学問であると考えるようになったのです。

 あらためて、題名にふさわしい行動をしたいものだとおしえられました。

平成二十三年四月二十六日


20

読み書き


 最近、次のような文章を見ました。

 二人で共同作業していた方々のものに「一緒に作業しました」と「一諸に作業しました」とありました。

 この後者の「一諸」にが文意から、まちがえているとすぐに気づいた。

▼大学の先生が嘆いています。「最近の学生は文章に同音異義の漢字を間違えているものが多い」と。

 例えば「生物学の講義を受けた」の「講義」を「講議」と書いていたりしている。

 こんな間違いをする理由は色々と考えられるが、その一つの原因としてはワープロ(インターネット)で文章を書くのが多くなったからであると。

 同音異義の正し意味で漢字を理解していれば、また漢字の解字などの意味を少しでも理解していれば、こんなことにならない。

 「はじめて=初めて」についての例を考えてみた。

 「初めて」の部首の偏が「ころもへん=衤」と「しめすへん=ネ」の違いがわかっていれば「はじめて」ではどちが正しか判断できるはずである。

 【初】の[解字]では会意。衤(ころも)+刀。衣は、衣の意味。刀(刃)で衣を裁断する意味から、それが衣服を作る手はじめであるため、転じて、はじめの意味を表す。衤部はころもへん。衣が偏になるときの形。
 「ころもへん」が使われている漢字を例示すれば、【衿】(えり)、【袂】(たもと)、【補】(おぎなう):これなどはネ偏を使いたくなる。全部が衤(ころも)偏になっています。

 示(ネ)の[部首解説]しめす。しめすへん。新字体のネは、古くからの筆写体にもとづく。示を意符として、神、祭事、神が下す禍福などに関する文字ができている。

 【社】(やしろ)、【祉】(し)、【祝】(いわう)などはいずれも神に関係する言葉であることが漢字典に説明されている。

▼先ず正しく読めるようになる。次に正しく書けるようになるための対策としては多くの方法がある。

 私は本をよく読むことが基本であると思う。そして読むことが第二の天性である習慣になるまでになること。

 次には、自分で良いと思う本から、文章を一画一画丁寧に落ち着いて筆写することなども良いのではなかろうか。

 国語辞書・漢和辞典を辞書として、こまめに、おっくうがらず使うようにして、出来れば辞書としてでだけではなくて「本」として読む習慣にしたらと思う。漢字は「解字」などに眼をとうすだけでも効果があるのではと思う。

 小説家:宮尾登美子さんは辞書を本として読まれていた。また井上ひさし氏は辞書に書き込みをして「自分の辞書」づくりに励まれたとのことである。

 そのほかにも方法があると思いますが日本語くらいは正しく、読み・書きは出来るようになりたいもです。 

平成二十一年十二月三日、平成二十四年一月十日再読・追加。


21

【發】と【発】の字


 十三、平時常ニ智ヲ磨キテ天蔵ヲ発(アバ)キ置クニアラザレバ、事ニ臨ミテ成敗ヲ天ニ委(イ)セザルベカラズ。

 最近、NHK TVが司馬遼太郎『坂の上の雲』の放映を始めた主人公の一人、秋山真之の「天剣慢録」三十箇条の一つである。

 「発」の字を「アバキ」と読んでいるのを読み、

 広辞苑をみると、あばく【発く】①土を掘って物を取り出す。②他人の密事を発表する。これでは上述の文意に通じない。

 『漢語林』を調べてみる。【發】は旧字体で【発】は常用漢字・教育漢字・人名漢字の表示である。

 ①はなつ(放)。いる。弓を射る。鉄砲を撃つ。②ひらく(開)。③あばく。かくれているものを出す。「摘発」等々。(以下略)。③が上述の文章で使われているものにくみとれる。

 さらに、『支那文を讀む為の 漢字典』によると●射者が弓を引きて矢を激し躍りて出でしむるなり。之を引伸ばして機動きて捷出し留滞すること無きを義と為す。又内より外に達し開始するの義と為す。●土を越すなり。「発掘」の如し。

 現在の私には「発」の字は感覚的には、出発・発見などで抵抗なく使用しているが、「あばく」となると広辞苑の説明にあるような「他人の密事を発表する」ような、悪い印象を持つ。しかし、秋山真之氏の時代とは漢字にたいしての感覚が異なるかも知れない。

 【発】の字を「あばく」と読むことを知らなかった。かねがね思い、このホームページにも書いているのだが、自分で理解できない字は辞書をこまめに読むことの大事さをまたまた自覚させられた。 

平成二十一年十二月十日


22

「侏儒の言葉」を読んで、言葉の流動を感ずる

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 「侏儒の言葉」の序

 「侏儒の言葉」は必ずしもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、━━しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない。

 最近、芥川龍之介の『侏儒の言葉』(岩波文庫)をひもといてみていると、「侏儒の祈り」P.15があった。
 わたしはこの綵衣(サイイ)を纏ひ、この筋斗(キント)の戯れを獻じ、この太平を楽しんでゐれば不足のない侏儒でございます。どうかわたしの願ひをかなへ下さいまし。

 どうか一粒の米すらない程、貧乏にしてくださいますな。どうかまた熊掌(ユウショウ)にさへ飽き足りる程、富裕にもしてくださいますな。

 どうか採桑の農婦すら嫌ふやうにして下さいますな。どうか又後宮の麗人さへ愛するやうにもして下さいますな。

 どうか菽麦(シュクバク)すら辧ぜぬ程、愚昧にして下さいますな。どうか又雲気さへ察する程、聡明にもして下さいますな。

 とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、攀じ難い峯の頂を窮め、越え難き海の浪を渡り――云はば不可能を可能にする夢を見ることがございます。さう云ふ夢を見てゐる時程、空恐ろしいことはございません。わたしは龍と闘ふのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬやうに――英雄の志を起さぬやうに力のないわたしをお守り下さいまし。

 わたしはこの春酒に醉ひ、この金縷(キンロウ)の歌を誦し、この好日を喜んでゐれば不足のない侏儒でございます。

▼芥川龍之介は(1892~1927年)の人ですが、この文章の中に読めないあるいはその意味の分からないものを辞書でたしかめたものを並べました。 

1、綵衣(サイイ):玉色のあや模様のある美しい衣服。
2、筋斗(キント):もんどりうつこと。
3、熊掌(ユウショウ):くまの手のひらの肉、非常に美味として珍重され、八珍の一つ。
4、菽麦(シュクバク):菽は豆類。
5、金縷(キンロウ):中国の詩。

 なんと5個もありました。明治から昭和の始の方の文章に読めない字が多くあるのは、わたしの文章にも今の若い人に読めない字(幸い常用漢字がきめられている)はすくないとしても、字句の解釈ができないものを無意識に使っているのではなかろうか。
 また、若い人の使う言葉で分からないものがある。時代の変化と言葉の字句の使われ方も流動しているようだ……。 

*私はこの本を、会社に入社した昭和25年3月2日に買っている。多くの傍線が引かれている。

平成二十二年一月二十七日


23

目線のことばから


 「子どもの目線から見ると……。」といった会話・文章が日常茶飯事に使われている。

 『記憶力のすすめ』鈴木健二(講談社:1988年第一刷)を読んでいると     

▼放送現場の一職人の可能な限りのサービスとして(P.21)

 私は放送現場の一職人に過ぎないのです。どうしたらこの番組が面白くなるか、その一点にこだわり続けて、日本でテレビがはじまる一年前の昭和二十七年から今日まで、三十六年間を生きてきただけなのです。

 つまり、数字を言うのも、そうしたほうが番組が面白くなるだろうと考えるから言っているのです。メモを見ながら言うのと、ソラで言うのとではテレビを見ている方の反応がきっと違うだろうと計算し、ソラのほうが、この番組のスタッフはこの番組をよく調べているなあ、借りものでなく、自分のものにしているなあと感じて下されば、番組に対する信頼度は高まるだろうと思うから、メモなど一切手にせずに、ソラで言っているのです。

 メモを見ると、当然下を向きます。そうすれば、出演者や視聴者とは目で結ばれずに切れてしまいます。目線――これも昭和四十年に私が創作した言葉とされていますが――これが切れると、気持も切れてしまいます。これは日常会話でも経験するところです。気持が切れると、番組の快い緊張感も中断されます。これでは番組はつまらなくなります。テレビを見ること、私の立場からすると、見ていただくことが生命です。番組がはじまったら、終わるまで一瞬のまばたきもさせないぞというのが、私の番組作りの一つの基本的な考え方なのです。

 要するに、私は自分に与えられた範囲を最大限に使って、私自身が可能な限りのサービスをしなければならないのです。そして、それが私の仕事であり、職業であるのです。したがって、私は自分の職業意識に忠実であっただけのことです。これが、本質なのでした。

 それなのに、テレビをご覧になる方は、抜群に記憶力の秀れている人間と見てしまわれたのです。私が、なぜそんなに覚えられるのかという質問に、まったく答えられなかったどころか、きょとんとして相手の方を見つめ、オロオロどきまぎするのは、自然な成り行きでした。答えられるはずがないのです。明らかに誤解であるからです。

 しかし、誤解も積み重なったり、繰り返されたりすると、いつの間にか真実になったりすることがあるものです。勤め先は視聴者の多くの要望に応えて、私がどのようにして調査し、資料を読み、記憶しようとしているかを番組にし、ここ三、四年というもの、出版の企画申し込み二つに一つは、安直な記憶術についてでありました。

 ひところは、毎日のように、それに何社ものマスコミ諸機関からの取材申し込みがあり、幾つかの大学の心理学や生理学の研究室からの説明依頼もありました。まるでモルモットのようでした。(P.21~22)

*この本は昭和五十三年一月三十日 第一刷発行である

 「広辞苑」昭和三十九年八月一日 第一版第十三刷発行には、「目線」のことばは記載されていない。鈴木さんの本の発行日から当然でしょう。
 「岩波国語辞典」昭和五十八年十月二十日 第三版第七刷発行にも記載されていない。

 以上の辞書だけでは、創作した言葉が辞書に記載されるまでどれだけ時間がかかるか今の私にはわからない。世の中で普遍化され、定着すると辞書に掲載されるのだろう。現在のように造語が氾濫して、作られたは消えてゆく状態では、辞書の作成者には取り上げようがないと思います。

 インターネットで少し調べると、

 めせん【目線】 :俗に、映画・演劇・テレビなどで、視線。 提供元:「大辞林 第二版」
 現在の「目線」の使われ方はこの定義と少し違う範囲までに広がっているようです。

▼主題からはなれますと、新聞・雑誌などを読んでいると、英語を日本化(日本人にしか通用しないものまである)してカタカナ言葉にして沢山使われています。私もわからないものがあります。これでは多くの方々も、その意味が分からないのでははないでしょうか。
淮 陰 生著 一日一語 『読書こぼればなし』(岩波新書)に「訳語の創製とその苦心」は参考になるのではないでしょうか。「……先人たちの払った工夫苦心、そして知恵ということである。」と結ばれています。

▼小学生に英語を教える時代になっています。国際化が産業界をはじめ学術などあらゆる分野にすすんでいる時代の流れにをとめることは出来ないでしょう。ただ、世界の人に通用する正しいものにして欲しいものです。

▼鈴木健二さんの造語「目線」から私なりに次々と、とりとめない文章をのべましたが、日本語について少し考えてみようではありませんか。論議つくせないものでしょう。 

参考:著者略歴:昭和4年東京に生まれる。東北大学を卒業し、NHKに入ると、あらゆる分野の番組に次々に新境地を開拓し、草創期のテレビの歴史そのものと評された。

平成二十二年三月十四日、二十二年十二月二十八日読み直す。二十九年四月二十三日追加


24

ひこばえ


 2010年3月14日、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮で倒れた大イチョウは根元部分から約4㍍の部分で切られ、クレーンでつり上げられて7㍍離れた穴に移された。専門家は根付いて再生する可能性は高いという記事を読みました。

  突風で倒された大イチョウについての再生の処理のきじである。私達には大樹信仰の気風が残っている。そのうえ、有名なお宮・神社のものについては大切にしています。

▼冒頭の記事に関連したものに「ひこばえ」という言葉がありました。皆さんにはよく知られている言葉だと思いますが、私はしりませんでした。そこで辞書その他で調べました。

  ひこばえ【蘖】(「孫(ひこ)生」の意)伐った草木の根株から出た芽。又生。余蘖(よげつ) (広辞苑)

 主にイネの場合、収穫(刈り取り)後の切り株から生える2番穂のことを指す。(天候次第ではごく希に収穫に絶えうるだけの稲穂を実らせることもある)

 季語にも使われている。分類:秋。

 広辞苑の説明で毎年見ている言葉(私の場合、イネについて)であることが分かりました。その上、秋の季語であることは稲作と関係があるのでしょうか。

 私も臘梅の樹を根元から10㌢あたりで切りましたところ、翌年、芽がでた経験があります。

▼次に「古語辞典」で「ひこばえ」の語句の近くに、ひこえ【孫枝】枝からさらに生じた小枝。枝の枝。また、根元から生える枝。〽国もせに生ひたち栄え春されば(=春ニナルト)ひこえ萌いつつ(=生エテ)「万・一八・四一一一」とありました。この歌では春の季語ともいえるようである。

  辞典を散策していると関連した言葉にであい楽しいものになりました。  

平成二十二年三月十三日


25

綸言(りんげん)汗の如(ごと)し


 表題は難しいことばである

 2010年4月1日(木)付 朝日新聞社説で、郵政決着―擦り切れる「首相の資質」の見出しで、見当違いのリーダーシップだと言わざるを得ない。鳩山由紀夫首相が主導した郵政改革案の決着のことである、にかんして使われていた言葉である。
 政策判断より政局判断を優先した、後ろ向きの「裁定」というほかない。

 鳩山氏のリーダーシップの迷走は、谷垣禎一自民党総裁が言う通り、もはや「首相としての資質」が疑われるところまで来ているのではないか。

 きのうの党首討論で谷垣氏は、いろいろな問題を引き起こし、混乱を生んでいる真の原因は、「首相の言葉」そのものにあるのではないかと述べた。的を射た指摘である。
 好例が米軍普天間飛行場の移設問題だ。首相は3月中に政府案をまとめることを「お約束する」と述べてきた。だが、3月末が近づくと「法的に決まっているわけじゃありません」などと言い訳し、「1日、2日ずれることが大きな話ではない」と言い放つに至った。「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」という言葉をご存じないのだろうか。

 最高指導者として政策の方向性を定め、責任ある言葉で政権内を調整し、引っぱっていく。そんな首相の資質への期待が擦り切れかかっている。とむすばれていた。

▼此の言葉の意味をしらべてみた。

 王の言は糸の如くなるも、其の出や綸の如し 出典は『礼記』である。

 王者の一言は、絹糸のように細くても、一たび発すれば「綸(りん)」、すなわち印についているひものように太く、大きなものになる。王者のことばの影響するところは、そのように大きい。(孔子のことば)

 「綸言汗の如し」ということばもある。汗はいったん出れば引っこまない。王のことばも一度出れば二度とはくりかえさない。取りかえしがつかない、という戒めである。

▼社説のように感じている人は多いのではないでしょうか。ただ、私は語源の王の言葉を日本の首相のものに使用するのはいささか疑問に思いました。

平成二十二年十月二日


26

良寛戒語


 良寛さんいついての本はたくさんあります。私の少ない手持ちの本にも、板橋興宗『良寛さんと道元禅師』、水上勉『良 寛』、水上勉『良寛を語る』などがあります。

 良寛戒語について森 信三『修身 教 授 録』(竹井出版)に書かれているものをとりあげます。

 普通に良寛というと、大抵の人がすぐ童心ということを考えて、子どもたちと一緒に、ひねもすスミレをつんで遊ぶ姿を思い出すようです。おそらく諸君らにしても同様だろうと思いますが、しかし良寛がそのような世界にまで達したのは、決して生やさしいことではなかったのです。人は良寛の修行期のことは、一向に知らないで、ただその晩年における円熟期のみを、しかも外側から見ているにすぎないようであります。一般に、道行きを抜きにした見方というものは、結局外側からの見方にすぎません。

 菊の花の美しさを真に味わうのは、自ら菊をつくっている人たちです。そして素人は、花が咲かなければ目をとめないですが、自ら菊をつくっている人は、菊の成長して行くあらゆる段階において、心を楽しませているようです。すなわち芽生えのうちから、すでに、秋咲く花のよしあしを推定するのです。げに愛あるものは、葉のうちにすでに花の盛時を想い浮かべているのです。(中略)

 そこで今良寛禅師にたいしても、その晩年の円熟境を単に外側から眺めて、思いをその修業期の工夫の上に致さない者は、良寛の童心などと言っても、これを甘く解して、その背後に湛えられているものの深さを知らない人々です。良寛は二十四、三歳から四十二、三歳まで、大よそ十七、八年の永い間を、備中玉島の円通寺という寺で修業をされたのです。そして師匠の死によって故郷へ帰られてからも、ひたすら禅の修業の一道を歩まれたのです。しかるに残念なことには、このような修業期の趣をつぶさに記したものは、ほとんど見当たらないと言ってよいのです。そしてそのために、童心などという言葉も、とかく上すべりに甘く解されているのです。
 ところが幸にも、修業期の良寛の心構えが、いかにきびしく、かつ細やかだったかというとを窺うべき、一つの手掛かりがあるのです。それは『良寛禅師戒語』と呼ばれるものです。何歳頃にできたものか、おそらく相当の年配になってからのものでありましょう。とにかく、まとまったのは、老年に入ってからであるとしても、要するにこれは、若い時代からの修業上の工夫の、生涯の決算と見てよいかと思うのです。くだくだしい説明よりも、実物に触れた方が手っとり早いと思いますから、つぎにこれを書きますから、何なら諸君も写しておかれるがよいでしょう。

 戒 語

一 ことばの多き

一 口の早き

一 とわずがたり

一 さしで口

一 手がら話

一 公事の話

一 公儀のさた

一 人のもの言いきらぬ中に物言う

一 ことばのたがう

一 能く心得ぬ事を人に教うる

一 物言ひのきわどき

一 はなしの長き

一 こうしゃくの長き

一 ついでなき話

一 自まん話

一 いさかい話

一 物言いのはてしなき

一 へらず口

◎一 子供をたらす

 この項は◎をつける値打があるでしょう。とにかく、終日子らと遊び暮らしたと言われる良寛にこの語あることは、よほど深く考えてみなければならぬことでしょう。

一 たやすく約束する

一 ことごとしく物言う

一 いかつがましく物言う

一 ことわりのすぎたる

一 そのことを果たさぬ中にこの事を言う

一 人のはなしのじゃまする

一 しめやかなる座にて心なく物言う

一 事々に人のあいさつを聞こうとする

一 酒にえいてことわり言う

一 さきに居た人間にことわりを言う

一 親せつらしく物言う

一 人のことを聞きとらず挨拶する

一 悪しきと知りながら言い通す

一 物知り顔に言う

一 ひき事の多き

一 あの人に言いてよきことをこの人に言う

一 へつらう事

一 あなどる事

一 人のかくすことをあからさまに言う

一 顔をみつめて物言う

一 腹立てる時にことわりを言う

ことわりを言うとは理窟を言うことです。

一 はやまり過ぎたる

一 己が氏素性の高きを人に語る

一 推し量りのことを真事になして言う

一 ことばとがめ

一 さしたることもなきことをこまごまと言う

一 見ること聞くことを一つ一つ言う

一 役人のよしあし

一 子どものこしゃくなる

一 わかいもののむだ話

これは諸君にはよくこたえるでしょう。

一 首をねじて理くつを言う

一 ひき事のたがう

一 おしのつよき

一 いきもつきあわせず物言う

一 好んでから言葉をつかう

一 くちまね

一 都言葉などをおぼえしたり顔に言う

一 ねいりたる人をあわただしくおこす

一 説法の上手下手

一 よく物のこうしゃくをしたがる

一 老人のくどき

一 しかた話

一 こわいろ

一 口をすぼめて物言う

一 めずらしき話のかさなる

一 品に似会ぬ話

一 人のことわりを聞き取らずしておのがことを言いとおす

一 田舎者の江戸言葉

一 よく知らぬことを憚なく言う

一 きき取り話

一 人にあうて都合よく取りつくろうて言う

一 わざと無ぞうさに言う

一 貴人に対してあういたしまする

一 学者くさき話

一 風雅くさき話

一 さしてもなき事を論ずる 一 人のきりょうのあるなし

一 幸の重りたる時、物多くもらう時、有難き事を言う

一 くれて後にその事を語る

一 おれがこうしたこうした

一 あいだのきれぬように物言う

一 説法者の弁をおぼえて或はそう致しました所でなげきかなしむ

一 さとりくさき話

一 茶人くさき話

一 くわの口きく

一 ふしもなき事にふしを立つる

一 あくびと共にねん仏

◎一 人に物くれぬ先に何々やろうと言う

この言葉が何を意味しているか分かるでしょう。お互いに気をつけんといけないですね。

一 あう致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる

一 はなであしらう

               ―――――――――以上

 これで終わりました。どうです諸君!! まったく驚き入る外ないでしょう。自己を磨く工夫を、これほど細やかに記したものは、ほとんど類例がないでしょう。つまり終日子供らと遊び暮らすには、まずこの程度の修業をして、徹底的な人間のあく抜きをしてからでないとい、本当にはできないことです。もしこれなくしてただ子どもたちと遊んでいるというんでは、それこそお馬鹿者です。

 ここに掲げた九十カ条にも及ぶ良寛の心がけについては、私達も一つひとつ思い当たることばかりなので、それらについてもお話したらと思わぬわけではありませんが、しかしそれはやり出したら際限のないことですから、一応これだけと致します。どうぞ諸君たち一人びとりが、よく噛みしめて味わって戴きたいものです。

▼私はこの文章を写しているとき、次のような話をおもいだして、水上勉『良 寛』のページをめくっていると、P259に下記の文章があった。

 良寛がある日、由之の家に泊まった。由之は、酒にあけくれる馬之助に手古ずって、兄に意見してもらおうと思った。ところが、良寛はひとことも、馬之助に意見をのべず、朝帰りしなに、草鞋をはくとき馬之助に紐を結ばせる。馬之助の手へ、ぽろりと良寛の涙が落ちた。
 良寛さんの戒語が体で表わされているとおもいました。

▼参考:井ひさし『私家版 日本語文法』(新潮文庫)の中の「ウソについての長いまえがき」の章に取上げられています。「良寛の戒語」は(東郷豊治編著『良寛全集・下』東創元社)より引用されている。 

22.11.01


27

男女七歳にして席を同じうせず


 小学校生のとき、私たちは四年生までは男女共学であった。五年生から男子組と女子組に分かれた編成になった。

 私の郷里の旧制中学も広島県立忠海中学校、広島県立忠海高等女学校の二つの学校があり、私や弟たちは前者に、姉・妹は後者で学んだ。

 私はこの学校制度は表題の考えによるものだとおもっていた。

 「男女七歳にして席を同じうせず」はいまでは、殆ど使われていない。

「男女七歳にして……」の席は蓆と同じく敷き物のことである。こどもも七つぐらいになれば、ひとつの座布団にふたりはすわれまいというのであって、当た前のことである。もっとも、ある説では、男女が七歳ともなると別々の敷き物を用いてけじめをつけるのだという。「はらみやすいものは、ゆまきを跨(また)いでもはらむ」というぐらいだから、座布団から身ごもることでもあっては大変だ。やはり別にしておいたほうがよかろう。

               池田弥三郎『日本故事物語』(河出書房新社)P.226

▼何か儒教に根源があるものだろうかと想像していた。インターネットで調べると、下記の記事がみつかり、矢張りそうだったのかと……。

 七歳にもならば男女の区別をはっきりとさせなくてはならないということ。『礼記・内則』に「七年にして男女席を同じうせず、食を共にせず」とある。「席」は座るところや寝るところにしく敷物。男女は七歳になったら同じ敷物には座らず、食事も別々にとるというのが儒教の倫理観であった。

 やはり、そうだったのかと……。

▼使われなくなったのは前の大戦に敗れて以後であることは間違いないのではとおもっています。

▼言葉・語句の意味は時代とともに変遷・選別されて、遂には死語になるものがある。また、新語・造語・外来語(意味が理解できない言葉がカタカナで書かれている)が満ち溢れている。報道関係、新聞雑誌などに……。 

参考:中学校令改正で男女別学となる(1891:明治24年)

平成二十二年十二月十二日


28

6分間で話すには


 ある研究者が自分の研究テーマの要点を説明するのに6分間しか与えられなかった。そのひとは、その準備のために1週間かけたとのことである。

▼ 扇谷正造氏の著作によれば

 フランスの作家のことばに「いま、忙しいから短い文章をかくことができない」
 というのがあるが、短い文章や、短いスピーチというのは、たいへんに時間を食うものなのである。

 第一次大戦のころ、アメリカの大統領だったウッドロー・ウィルソンは、スピーチ名手といわれたが、彼はかって側近に

 「二時間の講演ならば、すぐにできる。一時間の講演ならば、二時間、準備のための時間が欲しい。十五分のスピーチならば半日ほしい」

 と語ったいわれるが、相手が一人でなく大勢を相手にしてのスピーチは、テーマの選択、順序、話し方、聴衆の理解力を考えておかねばならない。二時間なら、いつたん、いい間違えても途中でとりかえすことができるが、十五分となると、それこそ、カッチリ構成を組まねばならない、ということをこの話は意味している。(後略)

※扇谷正造著『聞き上手・話し上手』(講談社現代新書)P.177

   長い無意味なオシャベリを"舌の戦(そよ)ぎ"といったのはパスカルだが、まことに名言である。そして日本のパーティを駄目にしているのは、実はこの"舌のそよぎ"が多すぎることである。といって、短いスピーチというものはむつかしいものなのである。第一次大戦の後、国際連盟を提唱したアメリカのウイルソン大統領は、スピーチも名手として有名だが、彼は、

「一時間の長さの演説なら即座に登壇してもやれる。二十分ほどのスピーチなら二時間の用意がいる。五間分のスピーチならば一日一晩の支度がないといけない」

 といったという話は有名である。

▼相手が自分と同程度であれば、一言の説明ですむかも知れないが、不特定あるいは専門外であれば6分では理解させるには至難の業だと思う。

▼対策の一つとしては、自分が説明することを重要なことから順次並べてみて、その一番重要な事柄から二番目、三番と3つ話せば大体理解してもらえるのではなかろうか。このような方法を三角形を逆さまにした逆三角形法といえる(新聞の記事の書き方も同じ)。
 話すことと同じように書く、翻訳するにも同じことが言えるのではなかろうか。そのためには文章を書く力を持たねばならない。

▼英文学者中野好夫先生は「英語を翻訳するとき、おばあさんにもわかるよに」といわれている。

平成二十三年三月二十九日


29

スポーツマンの言葉


 高校時代、水泳選手だったK君から聞いた話。

 「毎日の練習を一日休むと、元の調子に帰るには二~三日かかるものです」と。

 新聞社の記事に、

▼2011年4月30日、AP ◇女子フリー(30日、モスクワ)フリーの女王が、再び世界の頂点に立った。SPトップの金妍児とはわずか0.33点差の2位でこの日に臨んだ安藤は、今季は過去5戦ともフリーで1位と抜群の安定感を誇る。今大会前は調子が上がらなかったが、「SPを大きなミスなく終え、気持ちを強く持てた」。目立ったミスはわずかに1回。一方、今季初戦の金妍児は序盤でミスを連発。シーズンを通して完成度を高めたフリーの質が明暗を分けた。

 私もテレビで視た。その時、思い出したのが冒頭の言葉だった。

 多分、K君の言葉の通り、安藤さんは休むことなく練習を続けた成果が発揮されたのであろう。
 今季初戦の金妍児さんは当日の表彰台で涙は拭っていた。その日までのあれこれを思い、捲土重来を期する涙だったのだろう。

▼スポーツに限らず学問の世界でも同じことが言えるのではなかろうか。私の聞いている話では、世界の尖端の研究者は、毎日、長時間研究に打ち込んでいるそうだ。

平成二十三年五月二日


30

うしろ指をさされる


 私は、小学生のころ、母親から「後ろ指を指されないように」と何度も注意された思い出がある。

 小島直記『先人訓』(集英社文庫)昭和60年第1刷 を読んでいますと P.78に表題の言葉に出会い、人ではなくて言葉が生きていることにあらためて教訓の言葉は生命力をもつているものだとかんじています。

 以下にその内容を紹介します。

  

 いずれあとで熟読する、今はただページをめくってみるだけのことだ一一という程度のかるい気持ちであけてみたのに、いつの間にか引きずりこまれていたらしい。ポンと肩をたたかれたとき、思わず声がでたほど、びっくりした。

 「どうしたんです、黒崎さん?」

 営業部の宮田課長がにやにやしてたっている。

 「いや、べ、べつに……」

 「こんな遠くの店まできてご勉強とは意外ですな。ここにかけておじゃまですか」

 「とんでもない。どうぞ一一」

 とはいったものの、黒崎さんとしては内心大いに迷惑だった。むろん、ひとりきりで本を読んでいたたたのしみを中断されたからである。しかし、より正確にいえば、読書のたのしみととは別に、読んでいた《本》のことを知られたくないないからだった。

 その《本》を買うか買わないかで、黒崎さんはこの数日ためらっていた、値段が高かったためでではない。公序良俗に反するようなエロ本だったからでもない。

 その本が、会社を変わる方法をテーマにしたものだったからだ。

▼勤続二十年、謹厳誠実のひと、というのが黒崎さんの定評になっている。

 「近来の名会計課長だね」

 とほめる重役もいるし、

 「金庫番としては最適任さ」

 とドクのある批評をする同僚、下役もいる。

 ともあれ、その私行上においてうしろ指をさされるようなマネをしたことがなく、会社に対する忠誠心も人一ばいつよいものとおもわれている。

 したがって、そのつとめに懐疑をもち、なやんでいる一一など疑われたことは、これまでに一度もなかっただろう。

 そういう点での信用を、黒崎さん自身も意識している。

 ところが、その模範的人物が、会社を変わる法に関心を示しているということになると、これはちょっとしたニュースになるはずだった。

 いや単なるうわさ話にはとどまらないだろう、と黒崎さんは予感した。

 「おい、会計課長が会社を変わるそうだよ」

 「へぇ、あのひとがね……。なにかよほどのミスでもしたのかね?」

 「なにくわぬ顔をしていながら、会社の金をごっそり横領していたとちがうか。仏さんみたいなツラつきの偽善者にかぎって、かげではこそこそ情婦に入れあげたりしているものだぜ」

 とかなんとか、痛くもないハラをさぐられるかわからない。そういうことになると、なさけようしゃもないのがサラリーマンの社会であることを黒崎さんはよく知っていた。

 いささか被害妄想だといわれても仕方ないが、そういう自己防衛の必要もあって本を買うのがためらわれたのだ。

 ところが、《今のままではウダツガ上がらぬ》という欲求不満もつよかった。日なた水のような現状を打破しなければ、という積極的な自己防衛の気持ちが勝って、ついにその本に手を出させたのである。

社からだいぶ歩いて、店の中に顔見知りの人間がひとりもいないことをたしかめたうえで、その本を買い、カバーをかけてもらうと、初めての喫茶店にはいっていった。

 だれにも見られずに買えたのだから、あとは、気づかれないように読みおえ、処分することだった。社宅のまん中にある自宅の書だなにおくのも警戒すべきだと考えた。社宅のマダム族、ことに金棒(かなぼう)引きとして有名なS夫人にでも見つけられたら、

 「あら、お宅のご主人、会社をお変わるりになりますの」

 と聞かれるだろう。万事に要領のわるい女房が返事にモタモタしていると、それは既定の事実というふうにとられ、尾ヒレがついてその日のうちに社宅にひろがり、やがて会社のなかでもうわさにになるのはあきらかだった。

▼コーヒを注文し、会社の人間がだれもいないのをたしかめたうえで、さんはその本を開いてみた。

 本一冊買うために、これほど気をつかったことは初めてである。それだけに、ようやく内容にタッチできるとと思うと、かなり興奮してくるのが自分でも分かった。(後略)

▼短編の物語ですが、うしろ指をさされたくない会社勤めの人の気持ち、会社内部での人間関係、また社宅住まいの環境などの描写を上手に書き込んでいるのは、私の好きな伝記作家:小島直記さんであると思いました。

平成二十三年七月七日


後ろ指をさす
 明治になってからのお話ですが、おかあさんと小さな男の子がありました。その子どもが出家して禅を修行するために門出するという時に、おかあさんは、

 「お前の修行がうまくいっている間は私のことなんか忘れてくれてよろしい。しかしもし、お前がそれに失敗して、ひとが皆お前に後ろ指をさすようになったら、私のことを思い出して、私の所へ帰って来ておくれ、私はお前を必ずあたたかく迎えるから。」といいました。

▼それから三十年たちました。小僧さんは立派に悟りを開いて禅師となり、仙台の近くの碧巌寺の住持をしていました。

 そのとき禅師の郷里から使いが来て、おかあさんが年を取って、再び起きられない床についておられるから、おかあさんは何ともいわれないので、これは私たちの計らいでなのだが、何とか生前に一度会ってあげてくれないだろうか、と伝えて来ました。

 禅師は聞くや、取るものも取りあえず、飛ぶようにして郷里へ帰りました。

 おかあさんは禅師の顔を見るや、重い枕をもたげて、いかにも嬉しげに、また世にも懐かしげにこういわれました。
 「私は三十年間一度も便りをしなかったが、お前を思い出さない日は一日もなかった。」

岡 潔『月 影』(講談社現代新書)より

▼これをよみまして、私は想像しました。このおかあさんはご主人がなくなり、その子どもが出家されたのではないかと、自分の環境を重ね合わせて想像しました。

 「ひとが皆お前に後ろ指をさす」との言葉は私の母からも聞かされていた言葉でした。

 父がなくなってから、小学生時代に何度となく母から聞かされた言葉です。「お前は、人様から後ろ指をさされることだけはしないように」と。

 現在、母のこの言葉を考えますと、どなたにも迷惑をかけないで子どもは自分でそれ相応に育てると心に秘めていたのではないかと。

 「後ろ指をさす」は影で悪口をいう言葉と解釈されていますが、そんな単純な内容ではないように感じます。そのなかに「軽蔑」を含んでるのではないかと。「あんな子とは遊んだりしてはダメですよ!」などなど。

 母は明治生まれでした。禅師の母といい、明治の生まれの人には凛とした何かを持っていたのではないかとおもわされてなりません。

 私の母の話では、当時の小学校は4年生までだったそうです。この凛としたものはなにより作り上げられたのでしょうか。学力だけではなく、精神的な立派な環境・教育があったのでしょう。 

参考:後ろ指を指されるな!
平成十七年三月一日 三五八号 

後指(うしろゆび)を指(さ)されるな!「後ろ指を指される」
◆読み
 うしろゆびをさされる
◆意味
 影で悪口を言う 

平成二十年六月二日、平成二十二年十二月二日読み直す。


31

いまやらねば いつやる


 私が尊敬している先生のお話しから

 先生は理科の担当でしたが、ある学期に生徒のノートを集めて、生徒の勉強の状態をしらべようとされました。

 その中の女生徒の一人が「いまやならねば いつやる」とノートに書き込まれていた。

 先生は、あまりにもよいことばが書き込まれているとかんじられまして、その生徒とお話をされましたところ

 生徒さんは「おばあさんが、いつもそういって話しかけられるのです」と答えたそうです。

▼私の場合、母から「後ろ指をさされるな」と小学生の低学年のときに何度もいわれました。

 また小学校四年生の担任の亀田先生がクラスの黒板の上に色紙に「いまいまを本気に」と墨書されて掲げれられていました。その言葉によるのか、成績が驚くほどあがりました。先生は一年間で転勤されまして、いまでは思い出の先生になっています。

 この年齢になるまで覚えていることすら不思議といえますが、家庭で、また学校での生活態度についての非常に短いが重みのある言葉は記憶に銘記されているものですね。

 身近な人から、また講演会・読書により自分の指針になる言葉に出会うことがあるでしょう。

 その出会いのもとはなんだろうかと考えますと、「自分の向上を絶えず求めているから」だとおもいます。いくら良い言葉を聞いても向上心がなければ言葉も素通りするのではないでしょうか。

平成二十三年八月三日


32

さようなら
グッド・バイ、アウフ・ヴイーダーゼーエン、オー・ルヴォアール、アデュー


 日本語では「さようなら」とか「ごきげんよう」をどんな別れの時でも区別しないで使うが、英語では違うようだ。

 またすぐに会える人と別れるときには「グッド・バイ」を、もう再び会えそうにもない時には「アデュー」を使え、と英会話の授業で習った。

 ドイツ語でもまた会える時は「アウフ・ヴイーダーゼーエン(また逢うときまで)」と言うし、フランス語では「オー・ルヴォアール(また逢う日まで)」だ。

 永の別れには独・仏ともに「アデュー」を使うようだ。

 この区別ある挨拶をエスペラントでは「ジス・ラ・ㇾヴィードー(また逢うときまで)」と「アディーアウ」と言う。強制収容所の入り口で恋人どうしが右と左に分けられるとき「アデュー」と言って互いの眼を見詰め合うシーンがあった。その映画を見た時は私も若くてまだこの言葉の区別を知らなかったが、あとで思い出してみると、彼らは運命を覚悟していたのだなあとわかって、涙をそそれられたことであった。

 それはともかくとして、「アデュー」以外のときには「もう一度逢える」ことを暗に期待していることが挨拶にあらわれている。

参考1:平岩弓枝『色のない地図』(文藝春秋社)昭和61年1月読み終わる。最後の言葉が印象的であった。「アデュウ」と「オールボワール」P.333 。

 愛しています アデュウ

 宛名は平九郎であり、玉英の署名があった。

 別れの言葉をオールボワールでなくアデュウを書いたところに、玉英の決心がのぞいている。

参考2:グッド・バイ:good-bye、アデュー:adieu、アウフ・ヴイーダーゼーエン:auf wiedersehen(ドイツ語)、オー・ルヴォアール:au revoir(フランス語)

 『方丈記』巻頭の一文にも暗示されているように、この人に会うのも今日只今の一回かぎりで、あとは再び会えるかどうかわからないという気持が日本人の奥底に流れているように思える。これは戦国時代の不安定な世の中で、明日殺されるかもしれぬ束の間に茶の湯を楽しんだ武将たちが「一期一会」と心得た影響が今なお色濃く残っているのだろうか。^

 千利休の高弟の山上宗二が、茶道の極意として門弟に与えた記録である『山上宗二記』にも「常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の() のように……」という文章があるそうだが、「一期一会」という言葉をひろめたのは、彦根の藩主で桜田門の変(1,860年)で亡くなった井伊直弼であろう。彼が書いた茶の湯についての著書に、『茶湯一会集(ちやのゆいちえしゅう) 』がる。

 この書物の序文で、井伊直弼は次のように述べている。

 「この書は、茶の湯の一会(いちえ) の始終、主客の心得をくわしくあらわすなり。ゆえに、題号を一会集という。なお、一会に深き主意あり。そもそも、茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たとえば幾(たび)も同じ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実に、われ一世一度の会なり。さるにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう親切実意を尽くし、客もまたこの会にまた会い難きことをわきまえ、亭主の意向、何ひとつもおろそかにならぬを感心し、実意をもって交わるべきなり。これを一期一会という。」

 この要点は、きょうのお茶の会は、たとえ同じ主人と同じ客がまたくることがあるとしても、きょうの茶の湯の会というのは、もう二度とない出来事であるから、一生に一度の会なのである。だから、そのことをよく心得て、主人もいろいろと気を配るし、客も主人のいき届いた気持ちに感心して全力を尽くし、お互いにきょうの茶会をすばらしいものにするべきである、とう意味である。

小林 司『出会いについて』精神科医のノートから(NHKブックス)P.104より

▼「グッド・バイ」が使われている小説の一冊に私が好きなヒルトン『チップス先生さようなら』菊池重三郎訳(新潮文庫)がある。その原文の題名は「GOOD-BYE, MR. CHIPS」である。イギリスのパブリックスクールにつとめられた名物教師である。教師をやめられても学校の近くにすまれていた。「グッド・バイ」が使われているのは教え子たちとの(また逢うときまで)を楽しみを期待している気分が伝わってくる。生徒が好きな先生であったのだな、と。あらためて読み直してみたい。

▼「さようなら」について、井伏鱒二さんが下記の晩唐時代の于武陵の詩を訳しているものに日本人の感覚(会者定離を含む)は微妙なものを感じます。

 勸酒(酒を勧む)于武陵(うぶりょう)

 君みに(すすむ) 金屈卮(きんくつし)

 満酌(まんしゃく) ()するを(もちいず)

 (はな)(ひら)けば風雨(ふうう)(おおし)

 人生(じんせい) 別離(べつり)()る。松枝茂夫編『中国名詩選』(下)(岩波文庫)

▼井伏鱒二はこの詩を訳している。

 コノサカヅキヲ受ケテクレ

 ドウゾナミナミツガシテオクレ

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ

 サヨナラダケガ人生ダ

私見:訳には「友情」を、また人生の定めを達観されている。「会者定離」はどなたも避けることはできません。

平成二十三年八月二十一日、平成二十三年十二月三十一日再読・追加。

追加:「平成二十三年十二月三十一日再読・追加。」とある。たぶん、この年の十月二十三日、妻は黙って、雲の上に去って行った。追悼の意味で書いたのだろう。

平成二十八年二月一日


33

I'm all eyes.


 I'm all eyes.

 これは、全く私の日本製のイデオムです。

 I'm all ears. の題目のホームページを読んでいただいた方から、「きく」に関連して「みる>」の日本語(漢字を含み)では「見る」「視る」「観る」等があることを、さらに英語では see, look, watch があることを指摘されました。私もさらに調べてみましたところ「看」「診る」などがありました。それぞれを私たちは使い分けていることにたいして日本の言葉(漢字を含み)の多様性と日本人の言葉感覚の多さに刺激されました。

 「みる」と云えば単純に目でみると思いますのでまず「eye>」をコビルド英英辞典をよむと

If you say that someone has an eye for somethings, you mean that they are good at noticing it or make judgemento about it.
If you have your eye on something, you want to have it; an information expression.
If someone sees or considers something through you eyes, they consider it in the way that you do, from your point of views.
 などの例文が書かれていました。

▼「みる」には see, look, watch の英単語があることを指摘されましたので、同じ英英辞典を調べてみました。

 先ず、see を見ますと、26の例文がかきつらねられています。その中の数例を私の好みでうつしますと

 1、When you see something, you notice it using your eyes. これはただ目でみていることでしょう。
 2、If you see that something is true or exists, you realize by observing it that it is true or exists. これは、観察の「観」に相当するものでしょう。
 3、If you see something happening in the future, you imagine it, or predict tht will happen. これは、将来を予測する高度な「推察」の「察」を意味するのでしょうか。
 see は単純に目で見るだけの言葉でないことが記載されています。

 次に、look をみますと、これまた18の例文が記載されている。その中の二を挙げますと

 1、If you look in a particular direction, you direct your eyes in the direction, especiall so that you can see what is there or see what someting is like. これは、ある方向に目を向けて「見る」で しょうか
 2、If you at a book, newspaper, magazine, you read it fairly quickly or read of it. look は前置詞を伴い動詞句になっていますので意味が複雑に変わっているようにおもいます。

 最後に、watch を見ますと15の例文が見られた。その最初の文章は

 1、If you watch someone or something, you look at them, usually for a period of time, and pay attention to what is happening. 学生時代の学んだ記憶では、動きのあるものを目で追って見るのであると。

 以上、三つの「みる」の英語の単語についてのべました。

▼漢字を調べて見ると【看】は手をかざし、太陽をさえぎって見るのの意味を表す。

 【見】は目+儿。儿は人の象形。大きな目の人の意味から、ものを明らかにみるの意味を表す。
 【視】は見+示。示すはは、ゆびさすの意味。一点に視線を集中させて見るの意味を表す。  
 【診】は病人の症状をねんごろにたづねみるの意味を表す。 

▼I'm all eyes. の私製のイデオムについてです。
 直訳しますと、「私全体が二つ目ですとなります。全身全霊を込めて見ますと意訳したいと思っています。」

 このように作文していますと、画家、彫刻家、陶芸家、書家、写真家、著述家絵画家である岡本太郎さんの目を思い出しました。テレビで見るその眼力には圧倒されます。大阪万博での象徴のシンボルは、みなさま記憶されていることでしょう。

平成二十三年九月二十四日。


 「みる」対象について、目でみえるものだけについて書いていますが、それを自分の心にふりむけると、どうなるのでしょうか。またそれを深めるにはどうすればよいかを考えることが大事ではないかと思っています。

平成二十六年七月二十三日。


34

忘年会


 私も会社勤めをしている時は、12月になると忘年会に何回も誘われていました。会社の保険設備で或は少し大きな料理屋で、同じ職場の方々と、また友達のグループなど。現役を退くとおよびがなくなり、何となく遠のいています。

 最近はどうなのでしょうか。「家族主義」、大震災の今年は特に「節約ムード」の世相の中での忘年会はどんな様子でやられているのだろうかと。ただ「今年の一字」は「絆」ですので、お互いにそれを強い結び付けにしたいものです。

 東洋哲学者:安岡正篤先生が『照心語録』(関西師友教会発行)の中に「忘」の項目に忘年会の意義について取上げられています。

 歳暮になると忘年会がはやるが、この″忘年″とは本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時五十歳)と禰衡(でいこう)(二十歳未満)の交わりを、世人が忘年の交″とよんだ故事による。だから忘年会とは老若席を同じくして、年齢を忘れて楽しむのが本当だ。P.95

 と書かれている。

 私には尊敬する人がいます。その方と年末のひと時(昼食会)を年齢を忘れて私の愉しい忘年会をする約束になっています。


35

固い決意を伴う約束


 英語の単語の中に分からないものが私には沢山あります。どうしてもおぼえにくいものの一つに「Commitment」(コミットメント)の使い方が分からなかったものでした。

 (ある新聞の英会話) 禁じ手 奥の手 に、Commitment について記載されていたものを抜取していたのを読み直して理解できました。

    "If you give a commitment, you promise faithfully that you will do it."(コミットメントするということは、必ずそれを実行するという固い約束のことである)

▼promise(プロミス) と commitment は、共に「約束」という意味であすが、前者が単なる「約束」であるのに対して、後者は「絶対にやり遂げるぞという固い決意を伴った約束」という感じの言葉です。

  "Are you making a promise or a commitment?" (あなたは約束をしているのですか。それともコミットメントしているのですか)と、こちらの覚悟の程を迫られたことがあります。

  "He refused to commitment himself to any sort of promise."(彼はいかなる約束に対してもコミットしようとしなかった)。この文からも promise と commitment の差が分かります。"That will commit us." といえば「それではのっぴきならなくなる」「もう逃げられなくなる」ということです。「思い入れ」や「のめり込み」が promise よりも強烈なのです。

▼最後に、この2つの英語の意味を対照的に示した冗談を紹介します。"In ham and egg, the hen is only participating, but the pig is really committed."(ハムエッグにおいて、ニワトリは参加しているだけだが、豚はコミットしている)。commitment もこうなると命がけです。
私見:意味の深いものですネ。

 以前、話題になりました、Trust me ! の言葉を思い出しましたので、コビルド英英辞典を読みました。

 [trust] の最初の説明に、If you trust someone, you believe that they are honest and sincere and will not deliberately do anything to harm you. と記載されていました。

平成二十四年一月二十五日


36

クビチョウ


 今国会での衆議院の首相演説に対する代表質問をテレビで視聴していた。

 ある党首が地方の「クビチョウ」の権限について質問していた。

 総理がそれに対して同じように「クビチョウ」云々と答えていた。

 「クビチョウ」とはなんだろうかと一瞬思ったが、討論の内容から「シュチョウ」であることが分かった。

▼【首長】につい漢和辞典では「シュチョウ」のよみであり。①かしら。上に立って支配する人。首領。②地方自治体の長。の記載である。「クビチョウ」のよみは見られなかった。

 広島県に「おうちょう(大長)蜜柑」がある。「大長」が「おうちょう」と読まれている。

 このように漢字をよむとき「訓読と音読」とを混ぜて読むむのを「オウチョウよみ」だと、私は記憶している。

 インタネットで「クビチョウ」で検索すると、多くの記事が掲載されている。お調べ下さい。

▼このような「オウチョウよみ」が使われているが、「首長国連邦サウジアラビア」はまさか「クビチョウ国連邦サウジアラビア」とは言わないでしょう。

 こんなに混乱しているのはなぜだろうかとつい思ってしまった。もう少し言葉の読み方に襟を正してほしいものだと思うのだが。どんなものでしょう……。

平成二十四年一月三十日


37

ホウレンソウ


 「ホウレンソウ」は「報告」「連絡」「相談」の頭文字を読んだものである。

 企業ではたらいている人たちは組織の一員として多くの他の人たちと協力して自分の職務に励んでいる。自分一人で仕事をしていると云える人はほとんどいないだろう。

 組織である限り上司と部下の関係が確立されている。従って仕事の報告は書類または口頭で上司に報告され、また上司は仕事の変更など指示することがある。

▼私の経験では、この指示は口頭ではのちに問題点が起こった場合、「指示した」「聞きませんでした」ということがある。未然に防ぐには、日時・内容などを記載したノートなどを作り、部下に確認のサインをさせておくと、指示の徹底がはかられる。

▼「連絡」も同じことが言える。

▼「相談」も自分だけでは解決できない事柄が多い。従って上司に相談すると、かりに即答が得られないとしても、しっかりした上司であれば解決策を一緒に考える、あるいはその方の人的ネットを使って解決策を探してくれる。なお一言加えると、両者の関係は密接になり人間関係が良くなる。

▼私が退職前の経験したことで記憶にのこっているいる例を述べる

 開発関係の仕事をしていた時のことである。

 開発中の製品を納めている会社に部下を出張させた。当然、部下から出張の報告が提出された。それを読むと、問題はないので安心していた。しかし数日するとその会社からクレームの手紙を受け取った(当時はメールのような便利なものはなかった)。

 私にはこんなことが起こるのが納得できなかった。

▼そこで、一度、部下と一緒に出掛けて、双方で会議をした。その様子を黙って聞いていると、お互いに説明してそれぞれがメモを取って会議を終わろうとしました。

 私はそこで提案しました、「本日、会議をして話合ってとり決めた内容を部下に黒板に書かせてもらいたいと」。

 提案が受け入れられ、部下に書かせると、あいては、そこは違うとか、そんな話ではなかったという。そこで話し合いお互いが納得できる文面に訂正する。この作業を繰り返して、ここまでですねと終わる。

 それを書類にして双方の代表者の署名をしていただきました。

 以後、このようにした出来上がった書類を添付しての出張報告書を読むことになり。お互いの会社の意思が通ずるようになった。

 現役を引退して現状に疎くなっているが、企業では「ホウレンソウ」は当然だろうと思う。


扇谷正造『吉川英治氏におそわったこと』P.176に

 仕事をいいつけたら、部下に復唱させてごらんなさい。復唱ということばが、旧軍隊のひびきがあって、いやだと思うなら、いま、私が命じたこと、いってごらんと聞いてみる。そうすると、若い人はたいてい、こちらのいった意味の半分か3/5ぐたいしか理解していないことがわかる。その時、あなたの意図と若い社員との間のギャップを埋めて、もう一回、ていねいに説明してやる。企業内教育の本流は、実はそこにあるのではないか。

 もう一つは、日ごろから、何か、フにおちない点は聞きかえさせ、というしつけをしておくことです。

 聞くは一時の恥じ、知らざるは一生の恥じということです。

平成三十五月十六日:追加


38

「どうせ」と「せつかく」


 文芸評論家の臼井吉見(1905~1987)さんが、自分の友人の、ある女の人について語っています。その人は娘時代に「どうせ」ということばを使わないよう、お父さんからきびしくしつけられたそうです。どんな場合でも、「どうせ」と言ったらいけなかったそうです。

▼「どうせ」ということばは、ことばのひびきもよくないし、何か投げやりで、自暴自棄で、捨てばちですね。向上心や創造的意欲が感じられませんね。「どうせ私はダメなのよ、こんな女にだれがした。」となってきますね。

 「どうせ」ということばを禁じることは、そういう気持ちになることを自分に禁じることです。そこには、ことばとこころの微妙な、そして重大な結びつきがあります。

▼臼井さんは、「の中年の女性はそう美人でありませんけども、たいへんすばらしい女性で、ほんとうに教養のある、ほれぼれするような人です。彼女をあんなに豊かにしているのは、どうもお父さんから『どうせ』ということばを禁じられた、その功徳やないかと思うのです。」と言っています。

参考:臼井吉見(うすいよしみ)(1905~1987)

評論家。松本高等学校を経て,1929年東京大学国文学科を卒業。中学,師範学校教師をつとめたが,40年古田晁の筑摩書房の創業に参加した。第2次世界大戦中,43年に応召。敗戦の翌年 46年から 71年まで筑摩書房で雑誌『展望』を編集,かたわら文芸評論の筆をとり,多彩な活躍ぶりをみせた。評論集『戦後』 (12巻,1965~66) がある。その後,小説にも手を染め,長野と東京を舞台に日本の近代史の転変を描いた大河小説『安曇野 (あずみの) 』 (64~73) を完成した。 77年小説『事故のてんまつ』 (川端康成がモデル) で裁判となったが和解。天皇制をとらえた『獅子座』 (6部構成) は未完。『臼井吉見集』 (5巻)


▼「どうせ」と反対の極に立つことばが、「せっかく」です。このことばには積極性があります。意欲があります。どんんな運命でも甘受して立ちあがろうとするところがあります。

 私の知人がある刑務所に招かれて、囚人たちに講話をしたことがあります。開口一番、「あなたたちは、今回せっかくお入りになったのですから、ここでなければ味わえないものを味わって出てきてください。」と言ったそうです。

 人生は順境ばかりではありません。逆境もあります。罪を犯して刑務所に入るのは悲しいことです。いろいろな人生経験によって自分が深まらなければ、それは犬や猫と同じです。せっかく人間に生まれた甲斐ががないではありませんか。

 以上は竹下 哲氏『心のうた――教育へのわが思い』 P.165~P.166 より

▼私はこの記事をよみましてその通りだと思います。これに関連して、私をふくめての人からきくことばに「としだから」が多いです。老いるのはどうしようもありません。しかし「としだから」のことばには消極的なひびきがあります。またものごとを自分からしようとする意欲がかんじられませ。「としだから」こそ過去の経験を活かせるものがあるのではないでしょうか。このことばを決して使わないようにしたいと思います。その効果を楽しみにしたいものです。

平成二十四年四月十一日


もうではなく、まだの前向きの考え

 親しくして頂いている方から私に送られた便り、より

 お互い卒寿を迎える年を迎えることの出来たことはありがたい、率直に受け止めて年令の数字に負けないように、まだ90の気力で生きたいものです。

 これは、日野原重明先生に教えられた文句。

 四肢の運動

 食物はおいしく食べる、

 もうではなく、まだの前向きの考えで生きるのが高齢者の生き方

であると教えられました。

 お互い卒寿を健康で過ごしたいと思います。

2017.10.16 追加


39

日本語はファジー?


 私たちは、日本語を使い、たとえば「僕は学校へ行きます」といいます。英語では「I go to the school」と言います。日本語は「主語+目的+動詞「。英語では「主語+動詞+目的」と語順がちがい、日本人には英語が、英語を使用する人には日本語が難しのではないかと思っていました。

▼外山慈比古『英語の発想・日本語の発想』(NHKブックス)を読んでいると

 「日本語はファジー?」の項目で面白い記事に出合いました。紹介いたします。

▼「日本語は、勉強してみると、それほど難しくはありませんね。少なくとも日本人が考えているほどではないと思います」

 日本へ来ている、日本語の話せるアメリカ人学生と話をしていて、たまたま、日本語のことになると、その学生はこう言った。さらにことばを続けて、

 「とくに話すのはあまり苦労がありません。発音も簡単だと思います。文の構造も慣れてしまえば、なんでもありません」

▼「やっかいだと思うところはありませんか」

 「それは外国語ですから、あるにはあります。思わぬ障害は外来語であう。カタカナのことばには泣かされます。ボクだけではなくて、友だちもそう言っています。それでカタカナ語には緊張します」

 「どこがいけませんか」

 「ボクははじめてスリッパで失敗しました。日本人の友人といっしょに旅館へ行きました。日本式のところです。玄関で靴をぬぐのは知っていました。スリッパをはくように言われたのですが、スリッパが slipper とは違うのです。廊下から部屋へ入りました。タタミの部屋でしたが、そのまま上がりましたら、スリッパはぬぐのだと言われました。トイレがあります。ここへ玄関からはいてきたスリッパで入ろうとしますと、中の別のスリッパにはきかえるのだ、と注意されました。頭が変になりそうでした」

 「それは習慣の違いですね。ただ、英語からきたスリッパということばを使っているから混乱するのです。そのほか、カタカナのことばで、もとの語を勝手に省略したものにも戸惑うでしょう」

 「そうです。セクハラっていうから、人の名前と思ったら、セクシャル・ハラスメントのことだという。ワープロは、なんのプロかと思うと、ワード・プロセッサ―だった。長いことばは一部切り落としてしまうのですね」

▼「長いことばは4音節のことばになる傾向がありますね。セクハラ、ワープロ、ハイテク、ラジカセ…といった調子です」

 「その4音節に調理されたことばの例でしょうが、ファクスというのには、閉口しますね。英語にたいへん差し障りのある音の似たことばがありますので、日本人がなんでもない顔でファクス、ファクスというのをきくと、ひどく恥ずかしい思いをします。でも、日本人が4音節のことばを好むのはおもしろい。いいことをしりました>

▼「ほかに、日本語を話していて困ることはありませんか」

 「もちろんあります。単語でまごつくのはまだ単純です。全体の意味をとるのが難しいことがあります」

   「どういうときですか。たとえば」

 「日本人のことばで何を言おうとしているのかわからないいことがあります。知り合いの日本人が、“いつでも遊びにいらっしゃい”と言いました。ボクは、この人は冗談を言っているのだと思いました。“いつでも”という日や時はありませんから。でも、その人はまじめに来るのを歓迎していたのです」

 「いついついらっしゃいと言わないと招くことにならないわけですね」

 「またこういうこともありました。ボクとある日本人の共通の友人が入院したときです。その人が“彼は病院でさびしがっていますよ。きっと”と言ううのです。ボクは病院には多くの人がいて、さびしいわけがないと思った。“どうしてさびしがるのですか”ときいてしまった。話してようやく、ボクに見舞いに行った方がよいと言いたかったのだとわかったのです。はっきりそう言えばなんでもないのに、言いたいことをその通りに言わない。暗示するだけです。それで分かりにくい」

 「見舞いに行きなさい、と言っては、露骨で、差し出がましくきこえると、日本人は感じるのですね。日本人同士では、それとなく言えば大体通じます」

 「ポイントになることを言わないこともあります。日本の友人に旅行へ行かないか、と誘ったのです。彼は、レポートがおくれている。試験も近づいている。アルバイトもしなくてはならないし、と言うのです。でも、どうするのか、行くのか、行かないのか、わからない。はっきりしてほしいのに」

 「それだけ言えば、あとは言わなくてもわかるでしょう。察してください。日本人はそういうことば遣いをしている。言うべきことの一部を言わずにおく」

 「しかも、それがもっとも大切な部分です」

 「それを、日本人は含みのあることばだと考えているのかもしれない」

 「日本語はアイマイな表現が多いですね。俳句はとてもぼんやりした意味をもっていると思いますが、それは詩だから、別として、日常会話でもわざとボカした言い方をします。若い人が“熱とか出たりしてゼミに当っていたのに学校を休んだら、先生からにらまれているみたい”と言ったりする。なぜ“熱を出して学校を休んだ…”と言わないのか不思議です」

 …の感じ、とか、…な風の、とかいったことばは、スペードをスペードと呼ぶのをためらって、ことばにヴェ―ルをかけるようなものです。

 「このごろ、テレビのコマーシャルで、ファジー、ファジーと言っている。fuzzy のことなのですね、驚きました。工学理論の専門語でしょう。それが電気炊飯器の宣伝文句に使われているのです。日本だけではありませんか。こんなこと」

 「日本人はファジーなことばを使い、それを好ましいと感じています。日本はもっとも早くファジーの価値を見出した社会と言えるかもしれません」P.104~107

読後感:日本語も日本人が思っているほど、アメリカ人にとっては難しものでないことである。慣れが習得に必要であることである。このことは日本人が英語の習得にも同じことが言えるようである。
 二番目ににカタカナ語は、彼等に通じないものが多いと自覚すべきである。
 三番目に日本人は自分の意思をはっきり話した方が、相手に誤解を与えなくて済む。以心伝心は日本人同士の間で行えばよい。

参考1:ファジーとは英語の “fuzzy” からきたカタカナ英語で、英語同様「あいまいな」「ぼやけた」といった意味で使われる。
参考2:英語のスリッパは家の中ではいているソフトなクツである。(英英辞典による)
参考3:ファクスの英語ははご自身で調べて下さい。

★関連:外山慈比古『英語の発想・日本語の発想』

平成二十四年四月十三日


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声を出して読む熟語


 電話の声による健康想像の文中で「声読」の熟語を使っている。

 声を出して読むのであるから「声読」の熟語を何の疑いもしないで使った。

 こんな熟語があるかとフト調べることにした。その結果、『国語辞典』、『漢語林』、『広辞苑』にも記載されていなかった。

 調べた内容は以下のようなものです。

 声を出して読む言葉は

▼岩波『国語辞典』:どくじゅ【読誦】声を出してお経を読むこと。

▼大修館書店『漢語林』:【誦読】(ショウドク):①そらんじて読む。暗誦 ②声を出して読む。音読。また節をつけて読む。【読誦】(ドクショウ)①書物をよむ。声を出して読書をする。②暗誦する。③声を出して経文(キョウモン)をよむ。【朗読】(ロウドク):声高らかに讀む。朗誦(ロショウ)。

 さらに確認のためにインターネットで調べると以下の記事が目にとまる。

▼「声」の音読みには、「セイとショウ」の二つがあります。
 「声読」なる熟語は存在しないので、「セイドク」でも「ショウドク」でもいいし、「読」の音読みには、「ドク、トク、トウ」があります。これらを組み合わせると、2×3=6通りの読み方が可能です。重箱読みにすると、もっと読み方は増えます。何れにせよ、熟語として成立していないので、上の理由で、読み方は自由と言うことになりませんか?

 日本語の語彙の不足を「声を出して読む」ことで思い知らされました。「声読」は造語の熟語になるのだろう。したがって、「声を出して読む熟語」としては、今後私は「朗読」を使うことにした。

平成二十四年五月十四日


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ヒポクラテスの誓い


 NHKTV朝番組「梅ちゃん先生」の五月二十六日を視ていると「ヒポクラテスの誓い」が教室に掲げられている画面が瞬間的に。

 私は知りませんでしたので、インタネットで調べると多くの記事が掲載されていました。その中の一つから引用されたものが下記のものです。

▼高校生から医学部の学生になった最初の時に、このヒポクラテス(BC460-370年頃)の誓いを学びました。

 医学の知識を積み重ねた今でも、この宣誓は決して忘れてはならないと思います。
 【ヒポクラテスの誓い・原文:小川鼎三訳】

▼医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。

○ この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。
○ その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
○ 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
○ 頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
○ 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
○ 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
○ いかなる患家を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。
○ 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
○ この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

▼私が思うには、現代の医学生また医師は、ヒポクラテスの誓いを教えられているのか、またどのように考えているのか私にはわかりませんが、紀元前4世紀の誓いと現代とでは差異がある部分もあるが、その古今を通じて不易の誓いもあることが読み取れます。

▼大学で外科の教授が私に話してくれた言葉に「一人でもあの先生によって生かされたと思われる医師になりなさい」と指導していると。

▼基礎医学の教授に教えられた基礎医学の研究者が教授の言葉としてと教えられて、其の道に進んだと言われている研究者の話を読んだことがあります。下記の文章をお読みください。

関連1:基礎医学者の言葉

関連2:ヒポクラテス

平成二十四年五月二十六日


42

名残り手


 初めて聞いた言葉である。

 NHK TVの放映で、ある女性タレントが、会津若松の老舗旅館で従業員として、一週間、働かせてもらうストーリであった。

 その旅館は明治の元勲伊藤博文や野口英雄の揮毫による扁額が掲げられいる古くて、大きく、従業員のマナーもしっかりしているものでした。

▼そのタレントをつききりで指導している従業員から、お客さんに料理などテーブルに並べる時、手でお客さんの前に差し出して、その手を引くとき、ゆっくりと引きもどすしぐさを名残り手と説明されていた。サット手を引いて、次の料理を出すと言った動作をしないで、この料理を心行くまで味わって下さいとの気持ちを込めたしぐさだと、私はうけとりました。

▼なんでもないようなしぐさにも気を付ける言葉に私はいつもひきつけられる。

 というのは「心身相即」という言葉があります。わたしの愛読書の『正法眼蔵随聞記』には、「まず身の威儀をさきとしてあらたむれば心も随ふて改まるなり」(岩波文庫P.135)とある。

 「名残り手」を実行すれば、その人の気持ちもお客さんにたいして整うことになるでしょう。

参考:後引き気配を読んでいただきたいと思います。日本人に引き継がれ、うえつけられている気持ちの表現が体にあらわれされている姿でないでしょうか。 

平成二十四年六月十九日


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歩 容


1995年の地下鉄サリン事件で、殺人容疑などで特別手配されていたオウム真理教の高橋克也容疑者が15日、警視庁に逮捕された。

 東京・西蒲田の漫画喫茶に潜んでいるところを発見され、17年3か月の逃亡生活にピリオドが打たれた。

 特別手配の3人――平田信被告に、菊地直子と高橋克也の両容疑者。平田被告は、元女性信者の手でかくまわれ、社会から隔絶した生活を送った末に、自ら出頭した。菊地容疑者は、社会と一定の関わりを持ちながら暮していたが、警視庁へ寄せられた一本の情報提供をきっかけに逮捕された。高橋容疑者は、防犯カメラに映った映像や画像などを次々と公開されて追い詰められ、大都会の底に孤独の身を沈めた挙句、衆人環視とも言える環境で身柄を確保された。同じオウムの特別手配犯とは言え、逃亡生活を終えた瞬間は、三者三様だ。

 以上は読売新聞の記事からの引用。

▼私も以上の新聞記事やTV放映で防犯カメラに関心を持っていた。

  「歩 容」という言葉をNHK・TVではじめて知った。

 防犯カメラについて、最近は進歩している。精度が良くなっていると同時に、撮影されたものの解析が進んでいる。

▼大阪大学産業科学研究所、沖電気などが研究していると紹介されていた。

 その例として、顔を完全に隠して(覆面をかぶり、色眼鏡をかけ、マスクをかけて)歩く姿をカメラがとらえ、それをコンピュータで解析すると個人が特定出来る。年齢まで分かるという。

▼歩く姿はロボット用語として「歩 容」という事をしった。

 防犯カメラとIT技術の結びつきはこのような応用が現実化されているとは知らなかった。

 私も人並みに銀行に行きATMを利用しています。防犯カメラに写されていることになる。

 犯罪計画者は意識的にこれをさけるようにしているようである。

▼識者の話しでは、街角に設置したものは誰であるか明確にされていない。映像の管理が問題点の一つである。英国では防犯カメラの設置者が明示されているとのことであった。

平成二十四年六月二十五日


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○○メン「men」の使われ方の様々


   マスメディアでしばしば聞く下記の二つの言葉をインターネットで調べた。

  一、「イケメン」は、日本語で美男子を指す俗語である。広辞苑第6版では「いけ面」という表記もある。一般的に美形で、顔が格好いい男性のことである。「イケてる」+「面」または英語「men」の意味。定義や基準は、人それぞれである(年齢、清潔感など)。
※手元の広辞苑は第1版であり、記載されていない。第6版までを調べると、いつごろから使われ始めたのか推定できるだろう。

二、「イクメン」とはイケメン(下記関連語参照)が変化したもので、育児を積極的に率先して行う男性、育児を楽しんで行う男性を意味する。産休による出産後、女性が引き続き育児を行うのが一般的であった。これに対し男性が育児休業基本給付金といった制度を利用し、育児休暇をとって積極的に育児を行う男性が増えた。こういった男性を賛美する言葉として出来たのがイクメンである。ただし、休暇をとって育児をしたい男性は多いものの、収入(給与)が下がる、会社の評価が低くなるといった理由から、まだまだ日本における事実上のイクメンの数は少ないのが現状である。(2009年現在)
※最近、私の目にも見られる。子供さんを首にかけた育児袋?に包んでおられる方々、若い夫婦のあり方を垣間見る思いをしている。

 また、イクメンはユーキャン新語・流行語大賞にて、2010年のトップテンとなっている。受賞者はタレントで4児の父として産休を取ったつるの剛士。
※ユーキャン新語この賞は、1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するもの。1984年に創始。毎年12月上旬に発表。『現代用語の基礎知識』読者審査員のアンケートから、上位語がノミネート語として選出され、そこから審査委員会によってトップテン語、年間大賞語が選ばれる。

▼「イケメン」「イクメン」は現代の言葉としても、ああ!新語だなと聞き流すことも私にはできますが下記の記事は身につまされる話であり、ことばである。

 TV(NHK広島放送局)を見ていると、ケアメン(care men)が増えている 奥さんが「アルツハイマー」「パキンソン病」に罹り、その介護にご主人が当たっている人たちである。広島ではこれらの人が集まりお互いに話しあっている。ある人は自分だけが苦労している。妻と一緒に死のうとさえ思ったことが何度かある。しかしこの集まりに出かけてみると、「17年もアルツハイマーの人がいた」。こんなことから自分だけではない多くの人が頑張っているとの気持ちになり、あらためて介護に励んでいる。そしてその奥さんは「主人は100点満点」だと言っていた。

 “ケアメン”ということばが、今、注目されはじめています。親や妻など家族の介護を担う男性のことです。その数は、いまや120万人に迫るとされています。

▼また、妻が倒れてやむを得ず老人ホームにいる。ご主人も病気にかかり、妻を家に迎えてみまもってやりたいが、体が思うように動かないので二人が生きるための妻の看護・そしてもろもろの家事に堪えられぬので、願望が叶えらないで、老人ホームに入れている。その老人ホームも近くになくて遠方であるために会いにゆくにも大変である。また近い所のホームは2年待ちであるとか。考えさせられる生活を送っている人もいる。

▼さらに、妻に先立たれ、子供はそれぞれ家を離れている孤独な生活をしている人も多くなっている。痛ましい孤独死をされている方々の報道も多く報道されている。

 「平均寿命」「健康年齢」も向上して高齢化が進んでいるのが身近にを実感できる。人口構成も激変している。

▼こんな状態に「なぜ?」と考えるよりも「いかにして」を考えるのが賢明な生き方としか思えない。

平成二十四年七月五日


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クーベルタンの言葉


 クーベルタンの言葉として有名な「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」は、クーベルタンの言葉だと思っていた。

 実は彼の創作ではないそうです。

▼英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだったロンドン大会(1908年)中の日曜日、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に、主教が述べた戒めの言葉でした。

 「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」と考えていたクーベルタンはこの言葉に感動し、英政府主催の晩餐会でこの言葉を引用して「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」という趣旨のスピーチを行いました。

▼2012年のロンドンオリンピック競技の様子が連日連夜、報道されています。

 日本の報道は日本人の選手の体調・成績などが大部分です。

▼私は偶然、アメリカ旅行の滞在中オリンピックがありました。その報道では日本人についての成績などほとんど知らされませんでした。専らアメリカの選手についてでした。

▼今やオリンピックは商業化され、開催国の経済効果が強調されている。また、選手の中にはその商業化に巻き込まれている。国によっては国家プロジェクトにさえなっている。

▼今ひとたび「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」の原点に返ってみてはいかがですか。

平成二十四年八月九日

追加:韓国サッカー選手、試合場で竹島領有につての紙を掲げた。

 五輪憲章は、競技場などでの政治的、宗教的な宣伝活動を認めていない。

 国際オリンピック委員会(IOC)の広報担当者は、この件について調査を始めた。


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言葉の整理―いじめ 関連語―


 「いじめ」による中学2年生の自殺問題の話題が広がりをみせている。

▼広辞苑によると、「いじめる【苛める】弱いものを苦しめる。さいなむ。」とある。

▼私ども旧制中学時代も上級生による下級生を制裁することはしばしばであった。例えば中学4年生(現在では高校1年生)が下級生2年生くらいの生徒を対象になることが多かった。

 上級生に対して、歩きながらの挙手の敬礼を行わなかったとか、肩にはすかいに掛けている鞄の紐が長くて、カバンが腰のあたりにあり、歩くたびにぶらぶら揺れているとかという理由などであった。こんな校則とも内規ともいえるものであったから、直せば二度と制裁されることはなかった。

 しかも、そんな制裁をする生徒は大体決まっていたので、また「あの上級生だと」下級生は警戒していたものだった。

▼最近よく耳にするのは「ハラスメントとバイオレンス」という言葉が多い。

 ハラスメントでは、セックスハラスメント、モラルハラスメント、アカデミックハラスメントなどなど。

 バイオレンスでは、ドメスティックスバイオレンスである。

▼ハラスメントを言語を英英辞典で調べた。

 harassment: Harassment is behavior which is intended to trouble or annoy someone, for exsample repeated attacks on them or attempts to cause them troubles. とある。

 ハラスメントとは誰かを困らせるつもりでの行動である。例えば誰かに繰り返す攻撃であり、彼らを困らせるものである。(私の翻訳)

 私は「繰り返される」ことに注目させられた。

 このハラスメントにセックスがつけば、性的(男女間)となり、モラルがつけば、精神的となり、アカデミックでは学校(特に大学・研究所)での教官・研究指導者の学生・研究者に対するものに多く使われている。

▼バイオレンスについて

 violence: Violence is behavior which is intented to hurt, injure, or kill people. とある。

 バイオレンスは人を傷つける、人の体を痛める、傷つけるあるいは殺す行為である。(私の翻訳)

 このバイオレンスにドメスティックスをつけば、家庭内での親が子供に、子供が親に対する暴力(日本語で表現されている)である。

 以上の英文はいずれも『コウビルド 英英辞典』による。

▼交通が混雑すれば、信号機が必要になる。言葉も似たものが多くなれば、整理統合して正しく理解することが必要になる。そこで私は以上のように二つの言葉を自分なりに信号をたててみた。

 多くの教育関係者・心理学者・カンセラーたちが、それぞれ対策に努力されている。一日も速く収まるようねがう者の一人である。

  2012.06.07


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動中の工夫勝ること静中の百千億倍


 ある会社からいただいた社報を開くと2013年 新年のあいさつを会長が述べられているのに大変良い言葉として表題の記事が記載されていましたので、皆様にも紹介いたします。

▼昨年の夏のある日、私は「永青(えいせい) 文庫」を訪ねました。「永青文庫」というのは細川護熙氏の祖父護立によって建てられた、細川家が収集した書画骨董を展示する美術館である。

▼そこでひときわ私の目を引いたのは、白隠禅師(1685~1768)の書でした。それは「動中工夫勝静中百千億倍」と書いてあるのですが、動中の中の字が、紙のど真ん中に大きく書いてあり、あっと目を(みは)りました。白隠は江戸時代の高僧ですが、この語は本人のオリジナルではなく、12世紀の大慧宋杲(だ い そうこう) (1089~1163)という宋の時代の僧の語であるそうです。本来の意味は、禅の修行に関する言葉ですから、「静中の工夫」は、坐禅をしている時の修行であり、「動中の工夫」とは、作務や托鉢といった日常の行動の中での修行という意味のようです。確かに座禅をしているときには、心静かに自分を内観し、思索を深めることができますが、考えるばかりでは、実際行動にには結びつかず、自己満足に終わることが多い。むしろ日常生活の行動そのものを修行として進めていくことのほうがはるかに大事なことだという意味のようです。私はこの言葉は、われわれの仕事に結びつけて解釈すれば、実際の行動の中で、創意工夫を凝らすことこそが、机上で観念的に思考することよりも百千億倍も有効であるという意味であると思います。

▼年頭に当たり、現場での試行錯誤と創意工夫が、「質」の経営の基本であることを強調し、提唱したいと思います。

▼これをよみまして、現役を引退した私たちにも参考になる禅語であり、日々の行動の指針したいもだとだとおもいました。

  2013.01.13


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汝は我れに帰するにあらず


 昔し孔子に一人あり、来て帰す。孔子問いて云く、汝何を以てか来て我に帰するや。云く、君子参内の時此を見しに、(ぎょうぎょう) として威勢あり、故に帰す。ときに孔子弟子に命じて乗物装束(しょうぞく)金銀財物等々を取り出して此を与へて、汝は我に帰するにあらずと云てかえせり。

 亦云く、宇治の関白殿、ある時鼎殿(かなへどの)の到て火を焚所(たくところ)を見玉へば、鼎殿是を見て云ふ、いかなる者ぞ案内なく御所の鼎殿へ入ると云て、追出されて後関白殿先の悪き衣服等をぬぎかへて顒々として装束して出たまふ時、さきの鼎殿、はるかに見て恐れ入りてにげにき。時に殿下、装束を竿の先にかけ拝せられけり。人これを問ふ。答て云く、吾れ他人に貴びらる々こと我が徳にはあらず、只此の装束ゆへなりと云へり。おろかなる者の人を貴ぶことかくの如し。経教(きょうぎょう)の文字等を貴ぶことも亦かくの如くなり。

私見:この本は道元の弟子のまとめたものであるから、当然、「経教」の文字等を貴ぶことはとうぜんであり、その内容の体得することの願望を説いているものだと思う。
 然し私ごときものは、他の人を見るに服装だとか、社会的地位によって、評価しているのではないでしょうか。実際は言行に着目して、謙虚に見習うべきは見習うべきだと考えさせられた。

参考1、『正法眼蔵随聞記』(岩波文庫:P.141~)

参考2、Googleで「宇治の関白殿」を検索しますと現代語訳をよめます。

  2013.03.19


49

「語ざる語り」


 一昨日は、一ヶ月ぶりに曹源寺で坐禅をしました。約九十人近い若い方が参加していました。曹源寺は、大摂心の中日だそうでしたが、参加者には、自分を含め何か緊迫した緊張感が不足していた様に思われました。

茶礼の席は、老師が話して下さり、池の水漏れ防止護岸工事や桜の開花予想やウグイスの初鳴きなど、自然の様子を話され、“自然はよろしい”と言われました。

以前なら、禅のお話しがない茶礼など意味がないと決め込んでいましたが、最近は、人の言葉や行為も大切ですが、それ以上に、その方の人格的雰囲気が大切であること、即ち直接表現されていない部分が物語っているもの「語ざる語り」こそが、その人の真の値打ちであり、真に物語りたかったことと思えるようになって参りました。そのためには、まず自分がその人のレベル到達するか、それ以上に人格的向上に心がけ、自覚・反省の己事探求を怠らないことが大切であるように思えています。その視点から、老師を見ますと、老師は自然を語りながら禅を語っておられるように思えます。人により、それはこじつけだと言われるかも知れませんが、ここのところは、各自の力量によると思っています。

▼例えば、亡くなった人が、より鮮明になってくるのはなぜでしようか。実は、故人が生前に示してくれた言葉や行為よりも、実に多くのことを発信されていた「語らざる部分」(本人自身も意識されていない語り)があったと思われます。その「語らざる」ことの一部が、「死」により見えてくるからだと思われます。

 死によって見えてくるくるのは事実です。残念なんことにはそれを生前に感知できておれば、自分の言葉や行為も変わっていただろうと思い、「懺悔のこころ」が募るばかりです。

 尊敬している方からのメールによるものです。私は今、提言出来ることは夫婦・子供たちと話し合うことにより、その時は理解できないとしても、「ああ!あの時の話しの語らざることが鮮明になる」と思います。 

2013.04.05


50

磨かねば包丁でない


 NHKの朝の連続ドラマ―「ごちそうさま」を視聴していると、ヒロイン(め以子)が、家庭科で先生から聞いたことばを表題にした。

▼「ごちそう」の漢字は、「御馳走」である。辞典によれば、豪華な食事、ふるまい、客への供応、もてなし、などとある。

▼もてなす側が食事の材料を馳(はし)り廻って用意し、調理する、盛り付けをするなど大変な心くばりをすることになる。食事をふるまわれた時「ごちそうさまでした」というのは当然の礼儀である。

▼会社に勤めをしていたとき懇親会などの準備をしたとき、食材を集め、寮母さんに料理をしてもらった経験がある。寮母さんともども「御馳走」を体験しました。

▼現在、一人暮らしをしている。妻は毎日毎日、馳走してくれていたことを忘れ感謝していなかった。今にして「ありがとう」と心から思っている。

 砥石を残しているから、包丁を磨いてくれていたと思う。しかし、私はほとんど包丁を研(と)いだことがない。切れ味は良くなくなっている。介護保険のヘルパーさんは、がまんしてつかってくださっているようだ。いつかは磨いてあげなければと。

▼包丁に限らず、人も磨かなければ人ではないと、ふと連想した。私が尊敬する一人の方は、お住まいの近所の方々と十六年間も、第二・四土曜日、朝8時から、公民館の一室で坐禅会をされています。坐禅が終わると、抹茶をいただき、お話し合いをされています。その時の話題提供のための準備をコツコツされています。

▼一口に十六年といえますが、「継続は力なりと」という通り、その方の坐相はすばらしものです。時折、日曜日にお会いしてお話をしています。私には勉強になります。また、メールでも日頃、勉強されていることを私の力に合わせて書き送っていただいています。

▼だれにも分け隔てない時間は与えられています。また若い時は人格はそれほど違いはありません。「性、相い近し。習えば、相い遠し。」の論語の言葉を遅暮(ちぼ)の感じをいだくことしきりの今日この頃です。

2013.11.01


51

手書きの漢字


 パソコン修理のため、やむなく、日記などの書き物を手書きしなければならなくなった。

▼正確な漢字が書けない。われながら驚いた。

 例えば同音のものは間違うことが多い。大学の中国文学の先生が嘆かれていたのを思い出した。学生が「こうぎ」について、「講義」「講議」と書くと。

 「講議」は広辞苑にも記載されていない。完全に「あて字」である。

▼字を書くとき「同音異義の使い分け」について余程注意しなければならない。

 パソコンでは「いどう」と打ち込めば「異動」「移動」の文字が現れ、その意味まで分かるように説明がある。文字さえ読めて、文意に正しいものを選べばよいまでになっている。

▼次に同訓の漢字の使い分けの問題がある。

 簡単なものでは「のる」には「乗る」と「載る」などがある。少し難しいものには「はかる」には「図る」「測る」「量る」「謀る」「諮る」があるが、正確に使い分けるには、相当な国語力(漢字力?)が求められる。 

▼これらの力を高める方策としてどうしたらよいだろうか。私がおもうには

1、出版物をできるだけ注意深く読むこと。

 理由は、何度も何度も校正されて出版されていると考えるから。

2、新聞のコラムを読むこと。コラムは社説の解説版とも言われている。これまた新聞社の校正は徹底している。漢字に限らないが、掲載事項については訂正記事があるほどである。

3、辞書を読むこと。自分の辞書だから、自分で探し出した字句には線をひくなどすること。

▼私に目を向けると、読書が好きでした。中学時代の友人が来岡したとき我が家に立ち寄り話し合いました。

 その後、かれからハガキを受信すると「理系の君が本を多く持っているのを見て少し驚いた……。」と書かれていた。

 しかし、現在は読書量は激減して、パソコンに依存している。

▼最後に、私より10歳くらい若い人に、「字を書くことがありますか?」と聞いたところ、「年賀状に添え書きするくらいです」との回答。みなさまは字を書いて試してみませんか?

2013.11.04 


52

ホスピタリティ━Hospitality━


 私がこの英語を知ったのは岩波新書で「スイス」についての本で初めて知った言葉でした。

 Hospitarity is friendly, welcoming behabiour towards guests or towards stranger.(コビルド英英辞典より)

 日本語では厚遇、歓待:~親切な[気前のよい}もてなし、になる。

▼私が「オ・モ・テ・ナ・シ」の言葉を気持ちよく聞いたのは、2013.9.8、滝川クリステルさんが、ブエノスアイレスで東京招致委最終プレゼンでつわれましたものでした。

 【招致“Cool Tokyo”アンバサダー・滝川クリステル】

 東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語ではそれを「おもてなし」という一語で表現できます。

 それは見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています。「おもてなし」という言葉は、なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客さまのことを大切にするかを示しています。

 ひとつ簡単な例をご紹介しましょう。もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。例え現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました。世界を旅する7万5000人の旅行者を対象としておこなった最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市です。

 この調査ではまた、東京は次の項目においても第1位の評価を受けました。公共交通機関。街中の清潔さ。そして、タクシーの運転手の親切さにおいてもです。あらゆる界隈(かいわい)で、これらの資産を目にするでしょう。東洋の伝統的な文化。そして最高級の西洋的なショッピングやレストランが、世界で最もミシュランの星が多い街にあり、全てが、未来的な都市の景観に組み込まれています。

 私が働いているお台場は、史上初の“ダウンタウン”ゲームズを目指すわれわれのビジョンの中心地でもあります。それは都心に完全に融合し、文化、生活、スポーツがユニークに一体化します。ファントレイル、ライブサイト、チケットを必要としないイベントが、共有スペースにおいて多くの競技会場を結び、素晴らしい雰囲気を創り出します。

 来訪者全てに生涯忘れ得ぬ思い出をお約束します。

▼私はホスピタリティと同時に、日本には「おもてなし」に対して、「ありがとうございました」「ご馳走さま」」の言葉が返されます。お互いに親近感の共振が「和」をもたらす美風も忘れられないものです。

▼東京2020オリンピック・パラリンピックでは、世界の人々に日本の伝統ある良い文化を見てもらいたい、日本をより深く理解してもらいたいものです。

 ホスピタリティでオモテなししましょう!!

参考:滝川クリステルは、フランス・パリに生まれた。父親はフランス人。母親は日本人。

 3歳の時に家族で来日し、母親の出身地である兵庫県神戸市へ移住。小学校6年生の時、父親の転勤で再び渡仏。約1年間滞在し日本へ来る。世田谷区立砧中学校、東京都立青山高等学校、青山学院大学文学部フランス文学科卒業する。

2014.02.19 


53

食品の保存期間


 私は自分で食品を買ってきて、冷蔵庫に保管している。長い間保存したいものは冷凍ボックスにいれ、短期間でしようするものは冷蔵のボックスにに入れるようにしている。

▼朝食はパン食にしているので、スーパーへ食パン(普通は6枚スライス・5枚スライスがある)を買いに行きます。そのとき、必ず消費期限を見ます。期限の長いものを買うようにしている。

 期限の短いものが棚の手前におかれているようです。その奥に長いものが置かれています。かならずしもそうでなくて同じ期限のものばかりのものしかないときがあります。

▼ある日、介護保険のヘルパーさんが「卵焼き「を作ろとして、賞味期限が切れて古くなっていたので、食中毒になっても困るから捨てましょうと言われて処分しました。

 あれ、「賞味期限」という言葉があったのか、うかつにもほどがあるものだと、われながら」「食品に無頓着」であることに気づかされた。

 それまで、卵は12個入りも6個入りも考えず、12個入りを買っていました。自分が消費する卵は何個か考えもしなかった。

▼また、別のへルパーさんが卵焼きを作って下さったとき、その方が次に来るまでに賞味期限が切れてしまうので、ゆで卵にしておきましょう、そして一日一個食べてくださいと言われた。そのうえ、ゆでた日付を書いて下さったのが写真のものです。

 以上のようなことから、無駄にしないようにと、6個入りをかうことにしました。

▼いままで、一人暮らしを続けて、介護保険のヘルパーさんの手助けを受けながら、消費期限だけはしっていました。しかし賞味期限についてはほとんど考えたことがありませんでした。

 そこで、消費期限・賞味期限とは?をインターネットで調べました。ご参考までに(農林水産省の説明) 

 消費期限って?

 お弁当や洋生菓子など長くは保存がきかない食品に表示してあります。
 開封していない状態で、表示されている保存方法に従って保存したときに、食べても安全な期限を示しています。消費期限内に食べるようにしましょう。
*私の場合:食パンの袋詰め

 賞味期限って?

   ハム・ソーセージやスナック菓子、缶詰など冷蔵や常温で保存がきく食品に表示してあります。
 開封していない状態で、表示されている保存方法に従って保存したときに、おいしく食べられる期限を示しています。賞味期限内においしく食べましょう。ただし、賞味期限を過ぎても食べられなくなるとは限りません。
*私の場合:卵のケース入り

 こんなことにも気をつけましょう!

 一度開封したものは、表示されている期限にかかわらず早めに食べるようにしましょう。表示されている期限は、開封後も保証されているわけではありません。
 保存方法が書いてない食品は、常温で保存できます。直射日光のあたらない、湿気の少ない場所で保存しましょう。

 昭和初めの男一人の毎日三度の食品の簡単な知識がないのに苦笑!

写真をクリックしますと少し大きい画面になります。Please click on each photo, so you can look at a little wider photo.



ゆで卵

2014.03.04 


54

終身路を譲るも、百歩を枉げず。


 私は、表題の言葉を知りましたのは、鍵山秀三郎先生・講述『凡事徹底』の印刷物で知りました。

 インタネットで「朱敬則」を検索して、この言葉を調べますと、たくさんの方々が掲載されていました。ある人は座右の銘とされていました。

 『新唐書』 朱敬則伝 「終身譲路、不枉百歩」 (しゅうしん、みちをゆずるも、ひゃっぽをまげず)の言葉です。

  生涯、他人に道を譲り続けたとしても、曲げた距離の合計は 百歩(一歩は六尺)にも満たないほど小さなもの。

▼「一生涯、人にどうぞどうぞと、狭い道で出会った場合、人に道を譲ったとしてもその合計は、百歩にならないことを意地をはって、オレが先だ、ワシが先だとお互いに争って、そしてお互いに損をしているのが、現在ではないかと思うわけであります。(鍵山さんのお言葉)

▼「道を譲り続け」にかえて、「話を譲り続け」にしてみよう。他人の話に耳を傾けると、見分が広がるのは間違いないことは誰でも経験することででしょう。

▼自動車が発達して、最近はそうでもなくなったが、バスに我れ先にと乗り急ぐ人が多くいました。そして、降りるときは我れ先に降りようとするのをたびたびみかけました。

 急用がある人は別としても、おかしい話ではないと思いませんか? 乗り急いだバスだから、ゆっくりと気楽にバスから見える風景を楽しみ、人を観察したり、流行の服装を眺めたりするのもけっこうではないでしょうか。なぜ急ぐのでしょうか。えられるものは人によって違うと思いますが、必ずその人なりにえられるものではないでしょうか。

▼ある人が「いままでは自分中心に周囲の人が回っていたが、坐禅していて、おおくの人に助けられていたことに気づきました」と述懐されている席に私はいました。

▼譲り合う気持ちは自分を充実する基になり、自分自身が進歩するものだと思います。

参考:径路せまき処は、一歩を留めて人の行くに与ふ。地味こまやかなる的は、三分を減じて人のたしなむるに譲る。これはこれ世を渉る一の極安楽の法なり。(菜根譚前期:一三)

2014.03.22 


55

就活と終活



 大学生の就職活動(就活)は日本経済の変動による影響を受けている。最近はいつたいどうなっているのだろうか。

▼ある新聞記事によるとと2017年度の『新卒採用もう終盤戦? 大手内定「早く、多めに」 』と報道されている。大学では新学期が始まったばかりというのに。4年生は学業と就活をするのだろうが優秀な学生は内定して後はどうするのだろうか。

▼高齢者には人生の最後の活動(終活)がいろいろな形で待ち受けている。

 相続から始まり葬儀に至るまでの活動について具体的に考えなければならなくなっている。

 相続のセミナーは私の知るかぎりでは金融関連たとえば証券会社などにより行われている。

▼最近、知ったことは、相続に関して税理士法人の税理士、司法書士などが代行している。東京・横浜・大阪などでは30万円などと金額も明示されて代行が行われているようである。地方ではどうなっているのだろうか。終活セミナーが岡山市の場合、「市民支援センター岡山」の名称でパンフレットが郵便受けに入れられたりしていた。岡山市役所のものではないようである。

 それを見ると、「相続の基本」「エンディングノート書き方セミナー」「永代供養などの様々な供養のしかた」「家族葬とは」などが記載されていた。

 また、信託銀行などが、相続の手続き・宅地の管理など手広く行われていて、委託すると高額の代行業務の負担が要求されることになる。

▼これらの背景として考えられるのは、高齢化社会、核家族社会であると同時に、来年度(2017年度)より相続税の制度の変更が行われることがあげられる。これにより、今年度までは相続税を支払う必要がなかった人でもその対象になり、税収入を国は期待している。

▼個人の家族構成がさまざまであり、子供たちと別世帯であり、親と同居しているものが少ないからなお複雑な準備を親自身が最後の活動をしなければならない。

 家族によっては、相続以外にも自分の葬儀まで頭を使わなければならなくなっている現状はなんとなくむなしい思いがする。「終活」が以上のような意味合いであるとすれば、避けたい言葉である。

2014.04.22 


56

鶏口となるも牛後となるなかれ


【読み】 けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ

【意味】 鶏口となるも牛後となるなかれとは、大きな集団の中で尻にいて使われるよりも、小さな集団であっても長となるほうがよい。

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」の言葉を思い出したのは、

 ある会社に勤務している現役の方からお話を聞いたからでした。

▼「自分がはたらいている会社の中堅社員(課長前後のキャリア)が、同じ業界の規模の小さい会社に転職する人がいます。しかし、その反対に規模の小さい会社からの人が自分の勤めている会社に転職される方はいません」とのことでした。

▼現役の中堅社員ともなれば、同僚との比較、先輩社員の動向などから、自分の置かれている立場がみえてくるのである。ここでは、ある程度の昇進はするとしても限界を感じると、簡単に転職して新天地があると思うのだろうか。

▼私はこの話を聞いたとき、私ども終身雇用時代のものは一度就職すれば、よほどのことがない限り60数歳(定年)まで勤め続けていた。そんな経歴の持ち主である者としては、社員の考え方の違いを強く感じました。

▼次に、転職をほとんど苦にしていないことである。これでは会社としてはせつかく、ここまで社員として育成してきたのにと思わざるをえません、全力をあげて対策をしていることでしょう。

 まさに、転職社員は、「鶏口となるも牛後となるなかれ」を実行しているものだと。

▼話しが変わります。子供の高校進学について同じようなことを聞かされました。

▼ 私が現役時代、社用で岡山から大阪への出張から帰岡の新幹線の座席で隣り合わせた方が、教育関係者であり、お話を伺っていると、つぎのようなことを話された。

▼生徒の実力を適切に判断して、一流の進学校に入るよりは、おとして、二流の学校に入り、一生懸命に勉強して上位の成績をあげるようになれば大学もいい学校に合格することがありますと話された。

▼これは、心理的にも考えさせられる点を含んでいると思います。少しくらいレベルが低いグループでも、その中で頭角を現せば、それが自信となり、精神的な励みにもつながり、らせん階段式に高いところに登ることを示唆しているとことになると思えます。

 この文章をお読みいただいた方々はいかがでしょうか。

2014.07.21


57

Have a nice trip! Have a nice day!


 1971年2月、初めてドイツ出張しました。

 ドイツのある会社から技術導入する企画がありました。それには、どの程度の技術力であるか、それからできるものはどの程度のものかを調査するために私を含めて3人で出張しました。

 その会社での調査が終わり、別れるとき、ドイツの技術者から、「Have a nice trip !」と挨拶されました。

 「trip」 の用法に、「Mark was sent to the Far East on a business trip.」の用法があることから、「Have a nice trip!」が適切であることが理解できた。

▼1989年8月、家内と初めて、約一ケ月間、アメリカへ旅行した。長男夫婦がニューヨーク市内に住んでいました。

 その期間、私ども夫婦二人でナイヤガラ・カナダのトロントへのバスツア(現地での日本交通公社=JTBの募集)に参加しました。二人だけの英語の日常会話には不安と「あたって見なければわからない」気持ちがありましたので参加することにしました。

 出かける前に、私は市内のバスに乗り、一人で市内のあちこちを歩き回っていましたので、バスの使用には慣れていました。

 集合時刻は、午前7時、場所はヒルトンホテルのロビーと決められていた。
 当日、バスを乗り継いで出かけました。最初のバスに乗り込みました。そうすると、運転手から「Have a nice day !」と明るい声と笑顔で挨拶されました。ホットした思いは今でも残っています。

 
 日本語での挨拶言葉では「お早う!」あるいは「今日は」だろうか。

 ニューヨークの大都市の市内でこんな挨拶を聞こうとは夢にも思わなかった。というのは、日本のバスで私の環境では聞いたことがない。今風の言葉で言えば、私には「サプライズ」でした。

▼オリンピックを東京へ招致するときのプレゼンテションで「おもてなしの心」が話題になりました。

 まず、心より歓待するには、挨拶言葉が大事なものの一つだと思います。

参考:Have a nice day!

平成二十六年九月三日


58

君子豹変


 五十九年十月二十八日の朝日新聞、短歌時評「君子豹変」━

 『豹変』(花曜社)は塚本邦雄の第十回歌集限定版である。「豹変感覚」と題するその跋文(ばつぶん)によれば、その歌集の標題は、中の一連「歌人豹変」によるものであるととともに、さらに古くは、大陸古代の聖典『易経』のうちの一句「君子豹変」に由来することを知る。

 句の原義はは跋文中に言う「新たなる自己を再発見し続ける」ことであり、「無節操に態度を急変する比譬喩」は俗間の誤用である。

▼この語句を『中国古典名言事典』(講談社)をしらべると、『易経』の中の六十四卦の一つの「革」が出典である。

 「君子は豹変し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む」―君子は日進月歩、日々に善に変化していく。これに反して小人は心にもなく顔面だけ、上の人の意に従う態度をとる。「豹変」は豹の皮の文(あや)が美しいように変わること。「征(ゆ)くときは凶(きよう)なり。貞(ただ)しきに居れば吉なり」―と説明している。

▼豹の敏捷な動きからの連想か、俗間の誤用に近い意味にとらわれがちです。豹の幼児から成長するまでの皮の文が美しく変わる様子が古人のこころをとらえて、君子の成長ぶりをおもったのであろうか。

▼子供を育てている人は、自分の子供の日々の成長にはあまり気づかないが、歩きはじめると赤ん坊のときとくらべてそだったものだと感ずる。また、人さまの子供さんの大きくなっているのにはすぐ気がづく。同じように自分の成長は自覚しにくく、他の人から見るとわかる。また時間がたってみて振り返ると気づくようである。

▼君子ならぬ個人であれば、自己を掘り下げて解決をはかることであると思います。それには、平素の自分(惰性に流れた)の行動をやめて、思いきっていままでやったことのない事を始めることであると考えられる。具体的には自分で実行行動に移すことをはじめることです。すると、じっとしていては思いつかないアイディアが湧きあがってつぎの発展へと螺旋階段を昇ることになると信じています。

平成二十一年十二月二十八日、平成二十七年一月十四日

  


59

「下問を恥じず」


 久しぶりに日経新聞のコラム「春秋」2015/8/27付を読む。朝日新聞、毎日新聞のコラムは毎日読んでいる。

 論語に「下問を恥じず」と説く一節がある。生前、悪評のあった人物が、意外にも格の高い諡(おくりな)をもらったことをめぐる問答だ。理由を尋ねる門人の子貢に、孔子は、彼が「利発なうえに学問好きで、目下のものに問うことも恥じなかった」(岩波文庫)からだと答えた。

▼わからないことがあれば体面など気にせず、立場や年齢が下の相手にも聞いてみる。分け隔てのない態度は昔から好感が持たれたようだ。とはいえ、言うは易(やす)く行うは難(かた)し。そこでいま企業には、役員や管理職に若手の「メンター」という助言役をつけて、デジタル機器の使い方などを気軽に聞けるようにする動きがある。

▼アクサ生命保険では社長ら3役員がそれぞれ20代の社員から、交流サイトなどIT(情報技術)の最新知識を仕入れている。ほかの役員や部課長にも広げる。海外ではITを駆使した配車サービスがタクシー業界を揺さぶっている。保険業界にも、いつ「黒船」が来るかもしれない。若手から得た知識が必ず役立つという。

▼一般にメンターは部下の相談に乗るベテラン社員をいうが、上司を啓発しようという逆転の発想だ。ベテランも学び続ける時代に入っている。日本生命保険による三井生命保険の買収が明らかになった。経営基盤を固める効果が再編に期待できる。併せて社内に学びの機会を広げることも、企業の成長を下支えするだろう。

  ※私は岩波文庫で「下問を恥じずを探した。なかなか見つからなかった。巻第三 公冶長第五 一五 に掲載されていた。

▼読みまして、私が入社したクラレ(株)での昭和二十五年以来の配属先での上司との関係を思い出した。

 この年に、日本で初めての国産合成繊維ビニロンの製造工場(日産5トン)を岡山市にあった元の工場建物を使用して建設運転された。

 当時のクラレは人造繊維レーヨンを製造していた。したがって、製造課の管理職はその部署からの方々であった。ビニロンに関しては新入社員と知識は変わらないものであった。しかし、私どもはパイロットプラント(倉敷工場)で実習を通して大体の知識は学ばされた。

 三部署であったが、若い学卒は2人・1人・1人が中心となって従業員の教育をしながら製造設備の建設から配管にいたるまで、機械課の方々と作業に当たった。

▼数年経ってK.K製造部長が転勤されて、私ども上司になられた。レイヨンのベテラン部長でしたが、研究熱心で表題の「下問を恥じず」の人だった。

 この部長とある日、「今の君は以前とかわらないのか?」との重い言葉で励まされた。

 その後は、部長の信頼をうけるようになりました。

 部長は重役にご栄転された。退職されても1年に1度は便りをいただいていました。

平成二十七年八月三十日


60

「鉄杵を磨く」(てつしょをみがく)


 意味:辛抱強く忍耐すれば必ず成功することのたとえ。また、学問や仕事に対して懸命の努力を続けること。

 中国の「詩仙」とまでいわれた詩人、李白の故事から生まれた言葉です。

 伝えられるところによれば、李白は、象耳山(しょうじさん)で学問を学んでいましたが、途中でやめて帰ろうとしました。 その道中、小さな川を渡ろうとしたところ、 一人の老婆が鉄の杵を磨いているのに出会ます。 尋ねると、老婆は「針を作っている」と答えました。

 「そんなに大きな鉄の棒を針に出来るはずがない」と李白は笑いました。

 老婆は言います。

 「やってもいないのになぜ出来ないといえるのか。一所懸命やって出来ないことなどあるものか」と。

 李白はその言葉にいたく感動し、引き返して学問をやり遂げました。

参考:李白(りはく)、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))は、字は太白(たいはく)、号は青蓮居士(せいれんこじ)、唐代を代表する詩人である。玄宗(げんそう)皇帝治下の盛唐期に活躍した。絶句と楽府にすぐれ、詩風は自由奔放で洒脱。杜甫(とほ)の「詩聖」、王維(おうい)の「詩仏」に対し、「詩仙」と称される。

▼「羽生善治氏」 「インターネット」

 20代にして頂点を極めた羽生氏だが、今、まだ30代半ばながら、衰えを感じ、この先何を求めていくべきかを思い悩んでいた。

 その時、老いてなお将棋会館に通い、ひたすら将棋盤に向かっている先輩棋士たちを見て、 自らのこれから進むべき道を悟るのだった。

 氏は、「才能とは情熱や努力を継続できる力」と言い切る。

 「毎日1時間同じことを40年間続けることができますか? それが出来る人が天才だと思いますと。

 将棋に常に接し己を磨く。それを毎日毎年続けていくことによって、勝ち負けを超えた己の将棋道を見つけようとする羽生氏。

▼吉川英治氏が作品にとりあげられた宮本武蔵は、「我以外皆我師」という言葉を残しています。自分以外の、人でも物でも皆、自分に何かを教えてくれる先生だという意味です。

 私達は皆、この世に生を受けるときには、言葉も何も知らない純粋な心で生まれてきます。そして、親から、友達から、学校の先生から、自然から、いろいろなことを吸収し学んで成長してきます。

 ところが、いつのまにか「学ぶ心」を忘れ、人の未熟さが気にかかるようになってはいないでしょうか。

▼「鉄杵を磨く」とともに私たちの座右の銘としたいものです。

平成二十七年九月六日


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一怒一老、一笑一少――新・年寄りの冷水


 文春七月号(一九七八)『老人学入門』なる一文を物した。文中に「一怒一老、一笑一少」という成句を書いたら、大勢の方からお手紙をいただいた。いわく

 「いいことばをおそわった」

 「本日より、ただちに実行いたします」

 「イチドイチロウ、イッショウイッショウとよむのですか」

 などなどであった。読み方はご指摘の通りでである。なかに一通

▼「自分は一怒一老 一笑一若とおぼえているが、いずれが正しいのか」

 という問い合わせがあった。「老」に対する対句だから「若」の方が論理的である。実は私も多年、このように覚えていた。ある日、ある会合で、三菱銀行元頭取の田実渉氏にチラとこの話をしたら

 それは一笑一少の方が正しい。イッショウイッショウ、正しくはイッセフウイッショウだろうが、この方が韻をふんでいる。一若だとどうよむか。イチニャクじゃなくててイチジヤクだろう。それだと、どうもね。それにこれは若返るのでなくて、一つだけ年をとらないというのだから、どうも一少の方が落付いているんじゃないか。

 ということであった。

▼しばらくして、ある方からこういう話を聞いた。韓国へ行くと、バスの後方に「一笑一少、一怒一老」ということばが書かれている。韓国語では「笑」と「少」、「怒」と「老」とは同じ韻で、笑および少はソウと発音し、同じく怒と老はロウと発音する。すると、この八文字は、「イルソウ、イルソウ。イルロウ、イルロウ」となるということであった。とすれば一笑一少の方が正しということになる。

▼はじめ、このことばを知ったのは『朝日人』(朝日新聞社内報)の旧友会だより、であった。先輩の白川威海(シラカワ、イカイ)(1895-1980年)さんの短信の中に、この文字があった。白川さんは、私がまだ社会部のかけ出しだったころの大阪朝日の経済部長で、のち上海支局長となった。その時の上海支局次長が橋本登美三郎氏であった。

 内地からの戦争特派員が大勢上海へおしかける。それらは支局で、それぞれの師団に区処配属されて前戦に向かう。白川さんはその総監督で、いわば゛大部長であった。

 特派員が前線師団とともにある城市に突入する。そして入場記―第一報を送る。それが時として他社を半日くらい抜くことがある。文字通り、これは生命がけのスクープといってよい。第一線部隊についていないと、入場記は書けないからである。本社から感謝電報が来る。

 「〇〇ニュジョウキ、タシャヲアツシタ、カンシャニタエズ」

 すると、白川支局長は

 「カンシャノキモチヲ、グタイテキニ、アラワサレタシ」

 とうったものなそうである。そこで本社から゛若干の具体的なモノが送られて来る。白川さんはそれで特派員をねぎらった――という話を聞いたことがあるが、たとえば、そういう大部長であった。

▼戦争中、役員だったので戦後は、責を負って社を辞め、いろいろ職をかえられたが、そのうち、ある日、短信の中から、この文字を拝見し、いいことばだなと思った。豪快な白川さんが、この八文字に親しむまで、いろいろなことがあったのだろうな、と思った。

▼恍惚の人も困るが、さらばといって、老人になって怒りっぽく、愚痴っぽいのもハタ迷惑な話である。第一、怒りっぽいのは衛生上、害がある。知人で英仏独の三か国語に通じた語学の天才がおり、すぐれた翻訳もいくつか出している人がいた。ある日、タクシィを自宅に呼んだ。来るのがおそいといって、腹を立てて運転手君をどなっているうち、心臓マヒを起こして亡くなった。これを聞いた時、才能がもったいないな、と思った。

*扇谷正造『現代ビジネス金言集』(PHP研究所):P184~186

2010.08.12、2013.06.07、少し訂正:2018.02.07に移動した。。


62

吾唯足るを知る


 張り付けている絵のようなものは何と読むのか?「ワレ、タダ、足ルヲ知ル」と読む、口を中心に四つの字が合成されている。京都竜安寺の手洗石に彫られている文字である。

 はじめて、この字を知ったのは、今から七、八年前姫路へ講演に出かけて行った時のことである。署名簿をパラパラとめくっていたら、この字?が書いてあり加藤寛氏の署名がしてあった。正直いって、はじめ何と読むのかわからなかった。四字の合成文字なことは、わかったが「足」を「足ル」とよむか「足ラザル」と読むのか迷った。

 口が欠けると、四文字とも不完全な文字となる。そこで「吾レ、タダ、足ラザルヲ知ル」とよみ、自己修養の文字かなと思っていた。なん人かの人に聞きもし、確かめもした。そのうち、これは禅僧のよくやる"字遊び"の一つと聞いた。禅林のことばとすれば「足ラザルヲ知ル」は理づめである。むしろ、ごく自然に、素直に「足ルヲ知ル」と読んだ方が、字意はかえって深いだろう。

 老子の言葉に、知足者安也(足ルヲ知ル者ハ安ラカナリ)とういうものもある。とすればこの文字は?は、それを一字に圧縮したものでもあろう。

 「足ルヲ知ル」とは、では、いったい、どいうことか。「知足安分(足ルヲ知リ、分ニ安ンズ)」ということばもあって上を見てはキリがない、下をさがせば限度がない、いい加減のところで満足せよ、つまり現在の地位に満足し、「小成安ンゼヨ」というものかというのだろうか?いや、そうではない。

 「日々平安」ということばがある。人生の幸福は、日々これ無事ということである。日々無事であれば、不平も起こらない。心は安らかである。心が安らかであれば、事物の真実は透徹して見え、あすへの心構えもでき、心身に活力もみなぎって来る。私はそういう風に解釈してきた。

 一九七九年の八月、私は青森県の『みちのく銀行』に招かれて講演に出かけた。ここの唐牛敏世頭取は、ちょうど八月十五日で満九十九歳を迎えたところであった。白寿で、しかも現役の頭取は珍しい。ある雑誌にたのまれて、講演のついでに対談をおねがいし、三時間ばかり、お話をお聞きした。その時、長寿の秘訣をお伺いしたらその心掛けは「足ルヲ知ル」ことであり、そして毎日毎日仕事に精を出すことといわれた。私は、これある哉、と思った。

※扇谷正造『現代ビジネス金言集』(PHP研究所)「序に代えて」の一部より引用。

参考1:老子

参考2:菜根譚後集-知足ー

平成二十八年二月十日


 知 足(ちそく) 足(た)ることを知る     (『遺教経(ゆいきょうぎょう』)

 釈尊が亡くなるときの最後の説法『遺教経』で「八大人覚」ということを説かれました。また、道元禅師も「八大人覚」が、最後の教えとなっています。ここでいう大人(たいにん)とは、仏道修行者です。彼らが固く守って修行して自覚すべき八項目で、この「知足」もその中に含まれます。八大人覚は

 少欲(しょうよく:多くの利を求めない)・寂静(じゃくじょう:静かな処に住す)・精進(しょうじん:進んで努力して退かない)・不妄念(ふぼうねん:法を守り忘れない)・禅定(ぜんじょう:心を乱さない)・修知恵(しゅうちえ:知恵を修める)・認識(正しく考える)の七つに「知足」を加えます。

 これらは、それぞれ独立した必修項目であるととともに、それを修めることによって、最後の「知足」を身につけることになります。

 ところで「知足━━足ることを知る」とは「すでに得たものでも、これを受けるには分限を知れ」ということです。この知足を行じてほとけの知恵が体得できるので、質素・倹約の道徳律と少し趣を異にします。道元も「いま(八大人覚)を習学して、生々(しょうじょう)に増長し、かならず無上菩提(さとり)にいたり、衆生のために、これをとかんこと、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)にひとしくして、ことなることなからん」と、生涯の最後の筆を投じています。

 この「知足」が茶道に入って、「茶の本意は知足を本とす。茶道は、分々(ぶんぶん)に足ることを知るという方便なり。足ることを知れば、茶を立てて不足こそ楽しみとなれ」(松平不昧)となります。茶によって「知足」を行じて知恵を身につけよと示します。

 京都の竜安寺(りょうあんじ)の庭のつくばい(手水鉢)に「吾唯知足(われ、ただ足ることを知る)」が図形化して浮き彫りされているので有名です。

 経団連会長の故石坂泰三氏は「当時の東京府立一中(現・日比谷高校)卒業のとき、帰山信順先生がくれた『満足しているものは、最も富めるものである』のことばがすきだ」と言います・

 この言は、前記『遺教経』や、あるいは古人の「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪る者は、身富めども心貧し」をふまえて座右の銘とされたものと思われます。

 氏に対して、それは退嬰(たいえい:消極)的だと評する者もあります。

 すると氏は唐の詩人李白の「笑而不答心自閑(笑って答えず、心おのずからしずかなり)」と通(かよ)うものがある、と答えています。※参考を参照してください(黒崎)

松原泰道『禅語百選』(祥伝社)P.194~195より

参考:山中問答 (山中さんちゅう問答もんどう)

李白(りはく)

●〔出典〕 『李太白文集』、『全唐詩』、他
●七言絶句。山・閑・間(平声刪韻)。
●山中問答 … 山中での俗人との問答。

 問余何意棲碧山

 余(よ)に問とう 何(なん)の意(い)ありてか碧山(へきざん)に棲すむと

●何意 … どんな考えで。どういうわけで。「何の意ぞ」「何の意か」とも訓読できる。
●意 … 『全唐詩』には「一作事」との注がある。
●碧山 … 青々とした奥深い山。

 笑而不答心自閑

 笑わらって答(こ)たえず 心(こころ)自(おのず)から閑(かん)なり
●閑 … のどか。『全唐詩』では「間」に作る。同義。

平成二十八年四月二十九日:追加


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最近読んだ新聞記事からの漢字・語句


一 「決」の字

 雨が怖い。関東・東北に残る台風の爪痕はすさまじい。河川の堤防決壊による家屋の浸水など被害はあまりに大きい。再建見通しが立たぬうちに、再びの雨である。新たな被害も心配だ。決壊の文字さえ恨めしい。実は「決」の字は、水害との関わりがたいへんに深い。

▼古代中国は黄河の氾濫に苦しんだ。大地をのみ、数万の家を壊し、不作が続く。「決」は、洪水を防ぐため、堤防を崩すことを意味した。「決河」ともいう。かえって被害が広がることもあったので、重大な決断が必要な策だった。そこから、決意、決定などの意味も出てくる。決定すると、物ごとは落ち着いて安定する。

※「古代中国は黄河の氾濫に苦しんだ。」関連:長江に次ぐ中国第2の大河。青海省の崑崙山脈に端を発し、山東省まで9つの省と自治区を経て渤海に流れ込む。全長約5500km、流域面積75万平方kmを越える大河川である。

 黄河文明という言葉があるように、中国の文明と黄河は切り離せない。中国最古の王朝とされる夏・殷・周も黄河流域で興った。黄河文明は黄河の中・下流域で栄えた古代文明で、新石器時代の仰韶(ぎょうしょう)文化、竜山(りゅうざん)文化をへて、王朝の時代へ入ったのである。

 また、黄河は古来しばしば大洪水を起こす恐ろしい河だった。殷は十回以上も都を移しているが、それは黄河の河道が変わったり、洪水の災害によるものだったと見られている。それゆえに「黄河を制するものは天下を制する」ともいわれた。

▼大和ことばでは「キメル」である。国語学者の大野晋さんによると、ぎりぎり押し込めて、動きがとれなくすることがキメル。歌舞伎で役者の演技が最高潮に達したとき、動きをぴたりと止めて、大きく見得(みえ)をきる。あれである。それが決定を指すようになった。約束したり、衆議を一決したりする意味に発展したという。

引用:春秋 2015/9/18付による。

二 「心 耳」

 心耳と書いて「しんじ」と読む。心の耳。すなわち心を澄まして聞こえないものを聞きとるという、美しい言葉だ。9年前の朝日歌壇にこんな一首があった。〈病む母のわが眼(め)をみつめ発したることば以前を心耳もて聴く〉飯塚哲夫

▼この言葉を政治家も好む。ただし漢字の表現は皮肉なもので、「心」と「耳」を横に並べればたちまち「恥」に変貌(へんぼう)する。〈心に耳を押し当てよ/聞くに堪えないことばかり〉。これは漢字を素材にした吉野弘さんの「恥」という短詩だ。(後略)

引用:天声人語 2015年10月17日による。

三 「老 益」

 今どきインターンといえば、就業体験の学生のこと。しかし若き女性経営者のもとに配属されたのは、70歳の元サラリーマンだった。映画「マイ・インターン」で、ロバート・デニーロが渋く演じている

▼最初は疎まれたものの、次第に会社に不可欠な存在になっていく。経営者の悩みに寄り添い、同僚たちに生活の助言をする 。話をよく聞き、決して目立とうとしない。願わくは、こんな格好いいおじいさんになれれば。職場で恋人までつくってしまうのは出来すぎとしても

▼高齢者の社会への貢献を侮ってはいけない。そんな報告書を世界保健機関がまとめた。納税や消費はもちろん、お金では計れない役割を家族や地域で果たしている。だから「医療や介護など高齢者に使うお金は『コスト』ではなく、『投資』である」と。発想の転換を求めている

▼日本は、手本になりうる。健康寿命を延ばそうと各地でがんばっているし、働くシニアも増えている。「日本の取り組みを世界に向け発信してほしい」とは、機関のチャン事務局長の言葉である

▼もっとも良い見本ばかりではない。新国立競技場の建設計画をめぐる混乱では、「トップヘビー」が問題とされた。森喜朗元首相ら重鎮たちの存在が大きすぎることの弊害である

▼どこの世界でも、大先輩に期待されるのは経験の重みだろう。しかし経験は、ときに傲慢(ごうまん)に転じる。「老害」なるどぎつい言い方に代わる言葉があるとすれば「老益」か。そこに至るには、謙虚さがいる。

※「老益」と「老害」は私には感じさせられる語句である。相当な地位にある人が社会から遠ざかる決断をするのは厳しいものがある。

引用:天声人語 2015年10月18日による

四 「涙 活」(るいかつ)

 「涙活(るいかつ)」なるものがはやっているそうだ。涙活プロデューサーを名乗る寺井広樹さんによると「能動的に涙を流すことで心のデトックスを図る活動」だという(「泣く技術」)。胸を打つ映画など見て泣きに泣けばストレスも押し流されてスッキリ、というわけである。

▼もっとも、悪い泣き方もある。悔し涙を公の場で見せれば周囲は困惑するばかりだ。こういうのは「ストレスを人に押しつける涙」だという。そういえば記者会見で号泣した県会議員がいたし、STAP細胞の騒ぎではあの人も泣いた。おととい、マンション傾斜の不始末で旭化成の社長が涙ぐんだのもこのたぐいだろう。

▼杭(くい)のデータ改ざんが発覚して1週間、ようやく開いた会見だが「なぜ」はまるで解消されぬままだ。問題がほかの物件に広がっている心配もあるのに、なんともぬるい対応というほかない。「深く、深く反省し」「誠意を持ち」「誠実に」……。こんな言葉を並べられ、ついには泣かれても住民は途方に暮れるだけである。

▼一生の買い物をフイにされ、今後のすみかも定まらず、みんな「泣きたいのはこっちだ」と怒りつつ涙をこらえていよう。いや住民のみならず、日本中が泣きたくなる名門企業グループの体たらくである。かくなるうえは涙、ではなく膿(うみ)をとことん出し切って、組織のデトックスを図ることだ。会見での涙はその暁でいい。

※デトックス (detox) とは、体内に溜まった毒物を排出させることである。 この呼びなは "detoxification"、解毒の短縮形である。 つまり、(体内から毒素や老廃物を)取り除くことである。

引用:春秋 2015/10/22付

参考:デトックス

平成二十八年四月十日


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畳の縁を踏んではいけない


 表題の言葉を教えられてしつけられてきた。だが、その理由は教えられていなかった。一度、知人に「なぜですか?」と尋ねたことがあった。「わからない」と言われていた。そのまま月日がたっていた。

 2016.05.13 ある人たちに、この言葉を持ちだしたところ、この言葉を知らない人もいた。

 インターネットで調べると、多くの記事があった。そのうちの下記のものを私の勉強のために取り上げてみた。

 あなたの周りにある「畳」には、意外に知られていない面白いネタがたくさんあります。つい人に教えたくなる、畳に関する「雑学・知識」をご紹介しましょう。

 畳の縁は踏んではいけない

 お茶の世界では、縁を踏んではいけないとされていますが、なぜ畳の縁は踏んではいけないのでしょうか?

 「現在の形に近い畳」として、飛鳥時代の法隆寺に伝わる畳ベッドの御床(おんしょう)が最古のものとして現存していますが、平安時代には既に今使われているような畳が布団ベッドのように使われていました。当時これらは大変な高級品で、高貴な方々に愛用されたようです。この頃の畳の縁は、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたもので、身分を表す文様や彩りが定められていました。

 植物染めは色飛びがしやすく、踏んでしまうとせっかくの色が落ちてしまいますし、麻の耐久性も低かったので、踏んでしまうとすぐにすり切れてしまいます。高価な物が傷んでしまうのを嫌って、出来るだけ縁を踏まないようにしていました。

 さらに畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。お寺や神社、宗派によって紋様は違いますし、皇室関係や、宮家、武家、商家の流れ等をくんだ家紋を入れることによって、ある種のステータスとして使われてきました。家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じ事とされ、畳の縁を踏まない事が武家のたしなみ、商家の心得であった訳です。

 紋縁以外にも動植物の柄など、生き物をテーマとした柄も多く使われていますので、生き物や草花を踏みつける事は極力避け、「心優しく静かに歩くべし」と言う躾もありました。現在ではこのような背景も薄れてきましたが、「相手の心を思いやる」という礼儀の表れとして、「畳の縁は踏まない」というマナーが残っているのです。

日本人の粋な心遣い

なぜ畳の縁は踏んではいけない?

 畳の縁は踏んではいけないものとした言い伝えを心得ている人は少なくないと思います。ではなぜ?踏んではいけないのでしょうかと尋ねられて、即答できる人はそう多くはないようです。畳の縁を踏んではいけない理由を解説いたします。

 これは茶道の世界から言い伝えられているもので、躾事項のひとつとなっています。幾つか言い伝えはあるのですが、最も本筋なのは格式を重んじる風習から来ています。縁の柄は、その素材を含めまして多種多様です。色や絵柄まで様々なものがあります。中でも、格式を重んじる場合は家紋を入れる場合があります。これは「紋縁」と呼ばれ仏閣や武家などの歴史的な建物で今でも使われています。

 つまり、紋縁を踏む行為は、その家の象徴を踏んでいるのと同様とされ、高貴な人々のたしなみやマナーとして無礼であるとされてきました。そうした思いやりの心が、脈々と受け継がれ、例え紋縁でなくても畳の縁は踏まないものとされてきました。

 その他にも、踏んではいけない理由として幾つかございます。昨今では、技術も進歩し縁も構造的に頑丈になりました。しかし、昔はそれほどに丈夫ではなく、加えて植物染めが大半を占めていたため、踏むことや摩擦などに伴う劣化は著しいものがありました。縁つまり畳の端を踏むことにより、歪が大きくなり結果として痛みも早くなるとも言えます。畳への心遣いがそうさせているのですね。

 何れにせよ、相手を尊重する姿勢や、ものを労わる心の発露と言えそうです。日本人って粋ですね。

 以上の記事を読み参考になった。私は理由など分からなくても、畳の縁は踏まないように心がけることそのものが日本人としてのマナーの美しさだと思う。

 それぞれの国には、日常生活で習慣的になって、平素は考えれらない伝統的な動作があるのではないかと思う。日本にもそうであるとあると思う。たとえば、下記の事柄は外国人の見た目からみた私どもの家庭での所作である。

 外人が日本の家に入り、驚かされるのは先ず、玄関で靴を脱いでその家にあがることであり、その次にはスリッパ―を部屋によっては履き替えるとのことです。たとえば、畳の部屋にはスリッパ―は脱ぐ、炊事場では履く、トイレでは専用の物に履き替えるとなど。

 アメリカのホームスティで、靴を履いたままで家に入り、ベッドに入る時にようやく脱いでいた。私には驚かされたことを思い出しながら……。

参考:作法の変化

平成二十八年五月十四日


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「ほぼほぼ」


 「ほぼほぼ」

 ほぼほぼ定着?新表現から見える今とは…

 「ほぼほぼ」は、こんな形で使われている

1、インタビューは少し受けたものですが、ほぼほぼ私の最近の心境が書かれています(15年11月、ブログ):川澄奈穂美さん(女子サッカー選手)

2、近代国家としてどういう人権を保障しなければならないか、大枠ではほぼほぼ共通ののものが私はあると思います。:谷垣禎一さん(当時:国務大臣)13年5月衆院法務委員会。

3、はたけ~! けがも、ほぼほぼなおり、おかえり~、だせんに、あつみがでます:16年5月、ぶろぐ (ぷろ野球やくると球団マスコット)

4、どんな時にも厳しく怒る親に育てられると、わが子の褒め方は下手? かも知れません。親がモデルになりますからほぼほぼ連鎖します。:16年2月、ブログ 尾木直樹さん(教育評論家)

 耳にしたことありませんか、「ほぼほぼ」という言葉。正直、気になります。みなさんは、気になりますか?

 試しに夜のとばりが下りたJR新橋駅前で聞いてみた。待ち合わせ中の会社員男性(27)に声をかけると、「進捗(しんちょく)度でいえば、ほぼは90%で、ほぼほぼは95%かな」と教えてくれた。別の会社員女性(24)は、「よく使います。先日も友達に予定を聞かれ、『その日は、ほぼほぼOKだよ』って」。横にいた友人らもうなずいていた。ただ、女性が「上司にも使います」と言うと、友人らは「それはないない」とそろって驚いた。

 「私はあまり違和感がないですね」と話すのはエフエム岩手放送部の佐々木寿仁さん(37)。昨年10月の開局30周年記念の特別番組に「ほぼほぼ24時間生放送」と銘打った。「放送後、『誤用だ』といったリスナーからのお叱りの声は1件もありません」

 放送1カ月半前の企画会議。番組名を決める際、24時間の番組枠内にはTOKYO FMなど他局番組も含まれていたことから、「24時間」と表現できるかどうかが問題になった。出席者の一人が「実質的には24時間じゃないね」とつぶやくと、ふと出てきたのが「ほぼほぼ」だった。

 佐々木さんは「番組名としてのリズム感がいいし、熱意は24時間分を込めたとのメッセージも面白おかしく伝えられた」と話す。

▼そもそも、いつごろから使われ始めたのか。

 国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明さん(48)が初めて耳にしたのは2013年7月のある対談時。気になって新聞や雑誌などを調べると、インターネットのブログで1999年8月に登場したのが「最古の例」として確認できたという。

 ツイッターでも続々と見つかったことなどを受け、編集委員を務めた「三省堂国語辞典第7版」(13年12月出版)で、「ほぼ」の注釈に「俗に、重ねて使う」と初めて付け加えた。

 飯間さんは、ある言葉が流通したかどうかは、
 ①多くの人が使い、誤解を生むおそれが少ない
 ②相手に失礼でない
 ③一見不合理でも、意味や文法、音韻から何らかの説明が可能――との3条件が備わっていれば十分だと考える。

 「ほぼほぼ」については「仲間内や仕事仲間、親しい取引先なら抵触しない。公の儀式や新聞などで使うと、この言葉を嫌う人に触れる可能性があるので、②に抵触する」と話す。

 そもそも、日本語としてはごく当たり前の強調表現といい、島崎藤村が「破戒」で「今々其処へ出て行きなすった」と「今」を強調したり、源氏物語で「いといと恥づかしきに」と「いと」を重ねたりする例があるという。「ほぼほぼはまだ新参者。公に使いにくいのはやむを得ないでしょう」。10年もすれば一般語と意識する若い人が増えるとみる。

 国語学者の金田一秀穂・杏林大教授(63)は「ほとんどそれに近い、という意味で使われているのでしょう。断言の『きっと』とか『必ず』ではなく、限りなく断言に近いけれど、ほんの少し不確定さを残したい、という表現意図を感じる」と話す。

 「『自分の気持ちをわかってくれるかな』と、相手をすごく意識して発せられた言葉」と分析するのは、立命館大大学院言語教育情報研究科の東照二教授(社会言語学)。日本語には何げなく口にする言葉にも必ず、深い意図が潜んでいると話す。「ほぼほぼ」から見える今とは。「人間関係がますます希薄になる世の中で、相手と適切な距離感を取ろうとして生み出した防具のような言葉。あなたと衝突したくないけど、私のことをわかってもほしい。浮かんでくるのはそんな心模様では」(山本亮介)

 ある新聞の平成二十八年六月三十日の新聞から

※私は聞いたことのない言葉である。近い将来は皆さん使うようになるのではないか。

▼「ほぼほぼ」のような強調表現ことばについて、平素使っている言葉をさがしてみた。

1、「まだまだ」

 まだまだあおい まだまだある まだまだいきけんこう まだまだけんざい まだまだげんき まだまだこれから

2、「どんどんどんどん」

 どんどんあつまる どんどんあらわれる どんどんおくれる どんどんかわる どんどんじかんがけいかする どんどんすすめる

3、「いつまでもいつまでも」

 いつまでもいつまでもそばにいると言ってた いつまでもいつまでも忘れない いつまでもいつまでも走れ走れ いつまでもいつまでも○kg

 まだまだあるのではないかと思いますがこれからもこんな言葉について気を付けようと……。

平成二十八年七月四日


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「ケミストリー(相性)がいい」


「ケミストリー(相性)がいい」

 【ワシントン=佐々木美恵】安倍晋三首相とトランプ米大統領は2017年2月10日午後(日本時間11日午前)の首脳会談で、個人的な信頼関係の構築をアピールした。

 トランプ氏は、首相がホワイトハウスに到着すると車寄せまで出迎え、両手でがっちり握手。予定ではそのまま首相を招き入れるはずだったが、トランプ氏は首相を抱き寄せ、ハグした。会談後の共同記者会見では「(ハグしたのは)そういう気持ちになったからだ。すばらしい関係を築ける」と笑顔で語った。

 双方が共通の趣味とするゴルフを積極的に話題にすることで距離がさらに縮んだようで、トランプ氏は首相の手の甲を軽くたたき、「とても強い手をしている」と、ゴルフクラブを振るしぐさをしながら称賛。首相も共同記者会見で「私の腕前は、大統領にかなわない」と持ち上げた。

 首相はさらに、ゴルフの格言を引き合いに「私のポリシーは『ネバーアップ、ネバーイン』(カップに届かなければ決して入らない)。(打数を)刻むという言葉は私の辞書にはない」と語り、笑いを誘ってみせた。

 トランプ氏は共同記者会見で、発言する首相の表情をのぞき込んだり、うなずいて相好を崩したりと20回近くも動きを見せた。トランプ氏は「首相とはケミストリー(相性)がいい。もし変わったら申し上げるが、そうはならないだろう」と笑顔を見せた。

※「ケミストリー(相性)がいい」の語句について、こんな意味もあるとは……。化学だけしか思いもしなかった。

 コウビルド『英英辞典』で調べると、下記の記述があり、納得できました。

If you say that there is chemistry between two people, you mean that is obvious they are attracted to each other or like each other vey mnuch...,the extraordinary chemistry between Ingrid and Borgart...

※日本語で、化学と並んで使われる物理(physics)には変った意味に使われていないかと調べたところ、そんなものは見当たらなかった。

2017.02.18


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「天上大風」の書


 我が家の玄関の扉を開いた玄関口に「天上大風」の色紙を額に入れて飾っている。

 その色紙の裏に、「天上大風 良寛書」 良寛の書の中でも、最もよく知られている代表作、托鉢中の良寛に、子どもが凧を作るからと頼んで書いてもらった作品と伝えられている。凧文字にふさわしく、凧をはらんで天上に舞うさまが目に見えるような、堂々としてすがすがしい、誰にでも親しまれる作品である。>と説明されていた。1994.04に購入していた。

 また、アルバムを整理していると、「東京大学戦没同窓生之碑 天上大風 良寛書」の写真があった。この碑を建立された方々が戦没同窓生の御霊に追悼の思いを良寛さんの天上大風の書に託されて刻まれたのでしょう。

★「天上大風」を学ぶ(インタネットのサイトによる)

 新潟県燕市に幕末から明治にかけて長善館という私塾があった。松下村塾や慶応義塾はきいたことがあったが、長善館とは初めてきいた。この名前をとって燕市役所では市長を塾長として、市役所長善館という名前で、将来を担うやる気のある若手の勉強会をスタートさせており、今回、その勉強会の講師に呼んでいただく。では、その長善館というところも見ておかねば・・・と、タクシーを走らせ、市街にある長善館資料館に足を運ぶ。なんとも手作り感満載の、これまで見たことのない温もりのプチミュージアムである。地元の人間ではないため、そこで学んだ人や先生方がどんな素晴らしい方だったかはわからないが、後生までこの塾の意義を語り続けようと残させていること自体に感動する。そこでみつけた良寛さんのお言葉らしき四文字。この地に30年住んだ良寛さんが子どもの凧に書いてやった文字だそう。

 「天上大風」。読み方を館長に聞くと「てんじょうおおかぜ」と読むそうだ。空は何もないように、穏やかに見えているけれども、その上では大きな風が吹き荒れているものだ~。という意味だそう。にこにこしている人でも、心の中は・・・という置き換えも良いだろうか。人生を大きく生きた良寛さんならではの哲学的な名言であると感心した。また、塾の校則も書かれている。「学ぶ前には、手を荒い口をすすぐこと」しつけ、マナー・・・今の日本人が忘れているような基本的な社会ルールをここで学びなおすこともできる。それにしても、仕事でこの塾名に出会ったからこれを知った。仕事のおかげで、新たな学びが増えることはこの上なき喜びだ。それにしても、「長善」とはいい言葉だ。長く善きことを続けることがあるべき人生である。選挙に燃えている政治家たちにも伝えたいメッセージがある素晴らしい私塾、日本のよき時代から今も学ぶことは大いにある。


 もう40年近くも昔のことであるが、新道繁画伯(1907-1981)の画集を編集したことがある。その際、撮影のためにアトリエに入ると、条幅の書がずらりと掛っていて喫驚した。若い時代には、『スペインの水汲み女』などバタ臭い絵を描いていた新道画伯だが、わたしが伺ったころは専ら黒松をテーマとした幽玄の画風に変わっていた。撮影の終わったあと、改めて条幅の書について尋ねると、「自分は若いころから何百色という絵具を使って理想の色を求めて来たが、遂に満足することがなかった。しかし、見たまえ、この墨の色にはわたしが理想とする色がすべてあるのだよ」と仰った。  

 新道画伯に限らず、岸田劉生にしても、晩年、東洋的な墨の世界に回帰する人が少なくない。その日本人にとって、いわば郷愁のように戻ってくる象徴的なところに位置するのが、良寛禅師の人と書である。村上三島なども若い時代に王鐸のような脂っこい中国の書に魅かれたが、晩年は専ら良寛をイメージして淡泊な書をかいた。  

 良寛の存在が全国的に注目を浴びるようになるのは、大正期の中ごろ以降のことではないだろうか。それには、後半生をほとんど良寛研究に捧げた相馬御風の一連の著作の果たした役割が大きいにちがいない。何と言っても早稲田大学で会津八一と同期であり、坪内逍遙、島村抱月らに薫陶を受けた人の良寛論は、これを広めるに大きな力があった。  

 それに時代の空気が、良寛のような生き方を求めていたとも言える。わが国の近代化のなか、自我に目覚めた人たちにとって良寛の苦悩は切実な問題であったにちがいない。良寛は越後出雲崎のな主の家の長子に生まれたが、一八歳のとき突然、家を捨てて出奔してしまう。当時の社会常識では許されがたい落伍者と言われても仕方がないことであったであろう。しかし、時代が変われば、そのやさしさ、清らかさが、社会的にも精神的にも柵にとらわれた人たちの共感を呼ぶようにもなるのである。  

 良寛の書は、ここに採りあげた『天上大風』や、『一二三 いろは』のように童心にあふれた簡朴なものが、よくイメージされるが、実はそうしたものばかりではない。若いころから王羲之の尺牘や、孫過庭の書譜、懍素の自叙帖、わが秋萩帖(小野道風)等を本格的に学んできた人であるから草書の崩しにも熟達している。従って、漢詩などを書いたものは、かならずしも読みやすいとは言えないのである。  

 しかし、歌でも〽霞立つ永き春日をこどもらと手まりつきつつけふも暮らしつ のように平易ななかに格調高く詠んだように、書でも子どもらの凧のために『天上大風』と素朴に書いたり、どうか読みやすい書をとせがまれて『一二三 いろは』と書いたりもしたのである。現在のように書展で技術を競う時代ではないから、そこにおのずと書者の人間性が現われたとも言えるであろう。  

 『天上大風』の凧の書は、子どもにせがまれて書いたというぐらいだから、忽卒の間に書かれたものにちがいない。天、上、大は画数が少なく、風だけがやや多い。天の字だけが異常に大きく、しかも第一画と第二画の間が広く離れすぎている。風もかまえの中の虫が極端に左に寄って一文字だけでは収まりがよくない。落款の「良寛書」の位置も決してよいとは言えない。それが全体としては、インテリア・デザイナーでもが設計したかのごとくぴたりと収まっているのが不思議なくらいである。そして、このほのぼのとした素朴さは意図してできるものではない。しかし、考えてみれば王羲之の書こそ、アンバランスのバランスの極致であるのだから、それを習った過程でおのずと身についたとも言える。現代の書人でも津金寉仙(つがね・かくせん)さん(1900-1960)、赤羽雲庭(あかば うんてい)さん(1912 - 1975)などは、それをみごとに熟している。書はどこまでも奥が深いのである。

 我が家の玄関の扉を開いた玄関口の「天上大風」の書の色紙が、以上のような記録に手引きをされた。

平成二十九(2017)年三月二十九日


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パノプティコンの住人


 報道機関はファクトで武装し戦え 新谷・週刊文春編集長

 聞き手・藤原慎一(朝日新聞記者)2017年4月24日03時41分

 1強下でのメディア。週刊文春の新谷学編集長は「私たちは安倍政権の敵対メディアでもないが、応援団でもない」と語る。「編集長が雑誌の前に出すぎるのは、その雑誌にとって弊害」と顔をさらさないようにしている

 安倍晋三首相による「1強」。その支配に組み込まれているパノプティコンの住人には、政治報道に携わる我々メディアも含まれているのではないか。そんな問題意識から、昨年、「政治とカネ」の問題などで特ダネを連発し、「文春砲」という流行語を生んだ週刊文春の新谷学編集長に、1強下のメディアについて聞いた。

 ――安べ政権の支持率が5割台を維持しています。森友問題が首相を直撃しても、影響は今のところ限定的で、かえって「1強」を印象づけています。この政治状況と世論をどう見ていますか。

 それは極めてわかりやすい話で、安倍首相の代わりがいないからです。1強のおごりや慢心は国会質疑や人事に出ていて、国民には「脇を締めてもらわないと困る」という思いはある。だけど国際情勢が不安定な中、安倍政権に倒れてほしいとは思っていないということでしょう。

 ――国民は政治のスキャンダルそのものに関心を失ったわけではないということですか。

 昨年1月に甘利明・前TPP担当相の金銭授受疑惑をスクープし、辞任された時も「説明責任を果たしていない」という批判の声は上がりましたが、ただちに安倍首相の支持率低下には向かわなかった。長年、政治家のスキャンダルを報じてきましたが、盛り上がるかどうかは多分に政治家のキャラクターによる。分かりやすい分かれ目はワイドショーが取り上げるかどうか。だからといって、我々は盛り上がらなそうな政治家であっても報じるべき事実は報じます。(ニュース記事より)

※パノプティコン 翻訳|panopticon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

 18世紀末に J.ベンサムが考案した監獄のモデルである一望監視施設を意味する。その建築学的構造は中央に監視塔を設け,その周囲に円状の収容施設を配置する。中央の塔からは収容施設の各独房に監視のための光線が送られるが,それによって囚人を監視しつつも監視者の姿は決して見られない環境がつくり出される。これは監獄の効果的・能率的な経営をもたらす。たとえ監視者がいなくとも,その光線があるかぎり囚人は監視者の存在を意識せざるをえないからである。 M.フーコーはこの原理が規律・矯正型の権力技術として近代社会全域に応用されていることを指摘している。

デジタル大辞泉の解説

パノプティコン(panopticon)

 英国の哲学者・法学者ジェレミー=ベンサムが考案した円形の監獄。中心に監視塔があり、そのまわりに独房を放射状に配したもので、囚人同士の接触はなく、常に看守の監視下にあることを意識させるようになっている。フランスの哲学者ミシェル=フーコーが著書「監獄の誕生」において、少数の権力者が多数の個人を監視する近代の管理社会の起源とみなし、広くその名が知られるようになった。

平成29年5月4日


(天声人語)「共謀罪」、衆院委で可決2017年5月20日05時00分

 心のなかを裁く法律ではないか。不安が消えたとはとても言えない。犯罪を計画の段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ法改正案をめぐり、あちこちで発せられてきた言葉がある▼共謀罪のある社会は、どこまで監視の目を広げるのか。作家の平野啓一郎さんの危惧は現代的である。「フェイスブックなどのSNSが発達 した今、『友達の友達』は時にとんでもないところまでつながっていく。犯罪を漠然としたリスクとして『予防』しようとすると、捜査機関の監視は歯止めがなくなる」

▼102歳の太田まささんは18歳のころ、共産党の機関紙を読んだことを理由に警察に拘束された。「時代を逆戻りさせちゃならん。足さえ動けば、反対を訴えるのに」。共謀罪の目的は組織犯罪の未然防止だとされるが、市民の活動がゆがめられ解釈されるおそれはないか

▼「政府は言う、普通の人には関係ない しかし判断するのは権力を持つ者、警察だ ダメと言われたらそれでアウト」と歌手の佐野元春さんがフェイスブックに書いた。一般の人は対象ではないという政府答弁への疑念である

▼日本ペンクラブの反対集会で作家の森絵都さんが語っていた。「日本人の心のなかには、何か起こったときには国が守ってくれるという依存や期待があるのではないか。そこを国につけ込まれるので」。そして庇護(ひご)と監視は必ず一緒に差し出されると

▼本当にこのまま通していいのか。衆院本会議にのぞむ議員一人ひとりに問いたい。


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おもてとうら


 森本哲郎『日本語 表と裏』(新潮社)(一九八五年 発行)より P.125~128

   おもてとうら

 日本人は顔というものを、たいへん重んじてきた。それを語っているのが、つぎのようなさまざまな表現であろう。「顔を立てる」「顔をつぶす」「顔をかす」「顔をきかせる」「顔負け」「顔役」「顔馴染」「顔見せ」「顔立ち」「顔出し」「顔をつなぐ」「顔から火が出る」「顔に泥をぬる」「合わせる顔がない」…………。

 顔には人間の大切な器官が集まっている。目、耳、口、鼻。五官のうちの四官までが顔に集中しているのだから、どんな民族にあっても顔は人間の中心的な役割を担っているといえようが、とくに日本人は顔にこだわる民族ではなかろうか。だから人格のすべて、名誉や権力に至るまで顔で代表させるのである。上にあげた表現のどれひとつとして、外国語に直訳できる例はない。「顔を立てる」を英語でスタンド・アップ・マイ・フェイスといって、相手を驚かせたという笑いはなしさえある。

 そのような顔のなかでも、日本人はとくに目を重んじたらしい。それも日本語の多彩な表現が証明している。試みに辞典を繰ってみるとよい。「目」という項目に、目という言葉を用いた表現が、それこそ「目を丸くする」ほど並んでいる。「目に障る」「目をかける」「目をつぶる」「目が高い」「目にあまる」「目のクスリ」「目の毒」「目をむく」「目鯨を立てる」「目を細める」「大目にみる」「目にものをいわせ」「目がとび出るほど」「目の仇」「目をこやす」「目も当てられぬ」「目からウロコが落ちる」「目頭が熱くなる」「目が利く」「目を光らす」「目に入れても痛くない」「目から鼻に抜ける」「抜け目ない」「目がない」「目じゃない」「目が離せない」「目の黒いうちは」「人目につく」「ひどい目にあう」「目もくれない」「目を凝らす」「目を通す」「目を開く」「長い目でみる」・・・・・・いや、きりがない。 

 このような表現のほかにも、たとえば、「目当て」「目盛り」「目方」「目的」「目算」「目標」「目録」「目次」「眼目」「目上」「目下」「勝ち目」「負い目」「憂き目」「破目」「大き目」「小さ目」「ひかえ目」「まじ目」「駄目」といった用法があり、日本人がいかに「目」を大事にしてきたか、こうした単語から充分にうかがええよう。「面目をほどこす」、あるいは「面目ない」という言葉が、それを象徴しているといってもよい。日本人にとって人格を代表するものが「顔」すなわち「面」であり、その面を代表するのが「目」なのである。だから目は転じて「芽」となり、「網目」「編み目」など、結節点の意にも使われ、「節目(ふしめ)」をさすようになった。さらに中心も意味し、「一番目」「何丁目」という序列にも用いられ「いい目にあう」「痛い目にあう」などと重要な体験にも引きあいに出されることになる。

 「顔」についても同様である。「顔」は「面(おも)」といわれたが、面(おも)は同時に面(おもて)、すなわち表であり、おもては「面目」「体面」、つまり「名誉」を担うようになるのだ。ついでにいえば、「面白い」とは、顔が白いということではなく、顔面が明るいの意から、心が晴れ晴れするときのさまをいうようになったとのことである。

 このように、日本人は「顔」や「目」によって人格を代表させ、それこそ「面目」を大切にしてきたのであるが、しかし、それはあくまで「おもて向き」のことであって、じつをいうと、それ以上に「うら」を重要視してきたのである。おもてが建前(たてまえ)であるなら、うらは本音といってもいい。そして、ここに日本人特有のおもてとうらの観念が成立する。すなわち、おもてが「花」ならうらは「実」というような表裏の関係である。したがって、日本人にとっておもては人格にかかわるほど重視すべきものではあるが、その人格を左右する本質はうらにあるといえる。そこで日本人の本質を問うならば、おもてよりもむしろ、うらという言葉の意味をさぐらなければなるまい。日本人にとって、うらとは何なのであろうか。

 ここで思い出すのは芥川龍之介の『手巾(はんけち)』と題する短編である。有名な作品だから読まれた人も多かろう。ある大学教授の家を訪ねた「四十恰好」の一人の夫人の話だ。その婦人は「日本人に特有な、丸顔の、琥珀色の皮膚をした、賢母らしい」女だ。まったく記憶にないその婦人に対して教授は一瞬とまどうが、彼女は教授がよく知っている学生の母親であった。突然、教授の家を訪ねたのは、息子の死を知らせるためだったのだ。彼女の息子は「腹膜炎に罹って大学病院に入院して」いたのだが、治療およばず、ついに死亡したというのである。

家常茶飯事()を語ってゐるとしか、おもはなかったのに相違ない」。それほど彼女は落ちついており、そのさまが教授を不思議がらせた。だが――「婦人は、顔でこそ笑ってゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐた」のだった。それを教授は、ふと落とした団扇(うちわ)を拾おうとしてテーブルの下にくびをさげたときに発見する。テーブルの下にかくれていた婦人の手が激しくふるえており、彼女は「感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾はんけちを、両手で裂かないばかりに(かた)く、握って」いたからである。

婦人のそのような態度が教授をすっかり考えこませる。彼はアメリカに留学し、留学中、アメリカの女性と結婚した。それだけに教授はいやおうなく日本と欧米文化の相違を思い知らされていた。そして、日本の武士道こそが日本を代表するものであり、代表すべきものであると考えていた。彼は訪問を受けた学生の母親のなかに――西洋人の衝動的な感情の表白と正反対の日本の婦人の態度のなかに――それを見たのである。

感想:明治時代の婦人の内にこもった感情を表面的表現から読み取ることの難しさが書き込まれている。また、こんな場面に相当することを体験しました。

『手巾』の原文:芥川龍之介 手巾
原文は少し古い文体で書かれていますので読難いところがあります。

2017.10.04。


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語源散策


 岩淵悦太郎『語源散策』(毎日新聞社)(昭和五十年二月十五日 第六刷)より

 アカヌケ P.13~17

「あかぬけした女」「あかぬけしたやり方」などという「アカヌケ」は、言うまでもまく、都会風に洗練され、いきなことの意である。そして、この語の本来の意は、「垢が抜けること」と解されている。

ところで、他方、「あくの強い男」「あくの強い文章」などという言い方がある。この「あくの強い」は、どぎつい、個性的というほどの意であろう。

今、方言にも残っているが、アクは灰のことを言う。そして灰を水に浸して採ったりうわずみのことをアクと言い、着物の垢や脂を洗い落としたり、物を染めたりするのに使った。一方、植物類に含まれている渋みやえがらっぽさのある液もアクと言った。ほうれん草やごぼうなどは、そのアクが強いものと言われている。性質や文章などにどぎつさのあることを「アクが強い」と言うのも、この植物類に含まれるアクのことから出た表現であることは言うまでもなさそうだ。

ほうれん草やごぼうのようなアクの強い植物は、そのアクを抜かなければ食用にはならない。いわゆるアク抜きををして食べる。戦後の食糧難時代に、食べられる野草を植物学者に教えてもらった。十分にアク抜きをしたつもりだったが、どうしてものどを通らなかった記憶がある。

野菜類のアクを抜けば、渋味やえがらっぽさがなくなって、味は、さっぱりする。そこで、

 あくの抜けた人だから、気めが能いよ(『浮世風呂』)

のような比喩的用法が現れた。この『浮世風呂』の「アクの抜ける」に対しては、『大日本国語辞典』では、淡泊だ、さっぱりしているの意としている。『大言海』には、「人ノ気性ニ、俗気(イヤミ)ナキヲ、あくの脱(ぬ)けた人ト云フ」とある。ところで、『大日本国語辞典』では、淡泊の意のほかに、いなかくさくないこと、やぼくさくないことを意味するとしている。そうすると、現在「あかぬけした女」などの「アカヌケ」の意味と、この「アカヌケ」と、大体同じような意味を表すと言えそうだ。

「アカヌケ」が「垢が抜ける」ことと言われていることは前にも述べたが、近松の『心中万年草』に、

 そのぶんではうろんな。こちの人、むすめがあかをぬかっしゃれ、うろたえへむすめひとりすてさっしゃるな、これこれ

というのがある。この「あかをぬかっしゃれ」に対して、『近松語彙』では、「垢を脱ぐ」とし、汚物を取り去る意であって、汚名をすすぐこと、冤をすすぐことであるとしている。現在の「あかぬけ」とは大分意味が違う。しかし『俚言集覧』を見ると、「垢のぬけて清潔なる義なり、人の顔色などに云う」とある。もしこの説が当たっているとすれば、現在の「アカヌケ」の意に大分近づいて来ている。清潔で、さっぱりしている意から、洗練されたという意に転ずるのは、ほんの一息であろう。

現在、洗練された意に使う「アカヌケ」が「垢が抜ける」から出たとするのは、一応自然な考え方だと言ってよいだろう。しかし、考えてみると、「垢がとれる」ならわかるが、「垢が抜ける」から生まれた「アクヌケ」の「アク」が誤っ「アカ」となった――この場合あるいは垢を連想したかも知れない――という説を立てても、それほどこじつけもなさそうに思われるがどうだろうか。


遠慮・勉強・馳走 P.33~34

『諺語大辞典』に「遠慮ひるだし伊達さむし」(「賢者ひるだし伊達寒し」の成句もある)というのが出ている。「謙退すれば食物を得ず、容儀を修すれば寒気を感ず」と説明されているが、この場合の「伊達」はもちろ「伊達の薄着」である。「遠慮」は、もともと、「深謀遠慮」(「遠慮深謀」とも言う)あるいは「遠慮(「遠きおもんばかり」とも読む)なければ必ず近憂(「近きうれえ」とも読む)あり」のように使わたもので、遠いさきざきまでよく考えることである。その「遠慮」がなぜ、他人に対して自分の言動をひかえ目にする意に使われたのであろうか。

 何か刺激があれば、すぐそれに応じて行動を起こすということをすると、時には失敗を招くことがある。そこで、いろいろさきざきのことを深く考えた上で行動に移す必要がある。それが「遠慮」だ。そしてこの「遠慮」をしながら行動するということから、すぐには行動に移すことなく、ひかえ目にしているという意味が生まれたのであろう。「遠慮しないで遊びに来なさい」などの「遠慮しないで」という用法の場合には。「いろいろ考えることはなく」「ぐずぐず考えないで」というほどの意味がうかがえるように思われる。                                        

 この類のものとしては、ほかに「勉強」や「馳走」をあげることが出来る。「勉強」は本来は「しいてつとめる」意である。だから商人が「大いに勉強して千円にしましょう」などと、利益を薄くして品物を売ることに使う。「しいてつとめる」意から「学問にはげむ」意になり、さらに「よく勉強が出来る子」のように、「学問」とほとんど同義になった。「馳走」も、本来は、かけまわる意で、「奔走」と同義である。客をする場合など、かけまわって用意する所から、もてなしの意味になったが、初めは何も食べ物に限らなかった。引出物でも何でもよかったのである。今でも、もらい風呂をした場合などに「御馳走さまでした」とあいさつすることがある。「馳走」は料理のことだと限定して考える頭からは、誤用のように見えるが、まきをととのえ、水をくみ、風呂をわかした、その労に対して感謝する意で使ったものとすれば、少しもおかしい用法ではない。

★私は、日本語の語源に興味をもっていて、多くの方々が書かれている語源についてを楽しく読んでいる。この本はその一つである。

 この本には、アカヌケ アゲクノハテ アホウ アリガトウ 岡目八目 カゲンとアンバイ 菓子とくだもの かけこみ ガッテン・ガテン 牛鍋とスキヤキ キリョウ 下戸と上戸 月下氷人 ドンブリ勘定 バカ らく日 などなどが書かれている。

2017.10.10。


 他山の石 P.114~116

 「他山の石」を「よそのこととしてかえりみないこと」と考えている人がいるそうだ(雑誌『言語生活』四十三年十二月号、耳欄)。この解釈が、路傍にある石などを連想して生まれたものか、あるいは、現代の自己中心的な考え方から出たものか、それはわからない。しかし、これほど的はずれでないにしても、このごろ「他山の石」を、元来の用法とは少し違った使い方をすることがある。「先生のお言葉を他山の石として今後勉学に努めたいと思います」のような使い方である。

 他山の石の出所は『詩経』である。『詩経』の小雅に、

  他山之石、可以攻玉。

とある。「攻」には、みがく、加工するの意がある。また、同じく『詩経』に、

  他山之石、可以為錯。

とあるが、「錯」は、みがくのに使う石、すなわち、砥石のことである。すなわち「他山の石云」は、よその石でも、それによって玉をみがくことが出来る、あるひは、玉をみがく石として利用することが出来るという意味ということになる。ただし、この場合、「石」と「玉」とを対比しているのであって、つまらない、無価値な石であっても、価値の高い玉をみがくのに役立つという意で使ったようである。諸橋徹次博士の『大漢和辞典』でも、

 他山から出る粗悪な石も、それを用ひて我が玉を磨いて、美しくすることが出来る。

と記している。

この「他山の」は、さらに比喩的に使われた。それは、他人の言によって、自分のあやまちを改めることが出来るという意味である。そして、この場合「他人」とは言っても、それは「つまらない小人」のことであり、その「つまらない小人」の言でも、「玉」すなわち「君子」の徳器を増す具するというのである。藤井乙男『諺語大辞典』にも、

 君子の小人と接して修省に資するに喩ふ

とある。また、中国の『辞海』では「他山の石」に対して、

 按今多以喩有朋之能規己過者

とある。これによると、近年の中国でも、「他人」と言っても「有朋」であって、「他山の石」は、友だち(あるいは目下の者)については使えるが、目上の者に使えるかどうかは明らかでない。従って「先生のお言葉を他山の石として」などと言うことが果たして適切であるかどうかは大変疑わしい。

「枯れ木も山の賑わい」という諺がある。古くは「枯れ木も山のかざり」とも言ったらしい。生き生きとした緑の木ではなく、枯れ木であってもということで、この諺は、つまらないものでも無いよりはましだという意味だ。もし、へりくだる気持ちで、「私も出席します。枯れ木も山の賑わいですからね」などと使えばよいのだが、このごろの学生が先生を謝恩会などで招待する手紙に「枯れ木も山の賑わいといいますから、ぜひお出かけ下さい」などと書いて来ることがあるという。こういう手紙を受け取った先生は、思わず、自分のはげた頭や白髪の頭をなでて苦笑することだろう。このように「枯れ木も山の賑わい」は、他人に関しては、むやみには使えない諺だが、「他山の石」もやはり、使い方を慎重にしなければならないものようである。

参考:他山の石

【読み】 たざんのいし

【意味】 他山の石とは、他人のどんな言動でも、たとえそれが誤っていたり劣っていたりした場合でも、自分の知徳を磨いたり反省の材料とすることができるというたとえ。

【他山の石の解説】

【注釈】 『詩経-小雅・鶴鳴』の「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。

「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味で、他人の誤りを自分の修養の役に立てることをいう。

「他山の石とする」ともいう。

【出典】 『詩経』小雅・鶴鳴

【注意】 目上の人に使うのは誤り。

誤用例:「師匠の言動を他山の石とし、精進していきます」

自分とは無関係の意味で使うのは誤り。

誤用例:「あの事件でみんな大騒ぎしているが、私にとっては他山の石だ」


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ゴルディロックスの原理


 ゴルディロックスの原理 Wikipedia

 ゴルディロックス(Goldilocks)の原理は"三匹の熊"の童話の喩えを借りてな付けられたものである。物語の中にゴルディロックスという名前の少女が登場し、三種のお粥を味見したところ、熱すぎるのも冷たすぎるのも嫌で、ちょうど良い温度のものを選ぶ 。この童話が世界中でよく知られていることから、この名前を使うことで"ちょうどよい程度”という概念の理解が容易になり、他の幅広い領域にも適応されるようになった。発達心理学や生物学、 経済学 、工学などである。

応用

 認知科学 と発達心理学におけるゴルディロックスの効果または原理とは、乳幼児が本人自身が認識できる世界の中で、単純すぎずかつ複雑すぎない事象に関わろうとする選好を意味する 。この効果が乳幼児で観察される場合、理想的な学習モデルから予測される、高すぎず低すぎず適度な可能性の視覚的な配列を見せられた子どもは、他に視点をそらさず、見続けるようになる。

 天文学においては、ゴルディロックスの領域と恒星の周辺で生命が存在可能な領域を言う。希土類の仮説はゴルディロックスの原理を用い、惑星は恒星や銀河中心から近すぎても離れすぎても、生命を維持することができないとするものである。極限の場合には、生命維持が不可能になる 。条件にあう惑星は俗に"ゴルディロックス惑星"と呼ばれる。

 医学においては、アンタゴニスト(抑制)とアゴニスト(興奮性)の性質の両方を兼ね備えた物質を呼ぶ。例えば、抗精神病薬のAripirazoleは脳のMesolimbic領域(急性精神病状態の時にドパミンの活動が亢進する)に存在するドーパミンD2受容体に対してはアンタゴニストとして作用しながら、Mesocorticalなどのドーパミンが低活動な領域に存在するドパミン受容体にはアゴニストとしての働きを示す。

 経済学においてはゴルディロックスの原理とは経済の緩やかな持続的成長と低インフレ率を言う。この場合、市場親和的な金融政策が可能になる。ゴルディロックス市場は、消費財の価格がベア市場 と ブル市場の価格の間にあるときに可能になる。ゴルディロックス価格とはマーケティング戦略の1つであり、これ自体はゴルディロックスの原理と直接の関係がないものの、他の競合商品を追いやるために、3種類用意して製品の差別化を行うことを言う。ハイエンド版とミッドレンジ版、ローエンド版を同時に用意するわけである。

 通信の領域では、ゴルディロックスの原理とはシステムの効果を最大化しながら、同時に冗長さや範囲の広さが過度にならないようにするために必要な通信の量と種類、詳細さを言う。多すぎず、かつ少なすぎて通信が不正確になったり、不完全になったりしないようにすることである。

 数学では、ゴルディロックスのゾーンとは、三次やさらに高次の多項式、たとえば ?(x)=x?などにおけるほぼ水平に見える領域、”shelf area”を言う。厳密に定義としては、一次式の傾斜が±15°を越えない部分の言う。ただし、他にも異なった変化率を使う場合がある。

 ゴルディロックス相場は、程良い状況が続く、適温相場のことをいいます。また、ゴルディロックス(Goldilocks)とは、英国の童話にちなむ言葉で、熱すぎず冷たすぎない適温のスープにありついた少女の名前に由来し、マーケット(市場)では、世界経済が過熱せず冷めすぎてもいない状況を指します。

一般に世界経済において、投資家のリスク選好を損なう程の悪さではない場合に「ゴルディロックス相場」が発生する傾向があり、その根本(相場認識)には、景気の緩やかな回復と金余りへの期待が同居し、相場を押し上げるという見立てがあります。

2018.01.17。


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ニーバーの祈り


ニーバーの祈り

 「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを」

 「変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を」

 「そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」

 O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

 ラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者、雑誌編集者)

 (1892-1971)アメリカの自由主義神学者であり政治や社会問題についてのコメンテーターでもあった。この言葉は、ニーバーがマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈りの言葉とされている。アルコール依存症、薬物依存症や神経症の克服するプログラムに採用され広く知られるようになった。

 「過去のことや他人のことなど、自分ではどうしようもないことをいつまでも嘆いていたこと……」

 「勇気がなくて一歩を踏み出すことができなかったこと……」。

 そんな時、思い出したい言葉です。もう変えられないことは受け入れ、自分ができることに全力を尽くそうという覚悟をもたらしてくれます。

 困難に直面して立ち止まった時、先に進めなくなった時、その状況を受け入れて勇気を持って一歩を踏み出す、人生とは常にその繰り返しかもしれません。

2019.03.01、インターネットより。


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No.Comment


 People say 'no comment' as a way of refusing to answer a question, usually when it is asked by journalists.No comment. I don't know anything. By COLLINS 


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聖書(イザヤ書 四五・七)


 「決心をするということは測り知れない安堵を意味します。決心には目標があります。」

 「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である。すべてこれらの事をなす者である。」


75

米国の研究者


 米国の研究者の社会には〈パブリッシュ.オア.ペリッシュ〉という言葉がある。きちんと仕事をして評価されるか、さもなくば消え去るか--のどちらかという意味である。実績もあがれば処遇も上がる。Publish or perish! 

*perish

 If people or animals perish, they die as a result of harsh conditions or as the result of an accident; used in written English. By COLLINSNO COMENT


76

『Spoken American English Advanced Course』


   一 Repetition plays an important role in language study. 


77

English Proverbs


 一  One is never too old to learn.

 二  However much you know, there is always more to learn, and whatever your age, you can still increase your knowledge. Cicero refers to “a zeal of learning, which, in the case of wise and well trained men, advances in every pace with age.” The favourite saying of Michelangelo, the great Italian sculptor and painter, was :”I am leaning.”


78

『EQこころの知能指数』


 「感じることに言葉を与えることができたらその感情は自分のものだ。」

※ダニエル・ゴールマン (1946~)による。


79

『続 日本人の英語』


マーク・ピータセン『続 日本人の英語』(岩波新書) 1990年9月20日 第1刷発行

アメリカ人は日本人を the Japanese というのに、自分たちを the Americans といわない。Americans というのはなぜだろう。「読めるけれど書けない」とよく言われる日本人の英語だが、どこまで的確に読み取っているのだろう。楽しい文例と徹底的比較を通して英語の新しい世界を広げてくれる、ベストセラー『日本人の英語』の待望の続編。カバー紙にかかれている。

1、抑制の効いた台詞

 シェクスピア劇の英語を除き、現代英語のものに限れば、名台詞のもっとも多い映画は、『カサブランカ』といえる。古い映画ではあるが、その英語はなぜか古くならない。小津安二郎の『父ありき』の出た年の次の年、すなわち昭和18年にできた『カサブランカ』の英語は不思議にこれといった癖がない。落ちついた表現が多く、廃れた俗語は意外とみられない、英語の可能性を知るためにはとてもよい教材になる。

 『カサブランカ』の、いわゆる名台詞だけではなくごく普通の会話でも、よくみれば、英語の独特な表現力がその表面のちょっと下に働いており、ストーリーの人物の心を動かしているのである。

 面白いことに、人をもっともドキッとさせる台詞は、主人公が言うものより、脇役の黒人のピアノ弾きサムの、抑制の効いた台詞である。たとえば、こんな場面もある。サムのボス、リック(ハンフリー・ボカ―ㇳ)がパリ時代の恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)にふられてから、人生に負けて大分僻(ひが)んでいるところに、突然そのイルザがカサブランカに現れ、キャバレーでサムと再会する。二人の会話は次のように始まる。

 Ilsa: Hello, Sam.

 Sam :Hello, Miss Ilsa. I never expected to see you again.

 Ilsa: It's been a long time.

 Sam : Yes, ma’am, a lot of water under the bridge.

*P.104

2、英語の感覚を自分のものにする

 日本にいながら英語の感覚に馴染むことは、年齢を問わずに十分にできると思う。私の経験でいえば、本人にとって心から夢中になれる内容さえあれば、どのような英語を対象にしても構わない。シナリオ付きのビデオ映画にしても、ミュージカルの歌詞にしても、とにか本当に夢中になれば、後はどれだけ時間を積み重ねるかという問題だけである。

 ビスケットを紅茶の中に突っ込むと、どんなに堅くてもかならず紅茶を吸収する。変なたとえではあるが、人間と言葉も同じ関係ではないだろうか。「勉強」つもりならば、努力しても心の「突っ込み」にならないうちに終わるが、自分に嘘をつかずに、本当に心から面白いと思っている内容の英語に没頭すれば、その英語はかまらず自分の体の一部となるのである。

*P.181


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『THE ELEMENTS OF STYLE』


"Buy it, study, enjoy it.

It's as timeless as a book can be in our age of volubility."

-The New York Times

「それを買って、調べて、楽しんでください。それは、本が私たちの衰弱の時代になるのと同じくらい時代を超越したものです。」 ――ニューヨークタイムズ

著者について

William Strunk、Jr.は1919年にコーネル大学での彼の英語8コースのために彼自身の本、スタイルの要素を最初に使用しました。 この本は、1935年に Oliver Strunk によって出版されました。

EB White は、Cornellの Strunk 教授のクラスの生徒で、「小さな本」を自分で使っていました。 マックミランによって Strunk の本を改訂するよう依頼された Whiteは、1959年と1972年の The Elements of Style を編集しました。


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『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』


 ゲゼルシャフト【(ドイツ)Gesellschaft】

 ドイツの社会学者、テンニエスが設定した社会類型の一。人間がある特定の目的や利害を達成するため作為的に形成した集団。都市や国家、会社や組合など。利益社会。⇔ゲマインシャフト。

 ドイツの社会学者テンニエスが提唱した二つの概念について書かれた文献がある。『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』。 

   著者であるフェルディナント・テンニース(Ferdinand Tönnies、1855~1936)はドイツの社会学者で、1881年にキール大学の私講師に就任し、経済学で教授に昇進。その後一時大学を離れ1921年に社会学の教授として大学に戻りますが、1933年にナチスによって職を失ってしまいます。その後はマックス・ウェーバーらとともにドイツ社会学会の創設に参加しています。

 著書『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』においては、本質意志と選択意志という自らが樹立した意志の二形態に対応させて社会的な関係様式をゲマインシャフトとゲゼルシャフトに二分し、支配的な関係様式が前者から後者へと移行していく歴史観を提起しました。

 「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」とはどういったものなのでしょうか?

 ゲマインシャフト【(ドイツ)Gemeinschaft】は共同体組織と呼ばれ、それに属する人ひとりひとりのために存在しています。家族のような血縁関係もこのゲマインシャフトに属しています。ほかにも身近なところで学校の部活、教会などの宗教団体、スポーツや文化活動サークルなど、主に満足感・安心感を得られることを目的としています。

※コンサイス独和辞典:①共同、連合、提携 ②共同社会、共同態、共同体、組合

 ゲゼルシャフト【(ドイツ)Gesellschaft】

 ゲゼルシャフトとは、機能体組織です。つまり組織自体に目的があり、所属する人たちがその目的のために動くことになります。企業のように、会社の利益のために一致団結して動くさまなどまさにこれにあたります。

※コンサイス独和辞典:①仲間、連れ、交友 ②交際、社交 ③共同、協力 ④集合体、社会、利益社会 ⑤結社、団体、協会、学会、会社 ⑥(社交的)会合、集会 

 また、面白いことにこの本は創業期の会社をどう成長させるかを考える際に知っておくべきものが載っているということで、企業に勤める方々にはよく読まれているものらしいです。

 他にもゲマインシャフトとゲゼルシャフトは、パーソナルとインパーソナル、親密な人間関係と打算的な人間関係、自然と形成されるものと、人為的に形成されるもの等、多くの対比がみられます。

   さらに社会が資本主義へと移るにつれ、人間関係も計算尽くの関係へと変化していきます。これはマルクスの資本主義や、ホッブスの市場社会についての見解も知っていればよくわかると思います。テンニエスもこのふたつの議論を結合させてゲゼルシャフトの理論を構築しており、そのうえで資本主義とは異なるゲマインシャフトの関係を提示することで資本主義化する社会の混乱を解決しようとしたのです。

 この本を読んでみると、現在の自分の身の回りや、社会がどういう関係で成り立っているのか考えさせられます。違った視点で自分のライフスタイルを見つめなおすのに、いいきっかけになるかもしれません。

 ・・・・ところで、このテンニエスの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』は、すでに絶版となっています。今の社会はモノであふれているとよく言われますが、こうしたいい文献が消えていくというのは寂しいものです。それでもまったく読めないわけではないので、興味があればぜひ目を通してみてください!

 以上、インターネットによる。

 私は、昭和22年、学生時代に公民科の授業で教えられた。化学工業科と醸造科との合同授業であった。

2019.12.26


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兵は拙速を尚ぶ・正岡子規の漢字の誤り


「兵は拙速を尚ぶと云うが、……」『百言百話』P.160

 私はこの句は孫子の兵法にあると思っていた。

「兵は拙速を尚ぶと云うが、……」『百言百話』P.160 に三宅雪嶺も書いている。

 金谷治訳注『孫子』(岩波文庫)を調べると、この句は見当たらない。

 作戦篇P.28に、兵は拙速なるを聞くも、未だ功(こう)久なるを賭(み)ざるなり。(訓)

 戦争には拙速――まずくともすばやくやる――というのはあるが、功久(こうきゅう)――うまくて長びく――という例はまだ無い。

「兵は拙速を尚ぶ」と「兵は拙速なるを聞くも」を比較すると、前者は断定的であるため理解しやすい。後者は断定的でなくて物足りなくて「兵は拙速なるを聞くも、未だ功(こう)久なるを賭(み)ざるなり」まで書かなくては完結しない。私の好みをいえば、出典から正確なものを知った上で、その意味をこわさない簡素化されたものであることを知っていたい。

 以上は昭和60年4月5日にノートに記載していた。この記載の他にも下記の記載があり、余談として記載。

※余談:正岡子規『墨汁一滴』P.41

 黄塔(こうとう:子規の幼い頃からの友人)まだ世にありし頃余が書ける漢字の画の誤りを正してくれし事あり。それより後よりより余も注意して字引を調べ見るに余らの書ける楷書は大半誤れる事を知りたれば下記に一つ二つ誤りやすき字を記して世の誤を同じくする人に示す。

 菫謹勤などの終りの横画は三本なり。二本に書くは非なり。活字にもこの頃二本の者を拵(こしら)へたり。

 達の字の下の処の横画も三本なり。二本に非ず。

 切の扁は七なり。土扁に書く人多し。

 助の字の扁は且なり。目扁に書く人多し。

 磨摩磨魔などの林の字に書くは誤りなり。靡のように林ではない。

 兎免共に四角の中の劃(かく)を外まで引き出すなり。

 「つか」といふ字は冢塚にして豕(いのこ)に点を打つなり。

 全愈などの冠(かんむり)は入るなり。人冠に非ず。

 分貧などの冠は八なり人にも入にも非ず。

 神祇の祇の字は音「ぎ」にして示扁に氏の字を書く。普通に祗(し:氏の下に一を引く者)の字を書くは誤りなり。祗は音「し」にして祗候(しこう)などの祗なり。

 廢は広く「すたる」の意に用ゐる。疒(やまい)だれの癈は不具の人をいふ。何処にでも疒だれの方を用ゐる人多し。

※原文を少し変えている。

   2020.04.11記す。


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ピグマリオン(Pygmaliōn)効果


 ギリシャ神話に出てくる彫刻家のピグマリオンは、象牙を刻んで美しい婦人の像を創り上げた。彼は、自分が創ったこの婦人を恋するようになった。そこで、ビーナスが、その彫刻に生命を吹き込んで、生身の女性にしたのだった。

 この神話に感動したジョージ・バーナード・ショー〔イギリスの劇作家〕は、「ピグリオン」と題する戯曲を書き上げた。ヒギンズ教授が、ロンドン子特有のなまりを持った花売り娘を、愛によってではなく、言葉を直すことによって、淑女に変えようというのが荒筋である。その後この物語は「マイ・フェア・レディ」というミュージカルに仕立てられて、大当たりをとった。

 心理学者の話ではこうしたことは現実に起こり得ることだそうだ。ほかの人から期待されると、だれでも、それまでとは違った行動をするようになる。期待にはそうした影響力がある。そして、この影響力によって、期待を寄せた人が予言したとおりの人間が生れる。この現象は「予言の自己実現」といわれている。

※参考:ピグリマンの彫刻とピグリマン効果は、異なる概念です。ピグリマンの彫刻は、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に登場する、彫刻家ピグマリオンが自分が作った女性像に恋をして、神々の力でその像が実際に生きた女性になるという物語に由来します1. 一方、ピグリマン効果は、教師が生徒に対して期待を持つことで、生徒の成績が向上する現象を指します23. この効果は、1964年にアメリカ合衆国の教育心理学者ロバート・ローゼンタールによって実験されました2.(インターネットによる)

ピグリマン効果の事例

 医者が、この患者の病気は必ず治ると期待すると、回復が早まるという説は、今では広く認められている。

 心理学者の調査によれば、子供の知能テストの成績は、教師からどれだけ、期待されかで左右される。動物でさえ、人間の期待どおりに行動する、という実験報告がある。

 1960年代の半ばに、教師が生徒に期待するとどのような効果があるか、という論争が起こった。そこで、期待したとおりの結果が生れるかどうかを確かめるために、大規模な実験が行われた。最初に、18のクラスの生徒たちにテストを実施した。ただし、その子たちにはテストの目的は知らせなかった。

 テストがすんだあと、この生徒たちの中から、20パーセントの者を無作為に選び、教師には、この子どもたちが向こう1年間にすばらしい成績をあげることは、まず間違いない、と知らされた。どの生徒が20パーセントに入っているかは、教師だけが知っていて、生徒たちは、自分がそんなふうに選別されていることを知らなかった。

 8カ月たって、再びテストが行われた。すると、良い成績をあげるだろう、といわれた生徒たちは、他の生徒たちに比べて、知能指数がかなり高くなっていた。この生徒たちの知能指数にこうした差がついたのは、彼らが教師が寄せた期待にこたえたのではなかろうか、というのが実験をした人たちの推測である。

ピグマリオン効果の証明

 期待が持つ教育効果をとりあげた本が、以前、出版されたことがある。専門家の意見は、賛否両論あった。しかし、この問題が重要であるという点については、異論がなかった。その証拠に、それから数年の間に250近い研究報告が発表され、いろいろな面から期待と効果の関係の究明されたのである。実験や調査に選ばれた集団も、学校、工場、銀行、一般の会社、セールスマン、運動選手など、広い範囲にわたった。これらの研究報告のうち約3分の1は、期待は、人の行動に影響を与える効果があるという結論を出していた。

 期待には人にやる気を起こさせる力があるとする説を裏付ける事例を、次に紹介しよう。

 ニューヨークのある一流保険会社では、セールスマンを、能力に応じてグループに分けてみた。そして、トップ・グループでは腕ききのマネジャー、中程度の能力のセールスマンたちには平均的マネジャー、販売成績のよくないセールスマンのグループには、ぱっとしないマネジャーをつけた。その結果、トップ・グループのセールスマンたちは、自分たちの従来の実績はもちろん、会社が割り当てた目標額さえ突破するほどの成績をあげた。ここでもやはり、自分たちはすばらしい成績をあげるだろうと期待されていたことが、こうした結果を生んだ決定的な理由だろうとされた。

 アメリカ電信電話会社で大学卒の社員を調査した結果も、やはり同じ結論になった。彼らが管理職として成功するか、否かは、主として、会社からの期待の有無で決まっていた。

期待の影響力は極めて大きい

 期待についての研究が進むにつれ、期待の果たす役割も、次第に明らかになった。中には、恐ろしいケースもある。妖術師とか祈祷師が、ある人をのろい、その人をかたどった人形にクギを刺すと、そののろわれた人はひどく苦しみ、死んでしまうことさえあると言われるが、期待の効果は、それとよく似ている。極限すれば、期待とは、それがプラス、マイナスとどちらの働きをするにせよ、そのすべてが、人の心の中で魔力をひきだすものになり、ほかの人の行動をゆり動かす力を持つと考えて差し支えない。

※ADVENTURES IN ATTITIDES(グループ ダイナミックス研究所)より。0